全118件 (118件中 51-100件目)
こちらから画像拝借m(_ _)m つとめて女は高価でも美しくもない、着物をきていた。そこらの女が着ている地味な柄の、それでいて女に馴染み、女の身体を象(かたど)った着物をきていた。女の額の真ん中にはうっすらと皺が刻まれ、眼(まなこ)の影深い隈は、女の疲労を物語っていた。女の容貌からは齢(よわい)を感じられなかった。髪は黒く、つややかで肌にもまだ張りがあり、色もくすんでいなかった。女は一夜限りの宿の窓に近づき、朝陽に染められ、静かに横たわる 冬の海 を眺めていた。しかし宿から眺む絶景でさえ、女の心象においては、白と黒の殺風景な実に寂しいものだった。 女の情(なさけ)はこうつぶやいた。朝陽など、顔を覗かさずとも良いものを。 一緒に居るも 離れ居るも うぬの心が満たさるること、一時(いっとき)としてあらぬゆえ・・・女は平常を保つため、心に真っ白な薄絹を被せ、海を眺めていた。 冬の海も海をじっと見つめる瞳の色もそして女の心も 虚ろ であった。 にほんブログ村
2013年11月26日
IMG_1266 posted by (C)maryam f d愛(かな)しき玩具女の名を何度も 何度も 繰り返す男の声 それは愛犬を呼び戻す飼い主の調べを帯びていた 黒い人影でしかない 男の姿乾き かすれ 駆り立てる 声を女は耳を澄まさずとも 知っている女は Pet だった確かに 女は 盲目の愛玩動物 だった にほんブログ村
2013年11月15日
DSC04971 (480x640) posted by (C)maryam f d夢幻劇夢中になりて 語りあひしにはあらず語りあひし は 夢の中過ぎ去りしことすべて 夢幻劇にほんブログ村
2013年11月10日
秋の夕暮れ 私は あなた に みつめられている とおもったのよでもあなたが憂慮していたのは私の背後の 開いている戸 だけだった 私の存在は 透けてしまっていたのね・・・ にほんブログ村
2013年11月08日
”A mistake”死 までの時間は死から遠い 健康な人ほど わからないもので死 までの時間は どれぐらいあるか?その一点において時間は 皆に 平等に 流れている そして私は刻一刻と流れている時の中で己の心 は如何様(いかよう)か?己の心 はどう動こうとしているのか?に ”添い寝” しようと思った今まで私は如何に生きているか? 如何に過ごしているか?に ”東奔西走” してきたが・・・ それは 間違いであったにほんブログ村
2013年08月02日
”この世の正体”嘘の中の真とか真の中の嘘 などという言葉があるがこの二つの間の相違が私には感じられなくなったあなたの言葉 と あなたの行為 も誰かの言葉 と 誰かの行為 も私自身の言葉 と 私自身の行為 も真 であり また 偽り でもある のだから過去も 未来も 現在もある部分において 確かに 真実 でありある部分において 確かに 虚構 であるからあなたがこの現実を真実であるっと確信しているのと同じ程度にこの現実はまた 虚(こ)でしかないのだからまさに この世 の正体とは嘘の中の真即ち真の中の嘘 にほんブログ村
2013年07月17日
ねえ そこの ”私”!ねえ そこのそう そこの ”私”!欲望・欲求を満たそう なんて思っちゃいけないよそれは 自分の影を踏もうとする行為そのもの己の影法師と永久の鬼ごっこ永久に時間を費やそうが輪廻転生を繰り返そうが心を満足させることなど有り得ないんだ***********************心の問題に本能が関わる危険満たされない心を本能で満たそうとすると・・・不満、不安、孤独、(自己)満足、自尊心、自意識・・・をセックスで満たそうとすると (セックス依存・恋愛依存)食欲で満たそうとすると (過食症)闘争本能で満たそうとすると (あらゆる暴力・戦争・人種差別)母性本能で満たそうとすると (他者への過剰な甘やかし)防衛本能で満たそうとすると (引き篭もり)・・・本能に限らず アルコールでも 買い物でもストレスを発散させるだけのつもりが常習化し 依存へ 中毒へ 身を滅ぼすまで延々と続き それでもなお満ち足りない相対関係でとらえる世界に踏みとどまる限りこの世のありとあらゆるものものを用いようとも心を満たすことなど不可能 にほんブログ村
2013年05月02日
imgstyle.info_2059M (800x533) posted by (C)maryam f d画像拝借 imgstyle.info 海よ・・・海海よ・・・海汝 我をときに大波のように足元から揺るがしまたときに包み抱き我に温かき 優しき心地させそして なにゆえ・・・満ち潮の如く我が鼓動を激しく打たせんとすにほんブログ村
