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緊急事態宣言が解除されました。これで終わりではなく、数値を超えた場合はまた発出されるということですが、政府が緊急事態宣言をできれば出したくないことは察しられます。2月に書いたとおり不安を煽るメディアと政府の戦いがここにあります。人はどのようにトレンドを認知し良いと考えるのか様子を見てきました。メディアはあたかも民意の象徴のようですがそれは違うようです。新型コロナウイルスに関して言えば、ネガティヴな予想しかしない人には、ただただ怖いと言っている人、ただただ政府批判が目的の人がいて、それを世の中に問いかけていくことで存在感を表明しているのでしょう。また、野党もメディアの材料をもとに政府と戦うことが多く、政府は状況によって応じなければならない局面が多いようです。政府はこの人たちに対して警戒することはあるでしょうし、現実離れしている見解を延々と報じたり、主張を後付けで変えていくことは目に余るものを感じてしまいます。SNSでは賛否が入り乱れていますが、院内感染のようなアクシデントこそあれ、クルーズ船の対応から現場や現実の状況において目的を達せられていると思います。このことについて、日本の新型コロナウイルスへの対応を賛辞している記事もあります。「検査数がどうであろうと、日本における新型コロナウイルス起因の死亡者数は、医療崩壊などを通じて発生する間接死亡者数を含めても、極めて少なく、欧米の状況とは比べものにならない」「英字メディアは、奇妙な成功などと書いたり、或いは奇妙で解明しにくいがいずれ日本の間違いを書きたい、などと云っていますが、はろ~、それはお門違いではありませんか?」と言うことで、世界が理解できないほどの成果を出しています。WHOも日本の対応を評価しました。日本内では海外が評価しない限り身近な人の成果を素直にいいと言わない、自分の宣伝や承認欲求を満たすことを条件に他を誉めることはあっても、無償の愛を注ぐ人が少ないことにやや絶望感を感じています。前に書いた予想どおりなのですが、パチンコ店が遂に身を呈して反乱を打ち出しました。どのような業種であれ、感染予防の犠牲はウイルスではなく人が決めています。人生が変わってしまったり、自殺に追い込まれるのは人災です。収束したばかりですぐさま第2波流行について言及されています。せっかく緊急事態宣言解除なのに、いつまた第2波があるかなどと言われると、コンサート企画を始め事業に打って出るにはリスクを感じてしまいます。中止になっても財源が安心な公共団体しかコンサートはできない気がします。ソーシャルディスタンスを守るコンサートは開く側も聴く側も無理があり、多少の金銭的援助があっても中止のリスクを考えると、そこにかける意識の高さは保ち続けられないのではないかと思います。これは演奏だけではなく開催に向けての事務やスタッフも同じく難しいです。俄かにテレワークによる演奏や多重録音が流行っていますが、SNSのひとつとして若者やファン、支援者に向けるために行うにしても、その演奏家の音楽へのプロ意識や価値観が逆に問われてしまうことにならないか、やるなら徹底した機材と環境の上で音楽的コンセプトが明確なものが良いと思います。発信方法だけが注目され、音楽内容が「何でもあり」になってきていることも憂います。日本人がリスペクトするのは身近な人や知人ではなく、自分、もしくはメディア上の人物、とりわけ海外で認められた人など、とても高い人だったりするわけですが、まずは日本の医療と同じく、諸外国よりも身近なところに素晴らしい人はたくさんいます。新型コロナウイルスのために図らずも時代を迎えるかもしれませんが、日本の身近な素晴らしさを尊重しあえる世の中になることを期待しています。
2020.05.28
