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新型コロナウイルスの感染者数が全国的に増えて、GoToトラベルをなぜ続けるのか、このままだと医療崩壊が起こると言われています。以前にも書きましたが、感染拡大を防ぐためにマスクをして消毒すること、それは理に適った協力であり同調圧力と共に殆どの人が従っています。しかし、このウイルスに感染することがどのように怖いかは人によって異なります。職場でのポジションが問われたり、風評による被害を警戒するのではないでしょうか。感染すること自体はその人が悪いわけではないといくら言っても、旅行や会食を良しとしない論調が多い中、それで感染した時は責められないでしょうか。感染者の濃厚接触者になった人はどう思うのか、また、知人から感染したことがわかった場合は関係がこじれることも考えられます。そんな中、GoToトラベルやイートがそれなりの結果を出せていることは、そこに民意があって旅行や会食をしたい人はたくさんいることを表しています。感染したら数時間で死に至るとか、顔などに症状が現れるとか、一生機能不全に陥るとか、そんな危険な感染症であれば誰も旅行も会食もしないはずです。自由が優先される人間的な生き方をやめて全て感染対策に合わせろと言うのは無理です。何を優先するかは各々が考えればよいことです。怖いと思えば外出を自粛すればよいのです。営業自粛を迫られる業種のことを考えると、まず自粛を迫るメディアが休業したらいいのです。医療崩壊とは重症者の行き場が本当になくなった時に言う言葉だと思います。医療関係のトップは立場上「医療が逼迫している」と言うしかないのです。医療従事者を労うための「医療はこんなにがんばっている」「たいへんだ」アピールは、メディアに出ればそうとしか言えないでしょう。また医師や看護師の立場も同様で、自分の病院では「徐々に逼迫してきている」でしょうが、本当に重症患者を受け入れられなくなったら受け入れられる他の病院に移送されるはずです。重症者が増えると受け入れる病院を増やしたり、またその逆を行う調整がもっとも難しく、それを統括している方こそが医療の采配の鍵を握っていると思われます。問題は感染患者を受け入れると病院の経営が悪化するなどと公言され、普通の肺炎患者なら受け入れてもコロナ患者は受けない病院もたくさんあると思われます。また、院内感染が出たら公表されたりして病院としていいことがありません。それにしても風邪症状、熱のある人を普通に内科が受け付けない事態は前代未聞です。8月にも2週間後には医療崩壊があると騒がれていました。その時に書かれた「新型コロナウイルスは集団ヒステリー」に過ぎないと言う記事があります。感染者数も重症者数も今よりも全然少なかった頃ですが、それでも医療崩壊が囁かれました。医療従事者を労い、政府を攻撃するために医療崩壊については常に取り沙汰されています。感染を抑えることが何よりも優先と言っても、それと同時に破綻もきたしています。教育をリモートでできればそんな簡単なことはないし、そもそも限界があります。リモートで伸びるのはごく一部の優秀な生徒や学生だけです。リモートでも授業ができるとか言っている輩は教育者としての資質が欠けています。ですから、当然のこと学校をやめてしまう学生も多いわけです。少なくとも日本において、ここまでになるほどの感染症でしょうか。感染症がここまで具体的に報じられるようになったことは今までありません。感染したくないことはわかりますが、感染以外の多くの犠牲があることは否めません。
2020.11.30
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検査結果の診察を受けるために病院に行ってきました。血管関係、腎機能などがギリギリアウトということであまり変わりませんでした。心臓が少し肥大したようなのですが、この3ヶ月は発作も出ず安定しています。院長先生の診察でしたが、不安になることもなく和めて帰ってきました。近所の病院はいろいろ行きましたが、印象はそれぞれまったく異なります。循環器科の先生もいらっしゃるこの病院にたどり着けて本当によかったです。子供の頃に経験している優しいお医者さんの印象が、中高年になってもそう思えるお医者さんと出会えたらそれは幸せなことです。コロナ禍の前は高齢者の方がたくさん待っているような病院がいい病院だと思っていました。昨日は17時半頃に行ったところ来院者がほとんどいませんでした。病院の感染対策は9月に行った時よりも厳重になっていて、まず問診と検温がありました。写真にあるように、かぜ症状や発熱がある人は電話をしなければなりません。高齢者の方が身体の具合が悪くていらっしゃるのは仕方のないことですが、今のような不安の多い世の中で本当に自分の味方と思えるのはお医者さんだけかもしれません。お年寄りにとって何をするにもコミュニケーションが難しかったり、下手をすれば騙されたりと、ひと昔前にこんなことはなかったような生きづらさがあります。検査の結果がよかったわけでもないのですが、お話をしただけで心が晴れました。ストレスがなくなってよく眠れました。お医者さんはすごいです!
