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「今日の気温は30度を超えて季節外れの猛暑日となりました」こんなニュース報道をしているテレビを見ました。ほとんどの人が何の抵抗もなく同じことを思ったことでしょう。この言葉には間違いがあります。ところが、同じチャンネルの他のニュースでは間違いはありませんでした。ニュース原稿は内容がほぼ同じでも微妙に異なり主観的だと改めて確認しました。また、人は一度固定観念を持つとなかなか修正できないもので、頭の中を頻繁にアップデートしていかなければ思い込みをしてしまうようです。”四季”はいつできた言葉なのでしょう?〈夏は暑い〉〈冬は寒い〉日本人の一般的な認識でここに間違いはありません。時候の挨拶や俳句の季語などで絶対的な概念があると言っても過言ではありません。しかし、それは昔の観念であって、温暖化と共に変わったようです。梅雨前の5月下旬に30度に達したり真夏のような気候になるのは実はここ毎年です。長い期間ではありませんが、毎年暑くなり「今年は特に暑いね」と皆言っています。もはや「季節外れ」なのではなく、梅雨前の初夏は猛暑だと認識すべきなのです。実際は変わってきているのに、人の認識は昔のままということはたくさんあります。明快に数値化されないことにおいて固定観念は覆らないと言えます。学歴や履歴書で人を評価したり、ブランド名で価値を付けるのはその最たるものです。初めて見たり出会った”人や物”をそれまでの固定観念で位置付けるのも人の習性で、似た”人や物”があったとしても唯一無二だと見極めることが肝要で重要なスキルです。また、人は自身の固定観念に当てはめて考えることを好んでいます。考えをアップデートすることにも抵抗を感じることが多いようです。インターネットの世界では同じ趣味や思想を持つ人と繋がりやすく、自分とは異なる人の意見を遮断するエコーチェンバー現象が起きやすいです。音楽では今世紀に入って同属楽器同士のアンサンブルがとても増えましたが、同じ趣味や思想を持つ人が現実空間でも増えていることを意味しています。一方、SNSではフォローされているからと言っても必ずしも同じ考えとは限らず、考えや言動を静観されたりミュートされていることも多く、一概にエコーチェンバーとは言えません。SNSの意識変化の可能性は、書き込んだ内容や意見に賛成か反対かなどではなく、書き込みのスタンスや読み手への配慮を読み取り、その人となりを察することです。知らないフォロワーが多い場合は尚更で、紳士的な物腰が足らないと思います。手紙をしたためる時の儀礼が、SNSになると途端と品性に欠けています。信念や曲げられない拘りは誰しもあるものですが、歳を重ねれば重ねるほどアップデートも頻繁に行わなければ古びてしまいます。ルールがないモラルに任されている発信はスタンスや配慮によって、世代間の壁をつくってしまうことが多く、内容以前の問題を孕んでいます。
2022.05.30
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人生も後半になってくると、あの時もう少しこうしてよけばよかったとか、後悔していたり反省したりすることが多くなりました。ネガティヴなことを考えていても仕方ないので前を向こうとしますが、あの時はあの時なりに考え、そうせざるを得なかったことが多かったです。今では当時の価値観が真逆に変わったことがたくさんあります。人は子供や若かった時の環境で近い人の影響を受けて生きる上での選択をし、昔は年功序列だったうえに先生の言うことに抗うことはできませんでした。しかし今では先輩後輩があっても形骸的で、歳をとっても敬われません。物事の岐路に立った時、近いの人の考え方に影響されやすいものです。人によって判断が異なるのは周りの人との関わりや環境によるものです。例えば国によって習慣や文化が異なるのもその影響で、マスクをすることに抵抗を感じるか否かもひとつです。昔は大きく影響を受ける環境と言えば、家庭、友人、職場などでしたが、今はSNSやテレビ、ゲーム、アニメ、YouYubeなのだと思います。情報の獲得、共有、伝播が昔よりも手っ取り早いのですが、結果として全く異なる習慣や趣味、価値観の人が林立することになりました。元来、専門的なことはまず専門家の話を聞き、任せられるものは任せるのが建前。なのに詳しいことがわからないまま主観を出すことを良しとする風潮があり、声の大きさや発信力の強さがあたかも正論のように客観性に欠けた、危うい同調圧力や印象操作が繰り広げられています。実際に、SNSにおいて求められているのは①情報収集 ②承認欲求 ③意見交換で、用途は①記事を見ているだけ ②リアルではなかなか会えない人への承認欲求で、記事を連投するのも「いいね」をつけるのも存在感を示すための行為です。③コメントやシェア(RT)は一歩踏み込み双方の意思疎通が認められます。フォロワーや「いいね」をつける人が何人いようと支持者であるとは言えず、「いいね」の数は話題のチョイスによってもほぼ決まります。