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昨日NHK-BSで、作曲家・筒美京平を取り上げたドキュメンタリーがあり、非常に興味深く観た。彼はあれだけの売れっ子にもかかわらず、今までメディアにほとんど顔を出したことがないらしい。よっぽど偏屈者だったりするのかな、などと考えたりもしたが、実際に初めて目の当たりにする筒美さんは、物腰の柔らかそうなごくごく普通の“オジサン”だった。もっともお若い頃はもっと尖がっていらしたのかもしれないが。私も幼い頃から彼の作品には数限りなく触れてきていたはずだが、それこそ幼少の頃は作曲者など興味を持たないし、音楽に目覚めてきたら今度はビートルズや一連のシンガーソングライターに触発されて、「自分で作って歌うのでなければカッコよくない」などという、いかにも未熟な若者が陥りそうなヘンな勘違いをしていたため、筒美京平という作曲家に正面から向き合ったのは、かなり後になってからだった。今にして改めて彼の作品を一度に耳にすると、改めてその凄さが分かる。いずれも非常にバラエティに富んだ曲想ながら、どこかにやはり「筒美色」とでもいうべきものが、まるで暗号のように隠れている。それは一度聞いたときに即座に分かるモノではなく、あとで聞かされたとき「ああ、やっぱりね~」と納得するようなものなのだ。松本隆氏が以前、「彼は日本の(バート・)バカラックだ」と言ったのにも納得がいく。聞けば彼はそれまでの作曲家と違い、ただ曲を書くだけでなく、プロデューサー的なことも担っていたらしい。歌手の個性を最大限に引き出すにはどんなメロディ、どんなアレンジがいいか、ということに心を砕いていたようだ。同じようなプロデューサー的な作曲家といえば、後年小室哲哉などのような人も出てきていたが、小室氏がある一定のフォーマットに歌手を当てはめて曲を量産させていったのに対し、筒美氏は歌手の個性に最大限に寄り添って曲を書いたため、筒美作品の方が歌手そのもののキャラが立っているように思う。多少偏見が入っているかもしれないが、私はそのような感覚で捉えている。「売れ線狙い」というと、私たちのようなアマチュアミュージシャンの端くれとしては、あまり誉められた言葉ではないが、それがいかにもコマーシャリズム主導の粗製濫造だと、ともすれば軽蔑の対象にもなりかねないのに対し、彼の仕事には日本のポップスを作っていくんだという気概を感じ、おおいに共感できるのだ。もうこのような作曲家は出てこないかもしれないな。
2011年05月30日
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人間というのは誠に勝手なもので―――――いや、私だけかもしれないが―――――自分だけはそんなに歳をとらないと思っている。毎日鏡は見ているはずだが、逆に毎日見るからこそ、そんな変化には気付かないのだろう。例えばパッと他人を見たときに、その風貌でその人が自分より年上か年下か、瞬時に判断するわけだが、これが最近は外れることが多い。もちろん「年上だと思っていたのに実は年下」というパターンがほとんどで、逆はほとんどない。テレビを観ていても、芸能人はそれなりにおカネを掛けるから参考外だが、それ以外の著名人や有識者、あるいは何らかの事情でテレビに映る市井の方々の名前が、年齢とともにテロップに出た瞬間、「えぇっ!?」と言葉を失うこともしばしばだ。もっとも目にした人がたまたま「老け顔」だったということもあるが、歳とともにその割合は高くなってくる。「オレはこの人よりも年上なのか!?」という驚きは、言ってみれば「世間ではオレはこんな感じで見られているのか!?」と同じようなものだ。自分を省みない、というのはなんとも都合のいいことだが、いずれそのしっぺ返しは来よう。しかしだからといって、いわゆる「若造り」に精を出すような気はないし、時間的余裕もない。せっかく購入した白髪染めも、一回使ったきりで放ったらかしだ。かくして「年齢ナルシスト」は今日もまた、勘違いを繰り返しながら日々を送っている。
2011年05月26日