2020.11.25
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新型コロナウイルスについて、「自粛警察」というワードが賑わいましたが、それはテレビがいろいろな所の混雑ぶりを自粛警察として報道するためです。混雑することは経済を支えるためには止むを得ない部分があります。GoToトラベルによって救われた人はとても多いと思います。各地の感染者数が増えたことは、GoToトラベルが原因である証拠はありません。感染拡大について誰かに責任を取らせると考えるとGoToトラベルになるのでしょう。例えばテレビ朝日はGoToトラベルを今後どうするのかということを中心に報道していますが、それを言うなら制作している映画「ドラえもん」の上映についても延期するべきだと思います。また国と知事がGoToトラベルの責任をなすりつけあっていると言われていますが、そんなことはなく、考え方を県に委ねる国の見解は正しいと考えます。国はそもそもウイルスへの認識自体がメディアとは違っていると思います。群馬県の山本一太知事はGoToトラベルを支持しています。『メディアに追い込まれた人は「自粛警察」になっていた』という、6月に書かれた医師の記事があるのですが、ほぼ自分の考えていることと今も一致します。当時は緊急事態宣言が終わり感染者が一時的に減っていた時ですが今も納得できます。陽性者数は未知数としても重症率で考えると欧米とは完全に状況が異なる日本では、備えるのであれば新型コロナウイルスよりも他の成人病などに備えたほうがいいのです。また、医療関係の方に配慮したり感謝することは大事なことだと思いますが、テレビでよく言われる「医療崩壊」は医療が逼迫するような総称ですが意味が曖昧です。この記事に書いてあるように日本において病床数より多い重症者が一病院に溢れることはなく、一斉に病院全体が逼迫している状況にあるわけでもありません。メディアに登場する医療関係者はあくまで自身の印象と不安な心境を話していると思われます。憶測で今後のネガティヴな想定をして、今のままでは崩壊すると言うことは簡単です。しかし、他の重篤な病気の入院や手術を遅らせてまでも新型コロナウイルスに備えたり、これから感染者が増えることを想定しても、ただ待機するわけにもいかないのが道理で、いかに病床や人員を他の病気との関連で無駄なく配置していくかが重要なのだと思います。それを采配する人は当然よく考えていて、周りが医療崩壊だのと騒ぐのはまだおこがましいです。テレビでようやく経済的に逼迫している人を配慮する言及も見かけるようになりました。しかし、一局面を見て好感度に繋げることを言っているように思えることもあります。社会として医療従事者に配慮したり感謝することは大事なことですし、病床や人が足りなくならないようにしてもらうのは切なる願いです。反面、自粛したり少しの規制でも経済における多大の被害を被る人が多くいるのも事実です。また、人々は医療従事者のために生きているわけではありません。経済を優先すること、生きるうえでの移動や旅がしたいかは各々自由なのです。一方で医療従事者もどうしても怖ければ新型コロナウイルス治療から逃げるのも自由だと思います。確率的には極めて少ないですが、感染して重症化した時に治る保証はそもそもありません。ただ他にもそんな怖い病気はたくさんあって、いつ予防して備えるかは本人に委ねられています。もっとも大切なのは、人それぞれの自由の部分が担保される社会であることだと思います。テレビ朝日アナウンサーの小松靖氏が、出演者やコメンテーターの発言に違和感があれば、すかさず補足やツッコミを入れるスタイルであることが書かれた記事「反権力がジャーナリズムなのか」テレ朝屈指の"忖度しない"アナウンサーが切り込むがあります。自分としては現状はジャーナリズムこそが世の中を全て仕切ろうとしているように見えます。
2020.11.24
