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◇水曜日:旧暦七月二十七日 丁亥(ひのと ゐ)このところ首都圏はさすがに秋めいてきた。少なくとも圧し包むような猛暑は、一時いっときかもしれないがこの二三日遠ざかっている。おとといは久しぶりで心地の良い晴天であった。盛夏の頃には何層も重なって熱さを放射していた雲母の層も無くなり、清々しくも澄んだ青空だった。秋になると雲は縦に成長するのではなく、横に掃いた如くに流れるようになる。昨日のことだが、日中相変わらずドタバタ過ごしていたら、夕方近くなって友人から「久しぶりに食事を」と電話があった。彼は僕と同年代だ。大手のガイシケーIT企業で、教育担当の責任者をなさっていたが、三年程前にこのガイシケーがM&Aをきっかけに早期退職を募った際、さっさとお辞めになった。その後自家薬篭中のITILの分野で個人コンサルタントをなさっていたのが、この分野では草創の頃からの権威であるオランダの会社と契約し、昨年日本法人を立ち上げられた。云うならば僕同様シニア起業、或は「北条早雲起業」の仲間である。仕事の対象は、東京の大企業が多く、今は週日は東京のマンション住まいでいらっしゃる。これが北陸育ち、関西在住で粋人でもある友人には中々辛いようで、時に昨日のようにお誘いを戴く。僕も仕事や社内での鬱屈を忌憚無く話せる友人の誘いに乗るのに躊躇ためらいは無い。お互いに既に「生活習慣病」囚われの身柄なので、彼が連れて行ってくれたのは、地元神田神保町。靖国通りからちょっと裏筋に入った蕎麦屋であった。新潟にちなんだ蕎麦屋だということで、越の寒梅、久保田、影虎、上善如水・・・何れ劣らぬ越後の銘酒が並んでいる。肴も栃尾の油揚げなど、新潟にちなんだものが多い。そして、最後は「へぎ蕎麦」で締め括るのが、このお店の定番のようだ。一面にカウンター式の厨房を配した店内は、広い空間にテーブルを幾つか並べただけ。相席など当たり前の居酒屋風だ。しかし、見回せばある年配以上のお客ばかりで、大声を出して騒ぐ輩も居らず、カジュアルながら中々結構な雰囲気である。テーブルについて語り合う方々の様子や漏れ聞こえる会話から察するに、客層は近隣の私学の関係者やそのOBたち、そして場所柄書店に関わるオジサン連が主流とお見受けした。我々もオコゼの唐揚げや、栃尾の油揚げに刻み葱を大盛にしたお肴を戴きながら、話は自ずと先ず「小規模企業家」同士の愚痴の交換になった。談論風発は彼との間でも当然の事だから、話題はいずれあちこちに飛散したが、昨日の話題で、共通の合意に及んだのは、「計画と提案」だった。つまりは、人間は「計画のできる人、出来ない人」と分けることが出来、且つ「提案できる人、出来ない人」にも分けられる。そういうことだ。我々の会社は創業直後であり、人数もごく少ない。少ないけれども、将来を期して色々な事をこなす必要がある。だから、零細といえども、というより零細だからこそ優れた人材が不可欠である。だから手を尽くし、伝手を手繰ってそういう人材の確保に腐心する。お蔭さまで共にガイシケーの出身者でもあるから、うまくするとそういう人に出会うことがある。キャリアを見ればそれなりに優秀な経歴をお持ちだし、相手がどこかで同僚や部下であった事もままある。ある程度のレベルの人であれば、共通の知人は必ず存在し、「なるほど、あの人と親しいならこの人も・・・」と思える場合も多いのだ。ITの世界は非常に局所的で、つまりは「世間が狭い」のである。典型的なSmall Worldなのだ。だから悪いことも出来ない代わりに、共通の知人や友人を見れば、凡その人品も推察できる。それで、首尾よく口説き倒して参加してもらう。すると暫くして、いろいろ露見してくるのだ。大変残念な事なのだが、錚々たるキャリアを誇る人材であっても、「云われた事はできるが、計画を立てることは出来ない」人が多い。「報告はできるが提案することが出来ない」人も多い。この何れもが、我々のようなベンチャー企業では必須であるにも関わらずだ。こういう人たちは、大きな組織があって初めて仕事ができる人たちなんだろう。そういう組織の中で赫々たる実績を上げているが、実はそれは組織があってのことだ。それを自覚なさらないで、自分の実力のお蔭だと錯覚したまま「人材市場」にお出ましになり、その誤解のままで再就職してしまう。こういう部分は二度や三度の面接などでは、先ず分からないのだから、雇う側に人を見る目が無いという判断は当らない。ご本人自身が、そう思い込んでいらっしゃるのだから、無論ご本人もわかっていないのだ。ある程度組織が大きくなり、スタッフ部門の機能が必要になると共に、そういう部署を賄える余裕が出てくれば、こういう人材は価値を持つようになるのだが、とにかく修羅場を潜り抜けて成功への端緒を掴もうと七転八倒している段階では、このテは全く役に立たない。会社にとっては重荷になるばかりだ。しかもこのテは、先ず態度を改めたり、心機一転挑戦しようなどというの殊勝な姿勢は望めない。自信はお持ちだし、いささか齢を重ねていらっしゃるのだから、やむを得ず叱りつけても、一旦はしおらしくはなるものの、蛙の面にナントカ、面従腹背の見本みたいな事になる。お互い、やはりそういう人材を抱え込んでしまっている。今更路頭に放り出すのも忍びないし、多少の役には立つ。さりとて、もっとどうにかなってもらおうと「教育」や「啓蒙」を試みても、先に述べたように底無しの井戸に小石を投げ込むようなもので、張り合いの無いことおびただしい。彼も全く同じ苦労をなさっているようで、「まぁ、そういうものだと割り切って使うより他は無いね」とため息混じりの結論でしかなかった。しかし、奇特にして僅少なる我が読者諸賢には改めて申し上げたい。貴方は「計画を立てることが出来ますか?」又、「どんどん提案をできるような人ですか?」貴方が若し転職をお考えならば、この二つの質問に予め真摯に向き合っておく事を衷心よりお勧めする次第である。
2005.08.31
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◇火曜日:旧暦七月二十六日 丙戌(ひのえ いぬ)昨日のブログで「ゴミ箱減少現象」について触れたが、もう一つこのところ際立って減ったものがある。ホテルのロビーの椅子だ。ちょっと前までは、一流の、或は一流のフリをしているホテルのロビーには必ず上質のクッションを張ったゆったりした椅子が何脚も置かれていた。だから、そういうホテルに行けば、泊り客ならざる身でも、一時の休息を心地よく過ごす事が出来た。海外からの客を迎えに行って待っている間も、肘掛付きの椅子に座って待っている内に、次第に「外交モード」に調子を合わせていくことが出来た。会合の待ち合わせに、ホテルのロビーを使う時も、日常の雑事から晴れがましい雰囲気に切り替えられる効用があった。ところが最近この状況はどんどん様変わりしている。何よりロビーの椅子自体が少なくなってしまった。そして、わずかに置かれている椅子自体も総じて「貧しく」なった。新宿西口の、「日本初の高層ホテル」としてひところ騒がれた某私鉄会社系のホテルのロビーの椅子は、背もたれの無いベンチだ。差し渡し1.5メートル四方の「板」が数個繋がれて床に置いてある。それが二列だか三列だか並べてあるだけなのだ。背もたれがないから、楽にしようとすると、どうしても前かがみに腰掛け、肘を膝に置いて上半身の体重を預ける形になる。この形である一定の時間以上座っているのは中々辛い。時々両手を後ろに突いて背中を反らせ、あらぬところを眺めたりしなければならない。こういう椅子の「長屋」に背中合わせに座って、猫背になったり、逆に伸びをしている連中が並んでいるのは、美しい眺めとはとてもいえない。これは、赤坂清水谷近くの私鉄系ホテルも、赤坂見附の別の電鉄系ホテルも同じだ。有楽町の老舗ホテルは、背もたれ付きの椅子だが、この背もたれは、「背もたれのフリ」をしているに過ぎない。形はやはりベンチで、腰をおろす部分の奥が深くしかもクッションは途中までしかない。だから背もたれに背中を預けようとすれば、両手で体を支えて、お尻を浮かせ奥まで運ばないといけない。ところがそうすると、お尻はクッションの無い、一段低くなった非武装地帯の板の間に落ち込んでしまう。自然足先は床から離れて浮き、「足ぶらぶら状態」になる。立派なホテルのロビーで、「おまる」にはまり込んだ幼児のような格好をさらすのは、紳士淑女としては避けたいところだ。だから要するに、背もたれもどきがあっても、実質「ベンチ長屋」と変わりはないのだ。このホテルには中二階があって、ロビーから幅広の階段を上った空間に椅子が置かれてあった。そこが「通」としては、待ち合わせのための中々優れた場所であったのが、ここからも椅子がなくなってしまった。総じて、ホテルのロビーには「座る事を拒否する椅子」しか無くなりつつある。どこかでホテル組合の寄り合いが開かれ、「そうしよう」と密かに決めた如くである。ロビーは「タダの場所」だから、お客をなるべく有料の場所に誘導する。そういう意図の下にこういう事が行われているとすれば、どうにも世知辛い。実際どのホテルも、ロビーが狭く「貧しく」なったのに較べて、ラウンジなどの「有料スペース」は拡大し、置かれている調度も立派である。これは、かつて「失業」していた期間、ヘッドハンターとの打ち合わせの間の空き時間を過ごすために、近場のホテルを歴訪せざるを得なかった際に発見した事実だ。どのホテルも以前はこうではなかったのだから、この変化の裏に何がしかの経営判断が潜んでいるのは間違いない。しかし「カネを落とす客しか客ではない」というのは、元来の「一流ホテル」のポリシーと較べて大いに様変わりしたと云わざるを得ない。最早都会の「フォーラム」や「広場」は、お金を払わない限り手に入らないものになったのだ。尤も、無論例外もある。神谷町の老舗中の老舗として名高いホテルは、未だにちゃんとした調度としての椅子が置いてある。椅子ばかりかテーブルまであって、シェードのついた電気スタントまで置いた席まである。永田町のホテルも、それほど豪華ではないけれど、一応「座る事を受容する」姿勢の椅子が何脚か置いてある。天王洲アイルのホテルは、ロビーというほどの広さは無いが、フロントの前に置いてある椅子は、ゆったりして心地よい。どうも、都心の利便性の高いホテルはどんどん「タダの客」には冷淡になっていく一方、公共交通の便が悪い、或は経営改善の余地があるホテルには、未だゆったりした椅子がしつらえてある・・・・そんな気がするのだが、どんなものだろう?
2005.08.30
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◇月曜日:旧暦七月二十五日 乙酉(きのと とり)このごろ又ゴミ箱が消えた。僕の家からじゃない、東京の駅からである。2001年の9.11の大事件以来、テロルは世界の自由主義国家にとって最大の脅威になった。テロリストにとっての先ず第一の標的は無論亜米利加合衆国である。一般に自由主義国は、こういう危機に対抗する防御において脆弱である。元々国境の検問だけでなく、あらゆる国際間の往来を制限しないというのも、「自由主義」の要件であるからだ。しかし、テロル実行を期して入国してくる者を無制限に受け入れていてはたまらない。だから入国検査は以来格段に厳しくなった。飛行機への刃物類の持込は厳禁となり、見つかれば没収となった。タバコのライターも持ち込み禁止である。機内全面禁煙はかなり以前から実施されているが、ライターを持ち込むのは自由だった。今はジッポやダンヒルはもとより、百円ライターも全く持ち込めない。ビジネス以上のクラスでは、機内食はコースで供される。器もプラスティックではない。ビアグラス、ワイングラス、リキュールグラスと、ちゃんと区別されている。箸はちゃんとした利休だし、無論ナイフやフォークも金属製である・・・であった。実はアレ以来スプーンとフォークは金属製のままだが、ナイフだけはプラスティックになってしまった。靴のかかとに爆弾を仕込んで入国しようとした者が摘発されて以来、亜米利加の入国審査で、靴を脱がされるのは当たり前になった。やむを得ない措置だとは云え、少数の不心得者や危険分子のせいで、「美風」が廃止され、善良な大多数が迷惑を余儀なくされるのは愉快どころではない。当時亜米利加への出張者に対する定番の冗談があった。(対象は男性だけである)「おい、今度はいよいよ靴だけじゃなくて下着も脱がされる事になったの、知ってるかい?」「嘘でしょう?靴だけでしょう?」「いや、ちゃんと下着を脱いで金属探知機でじかに検査されないと通過できない。」「まさか」「だけど、入国審査の役人は、未だに歌麿伝説を信じてるのが多いから、検査のたびに幻滅して笑いをこらえるのに大変だそうだ。君は大丈夫か?日本男児として恥じるところはないか?「・・・・」日本はこういう対策面でも、率先垂範の姿勢をとることはない。元々事実上の単一民族が海に囲まれて暮らして来た国だ。しかも念の入ったことに、暫く前200年以上門戸を閉じていた期間もあった。その所為かどうか、こと国際紛争や外交交渉の場に臨むと、この国は実にナイーブである。テロルに付いて云えば、日本だけが対象外などということは無い。特に今の日本の外交方針は、これは明らかに対米追随だ。そうじゃないといったって、テロリストにはそう見えるに決まっている。国土のあちこちには米軍基地も点在している。この国は外交・防衛面では、官のみならず民草も、おおらかにものんびりしているから、相対的に容易に入国できる。無防備な標的は有り過ぎるほど有る。だからテロ対策も、それなりのアクションは取られているはずだし、日々色々脅威も発生しているはずだ。しかし、「今何が起こっているのか」については、不思議なくらいに明らかにされない。テロに関する情報は、地震の予知情報同様、「民は依らしむべし、知らしむべからず」の方針の下に置かれているようだ。で、テロ対策については吾が民草のレベルには直接には見えないのだが、それでも、何となく動きを伝えてくれるようなのが「ゴミ箱」なのだ。東京という街は、実に何本もの鉄路が張り巡らされ、数知れない電車が走り回っている。どこかに行く場合には、路線図を見なければ行き方に迷うほどだ。また、この街は日中と夜間とで人口が極端に変わる。つまりは近郊からの通勤者が多いという事なのだが、この膨大な人たちの通勤手段の主力も電車である。これら鉄道各線の駅のホームや構内には幾つものゴミ箱が置かれている。これが時々「消える」のだ。最初は、9.11後数ヶ月経ってからであったと記憶する。この時は駅構内のゴミ箱が一斉に封印されて使えなくなった。要するに爆弾が仕掛けられるのを恐れての事であった。我が西武線では、ゴミ箱の投げ込み口がガムテープで封印され、実にみっともない有様だった。僕は、飴ちゃんやガムの包み紙、レシートなど、ちょっとしたゴミを捨てる場所がなくなってしまって不自由した。この封印は暫くの間続けられていたが、やがて何事も無かったようにガムテープは剥がされて旧に復した。「今日からゴミ箱が使えます」の報せもなかった。その後一度か二度は同様のことがあったが、ここのところ暫くはゴミ箱君は本来の用を果たしていたように思う。それが今朝、僕の「経路オプション3」(これは、西武線→有楽町線→都営線の経路)で移動している際、都営線の駅構内からゴミ箱が消えているのに気が付いたのだ。西武線はガムテープでふさぐのだけど、都営線はゴミ箱そのものを撤去してしまうのかもしれない。お蔭で、粘つく飴ちゃんの包み紙の処分に再び困った。西武線と有楽町線ではどうだか気が付かなかった。最近は、「ゴミは自己責任で処理する」という傾向が強くなって、ゴミ箱自体が減っているから、意識していないと中々分からないのである。つまりは、警察庁あたりに何がしかの情報があったか、警報が入り、首都圏の鉄道会社に指令が発せられた。それに従い、各社は自らの駅構内のゴミ箱を封印乃至は撤去した。そういうことだろう。少なくとも前回や前々回はそうだったはずだ。しかし今回も、若しテロ対策であったとしても、何らの具体的情報も発表されないし、報道もされない。何かの事故や故障で、電車のダイヤが十数分でも混乱すれば、律儀に張り紙が出たり、テレビで報道されるような街で、これはやはり妙だ。テロルに関する情報が、地震予知に関するそれと同様、民草のパニックを恐れて秘匿されているのなら、我々はつぶさにゴミ箱を観察して、危険を憶測するより他は無いことになる。・・・・そういうことでいいのかなぁ?東京都周辺では、ゴミ箱がテロ対策状況の指示装置になっているけれど、東京以外の中部、関西、九州などではどうなのだろう?無論、テロは効率上、有名な若しくは象徴的な意味を持つ建造物や施設、或はある程度以上の規模の都市交通網しかターゲットにしないだろうと思う。大阪や名古屋でも、時々ゴミ箱が消えたりするのだろうか?
