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◇月曜日:旧九月二十九日 戊子; 世界勤倹デー、明治神宮例大祭いいねぇ。こういう話は。・・・・ま、これは又So what?かも知れないんですけどね。僕は、「工学系の人」というのは素晴らしいと思うんですよ。ま、・・・でも時々だけど。工学というのは必ず「人間」との接点があるでしょ。これは物理も同じですよね。数学というのは抽象思考の最たるもので、そういう意味で数学科は理学部より文学部にある方が適切だと昔から思っていた。それは素晴らしい学問だとは思うけれど、好きか嫌いかという話になると嫌いでしたね。だって、酒に酔ったことも無いくせに、麹の成分や醸造過程を色々あげつらって酒の味を云々する評論家のようなもんでしょ?温泉の成分を分析すれば、その温泉が気持ち良いかどうか分かってしまうと吹聴する。これもその類だね。周囲にうまい具合に石組みがあって、ちょっと隣の女湯の気配もうかがえる。お湯に浸かってじっとしていると、鹿が顔を覗かせ、どうかすると猿までお湯に入りに来る。それがその温泉の良さを演出するのだといっても、そういうのは所謂「理論」からは出てこない。ま、そこまでは行かないけど、物理は、「現実の自然」を検証対象と据えているから、その点が数学とは違う。そして工学は、もっと明確に(当たり前だけど)「人間との接点」を重視する。その辺が純粋の数理モデルとは違うところですよね。ずっと昔に何かの本で読んで感動したのは、工学で出てくる「遊び」の考え方です。歯車でも、カムでも円滑に動くためには「遊び」という非論理的な要素が重要な役割を果たすのだと。こういうのは嬉しくなりますね。極めて非東大的な考え方だ。でも、そうは言ってもそういう「非論理的な職人モデル」に偏向するようだと現代の工学は成り立たない。これは経済原則に反することになるからですね。あなたは恐らくその狭間に立っているんでしょうね。「職人気質の価値、居心地の良さ」と、経済原則に背中を押された「抽象的理論付けの価値」と。ITの世界も最近はそうなんですよ。今までの20年くらいは、ITの世界は単純に技術革新の世界でしたね。だから最初は人間の側からの需要に、ITの技術革新がどんどん追いつこうとしていた。だから不自由が自由に近くなるというので、新技術に追随していくのが必然だったのです。ところが二~三年前から、メモリーの価格は破壊され、超大容量メモリーの搭載は当たり前になったし、インターネットが出現し、それが日常的に殆ど一般消費財の感覚で、当たり前に普及してしまった。そうなると人間の需要に対して、それ以上のものを提供できるレベルにまで技術が行ってしまった。人間の要求と、それを支える技術基盤の水準が逆転してしまったんですよね。だから今では、技術を追いかけるのではなく逆に、デジタルに人間本来のアナログの性向をどう融合させるかなんてことが課題になっているんですよ。まだ余りこういう意識を持っている人たちはそんなに多いとはいえないんですけどね。要するに、囲炉裏端で岩魚を焼いて地酒を飲んで、「美味しいねぇ」というような世界にITは何をなし得るんだろうかって、そういうことを真剣に考える。まぁそういう面白い世界になってきたということなんですね。なんだか支離滅裂だけど、色々な面で今までかっちりとルールが決まっていたのが、段々ばらけて来た。そういう局面で今までの「常識」が全方面的に試されるようになってきた。そんなことがあるようですね。数理的に理想的なモデルが、実は人間にとっては「意味無いじゃぁーん」と一刀両断されてしまう。逆に数理的には極めて不合理なモデルが「スゴイ!」となる・・・かもしれない。そういうことかもしれません。・・・こんな時間だから、無論健康な仕事人としては多少酔ってはいるのです。その勢いでこのメールをお送りします。反論でもコメントでもくださいね。
2005.10.31
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◇ 日曜日:旧暦九月二十八日 丁亥;火星の大接近今日は火星が二年ぶりに地球に大接近する。今日のお昼頃が最接近で、この時地球からの距離は6,942万キロメートルだから、月までの距離の約250倍だ。近いといっても大変な距離である。火星は今おひつじ座に位置しており、夜の八時頃には東の空から昇ってくる。視直径は20秒だから、望遠鏡が無ければ単に明るい点でしかない。しかし明るさは-2.3等だから、今夜晴れてさえ居れば、宵の東の空に一際目立って見えるはずである。火星と言えば欧米でも東洋でも軍神になぞらえられる。天の黄道に沿って行きつ戻りつする、紅く輝く星は血の色を連想させたのだろう。天に軍神が強い光を放っている明日は、先頃の戦闘で方々に刺客を放ち、かつての盟友・朋友を討伐した我が将軍が、新たに幕僚を選抜して本陣を固めることになる。最後の将軍の四代目が書いた本を読んだ。徳川慶朝さんという方の「徳川慶喜家の食卓」という本※である。「慶喜は第十五代の将軍だったのだから、四代目というのはおかしいだろう」と思われるかもしれないが、慶喜さんは大政奉還後朝敵に据えられ、その後は長く謹慎蟄居の身であった。それが明治も後半になって、許されて天皇に拝謁し公爵に叙爵されたのを機に、新たに徳川慶喜家を創設したのだそうだ。それから数えて慶朝さんは四代目に当たるということなのだ。この方は元貴族の家柄でありながら、かなり洒脱な方らしい。フリーカメラマンを本業とする一方で、こよなく食を愛していらっしゃる。何しろラーメンでもコーヒーでもとことん追求して、挙句の果てにはご自分で作ってしまう。コーヒーなどは自分で焙煎まで始め、「徳川将軍コーヒー」などという名前で売っていらっしゃるくらいなのだ。これが良く売れるらしい。美酒にこだわり、気に入った店にはとことん通い詰める一方で、酔って帰宅しても明くる日の朝御飯はきっちりと下ごしらえをしておく。(彼は独身なのだ)白いご飯に、ぬか味噌漬けと醤油とかつ節があれば満足だという、ちょっと変ったグルメだが、ぬか漬けは旧一ツ橋家縁の米屋から厳選されたぬかを仕入れて、毎日自分で掻き混ぜていらっしゃるのだから半端じゃない。ご本人は、「時々気が向けば、鰻重を食べられる程度のお金があれば充分だ」とおっしゃっているが、なるほどこれは中々参考になる尺度かもしれないな。この本には、慶朝氏の食に関する話題が半分ほどの量を占めている。他には彼の伯母さんであった慶喜の孫、故高松宮妃殿下喜久子様の話も出てくるから、徳川慶喜その人の食生活の話を期待して読むと、がっかりするかもしれない。しかし、「徳川慶喜家」は慶喜その人ばかりではなく、彼が創設した家一統の事を云うのだから、別に慶朝さんがずるをしたわけではない。それでも民草では知り得ぬ、色々興味深い話が書かれている。