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ニュース番組で中学校の体育の時間、サッカーのゲームをしようと、先生は「できればマスクを外しましょう」と呼びかけ、女子中学生が「強制ですか?」と言うと、先生は「強制ではありません」と。中学生は外すことなく、「学校でずっとしてきて今更外すのは恥ずかしい」と。「外すことに慣れない」「顔を見せたくない」とそのような理由です。35度もある屋外でマスクをして運動をする中学生は世界中でも珍しいでしょう。コロナ感染が起こるのは運動している時ではないと思います。それより外したくない理由のほうが大問題で、これを教育として正すべきです。学校としては何か起きた時に責任を取りたくないので本人の意思を尊重しますが、文科省はすでに体育や登下校時の「脱マスク徹底」を呼びかけています。人ぞれぞれは批判されることを怖れる結果、返って非合理や理不尽を起こします。今は八方塞がりな状態ですから、可能なら少しでも元の日常を取り戻すべきです。スタジオの照明を20%落として放送していると節電を促すテレビ局、一時的に真っ暗にして仕事をする都庁のパフォーマンス、皆が同じようなことを行えば電力使用量が少しは減ることはわかりますが、お年寄りは電気の無駄遣いはもとからしておらず控える必要はないと思います。順風満帆の企業が行う節電とお年寄りが考える節電は理由が異なります。電気代が高いから節電せざるを得ない身になってものを言ってもらいたい、世の中の電力使用を抑えればいいのであれば、テレビ・ラジオが放送を控える、視聴率が下がればテレビを見ることもなく節電にもなり手っ取り早いです。世の中の電力使用量を事前に知ることができる「でんき予報」なるサイトもあり、本当に需要逼迫となったら、1-2時間でも突然テレビが一斉に放送を中断したら、劇的で世界に誇れるニュースになると思うのですが… どうでしょう。スポンサー契約や金銭的事情が大事ですからできるわけもないでしょう。日本は震災でそもそも原発を稼働させたくない民意が強い中で、温室効果ガスを減らす目的で火力発電も一度に抑制を強いられました。それでもなぜ電力が逼迫するのかとか言うコメンテーターもいますが、日本では原発がNG、世界からは火力もダメだとこの前まで豪語していた筈です。人が起こしたことが原因で身動きが取れない現在の異常性は前代未聞です。電気が足りなくなるのも震災の前にはなかったこと、そして急激な物価高、異常気象、ウクライナ侵攻、円安などを始め株価下落は酷いものです。人生100年時代で投資ブームに乗った人は見込み違いだったのではないでしょうか。コロナ禍の対応から短期間にいろいろな危機が起こりすぎです。強者の立場での報道で責任転嫁していますが、真の危機感が伝わっていません。皆がこれまでのように何とかなると思い、平和ボケになってないでしょうか。未来が明るいとは想像できないのですが、こればかりは当たらないでもらいたいです。
2022.06.30
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20-30年の間に音楽的な価値や意味づけが多様化し、嘗ての観点が大きく変えられていくなか信念を持ち続けることは難しく、少し前までは批判されていたようなことが今では主流となり、作る側もそうですが嘗ての批評家の言ったことも裏腹に進んだこともある筈です。世界の潮流と称して日本で新しいモノや音楽を紹介することはいいことですが、若い時の一時期にその潮流を追っても暫くすれば、それでは世の中に受け入れらないことを実感し方向転換を余儀なくされる、結局極めて狭い中の潮流であって同業者からも支持を得られない程度です。それでも今の時代を見たい知的好奇心は煽られそこに人は集まります。世界の潮流を紹介することは社会貢献事業として賛辞されるからです。政府が留学生を給付金によって無償で受け入れることと似ています。反して、日本人が奨学金の返済義務が課されるのはおかしいと言われています。同じことはずっと続いていて、大学や企業、財団などの業績にはなっても、実際の日本人のためになっていないからこそ多様化を生んでいると思います。企画を主導する大先生は好感されても、運営したり世話をする人たちは、コミュニケーションギャップなどでたいへんな思いをしていないか心配です。少し前に高校だった時に購入した日本人作曲家のこどものためのピアノ曲集を、フリーマーケットで売っていると書きました。数分で売れることも何度かあり発送が日々忙しくなったりもしましたが、結局売れ残るものはいつまで経っても売れない状況です。今も楽器店などで販売されている楽譜でも、昔より定価が3-4倍に上がっていて、フリーマーケットで売る場合は昔の定価をさらに下回っています。売れたとしてもそこから手数料と送料が差し引かれます。売れない楽譜は300-500円くらいであっても売れません。売れ残っている楽譜は、当時有名大学の作曲科主任教授だった人のものなどで、音大で作曲を志す者がエクリチュール(書法)などを学ぶお手本だったような方、曲が好きとは言えませんでしたが、自分の感性が追いついていないと考えていました。作品と優れているとしても売れるかどうかは確かにわかりません。