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ウチの店が販売した商品についてのクレームというのは、長く商売をしていればまあそれなりにあるものだ。もっともウチの店サイドでの不手際ということはほとんどなく、何かあれば大半はメーカーに連絡して対処してもらう。メーカー側も手馴れたもので、代品の手配、商品不良なら現品の分析、場合によってはお客さんへの謝罪、などなどそれなりの処理を行う。ただここで気をつけておかなければいけないのが、そのクレームを発しているお客さんの性格だ。大きく分けるとふた通りある。まずは、とにもかくにも生産者としての責任を問う、という立場だ。この立場の方は、あくまでも商品の責任はメーカーが持つべきであって、販売者である我々は速やかにメーカーに連絡を取り、あとはメーカーが直接釈明すべきだ、と考える。私自身が消費者であっても、必ずメーカーから直接の説明なり釈明を求める方だから、こちらのタイプに属するのだろうが、世の中いろんな方がいるから、それが必ずしもいいとは限らない。で、もう一方のタイプは、あくまでも我々末端の小売業者を窓口とした説明を求める、というものだ。こうした方々に共通しているのは、自分たちはメーカーと直接相対したくない、ということだ。そこにはいろんな考え方があるだろうが、うがった見方をすれば、「素性を明らかにすることで、うるさいヤツだと思われたくない」といった心理も働くのかもしれない。そこで我々が気をつけるべきは、当のお客さんがどちらのタイプかを見極める、ということだ。実は私自身、過去に何度か逆の対応をしようとして、お客さんから嫌がられた経験があるからだ。ある時、とあるお得意先の飲み屋さんで不良品が出た際、私は代品と交換した上で、そのメーカーに連絡し、その飲み屋を訪問するように求めた。ところが件の飲み屋さんの店主にはそれが気に入らなかったようで、後から少々嫌味っぽい言葉を浴びせられてしまった。必要以上にコトが大袈裟になったようで、嫌な気持ちがしたようだった。別の時には、私自身が「大したことない」と判断して、メーカーに報告しなかったことに対し、ご立腹された事例もあった。本当にクレーム処理というものは、機敏に空気を読みながら臨機応変に対応していく必要がある。
2011年02月28日
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現在このブログは、だいたい3~4日に1回の割合で更新している。しかし私も2006年の9月までは、ほぼ毎日のように更新していた。今から考えると、我ながらとても信じられないような話だ。どうして更新の頻度が落ちてきたのか、それはよく分からない。しかし毎日更新していた時期と今とで、例えば仕事の忙しさが全然違うのか、と言われれば、そんなことはまったくない。確かに「表ブログ」を並行して書いたり、などプラスアルファの要素も多いが、反対に配達の仕事などは、以前に比べて明らかに減っている。そうすると、以前は時間の制約の中でも極めて効率的に文章をしたためていた、ということなのだろう。なんだ、要はヤル気の問題か。
2011年02月23日
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今日はムスメの高校受験の願書提出日だった。これで狙いは定まった。あとは一気に進むのみだ。しかし志望校の最終決定まで、そうスンナリときたわけではなかった。何せコイツは、「とにかく落ちたくない」という気持ちが強すぎて、かなり合格可能性の高そうなところでも、どうしても及び腰になってしまうのだ。私としては、「頑張って臨んで、落ちたら落ちたでしょうがない」と割り切って欲しいと思うのだが、2年前に兄の失敗を目の当たりにしていること、そんなこともトラウマになっているのかもしれない。しかしいずれにしても、心に心配の種を抱えたまま試験に臨んでは、普段の実力など出せないだろう。そんなこんなで先日、妻を交えた3人で話し合いを持ったときのこと、私はムスメとこんな会話をした。 「なあ、試験の合否って、誰が決めると思う?」 「.....試験官? 高校の先生?.....」 「ブー!本当は神様が決めてんだよ。」 「.....はぁ???.....」 「神様がみんなのことをじっと見てて、一心不乱に頑張っている子は合格させてくれるし、 浮ついたりしてる子やよそ見ばかりしてる子は、不合格にするんだ。」 「またまたぁ~(笑)」 「作り話だと思う?」 「うん。」 「確かに作り話かどうかといわれれば、もちろん作り話だけど、 でも少なくとも“ウソ”じゃない、とは思わないか?」その場のノリにまかせて思いつきで言ったことだが、我ながらいいこと言うじゃん♪と、思わず自画自賛(笑)。で、そのあとに、だから勉強机はいつもピカピカにしておかないといけない、とかなんとか言ったら、そちらは完璧に「パクリ」だと、一笑に付されてしまった(笑)。
