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日々感染者数が増えて不安が募り、この先どうなるのだろうと心配になる人も多いのだろうと思います。ここで各都府県の知事の言動が気になります。重症者の治療に関する手配は必要ですが、再度飲食店の営業自粛などを考えていると言います。そもそも一時抑えられていた感染者が再度増えた理由は何でしょうか。全ての自粛が解かれて経済を優先させたことがあります。しかし、感染を防ぐために必要な予防は皆分かっていると思います。若者然り感染した人は本当に感染を予防していたのでしょうか。メディアでも街中インタビューでようやくとりあげられ始めた、あるいは話し始めた内容は、コロナで死ぬよりも経済的に生きていけないということです。いくら我慢しても以前の生活には戻らない、本当に今の規制が必要か、それで幸せか、と考え始めていると思います。これは、店側だけでなく客も同じです。知事たちの勘違いは、要請をさらに強くすれば庶民が言うことを聞き、それが感染者の減少に繋がると考えていることです。強権を発動すれば皆が言うことを聞くと思っているのです。検査の拡充、病院の手配、看護師の待遇、感染者用ホテルの手配、給付金の手続きなど、全てがスムーズにいかないのは単純に行えない、行いたくない事情があるからです。メディアのコメンテーターは、なぜ進まないか、捗らないか、理解できないと言いますが、理由は、政府や自治体、誰が要請してもそれを受けられないだけです。平成の時代に、若者は今あるような抑圧を受ければさまざまに訴える術を持ちました。しかし、今回ばかりは流石に表立って反論することはできません。もちろん善くも悪くも昭和の時代の滅私奉公の精神はありません。我が身は自分で守らなければ立ち行かないことを感じ、自分のやりたいことをやるのだと思います。今の中高年が思っている昔と異なることは、一部のエリートを除いて誰がどんなに言おうと人に従わない、従えないことです。自分で考えたことが言動の中心で敢えて合わせるほどのことはしないのです。PCR検査を増やせばいいとよく言いますが、あえて受けない人もいます。つまり感染していてもそのままやり過ごしたい事情のある人がたくさんいるのです。今回、一方的ではない立ち行かない弱者の立場でものを考える必要がありました。コンセンサスのないままの要請という名の規制や同調圧力に対する反発、それが今の感染者数の増加だと考えるべきなのです。
2020.07.31
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新型コロナウイルスについては今までも書いてきましたが、まったく同意見の日本総合研究所・チーフエコノミストの記事があります。この記事は6月初旬のものですが、今も同じことが言えると思います。1.判断基準を感染者から死亡者に変更すること 死者数から考えて他の感染症やインフルエンザ、自殺にはまったく及ばないこと。2.指定感染症の解除 元気な感染者まですべて入院・隔離させてしまうと、 かえって院内感染を拡大させる可能性を高め、医療崩壊を招きかねない。3.国民への正しい情報提供 新型コロナのリスクだけを強調して、国民の不安を煽らないこと。心臓に発作性の持病を持っている身から言います。普段ほとんど発症していないのですが、しっかり発症すれば救急車を呼ぶことになります。ただここ2日間軽く出たので薬を飲んで治しました。それでも病院に行こうとは思いません。手術を受けるしか根治しないからです。行く時は薬を補充する時か手術の相談をする時です。自分と同じような人は高齢者にはたくさんいると思います。新型コロナウイルスにはマスクと消毒さえすれば感染しない自信がありますが、持病はいつ起こるかわかりませんから、重症になりそうな時は病院に行こうと思います。新型コロナウイルスは無症状でも隔離され軽症者も大部分が時間と共に治ります。指定感染症であるばかりに自宅療養でない場合はこの大部分の軽症者にもケアが必要です。あらゆる病気の重症者が新型コロナウイルスと優劣つけられるものではないはずです。ですから生死に関わる重症の人から優先的に手当していただければよいのです。さて、これで音楽の話にします。この20年間を見ていて自ら演奏する人が増えました。