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地元のとある中堅冷機会社、ここでは新入社員が入ってくると、その営業エリアをつぶさに回って営業させる。ただその「営業」というのが変わっていて、まず挨拶をした後、「お宅の冷蔵庫(もちろん店のリーチインクーラーのこと)の掃除をさせてください」と言ってくる。これがその会社の顧客なら不思議でもなんでもないが、そうでない店にまでそのように申し出るのだ。もちろんこれは恩を売っておいて、あとで何かの折に贔屓にしてもらおうという下地づくりなのは明白だ。中には「じゃあよろしく!」と言って、喜んで掃除してもらう店もあるかもしれない。しかし私は絶対にイヤだ。営業の本質とはそういうものではないだろう。自分のところの商品を買ってもらいたいなら、それが他社のものに比べていかに優れているか、あるいはいかにあなたの店のお役に立てるか、それを的確に提案できなければ、何にもならないと思う。なんだか一昔前の「モーレツ社員型営業」の亡霊を見るようで、それだけで言い知れぬ違和感を感じてしまう。
2011年06月28日
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小学校2年生からずっと野球をやってきたわがムスコも、今年は高校3年生。大学では続けるつもりはないらしいから、いよいよ今年の夏を以って、10年ちょっとの彼の野球人生に、ひとつのピリオドが打たれるわけだ。そしてその集大成となるのが、来月から始まる選手権大会の県大会。言わずと知れた、甲子園の切符を賭けた県予選だ。もちろんムスコたちにとって、甲子園などまったく具体的な目標では無く(現実は『もしドラ』みたいに甘くはないのだ)、少しでも多く勝って終わりたい、というのが切実な願いだ。で、その県大会の抽選が今日なのだ。皆さんがこれを目にされる頃には、とっくに抽選結果が出ているはずだが、これを書いている今は、なんだか親である私たちの方が落ち着かなくなっている。もっとも“教育的見地”からすれば、たとえ当たった相手が強かろうが弱かろうが、常に平常心で臨むように、などということを諭すように言わなければいけないところだが、現実には選手の親というものは、概してもっとミーハーなものだ。とにかく1勝して欲しい、そのためにはできれば弱いところと当たって欲しい、などということを臆面もなく願っている、そんな身勝手な「小物」なのだ。もちろんすべての親御さんがそうとは限らないだろうが.....。さあ、あと数時間!--------------------------------------------------------書いてからアップするまでに時間が掛かって、その間に対戦相手が判明した。初戦の相手は........う~ん、ちょっと微妙なところだ。
2011年06月24日
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中1の末娘と話をしていたときに聞いたのだが、今中学の社会科では、東京都の都道府県庁所在地(以下「県庁所在地」)を「新宿区」と教えているらしい。試しにググってみたら、こんな見解がなされている(→コチラ)。しかしどうにも違和感が残る。東京都の県庁所在地が「新宿区」だというのは、それは他の政令指定都市のような「○○市」という呼び名がないために、苦し紛れにそうした、というだけの気がしてならない。「新宿区」はただの住居表示だ。「都道府県庁所在地」というのは、本来そんなものではないだろう。それに東京都が「新宿区」なら、大阪府は「大阪市中央区」、愛知県は「名古屋市中区」とまで書かせないと、釣り合いが取れないではないか。私が子供の頃、授業でどのように教わったのかはもはや記憶にないが、たぶん自分で個人的に調べたか、先生に尋ねたような記憶はある。そしてそこで「東京特別区」という名称を知った。これはほかの「市町村」に準じるもの(もちろん性質や権限などはまるっきり違うが)だから、正解はこれにすべきだと思うが、どうだろう?
