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4月10日の夜、何とはなしにテレビを見ていると、緊急速報の音声表示。どこかで地震でもあったかと思いきや、浅田真央選手引退のニュースだった。そのあとは、テレビは浅田真央一色。次々に特番を組むテレビ局。改めて浅田真央という存在が、フィギュアスケートという範疇を超えた一大スターであることを思い知らされた。最後の試合となった全日本で、Mizumizuが秘かに注目していたのは、実は本田真凜選手。浅田真央の「次」のスターがいるとしたら、その候補者は本田真凜しかいない。競技者として素晴らしい選手は多くいるが、説明のつきにくい「華」というものを備え、チケット代を払ってでも見たいと思わせるファンを多く呼び込める選手はなかなかいない。これから世界に羽ばたくであろう本田真凜が、どれほどの輝きを見せるのか、浅田真央が登場する舞台だからこそ見比べてみたかったのだ。結果は――試合結果ではなく――やはり浅田真央の「魅せる力」に及ぶ選手は、まだまだいないな、という感想に終わった。ジャンプに回転不足が多いにしても、ちょっとした体の使い方を含めたプログラムの密度は圧巻だった。フリーなど、あっという間に終わってしまった感がある。伸び盛りの若い力には魅力はあるが、高橋大輔氏が述べたように、浅田真央はやはり「別格」だった。このブログで何度も書いているが、美しいものは誰が見ても美しく、凄いものは誰が見ても凄いのだ。スポーツ選手は「強い者」に人気が集まる。だが、浅田選手に関して言えば、試合で結果が出なくてもファンが離れることはなく、したがってスポンサーも離れず、一種、宗教的とも言える人気を誇り続けた。もちろん、それは彼女の魅せてくれたパフォーマンスが空前絶後だったから。ソチのフリーは、「伝説」という言葉さえ安く感じられるほど。阿修羅のように鬼気迫り、女神のように気高く、リンクがそのまま天上世界に移行してしまったかのような表現世界。誰も近づくことさえ許されないような至高の世界だった。朝日新聞DIGITAL編集部が、「引退を表明した浅田真央選手。その歩みを、様々な形で振り返ります。ソチ五輪ショートプログラム16位からの鮮やかな切り替え、印象深い生い立ち、そしてすべてを勝負・演技にかける姿勢。ウェブ技術を駆使してお送りします」として、美しい写真とともに、デジタル特集を組んでいるが、http://www.asahi.com/olympics/sochi2014/lastdance/その中に出てくるフリーの得点。その演技構成点の低さには、今更ながら失笑してしまう。「滑走順」と解説者が言い訳したが、「スーパーのレジ係」になってしまったジャッジの点など、このようなものだ。世界中に驚きと感動を与え、誰しもが賞賛する演技の「パフォーマンス」にも「振付」にも「解釈」にも、このような点しか出せなかったことも、今後物笑いのタネ語り草になるだろう。ソチの女子シングル金メダリストの演技は忘れても、浅田真央のフリーは誰も忘れることはできない。これから時を経るにつれ、その輝きは褪せるのではなくますます強まり、ソチの女子フィギュアと言えば浅田真央のフリーということになるだろう。連日の浅田真央報道を見るにつけ、これほどのスターがこれから先、出るだろうかと思わずにはおれない。得点から言えば、ロシアの「最強女王」メドベージェワが、史上最高得点を更新し続けているが、浅田真央時代にあったような熱狂はすでにそこにはない。今後、どれほど採点システムを攻略しつくした女王が出ようが、浅田真央ほど国中を熱狂させ、泣かせ、笑顔にするスターは出ないように思う。そして、これほどまでに商業的な成功をもたらす選手も。これからも、浅田真央のファンには、アイスショーに足を運ぶことで彼女を支えてあげてほしいと思う。