代々の徳川将軍は、白米を食べていたが、炊きたてのツヤツヤ光ったご飯ではなく、蒸した強飯こわめしだったとか、御膳所から食事の場所まで長い廊下を渡って運ばれてきた食事は冷めてしまっているため、徳川の一統は皆猫舌になってしまったとか、慶喜は甘党で木村屋の初代が拵えたアンパンが好物だったというのは面白い。何より、普段は極めて質素な食生活なのに、いざ将軍の饗応となると日本の満漢全席とも言うべきメニューが供される。これがすごい。先ず御数寄屋での歓迎の宴で、本膳、二の膳にデザートが出てくる。次に書院に場所を移して、祝いの宴となる。先ず式三献しきさんこんといって十数種の食べ物が三度に分かれて出てくる。ここではお酒が主体になる。その後儀礼儀式、能狂言を経て、いよいよ本膳、二の膳、三の膳に十一種のお菓子。ここで再びお酒が三献出される。うー、何となくもうげっぷが出そうだが、まだまだ終わらない。お酒が三献出された後、再び献立を変えて、本膳、二の膳、三の膳と続き、四種の引き物に、更に果物が出てくるのである。一体それぞれの「膳」の中身がどんなものだったかは、本を読んでいただきたい。書いているだけで胸焼けがしてきそうなのである。それにしても、慶朝さんは五十路を過ぎて独身でいらっしゃるようだ。本文のそこかしこには女性に憧れる文章が出てくるから、これから伴侶をお迎えになるつもりもお有りかもしれない。しかしお歳がお歳だから、お世継ぎがおできになるかどうか。よしんばということになれば、徳川慶喜家も慶朝さんでお家断絶ということになる。ここにもY遺伝子の危機はあったのである。※ 「徳川慶喜家の食卓」 徳川慶朝著 文藝春秋2005年9月 ISBN4-16-3676410-1
2005.10.30
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◇土曜日:旧暦九月二十七日 丙戌;福岡香椎宮秋季例祭人間には心の安らぐリーチというか「空間距離」が有るもののようである。これは、大方の日本人にとっては、歩く時か、自転車でゆっくり走る時の景色の移り変わりのリズムに関係しているようだ。時速にして数キロからせいぜい十キロ程度で移動しながら、適度なリズムで周囲の景色が変わっていく時、人間はゆっくりとくつろいだ気持ちになれるようである。都市整備がされ、道が真っ直ぐに付け替えられたり、今まで無かったところに新たに道が付けられたりすると、古い建物は壊され、街は小奇麗になる。小奇麗になるばかりではなく便利になるが、その代わりくつろぎや安らぎはなくなってしまう。周囲を捉える視線の網目は粗くなり、大きな建物や看板しか目に入らなくなる。塀越しに熟れた一個の柿の実や、庭先にぶら下がるムベの実の薄紫などは、粗くなった視線の網目からはすり抜けてしまい、心を動かすような印象を与えてはくれない。閑をもて余した床屋さんのおじさんが、道端に出てきて隣の用品屋さんのオバちゃんと世間話をしているような光景は無くなり、肉屋さんの隣でジュエリーショップが店を開き、本屋さんの隣で焼き鳥屋さんが良い匂いを通りに振りまいている、などという猥雑な雰囲気もなくなる。僕の郷里の繁華街も、昔はアーケードの下に小さな店が目白押しに並び、鰻屋の隣に印舗があったり、薬屋の隣に仏具屋があったりと、判じ物のような町並みが続き、休日になると随分の人出で賑わったものだ。しかし、今は区画整理されて廃業する店舗が増え、お客も皆郊外の大型店に車で出かけるようになって、随分寂れた雰囲気になってしまったようだ。こうなると何よりお祭が似合わなくなるなぁ。色んな店がごちゃごちゃ交じり合い、適当に曲がりくねった狭い道筋を、ぶら下がった飾りの下をかすめるように練り歩くから、お神輿だってサマになる。そろいの法被を着て囃しながら、人ごみの狭い道でお神輿を担ぐから、子供らの声も華やぎ、周りの同年輩の子等の視線を集めて顔も誇らしさに紅潮する。それが区画整理され、お店は皆ビルの中に入ってしまった真っ直ぐな道では、お神輿だって練り歩くわけにも行かないし、囃しの声も白けるばかりだ。今日の朝日新聞の夕刊に載っていたが、下北沢の町が変わってしまうのだそうだ。小田急の連続立体交差工事が進んで電車が地下を走るようになったら、駅の跡地をロータリー化し、商店街を貫く道路を敷設して、駅前一帯を「再開発」するのだという。この二つの工事をワンセットとして平成13年までに完成を目指すというのだから、もうそんなに先のことではない。下北沢と言えば、昔僕の通勤路であり、僕はこの駅で毎日小田急線から井の頭線に乗り換えて通勤していた。だから、何となく他人事じゃない気がする。世田谷区は「メリハリのある街づくり」を実現するとして、これで狭い路地に小規模店が乱立していることによる防災上の不安も解消でき、災害時の緊急車両の通行路を確保できるとしている。それは確かにそうだな。あの街は若し大規模な火事にでもなれば惨憺たる事態になるだろうし、地震がくれば緊急車両など通れるはずも無い。しかし一方で「シモキタらしさが消えてしまう」と反対する住民運動も盛んになってきているそうだ。反対運動の一角には、シモキタに住むフジ子・ヘミング女史なども名を連ねているそうだ。「ライブハウスや芝居の余韻を楽しめる、曲がりくねった雑多な空間は何とか残すべきだ。」と。フムフム、これも又尤もだ。利便性、安全性を優先するか、人情や雰囲気を大事にするか。どちらにも理があり、悩ましいところだ。しかし、駅前開発をせざるを得ない場合でも、人間が安らげる空間距離や「曲がりくねり」はどうにかして維持して欲しいものだと思う。
2005.10.29
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◇ 金曜日:旧暦九月二十六日 乙酉;速記記念日会社を出る時に携帯電話を置き忘れた。駅へ行く途中で気が付いたのだけれど、気付いた場所から駅までの距離と、会社までの距離は二対八位の所だったから、「まぁいいや」とそのまま帰ってしまった。翌朝は所用があって会社に寄らずにそのまま会合の場所へ行くことになった。僕は携帯の「電話機能」よりも「メール機能」をよく利用する。電話は携帯でも固定でも原則一対一のやり取りになるが、メールには「一斉同報」という機能がある。特定の仕事の関係者をグループとして登録しておくと、一回の送信で全員に連絡することが出来る。「今から戻るけれども、予定よりちょっと遅れそうだ。A君はお客さんのお相手をしていて欲しい。B君はあの書類を準備して。C君は客先のXさんに、これこれこういう情報を送っておいて。」という連絡を一回で送れるのである。おまけに携帯メール同士だと、相手がどこに居ても構わない。これを電話でやろうとすると、三度電話をする手間がかかる。こういう連絡は僕の場合大抵移動中にするから、携帯電話は今や僕にとっては必需品なのである。しかし会社に忘れてしまった携帯では何もすることは出来ない。それに出かけている間に何か連絡が有ったとしても、僕には分からない。なんだか世の中に見捨てられ、孤立してしまったような気分で、随分不安で落ち着かなかった。考えてみると、始終持っていないと大いに不自由で行動に支障をきたし、不安な気持ちにさせられるようなものなど、身の回りには余り無いなぁ。外出時に携行していないと本当に困るものは、まぁお金位のものじゃないか?つまり、ここ何年かの内に携帯電話はお金と同程度の必需品と看做されるまでに普及してしまったのことになる。これはすごい事だ。午前中の用事を終えて、会社に戻ると我が愛しの携帯電話は、ちゃんと机の上で僕の帰りを待っていた。さぞかし、沢山の着信記録やメールが届いているのだろうと見てみたら、何のことはない、友人から「今夜閑だったら呑みに行きませんか?連絡ください。」というメールが一通あっただけだった。ふん。世の中なんて大体そんなものなんだ。