2011年06月22日
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私は時々トレーニングジムに通っている。そこに「トレッドミル」という、いわゆるランニングマシンがあるのだが、先日もその上で走りながら、ぼんやりと考えていた。最初は歩く程度のスピードから出発して、次第に速度を速めていく。走っているうちに次第にスピードを上げていきたくなるのだが、これはいわゆる「ランナーズ・ハイ」というやつだろうか。まあそれはともかくとして、これって人間の生活そのものではないか、と思う。我々の生活というのは、トレッドミルの上で走っている人間そのものだ。我々の生活も、あらゆるところで常にスピードアップを目指してきた。例えば「新幹線」のような物理的な意味での「スピードアップ」だけではなく、生活を便利で快適なものにするためには、ということで、知恵を絞って生活・社会の改善を重ねてきた。IT、コンビニ、各種家電品などは、その格好の産物だろう。ところでトレッドミルは、速度を速めるとベルトの動く速さも速くなるから、当然より電気を食う。増えた電気の使用量はそれが膨大になればなるほど、原発の依存度合が高まってくることに結びつく。今の我々の暮らしは、どこかこの「トレッドミル」の上での「ランナーズ・ハイ」のような状態かもしれない。新幹線は所要時間を1分1秒でも縮めるために、膨大な資本を投じて研究開発に取り組んでいる。コンビニは必ずしもニーズがあるかどうかも分からないまま、実質的に24時間営業が義務付けられている。昨今の各種家電品も、やたら便利機能が満載のわりに、肝心の必要な機能を探すのにマニュアルがやたらと解かり難かったりする。私に言わせれば、無くても別に困らないことに、いかに多大なエネルギーを費やしていることか。「トレッドミル」は疲れてくればスピードを緩めるなり、走るのを止めれば済むことだが、人間生活はそうではない。疲れてるのかどうなのかは別にしても、放っておけばその加速度は増すばかりだ。それにつれて電気の食い方も比例して増大する。より速く走ること自体が「義務」ならば致し方ないが、決してそうではないだろう。日本中に新幹線網を張り巡らせることが、はたして必要不可欠なのか?コンビニはすべて24時間営業で無ければいけないのか?家電品はたとえ不要のものであっても、たくさんの機能を搭載しないと売れないのか?今一度、根本から考えてみてもいいんじゃないか?国際間競争といった要素も加味しなければいけないだろうから、そう簡単にはいかないことは重々承知の上だ。しかし実際に「トレッドミル」の上で走っていると、このまま限りなく速度が上がり続けるということが、なんとも空恐ろしく感じるのだ。
2011年06月17日
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東日本大震災の発生以来、被災した酒蔵の復興のために東北のお酒を飲みましょう、というスローガンのもと、一種のブームのように東北の日本酒が売れている。そのこと自体は別に悪いことではないと思うし、日本酒を売ることを生業としている私にとっても、素直にうれしいことではある。ただその本質を見つめると、手放しで喜べることばかりではない、ということに気付かされる。これはあくまで私の勝手な分類だが、地酒と一口に言っても、それは大きく3つのパターンに分かれる。(1)それなりの生産能力があって、販路も問屋を通じてチェーンストアなどの 流通にも応られる、いわゆる「大手地酒」。(2)全国のいわゆる「地酒専門店」との直取引を基本とし、 必要以上に販売量を増やさないことでクォリティを保持する、いわゆる「こだわり地酒」。(3)全国的に知られることなく、その土地だけでひっそりと売られている、 いわゆる「地元用地酒」。今回「東北のお酒を飲みましょう」というムーブメントが起こって、消費者がいざ購入しようというとき、一番手っ取り早く手に入れられるのは、スーパーやコンビニなどによく並んでいる(1)の「大手地酒」だ。事実この2ヶ月の間、数字的にも異常な伸びを示している酒蔵は少なくないと聞いている。また消費者がネットで購入しようとする時には、(2)の「こだわり地酒」がその主役になることが多い。ただこの(2)に該当する酒蔵も、規模的には決して大きいところばかりではないので、あまり注文が殺到すると対応しきれなくなるから、あえて“恩恵を受ける”という感覚でもないかもしれない。そういう状況からみると、ここに来て地酒蔵の間で「格差」問題が発生しかねない予感がする。というのは、全国の消費者の善意の購入資金が、(3)の「地元用地酒」に回る可能性がほとんどないからだ。元々地元で消費されているだけに、地元の市場が打撃を受けてなかなか立ち直ることが出来ないでいると、その蔵元も運命を共にせざるを得ない。しかし、被災の程度にも大小はあるだろうが、押しなべて言えば、今本当に支援を必要としているのは、こういった(3)の蔵元ではないだろうか?ありていに言えば、今世間で喧伝されている「東北のお酒を飲みましょう」キャンペーンでは、(3)の「地元用地酒」は救えない。なら、別の方法を考えなければいけない。