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◇日曜日:旧暦八月二十二日 壬子(みづのえ ね) 下弦の月、八専始め 今日は晴れていれば夜半の空には下弦の月が掛かるはずだが、台風17号の影響もあって観ることは叶わないだろうと思う。下弦の月を迎えて旧暦の八月も四分の三を過ぎた。いよいよ秋も本格化する。暦を見ると、今日の欄には「はっせん始め」と書いてある。なんだろうと思って調べてみたら、「壬子みづのえねの日から癸亥みづのとゐの日までの12日間の内、干支の五行が同じになる8日のことを云う」とある。例えば「みづのえ」は五行で「水」。「ね」もやはり「水」なのだ。はっせんは陰陽道から来ており、一年に6度あるのだそうだ。棟上げには吉日だけど、結婚や家畜の売り買い、そして神仏のことには忌み日という。市販されている暦を見ると、一年三百六十五日必ず何がしかの選日とか忌み日として定められて居る。それぞれにはもっともらしい理屈立てがあって、これが陰陽思想や五行思想、或は道教の教えからきているもののようだ。これは昔の人々の生活上の必要から、自ずと定められて伝承されてきたものだろうか?どうもそうではないような気がする。それよりも、民草に「価値のある情報と指針」を発信してやろう。」而して自らの糊口を凌ごうと考えた、一部のはしっこい連中によって喧伝されたものだろう。彼らは自らの情報を権威付け、理屈を立てるために、あれこれ古典を引きずり出してそれを組み合わせたものであろう。どうもそんな気がする。そうやって見ると、これは現代のIT分野で雨後の筍のように生じている新規情報事業と似ている。情報というのは「情けに報いる」という本来の趣旨に沿ったものばかりではない。情報という目で世間をある確度から見ると、其処は茫漠と広がる無限の荒野である。其処に、何でもいいから適当な理屈を、しかしもっともらしい理屈を用意して「サービス」すれば、アラ不思議。たちまち新規のビジネスが生じ、それによって録を食む連中が生まれてくる。そのうちそれが当たり前になって飽和し、皆が飽きてくると、いつのまにか廃れてしまう。そんなことを思いながら「はっせん始め」などと書いてあるのを見ると、「ああそうですか」と思うばかりである。 この週末は下の娘が通う高校の秋の学園祭だった。埼玉県の公立高校は伝統的に男女別学が多いようで、娘の学校も女子高である。僕の卒業した高校は、やはり地方の公立高校で、当時は県内有数の進学校であった(今もそうかも知れないが)。僕自身は何となくこの学校の雰囲気に馴染む事が出来ず、課外活動ははなっからサボるし、周りを常に理不尽にも馬鹿にしていた。とにかく気に入った数人の連中とだけ付き合っていたのだ。だから自慢じゃないけれど、高等学校の三年間を通じて「友達」は六人しかいなかった。学園祭などもあったのだろうけれど、僕自身はそれに積極的に参加した記憶が全く無い。それが今では適当におだてられてこの高校の首都圏に在住する卒業生の同期会の幹事をやっているのだから、訳がわからない。ともかく初の参加者に会えば、先ず例外なく「初めまして」の挨拶だ。高校時代の話になれば、まるで同じ高校を卒業したのが疑われるほど話が通じない。そういう過去があるから、彼女が入学した年の学園祭に初めて彼女の高校を訪れた時は、どんな雰囲気だか興味津々だった。ところが色々な展示を眺め、生徒たちに接して驚いた。みな本当に楽しそうで、明るい。彼女は課外活動に英語劇クラブを選んだが、その公演を見て感動した。これは、まさに青春時代ではないか。「良い高校に入って良かったね」と心から思った。この高校はやはり県内でも有数の進学校だが、詰め込みのがり勉を養成するのではなく、生徒の自主性に任せるのが方針のようだ。云うならば「女子高のバンカラ版」らしい。それでも、多勢の先輩たちが各方面で活躍している様子なのは頼もしい限りである。彼女は、二年の時は英語劇の監督の大役をこなした。家では小さい頃からと変わらない子供に過ぎない子が、カーテンコールで多勢の観客に向かって明瞭な声で堂々と挨拶をするのを見て、親ばかじゃないけれど(親ばかか)ジンと来るものがあった。今年はもう彼女にとって最後の学園祭だ。三年生はもう演劇のラインを外れ、野外でのカジュアルな寸劇だった。演題は毎年同じに決まっているそうだが「ライオンキング」だった。彼女にとっては本当に得がたい三年間だったろうと、そう思う。彼女は僕の場合と違って、友人は沢山出来たろうし、先輩後輩の靭帯もしっかり作った事であろう。来訪者でごった返す校内から逃れて、最寄の駅まで続く道を帰りながら、自分の高校時代や通学路の光景を思い出していた。似ているようで全く違う。何れにしろ、彼女には本当に「良かったね」と思う。本人が身に沁みてそう思うのは未だまだ先のことではあろうけれど。
2005.09.25
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◇金曜日:旧暦八月二十日 庚戌(かのえ いぬ) 秋分の日今日は秋分の日。我国では秋分の日を「お彼岸の中日」といい、この日を中日なかびとする一週間をお彼岸として、ご先祖様に感謝し香華の手向けなどを行う。秋分の日は、英語ではAutumnal Equinox Dayつまり「秋の昼夜平分の日」という。この日は文字通り日の出から日没までの時間は一日の長さの正半分になる。この事実は我々が住む北半球のみならず、南半球だろうが両極地方だろうが、等しく当てはまる。冬至や夏至の日は、南北半球のそれぞれで陰と陽の現象に分かれることを思えば、汎地球的に遍く同じ現象が起こるのだから、秋分は春分と共にエライのだ。エライといえば、以前に勤めていた商社の偉い人と雑談していた時、「君ねぇ、我々が儲けるということは、誰かに損をさせることなんだよ。」と云われ、「目から鱗」の気分になった事を覚えている。世界の富の総和が一定とすれば、誰かが多く取れば、その分は誰かから奪われる事になる。