しかし、今考えれば曲がその作曲手法でいかに良さや効果を生むのか、当時の作曲家と曲の関わり、伝播のされ方、売られ方に原因があったと考えます。ある偉大な先人が認めた作曲家が偉大とされ、人としてリスペクトはされますが、決定的な裏付けとしての曲そのものへ人々が追随しないのです。これは作曲コンクールにも見られ、審査する作曲家が次代の担い手を選びますが、新たな作品が注目されるほどの周知はされず、興味を持って追う人も少ないです。近年は作曲学生の研究対象からも外れ、演奏家の自発的な選曲としても外され、あるのは先述の芸術奨励のために経済活動(生業)として演奏されることです。結果として、現代作品が自由に演奏される機会は減ってしまいました。しかし、子供のために書かれた作品は子供がわかる言葉で書かれた楽曲ですから、大人もピアノ指導者もその作曲家の人や考え方がわかるはずのもので、当時を馳せた人であれば曲の真価を世に知らしめる活動ができた筈です。それが売れ残る楽譜であるということはとても残念です。今の時代を芸術音楽がどう生き残るのかに関わっているようにも思います。共有できていた美学が共通ではなくなり、風化されてゆくことが多く、昔からの慣例のみが生業として残り形骸化している気がしてなりません。
2022.06.29
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1995年頃のパリで見た街の様子、例えば広場やメトロなど人の集まる場所のの椅子など、デザイン性が高く7割、機能性が3割、残念ながら心地よさはなく、当時の日本は機能性が5割、心地よさが5割、デザイン性は感じられませんでした。誰に向けて何のために作るのかは何にしても人それぞれ異なります。座らないで済むのであれば目の保養としては最高だったパリ、その頃何回か一時帰国するも空港から街までの風景が日本はどんより、街の主張が弱く緑さえも冴えず、パリがいかに整備されていたかを感じました。かと言って、よ〜く見ると日本のほうがゴミが少なくとても綺麗で衛生的です。その後、日本も西欧に似た環境整備が進み、街の色や質感が変わったように思います。気がかりなのは日本のオリジナリティがなかなか感じられませんが、最近の建築に活かされている木材こそが日本的と言える街づくりのような気がします。日本にはとてもいい面もありますが、よくない面も見られるようになりました。積み上げられた文化が継承されず、それぞれが全くバラバラな多様性を追っています。モノを作ること、活動を起こすことにおいて、ターゲットはお客、受け手になりますが、主体が自分自身になることによって、伝承やコミュニケーションが少なくなりました。言語はコミュニケーションを取るための手段であって、どんなに文法を覚えてもコミュニケーションする姿勢がなければ言葉は通じません。海外に少し行けばこのことを実感するはずです。通じなくても良しとする言語の使い方などありません。最近、SNSであるコンサートのチラシを見た時のことです。表は曲目や団体・出演者氏名、会場などほぼ欧文で書かれています。何か作り手の拘りがあったかデザインのお洒落さを狙ったのだと思いますが、日本で行うコンサートで主に日本人が聴くコンサートだと思われます。ここでは読めるか読めないかが問題だと言っているのではありません。欧文で曲目タイトルを載せることは間違えるリスクが高いので辞めたほうがいいです。日本語を載せたうえで欧文表記を添えることは学術的には好ましい姿です。しかし、音楽は言語が混在していて、ひとつの言語にまとめるとわかりにくくなります。例えば、「第◯番」は英語、調性は独語が日本人に馴染みがあります。それに合わせて作曲者名もロシア人の表記は他国語ではさまざまな表記があります。これらはプロが書かなければミスを見つけるのは容易いことが多いです。書いている本人は「わかればいいじゃないか」ということかもしれません。しかし、外国人が見ればミスに気がつき、海外でよくあるおかしな日本語と同じです。語学ができる人はすぐにチラシを作った団体のプロフィールを確認するでしょう。メニューにミスがあるレストランを一流だと思わないのと同じことです。オーディションやコンクールでも同様でまずは提出物の表記を間違えないことです。私見ですが、一流と呼ばれる人はリスクのあることは選びませんしミスしません。また、今はミスをしていても誰もそれを指摘せず、本人の恩師ですら何も言いません。よくあるミスは「アンサンブル・ヌーボー」や「◯◯五重奏団リサイタル」など、男性女性系名詞・形容詞の取違ミスや言葉の意味を理解していないミスなどです。指摘できる人はたくさんいる筈なのですが、誰も何も言いません。何も言わないのは「言うに値しない」「どうでもいい」ことだからです。確かに指摘しても何の得はありません。とるに値しない存在なのです。考えた本人の周りにそこまで親身な人がいないために裸の王様になってしまうのです。ミスなんてテレビでもしょっちゅうですから大したことではないでしょうし、ミスを許すのが美徳でいちいち反省していてはきりがないようなご時世です。しかし、見る人は見ていて知らず知らずのうちに認めていない人もいるのです。これをいつも繰り返していると、未来は明るくないと思います。
2022.06.27
