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◇12月31日土曜日; 旧師走朔 己丑; 大晦日、男鹿なまはげ関東太平洋岸はまだまだ晴れ昨日までの奮闘の余韻が残っていて、今日の朝はまだ普通の休日のような雰囲気だった。それでも、少しは年末らしくしようと、自分の部屋の片づけをして、来年のカレンダーを飾ったりする内に多少は大晦日らしい気分になってきた。今日は流石に会社には行かない。僕はここ何年か、年末になると一人で岐阜の母の家に帰り、晦日から大晦日にかけて母を温泉に連れて行く習慣であった。それが今年は年末ギリギリまで仕事で振り回された所為で、久しぶりに自分の家での大晦日とお正月だ。暫く別々にお正月を迎えていると、それぞれの波長がずれてくるようで、何だか自分が居候のようだ。昼間に岐阜の母に電話をしたら、やっと電話口に母が出た。先週の連休前に具合を悪くして、それ以来母は寝たり起きたりの状態だった。彼の地は、この冬は雪が多い。今年は僕が年末に帰れないし、気になって電話をしても、一向に答えない。暫く前に買い与えた携帯電話と、固定電話と交互に鳴らすのだが、20回近く鳴っても出ない。そういう日が暫く続いていたから、今日の電話に彼女が出てくれたことで、やっぱり少しは安心できた。話しぶりも口調もちゃんとしてはいたけれど、見当職はどうしても少しずれているようである。年が明け、ひと段落したら早々に帰省しようと思っている。それでも、先ずは電話口に出てくれただけで、多少の安心は出来るのである。今年は年初から大変大変で、一気呵成に年末にまで来てしまった感じがする。途中「何でこんなに苦労ばかりしなければならないんだろう」と思ったこともある。今年は運が悪いんだなどとも真剣に思った。しかし考えてみれば今現在、ちゃんと五体満足で生きているし、家族にもこれといった異変も無い。大変だ大変だといいつつも、大晦日の晩にパソコンに向かってこうしてブログを書きながら、暖かい部屋でビールを飲んでいられるんだから、今年はやはりそんな悪い年じゃなかったんだ。そう思うことにしよう。この頃年末とは限らないけれど、テレビはつまらない。芸能人だかお笑い芸人だか知らないが、自分達だけの内輪での冗談を、電波を使って世間に流しているだけのような番組ばかりだ。昔は、一家で揃って紅白歌合戦を見るというのが「お約束」だった。しかし、もうそういう状況もどんどん廃れてきている。先ほどちょっと見てみたけれど、名前も歌も知らないような連中と、昔から紅白の主のような演歌歌手のオジサンやオバサンがごたまぜになって、あまつさえ黒光りした顔のうるさいおじさんがそういう状況を煽っているのを見て、恐ろしくなってチャンネルを替えた。そして教育テレビの「ゼロ戦に欠陥あり」という番組に切り替えて、「ながら族」で細々としたことをやっていた。時計はあともう数分で新年だ。思えばいろいろ有ったけれど、株価も戻してきたし、乙酉の年はそれほど悪い年でもなかったようだ。往く年を無事に過ごせたことに感謝して、来るべき丙戌の年が寄りよい年になりますよう。ブログ友達の皆さん、あけましておめでとうございます。今年も又よろしくお願い申し上げます。
2005.12.31
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◇12月30日金曜日; 旧霜月二十九日 戊子今日も又東京は晴れ。風が強い。何だか今年はちっとも年末の気がしない。そういえばクリスマスだって全然クリスマスらしくなかった。これは僕だけなのだろうかと思って周りの人間に聞いても、皆同じ事をいう。今年はそういう年なのかもしれないなと、一時そんな風に思ったけれど、僕の周りの人間は何らかの形で僕と同じ環境を共有している者ばかりだ。つまりは、僕の周辺だけが徒党を組んで、あたふたどたばたと年末に駆け込んだということなんだろうな。晦日の30日も、会社に出て色々やっていたが、前日秋田の泥湯温泉では、温泉客がガス中毒で亡くなった。硫化水素中毒だそうだ。温泉地などで風のない日に近隣を散歩していると、こういう被害に合う危険がある。硫化水素は空気より重いから、風のない日には窪地に溜まる。しかも無色で、周囲の空気と区別がつかないから、歩いている途中にこういう窪地に迷い込んでも分からない。それで、中毒死してしまうのだ。わが国は火山国だから、方々に地下からのガスが噴出す地獄谷などという地名があるが、こういうところに不用意に踏み込んだりすると、文字通りの地獄谷になってしまう。犠牲になったのは、東京からの家族で小さな子供も居たということだから、年末にむごいことではある。ところで、「どうもこの頃、体のぐわいがはっきりしなかったんです。それで、やっぱり日頃の疲れが溜まったのだろうとうがった思いがあったんです。だから温泉に出かけることにしました。色々約束のある人も居たんですが、そういう人には、温泉地のおみあげでも買ってきてあげれば良いだろうと思いましてね。しなびた温泉にゆっくり浸かって、くつろいだ後に宿でいただいた鮟鱇鍋には肝も入り、あのもったりした味わいは何とも云えませんでしたね。・・・・」これは、どこかの方言?いやいや、壮年期でいらっしゃるれっきとした大人の方が折に触れておっしゃったり書かれたりした、「ちょっと変な日本語」をまとめてみたのだ。「ぐわい」は「ぐあい」ですね。「ぐあい」だと変換してちゃんと「具合」になるけれど、「ぐわい」だと「愚ワイ」なんてなっちゃって・・・・これは、なかなか含蓄があるなぁ。「うがった」は、この人は「疑った」とか「間違った」などと類義に思っていらした。でも本当は「穿った」で、鑿などの鋭い刃物で表面を掘り下げて、事の本質を突くという意味ですね。しかし、それが嵩じると考えすぎということになり、「間違った」という意味にも近くはなるけれど。「おみあげ」は、無論「おみやげ」。しかし、これは発音上の訛りのようなもので罪が無い。「しなびた」は「鄙びた」ですね、どうしたって。江戸っ子の訛りならともかく、「しなびた温泉」じゃぁどうも。鮟鱇も「もったり」した味わいでは美味しそうじゃないなぁ。これはやはり「まったりした味わい」とか、「もっちりした食感」とかでないと。思うに僕らより少し時代が下ると、皆さん余り本をお読みにならなくなったんではなかろうか?本といってもちゃんと字がたくさん書いてある本のことで、平仮名やカタカナの擬音語が溢れている画像中心の本のことではない。文字で意味を伝えようという意図がはっきりしているのであれば、別にちゃんとした文学書でなくても何でも良い。第一「ちゃんとした文学書」なんて、本当にあるのだかどうだか。人間は耳からことばを覚えて、やがて字を見てこれの意味を知り、言葉の文字への書きようや、その発音を矯正するのである。これは、洋の東西を問わない。わが国は、古来言霊の宿る国とされる。めでたい時は言葉遣いもめでたく、そうでない時は更なる禍を避けるために言葉を慎んだ。我が同胞は耳にも優れ、弓の弦を弾いてその音で魔を祓い、平と発し仄と合わせて韻を整えた。我々はその子孫である。やはり我が国土、我等が心に宿る言霊の伝統は守りたいと思うのである。その為には、やはり本を読むべきであろう。だって、いくらなんでも「しなびた温泉」じゃぁ・・・・ねぇ。
