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3月6日に映画「Fukushima50」が公開されます。震災当時に過去の原発事故を知っている大人は、東日本すべてが放射線に汚染されて住めなくなるのでないかと、本当に危惧しさまざまな風評が流れました。しかし、実際は現場の人の身を削る努力と技術革新の結果、事故の割には放射線の被害が本当に少ないと言えます。当時、東京電力や政府の対応が問題とされました。それに匹敵するものではありませんが、今回のクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」についても、現場の人はプロ意識の高さで任務にあたったでしょう。原発で被爆したり、密室内で感染するほどの任務であれば、その機関のトップが誰であれ身体を張ってあたっているはずです。この現場の方々がまずは労われるべきです。目に見えないものを相手と闘うことに、何の確証をもって責任が発生するのでしょうか。医師をはじめとして現場にあたる方々を労わなければ、検査をする人すらいなくなるのです。それはある意味戦場と同じだからです。行きたくて行くわけではない、メディアはそれを選べる世の中にしたではありませんか。新型コロナウイルスの対処として何かを打ち出しても、それでいいのかと猜疑心でしかものを見ない世の中、何故対応で頑張っている人を応援する方向にならないのでしょうか。そんな日本を見て「いや、日本はよくがんばっているよ!」と諸外国が言うでしょうか。現実では、ほとんどの人が新型コロナウイルスに感染している人を知らないのです。ほとんどの人がリアルな病気としての認識が定かでないまま、風評と共に生きています。感染者数が多いと言われているイタリア人のひとりが、「ウイルスが感染しているのではなく、パニックが感染している!」と話していましたがまさにそのとおりです。人々は生活に追われ、目先のことに追われて生きています。その間にさまざまな根幹に関わることが刻々と変わっているのです。それでも綺麗な花が咲きます。そこで癒され救われているのです。2月24日 駒沢オリンピック公園にて
2020.02.26
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新型コロナウイルスについてのメディアの様子は、どう考えてもおかしい、解せないことでしかありません。現状を理解して発言している解説者としては池上彰さん、若新雄純さんくらいでしょうか。また、日本に対して諸外国の反応が悪いことがおかしくなっている原因かもしれませんが、今回のことは政府が判断というよりも、医療の有識者の判断を仰ぐ非常事態として対処している現状があると思います。誰の責任云々ではなく最善の努力で感染拡大を阻止しようとしていることは事実と思うのです。ダイアモンド・プリンセス号内に於ける隔離はそもそも船外への拡散を防ぐため、その点について当初メディアも封じ込めを訴えていました。そして、これは池上さんが例えたように大震災時に原発の放射線を外に拡散させないように、防護服を着て任務にあたったことと同じくウイルスを外に出さないようにしました。このようなことは周知のとおり前例のないことで任務は過酷、現場は手探り状態で懸命の努力をしているのだと思います。ただ、今回のコロナウイルスは検査の結果が陽性であっても症状として何も出ない確率が高く、検査の結果が出る前にすでにウイルスは広がっている可能性が高いということです。そこで2週間の潜伏期間の隔離が行われた結果、次には隔離者に同情する論調になりました。しかし、船外に出ても別の場所で隔離になることは変わらないわけですから、国籍の異なる3000人を受け入れる場所など簡単に見つかるわけはありません。仮に下船してから発症したり拡大したらもっと責められるでしょう。最近の話として、船内感染が広がり政府関係者も感染したわけですが、船内でどこがレッドゾーン、どこがグリーンゾーンなどという区切りが、果たしてそこまで厳密にできたでしょうか。ひとつ言えば、船内の貼紙の「不潔ルート」「清潔ルート」などという、言葉の選び方としては第3者に誇れるものではないと言えます。ただ、コロナウイルスは飛沫か濃厚接触でしか感染せず、空気感染やエアロゾル感染は基本的にしないわけですから、麻疹(はしか)や結核ほどの感染力はありません。感染者と直接会ったり同じものを触ってもマスクと手洗いで防ぐことになります。