それに伴い、アマチュアをターゲットとした音楽産業が発展したのも確かです。そして音楽の内容やプロの側のスタンスすら変えてきました。ここにきて演奏のプロは立ち行かなくなってきていますが、当座を凌ぐためにリモート演奏で活動する人も増えてきました。事実、そのような動画作成に自治体から補助金が出るシステムもできました。これは今の状況がなければなかったことで、2000年頃やそれ以前にクラシック音楽演奏でリモート演奏を行ったとすれば、ブーイングに晒されていたことと思います。なぜなら、ライヴで演奏することのクオリティには遠く及ばないからです。そこで、今はリモートならではの作品が生まれたりもします。そして当座を凌ぐためにさまざまな試みも増えています。指揮者の山田和樹氏の記事には、アンサンブルの役割は、音を出すタイミングをそろえることだけではない。音に込める情感を指揮者や奏者の間で分かち合い、共有する喜びを感じる。そして、それを聴衆にも伝えていくのがアンサンブルだ。つまりリモートでの演奏は、音楽のすばらしさのうち、多くの部分をあらかじめ排除していることになる。しかし、それはやはり今ならではの特別なこととして捉えられています。ですから、実を⾔えば、パンドラの箱を開けるような、恐ろしいことをしているのではないかと⾃分でも思ったりします。やはり⽣の⾳楽にはかなわない。ですから、こういったリモート演奏の取り組みも、リアルのアンサンブルのすばらしさに改めて気づくための前向きな実験として捉えられたらよいのではないかと思っています今の事態において、新たな生活様式における工夫を称賛する風潮がありますが、例えば、レストランに行ってその場の出来たてを食することよりも、テイクアウトで食べることのほうが美味しいとは思えませんし、マスクを外して寄り添って会食することが人としての喜びなのであって、各々が2m以上離れていたりアクリル板の仕切りをされたりしたら興醒めであり、嘗ての打ち上げなどの盛り上がりは想像できません。とてもそれらが新たな日常になることには賛成できません。しかし、冒頭の記事の3.国民への正しい情報提供の中には、外出や人混みに恐怖感を抱いたりするようになった人も多いと言います。さらには60歳以上の人は重症化リスクから疎外されたり引き篭もる、そんな世の中は人としての生き方や権利を抑圧していると感じます。今の状況はいつ収束するのでしょうか。日本は海外ほどの感染や死者数を出さず、他の病気や事故には及ばないわけですが、メディアや著名な医師は海外の事例を根拠として日本の対応を批判することが多いようです。例えば、PCR検査を増やせば感染拡大を防げるとよく聞きますが、アメリカはそれでも比較にならない規模の感染者がいます。つまり意識の中に、常にアメリカやヨーロッパより劣っている日本があるのでしょう。その意識がある限り、アメリカやヨーロッパの収束まで日本の収束は考えられないことになります。昭和から引きずっていること、それは西欧コンプレックスです。クラシック音楽や現代音楽においてもそのようなものを感じます。西欧が常に先を行き、西欧が認めていないものを認めることはできない風潮です。昭和までの日本の現代音楽は日本のアイデンティティを重んじたものでした。もちろんヨーロッパから学んだ手法を用いるのですが、そこに日本の要素を入れていかに日本ブレンドにするかを考えていました。それらは日本人演奏家が共感できた現代音楽としても優れたものでした。しかし、海外ではそれほどまでに広まらずに終わってしまいました。日本でもコンクールの課題曲などとして今も演奏される曲はありますが、当時の学生や若い作曲家が崇拝していた現代音楽は、今それほど意識されなくなってしまいました。当時の批評家も推していた昭和の現代音楽にとって変わった音楽は何か?と言えば、結局海外で認められた音楽、あるいはジャンルを外れた音楽です。ただ、音楽としての新しい試みは昭和までにほぼ出尽くした感があり、個人的な拘りや特殊性が掘り下げられたとしても大きな方向としては既にあったものです。結局アジア圏では海外の著名な作曲家に認められた音楽が台頭しています。昔と変わったことは現代音楽を演奏するエキスパートの特殊奏法の技術が上がり、作品のコンセプトをより明確に表せるようになりました。