2005.12.30
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◇12月29日木曜日; 旧霜月二十八日; 丁亥東京地方は晴れ。会社は世間と同じで28日が仕事納めであった。夕方には僕が持ち込んだワインや、社員に買わせたビールに乾き物で、簡単に納めの乾杯をした。創業二年目の企業としては分相応のささやかなイベントではあった。それでも、最後の最後で、単年度だけど黒字で決算できそうな結果になって良かった。本当に良かった。持ち込んだのはかなり高級な赤ワインだったが、全てきれいに無くなってしまった。これは少し残念。仕事納めが終わっても、銀行は晦日までやっている。方々への支払いの引き落としには月末というのが多い。同じく入金も月末ということになるから、僕と業務担当は未だ休めない。支払い予定と、口座残高をにらめっこしては、必要なら資金移動に走らなければならない。どこかで齟齬が生じそうになると、自分の口座から資金を一時的に振り込んだりもしなければならないのである。まことに、会社というものを活かしておくには、損益よりもキャッシュフローが重要なのだ。ところが、最近の銀行はこういう時に実に不自由になった。先ず融資先への返済を立て替えるために、口座から相手の指定口座に振り込む。これは大丈夫。振込先は僕のとは別の銀行だから、他行扱いの振り込み手数420円が併せて引き落とされる。次に、続けて会社の口座に振り込もうとしたら、いつの間にか画面が最初の待ち受け状態に戻ってしまっている。振込証も出てきていないので、念のために残高を調べてみると、口座残高は変っていない。どうしてなんだ?年末の銀行のATMだ、後ろには長蛇の列である。気にしながら連絡用の電話を取ると、それまで手持ち無沙汰そうにしていたオジサンがやってきて「どうしました?」。事情を説明すると、振込みカードの磁気が弱っているから、もう一度最初から手続きして、振込みカードも作り直してくださいとのこと。それでやり直してみるとまた駄目だ。今度は「ただいまお取り扱いできません。備え付けの電話で係りの者にご連絡ください。」と表示が出て、あっという間に又初期画面に戻ってしまう。この表示時間が非常に短いから最初の時には気が付かなかったのだ。大体ATMなんてものは、パパッと操作して、必要な処理をしたら早々に機械を空けて待っていた人に譲り、さっさと立ち去るのが美しい。機械の前に立ってから財布を引っ張り出したり、書類らしきものを捜したりしながら、ガサゴソ延々と時間を過ごすのは、概ねオ×サン族に決まっているもので、僕はそういう有様を大いに軽蔑していたのだが、今回ばかりはいつの間にか自分がそうなってしまっている。焦っていると又銀行のオジサンが背後霊のように後ろに居て、「今日はお振込みはこれが初めてですか?」と訊ねる。「いや、2回目だ。」というと、一日に振り込めるのはキャッシュカードでは百万までだ。二度目の振込額を合算すると、一日の限度枠を超えるから出来ないのだ。そうおっしゃる。知らなかった!じゃぁどうしたらいいんだ、と聞くと、一旦現金を引き出して、窓口から振り込むことになるとおっしゃる。このオジサン、多分暫く前までは管理職の一端を担っていたのが、ご他聞に漏れず「高齢者排除」の流れの中で、ATM客の監視兼モタモタオ×サン族の指南役をやらされているんだろう。何だか態度がでかく、出来の悪い部下を諭すような口ぶりである。そこで、現金を引き出して窓口から振り込むとなると、年末で混雑している中で番号札を握って待たされた挙句、振り込み手数料は840円!しかも、またまた、今では一日にカードから引き出せる限度額は50万円に制限されているから、今回の必要額を引き出すには、通帳と印鑑を持っていない限り、二日間にわたっての作業になってしまう!大抵の人もそうだろうけれど、僕だって普段銀行の通帳と銀行印を携帯して歩き回ってなど居ないのだ。結局しょうがないから、振り込めるだけ振り込んで420円徴収され、引き出せるだけ引き出して業務担当に渡し、目的の銀行まで持参してもらうという作業に、二日間にわたって手数料とエネルギーを費やさなければならなかったのである。暮れも押し詰まってのことだ、支払いが滞ると会社の問題になってしまうから、時間に追われて気が気ではなかった。ATMでの暗証番号の盗み撮りなど、世の中には最近ハイテクでありながらケチな犯罪が横行している。その被害を最小限に抑えるためにという理由で、この9月からキャッシュカードの使用限度額が制限されるようになったのだ。僕も、そのことは銀行の掲示などで薄々頭にあったが、具体的にどうなるのかということには、細かい注意など払ったことは無かった。これも、殆どの人がご同様だろうと思う。今まで使っていたキャッシュカードをそのまま使うと、今では一日に50万円しか引き出せないし、同じく百万円までしか振り込めないのだ。こういうことはATMの機械の上に貼ってある掲示に書いてあるが、例外なく小さな字で延々細々と書いてあり、後ろに人が並んでいる時など、気が急いておちおち読めるものではない。思えば、ATMでの事故が喧伝されるようになってから、こういう対策が採られるようになるまで随分短期間であったような気がする。これは、銀行側の陰謀ではないのか?引き出し額を制限すれば、当然銀行残高は増加して銀行は嬉しい。振込額を制限すれば、手数料収入が増える。要するに、「預金の安全」を口実にした収益増対策になるから、何はさておき早々に実行したのだろう。そうじゃないか?最近報道されている、デリバティブやキャップの押し売りの実態を知れば知るほど、銀行側のやりかたにはえげつなくもひどいものが有る。あれは、旧財閥系の大銀行の所業だが、他だって似たり寄ったりだろう。それに、特に資金繰りに汲々として銀行に頼らざるを得ない中小企業に被害者が多いというのも腹立たしい。年が明ければ、又別の都銀の合併があり、これで、日本の大銀行はわずか三行に集約されてしまう。そうなると、健全な競争よりも、むしろ大銀行間での一種のカルテルじみた結託が進むのではないか?どうも近頃の銀行は油断がならないのである。ところで、キャッシュカードの限度枠は届け出ることによって拡大することが可能である。個人の場合、一日辺りの引き出しと振込みの限度額は共に2百万円までである。ところが、新年以降にこの手続きを行なうと、手数料として1050円取られるのである!事ほど左様に、「自分のお金」を銀行に預けると色々コストがかかってしまうのである。一方の預金金利はご存知の通りだ。これでは、タンス預金を市場に引き出すことにはならないでしょうに。※上記は、僕が口座を持っているメガバンクでの話である。詳細は銀行によっては少しずつ違うようだ。しかし、大勢において銀行間で大差が無いのには変わりない。