これだけのニュースになったのだから、今年のTHE ICEの動員に問題はないだろう。だが、1年たち、2年たち、5年たったら?5年たっても、10年たっても浅田真央には滑り続けていてほしいと思う。フィギュアを一時的なブームに終わらせずに、アイスショーがショービジネスとして成り立つようになってほしいと思う。男子では高橋大輔がいる。女子では浅田真央。この2人のスターが、これからますますアイスショーを盛り上げていってくれれば。バレエやオペラを見に行くように、人々がアイスショーを見に行く。時には新作を楽しみに、時には伝説のプログラムを見るために。それがMizumizuの今の一番の期待だ。浅田真央ファンはこれからも、長く地道に、彼女を支えていってくれればと願っているし、Mizumizuもそうするつもりだ。
2017.04.12
2017世界フィギュア男子シングル。ショートが終わった時点では、「ベテラン」の快進撃が印象的だった。ハビエル・フェルナンデス選手109.5、パトリック・チャン選手 102.13点。その中に、まさにRising Sunの宇野選手が食い込んできたのは、彼の才能と今の実力からすれば当然と言えば当然。だが、羽生選手とネイサン・チェン選手がトップ3にいないというのは、予想外だった。何度も書いているが、「羽生結弦時代の男子シングル」は「誰が勝つかまったく分からない時代」なのだ。このショートの順位を予想できた人が、果たしていただろうか? 基礎点が非常に高い4回転を複数入れてくるプログラムは、常にハイリスク・ハイリターン。ショートでは規定のジャンプが跳べなかった場合の減点が厳しいので、優勝候補の実力者であっても、1つの失敗が大きく点数に響いてくる。5位という予想外の低い順位、トップと10点以上の差という点数を見ると、羽生選手の世界王者奪還はまたもならなかったかと、すでに諦めていたMizumizuだったが、時代を変えた「氷帝」は、そんなふつーな予想を、圧倒的なジャンプの完成度で一蹴してみせた。羽生選手のフリー、本当に信じられない。冒頭の2つの4フリップ、4サルコウ。単独ジャンプとしてはこれ以上ないというぐらい、美しく、完璧な着氷のジャンプだった。後半に入っての4サルコウ+3トゥループには度肝を抜かれた。ショートでは失敗したジャンプ。今季試合でまったく決まっていない。それをこの大一番にピタリと決めた。これは彼にとって大きな自信になったハズ。本当に驚かされた。普通に考えれば、ここはセカンドジャンプを2トゥループにおさえ、そのあとの得意のトリプルアクセルの次につけるジャンプを3トゥループにしてもよかったハズなのだ。ショートでの失敗を考えると、そういう回避策もあったと思うが、羽生選手は得意のトリプルアクセルのあとではなく、あえて試合で確率の悪い4サルコウのあとにつけてピタリと降りて見せた。この貪欲で挑戦的な性格。若き日の皇帝プルシェンコを彷彿させる。四大陸では失敗した3A+1Lo+3Sの超難関ジャンプも無難にこなした。この難しい3連続を無難にこなせるというだけで、もはや神。故障以来、控えていた4トゥループも非常にきれいだった。来季、足の状態が良くなれば、4トゥループに3トゥループをつけるという選択肢がまた出てくるだろうし、そうなればジャンプの安定性はさらに揺るぎないものになるだろう。とにかく、ハードスケジュールでけがをしないように、羽生選手の課題は、もはやそれだけだ。 宇野選手も、ジャンプがさらに安定してきた。彼の場合、着氷の「こらえ」がかなり気になっていたのだが、だんだんそれが「ピタリ」になってきているように思う。あっという間に4ループと4フリップをものにしてしまう才能と努力もすごいが、後半に超難しい3A+1Lo+3Fをさらっと降りたのには本当に、気絶しそうになった。