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偶然ですが、とうとう1日に2つの病院に行くことになりました。その間に時間ができたので、髪も切りました。ひとつめの病院は毎月1回は行っている循環器系のお医者さん。ほぼ待ち時間もなく順調に受診できました。家と病院で測る血圧値がいつもかなり違うので自分の血圧計を持参しました。病院で測ると正常値です。自分の血圧計でも少し高めなくらいでした。しかし、自分で朝晩測って記録している高血圧管理手帳は高いので、一瞥でさらに薬が増えて処方されました。同じ時でも測る度に増減があり、朝と晩でも20-30くらい変わることが多いです。自分の中で何かが大きく変わるほどのものがない割に数値だけが一人歩きして、朝に薬を飲むと昼食後に少しボーッっとしたりして、こんな簡単に薬増量で決着すると、もっとよく診てよと言いたくなります。こちらが腹が痛いと言えば「はい、胃腸薬出しておきますね」頭が痛いと言えば「はい、頭痛薬出しておきますね」みたいな感じかな。それじゃあ困るのは、もう何ヶ月も快方に向かっているとも言えないことです。レッスンもそうですが、慣れというのはよくない方に働くものです。夕方からは年季の入った歯医者さん。ここに来たのは10年以上前ですが、やはりここがいいと結論になりました。その時もお洒落とは言えず年季が入っていたけど、今回はさらに年季が入り、患者側の好みとしては分かれるところですが、腕は確かな先生だと思っています。歯医者さんはむしろ彫刻家に近い気がしていて、刺したり抜いたり削ったり型を作ったりと芸術家の仲間?と思ったりします。自分は音楽ですが、歯医者さんの職人気質は理解できることで、言葉巧みというよりもクセや拘りがあって然るべきと思えるのです。さらに言えば、周りにはたくさんいる(笑)リードを微妙に削って音をつくる楽器の人。刃物を持ち歩いたり扱える人って、自分からは遠くて未知な部分を感じます。そんな先生のもとには、助手や受付の方もそのお弟子さんみたいな方がいて、お医者さんと言うよりも独特の工房に来た気になります。早速親知らずを抜くか抜かないかと言うことに話が進みました。次回はいきなり抜かれるかもしれないし、そうでないかもしれません。あっさりと何を言われるか?レッスンを受ける側に近いドキドキで楽しみです。ポイントは、言ったりすることにタメがなく、それが緊張を感じる暇を与えないのかもしれません。
2022.03.30
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人生経験はどんな人であれ、長いほうが何かに長けています。特定の仕事に対する年功序列はひとつの尺度としては古いのかもしれませんが、若い人が目上の人とまったく同等というわけではないと思います。ジェンダーについても同じで基本は平等ですが、筋肉量など差はあります。平等という意味は、「平等に扱われる権利を有している」と認識していますが、それとは別に人は基本的に好き嫌いで選び、動くのは明白で、基本的には親族以外、他人では若いほど人気があるのでしょうし、仕事でのスキルも若い人のほうがあり、特に単純な作業ではよくできると思います。ところが、これが接客業になると一概にそうでもないと思っています。育ち方や家庭環境にもよりますが、社会への貢献や人の喜びのためよりも自分の業績、年齢に関係なく競争心が旺盛で負けず嫌い、それが若者〜中年の傾向です。優秀ではあっても実績ばかり考え、年上の上司は部下を扱いにくいかもしれません。若者の社会人に想定以上にたくさん売りつけられようとすることはないでしょうか。ローン、投資、定期預金、保険、契約、通院などサービス業に代表され、本人は実績を考えている割に責任感は少なく、クレーム発生時は上司が咎められる、出世や環境の変化で自覚を促され大人になる、そんな世の中です。最近の若者の結婚披露宴の特徴は、主賓や恩師はいますがあとは友人、親族で、先輩や近い上司がいないことが多いようです。昔はもっと近い目上が多かったはずです。社会的な建前上の繋がりよりも実質的な繋がりのある人を呼ぶ傾向があります。冠婚葬祭全体でオフィシャルと言うよりはプライヴェートな意味合いが増しています。今の地に住んで20年が経ちましたが、街のことがよくわかるようになりました。都会では何を買うにもいくつかの選択肢があるのは便利でしがらみがありません。例えば歯医者さんはたくさんありすぎて、近くでも知らない医院がたくさんあります。レッスンと同じで歯医者さんがいいかどうかは行ってみないとわかりません。家の周りの歯医者さんは店構えから内装、いる人や先生の雰囲気がかなり違います。綺麗でお洒落な雰囲気で清潔感が全面に感じられるところが多いです。そしていろいろ行ってみましたが、自分の中では、治療と措置の判断、計画、何よりも技術(腕前)、という結果になりました。設備や機器が時代に遅れているのでは困りますが、一回の治療で行えるたくさんのことを的確かつ迅速に行う、措置が永久的であること、これが自分には好ましいと考えられ、治療目的が毎回実感できることが何より重要です。一般に歯医者さんが好きでずっと通いたい患者は少なく、それぞれ相反しています。これは音楽レッスンと似ていて、地道に行う鍛練と達成感は常に一体の必要があります。少しずつでも両者が毎回必要になり、話や楽しさだけで紛らわせるのは今やNGです。生徒や患者がどの程度の充実感や内容を求めるかによっても異なりますが、自分の場合は先生に求めるものがかなり厳しいほうではあると思います。
2022.03.29
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ウクライナ侵攻で嘘の情報を流す情報戦が注目されています。しかし、テレビ、インターネットから発せられる情報では日常的に戦いです。人に伝えるための情報であるからには客観性をもった真実だと見る人は多いようです。テレビで言えば、当たりもしない推測が多く、それを信じてはいけないと思います。なぜその記事や内容を取り上げるのかを考える必要が常にあります。嘘ではないにしろ、五万とあるニュースからなぜ選ばれたかが最も重要です。大学院や研究機関の論文ではインターネットに書かれた書き込みを、参考文献として採用できないはずですが、テレビのニュースはそうではありません。本当に主要なニュースが今の問題となっていることまではわかります。しかし、視聴者に何を言い、どのように受け止めさせたいかと言うことで、採り上げる内容が制作者によって偏っています。SNSでは制作者も発信者も同一ですからより明快です。テレビのワイドショーでは「視聴率をとる=批判的に責める」の型があって、視聴者が同調するような感情的な側面が切り取られていますが、どうすればいいのか、対案は何なのかというソリューションがなく、多様化を言う割に考え方を戦わせるだけで受け入れる局面が少な過ぎです。視聴者を同調させる例としては「罪のない子供が巻き込まれている」など、論理的に起こった経緯を説明するよりも感情的な憎悪を煽ります。また、リアルなニュースにBGMをつけることは心理を誘導しています。ニュースを演出する時点で、意図的に見方を強要しています。