2005.12.29
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◇その(2)12月24日(土曜日)関東太平洋沿岸はやはり晴れでした: 旧霜月二十三日 壬午;クリスマスイブ今日は云うまでもなくクリスマスイブである。子供の頃、クリスマスイブにどんなものを食べたか、お祝いなどというものをしたかどうか、よく覚えていない。当時は七面鳥など、遠い異国の物語にしか出てこない、僕にとっては伝説の鳥だったし、無論食べたことも無い。どんな味がするものか、想像もつかなかった。絵や写真で見る七面鳥のローストは、皮がこんがりつややかに光って、如何にも美味しそうであった。後年、確かアメリカで初めて食べたのだが、淡白というよりはパサパサと味も無く、裏切られたような気がしたものだ。特段の飾りもお祝いも無かったけれど、僕が小学校の二年くらいまでは、親はプレゼントを枕元に置いてくれていた。クリスマスの朝は目が覚めると先ず布団から手を出して枕元を探るのが習慣だった。枕元にがさごそした気配を感じると寝返りを打って、何があるのかと開けて見る時のウキウキした気持ちは、今でも覚えている。家の場合は、毎年必ずサンタさんの砂糖菓子があった。砂糖をサンタクロースの形に張りぼてみたいに成型して、それに食用絵の具で衣装やひげが描いてある。色々うるさい今時ならば先ずはお目にかかることが出来ないお菓子である。これは最初にかじりつく時には、勿体無くて勇気が要るのだ。そうしてもう一品、本とか玩具とかがあるのが常であった。こういうものは父親が買って来たに違いないけれど、口数の少ない厳格な父親がどんな顔をしてこういうものを僕と妹の分購入したか、狭い家の中に僕らに見つからないようにどう隠したか、今になって想像すると可笑しいし、何となくしみじみした気持ちにもなる。小学校三年だったと思うが、クリスマス前に父親から、「もうお前も大きくなったから、サンタクロースのプレゼントでもないだろう。何か欲しいものがあったら云いなさい。本が良いか?本ならどんな本が良い?」と聞かれた時は、寂しかった。僕だって薄々サンタクロースが架空の存在だとは分かっていたと思う。しかし、敢えてそう聞かれると、のどかな子供時代から破門されてしまったようで、裏切られたような、仲間外れにされたような寂しさを感じたのである。クマのプーさんの最終章での、クリストファー・ロビンのような気持ちだったんだろうな。こういう気持ちは、後年に至るまで良く覚えているものである。今日のイブは様々な家に様々に訪れているのだろう。ブログ上のお友達の釈迦楽先生の文を読むと、昔も今も中々味のあるクリスマスをお過ごしのようである。我が家では、もうサンタクロースは遠い過去の伝説になってしまった。クリスマスは、元々ヨーロッパでの冬至のお祭を、布教拡大を狙うキリスト教会が取り込み融合した結果の行事だそうだ。だからヨーロッパでは、未だキリスト教以前の風習が随所に残っている。ドイツもそうだ。ドイツ語でクリスマスはヴァイナハッテンといい、キリストの名前はどこにも出てこない。サンタさんに相当するのは、ヴァイナハツマンという老人で、これは冬至の神様である。ヴァイナハツマンは、雪の中を鞭を持って方々の家を訪ねて歩く。そして、良い子には小さなプレゼントを渡し、悪い子には鞭を与えるのである。これなど、わが国の東北地方のナマハゲに通じるものがある。サンタさんの衣装も、ドイツではまちまちで、僕は実際に青い衣装を着た「サンタさん」を目にしたことがある。ヴァイナハツマンは、黒っぽいゾロッとしたボロボロのコートだかなんだかを纏っていて、可愛くないこと夥しい。これは長く厳しい冬のさなかに出てくる冬至の神様なのだから、しょうがないのだろう。実は、今では当たり前になっているサンタさんの紅白の衣装は、1930年代にアメリカで発明されたそうだ。それも、コカ・コーラ社が、自らの飲料の宣伝のために、北欧出身の画家にデザインさせたのだという。なるほど、コカ・コーラのロゴは確かに赤と白の組み合わせだし、ビンの形も何となくサンタさんの体系に似ていなくも無い。
2005.12.24
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◇12月24日(土曜日)今日も関東太平洋沿岸は晴れでしょう: 旧霜月二十三日 壬午;納めの地蔵金曜日の夕方、右膝に不穏な兆候を抱えながら、来客との会議をこなしている最中、「自宅から電話です」とメモが入った。我がカミサンは出来た女だか、或いは単に亭主の仕事には無関心なのだか、何れにしろ仕事中に電話をかけてくることなど殆ど無い。こうして電話が掛かってくる時は、従って良いニュースより悪いニュースである確率が高いのである。会議を中座して嫌な予感を持ちながら電話を返すと、「岐阜のお母さんの具合が悪いらしい。お隣から電話があって、昼間会った時には顔色が悪く、具合が悪そうだった。暗くなっても灯りが点かないし、どこかへ出かけているのか?そうでなければ、家に居るのか?何れにしても心配だから、と連絡してきた。」ということである。我が母は今年83歳である。何年か前に寡婦となって以来、一人で岐阜の実家に住んでいる。幸い車で20分くらいのところに妹が住んでいるので、普段はそれに甘えてこちらは東京で出稼ぎが出来る。しかし、年来高血圧気味で降圧剤を服用しているし、昨年辺りから少し記憶に不明瞭な欠落が見られるようになって、いささか気になってはいた。しかし、こちらは起業したばかりだし、いざとなれば自由が利かない。「お母さん、後少なくとも4年はしっかりしていてよ。それまでボケたり、体を壊したりしないでよ。4年経てば、こちらもちゃんと色々できるから。」と折に触れて申し上げているけれど、これは切実な気持ちである。そのたびに、我が母君は、「ふん。分かっとるで。ちゃんと呆けぇへんし、体も元気やで心配しやぁすな。」と岐阜弁丸出しでおっしゃってくれる。そうはいっても80歳超の、決して若いなどとは云えぬ御身である。こういう電話を受けると、すわ何かあったかと心配になる。とりあえずは妹に電話してみた。母の家の予備の鍵は妹しか持ってはいない。ご近所も心配してはいただけるが、母の家に入ることは出来ないのである。だから、先ず妹に連絡して、何かあるようなら母の家まで行ってもらおうと思ったのだ。電話に出た妹は、先ずは電話してみると云ってくれた。しばらくして再び妹からの連絡が入り、何度も呼び出してはいるものの電話に出ないとの事だ。おまけに岐阜は雪が降り出して、どんどん積もりそうな気配だと。もう電線には雪が降り積もり、暫くすれば道にも積もるだろう。