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◇火曜日;旧暦四月二十四日 乙卯(きのと う) 世界禁煙デー六本木駅で地下鉄を降りる。工事中だらけで飯場状態の地下通路を案内に従って抜けると、カタコンベのような丸い空間に出る。但し、このカタコンベは上方から明るい光が差しこみ、無闇に明るい。二階分の高さを繋ぐほどにも長い自動階段に乗って上に向かうと、差し込む光はいよいよ明るさを増し、やがていきなり地上に放り出される。大いなる開放感と共に見上げれば、目の前の広場の向こうに銀灰青色に輝く巨大な塔が屹立している。塔自体は直方体の四隅をなだらかな弧に切り取り、えいやっとばかりに天高く押し立てたようなものだ。塔の周囲に鋭角が無いために一種獰猛な存在感がある。カタコンベから地上に復活して来た多勢の人間が、三々五々この塔に吸い込まれていく。塔の前の広場にはやはりかなりの数の人間がブラウン運動状に動き回っている。今をときめく六本木ヒルズである。不覚にも、今日初めて訪れる機会が会った。何しろ、夜の六本木を徘徊するには、いささかロートル過ぎる。それに、あぁいうところをオジサン同士でうろついては却って怪しまれるでしょうに。そうなると相手がいない。だから、仕事での機会が出来て初めて行くチャンスがあったわけだ。しかし、あれはマッチョ主義か、男根崇拝主義の表象以外の何ものでも有りませんな。少なくとも僕にはそう思えました。(Inferiority Complex?)地下の暗いところから細い通路で運ばれてきて、一旦広い場所に解放され、その後ぞろぞろと塔に吸い込まれていく我々は、そうなると・・・・spermatozoa?入り口に向かって広場の左隅には、唐突にと言った感じの彫刻がしつらえてある。地上かなりの高さに八本の足を広げて辺りを睥睨する像は、ありゃぁ確かに蜘蛛に見えた。しかもこの蜘蛛、白く輝く卵を腹(と思しき辺り)に幾つも宿しておりましたゾ。同行した物知りの部下に依れば、あれは通の間では「ひるず」と言うのだそうだ。「正式の」発音は、「ひ」の次の「るず」は、半音階上げる。つまり「ミファファ」又は「シドド」というわけ。これを「ファソソ」とか「ラシシ」と全音階にすると、響きが明るくなりすぎて、カネと欲望の雲がまとわりつく男根のアンニュイをうまく表現できないのだと。なるほど。思えばいささか古いけれど、他にも「ブクロ」(池袋)、「ザギン」(銀座)、「ナオン」(女)など、ある種の隠微さをこめての呼称は、皆同じメロディーで発音する。そうなると、この頃、国鉄清算事業団関連のスキャンダルが取り沙汰され始めている品川の辺りは、玄人筋にどんな「正式名称」で呼ばれているのか気になってきた。
2005.05.31
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◇ 日曜日;旧暦四月二十二日 癸丑(みずのと うし)「靖国は天皇の神社である」とは、同年代ながら学生時代は敢然右翼を標榜されていたわが畏友のお言葉である。靖国神社は明治になって創建されたお社だ。その趣旨は「国に殉じて戦いに赴き斃れた英霊を合祀し、その御霊(みたま)を安んじる。」というところにある。しかし、幕末から明治維新にかけて、所謂官軍の戦死者は祀られているものの、戊辰戦争での会津藩の戦死者や、白虎隊などは対象外である。つまり、ここでいう「国」は時の天皇に代表される国家権力であり、それによって形を成した国体であると考えるのが適当なようだ。先の大戦では無慮何百万もの戦没者が出た。彼らも又靖国神社に合祀された英霊である。それが大平内閣の時になって、A級戦犯も合祀対象になった。これで様子が変わった。A級戦犯は、当時国民に赤紙を出した側である。それまでは、赤紙を受取って否応なく戦地に駆り出された人たちが「英霊」の主役であった。つまり「労」と「使」である。大平内閣は、「労使双方」をえいやっとまとめて靖国神社に入れてしまったのだ。これでは九段の神域でも、祀られた同士、お互い気まずい思いをなさっているのだろうと思える。「A級戦犯」というのが、戦勝国の勝手な理屈で敗戦国を断罪した、甚だ問題の残る裁判での呼称であったことを斟酌するとしても、彼らこそが当時の日本の経営者であった事には変わりはない。つまりは死亡宣告をした側と、宣告を受けた側とが同じマンションで暮らしているようなものなのだ。これは変だ。しかし、「靖国が天皇の神社だ」と言う観点から見れば、なんの矛盾もなく腹に落ちる。赤紙を受取った側はもちろん、出した側だって醜の御盾(しこのみたて→古い!)として天皇に殉じたことは形式上変りはないのだから。わが宰相は、「戦没者を慰霊するのは、その国の問題だ。他国の云々すべきことじゃない。」とおっしゃる。それは全くその通り。身内の弔いや法事について、隣村の連中にとやかく言われる筋合いはない。これは確かだ。宰相はまた、「罪を憎んで人を憎まずとは、そもそも中国の孔子の言葉ではないか。」ともおっしゃる。それはその通りだが、この理屈は今の場合通らない。論理的にもおかしい。一般受けするだけの巧妙な誤魔化しだといえる。上に書いた事の文脈をたどれば、この「罪」とは国権によるものであって、個人によるものではない。又彼が「罪」といった以上、これは当時のわが国の国権による所業を「罪」と認めたことになる。そうであれば、(1)まずは国権の現在の継承者として、当時の「罪」を明示的に示し、謝るべきは謝り、正すべきは正す。次に、(2)「A級戦犯」諸兄の具体的な「罪への関与」或いは「不関与」を明確に示し、これに対しても現政権の長としての態度を内外に明確にすべきである。そして最後に(3)靖国に「労使」双方を合祀することに対しての理由付けをはっきりさせ、自らが参詣することの立場と理由を明瞭に公にする。そうしておけば、紋付袴でいらしゃろうが、ジャージーにスニーカーを着用に及ばれようが、好きなときに好きなようにお参りなさればよろしい。あの方は、この件に限らずどうもレトリックの混乱が多い。或いはそれは混乱ではなく、何か背後に深い意図を隠しての行動だとも勘ぐれなくもない。民草はこういうレトリック上の誤魔化しには弱いものだ。おまけに現在のわが国のマスコミは、これを整然と指摘して健全な批判の論陣を張る力量も見識もない。日本が世界の中で笑いものになったり、いいように手玉に取られたりするようなことにならないよう、頼むからちゃんとして欲しい。…ところで、ずいぶんブログをサボったお詫びに、我が家の玄関先に咲いたユウゲショウの花の写真を一枚。和名は夕化粧。元々は海外から日本に移住していらしたお花のようだ。この花、朝から日中にかけては可憐な四枚の花弁を精一杯広げる。ところが、午後になって夕方近くになると花弁を、口をすぼめるように閉じてしまう。その様子が、ひっそりとお化粧を直しているように見えるのだろう。そういう奥ゆかしさは、衆人環視の電車の中で堂々と化粧を直して憚らない現代の大和撫子より余程可憐で美しい。
