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これからの世界は本当に不安です。今の世の中がおかしいのではないかということはこれまで書いてきました。最初はウイルスの話だった、災害の話だった、詐欺の話だったはずが、すぐに利権を獲得するための誘導に話がつくられていくように思います。新型コロナウイルス関連で人以外に失うものが多過ぎます。人として生きるうえで喜びとは何か、人生の機微とは何なのか?例えば、修学旅行がテレワーク、会食よりもテイクアウト、祖父母とはオンラインで会う、それで本当にいいのか?人としての尊厳に関わる問題ではないでしょうか。しかし、SNS上では同調圧力に屈したとしても、日常的には本音を出しているはずだと思います。新型コロナウイルスは各国で事情が異なるわけで、それまでの生活習慣や気質、伝統で受け入れらることと受け入れられないことがあるのは当然です。日本のメディアはそれらを無視して日本と同様に世界を推し量ろうとしています。例えばマスクを拒否する思考についてもそうですが、日本にもそのような同調圧力に反感する兆候は見られると思うのです。9月26日にあった与論島での59人のクラスター感染ですが、地元の伝統行事「与論献奉(けんぽう)」としての回し飲みが原因のひとつとされています。一見すれば非難に価しそうな出来事でメディアがもっと取り上げてもよさそうですが、これは感染よりも自らのアイデンティティを重んじたひとつの主張にも感じられるのです。単に無頓着だったのでしょうか?そうではないと信じたいのです。マスクやソーシャルディスタンスよりも生きるうえで大切だったから行ったと。ところで「占い」というものは概して救いを与えるもので、快方に向かうにはどうすればいいかを聞くものです。だからこそ、それは例え当たらなくても許せます。しかし、逆に不安を煽っておきながら当たらないだけなら未だしも、それによって自粛や規制を受け職を失ったり自殺をするのはどうでしょうか。常に先行きの不安要素を出すことを生業とする人がいます。不安な予想を立てることによって自己の露出する機会を増やし主張するのです。しかし、当たっていないが多いにも関わらずその責任を取ることはありません。新型コロナウイルスについてのもっとも正しい予想は下記の記事になります。「日本のコロナは11月以降に消滅、第3波も来ない」説の根拠日本におけるインフルエンザの感染者数は今年数人しかいません。これは昨年比としても、冬を迎えている南半球の感染者数としても同様に激減しているのに、新型コロナウイルスとの同時流行をこれほどまでに心配する理由はどこにあるのでしょうか。インフルエンザワクチンを接種したことはありませんし、感染したこともありませんが、同時に両方感染するなどどうすればそうなるのか教えてもらいたいものです。可能性があるからと言って、あたかも皆のことを考えているかのように何でも言うのは、単に自分の利発さを主張しているだけあって、本当に社会のことを考えていないと思います。新型コロナウイルスのことよりも今重要なことは特殊詐欺のことではないでしょうか。少し前にキャッシュレス決済に関する特殊詐欺が増えるだろうと書きました。その次の日にドコモ口座の不正引き出しが報道され、予想していたインターネット上での詐欺がとうとう始まった感があります。フィッシングメールで誘導されて個人情報を盗まれたり、また、口座やアカウントになりすましてログインしようと、トライされる回数も増えてきていないでしょうか。二段階認証が進んだとしても本当に気をつけなければならないことだと思います。日本は今ほどの失業や廃業、生活様式を変える必要はなかったのに変えました。好まざる戦争(有事)に入ったのです。その反動、反発はさまざまに起こるでしょう。他にも例えばレジ袋を有料にするなど締め付けが増える中、いいことはありません。戦後につくられたバーンスタインの交響曲第2番「不安の時代」(1949)。理屈に合わない死について考えさせられます。1920年頃から現代音楽の潮流は完全な無調に向かい、その中で異彩を放っていました。当時混迷していた時代に台頭したジャズがふんだんに取り入れられています。バーンスタインの曲は知られていたのものの本当の再評価は今世紀に入ってからです。この曲がいかに一般に寄り添ったものだったか、日本は見倣うべきだと思います。
2020.09.30