そうなると、車で母の家まで行くのは難しいともおっしゃる。インターネットで調べると、確かに東海地方は降雪中で、今後もっと降雪量が増えるだろうとの予報である。いよいよ心配になった。これから、痛む膝を抱え、駅に駆けつけて新幹線に飛び乗り、母の家まで駆けつける場合の段取りも頭によぎる。来客には言い訳をして、しばらく時間を貰い、こちらからも電話をしてみた。母の家には従来からの固定電話の他に、僕が買ってあげた携帯電話もある。昨今は、街角から公衆電話というものが急速に姿を消しつつある。それで、老人は外出中に何かあった時にどこかに電話しようと思っても、思うに任せないのである。公衆電話の消滅だけでなく、路線バスが廃止されたり、路面電車が撤去されたり、近所の八百屋は大型スーパーに押されて廃業したりと、この頃の文明の進歩は左様に高齢者の利便性を犠牲にする方向に向かっているのだ。それで、暫く前にテレビでも最近宣伝されている、一番簡単な携帯電話を買って、母に持たせた。「出かけるときには、これを持っていくんだよ。何かあった時には、これで電話できるんだから。」と、僕や妹や、ご近所の人の電話番号をプリントした紙を、電話機のボディーに貼り付けてもおいた。しかし、母はどうもこれを上手く使ってくれない。練習のために、何度か彼女の携帯電話に電話してみたのだが、その度に電話口でボソボソ云っている気配があるのだが、一向に話が通じない。「何やね、これ。声が聞こえぇへんがね。もぉーしもぉーし。壊れとるんやないの。しょうがないねぇ、こんなもん。」それで、ブチッと切れてしまう。どうなっているのかと思って、次に帰省した折に実験してみたら、電話が掛かってくると母は電話機を正面に持って、受話口に向かって喋っていらっしゃる。これでは、聞こえないのは当たり前だ。携帯電話は一般に送話口は小さな穴が開いているだけで、昔ながらの電話機のような形をしていない。だから、母は一応耳に受話口を当てて音を聴くけれども、話す時にはこれを正面に持ち替えて、受話口に向かって話してしまうのだ。これは多分高齢者には良く見られる行動だと思う。「ユニバーサルデザイン」などとカタカナで麗々しく喧伝なさるのなら、こういう辺りは、メーカーもちゃんとシニアの人々の現実を考えて設計してもらいたい。そういうこともあって、この小さな胡乱なおもちゃに不信感を抱いたのだろう、母は出かける時には携帯電話を家に置いていくようになってしまった。これで、件の携帯電話は「携帯」でなくなってしまった。それに、昔の人だから外出の時には家中のコンセントを抜いていらっしゃる。コンセントを入れたままにしておくのは冷蔵庫だけだ。冷蔵庫が日本の家庭に普及したのは随分以前のことだからだろう。だから、外出中に何度も空しく電話をしているうちに、電池が切れてしまって、「おかけになった電話は電波の届かない場所か、電源が切れて・・・」などというメッセージが帰ってくるようになり、事情を知らないと余計に心配してしまうのだ。ともあれ、固定電話と携帯電話に何度も交互に電話をかけているうちに、やっとご本人がお出ましになった。ほっとしながらも、どうしても詰問調になってしまう。眠そうな声でおっしゃるには、少し疲れたので、布団に入って寝ていたとの事。食事はしたかとか、ちゃんと暖かくしているかと確認して電話を切り、カミサンに妹、それに心配して連絡を下さったご近所にも全て電話をかけて事情を説明しお礼を言って、やっとひと段落ついたころには、こちらも疲れてしまった。明けて土曜日の朝、母に電話をしたら、今度は直ぐに電話に出てもう随分良くなったとの事である。雪はどうだと聞いたら、窓越しに未だ降り続いているのが見えるけれど、どれくらい積もっているかは分からないと。つまりは未だ布団の中に横になっているのだ。「妹が心配してるよ。どうする?来て貰う?」というと、その時ばかりは毅然たる言葉で、「来て貰わんでもえぇ!」とおっしゃる。「それでも彼女も心配しているんだから、お母さんから電話して、来なくても大丈夫だと云えば?」といっても、「あんたから、電話して断っといて。」とにべもない。実は、母と妹はどうも暫く以前から折り合いが悪い。妹はいささか癇症なところがあって、母の立ち居振る舞いや口の利き方が気に障ることが多いようなのである。母は母で、昔々教師をやっていた所為か未だに誇り高いところがあって、娘に一挙手一投足を指図されるような状況が我慢できない。妹はそれでも母のことが心配で、毎週必ず一度は訪れてくれている。母も、実はそういう面には感謝しているのだ。ところが、お互いが顔を突き合わせると、常に剣呑な雰囲気になってしまう。母も、健康な時には結構抑えているようだけれど、今回のように具合が悪いと、鬱陶しさが勝ってしまうのだろう、実の娘に対して辛らつで容赦が無い。母と娘が歳をとるほどに仲が悪くなるのは、一般的な現象なのだろうか。何れにしても遠隔地に居て有事に際して即応できない長男としては困ったものである。しょうがないので妹に電話をしたら、一晩で40センチ以上も雪が積もって大変だという。先ほどお母さんに電話をして、雪の様子を聞いたら、「庭に少し残っとる程度やよ」などと云っていたけれど本当だろうか?若しそうなら、雪掻きしてでも行かねばならない。何しろご近所の目があるから、近くに住む娘が行けるのに行かないと何を云われるか・・・と、もう既に声が上がり調子である。「大体お兄ちゃんのように、一年に一回しか来ないで、孝行息子面ができる人とは違うんだよ!」と今度はこちらに矛先が向いてくる。くわばら桑原!確かにこちらは、普段は妹に頼りっぱなしなのは事実だから、ここはヒラに謝って、それでもそんなに雪の量が違うはずはないし、「庭に少し残っとる程度」なんてあり得ない。電話口での口調もしっかりしていたから取りあえずは、今日のところは大丈夫だよといって、電話を切ったことではある。老いた親から離れて住む人は多かれ少なかれ似たような経験がおありだろうと思う。今回は、ともかく大事に至らずに済んで良かったが、今後こういう状況は更に頻繁になるであろう。色々心配ではあるし、又気骨の折れることでもある。「親が元気で居ることが、何よりの子孝行」とはよく言ったものである。我が母君にはくれぐれも元気で居ていただきたいものではある。少なくとも後4年ほどは。
2005.12.24