おそらく船内ではこの対策に身を削って頑張っている人がたくさんいるでしょう。しかし、誰がやってもそう変わらないと思います。感染していてもわからないことが多いことと、ウイルスは見えないからです。それほど難しいことを懸命にやっている人がいることに敬意を払うべきで、この方法が失敗とか成功とかいうものではないと思います。インフルエンザでの日本における年間死亡者は1万人だそうです。新型コロナウイルスを軽んじることはできませんが、インフルエンザに比べればまだまだ封じ込めているし、池上さんの言うように重傷率はかなり低いと考えられます。日々話題の中心としてコロナウイルスが騒がれ、いつまでこの収束することのない話題が続くのか、付随する風評によって経済や実生活にどれほどの影響や二次被害が続くのでしょうか。若新さんの言うように通勤ラッシュをなくさない限り、イヴェントや集会を中止しても濃厚接触や感染は起こります。しかし、世の中の企業は自社や関係者から感染者が出た場合に、感染理由としてメディアに取り上げられることを怖れて動いています。つまり実態ではなく、メディアがとりあげなくなった時、それが収束の時なのです。
2020.02.21
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新型コロナウイルスについて、日々状況とさまざまな報道がされています。少し前まではわからなかったような克明な感染者数や感染ルートなど、とても詳しいことがわかるようになりました。ただやはり詳しいことがわかるようになっただけで、このウイルスがどれほどのものか、どうすれば感染を防げるのかがわからないということは、結局今までの感染症の歴史を繰り返しているわけで、報道すればするほど不安が増大します。特効薬がわからない今、感染者を隔離するなどの措置は、感染を拡大させないためには有効な措置だと考えられました。そして、クルーズ船「ダイアモンド・プリンセス」で下船を認めず検査を続けました。その結果感染者が増えていきましたが、これは現状想定されていたことではないでしょうか。下船を認めないことで他の不自由な事態が出てきたこともあるでしょうが、この措置そのものが非常事態であることを意味しています。また、医師や検査官の感染が報じられました。これも新型コロナウイルスに限らず感染している人が集まる場所での感染はあり得ます。これはタクシー内での感染も同じで、買い物をする場所やお金のやりとりがあればどこでも感染するリスクがあると思います。目に見えないものを防ぐことには限界があります。まだ手間や時間のかかる検査をするにも、風邪やインフルエンザと区別するための縛りが必要であったことは理解できます。厚生労働大臣がテレビ番組に出て現状の説明を行いましたが、それは真っ当なものであったと思います。新たな情報が出る度に騒ぎ、どこかや誰かを責めるような報道ではなく、事実に基づいてできることを知らせる指導的立場をとるべきだと思います。感染しても症状が出ないままかもしれない、特効薬がないとしても不治の病いだという認識はないでしょう。軽傷ではなく重篤な症状の人から治療にあたることは当然のことではないでしょうか。1人単位で感染者数をカウントしていますが、その人がどこで何をしていたか探りさも深刻に報道することが必要でしょうか。検査をすれば陽性の人がすでにたくさん出るようですが、若い人の発症率が低いことを考えれば免疫力で発症しないとは考えられないでしょうか。SNSを見ると厚生労働大臣に罵詈雑言を浴びせる人が多く見られます。細菌やウイルスは見えないことで不安が増大しますが、もし見えたら世の中はその数十倍も混乱するでしょう。つまり、見えないものを可視化したところで幸せをもたらさないことは、記録として残してもさもすごいことのように言う必要はありません。しかし、どこで何人感染したなどの一部の情報のみがわかるようになり、メディアは憶測や責任論を持ち出したり、自己主張に利用しようとしています。厚生省や専門家の対処はキャスターやコメンテーターが言うほどダメではないと感じています。正しい情報の把握、勝浦の人のこんな時だからこそ励ましたり助け合ったりする気持ち、そういったことがいちばん重要で、解決のつかない憶測や批判は要らないと思います。残念なことですが、声が大きい意見に着いていく人は多く、ネガティヴな空気が広がり感染を誰かの責任に転嫁する風潮になります。日本人は特にSNSを代表に、インフルエンサーや権限の強い人の影響を受けやすく、根拠を挙げて自分の意見をもってうまくコミュニケーションできない、またそのことを自分の好感度に転嫁する傾向が強いように思っています。さまざまなものごとの流行についても、正しい理解を深めたうえで自分に取り込むべきなのです。真理というものがあるにも関わらず蔑ろにされる世の中では困るのです。
