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2010年頃から日本ではますます個人主義が広まりました。自分のことを磨くには一途に打ち込む意味で適しています。10代にして大きな成果をあげている若者はたくさんいます。その間に他者との関わりの中に何が生まれるでしょうか。物事の多くは自分ひとりで打ち込み努力することが多く、他者を自分と同等、あるいは自分より優先することは少なく、両親など特定の人や儀礼的には感謝や思いやりを持っていても、それ以外の他者への配慮や優しさは感じられないものです。他者とは慣例的なやりとりでは目すら合わせない状況、これは極めて日本的で海外ではそうではないほうが多いです。日本の個人主義は他者に関心を示さない方向に進んだと言えます。余計なコミュニケーションを明確に省くのが今のステイタスです。10代の頃、自分もやや人見知りな面があり変えようとしました。それは、ひとまず会った人には極力挨拶をすることから始まります。しかし、今は同じ職場、学校、近所の知人であっても関わりは薄く、話す場はあるにも拘らず、本心の交流はネットの中なのが象徴的です。実際は何をするにも会って話をするのがもっとも効率的です。相互理解や齟齬をなくし物事を的確に進めるのにも会うことが重要で、テレワークで進められるのは関わる人が優秀で協調性があるからです。ただ返信が遅かったり、手順が効率悪くとも責められません。問題山積なのは物ではなく継続的なサービスを買う場合のやりとりです。担当者が個人主義的な場合、お客に会社のルールを伝達するだけです。契約をとることのみが狙いで、お客のその後のことは気にしません。後のことは担当部署も変わり、責任が分散するようになっています。対面では行わないキャンペーンと称する契約が増えました。簡単なものでは、まず当たらない低確率の高価な景品が付いています。これらは他社に打ち勝つ顧客確保のためであることが目的と言えます。その結果、手続きが恐ろしく煩雑であったりわかりにくいこともあります。そんな時、多くの人はお客様センターや問合せに連絡します。最近多いのは「よくある質問」、チャット、メールですが殆ど役にたたず、早く解決したいと考え電話問合せをしますがなかなか繋がりません。ここでオペレーターのコミュニケーションスキルが重要になります。回答マニュアルは把握しているオペレーターであっても、お客は自分の質問に対する納得できる回答を求めています。オペレーターはマニュアル以外の部分で誠意のある話ができるか?コミュニケーションを重視していた中高年世代に歯が立つでしょうか?オペレーター対応の問合せの後にはその会社からアンケートがよく来ます。担当者が適した回答ができているかどうかは会社も不安なのでしょう。会社の戦略で次から次へ繰り出されるキャンペーンに対して、窓口のオペレーターは面倒がらずに的確な対応ができるのかは疑問です。まずは話が噛み合うかどうかも怪しいことがあるかもしれません。対面での説明を一切省くことは販売ではテレワークより難しいわけで、コミュニケーションギャップが輪をかけて酷くなっている気さえします。気がかりな時はキャンペーンには乗らないほうがいいかもしれません。
2022.10.30
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新型コロナウイルスの第8波とインフルエンザの同時流行、昨年と同様に今年もまたこの話が出ています。リスクから考えると起こりうることはわかります。できることはインフルエンザワクチンを受けることです。打っても感染してますが?→違うよ。重症化抑止だよ打っても重症化してますが? →打たなきゃもっと重症だったんだよ。 ずっとこれ。上記はSNSで見つけました。ワクチンは4回打ちましたが、感染していないので効果はわかりません。ただ、医師の薦めや国の負担だったから打ったということは否めません。しかし、感染しない自信がある自分としては、明らかに重要視し過ぎで、世の中の現状を見てもこのことに翻弄される必要はないと思っています。生きていくうえでさまざまなリスクがあるのは事実ですが、そのリスクを回避できるかどうかは人によってまったく変わります。最近、クレジットカード付帯の無料で入れる交通事故医療保険や、対人対物の傷害保険がありますが、それを必要とする確率は低いです。海外旅行保険に入る必要性はあっても国内旅行ではないのと同じです。渡航する国によって保険の必要性が変わるのはリスクが違うからです。全ての保険、あらゆる検査を受けていたら安全性は約束されますが、自分にとってリスクがあるかどうかは自分で決めるしかありません。第7波では感染者数も死亡者数もこれまでの感染拡大で最大でした。少なくとも殆どの人が2-3回はワクチンを打っていたのにです。明らかにワクチン接種が始まった当初とあてが外れています。