北半球の昼が長くなれば、南半球では夜が長くなるのと同じで、理屈を考えれば当たり前だ。しかし、我々は普段理屈で生きている訳ではない。何かが儲かると聞き込めば一斉に同じ事を始めて、自分も利益に預かれると信じて疑わない。彼も吾もという過程は、ある時点で飽和してしまい、結局どこかで破綻する。それは冷静に考えれば当たり前なのだけれど、どうしても「自分は未だ間に合う」と思いたがる。だから、あれこれ姿を変えて現れる「ねずみ講」のようなものにも、懲りずに騙されてしまうのだ。皆が揃ってお金をもうけることが出来、手を携えて豊かになることなどありえないのだ。大先輩ご本人はどこまで意識しておっしゃったかは分からないが、「誰かが儲けるということは、他が損させられることだ」という言葉は、以来僕の箴言の一つになっている。それでは、世界の富が増加すればいいじゃないか、という事になる。それはその通りだ。だから人間はもう随分前から営々とそういう努力を積み重ねてきた。その結果増加した「富」を、人類は自らの勢力を増やす事に費やしてきたのだ。ある統計※1によると、紀元元年の頃の世界の総人口は1億人。紀元1000年には2億人。紀元1500年では5億人。紀元1900年、つまり20世紀の始めには15億人。そして今年2005年の終わりには、世界の総人口は64億人に達するのだそうだ。20世紀の100年間だけで、地球に棲息する人類の総数は4.27倍にもなり、49億人もの人口増を実現してしまったのだ。この場合、それでは一体誰が「損」をしたのだろう?損をしたのは人間以外の「地球」なのだ。地下に埋蔵する化石燃料を燃やす事で生じた熱エネルギーを原動力にして、山を崩し、海を埋め、原野を拓き、都市を作り、食料を生産し、仕事を創り出し、空や海や地上に乗り物を走らせた。つまりは、地球の一部を簒奪し、様々な人間以外の生き物を放逐して、地球に損をさせながら、我人類は「得」をして来たのだ。この二千年余りの短い時間を見ただけでも、正に破竹の勢いで人間は「儲けてきた」のだといえる。前世紀末になる頃から、「公害」や「異常気象」などが話題に上るようになって来たのは、それまでの能天気な発展主義、つまりは一種のねずみ講を無邪気に信じてきた人類が、流石にちょっと反省を始めたという事なのだろう。「あれ?こんなんで良いのだろうか?一体今まで誰が損をしてきたのだろう?」と。環境保護思想の台頭である。「自然を守ろう」という運動が盛んに起こるようになったのだ。しかし、「自然」を守ろうというのはどういうことだろう?自然は人間に守ってもらうような、人間とは独立した、或は人間に従属した対象なのだろうか?第一ここでの「自然」というのはなんだろう?草原や樹海、或は絶滅危惧種とされる動物など、特定できる「人間以外のもの」の事か?それとも、地球全体を取り巻く環境そのもののことを云うのだろうか?無限定に自然という言葉を使うのは、折角20世紀末になって生じた人間の反省が向かうべき方向を誤らせてしまう。何より、キリストが生誕した頃だって人類は5億人も居たのだ。一つの動物種で5億もの個体を持つものは、原生動物や昆虫以外の高等動物、特に脊椎動物では、恐らく人間くらいのものではないか。つまりは、紀元元年の頃の自然は既に人類とその活動による影響を折込済みの「自然」であった筈だ。「自分(達)もその一部として含まれる環境」としての自然を意識しないと駄目だと思う。動植物も食物連鎖や生態系と言う考え方をしないと、折角の反省も、「一体何の保護なんだ!」という事になってしまう。マイクル・クライトンの「恐怖の存在(State of Fear)」という本※2を読んだ。9月15日発行というのをその日に買って、もう週末には読み切っていた。僕は発行日前に本屋さんで見つけた本を、発行日までに読み終わるという趣味がある。新聞に広告が出たり、皆の話題になる頃には、「あぁ、あの本ね。中々面白かったよ。粗筋はねぇ・・・そして犯人は・・・」とやるのが大好きなのだ。本の発売日はどうやって決めているか知らないが、時々奥付に書かれた発行日の数日前に本屋さんに並ぶ事があるのだ。「恐怖の存在」は、そういう意味ではちょっと出遅れたが、今頃になって話題になりつつあるのを横目で眺めてはニヤニヤしているのである。この本は「ビジネスとしての環境保護」というものを取り上げている。又、「環境テロリスト」という集団も出てくる。読んでいると、環境保護が巨大ビジネスになり得る(実際もうなっている?)ことは大いに納得できる。又、国際テロリズムの一形態として「環境テロ」というものが台頭する可能性にも慄然とさせられる。人間というものは地球上の資源を簒奪して儲けるだけでなく、自分以外のものに損をさせて自らは儲けるという点において天才的である。そう思う。それにしても、この本の中には「ネガポジを逆転させた環境保護」の実例が実に沢山出てくる。* 米国最初の国立公園として「保護対象」に指定された、ヨセミテ渓谷のイェローストーン公園での滑稽なほどの「自然保護」をめぐるドタバタ劇。* 検証されないまま、発癌性を口実に使用禁止になったDDTという薬剤をめぐる米国のエゴ。* ベンゼンの使用禁止による医療費の高騰。* フロンガスの使用自粛による、病害の増加。そして何より、「地球は温暖化していない!むしろ寒冷化している!」京都議定書の主旨に真っ向から反するような話がどんどん出てくる。真っ当な環境保護主義者なら青筋を立てて怒り出すような話が満載だ。しかし、この本は、既に地球を恣意的に散々いじりまわしてきてしまった我々人類が、今頃になって環境保護を考える際には、先ず背景となるべき知識が絶望的に不足している事をわきまえるべきだという。また、「先進国」による安易な「環境保護対策」の全てが、例外なく世界の「貧しい地域」の人々に犠牲を強いるものであることを思い知るべきであることも指摘している。マイクル・クライトンはこの本で、自然保護や環境対策に際しては余程謙虚に且つ真摯な態度で臨まなければならないのは当たり前だと警告し、こういう運動が政治勢力や営利勢力と、いともた易く野合する、つまり再び「誰かが儲けて誰かが損をする」構図を形成してしまう危険も指摘しているのだ。汎地球的に昼夜の平等平分が実現する秋分の頃に、読んでみる価値のある本だと思う。環境保護云々は、この本の大きな伏線なのだけれど、無論書き手はあのジュラシック・パークやアンドロメダ病原体のマイクル・クライトンである。エンターテインメントとしても一級品であることは保証つきなのだ。※1:国連、世界の人口動向(World Population Prospects) 2000年版※2:「恐怖の存在 上・下」 マイクル・クライトン著、酒井 昭伸訳 早川書房(2005年9月) ISBN: 4152086688
