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多忙という便利な口実にかまけて、暫くブログをサボっていたからでもないけれど、今まで圧伏されていた思いが、何気の無いきっかけでどんどん凝結を始める。先ほどまで、NHKの「義経」を観ていた。実にまだるっこしい。苛々する。「ひよどり越えの逆落とし」で目覚しい戦功を立てた義経は、頼朝によって京都守護職に任ぜられ、朝廷からは「判官」、つまり検非違使の長を賜る。頼朝は公家社会から武家社会への権力革命を企図しているから、上洛もしない。朝廷の官位などありがたくも無いが、さりとて無視はできない。京都のことは公家の伝統を無視しない程度の関心しか持たず、弟の義経にその監視させ、ライバル平家の衰勢を見極めつつ、旧勢力を骨抜きにしていこうと思っている。しかし、義経が従五位下に任ぜられ、程なく昇殿を許されたとの報に接すると、さすがに心穏やかではない。中央の既成権力は、如何に威光が衰えたとはいえ、地方の新興勢力にとっては看過できない脅威である。だから、身内のはずの義経が何を思って法皇から昇級昇格の受諾するのか、疑心暗鬼を生じる状態になっていく。一方の義経は、在京の身として権力の狭間に置かれ、公的には日本の君主筋である法皇からの任命を断ることが出来ない。判官にしても従五位下にしても、受けざるを得ずして受けたのであるし、それは鎌倉の兄のためでもある。何れ頼朝はちゃんと理解してくれると信じている。つまりは、京都で創業した企業が、社運を建て直し新機軸を打ち出すために、鎌倉に本社を移し、外様の社長を迎えた。この社長は、創業の地に自らの同族の一人を業務部長で派遣した。ところが京都に居座る創業者にして代表権を持つ会長は、この新任の業務部長を重用し、あまつさえ取締役にまで任命してしまった。代表取締役の任命だし、京都には有力株主も多い。義経部長は会長の命を受けざるを得ないのだ。つまりは、創業会長への忠誠が、兄である鎌倉の実権社長のためになると思い込んで職務に邁進する新任取締役に対するに、内心密かに創業会長の追い落としを目論み、だからこそその本拠地に斥候役若しくは監視役として弟を送り込んだ実権社長の相互の葛藤。ま、つまりは義経の物語はそんなところに本質がある。しかし、兄と弟がお互いに相手の真意を測りかねて悶々としているのを見るとじれったい。無論当時は、京都から鎌倉までは連絡を取り合うのに多分二週間ほどかったのだろう。それも通信の手段は書状だ。文字は、余程の文章の達人の手にかからない限り、感情や本音を伝える力は弱いものである。それに何より、書状なんて一方通行だ。こちらの書状が届くのに二週間。それに対する返事が戻ってくるのに又二週間。つまりは、最大でも年に十二往復の対話しか実現できないことになる。若し義経の時代にインターネットが有ったらどうだったろうか?今日のドラマのシーンであれば、義経と頼朝がインターネットで動画付きの音声チャットをすることになったはずだ。「兄上、法皇様は従五位下を受けろといやはりますねん。どないします?返事おくれやす。」「九郎、そりゃお前を自分の権力機構に取り込んで、俺を牽制しようという腹積もりに決まってるよ。」「そんな気もします。特に今度は昇殿を許す、なんて云わはりますねん。そやけど、僕が源氏として偉ろなることは兄さんのためでもあるんでっしゃろ?」「ばーか!俺はね、公家なんか屁でも無いんだよ。既得権に安住しているだけの公家から力を奪って、あくまでも民の力をベースにした武家の社会を実現するつもりなんだ。お前が既成権力の中で偉くなっちゃ却ってまずいんだよ。」「えっ?そんなん知らんかった。ほなら僕はどないしますねん?法皇さんはすぐ傍にいはるし、会長命令には背けませんやろ。兄さん、会長にしっかり云ぅてください。あんじょう頼んまっさ。」「・・・しかし、どうもあの会長は苦手だしなぁ。」・・・・・ね、こんな風に兄弟がインターネット会議をやっていれば、妙な誤解も生じなかったはずなんだが。そうしたら、その後の日本の歴史は随分違ったものになったでしょうな。でも、この場合でもやはり「メール送っておきました」じゃ駄目なのだ。やはりリアルで、対話的にやりとりしないと、良い結果にならないことは同じなのだ。
2005.07.31
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◇日曜日:旧暦六月二十六日 丙辰(ひのえ たつ)大阪住吉祭、芦ノ湖水祭26日に台風で一荒れした後は、首都圏一円は猛暑に包まれている。都会の夏空には、薄い雲母の層が一枚敷かれているようだ。青の下にキラキラ細かい光が散り撒かれているようで、それが暑さを一層酷くする。同じ夏空でも、南の島や、山の高みに登れば、その青は青より、蒼または藍と云うほどにあくまでも濃く、鮮やかで深いのであろう。未だ満一歳を過ぎたばかりの会社は、入ってくるお金と出て行くそれのタイミングが合わず、散々苦労させられる。つまりは資金繰りである。出来立ての会社というのは、それまで何もなかったところで、誰も知らない組織として商売を始めるのだから、当然ながら、ものにしろサービスにしろ中々売れない。しかし、出て行くお金は決まっており、決して入る分と連動してくれない。むしろ、離陸する飛行機と同じで、巡航高度に達するまでは、平常時より余計に燃料が必要になるのだ。辻褄が合わなくなりそうだと、どこかからお金を調達してこなければならないが、これが容易なことではない。わが国の金融機関はもとより、政府が準備する制度融資も、生まれたての会社には実に冷たい。創立後営業を開始して(そして、実際の入金があってから)一年未満の期間は、事実上お金は借りられないようになっている。要約すれば「決算書がないから判断できない」とか、「実績が無いから」とかいうのがその理由である。つまりは、当社のような所謂ベンチャー企業は、生まれて一年間は広野に放置しておく。放置された会社は、七転八倒して何とか生き残る算段をしなければならない。無論この一年間に力尽きて野垂れ死にしていく赤ちゃん会社も少なくないはずである。そして一年後に未だ生き残っているものだけを融資の検討対象とするということである。何とも残酷な話ではないか。僕などは親から「人様に笑われたり、お金を借りたりするような人間になってはいけません」と育てられたのだけれど、会社を始めてからお金を借りるプロになってしまった。この世界、お金を借りていないと信用が無い。嘘みたいだが本当なのだ。お金を借りているほどエライという、何だか妙な世界であることも、我が身を以って学んだ。先日来、某化粧品会社の粉飾決算が問題になっていて、逮捕者も出た。分かっているだけで¥750億。調べればもっと増えるかもしれないとのことだ。でも、もっともっと小さい、目先のお金に四苦八苦している身からすれば、「そんなに赤字を出すことが出来たんだからいいよなぁ!うらやましい!」というのが正直な実感である。それにしても、色々な人のお蔭で何とか生き延びてはいる。それに、少しずつ明るい方向も見えてきた。こうしてみると、今までの一連の苦労はやはり、まともな経営に到達するために必要な通過儀礼なのかも知れないとも思う。実際本当に色々なことを勉強した。つまりは、それ以前は如何に無知でノンキだったかという事でもある。何れにしろ、そろそろ本格的な夏休みシーズンに入る周囲を尻目に、今年はまだまだ猛暑の中、雲母の光の散乱の下を走り回らなければならない。あぁ、信州の温泉に行きたい!高原の露天風呂に身体を思いっきり伸ばしてゆっくりしたい!信州の高原は雲母の層の無い、抜けるような蒼空に涼しい風が吹き渡っていることだろう。今頃はニッコウキスゲが群れを為して咲き、その可憐な黄を涼風に揺らせているのではないか?今宵はせめて、家の浴槽に湯の花を入れて、窓を開け放して湯船に浸かりながら、ひと時の反実仮想に耽ることとはしよう。※ニッコウキスゲ: 日光黄菅 別名;禅庭花ユリの仲間の多年草で、中部以北の高原などに生え、夏に鮮やかな濃黄色の花を咲かせる。葉が菅笠の材料にするスゲに似ていて、日光地方に多く見られるのでこの名前が付いたという。何だか借り物だらけの名前で、気の毒な気がする。この花は、一日花だ。朝に咲いた花は、夕方には萎んでしまう。
2005.07.31
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◇土曜日:旧暦六月二十五日 乙卯(きのと う)和歌山粉河祭今夜から西武園の花火が始まった。西部園は、東村山貯水池の脇に、かの堤ファミリーが作った遊園地である。ここでは学校が夏休みの間だけ、毎週土曜日曜の雨が降らない宵に、半時間ほど花火を打ち上げる。お金を払って入場すれば、プールの脇で仕掛け花火を見ることも出来る。我が家からは2キロ弱の距離があるが、丁度その方向には視線を遮る背の高い建物が無いため、打ち上げ花火だけは居ながらにして無料で拝見する事が出来る。我が家の娘たちが小さかった頃は、ご近所の同年代の子供たちと一緒に、前の空き地で花火などそっちのけで、夜に遊べる嬉しさでにぎやかに騒ぐ声が聞こえたものだ。しかし、下の娘ももう花火なぞ興味は失せたようで、時折響く爆発音を尻目にパソコンの前で何やら余念が無い。一応初日だからと、密かに買い込んでおいたおもちゃ花火を餌に、庭に誘い出してみたが、我が家のバカ犬は興奮して走り回るし、蚊には食われるしで、早々にクーラーが効いて密閉された室内にお隠れになった。以前はうるさいほどであった子供の声も殆ど聞こえず、少子化の現実はご近所にも迫りつつあるようである。花火は、火薬に色々混ぜ物をして空に打ち上げる。逆に空から降ってくる光りモノは流星だ。地球周辺の宇宙空間を放浪する塵が、何かの具合で地球の重力に捕らわれて落下する途中で、大気との摩擦で燃えて光るのが流星だ。群れを作らないソロ・プレーヤーの流星もある。それ以外に、彗星の残骸が昔の軌道に沿って周っているのに、地球が交差する時に沢山の流星が群れになって流れるのを流星群という。今日と明日は、みずがめ座流星群とやぎ座流星群が順に極大を迎える。極大とは、地球の公転軌道と彗星の公転軌道が交差するその日のことを言う。当然ながら、極大の日には流れ星が群れを為して飛ぶのを観る事が出来る確率が高いのである。今年八月十二日に極大を迎えるペルセウス座流星群の陰に隠れて、みずがめ座もやぎ座も余り有名ではない。しかし、今日明日は月が下弦を過ぎた辺りなので、晴れてさえ居れば夜空は比較的暗く、結構楽しめるかもしれない。特にやぎ座の流星は火球状といって、派手に燃えながら落ちるものが多いので楽しみだ。「◎△◇座流星群」というのは、かつての彗星の軌道の視線方向が「◎△◇座」という星座の位置にあるということだ。だから「◎△◇座」を探して、その近くを眺めていると、天空を一瞬引っ掻いて流れ落ちる光の筋を見つけ易い。今の時期やぎ座は午後7時過ぎに、みずがめ座も後に続いて東の空に昇ってくる。どちらも地味な星座だが、七夕の牽牛星として知られるわし座の一等星アルタイルを目印に、やや南東に下がった辺りに並んでいる。余計なことかもしれないが、立って空を仰いでいると首が疲れて痛くなる。一番良いのが、地べたに仰向けに寝転がって観測すること(これが正式の観測法なのだ)だが、どうも余りみっともいいものではない。路上なら車に轢かれる心配もあるし、どうかすると真夏の夜の死体にも間違えられるかもしれない。出来ればデッキチェアか寝椅子を持ち出してご覧になるのが良かろうと思う。
