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竹内栖鳳【電子書籍】[ 近代絵画研究会 ]Mizumizu母と山種美術館に行ったのは、竹内栖鳳(たけうち・せいほう)の『班猫』を見たかったから。だが、それ以外の作品も素晴らしく、竹内栖鳳という日本画家の天才ぶりを再認識させられた。『班猫』にはモデル猫がいて、栖鳳はこの猫と沼津(静岡県)で出会っている。八百屋で飼われていた猫の寝姿に魅せられた栖鳳は、飼い主から譲り受けてこの猫を飼い、観察を続けたという。このまなざしにはゾクッとさせられた。宝石のような瞳の奥に猫の野生と魔性が宿っている。毛づくろいしながら、観察する人間を猫もまた警戒心をもって観察し返している。観察しながら、自分に興味をもつ人間になにかしらのアピールをしているようにも見える(「なんかいいもんでもくれるの?」)。これは猫がよくやる行為だ。ある程度距離を保っていれば、猫は自分の作業を続けるが、危険水域まで人間が近づいてくるとサッと逃げる。猫好きはやたら猫を「かわいく」デフォルメしがちだし、昨今はそんな猫の絵が多いが、そこは王道の日本画家、徹底した観察力と卓越した技量で、猫の持つ神秘性までも描いているようだ。猫が目当てだったのだが、『緑池』という蛙の絵も素晴らしかった。写真でもなく、動画でもなく、人が絵を見たくなる理由、その答えがこの作品にある。日本画の良さを再認識して、大満足で展示室を出たあとは、「おいしい」と評判のカフェへ。確かに、おいしい、ここのカフェ。Mizumizuが頼んだのは、チーズケーキ。満足なり。Mizumizu母は、さっぱりとした柚子シャーベット。絶賛でした。ここのカフェは、実は和菓子を売りにしているようで、テイクアウトしたのだが、個人的には洋菓子のほうが好きだった。山種美術館は、コロナ禍での収入減に立ち向かうべくクラウトファンディングを立ち上げている。寄付は順調に集まっている模様。こういうニュースを聞くと実に嬉しい。日本画はあまりもてはやされることはないが、根強いファンがいてくれる。来ていた客はシニア層オンリーだったが、若いころは興味がなくても、アートに親しみながら年齢を重ねた人々の「受け皿」になってくれる芸術だろう。しかし、厳しい道だよなあ…。いや、本人は好きだから、そうネガティブには考えなかったかもしれないが。竹内栖鳳が『班猫』を描いたのは60歳。この域に達するまでに一人の画家が費やした時間、長い道のりを考えると気が遠くなる。この道を追ってくれる画家が、どうか絶えませんように。
2020.11.06
ホテルルートイン東京阿佐ヶ谷今は東京にいる。コロナが落ち着いてくれるのを祈りつつ、山口で隠遁生活(?)を送っていたが、待っていてもコロナは終息しそうにないし、長い間留守にしている東京の家も心配。いい加減しびれを切らして東京に戻ったのが先月のアタマ。山口にいると、東京は「コロナが渦巻いている」あぶないところ…のような気がすることもあったが、戻って生活してみれば、いたってフツー。もちろん外ではほとんどの人がマスクをしているし、店に入れば必ず消毒薬がおいてある。そこはコロナ前とは変わったが、みなフツーに出歩き、フツーに買い物し、フツーに働いている。飲食店の対策は正直言うと、結構店によって差がある。物凄くしっかりしているところと、「大丈夫か、ココ?」というところもある。しかし、やはり東京のモノの多さ、飲食店の多彩さは、凄いと思う。東京に戻ってすぐに、広尾の山種美術館にMizumizu母と行った。素晴らしい日本画を鑑賞したあと、駅までの下り坂をぶらぶら歩いて、途中で見つけたこじんまりとしたイタリアンの店に入ったのだが、ランチの安さにたまげた。料理2品に飲み物がついて、1800円ですと? やっす!広尾で、こんな値段でやっていけるのか? しかも、料理は実に本格派だった。前菜に選んだサラダ。野菜に加えて生ハムやサツマイモなども入っている。