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作曲の師だった宍戸睦郎先生(1929−2007)が、A.ジョリヴェの日本人弟子3人の兄弟子だったからことから、先生の執筆された文献にはジョリヴェのことがよく出てきます。このブログでは紙媒体で遺っている原稿の要旨を書いておこうと考えています。【以下要旨】(…は内容についての私のコメントです)ジョリヴェ(1905-74)はオリヴェイエ・メシアン(1908-92)と共に、フランス現代作曲家の双璧でした。…日本ではこの二人があまり比較されることはありません。作曲された音楽の印象は全く異なりますが、作曲法は似ていると思います。宍戸先生がジョリヴェに個人的に師事したのは1957-59の2年半です。渡仏したのが1953年とのことですので、師事は留学5年目のことになります。…今のように学校に入るレールが敷いてある時代ではなく、個人レッスンを受けるまでに辿り着くのは月日がかかることもあると思います。ある時H.デュティユー(少し前はデュティーユと呼ばれ、原稿はそうなっています)が、パリの作曲家の批判を1人ずつ言い出した時、ジョリヴェについてのみ、「自分の信念を貫く数少ない作曲家の一人で、これはなかなか難しいことである」と賛辞を言ったそうです。先生はジョリヴェの野生的な作風に惹かれていたそうです。それから間も無くジョリヴェのお宅を訪ねました。その時のジョリヴェの言葉は、「音楽とは一種の融合作用であり、作曲家がある感動を得てこれを組織だった音楽語法で聴衆に示し、演奏家を通じてそこに一種の交流状態が成立した時、初めてその作品は価値のあるものになると言えよう。一つの素材を探す時、それは人間の真実な認識の中から求めなければならない。そして世界中の人に語りかけお互いに理解するのです。」また、ジョリヴェはフルートのの索引の冒頭の5連音符について、「五という数は三(聖三位)、七(完全なる数)と共にひじょうに興味のある数、何故ならそれは人間を意味するから」と楽譜に頭、両手、両足を書いたそうです。先生はその絵がおもしろかったので軽い笑い声を出したとのことです。先生の言いたかったことはジョリヴェの素朴なほのぼのとした人柄で、人間から孤立した作品はなく、どんなに新しい技法を駆使しても、その根源を忘れてはならないとし、信念として学生に伝える義務を感じていると。…先生の脚色が加えられているかもしれませんが、概ねはこのとおりだと思います。【自分の思うこと】書いてあることにはとても納得できました。宍戸先生からはいくつかのスタイルの楽曲分析を教わりましたが、とりわけジョリヴェ作品の分析についてのみ教わりませんでした。ジョリヴェはとても近くて遠い存在でした。勤務した大学院(洗足)では論文テーマがジョリヴェであれば指導担当になりました。演奏こそされていますが、作曲家や先生たちには深く接する作曲家とは言えず、ジョリヴェの音楽の作曲法については殆ど知られず一重に論文にかかっていました。ジョリヴェに限らず現代作曲家をテーマにした論文指導は他にも多く手掛けました。だからと言っても音楽の論文など特に気に留められていません。しかし、いつか興味のある人に知られることを信じて残す程度のことです。自分も集大成的なジョリヴェのフルート作品についての論文を書きました。ジョリヴェは近現代で解明されていないにも関わらず人気の高い重要な作曲家なのです。また、池内友次郎先生にも晩年に近い5年間にご自宅でレッスンを受けていました。今になって思うことはこんなに真面目にレッスンを受けた弟子は少ないのではないかと。年賀状の代筆もしました。年越し蕎麦をお晦日にいただきました。今の時代だと有り得ないということをしみじみと感じます。作曲家なんて癖が強く傲慢で碌なものではないと思います。曲だけ聴いて好きになるのがよく、人は知らないほうがいいです。それに反して、こうして回想できる師匠たちに師事できたことは恵まれています。良くも悪くも人生は環境と人との出会いが左右し抗えない運命だと思います。
2022.06.26
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かかりつけのお医者さんが変わりました。循環器内科って看板に書いてあるのがとても素敵です!人生は一度きりですからお医者さんにかかるのなら、こよなく自分と向き合ってくれて質問に答えてくれる先生がいいです。今日の1回で自分の中のこれからの方針もだいぶ固まりました。持っていけるだけの資料(検査結果)などを持って行ったので話も捗りました。今は、血圧、コレステロール、心房細動の薬を飲んでいるので、頻脈の発作はほとんど出なくなり手術はやっぱり先延ばしかなと。それにしても綺麗なクリニックだなぁ。病院のように事務的に扱われる雰囲気がないのもよきです。この病院の下見をしたのが2ヶ月前、迷った挙句予約を入れたのが1週間前、すると不思議なことに血圧が下がり日中はほとんど正常値になりました。実は東京医療センターの真向かいで道路を渡ってすぐの所なのですが、紹介状を書いてもらったりする人もいて患者さんが絶えませんでした。ただ、発作が起きてワソランでは治らなかった時はATP薬(アデホス)がないそうなので、とっておきの最寄りの救急病院に行くしかないです。(病院には恵まれています)いつもの薬局はクリニックから遠くなったけど今日も寄ってお話してきました。アーチストという素敵な名前の心房細動の薬がジェネリック医薬品になって、カルベジロールに変わりました。名前は薬っぽいけど少し安くなったのでまぁよしです。痩せると薬漬けから脱却できるかもしれないので、それをがんばるか…