2005.09.23
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◇月曜日:旧暦八月十六日 丙午(ひのえ うま)、敬老の日、子規忌ダイエーの創業者中内功氏が逝去された。享年83歳でいらしたというから、大往生というべきか。ダイエーのルーツは「主婦の店」だ。これが我が郷里の町に出現したのは昭和三十年代の末頃だったと思う。長良川の北岸に引っ越した直後、近所に出来た主婦の店に母親が買い物に行って、「もの凄ぅ廉いがね!」と感激していたことを覚えているからだ。ちゃんと調べたわけではない。 それにしても、生鮮食品の小売の世界に切り込んで、伝統的な仕入れの経路を切り捨て、対面販売という古来の売り方を廃し、大規模小売店モデルを開拓して、全国小売業のトップにお立ちになったのだ。そして40年ほどの長きにわたって、企業の巨魁として君臨された。企業の消長は時の経過という頚木を逃れることはできない。今革新的なビジネスモデルだって何年かすれば必ず陳腐化してしまう時が来る。後付けでダイエーの衰退を論じることはた易いことだか、当事者としての中内さんの力を思えば、商売の世界の片隅に居るものとしては頭が下がる。ご冥福をお祈りして、合掌。 自前で会社を作ってからつくづく感じるのは、自分の甘さ、ナィーブさだ。人を信じることのはかなさ、人の信頼をあてにすることの危うさに気づかないで済ますことの出来た「雇われ人」としての日々は如何に長閑のどかであったことか。 商売と日本語で言う時、そこには誠実さとか信用とかいう観念が連動する。「良いものを誠心誠意お客様にお勧めする。」「努力を怠らず額に汗して頑張れば自ずと道は拓ける。」商売を行うにおいて、そういう「真実」があるのは疑いの無いところだ。しかし、それはいわば底辺の一層レイヤーでしかないのだ。Project Xのテーマにでもなりそうなこういうレイヤーは、実は弱者の論理でしかない。真面目で誠実な人間から考えれば悔しいことだけど、これは事実だ。 つまりは「商売」には更に別の層レイヤーが存在する。このレイヤーでは、恩人や先輩を裏切り、又友や同志から裏切られることは日常茶飯事であるし、当事者としてはこういう事態に陥る事を常に覚悟し、警戒しなければならない。このレイヤーでの「恩義」や「信頼」は常に相対的で、状況によってそれぞれ対極の概念との間で刻々と振れ動く。恩義は負債に、信頼は裏切りに。このレイヤーの世界での絶対尺度は「金銭的成功」ということでしかないのだ。しかも、「絶対尺度」といったって、それが有効に働くのは極々短い。勝者となった瞬間に、次の敗者になるべき切符を受取ってしまうようなものである。このレイヤーの世界は、「商売」よりも「ビジネス」とカタカナで呼ぶほうが相応しい。 しかし、「ビジネス」の世界では「商売」の世界より、確実に大きな金が動く。そして「金があれば虚業すらも実業になり得る」というのも、又真実のようだ。暫く前、通風発作でSOHOを余儀なくされた時間に、「メディアの支配者」※と云う本を読んだ。これは今年ホリエモンとの確執で話題を集めたフジサンケイグループの創始者である鹿内信隆氏から始まって、現在の総帥日枝久氏に至るまでの、栄枯盛衰、骨肉の確執を書いたノン・フィクションである。上下巻で800頁程にもなる分厚い本だが、足の痛みも忘れて一挙に読みきってしまった。先の大戦中から戦後の混乱期に至る「何でもアリ」の時代、魑魅魍魎ともいうべき男たちの駆け引きにも大いに圧倒されたが、その後のグループの推移にも瞠目させられた。色々な読み方もあるだろうけれど、僕としては「スケールの大きな金が動くレイヤーでは、そうでないレイヤーとは全く別のビジネスの論理が働いている」ということを、読んでいる間中意識させられていたのだ。僕の会社は、ベンチャー企業ではあるが、何か新技術を発明するものではない。ITのソフトウェアの領域で、優れた技術やソリューションを見出し、それらをうまく組み立てて世の中に出していくのを生業にしようとする会社である。こういう会社である以上、「倒産しそうな町工場を家族皆で支えあって・・・」というProject X的シナリオは成立しない。だから、社員諸君が額に汗して鋭意販売に意を砕いてくれている一方で、僕自身はどうやって商売のスケールアップを可能にするかに邁進しなければいけない。日頃そういうことが意識の底に常にあるものだから、この本の描く世界を想像して、焦燥に似た感じを抱いたのである。僕自身は上の意味での「ビジネス」の世界は直接自ら仕切ったことなど無い。しかし、ガイシケーの世界は幾つも実際に見てきているから、信頼と欺瞞が矢継ぎ早に入れ替わり錯綜する世界はいささかは知っている。中内さんも、何度か裏切られた事だろうし、自ら裏切った事も結果的には多かろうと思う。そういう時には実に孤独であったろうと想像する。これは鹿内さんも同様であったろう。所詮そういうものに耐え切れるタフさというものが無ければ、こういうレイヤーは自らの前に姿を表す事もないのだろうと思う。「商売とビジネス」。今後ビジネスのレイヤーに自ら敢然突っ込んでいく事を思うと、出番を待つ役者のようにどきどきしてくるのである。※ 「メディアの支配者 上・下」 中川一徳著 講談社 2005年7月 ISBN: 4062124521