2005.07.30
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◇木曜日:旧暦六月二十三日 癸丑(みずのと うし) 土用の丑土用の丑の日というと鰻だ。と、云う事になっている。近くのコンビニにも幟が立っていて、うなぎご飯や、鰻の棒寿司(880円という値札がついていた)を宣伝している。巷の鰻屋さんもこの日は大いに賑わって、ご商売のご繁盛はご同慶の至りだ。しかし丑の日の鰻は、我国初代のコピーライターである平賀源内先生の発案によるもので、故事来歴があるわけではない。「土用の丑の日に鰻を食べる」というしきたりは、江戸中期以降のことで、未だ300年足らずの歴史しかないのである。東京の老舗の鰻屋の中には、土用の丑の日にはお店を閉めてしまうところがある。「普段鰻のお蔭で生計を立てさせていただいています。だからこの日ばかりは、鰻供養のためにお休みをさせていただきます。」というのが口実だそうだ。しかし、どうもこれは屁理屈だな。老舗である以上誇りもある。こちとら一年を通じて美味しい鰻料理一筋に精進してるんだ。平賀君の口車に乗せられて丑の日だけに鰻を食いに来るような俄か鰻ファンなどに付き合ってなんかいられないよっ!てなあたりが本音じゃないだろうか?故事来歴といえば、我国では鰻はかなり以前から食されてきている。石いわ麻呂に 吾もの申す 夏痩せに 良しと云ふものぞ 鰻むなぎとり食めせというのは、万葉集に収められた大伴家持のうたである。石麻呂君は、普段から随分痩せた人だったようで、暑くなるとこれが夏痩せのお蔭で余計に細くなり、まるで蚊とんぼのようになってしまう。ちょっとでも肉がつくように、見かねた周りの人が色々アドバイスをしていたのだそうだ。さて、専門の鰻屋さんで戴く鰻料理は無論美味しい。江戸風の鰻は、関西風とは割き方や焼き方が違うのはよく知られているが、たれはそれぞれのお店によってかなり違う。こってり濃厚なものから、あっさりしたものまで色々あるから、その日の気分や、同席する相手の嗜好に応じてお店を選ぶ事が出来るようになれば、これは相当の通といえる。しかし、鰻はやはり高級魚だから、そんなに頻繁に老舗の鰻屋に通う事など、庶民にはできない。そうなると、鰻を食べたい時には、スーパーで売っている蒲焼を買ってくることになる。スーパーの鰻だとはいえ、馬鹿にしてはいけない。ちょっと一手間加えれば実に美味しく戴く事が出来る。大き目のフライパンに、鰻を皮を下にして並べ、日本酒を多めに振り掛ける。そうして蓋をして弱火で蒸す。それだけだ。こうするだけで、鰻君はふっくらと実に美味しく変身してくれるのだ。未だやったことの無い方は是非お試しあれ。ただし、皮の焦げ付きや、鰻の型崩れを防ぐために、フライパンはテフロン加工のものがお薦めである。釈迦楽教授は、来訪されたご両親を名古屋名物櫃まぶしでご接待されたそうだ。名古屋出身の僕の友人も、この櫃まぶしが大好物の由であるが、僕自身は未だ戴いた事が無い。今回の釈迦楽教授のブログで、「ニ度変身する鰻ごはん」であることを教えていただいた。この櫃まぶし、お櫃の中のご飯に鰻の蒲焼を刻んだのがまぶしてあるからこう呼ぶのだと思っていたら、どうもそうではないらしい。お櫃の中の熱々のご飯で焼いた鰻を蒸すから「飯蒸し」→「まんま蒸し」→「まむし」→「まぶし」。これが一説。もう一つは、「鰻蒸し」→「マンムシ」→「まぶし」だそうだ。関西では鰻のことを「マムシ」と呼ぶが、これは蛇とは全く関係なく、上の「鰻蒸し」に由来するそうだ。ところで、ある言葉の文字の順番を入れ替えて、別の言葉にしてしまうことをアナグラムという。「田中角栄」→「たなかかくえい」→「ないかくかえた」→「内閣変えた」というのは、このアナグラムの一例だ。上の通り未だ僕は櫃まぶしは戴いた事が無い。しかし、時折これが話題に上ると、僕の頭の中にはアナグラムのエンジンが働いて、どうも「ひまつぶし」に聞こえてしょうがない。日頃の酷使でいささか弱音を吐き始めた僕の肝臓を気遣った人から、先日ウコンの粉末を戴いたが、この時もアナグラムエンジンが自動実行されてしまった。「このウコンは、そのまま食べてもいいし、水に溶かして飲んでもいいのですよ。」と云われて、先方のご親切には感謝しながらも、もうアナグラム化されてしまったぼくの脳裏には、ウ×▲を食べたり、水に溶かしたりするイメージが浮かんで、余り嬉しい気持ちにはなれなかった。
2005.07.28
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◇水曜日:旧暦六月十五日 乙巳(きのと み)茅ヶ崎寒川神社浜降祭僕の海外歴はアメリカのニューイングランド地方から始まる。「マサチューセッツ州の京都」とも言われるボストンから、北東に車で30分ほど行ったレキシントンという小さな町に、夏の終わりから秋の終わりまで、三ヶ月余り滞在していたのだ。「紅葉は日本が最高。海外のそれは黄葉であって、紅葉ではない。」などと云われていたのだけど、それは文字通り「真っ紅なウソ」。ボストン市内は、蔦をまとった古めかしい煉瓦色を背景に、黄葉や紅葉が映えていた。北のニューハンプシャー辺りまで遠出すると、なだらかに起伏する山の広がりが、見晴るかす限り紅と黄の文字通り「綾錦」で覆われていて、涙が出るほど美しかった。ニューイングランドという名前の通り、マサチューセッツやメーン、ニューハンプシャーなどは、英国からの移民が始めてアメリカ大陸に根を下ろした場所である。そして後に当時のアメリカが、宗主国から独立するために戦った場所でもある。だから、あちこちに古戦場が沢山ある。僕が滞在したレキシントンも、そうした古戦場の史跡の街である。訪問先のオフィスから、教会の脇の路地を抜けて直ぐのところに、レキシントン・グリーンというサッカー場ほどの芝生の広場があって、これが実は当時の戦闘の有った場所を記念保存する公園になっているのだ。この公園の一角には、敵の襲撃情報が入るや「一分以内に、おっとりライフル」で駆けつけてきたミニットマン(昔そういう名前のミサイルがあった)の銅像もあるし、近郷近在の俄か兵士たちがひそかに集合して作戦を練った旅篭(Tavern)もある。当時の同僚と僕は、このレキシントン・グリーンの上でよくお昼を一緒にしたのである。そして、・・・・潜水艦を食べたのだ。レキシントン・グリーンから小路を隔てて直ぐのところの、屋台に毛の生えたような店に並んで、自分の順番が来ると先ず「全艦か半艦か」を決める。そして次に「乗組員」を順に選抜していくのである。レタス、ハム、マシュルーム、トマト、玉ねぎ、ピクルス・・・・・まだまだ続く。マヨネーズにするか?ビネガーか?マスタードは?・・・・・ニューイングランド地方の英語は早口だ。それにBostonianといって、ボストン周辺は訛りのある英語が特徴である。てきぱきとなれた調子で注文していく土地っ子に混じって、初めての海外で、しかも覚束ない英語で、希望通りの兵装を施した潜水艦を調達するのは、毎回至難の業であった。もう30年ほども前のことである。その後随分、本当に随分たってから、会社の近くの地下鉄外苑前駅のそばに、Subwayというサンドイッチショップができた。小ぶりのフランスパンに、色々な兵装を施したあの潜水艦を商う店だ。懐かしくて何度か利用したけれど、あの緑滴るレキシントングリーンに白く高く聳えるポールを見上げながら食べた潜水艦の方が、やっぱり間違いなく美味しかった。ところで、Subwayは、例え地下鉄外苑前駅のそばにあっても、地下鉄とは全く関係ない。SubはSubmarine(つまり潜水艦)のSub。wayはYour way(つまり、「お気に召すまま」)ということ。要するに、「お好みの兵装の潜水艦をどうぞ」という意味なのだそうだ。でもこのSubway、今では余り見ないような気がする。外苑前のお店もいつか無くなってしまった。より良い立地を求めての、マーケティングの理由に過ぎないかも知れないが。あの、レキシントン・グリーンのお店の名前は覚えていないが、Subwayの一号店はコネチカット州だったそうだから、少なくとも「元祖潜水艦屋」でなかったことだけは確かだ。
2005.07.20
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◇火曜日:旧暦六月十四日 甲辰(きのえ たつ) 土用の入り僕の友人には偏屈な奴が多い。友人が偏屈だから、僕が影響されて偏屈に(近く)なったのか?或は、単に「類は友を呼ぶ」の実例なのか?多分前者だと思う。その中の一人が、下のようなメールを送ってきたので転載してみます。彼にしては随分真面目な内容なので、余計に下記の内容が本当か嘘なのかは分からない!いつもは右に掲載したようなクリップや、このクリップから推察できるような与太話ばっかり送ってくる男なのだもの。・・・・それにしても、マーガリンはプラスティックとはねぇ。翻訳すると、どっかから叱られそうなので、英語のままにしておきます。読み辛ければゴメンナサイ。