2013年04月16日
雪女の情け あの時 お前さまは 私をまじまじとみつめられ悲しそうな瞳をしておる と仰いましたね そう 私はとても悲しかったので御座います如何に考えようとも行き着く先はひとつで御座いましたゆえ・・・ 私は気付いていたのでありましょういつかはお別れの時が来るといつかはお前さまのお側を立ち去らねばならぬと それでも 私は お前さまと子をなし 日々を重ねて参りました・・・ 私がお前さまにお目にかかることはもう二度とありませぬ 雪 YUKIME posted by (C)maryam f d にほんブログ村
2013年04月01日
腐った鯛の金の鯱という記事をご覧になられてもお分かりだと思いますが、私にとっては、外観より、名前より、中身が大切なんです。金のしゃちほこの中身が腐っているんだったら、それこそ、鉄やら鉛やらでできた魚で、愛嬌があったりするほうが、私にとっては価値があります。そしてこれは私の価値観であって、それ以上でも、それ以下でもありません。しかも金の鯱の中身が腐っている鯛と判断しているのは 私だ ということです。他の人にとってはそうじゃないことも多いでしょう・・・金だそ?鯱だぞ? お前馬鹿か?って言葉を投げつけられることもあるでしょう。それもわかっていますが、私は、イヤ!ってなったら、もうイヤなんです。そういう点では私は自分の価値観がはっきりしています。私が自分を 大層ワガママな人間 と思っているのはこの点です。もちろん個人的なこと以外は、好き嫌いで物事を判断しないようにしています。それは社会人としては当然のことですから。私は自分の記事の中に於いてあるいは、誰かに何かについてどう思う? ってコメントを求められたらはっきりと自分の価値観というか、私ならこういう選択をします・・・ということを示します。なぜなら記事とは自分の考えを示すものであり、コメントを求められるとは、自身の意見を求められていることだと思うからです。それでも、私の意見やコメントはサンプルです。参考になるかどうかは、貴方様次第で御座います。っていうことを前提で、私は書いているのだけれども、書き方がキツイのか、押し付けのように受け取られることが多いようです。私の中では”皆それぞれ意見や考えが微妙に異なるってある意味 当然でしょう?”っていうことが原則としてあるのです・・・だって、あなたと私では、立場も、環境も、いろんな面で異なることばかりでしょう?って。答えは はい か いいえ しか存在しないんだけれど、はい のエリアには数え切れない はい があり、いいえ のエリアにも同じぐらいの いいえがあり、 その数は、人の数ほどに存在すると思っています。しかも私は、自分の意見をはっきりと、強く示す傾向がある上に、意見を求められた内容が、私が現在対峙している、戦い中の事柄 だったりすると穏やかには書けず、益々力がこもってしまいます。私は 人様 から投げかけられた質問でも、自分が対峙しているように、その問題にのめり込むこともあります。そうするといつも私がある難しい問題に突き当たったときに自分を突き放す ということをするんですけれど、そういう 突き放し の部分が私の意見の中に入り込みます。(私はそうやって自分を突き放して物事を見ます。そうすると自分の視点以外の視点が見えてくるからです。)そうすると相手の方はまるで、私に突き放されたように感じるようです。でもこうするのは、その人が憎いからでも、意地悪をしているわけでもなくて、こういうことは他人様にだけじゃなくて、自分の息子に対しても私はしています。息子には、これをしてはいけません、迷惑です、嫌がられますってことは、厳しく叱ってきましたが、あとは行儀作法ぐらいで、躾らしいことはしてません。躾って、、、自分はしているつもりでも、ちっとも躾になってないことが多かったりしませんか?私は、息子には自分のスタイルを示しているだけです。私ならこう思う、私ならこうするっていう、一番身近にあるサンプルみたいな感じにです。もちろん絶対許せないこと、やってはいけないこと、行ってはいけないこと、ある行為をすることの悪を教えることは、また別問題ですけれども。彼がこのままだと後悔しそうなことを目にしたら、それを口にして、語りかけることだけです。でも、私の意見やコメントはサンプルで、参考になるかどうかは、君次第だからね。だって、君と私は親子であってもこんなに考えは異なるでしょう?!っていう姿勢は全く変わりません。だから母親らしさはないと思います。母親というよりも、”普通に日々を過ごす努力をしていながら、やっぱりズボっと抜けちゃう人”っていう感じを、息子は私に抱いていると思ってます。 にほんブログ村
2013年01月14日