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最近河野大臣が発信している縦割り行政の弊害という話があります。河野大臣は国民の見えていなかったことを含めて変えようとしていることは、政策の良い悪い以前の根幹を変えることで、時代の遷移を表しています。一方、菅総理のもっとも目を見張る点は、世の中が忘れかけていたひと昔前の善きコミュニケーションです。どんなにすばらしいことを考えたり言ったりしても、それを実現する実行力は他の人との関わりでしかありません。長く関わった人への感謝、人の立場を推し量ったうえでのわかりやすいもの言い、いずれも現代人の多くが忘れかけていることが見て取れます。有言実行という点も人との信頼関係を重んじていることが伺え、叩き上げの菅総理の人事もかつてない本格政権を予感させずにいられません。しかし、何においても批判は付き纏うもので、「組閣において派閥を気遣っている」「女性閣僚が少ない」「平均年齢が高い」などいろいろと言われますが、何の根拠をもってそれらが悪いと言えるのでしょうか。海外はそうでないからでしょうか?その答えを代弁すると次のようになります。派閥の均衡を取らなければ自民党がまとまらないから国会で法案が何も通らなくなります。女性閣僚が少ないとして、では誰が適任なのに入るべくして入っていないのか示すべきです。若者をたくさん起用した場合に行政改革を軸とした政策に耐えうるかどうかが疑問です。さて、「コミュ障」はIT化に比例して増えます。大掛かりなイヴェントほど密なコミュニケーションがあってこそうまくいくもので、コミュニケーションを簡略化するとさまざまな意味で齟齬が生まれて当然です。仕事に関わるメンバー個々のクオリティが問われ、意識が揃っているのかどうかが問題です。たとえ優秀な人材が揃っていたとしても、僅かでも滞った時の皺寄せは甚大なのです。これはすでに経験済みです。共有しているはずの意識に差が生まれ悔いの残る結果になったり、打ち合わせの必要のないルーティーンな仕事が増える結果のクオリティ低下、いつも同じメンバーによる閉鎖的な仕事関係にならざるをえないなど、ネガティヴな発想がつきまとう仕事にシフトしてしまう要素があります。結果として、うまくいく組織といかない組織の格差が広がるのだと思います。今準備を進められているデジタル庁はIT化とは少し違っていて、アナログに対するデジタルと言っているのだと思います。作業の効率化や情報の一元化を目指しているようです。今まであまりにもそうではなかったのではないでしょうか。菅総理の考えていることは人に立ち返っていて、人に拘っている組閣は、何をやろうとしているか一瞥でわかる意思を感じます。世間が揶揄するようなものではなく、もっとも奮っている部分ではないでしょうか。
2020.09.20
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少し前に新型コロナウイルス対策が政府から各知事主導となり、各都道府県は感染者を減らそうと躍起になっているように報じられました。政府より厳しい自粛と検査がクローズアップされていたように思いますが、今は、大阪の吉村知事が「手洗いもマスクもできる施設で席を空けるのが正しいのか。対策を取れるなら、マニュアルを見直すべきではないか」と事業者側の立場をとりました。内容は意外ですが、他の人の話を聞き影響を受けたためと考えられます。日本は新型コロナウイルスの対処として独自路線を敷き、重症者や死者をできる限り抑えているにも関わらず、ずっと諸外国を引き合いに出しそれを見倣うべきとか、日本は劣っているかのように言われます。しかし、人口、密度、習慣、文化が異なることは比較の対象にならないです。感染者数によってウイルスのリスク全てを推し量ってきたわけですが、緊急事態宣言の頃と状況は何も変わっておらず感染者の増減に一喜一憂しています。国民の不安が煽られてきたため怖れている人が多いことはSNS上でもわかりますが、ここにきて一気に規制緩和を推進した政府はブレずに素晴らしいと思います。そして、日本がオリンピックを開催する意義はとても大きいものになりそうです。さて、中国の偽物文化やインバウンドのマナーが以前よく取り上げられましたが、1900年代後半に日本人の海外旅行が当たり前になった時も、日本には西欧を真似た建造物やキャラクターなどあらゆる物が影響を受け、中国人の爆買いのようなことを拙いコミュニケーションで行ってきたと思いますし、偽物ブランドは日本でもたくさん出回っていました。