お祝い事、時事で共感できることを言った時、皆が共感できそうなレビュー、美味しそうな食べ物、愛くるしいペットなどでバズることがあります。逆に視点が鋭すぎる内容、フォロワーの分野と関係ない話題は微妙です。素直に共感できるかどうかがポイントで、上手いこと言う必要はありません。ただ全く関連性のない、自分にとって活かしようのない話題は、若者がもっとも退くことで今や授業でもっとも留意する必要があります。オミクロン株の亜種BA.4、BA.5が検出されていることは周知のとおりです。感染力が強く免疫が通じないことが言われています。しかし、感染者数が減少している現在にこの情報が必要でしょうか。専門家内で共有する情報ではありますが、一般人には対処のしようがありません。メディアはなぜこのような無用の情報を垂れ流すのでしょうか。25日に北朝鮮がミサイルを発射したことを同国メディアが報じないことに、韓国メディアが疑問を投げかけていることについて報じられています。つまりニュースは報じる側で厳密に選別されていることを意味します。今のKAZUⅠの引き揚げ情報、遺族の方に詳細な情報を提供する必要はありますが、KAZUⅠをどのように引き揚げるかということをドラマ化することではなく、引き揚げた船体から何がわかるのかが最も知りたい事柄です。阿武町の誤振込の問題も全て分かった時点で知らせてもらえばいいことです。遭遇する可能性の少ないニュースで、どれほどのことか推し測れない情報の押売は、大学の授業でも学生が退いたり、履修の取消に繋がったりします。ましてそれがテレビなどのメディア情報であれば、世の中への不信に繋がり今後の社会に良い影響はもたらしません。
2022.05.27
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歳をとっていいことは何事にも囚われずに我慢もしないことだと思います。嫌なことはしないことですが、それには疑問に納得することでもあり、しっかり話せば理解できることを「まぁいいか」とはしないことで次が生まれ、「まぁいいか」としてしまうとそのことに徐々に遠ざかってしまうことになります。さて、よく行くスーパーマーケットのどうでもいい小さな話です。出先で食べようと思って物色していたところカツサンドが目に入りました。しかも298円ともとから安いうえに10%引になっていました。カツが分厚くて美味しそうに見えたので躊躇せずに買い物かごへ入れました。他にも何点かまとめてセルフレジで会計し夕方に食べました。予想どおり美味しかったので、嬉しくなってレシートを見返したところ、何と100円違いの398円で10%引になっていました。しかし、貼ってあるバーコードの隣の金額は298円になっています。やられた感が強くその店を今後も使うことを考えるとはっきりさせようと考え、22時まで開いていることがわかったので帰りがけに再度立ち寄りました。お客さまカウンターに向かい、事情を説明したところ中の2人はやや訝しげで、表記にミスがあることはわかったようでしたが、次のように言いました。「この商品の定価は398円で合っているのですが…」カツサンドの内容からおそらくそうだろうということは想像つきましたが、「では、バーコードが間違っていたのですね。分かりました。」と受け入れられるか?人のいいお客は「だったらそのままの金額でいいです。」と言うかもしれません。こちらがそう答えるのを期待して言ってのかもしれません。しかし、398円で了承させたかったら説明の言葉が足らないと感じます。「バーコードは合っていたのですが表記されている金額にミスがありました。従業員が間違えたようです。申し訳ございません。」と謝罪が必要です。こちらが「その金額でいいです。」とは言わなかったところ責任者が来ました。「払い戻しはレジ担当で行います。ご一緒に来てください。」レジのところまで行き、レジ担当者が再度読み取りを試しますが結果は同じです。クレジットカード払いでしたので、支払いの取消と手入力で修正返金されました。表記されている金額とバーコードの中の金額が異なることがあることを認め、責任者とレジ担当者の方は丁寧に謝られていました。たかだかこれだけのことですが、何も言わなければこの店を信用しなくなります。ですから、思ったよりも手間がかかりましたがクレームはお互いのためです。
2022.05.25