腐った鯛の金の鯱(しゃちほこ)動機不純事を目的に 高尚 を手段とする動機不純事に 金箔 を添えるために腐っても(動機は不純なのかもしれないけど) 鯛(手段は高尚)でも・・・やっぱり腐ってる目的は動機不純事 という事実には何ら変わりがないから!この事実を理解した今となってはその 高尚 という部分に私は 何の価値 をも見いだせない どころか金箔である と全くもって信じることさえできない(ややこしいけれど 金箔であることも 高尚であることも事実なんです!!)高尚(金箔)ではあるけれど ”胡散臭い(紛い物っぽい)”腐っても鯛・・・でも腐ってる金の鯱(しゃちほこ)の中身は 腐った鯛!**********色見えでうつろふものは世の中の人の心の花にぞありける(古今797)私にとってこの歌は決して ”嘆き” などではなく むしろ ”救い ”にほんブログ村
2013年01月13日
同一視の向かう先我が義母とは斯くなるものか・・・ 女である ことを覗かせる化粧や服装ひとつにしても嫁の中の女 に対しては ムチ!(締め付け・押さえつけ) を自分の愛娘の中の女 に対しては アメ! を甘いなんてもんじゃない丸っきり目をつぶってる 哀しい哉どちらも同一視を発端とした ”表と裏”にほんブログ村
2013年01月07日
密室(主従関係)での決まりごと なにを 俺様の注いだ酒が飲めぬのか!!って方がどう考えても変なのにお酌を受ける場においてはものの見事に善悪が逆転するこれは酒の席だけのことではない密室の決まりごとに手枷・足枷されてしまう異常事態の源にはある行為を受けることの拒否がすなわち相手の存在の否定と認識されることにある相手の存在が大きければ 大きいほど手枷・足枷が重くなるその先には急性アルコール中毒死などの 自害 が待っていてもにほんブログ村
2013年01月05日
永久の被害者 怪物のような残酷さ残酷さの程度はエゴの域を突き抜けているその病的さは危険極まりなしなんといっても自覚がないプライドが高い被害者意識は天下一そして誰もこの事実に気がつかせることなど不可能たとえ名誉毀損の加害者であっても絶対に訴えられないなぜなら彼らは不条理社会の永久の被害者コメントはこちらへにほんブログ村
2013年01月04日
ここ(Tehran)で毎日日本人の通常量の2倍の飯を喰らう私にはどこにでもある 変哲もない天ぷらそばの半分の量は用意されていなかったたとえどんなに こころ が欲しても コメントはこちらへにほんブログ村
2012年12月30日
不甲斐なき我正体駅の構内まっすぐ前を向いて人が行き交うこれから向かう先を見ている彼らは進み行く道をおもうことがあるのだろうか?・・・・・・私はいつも日々が続く先に存在する世界に怯えていた にほんブログ村
2012年12月27日
”拙者のために・・・”で御座いますか?貴方様のお心遣いのほど恐れ多く、誠にかたじけのう御座います。いえ、これは世辞ではなく、真(まこと)の言葉。しかし、お言葉では御座いますが、慈悲を垂れる御心遣い、拙者ごとき者に限って、全くご無用。 貴方様が”人を乗せる馬(馬鹿)にもなれぬ戯け者”とおみなしになられたからは、"拙者のために・・・"っとお心遣いくださるならば、どうぞお見捨てなさり、スッパリ、切り捨て置かれますよう、心より、お願い申し上げます。 そちらのほうがよほど 有難い ことと左様に 心得て おります・・・にほんブログ村
2012年12月25日
有難迷惑 とは迷惑 の場合もあるが時に拷問 の場合もあるそして その場合有難迷惑行為の主は有難いと思え!と信じてそれが相手にとって 拷問 であるということを疑うことなどない にほんブログ村
2012年12月23日
一般認識の大きな相違日本の社会:感情を表に出すと損をする。イランの社会:感情を抑えてしまうと損をする。イランでは、嫌悪や、否定を表さないということはOK ということでしかないから。相手の気持ちをおもんぱかるということは、皆無に近い!コメントはこちらへにほんブログ村
2012年12月03日