そして、今は中国もモラル向上、偽物売りも駆逐されるようになったようです。それ以来、日本は先進国として世界経済を牽引してきたわけですが、日本人が日本にあるものを海外に発信することがあまりに少ない事実があります。日本人が自国のものや人を素晴らしいと認知するのは、海外で高い評判を取った時なのです。自国で自国のものや人を認められない、優秀だと評価できない国民性があると思います。新型コロナウイルスについても、日本の研究や検証よりも海外の紹介が優先され、国民性や習慣が全く異なる海外の論文や症例を根拠に論述されます。しかし、日本人の神経質なまでの生真面目な気質に代表されるように、品質が良い、欠陥がない、機能性が優れ故障しないなどの特性が何事にも及んでいます。そう考えると、特効薬やワクチンも海外より国内に期待、宣伝してよいのではないでしょうか。日本の文化が海外で広まる場合は、現地で広めた日本人や企業があってこそです。アニメ、カラオケ、柔道、空手、和食などなどがうまく発信できていて、他の分野は何が素晴らしいのかがよく伝わってこないことが多いようです。例えば、最近では将棋やテニスに人気があり賞賛されていることはわかりますが、本質的な内容ではないことが取り上げられるため、若者の憧れになりにくいと思います。では、音楽において考えるとクラシック音楽のこれまでは、海外の演奏家、作曲家がメインでその招聘が目玉のイヴェントでした。「本場」ということが何事にも代え難い魅力があるのは確かで、日本人はそれには及ばない、如何に本場に近づくことができるか、それが一般的な受け止めとして日本の音楽家は研鑽に励んできたと思うのです。しかし、演奏する人の数は増え、正攻法で従来の型を目指すのではなく、自由に変えていく方向性が広まり、個性の概念そのものが変わったと言えます。演奏の完成度が問われないなど極端な意識の変化は浸透しつつあります。反面コンクールや音楽大学における競争は廃ることがなく、他の演奏家や団体との差別化や続ける糧がそこにしか感んじられないのかもしれません。それでも前世紀と変わらないことは、海外での実績が日本における強固な宣伝要因となり、事実上の実力よりも依然肩書きを信用する社会がここにあります。現代音楽の作曲においても、ほぼ西欧で起こっていることに追随するかたちで、大きな現代音楽イヴェントでは海外の作曲家がテーマとなり招聘されたりします。前世紀に現代音楽の寵児として何人もの注目された日本の作曲家も、語法や芸術性として残る形跡が少なくその後も目立った新しい音楽様式が見当たりません。最近の音楽はアイデアとして新たな着眼点である音楽はありますが、それが新たな音のかたちとして確立されたものが少ないと言えると思います。海外の音楽が紹介される、海外での活躍が紹介されることはいいことなのですが、現在その多くはイヴェント興行として終わってしまっています。日本の音楽に大きな影響があるか、聴衆層の拡充に繋がるかと言うと疑問で、知的好奇心が誘導される魅力や文化を学習するような効果はあっても、”そう言うものだ”という意識の定着がありルーティーンのようになっていないでしょうか。そもそも日本と西欧はまったく異なる文化を有しているのですから、日本人として共有している感性があるはずで、海外にウケの良いもの、海外の理念を継承していくことよりも、日本が独自に発信していくことが多くなければならないと考えます。日本における現代音楽への理解の幅が増えないことは、今の時代にはもはや必要のないものなのかもしれません。そして海外からの招聘ができない時代になりました。日本には発信されていないすばらしい芸術家がたくさんいると思います。優れた音楽で日本人が共感できるメッセージ性を持ったプロデュースを発信すべき時です。日本の大学の多くも著名人を教員に招き学生を募っても、中からの発信力が弱いようです。著名人のマーケット状態としての大学ではなく、中から固有の発信を行うべきだと思います。新型コロナウイルスの日本の対処は世界に誇れるもので、政府の対処、優れた医療技術、感染予防に適した国民性などは、菅新総理の就任と共に徐々に認識されつつある状況がやっとできました。それは菅総理が知られれば知られるほど実行力と人の立場に立った説明ができる逸材だとわかり、改革を打ち立てていることが今の日本にまさに必要なことと納得できるからです。何事においても海外に同調しているだけではなく、日本の対策や研究者をより尊重し発信するべきだことは共通しています。