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少し前までは音楽関係以外の若者と知り合うことはまずなかったのですが、最近は音楽関係以外でもよく言葉を交わすようになりました。教員とはサービスを提供する役で、自分のような者は学生からすれば使用人だったかなと。ですが、そこから離れると一般的な若者の姿がわかります。例えば、最近はスーパーマーケットをはしごしたりすることがよくあります。必ず通るレジでも何度か行くといろいろなことがわかります。お客対応についてのマニュアル、その人のスキル、気質、店側の指導がどの程度かなど。これは自分の人生の多くが教える職業であったから考えてしまうことかもしれません。レジ担当は大雑把に言えば、若者のほうが完全にクオリティは高いようです。バーコードリーダーの扱い、支払方法や値引きへの対応など操作の速度が違います。しかし、以前のようにレジ袋詰めや包装が仕事に残っていれば熟練が必要かもしれません。汁気のものを入れるビニール袋詰めや瓶の包装などは店によって対応が異なります。余裕があれば丁寧にやってくれるし、言わなければ一切行わない人もいます。店の指導とレジ担当者の意識の差が出るかもしれません。それでも、家庭的で気が利く若者は中高年よりも高いクオリティだと思います。ただここでいう若者の「気が利く」は仕事の一環として備えているスキルであって、中高年の考える性格として気が利くできた人とは必ずしも限らないのが特徴です。つまり、状況と相手によって気を利かせるかどうかを使い分けることもあるのです。昔、自分が若かった頃は年上や先生に気を利かせるのは当たり前で、はっきりおっしゃる先生の前では何をやっても「気が利かないねぇ」とよく言われたものでした。しかし、今はどのような関係であっても「気が利かない」などと相手に言うのはNGで、ただ自分には「気を遣わない」というだけかもしれません。仕事上は素晴らしいスキルを発揮するプロ意識の高い若者はたくさんいて、何度か行くお店ではレジでどこに並ぶか選ぶことも多くなります。若者が昔と違うことは自分の任務は全うしますが、それ以外のことは感情的に動かないことです。例えば、クレームや不測の事態が起きても悪びれることなく担当者や上司に取り次ぎます。昔であればまずお客に謝っていたようなことでもそれはなく責任は負いません。これは理解できない中高年もいるかもしれませんが、欧米化と時代が進んだ結果だと思います。さて、上記の話とは変わって、いつもしているお返しとしてお菓子をいただきました。渋谷にできたお店のキャラメルケーキでとても美味しく気が利いていると思いました。これを持ってきてくれた方も頭の回転が早くセンスもよく、与えられている任務や思いを完全燃焼させるタイプの若者です。さて、また話は変わって、昨日がボージョレ・ヌーヴォーの解禁日でした。最近は気が滅入っていたので景気付けに買いました。何と一緒に飲もうか思索中です!
2020.11.20
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新型コロナウイルスについては、感染者数が過去最多ということですが、最近メディアによってようやく感染者数のことを陽性者数と言うようになりました。ここには検査数の増加と無症状で感染させるリスクを持たない陽性者が多いことを意味し、暴露はしても無症状で回復しつつある人も微量で陽性になることが含まれると思います。小池知事は1,000人/日の陽性者を想定しているとのことです。フランスに住んだ時に、口では「自由」と言っても実際はこういうことかと実感しました。自由・平等・博愛の精神は戦争から学んだ美学とも言える精神性です。しかし、今は比較的平和な時代が続いたために、その精神が忘れられ始めたのではないかと感じています。人はいつも争い戦争などの有事に発展する可能性がありますが極力避けてきたはずです。そして、世界には死とも隣り合わせのさまざまな環境があります。新型コロナウイルスによって亡くなる方もいるので危険でないわけではありませんが、経済を封鎖するということは多くの人にとっては戦争に匹敵するのではないでしょうか。計画的に人生設計を考えている人ほどリセットをかけられるリスクがあります。北海道で感染が拡大していると言われています。当初の報道では、北海道知事が北海道への移動、道内の移動を自粛するよう要請をし、国はGoToトラベルから外す予定はないと発したことと矛盾しているように受け取れましたが、記者会見をよく聴くと北海道知事は不要不急の移動はできるだけ避けた方がいいとの要請で、旅行を避けて欲しいと言う意味でもなく、人それぞれの認識で判断していいとのことでした。前にも書きましたが、人が移動をしたから感染が広がるわけではなく意識の問題です。