命懸け 気紛れ偶然行き当たりばったり風の悪戯そんなものは頼りにならない なんてことは 重々 承知 してるのそれでもそれを頼みの綱 にしているのはそれしか私には残されていないからよ大馬鹿者それも わかってるわ でもそれ を捨てたら 人生は 楽 でもそれ を捨てたら 私 じゃなくなってしまうじゃない?! 2011年11月23日記 ”命懸け”に対して2012年の4月に・・・ ○○命って、その人のためなら命を差し出せる、死ねます・・・なんてことじゃないと思う。命を誰か、何かのために差し出せるって、ある意味自殺よりも、名目があって、"美しい"しね。私は思う、命懸けって相手が、自分が、どんな状態、状況であっても、見守り続け、心を添い遂げることじゃないかって。私が今、ここにいるのは、自殺には 負けを負けとしてみとめられない惨めさを感じたからかもしれない。負けること自体は、決して惨めじゃない負けを負けとして認められないことが惨めで、どうにもこうにも、それだけは私は 我慢がならなかった んだと思う。そう 私の性 さが が叫んでいたんだと思う。私はどうも 馬鹿みたいに懸命 にはなれるけど賢明 には生きられない自覚している。でも治らない。それを捨てたらどんなに楽だろうか?!わかっている。でも治せない。でも、そんな自分を捨てて生きても無意味なんじゃない?! 今だってそうだ。ほんの偶然 に身を委ね、心委ねサダメのオッサンの気まぐれ次第だな、こりゃ・・・ってなことに "命懸けてる" んです。命懸けて、日常っていう "化け物" と日々対峙して "生きてる" んです。 っと追記した。 私はどうしても、”人を疑う”ことができない。勿論、状況や、その人の素行をみて、”こいつは信頼ならぬ!”っという場合は別だけれど。 そうではない場合はまず、人を疑えず、それが原因で痛い目に遭うときが多々ある。 疑うことができずに、馬鹿を見るのだ。 痛い目というのは生ぬるい表現で、泥の入ったバケツを頭上からぶちまけたり、崖に向かって揺さぶられたり、奈落の底へとストンと堕ちていったり、そこで 蛇・蛙・魔物を見ることもある。 これは恐ろしいことに、けっして大袈裟な表現じゃない。 大馬鹿者とはこういう者を言うんだろう。 それでも懲りない。それでも自分のスタイルを変えないし、変えられない。 なぜならその部分を変えてしまったら、私の人格が破壊されてしまうことを私は知っているから。それは、実際に、現実的に、自分の状況が窮地に陥るよりもはるかに、はるかに、恐るべきことであるのを私は知っているから。 にほんブログ村
2012年11月28日
共同関係で大切なこと手の 抜き方と締め方 譲り方と絶対譲れない部分の見極め その基準は自分が自分と向き合って調整しないといけない人にやり方を教わっても最後は自分相手と状況と自分の間のズレを補う微調整はその人の見極めにかかっている時間をかけて根気よく基準を形作っていくしかない***********それでもサダメには逆らえない・・・・ サダメがここはお前の出番だ!って決めたら いくら譲っても自分の目の前に差し出される サダメがセッティングしたその人のワンマンショー代役はなし!! にほんブログ村
2012年09月28日
魂に刻み込め理性ではどうにもできない部分それは もう どうしょうもない理性は抑えようとしていても性 さが は自分の心と身体に牙を向けて吠え立てている狂犬と化して 感情 を煽り立てるそこで理性に耳を傾けることが第一の試練その試練が過ぎても 後遺症 に苦しむ性 さが が切り裂いた傷が疼く後悔でもないでも どうしょうもない性 さがと理性と感情とそのどれもが 我 泣くことしかできない我に正直であるためにはそれだけしか残されていないから・・・そして請う この想いを魂のなかに刻め死んでも忘れないためにそうしてくれもう二度と繰り返したくなどない・・・とにほんブログ村
2012年09月25日
力を尽くすのと、死ぬ気で臨むのとは違うって数ヶ月前にあるきっかけがあって考えていました。そして先日見に行った空手大会で、同期のファイターにコーチをしたときの自分の言葉の中ではっきりとこの違いがわかったのでした。空手という打つか打たれるか、身体を張った勝負は、一瞬の気の緩みが命取りになりますが、それでも死ぬ気で我武者羅に戦ってはダメです。それでは相手の攻撃に対する防御さえも、身体が固くては満足にできなくなります。身体をMAXにさせてはいけない!!のです。身体も心もある程度弛緩させないと、防御さえも満足にできないんです。緊張させた体では、足を高く、早く、振り上げて下ろすなんてことは絶対に不可能なんです。***********************私の心の剣(つるぎ)その 刃(やいば)は時に我 を 彼 を 守るために我 を 彼 を 傷つけた今 私の心に濁り 翳(かげ)り 迷い はないこのような時なのだこの 刃 の力 を 真に 行使できるのは忍(しの)ぶ とは 我慢 で するものではない忍ぶ とは ゆとり で するものなのだ 2011年10月28日記にほんブログ村
2012年09月15日