ユーロスポーツの解説者が宇野選手の演技を見て、「信じられない、これが現実なんて」と言ったのには、まさに同意。リアルで、男子シングルは信じられないジャンプの進化を遂げている。ちょっとミスがあったとは言え、300点越えを果たした世界王者が、台にのれないなんて、そんなことがあるんですか? ちょっと前なら信じられない話だ。だが、今回290位で6位だったネイサン・チェン選手だって、ジャンプがもう少し決まれば、すぐに300点を越えてくるのだ。300点出せる選手がこんなにも…メダル争いは熾烈にならざるを得ない。そうした現状の中で、1つ言えるのは、男子シングルにも「少年潮流」が見え始めたこと。この流れを決定的とまで言うのは時期尚早かもしれない。だが、今回優勝した羽生選手こそ20歳超えだが、2位、3位はともにまだ20歳前。事実上、4回転ジャンプの出来で勝負が決まる現在の男子シングルでは、こうなってくるのが当然だ。どうしても体の重いベテラン選手になると、ショートならまとめることができても、長いフリーの中で、高く跳ばなければいけない高難度ジャンプを複数決めることは難しくなってくる。ショートでメダル圏内にいながら台のりを果たせなかったチャン、フェルナンデス選手に比べて、台にのった3人のアジア人選手は、全員非常に細い。300点プレーヤーであるチェン選手もすらりとして、体躯には少年の面影がある。今のままの採点では、体が軽く、若く、元気な「少年」が勝つことになる。若い選手はベテランとは表現力で劣るというのは、フィギュアの定説だが、宇野選手などは、そんな定説を覆す天才だ。フリーの、あのある意味「すれっからし」感のあるピアソラのボーカル入り楽曲を、とても品良く艶っぽく、ちょっとしたトゥの使い方だとか、上半身のスムーズな動きだとか、巧みなターンやステップだとか、劇的な表情だとかで表現してみせる成熟度と自信は、日本人離れしている。生来の育ちの良さを感じさせる宇野昌磨というキャラクターも、羽生結弦にはない世界を氷上に構築して、私たちを魅了する。あくまで個人的には、なのだが、スケーターとしては羽生結弦より好きなタイプだ。羽生選手が皇帝プルシェンコを継ぐ者なら、宇野昌磨は不世出の天才高橋大輔のレガシーを受け継ぐ者だろう。この2人の対決を(けがさえなければ)五輪で見られる私たちは幸運だ。そして、羽生結弦と宇野昌磨にとっても幸運だ。だが、ルールは明らかにいじる必要がある。すでに演技構成点の係数をあげて、演技構成点を底上げするという案が出ているが、それは良い考えだ。技術点を楽に100点越えする選手がこうたくさん出てくるとなると、演技構成点の割合はもっと増やしたほうがいい。そのほうがベテランにとっても闘いやすい。羽生・宇野は別格の表現世界を作る若き天才だが、そうはいっても、パトリック・チャンやハビエル・フェルナンデスの見せる、成熟した男性的な世界が男子シングルから消えていくのは悲しい。円熟味というものは、この競技ではもっと評価されていい。スピンやステップの基礎点を上げる、3回転ジャンプの基礎点を上げる、という手もあるだろう。大きな改革は五輪後になるだろうけれど、4回転が決まるか否かの、博打打ち同士の闘い、みたいな競技にはしてほしくない。
2017.04.03
フロム蔵王ドゥーブルフロマージュ4号女子フィギュアの「少女潮流」にはマイナスの面も大きい。1つの氷上「芸術」として捉えた場合、彼女たちには、例えば、フィギュアだけではなくバレエも見るであろう日本の目の肥えた聴衆たちに、「お金を払ってでも見に行きたい」と思わせる深みがないかもしれない。全日本では、非常に高密度の浅田真央選手の演技を見れば、三原選手をはじめとする少女たちの演技は、まだまだ子供のそれだった。ヨーロッパ選手権でのコストナー選手も別格だった。四大陸では長洲未来選手の円熟が素晴らしかった。