いろいろな具材のハーモニーが楽しい。一緒に行ったMizumizu母は、サラダ大好き人間。それも野菜だけでなく、フルーツやナッツ、肉などとアレンジしたサラダに目がない。そのMizumizu母が、ドレッシングも美味しいと絶賛していた。プリモのチーズリゾット。イタリアを思い出させるアルデンテでチーズたっぷり。黒コショウも効いている。量は少ないが、シェフの腕の確かさが実感できる一皿だった。あ~、やっぱり東京は凄い。しかも、なに? この安さ。あとで調べたらこの店(オステリア・ルッカ)のオーナーシェフは、それなりに有名人らしい。好みはあるだろうけれど、腕は確かだ。山口は案外、外食が高いのだ。いや、安い店ももちろんあるが、そこそこの味のものを食べようと思うと、決して安くはない。驚くほど腕のいい作り手のいる店も稀にあるが、そういうところは総じて高い。家のある中央線沿線駅にも、さまざまな飲食店がある。以前東京にずっといた時は、あまりそういう意識もなかったのだが、山口にしばらくいて、出てきてみると、その豊富さ、多彩さに改めて圧倒される気分だった。山口ではあまりお目にかかれないタイ料理やベトナム料理の店だって、選択肢はかなりある。もちろん、イタリアンやフレンチ、ラーメンもあるし、カレーもある。肉料理や魚料理や… ランチだったら1000円以下で、いろいろな店でいろいろなものが食べられる。ということで、Mizumizu母が短期間で山口へ帰ったあとは、Mizumizuはもっぱら外食ばかり。やっぱりねえ、東京の消費文化は凄いし、捨てがたい。コロナで田舎に避難した人たちも、そのうちまた戻りたくのではないかな。
2020.11.03
7月中旬を過ぎて、上野の不忍池に蓮を見に行った。神田で中央線から山手線に乗り換えて、上野に向かうのだが、…く、くさい電車の中がなぜかひどく臭い。体臭っぽくもあり、ゲロっぽくもあり。まだ早朝、6時台なので電車はすいている。それで、この悪臭は一体…??普段、電車にはめったに乗らないが、一番頻繁に乗るのは中央線、それから丸の内線。どちらでも、こんな臭いがしたことはないのだが。上野で降りて、中央改札から不忍池方面へ。そして横断歩道をわたるころ…うっ、またくさい!早朝なので、駅付近の商業施設はまだ閉まっている。逆にそれで臭いが紛れないのか、尿の臭い、ゲロの臭い、生ゴミの臭いが、入り混じったような悪臭が漂ってくる。不忍池にはビルの間を抜けて行くのが近道なので、狭いアスファルトの道を通ったのだが、路上で作業している人が気の毒になるような悪臭に思わず呼吸を止めた。足早に抜けて、不忍池のほとりへ。蓮は?一言でいえば、そこに広がっていたのは唖然とする風景。デカい! そしてあまりに混みあって群生している。池一面を覆う、蓮の葉、葉、葉… 花もたしかにかなり咲いているのだが、大賀ハスのように花の茎が長くないので、葉っぱに隠れ、見えない。千葉公園のように、花を少し見下ろすように観察することは不可能だ。もうちょっと高い位置から見たいな、とコンクリのちょっとした段差のある場所に行ったら…く、く、くさっ!!強烈な尿の臭いで、思わず、文字通り飛びのいた。木道のほうへ行けば、この臭いも眺めももう少しマシになるだろうと、慌てて木道へ向かう。悪臭からは逃れられたが、背の高い、そして群生しすぎの蓮の迫力が、あまりいい意味でなく凄すぎた。葉の勢いが「圧」になってこちらに迫ってくるよう。花は無数の葉の陰に隠れて、あまり目立たない。混んでいて葉が思いっきり開けないから、開ける場所を探してあがいている感じ。都会の窮屈な空間であえぎながら暮らしている人の姿を象徴しているかのよう。もっと高い位置に木道を作ってくれなければ、とても花を観賞して楽しむ雰囲気にはなれない。と言うか、よく見えないのだ、そもそも。もし、この壮絶な勢いの蓮をちょっと上から見下ろせる木道を作ったら、今度はいい意味で凄い眺めになるのかもしれない。弁天堂方面。