パンドラの匣蛇・・・おそらくそれは自身が全く望みもしなければ予想もしていなかったような役割を私の人生で演じたのかもしれない崖っぷちで脅されて悲鳴をあげさせられそこまでされたけど命拾いして度胸が座った崖から落ちなかったけど落ちたらどうなるか思い知らされたそしてエゴという私が目をつぶって一番見たくないものを見つめさせられ思い知らされ自分の中にも住んでいたの醜悪な蛇がね蛇の存在を知って反応した藪がガサって音をたてた私の奥の方に隠れていた蛇が目を覚ましたでも私のは軟弱な小さな蛇敵は堂々たる蛇城の主最初っから結果は分かりきっていた次に控えていた戦いの方が命取りの戦いだったんだろうとその後私は思い当たった蛇との戦いの痛みのおかげで私には冷静さがあったそれで私は命拾いした確かに私は サダメ に見込まれている練習で泣かされ 痛めつけられたけれど一番弱いところを鍛えてもらって本番では泣かなかったから精神的ショックと現実的な成果この二つの結果の開きの大きさには驚かされたけれど蛇の呪文は 胡散臭くて根拠のないもので私が そこ に見たのは 醜 だったそれはまるで 玉手箱中身を知っていたらそんな 箱 は絶対に開けなかっただろう如何にも稀で 高尚で 素晴らしい芸術作品単なる小箱に マジックで ものすごい意匠を施した玉手箱にして 蛇 は見せてくれた玉手箱なんてこの世にあるはずがないその疑念こそが 玉手箱への執着を一層煽っていたという矛盾・・・どんなに筋金入りにエゴ にしがみついている 蛇 であった!なんてことは考えもせず蛇をなんとか扱えるんじゃないか?なんて 自信 を持ったことがサダメからしたら不届きものの身の程しらず!カジノで勝つという幻に無茶苦茶危険なことにさえ目を伏せ一発勝負の夢幻に私は身を委ねてみたくなってしまったのだそして パンドラの匣 を開けた蛇 が舌を覗かせ魔法がとけて 玉手箱 は ただの 箱 貴重な 稀な 高尚な と思っていたのは ただの 蛇 醜く 孤独で 老獪 という 人が誰でも住まわせている 蛇 という生き物の本性 を私は見てしまったのだ嗚呼 見たくなかったそれは 己への絶望 だった私は 絶望 したくなくて 蛇 に飛び込みしがみついたでも 絶望 とは何たるか 思い知らせたのは 蛇 であった 私は 人に 自分に 絶望 しなければいけなかったそれは・・・ サダメのオチ だった 私がパンドラの匣の中で見たのは確かに同志の言葉のように”絶望は それ以上絶望しない という意味で 希望 である”のかもしれないけれど************************神告嗚呼 神よもう二度とこんな惨めな思いをさせないでください生まれ変わっても もう二度とどうかもう二度と近づいてはならぬものに近づきました信頼してはならぬものを信頼しました全体重をそこへかけ崖の底へ私は堕ちていきましたそして見てはならぬものを見てしまいました・・・身体はあなたに助けられ無傷であったけれど私の心は粉々に砕け散りましたそして額の上には大きな黒点が刻まれました肩には焼印が押されました今後私をどんなに美しい場所に立たせてくださってもその景色は色あせ白っちゃけて見えるほどにその汚点は命ある限り私の上を覆うことでしょう惨めさに身悶えし流す泪は死ぬまで乾くことはないでしょうもう二度とこんな惨めな想いは嗚呼 神よどうか二度と生まれ変わってもこんな惨めな想いをさせないでくださいモウ タクサン デスモウ タクサン デスにほんブログ村
2012年09月09日
もってのほか!!! まず何はともあれ自分を救わないことにはその先はサダメに任せる・・・ 自分を丁寧に生かすことだけを地道に考えていればいい サダメが一番言いたいのは それ だと思う自分を生かすために精一杯の努力しろ!ってだから自分を殺すことは努力とは言わない!って自分を丁寧に扱え そして 精一杯生かして生活しろ! それこそが生きるということなんだそのための努力は怠るな 自分をすり減らしたり殺すことはもってのほか! そりゃ努力とは違う 履き違えるな!!!って にほんブログ村にほんブログ村
2012年08月31日
心の傷”事実”と”虚構”を最も心に病的なストレスをかける事柄で見定めるのは ”麻酔なしの手術”そして傷は完治しても ”後遺症”となる それでもそれは まだ 救いがある その部分を手術せずにほっとくと壊疽し 感覚をうしなった細胞は刻一刻と腐れ爛れ以前の姿が認識できぬほどに形状を変え 異臭を放ち再生不可能おぞましい姿となった己の一部を現実として見つめるだけ 2012年8月記 にほんブログ村
2012年08月18日