Margarine was originally manufactured to fatten turkeys. When it killed the turkeys, the people who had put all the money into the research wanted a payback so they put their heads together to figure out what to do with this product to get their money back.It was a white substance with no food appeal so they added the yellow coloring and sold it to people to use in place of butter. How do you like it? They have come out with some clever new flavorings.Do you know the difference between margarine and butter?Read on to the end. It gets very interesting!Both have the same amount of calories.Butter is slightly higher in saturated fats at 8 grams compared to 5 grams. Eating margarine can increase heart disease in women by 53% over eating the same amount of butter, according to a recent Harvard Medical Study. Eating butter increases the absorption of many other nutrients in other foods.Butter has many nutritional benefits where margarine has a few only because they are added! Butter tastes much better than margarine and it can enhance the flavors of other foods. Butter has been around for centuries where margarine has been around for less than 100 years.And now, for Margarine... Very high in trans-fatty acids. Triple risk of coronary heart disease. Increases total cholesterol and LDL (this is the bad cholesterol) and lowers HDL cholesterol (the good cholesterol).Increases the risk of cancers up to five fold.Lowers quality of breast milk.Decreases immune response.Decreases insulin response.And here's the most disturbing fact....HERE IS THE PART THAT IS VERY INTERESTING!Margarine is but ONE MOLECULE away from beingPLASTIC!This fact alone was enough to have me avoiding margarine for life and anything else that is hydrogenated (this means hydrogen is added, changing the molecular structure of the substance).You can try this yourself:Purchase a tub of margarine and leave it in your garage or shaded area. Within a couple of days you will note a couple of things:* No flies, not even those pesky fruit flies will go near it (that should tell you something)* It does not rot or smell differently because it has no nutritional value; nothing will grow on it. Even those teeny weeny microorganisms will not a find a home to grow.Why? Because it is nearly plastic. Would you melt your Tupperware and spread that on your toast?Share This With Your Friends.....(If you want to "butter" them)
2005.07.19
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◇月曜日:旧暦六月十三日 癸卯(みずのと う) 海の日ほらね、やっぱり梅雨が明けた!東京地方は、昨日までとはうって変った夏空で、今日は33度くらいまで気温が上がるんだそうだ。僕の予告は当たったわけだけど、天気図は実に分かりやすいパターンだったから、大して自慢できるほどのことじゃないな。ところで、わが愛読する希少なブログをお書きになっている釈迦楽教授は、最新の稿でチェスタートンのブラウン神父シリーズに触れておられる。僕は実はミステリーが大好きだ。元々学生時代はSFが大好きで、早川SFには随分お世話になった。それが、段々ミステリーにシフトして、同じ早川書房や創元社のお得意さんになった。そして、・・・・日本の作家は読まなくなった。お好きな方には怒られるかもしれないけれど、日本のミステリーは抜けが多い。始めから終わりまで時刻表の穴探しに終始したり、「どうしてそうなるの?」という不自然だらけだったり、果てはテレビドラマの台本のようなものだったり。・・・欧米では、面白い小説のことをPage turnerなどという。つまりは、本を置く能わず、次から次へとページが捲れて行くように読みふけってしまうという意味だ。こういうPage turnerに出会うと、その後はその作家ばかり追いかけることになる。僕にとっては、教授同様先ずはシャーロックホームズだった。しかし、アガサクリスティーは違う。シャーロット・マクラウドはそうだが、チェスタートンは違う。他にも、ジェフ・アボット、ジョン・ガードナー、ジョン・ダニング、ネルソン・デミル、・・・・何れにしても日本の作家はいない。(でも、テレビの「赤かぶ検事」シリーズだけは好きなんだなぁ。あの、鼻の穴が下ではなく前を向いた橋爪さんが、妙な高山弁でとうとうと情を説き、謎を解く。・・・でも、あくまでもテレビだけ。小説のことではない。一度だけ読んで「損した!」と思った。)しかし、例外が一人だけいる。(正確には「いた」だ。)森博嗣である。「すべてがFになる」でこの人に出会った。「理科系のミステリー」というのが帯に書かれたキャッチコピーだった。それにつられたのかもしれない。驚きだった。構成が緻密で抜けが無い。登場人物が、一人ひとり明瞭な人格を持っている。それぞれの歴史的な背景も、予め充分準備されている。推理の過程も、スマートで面白い。何より、謎解きの主役を務める萌絵ちゃんだ。大学の建築学科に在籍するお嬢様だ。彼女は那古野(名古屋のもじりだ。無論。)市内のマンションのペントハウスに執事(執事ですぞ!)と一緒に住んで、オーディオのついていないスポーツカーで、颯爽と研究室に通っている。気位高く才気煥発、目から鼻に抜けるような秀才で、それでいて可愛い(可愛いに決まっている)。学生時代に好きだったアノコに似ているような・・・彼女がほのかに想いを寄せる、オボケでちょっと天才肌の大学の助教授も、ちょっと嫉妬を感じるけれどいい感じだ。他にもクセのある人物が沢山出てくるが、名前が皆一風変っているのが可笑しい。舞台の中心は、明らかに名古屋大学である。森博嗣という人も、同じ大学のセンセイらしい。この人は多作家で、随分沢山の作品を一連のシリーズとしてお出しになっている。順に読んでいくと、登場人物それぞれが織り成す綾が段々見えてくる。そういう仕掛けを予め施して、一作ずつ書いていらっしゃるとすれば、これまた中々のものである。釈迦楽教授も名古屋の大学の先生のようだ。僕も、東海地方の出身である。そういう地縁も、本を読むときに入れ込む要因の一つなのかもしれない。但し、最近は少しずつ作品の雰囲気が変ってきて来ているようだ。(だから、「いる」ではなくて「いた」。)それに今までの作品の中にも、観念に走りすぎて鼻に付くものもあるから、僕自身がお奨めするのは、「西之園萌絵シリーズ」なのだけど。
2005.07.18
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◇日曜日:旧暦六月十二日 壬寅(みずのえ とら) 京都八坂神社祇園祭京都の祇園さんでは、今日が山鉾の巡行の日だ。華やかなお祭りではあるが、未だ梅雨も明けやらぬあの盆地の蒸し暑さの中、鉾を押したり引いたりと、京童の方々にはご苦労様なことである。今日は、九州地方と四国の辺りでは梅雨明けになったとか。別に気象庁の宣言で梅雨に入ったり明けたりする訳ではない。しかし、どんよりした空を見上げては、「関東地方は未だかねぇ」と、つい思ってしまう。梅雨明けには二つの型がある。一つは、「ずるずるダラダラ、何時明けたの?」型。梅雨前線が、列島北方の高気圧に押されてじりじり南下し、やがて前線そのものが消滅してしまう、というのがこの型だ。こういう梅雨の明け方だと、どうもメリハリが利かずすっきりしない。わが国を覆う北の高気圧が、徐々に暖められて夏型の高気圧に変質するまでの間は、曇天で蒸し暑い日が続く。もう一つは「一天俄かに雨上がり」型。この型では、それまで列島上空に滞留していた梅雨前線が、眦まなじりを決してというほどの勢いで突然北上し、その後に南からの亜熱帯高気圧が進出してくる。突然の「前線逃走」の原因には、北日本を通過する強い低気圧が梅雨前線を引き込む場合と、列島南方から北上する台風が梅雨前線を押し上げる場合の二つある。今日の天気図を見ると、沖縄諸島の南方には猛烈な台風五号がいて、西北西の台湾を窺っている。一方で大陸からは北海道に向けて低気圧が進んできている。その直ぐ後にも、もう一つの低気圧が続いているようだ。この二つの相乗作用で、早ければ明日か明後日には、首都圏地域も梅雨明け宣言となるのではなかろうか?多分「一天俄かに・・・」型の、小気味の良い梅雨明けになるのではと期待できる。さて、当たるかどうか・・・?こうやって、前線付近での気流の動きが盛んな時は、雷が鳴ることが多い。今晩も当地方では雷の音に驚かされそうな気配である。