また、留学する人も増え現代音楽のエキスパートは演奏家として健在です。しかし、以前にも書いたように多くの一般演奏家に現代音楽は忌み嫌われ、あえて演奏したいシロモノではないということです。ポピュラー化して何らかの要因で売れればその限りではありませんが、日本では基本的に価値を金銭的に捉え、芸術的な価値を決められない風潮があります。またどちらかと言えば、決められた枠で首尾よくお客を呼べる機能性が重視されています。しかし、芸術は程良く美しく整っているだけではなく、独自性や表現の機微を感じることにウエイトがあっていいと思います。それは料理に例えれば、出されたものが美味しいのは当然なのですが、さらにその上に何を感じるかということです。でもそうではなく、出されたものは美味しいに違いない、感謝していただこうと思っている人が多いのではないでしょうか。食の文化が上がってきたのと同じように、音楽も日常の一部ですから好き嫌いがあって当然です。昔はあったコンサートでのブーイングが、本当はもっとあっていい筈です。海外で認められているからいいに違いない、そんな尊いものを聴かせてもらってありがたいけど自分ではよくわからなかった、一生懸命演奏しているのだから少々よくなくても拍手をすべき、演奏者に感謝すべき、などという謙虚さよりも、聴衆が率直に感想を言えるほうがより人間的に思います。ただ、日本の風潮はそのような評価が出せなくなってきていることも事実です。概ねは海外のトレンドを追ってきた日本のクラシック音楽界ですが、実は日本にこそ素晴らしい演奏や音楽があると思うのです。ただ、それらに誰もが認識できるほどの人気がなく、売れてもいないのです。そろそろ西欧コンプレックスから逃れ、日本の良さを発信すべきだと思います。日本が海外よりうまくいっているのに、対処が異なるというだけで日本人同士で批判する、そんなことでは来年のオリンピックを皆で盛り上げる世論にならないと思います。まだ世界に先んじて安心安全と言える日本が、世界に先立ってオリンピックを行おうとしていることは意義があると思います。自らネガティヴな発想をせずにポジティヴに変わることこそが可能性を生むのです。
2020.07.27
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最近思うことは、新型コロナウイルス騒動の収束が感染者を減らすことではなく、国民が安心できることを言える人がいるかどうかではないかということです。世の中の多くの意見というのは先行き不安と現状批判しかありません。著名な肩書きの専門家や医師が意見を出してもほとんどがネガティブで、一般人が普通に考えても想像できることをあえて言うと不安が煽動され、日本の現状に即した現実的な対処法がないと感じています。ポジティブな意見を出すと批判の対象になると思いますが、批判に屈せず職を賭して言える人がいるかどうかです。今の状況において、もう我慢も限界にきている弱者がたくさんいます。現状を頭で理解できても、実質はもう無理なのだと思います。経済のことを言うと、人の命より経済優先かと考える人がいますが、GoToキャンペーンは瀕死の経済を救う一手であったのに、感染者数の増加に伴い水をさされた状況です。ただこの事態を予測するとかしないとかよりもギリギリだからでしょう。感染者の減少を待っていては廃業や倒産、さらに失業者が増える限界もあったと思います。多くの不安やそれを煽動する状況は限りなく目にするわけですが、弱者が潰えていく瞬間はほとんど知られてきていません。ウイルスのことはほとんどの人が情報でしか知らず実感はありません。なのに、自粛を求められ潰えなければならないのです。ポジティブな情報が少しでもあれば僅かでも我慢を続けることもできます。希望の光がまったく見えなければ我慢は短い間で限界に達します。コロナウイルスに感染するパーティーをして実際に亡くなってしまったアメリカの事件は、ウイルスを軽視したと言うよりも、情報に操られることへの反発とも思えます。本当に苦境に立たされている人には、理屈がどうあれ経済を最優先に主張する、トランプ大統領やブラジルのボルソナロ大統領の言葉に勇気付けられるのだと思います。トランプ大統領が就任直後からメディアを批判していたことは無意味ではなく、世の中が情報次第で大きく変わってしまいます。