酷(こく)泣ける ようになったことには感謝している自分の状況を冷ややかに見られてその次の段階で 泣ける のだろうから堕ちる手前は感情を無にし堕ちているときは本能が奈落を極楽と思い込ませるよくできたもので人は身体だけでなく精神にも自己防衛本能を携えているそして奈落を奈落と認識できるほどに回復した時から本当の意味での地獄が始まる”絶望”はそれまでの景色を変える同じ景色を以前のようには見られなくしてしまうゼンマイ仕掛けの時計を巻きすぎたように秤に計量しきれない重圧をかけたように感情を計る針が振幅を大きくして針を支えていたネジが吹っ飛ぶ今 目にしている周囲の景色は それまでと寸分変わらぬ光景であるのに幸福と優しさを伴う風景であろうになんと”しろっちゃけて”見えるのだろうか? 高校時代 最初に奈落に足を取られた後に無自覚のうちにそれが私の裡に刻印されていたのだ私が 生 というものに幸せ というものを求めなくなったのはそしてふとした隙を突かれ”虚無”が私の精神を支配してしまうようになったのはそれからだったにほんブログ村
2012年08月11日
自己を柔軟にするためにしなやかな強さを手に入れるまでに一体どれだけ押されなけれがいけないのか!?自分の力で あるいは 外部の力で あってもギュウギュウ ギュウギュウ毎日 毎日 毎日押されないと身体は 強く 柔らかく ならないあまりの痛さに額や 顎から 汗が滴り落ち うめき声を洩らしてしまう一歩間違えれば自分の身体に 大打撃 を与えることになる身体を痛める手前まで力を入れる絶妙な さじ加減 を知っている必要があるこれ以上押したら身体がおかしくなりそうだ・・・という 臨界点自分でそれを 試行錯誤し みつけるにはかなりの時間を要するのであろうそれを 他人 が行う場合はギュウギュウ押される人の身体を知り尽くしている人でなければ”危険”が伴うなんせ 臨界点 なのだからその先へ進んだら 核分裂よほど 信頼出来て知識・技術 がある名科学者 あるいは 名指導者 でなければ押す という行為を 彼の手に委ねてはならない のだろう**********************・・・ということを先日記事にしたのだけれど私のどう~~~しょうもない 性 サガでさえサダメは知り尽くしているんだろう って感がしてきている・・・それだったらその鍛え方も微妙なさじ加減でギュウギュウ締め上げられる柔軟体操も彼の手に委ねられるんじゃないかな?ってね(コンちくしょ~~~~~って叫びたくなるけどさッ!)だから、観念してある意味サダメの流れに従うしかない 身を委ねるしかないと思っているそれは 歯痒い なんてもんじゃなく歯ぎしり したくなるんだけどでもどうしたってそうなるだろうし状況も 人も 変わらないし変われないし変わろうとしないならばその点を無視していいんじゃない?自分が壊れないようにすればいいんじゃない?その結果も考えなくていいんじゃない?って開き直れたのかも ここまでいろんな可能性や結果を考えて苦しんできたら もう十分 自分が壊れないためだったら自分が生き延びるためだったらその行為を批判されたって馬鹿にされたってズルいと言われたってある意味 正当防衛 なのだから!!! にほんブログ村にほんブログ村
2012年07月31日
柔軟していて思った自己を 柔軟 にするためにしなやかな強さ を手に入れるまでに一体どれだけ押さなけれがならないのか!?自分の力で あるいは 外部の力で あってもギュウギュウ ギュウギュウ毎日 毎日 毎日押されないと身体は 強く 柔らかく ならないあまりの痛さに額や 顎から 汗が滴り落ち うめき声を洩らしてしまう一歩間違えれば自分の身体に 大打撃 を与えることになる身体を痛める手前まで力を入れる微妙な さじ加減 を知っている必要があるこれ以上押したら身体がおかしくなりそうだ・・・という 臨界点自分でそれを 試行錯誤 し みつけるにはかなりの時間を要するのであろうそれを 他人 が行う場合はギュウギュウ押される人の身体を知り尽くしている人でなければ”危険”が伴うなんせ 臨界点 なのだからその先へ進んだら 核分裂よほど 信頼出来て知識・技術 がある名科学者 あるいは 名指導者 でなければ押す という行為を 彼の手に委ねて はならない のだろうにほんブログ村にほんブログ村
2012年07月26日
泳げもせぬのに・・・ 泳げもせぬのに 海に憧れその姿に心奪われ惹き込まれ踏み入りぬそしてついに水は顎の高さへ 波と戯れ戯れ戯れ甘美な水の感触は肌を刺激しえも言われぬ海に耽溺す いつしか陽は落ち風は吹き雲はたちこめなお 気付きもせずに戯れ戯れ戯れ水底の足 揺れ身を保ち難くようやく 気付きし時は満潮であったか干潮であったか近付くべからず近付くべからず 我にとって 海とは遠方より眺めるもの心惹かれ心奪われたとえ それが手招きせしとも汝近付くべからず近付くべからず にほんブログ村
2012年06月19日
虚虚実実 その物語がたとえ 虚 だとわかっていても思いを馳せる 時もある その物語がたとえ 実 だとわかっていても 思いをとどむ 時もある にほんブログ村
2012年06月18日