2005.10.28
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◇木曜日:旧暦九月二十五日 甲申;読書週間ある建物の入り口を入ったところに居る。広大な敷地を占める施設の一角である。部下のIと一緒だ。昔部下だった女性が居て、彼女はその後何度か外資系企業の転職を繰り返していた。噂ではとうとううつ病に冒されたと聞いていたが、その後僕にとっては行方知らずになってしまっていた。その彼女が、この施設に居ると最近聞かされて、当時彼女の同僚であったIと共に様子を見に来たのである。この施設はある団体によって所有運営されており、かなりの人数の情緒障害者や精神障害者を収容、施療していると聞いている。ただこの団体の背後には、宗教組織があり、彼らは施療の名を借りて入所者を洗脳し、ある意図の下に彼らを組織化しているのだという噂ももっぱらである。そういう背景があるから、一種不穏な気持ちを抱いての訪問でもあった。入り口を入ったところはごく狭いロビーである。直ぐ先には銭湯の脱衣場への入り口のようなすりガラスの引き戸があって、それが半開きになっている。引き戸の向こうには大勢の人間が居る気配がするが、音は全く聞こえてこない。静かである。そこに学生時代同期であったY君が立っている。ここでY君に会うなど全く予期していなかったので大いに驚いた。彼は僕を見ると近付いてきて、「どうして来たんだよ?」と訊ねる。「何しに来たんだ?」と低い声で詰問調である。「悪いことは言わないから、直ぐに帰った方が良い。」と畳み掛けてくる彼を見て、なんだY君は「組織」の人間だったのか、と重ねて驚く。殆ど急に思い立ったような具合でここへ来たのだ。部下のI以外にここへ来ることを話した記憶は無い。恐らくは誰にも話しては居ないと思う。なのにY君は僕に会って驚く風でもない。僕達がこの時間にここに来ることはちゃんと分かっていた様子だ。「組織」の情報収集力と機動力は侮れないものだと思って緊張する。Y君に来た理由を話しても、彼は納得した様子も無く親しさも見せない。「君は臭いが全く違うんだよ。そういう人間がこの中に入ってどうなるか分かっているのか?直ぐにここから帰るほうが良い。」そういって彼は立ちふさがるのだが、手を出す気配は無い。周りを何人もの人間が行き過ぎるが、何も言わずこちらを見ることもしない。しかし全員が僕とY君のやり取りに神経を尖らせているのがいやというほど分かる。部下のIを目で探すが見えない。どうも彼はいつの間にか引き戸の向こうに入り込んでしまったようだ。こういう状況の中で一人ずつに別れてしまうのは危険なのに、その辺に対する気配りとか状況の見極めが出来ていない。アイツはそういう奴だと苦々しい気分になるが、どうすることもできない。出来るだけ無邪気を装って、「ただ彼女の様子さえ見られればいいのだから」と歩き出すと、Y君ももはや止めることはなかった。中に入ると大きな部屋である。だだっ広い中に、学校にあるような机や椅子がいい加減に置かれていて、その幾つかに人が座っている。別に何かの集会や講義をやっている訳でも無さそうだ。多くの人間がゆっくり歩き回っているが、そのうちの何人かは職員だ。制服を着ているわけではないが、雰囲気でそれと知れる。いきなり大声がして、そちらを振り向くと、白いパジャマを着た女性が目を見開いて中空を見つめている。動きは無く声を出した後は固まってしまったようだ。時折大声が上がるが、意図して叫ぶわけでも、言葉を発するわけでもない。単に大声を出してみたという感じである。それ以外は静かなものだ。ゆっくり徘徊している者以外は動くものもない。この中で自分が非常に目立つ存在であることが、段々意識されてくる。Y君の云った「君は臭いが全く違うんだよ」という意味がはっきりしてくる。僕の立ち居振る舞いや、「外」から持ち込んだ「臭い」が周囲に不穏な空気を醸し出し始めている。誰も目を合わせないが、皆が僕を凝視している。彼女を探すが見つからない。見つけたくない気持ちが強くなる。部下のIの姿もどこにも見えない。部屋の反対側を出るとそこは左右に続く廊下だ。見回すと通ってきたところより少し狭いが同じような部屋が並んでいるらしい。どの部屋の中でも同じような様子で同じような事が行われているらしい。案内をしてくれる者など居るわけはないから、廊下をどちらへ行って良いものか分からない。息苦しさがつのってきて、近くに出口があったのを幸い外へ出た。中庭のようなところを抜けると、少し広い道に出た。この施設のメインストリートらしい。舗装はされていない。人も歩いていないし車も走っていない。駐車している車も見えない。ただ一本の砂利道が走っているばかりである。道を挟んで幾つもの校舎のような建物がある。どれも五階建てほどの高さで、壁は鮭肉色に塗られている。しかし塗装が施されたのは随分以前のことのようだ。汚れた窓ガラスの向こうには軍隊色のカーテンが掛かっているのが見えるが、どれもそよとも動かない。人の気配は全くしないが、カーテンの向こうには大勢の人間が、一様に目を見開き、黙って動かず壁や天井を眺めているのが、僕には分かっている。これらの建物の中には膨大な数の人間が隠されているのだ。晴れた秋の日の日没直後のような光景である。蒼い鋼色の空を背景に、鮭肉色の壁が残照を受けている。キリコの絵の世界だ。突然向こうから二台の銀色の自転車がすごい勢いで走ってきた。どちらも少女が乗っている。風に髪をなびかせ目を細めて一生懸命に走ってくる様は清々しく、ここへ来てから初めて会った生きた人間のような気がした。しかし自転車はあっという間に通り過ぎ、道の彼方に消えてしまった。気が付くと、僕の周囲を十人ほどの人間が歩いている。皆僕と同じ方向へ同じ歩調で歩いている。殆どは「入所者」だが、中に「職員」が混じっていて、彼らは職員の見えない指示に従っているのである。何気ないふりを装って立ち止まると、僕の周りに彼らの輪が出来てその輪も止まる。誰もが伏し目がちで決して視線を向けてこない。口もきかない。立ち止まるたびに、輪が狭まるようだ。しばらく行くと左側に道から少し引っ込んで木造の平屋があった。これはこの施設の事務棟で、外からの訪問者はここで記帳やら何やらしなければならないのだ。部下のIが中に居るような気もしたがしかし、これ以上ここに居ると危険だという気持ちが募る。事務棟に入ったら出てこられないとも思う。だから、何食わぬ顔を装ってそのまま通り過ぎたが、周りを取り囲んだ集団は、歩き続ける僕を別に妨害するでもなかった。やがて、四つ角に差し掛かった。同じ場所に以前に来たことがあるという気が強くした。ここを左に曲がって暫く行って坂を下ると、確かバスも走る繁華な通りに出る。遠くにクルマの行き交う音が聞こえてきた。久しぶりに聞いた気がするありふれた人間の営みの音だ。「あぁ良かった。やっと戻ってきた。」と、心からほっとした。そこで目が覚めたのである。