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自分の意見は少数派であることが多く同じことを考えている人が少ないです。敢えて人と同じであることを好まないことが要因ではありますが、だからこそ個性やオリジナリティを尊ぶ傾向でもあります。そんな自分が、SNSを社会勉強と思って見た時には見れば見るほど疲れます。だからこそ動物やキャラクター、食べ物で癒されようと人は走るのでしょう。自分の記事には「いいね」を付けてもらいたいとは思わないタイプです。人には多く「いいね」を付けたいのですが、付けられる記事は少ないです。記事の事柄そのものよりも意図や裏の感情が見えると気持ちが萎えてしまいます。ひとつのことを見ても感じることはさまざまな意見があって当然です。問題はその表現の仕方で、他の人もそんな汚い言葉を使っているのだから、自慢を書いているのだから、同じように書いてもいいんだとか、「いいね」をしているのだから自分もしてもらいたいなどとなりかねません。SNSの良さとは個人情報を知らなくても声を届けることができること、必要としている知識や情報を容易に知ることができるなどが大きく、癒される動物の画像は人気が高いと思われます。子供の画像などは投稿者との関わりによって反応が変わるようです。ひと昔前の日本にあった謙虚さや健気さが感じられないことが残念です。主張や意見をはっきり言うことも大事ですが、謙虚さや健気さを込めて、もっと言えば読む人へ少しの愛情を込めても言うことはできます。また異なる意見があることや配慮があっていいのではないかと思います。しかし、この大元はやはりテレビにあるように思います。民放のニュースのVTRに伴うナレーション原稿にはいつも疑問を感じます。印象操作や意識誘導があり、この点についてはNHKのように客観性が必要です。前にも書きましたが、ノンフィクションに音楽を付けるのは演出の一環です。例えば、ウクライナ侵攻の動画に音(音楽)を付けるのは不謹慎に感じます。日本が侵攻されていたならとても付けられない筈です。また、他国の政権関連のVTRで「◯◯氏は一人だけマスクをしていません。」と、問題意識をすり替え同調圧力を与えたうえでの価値観批判には意識が疑われます。こんな報道を他国の現地の人が見れば憤るのではないかと思ったりします。そんな中、テレビ朝日が伝えた街頭アンケートでは、マスク着用を緩和したほうがいいという意見が70%あると言います。これは意見ではあるのかもしれませんが、では実際に7割の人が外すかと言えば、外すと何を言われるかわからない恐怖の擦り込みがまだまだ邪魔している筈です。ジェンダー平等について、最近言われているのは差別を受けているのは男性だと。中野信子氏がバラエティ番組で言った「夫は寄生虫みたいなもの」発言は、男性について言ったものでこれが逆であれば確実に問題化するというものです。この方はワイドショーでの口調や意見はバラエティ番組と異なり、脳科学から導き出した話し方なのであればとてもいいとは思えません。阿武町の誤振込問題について、なぜこの問題をこれほど大きく報じるのか、SNS上ではそんな意見も多いように思います。前にも書きましたが、自治体のデジタル化の遅れを指摘するのであれば少し理解できます。しかし、この話題よりも増え続ける特殊詐欺について報じたほうが世のためです。バイデン大統領が訪日して、いつになく伝わるものを感じます。岸田総理と握手した時のバイデン大統領の素敵な笑顔は初めて見ました。リラックスした笑顔は米国メディアが報道してこなかったのかもしれませんが、日本メディアの情報の切り取り方も偏っていないか注視が必要です。
2022.05.24
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阿武町の給付金問題について、最初は何とエキセントリックな話かと思いました。なぜこんな事態になってしまったのか、また毎日報道されるのか。しかし、真相が少しわかると現代の問題性がたくさん含まれていると感じました。エキセントリックな事件ではなく、今、今後のリアルな問題かもしれません。①いちばんの問題は、4,630万円もの大金を誤送金してしまったことです。自分のお金で4,630万円動かすとなればかなりの緊張感が出るはずです。このミスが厳しく問われないのはよくあるミスだからではないでしょうか。スマホやパソコンでの個人送金ミスは世の中でかなりたくさんあると思われます。②受け取った側が返金しなければ責任を問われることは容易に想像できます。しかし、今は状況や立場を抜きに考えを主張するのが一般的になりました。さすがに4,630万円を誤送金したと言われれば返す義務を感じるのが普通ですが、金額がそこまで高くなければ誤送金するほうが悪いと言い張る人もいるでしょう。③市町村から全住民にお金が振り込まれることは今までなかったことですから、いきなりすぐに給付しろというのは無理があることがわからないではありません。しかし、今の時代に役所がフロッピーディスクでやり取りしていた事実を知ると、今回のニュースのもっとも大きな論点として多くの人が呆れ果てたと思います。役所や官庁、有名人の中にはコミュニケーションの方法を変えない人がいます。例えば連絡はFAXでしか受け付けないという人が最近でもいました。返信もある程度儀礼的な文面で迅速に返してくれればいいのですが、限って明らかに上下関係を意識させる失礼な返信をしてくる人がいます。デジタル化の遅れとは昔の格式ばった序列の名残りがあると考えられ、「◯◯でなくてはいけない」と言う時は理由が明確でなくてはなりません。その意味が継承されていないためにミスが起こったり齟齬が生まれます。今回もFDを使うと知った時点で、新人は???となり落胆したと思います。