また、キャスターやコメンテーターのキャラクターを演出していることも感じます。手厳しい批判をいつも言っているけど実は「いい人」「優しい人」「柔らかい印象」、特に「お茶目な人」などの印象をつけることが人気を上げると考えているようです。わざと意外な側面を見せたり、3枚目的なキャラ設定が行われています。これらは怖い先生を自己演出する非常勤やフリーの講師にも受け継がれていて、厳しい指導をするけど生徒愛が強くて結果を出すなどと見られるように、SNSであえて言う必要のない「話がわかる」「柔らかい印象」を演出しています。公務員はもとより、常勤の先生は自分の方針や業績をSNSでは言いません。宣伝なのかリア充(自慢)なのか単なる所感なのか意味不明の発信をするのは、プロだとしたらみっともなく見えます。プロ意識の欠如だと思います。失敗談のようで実は遠回しに宣伝やリア充を意味する発信は、大人気ないし目上の人が見れば性格を疑う逆効果になることもあります。音楽業界では食べていけるだけでも確かによく頑張っているかもしれませんが、いかなる素晴らしい肩書きを持っていても、下手な発信はNGです。そこに真の愛情のなさが感じられた時、人が疑われることもあると思います。立派な肩書きを持っている人こそそれなりの発信をお願いしたいものです。今言われている戦争の情報戦を見れば、世の中はそんなものだと思うかもしれません。しかし、いちばんまずいのは、人を適度にはぐらかして発信することを真似して、「子供たちに喜んでもらいたい」などと言っている子供や若者です。大人になれない大人や、子供や若者に怯んでいる大人がさらに同じ大人を生みます。今の時代は自分のリア充を言っていられるほど温和で良い世の中ではなく、ひと昔前のまだ世の中が安定していた時代ではなくなってしまったと思えるからです。原油が上がっても100ドルラインを越えればOPECは今まで増産していたことが多く、この高止まりは新たなフェーズに入ったと考えられ、生活が変わらざる得ない状況です。大きな問題が次々と起こる間隔が短くなっていていい未来が想像できず、弱者の立場になった時にその犠牲にならないようにすることです。強者が優位を保持するだけではなく本当の弱者に目を注ぐ社会の優しさが必要です。SNSにおいてはリア充ではなく率直な物言いが求められています。
2022.03.26
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多分日本で区別されていないのは、「もったいない」「節約」「エコ」の違い。もったいない…物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く気持ちを表している節約…むだを省いて切り詰めることエコ…自然環境保全。また、それらへの関心や意識昔はゴミを海外に売っていたことがあり、その頃は全てエコだったのですが、2019年からは売ることができなくなり国内で燃やすか処分するしかなくなりました。そこから急速にプラスチックを減らす取り組みが世界で増えました。買い物でもらうストローやスプーンをプラスチック以外に替えたくらいで減るのか?1990年頃までにヨーロッパではサンドウィッチやピザ1ピースを買うと、口を拭いたり持つためにもれなく紙のナプキンがついてきました。ただ、バゲットなどの長いパンは高級店で買わない限り手で持つだけの紙しか巻かれず、買ってからずっとほとんどの部分は剥き出しのままでした。バゲットを買ったままショッピングモールをうろちょろしている有閑マダムもいて、先の方をつまみ食いしながら歩いていたりしますから、今の世の中であれば、ウイルスや感染などの発想すらなかったでしょう。日本では、昔から買う弁当には必ず箸がついていましたが、紙ナプキンが飲食店で確実に置かれた出したのは1990年代からです。高級洋食店にしか紙ナプキンはなく、ファミレスができた頃から普及し始めました。それでもラーメン店や和食店には紙ナプキンは普通置いてありませんでした。しかし、1980年代からコンビニはが普及していましたので、飲食店ではなくとも、パスタを買えばフォーク、ピラフを買えばスプーン、寿司を買えば醤油がつきました。ヨーロッパではポテトにつけるケチャップはつく程度のサービスでした。日本からの観光客が、スーパーで惣菜を買った際に箸やフォークが無料でもらえず、後でプラスチック製のフォークやスプーン20本組みたいなのをよく買っていました。日本のサービスで恵まれているのは安いホテルのアメニティでも同じで、全てが海外の4つ星ホテル級のサービスを普通のおもてなしとしていました。しかし、その気の利くサービスが2000年代に当たり前と思われるようになり、室料を安くする代わりにサービスの質を落とす方向に流れ始めました。個人店で買い物をした時の包装も同様に過剰だと言われ簡易化していきました。しかし、どんな形の品物でも綺麗に包むことのできるラッピング技術は、日本人の器用なおもてなしとしては内外で喜ばれていたように思います。デパートなどの丁寧なラッピングは日本文化の象徴でした。過剰で包装紙が無駄だということでラッピングが減りましたが、今のように簡素で無地のレジ袋や店の紙袋を購入するのは逆に世知辛さを感じます。店員と客が心を通わせることがあるから買物が楽しいと感じることは多いです。過剰であっても使われた包装紙をさらに有効活用すればエコは成立するのです。箸やフォーク、スプーン、特に使い捨て濡れおしぼりは日本中のサービスですから、必要な人だけがもらうシステムにすればいいのではないでしょうか。実際にわざわざもらわなくてもいいものは箸袋の中の爪楊枝ではないでしょうか。1995年頃にエールフランスの機内食で、葡萄が何粒かデザートに入っていましたが、小さな濡れナプキンが入っておらず客室乗務員の方にオーダーしました。そもそもフランスでは珍しいものでしたから単語がわからず不便でした。昨日・今日は電力の逼迫警報が出ました。ワイドショーのスタジオや店の照明を落とす様子がニュースで報じられていましたが、個人環境でどのように節約するかは各々が考えればいいことで、一律に◯◯はやってはいけないと言える理由はありません。世の中にはそれぞれの環境でさまざまな人がいて、各々の思いがありますから、鶴の一声で一律に変えさせることのできることとできないことがあると思います。日本の政治家は自分の偏った感覚を基にモノを言うことが多いようです。理想の日本のゴールイメージがなく、おざなりの対処では文化が犠牲になるのです。
2022.03.23