いっそのこと、日本酒造組合中央会の中に、「被災酒蔵復興支援基金」なんてのを設立して、全国の小売店の店頭で募金を募り、そこで集まったお金をその基金に回し、被災した酒蔵で分配する、というのはどうだろう?消費者の方も、純粋に「被災地の支援になるなら」という気持ちでお酒を買っていただくのであれば、こういった趣旨の募金にも快く応じて下さるのではないだろうか。そう思って念のために日本酒造組合中央会のHPをチェックしてみたが、「義援金受付」の告知しかない。しかも期限は8月末までと短い(必要に応じ延長するとは書いてるが)。それに義援金では一時的な支援で終わってしまいかねない。そうなってしまわないように、長期に渡って続けられるような支援策を求めたいと思う。「東北のお酒を飲みましょう!」というキャンペーンが、消費者の方はともかくとしても、販売する側が自己満足に終わってしまうことのないようにしたいものだ。
2011年06月11日
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ここ最近、“手段”が“目的”化している、と思えることが目に付く。例えば先日のブログにも書いたが、菅内閣不信任案だ。誰か替わりに立てたい人がいて、その人の方が政権運営が上手くいく、というビジョンがあって、それを実現するために現内閣に退いてもらう、本来そういうことだと思う。ところがどこを探しても、菅さんの替わりに立てたい人の名前が出てこない。もしかすると水面下ではいろいろと取り沙汰されているのかもしれないが、少なくとも有権者に見えるところに出てこなければ、「密室政治」のそしりを免れない。かくして「とにかく菅さん、辞めてくれ」と、不信任案自体が目的化してしまっている。結果的に不信任案は否決されたが、その菅さんは然るべき時期に身を引くことを表明した。そしてその後の政権構想として、「与野党大連立」というのがにわかに浮上してきた。これとて、一応震災復興関連の案件をスムーズに処理するため、という目的はあるが、必ずしも必要があってのことなのかどうか。連立内閣となるとどうしても、様々な点で政策のすり合わせをする必要が出てくるが、それが必ずしも上手くいくとは思えない。逆に安易に連立をしたがために、消費税増税など、本来十分に議論を深めなければならない問題に、あっさりと片が付いてしまう恐れすらある。あえて連立などしなくても、こと被災者支援のための法案なら、お互いの面子を捨てるだけでその多くはさして問題なく可決していくだろう、同じ日本人同士なのだから。また話はガラッと変わるが、今話題の「スーパークールビズ」、いや、以前から言われている「クールビズ」にしてもそうだが、なんでそういう発想が出てくるのか理解に苦しむ。要は節電のために、エアコンの設定温度を上げるというだけのことで、それならばネクタイを外すか、開襟シャツにすればいいだけのことではないか。それが為に新しい服を買う必要などサラサラ無いと思うのだが。もっともエラそうにこんなこと書いている私も、いざ自分の仕事を顧みれば、“手段”が“目的”化していることはいろいろありそうだ。自戒も込めつつ、もっとみんな、事の本質を見つめ直すべきかもしれない。
2011年06月08日
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一瞬目を疑ったが(ラジオだから「目」じゃなくて「耳」だな)、まさか、というほかない、6月5日のドラゴンズ・平田のサヨナラホームラン。しかも前日にも同じく二死走者無しからサヨナラホームランをかっ飛ばしていて、まさかまさかの2夜連続だ。しかもこの2試合の総得点=3点はすべて彼の打点で、尚且つ守備でも超ファインプレーでピンチを救い、まさに彼の力で獲った2勝だといってもいいくらいだった。しかし試合後の落合監督のコメントが、また変わってる、というか、ある意味予想通りというか、平田の「ひ」の字も口にすることなく、「それにしても森野だよ!森野、森野!」と、いまだにバッティングの調子が上向かない主砲に対する叱責に終始した。確かに2試合とも、森野がキッチリ主軸の仕事をしていれば楽に勝てたかもしれないから、それが歯がゆいのだろう。確かに接戦に強いと言えば聞こえはいいが、この2試合は監督の目から見たら、たまたま手にした勝利であって、真の強さが発揮されたとはとても言い難いのかもしれない。どれだけファンがシビレても、彼だけはどこまでも沈着冷静、とことん勝負師だ。おそらく彼の理想としては、主軸のバットで先制し、それを自慢の投手陣で守りきる、というものだろうし、そのためにはどうしても森野というピースは欠かせないのだ。もっとも落合監督という人、普段から滅多に報道陣の前で選手をベタ誉めしない。だから例えば原監督や星野監督のような分かりやすさはない。確かに報道陣泣かせだが、私にとっては逆にヘンに期待感をくすぐるところがあって、いつも楽しみにしている。それにしても落合野球の勝利の理想形に欠かせないとなると、どうしてもストッパー・岩瀬の存在が欠かせない。彼の岩瀬への信頼感はハンパではなく、日本一になった日本ハムとの日本シリーズで、山井がパーフェクトを達成しようかというところで、あえて岩瀬に交代させたのは記憶に新しい。ただどうもここ最近、彼の状態がちょっとおかしい。起用法も以前とはちょっと変わってきているように思う。まあ彼もいいトシだから、球の衰えは隠しようもなく、今まで空振りしてくれていた自慢のスライダーもキレが無くなって、見切られることが多くなってきた。正直なところ、経験値などを差っ引いて考えれば、その前を任されている浅尾の方が今は力は上だ。しかし4番バッターなら打順を下げれば済むことだが、ストッパーが衰えてきたからと言っても、そうそうスンナリと交替ということはしにくい。ましてやセーブの日本記録も懸かっているから、なおのこと難しい。落合監督がこれからどういう形に持っていくのが非常に不安でもあり、楽しみでもある。