2020.09.16
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次期首相の話題がテレビニュースの中心になってきました。首相は人気投票ではないので、見た目や少し所信を聞いただけではわかりません。全てメディアを通して見ているわけで、議員のわからないことは多いです。所信表明したことにどれだけリアリティがあるかがポイントです。いくら聞こえのいいことを言ってもできなかったら意味がありません。現場や協力者に賛同を得られなかったら何もできません。首相は候補者を近いところで見ている議員票で決めるのはもっともだと思います。さて、テレビの出演者が本当はどう考えていてどのような人か、それもテレビというフィルターを通して見ると実際と異なることもあると思います。新型コロナウイルスについて、ニュース報道やワイドショーは、環境省が熱中症に配慮してマスクを取ってもいい基準を出しても、世界を相手にマスクをしていないとかソーシャルディスタンスが取れていないとか、普通の生活に戻すことを良しとしていないことが読み取れます。9月8日(火)19時のテレビ朝日系「林修の今でしょ!講座」のタイトルは、「新型コロナウイルスとインフルエンザの意外な関係&疑問」でした。リンク先の《おさらい講座》を見ても「同時感染する可能性があり、双方の症状は極めて似ていて、対策もマスク・手洗いと同じ」という結論で、結局大きな発見はなく不安を煽られて終わった感があります。唯一の発見はインフルエンザのワクチンが新型コロナウイルスに良く影響するということでした。しかし、この他に表立っていないところでもいくつかのポイントがありました。まず、同時に感染する可能性があるとは言え、その確率がどれほどあるのでしょうか。前にも書きましたが、今年の日本におけるインフルエンザ感染者はとにかく少ないです。その理由はマスクや消毒がインフルエンザにも有効であるからとも言われていますが、ウイルスが干渉を起こすために流行するのは常に一つの感染症であるという説があります。(記事中の大見出し「4. SARS-CoV-2がインフルエンザに干渉したか」)さらに、番組中では日本における昨年の1-9月におけるインフルエンザの死者数は、現在の新型コロナウイルスの死者数よりも多いということも紹介されていました。また、発症すれば味覚障害以外は全体にインフルエンザのほうが症状が顕著ということです。林先生が「インフルエンザにかかったことがない」と明かしたところでは、彼自身両方に感染することを非現実的と考えているのではないかと感じました。両方に感染することは理屈上あるが今の予防対策をした上ではほぼないと思われます。しかし、テレビはいずれそのごく稀な症例を必死で探すしてまた報道するのでしょう。林先生は3月頃だったか「今度の冬頃に新型コロナはただの風邪と言われている」と、この番組で言っていたことを憶えています。数ヶ月前にも書きましたが、この8ヶ月間何が変わったかと言って、現象としては何も変わっておらず受けとめ方次第です。日本では9月9日現在トータルで73,331人の感染が起こり、64,823人が退院、7,097人が現在感染、死者は1,411人ということで感染は減少しつつあり、GoToキャンペーンの東京拡充やイベントやコンサートの動員数増加が検討されています。そしてオリンピック開催を実現して世の中の元気を取り戻したいところです。しかし、テレビでは新型コロナが売り出し中のキャラクターのように扱われ、感染者数が増えたり集団感染が起こると話題が沸騰します。文化のために感染対策をしながらイベントを行っていくことがあっていいと思いますが、集団感染を報じ続けるテレビがそれを最も怖れているのです。
2020.09.11
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今の時代はSNS上でも皆が批判をし、どのような意見も自由に言えます。反面、批判をされたとしてもそれは気にしなくても良いのだと思います。批判、再評価はどのような著名人、歴史上の人物であっても対象になります。また、SNSでは本質的でない部分で批判にさらされることも多いようです。しかし、批評や批判を誰にでもできるのかと言うとそうではありません。