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テレビ朝日系列「芸能人格付けチェック」という番組があります。観ているだけでは味や音がわからないのに面白く視聴率が高いです。出演している芸能人の話術やリアクションが人気でもありますが、想像力を掻き立てられることと真実を推理すことに興味が湧きます。どこまでをわかって想定しているのかわからないのですが、一見簡単な問いかけにも関わらず不正解に誘導する設定を考えると、番組を成立させることにおいて制作者と浜田雅功氏の天才性を感じます。騙すテクニックとして仕掛けがあって実際はとても難しいのです。例えば、「目隠しをして赤ワインか白ワインかを当てる」問題、普通のことをしたら簡単に当たってしまうでしょう。しかし、ここは出題するソムリエの腕の見せ所で、限りなく赤ワインに近い香りのする白ワイン、白に近い赤を選んでいます。そして、「弦楽四重奏の楽器の弦を1-2弦張らずに演奏する」音楽問題、4人の楽器のそれぞれの弦を2-3本のしてアンサンブルをするには、まず、第1ヴァイオリンのようにいちばん低い弦の音が出て来ない、いちばん高い弦を外しても弾けるくらいの高音が出て来ない選曲をします。第1ヴァイオリンの旋律は2番目のA線で弾くので逆に腕の見せ所と言えます。他の楽器も旋律があまり回ってこない選曲だと高い線がなくても可能になります。ない線の音は低い線でいつもより高いポジションで弾くために難しく、個人・合わせの練習もその分多くやっていて集中やテンションが高くなります。ここでの騙しテクニックは、弦が足りない楽器で演奏すると歪な演奏だったり、音が抜けたりバランスが悪くなると、解答者が勝手に想像してしまうことです。実はいつもより難しい技術を披露して通常演奏に遜色ないどころか上回ろうと、演奏者はやる気満々で騙しにかかっているということです。正解するためには、第1ヴァイオリンの旋律をE線・A線のどちらで弾いているか、音色の違いを聴き分けるか、弦が足りないために覇気や集中力のある演奏がどちらか。それくらいしかなく、高音が出てこないヴィオラやチェロパートでは難しいです。そんな裏を考えると、シュールな設定そのものが崇高に思えてきました。
2022.03.22
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蔓延防止措置が解除になりました。以前とは打って変わって緩くなってきましたが、何が変わったか?厚生労働省のホームページからわかることは変わっていないどころか、数を根拠に考えるとよくなっているようには思えません。感染者数が減ったと言っても、以前に比べるとかなり多いです。弱毒化して重症化しなくなったと言いますが、重症者数が全国で1000人を超えたのは、2020年にはなく、2021年1月、5-6月、8月には2000人超、2022年2-3月で1000人超です。死者数は重症者のトータルくらいの数ですから、亡くなってから検査をしたら陽性だったような直接の死因は別と考えられます。数から考えれば収まったといえる根拠はありません。また、ワクチン接種に関わらず全ての数は増減を繰り返しています。蔓延防止措置を続けると経済が滞るということが言われます。しかし、それは以前からそうであって、いろいろやっても状況が変わらず、増減を繰り返していることからの諦めが大きいのではないでしょうか。これ以上経済的な制限をしても結果が変わらないことにやっと気付いたように思います。屋外でマスクをしていても感染する事例があったとは信じ難いです。密集と言っても電車の中で感染した事例があればすぐに実証されるはずです。結局は感染者の近くでマスクを外して話した時だけがリスクのはずです。それは飲食店やイヴェントがターゲットなのではなくどこでも起こりえます。昔、「風邪気味だったら遠慮なく休んでいいですよ。」とレッスンで学生に言っていた先生を思い出します。ご自身が風邪をひいては演奏に差し障るので、そのようにおっしゃっていたのですが、学生はレッスンを簡単に休んではいけないと理解していた時代でした。まさに今、うまくいっている人、感染してもその後に差し障りのない職業の人は、他を自粛させるほうが自分のリスクを減らせていいと考えるでしょう。強者は自分が感染させられたらたいへんだから他人が自粛すべきと考えます。また、感染者が出たら代行が利かず回らなくなる職場では自粛せざるを得ません。思えば、音楽を行う環境は、他の部屋との音を遮断する密閉空間で、扉は重くて硬い取手をべったり握り、ピアノや、譜面台、ホワイトボード、マイクなどの共用品を触り、時には密集して声を出したり管楽器が息を出すなどリスクだらけです。コロナ禍前の10年くらいは消毒液を使う習慣がありましたが、それ以前はなく、接触や空気で感染していたらいつでもパンデミックが起こる環境でした。しかし、授業やレッスン、リハーサルが原因で感染した記憶はありません。音楽関係者は風邪に敏感ですからほぼ罹らないのではないでしょうか。強者にとって気がかりなことは、もはやコロナではなくウクライナ情勢です。世界経済が打撃を受けかねず、コロナではさほど影響を受けなかった強者にとっても、経済を止めるような規制を言っている場合ではもうありません。今は物価高がさらに進んだり手に入らないものができたりするかもしれません。世の中の流れの中でコロナが騒がれる時間が減りその点は平穏になりました。政府が参議院議員選挙前にできるだけ責められない状況を作りたい意味では、コロナが落ち着いた状況を作ること、ワクチンを早めに準備することです。ウクライナ情勢が平和にさえ向かえば、コロナ前の日常を取り戻せるかもしれません。以前の日常がいかに幸せであったかを皆が実感し始めたかもしれません。しかし、全く元に戻るかと言えばそれもなく、今だからこそ何を取り戻すか、何が大事だったのかを考える転換期と言えます。ここは時代が変わるチャンスが到来すると考えたいです。
2022.03.22
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作曲の師から「音楽には国籍がいる」と教わったことがあり、今でもそうですが当時は国籍を感じることのできない音楽が多かったことや、日本国籍を感じさせるとどうも野暮ったい感じがしていました。少し考え方を変えてみると、民族的要素が必要と感じれば理解ができました。クラシック系音楽に限らず、音楽にはさまざまな要素が含まれますが、音楽を通して本能的にアイデンティティを感じたり共感できるのは、どのような精神状態にあっても民族性こそが要因だと思うようになりました。不思議なことですが、他国の民族性であっても十分に効果はあります。たいていの人は自分が好きな人が演奏しているからとか、今その曲が流行っているから、誰かが薦めるから聴くとかが多いようです。では、昔のように作曲者や誰が演奏しているかわからない状態でも、琴線に触れる、心を揺り動かされるのは民族性、ソウルに触れた時です。しかし、J-Pop、日本の現代音楽にしろ民族性を感じさせる音楽は少ないです。古くは、とてもシンプルな民謡そのものでもアレンジ次第で生まれ変わります。クラシック音楽でもスラヴ系ジプシー音楽は世界的に受け入れられ、チャルダーシュがこれほどまで演奏される所以でもあります。ブラームスのハンガリー舞曲集、ドヴォルザークのスラヴ舞曲集、イギリスのグリーンスリーヴス、バルトークのルーマニア系民族舞曲、アメリカの黒人霊歌、アメイジンググレイス、その他のソウル音楽、挙げ出すとキリがありませんが、これらは愛される普遍性のある音楽です。「スターウォーズ」の作曲者であるジョン・ウイリアムズも少し聴くと、それまでのアメリカのクラシック音楽やドヴォルザークの影響も感じられます。また、特に近年になって素晴らしいと思えるのは北欧の音楽です。