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2月から新型コロナウイルスのことばかり書いていますが、これまで考えてきたことや頑張ってきたことの変更を余儀なくされる、例えば音楽の受け入れられ方やその広まり方が変わることで、音楽の価値そのものが変わってしまうようなことが起こりそうです。これまでもウイルスそのものよりも不安が感染してしまっていると書きました。明治や大正時代にコレラが度々流行した時と今が似ていると言う記事があります。この不安の感染は、『健康を侵されることを恐れた人々が、患者に危害を加え、差別や暴動に至った経緯がある。普段であれば理性的に対応できる人も、どんどん追い詰められていく』また、明治や大正時代にこれらがしばしば流行した時に、『一般の住宅でも、患者は行政によって有無を言わさず家族と引き離されたといい、残された家族らが、悲しみと怒りから病院を襲撃する事件が各地で起きた。』患者と家族との面会が制限されることは現代でも大きな不安要素で、是が非でも感染させられたくないという想いに至るためです。そして、有事のようなこの集団ヒステリーをくい止めるためには、ウイルスが直接の原因ではないことによる犠牲者が出ます。経済を止めるということはウイルスをくい止める代わりに、他の犠牲を出すということです。今更ながらにウイルスの犠牲者よりも自殺者が上回る話が出るようになりました。本当に怖ろしいのはウイルスよりもむしろ集団ヒステリーだと感じるのです。このことについて堀江貴文さんは次のように言っています。「例えば昼間に箱根に遊びにいってどこで感染すんのよ」「集団ヒステリーだからどうしようもない」ということなのです。また、「だから緊急事態宣言なんか必要なかったんだよ、、、はやく集団ヒステリーから目覚めましょう。。。」とも。一昨日アベノマスクが届きました。街中で見ている限りアベノマスクをしている人は皆無です。マスクをしていない人も普通に見受けられます。マスクがすでに安価で出回っていること、またアベノマスクの配布に時間がかかったこと、デザインとして受け入れられないなど理由はさまざま考えられますが、差し迫って必要とされておらず旬を超えてしまった感が否めません。そこで思ったのは、街中で集団ヒステリーは本当に起こっているのかということです。感染者数を数人単位でカウントし一喜一憂するのは劇場型で、緊急事態宣言解除に向けての数的根拠は安心を担保する程度としか言えず、集団ヒステリーを起こしている専門家の言葉は、再発の心配で0にするまでいつまで経っても収まらないのです。しかし、その数人のことの影響で倒産や廃業してしまう企業があるのです。また、国民皆が感染しないように協力するとはポジティヴに考えられません。例えば東京1千万人皆が同等に理解できる教育や指導は誰がしてもありえないです。どうしても自粛要請に応じられない人もたくさんいると思います。それでも感染者が数人というのは十分に少ない、何の備えのない無防備な人も感染しないと言えます。世界ではデモがたくさん発生しています。「ウイルスはフェイクだ」(アメリカ)「ウイルスよりも感染拡大防止策のほうが危険」(アメリカ)規制に抗議するデモ「強制ではなく、自由を求める」(ドイツ)新型コロナウイルスは国民を統制する目的で政府が仕組んだ陰謀だ(オーストラリア)香港を取り戻せ、革命の時だ(香港)集団ヒステリーが解けなければ理屈上多くのことが元に戻らなくなります。簡単なことでは今後の外出時にはいつでもマスクの着用が義務付けられるなどです。マスクはともかくソーシャルディスタンスやフェイスシールドが必要なのでしょうか?まず人の社会での営みとして握手やスキンシップはできなくなります。知っている人同士であればテレワークできることもあるかもしれませんが、初めての人と関わる仕事やその他テレワークしにくい仕事なんて山ほどあります。オンライン授業などもできることと実習が含まれるとできないことがあり、相手が複数の場合に一方的に話すことはできても、問いかけることは難しいと思われます。また、現在の海外から訪日する外国人は99.9%減だそうです。新しい生活様式とは今までの自由が極端に減る様式です。残念ながら音楽全般はクオリティが問われるものではなく、用途やニーズで区分けされるものになりつつあります。コンサートホールは客席でソーシャルディスタンスを取ると15%で満席となるそうですが、もちろん入場料収入による採算は合いませんし、全席指定にする必要があります。そもそも平成以降に造られたホールは観客が15%では残響時間が長すぎて、演奏された音楽そのものにも影響が出てホールの良さを活かせられません。
2020.05.21