2005.10.27
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◇水曜日:旧暦九月二十四日 癸未; 原子力の日今朝の朝日新聞の一面トップに「女帝誕生に向けて大きく動き出した」という意味の見出しが踊っていた。とっさに、「これはいかん!止めねば。」と思いましたね。止めねば、我男性のY遺伝子の危機だ。インターネット上に掲載されている朝日新聞の記事を以下に抜粋引用してみる。>>>「皇室典範に関する有識者会議」は25日、女性天皇と、母方だけに天皇の血筋を引く女系天皇を認めることを決めた。世論調査でも、女性天皇を認める意見が大勢を占めるようになった。その一方、天皇制の根幹ともいえる皇位継承の原則が、あっさりと変わることへの反発もある。>女性・女系天皇に反対する学者らによる「皇室典範問題研究会」(代表・小堀桂一郎東大名誉教授)は25日夜、「民間の学識者の意見を顧みる余裕もなく、現皇族のご意見を聴こうともせず、しかるべき政治家の意見にもあえて耳をかそうともしない、そのかたくなな姿勢を見ては、この会議にはかかる重大問題を議する資格は無いと断ぜざるを得ない」などとするコメントを発表した。「皇室典範を考える会」の会員で、ノンフィクション作家工藤美代子さんの話「議論の進め方があまりにも性急すぎる。「女系」を認めるか、認めないかの問題と思われがちだが、もっと幅広く議論すべきだ。儀式一つとっても、女系天皇を認めてしまうと立ちゆかなくなる可能性さえある。将来、女性天皇の結婚や結婚相手の問題など、想定される課題も多い。皇室の方々や旧皇族の人たち、様々な歴史観を持つ方など幅広く各界、各層の意見を聞いて最終報告を作るべきだ」
2005.10.26
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◇火曜日:旧暦九月二十三日 壬午、下弦、伊賀上野天神祭どうもこのところ中々ブログを書けなくなってしまった。「始めた事は続ける!」というのは、常々部下に言っていることだ。だから、張本人がそれに反する状況になると大いに拙い。何となくコソコソした気分になってしまうのが、甚だ面白くない。面白くないけれど、如何せん待った無しの仕事が山積していると、不本意だけどブログは後回しになってしまう。こういうのって良くありませんね。先頃も都内である区の区議会議員をやっている同期の友人(女性)から、「決算委員会の審議のための準備で、一夜漬けの連続。もうこんな生活いやっ!」と、悲鳴に似たメールを戴いた。一方で、既に趣味三昧に生きておられる、やはり同期の友人もいらっしゃる。不公平だ!不公平だと思うけれど、これも天の配剤。過去に楽をしすぎたツケが今頃になって回ってきているのかもしれない。或は、これも塞翁が馬。禍福はあざなえる縄の如し。いずれうんと楽しいめぐり合わせがやって来るのかもしれないじゃないか。まぁ、文句をいっても始まらないから、出来る事を順に一つ一つ潰していこうとは思っている。ブログも精一杯マメに書き込むようにしますので、見放さないで下さいね。二十三日(日曜日)は二十四気の「霜降」であった。文字通り霜降の頃になると、所によっては里でも朝夕に白いものを見るようになる。富士も初冠雪の報を聞いたし、日光や那須でも周辺の山の頂には雪を観たそうだ。全く時の経つのは早い。殊更今年はそう思う。面白いもので、ミクロ的には時の経つのはむしろ遅いのだ。「えっ?未だ火曜日かい?も今週の週末に近いくらいな気がするよ。」ということが良くある。ところが、一方でマクロ的には時間の経つのが随分早く感じられる。「えっ?未だ×曜日かい?」という時間を拝つくばるように重ねていって、ふっと気が付いて背を伸ばして深呼吸すると、「えっ?もうこんなに寒くなってしまったんだ。ついこの間まで汗を滂沱と流して、暑い暑いと云ってたのにねぇ!」となるのである。人間の時間とは左様に相対的且つ主観的である。ミクロ的多忙な時間を過ごして、通勤電車に揺られて帰る道すがら、車内の吊広告に目が止まった。これは都内の主要ターミナルの一つから僕の住む駅へ通じている私鉄線の会社自身の広告だ。題して「進んでいます!駅のバリアフリー化。」まことに高々と誇らしげである。そして、右肩上がりのグラフが描いてあって、左から順に;2000年 バリアフリー法施行 20%(これはバリアフリー化率のことだ)2005年 70%2007年 90%2010年 100%とグラフ上に書き込んである。フム・・・・待てよ、しかし、これは自慢できる事かい?要するに、法律が出来た時には80%という膨大な部分が何ぁーんにも手付かずになっていたのだ。それから5年も経った今年ですら、未だ30%もの遣り残しがあるって云うのだろう?やっと2010年になって、2000年の基準でのバリアフリー化の目標が達成できるという。それは自慢かい?元来法律が時代を先取りした事など金輪際無い。法律の本質を考えれば、それは当然のことだ。何もしないで野放しにしておくと混乱が生じてどうにもならないから、法律を作って規制なり強制なりするわけだ。そうでしょう?年寄りや身体障害者は法律施行以前にも居たのは当たり前だし、駅の階段や段差、表示の不備などに難渋していたわけだ。それをこれ以上放置しておくと大変な事になるし、民間の随意に任せておいては一向に何も改善されないから、法律として制定したわけだし、且つしかるべき準備期間を置いて施行したんだろう。そうしたら、バリアフリー法施行時の実施率が100%ならともかく、20%なんてのは威張れた数字じゃないだろうに!それとも、この広告「最初はいい加減に考えて高をくくっていましたが、途中で反省して一生懸命頑張っています。だから許してください。」という主旨の謝罪広告なんだろうか?それなら、分かるし、却って素直で面白いなぁと思えるのだが。
2005.10.25