2005.09.19
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◇日曜日:旧暦八月十五日 乙巳(きのと み) 中秋の名月我が家で唯一「男同士」の仲間だった兎、「門左衛門ハオレ」が逝ってから最初の望月である。秋の最初の連休に入って、土曜日曜と二日連続で抜けるような青空だ。外を歩いていると未だ日差しは夏の強さで、大見得切って「秋晴れ」と呼ぶにはちょっと躊躇ためらいがあるが、それでも夕方になって立つ風は秋の気配を充分に孕む。晴天のお蔭で、この中秋の名月はお手本のようなお月見になった。そして、明るい月の面には「門左衛門兎」が餅つきをしていたのであった。月は地球の周回を始めて以来、長い時間が経過するうちに潮汐力の影響で自転周期と公転周期が同じになった。だから、地球からはいつも同じ月の面が見えることになったのだ。いつも同じ面が見えれば、濃淡の模様も同じように見え続ける。それで、わが国ではこれを兎の餅つきに見立てるようになったわけだ。上の写真では月の南東の方向が上になるようにしてある。兎の耳は「豊かの海」、もう一つの細めの耳は「神酒の海」。そして耳の付け根の顔の部分は「静かの海」だ。胴体が「晴の海」、そして「雨の海」、「嵐の大洋」と続いて、兎の餅つきが出来上がるのだ。同じ模様を見ていても、連想することは国や民族によって異なるようだ。右の写真は、北をほぼ上にした月面の写真だ。「豊かの海」を眉、「神酒の海」が目じりで、「静かの海」を瞼と見立てれば、人の顔に見えてくる。少し目の焦点をぼかし気味にして見ると「なるほどそう見えるな」と思う。さて、今度は兎の耳だった部分を、羽飾りの冠に、晴の海を顔に見立てれば「インディアン」に見えるではないか。このインディアン、太鼓を前に抱えて足を踏み鳴らして踊っているように見える。今度は、月の南の方向を上にして眺めると、濃淡模様は蟹に変身する。大きな片方のハサミを振りたてる様は、シオマネキなのだろうか?オーストラリアやニュージーランドでは、満月をこういう方向で見るだろうから、「月の蟹」はアチラの見方なのかもしれない。子供の頃、風邪などを引いた時など布団に包くるまって天井の板目模様を眺めていると、濃淡の組み合わせが妖怪に見えたり、苦悶する人の顔に見えた。やがてそれらが勝手に動き出して随分怖い思いをしたものだ。何れにしても、もやもやした模様を何かの形になぞらえるのは、人間の性さがのようだ。中秋のお月見の習慣は奈良平安の昔にまで遡れるようだが、これも元々は中国にそのルーツがあるようだ。里芋の収穫祭がその始まりなのだという。中国のお月見というと月餅が有名だが、田舎に行くとこの日に里芋を食べる習慣があるのだそうだ。そういえば、八月十五夜の中秋の名月は、別名「芋名月」ともいう。中国の満月にも兎が居るそうだが、但しこの兎は薬草を薬研で挽いているのだそうで、わが国のように餅をついて浮かれているのではない。十三夜のお月見という行事がある。八月十五夜のお月見は、中国渡来の行事だが、十三夜のお月見は日本で生まれた独特の行事だ。この行事は宇多法皇とか醍醐天皇とかの時代(10世紀初め)に遡るというからやはり同様に随分の歴史がある。中秋の名月は「芋名月」だが、十三夜の名月は「豆名月」、「栗名月」と呼ばれる。この時期、豆類や栗が熟するからだ。又は「小麦の名月」と呼ぶところもあるが、これは十三夜の天気で翌年の小麦の出来の豊凶をうらなったからだそうだ。十三夜は中秋の名月に対して「後の月見」といって、旧暦九月十三日のことである。つまり今年は十月十五日になる。満月ではなく十三夜の月を愛でるところが中々味があるが、十五夜のお月見をした人は、今から十月十五日もお月見をするよう、カレンダーにメモしておくほうがよろしい。そうしないと片月見かたつきみといって、縁起が悪いとされるのだ。今年の十月十五日は土曜日に当たるから、今から栗名月の観月の場所を探しておくのもいいかもしれない。
2005.09.18
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◇月曜日:旧暦八月九日 己亥(つちのと ゐ)、福岡筥崎宮放生会ほうじょうや今日から18日までは、博多の筥崎宮で日本三大八幡宮のひとつ放生会ほうじょうやの祭礼が執り行われる。放生会は、仏教の「殺生戒」に由来するもので、人間共が殺生の対象にしてしまった生き物を悼み、鳥や魚等を解き放って供養する。八幡とは元々は八幡神やわたのかみであったが、これが仏教と融合して「八幡大菩薩」として崇められるようになった。いわば神仏習合の元祖のようなものだ。筥崎宮の放生会も、その起源は延喜19(919)年、つまり千百年程も以前にまで遡れるそうである。今回の選挙は、自由民主党の「圧倒的な大勝利」として決着した。不思議なのは、投票所が閉鎖されたのが午後八時なのに、その時間に前後して始まった各テレビ局の速報が、一様に且つ即座に自民党の空前の勝利を予測した事だ。それも結果的にかなり正確な議席数を挙げていた。今回ばかりでなく、選挙になると開票率が0%なのに当確が出てしまうなど、いつも不思議に思う。こういうのは、出口調査の結果だけで分かるものなのだろうか?若しそうだとするのなら、どの局も非常に広範かつ緻密に地域ごとの「属性情報」を普段から集めていなければならないだろうし、出口調査だってそうとうの頻度でやる必要がある。僕の場合、投票所は近くの泉小学校の体育館になるけれど、今回も含めて金輪際出口調査というものに行き会った事がない。どうなっているんだろう。ウチの選挙区は余程マイナーなんだろうか?それにしても、今回は本当に「自民党圧勝」と言えるのだろうか?どう考えてもそうじゃないな。今回百名以上の「新人」が候補者としてリクルートされ、その内のかなりの数が当選した。