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近くの銀行で受付の人がファイスシールドをしています。これは行員の手作りだそうです。感染者を減らすことは良いことですが、マスクではなくフェイスシールドまでする意味って何でしょうか。イギリスで地下鉄職員に感染者が唾をかけて死なせたニュースがありましたが、そんなに危険な人が多いのでしょうか。1千万人以上の都民の感染者が30人程度まで落ちました。マスクはあってもいいのですが、フェイスシールドは人にうつさないためでしょうか、人からうつされないためでしょうか。顔に飛沫を浴びてうつるなんて実感よりも、その出で立ち自体がインパクトありすぎです。感染者を数多く出したクルーズ船について、その感染者の対応をした横浜高度救命救急センター長の竹内一郎教授が、現在のまったく医療崩壊していない状況を報告しています。また、クルーズ船での対処は厚生労働省災害派遣医療チームDMATが、現場をうまく仕切っていたということです。世の中はカタストロフ(終末)とかパンデミックなど、大雑把にでかいことを宣言したがりますが、医療崩壊もその文字インパクトから、一切医療が機能しなくなり世の中が末期的な状況になるというものですが、このような事柄は一斉に起こることではなく局所的なことなのです。今まで医療崩壊ということが何度か報じられてきましたが、今までの肺炎やインフルエンザによる新型コロナウイルス以上の死者への対応はどうしてきたのか、比較にならない数から考えれば医療崩壊が起きてきたのではないか、という疑問が生じるのです。新型コロナウイルスによる国内の死者は現在186人(4月21日時点)。一方、厚生労働省の人口動態統計によれば、日本ではここ数年、年間10万人以上が肺炎によって死亡している。その9割が高齢者である。一日あたりに換算すると、毎日数百人の高齢者が新型コロナウイルス以外の肺炎で命を落としていることになる。肺炎を発症して死亡するという過程は「新型コロナウイルス以外でも日常的にあり得る」ことを、大前提として理解してほしい。もしかすると「新型」でなく、冬の風邪の代表格である「旧型」のコロナウイルス感染による肺炎の死亡者数のほうが多い結果になるかもしれないのだ。というわけです。今まで感じてきたことそのもの(100%一致)を医師が話してくれている記事があります。そして、このところ救急患者が減少してきておりその理由は、「不要不急の救急患者も減ったこと」の可能性も理由に挙げる。命に関わるような人以外は、救急医療を緊急で受診するのを控えようと考える人が増えたのかもしれない。ということです。では、何が医療崩壊なのか?救急車に乗ったことがあればわかることと思いますが、症状に合わせてどこの病院が受け入れてくれるかというのは救急車に乗ってから決まります。採血を行っても、画像を撮っても新型コロナウイルスかどうかわからない、PCR検査はすぐに結果が出ないため、とりあえず入院という形をとらないといけませんが、院内感染を考えたらどの病棟でもいいというわけではありません。検討した結果、患者を受け入れられないという結論になる。院内感染を起こせば、マスクや防護服の状況があらわにされ、感染源となった場所として報道され、次の日からは非難を浴び病院や医療従事者として立ちゆかなくなる恐れがあるのです。今回のような感染症では一層混乱し、たらいまわしが頻発するのは当然の結果だろう。そして、医療従事者の中には、新型コロナウイルス感染患者に関わることを必要以上に怖がっている医療者がたくさんいます。すべてが集中治療(人工呼吸器、ECMO、血漿交換など)を要するものではないにも関わらず、新型コロナウイルスかもしれないというだけで自分にはできない、関係ないと距離を置こうとする人がたくさんいる。これらの人にレベルに応じて自分にできることをやってもらうだけで、医療崩壊はかなり食い止められるでしょう。開業医は自分への感染リスク、開業医家族への感染リスク、風評被害で売り上げが下がる(患者が来なくなる)などの理由から拒否してきたのです。しかし救急病院、感染症指定病院、保健所のみで戦うことはもはや不可能ですし、コロナウイルスによる感染のほとんどは軽症で医師会、開業医で対応が十分可能なのです。「安全と安心」は別物。“安全”は医師が示せるが、“安心”は自分の心が生み出すしかない。検査をしないと不安でたまらない人に、そもそも「一回の陰性」では陽性を否定できないことを知ってほしい。「PCR検査の感度(感染者に陽性の結果が出る割合)は、70%程度。30%の人は陽性であっても陰性の結果が出るということです。