2005.05.29
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◇木曜日;旧暦四月十二日 癸卯(みずのと う) 奈良唐招提寺団扇まきもう先週末の事だが、社外の仲間たちと討論しているプロジェクトの検討会を兼ねて、友人の八ヶ岳山荘に集まった。この友人はご奇特な方で、こういった集まりに自らの山荘を快く開放してくださる。八ヶ岳南麓に友人が山荘を構える区画には、数軒の別荘があるのみで、其処に至る道は舗装されておらず、しかも袋小路状になっている。だから通過する車も無く、入ってくるのは区画の住人か用事のある人ばかりだ。背の高い落葉樹に囲まれ、随分静かな環境の中で、山鳥の声も聞こえ、時々は栗鼠も来訪する。そういう場所でひとしきり議論した後、地元名物の信玄ほうとう鍋を皆で戴いた。店に行くのではなく、自ら作るのだ。無論こういう時は僕が腕を振るうのだが、みようみまねのほうとう鍋も、大いに好評を博す事が出来た。満足である。それぞれの持ち寄りの特産品を肴に、これも銘々持ち寄りの銘酒で談論は盛り上がる。当日の現地は肌寒いほどであったけれど、実に心地よいひと時を過ごす事が出来た。今では、交通網も発達し、八ヶ岳辺りは、車で行っても電車で行っても、時間的に都心からそれほど遠くは無い。窓を開ければすぐに隣の軒とか、電子錠や監視用ディスプレーに守られた閉鎖空間では全く味わう事の出来ない開放感を満喫できる。我々団塊の世代が社会の第一線から退く頃には、ブロードバンドも水道や電気と同じくらいに普及しているであろうから、文字、音声、画像によるコミュニケーションは、物理的場所に全く依存しなくなるだろう。そうなったら、気の合う仲間同士でこういう場所にコミュニティを作って、そこで普段の生活をする。但し引退ではない。むしろ、積極的にインターネットを介して社会と関わりつづけるのだ。そして必要な時だけ都会に出てくれば良い。コミュニティには、仲間のほかに(仲間の内であってもいいが)法律家、会計士、医者なども加えれば、自己完結した生活が出来るだろう。他に「飲み屋」もあったほうがいいかもしれないな。そうして、相互幇助すれば生活するには何の不自由も無い。そして最後に坊主も加えればもうこれは完璧だ。そういうたくらみを温めている。但し、友人の山荘にドカドカと押しかけては申し訳ない。それに温泉も有った方が断然良い。そうすると、八ヶ岳南麓からも近い安曇野の辺りが適地かな。そう勝手に思っている。友人の別荘からの帰り道、信玄街道(国道141号線)ではハナミズキが、上信越自動車道の横川SAの先では、ニセアカシアの花が満開であった。
2005.05.19
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◇水曜日;旧暦四月十一日 壬寅(みずのえ とら) 国際善意デー友からメールが届いた。彼は優れたエンジニアで某メーカー系企業をスピンアウトし、自らの理念に則った企業向けソリューション(ソフトウェア)を武器に打って出ようとなさった。起業ではなく、ある企業の傘下での事業開発だった。ところが、同志と頼んだ人間が当てにならず、色々波乱万丈の末に事業譲渡の止む無きに至り、後始末に随分の苦労をされて、縁あって元の企業にUターンされることになった。それを報せるメールだった。一旦はスピンアウトした身としては、元の企業に戻るのは釈然としない筈だ。しかし且つての上司が、彼を歓迎して受け入れたのは、彼の能力のみならず人間性の故でもあったろうと思う。自らを必要とし、自らを待っていて受け入れてくれる人がいる場所が有るのは大いに幸せなことだ。先ずは、彼にはおめでとうという気持ちで一杯である。米国のように職業の流動性が高い環境では、Uターンは当たり前だし、むしろ「外のメシを食って、経験を積み知識を蓄えた」ことが積極的に評価される。こういうUターンに際しては以前より待遇が向上するのも普通である。日本でもIBMなどでは「野鴨商法」とかいって、Uターン組を優遇する風潮とシステムがある。あの会社が、色々な面で他の日本企業より一歩先を行く理由の一つには、こういうこともあるだろうと思う。しかし、他の日本企業では、やはり「企業=ファミリー」という意識が強く、Uターンは「出戻り」などと呼ばれて隠微に差別される事が多い。僕も何年かのガイシケー暮らしの後、「親分」に誘われて、古巣の会社に上級部長待遇の契約社員として戻った時には同じ思いをした。トップは僕を評価してくれ、「プロとして存分に活動し、周りをどんどん引っ張ってくれ」とおっしゃってくれた。給料(契約料)も、ガイシケー並みの、日本企業としては破格の配慮をしていただいた。しかし、会社の仕組と周りはそうではないのだ。正社員のマネージャたちと、契約社員の僕とでは出席できる会合も違う。本当に重要な会議や、外部との打合せでは、正社員のみが参加でき発言権を持つ。人事権も予算に関する権限も、上級部長であれ契約社員には付与されないのだ。それに且つての同僚なども、何となく「出戻り」だという見方をする。「自分たちが苦労して来ているのに、アイツはさっさと出て行って、又戻ってきた。しかもあんな高い給料貰って・・・フン」というわけだ。それにしても「正社員」とはヘンな呼び方だ。彼らが「正しい社員」なら、僕などは「正しくない社員」か?・・・え?そうなのか?などと何度もすねたくもなった。伝統と経験がものを言う産業ならばともかく、IT分野の企業では、どう変化に対応し、むしろどう新しい変化をリードするかが重要であるのは言うまでも無い。そういうところに契約社員がプロとしての価値を持つはずだ。またただの外部からの参入組みではなく、かつて社員であったUターン組の方が、会社の基礎知識を共有しているだけ貴重であるはずだ。こういうシステムを形としては導入している企業は増えてきてはいるが、社内システムや社員の意識がそれと連動していないのが殆どだろうと思う。つまり、きめ細かいケアまでは手が回っていない。だから、本来強力な戦力となるべきUターン組が、段々スポイルされていって、結局は又社外に去ってしまうような事になる。これは本当に損な事だ。勿体無い事だ。そう思う。友もこれからそういう面で苦労するのだろうと思う。だから「この上は、三年と期間を区切って、その間はプロとして敢えて周りを気にせず、どんどんやるのが良いよ」とアドバイスしておいたのである。