2005.08.29
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◇日曜日:旧暦七月二十四日 甲申(きのえ さる)、旧地蔵盆、十方ぐれ入り今日は八月最後の日曜日であるとともに、「十方ぐれの入り」である。といっても何のことだ?二十四気まではともかく、流石に「十方ぐれ」までご存知の方は少なかろう。これも陰陽五行説から来る選日の一つである。六十干支の中、甲申(今日)から始まって癸巳(九月六日)までの十日間は、丙戌と乙丑の二日を除き干と支が相剋の関係にあるとされる。このため、天地及び八方が閉塞することになり、これを「十方暮」という。忌み日である。言い伝えでは十方暮は何事も成就しない凶日とされているから、古いにしえの方々はこの期間は皆慎んで逼塞に及び、行動を控えておられた。一方で、「十方暮れに雨降らず」といって、この期間中は雨が降らないとされた。しかし、十方暮れでは晴天になるわけではなく、曇天が続くのだそうだから、良いのか悪いのか・・・やはりあまり良くは無いのだろう。それにしてもこの十方暮れの期間中の九月一日は二百十日だから、「雨降らず」もいささか危うい。陰陽道と二十四気のどちらが勝つのか、見ものだ。お蔭様でというべきだろう、僕は社会に出てから、更に云えば某総合商社の外に出てから、実に良い友人に恵まれている。先輩もさることながら、むしろ同輩或いは年下の友人達により恵まれている。皆色々な分野で大いに活躍されているとともに、人品人格ともに大いに尊敬に値する人達ばかりである。昨日の土曜日、そういう友人達の中で新規事業を目論む何人かとブレーンストーミングの集まりを持ち、その流れで「暑気払いの宴」を催した。主役は幕府官製学校の流れを汲む某旧帝国大を卒業し、亜米利加はボストンのMITでPh.D.(哲学博士号)を取得したというオジサンである。(年下だけど立派なオジサンだ。)彼は、TLOに代表される産学連携推進の分野で、ある事業アイデアを温めている。その事業モデルを可及的に成功させるため、僕を始め何人かの人間が企画検討作業を進めているのである。概ね一ヶ月に一度のペースで、土曜日の午後に僕の会社に集まっては侃諤かんがくたるひと時を過ごしている。昨日はこれまで何となく漠然としていたビジネスの進め方を、京都の先斗町ぽんとちょうに範をとった、「芸者の置屋モデル」で行こうという合意を導くことが出来た。芸者連は、2007年頃には大量流出が予定される、僕と同じ団塊の世代。お客は、国からは育成とか創生という掛け声だけで、山の中の畠状態(掛け声(肥)だけで実にならない)に置かれている中小企業、予算規模縮小と近視眼的経営方針の蔓延でR&D部門が弱体化している大規模製造業、それに独立行政法人化の後も、独立振興のための方図を見出せないでいる大学などである。こういう分野に「芸者の置屋モデル」を持ち込むのは愉快な事ではないか。ブレーンストーミングの後、件の「置屋のおかあさん候補」Ph.D.氏と、もう一人彼のブレーン、某大メーカーの部長、そして僕とは高校が同期で、やはり「シニア起業」をして苦労・奮闘している男と、総勢5名で「暑気払いの宴」になだれ込んだことではある。釈迦落教授には申し訳ないようなものだが、場所はかの「夢見るぺちゃさん」のお店、「ぺちゃゆき」である。本来はこのお店は土曜日はお休みなのだが、三人以上固めて予約さえすれば、土曜日であっても開けていただける。だから、昨日は当然ながら我々だけで貸切状態なのだ。いやぁ楽しかったなぁ。先ずは、この店の夏場の定番である「だだちゃ豆」に始まり、極めて局所的ながら今をときめいてしまった「十六ささげ」を炒め煮とオーソドックスなお浸しで。お酒も先ずは、自慢の生ビール。その後は、岡山の地酒、それに吾ふるさとに敬意を表して岐阜は飛騨地方の地酒。そしてやはりこの店でしか味わえない九州の米焼酎へと続く。酒も良し、料理も良しだが、何より会話が愉快だ。皆さんそれぞれの分野では歴戦のつわものであり、一家言を持っていらっしゃる。それなりの場所にお出ましになれば、何百人もの聴衆の前で滔々と講演だってやってしまうような人ばかりだ。しかし何よりも、自分の守備範囲などと狭量な事に拘らず、多方面にわたって子供のような好奇心を皆(僕を含めて)等しくお持ちなのが愉快なのだ。こういう精神は、他人の言うことに生半可な知識や、常識などという、下らなくも張りぼての仮面を被って向き合うことはしない。何事であれ無垢に向き合い、その場で、本物の好奇心と、相手を何とかやり込めようという子供じみた敵愾心から、ちょっと得がたい一期一会の議論が出来上がるのだ。こうなれば、件の文字で経歴を書けば嫌味とも云うべきMITのPh.D.氏も、「室M蘭市I立短T期大学卒の弱アルカリ性ペーハーD人間」と変幻するのである。味噌カツ亡国論に始まり、合気道の話、味噌煮込みおでんにおける大根とゆで卵の比較価値論、そして複雑系ネットワーク理論から量子コンピュータまで。談論はあちこちに脈絡も無く飛翔し、留まるところを知らない。とにかく、生半可な知識をひけらかそうものなら、周囲の論客から極めて論理的に袋叩きにあってしまうのだから、これはもう面白さの極みである。こういう話は、普段の商売に役に立つようなものではないけれど、生きていて良かった!と思える。知的な刺激を大いに受けて何よりリフレッシュできるという意味で得がたいものだと思う。痛風発作以来始めての酒席で、おっかなびっくりという気持ちもあったが、談論風発の効用があったのだろう、深夜近くまで楽しんだにもかかわらず、翌朝、つまり今朝の目覚めも大いに爽やかであった。やはり、美酒美味だけではないのだ。旨し酒は旨し友があってこそのものである。折りしも近くの武道館では「二十四時間テレビ」で盛り上がっていたようだが、こちらはこちらで大いに愉快に過ごした宵ではあった。折りしも、叢林には樹雨きさめの降る頃である。朝くらき 林に行きて聞きにけり しげく木つたふ霧の雫を (中村憲吉)
2005.08.28
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◇土曜日:旧暦七月二十三日 癸未(みづのと ひつじ)、愛知県一色大提灯、下弦の月このブログを書き始めてから130日以上経過し、90篇以上の記事をアップした。そして、今まで当ブログに来ていただいた方々の総数は四千人を超えた。以前「二十四気便り」と題する文章を、節気毎に(というほどちゃんと出来ていた訳ではないが)知人や友人にPDF形式にしてメールでお送りしていた頃と較べると、相互にいくつか違いが有る。先ずは、ブログ形式の吾拙文はもっともっと多くの人に波及していくかと思っていたのに、左程でもなかったこと。楽天のブログの場合、アクセス解析機能があるので、どういう人がいらしていただいたのか、凡そのことを知ることができる。ご自身のブログをお持ちの方はブログで使用されているニックネームが表示されそのブログに飛ぶことが出来る。そうでない方は、メールアドレスの@記号以降の表示がされるので、アドレスは特定できないけれど、よくいらしていただける方は何となく分かる。語弊があるかも知れないが、メールアドレスが部分表示される方々は、一応中身まで読んでいただいているようだけど、ニックネームの方々の大半は、「立ち寄り」程度でいらっしゃるようだ。「二十四気便り」では、受信者が他の方に転送されることも結構あったようで、友人が飛行機に乗ったら、隣の席の見ず知らずの人がパソコンで「二十四気便り」を読んでいた、という嘘のような話も二三度聞いた。これらの方々は僕にとっても存じ上げない方々であった。「そうかぁ、読んでくれているのだ」と感激したものだ。僕の場合ブログ訪問者数の一日平均は、このところ32人である。まぁ、多いとはいえないだろう。他の方のブログだと毎日百人とか千人とかがコンスタントに訪問されているのがザラにあるようだ。無論、僕の場合ブログで商品の紹介は全くしていない。個人としての知名度も無い。それに、何より文章自体がウケナイこともあるだろう。だからこの点は「自己責任」ということになるのだろうな。二番目は、僕自身が余り文章に凝らなくなってしまったことがある。二十四気便りは、ちゃんとスケジュールを守れば約二週間おきの発信になる。書きたい材料は幾らでもあるから、その点では苦労はしない。書くこと自体も同じだ。しかし、文章の校正や練りこみには随分エネルギーを使った。何度も文章をいじって行く内に、僕自身に対しても最初は壁の向こうの他人のようによそよそしかった文章が、ある時突然しっくりした感じに変化し、自分で読んでも面白いと思えるようになる。リズムも出てくる。そして、文章自体は最初に書いた時の量より半分程度まで切り詰められてしまうのである。こういう作業はやってみると非常に面白く、できがった文章には愛着すら覚えるようになるのだ。仕事が忙しくなってしまって、流石にそれだけの時間を費やすことが出来なくなって始めたブログだが、ブログの文章にはどうも今のところ「二十四気便り」のような思い入れを感じることが出来ない。文章のあり方を考えると、どうもメッセージとしての本質の他にAppearanceというものも重要な要素としてあるようだ。使用する文字(漢字)、書体、級数、配置、そして文章自体の構成が総体的に練りこまれて、初めて自らの「文章」といえるようなものになるらしい。自分でワードを使って作文し、校正していくと、この辺はかなり自由に出来るのだ。しかし、ブログでは、原則としてコンテンツとデザインは分離されている。テキストを打ち込んでいけば、予め定められたフォーマットでブログの体裁が出来上がる。これは便利だが、どうも物足りないのである。最近は、この楽天でも、フォントの修飾(太字にしたり、イタリック体にしたり、色を変えること)が出来るようになったが、書体は未だ選べないし、レイアウトも自由には出来ない。こういうところが、いまひとつ思い入れを持てない理由のような気がする。どうしても、一抹のフラストレーションは残る。しかし一方で、だからこそ気楽に毎日書けることにもなるわけで、この辺はTrade offとして受容すべきなのだろう。ブログは読者にとってはPULL型のコミュニケーションである。自らの意思で僕のブログに来ていただかない限り、その人にとっては僕の文章など知らぬがままである。僕はメールのフッターにも、個人用の名刺にもブログのアドレスを表示している。時々メールでお送りする時候の挨拶の際にも、殊更にブログをやっている旨書く。こういうメールをお送りした直後には、急にアクセス数が増えるが、その後は急速に落ち込んで、普段のレートに復する。これはPULL型のコミュニケーションの特徴なのだろうか。先ごろまでの「二十四気便り」は、PUSH型のコミュニケーションになる。僕の配信リストに登録された方々には、時至るとそれぞれのメールボックスに「二十四気便り」が配信されるのだ。お送りする側からすると、配信されたことしか分からない。お読みになってお戴いているのか、或いは「又来たか」と消されてしまっているのか判るすべは無いのだけど、それでも何人かの方々からは「感想」を戴いていたし、暫く途切れると催促も戴いた。それに何より、上に書いたように「飛行機の中での未知との遭遇」などもあったのだ。ブログではそういうことは先ず無かろうと思う。時に「二十四気便り」の「読者」から、「なぜやめてしまったのですか?」とか、「私のアドレスは消されてしまったのですか?」、或いは「やはり以前の形で読みたい」などという連絡や意見を戴く。僕は、インターネットの出現による新しいコミュニケーションには大いに関心を持っている。PULL型とPUSH型のコミュニケーション、相互の特徴の違いと得失についてはもうちょっと考えてみる必要があると感じている。それと、近々このブログをベースとして、従来の「二十四気便り」を復活させようとも考えているのだ。
2005.08.27
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◇金曜日:旧暦七月二十二日 壬午(みづのえ うま)富士吉田火祭り今度の衆議院選挙でどの政党に投票するかというアンケート調査が、色々なメディアで継続的に行われている。俯瞰してみると、衆議院解散後一週間の時点では、圧倒的に自民党が優勢だったのが、これがじわじわ下がってきているようだ。それに対して民主党支持率が上昇してきている。比例区での話しだ。特に民主党は今まで不振をかこっていた都市部で、支持率が漸増しているし、純ちゃんの政治手法に対する支持率も下がってきている。それでも迂闊に早とちりしてはいけない。減ったとはいえ、小泉自民党に投票する人は未だ24%で民主党のそれの16%に勝っている。公明党に投票すると答えた人は7%程度はいるようだから、岡田民主党も、まだまだ楽観視など出来るものではない。これを、各政党の論戦が活発化しての結果だと見るのは誤りだろう。吾が民草は熱しやすく冷めやすい事で世界に冠たる民族である。衆議院解散以来矢継ぎ早に繰り出された「純ちゃんマジック」に魅了されて、「こりゃぁなかなかやるじゃん」と感心し、造反組の情念的反発を「見苦しい」と排した。時が経過して、「刺客」も出揃い、「造反組」も国民新党や新党日本としてフォーメーションを作り上げた。つまりは、段々「いつもの選挙」の形が付き始めた。それでそれまでの「ハイ」な情況は収まってきたというわけだ。ホリエモンの広島六区無所属立候補で、流石に相当数の人が引いて、それを境に選挙そのものに対する昂揚感が失せた。つまりは、今回の調査結果は、民草の気持ちが「中だるみの飽き」状況に陥ったのだと思う。最近は事あるごとに「政権を担い得る二大政党の一方の首相候補者」と自らをお呼びになる岡田君には、関西で言うところの「ハナが無い」。(鼻ではない、洟でもない。花だ。この場合アクセントは「ハ」において、「ナ」で下げる。そして最後の「い」でやや上げる。つまり「ハナが無い!---○」と発音すると本場関西風になる。)政権構想が大事なことは無論だが、わが国の選挙も暫く前から、米国同様AV多様のパフォーマンス選挙になってしまっている。民草の大半は政見をつぶさに比較するより、候補者には話題性とハナを求めるものなのだ。だから、岡田君も、本気で政権の首座を襲おうとなさるのならば、プロのスタイリストやスピーチトレイナーをお付けになった方がよかろう。要するに、今回は小泉自民党に対する関心が中だるみしたのであって、民主党の人気は変化していない。相対的に支持が増えたように見えるだけと思う。純ちゃんのことだ、もう暫くすると第二段のマジックを繰り出すことだろう。そして、投票日間近に第三弾で決めのマジックを行って、投票日になだれこむようなことをなさるに違いない。それにしても、わが国にちゃんとした野党が存在しない状況はよろしくない。わが国の場合、米国の民主党と共和党のような二大政党制は向かない。勤皇と左幕、尊王と攘夷というように、黒白のはっきりした野党が存在してのせめぎあいの方が向いているように思うのだ。