またこれからどんなに検査精度をあげたとしても、10%くらいは偽陰性がでるでしょう。検査とはそういうものです。医療関係者が多大なストレスを感じながら時間をかけて無症状の人にまで検査するメリットはほぼない。また「陰性患者が実は陽性であった」と、あたかも“見逃し”のような報道をするのはナンセンスだろう。そして院内感染についてあたかも注意不足のように受け止められる報道もありますが、実は感染者が誰かわからないところから生まれているのです。日本人は真面目で衛生意識が高く、予防に優れている点で、新型コロナウイルスによる致死率が上昇しないと指摘する専門家もいる。しかしその真面目さが「院内感染」に対する厳しい目や、感染者ゼロを目指す風潮につながっているように私には思える。院内感染はコロナウイルス患者への対応が甘くて起きてしまったのではなく、自覚症状のないコロナウイルス患者が病院に“紛れ込んで”起きてしまったケースが大半。犯人探しをするような言動は慎みたい。いざという時に私たちの命を守ってくれる医療を十分に機能させるため、感染にまつわる不安に執着しないこと。医療崩壊を起こさせないためには、私たち国民が“細く長く”このウイルスに付き合っていく、というような“寛容さ”が求められている。数ヶ月前にスーパーJチャンネルのメインキャスターが、ある会社の受付をする女性が上司から眼鏡をかけることを許されなかったと訴えたことに、「その上司は時代に遅れている」という批判をしました。職種に応じて会社のイメージであったり利益をもたらすための戦略であることは当然です。受付嬢は会社の顔であるかもしれないし、眼鏡NGはむしろ喜ぶべき内容ではないでしょうか。女性アナウンサーで眼鏡の人は見たことありませんが許されるのでしょうか?組織に入れば組織のルールがあるのは当然です。プロ意識の欠如ではないでしょうか。HIV(エイズ)がヨーロッパで死因のベスト3に入ったことがありました。日本の交通事故者数は2019年が過去最少の3215人で、新型コロナウイルスによる現在の日本での死者数は696人ということです。HIVが流行っても性交の禁止とか制限はありませんでした。交通事故が増えても運転や外出制限ということはありません。これらが制限されないのは感覚的に理解できますが、では今回の営業や公演の自粛が仕方がないことと言えるのかどうかです。人それぞれ架けるものがあり自由なのです。それは例えパチンコ店を経営する人でもそこに夢があっていいと思います。ウイルスを広めようと思って営業しているわけではないのです。
2020.05.14
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知事の言うことが国の言うことよりも好感されているようです。今は皆で自粛しているのだからどうなったら自粛が解かれるのか、目標値をはっきりするべきということでそれに答えています。ただし、クリアしたら以前と変わらない日常が戻るという条件ではありません。理屈で言えば、密集、密接、密閉が許されないという条件で、2次、3次の流行まで気にするならばワクチンができるまでか数年の話になります。これでは、これからがさまざまなことの「終わりの始まり」になります。例えば、音楽において淘汰が始まるのは間違いないと思われます。自分の楽器以外を扱う場合は完全消毒が必要、レッスン室やスタジオ、リハーサル室は密閉空間ですから、多人数での使用はできない、管楽器や合唱はソーシャル・ディスタンスどころかもっと離れなければならないし、演奏中に出る水の扱いはどのように対処するのかなど。(あくまでメディアの言う理屈で考えればですが…)一般的な対面サービスですらフェイス・シールドを装着していることを考えたら、合奏、アンサンブルが原因で集団感染という報道に怯える日々になります。もう一点は、感染に対する恐怖心をすでに多くの人が持っていることです。パチンコ店の開店時の列の様子が最近よく報道されていますが、コンサートではあの様子以上の密接が生まれます。また、会場では咳もできません。聴衆が減る可能性も大きいのではないでしょうか。ひとたび感染が発生したら主催者の責任が問われたり風評が生まれます。そう考えるとアマチュアによるコンサートや興業は実施を問われる気がします。音楽のことをひとつとっても二次被害、三次被害で失業、廃業など、人生の選択を迫られることが相次ぐでしょう。一方、韓国は日本とは異なりいち早くK防疫勝利宣言をしています。大統領の政策がよかったという自負の表れかと思いますが、いち早くもとの状態に戻そうとしているとも言えます。日本は様子を見ていて、どう転んでも勝利宣言できない気がします。早速韓国の集団感染を一斉に報じている日本のメディアですが、そんな簡単に収束などあり得ないといった気概のようなものを感じてしまいます。ゆくゆく日本ではできないけど海外では許されたり、社会や生活のあり方が国によって変わる時代になるかもしれません。