自民党の前議員で、今回公認され当選したのは「郵政民営化」の踏絵を踏んだものばかりである。つまりは、今回「郵政民営化」→「改革推進」という旗印の下に、旧来の自民党という会社はは清算され、それまでの幹部や取締役は放逐された。そして同じ名前ではあるが、新入社員や現トップに忠実な新鋭幹部で構成される新会社が設立された。云ってみれば「純ちゃんのクーデター」が、衆議院選挙の名の下に実行されたのだ。要するに「自民党という保守党に、自民党という野党が挑んだ。」もっと云えば、「田中角栄以来の自民党に、小泉新自民党が挑んで、旧勢力を叩き潰した。」そういうことだ。だから「自民党が圧勝」といっても、通常どおりの感覚では受け止められない。通常ならば選挙の最大争点になるべき「与野党の対立構図」は、今回に限り自民党の中だけで完結することになってしまった。だから、岡田民主党も、社民党・共産党も、それ以外の勢力も、そして公明党すらも、最初から基本的には外野、或は部外者でしかあり得なかったのだ。つまりは始めから出る幕は無かった事になる。そういう目で見ると、自分の会社のクーデターを、国政の場にまで持ち上げて、国民の税金を費やして実行した事になるから、純ちゃんもさるものである。岡田君も「自民党のコップの中の戦いに巻き込まれてはならない」と散々おっしゃってはいたけれど、今回の選挙自体は「政権交代の場」として認めてしまった。つまりは、「私闘の公式戦化」に加担する形になってしまった。だから、何だか迫力は無いし、選挙民には相対的に分かりづらかった。いっそのこと、「一党の権力争いを国政の場に持ち出すな!」とか、「私的クーデターに、国民の税金を遣うな!」という点を際立たせて、「小泉の私闘」をガンガン攻撃すれば良かったように思う。極論すれば、今回自民党以外は全部選挙をボイコットしたらどうだったろう?上に述べたことが正しければ、自民党以外は実質的に「蚊帳の外」又は「仲間外れ」にされていたのだから、理屈としてはボイコットも正論である。そうすると、コトの本質は実に明瞭に見えたのではあるまいか?一夜明けて、「自民党大勝」の活字が躍っているのを見ても、なんとなく釈然としない気分なのは、(恐らくは、有権者の相当数の方々も同様の雰囲気だと思う)、苛烈な私闘を垣間見て、それに何となく巻き込まれてしまったという後味の悪さがあるのではなかろうか?
2005.09.12
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◇水曜日:旧暦八月四日 甲午(きのえ うま) 白露今日は二十四気の白露。旧暦八月酉の月の正節で、太陽の黄経は165°になる。暦便覧では、白露は「陰気やうやく重りて、露こごりて白色となれば也」とある。つまりは、野の薄も穂を出し、秋も本格的な兆しを顕し、朝には草の葉に露を宿す頃になったわけだ。蘇軾そしょくの赤壁せきへきの賦ふに曰く、白露横江、水光接天(白露江に横たわり、水光天に接す)縦一葦之所如、凌萬頃之茫然(一葦の如ゆく所を縦ほしいままにして、万頃の茫然たるを凌ぐ)浩浩乎、如馮虚御風、而不知其所止(浩浩乎として、虚に馮より風を御し、其の止まる所を知らざるが如し)飄飄乎、如遺世独立、羽化而登仙(瓢瓢乎として、世を遺わすれて独り立ち、羽化して登仙するが如し)白露の候、羽化登仙する。・・・・この心境は如何にも羨ましい。しかし、我が下界は今週始めから台風14号に蹂躙された。九州四国地方を中心に死者行方不明者は二十数名に及び、家屋の被害や道路などの損壊も含めれば、甚大な被害といえる。亜米利加のハリケーン被害には幸いに及ばないが、こういうものは、その被害の多寡を相互に比較して論じるべきものではない。それにしても、被害統計は拡大しつつあるのに、中央政府からのメッセージは何も聞こえてこない。折からの選挙活動で大変なのかもしれないが、これ位の災害規模になると、首相官邸に対策本部を設営したり、国土交通相が現地視察に赴いたりするのでは無かったろうか?ニュースを見ていると、なんだか台風災害と、選挙戦は互いに別世界の出来事のようにすら思える。こういう時に、若し小泉君か岡田君が、「かくなる事態に及んでは選挙運動にかまけているどころではない。私は率先して被災地に赴き状況を視察するともに、被災者の救済に全力を挙げる」と宣言したらどうなるだろうか?・・・・まぁ、やはりそういうことはお二人ともなさらないのだろう。パフォーマンス好きの宰相ならば、ひょっとしてとは思ったのだけれど。今日の夕刊(朝日新聞)の文化欄に、佐伯一麦氏の「ほろほろむかごの秋」という文章が載っていた。ほろほろと むかごこぼるる垣根かな - 正岡子規「むかご」は自然薯じねんじょが、蔓の途中の葉腋に拵こしらえる「おでき」のようなものだ。大きさは長径が1センチ程度で、一枚一枚の葉の付け根にできるから、一つの蔓に結構な数の「おでき」ができる。しかしこのおできは、自然薯の収穫が始まる晩秋11月頃になると土に落ち、やがて何年かするとまた自然薯を形成するという優れものなのだ。但し、畠で栽培されている山芋の場合には、むかごは土に落ちると殆どが腐ってしまう。このむかごは食べておいしい。ご飯に炊き込んで、むかごご飯にする。茹でて、或いは油やバターで煎り付けて塩味でいただく。串にさして団子のように付け焼きにするところもあるそうだ。茹で立てのむかごに粗塩を振って口に含むと、ホクホクと崩れて素朴にも美味しいのだ。佐伯氏の文章によると、旧暦の八月一日(今年は新暦の九月四日)、つまり八朔の日には、むかごご飯を炊いて豊作を祈ったとのことだ。岡山県の風習だそうだ。しかし、むかごの実が食べられるほどの大きさになるのは、関東地方で11月頃とされているので、岡山の地では八朔に炊き込みご飯に出来るほど早く熟するのだろうか?昔「むかごと蜂の子」という随筆を読んだことがあって記憶に残っている。動物性たんぱく質が不足がちになる信州では、蜂の子や、ゲンゴロウの羽をむしって焙烙で炒ったもの、それにザザ虫(トビケラやトンボの幼虫)やイナゴの佃煮を食べる。それが、近頃東京の高級料亭で「ふるさとの珍味」として出されると、目を剥くような高級料理に化けてしまう。そんな内容の随筆で、その中にむかごの話も出てきたのだ。思いついて書棚を探してみたが出てこない。うろ覚えだが、昔岩波書店からシリーズで出ていた、「物理の散歩道」(ロゲルギスト著)の一文ではなかったかという気がしてならない。しかし、この本は郷里の母の家に置いたままなので、今度帰省する時まで確認できない。むかごも蜂の子も秋の食べ物だ。秋の味覚の王座は、最近では中国語や韓国語ばかり喋っているとはいえ松茸に譲るものとしよう。しかし、相変わらず日本語を喋り続けてくれているむかごの素朴な味は、やはり秋毎に一度はいただきたいものの一つである。