物事が行われたことに対して検証されたり、批評されたことがネガティヴだった時、批判されてもいい相手というのはそれが許せる決まった相手や審査の講評などで、それ以外は褒められることには耳を貸しますが、批判的なことに対しては反発も多く、ディスられているとか、悪口を言われているとか受け取る傾向があります。このことからも褒める指導はできても、注意喚起を強く言えない教育が窺われます。これは学生時代のみならず社会に出てからも続き、管理者は学習や業務の成果のみを見て、パーソナリティとしてのコミュニケーションは難しくなります。そして、これが実際に人が会わない仕事の方法であるテレワークに発展することも頷けます。因みに、今テレワーク以外にも買物や銀行などオンラインや無人におけるやりとりが増え、人が会わずに紙を使わない、やりとりの不可視化が急速に進んでいますが、今後ちょっとした人為ミスが大きなミスになったり、不正がわからないうちに進んだり、あまり報道されていない特殊詐欺によって銀行口座情報が読み取られたりすることが、近いうちに頻繁に起こるのではないかと心配しています。さて、批評・批判の大きな標的になるのが政治家や芸能人です。もし嫌いなのであれば支持しなければいいだけのことですが、読者が興味を持つような批判や揶揄をして記事にすることが生業となるため日常化しています。メディアは事実を伝えると言うよりも、批判することによって視聴率を稼いでいるのでしょう。例えば朝日新聞の報道には政治批判が根本にあると考えられていて、 安倍首相が辞任表明した時も社説があまりに批判的であったと言われています。クラシック音楽において批評、評論はヨーロッパで脈々と受け継がれ、批評されることはステイタスでもあり作曲家・演奏家に大きなモチベーションを与えました。今よりも成功か失敗かをはっきり評されてしまい、怒号やブーイングすらあったわけです。自分の20代の頃も何よりも不安だったのは、その曲が初演された際の批評でした。以前にも書きましたが、音楽雑誌などの演奏会レビュー、コンクール評などはやはり気になるところでした。全否定に近いことを書かれることもあり、またその逆もありましたが、まずは書かれないよりも書かれることのほうがありがたいこと、酷評であっても真摯に受けとめました。そして、内容によっては作風を変えるくらいのことに及ぶわけです。しかし、振り返れば若かった頃に賞賛されていた他の現代音楽が今どうなったか、確かに素晴らしいと感じられた邦人作品がどうなったかと言えば、演奏されることはほとんど少なく同世代から上の人しか記憶にもない程度です。作曲家が亡くなっても演奏されるかどうかという問題が大きなことですが、大部分が再評価されずに今は別の潮流になりました。また、今やクラシック音楽そのものの美学や芸術性も問われつつあります。これまでの偉大な音楽遺産の意味がしっかり継承されていくことが望まれます。昔と異なるのは批評家がモノを言う場はあっても世の中に反映されないことです。また、現代はネガティヴな内容を具体的に書きにくい状況がありますが、安易に「いい」と言うことは誰でもでき、それはSNSの「いいね」くらいの意味しかなく、「もっとこうしたほうがいい」という具体的で愛のある批判が本当は必要なのだと思います。そのようなことと比較すると新型コロナウイルスそのもののラベリング、対処への批判は対象相手を否定する内容のものが多いようです。一般人誰しもの人生をも左右することになる事例ですから、今行われている批判はとても酷すぎるものだと思います。
2020.09.08
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3月に新型コロナウイルスの感染増加で一度は落ちたものの、その後の回復は目覚ましくナスダック市場は史上最高値を日々更新しています。メディアで言われていることは何処吹く風とNYダウもいい感じに上がっています。つまり、勝ち組と負け組の差は歴然で、それが「新しい生活様式」を表している気がします。また、今はまだ定かにはなっていませんが、大切なものをどんどん失っているのは確かです。世の中に「新しい生活様式」が定着して落ち着いた時に、人々はようやく大きな後悔をし、元に戻したい衝動にかられるのだと思います。「昔は良かったね」と、いつの時代でも語られる慣用句を今の若者が呟くのです。教育ひとつとっても、オンライン授業で質を保てるとはとても思えません。今考えてみると、自分は若い頃に教える内容について先輩方からとても厳しく指導を受け、とにかくそれに応えなければいけないと叩き上げてきました。