2005.07.17
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◇土曜日:旧暦六月十六日 辛丑(かのと うし) 盆送り火、国土交通デー、勤労青少年の日今日は勤労青少年の日なんだそうだ。なぜだろうと思ったら、今日は薮入りだった。薮入りは年に二度、正月とお盆の十六日と定められていたのだそうだ。この日丁稚(商家に働く元服前の少年)には休みが与えられ、ささやかなお土産を持って親元へ帰省したのだ。厚生労働省の定める勤労青少年の日は、七月の第三土曜日だそうだから、必ずしも毎年十六日の薮入りと一致するわけではない。今年はたまたまそうだったのかもしれない。しかし、きっと厚労省のお役人の脳裏には、薮入りがあったに違いないと思う。昔のこの日は卸したての服に帽子を被り、郷里へのお土産を包んだ風呂敷を背中にしょった子供たちが、晴れがましくも嬉々として親の待つ家に急いだのだろう。それにしても、昔の子供たちは良く働いたものだ。さて、昨日の稿に「好奇心と想像力」の話を書いた。この二つは精神の活性剤である。それとともに、気配りと創造力の源泉でもあると思う。気配りは相手を慮る精神の働きだ。それが行動に出ると手配りという。手配りとは、「かくあるだろう」と予想をして、その時相手が何を欲するかを考え、それに沿って予め手を打っておくことである。創造力も、過去の事例や習慣に囚われずに「かくありたい」とする状況を作り出す力である。どちらも「知る」または「識る」に発し、未来を向く。社会生活や仕事の場で、気配りと創造力を駆使して実践すれば、どちらにおいても成功する確率は格段に高くなる。そう云ってしまえばそれだけのことだが、これができる人間は実は本当に少ない。云われた事はやる。或いはやろうとする。しかし、義務としてしかやっていないから、畢竟最初から予測できる結果しか生じない。ところが、現実は多様に且つ目まぐるしく変化するものだ。だから過去に予測できるた結果というのは、殆ど今では既に不完全であり、不満足しか生じない。過去起きたことを処理するだけの事務屋なら、未だそれでも良いかもしれない。人の後塵を拝して、ただついていくだけなら、それで良かろう。しかし、未踏の領域に向かっていく場合にはこれでは困る。僕の会社のようなベンチャー企業では、そういう態度は最早失格である。好奇心と想像力に満ち、その結果気配りと創造力の実践を追及してくれる人材は、中々求めがたいものだ。元々は、好奇心と想像力なのだ。これは、人間を人間たらしめている源泉だといっていいほど、遍く具備された力である。だからそんなに難しい事ではない筈なのに、と思うのだが・・・
2005.07.16
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◇金曜日:旧暦六月十日 庚子(かのえ ね)盆、上弦の月このところ還暦を過ぎて尚、意気軒昂に社会で活躍されている先輩に、何人も続けてお目にかかった。皆さん半端でなく「大活躍」のご様子で、「お若いですねぇ」などといい加減なお世辞など相応しくない。老いという概念自体に無縁でいらっしゃるようだ。思うに四十歳を過ぎた辺りから物理年齢と精神年齢は乖離を始めるようだ。個人差が大きくなる。ある人は、物理年齢は進んでも精神年齢は若いままだし、別の人は精神がどんどん老化していく。五十歳代の半ばくらいになると、この個人差は無視できないほどに大きくなってしまう。小さな声でボソボソ話す。周囲から孤立して自らの世界に閉じこもる。一つ事を始めると、他のことが目に入らない。新奇なことに近付こうとしないばかりかむしろ遠ざかろうとする。・・・・・精神の不老長寿の秘密は、好奇心と想像力だと思う。全ての精神活動が停止する「死」をゴールと考えれば、成長期を過ぎた精神はその活動速度を緩やかに落としていくはずだ。そういう過程に働いて精神を刺激し、活性化するのが、好奇心と想像力だ。好奇心と想像力の向かうところは「未知」である。「未知=未だ知らざる」「未だ」というベクトルは、今に発して未来を向いている。一切が停止する終焉を目指すものどころではない。ね?だから不老長寿。精神の容れ物が古びていくのは仕方がない。靴だって鞄だって長年使えば色は褪せるし皺もよる。しかし、好奇心と想像力が活発である限り、精神の老いはとめることができる。むしろ若返ることも可能だ。郷里に住む僕の母親も、容れ物はやむなし、相当にくたびれていらっしゃるが、老いて尚好奇心旺盛である。とうに八十歳を越しているのに、パスポートの期限が切れたといって更に十年更新するんだと、何事も無げにおっしゃる。先般来お目にかかるく機会を得た諸先輩共々、世の中にActive Seniorがどんどん増えれば、わが国も捨てたものじゃない。かなり面白いことになろうというものだ。
2005.07.15
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◇木曜日:旧暦六月九日 己亥(つちのと い) 熊野那智大社扇祭昔理論物理学なんてモノをやっていた所為で、日本語には敏感である。(説明になってない…か?)他人ひとサマの用語法や、構文法が妙に気になる。気になるだけなら良いけれど時に癇に障る。別にわが国固有の現象ではないと思うが、母国語に対する感性はどんどん変質しているようだ。否定の修飾語であったはずのものが、いつの間にか肯定形で使われるようになった。「チョー普通」などと、僕の頭の中の論理構造がひっくり返されるような表現もフツーに使われるようになっている。こういうのは例を挙げればきりが無い。良し悪しではなく「変質」とニュートラルに云っておくのは、言葉というのは時代とともに変化していくものだと思うからだ。それに、そう云っておかないと、若者から「オジ」だとか「ウザイ」と云われてしまう。僕だって人の子、そうは云われたくない。「良し悪し」とは畢竟ひっきょう好悪のことだ。好悪のことであれば僕個人の局所的な意見だから、存分に云っても構わないだろう。一頃「…じゃないですかぁ」とやたらに云って回る語族が大量に出来しゅったいして、ムカムカ苛々させられた。語尾の「…かぁ」は音程を下げ気味に発音される。或いは時に「か」に強勢が置かれて「ぁ」を下げ気味に発音されたりもする。典型的には「私ってこういうヒトじゃないですかぁ」などと使われる。そしてこの後には、例外なく自己弁護か或いは手前勝手な主張が続くのである。最近では、「メール送ってあります。」だ。今時のオフィスは例外なくといっていいほどIT化されている。一人ひとりの机上にパソコンが据えられ、そのパソコンはLANで相互に結ばれ、そしてインターネットの世界に繋がれている。情報の収集や分析・集計をパソコンで処理するのは当たり前だ。業務の指示や連絡はメールで届けられる。おかげで、オフィスの雰囲気は一変した。一言でいえば静かになった。電話でやり取りする代わりに、メールで連絡することが圧倒的に増えた。だから、キーボードでカシャカシャカシャ・・・社内の連絡もメールでカシャカシャカシャ・・・カシャカシャカシャ・・・そうやっていれば、仕事をしているフリができる。楽なもんだ。メールは、一斉同報といって、数多くの人に同じメッセージを一挙に伝えることが出来る。To:やcc:それにBcc:などの宛先区別の機能を利用すれば、微妙な伝達構造も作ることが出来る。それに記録も残る。電話と違って相手の時間を拘束しない。要するにうまく使えば非常に便利で強力なコミュニケーションの手段になる。しかし、メールは全てではない。直接会って相手と話すことが叶わない状況での次善の手段でしかない。一瞬見せる発語の逡巡、微妙なイントネーションの変化、強弱のリズム、うっすらと額に滲む汗、目の動き・・・そういった、相手や自分の気持ち・感情を伝えるには、メールは如何にも非力である。だから、携帯メールなどでは、絵文字が多用される。ビデオ画像付きメールが流行っているのも、メールの非力さを補うための方策であろう。ところが、これを理解しない連中が増えている。何を隠そう、僕が以前に関わっていたWang Laboratoriesというアメリカのメーカーは、世界で始めて電子メールを実用化し、この分野のリーダーとしての地位を誇っていた。1980年代中頃のことだ。その時すでに、「Use of mail vs. abuse of mail」というのが社内での議論になっていた。要するにメールを「発信してさえおけば事足れり」という態度が社員に蔓延することを予感しての議論だった。メールは基本的に「対話」にならない。そして、問題が解決したり、新しい着想が出てくるのは「対話」からなのだ。そこで、「メール送ってあります。」だ。例えば社内で少し離れたところにいる社員に声をかけて、「おーぃ○△■君、あの件どうなった?」とたずねると、「その件はもう送ったメールに書いてあります。」と、こういう返事が返ってくる。なぜその場で説明しない?或いは、「例の件ですが、詳しい説明はメールで送ってありますから、時間のある時に読んでください。」などと、予め口頭で報告しない?5キロも離れたところに居る訳じゃない。5メートルと離れていないところに席があるのだ。「メール送ってあります。」の後には、『だから、自分はもう責任は果たした。未だ読んでいないのですか?めんどくさいなぁ。大体読んでないあなたが悪いんでしょう・・・』などという気持ちが透けて見える。この辺は、その押し付けがましくも無礼である点で「私ってこういうヒトじゃないですかぁ」と同類である。
2005.07.14
