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先日私の知人がツイッターにこのような文章を投稿した。ご本人の承諾の下に、全文を引用させていただこう。 そもそも「こだわり」なんて言葉はネガティヴな意味合いの方が強かったはずで、 にもかかわらず瑣末なことにこだわって、本人は自己満足、客観的には単に視野を狭くして いるだけの人がちょくちょくいて、なかなかに滑稽なものだ。この文章は今まで私が仕事上、あるいは日常生活において漠然と抱いていたモヤモヤ感に、明確な答えを与えてくれたような気がした。ここにもあるように、「こだわる」という言葉は、本来ネガティブなニュアンスで使われていたものだ。「何をそんな細かいことにこだわってるんだ!」というような使い方が一般的だろう。あるいはこの言葉どおり、「こだわり」という言葉を「自己満足」とか「視野の狭さ」という言葉に置き換えてみると、 「さすがはこんなところにもシェフのこだわりが窺えますね~」という誉め言葉が、 「さすがはこんなところにもシェフの“自己満足”が窺えますね~」とか、 「さすがはこんなところにもシェフの“視野の狭さ”が窺えますね~」といった、“貶し”言葉になってしまうのだ。まあもちろん商売は自由だから、こだわりたい人はどんどんこだわっても構わないと思う。むしろ他との差別化を計ろうとした結果、そうなったということもあるだろうし。ただ私が日頃から訝しく思っているのは、モノを買う側、あるいはサービスを受ける側の方で、「こだわり」という言葉を過剰に評価してしまっていることだ。「こだわりの品揃えの店」と聞いただけで、何かしらとても良いモノが揃っているように思ってしまう、あるいは「材料にこだわった料理屋」と聞くと、味に間違いはないと思い込まされている、そんな感覚が多かれ少なかれあると思う。そういった消費者の短絡的なイメージ自体にも問題はあるかもしれないが、それに乗っかるような形で、商品やサービスの提供者が「こだわり」を安易に解釈してしまうのも、また問題だろう。一例を挙げると、ある酒屋さん。ここは「こだわりの品揃え」を標榜しているが、よく見てみるとその扱いアイテムに一貫性が無い。その店主によれば、「ちょっと珍しい商品ばかり」ということだが、ニュアンスとしては「大手には無い商品ばかり」ということなのだろう。ただそれだけでは、何にどうこだわっているのかが、よくわからない。「こだわり」というからには、その店主が目指すもの、ポリシー、そういったものが見えてこないと、消費者に対して説得力が無いと思う。私もいち消費者となった場合、売り手の「こだわり」というものを漠然と評価するのではなく、その中身について突っ込んでみるくらいの気持ちの余裕を持ちたいと思う。
2011年10月30日
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ウチの店では顧客向けに「ニュースレター」を配っている。来店された方や配達に行った先の方には手渡しで、それ以外の方には郵送している。中身に関しては「なんだ、ただの売り込みか!」とは思われたくないので、「売り」の部分はそこそこにして、時事ネタやエッセイ風な文章、あるいは「トリビア」的なウンチク話なども織り交ぜて作っている。さてこのニュースレター、現在は当店でお買い上げ頂いている方には、ほとんどお送りしている。極端なハナシ、1回しかご来店されてない方にもお送りしている。それはそれで構わないのだが、ここでふっとある疑問が頭にもたげてきた。これをお渡ししている方全員が読んでいるとは思わないが、まったく読んでおられない方にお送りすることに意味はあるのか、ということである。そう思ったのは、たまたまあるお客様にお渡ししようとしたとき、やんわりと断られたことがキッカケだ。もちろんそのお客様も“あからさまに”言ったわけではないが、無難な言い回しながらも、「もう読んでないから要らないよ」というニュアンスがストレートに伝わってくるような言い方だった。もちろんDMである以上、大きな比率のレスポンスを期待するほうが無理ということは分かっているし、そのためにはとりあえず「ヘタな鉄砲」よろしく、数打つ必要があることも重々承知している。しかしその一方で、端からまったく不必要だと思っている人に対し、いちいち経費を掛けてニュースレターを送るのはナンセンスではないか、というのもまた偽らざる心境だ。