「行っていいのか悪いのかはっきりして欲しい」と行政に指導や判断を求めることは、自由を奪われてもいいとことになり、不要不急で旅行する人はそれでもいいかもしれませんが、さまざまな理由で今移動したい人を支えるためのGoToキャンペーンと捉えらることもできます。立場を守りたい、感染したくないだけの意識だけで捉えるのはよくないと感じます。日本とは対照的に政府の政策が国民の多くに支持されているのがスウェーデンです。経済は一切止めず、マスクもせず自発性と自由を重んじてきましたが、このところ感染者数が増えてきたことから日本でも批判され始めました。世界にはこのように考える国もあるわけで、日本における価値観をは明らかに異なります。
2020.11.19
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大学生の頃、近現代音楽の楽譜を買っては分析する趣味がありました。また、大学院生の副論文指導をしていた時、自分にいつも課せられたことは楽曲分析でした。その曲の文献がない近現代曲を楽譜から読み起こすわけです。まず、どんな様式でどんな手法で作られているかと、つまり言語の判断から入ることもあります。しかも一言一句外したことを書けないため、かなり苦労したことを憶えています。そのお陰で分析することは好きになり、この2年間は世の中の分析をしていました(笑)このところ顕著なのは、世の中には自分の思いのままに変えたい、言うことを聞かせたい、と考えている力を裏から発揮している人の存在を感じることです。政府にはことごとく批判的で、日本政府とトランプ大統領はその勢力と戦っていると言えます。コロナ禍以前の世の中で変わったほうがいい事は確かにあって、変わることがNGではありません。しかし、これまでブログに書いてきたとおり、今は格差が広がり犠牲が大き過ぎます。ここで言う犠牲は新型コロナウイルス感染者ではなくやりたいことを閉ざされた人たちです。例年に比べて自殺者が爆発的に増えているわけではありませんが、今の若者の死因第一位は自殺だそうです。若者世代を中心に自己顕示欲による承認欲求をSNSで発信することが慣例化していますが、純粋に宣伝とこれとは別物として発信すべきと考えています。自己顕示を訴えることは平均して皆が同調できるようなタイミングでは有効ですが、今のように多くの人が困窮している世相では素直に不満を発信すべきです。SNSは自慢や承認欲求をアピールする場ではなく、困窮している人が助けを求めたり、それに手を差し伸べたり、また弱者が同じ考えの人と繋がるために使うことが有効かと考えます。しかし、声をあげようにもあげにくいコミュニティができてしまっていることも多いようです。今は特に人と会ったり話したりしにくく、ひとりで悩まなければならない事態です。ひと昔前であれば出勤、出校しなくても成り立つ世の中を皆が喜んだかもしれませんが、今はそれで人生が開けると思える人はそんなにたくさんいないと思っています。夢を持っても変更を余儀なくされる、叶わない世の中をいきなり見せられていないでしょうか。日本の世の中ではおかしなことをおかしいと表立って言う人はとても少ないです。それがわかっていても同調圧力に屈したり、合わせることを正当と考えるために、海外に比べてマスク着用率の高いことなどが挙げられると思うのですが、根っからウイルスを怖いと感じている人はそれほど多くないために、GoToキャンペーンは盛りあがっていると考えられます。会食であればマスクを外すのは当然で、本当に怖ければ会食はできません。ひと昔前まではインフルエンザ感染者が数人以上で学級閉鎖するシステムがありましたが、今はそもそも皆で学級閉鎖をしているのに似た状態にあります。マスクや消毒の厳守を訴えるお店も、感染そのものに神経質なのではなく、店員に感染者が出ると隔離措置などで店が立ち行かなくなるためです。しかし、そのために「人を見たら感染者ではないか」と懐疑的なのは悲しい現実です。また、新型コロナウイルスで感染者数と言っているのは陽性者数であって、これを指標として数十人増えた、減ったと言われても生活そのものを変えるには無理があります。それでも、感染リスクを推し量る日々の情報として不安になる強迫観念を持たせます。人々にとって本当に知りたいことは陽性者数ではなく、重症化率なのではないでしょうか。