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◇水曜日:旧暦六月八日 戊戌(つちのえ いぬ) 盆迎え火 東京靖国神社みたま祭新暦では今日から盆である。会社の近くの靖国神社でも、提灯をともして祭礼が始まった。しかし、新暦でやると今年もそうだが、お盆も未だ関東地方では梅雨の最中である。しとしとじめじめする中で迎え火や送り火などといっても、どうも余りしっくりこない。さて、「槿」と題した7月11日のブログに、唐辛子などという、名前からすれば隣の異国から輸入した「武器」を以って、優雅繊細なるわが民族本来の味覚を破壊せんとする。と書いたら、我が博学なる畏友から下記のご指摘をいただいた。彼は以前にも僕が、「江戸前のタコ」とかなんとか、いい加減な事を書いたら、「江戸前というのは東京湾のことを云うのだ。江戸前の海でタコなぞ獲れる訳は無いから、江戸前のタコとはおかしい。」とご指摘をいただいて、冷や汗をかいた事がある。僕には、調子に乗ってついついいい加減な事を口走る(じゃ無かった「キー走る」だな)悪癖がある。彼のツッコミには往々にして汗顔の思いはあるが、ありがたいことである。さて、曰く;唐辛子は『原産地、西蔵あたりから西へもたらされたのが主に甘口、ピーマン、パプリカ。南回りで東へは主に辛口が伝播して、日本にはトウガラシ、タカノツメ。辛くないのではシシトウ。韓国では何と呼んでいるかは、不勉強で知りません。 日本へは南からきたので、九州ではナンバンと呼んでいます。南蛮漬けなどこの手合い? 韓国へは、秀吉軍が日本から持ち出しました。従って、唐の字に引っ掛けて「隣の異国から輸入した・・・」は、不適切ではないだろうか。』<中略>『さて、この来歴の故に、ある(=誰か忘れた)ブンカ人によれば、トウガラシとは、日本が韓国にもたらしたたった2つの良いもののうちのひとつとか。』だそうだ。 なるほど、そうであったか。…知らなかった。調べてみたら、唐辛子の類はアメリカ大陸が原産であるようだ。そうなると、件の文章は変えなければいけない。元来はアメリカ原産の食材を我が国で「唐」などという別ブランドに仕立てて、これをお隣の韓国に輸出し、挙句の果てにこれを使った韓国製のレシピ攻勢にさらされている。そういうことになる。・・・・なんだ、半導体や家電製品と同じことじゃないか。結局我が国伝統の浅薄さのはねっ返りを受けているだけということか。かくなる上は、妙な濡れ衣を着せてしまったお隣さんに陳謝。
2005.07.13
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◇火曜日:旧暦六月七日 丁酉(ひのと とり)福島伊佐須美田植え祭、大阪生国魂神社夏祭り福島では今日は田植え祭りだという。東北ではこんなに遅くに田植えをするのだろうか?さてさて、「夢見るぺちゃ」さんは、「ありがとう」の衰退を嘆いておられる。又、「釈迦楽教授」は、目の前でドアを閉めて平気な学生のマナーの無さに憤慨していらっしゃる。ご尤も。僕自身も最近車同士の小さな事故に行き会って、同様の思いをした。細い道で対向車とすれ違うために、少し広くなった場所で隅へ車を寄せた。対向車の後にはもう一台の車が続いているので、これもやり過ごさなければいけない。対向車は所謂SUVで、結構な車幅がある。この車が、すれ違いざま待っていた車のお尻に自分のお尻をぶつけた。明らかに自分の車幅を見誤ってのハンドル操作ミスだ。事故といっても、ゴツンと音がして、少しこする程度のものだったが、この後がいけない。SUVから降り立ったのは、いかにも育ちの良さそうな”オジョータマ”である。しかしこのオジョータマは、いきなり「警察を呼びましょう」と甲高くもか細い声でおっしゃる。待っていた方の車は良い迷惑だ。どうも急いでどこかへ行く用事がお有りの様子で、自分の車のお尻を眺めて、それがちょっとした補修で治ると思ったのだろう。「一応免許証と名前だけ控えさせてください。」そうおっしゃる。つまり、当然のことながら彼は被害者だと思ってのことなのだ。件のオジョウタマは、「警察を呼びましょう」の後は、「お父さまに電話をします」と、携帯電話で何やら話している。要するに、彼女には状況が分かっていない。明らかに自分の運転ミスなのに、そういう意識が無いものだから、単純に警察に頼ろうとする。挙句にお父様だ。自分が何をしたのかを分からないのは愚かである。しかも当事者としての責任などはなっから意識になく、警察だお父様だと他に権威を求めて憚らないのは、自分を無垢なバカだと喧伝するのと同じで言語道断だ。何より、事故を貰ってしまった形の運転者は、オジョータマのこういった発言によって、段々本来の被害者としての地位を剥奪されて行った訳で、お気の毒であった。周囲でやむなく事の成り行きを見守らざるを得なかった我々が、このオジョータマの態度を不愉快に感じたのは何故か。それは「済みません」の一言が金輪際無かった所為なのだ。相手に対しても、狭い道ゆえに決着が着くまでの間、付きあわされて待っていなくてはならなかった我々にも、「済みません」の一言さえあれば、その場の気分は随分違ったものになっていただろう。こういう「小さな気配り」は英語ではCheap Moralという。「ありがとう」は、Thank you. Thanks. Appreciated.だ。ドアを支えて、時に「お先にどうぞ」は、Please.の他にAfter you. Follow you.などという。Excuse me.というのは誰でも知っているだろうが、これは文字通り「吾を大目に見よ」で、日本語では「失礼」だ。軽く云うにはSorryで、イギリスの街中では「ソリー」「ソリー」とのべつ耳にすることが出来る。もうちょっと気取って云うと、Pardon me.となるが、これを白人特有の朗々たるバリトンで頭の上方から言われると、謝られたはずのこちらが何だか情けなくなってしまう程だ。それでも、Cheap Moralと云うとおり、さほどの心が篭っているわけではない。要するに、「吾は汝の敵ならず」という姿勢を相手に示す符牒の様なものだ。元来言葉と言うものは、先ずはお互い殺し合いに及ばなくても良い無害な存在なのだという意思表明をするところに生じる。それが本来なのだ。人里離れた山道で行き会う人に、「今日は」と声を掛けるのは、挨拶してお互いをねぎらうという訳ではない。先ずは自分は狐狸妖怪の類でなく同じ人間であり、汝に何等害意を持つ者ではない、と宣言する意義があるのだ。後に続く人の鼻先でドアを閉めるのではなく、形だけでもドアを支えて会釈をするのも同じである。ドアの一つや二つ、自分で開けられなくてどうする。だけど、鼻先でピシャっと閉まったドアには、やはり敵意を感じる。仮に数センチに過ぎなくても、前の人が支えていてくれれば、実質的に自分で開けなくてはならないにしても、気分は良かろうというものだ。ありがとうも、済みませんも同じである。こういうものに深い意味を持たせるのは行き過ぎだ。元来がCheap moralというのは、大勢の人間が共存していくための約束事、潤滑剤なのだ。だからこそ、こういう約束事すら身についていない連中が問題なのだ。潤滑剤を知らない人間が増えてくれば、世の中に摩擦が生じる。そうしてギスギス、ギクシャクした雰囲気が蔓延して、社会全体が不愉快になってくる。敢えて言えば、心根なんかはどうでもいい。心で何を思っていようがどうでもいい。バカでもチョンでもいい。せめて、お互いに無用な摩擦を生じさせないための約束事くらいは守れるような人間であって欲しいと思うのである。
2005.07.12
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◇月曜日:旧暦六月五日 丙申(ひのえ さる)俳聖芭蕉の一句に、「道のべの槿は馬に食はれけり」というのがある。名句だといわれている。そうか、と思う。例えば「一灯に皆花冷えの影法師」という句がある。こちらの方が情景がふわっと脳裏に浮かび、自分もその場にいるような心持すらして好きだ。道端に咲いている槿の花を、行きがかりの馬がパクッと食べたんだろう?そのまんまじゃないか。そこで、槿だ。ムクゲは葵科に属する。日本で親しまれる芙蓉とは親戚筋である。そしてこの花はお隣の韓国の国の花でもある。韓国ではこの花は「無窮花」と書いて「ムグンファ」と発音する。日本の音読みでは「ムキュウカ」とか「ムキュウゲ」と読める。これが転じて「ムクゲ」になったのだそうだ。槿の花は、朝に開くと、午後三時過ぎにはもうしぼんでしまう。だから、「槿花一朝の夢」(きんかいっちょうのゆめ)といって、わが国では儚いもののたとえにされる。一方で、槿は梅雨に入る頃から10月頃まで、庭先や生垣にダラダラ延々と花を咲かせる。だから槿の木全体を見れば、長期間にわたって華やかに栄えているように見える。それで彼の地では「無窮花」として、国の繁栄の象徴とされ、国花にまでなった。この考え方は、要するに「一国栄えて万骨枯る」じゃないのか?好きになれないなぁ。彼の国と我が国は、その情において以前より近親憎悪的な関係にある。それが昨今は、我が国の公共放送を手先にして、中年のヤマト・オバ族の、本来はたおやかにして忠節なるべき(???)心根を盛んに凋略し、ありもせぬ「ガキンチョとの純愛」の夢を追わせたりする。唐辛子などという、名前からすれば隣の異国から輸入した「武器」を以って、優雅繊細なるわが民族本来の味覚を破壊せんとする。北の同族に至っては、国民を飢えさせておきながら、剣呑な飛び道具を作って我が国を脅かす始末だ。それもこれも、全体を見て「無窮の栄え」などと喜び、一輪々の花の命をないがしろにして恥じないところから来ている。・・・のではないか?色々そういうことを連想し始めると、槿の花もどんどん詰まらなくなってくる。しかし、僕にはこの花にまつわる少し甘酸っぱい思い出がある。郷里の街を流れる長良の清流にかかる長良橋のほとり、昔風に縦長の格子を廻らした家の並ぶ一角がある。今では希少になってしまった、柿渋を塗った和紙で団扇を作る店などが並ぶ、閑静な街筋である。そこに「玉井屋」という屋号のお菓子屋さんがある。このお店は求肥を鮎型のカステラで包んで焼いた「登り鮎」や、「利休松風」、それに「味噌松風」などという和菓子を作る老舗である。(http://www.tamaiya-honpo.com/)就職してから二度目の夏休みに帰省した折、世話になっている上司にお土産をと思って立ち寄った玉井屋さんで、頼んだものの包装を待つ間、何のきっかけだったか若おかみが座敷に上げてくれ、お茶を振舞ってくれた。その部屋の床の間に置かれた一輪挿しに槿の花が活けられていたのだ。昔風の奥の深い家だから、座敷もほの暗い。その中で、ピシッと絽をお召しになった若おかみの白い二の腕と、煤竹の花器に活けられた一輪の白い槿の花。何だか映画の一シーンのようだった。尤も、その場にもう一人、ぎごち無く正座する汗っかきの僕の姿は自分では見えていないから、このシーンからは割愛されているのだ。それに、思い出は美化されるのが常だから、実際の光景は、それほど美しいものではなかったかもしれない。ほの暗闇の一角、黒光りする煤竹にほっと灯をともしたような一輪の槿。対を成すように、黒の絽と若おかみの白い顔。微かに漂う伽羅の香り・・・・槿は僕にとってそんな思い出のまつわる花でもある。槿は集団で咲いているのを見てもつまらない。ひっそりと短命な一輪を愛でるのが本来というものだろう。「それがしも 其の日暮らしぞ花槿」- 小林一茶これなど、無窮花の対極にある発想で好きな句だな。松尾芭蕉君も、「道のべの馬は槿に食われ」てしまった方がまだ良かったかもしれない。この方が句の光景に遠近感が出て良いと思うのだが?
