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みなとみらい文芸祭の短歌・俳句応募締め切りが近づいてきた。私は「カナダからの応募作品のお取次ぎ」という、別にどうということのないことをお引き受けしているだけなのだが、それでも、なるべく多くの作品の応募があるとよいと、頭のどこかでいつも気になっている。「毎年のことなので、習慣のようになって応募があるだろう」という考え方と、「毎年なので、慣れっこになって、年々減ってくるのではないだろうか」という考え方と二通りあるわけだが、さて、今年はどちらにでるか・・・。今年は日本時間7月10日の締め切りなので、カナダでお受けするものはカナダ時間7月9日の締め切りとし、受け取り次第順次記入して、パスワードをかけてネット上に保存してあるエクセルのデータをすぐ事務局に送信して期日に間に合わせ、ハードコピーは、追って航空便で送ることにしている。それも、ひとさまから大事な作品をお預かりして、郵便事故にあったら申し訳けないので、いつでも再送できるように、全部、スキャンして、事務局から受領の知らせがあるまでは、外付きハードディスクに保存している。(CANADA POST と 日本の郵便局会社の名誉のために付け加えると、今までこの件で郵便事故はなかった。)馬鹿丁寧なくらいに、万全でしょう?どうぞ、カナダのみなさん、安心してお送りください。(70歳になるまでは、「頼まれれば」お引き受けしようと思っています。)
June 30, 2008
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毎年、同じ季節が巡ってきて、去年と同じ花が咲いて・・・とブログに書いたばかりだけれども、そういえば・・・・例年ならゴルフ場のあちこちで何組も見るダックの赤ちゃんを、今年は一組もみかけない。せっかく春になってたくさんの花が咲いてきたのに、懸命になって母鴨の後をついていく子鴨の姿が見られないのは物足りない。"Have you seen ducklings this year?"という会話があちこちで交わされているけれども、いったいどうしたことか?白頭鷲は健在で、子育てに忙しいし、兎もリスも子供連れ。子ツバメも、時々芝の上に降りて羽根を休めながら、飛翔の練習をしているのに・・・もしかすると、ゴルフ場が昨年の秋から排水工事をしていて、池をいじったり、地面を掘り返したりがたくさんあったので、鴨たちが卵を孵す場所がなくなってしまったのかもしれない・・・と、これは今、ふと頭に浮かんだ想像である。
June 27, 2008
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女三人で、かしましく雑談をしているうちに、「何人の孫の結婚式に、出席できるか」という話になった。私は、「孫は一人しかいないし、それもまだ4歳だから、たぶん、孫の結婚式には出られないと思うわ」と、最初に降参。私よりも5歳くらい年上のSHIELAは、「私は少なくとも、3人は出られると思う。今、21歳の男の子がいるけれども、その子には恋人がいるらしいから、きっとこの数年中。あとは、それより年上の孫が2人いるから・・・。 でも、残りの5人+アルファーの結婚式はまず無理だと思うわ。」とまだ孫が増える予定らしい。少子化の時代に、すごいではないか。私と同じくらいの年齢のKAYは、「もう2回出たけどねえ・・・。でも、その2回は同じ孫なのよ」と苦笑している。「で、他には3人いるけど、できればあと3回以上は出たくないわねえ」だそうだ。主人に話したら、「なんだ、楽しそうにしていると思ったら、つまんないことを話しているんだなあ」とかなり馬鹿にされたけれども、私にとっては、そういう「おしゃべり」を潤滑に運ぶほうが、法律の条文を翻訳するよりも、却って難しかったりするのである。自然に覚えたのではなく、勉強して覚えた言葉というのは、仕方のないものだ。
June 26, 2008