2020.02.16
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子供の頃、プロ野球をテレビでよく見ていました。応援している選手がここぞというところでヒットやホームランを打つと、自分は大喜びなのですが、その選手は表情ひとつ変えずにベースを駆け抜けました。子供ながらに嬉しくないのか、なぜ態度に出さないのかと思っていましたが、それが大相撲に結びつく武士道のようなプロ意識かと考えていました。今は、試合や競技ではガッツポーズなど喜怒哀楽を出すほうが普通、何かミスをした時にも悔しがったり憮然としたり態度に出すことがあります。その表情や勝利者インタビューで本音を言うことは自然な姿ではあるでしょう。また、観衆はそのような姿を望むようになりました。しかし、音楽でもスポーツでも公では少なくとも相手の健闘を称えること、まず自分の喜びよりも闘いそのものに敬意を表するほうが好ましいと思うのです。世の中にはゲームを含めて競うことが多いわけですが、負けると悔しいのが普通ですから少しでも労われれば気持ちも晴れます。昔、選手宣誓などで「スポーツマンシップに則り」と言うのがそれなのですが、言葉もろとも意識が薄くなった気がします。大相撲、剣道、柔道など日本古来の競技にのみまだ生きているのかもしれません。さまざまなことが西欧化される中、日本の美徳が失われつつあると思います。話は変わりますが、新型コロナウイルスについて日々報道されています。日々感染者や死亡者の数が発表され重要な問題であることが知らされています。ただ、いつもと違わず事実を報道する一方でリスクやネガティヴな予測も流されます。ネガティブな動画も多く不安を増大化させるコメントで風評が生まれるのです。伝染病は自然災害と同じく誰かの責任による事柄ではなく、低い確率で不幸にも感染した人を皆で応援する立場、救うにはどうするかと皆で考えるスタンスで報道されるべきことです。クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」のことが報道されだしてからは、厚生労働省が悪いかのように言われていますが、隔離についてこれほど詳細な報道がされたのも初めてで、いきなり国籍の異なる人々3800人の食事や検査、また処方箋がなければ受け取れない持病の薬を手配するかどうかなど含めて、急に起きたことへの対処としてはさまざまな障害があることはよくわかります。また、このようなことがあちこちで複数起きた場合はどうするのか、今後も効果的なワクチンがない伝染病が出るた度に対応することを考えると、このことで誰かを非難したり責任を問うことではなく、しばらくは起きたことのみを報道しあとは静観するスタンスが必要なのだと感じます。どんなにリスクを報道されても庶民のできることはマスクと手洗い、除菌しかありません。しかし、身近な所では皆がマスクをしていることはなく感染する危機感がないのは否めません。マスクやアルコールが品切れになり、本当に必要な所で足りなくなったり、このことが原因でいじめが起きたりするのは、不安を煽り不必要に過敏になることから国としてワンチームになれていないのです。自然災害も伝染病も不測の事態です。起きてしまったらうろたえることではなく、自分のリスクを冷静に自分で考えればいいことで、他の場所で起きていることは静観して応援するべきだと思います。以前にも書きましたが、スポーツはファンを獲得する興行として、人気の高い選手をメディアは報道し、インタビューなどで「次は優勝を目指す」など言わせたいことを誘導します。ある報道番組ではキャスター(MC)が、コメンテーターにやはり言わせたいことを誘導する質問を投げかけます。そこで被害者を擁護する意味で責任追及するターゲットがつくられます。これらがあたかも正義感からくるように見えたり、好感度に繋がったりするのですが、それは視聴率を稼ぐ上っ面であると感じています。
2020.02.11
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