2005.05.18
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◇火曜日;旧暦四月十日 辛丑(かのと うし) 伊豆下田黒船祭創業後それほども経っていない企業だと、とにかくいつも頭から離れないのはお金のことである。お金の入りと出は中々シンクロしないものだからこれには本当に苦労する。先日もある会合で、歳下だけど起業家としては先輩である友と話していたら、「自分も同じでしたよ。創業して二年間ほどは、取締役同士で顔を寄せ合って、カードの与信はこれくらいだから・・・なんて話ばかりしていました」とおっしゃった。彼の会社は、今では立派な黒字会社である。こういう話を聞くと、「あぁ、誰しも同じ苦労をしてきているんだ。」と大いに励まされる。苦労が嵩じると、「何で自分だけが」と思いたくなる。こういう時に、似たような経験談を聞かされると、自分だけじゃないんだ、と勇気付けられるのである。先達という人の価値は左様に大きなものなのだ。お金が足りないと、その分を埋めるために借金をする事になるが、借金をするためには「信用」というものが必要になる。信用などというものは、重さも大きさも無いから物理的には計測できない。だから、人数でこれを計るという理屈らしい。こういう時に頼まれてまさかの時の為に支えてくれようという友がいてくれると本当に嬉しい。万が一という事は常にあり得る事だから、誰だってそんなものに関わりたくないのは人情というものだ。にもかかわらず、頼みを聞いてくれる友には、迷惑をかけないのは勿論の事、必ずその恩に報いようと、改めて強い決意をするものである。こういう友人たちから電話やメールなどで励ましの言葉を戴くと、本当に人のありがたさを痛感する。組織などではない、人と人のネットワークに支えられることの重みを痛感するのである。少しづつ明るい光が見えてきているものの、今この瞬間もそういう友達に支えられている。こういうありがたさや感慨は、サラリーマンや雇われ社長の頃にはついぞ覚えた事の無かったものだ。ただただ感謝である。
2005.05.17
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◇木曜日;旧暦四月五日 丙申(ひのえ さる) 看護の日今日は看護の日だそうだ。「虫歯予防デー」→六月四日や、「木綿の日」→「コットンの日」→五月十日、或は「恋文の日」→五月二十三日のように、何かの語呂合わせかと思ったら、そうではなかった。五月十二日はナイチンゲールの誕生日なのだそうだ。フローレンス・ナイチンゲールは、1820年のこの日に、イタリアのフィレンツェに呱々の声を上げた。高齢化社会への流れの中で、介護や看護の問題はこれからいよいよ真剣に取り組まれるべきものになっている。そういう社会背景を踏まえて、秋山ちえこ、橋田壽賀子、日野原重明、柳田邦男などの人々が働きかけ、15年前の1990年に当時の厚生省によって制定されたのだという。その際にナイチンゲールの誕生日が選ばれたのだそうだ。なるほど。つい先日読んだ書評欄(週刊朝日5/20号、100頁;評者 永江朗)に、加藤伸司著「認知症になるとなぜ『不可解な行動』をとるのか」(河出書房新社)が取り上げられていた。この本ではアルツハイマー病を始めとする認知症(いわゆるボケ)の諸症状の原因を解き明かす話が色々書いてあるのだそうだ。書評の最後に永江氏は、「私は、介護は原則として他人に任せるべきだと思う。肉親だとつい感情が出てしまう。いくら『不可解な行動』の理由が分かってもショックは大きい。患者と家族、双方の為に、介護は赤の他人がやるのがいい。」と書いている。僕自身この本は読んでいない。これからも多分読まない。読んでいて若し自分に思い当たるところを見つけてしまったらコワイ。幸いにして、身内には該当する人間が居ない。(未だというべきか?)しかし、ざっと書評を読んだだけでも、永江氏のおっしゃる事は正しいように思う。現代は特に都会で「他人」が多すぎる。僕の子供時代の岐阜では、冬の期間と嵐の日、それに夜間以外は、町家では殆ど窓が開いていて、入り口にも鍵をかけていなかった。近所同士の行き来にもいちいち事前に電話をかけるなんて事はなかった。ぶらっと行って「こんちわー、居る?」で済んだ。これを監視とかプライバシーがないと見る見方もあろうが、一方では他人同士が相互にケアし合う社会的な仕組みが自然に有ったのだともいえる。赤の他人が看護や介護を出来るものかどうか。プロを養成するという制度上の整備もあるだろうが、日本人のコミュニティ意識がどんどん希薄になってきている事も考えてみる必要があるだろうと思う。
2005.05.12
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◇水曜日;旧暦四月四日 乙羊(きのと ひつじ) 長良川鵜飼開き故郷の岐阜では今日から鵜飼が始まった。岐阜市のやや北方を東西に流れる長良川では、これから10月まで、満月(と嵐で出水があったとき)の晩を除いて毎晩鵜飼が行われる。長良川の鵜飼を司る人を鵜匠と呼ぶが、鵜匠は宮内庁の職員として、国家公務員なのだと以前に教わった事がある。つまり、鵜飼で獲れた鮎は時の皇への献上品であり、鵜匠は従って元来が宮廷の使用人なのだと。鵜飼は、鵜の首根っこを、木の髄で拵えた紐で緩く締めあげ、その紐の先を鵜匠が持って船の上から操る。一人の鵜匠は十二羽の鵜を操るのだとか聞いた。この紐は絡み合ってキンクができるとプチッと切れるのだそうで、そんなにたくさんの鵜を操っても、紐が絡んで労働者たる鵜君が扼殺される心配はないのだと。そして、鵜が鮎を見つけて飲み込むと、首の紐が邪魔してそこで留まる。それを吐き出させて獲物とすると言うわけだ。釣り針や銛などの「カナモノ」で傷をつける事がないから、やんごとなき辺りのお気に召したのだろうか。こうして獲れた鮎には鵜の「歯型」がついている。今では鵜飼の獲物の鮎は民草も食べられるが、それでも高級料亭でしか巡り合う事は出来ないようだ。「面白うてやがて哀しき鵜飼かな」という、有名な芭蕉の句を、「折角飲み込んだ鮎を取りあげられてしまって、人間には面白いけれど、鵜には哀しい」という意味だと思い込んでいたが、どうもそうではないらしい。一介の凡人としては、風雅の境地に向かうより、つい食い物を取り上げられる鵜君に感情移入してしまう。長良川の鵜飼の歴史は相当古いもののようだ。かの信長も、金華山頂の岐阜城の天主から、眼下の篝火の舞を見下ろしていたのかもしれない。