決して感染を軽視するわけではありません。可能性ややる気を引き出すことが教育だとする自分の考えからすれば、今こそ国民の人々を「褒めて伸ばす」必要があるのだと思います。しかし、それよりも世の中を従わせることに熱心な人がいるのではないでしょうか。米大統領選の話題は日本でも持ちきりでしたが、トランプ氏はことさら酷く言われています。本来外国の選挙について批判するべきではありませんが、日本のメディアは米国メディアを後方支援していたと感じられます。いつか逆に日本の総裁選や議員選挙で海外メディアから日本人議員が批判されたら、一般的な日本人はしっかりした意志を表明できるのか不安になります。自粛による巣籠もり需要でメルカリやフリーマーケットで家の物を処分し、登録者や出品が増えていると言われています。しかし、それよりも転売目的の人が増えたこと、訪問や店舗を構える転売業者もインターネットで売ることに効率を見出していることが要因で、経済的に逼迫している人は本当に増えていると考えられます。物事には裏があり、表向きは正当性を持たせてあったり当然のごとく慣例化されていたりします。おかしなことにはおかしいのではないかと言わなければ欺かれる世の中なのだと思います。
2020.11.16
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今年の始め頃に現代音楽研究の第一人者である音楽学の先生にお会いしました。お話を聴くつもりでお会いしましたが一献交えることとなりました。ウイスキーがお好きだということで持参しましたが、行ったら既に潤沢なお酒がありました(笑)これまで呑む時にあえて音楽をかけることはほとんどありませんでした。わざとかもしれませんが、ずっとBGM的に音楽をかけられたのです。曲目はSPレコードを復刻したモノラル録音でフランクのピアノ五重奏曲、ショーソンのヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏のための協奏曲などでした。酒の肴に現代音楽ということはあまり考えられませんが、本当はどんな曲がお好きなのかがよくわかました。演奏が1950-60代の往年のヴァイオリニストやピアニストのものであること、フランスの室内楽であったことなどとても新鮮に感じました。その昔は録音物自体が多くなく、曲の内容は楽譜から紐解くことが当たり前だったと考えられます。聴衆も演奏される曲を日頃から録音物で聴くことはなく、楽譜どおりであるかどうかがわかる人は少なかったと想像できます。演奏者の個性と共に新鮮さ溢れる表現で常にセンセーショナルな感動があったでしょう。しかし、年月と共に録音物を聴いて曲のイメージが予め刷り込まれることが前提になりました。曲のイメージは初めて聴いた演奏のイメージが最も大きくその後の印象に関わります。聴衆は曲目によってコンサートに行くかどうかを決めることは多いと思います。演奏者は憧れている演奏家が採り上げたことや既に知っている人が多いことが選曲の根拠です。演奏者の満足感とお客をたくさん呼びたいということが理由になります。また、音楽に関わる人口が増えたこともありますが、何の分野でもオーディションかコンクールで決める風潮になりました。この方法は安定した力のある逸材を永く育てるうえではいい方法とは言えません。ミスをしない安定性が求められると同時に、職人的で無難な演奏が求められやすく、最近は特に審査する側の意見が分かれないような選曲と非個性的な演奏が推奨されます。オーディションやコンクールはミスが明らかに出るような場合は減点法ですが、力が拮抗している場合でも演奏スタンスや曲へのアプローチによって採点がよく割れます。審査する側が相対評価をするか絶対評価をするかでも大きな点の差に繋がることが多く、演奏自体はそれほど悪くないのに採点者によっては点差が開くことは意外に多いです。オーディションによっては曲へのアプローチとしては時間制限や条件、編成に合わせて音を減らしたり、小節をカットすることは普通に行われるようになりました。クラシックでは時間制限などで演奏する箇所を指定する試験はありましたが、今は選曲の幅が広がってしまい、審査する側が演奏されている曲を知らないこともあります。つまり、音を省略されたり小節がカットされても審査側が気がつかないことがあります。