2020.05.11
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今もなお日本が日本を認めない現状に絶望を感じてしまいます。他国と比べてどうこうと言ったところで、政府の対応が遅れたとかリーダーシップがないとか言ったところで、他国に比べても、人口比で比べても、これまでの他の感染症と比べても、医療も国民も全体によく頑張っていてうまく封じ込められていると思います。どうしても政府や医療を批判したい人がいますが、実際に治療したり対応しているのは現場の人です。その人たちは本当にがんばっているという自負があるはずです。何をやっても批判され差別されたりする世の中が問題で、その人たちが現場にあたるのが嫌になってしまわないか心配します。今日も区の警察署特殊詐欺対策センターから電話がありました。還付金詐欺の電話が住んでいる街で増えているから気をつけてほしいと言う内容です。この電話は2月に1回くらいかかってきます。それほど今は特殊詐欺が多いと言うことでした。危険なウイルスが死をもたらすこともあるのはわかります。しかし、他にも凶悪な犯罪や死に至る疾病、事故や問題はたくさんあるはずです。そのような明らかな問題を取り上げるべきだと思います。新型コロナウイルスは皆で予防をして温かく見守るスタンスが大切なのです。新型コロナウイルスの感染力が飛沫以外にどれほど強いものなのでしょうか。インフルエンザも新型コロナウイルスも検査の方法は変わらないのに、今回から皆が防護服を着るようになり、院内感染が脚光を浴びるようになりました。防護服が足りなくなるのは当然です。全国民のマスクや消毒が必須になったことも初めてです。足りなくなるのは当然です。院内感染はこれまでもあったでしょうし、悪く言われることではありません。これらのことは医療が優れていても急にマネージメントできることではありません。日本の政府は批判されることが多くリスペクトされていないこともその要因ですが、風評によって協力してもらえないことも多いと思うのです。急に言われてもすぐにわからないことはわからないし、一時的に今はできないことはできないと言っても仕方ないのではないでしょうか。そこまで批判するほど駄目ではないと思います。話は遡って自分が学生の頃のピアノの先生の話です。その先生は日頃ご自身の演奏活動のことを中心に考えていらして、学生のレッスンはその隙間でやっているような感じでした。昔は、演奏で忙しい先生はそれが当たり前でしたが、自分はどちらかと言うと出来不出来に関わらず受けたかったのです。そんな時にその先生の口癖が「風邪っぽかったら迷わず休んでください!」で、最初はもう下手なピアノを聴くのは嫌なのかと想像したりもしました。理由はご自身が風邪をうつされたら困るからでした。それまで休むなど申し訳なくてできないと考えていたのでかなり刺激的な言葉でした。確かにあとから考えると、音楽の仕事は本番がある限り風邪をひいても休んだら全てが終わりです。自分も振り返れば30年間1度も風邪で休講することはありませんでした。まずひかないようにしていたことと、兆しがあればすぐに薬を飲んで対処療法をして、熱が出ないようにしていました。ですから、音楽を糧としている人は風邪をひけないと思うのです。新型コロナウイルスが空気感染しないのであれば各個人で防ぐことはできると思います。その意味では風邪やインフルエンザと同じで、個人の予防、責任にかかっているのです。それでも人は新型コロナウイルスにかからないために生きているわけではありませんから、経済活動も家族もペットも友人も大事だし、どうしてもやりたい生き甲斐があります。かからないようにするために行動制限を強制されるのは余計なお世話であり、自分の責任で身を守る、やる気を起こさせるようにしたほうが教育的です。その例外が感染者と間近に接する医療関係者や現場を守ることです。