2005.08.26
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◇木曜日:旧暦七月二十一日 辛巳(かのと み) 亀戸天神祭台風11号はいよいよ、今夕から関東地方を窺がう気配である。この辺もシャワーのような激しい雨が時折通り過ぎるようになった。この台風は、東北地方の東方に高気圧が立ちはだかっているせいで、進行が遅い。だから風よりも雨の被害が大きくなる心配がある。今日はあいにくのお天気だが、亀戸天神の大祭だ。少年時代を東京の王子は滝野川というところで過ごした亡き父は、どういうわけだが亀戸天神がお気に入りだったようだ。滝野川から亀戸は随分離れているように思う。しかし、昔は晴れ着を着て出かける盛り場は、第一が銀座で、その次は浅草だった。澁谷や新宿、ましてや池袋などは三業地さんごうちと呼ばれて、素性の正しいお坊ちゃまやお嬢ちゃまなどは近寄らなかったのだそうだ。(三業地とは置屋・料理屋・待合という、三つの「業」が錯綜しあう花街の事)さて、滝野川から浅草まで出かけてしまえば、更に亀戸まではさほどの距離ではない。天神様の早春の梅や、春も盛りの藤の花は、当時の父の一家にとっては結構楽しい遊山の対象であったらしい。僕もそれを聞いていたので、まだ父や祖母が生きている頃、夏場に帰省する折には、時々船橋屋のくず餅をお土産にして喜ばれたものである。ところで、亀戸天神では毎年一月下旬に「鷽うそ替え」という行事が行われることで知られる。これは元々は、元祖大宰府の天満宮の行事である。ウソという鳥は、雀の仲間で果樹の蕾が大好きだ。だから天満宮に植えられた梅林は、春先になれば格好の餌場になるのだ。大宰府の天満宮ではウソを大切にしていて、参詣者が木彫りのウソを交換し、交換したウソの中にある金色のウソを手にした人は幸福が来るとされる。亀戸天神は、全国に散在する天神様の中でも格が高いらしく、亀戸宰府とも称される。境内も大宰府のご本家を模して造られているのだそうだ。ここの鷽替えの神事も、文政3年(1820)にその源を遡ることができるという。但し、ご本家とは違い、参詣者同士の交換ではなく、前年の鷽を神社へ返納して新らしいものととり(鳥)替える。そうして、去りにし年の諸々をウソにして、新しい年の吉運を祈る。鷽という鳥は、ユーラシア大陸の一円に分布する。わが国では、本州の中部より北、亜高山帯の針葉樹林に繁殖する。六月に入ると子育てが始まり、今頃は中部以北の千メートル級以上の山々では、鷽の家族が賑やかに鳴き交わしている頃だ。だから普段は市街地では姿を見ないが、冬になって餌が少なくなると低地に降りてくる。鷽替えが一月の末に行われるのも、この頃街中でもウソを見かけることが多くなるからなのだろう。ところで、ウソという名前は嘘とは関係ない。口笛を吹くこと、緩やかに節を付けて唄うことを「嘯うそぶく」という。ウソの鳴き声は人の吹く口笛に似ていて、まるでこの鳥が嘯いているように見える。だからウソ。別名を「琴鳥」、又は「琴弾鳥」というのは、鳴くときに脚を上げ下げするのが、琴を弾いているように見えるためと言わる。
2005.08.25
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◇水曜日:旧暦七月二十日 庚辰(かのえ たつ) 京都地蔵盆、秩父四萬部寺大施食会、水星が最大西方離角今日は京都の地蔵盆の縁日だ。お地蔵様は子供の守護仏である。「賽の河原地蔵和讃」では、地蔵菩薩は夭折した子供を守る仏として描かれ、賽の河原で石を積んでいる幼子が鬼に苛めれられているを、助けに現れる。子供を亡くした親にとっては、お地蔵様に祈ることは、悲しみを和らげられると共に、アチラでの吾が子の無事をお祈りすることでもあった。地蔵盆は八月二十二~二十四日頃、二日間にわたって行われる。二十四日は地蔵菩薩の縁日だ。地蔵盆は子供のための行事で地蔵盆の期間中、子供達はいろいろ優遇される。地蔵盆になると、祠からお出ましになったお地蔵様は子供達が水で洗い清め、一年間に溜まった汚れを落としていただく。改めてお化粧が施されるところもある。そしておろしたての前垂れをつけられて、綺麗になったお地蔵様は、地蔵盆の会場に設けられた雛壇に晴れがましくも祀られる。前にはお餅、果物、花、南瓜や芋などの供え物が置かれる。お地蔵さんが雛壇に納まると、町内の行燈に灯が入ると地蔵盆の始まりだ。この日、京都を中心とする関西地方の子供達は、夏休みの名残を存分に楽しむのである。夢見るペチャさんのブログに、「ささげ」の話が出てきた。「インゲンを細長く伸ばした」ような異様な姿に、「クローン野菜じゃないか」などとおっしゃる。どうもペチャさんは、「関東という田舎」にお育ちのようでご存じないらしい。「ささげ」というと、お赤飯に使う豆の名前だが、「インゲンより細長い」のは「十六ささげ」といって、我が郷里の「飛騨・美濃伝統野菜」に登録された、由緒正しき立派な野菜である。断じて「クローン野菜」なんかではない!「ささげ」は「細々牙」、つまり細長い豆鞘が牙のように見えるからだとも、伸び下がった豆鞘の先が反り上がって上を向いたのが、ものを「捧げ」ているように見えるからだともいう。多分「細々牙」の方が正解だろう。そして、「十六ささげ」は一つの豆鞘に十六個の豆が入っているのだ。僕の母などは「十六豆」と呼んでいる。ささげ豆の仲間は平安時代に既に栽培されている記録があるそうだが、元々はアフリカ産で、英語では、「Asparagus Bean」とか「Yard Long Bean」という。共に長く伸びた豆鞘の形に由来する名前である。インゲンは、豆そのものは未熟で、豆鞘を食べる。十六ささげは、豆の実はしっかりと大きく、その代わりに豆鞘は薄く柔らかい。だからインゲンとは全く違う食感である。柔らかくもシャキシャキ感も有る豆鞘と、それに包まれたしっかりした歯ごたえの豆の実を活かすには、色々な食べ方を工夫できそうだ。味噌汁の実にしたり、天ぷらにしてもいいが、下記のような食べ方も有る。十六ささげと茄子の炒めびたし(1)十六ささげは5センチに切り揃える。(2)茄子は縦半分に切り、皮に適当に包丁を入れ味が沁み込み易くしておく。(3) 胡麻油を入れたフライパンを熱して(1)と(2)を炒める。(4) 火が通ったら、だし汁、醤油、味醂、酒で味を調え煮込む。(5) 茄子が柔らかくなって、崩れる直前に火を止めて完成。 これは熱いうちに食べても、冷やして食べても美味しい。十六ささげと豚肉のピリカラ炒め(1)十六ささげを軽く茹でて、5センチの長さに切り揃える。(2)豚肉バラ細切れは、軽く塩・胡椒しておく。(3)生姜はせん切り。赤唐辛子は種を取り去り小口切り。(4)フライパンに油を熱し、生姜、赤唐辛子を先ず炒める。(5)香りが立ったら、豚肉と十六ささげを入れ炒める。(6)だし汁、酒、味醂、醤油で味つけして完成。要するに、お母さんのお惣菜だ。十六ささげはどう考えても高級料理や、手の込んだ料理には馴染まない。僕が一番好きなのは、単に十六ささげを茹でて、切り揃え切り胡麻を振りかけておろし生姜を添える。これをお醤油でいただく。夏に帰郷すると母が作る「おかず」の定番だが、これが一番美味しい。お醤油の代わりに、少し甘めに練った八丁味噌も合うだろうな。我が郷里の伝統野菜。ひょろけたような形こそ頼りないが、βカロチン、ビタミンK、食物繊維、葉酸などが特に豊富に含まれる。これを戴くことによって、免疫力向上、美肌効果、造血作用、骨粗鬆症予防、頻尿抑制などを期待できる他、腎臓、胃腸、膀胱の働きも活性化させ、体力をつけてくれるというのだから、これは優れものだ。どうだい!首都圏近郊でも、もっと出回るようになってくれればと願うこと切である。
2005.08.24
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◇火曜日:旧暦七月十九日 己卯(つちのと う) 処暑今日は二十四気の処暑。処暑は旧暦七月の中気で、この日太陽の黄経は150°になる。処暑の「処」の字の扁へんは「足を置く」という意味だ。そして右側の「几」は腰掛という意味で、二つ併せて「足を留めて腰掛けている」、ひいては「一所に留まる」という意味を成す会意文字が出来上がる。旧字の「處」のタレは「居」に同じで、「留まる」意味を駄目押しするものだ。つまりは処暑とは「暑さに止めをさす」という意味になるというわけだ。夏も処暑の頃になると漸くその暑さも極まり、徐々に秋の気配を濃くし始めるということになる。今、日本の南の洋上には台風11号が居て時速15キロで北上しつつある。現在の中心気圧は945hPaで、二十一日のブログの時点より更に発達して大きくなった。姉妹(台風は無論女性である。ご存知?)台風12号は進路を東に変更してしまったので、我が列島には影響を及ぼす心配はなくなったが、姉さんの11号の方は二十五日の午後辺りから四国~東海地方の太平洋岸に接近する気配だ。姉御の威令がそろそろ届き始めたのか、今日の我が地方は曇天で暑さも鈍い。二十四気の通りだとすれば、姉さん台風が首尾よくお通りになれば、今週の土曜日には台風一過の秋の青空が期待できるかもしれない。ホモ・エレクトゥスに復帰しつつある今、足の炎症を労いたわると同時に、色々な用事を余り滞らせないようにする必要も有る。それで、暫く前から懸案だった自動車免許の更新のために、車で警察署まで出向いたことではある。いやぁ、驚いた。10時50分に受付を済ませて、11時57分にはもう新しい免許証を手にしていた。この時間の中には1時間の講習時間も含まれているのだ。講習は、講義を受けるのではなく、安全運転のためのビデオを見せられるのだ。僕の場合は、2年ほど前に実家近くの高速道路で母を乗せて家路を急ぐ余りにスピード違反をやらかし(40キロはオーバーしたはずなのに、切符は20キロオーバーになっていた。ゴールド免許だったからお巡りさんは手加減してくれたのだろうか?)「軽微違反該当」になっているので1時間講習だったが、それすら無かった人は30分講習で済んでしまう。だから、ものの40分程で更新免許を手にすることが出来ることになる。昨日の病院とはエライ違いだ。昨日は受付から、最終的に処方薬を手にするまで4時間近くかかったのだ。それにしても、幾ら車社会になったとはいえ、凶器にもなり得べき車の運転免許が、痛風発作の薬を貰うより簡単に短時間で更新・交付されてしまって良いのだろうかと、却っていささか心配になる。もう随分昔になってしまったが、初めて運転免許証を受取る前に係官が我々合格者の前でこうおっしゃったことを覚えている。「本来、車の運転は禁じられているのだ。それを諸君の技量と、遵法の誓約に免じて敢えて許すのである。これから渡す免許証は、心して受け取るように。」無論口調はこんなお代官様風ではなかったが、中身はまさに上の通りだった。本来禁止されていることを、特別に免じて許すから免許。含蓄があるではないか。中々立派な係官殿だと、今でも印象に残っている。医師だって、弁護士だって、航海士だって、航空パイロットだって、免許が必要とされるのは、その生業が人間の生殺与奪に関わるからである。最早日常的な道具のレベルになっているとはいえ、車の運転も人間の生殺与奪に関する点では同じだ。今後又五年間、「免じて許された」を肝に銘じよう。多くの民草の生殺与奪の権を握るといえば、政治家はその最たるものだ。選挙で多数の票を獲る事が国の立法府に議席を得るための「試験」であることは良いが、それだけでいいものか?運転免許の試験だって、同じ時に受験した中から成績上位者5人に免許を交付するなどというやり方はしない。相対尺度ではなく、あくまでも道路交通法の理解度という絶対尺度を以って合否が決定されているのだ。他の免許だって、これは同様だ。最近の選挙には殊更妙な方々が出馬される。およそ日本の法令とか政治など全くご存じなかろうと思う方々が多い。あまつさえ自ら立法責任を持ち、遵守すべき法律に裁かれた(又は裁かれつつある)方も出馬される。こういう方々が「有効票の中の獲得票順」だけで立法府に登院する免許を得られるのはおかしいじゃないか。だから、選挙は「一次試験」として、「合格者」には二次試験を課すべきである。二次試験において、民草の代表としての人格・識見、わが国における政治と法律に対する基礎知識、そして何より国政にかける熱意を審査する。この二次試験に合格したものだけに、国政への参与権を「免」じて「許」すようにすべきだと思う。実際には「じゃぁ、二次試験は誰がどういう基準でやるんだ?誰が合否を判定するんだ?」と中々難しいかもしれない。そうであれば、投票の際に来場した有権者にもう一枚紙を渡す。その紙には、全国の立候補者の名前が全部書いてある。そして、有権者は自分が「議員になって欲しくない」と思う人の氏名欄にチェックを入れるのだ。これは何人チェックしても良いようにする。(或いは「20人まで」と制限しても良い。)そして通常と票の集計と、チェック欄の集計を別々に行い、通常の得票数の多寡に関わらず、「議員になって欲しくない」チェック数の多い順に機械的に消していく。こういうやり方なら、いつかは衆議院の定数に達するはずだから、その時点で開票終了として、当選者を確定するのである。どうだ!これなら一つの選挙区に同じ党から複数の候補者も立てられるから、公認、非公認ともめることもないし、陰湿に「刺客」など差し向けなくて良い。それに、何より立派な「国民交付の議員免許」になるではないか!