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◇金曜日:旧暦九月十二日 辛未 鉄道の日以前にも引用した友(海外に住む毛唐です!)から届いたばかりのちょっといい話。この人最近は善人になっちゃったらしい。昔はもっと、毒の効いたジョークを一杯送ってきたのだけど。年とったのかなぁ・・・・抄訳は後ほど送る・・・・かもしれません。I want It DOES work.His name was Fleming, and he was a poor Scottish farmer. One day, while trying to make a living for his family, he heard a cry for help coming from a nearby ! bog. He dropped his tools and ran to the bog.There, mired to his waist in black muck, was a terrified boy,screaming and struggling to free himself. Farmer Fleming saved the lad from what could have been a slow and terrifying death.The next day, a fancy carriage pulled up to the Scotsman's sparse surroundings. An elegantly dressed nobleman stepped out and introduced himself as the father of the boy Farmer Fleming had saved."I want to repay you," said the nobleman. "You saved my son's life.""No, I can't accept payment for what I did," the Scottish farmer replied waving off the offer. At that moment, the farmer's own son came to the door of the family hovel."Is that your son?" the nobleman asked."Yes," the farmer replied proudly."I'll make you a deal. Let me provide him with the level of education my own son will enjoy. If the lad is anything like his father, he'll no doubt grow to be a man we both will be proud of." And that he did.Farmer Fleming's son attended the very best schools and in time, graduated from St. Mary's Hospital Medical School in London, and went on to become known throughout the world as the noted Sir Alexander Fleming, the discoverer of Penicillin.Years afterward, the same nobleman's son who was saved from the bog was stricken with pneumonia.What saved his life this time? Penicillin.The name of the nobleman? Lord Randolph Churchill. His son's name?Sir Winston Churchill.Someone once said: What goes around comes around.Work like you don't need the money.Love like you've never been hurt.Dance like nobody's watching.Sing like nobody's listening.Live like it's Heaven on Earth.Now, It's National Friendship Week. Share this with everyone you consider A FRIEND.Pass this on, and brighten someone's day.AN IRISH FRIENDSHIP WISH: You had better send this back!! Good Luck!I hope it works...May there always be work for your hands to do;May your purse always hold a coin or two;May the sun always shine on your windowpane;May a rainbow be certain to follow each rain;May the hand of a friend always be near you;May God fill your heart with gladness to cheer you.
2005.10.14
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◇木曜日:旧暦九月十日 己巳 日蓮聖人忌、嵐雪忌何処の家でも遠方からの来客があれば、色々と用事が増えて忙しくなるものだが、当社もこのところ海外からの訪問者が続いたせいで、極端に忙しい。元々所帯の小さな会社だから、応接するだけでも大変なのに、待った無しの仕事も相変わらず続いているものだから中々ブログどころではなくなってしまう。時間もさることながら何よりも気持ちが急いて、ゆっくりキーボードに向かっていられない。それでも、このブログの管理ページで調べると、全く更新されないにもかかわらず毎日何人かの方にいらして戴いている。ありがたくも申し訳ないことである。こんなつまらないサイトでも飽きずに通ってくださった皆様、しばらくサボっていました。ごめんなさい。忙がしい最中だというのに、ちょっとした事件に巻き込まれてしまった。エッセンスだけを話せば、僕の知人の一人に、僕の携帯メールのアドレスを発信人とする怪メールが送られたのだ。メールはその知人本人を誹謗する内容である。しかも、曖昧ながら別の第三者と係わる内容も示唆されている。それで、件の知人ご本人からは苦情を戴いた。当たり前だ。おまけに、この知人が「第三者」だと思った人にそのメールを、何らかのコメント共に転送してしまったから、事は更にややこしくなった。この「第三者」とされた人も共通の知人である。つまりは、一通のメールで、たちまちに不信の連鎖が出来上がってしまった訳なのだ。実は、僕のところには、暫く前から、時折「僕自身」からメールが届くようになった。