ワクチン産業を止めたくないのだと勘ぐられても仕方ありません。SNSで多くの「いいね」を得られるのは内容がいかに率直であるか、また読んで率直に理解できるか、そんな法則があります。大抵の場合は意図が演出されていますが、率直に受けとめられば、そのリア充のチラ見せをも含めて「いいね」をする人は多いです。つまり、姑息なリア充のチラ見せ演出ですら普通に容認されます。世の中は、殆どのことが率直ではなく演出に満ちていると言えます。厳しくも優しい先生、ひたすら優しい先生ですら、本質がそうなのではなく、そのように演じていることが多く、時に綻びが出たりします。戦争や侵攻においても攻めている側ですら正義を演出しようとし、人や物事の多面性は無視され善か悪かにどちらかに印象操作されます。先日モーニングショーを降板した玉川徹氏は演出する側として、羽鳥アナの悪役を担っていたとも言いますが、注目されたのは綻びです。世の中への辛辣な批判の口調から感じられるのは、その物事の本質よりも彼自身の見せ方であって、彼を表現していました。そこに視聴者の好みは分かれましたが、時に発言内容に本音が漏れ、日頃の演出的な見せ方に対する批判が今回逆に集中したと思われます。芸術の必須項目は、作者自身の赤裸々な個性の発露だと思っていました。演出がNGと言っているわけではなく、それをも巻き込む個性なのです。すなわち「いいね」を得るために表現するのではなく、表現した結果として「いいね」を得ることが大事なのです。
2022.10.28
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第9回〈柴田南雄音楽評論賞〉奨励賞を受賞した、ー「新しさ」の分析論:現代の音楽における差異、価値付け、そして魅力ーを音楽雑誌「音楽現代」11月号に掲載されたので読みました。「新しさ」の概念や意味付けについて切り込む評論はたいへん興味深く、このことの捉え方次第で音楽史自体に大きな影響を与えると考えたからです。前世紀までは新しい音楽として意味付けされてきたことが音楽の価値に関わり、その音楽の質が担保された時に比較される対象となってきたと感じます。しかしそれが現代では『聴き手は新旧とは異なる価値基準において、ある作品が既存の作品に勝ると判断した時だけ、「新しさ」の認定に繋がる要素を比較要素をして選び出す』と言います。『本来ならば差異は比較行為によって浮き彫りにされるべきだが、実際には、連想と価値判断の循環によって支配されている』『歴史的「新しさ」を際立たせる物語(それは作曲家自身による解説や、後の音楽史記述によって伝えられる)を知らずに、単に演奏のみを聴いた場合、なんら「新しさ」が感じ取られないことがあるのだ』過去の作曲家の所業は、『歴史的「新しさ」を得るためには、絶え間ない音楽史の吟味と自己批判が求められる。それを通して作曲家は、作品の音響、構造、内容、語法、書法を陶治する。』でした。『作曲家の個性は自ずと歴史性を帯びるが、あらゆる作品に認めれば、歴史性の意義が絶えてしまうことは想像に難くない』『個人が持つ歴史性を過度に強調すれば、もはや芸術音楽は、ポピュラー音楽の論理に飲み込まれてしまうだろう』『現代の音楽が規模の縮小と衰退を経験しているのはなぜだろうか』『現代の音楽の魅力が不可視になっているのだ。「新しさ」概念は現代の音楽の魅力に適した形に鋳直されなくてはならない。』ここで本稿は音楽そのものよりも、評論に対する評論だとも認識できます。『耳だけを通して音楽を享受するという態度は、過度に禁欲的である。あらゆる方法を通して作品の魅力に迫る必要があるのだ。』歴史的「新しさ」を持つ音楽ですら、まさしく音よりも言葉として残っていて、音楽的な魅力を感じなくとも言葉によって「新しさ」が語られています。また、これまでレクチャーコンサートなどさまざまなアプローチを見て、音以外のことを識るほどにその価値判断や「新しさ」に疑問を持つこともあり、『音楽批評は、音楽的魅力をズバリ見極めるという設定をするべきではなく、架空の音楽的魅力を設定すればよいのだ。』となるのでしょう。音楽批判に関して今更そのソリューションを出されてもなぁと感じます。しかし、これまでの音楽批判に対して言いたいことはたくさんあるので、1993年生まれというまだまだ若い著者の音楽芸術に対する気概や、その若さでこのテーマを取り上げたことに驚き興味をもった次第です。
2022.10.24