2005.08.23
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◇月曜日:旧暦七月十八日 戊寅(つちのえ とら) 千葉だらだら祭、一遍上人忌今日は何を隠そう(別に隠してはいない。知られていないだけだ。)僕の誕生日だ。だから今日がどんな日であるのか気になる。これは人情として当たり前だ。八月二十二日という日には、空海が真言宗をわが国に伝え、新橋~品川間に初めてチンチン電車が走り、日韓併合条約が調印され、足利義満とタモリとみのもんたと幸田露伴とドビュッシーが生れて、島崎藤村と向田邦子と一遍上人が亡くなった。・・・・フム??これは相当に縁起の良い日だ。先日来の痛風発作は、今朝になってもかなり声高に存在を主張していた。ADSLのお蔭でSOHOが可能になったといっても、会社に行かなければ出来ないこともやはりある。おまけに、暫く顔を見せないと乗っ取られてしまうかもしれない。それで、休み明けの今日は、かかりつけの病院に開院前の時間に行った。かつての国立病院。今では独立医療法人の病院である。この病院は駅から離れた狭山丘陵の、雑木林の中にある。バスは走っているが、バスに乗るには先ず電車に乗る必要があって、電車に乗るには駅まで歩かなければならない。「健常者」の時は歩いて数分の距離だが、ホモ・エレクトゥスの原初形にまで退化してしまった我が歩行能力では、どれほどの時間がかかるか、気が遠くなる。それに最寄り駅が最近の工事でバリアフリー化されたといっても、それは健常者の傲慢であって、ちょっとした段差や手すりの配置などに、思わぬバリアが潜むものである事は、俄か身障者としては承知している。そこで、カミサンが、志賀高原にまで泊り込みで勉強に行く娘を朝早くに送り出してお休みになっていることを確かめて、車で行くことにした。・・・・それにしても、今の高校生は勉強するのに志賀高原にまで泊まりに行くのかよ!猛暑のさなか涼しい高原に行けるのなら、もう一度受験生になってみようか。さて、病院は治療を受ける場所であるより、読書の場所として理想的である事は既に充分に知悉している。だから、このところ就寝前に読んでいる厚さ4センチほどの小説※も車に乗せた。とぼけたミステリーで、特段の波乱も無い筋立てなので、就眠儀式用には大いに重宝している本である。さて、病院の玄関を通過したのは午前8:40であった。以後の経過である。08:50 整形外科の窓口に受診票を提出*** 以後椅子に座って50分間読書09:40 黒縁メガネの看護婦さんから採尿と採血に内科まで行くよう指示される09:45 採尿・採血終了。整形外科に戻る*** 以後1時間41分読書 四国の小島と岡山辺りを無闇に行ったり来たりしている 主人公らしき二人の動きに少しうたた寝 あまり同じ姿勢を続けていると、痛風が不平を鳴らしそうなので 途中、駐車場まで行って携帯電話で伝言とメールをチェック 戻って、今度はなぜか札幌に居る二人と付き合う11:26 名前を呼ばれて診察室に入る11:30 診察終了*** 10分読書11:40 処置明細と処方箋を受取って会計へ移動*** 7分読書11:47 処方箋が薬局にファックスされる*** 10分読書11:57 \2,460払って会計が終わり、領収書と処方箋の原票を受取る12:06 駐車場で車に乗り込む総計3時間26分。東京から名古屋まで「のぞみ」で往復するくらいの時間だ。これだけの時間内に;採尿、採血、診療に費やさされた時間が9分。内実際の問診時間は4分。読書に耽ることができた時間は2時間58分。件の小説は2センチ4ミリも読むことが出来た。・・・・・ね?病院は最高の図書館でしょ?僕が読書三昧の境地にある間に、ちゃんと体の中で何が起こっているかが究明され、更に痛風のプロとも意見を交換でき、最後に服用薬の処方まで受取ることが出来た。これは素晴らしいことではないか!・・・・しかし、これはあくまでも定型的、又は典型的な病気を特定して、それに対処しようとする時だけに有効な方法だな。化学的な体液検査の結果が導くものが、目の前の患者にも例外なく適用できる。そういう前提が成立していればこそのやり方だ。或いは、医師の予断で検査対象と範囲を限定しても、その結果が医師の推測と矛盾しなければ、このやり方ではそのままで終わってしまう。更に隠れた原因がある場合や、別の病気の併発症である場合には、それらは見逃されてしまう確率は大きい。そう思う。そういう危険を避けようとすれば、いきおい問診にもっともっと力を入れる必要がある。畢竟病院で医師と患者が過ごす時間はもっともっと長くなる。或いは、昔ながらの主治医、親子代々にわたるファミリードクターなどが必要になるはずだ。医療保険制度の破綻が云われる中、これは中々大きな問題だということは分かる。この点は、根本において例の郵政民営化議論にも一脈通じるものがあると思うのだ。※「モーダルな事象-桑潟幸一教授のスタイリッシュな生活」 奥泉光 著 文藝春秋 2005年7月 ISBN4-16-323970-7
2005.08.22
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◇日曜日:旧暦七月十六日 丁丑(ひのと うし)今日の天気図を見ると、双子の台風11号と12号が、日本のはるか南の洋上から我が列島を窺がっている。どちらも現在の中心気圧は955hPaである。そしてどちらも時速約7キロで北北西に向かっている。予想によると、二十四日(水曜日)の夜半頃からそろそろ列島の、四国~東海地方南方(11号)と関東~東北地方南方(12号)に接近してくるような気配だ。台風には水爆級のエネルギーが蓄えられている。なりゆきで11号と12号が合体でもしたら、夏休みの終盤は中々大変なことになるかもしれない。台風は日本人にとって遍く夏から秋にかけての風物詩(どころでない場合もあるが)である。ところで、和辻哲郎という人が居た。明治20年に兵庫県に生まれ、東京帝国大学で哲学を学び、昭和35年に身罷られた。谷崎潤一郎と同時代の人で、耽美的な文学に一時身を沈められたが、巷間、哲学者、或いは倫理学者としての地位のほうが一般である。この和辻さんは1935年に、京都大学での講義をまとめた「風土」という本を出版なさった。これには、いささかハイデッガーの「存在と時間」の影響が見られる。所謂風土というものをモンスーン、砂漠、牧場に分け、それぞれの風土と文化、思想の関連を追及しようとした著作であり、先の大戦後の日本文化論にもある程度の影響を及ぼした。その「風土」の中で、和辻さんは、我が国の風土の特性を「日本の場合、モンスーンの作用は、夏太平洋側に台風として降る大雨と冬日本海側に降る大雪の二重現象としてあらわれ」るとお始めになる。そして、台風は「季節的、突発的」な猛烈さを以って恵みと災害をもたらす二重性を持っている。そしてそれが「日本人の心性の特徴である二重性、すなわち、激しやすく移ろいやすいと同時にじっと辛抱し、耐えるという矛盾とも見える二重性を生み出す。」とおっしゃる。更に台風を受容しそれに忍従した日本人は、「しばしば執拗な争闘を伴わずして社会を全面的に変革するというごとき特殊な歴史現象をさえ作り出した」のであり、「反抗や戦闘は猛烈なほど嘆美せられるが、それは同時に執拗であってはならない」・・・「思い切りのよいこと、淡白に忘れることは、日本人が美徳としたところであり、今尚するところである」とおっしゃる。ははぁ、なるほど。そういう見方が出来るんだなぁと、僕は思うけれど、和辻さんの考えには組するものではない。大体日本人は、台風や北陸の大雪でその性格の根本まで左右されるほど単純じゃないだろう。でもそれはそれとして、「思い切りのよいこと、淡白に忘れることは、日本人が美徳としたところであり、今尚するところである」というのは、そりゃぁそうだろうなぁと思う。片やホリエモンを担ぎ出し、又片やヤッシーを看板に掲げる。岐阜一区などという所に、岐阜なんて名前だって聞いたことも無さそうな東京出身のガイシケーの女性エコノミストを持ってくる。これは、思い切りは甚だよろしくないし、淡白というよりもねちっこさの最たるものだ。今回の一連の流れは、事毎に日本人の感性に反するものだといえそうだ。それよりも双子台風の今後に注目したい気分である。
2005.08.21
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◇土曜日:旧暦七月十六日 丙子(ひのえ ね) 望、鎌倉宮祭痛風発作なんてならぬに越したことが無いのは当たり前だ。しかし風邪やそのほかの病と較べ、高熱を発して意識が朦朧となることはないし、お腹が痛かったり、寝たっきりになるわけでもない。痛みさえある程度治まれば、こうしてパソコンにも向かえるから、メールをチェックして返信したり、書類仕事を片付けたりとSOHOも出来る。暑い中を汗をかきかき働いてくれている同僚諸君には申し訳ないけれど、木曜以来溜まっていた本も少しは読めたし、普段観られないテレビも観ることが出来る。期せずしてちょっとした夏休み気分になることが出来た。そうしたら、今日NHKの「みんなの唄」で、椰子の実の唄が流れていた。本当に久しぶりに聴くゆったりした美しい旋律は、忘れていた青年時代の気分を蘇らせてくれた。椰子の実は、旋律も好きだが詞が大好きなのだ。♪♪♪名も知らぬ 遠き島より流れ寄る 椰子の実一つ故郷ふるさとの岸を 離れて汝なれはそも 波に幾月旧もとの木は 生おいや茂れる枝はなお 影をやなせるわれもまた 渚を枕孤身ひとりみの 浮寝うきねの旅ぞ実をとりて 胸にあつれば新あらたなり 流離の憂うれい海の日の 沈むを見れば激たぎり落つ 異郷の涙思いやる 八重やえの汐々いずれの日にか 国に帰らんこの詞は唄のために作られたものではない。島崎藤村の詩である。この詩は彼の「落梅集」という詩集に収められている。但し、彼自身の見聞に基づく作品ではない。藤村が友人柳田國男から聞いた、愛知県渥美半島先端の伊良湖岬の浜辺に漂着していた椰子の実を見つけて柳田が感動したという話を元に出来た詩だそうだ。日本民族学の泰斗を感動させた一個の椰子の実は、詩人の心も動かした。そしてはるかに時代を経て尚、わが心をも感動させてくれるのである。後に山田耕筰門下の大中寅二という人によって曲が付けられ、国民歌謡として全国にラジオ放送された。昭和11年のことだそうだ。ならば、先の大戦で出征した若き兵士達にも、この曲に親しんだ者も多かろう。はるかな洋上の島で、絶望的な戦いを強いられていた彼らには、この唄を思い出し口ずさむ時、最後の二行は如何にも残酷に響いたことではあるまいか。この椰子の実の詩も文語体である。僕は、日本人の心根や想いを綴るのには、口語体より文語体がはるかに優れているとかねてより思っている。その点、本※まで書いてしまった安野光雅氏に大いに共感するものだ。先ずは同じ藤村の、「初恋」という詩;まだあげ初そめし前髪まへがみの 林檎のもとに見えしとき前にさしたる花櫛の 花ある君と思ひけりやさしく白き手をのべて 林檎をわれにあたへしは薄紅うすくれなゐの秋の実に ひとこひ初そめしはじめなりわがこゝろなきためいきの その髪の毛にかゝるときたのしき恋の盃を 君が情けに酌くみしかな林檎畠の樹この下に おのづからなる細道は誰たが踏みそめしかたみぞと 問ひたまふこそこひしけれもうこの詩のリズムは、高校時代に教科書で読んだ時以来染み付いて離れない。何よりこういう風にうたわれる乙女は、夢でしか会えないほどの美しい人に決まっているのだ。次は、北原白秋の「落葉松」を掲げる。彼は文語体でうたう際に、漢字を極力省いてしまった。からまつの林を過ぎて からまつをしみじみと見きからまつはさびしかりけり たびゆくはさびしかりけりからまつの林を出いでて からまつの林に入りぬからまつの林に入りて また細く道はつづけりからまつの林の奥も わが通る道はありけり霧雨のかかる道なり 山風のかよふ道なりからまつの林の道は われのみか ひともかよひぬほそぼそと通う道なり さびさびといそぐ道なりからまつの林を過ぎて ゆゑしらず歩みひそめつからまつはさびしかりけり からまつとささやきにけりからまつの林を出でて 浅間嶺ねにけぶり立つ見つ浅間嶺にけぶり立つ見つ からまつのまたそのうへに からまつの林の雨は さびしけど いよよしづけしかんこ鳥鳴けるのみなる からまつの濡るるのみなる世の中よ、あはれなりけり 常なれどうれしかりけり山川に山がはの音 からまつにからまつのかぜ からまつは唐松と書くが、落葉松とも書く。その名の通り、針葉樹なのにその短く細い葉は秋になると黄葉し、ハラハラと落ちて路を埋める。秋の日に落葉松の林を歩けば、金色の褥にかさこそと足音が寂しい。春には落葉松の若葉は冬の鞘から萌黄色に伸び、春の雨に濡れる。春の日に落葉松の林を歩けば、青年の心にはその緑がやはり寂しいのだ。青春時代の一時期を信州で過ごした僕には、白秋のこの詩がやはり「あの頃」の日々を思い出させてくれる。これもやはり文語体の故だと思う。我々日本人が古来から受け継いできた感性に通じる窓が、文語体には潜んでいる。安野光雅さんは、「思うに文語文は、その文章の気負うところ、志の高さ、訴える気概などにおいて、青春の文学なのである。」とおっしゃる。彼は文語体を、又文語体で綴られた日本の古典を、そのリズムや韻だけでも次の世代に引き継がなければいけない、とお考えである。「言っておくが古典を捨てる国に未来はない。」とも言い切っておられる。ヒアヒア!この点大賛成だ。漱石を読み耽り、中島敦を愛読し、藤村の千曲川旅情の詩に親しみ、今になって今度は「漢字や文章が難しい」とか、「言い回しが古めかしい」などと、同世代からすらこっぴどく批判されている僕としては、NHKで久しぶりに聴いた椰子の実にやや酔ってしまったようだ。※「青春の文語体」 安野光雅編著 筑摩書房 2003年12月 ISBN4-480-81460-4 C0095
2005.08.20
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◇金曜日:旧暦七月十五日 乙亥(きのと ゐ)秋田花輪ばやし昨日のブログの話の続きである。巷間「痛風は男性しか罹らない」と云われる。かくして人類の三大疼痛は男性と女性に等しく公平に分配されるのだ、というのである。「女性は痛風に罹らない」のは医学的にも根拠がある話だ。つまりは女性ホルモンが尿酸の排出を促進するために、女性は高尿酸血の状態にはなりにくいのである。先ずは世の女性諸氏のためにはご同慶の至りではある。しかし、そうなると、女性ホルモンの分泌が低下する閉経後はどうなるか。理論物理の訓練を受けたものは直ぐにそう考える。実際閉経後もそれ以前と同様の生活環境や習慣を続ければ、当然ながら、血中尿酸値は増加する。それでも、女性にはやはり痛風発作は起こりにくいのだ。なぜか?専門のお医者様によると、痛風発作の起きるのは、尿酸の血中濃度が7.0mg/dlを超える状態が数年続いた後だそうだ。この尿酸の血中濃度の平常時の平均値は男性で約5.5mg/dlだが、女性では4.0mg/dlだというから、女性は閉経後日常の生活で放蕩の限りを尽くされてもまぁ10年くらいは痛風発作に襲われることは無いといえる。つまりは、人によって閉経の時期は違うのだろうから一概には言えないが、概ね還暦以後になると女性にも痛風発作のあの激しい疼痛の洗礼を受ける「チャンス」が巡ってくるというわけだ。我が家の場合、亭主が病を得るとカミサンは容赦が無い。僕が書斎派なのにカミサンは本質的に体育会系で、それもエアロビクスとかなんとか、つまりは健康志向系だから、体の代謝だとか栄養のバランスだとかやたらと詳しい。自らの膝下に置かれるべき亭主が、食事でも仕事でも(彼女の目から見れば)放蕩の限りを尽くして、一向に自分の専門知識を実践できないものだから、一旦今回のような「生活習慣」にその原因が分類される病に倒れるや、あたかも鬼の首を獲ったが如く、その非難の舌鋒たるやまことに鋭いものがある。悔しいが、甘んじて受けるより他にない。何れ見ていろ、と密かに思っても、かなり年下の女性を娶ってしまったものだから、上記のように彼女が女性の痛風罹病開始年齢である還暦を迎えるまでには、こちらは古希になってしまっている。後十年以上も我慢の子なのだ。・・・だから、八つ当たりだ。今度の広島六区は、ありゃなんだ!あたかも自民党の痛風発作だな。「純ちゃん」が自民党の首領の座について四年と数ヶ月。その間に過剰蓄積された尿酸がついにホリエモン・ナトリウムと結び付いて結晶化し、痛風発作状態になっちゃった。正義の味方白血球になるつもりだったカメさんは、「無所属」という姑息な刺客の繰り出し方に再々にわたって当惑の体だ。県連と県の自民党議員の間も態度が分かれて、大混乱になっているように見受ける。それにしても、幾ら衆議院議員の被選挙資格に、選挙区での住民票登録義務が無いとはいえ、何の地縁も無い選挙区からいきなり出馬するというのはねぇ。それに自民党に行って相談して、その上で無所属から出るなんざ、幾ら先般話題の買収屋だからといっても、流石に外連味けれんみが過ぎるというものだろう。「改革を進める上で力になりたい」とかなんとかしおらしくおっしゃるが、そんなものを額面どおり信じるほどわが国の民草は馬鹿じゃない。第一、件のテレビ局との騒動の結果、「通信とITの融合を推進する」のを口実に竜頭蛇尾ながら金銭のやり取りで決着したのはいつのことだ。その後「通信とIT分野での改革」には、一体具体的に何をなさったというのだ。高々一度か二度、件のテレビ局の番組に出演しただけじゃないか。ありゃ、大山鳴動して鼠の一匹も出でず、ただ虚名を世間に馳せただけ。有言不実行の最たるものじゃないか。国政参与を目指す政治家たるものは有言実行を旨として、地元世間の賛同を集めようとする。幸いにして国政の場に席を占めることができた暁には、選出地域と国家の間の利害を理念の下に昇華させつつ、立法と云う作業を進めるのがその使命・本分というものだろう。この痛風発作、実に広島の選挙民諸賢を馬鹿にしているとは云えないか?9.11の選挙は暑い。そう思っていたが、あの尿酸結晶体の出現で、単に暑いだけではなくなった。不愉快にも暑苦しくなってしまったのである。