本当に感染を0にしないと気がすまないと考えていたり、そうでなければ自粛をいつまでも続けるしかないと言う考えには無理があります。自粛は例えれば、「感染するからしばらく息を止めていてください」と言われるのと同じです。しかし、そうは言うものの、普通に息をしている人と本当に止めている人がいて、明らかに不平等を生んでいるわけで、それで息の根を止めさせることは非道だと思います。ですから、結局は皆が皆、権利や生き甲斐を差し置いて、コロナウイルス対策だけに身を捧げることはありえません。政府が緊急事態宣言の出口戦略を出さなかったのはその意味では賢明です。仮に悪い状態が続いてしまったとしても理屈だけで経済を止め続けることはできない、世の中が納得するような落とし処は絶妙さを求められるうえ、何を言っても必ず反発する人たちに手の内を明かすことは得策とは言えないからです。それに対して大阪府の知事は大阪モデルと言っていますが、大阪は自ら出した条件を本当に充たすことが果たしてできるかどうかです。新規感染者数や感染経路を把握するすることが条件に挙げられていますが、不特定の数人の極めて個人的なことを掌握することは普通は操作できません。できなかった場合に大阪だけ自粛を続けることにならないのか心配になります。コンサートにお客を呼ぶことや選挙で票読みするよりも遥かに難しいことです。「普通の風邪やインフルエンザは治療薬があるから治る、新型コロナウイルスは未だ治療薬がなく死に至るかもしれない」という考えは、一部の専門家や評論家、コメンテーターのつくりあげた定義であって、本当は「普通の風邪やインフルエンザは治療薬があってもたくさん人がなくなり、新型コロナウイルスは治療薬がなくても日本での死者は比較的少ない」のであり、「風邪は万病のもと」ですからいろいろな病気に重症化する可能性はあります。ただ死に至るかどうかはそれもさまざまであると言われています。
2020.05.08
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日々外出することさえ控えめで、マスク、手洗い、消毒に気遣います。今まで不特定多数と出会ったとしても、風邪については特に注意していたので例え感染したとしても、いつしたかはわかります。少し前のデータですが、4月の死亡率は100万人に1人未満です。普通の人はほぼウイルス存在の実感はないと思われます。話は飛びますが、大学の授業でも何の説明を行うにしろ、必ずミスについての注意喚起が伴うわけですが、最近は特に自分でミスを経験しないと効果が表れない傾向があると思います。つまり、実際にリスクに会う、実害を受けて初めて意識して対処するわけです。新型コロナウイルスについては、ほとんどの人が身の回りには対象者が誰もいないのに、制約だけを受けている状態です。この状況で一般の人がメディアや行政の言っていることを素直に聞くかと言えば、相応のリスペクトをしていなければ単にダメ出しをされても従いづらいと思います。「みんなでがんばりましょう!」という程度の言葉だけで賛同できない人は多いはずです。以前メディアに現場で活躍している医療関係者をもっと取材すべきだと意見を出しました。懸命に患者を救っている現場の人たちの姿を見ることが、私たちのいちばんの励みになり、現状を理解できるのではないでしょうか。軽傷者は入院するのではなくホテル等に隔離されることになった時に、メディアがその状況を責め協力しているホテルの近隣住民にインタビューしました。「そのような人が来るのはとても不安だ」という回答を聞き出すわけですが、それは差別や風評を生むとんでもない取材だと感じました。今では病床数の確保として協力ホテルの名前や場所が公開されています。都は5月にホテルの協力を得て2千人分をおさえられたようですが、ホテルの今後の経営リスクも考えると途轍もない奉仕です。都の交渉もかなりの苦心をされたことでしょう。しかし、実際にはホテル療養ではなく自宅療養を希望する人が圧倒的で、大半の部屋が余っているそうです。しかも今は家庭内感染で感染者を増やしていると言われています。少し前に感染していないのに家族への感染を怖れて、家に帰らず車中泊で仕事を続ける芸能人がTVに出ていましたが、実際は感染しても家を好む人のほうが多いのです。なぜ家族のいる自宅療養を好むのかと考えると、重症化することはないだろうと考えている、ホテル療養は差別や罪意識を感じるなどかと思いましたが、より大きいのは、仕事を休むわけにはいかない、廃業や倒産に関わることかもしれません。