ただ、トランプ大統領は今日の様子では大統領選に備えて、新型コロナウイルスを悲観化しており、戦略を変えたかもしれません。新型コロナウイルス感染の責任を行政に問う風潮ですが、だからと言って逆らうでもなく自身の行動について国や行政に従うのは日本的です。実は、日本でも国は以前からできることを検討して明らかにしており、自らの責任で感染を防いでほしいと示していると思うのですが、残念ながら否定的に受け止められ知られていないことが多いのです。例えば、尾身茂会長の「旅行自体に問題ない」ということの説明も、GoToキャンペーンに反対する側の意見に圧倒されています。ビートたけしさんは世の中が過剰に反応していることを以前から触れ、ウイルスよりも世の中の異常さに言及することが多いように思います。当初より一貫した意見の元厚労省技官の木村もりよさんは、日本の死者数が奇跡的に少ないことを話していて、この状況から経済をまわしていくことを勧めています。「市中感染が広まっている可能性はきわめて高く、現状を考えると、3密やクラスター封じ込めは、焼け石に水です」「一般にどんな感染症も、収束への道筋は二つのみで、集団免疫を獲得すること、あるいは有効なワクチンが開発されること以外にありません。」「仮に1~2年後にワクチンが開発されても、そのとき、社会や経済はボロボロになっており、人とふれ合うという、人としての幸福も失われているでしょう。『社会不安や経済悪化にともなう死者は、新型コロナの直接の死者より多い』という指摘もあります」「とにかく避けなければいけないのは、医療崩壊。“命の選択” を現場にまかせるのは、あまりに酷です。」そして、今日待ち望んでいた記事を見つけました。高橋泰教授の論述です。今まで一貫して書いてきたことを裏付けられるものです。新型コロナウイルスがどういう性格で今までの事象から考えられた結果です。なぜ抗体検査に陽性が現れにくかったか、日本人の死者がなぜ少ないか、経済的に逼迫している、夢が壊れそうになっている人はぜひ読むべきです。「シュミレーションの結果、日本の死者は最大で3,800人、検査ではなく重症化対策を!PCR検査でどこから見ても元気な人を捕捉することには大きな問題があると考えている。30歳未満では重症化リスクは限りなくゼロに近いのに、対面授業を行わないとかスポーツをさせないというのは誤った政策だと思う。30~59歳も通常の経済活動を行ってよいはずだ。」今回学んだことは、世の中の成り立ち方や反応とは何か?この教訓で大きく変わることが望まれます。
2020.07.22
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東京都で増加する感染者数の発表に対して、「重症者が増えないのはなんでなの?」「もういい加減この数字の発表やめれば?と思うんだけど…」「指定感染症にしてるから、無症状なのに無駄にホテルに隔離されるとか、よーわからんことになっちゃうんだよな」と、ツイートしているのは堀江貴文さんです。言い方がいかにも彼っぽいのですが賛成できます。以前にも書きましたが、感染者数を0にするのは無理だと思います。ですので、数人〜数十人の感染者数の変動で一喜一憂しても、増減の比較だけで危険だとか第2波がきたとかと言う根拠は何もありません。検査数を増やした結果、感染者数が増えてきたということもあるようですが、無症状で潜伏していたり、軽症だから検査せずにそのまま治ってしまったりなど、実際は治った人も含む感染者はもっと多いのではないでしょうか。しかし、もっと多かったらどうか?と言っても現状は変わらないと思うのです。よく「何か手を打てばどうなのか」とコメンテーターや学者が言いますが、治療薬かワクチンができるまでは手の打ち用はないと思います。経済を回しても自粛を強化しても文句はいくらでもつけられます。無症状の人もいるかもしれないからマスクや消毒をするということで、それさえキッチリしていれば、あとは感染しないように気をつければいいだけです。いわゆる風邪がうつるようなことをしなければいいということで、世の中には前から風邪にはうつらないように努力している人はたくさんいると思います。風邪によくかかる免疫の弱い人や無頓着だと感染・発症しやすいかもしれません。