2005.08.19
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◇木曜日:旧暦七月十四日 甲戌(きのえ いぬ) 伝教大師誕生会今頃黒部のダムでは写真のように放水が行われていることだろう。山間奥地のダムには、青い空や真っ白な水を背景に、アキアカネが早々と飛び回っているかもしれない。数年前、「雲隠れ温泉に行ってくる!」と周囲を煙に巻いて、高みに高みにと逃れた時の写真である。乳幼児期のベンチャー企業のリーダーとしては、今年も「雲隠れ温泉」には行けそうも無い。まぁ、後暫くは我慢の子だ。このブログは十八日の分だが、実際には二十日の午後に書いている。実は今の今まである事情で、ブログ上は「死んでいた」からだ。ある事情とは、痛風である。僕はどうも尿酸値が高い体質のようで、三十歳代より「石持ち」(尿路系結石)である。それが進化してとうとう痛風持ちにまで出世してしまった。結石も痛風も、その痛みは人類の三大疼痛といわれる。もう一つはお産の時の、所謂「生みの苦しみ」だが、僕がこれを経験するのは相当困難だろうと思われるので、とりあえずは「男子の疼痛の二冠王」とはなったわけだ。名誉なことである。何らかの理由で体に尿酸が余剰に蓄積され、それがナトリウムと結びついて尿酸結晶を生じる。この結晶が関節に沈積していくと、異常を感じた体内指令によって白血球が増産される。この白血球が尿酸結晶を攻撃する際に、炎症が起き疼痛が生じる。これが痛風の本質である。尿酸の過剰生産の理由は、主に食生活とストレスであるとされる。「王者の病」とか「贅沢病」といわれるのはそのせいだ。だから、平穏に暮らしてストレスの無い人や、戦時中などで食生活が貧困な時には痛風も殆ど発症例を見ないのだ。わが国では、1960年以降に痛風患者が急増しているとの事だ。これは高度成長が始まった時期と一致する。つまりは、この頃わが国には飽食とストレスが都市生活者に共通の問題となったということだ。痛風は、怠惰でストレスの無い人間は罹らない。過去を遡れば、痛風患者のリストには、アレクザンダ-大王、神聖ロ-マ帝国皇帝のカルロス五世、プロシア国王フリ-ドリヒ大王、フランスのルイ十四世、宗教改革のルター、清教徒革命のクロムウェル、芸術家ミケランジェロ、万能の天才レオナルド・ダ・ビンチ、詩人ダンテ、ミルトン、文豪ゲ-テ、スタンダ-ル、それにモ-パッサン、古典力学を完成させた物理学者ニュ-トン、生物学者ダ-ウィンと錚々たる顔ぶれである。古代エジプトの王のミイラからも尿酸結晶が見つかったとも言うから、どうだ!どうだ!と威張ったって、痛いのは本当に痛い。足先の関節で細い鋭利な尿酸結晶に白血球が群がってチクチク戦っている光景を想像すると、もっと痛い。「風が吹いても痛い」という風説はオーバーだけど、要するに栄えある人類としての二足歩行は全く不可能になる。歩けないのは当たり前。横になって寝ていても、寝返りも自由に出来なくなる。先ずは体を動かそうとする際に、色々考えて慎重に痛む関節に繋がる筋肉を動かさないように配慮しなければならない。配慮したってそれだけのことで、個別の筋肉を自在に操ることなど出来ないのだから、要するに動作がのろくなるだけで、ちょっとでも動くたびに「イテテ、イテテ!」と悲鳴を上げることになる。要するに同じ哺乳類でも南米のナマケモノのレベルまで「退化」してしまうというわけだ。こうしてみると普段何気無く体を動かしていることが、全身各所の筋肉の実に精妙な連携の結果だということが分かる。何しろほんの数十センチの距離にあるものが、到達できない永遠の遠きに去ってしまうのだ。階段などは一の谷の鵯越ひよどりごえの坂どころではない。考えるだけで戦意喪失する断崖絶壁に等しい。一時的にしろ身体障害者の境遇に身を置かれてしまうと、バリアフリーというものがどういうもので無ければならないか、健常者の常識が如何に偏狭なもので有り得るかが分かってくる。そうはいっても先ずは我が身である、とにかく痛くて車を以ってしても病院に行けない。医者に行くには救急車を呼ぶより手立ては無いが、痛みはこれほどひどくても、意識も頭脳もはっきりしているから、サイレンを鳴らしながら運ばれるのは大いに羞恥心を刺激し、憚られる。患部には消炎鎮痛の湿布を貼って固定し、鎮痛剤(アスピリン系のものは痛風発作には逆効果になるそうだ)を服用し、極力水を飲んで「流通」を活発にした。(尤も、人間は「開放系」なので、「流通」に際しては「鵯越の逆落とし」の敢行を余儀なくされる。)それで、今日二十日になって何とか小康を得て、こうして椅子に座ってキーボード操作を出来るようになった。僕の場合、痛風発作は予兆が出てから1~2日でピークが生じ、その後余韻を残しながら数日で痛みが消えていくようである。月曜日の午前中には行きつけの医者に行って、尿酸値を下げる薬を処方してもらうつもりだ。その頃には二足歩行の初心者の水準にまでは「再進化」出来ていると思う。長期的には無論尿酸値を下げることが大事になる。これに関しては抜本的且つ長期的な対策を講じねばなるまい。まぁ。とりあえずはお酒を控えなさい、ということなのだろうけれど。
2005.08.18
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◇水曜日:旧暦七月十三日 癸酉(みづのと とり) 鶴岡庄内大祭、滋賀建部夏祭、プロ野球ナイター記念日今日は、我国で初めて「職業野球夜間公式試合」、つまりプロ野球のナイターが行われた記念日なのだそうだ。今から57年前、昭和二十三年の今日、巨人中日戦が当時の横浜ゲーリック球場で戦われ、三対二で中日ドラゴンズが勝利した。試合中、読売巨人軍の川上哲二打者の打った打球が、ワンバウンドしてスタンドに入ったものの、跳ね返って戻り、これを捕球した中日の外野手が返球して、走者がアウトになってしまうという珍プレーがあったそうだ。当時の照明は今と較べてはるかに暗く、一連の経過がアンパイアからは闇に紛れて見えなかったからである。今の昼間より明るい程の照明を見ると、大いに昔日の感がある。(無論僕はこの試合を観たことは無い。幾らなんでもそんな歳じゃない。)政治の世界は、相変わらずドタバタだ。真紀子お嬢様は、「民主党が政権を獲ったらオラァ外務大臣になるべぇ!」と地元で気勢をおあげになったそうだ。・・・結局彼女は民主党を支持しているのか、或は妨害しているのか・・・こんな事をおっしゃるのを聞くと分からなくなった。北ではムネオ新党の旗揚げだ、西では辻元清美ちゃんが社民党復帰だ、果てはホリエモンだと、こりゃまるで百鬼夜行の世界だ。自民党も「造反組」の一部が切羽詰って新党結成に向けて動き出すは、又別の一部は離党しないで「無所属」で出馬するはで、とても一つの政党とは云えなくなっている。英語ではこういうのをStovepipe Organization(煙突組織)と呼ぶ。この場合日本の煙突ではない。欧州の煙突でないと意味が通らない。欧州の市街地の家は、概ねアパート形式になっていて、一つの建物を階毎に、或はもっと細かく区切って所帯分けし、人が住んでいる。それぞれの所帯にはストーブ(暖房用のストーブや調理用コンロなど)が設置されていて、その各々から煙突が出ている。この煙突は、やがて集合されて束ねられ、屋根の上ではレンガの筒を被せられて一つにまとまっている。これがストーブパイプである。つまり、外からは一つにまとまって見えているけれど、実はそれぞれの排煙口は単に束ねられているだけで、パイプ相互の間には何の連結も連絡も無い。今の自民党のように、名前だけは一つだけど、中は領袖から兵卒まで上下の繋がりがあるだけで、領袖同士で反目し合っているのは、正にストーブパイプ組織といえる。数日前のブログに書いたアメリカの諜報機関も、同様にストーブパイプ組織だ。だから様々な情報や兆候があっても、9・11を阻止する事が出来なかったといわれている。僕の身近なITの世界でも、同じような現象がある。それをSotvepipe Integrationという。何年もかけて、部門部門の個別の要求に応じて作られてきたシステムでは、何かと不都合が生じるし、効率が悪いということが云われるようになった。そこで、これらを統合しようという機運が生じた。これをSystem Integration(SI)と称し、多くの企業がSIの名の下でバラバラなままだったITの諸環境をまとめようとした。そうすると、それまでのソフトウェアハウスや、情報機器商社は続々と、自らを「SI企業」又はSIer(「エス・アイ・ヤー」と読む)と呼ぶようになって、少しでもこのブームの余禄にありつこうとしたのである。だからSIなどといっても中身は玉石混交。一見統合されているように見えても、中身を見るとバラバラで、相互のシステム間に有効なリンクが張られていない、見かけだけのインテグレーションがいっぱい生じたのだ。つまりStovepipe Integurationである。僕の会社の製品が特に照準を合わせているのは、「インターネット上での取引やビジネスの仕組み」の分野である。これらはかつてe-CommerceとかB2B,B2Cなどと呼び習わされた。そしてこの分野にこそ、見かけは美しくもスマートだけれど、その実中身はストーブパイプでしかないシステムが多いのだ。これからいよいよ重要になってくるこういうシステムこそ、仕入れや売買、配送、顧客管理、会計、調達など、個別バラバラのストーブパイプではなく、ちゃんとした統合化が必須なのである。例えば、昨日の新聞にも出ていたけれど、電気製品の分野では来年からはRoHSローズ指令が施行される。これはEUが指定する有害化学物質を含む電気製品は、EU諸国には輸入させないという指令である。これが来年7月に施行されると、日本の製造業はこの指令を遵守しない限り、製品を欧州に輸出できない事になる。日本の製造業は、電気製品の分野でも、製品→コンポーネント→部品→素材の各段階を別の企業が分担するカスケード構造になっている。そうなると、有害物質を含んでいないという証明は、「源流主義」といって、素材のレベルまで行って証明されねばならない。即ち、上の流れに従って情報の疎通がしっかり保証される必要があるのだ。それだけではなく、この場合各段階で有害化学物質に関する情報の、横方向での共有も必要になる。こうなるとストーブパイプシステムではとても間に合わない。それも、一社のみならず、系列・提携企業間においてすらもストーブパイプに対極するシステムが必須になるのである。このブログのホストである楽天などの流通、通販、量販の世界でも同じことが言えるが、電気メーカーや色々な分野で、ストーブパイプでない、本当に統合されたシステムが必要になる所以である。当社の提供するEnfinity Suite 6というソフトウェアソリューションは、こういう問題を解決するのに最適なシステムなのだが、このブログでアフィリエイトを募って売っていただけるようなお値段でないのが大いに残念ではある。・・・・でも敢えて挑戦してみようという方はご連絡を・・・・やっぱりちょっと無理かな?
2005.08.17
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◇火曜日:旧暦七月十二日 壬申(みづのえ さる)京都・箱根大文字、盆送り火「大文字焼?新しいお菓子でっしゃろか?知りまへんなぁ。」標準語という「方言」でうっかり大文字焼などというと、誇り高き京都の町衆にはこう云われてしまうのだそうだ。以前、京都で仕事をしていた友人にそう教わった。旧暦では立秋から一週間すると盆である。今年十三日に迎え火を焚いてお迎えしたご先祖の霊の皆さんは、今日十六日には、三泊四日の「帰省」を終えてアチラにお帰りになる。明界俗世に残る子孫達は、祖霊の皆さんの道中無事を祈ってそれぞれの門口に麻幹おがらを焚いた。川なら灯籠を浮かべてお帰りの船とし、山には薪を組んで火を焚いてご先祖の旅路の道標とした。これが送り火だ。パチパチ跳ねながら燃える炎は、一族再会の宴の終わりを彩るに相応しく、それぞれの思いを浄化してくれる。送り火の風習は、室町時代に始まったものだという。我々が今でも踏襲する風習は、この時代に始まったものが大変に多い。京都は無論わが国千年の都であり、信心に篤い人々が住む街でもある。盆が明ける日になると、街々こぞって送り火を焚いたのであろう。その内近くの山肌に木組みをして送り火とするものが出てきた。そうなると、他所の街も負けられない。「おっ!あっちの山は大という文字を描かはりましたぇ。こっちも負けんと舟の絵を描いたりまひょ。」、「ほならこっちは妙法で漢字二文字どす。どないどす!」・・・・京都は三方に山を廻らす盆地なのだ。最初、東山にでかでかと大の字の焚き火が出現すれば、これは全都どこからでも望見できる。誇り高い京の町雀や坊さんは、負けじと自分の町の山にも送り火を掲げたのであろう。こうして、東山の「大」(東山如意ヶ嶽)から反時計回りに、「妙法」(「妙」の字が万燈籠山。「法」の字が大黒天山)、「船形」(西加茂船山)、「左大文字」(金閣寺大北山)、「鳥居形」(嵯峨曼荼羅山)と五つの送り火が揃い、今の形になったのは、江戸時代中期のことなのだ。それで、「五山送り火」と呼ばれるようになったのである。だから、京都でのPCな呼称は「五山送り火」なのだ。「大文字焼」などといおうものなら、「それ何どすか?新しいお菓子?」と冷たくあしらわれてしまうことになる。この日午後八時になると先ず先輩格の東山の「大」に点火され、数分おきに上の順で点火されてゆき、午後八時二十分頃に最後の「鳥居形」に点火されて「五山送り火」が勢ぞろいする。京都の祖霊の方々は、道々「あ、舟形に火が入りましたで。」、「いやぁ、ほんま。綺麗やわぁ。ほな今度は左大文字の番どすなぁ。」などとさんざめきながらアチラにお帰りになることだろう。この送り火の影を酒盃に映して飲むと一年間無病息災で過ごせるとか、残りの灰を奉書紙に包んで携行すると厄除けになるとかいう言い伝えもあるのだそうだ。暫く前のこと、送り火のこの日に、東山如意ヶ嶽に登って、大の字の右肩に追加の火を焚いて「犬」の字にしてしまった人がいたそうだ。すると翌年は、もっと下に火を焚いて「太」の字になってしまった。中々愉快な悪戯者がいたものだ。それで、大文字焼の日は全山登山禁止になってしまったそうだが、テレビを見ていたら、大勢の人が焚き火の脇で点火を見物しているのが映っていたから、今では登山禁止は解けたのかもしれない。・・・・今度は文字の上に一本横棒を追加して、「天」の字にしてしまう者が出る・・・か?