2022.05.19
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今日からバスソルトを変えました。パーフェクト・ポーションのフレッシュ・バス・ソルトです。温泉に入った時のような入浴後の充実感みたいなものが感じられます。オーストラリア産です。と、楽しみにお湯を溜めていたら何とお風呂の灯りがチカチカし始めました。結局入浴は後回しにしてその後ヤマダ電機で管球を変えました。同型のものはなかなか見つからないことがあるのでキレた管球を持って、管球売り場に着いてすぐにどこにあるのか店の人に聞いてみました。売り場の店員さんはすぐに見つけてくれてとても親切でした。レジに行ったところ、またもやとても爽やかで感じのいい方でした。ここではスマホからデジタル会員証を出し、ポイントをつけてもらってから、クレジットカード払いにしていますが、従来よりもコミュニケーションが生まれます。ちょっとした言い回しに気遣いが感じられ笑顔が素敵でした。ここでQRコード決済を選ぶとお客側にもスマホ操作の手際が要求されますが、店員さんの接客スキルも要求される時代でもあります。今回のような店員さんであれば毎日でも行きたいくらいです(笑)いい気分で帰れたこともあり、すぐさま追い焚きしてお風呂に入りました。
2022.05.19
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人のことを観察するのが職業病のようになっていますが、お客側の立場であると目がやたら厳しくなってしまいます。自分としては持病のかかりつけ医として好んで通っていた病院でしたが、1回でもきちんと診てもらえていないと感じたら気持ちが萎えます。かかりつけ医を変えるとなると別のお医者さんを探さなければなりません。循環器系は病院に行ってみないとよくわからず選ぶのがなかなか難しいです。ひとまず最後のつもりでいつもの病院に行くことにしました。いつもの先生ではなく院長先生に受診して思いの丈をやんわり言ってみました。質問に対しては全てわかりやすく答えていただきました。病院で血圧を測ると普段が嘘のように120を切るくらいの数値が出るのですが、今日ばかりは低くないだろうと思ったらやはり上が138でした。よくわかりませんが塩分が多いとかではなくストレスが起因しているようです。ひとまず常時140を切る事が目標とのことです。そんな帰りの受付で渡されたのが、次回の来院予定を記した紙でした。いつもは受け取ったことがなく初めてだったので理由を聞きましたが、本当は薬を飲むのをサボって2週間くらい遅れたからではないかと想像します。この紙を見てエモーショナルなものは全く感じません。このような紙を敢えて渡すのであれば、傲慢な発想かもしれませんが、掠れるようなペンではなく数字に気持ちをこめて書いてもらいたいです。病院とは医院と違い昔から事務的でまったく変わっていないようです。今日癒されたのはいつも薬を処方してもらう薬局です。担当の方は同じではありませんが、薬についてお医者さんくらい説明し、こちらの身体のことをいろいろ確かめてセカンドオピニオンとして貴重です。薬剤師さんの本来あるべき姿なのだと思います。何より感心したのはお医者さんでも共有していないような、前回話した質問の回答をデータとして記録されていたことです。最初はサービスでいろいろ聞いているだけかと思ったりもしましたが、毎回少しずつ変わる薬の特性や効果についてマメにチェックされていました。日々自分で血圧を測り数値を記録していると虚しくなることが多い中、親切に薬を出してもらえると毎日飲んで血圧を下げようとやる気が出ます。結果的にはやる気が出てよかったと思えた一日でした。コミュニケーションひとつで気持ちがまったく変わるのです。
2022.05.17
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ガス給湯器を新しくしてからずっと贅沢なお風呂に入っています。バブルバスやバスソルトで今までとは全然違うリラックス感があります。この快適なお風呂を実現した給湯器を取り付けてくれたのはキンライサーです。6社の比較でキンライサーが受付、営業、工事とシステムが最もしっかりしていました。迅速に事が運びそれぞれの担当者さんの印象も良いのは言うことありません。テレビCMがある会社は安くない経験がありますが給湯器は違いました。ダチョウ倶楽部が宣伝しているキンライサーですが、上島竜平さんが亡くなってからもホームページは温かなコメント入りで変わっていません。今回はあまりによい匂いがするので昔から何かある毎に少しずつ使ってきたバスソルト、LE JARDIN DE L'OLIVIERのシリーズで、最後の1回分だけ残っていた年季ものです。バブルバスの素は前回にも載せた同シリーズのもので混ぜて使いました。今回はフランス産で決まりました!