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所属結社の結社誌「コスモス」、毎月SAL便で送っていただいているのだが、この一年くらい、日数がかかるようになってしまい、東京を15日の発送なのに、次の月になるまで届かない・・・・と、思っていたら、どうしたわけか、今月は23日に届いた。21日・22日が週末で集配がなかったことを考えに入れると、これはもう、航空便並みのスピードだ。すごい!!ところで、まず、バラバラバラとあちこちに目を通していたら、巻末に近い「選者小言」に、大松達知さんが・・・・(前略)・・・花々が毎年同じように咲くのは幸せですが、歌をそれに合わせていては進歩がありません。その点、花々をテーマにするのはとても難しいのです。・・・・(後略)と書いていられたのが目につき、私が歌を始めた頃の母の言葉を思い出した。3月に歌を始めて、すぐ花の季節を迎えた私が、「周りを見るといくらでも材料があって、いくらでも歌ができるような気がして楽しいわ」と言った時、母は、笑いだしそうになりながら、「もし再来年、同じ言葉を言えたら褒めてあげるわ。何しろ、今年と同じ季節が来年も再来年も、それからもずーっと巡ってきて、今年と同じ花が毎年毎年咲くんだからね~。来年くらいはともかく、再来年も、今と同じことを言えるのかなァーッ?」と言ったのである。「また、おかあさんが水を差す! 励まして育てるということを知らないんだから」などと、その時は思ったものの、さて、再来年が来ると、「こういう描写もしてしまったし、この言葉も使ってしまったし・・」で、新たに花を詠むことがかなり難しくなっていた。やはり歌歴史50年近い母の言葉はアタリでアリマシタ。「敗北」を認めるのが残念で、その後ずーっと、毎月提出する詠草の中に、少なくとも2首は自然を詠むようにしているのだが、それが雑誌に載ることは皆無ではないけれども、あまりない。今、もし、母が生きていたら、大松さんの選者小言を読んで、「だから、私も言ったでしょ」と大威張りしたに違いない。
June 24, 2008
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「NHK短歌」(講師:川野里子、ゲスト:アーサー・ビナード)を見た。 いろいろ勉強になることはあったのだけれども、ゲストのビナード氏が、詩の翻訳について質問されたときに、「言葉だけで成立している作品は言葉を渡っていきにくいが、生活に密着している作品は、生活を通して言葉を渡っていける。」と発言されたのが、我が意を得た感じだった。 「作品が言葉を渡る」という言い方もまた、実感があって好きだ。 (次元は違うけれども、昨夜も、『笑点』を見て大笑いをしながら、ふと、「これを同時通訳しなくてはならないということになったら、たいへんだろうなあ・・」と思ったばかりだ。 )
June 23, 2008
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私の好きな短歌(コスモス6月号月集より) いささかの身繕ひして朝刊をとりにゆくなりエレベーターで(佐藤典子) (部屋を一歩でれば、公道と同じ。おしゃれをするわけではないけれども、ちょっと鏡を見て、髪をなでつけ、口紅くらいつけて・・・? 作者の人柄のわかって好ましい。) 戦争を知らぬ老いらのはればれとグランドゴルフにうつつぬかせり(仲宗角) (「戦争を知らない子供たち」が、年月を経て、いつしか「戦争を知らない老い」になった。戦争を経験した作者からみると、暢気さが歯がゆいのだろう。) 花を愛できらきらとする妻の顔〈AS OF NOW 〉(いまこのとき)のかがやきを見す(桑原正紀) (この輝きは、今このときの輝き。いろいろな煩わしいことは思い出せないのも却って救いである場合もある。奥様の分の記憶までも背負ってしまわれた作者には、時にはちょっとうらやましいようなときもあるのではないだろうか。) 都市といふ巨大(メガ)細胞はひたひたと攻め寄せてをり山のふもとに(宮里信輝) (バンクーバーでも、このとおり。山の中腹までびっしりと家がたっています。) ていねいに発音すればbreezeのeeのあたりに微風の立つ(大松達治) (あ、いいなあ! ほんとうにそんな気がする。) ひとり含むつめたき凍頂高山茶過去(すぎゆき)なべておぼろとなれり(津金規男) (中国茶の中でも、「高山」でとれるお茶は、値段が高い。