嘔吐 ~自己嫌悪の肉体的症状~自分 相手に闘い 続けもがき 続け勝ったなどとは これっぽっちも 思ったこともないけれどやっと自分を見つけた と思ったらそんな 錯覚 に 二日酔い しただけでとうとう道 まで失った*******************虚隙(すき)を見せる時とは隙を見た相手がそこを突いてくるのを待っている時に限るべしということをようやく私は学んだ突いてきたもののことを突かれたというそのことをとやかくいっているのではない泥のはいったバケツを頭上から全身にぶちまけ誰にも触れられたくなかったものまで穢してしまったのは他でもない自分自身だったということ ***2011年11月記 にほんブログ村
2012年06月13日
義母は母親の顔をするあなたを娘よりも娘だと思っているのよ と言う彼女の意思を通すための仮面唯それは 手段 に過ぎないやっと 私には化けの皮の下の素顔が見えたよ!義母は私にその娘を慰めろ と言うどうして私が慰めねば?下手な(夫婦)喧嘩を溺愛の末娘に仕込んだのは貴女ではなかったの?仕込んだだけでなく指図してるのも私 知ってるぞ!バカにあんたはバカだよ って100年説教しても わからないこれを絶望するのって 自分を諦めることと似ている・・・これは目からウロコ!これが私の 甘さの根源 にあったのだ私は 大破して良かった と自分の甘さに自分が壊れたとしても甘さにつけいる人々の存在をほんの一瞬でも憎んでしまっても憎悪 を知ってよかったと思っているにほんブログ村
2012年06月12日
己との折り合い大破したからこそ言える 己の心との折り合いって 相手との折り合いより大事 喜怒哀楽・感情に忠実な方が サダメに則っている と・・・ 人間って どうにか なんとか 己 を保とうと 自己防衛システムが 身体にも 心にも 張り巡らされていて きっとその為の ”エゴ” なのだろう と・・・ でも ”単なるエゴ” は 我利我利亡者 彼らが ”他を慮って大破する”ことなど 決して有り得ない にほんブログ村
2012年06月03日
基本中の基本 相手を刺激しないことこれはまともな戦いの基本中の基本 相手を必要以上に怒らせないこと嫉妬などの余分なマイナス感情を抱かせると戦いは複雑になる戦法が残酷になってくるそして相手が残酷になると自分も同じような手を使わざるを得なくなるその結果怪我や負傷が大きくなるこれは夫婦喧嘩にも言えることにほんブログ村
2012年06月01日
逆説逆説が定説に通じることもある定説より 真を突いてたりすることも! にほんブログ村
2012年05月28日
縁(えにし)強い・深い縁で結ばれている人との戦(いくさ)は片一方の意志だけで終わらせることはできないにほんブログ村
2012年05月27日
オッサンのお料理サダメのオッサンの料理はいつだって 痛い 痛いみじん切り と (材料の)再生 の両方の意味があるオッサンに料理させないようにするには包丁を 主導権を自分の手 に戻さないといけないにほんブログ村
2012年05月18日
人間関係の数式人間関係の数式は 1+1=2ではない人ってそう言う意味では補い合って生きたほうが強いただしいがみあっていたりどちらかが妬んでいたりしたら答えは 2 にはならないしマイナスになるのだろう 夫婦の絆の強さ・貴重さはそこにある 崩れる時の速さも 2倍以上なら 積み上げていく時の速さも 2倍以上!! にほんブログ村
2012年05月15日
他人は意外にも私の価値観 では私 を判断しないものである これは 私にとって 救い であった けれど 人によっては 落胆 になるのであろう *******長年における義姉妹のすったもんだあることを強行したら今までと全く逆の状況が!その効き目の効果に目が点 になった人間関係ってつくづく・・・複雑 且つ 単純*******生活している以上 ご縁 とは言えなくても人間関係 は 流動 していてそれはやはり自然淘汰されていくもの なんでしょう・・・にほんブログ村
2012年04月27日
踏みとどまる 自分自身は壊してはならぬ でも どうにもこうにも見苦しい 自分の中の 悪玉腫瘍は 片っ端から壊していかねばならぬ 苦しいなあ~~~~ できれば気づきたくなかったできれば見たくなかった ものをできれば 薬かなにか で済ませたい のに自分の手で かき混ぜ 引っ張りとるのだからね・・・・ 麻酔はあるのか? ないのか? おい サダメのおっさん!! にほんブログ村
2012年04月25日
感謝必死に生きている とは ”生まれてきたことへの感謝”必死だから 感謝 なんて感じることなどないけれどっと 彼の女(ひと)が言った 私は思った必死なのに、それが通じないことの方が多くて時には もうダメだ・・・ っと打ちのめされるか こんちくしょ~~! と 吠えて 牙たてる こともあるのだけど・・・ この言葉を知って生きてきて良かった と 私はずっと・・・親不孝なだけでなくサダメのオッサンにも不孝をしていると思っていたから にほんブログ村