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芸術と芸能を比較してみた場合に、それぞれに形而上の概念があり、多くの人は頭の中でそれを区別して捉えているようですが、見方や嗜好について芸能的な人々がリードしようとするようになり、内容とは関係なく芸能的なものの見方が世の中に拡散しています。嘗て芸術では「媚びるような表現」や所謂「やらせ」がタブーで、精神性の深さが価値基準のひとつだったように感じていますが、芸術的価値よりも情報化社会に伴い知名度が優先されるようになり、知名度=良いものという錯覚のもとに従来の観念が変わりました。その基盤だった録音メディアはレコード→カセットテープ→MD→CD→データ→インターネットともはや大きな部屋で聴く人も少なく、映像も映画→テレビ→インターネットと変わる度に仕様や環境が変わり、アマチュアイズムと共に質の低下、時間の短縮が進みました。鑑賞よりも娯楽要素が重視され、嘗ての芸術は芸能と同じ見られ方に傾き、スマホに合わせた映像や音楽ではない再定義が求められています。この時代の変化はさまざまな面で世代間の溝を広げていると見られ、その理由は中高年が守りに入り時代をリードできない状況があります。さて、いつも強固な主張をしているのがメディアで、だからこそ非難されるのが玉川徹氏のモーニングショーでの発言です。危機管理コンサルタントの田中優介氏もこれまでの経緯に対して、”玉川徹氏とテレビ朝日に決定的に足りなかったもの”を指摘しています。しかし、このいちばんの問題は「電通が演出に入った」かどうかではなく、「政治的意図が匂わないようにテレビでは演出する」と言ったことで、テレビがやらせ的な演出を行っているのを若者でも疑うでしょうし、相手の気持ちなどまったく汲まないテレビを見て若者は矛盾を感じます。今の若者はこのような酷い話を冷ややかに見るか或いは無視しています。また、中高年が駄洒落や芸人のように執拗に明るく振る舞うこと、本人は楽しんでいても、若者は冷ややかに見ているかもしれません。SNSの写真に自分の顔をアップで隅に入れることを若者はしません。また、目の部分を隠したり全体をぼかした写真を載せるのも中高年。現実と非現実、意味と無意味の違いを若者は冷ややかに見ています。周りや他人への配慮も学習していて不必要と感じることはしません。ただ、若者がどこかで屈折するとすれば世の中からの影響が要因です。それだけ世代間の溝は深いと感じることが多いです。時代はますます混迷を極めますが、心が荒むことなく優しさを保持し、貶められることなく欺かれることなく皆が強かに生きることを祈ります。
2022.10.22
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音楽の勉強をしていた頃、時間どおりにレッスンに行っても、1時間くらい平気で待つということもあったと記憶しています。昔は何事も受ける側が待つことは当たり前でしたが、今や時間で金額も決まっているレッスンは変わりました。先生は部屋を取ったりして該当のレッスン時間を確保します。始まりは時間どおりで短くするのはNGです。時には生徒から連絡もなくその時間はひたすら待つだけですが、次の生徒の関係で遅れて来ても終了時間は変わらず短くなります。一昨日検診で10年以上ぶりの医院を久々に受診しました。前回のことは朧げながら憶えている程度で、最初の検診結果で専門的な検査を受けるように言われたのですが、今一気乗りがせずやめてしまいました。今回も検診の予約は3週間前に医院側の都合のいい日に指定されました。午後一番の時間なのですが、すでに2-3人の受診者がいました。5分前に着くように行きましたが、こういう場合は時間どおり検査が始まらないのがお決まりです。念のため受付で「かなり待ちますか?」と尋ねると、「10分くらいです」の返答でしたが、その矢先に名前を呼ばれました。これは予約時間が決まっていても同じ時間に4人くらい入っていて、医院側が空き時間が出来ずに効率的に働けるようになっています。僅差で4人目に受付したりすると待ち時間がかなり長くなりますが、1人の診察時間は5-10分だったりするので医院側としては効率的です。検査がひととおり終わったところで問診を受けますが、年齢的なこともあり追加の検査項目があると言われるのもお決まりです。ところが検査を受けるにはすぐではなく、他の予約者を優先するために、30分程待って検査になりさらに30分後に再診察があると説明されますが、結果的には手隙の時間に行れるために確かな時間はわかりません。結局、予約受診者がひと段落するのを待つのは嫌なので断りました。仕切り直すため別日時を打ち合わせたところ3週間後も予約でいっぱい、指定されたピンポイントの日時のみと言うので再度電話することに。推測するに3週間後まで予約が埋まっているというのは暫定で、常連さんの毎週の予定を仮予約しているので入らないと悟りました。医院側は毎週確実に通院する常連さんが大切なのでしょう。受診者にとって予約のメリットはその時間にスムーズに受けられることですが、医院側は予約で効率的にやりくりして時間を埋めていきたいためと思われます。受付担当者は患者よりも医院の先生や看護師のためを重んじています。