だが、こうしたベテランは、ジャンプでどうしても若い選手には勝てない。オトナの鑑賞に耐える芸術という側面をもつのがフィギュアの魅力ではあるが、それでも、フィギュアスケートは、何といってもスポーツだ。若い選手のもつ勢い、若さだけがもつエネルギーを評価しないのなら、スポーツとしての未来はない。身体能力の優劣を競い、より難しいことをやった選手が勝つ。そういう明確さを置いて、主観がものをいう「表現力の評価」にあまりに重きをおいてしまえば、スポーツとしての公平性が毀損されてしまう。この2つの考えの中でフィギュアスケートという競技は、常に揺れながら、それでも技術の進化と人々を魅了する表現の追求という、難しいバランスを取ってきた競技だと思う。例えば、長野五輪では17歳と15歳の少女が金メダルを争い、ソルトレークでも、軍配は、20歳を超えて円熟期を迎えた敵地の女王ではなく、現地開催の勢いでジャンプをポンポン跳んだ17歳にあがり、フィギュアはこのままティーンの選手の競技になるのかと思われた。だが、トリノで金メダルを争ったのは、20歳を超えたベテランの3選手だった。ここのところ表彰台の一番上にのっている選手が、少女であり、短期間で入れ替わっているとしても、未来永劫その流れが続くかどうかは分からない。それがフィギュアスケートという競技だ。だが、次の五輪はもう目前。平昌まではこの流れが続き、体の軽い少女たちに有利で、ベテランの選手には不利な状況、というのはもはや決定的だと思う。三原選手に話を戻すと、個人的に非常に好きなタイプの選手。バランスの良いジャンプの強さ、特に、長く日本女子に足りなかった「あぶなげなく降りる3回転+3回転」と「ルッツとフリップのエッジの踏み分けの正確さ」という技術面での確かさをもっているということも、その理由の1つなのだが、彼女の醸し出す清潔さ、溌剌とした若さにも強く惹かれる。それは、過去の名選手が世界トップへ駆けあがっていったころに共通しており、一種のデジャブ、ある種のノスタルジーをMizumizuの胸に呼び覚ます。ショートの『ロンド・カプリチオーソ』は、ミシェル・クワン選手が、「ジャンプいくつ決めたんでしょう?」とNHKのアナウンサーに言わしめたころに使った曲だ。クワン選手といえば、『サロメ』で芸術面でも開眼したように言われるが、ジャンプという技術的な側面で世界に注目されたのはその前のシーズンの『ロンド・カプリチオーソ』だった。フリーの『シンデレラ』は、フレッシュな三原選手の魅力をあますところなく引き出した名プログラムだと思う。可憐なボーカルで始まるプログラムは、彼女の年齢にフィットしている。まさに、今の彼女でなくては演じられないプログラム。冒頭のボーカルはすぐに終わり、スピード感のある音楽が始まる。その音の勢いにのってスピードをぐんぐん増す三原選手の滑りは、どこまでも健康的で若々しい。「どんなプログラムになるんだろう?」「どんなジャンプを冒頭のジャンプに跳ぶんだろう?」という2つの期待感が高まる。三原選手を知らない人でも、このスピードの上がり方には「おっ」と目をとめるだろう。滑りにスピードはあるのはもともとの才能だろうが、音楽がさらにその印象を強める役割を果たしている。ジャッジの目の前、フェンスぎりぎりのところをスッーと弧を描きながら滑っていく姿を見た時は、感動で胸がいっぱいになった。ところどころ細かく入る足さばきもチャーミングだ。振付は佐藤有香だとか。そう言われれば、佐藤有香選手がワールドを獲った時のプログラムの印象――若々しく、明るく、健康的――につながるものがある。https://www.youtube.com/watch?v=CZD_N4FY3B0&t=450s↑採点に対する不信感と不満でいっぱいで、やたら不機嫌なボナリー選手とは対照的な佐藤選手の邪念のない演技、堂々とインタビューに答える冷静な態度が素晴らしい。