2005.09.07
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◇月曜日:旧暦八月二日 壬辰(みづのえ たつ) 二日灸旧暦八月二日の今日の歳時記は二日灸ふつかやいと。これもやはり中国渡来の風習なのかも知れないが、旧暦の二月二日と八月二日にお灸をすえると、無病息災のおまじないになるというのだ。お灸など余りしなくなってしまった今日では、この風習に従う人も殆どいないだろうが、昔は庶民の間でも割合に普通に行われていたようだ。その証拠に「二日灸」は俳句の季語にもなっているのだ。俳句の季語は、今でも旧仮名遣いを踏襲することになっているので、「ふつかやいと」と書かない時には、「ふつかきゅう」ではなく、「ふつかきう」と書く事になるのだ。昨晩下の娘からのメールが、門左衛門の訃報を伝えてきた。我が家の住人、兎君のことだ。この兎君、かつて動物病院にかかったとき、♂と判定されている。彼は、我が家の隣のお茶畑に迷い込んで途方にくれていたところを、上の娘に保護され、以来我が家の食客になった。もう十年も前のことである。真っ白な毛並みの彼は、残念ながら門歯が一本欠けていた。それで、我が苗字の後に続けて、「門左衛門ハオレ」と命名され、家族の一員に認定された。最初の頃は居間に同居を許され、機嫌の良い時は板張りの居間を駆け回ったり、床の新聞をボロボロに裂いたり、ソファに飛び上がったり、時々階段を登って二階まで探検に出かけたりと、縦横無尽の振る舞いであった。彼のお気に入りの場所は、壁際に置いたソファの後ろの狭い空間だった。一度我が家のやんちゃ犬に吠えられて驚嘆し、文字通り脱兎の如くに駆け出して、姿が見えなくなったことがある。近所を探し回っても一向に見つからない。「もうどこかへ逃げちゃったんだよ」と諦めて二日後、ソファの後ろにうずくまって不貞腐れているのが見つかった。二日間、何も食べていないものだからやせ細っていたが、空腹にも拘らず一所に閉じこもっていたのだから、さすが名に恥じぬ根性であった。兎によらず、人に飼われている動物は、野生で暮らしている同属と較べて、押しなべて生活や食生活がいびつに偏るのだろう。門左衛門も、元々門歯が一本欠けていたせいもあるのか、何年かしてから「乱杭歯」になってしまった。げっ歯類の動物の歯は伸びるのが早い。木の実や皮、草の根など硬いものを食べては歯を磨り減らすことでバランスを取るのである。それが乱杭歯になってしまうと、歯を削ることも出来なくなる。以来、伸びすぎた歯を時々切ってやるのは僕の役目になった。歯が伸びすぎると、膝に抱き上げて、唇(?)を開いてニッパーで一息に切り取るのだ。普通だと抱き上げられただけで暴れまわる門左衛門も、僕が歯を切る時だけはおとなしくしている。男同士の友情が芽生えたのだ。そう思う。僕が夜遅く帰宅すると、家の人間は眠ってしまっていても、門左衛門は階段の途中に座って起きている。そうして人の顔をジロッとにらみ、「相変わらず遅いじゃないか!いい加減にした方がいいぞ。」と小言を云うのである。この夏は外に出しておくには暑過ぎるという、カミサンの温情で、棲家の籠を居間に入れてもらっていたが、何となく静かで余り元気とはいえない様子だった。その挙句の昨日の訃報だった。娘によると、午後四時過ぎ頃急に騒いで、ぴょんと跳んだ。何事かと籠を覗いたら、「車のジャガーのエンブレムのような格好で大往生していた」そうである。そういえば上の娘が未だうんと小さかった頃、どなたかに戴いて庭で飼っていたパンダ兎も、いきなりぴょんと跳ねて急逝したことを思い出した。兎君は、若く元気な頃を思い出して一跳ねするのをこの世の名残にして、あの世に旅立つものなのかもしれない。門左衛門ハオレは、今朝方引き取られ、動物合同葬に付された。我が家に来た時彼が何歳だったか知らないが、家族になってから十年である。兎の寿命は数年から頑張っても十年程度だといわれるから、彼も天寿を充分に全うしての大往生だったのだ。合掌。それにしても、僕は唯一の同性の同志をこれで失ってしまった。「敵地」に独り残された想いで、これから寂しくなる。
2005.09.05
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◇日曜日:旧暦八月朔日 辛卯(かのと う) 旧八朔、敦賀気比神宮祭いよいよ今日から旧暦でも八月になった。今日は旧八月小の月の朔日。つまり、今日のお月様は新月だ。以前にも書いたが、八月の朔日は「八朔」という。江戸時代では田穀が良く実ったのを祝う式日で、この日諸大名は打ち揃って江戸城に登城した。つまりは、五節句なみに重要な式日だったのだ。八朔は、二百十日、二百二十日と並んで台風襲来の特異日でもある。折りしも今列島南方には、「非常に勢力の強い」台風14号があって、現在九州に向け北上中である。この台風、日本に接近するにつれて、徐々に進路を東寄りに向けていくはずだ。こういうのは、気象庁の予報より何となく当たりそうなのだから、気象予報士の皆さんにははばかり様というところかな。さて「葉月」の語源はどこにあるのだろうか?