2005.05.11
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◇火曜日;旧暦四月三日 甲午(きのえ うま) 愛鳥週間始まる以前誰かの本に、「電車に乗って暇な時は、近くの人の鼻を観察する」と書いてあった。人間の鼻は指紋と同じくらいに個性があるので、見ていて飽きないのだそうだ。なるほど、顔の中央に堂々と陣取った巨大な鼻、如何にも底意地の悪そうな鼻、にわか雨に会ったら雨水が溜まりそうな鼻、大きな黒子をお飾りに付けた鼻・・・・確かに見ていて飽きる事はない。鼻を見ていると持ち主の性格も何となく分かりそうな気になる。商売柄色々な人に会うが、相手がどういう人かはいつも気になるところだ。相手の性格を掴めるか否かがビジネスの成否を分けることもある。しかし、これは大いに難しい事だ。一度や二度くらい会ったからといって、性格など分かるものではない。なにしろ50年以上付き合っている自分自身の性格にも、時に意外な面を発見していつも驚ろいている。僕は血液型が性格を分けるという考えには組しない。理由はいつか書いてもいい。その代り、自分なりの尺度を幾つか持っていて、それらを適宜あてはめて、相手の性格を推し量ろうとしている。その中の一つが、僕が別に書いている「二十四気便り」でもいつかご披露したものだ。つまり、「頭の良し悪し」と「真面目・不真面目」の二つの座標軸で出来上がる平面上に、他人様をプロットしようというのだ。夏目漱石は、かつて「世の中に最も害を為すものは、真面目なバカである」と喝破した。某中央官庁の高級官僚OBは、「上司ならば頭が良くて不真面目なのが良い。頭が良くて真面目だと、部下は緊張の連続で萎縮し、成長できない。」とおっしゃった。これも肯なるかなと思う。そうなるとJR西日本の上層部は、「頭が良くて真面目」という事になるか?或は単なる「不真面目でバカ」なのか?「不真面目なバカ」は、上司としては無論のこと、同僚や部下としてもご遠慮させていただきたい。電車の中で夢中になって他人様の鼻を観察していると、どうかすると危険な目に会う。つまり、ある程度以下の距離から鼻を観察していると、相手はまともに正面からねめつけられているような気分になる。これを逆手にとって面談中に相手の目を見なければならない時には、眉間や鼻を見ればよい。日本人はどうもまともにお互いの目を見つめる事は苦手で、つい伏目がちになったり、目を逸らしたりしがちだ。だけど、それでは失礼になったり、相手に弱気を暴露することになったりする。だから、そういう時には相手の鼻を見つめればよいのだ。相手は鼻を見つめられているとは思わず、真っ直ぐに目を見つめられていると錯覚するのだ。つまり、鼻を観察していると、相手は「ガンつけられた」と思うかもしれないのだ。ましてやついニヤニヤしたり、思わず吹きだしてしまったりすると相手によっては剣呑な事になる。それに較べて、下の絵を利用して、周辺の他人様を勝手に並べていくのは害がなくて良い。思わぬ人同士がごく近くにプロットされたりすると、ちょっとした発見をした気になり、何かの折に参考にもなるかもしれない。
2005.05.10
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◇ 月曜日;旧暦四月二日 癸巳(みすのと み)考えてみるとこのところ仏頂面ばかりしている。仕事で色々有ると、どうしても愉快な顔を装えないのは、未だ人間が未熟の所為なのだろう。日本の世の中の仕組みは、創業直後の独立系企業には甚だ冷たく出来ている。現在頑張っている同分野の社長さんと話すと、皆さん例外なく、ひどく辛い時期を経験なさっている。そうやって話していると、どんどん盛り上がって、制度批判が噴出するのだけれど、「そういうことを今言ってはいけません。」と親しい友人にきつく諌められている。「そういうことは、引退してからなら幾ら言ってもかまいません。しかし、現役の時には、口が裂けても言ってはいけません。」そうきつくおっしゃる。聞けば彼の知人に、とうとう我慢できずに、つい公の場で色々憤懣をぶちまけてしまったら、即座に融資が止まってしまってひどい目に会った人が何人かいるのだそうだ。分かりました。慎みます。しかし、言いたい事をいえないとストレスが溜まる。ストレスが溜まると、ほら仏頂面になりますよねぇ。通勤電車の中にいる諸兄姉は、殆ど例外なく仏頂面をなさっている。これもやはり、皆さんストレスにさいなまれているせいなんだろうな。ところで、この仏頂面、元々は「仏頂尊」から来ている。これは、お釈迦様の頭から生まれた仏様で、だから仏頂尊。広大無辺の功徳を施す、有りがたい仏樣なのだという。この仏頂尊、仏様なのに気難しくも険しいお顔をなさっている。それで、それに似た表情を仏頂面というようになった。仏頂尊は、滅罪、生善、延命、息災のご利益があるそうだ。こちらは中々無理してニコニコとはいかないが、自らの仏頂面に気付いたときには、せいぜい仏頂尊のご利益を願うことにしよう。
2005.05.09
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◇旧暦四月一日(朔) 壬辰(みずのえ たつ) 世界赤十字デー 東京下谷神社祭今日から旧暦の四月に入った。卯の花のにおう卯月になったのだ。長大な連休の最終日は、予報が「高気圧に覆われ晴れ」であったにもかかわらず、僕の住む辺りでは陰鬱な雲が立ちこめ、肌寒い一日になった。今年、この日は旧暦四月の最初の日であるだけではなく大連休最後の日で、母の日で、そして知人の誕生日でもある。肌寒い曇天下でもなにやら晴れがましい気持ちにすらなる。でも旧暦ではエイプリルフールの習慣はないから、お得意の冗談をカマわけにも行かず、その点は大いにつまらない。この頃、卯の花ではないが、クスノキに花が咲いている。御茶ノ水駅から会社に向かう、並木の美しい小径を下った先の右手に、小さなお稲荷さんがある。都会ならではの区画整理の所為なんだろう、今は境内も狭く交差点の端に押し込められたように小さなお社だ。クスノキはこの交差点に向かい合うように二本生えている。さして大きな木ではないから、由緒云々は分からないけれど、それでもかつて、このお稲荷さんのご神木であったろう事くらいは容易に想像できる。クスノキは常緑樹だ。春になると、明るい緑色の若葉がわらわらと出てきて、越年の濃緑の葉群れの縁辺を華やがせる。