作曲している側から言えば省略やカットは曲を大きく損ねられていることになります。作曲は和声学と対位法的見地を伴った調性や形式を緻密に考えた構造物ですから、完成度の高い楽曲ほど音の省略や部分のカット、楽器の変更は論外となりますが、吹奏楽や電子オルガンにおいては旧知の楽曲ではなくあまり知られていない曲の開拓と共に、曲の中で聴き映えのする部分を抜粋して聴き手を驚かせることで競われるようになりました。知られていない曲の再評価のきっかけにはなりますが、あくまで勝ち抜くための手段であり、既知の曲では名演が皆の意識に刷り込まれているため、それを避けるためと言えます。半端な抜粋やカットではなく、完全に別物に変えれば編曲として成り立ちます。最近は、クラシック音楽をジャンルを変えてリメイクされることも増えました。ただしその芸術的エッセンスも損なわれることがよくあります。調性的で旋律が断片的にでも存在する音楽は和声感覚だけでは名曲にならず、必ず対位法的要素が和声の中に意識されなければ質が上がらないと考えています。旋律に対してバスのラインが残っていれば、有名な曲は記憶によって原曲の良さを認識します。しかし、バスのラインを変えてしまったり、対位法的要素を減らすと質は変わってきます。例えば、一般的に人気の高いラフマニノフやレスピーギの曲は対位法的に凝っていることが多く、かなり混みいった声部進行を見せますが、それを特異な編成に編曲されていることがあります。近代音楽では単音を1オクターヴのユニゾンにしたり、2オクターヴのユニゾンを1オクターヴにしたりするだけで音色や意図が変わるわけで、楽器編成の音域の都合によるフレーズの省略や変更、フレーズの交錯や上下の逆転はNGです。ラフマニノフの交響曲第2番の第3楽章は人気の高い曲ですが、とても混みいったテクスチュアと精緻な和声進行が相俟って存在感を高めています。またレスピーギのローマ3部作は広音域の分厚いオーケストレーションが信条です。原曲のイメージがあってこそ成立する編曲や、演奏のカッコよさを共有するだけのための選曲、残念ながらそれらは曲が本来持っている要素を犠牲にしていることが多いようです。食に例えれば、何時間も手間をかけて作られたラーメン屋さんの味を、簡略化したインスタントラーメンで再現してそれを美味しいものとして満足することです。あたかも今のコロナ禍において格差が広がる中、人同士の接触をテレワークに変えること、本来の食の楽しみや旅行の楽しみに規制を受けることで代替することと似ている気がしています。真似ではなく、雰囲気を味わうだけではなく、人の奥底に直接触れられる瞬間を求めた時、それが数多ある今の録音物ではなく、今だに往年の演奏に機知を見出す人はたくさんいます。作品に込める思いは深く、そこに何を見出すかを演奏者は全身全霊で表現すべきで、その念いこそが真の芸術として聴きたいところなのです。
2020.11.14
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米大統領選の予想をすることは日本への影響を考えると大きなことです。日本のテレビで見る限り都知事選よりもはるかにヒートアップしています。これまで国内で聞こえてきたのは予想していると言うよりもトランプ大統領批判ですが、1〜2日前からは結果が微妙だということでやや中立的になりました。功績や当選後の予想を比較すればどちらに投票するべきかは自ずと答えは出そうなものですが、どちらが優勢かという票読みが中心で、それを日本で予想しているのは不思議です。結局、日本のメディアはトランプ大統領を人として好きではないのかもしれませんが、日本国民においては今後の日本の経済や国交についてどうなるかに尽きると思います。SNSでは批判の反動としてトランプ大統領擁護の意見も多いようです。功績の例として挙げられているものを見ると、誤解されていることもあるようです。・黒人達の失業率を過去最低に ・児童誘拐組織を潰し子供救出 ・他国とは一切戦争をしてない ・黒人受刑者更正に巨額の予算 ・拉致被害者家族に激励の手紙 ・給料は全て教育機関等に寄付 ・中東和平、国交正常化に功績 ・黒人300万人雇用創出計画文化や習慣が異なるうえに身近に知ることができない米大統領選のことを、印象と日本の価値観で推し量ってもただの悪口にしかなりません。それでもアメリカから見れば日本はバイデン氏を応援していると思うかもしれません。