2005.07.11
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◇日曜日:旧暦六月五日乙未(きのと ひつじ)東京浅草観音四万六千日暫くぶりで訪れる街などで車を走らせていると、様子が一変していて戸惑うことがある。昔見覚えた路傍の目印が無い。景色に落ち着きが無い。建物の立っている向きがちぐはぐだ。神社の正面が見えない。お尻や側面ばかり目に付く。空を切り取る街の姿が目に馴染まない・・・・建物が新しくなっていてそう思うこともあるが、大抵は新しい道が出来ているせいである。財政再建の圧力で高速道路の新設や延長には、世の中がいささか慎重になって来ているのかもしれない。しかし、一般道の新設は、十年以上も前に作られた計画を後生大事に遵守して、適当に進んでいるのだろう。お役人に自発性や独創性を求めるのは酷というものだ。彼らは法律の忠実な執行者であり、決まったことはその通りに実行するのが官吏としての優秀さの尺度なのだから、上つ方から明確に「ダメッ!」と云われない限り、以前の計画の通りにダムも作れば、道も作る。計画が十年前だろうと二十年前だろうと、そんなことは構っちゃいない。だから、道普請はそれが引き起こす渋滞もものかわ、延々着々と続けられる。最早水が余っているのに、堰を作る。貴重な生物種の生息地であることがわかっても、却って流域の危険が増すかもしれなくてもダムも作る。道路だって構わずがんばって作るのだ。でも、新設の道は車で走っていてもちっとも面白くない。「早い」し「便利」だとは思うのだけれど、周辺はそっけない表情で、何だか景色にそっぽを向かれている中を依怙地になって走っているような気分なのだ。元来、道ができてから町ができたのだ。道の大本は獣道だったのだろう。けものの通う踏み跡を人様も利用させていただいていたはずだ。その内、獣の通い路とは別に、家と家、集落と集落を人が往還するようになった。そして、水の流れ、土地の高低、地盤の硬軟に沿って歩きやすいように土を踏んだ。それが続くうちに踏み分け道ができた。そうしてやがてそれぞれが合流して幅広の道が出来るようになった。道の別れには目印を立てた。疲れを癒すため、集い語るために、木を植え木陰を作った。地蔵を据え、社も作った。村の鎮めとなるような場所には神も祭った。そうして出来た道は、時に等高線に沿って程よく曲がりくねる。神社は道に面して鳥居を据え、いざないと、神域を画す印とした。こういう古来の道は歩いてみれば直ぐにそれと知れる。くねくねと曲がりくねっているけれど、その曲率や、角を曲がる都度の眺めの変化が心地よいのだ。人の心持との波長が合っているのだろうと思う。やがて、人間が動力と車輪を我が物にした時に状況は変ったのだろう。道は拡幅され、その際に微妙な屈曲は削り取られ、或いは短絡した。高きは削られ、低きは埋められて、道はより広く、直線的に平坦に作り直されてきた。都会では、都市防衛や防災上の理由で、家々まで取り去られて道が作られた。こうして、道はやがて元来の集落同士から、道同士をつなぐものへと変化した。ネットワークをノード(結節点)中心に考えるポリシーから、経路を主眼にするポリシーへと変化したわけだ。ポリシーが変化して以来の道は、住まいや社などは度外視している。こういう道は街の景観すら変えてしまう。だから、便利だけど詰まらないのだろう。けものも通わぬ人工的な道のほとりには、ファミレスや大型スーパー、それに車用品や衣料・家電の量販店など、大規模且つ没個性的な景色しか似合わないのである。
2005.07.10
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◇土曜日;旧暦六月四日 甲午(きのえ うま) 浅草観音ほおずき市、鴎外忌ほおずきというのは、東アジア原産の茄子科の多年草である。英語ではChinese Lantern Plant(中国提灯草)といい、和名では「鬼灯」と恐ろしげな漢字を当てる。鬼灯を市で商うのは、東京は浅草の観音様が有名である。七月十日は四万六千日という観音様詣での特異日だ。元々観音様の縁日は毎月十八日とされていたが、室町時代に、それだけでは中々集客できないと思った知恵者が「功徳日」というのを考え出した。つまり、功徳日に観音様に参詣すれば、その一日の参詣だけで、百日とか千日参詣したと同じだけのご利益を受取れる、というわけだ。何のことは無い、スーパーで特売日にクーポンを普段より二倍、三倍と配るのと同じことだ。大体人間の考えることは、古来余り変りがない。功徳日の中でも七月十日は大盤振る舞いの日で、この日のお参りは千日分のご利益があるとされた。この日は「千日詣で」と呼び習わされて観音様の境内は「手抜きをしたがる善男善女」で大いに賑わったのである。暑さも暑し、放って置けば夏枯れで閑古鳥も鳴きかねないこの頃に、観音様が集客するための戦略でもあったのだろう。やがて時代が下って江戸時代(18世紀)になると、浅草の観音様が抜け駆けをして、この日の参詣のご利益をなんと46倍にした。つまり千日詣でを四万六千日詣でにしてしまった。大型量販店が乗り込んできて、べらぼうな安売り合戦を仕掛けたというわけだ。そうなると、手抜きをしたい信者がどんどんやって来る。それを放っておいては商人の沽券に係る。人の集まるところ金ありだ。それで、元々薬草として珍重され、千日詣での縁起物として売られていた鬼灯を「鬼灯市」と仕立て上げて展示即売することにしたのだ。明治の中頃の事だという。それまでは縁日で鬼灯を売るのは東京は芝の愛宕神社が元祖筋で、江戸中期からの伝統があったのだそうだが、如何せん46倍ものインフレ商戦を仕掛けられてはひとたまりも無い。功徳日も鬼灯市も、本家筋を浅草の観音様に持っていかれてしまったのである。神仏の世界も、商才がないと中々伝統だけでは立ち行かないものなのだ。イベントがあると一番乗りをしたがるのは人のさがである。十日の四万六千日に一番乗りをしようとするものが増えてきて、前日の九日も「手抜き信徒組」が参詣するようになった。それで、鬼灯市は九日から催されるようになった。そういうことなんだそうだ。ところで、鬼灯の実は、口の中でくちゅくちゅブゥブゥ遊ぶだけでなく、ちゃんと食べられる。しかし、本来は薬草なので余り美味しいものではないのだろう。これを改良した「フルーツ鬼灯」というのがある。東北地方で作られているようだが、色が赤ではなく、黄色である以外は普通の鬼灯と違わない。僕はどこかの料理屋で二三度いただいた記憶があるが、冷たく冷やしたのをいただくと、甘酸っぱくジューシーで中々美味しいものであった。
2005.07.09
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◇金曜日:旧暦六月三日 癸巳(みずのと み) 天一天上この文章、一行目には毎日の干支(カンシまたはエトと読み慣わす)を書いてある。所謂十干十二支である。昔の中国、殷の時代には太陽は十個あって、順番に毎日登ってくると信じられていたのだそうだ。それで、毎日の太陽に甲乙丙丁戌己庚辛壬癸と”番号”を付けて区別することにした。それが、わが国に伝わって十干になった。わが国では十干を、順に甲=きのえ、乙=きのと、丙=ひのえ、丁=ひのと、戊=つちのえ、己=つちのと、庚=かのえ、辛=かのと、壬=みずのえ、癸=みずのと、とそれぞれ読んでいる。どうして普通に「こう・おつ・へい・・・」と読まないのか?これは、陰陽五行説というものが根拠となっている。何れも昔の中国から渡来した考え方なのだ。五行説とは、自然は「水火木金土」の五つの基本要素でできている。だから、これをバランスよく統べることが、国を恙無く治める原理原則であるとする考え方だ。それで、十干の十個の”番号”を二つずつに括ってできる五個のペアを、順に「き=木」、「ひ=火」、「つち=土」、「か=かね=金」、「みず=水」と名付けたのである。さてもう少し。今度は陰陽説だ。これは、世界は必ず互いに相反する要素を含んでいる。そして片方の消長は一方の消長と表裏になって連動しているとする説だ。なるほど、明暗、正負、火水、天地、表裏、上下、虚実、凸凹、男女、剛柔、善悪、吉凶など、世の中は対立概念同士の拮抗だと思えば、分かり易い。わが国では、陰陽を兄と弟になぞらえ、兄を陽、弟を陰とした。こうなれば、十干には、順に兄、弟、兄、弟と当てはめていけば、陰陽の5セットが出来上がる。上述の五行と組み合わせると、「木の兄=きのえ」、「木の弟=きのと」、「火の兄=ひのえ」、「火の弟=ひのと」・・・となる。十干のよみは、こうして理屈っぽく出来上がっているわけで、表記された漢字とは何の関係もないのだ。さて、暦のバリエーションが十個しかないのでは、変化にも乏しくなんとなく神秘性にも欠ける。そこで十二支が登場する。十二という数字は、一年の月数と同じで、完全数”6”の2倍だ。だから神秘性のある数字だと思われたのだろう。時間や方角、天球上の位置を表す尺度として使われるようになったことは、何となくすんなり理解できそうだ。子丑寅戌・・・などの漢字は元々動物とは関係なかったけれど、庶民にとっては覚えやすいものだから、どこかの知恵者が十二種の動物と結びつけた。まぁ、「九九」みたいなものだな。十干と十二支を合わせると、10と12の最小公倍数は60になるから、60種類の異なる組み合わせができることになる。60個もあれば、このバリエーションは日常的感覚では「沢山」であるし、又一方で「沢山すぎる」と言うことも無い。丁度いいのだ。だから、今日の癸巳(みずのと み)は、「水の陰の巳の日」ということになるのだ。昔の人の発想はまだまだ続いて途切れない。今日の癸巳を発して戊申(つちのえ さる:今年は七月二十三日)までの16日間を「天一天上」という。この期間天一神という神様(帝釈天のご家来だとか?)が、天上で骨休めをなさるのだという。この神様は、天一天上以外の44日間は、地上を順に巡り歩かれるのだそうで、その時々に天一神のいらっしゃる方角に直接に向かって行ったり、そちらの方角に向かって事を起こすと、祟りをこうむるとされた。つまり、地上での天一神の方角は「物忌み」の対象とされたのだ。だから、今日から16日間は、我々はどちらの方角にも自由に出かけられるし、適当な方角に石を放っても罰が当たることはない。と、思ったら天一神がいらっしゃらない間は、日遊神という神様が地上にいらして、それもそれぞれの家の中に居座っておられるのだそうだ。だから、天一天上の期間は、家の中をちゃんとお掃除して清潔にしておかないと日遊神の罰が当たるのだという。中々気が抜けないようになっているものなのだ。毎年最初の天一天上の初日に雨が降ると、その年は豊作になるという。今年最初の癸巳の日は一月九日(日曜日)で、調べてみるとこの日は全国的に晴れだったようだ。そうなると、今年の稲作は大丈夫なんだろうか?・・・・こうしてみると、暦や占いというものの本質が見えてきそうだ。つまり、根本で適当に数理的な根拠らしきものを立てておいて、数十から数百程度のバリエーションを展開できるように、独善的であろうがなんだろうが体系化された仕組みさえ作っておけばよろしい。もっともらしい顔をして、なにやら数字をいじくったりして、いい加減な説を唱えて周辺を煙に巻くことができるというわけだ。それでも、これをインチキだと、一概に非難することもできなかろう。民草は何の制限もない「自由な」世界には住み難いものである。特にわが国ではそうである。「九時に会社は始業する」とされていれば、ラッシュを押しても間に合うように出社するのが「正しい」と思い込み、唯々諾々とこれに従って良しとする。早く来れば疎まれるし、遅く来れば遅刻だと蔑まれる。お上がお休みを続けて設定してくれれば、混んでいるのは重々承知で、一斉に休んで行楽地に疲れに出かけなければ気がすまない。事情でどこへも行けないと、外聞が悪いと雨戸を立てて出かけたフリをする。だから、何だかもっともらしい根拠をかさに、「家を綺麗にしろ」とか、「今日は西の方角に行ってはいけない」などといわれれば、その通りに従うのを善とするのである。こういうものが無いと、民草は烏合の衆となりがちなのだ。・・・やれやれ。