そうして、若葉が出揃うと、古い葉は潔く落ちてしまうのだそうだ。それは知らなかった。小学校三年の年末に転向した先の、岐阜市立加納小学校は、旧徳川親藩奥平藩配領の加納城の二の丸跡を利用して建てられた学校で、校庭の北の端には公孫樹の植えられた鬼門があり、これを僕らは「思い出の森」と呼んで、親しんでいた。当時校舎は無論木造の二階建てである。僕は四年になった頃から、「学校放送局」のメンバーだった。放送局は「第一校舎」の東端にちゃんとスタジオを構えていて、其処から色々な機械を操って、朝礼の時や給食時間などに放送を全校に流していたのだ。この誇り高い放送室から校庭に出るとすぐのところに、濃密な緑の闇をたたえていたのがクスノキなのだ。また、昭和31年頃の所沢周辺を舞台にした「トトロ」では、さつきとメイが引っ越してきた家の隣の神社に大きく聳え立ち、メイちゃんが初めてトトロに出会った場所でもある大木は、やはりクスノキであった。だから僕はクスノキが好きだ。地べからスッと立ち上がった黒っぽい幹の地肌には、律儀に縦長の亀甲紋を刻み、照葉樹独特の鬱蒼とした濃緑の葉の作る木の下闇は、そこに隠れていれば本当にトトロやコロボックルなどに会えるだけでなく、放送局長という晴れがましい地位に頬を紅潮させた昔の僕自身にも会えそうな気がしてくる。クスノキは楠と書くけれど、「楠」という字が指すのは実はタブの木である。本来は「樟」の字を充てるのが正しい。「樟」は、樟脳の「樟」だ。クスノキは、フィトンチッドというテレピン油系の分泌物(モノテルペン系ケトン基)を空気中に放散することが盛んで、葉っぱや木の皮を剥いで鼻先に持ってくると、樟脳の匂いがする。つまりはクスノキには殺虫成分を空気中に放散する性質があり、だから神聖たるべき神社にも植えられ、トトロも害虫に悩まされることもなく住んでいられるのだろう。昔は虫がつかないというので、箪笥を作る際の用材としても珍重されたようだ。そのクスノキは、丁度今頃、花を咲かせる。下の写真の通り地味な花だ。大きさは直径五ミリ程度に過ぎないが、しっかり正六角形を作っている。良く見ないと分からないから、余計に良く見ると楽しいのだ。この花はやがて秋になると黒い丸い実を実らせる。
2005.05.08
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◇旧暦三月二十九日 辛卯(かのと う) 今日で旧三月はおしまい昨日は「X時点までの距離」の事を書いたが、今日は「相互不干渉限界距離」の話。最近電車の中で飯を食っている連中をよく見かける。先ず例外なく若者だ。それも、見ていると♀が多い。最初これを見かけた時には大いに驚いた。食事は口を開けてするものだ。その際口腔の粘膜は他人の眼前に露出し、唾液に濡れた舌も人目にさらす事になる。人間にとって粘膜を人前にさらすのは、羞恥心を催させる行為である。これは、他に他人と粘膜を介して交流する行為にどういうものがあるか想像してみればすぐに分かる!つまりは食事とは「恥ずかしさ」と表裏になった、非常に私的且つ個人的な行為なのだ。昔学校の給食の時間には、口元を隠して食べている生徒は(特に女生徒に)普通に見られた。家族で食事をする時には黙って食べるのが普通で、色々口角泡を飛ばすが如く話をしながら食べたりすると、父親の叱声が飛んできたものだ。恥ずかしさを共有すれば親しくなるのは道理で、だからこれと思う相手とは卓を共にし、一緒に飲食をする。つまり、見ず知らずの群集の中で飯を食うなど、我が国の麗しき伝統を重んじ、恥を知る身としては、耐えがたくも信じられないのである。調べた訳ではないけれど、こういう現象は恐らくは東京や大阪など、大都市に局在しているのではなかろうか?人間には「相互不干渉限界距離」とでも云うべき、心理的な距離がある。つまり、「他人がどれくらい近づけば、気になりだすか」という距離である。これは田舎に行けば行くほど長くなる。見渡す限りの平原に一人いる場合、数百メートル離れたところに別の人間が現れると、お互いに相当気になるはずである。しかし、其処まで行かずとも普通の状態では大体数メートルではなかろうかと思う。相手がこの距離を超えて接近してくると、ストレスを感じて緊張する。挨拶を交わすと言う行為は、お互い相手にとって無害である事を表示して、こういう緊張感を緩和させるための行為である。だから山道などで行き会う人には「こんにちは」と声をかけて、「私は貴方に害を為す者でも、物の怪でも有りません」と信号を送るのである。ところが、都会ではこの「相互不干渉限界距離」を維持する事が困難である。通勤電車の中は無論のこと、繁華街の雑踏を歩いていても、他人と触れ合い押し合う事は日常茶飯事である。だから、都会の人間は不断にこういうストレスに曝されていることになる。はっきり意識しなくても、こういうストレスは人間を害するものである。それに対しては防御的な手段を講じたくなるのは自然な反応だ。田舎にでもワープしない限り「相互不干渉限界距離」を復旧させ維持するのは、物理的には無理だから、心理的に孤立する事を先ず選ぶようになる。ある世代以上は、電車の中で新聞や本を読む。若者にとっては、ヘッドセット付きのウォークマンである。何れも、周辺の他人を締め出し、自分の世界に没頭する事が出来る。更にデジタル電子機器の発達によって、「孤立化の為の道具」は進化した。ポケットゲーム機が登場し、一人でインタラクティブな作業に没頭する事が出来るようになった。その後にケータイである。特にケータイは、読書やウォークマンとは本質的に異なり、「その場に居ない親しい人間と交流する事が出来る」という点で従来の「孤立化の道具」を画期的に超えるものである。いよいよ周りは無に化し、自分とは没交渉の「もの」になる。「もの」ならば「相互不干渉限界距離」など関係ない、すぐ傍に幾ら群れていようが一向に構わない。こうして知人や友人はケータイの中だけの存在になり、周辺に存在するのは、幾ら自分に似た格好をしていても、単なるモノになってしまった。だから緊張感もストレスも感じなくて済ませるようになったのだ。さて、周りがモノである限り、粘膜を曝そうが何しようが構う事はない。飯を食おうが、化粧をしようが、一向に気にならない。何しろ羞恥心を感じる対象はケータイの中にしか居ないのだから。つまりは、こういう事なんだろうと思う。電車に乗り合わせたギャルが平然と飯を食ったり、化粧をしているときには、あなたも私も彼女(たまに彼)にとっては単なるモノでしかないのだ。だけど、これが更に進むと、電車の中で着替えをする連中まで出てくるようになるだろうな。大きな音で放屁して憚らない種族も出てくるかも知れない。前者は、ちょっと楽しみなような気もするが、後者はご免こうむりたいものだ。女性専用車をつくるのなら、「孤立愛好家専用車」を作ってみるのも良かろう。この専用車には、椅子など要らない。手すりかつり革だけ充分にしつらえておけば、ぎゅうぎゅう詰に乗せても文句は出るまい。シルバーシートの位置には、鏡でも付けて置けば良い。そうすれば他の車両は少し余裕が出来て、少しは「相互不干渉限界距離」を維持できるようになるかも知れない。