指摘された専門的な検査をするにしても、今何か症状があるわけではなく、10年以上前にも同じことを言われて今も変わらない状況ですから、まさにセカンドオピニオンを仰ぐタイミングだと思いました。思い立ちその足ですぐさま近くのもう一つの医院を初めて訪ねました。電話もせず飛び込みで問い合わせに行ったので不安でしたが、入口で検温する方がいて問い合わせもその方が全て答えてくださいました。とてもわかりやすくて丁寧な応対をしていただいたうえ、比較的大きなこの医院は何と予約制ではないということでした。受付の人は本当に大事でまさに医院の顔です。予約をうまくやりくりして医院に貢献する受付担当を何度か見てきましたが、こちらとの応対や口調がすでに強く上からなことが共通しています。経営も大切でしょうが、お客に察せられるのもどうかと思います。コロナ禍で人が密集しないためにいろいろな予約制が増えたと思います。しかし、予約制がどのように行われるかによって、お客側にとっては必ずしも便利になっているわけではありません。物価高に伴う便乗値上げなどが加速しないように願っています。
2022.10.20
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検査の結果を楽しみにクリニックに行きました。検査に備えて整えたこともありました。残念ながら思ったほど良い結果ではなかったです。血圧やコレステロールは薬のお陰で問題ありませんでしたが…。いちばん力を入れていたΓ-GTPはまだ少し高め。中性脂肪がやや高め。尿タンパクが少し出たということで、健康体を維持するのがますます難しくなってきた感じです。ただ薬を飲む程の症状は今以上ないことが救いです。頻拍の発作が出なくなって1年、やはり楽でいいです。救急でアデホスを打ちに行って気分良く帰れた試しがありません。また、先生や看護師さんによって病院に行った印象は変わります。手術を受けるのはやはり最終段階だと考えています。今のクリニックに行ってみてわかったことは、先生以外のスタッフも女性しかいないことでした。中高年の男性が受診していることは普通に多いのですが、そこにこのクリニック固有の特徴が見えてきた気がします。お医者への受診は音楽のレッスンと似ていて、受診者側が純粋に早く治したいということ以上に、お医者側がその受診者とどう関わっていくかの思惑を感じます。自分として何が目標で到達地点までの距離を明確にしたいと思います。
2022.10.18
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このブログのアクセスに何かの制限がかかったかもしれません。ブログは読み手にとっていいことを書いても悪いことを書いても、アクセス数が極端に減ることはないのが通常です。ところがこの2-3日でいきなり減っていました。これが本当に制限されたのだとすれば逆にある意味名誉なことです。テレビも不安要素や過激な内容を入れたほうが視聴率が取れます。好きではないが、極端な物言いに惹かれて観る人も多いからです。むしろコメンテーターの話は信用しない前提で観る人もいる筈です。例えばテレビ朝日のモーニングショーはその例だと思います。SNSで批判的な意見が多いのは好きでもないのに観ているからです。だからこそテレビ朝日社員・玉川徹氏への批判が今とても多いわけで、放送番組審議会でも問題になっているとのことです。モーニングショー降板の意思を固めた報道に注目が集まっています。ボージョレ・ヌーボーの季節になりました。この10年間、ワインが安くなると言われた時期もある中、ボージョレ・ヌーボーは倍以上に値上がりしました。他のフランスワインと比べても値上がりし過ぎだと感じます。結局嗜好品はどんどん値上がりしますが、安い物と高い物の差が開いていて格差が広がっていると感じます。今の円安も同様で、有利な人と不利な人の差が広がります。儲かって贅沢な人はどんどん贅沢になり、貧困な人はまずます苦しみます。日本は海外に比べて物価高と低賃金で一人負けしていると見る見方と、日本は一人勝ちしているという見方があるようです。しかし、格差が広がっても精神的には貧しい状況であることは確かで、文化面における前世紀のような芸術的な充足感はもはやありません。高くても意味のない贅沢とあれば何でもいいと感じるお手軽の両極です。肉が高くて買えないなら他のタンパク源を代用し果ては昆虫も食べる、SDG'sと考えると食の無駄をなくし人類の平等に繋がるかもしれませんが、美食の文化や伝統はリセットされてしまう転換が起きています。テレビでお馴染みの飲食店を紹介する番組は関心の高いところです。お店の名前は元の仏語や伊語をカタカナにしたものが多いのですが、例えばイタリア料理店なのに名前は仏語読みだったりすると、どんなに美味しい評判でもそのお店に行く気が失せてしまいます。海外の日本料理店の名前が例えば中国語読みだったらガッカリします。例えば「小東京」という日本料理店が海外で「シャオ・トンチン」と、中国語読みで営業していたら中華料理店とも思えて紛らわしいし、日本人ならそのお店に胡散臭さを感じてしまわないでしょうか。日本のメディアは中国が日本の真似をした時に酷く責め立てますが、日本も多くのミスコピーと考えられる事象があるにも関わらず、そのことを気づいていても指摘する人は殆どいないに等しいのです。平気で紹介しているテレビに意見する外国人すら見えてはきません。海外の文化や良さを知っていると言ってもたかだかその程度です。物価高や円安で本当に誰が困り何が犠牲になっているのか、先述の記事のような「勝ち」や「負け」などと割り切れる筈もなく、「良い面」もあれば「悪い面」もあることをはっきりすべきです。