フィンランドのシベリウスに感じさせる民族性はポップスにも通じ、アイルランドのエンヤと世界観が共通していると思います。エンヤはまだ60歳です。これらの音楽は国に関係なく、軽く国境を超えているように思うわけですが、最近ハマっているのがスウェーデンの作曲家、エルランド・フォン・コックのオーケストラ曲「北欧奇想曲(1943)」で、まさに北欧の民族性を讃える名作です。日本でなぜ有名ではないかと考えると、さほど知られていなかっただけだと思います。エルランド・フォン・コック「北欧奇想曲」のYouTube音源この曲を生で聴いたり、現地で聴いたり、海外から帰国する飛行機内で聴くと、頭から離れなくなるほどの一生の思い出になることが予感されます。また、音ではなく演奏を見た時には鳥肌もののオーケストレーションを感じ、オーケストラを見た時の醍醐味が詰まっているのも想像できます。日本にも間宮芳生先生の日本民謡集などは名作でもっと知られるべきだと思います。今でも日本民謡や伝説を題材とした曲は作られていると思われる方も多いでしょう。しかし、この分野の曲のソウルが感じられず、作曲者にもはや日本のそれがないのか、垢抜けてはいけないものが抜けていて、作品としてはいいと思えません。今はクラシック音楽に求められるものが変えられようとしているかもしれません。昔からのクラシックファンは、最近のコンサートでは満足はないでしょう。だから、名演は何かと尋ねればどんな曲でも1970-80年くらいの録音を挙げたり、LPレコードなどが再燃したりと古き佳き時代の人間味が忘れられないのです。民族性は祭りと共通性が多く、祭りが以前のように行えないような世の中では、魂を抜かれたように感じる人もいることでしょう。また、戦争などという理不尽なことが起こると、自分は自分などと思えず、自分を鼓舞するためにも人の崇高ささえも感じさせる民族性を讃えたくなります。
2022.03.19
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子供の頃、阪神ファンでテレビで応援していました。ここというところでホームランを打っても打者はガッツポーズはおろか、笑顔のかけらも見せずブスっとして塁を周る様子に、なぜ喜んだりガッツポーズをしないのだろうと不思議に感じていました。プロ意識が強いのか武士の精神なのか当時はそれが普通でした。当然ながら大人が「ありがとう」「ごめんなさい」というのは、お店の人がお客に対していう以外で聞くことはあまりなかったと思います。これが昭和文化ということだろうと思います。それから時代の流れで状況は変わっていくわけですが、今の50代以上の人が寡黙で「ありがとう」「ごめんなさい」を言わないのは、子供の頃に大人からは言うように言われていても、照れ臭さが残っていて変われない人であろうと思われます。昭和では「ありがとう」の代わりに「どうも」と言っていました。「どうも」は感謝や「よろしく」も表したりして適当に便利な言葉でした。しかし、言葉としては「どうも」だけでは訳しても意味をなさず、「よろしく」も日本独自の言葉でちょうどよく訳すことができない言葉です。言葉遣いが変わったのは国際化が進んだからだと思います。留学したフランスでは、売る側と買う側の立場が同等で、小さな物でもお客が店員に礼を言って店を出る様子が印象的でした。今でも日本の都会ではあまり見られないと言えるでしょう。このように礼を言わなくても済むのに言うことは気持ちの表れと感じられます。ただ、儀礼的になって皆が言うから言っておこうと考える人もいます。例えば「こんにちは」は儀礼的ですが、「お元気ですか?」と挨拶すると、少なくても気にかけている証となり会話が続きます。返答として「元気です」「疲れています」などお互いの今の関係が推し測れ、万一無言であれば自分に良い気はしていないのだと判断できます。いずれにせよ、コミュニケーションを大事にしている海外の文化が感じられ、外国語を学ぶだけでも定例文からもよく感じられます。しかし、デジタル化が進み電話から要件だけの文字メッセージのやり取りとなり、余計な言葉を省くばかりか返答をしないと言う選択肢が加わってしまいました。昔から考えるとコミュニケーション欠落の大きな要因が既読スルーと言えます。メッセージでは挨拶が儀礼的となりもはやスタンプを楽しむためのものです。さて、外国人が日本で働く場合、日本人の友人を作りたいと考えるでしょう。しかし、例えばコンビニでレジをしたとしても都会ほど儀礼的な接客です。質問かクレームくらいしか会話がなく、話しているのに目も合いません。もはや人でなくてもセルフレジや非接触でいいと考える人が多いでしょう。少し前よりも挨拶や感謝を表すことが若者を中心に減ったと思います。言わなくても支障のないことや、相手に向けての言葉が全般に減りました。言う時は相手より自分のために「こんにちは(何かいい話はありませんか?)」「ありがとう(また、お願いしますね)」などの意味が含まれることが多いです。挨拶・言葉をかけることは、相手に受ける様子がなければアクションを起こしません。受ける側がされたら返す気があっても、相手に向く素振りがなければ何も起きません。打算なくコミュニケーションをすることがこれからの時代は必要だと思います。日本人がウクライナ避難民を受け入れるポーランドのようになるにはまだまだです。
2022.03.17
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ブラック校則が撤廃されるというニュース、賛成です。組織という組織にはルールがあり、入るからには従うしかありません。ルールは理由があって作られたものであり、説明できなければなりません。もし、ルールに問題があるという場合はシステムに問題があります。しかし、日本の場合ルールやシステムにクレームをする人は少ないようです。そもそもクレームを言っていく窓口ができたのがなかったからです。多くの企業にはクレーム対応のプロがいる現在は進化したと思います。なのに、校則が撤廃されるということは学校の怠慢だと言えます。校則が悪いわけではなく、アップデートされていないことがいけないです。身近なところで、パスワード設定のルールはどんどんややこしくなっています。面倒で嫌だという人が多いですが、理由は誰もがわかると思われます。進歩が激しいのに何十年も前のルールをそのままにすることがNGなのです。その意味では、教員の体質が権威主義、楽をするためであったりと見られます。それを擁護すると、世の中が子供に対してあまりにも性善説に基づき過ぎで、例えば選択科目の履修初回にルールや単位取得の説明をしても、実に守らなかったり聞いていなかったりということが多いのです。ルールはひとり守らない人が認知されるとたちまちグズグズになってしまいます。それには厳しく対応するしかなく、保持していくことがとても難しいです。身近なところでは提出期限を設けているのに、結局期限後でも受け付けてしまう、それが何度かあると、何だかんだ言っても許されるものだと学習してしまいます。教育機関なのに、「上のあの先生に言えば特別に許してもらえる」とか、「許してもらえる優しい先生」と教員側は好感度アップを狙っているつもりでも、多くの場合はナメられていて生徒側は利用しているくらいの気しかありません。