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猛暑の中、一週間後に開催される「楠声会合唱団第10回記念演奏会」の紹介記事が南日本新聞に掲載された。今回の演奏会は、第3ステージに下野竜也を客演指揮に迎えて、100人を越すおじさんたちが歌う「火の島ー桜島ー」である。定例の練習は今日29日が最終日。週末の特別練習やリハーサルを経て本番を迎える。あとは、健康に留意して進むのみ。
2018.07.29
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集落の長から解放された熊助おじいさんは、徒然なる日を送っていたかと思いきや、不精者でありながら好奇心だけは強いので、一日置きくらいには熊のようにごちゃごちゃと動き回っていました。暑さにも負けず、水曜日と土曜日は相変わらずのグラウンドゴルフを4ゲームづつやって、5000歩くらいは歩いていることになると自己満足に陥っていました。これだけでは一週間にわずか10000歩しか歩いていなことになるのだが、まあそこは年の功? で適当に気持ちを誤魔化しながら生きていました。 おじいさんは他にも、自分を満足させる楽しみごとを持っていました。その一つは毎週、休みの日(と言ってもおじいさんは毎日が休みでしたが)に籠に乗って出かける「おじいさんたちの歌合せ」の集まりでした。8月4日には大きな会場で「おじいさんたちの10回目を記念する歌あわせ会」があるので、それに向けて出ない声を振り絞り、稽古に必死に取り組んでいました。日本国中から同じ釜の飯を食べた歌好きの108人のおじいさんたちが集まってくるので、薩摩の地元のおじいさんたちの準備も大変でした。それに加えて、歌合せ10回目にして、初めて書物を見ないで歌合せをしようということが決まり、記憶力の無くなった熊助おじいさんは必死になって覚えようとしましたが、今見た書物の文章もすぐ忘れてしまうありさまで、心配は尽きません。さあ当日はどうなってしまったのでしょう。 そういうおじいさんでしたが、たまには家の雑草園の草刈もしなくてはということで、お日さまの出ないうちにと思い、ある日、早起きをして、雑草園に出ました。ところが、おばあさんから「雑草園はまたの日でいいから、家の周りの草から刈ってください」とのご下命が出されました。それには逆らえないおじいさんは、雑草園は大きな目に付く草だけを刈り取って、家の外に出ました。おじいさんの家の前は、集落のゴミと桜島の降灰袋を集める場所になっていました。人通りに面して人通りも多く、ゴミ出しにも皆さんが集まってくるので草などが生えていれば見苦しいのでした。その日は、一時間位かけて外回りを済ませたのです。その日からお盆までの何日間か、グラウンドゴルフなどない朝におじいさんは黙々と草刈を続けることになりました。 草刈のことを書くのに夢中でもう一つの楽しみだったことを書き忘れるところでした。 それは、歴史のあるところをこれも熊のようにうろうろ歩き回ることでした。特に、石像など石で造ったものが大好きでしたが、よく古い墓もめぐるので、人からは変人と思われていたかもわかりません。そいうことは気にしない熊助じいさんは、歴史的なものの説法などでも、いい話を聞けると思えば何処にでも出かけていました。また、寺小屋で一緒だった仲間たちとも歴史的なことの話題があれば、早飛脚よりも早い手段で文書や意見のやり取りをして楽しんでいました。 そういう熊助じいさんは、暑い暑いと言われた夏もなんとか乗り切って生きながらえたそうです。
2018.07.27
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長田町をさるく(その一)に書いた「茶碗屋馬場」についてはガイドさんから聞いて初めて知ることが多く勉強になった。薩摩焼は島津義弘が豊臣秀吉率いる文禄・慶長の役の際に朝鮮人陶工を日本に同行して、造り始めたのだが、竪野系、龍門司系、苗代川系、平佐系、西餅田系がある。焼物としては藩主御用窯の「白もん」の色絵錦手と一般用雑器「黒もん」がある。 ここの竪野系薩摩焼は、義弘が連れ帰った金海(星山仲次)によって開かれた窯で、鹿児島の神之川に上陸したという。上陸後に栗野、帖佐、加治木と義弘に従って各地で窯を興し、薩摩焼の基礎を築き、星山仲次の名を拝領した。18代家久の時代には鹿児島城(鶴丸城)下の竪野に移り、元和6年(1620)冷水窯を開いた。その後、子孫らも陶工として藩に仕え、長田窯、稲荷窯と続き、28代斉彬の時代の磯御庭窯へと発展する。これらの竪野系の窯は、藩窯として薩摩焼の中心だった。 また、世界遺産に登録されている仙巌園内の反射炉の建造に不可欠だった耐火レンガの製造にも星山仲次の子孫らが重要な役割を果たした。 明治時代以降の竪野系の窯としては、田之浦窯、慶田窯、船崎窯、隈元窯、仙巌窯、市来窯、長太郎窯などが知られている。なんとこの中に私と同性の窯がある。我が家は高祖父の名前まではわかっているが、職業に陶工と関係があったとは聞いたことはない。 この竪野系薩摩焼は、最高級品の白薩摩であり、白薩摩は江戸の薩摩藩上屋敷でしか確認されていない。鹿児島城(鶴丸城)でも発見されておらず、将軍家などとの外交行事など特に重要な宴席で使用されていた。 武将で茶人としても知られる古田織部に贈られたのも竪野系の薩摩焼であり、織部も高く評価していたそうだ。 上の写真の右上の見える白い建物の場所に敷地面積600坪の「焼き物方御用屋敷」があった。ただ現在は、ここには窯はなくて、苗代川系の日置市や龍門司系の姶良市などを中心に県下各地に多くの窯がある。 