2005.07.08
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◇木曜日:旧暦六月二日 壬辰(みずのえ たつ) 小暑、七夕今日は二十四気の「小暑」。いよいよこれから夏の暑さも本格化してくる。夏といえば思い出すのはセミの声だ。僕の郷里では、初夏の頃にはニィニィゼミという小ぶりの蝉が出てきて、盛夏になると、方々で五月蝿いほどにアブラゼミが鳴いていた。少し山の方に行くと、ミンミンゼミやクマゼミ、つくつく法師なども混じって鳴く。アブラゼミは人家の近くまで飛んでくるし、他の蝉と較べて少しのろまでもあるようだ。だから、僕は素手で捕まえるのが得意だ。鳴いている蝉の背後、斜め後ろからそぉっと掌を近づけていく。蝉の複眼の死角を狙うわけだ。気付かれさえしなければ難なく捕まえる事が出来る。学生の頃、思い立って友人を訪ねて京都に行った時、御所の外苑の林で、このやり方で佃煮になるほどのアブラゼミを捕まえて呆れられた記憶がある。日本の蝉は、卵から成虫になるまでは約七年間を要するといわれている。アメリカにはもっと凄いのがいる。中北部に生息する十七年ゼミと、南部の十三年ゼミだ。蝉は、成虫になると二週間ほどの命だから、彼らの「人生」は地中にあるといって良い。地上に出てくるのは、繁殖のためだから、種の存続のためには重要なのだが、蝉を捕食する虫や鳥、そして僕のような天敵がいるから、蝉にとっては危険極まりない二週間となる。何故十七年とか十三年なのか。17も13も「素数」である。素数とは「1と自分自身以外の数では割り切れない自然数(正の整数)」である。因みにアブラゼミの七年も素数である。捕食者の世代サイクルは概ね二年~三年である。だから、こういう天敵の捕食能力のピークは、2或は3の倍数になる。ところが、17も13も素数だから、運悪くある時大量の天敵に食われてしまっても、次に同様の危険にさらされるのは十七年ゼミの場合は34年後か51年後のことである。十三年ゼミの場合は、26年後か39年後のことだ。その間には天敵を畏れる必要の無いサイクルが最低でも一回はあるから、種の保存は保証される事になる。不思議なのは、何故蝉が「素数」などというものを知っていて、一斉に大量発生するかということだ。恐らくは最初の頃は蝉の「各個人」はバラバラで、適当に地上に出てきては捕食者に食われていたのだろう。その内に捕食者のサイクルと外れた蝉が多く子孫を残すようになってきた。それに連れて蝉の体内時計も素数に同期するようになってきた。1の次の素数は3だから、先ず三年ゼミ。でもこれでは捕食者とほぼ同じサイクルになってしまうから効果が無い。次の素数は7である。我が国の蝉は仏教に帰依しているから、食物連鎖を維持するためにあえて多少は食われても止むなしという境地に落ち着き、七年ゼミになった。アメリカの蝉はそうは行かない。我が強いし、キリスト教という元来が復讐を旨とする宗教の帰依者だから、次の素数11を目指した。そして、11にも飽き足らず、13と17という素数に落ち着いた。「ここまでくればザマァミロ」ということなんだろう。それに、卵から成虫までの期間が余り長くなりすぎると、地上の環境自体が変化しすぎてしまい、天敵よりももっと恐ろしい絶滅の危険も生じる。こうやって、元来バラバラだった行動が次第に同期していくことを、自己組織化といって、生物界では当たり前の事なのだ。何も神の意志が働いているわけでも何でもない。自己組織化や同期には、他にも様々な例があり、実はこれを解き明かす事が人間の社会行動に潜む謎を解き明かす役にも立ちそうだと考えられるようになってきた。そういう背景で今発展を始めているのが、「複雑系ネットワーク」の分野である。余談だけど、オーケストラの演奏が終わると拍手が巻き起こるが、アメリカのコンサートホールでは、いつまでも拍手はバラバラのままで、一定の減衰率で音量が落ちていくのだそうだ。ところが、東欧のコンサートホールだと、バラバラの拍手は段々同期していって、最後はコンサートホール全体に響き渡る、歩調の取れた手拍子になるのだという。これも自己組織化の一例なのだが、何故東欧では?と考えると中々含蓄がある。お隣の大国ではどうなのかは興味をそそられる話だ。アメリカの十七年ゼミは昨年が大発生の年であった。
2005.07.07
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◇水曜日: 旧暦六月朔 辛卯(かのと う) 東京入谷朝顔市旧暦では今日から六月。旧暦の六月は新暦とは異なり大の月で30日間ある。朔望の朔とは、新月の事だ。つまり今日の空には晴れていても月は見えない。小学生の僕と妹が高く伸びたトウモロコシの前で並んで写っている一枚の写真がある。僕は虫捕り網を地面に立ててはにかみ気味に笑っている。妹はレンズを睨み据えて顔をしかめている。数本のトウモロコシを仰角気味に写した写真で、背後はにょきにょきと成長途中の真っ白な入道雲と青空である。僕の亡父が写真を撮るのが趣味だった所為で、故郷の母の家には几帳面に整理されたアルバムが何冊も残っている。その中の小学校低学年の頃のアルバムの中の一枚だ。父はこの写真を痛く気に入っていたようで、アルバムを引っ張り出しては「この入道雲がいい具合に写ってるんだよなぁ」と感じ入っていたものだ。無論当時の写真だからモノクロである。でもこの写真を見るたびに、じりじりと肌を焼くような暑さと、濃紺に近い青空、それに眩しい入道雲を昨日のことのように感じる。サウスバウンドという小説を読んで、久しぶりにこの写真を思い出した。上原二郎という小学六年生の男の子が主人公の小説である。彼の父親は、もと革共同(懐かしい!)の活動家で、今は小説家志望のアナーキスト。母親は、家計のために近くで小さな喫茶店を経営しているが、過去にはやはり色々な歴史があるらしい。小学六年生は、無邪気な子供時代から徐々に大人の世界が分かり始める微妙な年齢だ。二郎君も、中学生の不良やその手下の同級生との確執に巻き込まれたり悩んだりする。子供には子供の世界があり、その世界に固有の仁義やルールというものがある。不良に金を巻き上げられても、下級生から金を巻き上げるのを強要されても、自分たちで智恵を絞って解決しなければならない。親や先生に相談などしても解決はしない。却って問題は大きくなるばかりだ。どうして大人はそういう点に無神経なのか。大人は子供の世界に介入出来ないのだ。そう思いながら、公権力には派手に食って掛かるのに、ぶらぶらしてちっとも働かない父親を苦々しく見ている。そのうち一家は、あることがきっかけになって西表島に引っ越す。廃屋を修繕し、そこで自給自足のランプ生活を送るようになる。食料でも家庭用品でも、農機具や耕運機までも、当たり前のように共有するという生活が始まる。ぐうたらだと思っていた父親も、この地の勇敢な英雄を先祖を持ち、村人からは尊敬される人間である事が知れる。そのうち、島のリゾート化を進める勢力との軋轢が生じ・・・・まぁそういうストーリーだが、南国のメリハリのはっきりした自然を髣髴とさせるような描写で、後半ぐいぐい引き込まれていく。子供の頃の気分が甦ってくる。(登り棒に登って行く途中で、未知の快感の予兆に陶然となった記憶は、男性ならば共通のものでしょう?)作者は奥田英朗といって、1959生まれだそうだから、所謂「全共闘世代」ではない。それより一世代若い。僕とは同郷のようだ。かれは2004年に「空中ブランコ」という作品で直木賞を受賞したそうだが、このサウスバウンドを読むまで全く知らなかった。未だ明けぬ梅雨空の鬱陶しさを忘れるには良い小説だ。サウスバウンド 奥田英朗 角川書店 2005年6月 ISBN4-04-873611-6 C0093 \1.7K
2005.07.06
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◇火曜日:旧暦五月二十九日 庚寅(かのえ とら)栄西禅師忌脈絡もなく、夏休みに伊吹山に登ったときのことを思い出した。中学時代だったと思う。仲の良い友人と夜から登山を始め、山頂でご来光を拝もうという企画だった。伊吹山は1400メートル超の石灰岩質の山で、百人一首にも出てくる。「かくとだにえやは伊吹のさしも草 さしもしらじな燃ゆる想いを」だ。さしも草というのは、要するに「もぐさ」。つまりはお灸の材料だ。この詩はもぐさにかけて、鬱屈した恋心を唄ったもので、伊吹山自体を詠んだものではない。しかし、濃尾平野に住むものから見れば、西を仰げば空を区切って居並ぶ稜線の中で最も高いのが伊吹山であり、更に西に広がる「都」との隔てを否応なく思い知らされる存在でもある。冬になれば、濃尾平野をびょうびょうと吹きすさぶ冷たい西風は伊吹おろしとも呼ばれる。登山道に取り掛かってひたすら登った。石灰岩質の山肌だ、昼間に登っても大して変化もなかろう景色が、夜中だから余計に殺風景だ。休憩を入れて仰ぐ空は、高みに行くほどに、恐ろしいほどの星空になっていったが、ひっくり返って存分に堪能するわけには行かない。何しろまず登らなければならない。友は登っていく。努力家だけど普段はパッとしないで、社会的にはもっぱら僕が仕切っているような男なのに、妙に決然と、しかし淡々とモノも云わずに足を運んでいる。こちらは、いつまで登るのだと、だらだらけじめの見えぬ行程と、余りに静かで着実な友の動きに苛々させられる。ふくらはぎの筋肉も悲鳴を上げ始める。最後にとうとう我慢がならなくなって、少し平坦な所に至ったのをいいことに、「おい、もうやめだ。もう沢山だ。ここまでくれば、日の出だって見えるよ。もうここでいい。」と怒鳴った。そうしたら彼は振り返って、その動きと同じような静かな声で、「頂上に着いたよ」。・・・・ったく。僕はいつもこうなんだ。本当は空を飛べるんだから、何も苦労してゴロタ道を延々と汗を流して歩かなくてもいいのに、友の酔狂に付き合って、それで自分のほうが音を上げてしまう。切れそうになって「もうやめた!」とケツをまくると、実は全ては完遂されて終わっている。周りからは失笑を買う。恥ずかしくて死にたくなる。結局、その辺りが僕の限界なのかなぁ。なんだか象徴的な記憶だ。山頂で日の出を待つ間、憮然としながらも喉が渇いてヒィヒィいっている僕に、彼はその頃わが国で初めて発売されたばかりのカゴメの缶入りトマトジュースを奢ってくれた。生ぬるいジュースを一口呑んでウェーーッとなった。トマトをジュースにして呑む奴の気が知れなかった。友は美味しそうに呑んでいる。「コイツはやっぱり僕と違う。」と改めて思った。お互い幼馴染で、何の疑問もなく一緒になって遊んできた友との、犯しがたい距離を感じ始めた、最初の経験だった。その後彼は、夏目漱石に傾倒した後、関西の大学の工学部に進んで大学院まで行き、電力会社の研究員になって、今でも活躍しているようだ。
2005.07.05