この点は、SNSを見ていても若者に媚びを売りたい指導者が目に余ります。ともかく、ルールは基本的に費用がかかるものではありませんから、作ったら1年に1回アップデートするくらいが今の時代ではないかと考えます。また、管理者や指導者がルールを恣意的に解釈したり、変えたりするのはNGで、そういう人は組織に向いていないのだと思います。日本人はクタクタになるまで働く、忙しいことを勲章のように思っていますから、検証や反省ということが少なくすぐに次のことに移っていきます。これでは夜は疲れを癒すために寝るだけになりますが、それは変えるべきです。勉強や練習時間が長ければ長いほどいいというのも昔の考え方だと思います。昔、泊まりでフーガを作曲する講習会に行った時のこと、一緒にいた友人が寝ている間に作曲が捗ると言ったことに驚いたことがあります。そんなことができたらとても楽だと。その時はできませんでした。しかし、今ではそれができ、このブログに書くことも寝ている間に考えています。もちろん昼間にクタクタになるまで活動していてはできません。寝ている間に頭の中がアップデート、整理されるのです。最近は夢を見るのもその一環だと考えています。抽象的な映像ではなく具体的な言葉で夢を見れたら手っ取り早いです。
2022.03.15
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21世紀アメリカ文化の特徴はファスト(fast)だろうと思っています。代表されるのがファストフード店です。経済活性化のためにランチの時間を短くして働く文化です。日本では立ち食い蕎麦、回転寿司など客の回転を重視しています。日本でも少なくとも昭和の中期までは立って食事をすることは、行儀が悪いと言われまずあり得なかった文化でした。フランスを始めヨーロッパはランチであろうとそんなに早く食べる習慣はなく、語り合いながら時間をかけて休息をとることがメインだったと思います。夜に至っては3時間くらいかけて食べるのが日常で、例え1人でレストランに入っても前菜からメインが出てくるまでの時間を持て余し、急いでいたとしても事情を言わなければ時間がかかるのは自明の理でした。そんな習慣の中でもアメリカ・日本文化に染まっていったと考えられます。西欧では美の特権は大人にあって子供にないものでしたが、日本人観光客のブランド店で発する「かわいい」から、「かわいい」文化が広がり「かわいい」ものが売れると認識されたと考えています。さらにアニメ文化の普及で、ぬいぐるみや着ぐるみが見られるようになりました。近年は日本文化が世界に影響したことが大きい気がします。しかし、アメリカ文化はヨーロッパ文化とは相反する部分がありました。ヨーロッパは食、料理、音楽などどれをとっても労作が伝統であって、いわゆるファストでできるものを評価しません。今では仕事であれば期限を守るのは常識ですが、締切などあってないようなもの、いいものができるまで妥協せず、どちらかと言えば目的・本質が達成できなければ遅延は仕方ない発想だと思います。また、家具などは利便性よりもデザイン美を優先するなど価値観が違うと思います。シンプル化されたのは音楽でも言えます。ジョン・ケージやミニマルミュージックの音楽は作曲時間が大幅に短くすみます。現代音楽の複雑さや音そのものよりも、理念が後世に最も影響を与えました。音楽の考え方が明快にはなったたものの、残念ながら浅くなってしまいました。そんな中、2010年くらいから個性やその人らしさを尊重する風潮が高まりましたが、反面人を登用、起用、選出する方法は昔からそんなに変わっていません。結局は選ばれた人が選んだ人の価値観を引き継ぐことになり、多くの見方が反映されているかと言えば、選ぶ側の資質や意識の高さによると言えます。つまり、オーデションに例えると、受ける側ではなく評価する側の資質が問題なのです。最新の東京ガスのCMは、黒柳徹子さんがオファーによって起用されたと思われます。しかし、SNSでも何を言っているか聞き取れない部分があると話題になっていました。これは日本語のイントネーションとシラブルや節が合っていないことが原因で、早口なことがさらに助長して「あ〜ら、お引越し◯◯東京ガス」と聞こえました。音節上は◯◯に想定されるのは「は」や「には」だと、聞き手の脳が予想してしまい、黒柳さんの滑舌が悪いと判断される可能性もあり、3月8日から字幕が入りました。そうしたら何と「あ〜ら、お引越し、じゃあ東京ガス」だったわけで、そう聞こえさせるためには「じゃあ」に大きなアクセントが必要ですが、それには早口すぎて「お引越し」が聞き取りにくくなる可能性があります。結局、台詞と節が合っていないのです。例えば詞を大事にする歌の作曲家が考えれば、こんなことはあり得ません。これは制作側の問題で、聞き取れないという配慮に欠ける資質を疑ってしまいます。CMとしてはかなり長い期間流れていますが、字幕入りに差し替えられたことは、印刷物で言えば刷り直しに匹敵、東京ガスとしても出費が嵩んだのではないか?ガス代が高いご時世に何と言うことをしてくれているのかと消費者は感じます。
2022.03.14
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春めいた陽気でやっと日常を取り戻せてきた実感が出てきました。コロナ感染者数が減ってはきていますが少なくはありません。何となくもう大丈夫だと思ったことや慣れてきたことが大きいです。以前と変わったことは仕事関連以外の人間関係が疎遠になりました。再三になりますが、持病持ちの自分でも感染はまったく怖くありません。経験上感染しない自信もありますが、すぐに治せる自信もあります。それよりもワクチン接種の副反応や心臓への影響がとても気になります。入れなくていい薬、やらなくてもいい措置は極力入れないやらないです。そんなこと言ってるのは自分だけだと言われても構いませんが、それよりも今もっと気にしなくてはいけないことはウクライナ情勢です。今日の日本の様子はどうも他人事のようですがそうではないですよね。ロシアが首都キエフに侵攻した場合に、それを他国がどう判断するかです。3月に入って人道回廊という言葉がよく聞かれるようになりました。これは嘗ての集団疎開するための道という意味かと思われます。「疎開」という言葉がメディアから全く聞かれませんが、これは戦争が激化し都市部への空襲や市街戦が行われることの予兆です。しかし、ロシアがウクライナの抵抗に合い制空権を取れないことから、戦術核や生物兵器を使うのではないかとの想定も出てきています。その方法が過激なほど、また西側諸国がさらに制裁を加えることになれば、世界経済の株価暴落と物価高が長く続くことになります。この戦争にNATOが関わるようになると第三次世界大戦に発展するとも言われ、バイデン大統領が言及した第三次世界大戦は久しく聞いていない言葉です。情報をまともに考えた場合、この数日が一触即発の危機であると思えます。今日本で最も重大な問題はこの戦争で、コロナでも韓国大統領選でもありません。テレビの番組で戦争のVTRなのに音楽をつけたものが流され不愉快でした。演出する必要はないのです。その音楽はそのVTRのために作られてはいません。もし、日本が戦争被害を受けていたらそんな不謹慎なことはできないでしょう。また、テレビ出演者がコロナ感染して代行になった場合、立場はお詫びでしょう。今や感染したと言っても容態を心配するような告知はありません。そう考えると感染報告の必要性を感じないことも多くあります。また、韓国大統領選が終わってこれからの日韓関係を推測する目的が、どうも過去の出来事へのダメ出し中心に話を展開する番組構成はよくありません。新大統領が決まっても着任まで2ヶ月あり、実際どう変わるかわからず、本人を差し置いて日本で推測だけでもの言う意味がよくわかりません。