僕のパソコンの個人アドレスを発信人とする、同じアドレス宛のメールなのだが、無論僕自身にはそんなものを送った意識は無い。中身は今のところ英文で、「チャリティ目的のメール」だといって、記載されたURLアドレスにアクセスする事を勧誘している。そんなアブナソウなURLには行っていないのは勿論の事だ。しかし、僕のアドレスを盗んで、僕自身に成りすまして、僕にメールを送れるということは、僕以外の人にも僕のフリをしてメールを送れる(あぁややこしい!)ということになる。これは、考えてみると恐ろしいことだ。携帯電話のメールの場合には、パソコンの世界でのメールとは仕組みが少し異なり、ウィルスも相対的に感染しにくいのだとどこかで聞いたことがある。メールについても、「なりすまし」はできにくいのだろうと、勝手に思っていた。それが可能である事を今回身を以って知らされた事になる。お蔭で、10年以上も前から使っていた個人用のアドレスは登録抹消したし、携帯メールのアドレスも変更を余儀なくされた。変更したら、必要な人たちには連絡して再登録してもらわなければならない。僕の場合、連絡すべき人は結構多いので、あれこれ作業しているうちに、携帯電話の電池が干上がってしまい、最後には「ピーッ」と悲鳴をあげて死んでしまった。実に迷惑千万な話である。アドレスを盗用されたといっても被害はそれだけでは済まない。件の知人から転送されてきた「僕もどきメール」の本文を読むと、これが中々の内容だ。先ずその知人の以前の会社での行状に関する誹謗中傷が書かれている。次に、その知人に「僕もどき」が私的なことに係わる苦情を申し立て、揶揄している。なるほど、これをそのまま読めば、怒り心頭だろうし、関係する「第三者」もその流れの中では、今回巻き込まれた人の方を自然に指し示すように思える。しかし、緻密に読み込むと、何ら具体的な事は書いてないし、「第三者」を具体的に指し示す情報も含まれてはいない。つまりは曖昧な内容に終始していながら、読み手の誤解を増長させるものになっていて、これは大衆週刊誌の憶測記事の類と同類か、もっとあくどい手口である。現に、その知人も又「第三者」も、易々とその方向に誘導されてしまった。何より「僕もどき」が、全くの未知の人間では無さそうなのが、余計に気味が悪い。常識的に考えて、僕自身がそういうタメにするメールを当のご本人に送るわけは無いだろう、といえそうだ。実際文章も誰か他の人宛てのように思える表現だ。しかし、これには「送信ミス」という反論が出てくる。つまり、今回の一件は、理論的には二つの解釈が可能なのだ。1.誰か共通の知り合い(「知り合い」の程度には色々考えられるが、少なくとも僕の携帯メールアドレスと知人の会社のメールアドレスを直接間接を問わず入手したのは事実だ)がいて、この人間は「なりすまし」が出来るほどの知識を持っている。これが、面白半分か、悪意かは別として、件のメールを発信した。2.僕自身が、誰かに知人に関しての憤懣をぶつけようとして、送信先を間違え、当の本人に送ってしまった。実のところは勿論1なのだけれど、理論的には上記の何れも可能であり、これは証明出来ない。実は僕の携帯のアドレス帖には、件の知人の会社のアドレスは入っていないのだが、これとて「後で抹消したのだ」と言われればそれだけの話だ。ネット上では、色々な事が起きる。今回の件は、知人や「第三者」との人間関係がギクシャクしだした程度(!とはいえ、大いに迷惑な話なのだが)で済んでいるが、こういう状況をもっと緻密に悪用すれば、色々な悪事を働く事が出来そうだ。技術の進歩と品性は同期しない。こういう世界で無防備にいる事は、甚だ危険な事なのかもしれない。
2005.10.13
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◇火曜日:旧暦九月二日 辛酉(かのと とり) 里親デー、福島二本松提灯祭り以前父親から聞いた昔話。蕎麦屋は大抵銭湯の隣にあって、湯銭と蒸篭蕎麦一枚は同じ値段だった。江戸っ子は湯上りにすぐ傍の蕎麦屋の暖簾をくぐり、一杯引っ掛けて蕎麦をたぐって(切り蕎麦は「食べる」とか「すする」といわないで、「たぐる」というそうだ)それで家に帰って寝たのだ、と。「蕎麦屋の長っ尻」とは無粋もいいところで、だから蕎麦屋の椅子は壁に沿って一尺幅の板が張ってあるだけ。これだと片足を預けて横坐りしかできないから、長居をするわけにもいかないのだ。江戸は将軍のお膝元、人口の大半は職人であった。職人は腕があるから、腕さえ磨いておけば生計が立つ。なまじ小金を貯めると仕事の姿勢が守りに入る。そうなると腕はなまくらになり、いい仕事が出来ない。だから江戸っ子は宵越しのゼニは持たないことを矜持としたし、パパッと風呂を浴びて、グイッとお神酒をいただき、ツルツルっと蕎麦をたぐって帰るといった風だったのだろう。それにしても今時の銭湯の湯銭を僕は知らない(残念)から、湯銭と蒸篭蕎麦の値段が同じかどうか分からない。そういう事情があるから、蕎麦屋で出てくる酒の肴は、みな安直ですぐに出せるものばかりだ。少なくとも東京の老舗の蕎麦屋はそうである。定番は、焼き海苔、板わさ。ちょっと手が込んだのは冬なら「合い焼き」といって合鴨の焼いたの。そして「天抜き」。これは、天麩羅蕎麦の蕎麦抜きで、何だか間が抜けている。僕の郷里ではお目にかかったことが無い。僕の一押しの「池之端の藪」では、お酒を頼むと、徳利がちゃんと袴をはいて出てくる(この店はビールも瓶に袴をはかせて出してくる)。そして「お通し」として、蕎麦の実を炒って赤味噌で固く練ったのを、小さな小さなお皿に一塊出してくれる。これが実に美味しい。味噌には甘味がさしてあり、口に入れて蕎麦の実を噛み砕くと香ばしさが広がって、人肌の日本酒には実に相性が宜しい。これはお土産でも売っていて、一包み数百円だったと思う。蕎麦の実の味噌練りは他の蕎麦屋でも時々あるけれど、柔らかかったり、甘味の具合がうまく無かったりで、池之端の藪が最高だと思う。僕にとっての藪は、未だ研究生の頃、大学の用事を終えて不忍池のほとりをふらふら歩いて、昔の「七軒町」にあるこの店に迷い込んだのが初見参である。これが有名な「江戸の藪三店」の一つだなどとはついぞ知らなかった。その時、お店の人が「メニューには出してないけれど」と言いながら出してくれたのが「いそゆき蕎麦」。これは、冷たい蕎麦を椀に盛り、上からメレンゲの砂糖抜き、つまり卵白を固く泡立てたのをかけてあるもので、蕎麦猪口の普通の蕎麦汁で戴く。蒸篭蕎麦とは又一味違って、これが又美味しいのである。社会人になって友人と食べに行く時は、「メニューには無いけどさぁ」といって「いそゆき」を注文するのが嬉しかったものだ。藪の天ぷら蕎麦は、小海老の掻揚げと決まっていて、きっちりと一寸弱の厚さの円筒形に纏めたものを、江戸風に胡麻油で揚げてある。あぁ、これも又美味しいのだ。他の好きな蕎麦は、先ず虎ノ門の「元禄」にある。ここは、色々手の込んだ肴が用意してあって、酒飲みの長っ尻も許す蕎麦屋だが、出雲蕎麦を食べさせる。色白の御前蕎麦の類だが、ここの「鴨せいろ」は、少し甘めの火傷するほど熱々の汁に、鴨肉が入っているのに、冷たい蒸篭蕎麦を浸して戴く。一寸五分ほどの筒切りにした長葱を炭火で焼いたのが二つ添えられていて、鴨肉の野性的な脂と焦げた葱の香ばしさが、お行儀の良い細切りの蕎麦に良く合う。お酒の後のおつもりの食事としては、結構な一品である。あぁ、元禄にも暫く行ってないなぁ!他にも、八ヶ岳南麓で近所のおばちゃんたちがやっている蕎麦屋の天麩羅蕎麦、赤坂は「そじ坊」の仕上げ蕎麦、神保町で出してくれるフ海苔でつないだ新潟のへぎ蕎麦など、いよいよ連想は止まらなくなってしまった。もう我慢がならない。お蕎麦を食べにいこう!とはいえ、老舗の蕎麦屋はどこも早仕舞いで、大抵八時半になれば注文を取らなくなってしまう。今からじゃ無論間に合わないから、ブログで「仲間を張っている」ぺちゃゆきに駆け込んで、福井蕎麦でも戴こう。