見渡すかぎり、きゅうくつそうな蓮の葉、葉、葉… 池の水もまったく見えない。まるでデカいフキの畑に来たよう。弁天堂が「高台」になっているので、そこからの眺めに期待して、わざわざ行ったのだが、全然たいしたことなかった。↑こんな感じ。ただ、弁天堂まで来ると、悪臭から完全に解放されたのがうれしかった。さすがに、人がお参りする場所で糞尿をまき散らしたり、ゲロしたりする人はいない…と思いたい。蓮の花を見下ろす位置の木道が無理でも、ちょっとした展望台になるような高い場所を作って欲しいものだ。浮世絵にも描かれている不忍池の蓮、と自慢しているわりには、花が咲いたときの見せ方に工夫が足りない。ちなみに咲いている蓮の花の品種は、というらしい。赤みが強いのが特徴だとか。確かに、蕾の状態でも、花弁の縁の赤さが目立つ。開いたばかりの蜀紅蓮は、量感があり、非常に優美。花そのものは華やかで気品が漂う。千葉公園では、こういう花の写真がいくらでも撮れたのだが、不忍池の蓮は、写真に撮りやすい高さと位置にある花はカメラを持った見物客が順番待ちをするほど。不忍池には大賀ハスもあったようだが、案内板によれば、現在は生育不良で「展示」していないとか。展示…???展示するしないの問題なのだろうか? ほっといたら、生育が良好すぎる蓮との生存競争に大賀ハスが負けてしまった、としか。せっかく上野という都内のメジャーな場所にあり、蓮の一大群生地だというのに、花の鑑賞はほとんどできなかった。しかも、強烈な尿の臭いだの、生ごみの臭いだのに衝撃を受けすぎて、花を楽しもうという気分が萎れてしまった。昔から清潔な場所ではないが、これほど池の周囲の道に悪臭が漂っていたのは初めての経験。しばらく雨も降らず、真夏のような暑さが続いたせいもあるかもしれないが、東京オリンピックを控えて、東京のど真ん中の、ネームバリューのある場所がこんな不潔でいいのだろうか? これは対策が急がれる。そして、蓮の花をゆっくり鑑賞したい方は…もうちょっと早い時期に、足をのばして千葉公園まで行こう。
2017.07.28
府中市郷土の森博物館。ここの詳細についてはホームページを見てもらうとして。大規模な野外博物館エリアには、紫陽花も多く植えられている。Mizumizuが行った7月上旬は、ピークは過ぎている感はあったが、野外博物館の奥のほうにいくつかある「紫陽花の小径」では、茂るように咲いてた紫陽花の花が見事だった。一番美しかった小径はここ。両脇に迫る紫陽花を見ながら歩くのは、なぜかひどくロマンチックなのだ。小雨交じりのあいにくのお天気だったのだが、逆にそれで蚊がまったくいなかった。これだけ緑があり、湿気が多い場所だから、雨でなかったら蚊が出そうだ。府中市の歴史的な建造物が移築・再現されており、花とともに昔の暮らしに思いを馳せることのできる場所。建物は入り口付近に多く、奥へ進むと植物メインになる。広大な自然庭園といったところか。紫陽花のことを置いておいても、したたるような緑に圧倒される。「小径」によって植えられている紫陽花の種類も違う。紫陽花が茂りすぎて、道が狭くなりすぎているところもあった。この建物は、古い農家だとか。紫陽花の向こうにのぞく洋館。これはおそらくアナベルだと思う。好きな品種なので、アップでパシャリ。広い敷地内をほぼ一周して、疲れて戻ってくると、お昼どきになっていて、博物館内のメインの建物の外にしつらえたテラス席で、家族連れがお弁当を広げていた。ここは、府中市民の憩いの場になっているよう。確かに休日に、家族で来るにはぴったりの施設だった。梅林もあるようなので、梅の花の季節はまた賑わうのだろうな。
2017.07.26