そういえば、ボナリー選手は、この大会で日本の観衆の態度にも傷ついたそうだ。ハイハイ。こっちは、晴れの表彰式での佐藤選手の、ボナリー選手を見つめる困惑した表情にめっちゃ心を痛めましたがね。ボナリー選手の採点に対するクレームが語り継がれてしまうことになった大会だが、このとき佐藤有香選手が優勝できたのには、隠れた別の事情もある。独特の表現力で、当時非常に評価の高かったルー・チェン選手が疲労骨折で出場できなかったのだ。もし、ルー・チェン選手が怪我していなかったら? あるいは、開催地が日本でなかったら? 佐藤選手の金はなかったかもしれない。そして、もし彼女がこのときワールドを獲っていなかったら、今のアメリカでの活躍はあるだろうか?人生とはそうしたものだ。誰かの不運が誰かの幸運になり、とんでもない不運のあとに、不思議な幸運が訪れる。いつどんな形で大きなチャンスがめぐってくるか分からない。「優勝候補の疲労骨折」「佐藤有香」という不思議な符合は三原選手にとっては吉兆かもしれない。昨今の女子フィギュアは、「大人っぽい演技ができる少女」にやたら高い演技・構成点を出す傾向があるが、これには賛成できない。ロシアの少女たちは確かに大人の雰囲気をもってはいるが、大人っぽくても少女は少女。コストナー、浅田、長洲選手といった選手たちのもつ深みは、彼女たちにはどうしたって、ない。逆に少女時代にしか演じられない世界があるし、あっていい。長野五輪のリピンスキー選手の『アナスタシア(Once Upon A December)』はそうした、15歳のリピンスキーに見事にハマった名プログラムだった。https://www.youtube.com/watch?v=dPUE1QtjvmQ三原選手の『シンデレラ』にも、それに通じる魅力を感じる。過去の名選手が世界のトップへ駆けあがっていった時の姿を彷彿させる三原選手の今回の快挙。彼女の確かな技術、溌剌とした若さ、尽きせぬエネルギー、迷いのない集中力、可愛らしさ、明るさに大いに期待したい。そして、佐藤有香振付のこの目を見張るプログラムが、彼女のシンデレラ・ストーリーの始まりとして、語り継がれるものになりますように。
2017.02.25
【2月限定★大決算セール】ミネラルバランス 120粒サプリメント/サプリ/マルチミネラル/Jarrow Formulas/ジャロウフォームラズ/アメリカ宮原選手の怪我で心配されたフィギュアスケート四大陸選手権の女子シングル。終わってみれば、国内大会では3位だった初出場の17歳が優勝。こき使いすぎで、大事な試合の前に大切な選手に怪我を負わせる(そして怪我はすべて本人のせい)のがお家芸化している、日本スケート連盟のお偉いさんもホッと胸をなでおろしただろう。初出場で初優勝という快挙だが、背景にあるのはもはや決定的となったフィギアスケートシングルにおける「少女潮流」だ。これについては過去にエントリーしたが、http://plaza.rakuten.co.jp/mizumizu4329/diary/201504020000/平昌五輪に向けて、もうこの「潮流」に変化はないように見える。17歳の「少女」の四大陸初出場・初制覇は、まさにこの流れに掉さすもの。Mizumizuの個人的な印象は、「久々に世界で戦えるレベルの女子選手で、しかもあぶなげのないジャンプを跳ぶ選手を見た」というもの。もっと個人的な感想を書かせていただくなら、「物凄く好きなタイプの選手で、演技を見てスカッとすると同時に、感動で胸がいっぱいになった」。非常に個人的な感想には、それにたまたま共感できる人以外にはあまり大きな意味を持たないので、まずは「あぶなげのないジャンプを跳ぶ」ことの価値について書いておきたい。今のフィギュアスケートが、ジャンプの「回り切り」に非常に重点を置いていることは繰り返し述べてきた。