まして「凍頂」となれば特別らしく、バンクーバーの中華街などでは、特にもったいぶって売られている。恐れ多くて飲んだことはないけれども、きっと、過去をすべて忘れてしまうような、味わい深いお茶なのだろう。今度、何か辛いことがあったら、買ってきて飲もう!) 1(いち)の字の苗木なりしが三十歳扇の形に紅梅の咲く(遠藤豊子) (だんだんに枝が増え、広がって咲いていく紅梅。昔の1の字だった苗の姿を思い出すと、とてもなつかしい。) 正装の彩(いろ)褪せたれどわが女雛老女とならぬ容貌(かんばせ)の照り(久保田美穂) (古くなっても、顔は若いまま。それはそれで哀しい。私の木目込み雛も、まだ童女の顔をしています。) 死ぬ時は熱きコーヒー飲みたしと言へば沸くまで待つのかと子は言ふ(吉岡静子) (お子さんに、はぐらかされてつい笑ってしまう作者?そうです、コーヒーを淹るまで待たなくては!よい親子関係が想像できて、思わず笑ってしまう。 以前、私も「死ぬとわかったら、チーズのたっぷり載ったパン生地のピザが食べさせてね」と嫁に言ったことがある。彼女は、「じゃあ、みんなで食べましょ。ピザ・ハットの電話番号を冷蔵庫のドアに貼っておくわ」と答えて笑った。楽しいだろうな。・・・・どころじゃないか。) 掃除機をかけつつうたう鼻唄に明るい曲が多くなる春(*大橋恵美) (ああ、春だ!私のお気に入りは、ビバルディーの四季の中の春。♪タッタッタータタタァーン、タラ タッタッタータタタァーン・・・・・♪) 手裏剣をはつしと闇に撃ちしごと上弦の月赫く鋭し(高林和子) (上の句の比喩が、ピシッと決まって・・・。) ハメルンの笛吹きひそみゐるならむ朝の駅舎に人吸はれゆく(吉田美奈子) (急ぎ足で、四方八方から来る人たちの列が収斂されて駅に消えていく状況から、笛吹きの笛に弾かれて集まるネズミたちを、また子供たちを連想した作者。せかせかした足取りも、共通している。) 空にひかり地にものの芽のうすみどり自転車も空を飛びさうな春(小田部雅子) (ETの映画に、自転車が空を飛んでいるところがでてきたのを思いだす。そう、きっとそんな風に自由に開放されるのが春なのです。) 春風は男神なるべしめあひたるのちを色づくさくらの蕾(藤野早苗) (あんなに美しく色づくのですもの、絶対に男神に違いないと賛成!)
June 22, 2008
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以下、コスモス6月号掲載の、風間博夫氏の作品四首。 「白木綿単衣着用」暖房のあらぬ荒行堂に籠るも ぬるま湯をかぶるにあらずぴしぴしと凍てたる水をかぶるとふ行 水行と水行の合ひ間読経せりときに欠伸などせむ 白粥と梅干一個を朝と夕食ひ百箇日を水行に耐ふ 私はもちろん経験はないし、現場を見学したこともない。ただ、テレビなどでその模様の一部を見たことがあるだけだけれども、この四首を読むと、臨場感があり、その緊張が伝わってきて、厳粛な気持になる。 ・・・と同時に、そんなことをして大丈夫なのだろうかと心配にもなる。 「ぴしぴし」の擬音の効果に震えそうになるし、水行のと水行の合間に、生身の人間であれば、ふと緊張が緩んで欠伸が出るのもリアルだし・・・。 しかもそれを、朝夕に白粥と梅干一個でやり徹すなんて、絶対に普通の人には勧められないけれども、それだけの修行に耐えたということが、本人の自信になって、多少のことには動じないだけの鍛錬が出来るというものだろう。 (現役の働き盛りで多忙な作者が、まさか、ご自分で体験されたわけではないと思うが・・・・)
June 21, 2008