政治家は他の意見を退けて考え方を主張することに長けているプロなのであり、表面的なことだけで人気投票のようにしてしまうのはおかしいと思います。トランプ大統領が就任当初からメディアを敵としていました。膨大な批判に対抗するのがSNSによる発信なのだろうと思われます。それがまた解釈や言葉遣いで批判されるという状況ですが、政治は結果が問われるのであってこれは揺るぎないことです。トランプ大統領について誤解されていることが多いと書かれている記事もあります。新型コロナウイルスの流行を防げるかどうかは政府の問題ではなく個人の問題です。どんなに優秀な国家元首がいても必ず封じ込められるなどとは言えません。例えば米国においてマスクや消毒、ソーシャルディスタンスをどれだけ勧めても、会社などの組織が立場上実践しても個人的には皆が言うことを聞くとは思えないからです。実際に弱者や貧困な人はテレワークができるような仕事には就いていません。無症状なことが多い感染症のために経済的破綻をするわけにはいきません。それはもう皆がわかっていることですから、判断は個人に委ねられます。米国のみならずヨーロッパで感染が広まるのは自由の表明の結果であり、国家元首が誰だから防げるというものではないと思います。医療崩壊についても前に書きましたが、最近はこの言葉を聞かなくなりました。以前は海外の病院の通路にも患者が溢れかえりパニックのようなテレビ映像を見ましたが、第2波と呼ばれる日本がそのような状況になることはないと考えられます。最近は厚労省情報がもっとも正確になり、感染者数とは言わず陽性者数になっています。これまでにPCR検査を受けた人は11月4日現在、240万人でこれは日本人の2%、これまでの陽性者数はそのうち4%、その中で現在入院治療が必要な人は6,500人、重傷者数は163人、死亡者数は1,780人です。注目すべきはPCR検査を実際に受けている人の7倍以上の検査能力があることです。検査数を増やしても実際に受ける人は少なく、無症状で検査する人も少ないようです。もし、これが検査のための費用が高いために受ける人が少ないのであれば、やはり経済対策を優先してよいのではないでしょうか。ほとんどの人は検査を受けるよりもお金のほうが大事だという証明です。報道ではスポーツにしろ将棋にしろ、どれだけ強いのか、偉業かを伝えることが大事です。身近なことをクローズアップして人気者にすることを優先すべきではないと思います。音楽においても音楽的内容よりも何かと人気を獲得することに動き、演奏される内容や出来映えが精査されることがほとんどありません。SNSにおいても行ったことの事実と賞賛、観客への御礼が発信されるのみです。SNSは宣伝に徹しなければすぐに本性がわかってしまうためにリスクが高いです。皆がやっているからそういうものだと過信してしまうのはたいへん危険です。SNSで自己満足や自己顕示欲を顕にすることは中高年でポストのある人ほど慎重で、自分より低い立場の人やファン層には有効かもしれませんが、立場の異なる万人に対して有益な発信を続けることはたいへん難しいと思います。トランプ大統領のツイートがよく問題になります。何でも容赦なく批判的なことを無神経に書く印象がありますが、だからと言って子供のように見境なく何でもかんでも書いているわけではありません。品位には欠けているかもしれませんが、あくまでプロパガンダの一環だと感じています。日本人は若者に理解のあるように善人ぶった宣伝をする人に慣れすぎていて、人としていい人かどうか、好きかどうかを政治家の評価と勘違いしていないでしょうか。トランプ大統領は新型コロナウイルスを決して軽視しているわけではなく、ロックダウンをして人々の自由を奪うくらいなら皆でウイルスに打ち勝とうとしているだけです。米国では日本と異なりどうしても格闘家のような力強さを見せる必要があるのでしょう。日本で言われているトランプ大統領と米国での見られ方には温度差があるのは確かだと思います。そして、大統領選で接戦になるほどの支持率があることも確かです。しかもこんなに接戦で決まること自体、日本人としては羨ましいことです。日本人が憧れているのはそんな米国なはずなのです。
2020.11.04
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