2022.06.25
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明らかに勝ち目がないとわかっていても一縷の望み賭けるゲーム、当たる確率は果てしなく低いのに応募してみたくなる抽選、叶うわけもないと知りながら追い続ける夢、人は皆毒されてしまっています。これらはプログラミングをする人のせいです。ルールを作りごく僅かの優位を与えることを生き甲斐にする人たちです。人々はそのルールを司どる人に支配されると言っても過言ではありません。勝ちたいと思うのならばルールを自分が有利になるように変えることです。オリンピック柔道で日本が劣勢に立たされた時期がありました。外国人勢が本来の柔道の組手を取らずに挙って両手狩りをしたからです。両手狩りは両手で相手の足を持って引っ張って倒す技です。もはや柔道の極意から外れているので禁止になりました。さて、フィギュアスケートの採点基準で今まで演技構成点の中に、「技と技の繋ぎ」「曲の解釈」があったのはご存知でしょうか。それらが国際スケート連盟の6月の総会で外れることになりました。日本はこれに反対していたそうですが、もっともな気もします。まず「曲の解釈」って何だ?と音楽関係者ならそう思うはずです。そもそもスケーターにとって音楽はタイムキーパーのようなもので、音楽を聴いたタイミングで演技のポイントや時間を推し測るものでした。ジャンプを決めたりポーズをつけるポイントだったと思います。そのうちに、音楽に合わせて振り付けを行ったりリズムを刻む、また音楽を壮大なBGMとして演出的な役割を持たせるようになりました。しかし、音楽を自由にアレンジして演技に合わせやすくすること、原曲の拍子を変える、小節をカットする、無理な接続をすることが増えました。クラシック曲の場合は原曲を損ねることで滑りやすくしたのです。それを「曲の解釈」が優れているとは音楽関係者は認めないでしょう。またここ数年は有力な日本人スケーターを中心に曲を新しく制作し、音楽にお金がつぎ込まれているように見えます。音楽の差が顕著なのは日本などと比べて共産圏の選手達です。例えばロシアの10代の有力選手が地味なクラシック曲を原曲で使ったりします。これは指導者のアイディアか趣味かわかりませんが、今の若者、特にロシア以外の人は知らないような選曲だったりします。曲調が暗く、テンポも中庸より遅いくらいなので華麗さはありません。もちろんこの選曲が悪いわけではなくムーディで渋い良さが感じられます。ただ、曲にお金をかけるつもりがないと言われればそれも納得できます。曲が何であろうが十分に高得点を叩き出せるわけですから。自分に有利なルールに変えることによって大きく躍進できることは確かです。プログラミングと言われる仕事のもっとも大きな役割はそこだと考えられます。今は話題のAI、皆がAIは人の頭脳に優るものだと思い込んでいます。自動運転や将棋などは人を超越しなければ意味をなさないのでそうだと思います。しかし、AIは過去の事例や経験をもとにプログラミングされているとすれば、過去の事例に当てはまらない予測不可能な未来を言い当てられるでしょうか。その意味で注目しているのは投資運用AIです。損失を出さないどころか、一度損に振れ出したら人が介入しなければ戻せない中途半端な代物ではないかと。日本人はAIやワクチンなどのワードを過信し過ぎなのではないでしょうか。プログラミングされているのはむしろ人のほうなのです。ルールを司どる人、プログラマーの全てが敵だと言っているわけではありません。今、もっとも重要なポジションのプログラマーは日銀の黒田総裁だと思います。日本は金利を上げない、輸出に強い企業を助けインバウンドを呼び込む、そうすることで経済を立て直す道を選びました。円安、物価は据え置きです。逆に金利を上げたならば、コロナ禍による経済の疲弊が戻らないことになり、円安を緩和することによって物価高も少し抑えられますが賃金は上がりません。経済が立ち直らなければ平均賃金が上がることは難しいのではないでしょうか。日本の物価高は企業努力により諸外国よりは上昇率が低いようです。ただ電気を始めとするエネルギー物価が高いことは本当に大きな懸念材料です。代用できるものがなく、化石燃料だ原子力だとか言ってられないでしょう。ルールが変われば全てがそうならざるを得ません。しかし、本当に大事なことが何か、人の良心が問われています。自分の利益を優先することをさももっともらしく言う人がいます。今からの時代にもっとも必要なこと、それは騙されてはいけないことです。
2022.06.24
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全ての表記がドイツ語のいただきものを試してみました。書いてある内容を訳してもイメージを捉えにくいのが欧州の言葉です。日本の製品に合わせてバスジェルを想定しましたが、使ってみると泡立てると言うよりも入浴剤でした。このキャップに1杯でも家中に強い香りが満たされ、すぐに日本ではない心持ちになれます。このジェルの素晴らしいところはとても温まるお湯が完成されることです。効用があるに違いない温まり方で間違いなく温泉になり素晴らしいです!入れるとお湯の色が気持ちブルーに変わります。入れた瞬間はインクを垂らしたような感じです。2日に1回くらいのペースであれば香りにも慣れられそうです。いろいろな国のお風呂が試せて楽しいなぁ〜と。