6月下旬の千葉公園に続き、7月上旬に府中市の郷土の森公園にも蓮を見に行ってみた。ここは駐車場が充実しているので、自家用車で。早朝に行ったのだが、蓮はもうすっかり開いていた。というか、行くタイミングが少し遅かったようだ。散る寸前の開ききった蓮が多かった。噴水のある池の中に、楕円形の囲いがあり、そこでさまざまな蓮を育てている。孫文蓮というのだがら、台湾の蓮だろうか? 少し花があった。天竺斑蓮というからにはインド原産だろうか? 花がほとんどない。大賀ハスは花ゼロ(苦笑)。桜蓮というからには、日本の蓮なんだろうなあ。大賀ハスと同じピンクだが、そういえば茎は大賀ハスより短いようだ。こんなふうにカラの囲いもあり、正直、花は見応えのない公園だった(苦笑)。蓮が群生している池というのではなく、池で蓮を何種類か別々に育てているというところ。いろいろな種類の蓮が観察できるので、図鑑的な意義はあると思う。だが、千葉公園のように蓮池の木道はないので、至近距離から花を見ることはできない。単に蓮の花を見たいだけなら、千葉公園のほうがベターだろう。噴水のシャワー越しに見る蓮は清々しい。もうちょっと早く来たら、花がたくさんあって華やかだったかもしれない。噴水と咲き誇る蓮の花のコラボレーションは、千葉公園にも不忍池にもない。このあと隣接する郷土の森博物館に行ったのだが、こちらは紫陽花がまだかなり咲いていて、蓮よりずっと見応えがあった。郷土の森博物館は野外博物館で、蓮のある郷土の森公園と違って有料だが、それだけの価値はあった。詳細は明日のエントリーで。
2017.07.25
蓮は花も美しいが、葉も実にフォトジェニックだ。ただの水の塊が、蓮の葉の上では、クリスタルのように変化(へんげ)する。放射状に広がる葉脈に丸い水滴。身近な自然が見せてくれる造形美は驚異。円形にうねりながら大きく広がる葉の形状、葉脈のラインのおもしろさ。蓮の葉にペットボトルの水をたらしている人もいた(笑)。子どものころ、祖母の里いも畑で、同じようなことをして遊んだことを思い出した。陽の光を受けて、ただの水の塊が、クリスタルのようにきらめく瞬間。千葉公園に大賀ハスを見に行ったあと、7月上旬には府中郷土の森、7月下旬には上野の不忍池にも蓮の花を見に行ったのだが、品種云々は置いておいて、蓮の花を鑑賞する場所としては千葉公園がベストだった。公園内は管理が行き届いていて清潔。蓮の背の高さも、人が鑑賞するのにほどよく、蓮池の中の木道を歩くと、まさに群生した蓮に抱かれる雰囲気。花は近くから見たあとは、俯瞰したくなるものだが、千葉公園には、蓮池の背後にちょっとした高台があり、ここから蓮池全体を見渡せる。この日は花数が562だということだったが、正直な感想は、「そんなにあるかなあ? 花の数」だった。もし、「どのくらい咲いてた?」と聞かれたら、「う~んと、100ぐらいかなあ」などと答えそう(苦笑)。自分の数に対する感覚のいい加減さを、再確認したのだった。都内からのアクセスもよく、疲れない広さで、密な花を間近で見られる千葉公園。大賀ハスの見ごろは6月中旬から下旬。当然年によって少しずれるが、千葉公園のサイトにアクセスすれば、見ごろの時期には花数がこまめにアップされている。至れり尽くせりだ。
2017.07.23
6月末の話になるが、千葉公園に大賀ハスを見に行った。ベトナムで蓮のモチーフのアクセサリーや小物を買ってくるぐらいの蓮好き。蓮の花ももちろん好き。だから、よく見に行っている…かというと、実は咲き誇る生の蓮の花というのはほとんど見たことがない。大学が上野だったから蓮で有名な不忍池は至近。蓮の葉が茂っているのはよく見ていた。だが、花を見るのは案外難しいのだ。まず蓮池全体の開花時期がさほど長くない。1か月ほどだろうか? また、1つの花が咲いているのは4日間。しかも午後になると花が閉じてしまう。早起きが苦手なMizumizu。↑こういう蓮の花のイメージに対して、不忍池で見る蓮は、たいてい↑こんな、シャワーヘッドみたいになった状態。蓮の中でも、特に大賀ハスというものにも浪漫を感じていた。確か教科書で知ったのだが、2000年前の種から発芽させたなんて、そんなことがあり得るのか? そもそもその発想が凄い。大賀博士というのは、どえらい変人…もとい、偉人なのだなと、心から感嘆した。