政府の分科会の尾身茂さんは「GoToトラベル」事業で、「旅行自体が感染を起こす事はないですから。もしその事が起きていれば、もう日本中は感染者だらけですよ」と話していて、これはマスクをして話をしない車内では感染しない、新幹線や満員電車が原因にはなりにくいということを意味しています。問題は会食や接触の仕方だということです。ということは、前回にも書きましたが、コンサートでもマスクをして聴衆同士で感染することはまずないと思います。マスクを外して接近して話をすることが問題なのだと思います。新宿シアター・モリエールにおける集団感染については、普通のコンサートなどとは明らかに異なる事態があったと思われます。医療機関のボーナスについて看護師が病院に交渉しています。(船橋二和病院)経済的に逼迫する企業や業界がありますが、病院もそのひとつです。もちろん医療機関が今たいへんなのは誰もが想像するところです。しかし、だからこそ誇りを持って颯爽とやってほしいと思うのです。対価が必要なのはわかりますが、経営も苦しいでしょう。そこはあまり世の中に出さずに何とか頑張ってほしいです。(東京女子医大病院)先述の東京女子医大病院で看護師が訴えたのはまさに社会に対する不満です。「苦しんでいる人を助けたい」という一心で、コロナ病棟を担当した20代の看護師さんの話です。入院している新宿ホスト患者から『食事が足りない』『味付けが薄い』と不満が出ていました。夜勤中だった深夜2時にナースコールがなり、『お腹が空いたからカップラーメンを買ってきて』『お弁当が食べたい』『炭酸水を飲みたい』などと言われることが何度もありました。コロナ患者は自由に院内を移動できないため、紙に要望を書いてもらい、セーフティーゾーンの看護師に代理を頼んで院内にあるコンビニへ買い出しに行ってもらうことになります。病室にはお湯がないので、ナースステーションからポットにお湯を入れて病室に持っていき、防護服を着ながらカップラーメンの容器にお湯を注いでいるときは、『私は何をしているんだろう』と涙が溢れてきました。ひと昔前にこのようなことが露呈することはなかったと思います。わがままな患者がいても看護師さんから注意を受け希望はとおらなかったでしょうし、看護師さんがこの内容でここまで深刻になることがあったでしょうか。新型コロナウイルスを他の危険な病気よりも別格扱いにして不安を煽った結果、この程度でどうして入院しているのだと思っている患者と、本来医療を専門としている人が”お手伝いの人”のようになってしまう看護師を生み、まったく必然ではない医療崩壊というワードを生んでしまっているのです。ゆとり世代から今までのここ30年以上、子供や学生が世の中からとても大事にされ、子供ファースト、学生ファーストで若者の希望がとおる社会に変わったと思います。大人が子供に気を遣うと同時に、子供や学生の機嫌や人気をとる大人が増えました。手厚い教育で成果が出ている反面、昔ほど叱られたり責任を問われることが少なく、希望や価値観を否定されることなく個人を主張し夢を追うことで生きてきています。今回の自粛であったり与えられた境遇は、今まで経験してこなかったことかもしれません。他人のことを考えて自分が我慢する局面、すなわち昔で言う滅私奉公をすることは少なかったのではないでしょうか。ただ、この半年間の騒動で世の中の動きがよくわかったに違いがありません。もちろん大人の動きに従順な若者もいると思いますが、右往左往する社会を理不尽に捉えた若者がたくさんいると思います。自分の責任ではないことに我慢を強いられること、彼らにその免疫はほぼありません。免疫がないことは、大人になればなるほど歳と共に遭遇すると重症になります。それは、教育上で免疫をつくる過程をなくした社会にも問題があると思います。
2020.07.18