旧暦の葉月は、新暦では九月上旬から十月上旬の秋にあたるため、そろそろ落葉樹は葉を落とし始める。それで、「葉落ち月」が転じて「葉月」になったとする説が一つある。もう一つは、稲の穂が張る月。つまり「穂張り月」が「張り月」に転じて、最後に葉月」になったとする説。又更には、この頃、北方のシベリア方面から、雁が初めて渡って来る月なので「初来月」、そして「初月」。これが「葉月」になったとする説などがある。さてどれが正しいのだろう。何れであれ、共通のテーマは「移ろい」である。我々日本人は、積分ではなく微分で季節を実感できる、世界にも類稀にして精神の細やかな民族なのである。九月になると、信州や東北など、早い地域では早々と稲刈りが行われるところもある。そうでなくとこの季節、わが国の水田地帯では、稲がしっかり穂を太らせる時期だ。ここに「さる子」という言葉がある。「去る子」ではなく「猿子」である。九月は霧のよく降りる時期。日暮れ時に稲の葉に結んだ露が、時に葉の縁辺に沿ってスルスル上に登っていくのを見ることがある。およそ「一秒一寸」程度のスピードだが、それが猿の幼子が覚束なくも枝を登っていく様子に見えるというので「さる子」と呼ばれる。これは、小さな霧粒が隣同士接触して一体化する際、表面張力によって表面積を最小にすべく、丸い液滴を作る。それが更に別の霧滴に合体して・・・というのが原因だ。稲の葉の縁辺のギザギサが、葉の先に向かって生え揃っているため、霧滴の合体は葉先、つまり「上方」に向けて進行していくのだ。「さる子」を運良く目に出来れば、結構不思議に見えるし、楽しめるはずだ。昔は「さる子を目にしたら、早く家に帰れ」といって、夜遊びを諫めたのだという。但し、諫める対象は若い女性だったそうだ。昔は、「もう日が暮れるから」と若い女性がおうちに帰ったのだから、今とは大違い。明け方までカラオケで騒いで、始発電車で帰宅しても恬淡恥じるところの無い現代の若い女性と較べて、なんだかいじらしくも可愛らしかったんですなぁ。
2005.09.04
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◇土曜日:旧暦七月三十日 庚寅(かのえ とら)♪ホホイのホーイッともう一杯ワタナベの、ジュースのもとです もう一杯憎いくらいにうまいんだぁ~不思議なくらいに廉いんだッ・・・・♪一袋五円也。小ぶりの袋は、開けにくい。じれったくなって袋に歯を立て、歯形を頼りに引き開けると、鮮やかな橙色の粉末が入っている。これをコップに落とし入れて水を注ぐ。そうするとオレンジジュースの出来上がりだ。コップの底には、溶け残った白い粉が沈む。これが掻き混ぜてもなかなか溶けない。少しケミカルな味がしたが、あくまでも鮮やかなオレンジ色の、味も鋭角的な飲み物だった。ジュースの味とはそういうものだったのだ。まさにそれこそがオレンジジュースなのであって、それに感動しつつ(且つ望むらくは、親に隠れて)呑むところに意義があった。(なんの意義だ?)ともかくも、今のように、フレッシュ・スクィーズなんてものはなかった。第一オレンジや蜜柑を絞って汁が出るのは当たり前だ。それは皮を剥いて袋一つ一つを丁寧に食べていく替わりに、乱暴にも手間を省いただけの、ずぼらで代替的な蜜柑の食べ方・・・・・に過ぎない。そんなもの当時は決して「贅沢でナチュラルな」ものなどではなかった。ワタナベのジュースの素には、オレンジの他にグレープもあった。(他にもあったかもしれない。)グレープと言えば葡萄かと言えば、そうではない。カタカナでグレープなのだ。葡萄とグレープはあくまでも似て非なるものだった。親が出かけて留守の時など、水に溶かさないで、粉のまま舐めることもよくやった。後で舌が染まってこれが中々色を落とすことが出来ずに慌てたものだ。このCMソングが登場したのは、昭和33年(1958年)。確かエノケンこと、榎本健一が唄っていた。この年はお湯を注ぐだけで出来上がりという、日清のチキンラーメンも発売されている。日本のFast & Junk Foodのハシリだったわけだ。チキンラーメンは今でも健在だが、コップにひとかけの氷が入ると豪華だった、あのワタナベのジュースの素はどこへ行ってしまったのだろう。もう一つ、岐阜で幼少時代を過ごしたものとして、思い出せば俄然懐かしさが湧き上がってくるのは、オリエンタルカレーである。耳輪をしてコック帽を被ったインド人を模したロゴがプリントされた、銀色に輝くパウチに黄色い粉末のカレールーが入っていた。これは、終戦の年つまり昭和20年の十一月に初めて世の中に出たのだというからその歴史は中々のものだ。愛知県での話しだが、直ぐに我が岐阜の町でも売られるようになったのだろう。子供の頃親戚の家に遊びに行くと、とにかく夕食に出てくるのはカレーであった。而してこのカレーは必ずやオリエンタルカレーだったのだ。少なくとも僕の郷里の岐阜ではそうだった。何しろ他に選択肢が無かった。いとこ達と遊び呆けて疲れきった空腹の極みには、ジャガイモと人参がゴロゴロ入った、まっ黄色のカレーは本当に美味しかった。僕はカレーライスは「和食」だと信じていたくらいだ。ラジオで、そして後にはテレビでも、CMソングが流された。♪♪♪懐かしい 懐かしい あのリズムエキゾチックな あの調べオリエンタルの謎姫 香るカレーの夢の味あーあぁー 夢のひと時 即席カレー君知るや 君知るや オリエンタルカレー♪♪♪最近は、カレールーの種類もずいぶん多様になり、凝り出せばどんなバリエーションを作り出すのも自由だ。しかしカレーというものは、「この間と同じ味」を再現するのは至難である。同じルーを使っても、或いは同じやり方でカレーパウダーから本格的に作り始めても、どこかでちょっとした手順の違いが生じるのだろう、とにかく同じ味は出来ない。かててくわえて、昔のあの「まっ黄色のカレー」はどうしても今の市販のカレールーでは再現出来ないのだ。そしたら、岐阜の母の住む近くのスーパーマーケットのカレーコーナーの片隅には、未だ有ったのだ!あの懐かしいオリエンタルカレーが。買い込んで作ってみたら、昔馴染んだ、ちっとも辛くないまっ黄色の、じゃが芋ゴロゴロのカレーライスがちゃんとできた!(でも子供の頃ほど美味しくはなかった!?)こういうのは嬉しい。街の中心部は廃れきってしまい、郊外には道路沿いに量販店が立ち並び、其処だけ見れば東京の郊外と何等変るところが無くなってしまった郷里に帰って、本当に嬉しいのは、最早オリエンタルカレーの袋と、「寿がきやすーチャン」のラーメンくらいになってしまった。・・・でも、やはりワタナベのジュースの素には再会することができないでいる。