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◇12月23日(金曜日)晴れ:旧霜月二十二日 辛巳; 天皇誕生日一昨年だったと思うけれど、或る日、夕刻から膝が痛くなり見る間に腫れてきた。我慢できなくなって朝になるのを待ち医者に行ったら、変形性関節炎と診断され、「加齢によるものです」と云われてショックだった。四十歳を越した頃は、「オジサン」と呼ばれてショックだった。昨年の夏、嫁いだ長女に男の子が生まれて、カミサンや娘から「オジイチャン」と呼ばれてショックだった。行きつけの飲み屋で、初孫の誕生を話題にしたら、そこのオカミからも「オジイチャン」と呼ばれて、そっちの方がもっとショックだった。誰でも多分そうだろうが、人間というものは自分からは老化を認めない。少なくとも認めたくはない。周りはどうであれ、自分だけは例外だと思い続けたい。人に言われてショックを受け、それが何度も繰り返されて、やがて不承不承抵抗を諦めることになるのである。抵抗を諦めず、頑として否定し続ければ、ひょっとしたら若いままでいられるかもしれない。人間は「気」の生き物だ。これは是非やってみよう。心頭滅却すれば加齢もまたこれを侵し得ず。だ!?ところで、変形性関節炎だが、医者に行って膝に溜まった水を抜いてもらって、腫れも痛みもかなり治まったが、指定された二週間後の通院日が近くなると、今度は同じ足の先が腫れて痛くなった。診察の際にそういうと、今度は「痛風ですね」と云われた。レントゲン写真を僕に見せながら、関節の軟骨の磨耗変形は見られないから、先日来の膝の痛みも恐らくは痛風との関係だろうと。僕は医者では色々しつこく訪ねる方だが、レントゲン写真だけは何度説明されても良く分からない。なぜあんなに明瞭に診断が下せるのか。目を凝らしても、もやもやした濃淡が見えるだけだ。色々説明されても、「そういうものかなぁ」と半信半疑だ。本当は、医者だって見かけほど自信を持てないのではあるまいか。変形性関節炎と診断された関節が、二週間で普通に戻るわけはない。それにしても「加齢による変形性関節炎」よりも、「高尿酸血症による痛風」と云われてむしろほっとするのだから妙なものだ。「加齢による・・・」という言葉の持つ不可逆性には、希望が無い所為なのだろうな。高尿酸欠症には、尿酸の排泄を促進する治療法と、尿酸の生成を抑制する治療法の二種類があって、その何れかは症状によるのだそうだが、僕の場合は単純に排泄を促進する治療法が適合するのだそうで、そういう意味では、器質性の原因ではなく、まぁ良かった。しかし、あの痛みには変りはないから、その時は「これからは色々注意して二度となるものか」と思った。しかし、喉もと過ぎればなんとやらで、うっかり戒律を破っては、「今度からは気をつけよう」ということばかりである。それに、今のような仕事に追われる毎日では、中々抜本的な体質改善など、実際上できるものではない。そうこうする内に、一昨日辺りから右足の膝に不穏な感じがしてきた。前回で懲りて以来、僕なりに色々勉強して、対症法は準備してある。第一師走の最も忙しい時期だ。医者に行くこともままならないし、ましてや仕事を休むことなどできない。尿酸値を下げる薬(僕の場合ザイロリック)は、処方薬であり処方箋無しに薬局に行っても売ってくれない。だから、飲酒をやめて水分を多く摂取し、自ら尿酸の生成を抑制し、排出を促進するしかない。日頃の活動に支障をきたすのは、足の腫れとそれによる痛みだから、対症的にはこれの緩和に集中することになる。そこで、「経皮吸収型鎮痛消炎貼付剤」、簡単に言えば湿布を用いる。インドメタシンを主剤にした所謂冷湿布である。これを、患部を包み込むように貼る。痛くて腫れているところだけではなく、周辺も含めて「贅沢に」貼るのである。そうして伸縮性の包帯を巻きつけて留めた上にズボンをはけば、一応外見上も大丈夫になるし、行動中に湿布が剥がれ落ちることは無い。もう一つは、経口鎮痛薬だ。これは一般の市販薬としても色々販売されているので、普通に薬局で買うことが出来る。僕の場合はメフェナム酸が効く。所謂非ステロイド系消炎・鎮痛・解熱剤である。同様の薬には、エピリゾールもあるが、僕の場合これは効かないようだ。一昨日は、仕事の関係でどうしても外せない食事会があり、これはちゃんとこなしたが、そのお蔭でてきめんに痛みと腫れが進行し、何とか車で家に帰ったものの、下車してから家の玄関までたどり着くのに必死の思いをした。家に上がってから二階の自分の部屋に行く際も歩いて上がれず、階段に腰を下ろし、両手と無事な方の足を使っていざり状態でたどり着く有様であった。そうして何とか着替えをし、上記の処置を施した後でやっと横になることができた。寝付けないことを輾転反側というけれど、足が痛いとこれができない。姿勢を変えるだけで、痛みが走り自由に寝返りを打つことなどできないのだ。一時的に二足歩行の動物ではなくなってしまうのである。しかし、膝の周囲に貼り廻らした湿布と、メフェナム酸が効力を現してくれたようで、今朝目覚めたら痛みは随分軽くなった。腫れはそんなに早々に引かないが、多少分散を始めたようである。未だよちよち歩きではあるが、一応二足歩行は何とかできるようになった。幸いにして師走の三連休だ、この間大いに自重すれば、月曜からは又仕事に復帰できると思う。まぁ、50年以上使っていれば、体にも色々な不都合が生じる。しかし、初めての病気ならともかく、過去に経験した症状であれば、注意していれば予兆を感じることができるし、症状の推移も概ね分かる。具合が悪くなれば直ぐに医者に行くべきだとか、普段から医者にかかって、早期の発見や未然の予防に心がけるべきだ、とはよく言われることではあるけれど、忙しい仕事の世界に身を置いている多くの人にとっては、これを実践することは殆ど不可能だろう。だから、自分の体には自分でプローブを入れて走査し、すこしでも予兆を感じた時には、対症法であれ即座に講じてやれば、随分違う結果になるというのが実感である。僕のこの症状を知っている周囲は、等しく「寒い時は股引を穿け」と忠告を下さる。僕は、幼稚園を出て以来股引なんて無粋なものは穿いたことがない。青春時代を過ごした信州松本は、真冬になると零下10度を下回る寒気が平気で襲ってきて、室内でインクも凍る寒さだったが、そこでも股引を穿くことはなく、下宿のオバサンに、揶揄だか感心だか「まぁ!しょう(性)が良いねぇ」とよく云われたものだ。だから、「あんな不恰好な野暮なものなんか穿くものか」と云っては見たのだけれど、「もう歳なんだから無理しなさんな。炎症を起こしている最中はともかく、普段は冷やすのが良くないよ。歳なんだから粋がってもしょうがないでしょうに。」と云われてしまう。あぁ、又「歳」だよ。しかし、そう云われてみると、なんだか説得力がある。別の友人は、「人間の体液中の水分は、約3ヶ月で完全に入れ替わる。だから、体質を抜本的に改善するには、3ヶ月間清涼な環境に身を置く必要がある。昔の湯治だって、3ヶ月滞在したものだ。だから、クラスター水を3ヶ月間飲んで・・・・」ともおっしゃる。なるほど、これも説得力がある。しかしこういう話題が友人との間に頻繁に出てくるようになったのも、それに説得力を認めてしまうのも、これも又「加齢現象」なんだろうな。それで、今日はリハビリを兼ねて覚束ない足取りで車に乗って、とりあえず近所の衣料品店に股引を買いに行った。男性用下着のコーナーで、にっくき股引を恐る恐る手にとって見たら、股引ではなく「ロングパンツ」と書いてあった。何となく許せる気になった。まぁ、股引じゃなくてロングパンツならいいか。それで、幾枚か買ってしまった。あぁ!たまたま今日、娘夫婦が二人で食事に出るため、孫を預かった。こいつは普段殆ど会わないから異物でも見るように僕のことを見るし、未だまともな日本語は話せない。この坊主が日本語を話せるようになっても「オジイチャン」とは呼ばせないで、商社時代海外での僕の呼び名であった「マック」と呼ばせるつもりである。節を曲げて股引を穿くのはやむを得ないが、「オジイチャン」と呼ばれるのはまっぴらである。