2022.10.16
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自分が日本人で嫌なところがはっきりしてきました。自分のいいと思っていることを言い続けられないことです。生きてきた中で組織の中での窮屈さにおいてそう感じ、社会の中で個人として生きていくのにもそうです。昔から変わらないことは、世の中を支配したい人がいて、現代では目に見えるかたちではなく、人知れず操ろうとする人が、強い発信力をもって旗を振り、それに多くの人が追随します。やがてそれは観念となり多くの人に同調圧力がかかります。身近な例として、マスクの着脱を始め何かと今だに制限が多いコロナ。昔の風邪も罹る度に症状が異なり、どのウイルスに罹ったのかわからず、酷い時には高熱や後遺症もあったし、亡くなる人がいるのは変わりません。新型コロナウイルスへの対応では明らかにフェイズが変わったと言えます。感染者数に関わらずウイルスの毒性については徐々に言われなくなりましたが、相変わらず重症化すると死に至る感染症と認識している人もいます。第7波が収束気味ですが、昨日は早くも来年の第8波予想が言われました。どうもコロナ禍を引き摺ることで世の中に影響力を奮っているように見えます。政府は明らかにマスク着用の軽減、経済の活性化を進めており、テレビCMで屋外でのマスク着用は原則不要と伝えていますが、民放のニュースでは屋外でもマスク着用が当然のように伝え、インバウンドの外国人の様子を伝えるにもマスクの話を欠かしません。加藤厚労大臣は『「屋外では原則不要」ルールPRへ』と話し、「マスクを着けたいという人はいいが、着用は必要ない」と言います。現状、皆の殆ど着けていますがそれほどマスクを着けたいでしょうか?着けておいたほうが何かと無難、慣れたから着けるなどの理由があります。それだけではなく、マスクを外すのが怖い、メイクが面倒などの理由もあり、欧米のような個人主義「人は人」の考えがなく極めてネガティヴな理由です。個人を尊重しつつもコミュニケーション好きな欧米とは逆なのです。しかし、本当にそんな理由でマスクを外さないのでしょうか?仕事によってはマスクをしていません。例えばテレビに出てくる人です。それは「そういう仕事だから仕方がない」のではなくあえてしません。しないことが黙認されているだけで正しくは屋内ではするのがルールです。逆にしなくてもいい屋外でしているのは一種の同調圧力に見えます。日本人は他人に対して干渉しない、他人の考えを尊重するという前に、周りからの見られ方を気にし過ぎて自分を出していないと受け止められます。マスクを永久にすることが考えられないのは欧米も日本も同じはずです。にも関わらず日本では自らの意思を抑え込まれる見えない力があります。
2022.10.12
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クラシックコンサートのチラシが他ジャンルに比べてダサいという話が、SNSで話題になっていますが、クラシックコンサートに何を求めるか、チラシに必要な内容は何なのか、なぜそんな話が出てくるのか、音楽的な内容よりも演奏者の見た目?写真やデザインの良し悪し?カメラマンやデザイナーがたくさん便乗してきて話がますますそちらに。昔ながらのクラシックファンは知りたい情報がはっきりしています。聴くために知りたい情報のいちばんは曲目と出演者ですが、それすらきちんと明示していないチラシを多く見ます。行ってみても知っているオリジナルとは程遠く期待はずれなことも。また演奏者を目当てに行ったとしても容貌がいいからではありません。年配の出演者がよく昔の写真をチラシに使って、行ってみると違うなど、プロフィール写真があまりに良過ぎて実物と違うのは逆にガッカリです。また、チラシがかっこいいから演奏がいいとは限りません。写真だけに凝るのは身の程知らずで却って恥ずかしい気がします。逆にプログラムのイメージを伝えるデザインはいいと思います。かっこいいかどうかは関係なく、コンサート情報の伝達手段です。コンサートには出演者以外に音楽的なテーマとプログラムが必要です。