2005.09.03
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◇金曜日:旧暦七月二十九日 己丑(つちのと うし)桐一葉ひとは 落ちて天下の秋を知るこれは賤しずヶ岳の戦いで、七本槍の一人として戦功を立て、豊臣秀吉側近の家臣として後に摂津茨木城主になった片桐且元かつもと(1556~1615)の詩とされる。しかし、原典は「一葉落ちて天下の秋を知る」(文録)とか、「桐葉風に先んじて落ち・・・」(唐詩)とか、やはり中国にあるのだ。旦元かつもと君は、庭先の桐の葉が枯れ落ちるのを見て、太閤桐と片桐の衰退を予見したのだそうだ。しかしそう都合よく葉が落ちるものだろうか?しかも自らの「片桐」を思い出させる桐の葉だ。こういう話はどうもこじつけめいて、本当かねと思ってしまう。彼は、秀吉の子秀頼の家老である時、方広寺大仏鐘銘事件に関係して、淀君からは裏切り者と断罪された。例の、鐘に刻された「国家安康」という銘は「安」の字が家康の名前を分断している。すなわち豊臣家に謀反の意図ありとする証左だとイチャモンを付けられ、豊臣家滅亡の一因にもなった事件だ。方広寺の鐘の奉納プロジェクトのリーダーだった旦元君は、「こりゃ拙いぞ」と駿府にいた家康の元に弁明に出向くが、家康君には会うことが出来ず、代わりに三択を押し付けられる。1.秀頼を江戸に連れて来い。2.母の淀君を人質として江戸へ差し出せ。3.領地を返上し、大坂から立ち退け。秀頼を政権の正当な継承者であると主張する、誇り高きゴッドマザー淀君が受け入れるわけなど無いと高をくくった、狸親父家康の事実上の最後通牒であった。難癖をつけるには、意図さえあれば口実はなんとでも立てられる。屁理屈であっても構わない。そして、口実さえ出来上がれば、その正否など無頓着にそれを楯に無理難題を問う。相手が対応に窮すれば、今度はそれを新たな口実にして攻め立てる。まぁこんなことは、今昔に関わらず権力を漁り、それを弄ぶ者の常道である。可哀相なのは旦元君だ。何とか戦争を回避しようとはるばる駿府まで出向いて、持ち帰ったのがどれも淀君が選ぶはずも無い三択問題だ。案の定、疲れきって帰ってきた大坂城では、落剥のステージママは、「こんな馬鹿げた三択問題をおめおめ持ち帰ってくるなんて、アンタ本当は裏切ったんでしょう!もういいからとっとと出て行きなさい!」とおっしゃる。「あーあ、駄目だコリャ。こんな風じゃ、もう豊臣もウチもアカン。」と落胆して詠んだのが、「桐一葉・・・」だというのだ。彼は翌日、弟と一緒に大坂城を立ち退き、摂津にある自分の城、茨木城に帰ってしまった。慶長16年(1614年)十月一日の夕方のことだったそうだ。そして旦元君は、「この上は戦闘は避けられない。どの道豊臣にもう将来は無いのだから、いっそ早く戦いを終わらせて、無駄な犠牲を少なくさせよう。」と考えた。或いは、「もうこの上は勝ち目の無い豊臣じゃなく、後々のことを考えて本当に裏切ってやろう。」・・・まぁ、どちらかというより、上の二つの考えが共々に働いたというのが事実だろうな。それで、その後は家康側に積極的に内通して、大坂城中秀頼や淀君が滞在する場所など、機密情報をどんどん教えるようになった。大坂冬の陣だ。翌年の大坂夏の陣でも、同様であった。夏の陣の戦勝後、家康からは首尾よく家禄の加増を賜ったが、旦元君自身は淀君親子の自刃二十日後に、旧主を追うように亡くなってしまった。さて、この詩に詠まれた桐は青桐あおぎり(別名梧桐ごとう)である。これは樹高15メートルに及ぶ落葉高木で、成長が旺盛で排ガスにも強いため、東京の其処ここには街路樹として植えられている。木材としては軽くて柔らかく、加工しやすいので中国では棺桶の材料として重宝されたのだそうだ。旦元君が主家と吾家の滅亡衰退を感じ取った青桐が、棺桶の材料として珍重されるなど、皮肉な話ではある。青桐は九月になると、そろそろ舟形の実をつけ始める。
2005.09.02
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◇木曜日:旧暦七月二十八日 戊子(つちのえ ね) 二百十日今日は二百十日。いよいよ九月になった。今日から三日間は「おわら風の盆」である。飛騨山系から富山平野に下る途中に細く長く広がる坂の町、八尾でのお祭だ。元来風の盆は名前の通り、風治めの行事である。旧暦の二月は発達した春の温帯低気圧のせいで、八月は到来する台風のせいで、それぞれ強い風が吹く荒天の日が多い。それで、昔は「二八荒れ右衛門」などといって警戒した。似たような言い回しに、「二八月は思う子を船に乗せるな」とか、二八月は風の秋」などというのがある。「二八月の掌てのひら返し」は、この時期に吹く風の方向が急変しやすいことを云う。「八月の風は傍が迷惑」というのは、「傍」を「蕎麦」にかけた駄洒落だ。旧暦八月の暴風は、蕎麦の花に被害を及ぼす。だから「傍はた迷惑」を「蕎麦迷惑」に通じさせた。旧暦の二月と八月はそれぞれ新暦では三月と九月になる。だから「二八荒れ右衛門」とは云えなくなってしまって、これらの言い回しはすたれてしまった。残ったのは風の盆ばかりである。
2005.09.01
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