感染よりももはや緊急事態宣言による失業のほうが問題なのです。さて、世の中もようやくまともな論調が出てはきました。今まで、医療関係者で現状に異論を唱えてメディアに出続けたい人、政府よりもうまい対策が取れるというインテリジェンスをひけらかす人など、客観的にはそんな風に見える識者を多く目にした気がします。そんな中で緊急事態宣言を延長せざるを得ない状況のようですが、今までと変わらずに延長すると日本の株価のさらなる暴落、失業からの自殺がコロナウイルスの死者数を圧倒する、退学者がリアルにたくさん出るのではないかなどから、単なる延長ではなく緩和を含めた案が出ると考えられます。日本における感染力を表す実効再生産数はすでに感染者数の減少に転じていて、諸外国では勝利宣言や経済復活させる局面です。日本はやってみなければわからないことでも何かと責任を問う社会で、問題の解決が遅くなる原因だと考えられます。どんなに名案が考えられてもコロナウイルスと感染者が0になることはなく、感染症として第2派がやってくるのは確実だそうです。レムデシビルのような治療薬が承認されることによって、再び流行があってその影響で死者が出ても話題にされなくなるだけなのです。まったく何の対処もしなかったスウェーデンは、今は高齢者に被害を広げているように見えるかもしれませんが、数年経ってみれば皆が免疫を持ち、経済による被害は何もなかった実績で、いちばんの得策だったと言われるかもしれません。こういう考え方があることを日本人は識っておくべきだと思います。
2020.05.03
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「STAY HOME週間」とかキャッチコピーをつくって皆にやる気を出させる方法。TVでは日々の感染者数をグラフ化して識者にどう考えるかなど質問して、下がったとしても「まだ油断はできない」「第2波がやってくる」など、結果ありきの誰でも思いつくような回答を聞く日々です。STAY HOMEや自粛をしていない人がいる状況を知ったところで、今だからせっせと働いている人と完全に失職状態の人の差は歴然です。例えば、2月から新型コロナウイルスに合わせたかのように続々と聞くのが、自宅で日々を過ごすのにうってつけの映画やドラマを配信するサービスです。今や動画を自分でアップロードすると罰せられるCMまでもがTVで頻繁に流され、世の中一般には自粛と言いながらもメディアはせっせと働いている気がしています。でも、せっせと働いていただいていることに感謝もあります。まず、お医者さんや看護師さん、保健所の方です。最近は出かけたら必ずと言っていいほど見かける「Uber Eats」の配達員。そして皆が本当に苦労しているように見えるテイクアウトシステムです。実は、恥ずかしながら中華の日高屋さんに初めて行ったのは半年以内です。それもテイクアウトから始まりました。ある時レストランを探していてたまたま知ったサイトで、テイクアウトが期間限定で300円引きとものすごくお得だったのです。残念なのは候補のお店がたくさんないことなのですが、その中に日高屋と餃子の王将だけはそのクーポンがどこの支店でも使えました。何がすごいって、定番メニューの中華そば390円が90円です。炒飯は160円、一品メニューの鶏の唐揚げや生姜焼きなども200円ほど。さまざまなクーポンや割引は当たり前の世の中になりましたが、これはすごいなあと感じました。この中華そば、もちろん麺や具材とスープは分けられて入っています。このようなチェーン店の定食屋さんのテイクアウトが、他よりも配慮や食べ甲斐があって美味しいということもわかりました。昨年区の健康診断の結果で、特定保健指導を無料で受けています。日々の体重や歩数を記録しなければならないのですが、1日の目標歩数を8,000歩と定められました(涙)。もちろん自炊もしますが、近所のスーパーでは歩数が足りず、テイクアウトで歩数を稼いでいるところです(笑)。区にも感謝!そんな毎日でいろいろなお店にも立ち寄るわけですが、最近どうもワインやチーズが高くなった気がしています。安くしなくてもどんどん売れるんでしょうね。残念。
2020.05.01
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