2022.05.17
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学生の頃、「Noと言えない日本人」「縦社会の日本文化」など、日本人の特性を表す本を社会学の授業で読むように課されました。これからは日本人も変わるだろうと期待していたところが、何年経っても社会全体は結局変わっていない気がします。しかし、子供たちや若者たちはNoと言え、大人に寄り添うことも少ないです。Noとは言わずにスルー(選別)したりうまく意思表示しようとしますが、傾向として小さい頃から自分の好みのものを選んでいくことが信条です。0から何かを生み出すことは苦手で教わっていないことには指示待ちです。その意味で自由を制限されることは極めて苦手だと思います。コロナ禍でも日本ではデモや暴動が起きたりすることはありませんが、協力的でまじめそうな国民性に見えても皆思ったほど言うことを聞かず、多くの人は指示を仰ぎながらも様子を見て無難な方向性を窺っています。自由を制限するには論理的でわかりやすい理由が必要です。古市憲寿氏は、世の中に一石を投じられる唯一まともなコメンテーターです。この度もコロナについてメディアが煽ったことについて言及しました。マスコミとして政府の有識者会議に参加しているのは然りです。メディア側としてはなぜ彼が呼ばれたのかと言いたいようです。メディアの著名人、林修氏はコロナ関連の話題を進んで話していないと思われ、池上彰氏は当初率直な物言いをしていましたが、すぐにテレビ側になり、GACKT氏はコロナを茶番として発信し続けたところ活動休止しました。最近「マスクはいつ外せるようになるのか?」と聞くようになりました。マスクを着けなければ非難を受けるまでになった習慣をやめるには、マスクをつけた効用、着けなかったらどうなるのかを明確に理解することで、理由を実感できている人が極めて少ない現状は決断できないでしょう。マスクはコロナに限らず感染症のためには着けたほうがいいのは確かです。どんな小さな風邪であっても罹らないほうがいいに決まっています。しかし、それを言い始めたら日本では永久にマスク着用になってしまいます。こう言う時こそ、海外ではなぜマスクをしなくなったのかを学ぶべきです。マスクをすると表情が見えずコミュニケーションに支障が出ることが理由です。日本の世代間におけるコミュニケーションは今や殆ど形骸化してしまいました。コミュニケーションすることを簡略化し、面倒と考える人が増えた気さえします。欧米ではマスクをしないことが生きるうえでそれほど重要なことなのです。映画やドラマでマスクをしていないのは表情がわからなくなるからと思われます。しかし、検査やワクチンを受けているから着けなくてもいいという法はない筈です。会議やお祭りですらマスクをしていますが、職業や目的が理由にもならない筈です。本当に感染力が強くて罹ると怖いと言うならばマスク云々ではなく自粛すべきです。コミュニケーションできないのではなく、する意志がないのは問題です。皆がマスクをして生きる社会は明るい未来にならない気がします。休憩時間やお昼休みにひとりでいてひとりで昼食をとる学生をよく見ましたが、黙食を推奨してSNSの交流で、好みで他人を察したりスルーしたりする習慣で、リアルに話すとアポからギクシャクして、この先大丈夫なのかと心配になります。
2022.05.16
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小学校の同級生から何と半世紀弱ぶりに連絡をいただき会うことになりました。その同級生は大手町で世界中の外国人が勤務する会社の社長で、長く生きていると信じられないようなことが起きるものです。家が近いこともあって食事に誘っていただいたことは感謝しかありません。お店もおまかせにしたところ、今までもっとも遠い呑み方だった、点心を中心に紹興酒を飲むことが実現しました。中華料理屋さんで紹興酒を注文することはありましたが、これまではとても美味しい点心というよりも焼餃子で飲んでいたわけです。自由が丘の鼎’s by JIN DIN ROUは駅から1分の立地です。羽付き焼小籠包が看板メニューとのことで、お店の表側の窓にも宣伝されています。2階にありますが、入り口はこの写真の裏側に回ってエレベーターで上がります。雰囲気は中華という感じがなくお客は若い人が多かったです。「羽付き焼小籠包」はピザを切るピザカッターがついてくるというユニークさです。せいろに入った「蒸し小籠包」。他にも「焼小籠包」各種、「水小籠包」などが味わえます。「鶏肉のカシューナッツ炒め」は絶品!ひとかけらで酒が進みます。思ったよりも大盛りだったのは、「フカヒレとトマトの極上ふわふわ玉子」。まず思いつかない取り合わせ、家でも作らない珍品でした。玉子をたくさん食べられます。紹興貴種5年。このあと3年も。炭水化物は取らずデザート、杏仁豆腐。美味しかったのでついつい緩んでしまったなぁと反省しています。自分の勝手な話をし過ぎたことや、知らないうちにシャツにシミをつけていたり…。小籠包の食べ方としては蓮華に乗せて中のスープを先に味わうわけですが、スパゲッティのソースもよく服に飛ばすタイプで、不器用でだらしない自分に呆れます。あとあと、話題の中でうまく伝えられなかった点を思い出しました。AIの話が出た時に最近のAIの投資信託が他よりも大きく値を下げている話をし、AI関連企業に投資しているファンドではなく、AIが運用しているファンドのことでしたが、うまく伝えられなかったこと。都立大学、学芸大学はその名の駅の近くにはないのですが、そこに駒澤大学も入っていて、駒澤大学は駅の近くにあることをスルーしてしまいました。まっ、そんなたわいもないことを思い出しながら、美味しかったからまぁいいかと。中華街やらこの種のお店で呑むことにハマりそうな予感がします。