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◇月曜日:旧暦五月二十八日 己丑(つちのと うし) アメリカ独立記念日アメリカの独立記念日の今日、わが東京地方は梅雨模様で薄ら涼しい一日であった。アメリカの独立記念日というのは、1776年のこの日に全米各地から13の(主に現在のニューイングランド地方)の植民地州の代表が集まった「大陸会議」の席上、独立宣言書に署名されたのを祝う日なのだ。今を去る229年前のことである。因みに当然のことながら、大陸会議に出席したのは全て大陸から移民してきた「白人」だけで、黒人も原住民も呼ばれてはいない。しかし、独立宣言をしたからといって、独立をしたわけではない。実際アメリカとイギリスは1774年以来各地で戦火を交えており、この所謂独立戦争は独立宣言の後も7年間にわたって戦われるのである。アメリカが国際社会において正式に独立国として認められたのは、1783年にパリ講和条約に調印した時の事である。再び、今を去る222年前のことである。そうして、初代大統領であるジョージ/ワシントンが就任したのが1789年であるから、独立宣言の後13年間は実際には現地は混沌たる状況だったといえる。再々、今を去る216年前のことだ。ケッ。大した事はないじゃないか。自慢じゃないが、我が国では神君東照大権現が江戸を開府された「ついこの間」からだって400年は経っていらぁ。何だかんだといってもたかが200年程度の歴史しか持たない国だ。それ以前は「インディアン」(というとPolitically Correctではないらしい。しかし、PCなどという概念は歴史の浅いアメリカが吹聴して世間に広めた、迷惑千万なものだから。)と呼ばれる、我らがモンゴロイドの一族が、自然と一体になって”やおよろずの神”をあがめ、のどかに暮らす桃源郷だったのだ。それが今は世界に「民主主義と自由経済(と、本音ではキリスト教)」を広めるべく、心の内には石油とカネへの慾を秘めて、世界中何処にでもチャチを入れて回る国になりあがったのだから、エライもんだよ、ナァ。元々、大陸からの移民組がイギリスからの独立を勝ち取ろうと決起したのは、宗主国が理不尽なご都合主義と、べらぼうな植民地課税を押し付けてきたからに他ならない。そうやって「自由と民主主義」を戦って獲得した国が、200年ちょっとしたら他の国に何をなさっているかを見ると片腹痛い。病気かもしれない牛の肉を買え、リンゴの木を根絶やしにしかねない病原菌を持ったリンゴを輸入しろ、アメリカで売る車の値段を上げないと又貿易問題にするぞ、などなど。お隣の中国にたいして繊維製品の関税率を法外に上げるなどというのも含めて、目に余るじゃないか。未だ余り騒いでいないけれど、イラン問題ではいずれ日本はアメリカに強硬に苛められるのは目に見えている。そうすると我が国の生命線である石油を捨てて、アメリカに媚びへつらうか?かの国に限って云えば、理念は立派だけど、最近おやりになることはどうもけったくそ悪い。最もはた迷惑な言行不一致だな。それはともかく、7月4日はアメリカ国内の各家庭で花火を上げて遊べる唯一の日なのだ。アメリカではこの日以外は、家の庭で花火をする事は禁じられている!だから、我が国の夏の風物詩ともなっている、庭先で浴衣を着て親子で花火遊びをするなんて風情は、アチラにはない。時差があるから、実際にはこれからがアメリカの国を上げてのお祭の時間である。無論国民の祝日だから、既に夏休みに入っている学校は当然のこととして、会社も公共施設もすべてお休みである。この日は津々浦々で花火を上げ、深夜まで祝い騒ぐのだという。そうなるとテロも心配だな。アメリカ独立記念日は、映画の題名にもなったIndependence Dayというのが正式だが、殆どこの言葉が使われることはなく、The 4th of Julyというのが普通である。これは、フランスの革命記念日を「7月14日」(Quatorse juilletだったかな?)というのと同様である。
2005.07.04
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◇日曜日:旧暦五月二十七日 戊子(つちのえ ね)日本の家族は植物的だ。植物が根を張って、その根が地中を伸びていき、そこから芽が出て子の植物が生える。地上では別々の個体のように見えるけれど、地下ではしっかり繋がっている。お互いに栄養を送りあったりもする。そうして、家族のネットワークは広がっていき、やがて地下茎で結ばれた一族郎党が出来上がる。植物的な繋がりだから、土地との関係も密である。僕のように生まれた土地を離れて暮らすのは、一時的で仮の行為なのであって、だから真っ当な人間なら早く「帰って来い」ということになるのである。海外の連中と付き合っていると、色々な面で彼我の心根の違いに驚くことがあるが、家族、肉親に恬淡としていることもその一つだ。子供は早くから独立を求められ、少し大きくなれば、一つ屋根の下に暮らしていても、家族というよりある規律の下に置かれた同居人のようなものだ。長じて大学に入り、下宿住まいをしても親が仕送りをするなどということは稀だ。早く独立して、自分のことは自分で始末をつけなさい、というわけだ。親族が亡くなっても、お盆だからといってお墓参りに行ったり、仏壇をしつらえて毎日お線香を上げるなどという行事は一切しない。親類付き合いも同様だ。遠くの親類などいないも同然である。要するに自分の生きている空間で、何らかの相互関係があるもの同士の交際に集中しているわけだ。こういうふうだから、地縁も薄く、とんでもない遠くや異国でも、殆ど居抜き同然に平気で何度でも引っ越していく。はなっから根などは無いのだ。要するに家族や親族間の関係はコーカソイドにおいては動物的なのだ。コーカソイドの方は、子供は社会から預かった、何れ人間の仲間入りをさせなければならない動物だという意識が強い。幼い頃は差別とでも呼べるほどの厳しいしつけもするし、大人の生活に無限定に参加させたりしない。何となく日本人の感覚では、よそよそしく家族のぬくもりなどというものは感じられない。我がほうは、地下茎で結ばれた絆は固く、子供は親の所有にかかる愛玩物として育てられる。自立性を促し、社会性を叩き込むより、次代の家族の面倒を見るものとして、一族の後継者として見るほうが強い。はて、どちらが良いといえるのだろう?ただし、コーカソイドなどと十把一絡げの言い方をするのは本当は乱暴だ。以前仕事のつながりでお付き合いしていたテキサスに住むメキシコのおじさんは、お母さんと同居して暮らしていた。別の人は、遠来の僕を連れて近所の老いた父親の家に行って、一緒に食事をしたものだ。その会社の社長も社長夫人もメキシコ系で、夫人は独身だった僕を気遣ってお見合いの話まで持ってきた。「私はおっかさん型なのよ(I am motherlike)。」とか、「アメリカ人と違って、メキシコ人は家族の絆を大切にするのよ。」とよく言っていた。「イタリア人もそうだ。」とも云っていた。そうなると、コーカソイドといっても、ラテン系は違うのかもしれない。「動物家族」はアングロサクソンに固有の現象なのかもしれない。
2005.07.03
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◇土曜日:旧暦五月二十六日 丁亥(ひのと い)今日は「半夏生」だ。暦には雑節というのが有って、半夏生はその内の一つだ。二十四気は大体二週間おきに季節を区切るが、化学肥料も温室も無く、自然に密着しなければならなかった昔の農作業では、二十四の区分では粗っぽ過ぎた。だから昔の人は別に「七十二候」や「雑節」を設けて、更に季節の移ろいを細かく捉えようとしたのだ。「四季」は新幹線。「月」は在来線の特急。「二十四気」は急行。そう考えると「雑節」は準急電車というところか。半夏生は夏至から数えて11日目に当たる。今年の夏至は六月二十一日だったから、今日二日が半夏生になる。この日太陽の黄経は100°になる。妙な名前のこの雑節、昔は「未だ本格化しない中途半端な夏」だと思っていた。実際には、この頃半夏という植物が生えるからだということが知れてなるほどと思った。「中途半端な夏」なんて決め方では農作業の指標にはならないから、考えてみれば当たり前だ。半夏が生えるから半夏生。半夏の別名は烏柄杓(カラスビシャク)という。全国の田んぼや畑のあぜ道などに普通に生える草だから、ちょっと田舎に行って注意して歩いていれば目にすることも多い。すっと伸びた茎の先が膨らんで、その中に緑の質素な花が鎮座する。更にそこから細いひげが伸び上がり、要するに水芭蕉を上下に引き伸ばしたような形であるのは、両者共サトイモの仲間だからだ。座禅草も同じサトイモの仲間だ。この種類は、花序を包んで膨らんだ鞘を仏炎苞と呼んで仏様の光背に見立てる。まことにわが国の民の心はゆかしくも信心深い。それに較べて、毛唐どもといったら…。例えば半夏のことは英語でJack in the culpritという。いってみれば「囚人草」である。ありがたい仏炎苞が獄舎に変じてしまうのだから、狩猟民族の心根の殺伐さたるや、この一事で知れようというものだ。ところで半夏生は”はんげしょう”と読む。これを「はんゲしょう」と発音する人が大半だろうが、ここは一つ「ゲ」ではなく「nge」、つまり古来日本語に固有の耳に優しい鼻濁音で発音して欲しいものだ。
2005.07.02
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◇金曜日:旧暦五月二十五日 丙戌(ひのえ いぬ) 国民安全の日 富士山山開き今日は母親の誕生日である。彼女は郷里に住んでいるから、中々お祝いもできない。とりあえず電話だけは忘れずにするようにしている。一日のこの日は、母親の誕生日だけではなく、富士山の山開きの日でもあり、国民安全の日でもある。国民安全の日てなんだろうと思って調べたら、昭和35年に政府が国民の安全意識向上を図るために定めたという。やっぱり何のことか分からない。==========ここ二三日会社の行き帰りで「死神の精度」という本を読んでいた。死神は人を殺しに来るのではない。上のほうで「この人はそろそろ死んだほうが良いんじゃないか」と指定された人の許に行き、一週間張り付いてその是非を検定するのが役目だ。その程度は皆基礎知識として知っているとは思っていたが、この本では普通は知らない死神のアトリビュートの詳細が暴露されている。まず死神自身には寿命が無い。(これは当たり前か)「仕事」ができる都度、姿かたちを変える。音楽が異常に好きでジャンルを問わない。オーソドックスな日本語には通暁しているが、俗語やギャグの類には弱い。だから、人間からすると時々会話がすべる。苗字が行政体(県、市町村名)である。(つまり僕もそうだ。)余りこういうことを詳らかにされてしまうと迷惑だ。しかし、話は面白い。6つの挿話が螺旋のように続いていって、最後で最初の位置に戻る。著者は伊坂幸太郎といって、仙台に住む若手(34歳)の作家である。この人は「オーデュボンの祈り」で、2000年度の新潮ミステリ倶楽部賞を受賞して作家デビューした。この話にも、僕らの領域に属するいくつかのエピソードが暴露されていて、ちょっとハラハラする。話をする案山子なんかはその類だ。その後「重力ピエロ」、「アヒルと鴨のコインロッカー」などが出版され、ファンタスティック・ミステリーの分野では中々有名な作家になってしまった。日本語の使い方が綺麗で、何となく音楽的な構成で小説を書く人なので、多少迷惑な気持ちはあるものの、実は相当に気に入っている。今まで出版された本は全部読んでいる。忙しすぎて振り返る閑も無く失踪してきた後など、何となくモーツァルト的なミステリーを読みたい気分の時には最適である。「死神の精度」伊坂幸太郎著 2005年5月 文藝春秋 ISBN4-16-323980-4 \1429
2005.07.01
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