2005.05.07
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◇旧暦三月二十八日 庚寅(かのえ とら)去年ITデジタル系の会社を始めてしまって以来、支払日の到来ばかりがやけに気になる。元来がお金が出て行く日ばかりは、憎らしいほど着実にやってくる。それに対してお金が入ってくる日は、中々確定せず、順に遅れていくのが通例である。そういう生活を送っている身には、今年のような長大な連休は迷惑だ。連休の始まりは4月の末頃だから、未だ翌月の支払予定日は遠い先のように思っている。それが段々日が経って行って、連休が完全に明けるのはもう五月だ。特に今年などは、最後に週末が入るから、連休が明けるともうすぐに月の中旬になってしまう。焦っては見てもどこも連休中だ。「まぁ何事も連休の後で」などというのが常套句になっているから、どうにもならない。一人でイライラするばかりである。あるイベントが起こる時点を「X時点」とすると、「X時点からどれほど遡った時点から、その事を真剣に考えるようになるか」。これには、人生の時期や個人の資質によって差があるようだ。この「X時点までの距離」は、最長で数十億年に及び、最短では20分程度と短い。最長の例は、19世紀末のオーストリアの熱力学者、シュテファン・ボルツマンである。彼は熱力学的関数として「エントロピー」の概念を定義づけた。エントロピーとは、簡単には「均質、或は乱雑さの度合い」だと云ってもいい。要するに、熱い湯と冷たい水を一緒にして放置しておくと、やがて同じ温度になってしまうし、例えば角砂糖を縁側に出しておくと、やがて崩れて砂糖粒は散らばっていく。究極の未来では、砂糖粒は炭素、水素、酸素などの原子にまで分解され、宇宙に均質に散らばるようになるだろう。つまり、自然界では常にエントロピーは増大の方向に向かうのである。ボルツマンは、自らの考察によるエントロピーの増大則がもたらす宇宙の未来に悩み、やがて訪れる「宇宙の熱力学的死」に絶望して自殺した。彼にとっての「X時点までの距離」は、数十億年(或はそれ以上)もの長さを持っていたのだ。一方最短の例は、子供の日に我が家を訪れた、義理の息子の話である。彼は某学校で、学生に対するキャリア指導の仕事に就いている。義理の息子の話とはこうだ。何処の学校でも試験の際には、開始後20分までの遅刻は認められ、受験する事が許される。従ってこの20分間に最後の試験勉強をしてくるというつわものがいるのだそうだ。これはちょっとびっくりする話だった。こういう学生が、元々着実に勉強しているとは思えないから、彼(又は彼女)にとっては、「X時点までの距離」は20分といっていいだろう。「X時点」が20分を超えたところにある限り、認識範囲外なのだ。ボルツマンの例は極端だが、概ね責任の重い地位にいるものの方が、この「X時点までの距離」が長いようである。先憂後楽とはそういうことである。社長は半年以上先の業績を思いやってくよくよ悩むし、心有る政治家は「国家百年の大計」に意を砕く。しかし一般の社員や学生にとっては、「X時点までの距離」は、20分からたかだか数日程度でしかないようだ。だから、日頃ガミガミ云わざるを得ないのだが、彼らにとって見れば焦眉の急でも何でもないのだから、殆どの場合こういう努力は徒労に終わる。情けない話だが、これは事実なのだ。
2005.05.06
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◇旧暦三月二十七日 己丑(つちのと うし) 立夏 端午 府中くらやみ祭連休の真っ只中、子供の日だからというので、娘夫婦が息子を連れてやってきた。ごく近所に住んでいるのだそうだが、こちらは週日の日中は家には居ないし、最近も土曜日は何やかやで、会社に出てきて仕事をしているから、滅多に会えない。殆ど三ヶ月ぶりくらいの再会であった。「娘夫婦の息子」などと回りくどく云わなくても、要するに孫だ。しかし、そうなるとこちらは自動的に「お爺ちゃん」だ。それにどうも抵抗がある。元々我が国では、年長者には大いに敬意を以って接していた。「老爺」(ラォイェ)とか「大爺」(タァイェ)は、下僕が主人を敬っての呼称だ。江戸幕府の職名の「大老」、「老中」、「年寄」、「若年寄」なども、重責を担う官職を敬っての言葉で、別に老人がこれらの職に就いた訳ではない。しかし、年長である事はそのまま権威であり、尊敬や敬愛の対象であったのだ。しかし、最近ではそういう意味が急速に薄れて、爺とか老はむしろ蔑称の如くに使われる。別に年金問題が紛糾している所為ではなかろうが、爺とか老どころではない。最近では「オジ」とか「オッサン」すらも、同意の女性形名詞と共に明らかに蔑称である。だから、娘夫婦が「息子」を連れてきても、「おじいちゃん」と呼ばれるのに素直に応じたくはないのだ。娘夫婦の息子は、昨年の八月に生まれたから生後ほぼ九ヶ月である。未だ高級言語ではなく「機械語」しか発しないが、見ていて飽きない。拍手をしたりすると喜んで笑う。床に座り込んでは両手を上下に振り、それと同期させて足に力を込めている。これは二足歩行への意欲の顕われだろう。手を差し伸べると、小さい指で僕の親指を握り返し、一生懸命力を込めて立とうとするそぶりをする。顔つきは真剣そのものである。僕のY遺伝子は彼には継承されていないけれど、無闇と可愛い。彼の頭の中では、猛烈な勢いでシナプスの連携が構成されつつあるのだろう。そうして日に日に成長していくわけだ。気が付くと、こっちも夢中になって相手をしている。まぁ、なんだかんだといっても、やっぱり「おじいちゃん」に過ぎないのかもしれない。閑話休題:「二十四気便り」のための写真を撮る積りで歩いていたら、近所の庭先で薄紅色のモコモコした花を見つけた。葉の出る前の枝に、鈴なりになって咲いている。木本である。4月の末の所沢での撮影である。キクモモ(菊桃)であろうかと思うが、自信がない。どなたかご存知でないだろうか?