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特別定額給付金10万円がやっと入金確認できました。それも最近、特別定額給付金の案内というチラシが郵便受けに入れられたことがきっかけです。申請をしてから1ヶ月以上、それにも関わらず「申請はしましたか?」というような内容のチラシでした。そこには申請から2週間〜1ヶ月で入金されますと書いてありますが、入金された気配がないので専用ダイヤルに電話してみました。4日間1回ずつ電話してみましたが話し中、もしくは混み合っているという録音テープ、自分のようなクレームの電話がひっきりなしに入っているのだろうと思いました。昨日やっと電話が通じました。入金通知よりも早く入金されているというのが答えでした。早速記帳しに行くと1週間以上前に入金されていました。入金前に通知がくる話はどこかへいってしまったようです。個人的には、お金さえ振り込めば文句ないだろうという考えは好みません。何かと遅い区の対応ですが、本当に危機感があるのかどうかが問題です。自治体や請け負った会社は経済活動の自粛と関係なく生きていけるのですから、一時的に人員を増やしてでもやる気さえ起こせば迅速に対処できると思います。ただ国から言われたことを下請けでやっているように感じます。たかが10万円ですがそれで救われる人もいるはずです。問題は他の税金請求は例年どおり来るのに給付金は遅いことです。GoToキャンペーンと感染自粛は別物です。自粛を長引かせれば廃業や倒産するホテル・旅館が出るのは免れません。GoToキャンペーンは少しでも廃業や倒産を防ぎ雇用を守るためのもので、感染を防ぐためのものではありません。GoToキャンペーンに対してクレームをつけるホテル・旅館があるのであれば、それは旅行者を受け入れなければいいだけではないでしょうか。国や自治体の責任にせず、本当にウイルスが怖ければ休業すればいいだけです。さまざまな予想で新型コロナウイルス対策のマイナス面が目立って報道されるわけですが、例えばマスクの着用の義務化が少し緩んできている理由は熱中症にあります。熱中症は夏場だけの病気ですが、死者数は新型コロナウイルスよりも多いのです。そう考えると、熱中症にかからないために夏日や猛暑日は外出自粛とか、交通事故を減らすために免許取得基準をより厳しくするとか、特殊詐欺をどう捕まえるかを考えた方がより世の中のためなのです。新型コロナウイルスへの自粛要請に強制力はありません。人権や自由が優先されるためで、国や知事が絶対正しいと断定できないからです。例えば、ブラジル大統領が経済を優先して避難を浴びています。しかし、あくまで印象ですが留学時に会ったブラジル人の印象は、日本人とは真逆な気質だとつくづく感じたことがありました。それは偏見でどの国にもいろいろな気質の人がいるのはわかりますが、ブラジル人に日本人が想像するような自粛が可能なのか、貧困層の人に経済的な自粛を課すとどうなるのか、治安が悪化しないのか、動乱やクーデターなどがないのか、条件は国によって異なるとも思え、直ちにダメだと評価できるものではないと考えています。スウェーデンも同じことが言えます。スウェーデンから考えれば日本は重症化率と死者数は圧倒的に低く、新型コロナウイルスはもはや単なる風邪のひとつと言えます。基礎疾患がある場合の重症化は軽視できるものではありませんが、風邪の症状が出た時は対処療法で治ってしまうのであり、無症状の場合も含めて感染者全員を相手に面倒を見ていては、そのあり方自体が医療崩壊を喚起させるものではないでしょうか。話を戻します。特別定額給付金の支給がなぜ遅いのか、チェックが厳しくミスをしないようにしていることも考えられます。日本では政府や自治体が少しでもミスをすればメディアの指摘に合います。しかし、こんな時にたかだか10万円の支給ミスをしたとして誰が咎めるでしょうか。もし咎めるのであれば、それは日本人だからだと思います。この緊急事態に何が重要であるのかを優先し、もしミスしたら後でフォローすればいいのです。海外の人は日本人からすれば良い意味で寛容だと思います。政府と知事で見解が異なり、ミスリードの多いメディアなどを考え合わせると、国民の認識も皆異なって当然で、人それぞれさまざまな考えで行動します。そう考えると公表されている感染者数と陽性率はまだまだ低いと思います。日本において感染者と出会う確率、さらに濃厚接触する確率、さらに感染する確率、そして発症する確率まで考えると限りなく低いのです。それにも関わらず皆が感染しているかもしれないという想定から、他にうつさないために自粛をするという発想は理解しがたいです。自分が感染しているかもしれないという発想は、一見他の人への美しい思いやりを感じさせますが、実際にはさまざまなことが元に戻れなくなる足枷となり、永遠に不安が解消されなくなる洗脳を受けてしまいます。