2005.12.23
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◇12月18日(日曜日)晴れ:旧暦霜月十七日 丙子;納めの観音もう暮れも一気呵成に押し詰まりつつあり、あらあらと云ってる間に今日は「納めの観音」である。江戸時代には、年に三度の観音様の大市があった。浅草の観音様の縁日は毎月18日だが、特に12月のそれは年の納めの縁日というわけで、師走の17日と18日は「歳の市」といわれ大いに賑わったのである。この日、武家や大店では、家来や奉公人に用心籠や長持ちをかつがせては大挙して浅草にくり込み、贔屓の店で買い物をし、帰りに料理屋で威勢をつけるのが慣わしだったという。当時の人たちはこうして、新しい年を迎える気分を盛り上げていったのだ。それにしても寒い。この何日かずぅーっと寒い。もう無闇と寒い。このところ、日本列島の上には大陸からの寒気団が執拗に居座っていて、方々で雪が降っている。首都圏地方は、冬型の気圧配置の下では大抵は晴れるしくみになっていて、今回も例外ではない。北陸や東北地方での大雪のニュースを尻目に晴れっぱなしだ。列島を日本海側から太平洋側に渡って来る間に、寒気団に含まれた水分は雪になって地上に還元されてしまうから、首都圏地方には湿気を濾し取られた乾いた空気がやってくる。しかし寒さは変らない。雪国の、あの骨の髄に沁みるような寒さではないが、その代わり肌がかさつく寒さである。鼻は乾き、涙は出る。お付き合いでアルコールを体内に入れても、お店を出れば冷や水を浴びせられたようで、すぐに吾に返ってしまう。勿体無いことおびただしい。それでも、気象庁は「長期予報では暖冬です」などと、かつてそう発表してしまった手前頑張っているが、さてどうなることやら。最近の河豚と天気予報は当たらなくなった。大寒波の襲来だろうが、納めの観音だと周りが浮かれていようが、こちとらしがない創業社長としては、相変わらず事業資金の調達に奔走中である。資本主義の世の中、事業の成否は技術が優れているとか、識見豊かとか、社長の人柄が良いという理由などには一向に左右されるものではない。事業資金を途切れることなく還流させて、波頭に身を置き続けることのみが成功の鍵である。特にITの世界は、歴史も浅く、変化も目まぐるしいだけ余計に、お金を持っている人は商売の中身など分からないし、新進の事業家は恒常的にお金がないというのが一般の図式である。だから、事業資金の調達を巡る彼我の攻防はいささか「コン・ゲーム」の様相を呈する。コン・ゲームというのは、利害相対する者同士が、知力を尽くして策略を仕掛けあい、虚虚実実、勝敗が二転三転する駆け引きのことで、小説や映画のジャンルの一つになっている。元々はConfidence Manから来ている言葉だが、これは直訳すれば「自信家」ということになる。これが「自信家」→「如何にも自信ありげに振舞う人」→「ペテン師」→「詐欺師」となって、コン・ゲームはそういう連中がしのぎを削る「騙し合いゲーム」という意味になった。無論アメリカでの造語だ。コン・ゲームの映画といえば、「スティング」というのが有名で、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードのコン・マン振りは胸のすくほど愉快だった記憶がある。もうずっと以前になるが、仕事で或る電機メーカーの工場を訪れた時のこと。設定してくれた工場の見学に際して、何重ものチェックを経なければラインの現場に入れない仕組みに驚いたことがある。今では個人情報保護法の施行の影響もあって、ちょっとした会社でもエスコートが居なければ、或いは然るべき手続きを踏まなければ、オフィス内に入れないのが常識になってしまった。しかし上記は、未だセキュリティなどという言葉すら余り一般には使われなかった頃のことだ。案内についてくれた人に、「随分厳重な機密保持対策がとられてますね。余程重要なノウ・ハウが内部にはあるんでしょうね。」と云ったら、件の紳士は「何、何の秘密もないことを隠すために、これだけのガードをしてるんですよ。」と苦笑交じりにおっしゃった。無論冗談ではあったろうが、「なるほど、秘密がないことも秘密になり得るんだ。」と感心したものだ。これも、コン・ゲームの一端ではあろうが、実際のビジネスの世界ではこんなものが児戯に見えるほどの状況であろう事は、最近何となく背骨の両脇あたりの神経で感じるようになってきた。最近手にした「侵入社員」※1という本も、IT分野でのコン・ゲームがテーマだったが、原題が「PARANOIA」というのは、まことに当を得て妙である。折も折、昔の友人から「やっと自分の作品を上梓しました」というご案内のメールを戴いた。彼は半導体の分野でのエンジニアとしてキャリアを積んだ後、1997年に転じてミステリー作家を志された。そしてこの師走に最初の小説を出版されたのである。僕とは、彼の子供時代に家が隣同士だった程度のお付き合いだが、当時から都会の匂いを漂わせた、白皙の美少年であった。当事者ならずして、「敢えて糊口の途を捨て、小説家を志して苦節八年・・・」などと陳腐なことを言えるはずも無い。それに、彼のことだ、他人には苦難に思えるときでも、軽妙・スマートに処して来られたのであろうと拝察する。それでも、今年の春に或る小説大賞の優秀賞を授与され、作品の上梓が決定した時のメールには、「嬉しい、本当に!」と喜びの気持ちが文面で踊っていた。今回の出版には、僕も心の底からお祝いを申し上げる。大ちゃんおめでとう!乾杯!彼のペンネームは阿川大樹。出版されたばかりの本は「覇者の標的」※2という。受賞した作品のもともとの表題は「スピリット・オブ・サイエンス」といい、IT(半導体)分野での新技術の開発と起業にかけたエンジニアの心意気を描いた話だという。これから暫くは通勤電車での楽しみになってくれると思う。※1: 「侵入社員」上・下 フィンダー・ジョゼフ著 石田善彦訳 新潮文庫 2005年11月ISBN:4102164138※2: 「覇者の標的」 阿川大樹著 ダイヤモンド社 2005年12月 ISBN:4478930740阿川大樹氏のホームページは、http://www.asahi-net.or.jp/~dr4t-ogw/
2005.12.18