2022.06.23
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見立てとして、若者の利点は自分と他人を混同しないことだと思います。モラルに関して理解できる若者に関して未来は明るいと思えます。新たなモラルが次々と生まれてなかなか追いつけないのは中高年です。過去を知らない若者と変えることが追いつかない中高年の接点は少ないです。例えば、若者はリスペクトをしても忖度はしません。中高年はリスペクトしていなくても忖度します。忖度には種類があり、気遣い、昔からの習慣、見返りを狙う打算などです。いずれにせよ忖度しない若者を見て気が利かないと中高年は思うでしょう。気が利かないのではなく、自分の仕事ではないと判断するわけですから、気を利かせるためには業務の一環としたマニュアル化が必要となります。若者は全体に指示されたことを行い、指示待ちのイメージがあります。「気がついたら言われなくてもやる」時代は終わりました。しかし、実際はどれだけ気が回るかが試されている仕事もあれば、余計なことはしないことが望まれる仕事があるのも事実です。一般に相手がお客のサービス業はどれだけ気が回るかが見られていて、業務がどこまでマニュアル化されているか、まっとうされているかも問題です。テーマパークの従業員は徹底されていて意識も高くお客は喜びます。逆にスーパーのレジでは担当者によって異なり当たり外れがあります。ただ教育するのは最終的には中高年が管理しているはずですから、その中高年が慢心せずにしっかり教育できるかどうかにかかっています。(※参照 スーパーでポリ袋を手を濡らさずに開ける方法)中高年が中身は変わっていないのに若者返りしたかのような、嘗ては憚っていたようなリア充発信に「忖度いいね」がたくさん付いても、実は若者は引いていて程よく合わせている(忖度)としか考えられません。一般的に若者の忖度と言えるのは相手を見て「いいね」をするくらいです。SNSでは多くの若者はモラルとして弁えていることも中高年がNGです。組織のアカウントなのに「中の人」が個人的な発信をするのはプロ意識に欠け、「中の人」は誰かも分からず興味もない読み手にとってはうんざりです。また、目の部分に線やイラストを置いてまで載せるなら写真はいらないです。中高年は若者に見透かされていると言って過言ではありません。テレビのキャスターや特にコメンテーター、CMなども気持ち悪いです。局側、プロデューサーに忖度することが処世術だと言わんばかりですが、自分が同様の中高年として一括りにされるのは嫌です。表現は自由で視聴者に印象を与えたい意図があるのはわかりますが、面白いと感じるかどうかは品性についていけるかどうかでもあります。視聴者の多様性も考えて優しさのある表現にしてほしいです。SNSでは同様の意見がたくさんあると思います。だったらテレビを見なければいいのですが、主な情報を得るにはテレビかと。どの国に限らず情報戦で価値観が揺さぶられているのは確かです。ただ一部の発信によって世の中のモラルにまで影響を及ぼすのは疑問で、多様性とはさまざまなものの見方が共生できる方向を見出すことのはずです。話を戻せば、若者が可能性を伸ばせるかどうかは周りの中高年によります。身を置いている環境によっては、優秀であってもスキルを発揮できません。ひいてはメディアや世の中をリードする人たちの見方にも注視し、これからの人生で何をするのか、今身を寄せている環境について熟考すべきです。自衛隊基地の朝食において「ご飯とパン」の両方を取ったために懲戒処分の記事、誰に迷惑がかかったのか経緯の説明が必要で、それよりもなぜニュースにするのか?ネットだけではなくテレビでもこの話題を伝えています。もっと考えなくてはならない問題は他にたくさんあります。例えば持続化給付金詐欺もNGですがそれよりも今は特殊詐欺が大きな問題です。迷惑メールフィルターを乗り越えて怪しいメールが頻繁に届いていないでしょうか。日本の然るべき未来像を考えずに、利益に走るっているだけ世界を感じます。賢い若者が全てをがらがらぽんしてくれるのを心待ちにしています。
2022.06.22