2012年04月23日
真剣勝負の心もし判断が間違ってたら?切るか切られるかの状態で・・・サダメを感じる瞬間危ない橋渡っていたんだな・・・振り返ってそう思う・・・・・・・・・・自分が行なった言動とは事実がちゃんと分かっていたら絶対していなかったことばかりだった!! もがく理由繰り返しだけは嫌同じ穴が我慢できない堂々巡り、、、、ああ、考えただけでも・・・それだけは勘弁願いたいそれを知っているから今ここで ジタバタしているほうが マシ 賢明賢明になれないんじゃなかったなりたくない!って意地張っていたのは自分自身だった にほんブログ村
2012年04月22日
あっしの願い あゝ サダメのオッサンよ私を恐ろしく 且つ 優雅 に 仕上げて下さい女の極みに・・・まず無理な話だね にほんブログ村
2012年04月21日
追記違う落とし穴なら 許す が 同じ穴は 飽きる!けれど同じ落とし穴に堕ちてもそこから這い上がった時堕ちる前の景色とは違った景色が広がっているときもある そこは確かに同じ風景であろうのに・・・サダメのオッサンが執拗にトレーニングを強行する理由はおそらくこの辺にあるのだろう・・・ にほんブログ村
2012年04月19日
苦手自然に・成り行きに任せることが苦手だからサダメのオッサンに殴られるそれでも抵抗して 全敗し続ける・・・する必要もない喧嘩をふっかけ 挑むそこから 卒業 しないといけないどうやら 身がもたないのかな・・・ ・笑顔で ノーサンキュー が言えないいつも喧嘩をふっかけるよう・・・嗚呼、私はなんて 粗野 なのだろうか・ 私はいろんな事物をみても結局は自分の中の 埋火(うずみび) を見ていた にほんブログ村
2012年04月18日
本日の言葉: < 違う落とし穴なら 許す が 同じ穴は 飽きる!> < 鎮痛剤飲んで副作用> < バカ野郎! 生きる上で、生活を送る上で私には必須 > <喜怒哀楽が今後の課題 > <現実= 一番苦手な相手&結局は自分自身> < それでも 明日 があり そこには 希望 がある・・・かもしれない > にほんブログ村
2012年04月15日
化け物 と 怪獣日常という 化け物は息を殺し 気配を消し 忍び足で近づく限りある 貴重な 人の生 へとそしてぬるま湯のように 心地よく絹のように 肌触りのよい惰性 という名の とばりですっぽり 覆い 包み込むしかし私の奥に住まう性 さが という名の 怪獣は日常という名の 化け物 に牙をむき 爪をたて 目を剥き 吠えたてる日常に 惰性に 流されるなよ気を引き締めよ前線に追い立てるのだ前へ 前へ と僅かな安穏を享受しようとするとけたたましく 吠えたて私の心を かきたて かき乱す性(さが)という怪獣は飼い犬でも 番犬でもないから誰にも 私自身でさえ飼い慣らすことはできないにほんブログ村
2012年04月01日
禊(みそぎ)物事には時と場所そして心身の条件が揃わないと為せないものがあるようだ私は 禊 をしたかったしかし水がでなかったり混んでいたり誰かが じっ とみていたりやっと水の前までやってきても自分の後ろに並んだ大勢の人のことを考えると足だけしか清められなかった自分の家でやればいいそう思って家路に向かおうと息子を乗せて自転車を漕ぎだすと今度は 後方へ しか進まなかった夢の中でも試行錯誤していた私はでは自転車を後ろ前にして乗ってみたら?試してみた自転車はノロノロ ヨタヨタ フラフラそれでも少しずつ 前へ 進んでいった乗って行った先には海があった海の前にはたった今 干潮を迎えた かのような広々とした 干潟 があった私はその干潟をますます重くなった自転車のペダルを渾身の力をふるって漕いでいた太陽は光り海はまるで 大きな鏡 だった私の視界はだんだんと広がって干潟 と 大海原 と 輝く太陽 を見渡せるようになっていった私は自分が 上空へ向かっている ことを感じた禊 は 水 があれば出来るわけではないそして禊 は 水 だけで出来るものではない包み照らすような 光 が私を清めるのだろうそしてそこにはふるさとの海 には私を 待っている人 がいるのだろうにほんブログ村
2012年01月07日
嘔吐 ~自己嫌悪の肉体的症状~自分 相手に闘い 続けもがき 続け勝ったなどとは これっぽっちも 思ったこともないけれどやっと自分を見つけた と思ったらそんな 錯覚 に 二日酔い しただけでとうとう道 まで失ったにほんブログ村
2011年11月29日
全118件 (118件中 51-100件目)