それから時代と共に、”いかに教えるか”ではなく”教えることができるかどうか”に変わり、”教える”ことから情操教育が減り専門教育に特化してきた感があります。結果として、受ける側は好きなことは勉強し嫌なことはしない傾向になりました。こうして教える側は受ける側から好かれることが重要になってきてしまいました。そして、子供や若者へのラブコールが頻繁に贈られるようになりましたが、この半年間で若者もこのような世の中について流石に考えさられたのではないでしょうか。オンライン授業やレッスンでどんなにうまく教えられたとしても、結果的に受ける側が対面よりも納得したり満足するでしょうか。テレワークで本当に以前ほどの業務効率を獲得できるでしょうか。また、多くの人が自分で動画を作成し発信するようになりました。音楽を始め今までの文化を超えられるものが作られるでしょうか。とても超えられるものではないと思うのです。IT化とは人を介さなくても効率的に社会をつくっていく方向であることです。それをを忘れてはならないと思います。3密を避ける、人が会わない、人同士の距離を保つ、長い時間話をしない、これらがすべてIT化の促進に符合します。人が行ってきたことはITにとって代わられ、ゆくゆくは文化そのものが人中心ではなくIT中心のものになるのです。この状況で「新しい生活様式」が一気に進むのを傍観せずに、人だから成し得たものや人だからできることを主張すべきだと思います。便利だとか、時代の先端だという意味がないわけではありませんが、新型コロナウイルス騒動が収束するまでに、人同士の営みの重要性を主張するべきだと考えます。今までコンサートの司会台本を何百本とつくってきました。ですからテレビでニュースを伝える時の台本もとても気になります。これまで新型コロナウイルスの報道についてネガティヴなスタンスが殆どでしたが、ここにきて先々の不安を煽るばかりではなく、過去の検証をする自浄作用を促す方向性が少し感じられるようになりました。お盆の後2週間で感染者が再び増加するかもしれないという予想は外れたこと、信じ難いことですが、8月の全国の宿泊予約数が昨年を上回ったことが報じられました。もちろんGoToキャンペーンの功績であって、テレビで言われていることと現実にいかにギャップがあるかということがわかります。(次回に続きます。)
2020.09.03
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いろいろ検査をしに行ってきました。病院やお医者さんはそれぞれ皆違うと言うことがわかって楽しかったです。もちろん今日行った日扇会第一病院は身近な病院としてはいちばんです。受付はやはり病院の顔、印象が決まると言っていいと思います。また、病院内の連携や患者を待たせないことに留意しつつ、時節柄マスクをしてさらにフェイスシールドをしている看護師さんの出で立ちなど、ちゃんとしなければならない反面、穏やかな雰囲気があり、今時に年配の方がたくさんいらっしゃることが安心の拠りどころでした。看護師さんの採血の腕前もポイントなのですが素晴らしかったです。何がポイントかって? 採血の際に針を刺した時に痛いかどうかですよ(笑)採血は簡単ではないように感じていて、一発で痛くなくできるのは看護師さんの資質だと思うのです。「全然痛くありませんでした。」と言ったら、「針が細いので。」と謙遜していらっしゃいましたが、いつもは血管が出にくくて散々な採血をされている身としては、「採血が上手だとそれだけで尊敬します。」と伝えました。今日は持病の薬を出してもらうために診察も受けました。この病院には不整脈の専門の先生がいらっしゃいます。西麻布にある心臓血管研究所付属病院でのアブレーション(手術)を薦めていただきました。今日の心電図は異常はありませんでしたが、自分に起こる発作はアブレーションを受けなければ一生続きます。アブレーションを受ければおそらく完治しますが、それでも発作に効く薬も処方していただきました。ただ、処方されたのは今までとは異なる薬でしたので効き目が楽しみです。発作が出ないと試せませんが…。(笑)信頼できるお医者さんは生きている中で関わる人の中でもとても安らぎを感じられます。お年寄りが何かと病院に行きたい気持ちがわかる気がします。これは歳をとらないとわからないことかもしれません。歳をとったのかもしれません(笑)
2020.09.01
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