2005.08.16
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◇月曜日:旧暦七月十一日 辛未(かのと ひつじ)盆、終戦記念日、奈良春日大社万灯籠最近「CIA失敗のの研究」※1という本を読んでいた。結果的に9.11のテロを許してしまい、イラク戦争では大量破壊兵器の有無でお粗末さを天下に露呈してしまった、アメリカの情報機関の脆弱さの原点と、その歴史を書いた本だ。まぁ、「後知恵」とも言える批判も随所に出て来る。しかし組織というものは一旦作られると、それ自体が事故防衛本能というものを持つようになる。そして構成員はプライドと縄張り意識の囚われ人になってしまうのだ。そういうことは、何もアメリカの情報機関に限ったことではない。わが国の官庁も含め、大小を問わずおよそありとあらゆる組織に共通の現象だ。そういう目で読んでみると、面白いだけでなく、中々参考になる面もある。それはそれとして、この本の中には「略語の言い換え」がいくつか出てきて面白い。アメリカ人は「三文字略語」や「四文字略語」の発明には天才的な能力がある。なにより我々のITの世界はそういう略語に溢れている。「ITのプロ」になりたいなら、基礎技術などわざわざ勉強しなくても、こういう略語を20個ばかり暗記すればよい。そしてそれらを散りばめてペラペラ話せば、それなりのプロのフリは充分に出来るものなのだ。こういう、三文字や四文字略語は、ちょっと考えれば別の意味に解釈することも出来る。例えば、International Brotherhood of Madmen.とかInternational Baby Maker.というのは、業界最大の某企業を揶揄して呼ぶのに、かつては流行った「言い換え」である。この本の中に出てくるのは、当然ながら諜報機関に関連するものが殆どだが、いくつか紹介してみる。括弧()の中が、正しい意味だ。* NSA (National Security Agency = 国家安全保障局): Not Such an Agency.又はNever Say Anything.・・・如何にも秘密めかした組織なのか、或いは何も成果が出ていないのか。* DEA (Drug Enforcement Administration = 麻薬取締局):Don't Expect Anything.又はDrink Every Afternoon.・・・これは宿敵FBIによる命名。捜査官が昼間っから呑んだくれていては拙かろうに。一方、DEAの方も負けていない。* FBI (Federal Bureau of Investigation = 連邦捜査局):Famous But Incompetent. ・・・「俺達は、有名じゃ無いけど、有能だぞ!」そういう気持ちなんだろう。藪大統領がイラク戦争の口実に使った、* WMD (Weapons of Mass Destruction = 大量破壊兵器):Weapons of Mass Diappearance.・・・そうだな、あんなに大騒ぎして、何人もの犠牲者を出して、結局何も出てこなかった。我が畏友で、某大企業でCIOをお勤めになった後、ベンチャー企業に転じて先日CEOに就任された方は、* CIO (Chief Information Officer = 企業情報統括最高責任者):Career Is Over.・・・これは、彼ご自身としては大いにご謙遜だ。* CEO (Chief Executive Officer = 最高経営責任者):Chotto Etchina Ossan・・・あ、これは日本語だ。又、これらとは逆にギャグから略語を作るのも有って、アメリカの大統領選挙では、最初は* ABC (Anybody But Clinton):クリントン以外なら、誰でも良いや!・・・で、藪ジュニアが大統領になったが、二期目の大統領選挙では、* ABB (Anybody But Bush)・・・などといわれてしまった。こういうのは、いわば「英語の駄洒落」だな。閑に任せて色々考えてみるのも面白い。ところで、政治の世界では候補者獲得合戦が活発に行われている。しかし、今日のニュースで報じられた、自民党執行部による某人気社長に対する立候補の働きかけには、さすがに呆れてあごが落ちた。多少名前や顔が売れていて、アホ民草の票が獲れそうなら、政治信条など関係なく候補者に仕立てようというんだろう。如何にも民草を馬鹿にした話だ。最早憂国の気に溢れた志あるものが政治を目指す時代は終わった。政党は党首と執行部が率いるもので、代議士は集票マシンであれば良い。政治信条や、行動方針は後から教え叩き込めば良い。これは純ちゃんのトップダウン型の手法には合うのだろう。しかし、純ちゃんに先鋭に対抗しようとする民主党も、同じ人物に自党からの立候補を打診しているというのだから、これまた呆れる。一体どうなっちゃったんだろう。いずれにしてもこれはHGPS※2だな。※1: 「CIA失敗の研究」 落合浩太郎著 文春新書 平成17年6月 ISBN4-16-660445-7 C0295※2: Horiemon Goes Politics, Stupid!
2005.08.15
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9・11衆院選は、最近の選挙には珍しく、強い関心を集めている。僕も仕事上多くの人とお会いするが、たまたま話が今度の選挙に及ぶことが多い。こういうことはここ何年か無かったような気がする。面白いのは、僕がお会いした殆どの人が「こうなったら小泉さんが勝利するだろう」とおっしゃることだ。理由を要約すると、「分かり易い」、「あそこまで徹底してやるのは凄い」、「リーダーとして立派だ」というようなことになる。一方の、体を張って反旗を翻した自民党内の反対勢力に対しては、「云うことが惨めったらしい」、「泣き言、恨み言ばかりだ」などという批判ばかりで、世間の空気は冷たい。元来が党組織の決めた方針に反対したわけだから、解散となれば決然党と袂を別って自らの主張に殉ずべく選挙に臨むべきなのに、「民営化そのものではなく、あぁいう決め方に反対なのだ」とか、「今こそ党内融和に徹すべきだ」などとおっしゃる。反旗を翻した組織に残留したまま、公認もされず、挙句に対抗馬だか刺客だかを露骨にぶつけられても、為すすべも無く「粛々と戦うだけだ」とか、或いは泣き言しかいえないのだから、我が民草の心情からすれば好かれるはずは無い。瑞穂垂る大和の我が民草は、敗者に篤く判官贔屓で有名だが、それも敗者の側に道理と美学があってのことである。これが自民党の反対勢力の諸君には無いんだなぁ。それにしても、「小泉対反小泉」という構図ばかりで、政策論議が全く表に出てこないのが今回の選挙でもある。これは大いに変だ。「郵政民営化の是非を問う選挙」といったって、それは単なる立て看板であって、実態は「純ちゃんか他の人か」というのが大方の見方である。一国の将来を決める選挙が、こんなことでいいのか。「本当に純ちゃんが又首相になってしまったらどうなるか、ちゃんと考えてるの?」そう云ったって、今は誰も耳を貸さないのだろう。対する岡田民主党は、「政権奪取の千載一遇のチャンス!」と浮かれるばかりで、如何にも影が薄い。それでも十二日に、その岡田民主党が「岡田政権500日プラン」というのを発表した。首相就任するや、即座に首相補佐官や首相秘書官などの高級スタッフは全員更迭し、省庁の局長以上の官僚には、新政権の政策方針への協力誓約を前提として任命する。首相主導の行政刷新会議、国家経済会議を設置するなど、政権への決意とリーダーシップに溢れた内容で、「おうおう、中々やるじゃん!」と思った。そしたら、昨日だったか、それまで選挙の重要政策項目にはしないといっていた郵政改革案を、一転マニフェストの重点項目に入れることにした。これは、地方での立候補者から陸続と届いた、「有権者から”逃げている!”と批判されて選挙を戦えない!」という悲鳴に押されてのことだという。なんだ!やっぱりヘナチョコじゃないか。こういう時こそ、厳と当初の方針を貫き通すべきなんじゃないのか?なんだか、僕の周辺だけに限って云えば、どうも「純ちゃん勝利」の雰囲気が強いようだ。それにしても反対勢力の諸氏のボキャブラリーには敬服する。「コロセウムで奴隷を獅子に嬲り殺させたローマ皇帝みたいなものでしょう。」「これは一体自民党なのかね?まるで安政の大獄じゃないか。」「あれは信長だな。自分に反対する比叡山の延暦寺を焼き討ちして、罪も無い女子供を含めて大量虐殺しようとするんだから。」・・・・まだまだ出てくるんだろうな。これを記録しておくと結構面白いと思う。さて、「あの人」は明日は靖国にはいらっしゃらないだろうと思いつつ。
2005.08.14
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◇日曜日:旧暦七月十日 庚午(かのえ うま) 末伏、大つち今日の暦を見ると、末伏とか大つちと、耳慣れない言葉が並んでいる。なんだろう?先ず末伏だが、これは「まっぷく」と読む。末伏は陰陽五行説に則った選日「三伏さんぷく」の一つで、初伏しょふく、中伏ちゅうふく、に続いて最後に来る。二十四気の「小暑」の後の庚かのえの日三回が三伏とされている。以前この稿でも触れたが、陰陽五行説では庚は「金かの兄え」で金性だ。しかし、夏は火の性の勢力が最も強く、金は火に伏せられてしまう。暦が猛暑に負けるのだ。だから、三伏の日は大凶で、種を播いたり、遠出したり、果ては男女の睦事までも(!)すべて慎むべきだとされている。教養ある方々からのお手紙に、酷暑を表わすあいさつ文として「三伏の候」「三伏の猛暑」などと書かれてあるのは、上記に由来するのである。ところで、「大おおつち」は、古代中国の道教に由来する。暦の庚午かのえうまの日から丙子ひのえね間での七日間を大つち、戊寅つちのえとらから甲申きのえさるまでの七日間を小つちという。この期間は犯土日つちびといって、樹木を伐採するのを慎むのである。 生きとし活けるものは押しなべて、自然と同調するバイオリズムを持っていると考えるのは自然なことだ。草や木であっても、元気で活気にあふれている時期と、そうでない時期が周期的に移り変わるとするのは、何となく納得できる。そして犯土日の期間、山野の樹木は抵抗力が落ち元気が無いのだそうだ。弱っている時に伐採された木は、虫にやられやすいし、腐りやすい。だから特に大つちの日には樵きこりは山には入らないのだという。なるほど。この言い伝え、元々は宮大工の間で伝承されて来たのだという。日本だけでなく、東南アジアの「樵」達の間でもこういう伝承があるそうだから、単なる道教の諫めだけではなく、季節の移り変わりとの関連で、何か科学的な根拠もあるのかもしれない。さてさて、今日は又仏滅でもある!末伏で、大つちで、仏滅。三つも厄日が揃ってしまった。こういう日は、庭の手入れも、種蒔きも、デートもしない方がいい。ましてや遠出などもってのほかである。高速道路が軒並み20~30キロの帰省渋滞だと報じるテレビを横目に、こうしてブログを書いているのが賢明だということだ。
2005.08.14
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◇土曜日:旧暦七月九日 己巳(つちのと み)旧盆迎え火、上弦新聞を読んでいたら、選挙に関連する話題に紛れながらも、面白い記事があった。九月二十七日に行われる、NHK歌謡コンサートの収録に、受信料不払い者の入場を拒否するというのだ。こういう催しの収録現場に行きたい人は、予め葉書で申し込むのだそうだ。大抵会場の定員以上の人数が申し込んでくるので、NHKでは抽選を行う。そしてその結果当選した人に入場券を送るのだという。ところが、その中に受信料を払っていない人がいる。「受信料不払いの人が抽選に当たって収録を観に行っているのに、ちゃんと受信料を払っている人間が抽選に外れて観にいけないのは不公平だ。」という意見が多数寄せられた。それで、NHKとしては、不公平感を無くすために、葉書を寄せた人のデータを、受信料の台帳と照合して、受信料を払っていない人は抽選の対象から外すことにした。そういう記事である。なるほど。NHKの対応は至極ご尤もである。民放のコストは全てコマーシャルのスポンサーによる広告料によって賄われている。広告料は当然商品やサービスの原価に反映されるから、我々は遍くこれを負担していることになる。つまりは、消費税のようなものだ。だから買い物をしている限り不払いということはありえないので、誰でも番組を見る権利を持っている。それに対してNHKの運営費はすべて受信料で賄われている(そうだ)。これは個別に徴収されるから、消費税とは異なり、不払い者は云うならば脱税をしていることになる。(但し罰則規定は無い)しかし、NHKの予算や運営方針は国会で承認される仕組みになっており、受信料を払っている人たちのいわば「株主としての権利」を行使する場は明示的には存在しない。だから先般のような不祥事が続くと、NHKに対する単純な叱正手段として受信料の不払いが増えるのは、これも又至極当然のことである。「番組を観る」事に対する受益者負担としての受信料という考え方と、NHKの運営方針や経費等の使途に関する監視・発言権を有することの、いわば株主資格を取得保持するための対価としての受信料という考え方。この二つの考え方がちゃんと整理されていないから、事は余計にややこしく分かり難くなっているのだ。僕などは、「受益者負担としての受信料」の方がはっきり、すっきりしていいと思う。だから、受信料を払わない人はNHKを観なければいいのだ。「それでも、テレビにチャンネルが付いている以上、NHKの番組を観ることは出来るでしょう。観られるようになっているのだから、観る観ないに関わらず受信料を払ってください。」というのは、NHKの勝手だ。使いもしないガス代を請求されて、「ガス管が来ているんだから」といわれて、納得して払う馬鹿はいませんな。要するにNHKは受益者負担ではなく、国民が「公共放送という機能」に遍く負うべき義務としての受信料という考え方をしているように思える。今回の新聞記事が面白いのは、当のNHK自身がこの「受益者負担主義」を採用してしまったように見えるからだ。こういうことなら、受信料を払っていない人は、当然ながらNHK歌謡コンサートを観にいく権利は無いのだ。収録を観たいのなら、受信料を払えば良い。それだけのことだ。しかし・・・だ。一体、「あの人は抽選に当たったけれど、受信料を払っていないのだ。」ということなんて、普通分かるものなのだろうか?ご近所の誰それがNHK歌謡コンサートの入場券を申し込んで、自分も同じく申し込んで、しかも自分は抽選に漏れて、それに対してご近所は抽選に当たって、かつそのご近所が受信料不払い者である。これだけの条件が全部そろわないと、苦情なんか寄せられないじゃないか。しかも、そういう苦情を寄せる人が沢山居る、なんて本当なんだろうか?わが国の現代の「ご近所」はそんなにも緊密に相互監視で結び付けられているのだろうか?これはどうにも信じられない。そうなると、これはNHKの一人芝居なのではなかろうか?受信料収入の激減に悩んだ挙句、やっとの思いでひねり出した対策なんじゃ有るまいか?どうもそんな気がして仕方が無い。方々はいかがお考えになるであろうか?
2005.08.13
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◇金曜日:旧暦七月八日 戊辰(つちのえ たつ) 徳島阿波踊り今日の午後、五年前に人材派遣の会社を興した知人に会って来た。創業直後に会って話をした際、彼は「単なる派遣ではない。登録した全員に倫理教育をする。その上で社員に登用して派遣をするのだ。今やどの企業だって、単なる労働力を求めているのではない。仕事においても又人間としてもモラルを持ったスタッフを求めているはずなのだ。」と語っていた。僕も些少ながら出資をさせていただいたご縁で、その後折りに触れて色々なお知らせをいただく。それが、届くたびに新規支店の開設案内である。聞けば創業五年にして、全国に拠点を数十箇所新設し、スタッフも今や1300人に達したという。決算も良好で、前年度の決算では数億円の利益を計上できるという。凄まじいまでの成長だ。ほぼ一年前に自前の会社を立ち上げたものの、未だに四苦八苦している我が身からすれば不思議でしょうがない。今回当社の仕事と少しご縁が出来そうになったので、ご挨拶を兼ねて急成長の秘密を伺いたいと会いに行った訳である。彼は、「やっていることは、数年前と全く変りません。」とおっしゃる。「数年前にお話したとおりの事が、今は事業として勝手に進みだしただけのことです。」と。彼は今では「五大雇用」と号して、身体障害者、知的障害者、引きこもり、NEET、そしてシニアを対象にスタッフを募り、彼らに技術教育のみならず、「感謝の心」、「親の恩に報いること」などといった倫理面での教育(と、いうより一種の教化、或いは感化という方が正確なようだ)を施す。その上で彼らを派遣するのだという。つまり、「放って置けば社会の負債になってしまう人材を、有為な資産に転換して、社会に還元するお手伝いをさせていただいているのです。」と。彼自身過去に障害者であった時期があり、そこから自力で回復した経験がある。「その時の力の源泉が感謝の心だったのです。そして、今は皆さんから感謝されている。お互いに感謝の気持ちでお付き合いできているのだから、事業がうまく行かないはずはありません。」しっかりと力のこもった声で、自信を持っておっしゃる。NEETは今やわが国でも国政レベルの問題になりつつあるし、地方においても労働力を発掘育成して、地域内雇用することが大きな課題になりつつある。こういった背景も、行政レベルでの支援が彼の事業に集まる結果になっているようだ。NEETや引きこもりなどは、一人わが国のみの問題ではない。そういう背景があるのだから、彼はこれから五年間で、事業を海外25カ国に拡張し被雇用者を50000人規模にまで増やすのだとおっしゃる。又、「普通の企業は株主圧力によって短期的な経営効率に集中しなければならない。そういう環境では、こういう長期的な視野に立った事業など出来ない。だから、当分は公開を考えないつもりです。」ともおっしゃった。「凄いなぁ!」彼と別れて、猛暑の街路に出た時の率直な感想だった。彼のビジネスは、現在の社会的なニーズをうまく捕まえてそれらを組み合わせているから、ビジネスモデルとしても成功するだろう事は良く分かる。安易に株式公開を目指さないという姿勢も非常に共感できる。しかし、理屈よりも彼自身から伝わってくる熱意、信念のオーラには圧倒された。あのオーラが人をしてカリスマたらしめる源泉なのだろう。またそれが、「感謝の心」とか「親の恩」という、常識的に否定できないものと結びつくと、一種宗教的な匂いすらしてくる。話の途中で、「感謝の心は前頭葉から入り、前頭葉の血行を活性化し、それが海馬を・・・・」と、こじつけめいたものが出掛かったが、そんな「理論武装」などなさらぬが良い。もっと似非宗教的な匂いが強くなってしまう。そんなものが無くったって、社会的使命を帯びて「弱者」の資産化にまい進されている姿勢だけで、大いに尊敬できる。凄いと感銘する。彼などは、新興のエネルギッシュな経営者の一典型として、本当に凄いと思った。翻って見れば、僕などはとても真似は出来ないな。理論物理学などという学問で、ものの考え方や世界の見方を訓練された立場からすると、一つの概念や信念に集中して突き進むということは、中々出来ないものだ。物事には常に疑問を以って当たる、というのが科学者としての基本的態度だ。自らの考えを立てても、それはあくまでも仮説であって、常に別の見方や別の考え方の存在を意識せざるを得ない。実証によって自らの仮説の齟齬が明らかになったら、惜しげもなくそれを捨てて、新しい仮説を模索する。科学者は、彼のような経営者や、宗教家にはなり難いものなのだ。しかし一方で、色々なものの見方を理解し、異なる考え方を尊重する態度は、結果的により高次なレベルでの視野を与えてくれるものであろう。そういった新しい着想を常に求め、時至るや果敢に実行に移す。そういう姿勢を貫くことで、科学者であっても、いやむしろ科学者であるからこそ、別の次元での「経営者としてのカリスマ性」を獲得できると思うのだ。このカリスマ性を支えるものは情念ではなく理念である。未だ水面から首を出しておくことに苦労しているベンチャーのリーダーである僕としては、彼の真似をするなどというような無理をせず、自分本来のやり方で彼と拮抗できるレベルに、先ずは到達してやろうと思った次第である。それにしても、彼の話や話しぶりには大いに感銘を受けた。これは大いに参考にさせていただくつもりだ。色々な分野で活躍している人に会ってお話を聞くと、必ずこういう感銘を受け、触発される。こういう知人や、友人、先輩に恵まれているのは、本当にありがたいと思う。・・・あれ、これも「感謝の心」なのかな?