2005.10.04
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◇旧暦九月一日:庚申(かのえ さる) 朔旧暦では今日が九月大の月の始め。九月の別称は長月ながつきというのは、よく知られている。穀類の穂が熟して長くなるからとか、秋の夜長に由来するとか、例によってその起源には諸説ある。しかし、「秋になったなぁ」と実感するのは、自分の影が長くなったのに気が付く時だ。それと、ふと時計を見て、「こんな時間なのに、もう暗くなるのか」と気付く時だ。旧暦長月の頃は、日脚の変化の微分係数が一番大きい時期なのだ。小さい会社だから、社長といったって、部屋にふんぞり返っているどころではない。何しろ、今年の始めから、専用の部屋も無くしてしまったから、ふんぞり返ろうにもその部屋が無い!色々な方との約束を重ねて外を歩く事が多いから、お昼は簡単に済ませることが多い。元来食事を一人でするのが苦手な僕は、止む無し一人でとなれば、食事ではなく餌と割り切って、いわゆるFast Foodの店に入る。秋風が立って、再び方々の立ち食い蕎麦屋さんに、よくお世話になるようになった。信州で青春時代の一時期を過ごした僕は、名代の蕎麦屋では冷たい蕎麦しか食べない。お蕎麦の味は、笊(蒸篭)蕎麦に留めをさす。茹でたての蕎麦を冷水にさらしてきゅっと引き締まったところを、濃い目の蕎麦汁でいただくのが、蕎麦好きとしては最高の贅沢だと思っている。せっかく引き締まって緊張している蕎麦麺をわざわざ又湯に戻し、ふやけさせて不味くする事もあるまいと思う。しかし逆に立ち食いでは、汁蕎麦しか食べない。立ち食いで食べる冷たい蕎麦は、なにやら惨めで嫌いなのだ。まぁ、これは自称蕎麦っ食いとしての儚い矜持かも知れないな。暑い最中に汗びっしょりになって掛蕎麦を食べる気はしないから、僕にとっての立ち食い蕎麦屋さんは、秋から春までの時期に限られるのだ。立ち食い蕎麦屋さんも千差万別で、信じがたいほど不味いところもあれば、意外に美味しいところもある。何といっても不味いのは、東京の山手線を独占するあ△×◇である。店構えは小奇麗なのに、蕎麦はしまりの無い細うどんのようだし、かけ汁も醤油の色ばかりで、だしの気配も感じない。急いでいる時など、不味いのを忘れて飛び込んでは後悔する。地下鉄の神谷町駅構内の店は、温かい蕎麦を頼むと、乾麺に出し汁をかけて出してくるが、これが意外に美味しい。月曜日には生卵がおまけについてきたが、あれは今でも同じだろうか?東京には他に箱△蕎麦とか、小■蕎麦とかいうチェーン店の立ち食いもどきもあるが、両者とも僕はその味にも蕎麦そのものにも感心しない。しかし、頼めばすぐ出てくるし、小■蕎麦では、安直ながら椅子に腰をおろせるから、新聞や単行本を読みながらの「エネルギー補給」には重宝する。第一こういうたぐいの店で、蕎麦麺の質を云々するのは、的外れというものだ。立食い蕎麦屋さんでは、最近は色々なメニューがあって迷うくらいだが、僕が頼むのは「掛蕎麦」に決めてある。それに「掻揚げ天麩羅」と生卵を追加する。掻揚げ天麩羅といっても、立ち食いのそれは殆どが衣の塊で、玉ねぎや春菊などの切れ端や烏賊などの断片が中に紛れている。それでも、これが蕎麦汁の中に潤ほとびていけば、つゆの味に馴染んでそれなりに美味しい。生卵は、出された時には、蕎麦の上、天麩羅の隣にわだかまっているのを、先ずはつゆの中に沈め、上から熱い蕎麦で覆っておく。ひとしきり蕎麦麺と掻揚げを戴いた後で、丼の中が空いて再び顔を出した卵を蕎麦麺の上に戻す。この時分には、卵の白身は春霞のように白い靄を纏い、黄身も充分に熱くなっている。そして、この黄身を箸でつついて崩し、あふれ出てきたところに蕎麦麺を絡めて戴くと、これが美味しいのだ。卵の黄身には独特の味がある。これが麺や汁を吸った掻揚げと絡まりあって口に入ると、それまでと味が一変する。あくまでも絡めるのである。ぐちゃぐちゃかき混ぜてしまっては、これが楽しめない。僕がかなり美味しいと気に入っている私鉄駅構内のお店では、掛蕎麦が250円、イカゲソ天が100円、生卵が50円だから、〆て400円で、結構な「お昼のエネルギー補充」が実現できる。南蛮渡来のOilyなジャンクフードとは違う。中々栄養バランスが取れている点でも、彼我の優劣は明らかだ。郷里の中部地方では、駅の立ち食いの主流を為していたのは「きし麺」だった。今でもそうだろうか?きし麺は平打ちのつるつるした茹で麺にほうれん草と油揚げを乗せたのに、削り節を山ほど乗せて、熱々の出し汁をかけていただく。削り節は、一片が2~3センチもあって。これが湯気に踊る様は、いかにも食欲をそそった。更に生卵でも入れれば、流石に関東の「掻揚げ天玉蕎麦」も、その栄養バランス面において勝てないと思うが、如何せん東京都区内の立ち食い蕎麦の店では、きし麺を見た事が無い。蕎麦好きの一家言といって、蕎麦通を自称する人たちは、色々な事をおっしゃる。藪派vs更科派の軋轢は伝説的だし、砂場も松風庵もまる賀までも負けては居ない。藪派の中だって、淡路町、雷門、池之端でそれぞれ微妙な流派の違いがある。(僕は因みに、断然池之端派だ。)汁の濃淡、食べる順序、蕎麦屋での酒の作法等々、気にしだせばきりが無く五月蝿くて仕様がない。饂飩には、これだけ喧しい議論が沸きあがらないのは、やはり生り物が豊かで、饂飩如きに目くじらを立てる必要もない上方と、生り物貧しく(昔の事です)労働も厳しい(昔の事です?)東北の「出店」としての江戸との違いなのかもしれない。一応蕎麦好きを自称する僕が、立ち食いの領域に踏み込むのは剣呑かもしれない。ましてやどの店が不味いなどと論あげつらうなど、立ち食い通の皆様からお叱りを戴くかもしれない。いや、実際に「立ち食い通」はいらっしゃるようで、僕の友人にも一人そういうのが居るし、都内及び近郊の立ち食い蕎麦屋をつぶさに歩き食して「立ち食いミシュラン」のような本を出した人もいるそうだ。まぁ、僕如きが「JR駅構内のあ△×◇は、大いに不味い!」といったって、それは「There is no accounting for taste.」(蕎麦食う武士も好きずき)だということにさせていただく。