それが魅力的かどうかがクラシックファンには重要です。ポップス的なファン作りが目的のコンサートにはうんざりします。写真で勝負しようするのは実力では呼びにくいからだと推測します。因みに出演者数が多いオーケストラや吹奏楽では個々の写真を載せられず、指揮者・ソリストと全員の写真になると思いますが、それはイメージとしてであって楽団の写真を見ても他と区別できません。楽団は毎回エキストラ出演者が異なりまず写真と同じ出演者になりません。ヨーロッパでは日本のような写真付きチラシはありません(今は知りません)。ただ情報が文字で載っているだけで、日本の古典芸能に似ています。デザインは日本で考えられないようなものもありますが、チラシに新しい可能性があるとすればオリジナリティだと思います。優秀なデザイナーにデザインを依頼すれば自ずとクオリティは上がります。そうできる資金や必要性があればそこまでのチラシは簡単にできます。チラシがダサいなどと言う人はいろいろな意味で見識が足りないのです。音楽の中身で勝負して勝てないとしてもチラシのせいではありません。
2022.10.09
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これまで、コンサートで音楽のテーマ性、演出について、個性的な切り口をつくるために絶えず考えてきました。実際、音楽を装飾するような演出はクラシック的ではありません。だからこそ音楽を具体化するだけではない演出が必要でした。映画や演劇になれば話は全く異なってきます。ステージや映像がメインとなると音楽は演出の一部と言えます。道具や照明、音響もそうですが、他にもいろいろ考えられます。しかし演出家が行う演出について、日本ではあまり知られていません。アニメや映画の監督の名は知られていますが、◯◯監督の演出はどのような特徴があるのか?名演出とは何?どのような音楽をどのように付けるのか?なかなか言えないと思います。音楽では作曲家で中身が決まりますが、優れているのはごく一部です。独創的な表現や世界観が感じられる演出はそれほど多くありません。音楽はBGM的で何かを表現しているほどのものは少ないです。音楽が独創的なのは却って演出の邪魔なのだろうと考えています。その結果、ありがちで定番的な音に無難さを感じるのでしょう。反面、報道などノンフィクションに演出を加える必要ありません。また、買物や飲食においてお店が音楽を鳴らす必要はありません。音楽を鳴らすとすれば、その番組やお店のオリジナル曲ならよいです。音楽には人によって嗜好がありますから押し付けられる必要はないです。残念ながら日本人は音楽を演出的と感じることは少なく、ないと寂しい、静寂・無言に絶えられない性分になってしまいました。海外に比べて、音楽が満ちている、無駄に照明が明るいなど麻痺しています。SDG'sの意識がこれまでもっとも足りていなかったのが日本だと思います。そんな演出に疎い人が演出について批判できるのでしょうか。演出というよりも日頃からヤラセや印象操作を考えているテレビ業界人、玉川徹氏が葬儀をテレビと同様に演出に言及することに疑問を感じます。葬儀であえて演出と言うならば、基本的に会場設営と音楽だけです。弔辞は故人との関わりを偲ぶ内容が読まれるだけでどうあれ自由です。演出をするもしないもなく、それを評価するものでもないと思います。そこに演出の話をすること自体ナンセンスなうえ電通の名前を出すなど、皆の故人を偲ぶ思いにまで水を差すようなものです。国葬とは言え一般的な葬儀を踏襲したものでした。実施には賛否ありましたが、内容まで批判するのは常軌を逸しています。玉川批判が大きいのは関与していなかった電通の名前を出したことよりも、批判のバイアスがかかった時の言い方が問われているのだと思います。テレ朝・玉川徹氏はなぜ電通発言をしたのか 心理士が指摘する「信念バイアス」では、前回のこのブログに書いた所見と見事に一致しました。実行力のある菅前総理が寡黙なのはうまくいっても批判されるからです。逆に岸田総理が先手を打たないのもメディアからの批判回避だと思います。結局メディアが発した民意が定まってから動くほうが無難だからです。国会を開いてもネガティヴな内容で時間がかかるため世界に追い越されます。岸田総理が息子を秘書官にしたのは「誰も相談相手がいないから」などという記事があり、このことに幻滅した人も多いかもしれません。しかし今日の参院本会議で「24時間情報伝達やSNS発信に期待」と、明らかにしたと聴けば、それだけで俄然よくわかる話に変わりました。
2022.10.07