ここはひとつ、まったく要らないという人を配布対象から外そうかと思うのだが、ではそれをどのように見極めるか、それが問題だ。ひとつの方法としては、「もう要らない」という意思表示をメール、FAXなどの手段でしてもらうことだ。しかしそのための案内文を挿入したところで、端から開封しないのであればそれを見ることも無い。またたとえ「要らない」と思っていても、あえてそれを意思表示するのはちょっと憚られる、という日本人特有の対人意識も働くだろう。その反対に、「読みたい」と思っている人にだけ意思表示をしてもらう、という方法も考えられる。ただ人間というもの、よほどの強い動機がないと積極的なアクションを起こすまでにはなかなか至らないものだ。つまり読みたいと思ってもそのアクションが面倒だったりして、結果的にはほとんど返事が返ってきてない、ということは充分に考えられる。さあ、どうしたものか。あるいは割り切って、これからもすべての方々に送り続けるか。
2011年10月24日
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なんだかしばらく肩透かしを食らったような気になったが、まあそのあたりも終わってしまえばご愛嬌か。実はマジック「2」になった段階で、この記事を予定稿として書いていたのだが、予想外の足踏みのために、何度も書き直しているのだ(苦笑)。まあともかく、優勝おめでとう、ドラゴンズ!とにかく今年はまったく勝てる気がしなかった。鬼門だった交流戦こそ4つの貯金で乗り切ったものの、オールスターを挟んで一旦は借金を抱えるなどして、しばらく5割ラインをうろうろしていた。そしてその間にも首位ヤクルトは絶好調で飛ばし続け、最大10ゲーム差が開いた。そしてこのあたりで、今年の優勝は絶対にない、そんな確信を持ったものだ。その一番の根拠は、ヤクルトとの相性の悪さだ。現時点でこそ10勝10敗のタイになっているが、今年は特に神宮球場での試合に弱く、前半戦はまったく勝てる気がしなかった。だからいくらドラゴンズが巻き返しを図っても、首位チームとこれだけ相性が悪ければ、まず優勝など無理だろう、と本気で思っていた。それがどうだろう、9月下旬のヤクルト4連戦を3勝1敗、この間までの10月の4連戦は4連勝と、信じられない結果........今思えば、これがすべてだっただろう。しかし改めて振り返ってみれば、主力の離脱がそこそこあったにもかかわらず、それを埋める人材がさほど見劣りしなかった。言い換えれば選手層の厚さ、これが今年の強さの秘密だったのかもしれない。それから9月からの猛チャージぶり、しかも落合監督がそのあたりもすべて織り込み済みで戦っていたことが驚異的ですらある(捉えようによっては「結果論」とも取れるが、落合ほどその言葉がそぐわない人もいない)。返す返すも今期限りで落合監督がチームを去ることが残念でならない。高木新監督、そしておそらくその後を継ぐであろうT浪氏に期待感が無いわけではないが、OBや地元のしがらみに縛られた状態で、チームが十二分に力を発揮できるのかどうか、いささか疑問ではある。そのことを身を以って教えてくれた落合政権の8年間ではなかったか、という気もする。
2011年10月18日
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最近でこそ少なくなったが、かつては飲み屋の看板には、日本酒の銘柄が書かれているのが普通だった。実はこれらの制作費は、すべてメーカー側の負担なのである。つまり、ウチの商品を使ってもらえるなら、看板代は出しましょう、その代わりウチの銘柄の名前を入れて、「広告宣伝費」として処理させてください......といったところだ。ただ最近は、そのような対応はほとんど無くなってきている。ひとつにはメーカー側の経費削減といった事情があるが、もうひとつには「この投資が割に合わない」という事実がある。かつては飲み屋で扱う酒の銘柄など、そうやすやすと替わるものではなかったが、昨今は嗜好の多様化によって、お客の好みも千差万別になってきている。お客の側から多様な銘柄のリクエストが相次ぐと、店主としてもむげには出来なくなる。しかも元々使っている銘柄をお客が否定する(「不味い」とか何とか)ようになると、店主はもはや銘柄を替えざるを得なくなってくる。