2011年02月17日
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先日NHK-BSで放映された映画だ。この作品は1926年製作の、いわゆる無声映画だ。役者のセリフはなく、セリフの部分は字幕で補っている。そして背後にはずっと交響楽団の奏でる音が流れている。1926年といえば、日本では昭和が始まって間もなくの時期で、個人的には私の両親が生まれるまだずっと前だ。そんな時代の作品だから、これはもう今現在作られているものと、同列に評価するなんてことは出来ない。こんな大昔のフィルムが、(多少手を加えられているとはいえ)これだけのクォリティで残されているというのは、それだけで感激モノだ。後で調べてみると、80年代に映像をカラー化し、音楽をコンテンポラリーなロックサウンドに入れ替えた「リメイク版」も出ているが、やはり私は「レトロ的価値」から言っても、こちらの方に軍配を上げる。それにしても昭和の初めのこの時期に、このような「未来都市」だとか「人造人間」という感覚が、これほどまでに明確に映像化されていることは、非常に興味深い。確かにスタジオセットなどはさすがに陳腐な感は否めないが、このあたりはご愛嬌というべきか。また、かなりの人員を費やしたであろうエキストラの動きも、かなり無機質的に見えるほどにまとまりが見られる。ストーリーもしっかりしてるし、スピルバーグあたりで今リメイクをしても、面白いんじゃないかな?
2011年02月13日
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先日、メガネとコンタクトレンズのことについて書いたが、最近メガネを装用する時間が増えたのには、もうひとつ理由がある。老眼が進行しているのだ。今使っているメガネは3年ほど前に購入したものだが、その折に、「これからおそらく老眼が進行してくるよ」というメガネ屋の主人の進言に従って、度数をかなり弱めに設定した。確かに掛けてみたところ、遠くはちょっと見にくいかな、という気がする。だから今でも、クルマで長時間のドライブに出る時などは必ずコンタクトレンズにしている。しかしその代わり、コンタクトレンズでは近くのものが見えなくなってきているのだ。これにはちょっと愕然としてしまった。メガネであっても、間近のものは見えにくいから、例えば細かい文字などを見る時には、メガネを外して字を眼にかなり接近させなければいけない。でもこの姿って、まさに老人のステレオタイプ的な描写ではないか!?そんな状況に自分が陥ってしまったことが、なんだかとてもイヤなのだ。しかしそんなことも言っておれない、実用性、しかも読み書きやPCを使うときなどは、圧倒的にメガネの方がラクなのだ。というわけで、あえてコンタクトレンズにする機会も減りつつあるのだ。そのメガネにしても、そろそろ「遠近両用」を考えないといけない段階のようだ。行きつけのメガネ屋ではしきりに勧められるのだが、私自身は出来うる限り先延ばしにしたいと思っている。
2011年02月10日
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大相撲の八百長問題を受けて、日本相撲協会は春場所の中止を決めた。それだけでなく、それ以降の場所再開についても、期限を設けないという方針を打ち出した。私は個人的にはあまり相撲に関心はないから、場所が中止になろうがなるまいが、まったくどうでもいいことだが、それでもこの「中止」という判断には、いささか違和感がある(「中止」というよりは「自粛」といった方が本質的か)。ちなみに私は昨年の賭博騒動で、名古屋場所の開催が危ぶまれたときにも、あくまでも挙行すべきといったようなことをこのブログに書いた。場所を中止することが、八百長問題を解決するのに最適な方法であるとは限らない。