2022.03.13
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マクドナルドがロシアで一時閉鎖になると報道されました。中学生だった気がするのですが、神戸の塾に通うようになり、唯一の楽しみはそのビルに新しくできたマクドナルドに寄ることでした。塾が終わると腹ペコすぎて、ハンバーガーやシェイクがそれは旨かったのです。それは日本マクドナルドの創業期に近い頃でそれまでなかったものでした。1990年代後半日本マクドナルドは全盛期をなし全国3,000店舗に迫りました。それ以降店舗数では伸びておらずライバルが増えていきました。1990年代半ばにはパリに住みましたが、マクドナルドは少なかったのです。知る限り、シャンゼリゼ、プラス・ディタリ(Place d’Italie)、サン=ミシェル大通り(Bd.Saint-Michel)そして最寄りのパッシー(Passy)で、パッシー通り(rue de Passy)の店は赤と黄ではなく茶色の店舗でした。若干違和感がありましたが、パリの景観を見出さないためのようでした。開店したてで行きましたが商品の発音がフランス語のままで違い過ぎることや、日本に比べるとマニュアル的な対応はなく店員の個性が全開だった気がします。当時はビザをとるために警察に行っても日本人と韓国人について、コミュニケーションができないとぼやかれていたほどで苦い思い出が多いです。日本の習慣としては、当時注文の際に店員の前で考えることが許されましたが、フランスでは「こんにちは」からすぐに注文を言わなければなりませんでした。ベーシックな商品以外は日本であるものがなかったり、ソースの種類も違いました。店員は皆若いので客を早く捌きたいのが見え見えで苛立っているように見えました。日本人としてはいろいろな先入観でなぜあんな対応だろうと考えますが、当時はお互い英語に不慣れでマニュアル的な対応にも不慣れだったと思います。まして、フランスでは「Quick」が最も多く次に「バーガーキング」でした。アメリカをすぐ受け入れるのは日本で、20年も差があったのです。当時は、新しい日本文化としてはラーメン、カラオケをよく目にし、アニメが知られ始め、日本語に興味を持っているフランス人は多かったです。よく大学の日本語学科に行っているというフランス人から話しかけられました。ただそういう時でも日本語で話しかけられたことはなくフランス語でした。高価でなければフランスの食材やメニューを進んで食べていました。ある時郊外のレストランで日本人同士で前菜にアンティチョークを注文しました。野菜というより植物がそのまま、日本で言えば枝豆が枝付きで出てきたような、いや、それより驚きの食物で「どうやって食べる」と試行錯誤していました。そこで「食べ方が違いますよ」と隣のテーブルから日本語が聞こえてきました。何とフランス人ファミリーでお父さんは日本語がわかるとのことでした。こちらの会話ややることを興味津々で見ていたかと想像すると何とも恥ずかしい、そんなことが毎日のように起こり、海外はそれを楽しいと思えるかどうかです。これらはインターネットが普及する前の話ですから今とは全く違うわけです。日本は如何にすぐにアメリカの影響を受け、伝統を守る意味がやや異なります。ロシアで閉鎖したマクドナルドの話、あの広い国土で850店舗しかないのです。人口は1億4千万人でマクドナルドに出会う確率はかなり低いです。パリに行く方法はいくつかありますが、シベリア鉄道でロシアから入れます。そんな日本人の友人もいます。鉄道そのものは極めて安価でロマンを感じます。しかし、実際は過酷でまず中国などの他国に入るためビザがたくさん必要です。当時は途中で降りた駅に食品が少なく、賞味期限が切れたものが多かったようです。ロシア語の案内も理解できず何が起きるかわからない緊張感があったようです。何日も昔の寝台列車に乗るわけですから疲れも尋常ではなかったでしょう。ところで、プーチン大統領は2016年に日露首脳会談の経済協力案で、シベリア鉄道をまず樺太まで延ばし、さらに北海道へという提案をしていました。日本では北方領土の件が知らされますが、この提案は一笑に付されたと言います。とは言え、ロシアがウクライナに侵攻をしたことは許されることではありません。プーチン大統領は勢力を広げることが好きなのかもしれません。また、昔からの伝統を重んじ、2000年以降に進めた歩みが好きではないようです。各国の経済制裁が進められていますが、彼はおそらく構わないのではないでしょうか。ロシアにとっては少し前に戻るくらいの感覚で、西側諸国に追随しない気を感じます。世界でも高い年齢層は声は上げないものの「昔は良かった」と感じる人は少なくなく、「子供たちため」という号令のもとに我慢を強いられていることもあるでしょう。西側諸国には文化や遺産があまりにも尊く偉大で素晴らしいと考えていて、新しいから良いとはせず、方向性についても拘る人が多いと感じます。情報化社会になって発信力の強いものがいいものとされるようになり、過去の歴史や伝統の由来から外れても、結果的に経済を優先する国際性が感じられます。そんな考えは、アメリカや日本の主な価値観とは完全にかけ違っています。戦争という暴挙に出るのではなくもっと早く話をして理解を深めてほしかったです。テレビを見ると、悪者と味方をはっきりした途端に悪者のネガティヴな推測ばかり語り、事実を評価することも偏りがあるうえ、無駄な推測ばかりでは和解はあり得ません。情報を得るのはメディアからで、情報の真偽が問われるのもメディアの責任です。人気者をインフルエンサーにして言いたいことを代弁させるのではなく、専門的に識者や研究者が利害に関係なく意見をまとめる土壌が必要なのです。中国やロシアが情報統制をする真意がそこにあるのは確かです。
2022.03.12
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次の確定申告では医療費控除に向けてまっしぐら…みたいな感じで、また、いつもの病院に行ってきました。今日は院長先生。いつもの先生の受診日は後2週間後くらいに決まっています。今回は不整脈や血圧ではなくて脳みその受診でした。昨夜パソコンをしていたら右手が痺れました。ここまでであればたまにあるのですが、頭の右側、右耳、右足も僅かに痺れ、その時は水分補給をたくさんしたら収まりましたが、今朝の寝起きも同じ状況で、ここは一度病院に行くしかないと判断しました。結果的にはCTスキャンまで受けましたが異常なしということでした。久々に凄く安心しましたね。こんな感情は久しぶりでした。遊園地系のアトラクションには何十年も乗っていませんが、CTやMRIがそれに変わって自分のアトラクションって感じです!結果が良かったので、楽しかったで終われました。でも、一方で今日は東日本大震災があった日で、被災地に何度も演奏会で行ったので、本当に悲しい心持ちでもありました。この日にCTで放射線を受けたのも、勝手に何か繋がっているような気さえしました。