2005.08.12
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◇木曜日:旧暦七月七日 丙寅(ひのえ とら)高知よさこい祭、旧七夕大組織と小組織の本質的な相違は、凡庸な人間を許容できるかどうかの一点である。無論許容できるのが大組織、出来ないのが小組織だ。昔、日本の大組織を離れて、初めてガイシケーの大組織の一員になった時のことだ。無論僕の管掌範囲は、日本の総体的に小さな固まりに過ぎなかったけれども、そのガイシケーそのものは、全体で3万人以上の社員を抱える大きな組織だった。移籍後しばらくして昇進することとなり、打合せや管理者教育も兼ねてニューイングランドにあった本社に出向いた。一通り儀式めいた手順があった後、人事担当の重役の部屋に呼ばれて、「マックさん、マネージャの仕事は、一言で云うと何だか分かりますか?」と訊ねられ、一瞬返答に詰まった。こういう質問を受けると、「部下としてお預かりしたスタッフを束ね、しっかりと育て、相互の融和によってチームワークを実現し、会社の業務推進のためにより貢献できるようにすること。」そう答えるのが、大方の日本人の「常識」だろうと思う。僕も多分そんなことを答えたはずだ。そしたら彼は静かに首を振って、「Fire & Hireだよ。」とのたもうた。これはショックだった。同時に目から鱗でもあった。「なるほど、毛唐はそう考えるんだ。」と実に新鮮だった。こういう発想はガイシケーだからこそ出てくるんだろう。「ガイシケーは良いですねぇ。お給料も良いし、休暇もたっぷりあるし、五時になればさっさと帰れるし。」などという美しい誤解に基づいた言葉を一頃良く耳にしたものだが、入ってみればとんでもない。五時に帰るのは相対的に下級の職員か事務職員くらいのものだ。上位に行けば行くほど皆猛烈に働く。エクゼキュティブともなれば、就業時間の定めなど有って無きが如しだ。どこに居ようが何時だろうが、事実上行住坐臥常にOn Jobで居なければならないのが、ガイシケーのエクゼキュティブだ。そうして、重い責任とそれに対するチャレンジが常に付いて回る。そしてその結果を期日まで出さなければならない。そういう環境下では、融和とか育てるなどという迂遠なことなどやっていられない。(そういうのは、教育部門の責任だ。)目標達成に貢献できない、或いはそれに障害になるようなスタッフは、即座にFireしなければならないし、それに代わるもっと優秀なスタッフをHireしなければならない。それが組織の長として求められる資質なのだ。先の重役の質問は、「マックさん、あなたにそれが出来ますか?」ということだったのである。わが国の政治の世界は、衆議院解散以後9.11の選挙に向けて雪崩を打っている。僭越ながら過日僕がこのブログに書いた方向に向かっているようだ。それにしてもこのところの我が宰相の手際には、日本人離れした目を剥くような鮮やかさがある。反旗を翻したものには容赦なく追撃の矢を放ち、手を緩めない。まさにFire & Hireそのものである。追撃を受ける側は未だ有効な手を打つことができない。「我が党の伝統に反する」、「えげつない」、「下品だ」、「囚人をライオンと戦わせたローマ皇帝の如き所業」、「今は選挙に臨んで、党内融和を強め団結して選挙に当たるべき時なのに」、「これは安政の大獄だ」・・・これらは押しなべて、日本人の情に訴えようとする情緒的な泣き言にしか聞こえない。こうなってくると、我が宰相の狙うシナリオは誰の目にも非常に明瞭で誤解の余地が無い。「誰にも分かるマニフェスト」が自然に完成しつつある。対するに、反対勢力は上述の通りだし、岡田君の勢力の主張もいささか色褪せてしまった印象を払拭できない。我が国民の大勢、特に無党派層を形成する都市のサラリーマン層は、政治、経済、外交であれ、ぬらりくらりとした在来型の動きの不条理に大概飽き々している。そういう中では、カリスマ的リーダーが出てくればそれに靡いてしまいがちなのは、過去の世界の歴史を見ても大いに有り得る事だ。選挙には勢いというものがあるから、これによって「純ちゃんの夢」は一挙に実現に向かって加速されることになる可能性がある。それにしても、小組織を率いるものとしては羨ましい気持ちが募る。Fire & Hireができるのも、ある程度の規模以上の組織であるからこそだ。小組織こそ凡庸を許容できないけれど、代替が居ない。或いは外にも求めづらいのが現実なのだ。昔スパイ小説を好んで読んだ時期があった。当時のソビエトのKGBでは、失敗したスタッフを容赦なく銃殺して代替要員を充てた。そういうシーンが頻繁に出てくる。文字通りのFireなのだ。銃殺される要員だって、非常に優秀なのだ。それを惜しげもなく切り捨てられる。凄いと思った。こうして信賞必罰が明示的に示されるから、全員に緊張感が維持され、組織としてはより鋭利なものになって行く。無論一方でこういう考え方には、恐怖政治、独裁政治だとか、人道的でない、という側面もある。それは事実だ。しかし、のんびりしたオペレーションでは即座に敗者とならざるを得ないような環境におかれた組織のリーダーとしては、思想的危険性を充分に自覚しつつも、Fire & Hireにはついつい魅了されてしまうのである。
2005.08.11
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◇水曜日:旧暦七月六日 丙寅(ひのえ とら)亡父の誕生日、京都清水寺千日詣り、西鶴忌今日は我が愛読するブログ作家である釈迦楽教授のお父上と共に、我が亡父の誕生日である。釈迦楽教授のお父上は無論健康にご存命の様子でご同慶の至りではある。一方の我が父はもう九年ほど前に幽明界を別って、アチラのほうにいらした。彼は大正三年生まれであったから、まぁ世の標準に照らしても無理の無いことではある。彼は東京生まれで、父親(つまり僕のお祖父ちゃん)はお金を作っていた!といっても、偽札では有りませんぞ。当時の大蔵省の抄紙局しょうしきょくというところの立派なお役人で、ちゃんとした大日本帝国認定の正規のお金を製造していたのである。父が子供の頃は、今の王子にあった官舎で両親と合計七人に及ぶ兄弟姉妹とかなり優雅な暮らしをしていたのだそうだ。それが、父親が難病を得るに及んで、名医を求めて転々とし、最終的に父親が逝去した地である岐阜に一族は落ち着いた。兄達が、役所のつてで静岡の製紙会社に職を得たのに対し、我が父は「自分は子供の教育に携わりたい」と、岐阜の師範学校を卒業して教師になった。小学校の社会科の先生である。七人の兄弟の中では、父が最も家長的な性格を持っていたようで、寡婦となった母親(僕にとってはお祖母ちゃんだ)に頼られ、三人の妹と一人の弟の生活の面倒を一手に見ていたのだというから、えらい。お祖父ちゃんは、闘病に費やした医療費のせいで自らの家族には自分が作ったお金を残せなかったのだ。父は中々優秀な教師だったようで、校長になった時期も同僚よりはかなり早かったそうだ。校長というと大体一校における任期は三年から四年だが、この間に学校の経営を行うことになる。この辺にも父の才能はあったようである。しかし最後には、一種の政争に巻き込まれたようで、本来のエリートの歩む道からは外され、知的障害児童を対象とする養護学校の校長に転出した。当時の父親の鬱屈した気分は、子供の僕にも何となく伝わり、今でもその当時の家の雰囲気を覚えている。しかし、彼はどこかでその気持ちを振り切ったようで、その後退職までの数年間は一貫して、いくつかの養護学校の経営に専心したのだ。父親が亡くなったのは彼が八十一歳の時だから、現役を退いてもう二十年以上経っていたけれど、お葬式には300人以上もの元の教え子や同僚などが集まり、葬儀屋が驚いていたことを覚えている。母親の希望で、香典は父親が勤めた四つの養護学校と福祉施設に寄付することになった。長子としての僕は、父親の部下だった方の先導で、母親と共にこれらの施設を回って歩いた。そこで聞く父に関する話は、僕の全く知らぬものばかりで、等しく父に対する深い感謝に満ちたものであった。丁寧に語られる一つ一つの話をうかがいながら、肉親であっても、本当の意味で親を理解してはいないものだと痛感した。その中の一つの施設では、知的障害者に対する世間の無理解を縷々訴えられた。単純軽作業ならば充分に健常者と同等に、或いは健常者以上に熱心に真面目にこなすことが出来るのに、偏見の故に雇用されない。だから施設には学齢期をとっくに過ぎた人たちがどんどん滞留するようになる。「どうか、息子さんの会社でも雇っていただけませんか。」ということだった。僕は当時或るガイシケーの会社の社長だった。その名刺をご覧になってのことである。しかし、当時の僕の会社は彼らを雇用する力など無かった。単に毎日毎月汲々として毛唐の作ったIT製品を、計画通りに販売していくのがやっとのことだった。まことに不肖の息子である。「あぁ、まだまだ親父を抜くどころではないなぁ。」と自らの非力を慨嘆すると共に、それまで全く知らなかった父の努力の跡に粛然としたものだ。父の命日はさすがに忘れないが、誕生日は忘れはしないものの意識に昇ってくることは最早稀である。それを釈迦楽教授のブログが思い出させてくれた。感謝である。それにしても、自らも元は教師で、貧窮の時代から一貫して連れ添ってきた母である。父が亡くなってさぞかし気落ちするだろうと心配であったが、何のことは無い、四十九日が過ぎる頃から最早嬉々としてご近所のお仲間と色々なところに遊びにお出かけになる。それも、自らがリーダーとしてご近所を仕切っておられる。鴛鴦の別れを慮って勝手に心配して損した。事ほど左様に、女性はやはり強いのである。
2005.08.10
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予想通りというか、期待通りというか、8日午後の参議院本会議で郵政民営化法案は否決された。それも思いのほかの「大差」であった。今日の参議院の様子は、生では無論見られないので、DVDに予約録画しておいた。それをつい先ほどまで観ていた。国会の本会議での採決手続きというものをちゃんと見るのは初めてだった。議長の開会宣言と議案説明の後、法案をつぶさに審議した委員会の委員長から経過説明がある。その後反対と賛成のそれぞれの代表が討論(というより弁論だな)をして、採決に入る。実に良く出来ている。正直感心しましたね。しかし、どうもすっきりしなかったことが二つある。一つは、小泉さんが当初から「政官業の癒着の象徴」として、郵政民営化を公約の一つに掲げた背景には、道路公団を始めとする不透明な資金の流れが郵政を経由しているということがあったはずだ。これが全く議論の対象になっていない。それと今回の一連の過程に、自民党の頭領としての小泉さんの手法に我慢が出来ないから、反対するのだ(つまり郵政民営化には反対ではないが、やり方が気に入らない)という自民党内意見が結構有った事。一点目には色々な挙証が求められるだろうから、ここではつぶさに論じないが、二番目については、本気でそういう理由で反対するのは可笑しいと思う。純ちゃんは、最初から「自民党をぶっ潰す」とおっしゃっている。これは取りも直さず、戦後以降長い期間にわたって自民党の主流を占めてきた現橋本派を排除するのを目標になさっているのだ。その最大にして最後の踏み絵が、郵政民営化法案であり解散であるのだ。これに対するに「同じ自民党なんだから、結党後五十周年を迎える年に分裂しなくても・・・」というのは、どうにも子供じみていていただけない。今回、いよいよ解散から総選挙になったのだが、これはむしろ彼にとって見れば「想定内」のシナリオであるはずだ。参議院での法案否決が、衆議院解散に繋がるのは、自民党の抜本的構造改革を執念とする彼にとって、何の論理矛盾も無いはずだ。だから、小泉執行部は、衆議院と参議院で法案に反対した人は公認しないといっている。それも当然だ。亀井さん達にしても、こうなると新党結成は却って逆の効果になるのではないか。むしろ無所属で立候補するほうが、一か八かではあるが筋が通ることであろう。参議院のドンの凋落と共に、中二階組を含め一掃してしまう。純ちゃんとしては、つまりはずっとそう考えてきたんだろう。今年は乙酉。これは「金剋木」といって、例えば金槌や鋸で木を叩いたり伐ったりするよう相克がある緊張関係を暗示する。そして、乙酉年の乙酉の月は、来月九月。今の予定だと、衆議院選挙の投票・開票日は九月十一日。乙酉の年の乙酉の月の9・11には、何かが起こるのかもしれない。・・・・・・誰かが、「小泉さんは自分を議院内閣制の下での首相ではなく、アメリカ流の大統領だと勘違いしている」とのべていた。そういえばそうかな・・・ふむ。
2005.08.08
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◇月曜日:旧暦七月四日 甲子(きのえ ね) 木曾御嶽教御神火祭甲子きのえねというのは、十干と十二支の組み合わせによって、ある年や日の「性格」を占う中の一つだ。直近の甲子の年は1924年だった。だからこの年に兵庫県西宮市に出来た野球場は、甲子園と呼ばれる。今齢八十一歳の甲子園では、ハイティーンの高校球児達が熱い戦いを連日繰り広げている。甲子の「甲」は十干(甲乙丙丁戌巳・・・)の最初に来る。又「子」は、十二支の第一番目。つまり「いの一番」ということになり縁起がよい。さらに、「甲」(きのえ=木の陽)は木性、子は水性とされ、木と水はお互いに相性が良い。だから甲子(「こうし」または「かっし」とも読む)の日は吉日とされる。又、「子ね」は、十二支を庶民が覚えやすくするために、かつて鼠に結び付けられた。鼠は大黒天のお使いだからというので、年に六回やって来る甲子の日には、方々で大黒天祭(甲子祭)も行われる。いつもの事だが、暦にまつわる催しは、こじつけのオンパレードである。旧七月の呼称「文月」は、七夕にちなんだ「文披月」から、又は稲穂が実り始める「穂見月」から転じたものだ。このことは八月五日のこの稿「月と七夕」で書いた。稲が実り始める文月には雷雨が多い。それで、雷光のことを稲光ともいうのだ。いにしえの昔には、雷光は稲の穂に精を注いでその実をみのらせると信じられていたのだそうだ。だから古語では雷光のことを「イナツルビ」といった。イナは稲のこと。ツルビは「つるむ」つまり交接のことである。ところが、余りにあからさまな言葉を使うのは、如何に古代人とても憚る気持ちがあったのだろう。恋人とか夫、或いは妻をよぶ「ツマ」を代わりに用いるようになった。それで「イナヅマ」。今では「稲妻」の字をあてる。
2005.08.08