また問題解決に当って、春場所開催が支障となる、というわけでもなかろう。あくまでも世間の空気を読んで、「とりあえず、やめとこう」という程度のことではないだろうか。しかしそれが為に、興業に関わって生計を立てている人たち、あるいは興業によって経済効果が波及する人たちなど、被害を被る数多の人たちがいることを忘れてはならない。それに何よりも、本場所を楽しみにしている相撲ファンを失望させている。春場所を止めることによって、どのように取調べを行なっていくか、あるいは春場所を行なうとしたら、その取調べに何らかの支障が出るのか、それが具体的にハッキリと説明されない限り、春場所を止める大義にはならないように思う。八百長問題の根っこの部分を解明し、再発防止に努めることと、相撲興行そのものを全うすることは、どちらかを優先し選択するというものではなく、どちらも同じように責任持って為さなければいけないことではないか。よって、春場所は予定通り行なったほうが良いのではないか、と思う。なに、こんな騒動が持ち上がった直後だし、力士たちも否が応にもガチンコ勝負をせざるを得ないだろうから、いつもの場所よりもずっと白熱して面白くなるかもしれない。
2011年02月07日
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私は若い頃は相当な頑固者で、皆がこぞって飛びつくことにはあえて背を向けたりしていたし、逆にそれを誇らしく思うようなところもあった。もしそんな頃に「恵方巻」なるものがあったら、私は絶対に口にすることは無かっただろう。そもそも「太巻寿司を恵方を向いて丸かぶりする」という習慣自体、さしたる根拠があるとも思えないし、商業ベースで作られて広まった習慣に乗せられるなど、俺のプライドが許さん!.....というところだ。ただ月日は流れ、私も多少は丸くなり、昨日の夜も普通に「恵方巻」を食べた。プライドがどうの、などということはどうでもよく、ただ美味しいものが目の前にあれば食べたいと思うだけだ。しかも最近お世話になっている寿司屋さんに勧められたとなれば、買わないわけにはいくまい。しかしやはり、私の心の中のどこかで、「安易な流行に乗るではない!」という囁きが聴こえるのだ。せめて「流行に乗って食べた」という謂れのない誤解を解くために(いや、誰もそんなことは言ってない)、長さ20cmほどの太巻は包丁でパック寿司サイズに切り刻み、南南東の恵方などまったく無視して、家族との会話を楽しみながら賑やかに食べた。世間に対する私のささやかな反抗(?)だ。
2011年02月04日
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私は小さい頃から近眼で、小5のときからメガネのお世話になっている。そして21歳の時にはコンタクトレンズに切り替え、以来ずっとコンタクトレンズで生活をしていた。「していた」と過去形になっているのは、今はちょっと状況が変わってきたからだ。数年前に目に違和感を感じて眼科を受診した際、眼の負担を軽減するために、コンタクトレンズの装用時間を減らすよう、医師の指示を受けた。それまでの私は、1日15時間を毎日、という使いっぷりだったので、さすがにこれが堪えたようだった。しかし元々メガネがイヤでコンタクトレンズに切り替えたクチなので、メガネでいる時間を増やすというのは、あまり気が進まなかった。とりあえず1日「15時間」を、なんとか「8時間」までに減らした。それでも違和感が消え去ることが無かったので、3日に1日は「休肝日」ならぬ「休眼日」にして、その日は1日中メガネで過ごすことにした。そうしたところ、何とか眼の方は落ち着いた。ところが不思議なことに、あんなにイヤだったメガネを使用する時間が、その後加速度的に増えてきているのだ。今現在だと、コンタクトレンズを使うのが週に2日ぐらいになってしまった。毎日のようにコンタクトレンズを装用していたときはなんとも思わなかったのだが、コンタクトレンズをしたりしなかったリだと、逆にコンタクトレンズをするのが面倒臭く感じるのだ。ただそれでも100%メガネではなく、あえてコンタクトレンズを使い続けるのには、それなりの理由がある。いや、そんなたいそうなことではない、私の顔はメガネのときの方が老けて見えるのだ(笑)。
2011年02月02日
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