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NHK(から国民を守る)党の党首、立花孝志氏が、テレビ朝日・報道ステーションの生放送中退場しました。立花氏の発言中にキャスターの大越健介氏が遮ったことによります。もともと立花氏、大越健介、その両者共にNHKにいた人でした。立花氏はNHKにいた時のことを国政に持ち出そうとしていることは、並大抵の決意ではないことは確かで孤軍奮闘するのは覚悟のはずです。しかし、他の政党が列席する発言の場で圧力をかけられたことは、一般的な議論の場では許されることではないと思います。NHK党は現在参議院に議席を持っていますから、怪しいとか相応しくないと考えるのは恣意的な見方です。テレビがその見解を出すのはNGで、表明したことをもとに国民が判断すべきです。また、「国民の安全」について訊かれた質問に対して逸脱した回答とは思えません。「テレビは核兵器に勝る武器です。テレビは国民を洗脳する装置です。テレビは国民が知るべき事実を隠しています。」という発言はインパクト大です。テレビ局側は批判されることに抵抗があるのは当然ですが、テレビを批判して相手にされることはなかなかありません。局側の「テーマから逸脱した発言があったら然るべき対応をします。」は、進行をする側が時間内に有意義に意見をまとめたいための都合ですが、「国民の安全」についてテレビ局側の求める答を出させたい誘導とも思えます。意見が拮抗することが選挙の醍醐味ですから事前に答は出さなくていいと思います。指定されている選挙放送は早朝や未明に行う政見放送などよりも、報道ステーションのような番組の中で扱われるものも言うそうですから、各政党を平等に扱うことが重要で口を挟むべきものでもないと思います。ところが世の中で平等が訴えられる事柄はそもそも平等にはならないものです。NHKをテレビで観ていたら堅い仕事の典型のように感じますしそうあるべきです。そのイメージは、ニュースやオリンピック中継などを見ると揺るぎないものです。しかし、近年はお金のことに関して異議が唱えられることが多く、その内部事情を知っている立花氏が一念発起でNHK党をつくったわけです。一度付いた印象は大きく異論を唱えても話すら聴いてもらえないことになります。この印象操作はテレビを観ることによって確信となると言え、結果的に立花氏の言う「テレビは核兵器に勝る武器」に準えられます。日本人のアイデンティティとは関係なく経済競争を優先したミスリードが多いです。(ミスリードを正せるのは若手で古市憲寿、成田悠輔、若新雄純氏などです。)世界でももっとも現金主義だった日本のキャッシュレス化は必然ではありません。また、全体と個人、年齢によってコミュニケーションギャップを使い分ける日本人は、所謂本音と建前が依然激しく、真の連帯感や信頼を深めることが難しい中で、リモート化推進による更なるコミュニケーション不足を招いています。全ては便利になったことが結論ですが、伴う問題点について考えられていません。20代独身男性の4割がデート経験がなく、7割が恋人、配偶者がいないなどの記事で、なぜこんなことを発表するのか?恋愛を勧めているのか?若者は好きなことはしても対面のコミュニケーションが面倒になっています。日本が向かっている方向はもはや日本人のアイデンティティが感じられず、人々は受身で何とかうまく生き抜くことを考えるだけの営みになっています。そんな中で自国は自国で守るための防衛費増額案が叫ばれる中、日本で「国のために戦う」意志がある人が13%、もはや考えはバラバラです。
2022.06.19
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5月の初めにガス給湯器を新しくして以来お風呂が至福の時間になりました。こんなにゆっくりお風呂に入るようになったのは人生で初めてです。前にも書きましたが、6社から選んだのがキンライサーでした。キンライサーにしてとても良かったと思ったのも束の間でした。その9日後にキンライサーのCMに出ていたのが上島竜平さんが亡くなりました。上島さんは自分よりも年齢は少し上ですが、いたたまれない思いがします。ダチョウ倶楽部の芸風は昔から長く変わっていませんが、そこに至るまでも至ってからも苦労されていたに違いありません。キンライサーは一昨日上島竜平さんの特設ページを公開しました。キンライサー自体も素晴らしいシステムを持つ会社だと思いますが、これほど知られるようになったのはダチョウ倶楽部のおかげです。給湯器の温かさと共に上島さんへの追悼・感謝の温かさも示しています。今回はホテルのアメニティグッズでお馴染みの、大阪の石鹸の会社、マスターのバスジェルを入れました。日本製は香りに親しみがあり、やはり洗濯機に入ったような気分(笑)でしたが、洗浄成分がしっかりしていて浸かるだけで身体はじゅうぶん綺麗になりました。家の近くにしかないユニークな100円ショップがあり、最近そこで見つけたギリシャのボディソープ ”アルガンオイル” を使っています。実はアルガンオイルを配合しているだけで製造は日本(大阪)でした。それでもギリシャ気分が味わえるかと楽しみに使っています。
2022.06.15
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嘗て介護施設や老人ホームによく呼ばれて演奏に行きました。鍵盤楽器を含む演奏を主としてしていたために、いつも気がかりだったのは現場にある鍵盤楽器の状態でした。実際に8割以上の現場において調律や椅子など行き届かない状態でした。事前にピアノの調律について主催者に訊いても、行ってみたら酷い調律状態だったということもよくありました。そこで、こちらから予算を捻出して事前に調律を行ったこともありました。調律しなくても平気なのは主催者側であっても聴衆ではありません。人によって年齢と共に聴力が弱くなることはあっても、音楽を聴く感性が衰えることはなく何歳になっても変わりません。