2022.03.11
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以前に新型コロナウイルスとの戦いはある意味戦争だという話がありました。しかし、収束を見る前にリアルな戦争が起こってしまいました。日本ではコロナ関連のニュースを依然重い腫れ物のように報道していましたが、それと比べ物にならないウクライナ侵攻のニュースが席巻し始めました。新型コロナウイルスとの戦争として例えることがいいかどうかわかりませんが、例えばウイルスを敵と例え、国内に敵が増えていくと考えると、その敵と戦うのは医療従事者で医療が逼迫すると敵が増えることになります。そして敵に対抗する治療薬や、一般人にはワクチンという武器を持たせます。しかし、今はウイルスという敵と遭遇しても大きな危害は加えられない、また、基礎疾患を持つお年寄り以外は武器がなくても自力で勝てる、さらに特定のワクチンという武器を定期的に装備する、その上で日々、何人が敵と遭遇した、何人が危害を加えられたと数えています。テレビでは敵が0になるか0に近くなるまで戦争をするのだと言う勢いです。戦争をすれば経済が打撃を受け、別の面で多くの被害を受けます。状況は異なりますが、ウクライナの現状、また世界経済を見れば一目瞭然です。実際に戦う兵隊以外の一般市民が別の意味で多くの犠牲を強いられます。生きていくうえで世の中の敵は新型コロナウイルスだけではなく、他の疾患、障害をもたらす物事や出来事などたくさんあるわけですが、そろそろ本当に自由が奪われるような自粛は必要ないと皆が気づいているはずです。しかし、「皆のため」という理不尽な同調圧力が足枷となり反抗できないのです。武器としてのワクチン3回目接種数が画期的に伸びないのもいつまで打ち続けるのか、感染するよりも厳しい副反応、つまり暴発が起きないのかと不安が募ります。ただ、リアルな戦争を目の当たりにしてコロナ関連の話題がここ数日減ってきました。身近な問題であった新型コロナウイルスは実は重要ではなかったのでしょうか。ワイドショーのコメンテーターでウクライナのコロナ感染について言及した人がいます。1ヶ月ほど前、日本では1日9万人、ウクライナでは4万人に迫る感染者がいました。これは数から言えば嘗てない1日の感染者数を記録していて少ないと言えません。しかし、だからウクライナの感染が問題だと言っているメディアはありません。感染者は減ってきたかもしれないし、もっと増えているかもしれません。ただ、そんなことを今は言うにあたらないと誰もが感じているのです。ウクライナ市民は地下など密閉空間に隠れていたりするかもしれません。それでももはやコロナ感染は問題に値しないと言うことです。決死の覚悟で国外に避難する時にいちいちPCR検査や1週間隔離をするでしょうか。ウクライナ避難民は200万人と言われていますが、コロナ感染が問題にはなりません。ポーランドの人口は3795万人のところ、120万人の避難民を受け入れる凄まじさで、人道的な対応に心を打たれます。器の小さい日本人とは雲泥の差ではないでしょうか。テレビ朝日社員のコメンテーター・玉川徹氏は3月4日モーニングショーの中で、「死者が増えないようにウクライナはどこかで引くことも考えないと…」と言い、長嶋一茂氏が「命を守る以上の大事なものがある」と反論して支持されました。この件については『コロナウイルスで自粛させられるよりも大事なものがある』と、不安を煽るばかりのモーニングショーにそっくりそのまま返したいものです。3月8日のモーニングショーでは遂にコロナ関連の話題が出ませんでした。ウクライナ情報がメインで、次に韓国大統領選の予告で全て国外の話題です。あれだけコロナ関連で不安を煽ってきた番組なのに、コロナウイルスはそれほど重要ではなくなってしまったのでしょうか。コロナ禍が始まってからテレビ朝日は不祥事が続いています。2月には社長が辞職し3月2日は社員が逮捕され、社内は密告合戦のようだと言います。今回も「自社業務との関連はない」と責任をかわしているのは普通とは思えません。9日にはワイドスクランブルが視聴者の質問捏造で放送倫理違反認定されました。テレビ朝日はドラマ「となりのチカラ」の評判もかなり悪いようです。現実味が全くない余計なお節介は、日本人特有の感性で海外の人には通じません。まず迷惑なストーカーと思われても仕方のない主人公を肯定できるかどうかです。モノの見方を人に押し付けてくる手法そのものが、テレビ朝日の問題に感じます。
2022.03.10
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インターネットで調べた情報の信憑性について考えさせられます。伝統的な行事などの慣わしについて時代と共に風化しつつあったことが、インターネットで皆が気軽に検索できるようになり再度復活しつつあります。例えば、神社へのお参りの仕方などもそれにあたります。昨年、実家の田舎にあったお墓を納骨堂に改葬しました。その際に開眼の供養を行いますが、服装を調べるとサイトによって異なり、それを信じたとしても現場に行くと寺務管理の人に違うと言われたりします。それぞれで異なるのであれば、サイトにそう書くべきです。結婚式の祝儀袋についてもその手のサイトでは、今は主流でよく売られているカジュアルな袋については殆ど触れられず、逆に探すのが難しくなってきた昔ながらの結び切り、あわじ結びの袋が載せられ、それを包む袱紗についても婚礼と葬儀の違いで色の細かな指定があります。葬儀で故人に対する礼儀としてはしきたりに従うべきと思いますが、結婚については何歳であれ華やかでカジュアルな袋でもいいと思いますし、中の金額に応じて大きさを変えるのも今時やや恥ずかしいです。袱紗に至っては実際的に受け取る受付係が意識しても仕方ないことです。つまり、全ては新郎新婦にお祝いの気持ちが伝わればいいのではないでしょうか。また、祝辞を言う際の「忌み言葉」も調べると実にたくさんあります。中でも「重ね言葉」はうっかり言ってしまいそうなものがたくさんあります。ただ、今では実際に祝辞を言ったことのある人以外はあまり気にしません。気にするとすれば司会者、会場スタッフで、理由は単に縁起の問題です。礼儀作法はこの数十年でどんどん緩んできて挨拶すらしない人も多いと思われます。正したければ、まず日常的なコミュニケーションに関わる言葉遣いからです。いきなり冠婚葬祭はしっかり作法を守れと言われても普段から考えていません。サイトに書いてあるから行うということだけでは説得力が足りません。最近はモラルについて云々と御託を並べる割に、何でも個性として人格化し、嘗ての礼儀知らずや言葉足らずなキャラクターまで認める社会を感じます。これは周りが気づいていても、指導や注意もできない慣習があるからです。儀礼を言うならばまずはそこからではないでしょうか。