日本の世の中には保険や保証、検査が海外に比べてたくさんあります。先々の不安を解消するビジネスに乗っているわけですが、慣れるとこれらがないと逆に不安になる意識が植え付けられます。例えば、PCR検査が普及して課された時に、無症状の人に陽性が出た場合にでも立ちどころにその人はその隔離される、そんなリスクが生まれたら演劇やコンサートは成り立たなくなるのではないでしょうか。反面、日本人は「いつか収まる」という楽観的な希望を持ちながら同調圧力に弱く、自らの意思で声をあげる人が非国民のように抹消されやすいのも事実だと思います。例えば、消費税が上がったりレジ袋有料化などに反対していたとしても、いざ実施されると、商品価格に如実に反映させたり、こぞって皆が採用するのも日本的です。ヨーロッパ諸外国の消費税率は日本よりもっと高かったりするわけですが、だから全ての商品が高いと感じさせるかと言えばそうではありません。GoToキャンペーンは経済的や息抜きに必要と思う人が活用すればいいわけで、感染を心配する場合は自粛すればよいのだと思います。別に全員が参加しなければならないものではありません。新型コロナウイルス騒動でどのような打撃を受けているかは人によって異なるからです。
2020.07.16
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「コロナが落ち着いたらぜひやりましょう」そんなやりとりが増えているのかと思いますが、「コロナが落ち着く」「収束する」というのはどういう状態でしょうか。以前と認識が変わったとすれば、少なくとも感染者数が0人になるということではなく、感染者数ではない提言が欲しいところです。世の中には経済を戻しても戻さなくてもさまざまな人がいて、言われたとおりのことを行わない、行えないということは歴然です。海外では感染のリスクがあってもマスクをしない人がたくさんいますが、これは理不尽などではなく感染以外に価値を見出し自由を主張していると受け取れます。自粛状況下でも経済的に満たされている人と、不自由になった人で考え方が大きく分かれるようです。京大の宮沢孝幸氏がマスクをしていればソーシャルディスタンスの必要性はない、 という意見を出しましたが、多くの人は反発しているようです。例えば、コンサートホールで満席になった場合に開場時の状況は3密状態になります。そして、冬場は風邪やインフルエンザ、ノロウイルスを持った人が出ることもあります。これまではほとんどの人がマスクをしていなかったわけですが、それでも観客同士、スタッフが感染するということは経験上ありません。宮沢氏の発言でマスクをしなくてもいいのか、ソーシャルディスタンスを取らなくてもいいのか、そのあたりの表現が伝わる度にやや変わっているようですが、飛沫を浴びない限り大丈夫という真意は伝わります。また、宮沢氏は西浦博・北大教授が出した、「海外から1日10人感染者が入国すると99%の確率で大規模な流行が起こる」という試算に対して、「もともと感染者がいる日本に対して、なぜその理論が出せるのか面白い」と反論しています。確かにこの記事が出た6月初旬は感染者数が減りかけていましたが、今ではすでに国内で日々数百人ずつ感染者が出ている中でなぜ海外からに拘るのか疑問です。「他の人に感染させないため」にもとるソーシャルディスタンスなどですが、「自分が感染しているかもしれない」という仮定が本当に必要でしょうか。これが思いやりだというのであれば、当然家族ですら近寄れないことになります。老人ホームや病院では接触できないとしても家の中でそれはないでしょう。今の状況を続けることが「新しい生活様式」と設定することは無理があると思います。メディア上は街中でソーシャルディスタンスを取っているように報道されていますが、日本は欧米に比べて屋内が狭いうえ人口密度が高く、密集する確率がかなり高いのは事実です。それでも日本では海外よりも感染者数や重症化率がまったく低いのです。また、日本でも表向きはソーシャルディスタンスを取っているように見えても、実情は狭い空間でマスクを外して飲食しているシーンは多いのではないでしょうか。また、以前にも書きましたが、人々が怖いのは感染症そのものではなく感染した事実であり、職場や人との関わりで公表することだと思います。