しかしここで問題が発生する。看板を協賛したメーカーとしては、あくまでも自社銘柄を「使い続けてもらう」ことが前提になっているので、途中で銘柄が替わるのは許し難いことなのだ。しかし飲み屋の方としても、好き好んで替えるわけではないのだから分かって欲しい、と思う。もっとドライなところならば、もうオタクのお酒は○年間使ったんだし、看板代分の義理は果たしたからいいだろう、と主張する。で、この間に立って苦慮するのは、我々リカーマンなのだ。何せ双方の主張が平行線なのだから、それを無難にまとめるなど、どだい無理な話なのだ。とりあえずは我々にとっての「お客」は飲み屋さんの方だから、まずはそちらの主張を優先せざるを得ない。しかし完全に飲み屋さんを肯定してしまうと、これはもう「ガキの使い」も同然だ。だから時には、飲み屋さんに対して耳の痛いことも言うこともある。我々の顧客(=飲み屋さん)との信頼関係と同じくらい、メーカーとの信頼関係も大切だと、私は考えているからだ。看板設置の折に、飲み屋さんに看板の銘柄を使い続けてもらうよう約束したからには、メーカーの手前、こちらもある程度飲み屋さんの説得に当らなくてはいけないと思うのだ。ただそんな正義感も、度が過ぎれば話をこじれさせるだけで、実際に私もかつてそれが原因で、飲み屋との取引を切られたこともある。しかし商売というもの、時にはそういうリスクを負っても、やっぱり自分の軸はブレさせてはいけないとも思う。肝心なのはそのサジ加減なのだ。
2011年10月16日
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幼児による事故を防止するために、先日100円ライターの規格が変更され、新規格適合のシールの無い物は販売できなくなった。ウチの店でもその実施日を境に、100円ライターの在庫をガラリと入れ替えた。ただその新規格適合商品というのが、スイッチ(と言えばいいのかな?)がとても硬いもので、大のオトナでも相当な力を要する。普通の人なら何とかなるだろうが、いつもウチの店にタバコを買いに来るある年配の女性の場合、手が不自由で針金か何かを埋め込んでるらしく、力が思うように入らないのだ。タバコを1カートン単位で購入しても、そのカートンの包みを開けるのにもひと苦労なので、ウチでわざわざバラしてから彼女の買い物袋に入れてあげているほどだ。そんな状態なので、その方は新規格適合ライターなど、絶対に使えない。今日店に来られたとき、今まで使っていたライターが切れかけているというので、以前景品で貰ってあったライターを差し上げた。新規格不適合のモノではあるが、それは“販売”ができないのであって、タダで差し上げる分には問題ないということなのだ。しかし今後もその方に差し上げるとしても、いずれは底をついてしまうだろう。実際に100円ライターが原因で幼児の痛ましい事故が起こっているので、規制の方向に流れるということは致し方ないかもしれない。ただその一方で、規制が強化された結果、その商品を使うことが出来なくなる人がいるというのも、また事実なのだ。そのあたりのことは考慮されたんだろうか?もっとも幼児の安全ということを持ち出されると、あえて反論はしづらい状況だとは思うが、それならばこれは本来、幼児の手の届くところに安易にライターを置いておく大人のモラルの問題ではないのか、ということもあえて付け加えておきたいと思う。
2011年10月09日
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私が会社勤めを辞めて、今の店に跡継ぎとして戻ってきた頃だから、もうかれこれ20年近く前のことになるが、ウチの近辺で妙な噂が立った。私のウチが宝くじの1等に当選したと言うのだ。もちろんそれはまったくの事実無根だ。だいいちウチの家族は誰も宝くじなど買わないし、興味すらない。しかし噂はかなり広範囲に広がったようで、町内のみならず、私が出かけていった同窓会などでも「オマエん家、宝くじが当たったんだって!?」などと話題にされて、非常に困惑したものだ。もうさすがに現在はその話題もトンと出てこなくなったが、さすがにあれは何だったんだろう、といまだに気持ち悪く思い出される。
2011年10月04日
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