2005.05.05
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◇旧暦三月二十六日 戊子(つちのえ ね) 七尾青柏祭 豊川稲荷春季大祭サラリーマンの「三原則」はこうなる。1.お金は会社の何処から沸いてくる。つじつまが合ってさえいれば気にするな。2.自分の仕事だけしろ。他人の領分に口を出すな。首を突っ込むな。3.自分のリスクを最小限に保つ事を最優先しろ。これを「サラリーマン根性」といって、さも悪いことのように云われている。上司は部下のサラリーマン根性を嘆き、部下は部下で自分の事を棚に上げ、赤提灯でライバルのサラリーマン根性を罵倒してオダを上げる。今例えばエンジンのような、多数の部品から成る機械を考えてみる。そうすると、上の「三原則」はこうなる。1.燃料は不断に供給されることを前提に動く。2.自らの機能を果たす事が重要だ。他の部品の機能に干渉すればトラブルの元。3.設計値を超えないように動作しろ。余計に働けば全体に悪影響が及ぶ。つまりは、会社をエンジンと考えれば、個々の社員には正に「サラリーマン根性」に徹する事が求められるのだ。これは大企業においてしかり。又官僚機構において典型である。これに反してなまじコスト意識や、創造性、それに義侠心に燃えたりすると、1.小心翼々、器量が小さい。2.越権行為。統制を守らず不服従且つ不遜である。3.和を乱す。出る杭は打たれる。などと指弾されることになる。4月25日に起きた尼崎脱線事故で、事故車乗車の運転士2人が、救助活動をしないまま出社し、業務に就いていた事が昨日(三日)報道され問題視されている。「救助活動をしないまま」というところに力点が置かれ、あたかも彼らが鬼畜の如く人倫にもとる行動をとったかのように書かれているのが一般だ。年長の一人は、途中電話で当直に事故報告をしたものの何の措置もとられなかったのだそうだ。この件で、JR西日本は関係者の処分の検討に入ったとのことだ。同社の安全推進部長は「常々、異常事態があれば乗客の救助に当たるよう指導している。2人とも対応しなかったのは遺憾だ」と述べたとあるが、これは如何にも白々しい。いい加減なおためごかしを云うなと、敢えて申し上げたい。色々報道を見聞きすると、JR西日本は近隣の私鉄との熾烈な競争の下で、正に精密機械のように、秒刻みのダイヤを運行させる事を至上の目標に置いていたようである。そういう中で個々の「構成部品」である社員は当然精密部品である事を厳しく求められる。それ以上の事など期待されないし、むしろ「人間味」などを持ち込もうものなら譴責される筈だ。彼ら二人も普段からそういう環境に置かれていたはずである。大災害や大事故の最中で動転すれば、尋常な人間としての視野を失うのは、誰でも経験するところである。そういう中でのよりどころは、サラリーマンにとっては普段親しんだ職場の「雰囲気」や「マニュアル」である。彼ら二人が、一人は徒歩で、もう一人は別の電車で出勤し、点呼を受けて規定の乗務に就いたのは、むしろ「部品」として当たり前の事だといってよい。つまり、冗長性の極めて低いダイヤを組み、その遵守を求めるマニュアルを作り、それらの運用を続けてきた会社の「設計・運用の責任者」、つまりトップこそ、重大な責任を追及されるべきである。敢えて業務に遅刻する危険を冒さなかった件の二人など責めを負うべき存在ではないはずだ。もとより、この二人は、事故後部品ではなく人間の視点に立った時に、自らとった行動に慄然とし、大いに恥じて居たたまれない気持ちに、既に充分苦しんでいるはずだ。本質を外して、世間に耳通りの良い、井戸端会議的な論調を報道して恥じない大メディアは、なんとも情けない限りだ。最近既成の大メディアと新進のネット屋との確執が話題になった。既成の側は「メディアの社会的責任」を振りかざして、公器としての存在意義をしきりと喧伝したが、彼ら自身本当にそう思っているのかねぇ。今回のこの一件を見るだけでも、本当は嫌いなホリエモンに荷担してしまいたくなりそうだ。
2005.05.04
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◇旧暦三月二十五日 丁亥(ひのと い)京都伏見稲還幸祭 博多どんたく「人間について確実にいえることは、いつかは死ぬという事だけだ。」とは誰の言葉であったか。確かにそうではあるが、普段我々はそんな事を気にして生きてはいない。明日が来るのは当たり前だと思っている。来年だって、再来年だって、自分が生きているものと嵩をくくって心配などしない。自分だけではない、自分の身近な友人や家族についても、ペットについてだって同じように思っている。「いつかは死ぬ」とは、免れ得ない確実な事実であるのに、日頃はこれほど抽象的な概念もない。しかし、時にそういう能天気が破られ、冷厳な事実として死というものが目の前に突き出されることがある。先日の尼崎での大事故もそうであった。ずっと以前に日航機が山に激突して大量の犠牲者を出した時も、浦賀水道で釣り舟が自衛艦に衝突されて沈没した時も、不幸にも仕事でご縁の有った方が犠牲になり、その方々が死に至るまでの気持ちを思いやって慄然としたものだ。逆にいえば、凡人はそういうことでもない限り、普段は死などに向き合わぬものなのだ。昨晩大学の教養部時代の恩師からメールを戴いた。英文学の先生で、教養部では英語の授業を持っておられた。僕はクラスが違って直接教えを受けた事はないが、友人の縁で卒業後にお目にかかり、以来主にインターネットを介してお付き合いさせて戴いている。先生は、何年か前に病を得られて、それが最終的に不治の癌と診断された。にもかかわらず、つい最近まで教鞭をおとりになり、研究や翻訳も続けてこられた。30年近くも前の悪ガキの教え子達を、八ヶ岳南麓の自作の山荘にお招きになり、一宵を談論に興じるなどもしてこられた。時折戴くメールも鋭い文章で、周辺の欺瞞や不正義を断罪され、読んでいて小気味よいほどであった。先生のメールは、「NHKのガンサポートキャンペーンに投稿したから、現在の心境を知って欲しいから読んでみてくれ。」という趣旨であった。付記されていた、 http://www.nhk.or.jp/support/index.html に行き、「支え合おう患者と家族たち」→「ガンとの向き合い方について」→「病院(医師)と決別するとき」と手繰って、先生の投稿を拝読させていただいた。粛然たる想いであった。能天気にとっての抽象概念を、現実のものとしてしっかり見据えて、尚周辺の安直を批判しておられる。更には病と折り合って生きる姿勢まで示しておられる。「若し自分であれば」と思うと、こういう姿勢を取れるかどうか。不肖の教え子としては、敬意を持ってここでアドレスを紹介させていただく。
2005.05.03