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◇12月13日火曜日:旧暦十一月十二日 辛未; 晴れ寒い。ボールドフォントで「寒い」と書いて、ついでに飾り文字にしたいほど寒い。東京の十二月というのは、十一月の延長であって、普通は未だ冬ではない。未だ秋の真っ盛りなのだ。普段の年はそうなのだ。実際、御茶ノ水駅から幾つもの大学の間を抜けて、靖国通りに至る道の端の銀杏並木が金色に燃え立ったのは、未だつい一週間ほど前の事だ。それが数日前から、急に真冬になった。小寒いと感じるようになった二週間ほど前から、薄いコートを出して、通勤の往還には羽織るようにした。白っぽくて薄く、すこぶる軽いので、結構気に入っているのだけど、ここ二三日はそれでは頼りなくなって、ついに着脱式の背裏を付けた。要するにフリースのちゃんちゃんこのようなものを、半身十個、合計二十個のボタンで本体に取り付けるのだが、これが、順に釦を留めていくのが中々難しくて、必ず一度は釦と釦穴の不整合が起こる。今回もそうだった。大体僕は釦をちゃんと間違えずに留めたり、CDやカセットテープの「包装剥き」というような操作が苦手である。思うように行かなくても、力を入れれば良いというものでもなく、段々背中の肋骨の辺りがこそばゆくなって苛々してくるのだ。そうして苦労して背裏を付けたのだけれど、今朝はそれでも尚頼りないほど風が冷たかった。大陸から優勢な寒気団がわが国上空に入り込んで、北海道は無論のこと、日本列島の日本海側は押しなべて雪だそうだ。今日は鹿児島でも積雪を見たそうだ。日本海側で大雪が降る冬の季節は、関東付近の太平洋側は概ね晴天で空っ風が吹く。夕べ夜遅くに家に帰る道すがら、見上げた十二夜の月は、蒼白く中天に輝いてこれまた如何にも寒そうだった。それでもこの冬は「長期予報」では暖冬なんだそうだ。地球温暖化というのが色々云われ、人間の活動で排出されるCO2の温室効果の所為で、亜熱帯の毒蜘蛛や色々な病気を媒介する蚊がどんどん北上してわが国にも姿を現し繁殖するようになったとか、南極や北極の氷が溶けていずれ海水面が上昇し・・・というのは、京都議定書以来最近の「常識」だが、僕は本当にそんな風になるんだろうかと、実は懐疑的である。自然はお椀の底のビー玉のような形で安定を取らない。むしろ鐙あぶみの背の上に置かれたビー玉のような、実に危ういバランスを取っているのだという気がする。何かのきっかけで、ビー玉が鐙のどちらか偏ると、あとは偏りはどんどん加速されてしまう。この時再び氷河期に向かう確率のほうが高いだろうと、どうしてもそんな気がする。暫く前に、マイクル・クライトンの「恐怖の存在」※1を読んで、いよいよそう思った。鼻の頭が痛むほどの寒気を突いて足早に歩いていると、何だか精神が昂揚して来て、脈絡もなく青春時代のことを思い出したりする。僕の青春時代というのは、冬枯れの林の中を吹きわたる木枯らしをコートに受けて、樹冠の高さまで舞い上がることができたり、まだ当たり前のように空を飛べた頃だ。但し、僕の場合は飛ぶといっても、足を一歩一歩空中に固定して高度を増し前進するやり方だから、スーパーマンのようにかっこよくはない。それに、いささか忘我の状態に意識して自分を置いておかないと直ぐに地上に落ちてしまうから厄介だ。「意識して忘我の境地に身を置く」というのが、それ自体自己撞着になるのだろうけれど、実際そういうことだからしょうがない。こういう時に最近読んでフィーリングが合うのが、伊坂幸太郎君という作家である。彼は千葉県出身で東北大学法学部を卒業されそのまま仙台に居ついてしまった、未だ三十路半ばの新進ミステリー作家である。未だ充分に「意識して忘我の境地になれる」お歳なんだと思う。僕は、殆ど偶然のように本屋で彼の「オーデュボンの祈り」※2に出会い、物言う案山子にはまった。その後彼の作品を漁って、単行本で出版されているものは全て読んでいる。彼の作品には、必ず非日常の光景があるのだけれど、それがごく当たり前のようにプロットに織り込まれている。とにかく登場人物が不思議を日常にしてしまっているのだから、読んでいる方もそういう世界に入っていってしまうのだ。彼の本は、最近、「魔王」※3に「砂漠」※4と新作が立て続けに二冊出版された。「魔王」では、十分の一程度までの確率だったら確実に勝ちを当てられる人間が出てくるし、「砂漠」では遠隔操作でものを移動させる力を持つ人間が出てくる。こういう本が寒い木枯らしの吹く日には似合うのである。明日ももっと寒いのだそうだ。だから、コートにはマフラーを添えることにしよう。それでも、もう伊坂君の本は読んでしまったから、ギデオン・オリバー君が活躍する最新翻訳物、「骨の島」※5でも読むことにしよう。※1 「恐怖の存在」(上・下) マイクル・クライトン著 早川書房2005年10月 ISBN: 4152086688 ※2 「オ-デュボンの祈り」 伊坂幸太郎著 新潮文庫2003年11月 ISBN: 4101250219 ; (2003/11)※3「魔王」 伊坂幸太郎著 講談社2005年10月 ISBN: 4062131463※4「砂漠」 伊坂幸太郎著 実業之日本社2005年12月 ISBN: 4408534846※5「骨の島」 アーロン・エルキンズ著 早川ミステリー文庫 早川書房2005年10月 ISBN: 4151751041
2005.12.13
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◇水曜日:旧暦十一月六日 乙丑; 大雪今日は二十四気の大雪だ。早いものだ。あぁもう忙しい。師走なんて、走るのは師ばかりではないのだ。ベンチャー企業の社長も走る。ホリエモンなどの「IT成功組」も走るかもしれないけれど、これはせいぜい六本木ヒルズのスィートの広間の中を酔っぱらって走り回るか、「ヒルズ」の周りを早朝ジョギングする程度だろう。「ホリエモンになりたい!組」の若者社長は走る。ビンボーだからそれこそ脱兎の如く走るであろう。カネを求めて、仕事を求めて、わき目もふらずなりふり構わず走る走る。ロートルベンチャー企業の社長も、それに伍して走らなければならない。しかし、歳だから息は上がる。足はツる。腰は痛い。膝は笑う。「歳の分だけ頭を使って、知恵を凝らして」なんて思うだけで、こういう時に限って「シニアの知恵と経験」なんてクソ(失礼!)の役にも立たない。銀行は年配の知恵者だからという理由などでは、お金など一銭も貸してくれない。逆にヒィヒィゼイゼイ云っている様子を冷ややかに眺めて、「そんなお歳じゃ、お金を用立てしても返すまで生きて無いんじゃないの」と云わんばかりの様子だ。たかが他人の金の番人のくせして偉そうに・・・と思うけれど、そんなことは口が裂けても云えない。それが辛いけれど、最近は幾分自虐的な快感さえ感じる時があるから、そういう自分が怖い。