2011年06月06日
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菅総理の不信任案が否決されて一夜明けた今朝、メディアは「とんだ茶番だ!」の大合唱。それじゃ、何かい? みんな不信任案が可決されることを願ってたのかい?私自身は、これでとりあえず解散総選挙の可能性が無くなった、とホッとしていたのに。まあプロセスに不明瞭な点があるとか、総理の期限の切り方が曖昧だとか、批判されるべき点は多々あるかもしれないが、今はとにかく政争に明け暮れるべきときではなかろう。それにしても不信任案に賛成すると見られていた与野党の議員さんたちが胸に抱く、「ポスト“菅”」の名前がまったくハッキリしないことには、苛立ちを覚えた。まあ正直なところ、「菅さんじゃなけりゃ、誰でもいい」ということなのかもしれないけど、それだってあまりにも無責任だ。そんなに菅さんじゃダメなのか?いや、私だって彼を積極的に支持しているわけではない。しかしこの未曾有の大災害+前代未聞の原発事故に遭遇して、それに相対する国のトップとして、皆が納得できるような仕事を粛々と遂行できるような政治家が、いったい他にいるだろうか?はっきり言おう、誰だって無理だ。特に自民党の議員だったら、こと原発に関してはもっとひどいことになってたかもしれない。もうこうなったら、この国の政治のシステムに問題があると言わざるを得ないだろう。菅総理の資質に問題があるとか、そういう論調も聞くが、これまで何代か続いたいわゆる「ボンボン育ちの二世議員」と比べて決定的に劣るとは思えないし、かつて厚生相だった時には薬害エイズ問題に正面から向き合って、国民の喝采を浴びたではないか。しかしどんなに優れた資質を持った政治家であっても、この国のトップに座ったらそれを発揮することができずに、いつの間にか周りに流されて凡庸な政治家に成り下がり、果ては世論の顔色を窺いながらいつの間にか身を引いていく......そんな仮説を立ててみた。要は思うように仕事をさせてもらえない、というところだろうか。それを安易に「変節」と呼ぶのは少々気の毒ではある。彼らのヤル気を妨げるものは何か、それは分からない。慣習であったり、しがらみであったり、「癒着の構図」であったり、いろんな「オトナの事情」もあるんだろう。もちろんこういったものを鼻で笑い飛ばせるような肝の据わった人は、それなりに安定した政権を維持できる。小泉純一郎氏しかり、あとは国政ではないが、石原都知事や橋下大阪府知事なんかもそうだ。でもそれは下手をすれば独裁政治に陥りかねない。少なくとも私はイヤだ。あとは世論の過剰な期待も、結果的に政治家の命を縮めているかもしれない。国民も「トップが替われば少なくとも前よりは良くなる」などという幻想を抱きがちだ。でもそれが真実なら、ここ最近年中行事のように1年ごとに首相が替わる、などというバカなことが起こるわけがない。先ほどの私の仮説に照らし合わせれば、最初はどんなに期待されていても、その期待を維持することは難しい。しかもメディアの発達が産んだ、世論がストレートに浮き彫りになるシステム(“操作されている”という見方もあるが)のおかげで、今まで以上に世論に敏感になってしまっている。ということは、あえて乱暴な言い方をすれば、首相の首がこれだけ頻繁に挿げ替えられる原因は、私たち国民にもあるのかもしれない。結果的に「首相擁護」みたいな文章になってしまったが、私が一番心配しているのは、国のトップの顔が1年単位で替わることで、海外からの信用を損なってしまうのではないか、ということなのだ。それこそ真に「国益に反する」ことだ。で、その原因が個人の資質でなく、この国の政治システムであったり、国民の過剰な期待であるとするならば、一度みんなで根本から考え直す必要があるんじゃないか。テレビの報道を見ながら、そんなことをぼんやりと考えていた。
2011年06月03日
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先月5月はたった5回の更新に終わった.....。一時のことを思えば、すっかりペースが落ちてしまったなあ。もちろん義務ではないから、構わないといえば構わないのだが、改めてこのサイトを開くとちょっと寂しい気がする。まあ日々やることが多くて、忙しくしているのは間違いないのだが、それは以前でも同じこと。やはり仕事の進め方そのものに問題があって、時間が作れなくなってきているのかもしれない。ということで、ブログの更新頻度から仕事の段取りまで、一気に課題は進んだのだった。
2011年06月01日
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