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俳優の児玉清さんがお亡くなりになった。私の大好きな俳優だったので、ここ最近の著名人の死亡報道の中では、もっとも衝撃的だった。彼のことはかつてこのブログでも、彼の著書の紹介がてら書いたことがある。彼の人柄――――もちろんテレビやラジオでしか窺い知ることは出来ないが――――が丸ごと好きで、もうそれは「ダンディ」とか「知性的」とか「暖かさ」といった、普遍的な単語の羅列では到底表わすことの出来るものではない。憧れの存在、といってしまえば月並みだが、あんな風にカッコよく歳を重ねていきたい、というのが私のささやかな目標でもあった。そして一度でいいから『アタック25』に出て、ナマの児玉さんにお会いしたい、というのが私の夢だった。しかし仮にエーゲ海クルーズをゲットしたとしても、店があるからおいそれとは出掛けられないな、と躊躇しているうちに、ついに実現すること無く終わってしまった(出ればトップを取るつもりの能天気な私.....)。今となっては悔やまれてならない。もう天国で、先立たれた娘さんに再会できただろうか?謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
2011年05月19日
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「どうしよ、これ、ええんかいな?」 「うーん、別にええんちゃう?」 「えぇ、そんなんでええの?」 「ええで、ええで」 「大丈夫やで」複数の人間が関わる仕事の場合、そのやり方を巡って、上記のような会話が交わされることは、どんな職場にでもありうると思う。恥ずかしながら当店でも無いとは言えない。たいていは今までのやり方が「面倒臭い」とか、「こっちの方が安上がり」といったちょっとした「甘~い誘い」がベースになっている。そして、得てして場がこういう空気になってくると、それに異を唱えようと思っても、なかなか言いづらかったり、言ったところでどうせ自分には関係ないから、と端からだんまりを決め込んでしまうことも多いだろう。これを防ぐには、仕事を遂行する上での理念とかルールといったものを全員で共有し、それがぶれないように全員で気を配らなければいけない。しかし現実的にそれが出来ていないことが多いようだ。どこでも「甘~い誘い」には弱い。ユッケによる食中毒死亡事故も、あの焼肉チェーンや食肉卸業者を責めるのは簡単だ。ただその手の「甘~い誘い」というのがどこにでも転がっているということは、すべての人達が今一度、認識したほうがいいのかもしれない。もっともこれが、人間の生命に関わるレベルのことかどうか、という違いはあるかもしれないが、根っこは同じかと思う。
2011年05月11日
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連休中は私もずっと仕事なので、子供たちを連れてどこかに出かける、などという世間のオトウサン並のことが出来なかった。今年もわずかに一度だけ、家族連れでラーメンを食べに出たきりで、あとは放ったらかしだ。もちろん今年に限らず毎年そうなのだが、子供たちも家の中でめいめい好きなことして過ごしている。これは連休に限った話ではないが、子供たちからどこそこに連れて行け、などというリクエストは、今までほとんど聞いたことがない。家族で行楽に行くときも、たいていは我々親が行きたくなって、企画立案するのがパターンだ。妻はともかく、わたしなどは小さい頃、常に「どこかに行きたい」少年だったので、我が子を見ているとこれがホントに自分の子なのか、と思いたくもなる。もっとも長男などは早くから野球をやっていて、休日がことごとく潰れる生活を永年送ってきているので、それが当たり前になっているのかもしれない。しかし2人のムスメはそうでもないはずだ。以前、2人に聞いたことがあった、「休みの日にどこかへ行きたいと思わない?」すると上のムスメは、「面倒臭いから家にいるのが好き」、下のムスメは「乗り物に長いこと乗るのが好きじゃない」ときた。要するに2人とも「出不精」なのだ。こんなんで本当にいいのだろうか......などと心配になるが、正反対に「出たがリ」な私から見るから、余計にそう感じるのかもしれない。それでも若いうちはヘンにこもらずに、どんどん外に出て行って欲しいとは思う。もっとも今年から下のムスメも中学に上がり、部活で日曜日が潰れることも多くなるだろうから、そうも言ってられないかもしれないが.....。
2011年05月05日
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