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◇旧暦三月二十四日 丙戌(ひのえ いぬ)八十八夜 飛騨水無神社例祭以前から釣りのキャッチアンドリリースというものが解せない。釣り上げた魚を又水に戻すという事ぐらいは分かる。何故わざわざそんな事をするのかが分からないのだ。元来魚でも獣でも、生けるものを捕捉するのは、食料にしたり、衣類にしたり、或は道具を作るのに利用したり・・・。つまりは、人間が生きていくために必要だから、他の生き物の命を自然から戴く。そういうことであるはずだ。なのに、キャッチアンドリリースというのは、食う気も、食う予定もないのに魚を釣り上げ、魚拓を取ったり、写真を撮ったりして、釣果を自慢し合う。ひとしきり楽しんでおいて、しかる後に傷ついた魚を水に放す。要するに、人間様の楽しみだけのための行為だ。魚の側に立ってみれば、迷惑千万な話だ。食われて人間の血となり肉となるのだったら、未だ魚なりに諦めもつくだろう。しかし、体の方々を傷つけられ、観念して捕捉されてみたら、写真を撮られてポイだ。何というふざけた所業かと、暴動でも起こしたくなるだろうに。僕のごく身近に、川釣りを趣味とする男がいて、彼は休みの日となると早起きをして、自宅近くの江戸川に釣りに行くのだという。昨一日も彼は江戸川に鯉釣りに行って、数十センチに余る鯉を釣り上げては、写真を撮って放流したのだという。鯉といえば、洗いにもなるし、鯉こくにもなる。甘露煮にもなるじゃないか。その肉や血は女性の病にも効くとのことで、信州では大いに珍重される魚である。ところが彼によれば、江戸川の鯉なんて泥臭くて食えたものではないそうだ。だから、釣り上げて計測したら、満身創痍の鯉を再び江戸川に戻すのだ。要するに針にかかった大物の鯉と格闘して、釣り上げるまでの過程がなんとも言えずたまらないのだという。自分の楽しみの為に、敵でもない生き物を瞞着し、傷をつけた上で、「楽しかった。ご苦労さん。では、さようなら。」では鯉も浮かばれない。人倫にもとる行為だろう。サドだ。理不尽だ。動物虐待だ。釣り好きの彼とは以前にもこういう話をしたのだが、有効な反論を受け取った事がない。「だって、趣味なんだからいいでしょう。」とおっしゃるばかりである。むしゃくしゃと気になって、ちょっと調べてみたら、元々キャッチアンドリリースというのは、ルアーフィッシングとかフライフィッシングのように餌を付けない釣り方に発するもので、どうも発祥はアメリカらしい。やはり、アングロサクソンの毛唐どもだ!この人種は、生き物を「スポーツ」と称する自分の楽しみの糧として傷つけて憚らない。動物愛護精神の発祥の地として名を売ったイギリスには、狐君を多勢で寄ってたかって追い掛け回して苛める「スポーツ」があったっけ。キャッチアンドリリースを「資源保護のためだ」とする資料もあったが、だったら最初から食う気もないのに釣らなければいいのだ。我が国では、琵琶湖のある滋賀県や、宮城県を皮切りに、キャッチアンドリリースの禁止を始めた自治体が増えているようだが、これは外来魚として日本の湖沼に蔓延したブラックバスやブルーギルなどの魚を駆除する事で、在来種の保護をしようという発想からのようだ。生き物を楽しみだけの為に陵辱すべきではない、との発想はどこにも見受けられない。どうも釈然としない。僕も子供の頃はよく釣りに行った。昔住んでいた岐阜市の郊外には、小川も沼も健在で未だまだ色々な魚がいた。それに、県の南の水郷地帯に行けば、田畑を巡る用水路に放流されたフナを、稲刈りが終わる頃には幾らでも釣る事が出来た。釣る事自体は無論楽しい。それは僕も自身で覚えがある。しかし、その後釣った魚は大切に持って帰って、煮付けにしたり、焼いた後で更に甘辛く煮て骨まで食べられる甘露煮にしたり・・・、色々に工夫して料理してちゃんとありがたく戴いたのである。釣り好きの諸兄姉はこの辺どのようにお考えなのか。
2005.05.02
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◇旧三月二十三日乙酉 (きのと とり) 高岡関野祭 下弦の月五月一日と言えば、わが国でもついこの間まではメーデーといって、この日には東京なら日比谷公園や代々木公園で色々な催しがあった。でも暦上この頃は昭和天皇の誕生日、憲法記念日、端午の節句(子供の日)と国民の祝日が断続して続き、何年か前から、四日が「国民の祝日」として休日に制定されて、文字通りGolden Weekになった。つまりは、お上の思し召しで日本中休みにするから、「民草はせいぜい渋滞する道路や交通機関に難渋しながら、なけなしの金を使って来い」という「官製休日期間」が出来上がったのである。だから、その狭間にあるメーデーを祝おうたって、労働者諸君は別のもっと過酷な業務遂行のために出払ってしまっているから、参加者を集めることが出来ない。今年は確か二十八日か 二十九日かをわが国におけるメーデーとして、何がしかのイベントがあったようではある。日本では、かように四月の末から五月の第一週にかけては「お休み」の週間になってしまったが、実はGolden Weekは中国にもある。先ずは社会主義国家である彼の国はちゃんとまじめに五月一日をメーデーとして祝う。そうして五月四日は抗日戦線決起の記念日だ。それで、なんだかんだと結局今年は八日(日曜日)まではお休みになさるようだ。動機は全く違うけれどGolden Weekには違いない。さて、今日五月一日に、北朝鮮が日本海にミサイルを発射したそうだ。防衛庁はどうせ米軍からしかちゃんとした情報が取れないのだろう、「確認を急いでいる」のだそうだ。確認も何もないだろう。これは彼等にとっては「メーデーの花火」なんだよ。だからハムルだかなんだか、海辺の町から手近な「日本海」に花火ショーをやったわけだ。高々百キロかそこらしか飛ばないミサイルを飛ばしたのは、彼等にとってはお遊びなんだな。我々は自分の国を中心にして考える癖がついている。そして、地図では「北が上」というのが常識だ。だから「我が身お大切」という気持ちと、北を上に見る習慣から、今回の「ミサイル攻撃」を針小棒大に考えてしまう。でも「地図は北が上」というのは誰が決めた?オーストラリアでは「南が上」の地図は当たり前だよ。ここで、普段とは違う見方でわが国の周辺を見てみよう。この文末の地図をごろうじろ。これは、江戸時代の頃までの「実勢的な地図」である。これを見ると日本列島はアジア大陸の太平洋に向けての防壁ですね。九州の端っこから点々と連なる島嶼は大きく弧を描いて北京に至る湾を守っている。そして朝鮮半島を西の区切りとして、頭でっかちのタツノオトシゴのように見える日本海は、本当に「内海」に見える。だから、この内海の北岸を江戸時代北前船が往来したのはごく当たり前のことなのだ。今回のミサイル発射の場所は、朝鮮半島の地図では左側の付け根の辺りの場所だ。メーデーというお祭りの中で、ミサイルを発射しようとすれば、日本を攻撃とか牽制するとは全く関係なしに、打ち込む場所はごく自然に日本海だ。だから、今回はそう思っていればいい。騒ぐことはないのだ。だけど、こういう情報を確認を含めて米軍に依存し、何時間も費やさなければ結論が出ないと言うのが可笑しいのだ。むしろこれは本当に恐ろしいことなのだ。この点は今後大いに問題にすべきである。さて、蛇足だが、メーデーはプロレタリアートの祭典のように祝われている。だから北朝鮮も浮かれてミサイルと ぶっ放したんだろう。しかし、これは元来はアメリカが発生の地なのである。1886年五月、8時間労働制を要求するゼネストがシカゴで起きた。そして1889年第二インターナショナル創立大会において五月一日をメーデーとして、労働者の権利擁護の祭典としたのである。この辺、ちゃんと中国とか北朝鮮の指導者は知っているのだろうか?
2005.05.01
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