高難度ジャンプを「なんとか」降りたとしても、回転不足では減点が厳しく、あまり意味をもたない。逆にコケたとしても、回り切っての転倒だと見なされれば、それなりに高得点が得られる。それについての批判は何度も書いたので、ここでは繰り返さないが、良し悪しは別にして、今はそういうルールのもとで(ある程度は)厳格に採点がなされている。三原選手の強みは、なんといってもエッジと回転不足に疑いのないジャンプ。特に、女子の場合は女王の条件ともいっていい、ルッツ、それに連続ジャンプのセカンドにもってくるトリプルトゥループの正確さ。全日本で女王に輝いた宮原選手もルッツの「入り方」と「エッジ」は素晴らしい。ルッツは非常に難しいジャンプだが、何度跳んでもスムーズに、惚れ惚れするような流れからきれいにアウトエッジにのってルッツを跳んでくる。プレパレーションは完璧…なのだが、肝心のジャンプの高さと幅が…宮原選手がルッツを連続ジャンプのファーストに使うと、Mizumizuはもうヒヤヒヤ。時にはテレビの画面からでも露骨に分かる回転不足のまま降りてきてしまうし、セカンド以降のジャンプは回っていているので大丈夫かなと思ったジャンプでも、スローで再生されると、最初のルッツがグリッているのが写し出され、「Oh! No!」と、ムンクの『叫び』みたいな顔になってしまうのだ。三原選手の場合は、3ルッツ+3トゥループを完全に回り切って降りてくる。しかも、それを試合で非常に高い確率で決めてくる。セカンドの3トゥループをあれほど余裕をもって降りてくる選手は非常に珍しい。樋口選手も3ルッツ+3トゥループをフリーに2回入れるという「離れ業」のできる、非常に優れたジャンパーなのだが、セカンドの3トゥループがファーストジャンプに比べてやや苦しいこともあり、確率という面で不安がある。また樋口選手は、難度の高い連続ジャンプを決めても、他のシングルジャンプで失敗してしまうというパターンがあり、元来のジャンプの質の高さが生かしきれない恨みがある。三原選手は、ルッツ+トゥループだけではなく、特に「苦手なジャンプ」がないようだ。いや、本人の中ではあるのかもしれないが、ループもサルコウもきれいだし、フリップのエッジも(今のところは)イチャモンがつかない。このようにすべてのジャンプをバランスよく跳べるというのが三原選手の驚異的な才能だ。例えば、村上佳菜子選手。ダイナミックなトリプルトゥループ+トリプルトゥループは非常に評価が高かった。女子離れしていたし、二段階でグンッっと上がるようなディレイドジャンプは素晴らしかった。だが、年齢を重ねると回転不足を取られることが増えてしまった。またルッツのエッジは矯正できなかったし、ループも苦手。ループになると突然「よっこいしょ」の重そうなジャンプになってしまう。ソチのあと、日本の「エース」になると期待されていた逸材だが、成績が伸び悩んでしまったのは周知のとおり。今回の全日本では単独のループも外してきた。今のルールでは、難しいジャンプに突出した才能をもっていても、バランスよくジャンプが跳べなければ、世界のトップを取るのは困難だ。ある意味、旧採点時代の良き伝統が戻ってきたともいえる。「バンクーバー特製2年間ルール」でゆがめられたジャンプの評価がソチを経て、かなり矯正されてきた。ソチ五輪で、キム・ヨナ選手がソトニコワ選手に勝てなかった「隠された最大の理由」は、単独ループを避けたせいだ。1つ3回転ジャンプを避けると、連続ジャンプのバリエーションも限られるから、積み上げられる点数も抑えられる。三原選手にはこうした欠点がない。全日本、四大陸とも、連続ジャンプ、単独ジャンプ、すべてのジャンプに加点。スゲーできませんよ、こんなこと。(続き)
2017.02.24
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