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国葬における弔辞を読む大役、原稿を起こすことの配慮と努力、一世一代の大仕事で多くの参列者から拍手が起こ利ました。それを電通の演出だと言ったテレビ朝日社員の玉川徹氏。しかし電通は関与しておらず、菅前総理が考えた原稿で演出はなし。なぜそんなことを言ったのか?うまくいったことへの嫉妬でしょうか?普段から人を貶める演出を考えていて実行に移したのでしょうか?視聴率が上がるなら許される? 残念ながらそういう人もいます。番組中での役割は「悪玉」役だそうですが演じているとは思えません。演出がなかった菅前総理は潔白でその後も毅然と振る舞っていますが、内心は穏やかではないでしょう。一般の人が同様のことを言われたらショックで悲しみに暮れてしまいます。努力したことを根底から否定することは人の心を折ってしまいます。心が折れてしまった人は、真面目にやっても無駄だと学習します。そのことが人や世の中を荒ませる大きな要因ではないでしょうか。相手が政治家に限らず言っていいこととダメなことがあります。テレ朝・玉川徹氏に出勤停止10日間の「謹慎」処分最近は歳のせいか歌を聴いて感動することが殆どなくなりました。しかし、クラシックではない歌を聴いて感動する出来事がありました。しかも、皮肉にもモーニングショーと同じテレビ朝日の番組、「徹子の部屋」に出演された安奈淳さんと榛名由梨さんの歌です。子供の頃、母の趣味で連れていかれた、当時大人気だった唯一の宝塚歌劇「ベルサイユのばら」の主人公、初代アンドレとオスカル役の二人です。お二人は75歳と77歳ですが、見るからにまだまだ現役の感じでした。発声、発音、音程、バランス、歌うセンス、どれをとっても素晴らしく、最近の他のポップス歌手とは比較にならないレヴェルの高さでした。確かな基礎と音楽性はやはり普遍性があると再認識した次第です。生きていくうえで自分を高める努力を怠ってはいけないと思いますが、自分のために発信されたアドヴァイスのみを参考にするべきで、人を貶める言葉には屈することなく、傷つくことから早く脱し前を向く、これに尽きる気がします。この繰り返しが人生です。
2022.10.05
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自治体が発行する生活応援券という名の地域振興券を買いました。2ヶ月ほど前の申込に当選ハガキが先月届きました。そしていよいよ購入という段階でまだアプリができていないとのこと、1週間ほど遅れるということでしたが、さらにまたできていないとのこと。2週間遅れでアプリをダウンロードし購入しようとすると、クレジットカードなどの個人情報を登録したところで進まなくなり、事務局に電話をしたところ「混雑でデータ処理が遅れている」とのこと、しばらくしたら解消すると言われ何度か試すも翌々日でも進まず。もう一度電話したらスマホのOSの問題かもしれないからデジタルは諦めて、紙の券に変更することしか解決策はないことがわかりました。紙の券に変更するには当選ハガキを郵便局に持っていけば買えるとのこと、当初の予定のほぼ3週間遅れで紙券を購入することができました。それにしてもクレジット番号や個人情報を登録して機能しなくなるアプリ、これが偽物アプリだったらどうしようと焦りますよね。メールアドレスも登録しましたが、送られてきたのは復元パスワードという、その時点では何に使うのかわからない得体の知れないパスワードでした。このアプリや開発担当者、今時あり得ないなあと思います。COCOAもそうでしたが、国や自治体はアプリにいくらお金をかけているのか、利用者のことが考えてられていない、気持ちを理解していない気がします。応援という上からの立場ではなく、約束したことは守らなきゃ。この地域振興券ですが、購入したのはコロナ禍が初めてで2回目です。デジタル券ではなく紙券にしたところ、使えるお店一覧表がもらえたことで、ホームページ上で見るよりもはるかにわかりやすく詳しくわかったこと、デジタル券よりも使えるお店が多く有効期限も長いため、結果的には大きな恩恵を受けました。普段は行こうと思わなかったお店に行ってみようと思ったり、3割分の得があるので思い切って高価なものに手を出せるなど、自分の領域を広げられる機会としてはとても興味深いものになりました。自分にとってはとてもいい企画でした!一人暮らしでは魚の煮付けはなかなかしようと思わずお惣菜を買います。でも、今回は10月1日という年度後半が始まるこのタイミングで、鯛を買う気になったり、虹鱒を焼いて食べようと思ったり、今までは自分のために手間をかけようと思わなかったものに手が出ました。いつもなら買わないような鯛がリーズナブルな値段で手に入りました。煮付けはこの前日に鰈でやや焦がして失敗したので、この鯛は絶品の煮付けになり日本酒で美味しくいただきました。そんな度数の高いお酒は飲んじゃダメと言われているのにです。虹鱒は焼いてみました。すぐ食べ終わりましたが美味かったなぁ。世の中は全国旅行支援に目が向いているようですが、告知に合わせてそこそこ高い宿を予約して旅できる人は上等です。テレビ業界やその関係者は旅行支援のほうが気になるのでしょうが、一般弱者は地域振興券でも活かせることはたくさんあると思います。