インターネットがここまで発達する前は、情報をゲットするのも大変だったから、いつどこに行けば大賀ハスが見られるのかよく分からないまま時間だけが過ぎていた。インターネット時代になってからは、最初は1粒の種の発芽だけだった大賀ハスも、今は根分けされて各地に広がっていることを知ったが、花を見るタイミングは、仕事も忙しいし、なかなかつかめないでいた。「そのうちに…」というのは若人の常套句だが、人間、だんだん若くはなくなってくる。先延ばしにばかりしていたら、大賀ハスを拝む前に死ぬかもしれない。せっかくこの偉業を成し遂げた博士と同じ国に生まれたのに。そこで、今年はしっかり調べて、大賀ハスが普通の蓮より開花時期が早いこと、千葉公園は大賀ハスの名所だということ、花を見るならやはり早朝だということを頭に入れて、タイミングを見計らっていた。千葉公園は開花数もネットで公開していて便利。蓮の花々は一挙に咲き誇り、ピークに達した後はあっという間に数を減らすらしい。500~600咲けば、千葉公園ではピークとしても、多いほう。Mizumizuが訪れた日は、562と、見ごろのど真ん中といっていい日になった。千葉駅からモノレールで千葉公園駅へ。モノレールの窓から眼下に、ピンクの花がいっぱい咲いている池が見えた。池そのものは不忍の池ほど大きくないが、その分蓮がびっしり茂り、花も密だ。公園についたのは朝8時だったが、すでにかなりの人がカメラを手に蓮を見ている。これほどたくさんの蓮の花が咲いているのを見たのは、生まれて初めて。タイミングさえ合わせれば、こんなに一挙に咲くのだなあ、蓮の花。乗ってきたモノレールを今度は蓮越しに見る。蓮池を見下ろすように東屋があるが、開くのは9時からだとか。木道も一部閉鎖されていて、9時になると、開き、こんなふうに人が入れるようになる。東屋に向かう木道を通ると、さらに蓮を至近距離から見ることができる。9時過ぎにはさらに人が多くなり、ちょっとした撮影会の雰囲気。ほとんどがシニア層。やはり早朝から花を見ようというのは若者の発想ではないのだな。「今年は花の数が多いね。大輪のは少ないけど」と、木道を開けてくれたおじさんが言っている。なるほど、年によって数が多くて花が小さかったり、数は少ないが花が大きかったりするということか。花はこんな感じでかなり開いたものが多かった。本当のピークを少し過ぎた時期だったのだろう。それでも蕾もたくさんあり、十分に堪能できた。ボロボロになったマフラーを巻き付けたシャワーヘッドみたいな花の落ちた花托ももちろん、たくさんあった。大賀ハスの特徴は、花の茎が長いことらしい。確かに、葉よりかなり高い位置に花がある。だが、他の蓮がどの程度の茎の長さなのか知らないので、それが大賀ハスを見分けられる決定的ポイントなのかどうかについては、よく分からない。これなどはさしずめ開花2日目といったところか。日本では仏教の、そしてお葬式のイメージが強い蓮の花だが、こうしてアップで見ると、中央から何か不思議な生命体が出てきそうな神秘的なイメージがある。1輪の花の寿命は短いが、2000年前の種でも発芽するという生命力。そして、花の醸す神秘性。被写体としても、非常に優れている。切り取り方によって、個性的な「絵」になってくれる。フィルムカメラの時代は、シニア層のアマチュア写真家といえば、男性が圧倒的だったが、デジテルカメラが普及して扱いが簡単になったためか、女性のシニア層のアマチュア写真家が増えたと思う。ここ千葉公園にも、高そうなデジタル一眼を抱えたシニア層の女性が多く来ていた。テクノロジーの発達が趣味の世界のすそ野を広げている。こういう光景を見るのは、好きだ。とはいえ、良さげな場所で、なかなかどかないのはやはり男性カメラマン。真剣に撮り過ぎ! いつまでたってもそこからどかないから、こちらにとっては邪魔でした(笑)。
2017.07.22
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