2022.05.12
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クレームに対応する日本語がそもそもないと言うことで、日本では昔から苦情とクレームが一緒になっているとのことです。クレームや苦情をSNSで発信し、それをメディアが取り上げ、話が一方的となり苦情を受けたほうが謝る例が絶えません。吉野家が採用説明会に予約した大学生に対して、外国籍と勝手に判断し拒否したことから、学生がSNSに書き込み吉野家に非難が殺到したとのことです。またかと言う気がしますが、一連のこの流れは解せない部分もあります。まず、この場合は明らかに誤解を受けているわけですから、すぐに「自分は日本国籍である」ことを吉野家に言えたはずです。ましてや自分を採用して欲しいほどの会社であればなおさらです。企業担当者に直接言わずに、報復のようにSNSに晒すのは当世風に思えます。次に、企業の採用条件で記されていることは一般的には参考であって、実際にどんな人材を募集しているかはタイミングや事情で異なるはずです。これはいかなる企業であってもあるわけで人権とは関係ありません。採用条件について採用される側がクレームを唱えることに無理があります。コンビニや吉野家などは庶民的なイメージが原因で叩かれやすいです。店舗で働くアルバイト店員ではなく社員の募集ですから狭き門の筈です。因みに吉野家は全国で1,200店舗ありますが従業員は333人ということです。1980年に一度倒産していて、今のようになったのは凄いなぁと思います。27年ほど前にパリに住んでいた時のことです。当時、空港にはdéclamation(申告)というクレーム窓口がありました。空港でスーツケースを受け取り家に着いて壊れていることに気がつきました。補償を受けたかったのですが、空港に行くには遠いと感じ少し迷っていました。迷った理由は、当時はクレームを言うことに慣れていなかったからです。フランス語で苦情を言うだけなら泣き寝入りも考えられますが、フランスでは何につけても相手がわかるように説明できるかどうかが鍵でした。この時も事情を話せたら修理代を航空会社が出してくれることは知っていました。そこで電話をしたところ、「修理はさせてもらう」とは快く言われたものの、「なぜもっと早く知らせなかったのか怪しい」とも言われました。ごもっともです。ただ言い換えれば「誰が壊したか分からなくなるからクレームは早く言え」となり、この時は言い分を信じてもらえた喜びと同時に教訓もいただいたと言えます。その後、パリ市内の鞄修理の店を紹介され持って行き、無事に無償で直りました。今は日本にも大きな企業にはカスタマーセンターがあり、その会社との取引において不利益なことが生じたら申し出る窓口です。会社の対応についてお客側に立って話を聴く会社の専用窓口ですから、そこを飛び越えて苦情のためにSNSを使うのはやはり余程のことです。社会的制裁を与えるためや誹謗中傷としてSNSを使うと傷つく人が出ます。今回の件は吉野家に直接交渉して説明会に参加させてもらうことが得策で、ここまで話題になると、仮に外国人が入社できたとしても禍根を残しかねません。権利を主張するのは大事ですが、相手を尊重する見方や謙虚さも大切です。
2022.05.09
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木村拓哉さんと工藤静香さんの娘で桐朋学園大学在学中のフルーティスト、Cocomi(木村心美)さんが題名のない音楽会に出演して話題になっています。親の七光りでテレビ出演が決まったと噂されていることに記事が出ています。これだけの前評判が出ること自体、理由はともあれ大成功です。この記事の中で58年続いている長寿番組という説明の中で、最初の司会者、現代作曲家の黛敏郎氏の名前がないのはどう考えてもおかしいです。また、番組の紹介として「本格的なクラシック番組」と書かれていますが、昨今の番組内容から考えて全く本格的ではなく半分以上が他ジャンルです。そんな記事の話ですから真面目に受け止めないほうがいいとも思います。しかし、ここで語られている「親の七光り」について思うことがあります。社長の子は社長、親族が重役は世の摂理で文句を言うならそちらです。今回は、七光りで心美さんが出演できたかのような周知自体が問題だと思います。心美さんの両親から考えるとクラシック関係者でも興味はそそられます。番組制作側が視聴率を取るためにオファーするのは必然だと思います。若手フルーティストで彼女よりもっと上手に吹けると言う人がいるでしょう。しかし、21歳になったばかりの演奏として遜色はありません。若さを考慮すれば今後の可能性は大きいと感じました。ただ、視聴率主義のべたな「歌うような音色を生み出せる楽器」などという、フルートの紹介が演奏動機の前面に出ることはとても素人っぽく映ります。結果として有名な歌をフルートで吹いていますが却って評判が気になります。