2005.10.03
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◇土曜日:旧暦八月二十八日 戊午(つちのえ うま) 北海道では鳥獣の狩猟が解禁釈迦楽教授のブログにトラックバックにて。感性は共有するものではない。共鳴するものである。意気投合して「友達」になった途端に、どかどかと色んなところに踏み込んできて友達風を吹かす輩がいる。こちらは友達と云ったって「他人の次の段階」位にしか未だ思っていないのに、もうパンツの中まで見せ合ったような馴れゝしさであれこれ立ち入ったところまで詮索が入る。「親しき中にも礼儀ってものがあるだろうに」と思っても、相手には通じない。不快感を顕わにすると、こういう連中は不必要に傷つくし、どうかすると「裏切られた」などと勝手に曲解して、「他人より遠い敵対者」の位置まで退行してしまいかねない。元来相手に悪意が無いだけに、「同郷だから」、「同じ町内だから」という個人としては制御できない理由で仲間意識を訴えられるのは、甚だ迷惑で具合が悪い。だから「終ついの棲家は別荘地で」とおっしゃる釈迦落教授の気持ちには大いに共感する。お互いにしがらみの強くない無い節度の有る交渉の保証された別荘地なら、土足侵入など心配する必要は無い。一方でわが国古来の「田舎」はその対極にあって、「お節介の塊り」のようなものだ。玄関の鍵などかけるのはいっそ理不尽で、鍵どころか戸も窓も開いているのが当たり前だ。知らないうちに隣人が上がりこんでいるし、どうかすると飯まで当たり前のように食っていく。頼みもしない縁談は当然の権利として持ってくるわ、身内や親類の現状も遠慮なくあれこれ詮索するわ。その代わり(といっていいかどうか)その日に作ったといっておかずは届けてくれる、何かが足りないと言えば直ぐに持って来てくれる。お金など要らないよといって、それで決して督促はされないけれど隠微に「貸し借りの情」が形成される。プライバシーなどといって、未だカタカナでしか表現できないし和語にも漢語にすらならない概念など、一片のかけらも無い代わりに、「人情」は常にあたかも近隣皆家族の如しである。恐らくは個人としての我を捨てて「無抵抗」になってしまえば、これはひょっとしたら実に和やかで心地よい人生になるのかもしれない。云うならば原始共産制の理想郷のようなもので、「個人」とか「所有」などという観念など薬にしたくも無い。この辺は、以前にこのブログで紹介した本※1にも書かれている。恐らく、この両者を隔てる要素は「金かね」だ。つまり通貨だ。通貨は形や色の違うもの、有形のもの無形のものを「等価」という抽象的な価値で繋ぐ符牒である。釈迦落教授も「別荘地への遁走」に際しては、自ずとそれを許す自らの経済力を前提とされていることだと思う。物やサービスの価値の「翻訳ツール」であるお金さえあれば、その物の生産者や、そのサービスの提供者とは没交渉であっても、それを「買う」ことが出来る。お金を媒介変数として使うことで、プライバシーや「節度有る交渉」を購うことが出来るのである。これは贅沢である。しかも、白状すれば僕なども最も憧れる類の贅沢である。教授の慧眼は、僕自身が「余計な干渉を嫌う」類の人間であることを見抜いておられる。その通りなのだ。僕は恐らくは父方の血統から、こういうナィーブさを受け継いでいる。父は都会で当時の中央官僚の息子として育ち、兄弟姉妹も含めたその家族は、所謂「プチブル」だったようだ。それに何より、我が父の又その父は、お金を作っていたのだ!然かるに、こういう生活は貨幣経済との縁が切れた途端に破綻するのである。そうなった瞬間に、わが国古来の「お節介の塊り」のありがたさが意味を持ってくる。思えば「都会」は貨幣経済に全面的に依存する社会である。そこではお金さえあれば何でも、時に自由さえも購うことが出来る。生産者の顔も、役務提供者の汗も、身近に感じる必要は無い。こういう世界に馴染んだ人間は、やはり生き物としての性さがなんだろう、いずれ自分なりの「自然」を懐かしみ、田舎での生活を求めるようになる。しかし、同時に田舎で土にまみれて作物をこしらえ、肥やしを施し、虫に襲われながら雑草を除去し、相互に共同体として生きざるを得ない社会には溶け込みたくないのである。恐らくは、こういう気持ちは、単一民族の社会が経済的に大きく発展する過程で、その渦中に置かれた、それも知的に社会の上層部位置する世代の一部に共通するものなのかもしれない。拝金というのは極端だが、少なくともお金というものを抵抗感無く考えられる「種族」に共通するものだと云えそうだ。しかし、こんなことをしつこく考えてしまうのも、僕自身が自分で興した会社の資金繰りに未だに四苦八苦を続けていて、交換価値を持つ「お金」というものの理不尽さに神経質になっている所為だろうと思うと、ちょっと情けない。ところで、僕も教授と同じく、別荘であれ終の棲家であれ、そのあるべき場所として山か海かを選べといわれれば山を選ぶ。もっと云えば、海だけではない。広大な開水面は、そのほとりで住むには何となく好きになれない。海はとにかく重力に忠実な水溜りだ。見渡す限り平たく広がった水の面は、あっけらかんとして開放感が有って、どこで区切りを付けられるか分からない。海なら、見晴るかす遠きに至るまで全て水だから、その先は考えなくてもいい無責任さがいっそ心地良い位のものだが、湖となると対岸が見えるだけに余計に理不尽な閉塞感を催して、どうにも余計に好きになれない。一昨年琵琶湖のほとりに母を連れて泊まった時にも、日本一の湖を前にしてそう思ったのだから、僕自身のこの感性は本物だと思う。とにかく、不必要な大きな開水面には、「凛とした思索性」というものが感じられない。それに較べれば山は重力に逆らうものである。エントロピーの増大則に逆らって盛り上がった土や岩の塊りである。そこには何れ平坦な広がりに崩壊していくであろう、滅びの予感がある。地球規模の永い時間に較べれば泡沫うたかたのごとき短い時間を切り取って、天に伸び上がり深みに落ちる起伏や、それを覆う叢林に接する時、自ずと粛然として思索的になるものだ。何より景色にメリハリがあるのが良い。だから、貨幣経済だのなんだのという以前に、山が良いのだ!今回は、釈迦落教授の「妄想」に触発されて僕も妄想の深みにはまってしまった。こういう話は尽きない。勝手な妄想妄言の罪滅ぼしではないけれど、高原の湿原の秋に咲く写真を大盤振る舞いしてみた。「地塘春草」ではなく、地塘秋草の想いである。暴筆陳謝。※1:「サウスバウンド」 奥田英朗 角川書店 2005年6月 ISBN4-04-873611-6 C0093 \1.7K
2005.10.01
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