調律が合っていないことをわかる人にとって長時間聴くのは気の毒です。音に対する感性は年齢によって変わるものではなく人それぞれです。調律や音が合っていないアンサンブルをどう感じるかも個人差があります。人によっては、音楽がないことを好み喧騒を嫌います。主催者が調律費を捻出できない事情は理解できますがピアノの状態にもよります。どんなに腕の立つソリストがいてもピアノの音と合わなければ台無しです。編成が室内楽であれば本来はコンサートホールでの演奏が望ましいのは否めません。コロナ禍前はアトリウムやロビーでの演奏も当たり前になりました。ホールとは異なり空間が広く反響板がなく天井が高いのが常です。多くの場所ではピアノを使う場合はマイクを使わなければ音が前に出ません。ピアノの音は上に上がり、他の楽器は前に出るため音の方向が異なります。室内楽においてはピアノパートが和声を担っていることが多く、ピアノが聴こえないと音楽のコンテクストが伝わらないことがあります。人は聴いたことのある曲では想像力が働きますが、そうでない曲は伝わりません。また、アトリウムやロビーは概して響きすぎで細部が聴こえにくくモヤモヤします。金管楽器やサックスなど音が大きな楽器とピアノの曲では、ピアノパートに繊細さは求められず、分厚い和音が中心で音数が多くなります。編成が大きいほどピアニストは大きな音で弾くことが必要になります。「作曲を教えるとはどう言うことか」「教えられるのか」と尋ねる人がいます。作曲においてもっとも重要なことは現実的な楽器編成を考えることです。最近は演奏者側の嗜好で同属楽器のアンサンブルが多いですが、何と言っても、和声的充足感を求めるには4重奏にするか、ピアノを入れる必要があります。しかし、音の大きい楽器が2本とピアノの編成はそもそも成立しづらいです。金管楽器やサックスが2本以上で f を出すとピアノは被られほぼ聴こえないからです。聴こえたとしてもピアノが ff で分厚い和音を奏した時で繊細さは表現できません。ヴァイオリンソロや歌、木管楽器を伴奏する場合はピアノも繊細さを表現できます。今流行りのストリートピアノは音響、調律のいずれにおいても問題が多く、弾いている本人は自己満足できますが、周りにいる聴衆は人によってそれぞれです。音響から言えば、繊細な表現は向かず大音量で演奏するしかありません。ピアノの音を聴くだけで満足する人もいると思いますが、自分にとっては騒音です。ストリートピアノとは鑑賞するものではなくテンションの共有、または雰囲気つくりです。しかし、聴き手のことよりも弾き手の主観が出過ぎていて公共の場で行うのは疑問です。また、パフォーマンスを完結するにはライヴよりも動画・編集が好ましく、YouTubeなどにアップされることによって存在感が出ると言えます。フラッシュモブもそうであったように、ライヴよりも動画にすることによって、絵画や写真で言うフレームを時間枠に置き換え、ストーリーが明確になります。さらに性能の良いマイクによって音を拾えばバランスを整えることもできます。テレビや動画にはライブでは考えられないような編成やバランスが散見しますが、ライブと動画は明らかに趣旨が別物であり、混同して考えてはいけないのです。
2022.06.13
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受験時代や学生の頃に買った日本人作曲家による子供のためのピアノ曲集を、最近、ウェブ上のフリーマーケットに出して売り始めたのですが、音楽関係の物では今までにない高い売れ行きです。40-50年ほど前に作曲された曲集が数分で売れることもあるのです。ピアノレスナーが生徒さんか自分の子どもの教材として買っている気はします。それにしても、どんなに保存状態が良くても紙の色などは経年劣化しています。教育的には新たな曲や時代に沿って教材は変わるのが常です。もちろん何でも売れるわけではなく選ばれたものではあります。ピアノ科でもない自分が、なぜこのような曲集をいろいろ買ったかといえば、ピアノの初見視奏の練習と、名の知れた日本人作曲家の書法を知るためで、特に作曲家の特徴は子供のための曲なら容易に見て取ることができると考えました。普段作曲のために研究する作曲家は子供のための曲集をあまり出していませんでした。ただ、名前はよく知る作曲家のこれらの曲も殆どが初見の練習にはなっても、作曲の勉強としては役に立つ曲が少なく、音楽的内容としてももの足りませんでした。曲が子供向きとは言え、大人が面白くないものを子供が喜ぶのか疑問でした。それでも当時は自分の無知さや感受性が足りないからだと思っていました。そんな勉強も大学に入ってまもなくやめ綺麗な状態で楽譜が残りました。それ以降、さまざまな楽曲研究を日課として今日に至ったわけですが、最近は断捨離の意識から手放せるものは手放すようになりました。そこで、最近30-40年ぶりにこの曲集を懐かしく弾いてみました。結果、買った当時に感じたことと今もまったく変わりませんでした。それどころか目が肥えたために曲のよくない点を山のように感じてしまいます。大手の楽譜出版社の本ですから、当時はおかしいと感じても半信半疑でしたが、今となってはこの楽譜を売物としていくらにするか悩むようになりました。概して現代音楽の作曲家として名の通っていた方の曲はためになります。