もう一つ気になるのは番組での紹介の仕方です。誹謗中傷を避けたためか、両親の名前は出ませんでした。理解できますが周知されるのは時間の問題です。あとCDのレーベルのデッカ・ゴールドを「名門レーベル」とだけ紹介するのは、宣伝すべきところあえて言わないことに不自然でおかしいと思いました。デッカ・ゴールドがニューヨークで日本ではないからかもしれませんが、クラシックでは英デッカがロンドン・レコードとして有名です。このリリースこそが親の七光りと言われても仕方がないかもしれません。いずれにせよ、心美さんに強力なプロデューサーがいるのは確かなようです。フルートで歌を歌いたいというのはほぼ全てのフルート奏者の願望でしょうが、フルートらしいと言えば、細かい音のフレーズやパッセージを踏まえ、躍動感のある動きの中で個性を表現できます。長い音を中心とした旋律だけでは原曲の編成のほうが芸術性が高まります。「音色」についてよく言われますが、楽器そのものや材質による影響が強く、ある程度の力量があれば優劣や個性を競う対象にはならないと思われます。その奏者の音色と言っても楽器やリードが変われば変わってしまい、例えば独特のヴィブラートをかけるなどが比較対象になると思われます。さて、番組内での演奏について書きます。共演した中でも、ピアノの金子三勇士さんが何枚も上手で素晴らしかったです。「Ave Maria」では金子さんの表現が心美さんを追い越す局面がありました。番組後半はピアノが高木竜馬さんでしたが、ピアノがなぜ2人いたのかは疑問です。心美さんと高木さんが演奏したのはラフマニノフのヴォカリーズでした。ラフマニノフと言えば、甘い旋律とロマンチックな和声が印象的ですが、実は巧みな対位法を駆使をしていて音楽は複雑な構造をしています。音が多く演奏は易しくないので、よく旋律と和音だけにする編曲が目につきます。今回のヴォカリーズも中間の複雑な箇所を独自の編曲で装飾されていました。ラフマニノフが表現した音楽は、日本人がイメージしているようなものではなく、ロマンチックと言うよりもロシアチックで暗く混濁していたと考えられます。今回も装飾的な音が増え対位法的な葛藤がなくうわべ上の美しさが際立ちました。ラフマニノフについてはもっと音楽的な構造を理解したうえで旋律を歌い、チャラチャラさせないで作曲者の本質を考慮してほしいと思います。心美さんがこの音楽に共感して演奏しているのは感じ取れますが、この曲はこんなもんじゃないと感じた声楽家や音楽家もたくさんいたと思われます。
2022.05.07
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5月13日公開の「シン・ウルトラマン」について出演者の記事を見て、こどもの頃にテレビで見た最初の「ウルトラマン」を思い出しました。当時の「ウルトラマン」は大人のフィルムへの一生懸命な気概を感じさせ、全てがわからないながらも子供ながらに真剣に見ていた気がします。当時の「ウルトラマン」が扱うテーマは当時の社会問題であったりもして、表現がリアルでさまざまな意味で世に問う姿勢が感じられました。今回の記事には「今の時代に必要なものがたくさん詰まっている」と書かれ、半世紀前の「ウルトラマン」とは異なることを意味していると思われます。再放送しか見ていませんが、前身作の「ウルトラQ」というドラマがありました。ウルトラマンは出てきませんが、怪獣や異星人が出てきたり特撮満載です。白黒テレビだったこともあって、子供にはホラー映画のようで怖すぎました。今で言えばフジテレビ系列「世にも不思議な物語」に近いです。YouTubeには「ウルトラQ」の関連動画がたくさん見つかります。今となっては仕掛けまでわかるような発展途上の特撮であっても、何を表現しようとしているかが如実にわかり、ひとえにリアルさを追求し、シンプルな中にも全てが個性的で今もなお味のある新鮮さがあります。音楽においても表現や楽器用法が当時として先端的で素晴らしいと思います。また、音楽がついていない時間が間として緊張感を持続しています。この緊張を持続する脚本が当時を特に象徴していると感じます。ルーティーンな表現がなくリアルを追求している姿勢が見てとれます。今のテレビの表現と何が違うかと言えば、シリアスさと新しさだと思います。さまざまな意味で新鮮味がなく、今は修辞的なルーティーンを感じさせます。テーマはいくつかあるものの、手法は上書き的で不必要な演出に飽きてしまいます。「〜と思いきや」「何が起こったのか!?」などの婉曲な表現にマンネリを感じます。演出面で似た手法をとることに、個性の表出や芸術的感性の欠如を感じます。また日常でも「喜怒哀楽」の「怒」と「哀」をシリアスに表現しない慣習があります。「喜」「楽」は表出するのに「怒」「哀」をしまったままでは心のバランスが崩れてしまい、エモーショナルなストレスが別な方向に出やすい気がします。日本人が本音と建前を使い分けたり、婉曲的な表現を好しとする傾向が、コミュニケーションにおける適正な判断にもいよいよ支障をきたしている気すらします。その例として、ワイドショーの中で発した杉村太蔵氏のウクライナ侵攻の米国批判で、朝日新聞元モスクワ支局長の論説委員を番組中に怒らせてしまった件があります。プーチン大統領に対して「侵攻をやめなければロシアを攻撃するくらいの意気で、強気に圧力をかけないから侵攻は終わらない」という趣旨を言ったわけですが、是非は抜きにしても現状における人の拮抗状態を読み間違えているのは確かです。