2022.10.03
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前回の続きになりますが、国葬内の菅前総理の弔辞に対して、テレビ朝日・玉川徹氏が発した言葉について書きます。テレ朝・玉川徹氏、「事実ではありませんでした」国葬発言を謝罪訂正で視聴者から怒号「降板させろ」「デマ垂れ流す局も無責任」記事の最後には、玉川氏が番組内で以前ディレクターだったことに触れ、『「政治的意図が匂わないように考える」とも発言していただけに、「テレ朝が今まで意図的な情報操作をして、発信したと公言した」と盛大なブーメランとして跳ね返ってきていた』と締められいます。「電通発言」で全面謝罪の玉川徹氏政治記者は「これまでの失言よりはるかに問題」玉川徹氏の”国葬電通"謝罪が拡大!現役議員から「責任取ってもらいたい」今回のことがあるまでもなく、テレビは社会的影響力を及ぼすことを目的とした発信をしており、ひいては民意として認知されるように誘導操作していると感じます。政治家はそれを理解していても及び腰になってしまうようです。さまざまな意見があるのにテレビの中の意見が主流のように、あたかもそれが国民の意見という言い方をコメンテーターがするため、政府は感化されていく国民に対応することになります。民主主義とは張りぼてで、声の大きなテレビに支配されやすいのです。君主国家の指導者は日本のこの様子を見て笑っているでしょう。国家元首がメディアによって大きな影響を受けているのですから。君主国家の指導者は、胸先三寸で物事を決めていくわけですから、テレビの中の民意をいちいち意識している日本は対抗できません。菅前総理の弔辞は世間体を乗り越えた事実と本心を伝えました。政治家の関わるすべてを政治的と裏読みしては良いことも悪くします。”こう言えばこう受け止められる”と裏読みばかりしているのは、テレビに出たいがために情報操作するコメンテーター自身です。音楽において、吹奏楽が中高の部活として流行を博して久しいです。運動部のようにポジションを監督が決めるような権限が吹奏楽は弱く、楽器は生徒の希望が優先で足りないパートにコンバートできません。昔とは異なり、部活に勉強的・研究的要素が減ったこともあります。希望を優先する結果、正規の楽器編成を組むことが難しくなり、障害があっても活動を続けることに美学を見出すのが今の特徴ですが、音楽としての学術性から考えれば自ずとクオリティを下げることになります。それでも音楽に携わる人口を増やし、生業に繋げたい人は多いようです。作曲コンセプトから考えると楽器編成は第一に重要な観点です。その楽器ならではの発想が必須で、他の楽器での代用を許さないのが常です。最近は作曲家の立場が低くなり、音域さえ合えば他の楽器で代用され、音の変更なども適度に演奏者側の事情で許されるなど昔とは変わりました。これらをあたかも演奏する若者たちのためと推し進めるのはテレビです。しかし、変則的な楽器編成は組み合わせによってバランスが変わり、マイクがなければ音が聞こえないパートが出てくることも多く、作編曲する側も演奏する側も相当な配慮ができなくてはうまくいきません。スタジオではなくホールで演奏する場合も、マイクなしではよく聴こえず、マイクを使えば見合ったスピーカー、バランスを調整できるミキサー、セットするスタッフが相応に必要となり、普通の演奏とは状況が異なります。どんなに素晴らしい演奏でもミキサーの耳と腕次第で聴こえ方が変わります。テレビはひとえに人気者をつくり支持者、反支持者から視聴率を稼ぐ、この場合の人気者とはよく思われている人とは限りません。国葬に反対を唱えていても全ての局が完全生放送を行います。故人を偲ぶのではなく、故人の人気で視聴率が取れるからでしょう。喜ばれざる新型コロナウイルスもテレビにおいて現状が把握されるために、鉄板の高視聴率を出す大物タレントのように扱われていることでしょう。皆を惹きつけるためには怖くなくてはならず、怖く見せる演出が必要です。怖くないと思われ始めると当然のごとく関心が薄れるからです。国葬で世界が最も驚いたことは参列者が全員マスクをしていたことでした。日本人は正しい情報を持っているのか、それとも怖いと洗脳されているのか、マスクを強要する日本とマスクをしたくない外国との溝は狭くありません。日本のメディアは報じませんが、マスクを外す論理的な理由がなくなりました。感染者が激減したと思われる時、何となくしなくてもいい風潮が生まれた時…。海外の人やインバウンドには日本人が外すのはいつか説明が付きません。肝心なところで筋が通っていないこと、日本人として情けなく感じます。
2022.10.01
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