しかし、中には曲として面白くないうえに、和声学的、音楽理論、ピアニズムとして、明らかにおかしいものもあります。また、臨時記号の脱落など誤植があったりもします。それにしても、なぜ現在でもこれらの曲集が買われるのかと考えると、本当に名曲としてと引き継がれレパートリー化したもの、作曲家の知名度、曲集やタイトルの特徴で有名になったものもありますが、コンクールや、オーディションで弾かれることが考えられます。課題曲としてとりあげられれば好き嫌いに関係なく皆が弾きます。課題曲でなくても、日本人作曲家の曲をプログラミングする際に、曲の内容よりも作曲者の知名度やステイタスが重んじられ、結果的に新しい曲よりも昔から度々名の挙がる曲を選ぶことになります。日本の文化は音楽に限らず順位を競うことが多いわけですが、よほど大きなコンクールでなければ結果を出してもその後の活動に即効性はなく、開催する側の意義やビジネス面が見え隠れすることもよくあります。芸術を育むこととビジネスが一致することが少なくなりました。コンクールに入賞することは本当に嬉しいことですが、入賞者や文化のその後の更なる発展に直結しているかどうかはわかりません。市立柏高校の自殺問題が吹奏楽部の過剰練習だと言われています。これほどになる原因がコンクールなのであれば、コンクールはそれほどのものではない、自分を大事に生きてほしいと願うばかりです。
2022.06.08
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少し前までは不幸があれば何かとメールなどの連絡をいただいていました。しかし、今はSNSで知ることも少なくありません。数年前に友達申請を受け当初は美しい風景写真を載せていた彼女が、ある時から闘病日記に変わりました。その初めの投稿に「がんばれ!」とだけコメントしたところ、とても喜んでくれぜひ会いたいとまで返信をコメントしてくれました。一応予定を伝え試みましたが結局会えず仕舞いで日が経過しました。入退院を繰り返していたのでタイミングが難しかったのです。一時期は快方に向かったかのようにも受け取れましたが、医師に余命宣告まで受けたのち昇降状態を繰り返していたようです。そして、彼女が亡くなったことを彼女のアカウントからご主人が伝えました。今考えれば今のご時世では会うことはそもそも難しかったかもしれません。30年前に高校音楽科から大学の7年間教えたことのあった彼女です。お子さんもいて幸せな家族をつくっていたと思います。まだまだこれからだったのにと思うといたたまれません。しかし、今はひたすら心の中で祈ることしかできません。人生においては人との出会いこそがもっとも大きな目的だと思っています。いつでも会えるわけでもなく、チャンスがなければ会えません。彼女と実際に最後にあったのは25年くらい前のことですが、世の中では自分をもっともよく理解してくれていたひとりなのです。
2022.06.06
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今日スーパーで食品の値段をチェックしたところ、大手食品企業でとても値上がりたものがありました。中には50%値上げのようなレトルト食品がありました。ただ値上げ据え置きの企業もありました。最近、肉の加工品がものによって食べられなくなりました。想像ですが、コロナ禍で外食が減りお肉が余り加工品に回されてないでしょうか。大手企業ではない冷凍食品や加工食品で美味しくないものが増えた気がします。サイコロステーキに代表される形成肉では、食べると持病の発作が起こります。美味しくないからか脂質のせいかわかりませんが、ストレスがかかるのは確かです。かなりの期間冷凍されていた材料をさらに加工している感じでしょうか。もしかしたら年齢的なものかもしれません(笑)が敏感になりました。そう言えば、若い頃は何の肉かわからないような肉でも平気で食べていましたね。若い頃は激安の焼肉屋さんが増えた時期でした。留学した時はフランスのスーパーで買う牛肉が、日本よりも硬くて美味しく感じませんでした。そこで焼く際に醤油や鰹だしを入れて和風に味変していました。鰹だしは味が強くチーズにもよく合います。今であれば他にも香辛料は思いつきますが、当時は味噌汁用に常時持っていました。よく作っていたのは挽肉と茄子を醤油と鰹だしで炒め、エメンタールチーズを乗せてバゲットとワインで食べていました。さて、引き出物にもらった鰹節のお話です。鰹節に味が付いていて香ばしくパリッとした食感に焼いてあります。生姜醤油、わさび、一味、チーズの4種類があり、お酒のお供に勧められていますが、何かにかけたいと思いました。生姜と鰹節で容易に思いつくのは冷奴です。更に少し液体の醤油や塩をかけていいと思いました。そして、遥か27年前から合うと感じていたチーズと鰹節の組み合わせです。茄子と挽肉を醤油と生姜で炒め、その上に乗せてみました。色がイマイチですけど和風さが増して洒脱な肴になりました。ワインも日本酒も合います。いつものガッツリ洋風にするには、鰹節の代わりに鰹だしにして、チーズをたくさん載せてオーブンで焼くと美味いです。
2022.06.01
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