杉村氏はプーチン大統領や論説委員に対して何を言っても怒らせないと思っていたのです。SNSでは大人がテレビで激昂することはよくないと言う意見もありましたが、むしろ大人がエモーショナルに怒る時がどんな理由でどの程度かを知る意味で、本音で語れるコミュニケーションの局面があることそのものが重要です。気持ちを推し隠しては適正なコミュニケーションが取れず齟齬が生まれるからです。Twitterで中高生と思われる女子が「楽譜上でfa#とSol♭はどう使い分けられているのか」という質問をツイートしたところ10件以上の回答が寄せられました。ところが正しい回答はなく、異なる答に対して質問者は逐一お礼の返信をしていました。なぜ皆に問うのかが疑問でもありますが、答えた側への疑問もたくさんあります。答に自信があるとは思えないにも関わらず答えるのは、問いへの関心ではなく、女子中高生に教えてあげたい、繋がりたい一心で返したのでしょうか?Yahoo!知恵袋に似た状況ですが、Twitterでは匿名性が薄いので状況はやや異なります。問題は正答が一連のリプライ(返信)からではわからずどう受け止めるかです。Twitter上では異なる意見があってもほぼ並列化され、まともな議論はしにくい環境です。しかし、書き込まれている案件の的確な答は数%くらいではないかと思われます。客観的に見ている限りでは90%はフェイクだとも受け取れますが、この世界では信じたいものを信じ、フェイクかどうかより当事者の関係が重視されます。「子供たちのために」と聞かない日はありませんが、こどもの日ではさらに多く、スポーツ選手には「子供たちが憧れるようなプレーができたか?」とインタビュー。価値観が真逆だった30年くらい前は驕った発言として戒められたものでした。今はコロナ感染防止、SDG'sと言えばNGだった価値感が一転よくなったりもします。大きな夢を持って地道に計画的な人生設計をすればするほど、物事の価値が変えられてしまったり圧力を受け赤字を出してしまうことも事実です。公費を借りても返済できず自己破産してしまう人たちはとても増えているようです。その人達の怒りや哀しみを受け取る優しさとコミュニケーションが望まれます。
2022.05.07
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今、メディア上で盛んに中高年が責められています。中高年の過失で若者や子供が苦しんでいる設定で、昔では考えられなかった世代間における気遣いを強いられています。しかし、対面では気遣いができてもSNSではまだまだ本音や人が出ます。何かとコミュニケーションツールのLINEを使わないと不便になりました。LINEは若者のほうがベテランで通信回数も圧倒的に多く使いこなしています。コミュニケーションとしては対面での会話も少なく電話も限られた人だけにしかせず、昔の電話の代わりがメールやSNSのメッセージ機能です。私見では通話に慣れない、或いは好まない若者が多いと思われます。急用でなく電話で話す時は、いつかけていいかの連絡がSNSで届きます。このことからメッセージは中高年が考えているほど軽いものではなく、関わり方によって要件や語調、頻度も変わるものだと考えられます。LINEのグループ設定はたいへん便利ですが使い方が難しいです。面識がある人同士か、参加人数の規模、グループ目的の温度差などが問題です。同時にたくさんのグループに属している場合は、コメントを読むだけでも忙しく個別のやり取りもあり煩わしいこともあります。そのグループ全体に関わる要件以外のメッセージは配慮が必要で、若者は自分に直接関係しないことで気軽に扱われることに昔ほど慣れていません。少し前までは時折自己主張の強いメッセージを出していた若者も今やいません。個人的なことは個別に関わるか別にグループを設定し、連投するのはまずいです。写真はアルバムを作成しTLに直接載せない、夜中や早朝は避けるなどが必須で、感謝を言うのも個別にメッセージしたほうが全体に言うより遥かにいいと思います。昔であれば個別に手紙や電話で行ってきた案内や告知などをSNSで行うのも、中高年にとってはありがたみが少なく個別に思いを知らせてほしいでしょう。年配の方が上記のモラルに反して、個人的な関係をグループLINEに連投したり、個別の会話をグループLINEで行うと、自分が代わりにヒヤヒヤしてしまいます。自分ですらそのグループを退会したくなるのですから、若者はどう受け止めているか、中高年全体が老害だから仕方ないというレッテルを貼られていないか心配になります。老害の象徴はむしろテレビの中に出てくる人で、その影響があると思います。新しい時代の考え方と言っている割に、昔ながらの縦社会を感じさせます。世の中の事故や事件を結果的に見て、管理が杜撰だと豪語していますが、現場や末端の人のこと、弱者の立場を本当にをどれだけ知っているのか。一部の強者が願望を要請し、それをさらにあたかもモラルのように発信する時代。追随する次の強者、また強者を迎合する事勿れ主義な人々が保身を正義とする社会。そこに創造的な哲学やアイデンティティが発揚することはなく、そこにあるのは、侵攻のような旧態依然ではない、新手の支配のかたちの模索です。
2022.05.03
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