これはCOCOA(接触確認アプリ)の感染者の登録数にも表れていると思います。昨日までで648万人が登録したものの感染者は3人しか登録していないと聞きました。これでは、アプリから接触したという結果は永久に出ないどころか、本当は感染者と接触していてもその人がアプリの登録をしていないため誤認が出ます。このようなアプリが浸透しない理由は、メディアの締めつけ報道と現実には温度差があるためです。日々数百人の感染者が見つかっているにも関わらず、現在東京で重症者は5人です。重症化が避けられないのは風邪やインフルエンザ、他の感染症も同じことです。最近言われ出した空気感染については、現実を見ればもはや大きな問題ではなく、医療が逼迫しなければ「新しい生活様式」や自粛をしてもしなくても充分やっていけます。それよりも、「新しい生活様式」や自粛は、人や仕事、文化など、さまざまな大事なものを失うことになります。ここで書いてきたことは、この半年間変わっていません。「コロナが落ち着いたら」の時期は人それぞれ異なります。過度に怖がっているとその人にとって収束は永久にないのかもしれません。収束は徐々に自分で判断することになるのではないでしょうか。尤も、誘いを断る理由としての「コロナが落ち着いたらね」はとても旬な言葉ですが。
2020.07.12
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ジャック・イベールの作品について考えることを書きます。イベールはフランス6人組と同世代の作曲家でしたが、1920年頃は新しい無調の音楽が席巻し特にパリでは当時の前衛的な音楽が初演されていました。その中にあって、イベールの音楽はフランスの流れを汲む新古典主義的作風でした。それは時に十二音技法や無調音楽を風刺するような洒脱がありました。イベールは第一次世界大戦中に海軍士官として地中海を航行し、さまざまな異国情緒が作品中に採り入れられており当時の前衛とは無縁の保守的な作風でした。しかし、6人組のように一定の作風で作曲するというよりは、さまざまな作曲家を想わせ何が飛び出してくるかわからない面白さがあったと想われます。その多様式性がフランス6人組と同世代であって一線を画していました。その意味では、プーランクやミヨーよりも少し庶民的な作風と言えますが、親しみやすい旋律やウイットに富んだ展開は同種と言えます。交響組曲「寄港地」(1922)がオーケストラの代表作で、オーケストラ曲はその後の曲もロマン派的で保守的ですが、他に演奏者にとってなくてはならない押しも押されぬレパートリーを生んでいるのも特徴です。木管五重奏のための三つの小品(1930)はフランスの気品とウイットを持ち、フルート、ヴァイオリンとハープのための二つの間奏曲(1946)は、他の編成でもよく取り上げられ、叙情性豊かで気品の感じられる親しみやすさがよく、独奏ピアノのための「物語」(1917)はフランスのエスプリを感じさせ、印象主義的な表情やリリシズムが簡素な表現の中に漲っています。また、現代音楽的な緊張感で導入したのちに一転して旋法的な叙情を効果的にアピールする曲、混沌や厳粛な面持ちから一転して旋律美を誇るテーマが現れる手法はイベールならではです。独奏フルートのための小品(1936)は、冒頭15小節はメシアンの第2旋法からなり、16小節からDes-durの構成音からなる旋法によるテーマが現れます。アルトサクソフォーンとオーケストラのための室内小協奏曲においても、冒頭8小節と9小節からのテーマは急に様式を変えています。これらの作曲法は当時の美学や理論からは離れたものだったと思われますが、演奏者によって認められたレパートリーとして広まったと考えられます。大学で学ぶような音楽美学、音楽理論が実際に演奏されている音楽と乖離する要因として、その曲や時代それぞれの事情で変わるわけですが、曲としての完成度が保たれれば作曲家が作曲の優劣を決める必要があるのかどうか、かつての評論家は今や広報として機能し、それが作曲の本質的なことに関わるのか、そのような事情について考えさせられる日々です。
2020.07.04
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