次行った先は、NHKの朝ドラ「朝が来た」でディーン・フジオカが演じて一躍全国区の有名人になった「五代友厚誕生地」。ここは2016年12月23日の拙ブログ「五代友厚の誕生地と銅像を訪ねる」に詳細は書いている。 今回新しく追加設備されたものがあった。「五代家に伝わる世界地図」である。これは大阪商工会議所が創立140周年記念として誕生地に贈ったものである。五代友厚が大阪商法会議所(現在の大阪商工会議所)の設立者であり、初代会頭だったことによるものだ。 最後に行ったのが「横山安武・森有礼兄弟成育之地」ここについても、拙ブログ2018年4月2日「横山安武・森有礼兄弟成育之地」に詳細は書いた。なお、ここは私の友人宅であるが、そのMくんも一緒に今回もこのまち歩きに参加し、皆さんにこの土地が自宅になった経緯などを説明した。Mくんのご先祖はこの成育の地を100年くらい前に購入して住まわれたそうで、この成育の地の姓と同じのために歴史に興味のある人が子孫かと思ってよく訪ねてみえて困惑しているようだ。(Mくんのことがバレバレになってしまった。ゴメン) 参考資料; 「薩摩焼の歴史と発展」、「あるく みる いこう かんまち本」(その二)
2018.07.23
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夏の厚い一日、「2018 かんまち本でさるく上町歴史散歩」に行ってきた。この日は猛暑に加えて、先日降った桜島の「へ」(灰)が風に舞い上がるコンデションの悪い日だったが20数名の参加者だった。 最初に行った「高崎正風翁の碑」は長田町の南風病院の玄関近くにある。高崎五郎右衛門(父)高崎正風(子) 天保7年(1836)~大正元年(1912)の墓地については、拙ブログの2018年5月19日に書いた。父の五郎右衛門の関係する「お由良騒動」についてもそこで触れている。 この先にある長田神社下から西郷隆盛終焉の地である岩崎谷方向に延びる山すその道に長田窯があり、山手側には敷地面積600坪の「焼き物方御用屋敷」があったという。この通りは「茶碗屋馬場」と呼ばれていたそうだ。沿線には茶碗屋があった。 ここは、その当時 登り窯があった? いよいよ長田神社へ。六月灯(鹿児島の夏の風物詩で各神社毎に夜店などが出て夜遅くまで賑わう)が近日中に開かれるのか階段でもその準備に余念がなかった。 古色蒼然たる神社である。しかしその風格はピカ一。それもそのはず、承久3年(1221)勧請されている。創建以来 福ケ迫諏訪神社と言われていた。初めは出水野田郷山門院木牟礼城内に創建されるが、島津家5代貞久は東福寺城(鹿児島市多賀山)を攻め落とすと、下諏訪神社として現在の福ケ迫に移した。なお、上諏訪神社は清水町の南方神社に移される。上山城(城山につくられた山城)の守護神となっており、代々島津家藩主の崇敬が厚いという。主祭神が神戸長田神社と同じ事代主之命であるとして、明治2年に長田神社と改称され現在に至っている。 社正面の「長田神社」の書は30代忠重の筆による。 見事な龍の手水鉢 天明7年にこれをつくったとの彫りがある。4人の人物の寄贈のようだ。時代は1780年代で25代重豪の治世の頃と言われる。 他にも手水鉢が。 神社の片隅にはここにも「水神」「山神」の碑がひっそりと置かれていた。 「茶碗屋馬場」に関する薩摩焼の話については次回書こうと思う。
2018.07.21
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8月4日の「楠声会合唱団第10回記念演奏会」まで3週間を切ってしまった。おおよそ3年に一回開かれてきたのだが、私は幸いにも30年前の第1回から9回までの演奏会に全てステージに立ってきた。そういう意味でも私にとって10回めの今回は大きな目標にしてきたので、節目の演奏会である。 8月4日(土) 開場/午後3時30分 開演/午後4時 会場は、宝山ホール(鹿児島県文化センター) 演奏曲目 第1ステージ フランスの詩による男声合唱曲集「月下の一群」(1) 堀口大學 訳詩 南 弘明 作曲 第2ステージ 七高寮歌より「北辰斜めに」「森の梢」 日本の合唱曲より「富士山第肆」「秋のピエロ」 ドイツ民謡より「Standchen」 ロシア民謡より「バイカル湖畔の歌」 黒人霊歌より「Soon Ah Will Be Done」 日本の民謡、歌曲より「ゴンドラの歌」「箱根八里」「知覧節」「斉太郎節」 第3ステージ 打楽器とピアノと男声のための合唱曲「火の島」(桜島) 郡山 脩 作曲 客演指揮 下野竜也 我が合唱団は毎週日曜日に2時間の練習をしているが、定期演奏会を前に今回はその定期練習の他に各パートが2回づつ、強化練習を5月の連休を利用して2日間 一日4時間 合計8時間の練習、7月の15日、16日も一日4時間 合計8時間の練習を積んできた。大学の男声合唱団のOBで組織した合唱団なので、強化練習には東京はじめ、九州各地から15日、16日の強化練習には70名が参加した。このあと22日、29日の定期練習の他、8月2日、3日の練習のあと4日の本番を迎えることになっている。 これだけの練習と自宅で練習CDを聴いたりもしているが、覚えが悪い。それでも、記念演奏会に向けて頑張るざるを得ない。それと心配なのは、この暑さにバテないようにして当日を迎えられるかいうことだ。テレビでは連日 熱中症のニュースが流されているので、細心の注意をしながら生活しなくてはいけない。そうは言いながら、もともといい加減な私のことだから、今までのような生活を繰り返しながら日々過ごしていくことになるだろう。
2018.07.17
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