この間なんか、通勤の私鉄が急停止して、「××駅構内で妊娠事故が発生したため、暫く運転資金を停止します。」と車内放送が聞こえて、青くなった。地下鉄の放送で、神保町が「ビンボー町」に聞こえて落ち込んだが、未だ「腎膨張」に聞こえなかっただけ却って幸せになった。少なくとも未だ前立腺肥大にはなっていない・・・・だろうと思う。でも走る。意地でも走る。希望で走る。その辺はそこいらのロートルとは訳が違う。痩せても枯れても「2007年問題組」なんかじゃないぞ、コチトラ。何しろ北条早雲は、80歳を過ぎるまで、自ら陣頭で走ったのだ。・・・・・・でも、疲れるなぁ。それだけは否めない。段々商売が活発になってくると(なってきているのです。本当に)、色々今まで知らなかったことが一杯出てくる。それぞれに、いっぱしの姿勢を保ちながら対峙していく必要がある。吾ながら良くやっているとは思う。しかし、時につくづく思うことがある。学者になるのと、社長をやるのとでは、その心持において相互に対極といえるほど違いが有るなぁ。学者は「知」というものの力を信じて、好奇心から宇宙の謎に挑戦する。相手は人知の挑戦を受けて立つ「自然」である。そこでささやかであれ勝利を収めれば、これを人類の共有の資産として公表し、更なる「知の挑戦」を遍く勧誘する。そこには、知らざるものを知り得た喜びがあり、知的な興奮が糧になる。無論、それを個人の業績として喧伝することで、終身教授の地位を襲ったり、名声を得ようとする世俗的な動機もあるが、根本において対する相手が人知を超えた対象であることには変りはない。一方で社長の相手は、徹頭徹尾人間であり、人間の集団である。人間というものは、完璧に非線型の存在で、かかわりを持たない限りは無味無臭無害であるけれど、かかわりをも持たなきゃ社長の業を為し得ない。そうして一旦かかわりを持ったら、油断は禁物だ。友人だ先輩だ後輩だといっても、それは利害の無い限りにおいてである。一旦利害を持った瞬間に、関係は隠顕の如何を問わず戦いに変じる。そうでなくても、少なくとも駆け引きの世界にはなる。自らの知るところは決して対手に漏らすべからざるものであり、対手の知るところは可及的に盗むべきものである。如何に対手の機先を制し、謀るかが勝敗を決するものであり、勝者だけが実を我が物にでき、敗者は一顧だにされることなく、忘れられていく。その点、昔の遊郭で(といっても、僕自身は体験していませんゾ!)相方(あいかた)の女性に「敵娼」という漢字を充てたのと、気持ちは同じである。事ほど左様に、学者と社長は、その精神の持ちようにおいて対極にあるものだ。セゾングループのリーダーであった堤氏は、追われるように辞任した後、人に問われて「自らのリーダーシップの欠如」を云々されたが、これは詩人でもあった彼の感性と、経営者としてあるべき非感性との相克を吐露されたのであろう。どっちにしても、社長の方は後戻りできない。できない以上逃げを打ってはいけない。知力と謀略の限りを尽くして生き残り、且つ勝たねばならないということだ。だから、学者はライフワークになり得るけれど、社長はそうはならない。ならないどころか、そうすべきではない。自分でゴールを定め、期限を切って、その間は死力を尽くしてやれることは全てやる。そうして、首尾よく目標を達成したら、地位やカネに恋々とすることなく、いっそ潔く辞める。その後はNoblis Obligeの生活を始める。そういうことだと思う。すこし前(11月26日)のことになるが、日本が100%自前で作った惑星探査衛星「はやぶさ」が、小惑星「イトカワ」への軟着陸に成功した。はやぶさは今から二年余り前の2003(平成15)年5月に打ち上げられ、イオンエンジンで漆黒の宇宙を旅しながら、地球から約3億キロ離れた小惑星「イトカワ」を目指した。小惑星といっても、大きなものではない。長径600メートル弱、短径は200メートルほどだというから、まぁ大型石油タンカー2隻分くらいの大きさだ。太平洋に浮かべたって、大した大きさではないのに、3億キロメートルの遥か彼方のこの目標に狙いを定めて、二年間もかけてちゃんと行き着くのだから大したものだ。11月20日から軟着陸を試みたものの、上手くいかず一時は行方不明になってしまったが、26日にはやっと成功しイトカワのサンプルの採取にも成功したらしいとの報である。何でも、降下して1秒くらいちょっと佇み、イトカワの「地上」に弾丸を撃ち込む。そうすると衝撃で「地表」から粉塵が舞い上がるが、これがイトカワの重力が小さい所為でフワフワと漂うように上がってくる。それを、はやぶさ本体の採取装置で捕まえるのだという。スキップするくらいの時間で、はやぶさはイトカワを蹴って跳び上がり、今度は地球に向けての帰路に就く。地球までの直線距離は3億キロだが、実際の航路は10億キロにもなる。再び二年ほどの時間をかけて月の軌道付近(地球からは約37万キロ)にまで戻ってきたところで、採取した試料の入ったカプセルを地球に向けて発射するんだと云う。10億キロの旅路を経て、ちゃんと37万キロの彼方にまで戻ってきて、そこから小さなカプセル(たった直径40センチ程度なのだそうだ)を打ち出す。これは、オーストラリアの砂漠にパラシュートで降りて来るんだそうだ。もう降りてくる場所まで決まっている。凄いなぁ。日本のロボット技術の粋を凝らした成果だなぁ。これは、大鑑巨砲主義のアメリカには真似ができない。いわば、日本ならではのニッチだなぁ。しかも、これだけの時間とお金を費やして、「太陽系の成因となった惑星の構成物質を解き明かす」のが目的だというんだから良いよねぇ。学者になるということは、こういう事ができるのである。社長はできない。しかし、これには国民の税金が使われている。だから、そもこのプロジェクトを認可し、カネを使い事業の成否にハラハラドキドキしている人が必ず居る。そういう人は、自分で惑星探査をする喜びは感じられないかもしれないが、そういう事業を現実のものにし、カネを調達し、失敗におびえながら推進していく。達成できれば大いなる喜びだ。それは「事業」としての喜びだ。これは「社長」だからできる。学者にはできない。まぁ、つまりはそういうことなんだろうと思う。はやぶさが、地球近傍、月の軌道の付近まで還ってくるのは、2007(平成19)年の7月だそうだ。はやぶさの大きさは、1m X 1.6m X 2mだそうだ(展張したアンテナの大きさは除く)。余り大きなものじゃない。卑近な比較をすればちょうど棺桶程度の大きさだ。地上に帰還する試料容れは直径40cmだからこれも小さい。太陽系宇宙空間の中では、芥子粒ほどにもならないチビッコだ。こういうチビッコが大変な距離をちゃんと使命を果たして戻ってくるんだからいじらしいじゃないか。チビチャンちゃんと無事に還っておいで。
2005.12.07
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