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◇日曜日:旧暦七月三日 癸亥(みづのと ゐ) 立秋、仙台七夕、東京佃祭猛暑の中で立秋を迎えた。この日の太陽の黄経は135°になる。立秋を境に北半球では段々昼間の時間が短くなり始める。確かにこれから秋が始まるのである。以前にも別稿(拙著「二十四気便り」)で書いたことだが、わが国では立春、立夏、立秋、立冬をそれぞれの季節の始めとしている。だから日本の秋は立秋に始まり、立冬で終わる。これに対して、西洋では夏至を夏の始まりとする。従って夏は秋分まで続き、立秋は夏のピークとなる。立秋を秋の始まりと見るか、夏の盛りと見るか?季節感は、太陽の光の具合と気温によって知る。気温は太陽の動きからほぼ二~三ヶ月遅れるから、我々の実感としては西洋風の区分法のほうがしっくり来る。そよりとも せいで秋立つことかいの 鬼貫先週末から風邪を引きこんだ。これで僕のバカが証明され、世間に知れてしまった。どうしよう。この風邪、咳がひどく、クソがつく暑さの中で、汗をかきながらゴホゴホやっているのだから、文字通り間抜けな話だ。政治の世界も今や咳き込み状況だ。風邪で頭がぼんやりしている所為か、テレビで同じ党派の連中が賛成だの反対だのむきになってやり合っているのを見ても、本質的な争点が何なのか良く分からん。しかし、夏風邪を引くほど馬鹿でも、郵政民営化法案の本質論で争っているので無いことだけは分かる。要するに我が宰相に対する好悪だけが最も大事な点なのだ。我が宰相は、意地を張って解散という踏み絵を持ち出してきた。「俺を嫌いだというんなら、選挙するかんナ。選挙すると落ちるかも知れないよ。だから賛成したほうが良いんだけどなぁ。ウリャウリャ・・・」と、いうわけだ。自民党の陣笠議員達は、トップリーダーへの好悪、政権への執着、そして選挙への不安が三つ巴になって、ドタバタ、ひそひそ大騒ぎである。何だかレベルの低い話しだなぁ。これは、わが国の民草の大半が感じているところだろう。解散になれば、日程的に総選挙の投票日は九月十一日(日曜日)になりそうだ。奇しくも今年のこの日は二百十日にあたる。そうなると、政界再編の台風襲来となるか?・・・どうもそうはならず、低い投票率の挙句に結果は竜頭蛇尾に終わり、政治家連中だけが我々の見えないところで合従連衡を模索する状況が続くような気がする。それにしても、総選挙にかかる費用は我々の税金で賄われるのだ。納税者としては、こういう低レベルで手前勝手の混乱に税金を費やすのは、もう大概にして欲しい。矢継ぎ早に鼻をかみながらも大いに腹が立って、又熱が出てくるのである。ともかくも、明日のお昼過ぎにはどうなるかは決まっているはずだ。今日も又暑い。天気予報では日本列島上空に冷気団が入り込んでいるため、全国的に午後から夕方以降激しい雷雨の恐れがあるといっているが、どうだか、ねぇ?でも暑い暑いとばかり云っていては、お百姓さんには申し訳ない。稲の穂がしっかりと実るには、夏の猛暑は必須なのだ。米国こめぐにの上々吉の暑さかな 小林一茶昔は夏は「開放」の季節だった。夏の日中は雨でも降らない限り、家々は障子や窓を開け放しにした。すだれを吊ったりよしずを張ったりして陽を遮り、涼風を入れた。軒先には風鈴を吊るし、庭には打ち水をして涼気を呼ぼうとした。今は夏はむしろ「閉鎖」である。全ての窓をぴったり閉ざして、クーラーを動かして冷やす。こうなってしまうと、夏の暑さに感謝するという、我等米作農耕民族としての感覚は最早遠いものになってしまった。無論僕もそうしたせいで風邪を引いてしまったのだけれど。
2005.08.07
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◇土曜日:旧暦七月二日 壬戌(みづのえ いぬ)広島原爆被爆の日、山形花笠祭、秋田竿灯祭かみなり雲、つまり積乱雲(入道雲)の立派なものには、一立方メートル辺り約5ccの水(雲粒)が含まれているという。真夏の暑熱の中で大きく発達した積乱雲の場合、1万メートルくらいの高さまで立ち上がった雲の塔が、直径数キロの地域を覆う。こういう積乱雲を、例えば半径3キロメートル、高さ10キロメートルの円筒形に見立てると、その体積は約2.8×108立方メートルになる。つまり、この位の大きさの入道雲の中には、なんと約141万トンもの水が浮かんでいることになる!ドラム缶にすると700万本分だ。なんとも、入道雲はエライ!逆に言うと、700万本のドラム缶に入った水を用意して、巨大な送風機で大空に吹き上げ、加熱して蒸発させ続ければ、あの雄大な入道雲が出来上がるわけだ。これだけの仕事を真夏の太陽は、わずか数時間でやってしまうのだから、エライのは入道雲ではなく、実は太陽なのだ。人間にはこんな作業は出来るのだろうか?普通のやり方では無理だ。しかし、工夫すれば出来る。原爆か水爆を落とせばいいのだ。或いは、焼夷弾を使って執拗に空襲し続け、地上に大火災を起こさせればいいのである。それが60年前の今日、広島で起こった。同じ年の9日には長崎にも起こった。60年前の真夏の日に、”ベーテー”の飛行機は、我が同胞を地上に焼きながら壮大な雲の峰を製作したのである。
2005.08.06
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◇金曜日:旧暦七月一日 辛酉(かのと とり) 塩竈みなと祭、久留米祭今日は新月だ。つまり朔。今日から旧暦の七月が始まる。七月は文月。七月七日は七夕だ。短冊に願い事を書いて笹竹の枝に吊るすのが、今の七夕のありようだけれど、その昔は短冊には詩を書いた。そして、書道の上達を願ったというのが七夕の本来だ。文字を書いて披露し字の上達を願うということで「文披月」。それで七月の事を文月というようになったという説がある。その一方で、この時期になると田圃では稲の穂に実が入って膨らんでくるというので「穂見月」。それが転じて文月になったのだという説もある。やはり七夕との関連で文月という方が自然な気がするのだが。ところで、この七夕は「たなばた」と読む。ところが、七の字は他にタナとは読まないし、夕もバタ或いはハタと読む例は他に見ない。七夕は五節句の一つで、古くから宮中で祝われていた行事だが、宮中では七夕を「しちせき」と呼んでいた。これが「たなばた」になったのは、牽牛織女伝説に由来する。お互いに慕いあう牛飼いと織姫が、天の川で隔てられているのが、七月七日の宵だけは逢瀬を許されるという伝説だ。織女のことは昔は「棚機つ女(たなばたつめ)」といった。だから、七夕に「たなばた」という読みをあてるようになったのだそうだ。七夕は文字の通り、文月の朔から数えて七日目の宵に行われる。だから、空には必ず上弦の月が掛かっていなければならないのだ!昔の風俗画などを見ると、笹の葉の揺れる先の西空に上弦の月が描かれているのが多い。これが新暦では、完全にずれてしまう。実際今年の新暦七月七日は朔の翌日で、月などは見えなかった。暦の新旧の差は、こういうところに齟齬を残すのだ。因みに、牽牛星はわし座の一等星アルタイルで、織女星は白鳥座の一等星デネブである。今の季節、やっと暗くなった中天近くに、天の川を背景にデネブとアルタイル、そしてこと座の一等星ベガが、雄大な直角三角形を形成して、夜空を切り取る。夏の大三角形である。
2005.08.05
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◇木曜日:旧暦六月三十日 庚申(かのえ さる)いやぁ、とにもかくにもお暑うございます。まさに”You might owe more aid…”失礼!暑気ボケ!「云ふまいと思へど けふの暑さかな」だ。ここのところ天気予報では連日のように、「夕刻には大気が不安定になるので激しい雷雨にご注意」と言っているけれど、少なくとも職場と我が家の近くはただ暑いばかりで全く降らない。雷と共に夕立でも来てくれれば、涼風も立つであろうに。予報を聞いて期待するだけに、余計に暑さに腹が立つ。日中の立派な入道雲だって、雨も降らさずヘナヘナ崩れていくのでは竜頭蛇尾もいいところだ。驟雨の過ぎた後、遠雷を聞きながら、茹でたての枝豆できりっと冷えたビールを戴く・・・・てな訳には、中々行かない。今日は庚申。ちょっと前にもご紹介したが、「かのえ」は「金の兄」で、五行の「金」の陽の日である。明日は「金」の陰の日として辛酉(かのととり=金の弟の酉の日)だ。庚申・辛酉と「金」が続くから、庚申(「こうしん」とも読む)の年や日は、世の中に「金性の冷酷さ」が蔓延するのだという。ちょっと田舎へ行くと庚申塔という小さな祠を見かける事がある。コウシン樣と呼ばれているものも多い。昔の道教の教えに曰く。人間の体内には三尸(さんし)の虫というのが宿っていて、日頃宿主の悪事を監視しているのだそうだ。この虫は普段は体内に留まっているが、庚申の日になると、宿主が眠り込んだのを見計らって天に昇り、天の神様に己の宿主の悪事を言いつけに行く。だから、それを畏れて日頃から悪事に走るのを慎め。というわけだ。しかし、日頃宿らせて戴いている主の悪事を、夜陰に乗じて言いつけに行くのだからたちが悪い。いわば、チクリ屋だな。人間の方もさるもので、それなら悪事をしないかといえばそんな風に殊勝には考えない。ならば眠らなきゃいいだろうという方向に行ってしまうのだから、たくましいじゃないか。神様に悪事をチクられては、どんな罰が下るやら恐ろしい。そこで、いささかでも身に覚えのある連中は、この日は眠らないのだ。ただぼんやりしていれば眠ってしまうから、適当にお灯明を上げて、後ろめたい仲間同士集まっては、庚申講と称して、徹夜で酒盛りをしたのだ。さりとて、全く悪事を働かないなどと天下に大見得を切れる人間なんか居る訳は無いから、とどのつまりは皆揃って朝まで騒ごうぜという事になる。つまりは、庚申講は近隣同士の宴会の口実に過ぎなかったようにも思える。庚申講を3年18回無事に続けたら、つまりはその間三尸の虫が天に昇るのを妨げる事が出来たら、どうも職務怠慢ということで、この虫は天帝から罷免されたらしい。それで、チクリ屋放逐のお祝いに塔を建て、祠を結んだ。それが庚申塔、或はコウシン樣で、今も各地に随分残っているようだ。庚申伝説は、日本には枕草子の時代には既に伝わっていたようだ。民草の間に普及するようになったのは江戸時代に入ってからである。さてさて、僕は何もやましいところは無いから、これから帰宅して冷えたビールでも一杯戴いて、存分に眠ってやろう。…もしこのブログが最後になったら、悪事がばれてバチが当ったと思ってください。
2005.08.04
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◇火曜日:旧暦六月二十八日 戊午(つちのえ うま) 八戸三社祭、鬼貫忌今日の暦の「鬼貫忌」というのは、江戸中期の俳人上島鬼貫の命日ということである。この人は1661年伊丹の生まれで1738年大阪に没した。俳聖といわれる松尾芭蕉(1644~1694)とほぼ同時代の人であった。しかし、芭蕉がひたすら俳句に精進したのに対して、鬼貫はあくまで俳句は余技であるという姿勢を貫いた。だから、後世になって与謝野蕪村が「再発見」するまでは、鬼貫は余り有名な人ではなかった。代表作はにょっぽりと秋の空なる富士の山だ。しかし、それ以前に長男が不慮の病を得て早世した際の土に埋めて子の咲く花もあることかという悲痛さは心に沁みる。明治の後半、河東碧梧桐の画策もあって、鬼貫忌は秋の季語になった。但し、また暦の話になるが、鬼貫の命日は旧暦の八月二日なのである。つまり今年の新暦では九月の五日が本来の鬼貫忌なのだ。だからこそ秋の季語になっても良いのである。新暦では今日は未だ立秋の前だから、秋どころか盛夏の真っ只中なのだ。以前夏休みになると、未だ幼かった長女を連れて、伊東の山の中腹にあった、義父の会社の所有する温泉付きの保養所によく行った。みやげ物店の並ぶ駅前から、伊東線のガードをくぐってほどなく、保養所に至る急な坂道の取っ掛かりに来ると、角地にオシロイバナの群落があった。夕方坂道を下って海へ散歩に行く途中、一つの株ながら紅色の花や、白い斑入りの花が混じり合って咲いているのが不思議だった。オシロイバナの学名は、Mirabilis jalapa。夏から秋にかけてそこここに沢山の花を付ける。ごく普通に見かける花だが元々、南米はメキシコ辺りが原産地で、日本には江戸時代に渡来したのだという。オシロイバナは白粉花。花の終わった後に付く胡椒粒大の黒い実を割ると、中から白い胚乳粉が出てくる。昔は女の子たちがこれを顔に塗りつけて化粧の真似事をしていた。この花の英語名はfour o’clockという。つまり「四時」。午前ではなく午後四時のことだ。つまりオシロイバナは夕方四時頃になると花を開くのだ。そして夜の間、周辺に甘い香りを漂わせながら咲いている。こうして、一晩艶然と過ごした花は朝になるとつつましくもつぼんでお休みになってしまう。正に夜の花だ。脂粉を名前に持つ花が夜に咲く花だとは、うまく出来ているものだ。
2005.08.02
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◇月曜日:旧暦六月二十七日 丁巳(ひのと み) 八朔、水の日今日から八月。八朔というのは「八月の朔日」、つまり八月の新月の日のことだ。旧暦は月齢と同期していたから、朔つまり新月はいつも月の初めの日であった。今年の八月は五日が新月だ。太陽暦では昔の慣わしとは合わないのだから、これはしようがない。今年の旧暦の八朔は新暦では九月四日にあたる。この時期は早稲の穂が実る頃なので、昔の人は日頃世話になっている人や恩人に早稲の初穂を贈って感謝の気持ちを表した。それで八朔のことを「田の実の節句」ともいう。「田の実」は「頼み」に通じることから、やがてこの日には、お百姓のみならず武家や公家も「お頼み人」、つまり日頃頼りにしている人に贈り物をするようになったのだそうだ。また、この日は徳川家康が初めて正式に江戸城に入った記念日でもある。1590年(天正十八年)の八月朔日、秀吉による江戸転封命令に服した家康は、恐らくは内心に鬱屈した想いを秘めて、見はるかす荒蕪地にノッと聳えあがった江戸城に入城したのである。それがやがて徳川繁栄のきっかけとなったわけだから、徳川一族の間では、八月朔日は正月に次ぐ慶賀の祝日だったのだという。それやこれやで、今でも八朔の日に何がしかの行事を行うところが全国各地に数多くあるようだ。ところで、みかんの仲間にハッサクというのがあるが、これは19世紀中頃に広島の浄土寺というお寺の境内に自生しているのが見つかったのが始めだそうだ。ザボンの突然変異種だという。酸っぱくも甘いハッサクは僕も好物だが、このみかんは八朔とは、特に関係は無いようだ。
2005.08.01
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