2022.03.09
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Facebook、Twitter、Instagramに代表されるSNSについて、そろそろ下火が刺さないか関心を持っています。SNSが何かと火種になる問題は、SNSがあるから起こると言えます。悲しいことにYouTubeが嘗ては教養の手助けだったのに、今やSNSのひとつのようになってしまいました。Facebook、Twitter、Instagramなどという命名がお洒落なため、これらをたいへん肯定的な印象で受け止めてしまうことが原点です。いつまで経っても内容に進歩や進化はありません。SNSが慢性的な限り良い世の中とは言えないとすら思うようになりました。相応しい総称として言い換えるならば”issue"かと思います。良く言えば「出口」悪く言えば「吐口」、転じて「論点」「問題」となります。社会や日常において満たされない部分の解決ツールとして意味を成します。大雑把な内容としては「宣伝」「批判」「苦情」「愚痴」を遠回しに言っています。真の「賛辞」や「応援」がないわけではありません。個人的に送る内容ですから送る相手は他人もわかる有名人が多いです。また、本気で意見をまとめるためにはタグがついているかどうかが手がかりです。タグをつけることが多い人ほど他の人へ向けて建設的な発信だと思われます。そうでない「賛辞」「応援」は本人に届くかどうかわからないわけですから、むしろ本人の承認欲求のほうが強いと判断できます。多くの場合は賛辞に限らずこの承認欲求から自分のために書かれていますから、過度に真に受けることは返って危ういと言えます。もっと言えば普段は表には出さない裏の声が書かれているわけで、面と向かって出せないからこそたくさん更新する人ほど欲求が強いと考えられます。欲求が強い人は多くのフォロワーを抱え、「いいね」など反応が何よりのご馳走です。ただ投稿に対して他者が何かを期待したり求めても殆ど意味はありません。普段関係が薄い人への「いつも見ていますよ」「よろしく」アピールになりますが、それが現実社会の発展に繋がる可能性は多くなく、逆にあれば話題になります。実際、一般の宣伝をお金がかからないSNSでやるのは最終的な手段です。宣伝はお金をかける必要があり、さもなければ知り合いしか効果は期待できません。承認欲求がとても強ければ、投稿頻度が上がりお金にできる人もいます。ただ運だけでそこまで行けるかどうかは限りなく可能性が低いと思われます。マイナンバーカードについて個人情報が国に流れることを言う人がいますが、例えばLineをインストールした時点でさまざまなファイルを受信していますから、個人の消費動向や関心などは簡単にわかる気がします。検索ワードなど個人の情報を知ろうとすればサーバー側は何でもわかりますから、知られたくないのであればインターネットは一切使わないことしかありませんが、テレビ(受信機)からでもわかる時代ですから諦めたほうがいいかもしれません。結果的にはSNSやLineなどの無料通信アプリは利用者の利便性と言うよりも、個人データを集めている提供者のためだから無料だと認識すべきです。さて、欲求の坩堝であるSNSの投稿は探せばどんな意見でも見つかると思います。テレビなどのメディアがTwitterから注目ワードやトレンドを報道しますが、それは制作者の考えや意見を裏付けるために利用されていると考えられ、承認欲求が主の非現実世界をあたかもリアルに言うことに注意が必要です。SNSにおいては、ある意見に対して必ず反対意見やフェイクニュースもあるのです。生き方にある程度満足している人はSNSに投稿する必要がなく、そこに投稿しても建設的ではないと考え現実を受け入れています。投稿が少なくてただ静観しているフォロワーが自分の味方だと思うのは過信です。
2022.03.08
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物価高に便乗して値上げしているものがあります。昔よりも値上げのやり方があからさまなのが今の特徴かもしれません。例えばヨーロッパで知られるチーズは日本ではかなり浸透しました。今は日本でも作るようになり、日常的に買えるほど安くなりました。日本製が売られるようになったせいか、輸入チーズはやはり高級です。もちろんピンキリありますが、現地の何倍で売られているのか気になります。そんな日本ではもはや高級なチーズをいただいたので載せてみます。ゴルゴンゾーラは普段のものよりもミルク感が強く濃厚に感じました。飲食店でこれを注文したらさぞかし高いだろうと。パルミジャーノ・レジャーノは美味しすぎて止まらなくなります。ワインのお供にと思っても、美味しすぎてつい多く食べてしまいます。フランスの山羊のチーズでスプレッドタイプです。やや酸味があり濃厚ではなく、山羊のマーガリンという感じでした。
2022.03.03
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自分が歳をとって今まで知らなかったことを知ったのか、本当に世の中が変わってしまったのかわかりませんが、自分が若かった頃よりもよくなっているとはとも思えないこと、向かっている方向が良いとは思えないことがあります。新型コロナウイルス感染をもっとも大きな社会問題として扱った結果、予想どおり社会で犠牲になったことは多く、物価高を招きました。石油だって、天然ガスだって、じゃがいもだって枯渇したわけではありません。そして、その影響は国同士をさらにギスギスさせる関係に発展しました。反面牛乳のように余ってしまったものもあります。働く人が減り流通が止まったり、飲食店や学校の消費が減ったために、社会全体の仕組みが歪んでしまったために経済格差が進みました。感染が仕事に影響する人は疲弊しきったかもしれません。感染とは関係なく働ける職業の人は多少の物価高も気にならないかもしれません。しかし、家の電気代やガス代、日常的な食品に至るまでことごとく値上がりし、従来の枯渇や天候不良ではなく海外諸国の人為的な理由であることがポイントです。これは元に戻ることよりも、ある意味でリセットされて再編される兆しがあります。ロシアのウクライナ侵攻も暴発のひとつで、世界はいろいろ考えさせられるでしょう。便利でエコで発展的な社会として急激に美化された裏には犠牲にされたことも多く、人同士の絆や信頼関係、伝統的な価値観や裏付けられた美学の喪失を惜しみ、それらに過敏になる人が世界的に増えるのは致し方ないことです。いろいろなことが争いに結びつくことがとても残念で、物価高もその表れです。オリンピックやコンクールなどであっても纏わる別の争いが見え隠れします。絆や信頼のない英雄や有名人が次々に生まれお金を生み出す世界があります。何が正しいのか、どんな社会を目指すのかがおかしくなったと感じるのです。
2022.03.03
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