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女の鹿は驚きやすし吾のみかは(橋本多佳子)書の先生が書いてくださったお手本に、この句が入っていた。私もよく知っているような積もりになっていた有名な句だ。一、二句からは、すんなりとしなやかな女鹿の、敏感そうな様子がイメージされて、情緒豊かにおもうけれども、さて、よく考えてみると、「吾のみかは」とはどういう意味なのだろうと、わからなくなってきた。「私だけではないのね、驚きやすいのは・・・」のような気もするのだけれども、それであっているのかどうか。何か、背景にありそうな気もする。そこで、七曜の会員のNさんに、メールでうかがってみた。早速いただいたお返事には、「・・・・第三句集「紅絲」にあり、よく知られた句だと思うのですが、手持ちの資料を探してみても意外に解説が見当たりませんでした。」由。ということは、あまり難しい解釈の必要な句ではないからということか?「「紅絲」(昭和23年~26年)は年代順に編纂されていないので、はっきりとは申せませんが、先生は昭和21年ごろから奈良の日吉館で平畑静塔、西東三鬼、秋元不死男等と鍛錬会みたいなものを続けられたようで、おそらくその頃の作ではないかと思います。・・・」とあり、万緑やおどろきやすき仔鹿ゐての句や、そのほか、連作のように一緒に発表された数句も紹介していただいた。「・・・・男性ばかりにまじって、奥様俳句から脱皮するための本当に必死の俳句修行であったと回想しておられますが・・・・」とあるので、そのあたりに、「女の鹿は驚きやすし」と重ねられる事象があったのかもしれない。わかっていたつもりだったのに、結局は、考えているうちによくわからなくなってしまったというのは、俳句の勉強としては考えものだが、書の勉強としては、なかなか楽しい。
June 19, 2008
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TV JAPAN を見ていたら、「趣味悠々」で「今日からあなたもジャズピアニスト」というタイトルで、国府弘子氏がジャズピアノのレッスンをしていた。ジャズは感覚のものだから、順序だてて習ってできるようになるようなものではないだろうとおもっていたが、さすがNHKで指導するような先生だけあって、もしかしたら、私も多少は出来るようになるかしら・・・と思わせるような上手で楽しませる指導で、いつのまにか、かなり熱心に見ていた。今回のゲストは、ジャズピアニストで編曲家の前田憲男氏。「ジャズピアノが上手くなるコツは?」と質問されて、毎日、時間を、たとえば1時間とか決めて、かかさず練習すること。ただし、その1時間、ずーっと指の練習とかをするのではなく、1時間を6対4くらいにわけて、6はひとの演奏、またはCDなどを聴く時間にあて、残りの4を自分の練習にあてるとよい。とにかく、よい演奏を聞いて、ジャズのリズムやフィーリングを身体で覚えるのが大切です。と話された。なるほど・・・最後に、先生とゲストのピアノ二台での華やかな演奏を聴きながら、しかし、やはり私にはあんなに自由に心を遊ばせることは、たぶんできないのだろうと思いつつ・・・でも、どこかで心がほぐれていくのを感じ、クラシックやポピュラーとはまた違った魅力が、少しわかるような気がしてきた。短歌の上達の秘訣も、「よい歌集をたくさん読むこと」とよく言われるが、そこのところは共通しているようだ。歌書・歌集・雑誌などを読むのが1日36分、実作が24分・・・・???
June 18, 2008
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縁側に大和坐りをせる夫が古き写真をルーぺに見をり(樹口圭子 コスモス6月号)この一首を読んだとき、あまりお若いとはいえない夫君が、縁側で古い写真をルーペで見ていらっしゃるのはわかったのだけれども、どうもこの一首で一番肝心な言葉らしい、「大和坐り」がわからなかった。結局、インターネットの検索で、「膝を少し開き、上半身を前屈みにする坐りかた」で、京都三千院の阿弥陀三像の脇侍の両観音がその坐りかたをしていらっしゃるのだと分かり、ウェブページにある写真から、この夫君の座っていらっしゃる姿も想像できたのだけれども、こういう手間をかけないで、すっとすぐに一首の解釈ができたら、読むときの感動もまた違ってくるかもしれないし、この言葉を知っていれば、たった6音で短く、状況を説明できるるから、歌を詠むときにも便利だ。日常の会話では、そんなに語彙は増えていかないし、まして(言い訳がましいけれども)外国に住んでいると、うっかりすれば、語彙が減ったりするので、困ったものである。この座り方は、救いを求められたときに、すぐ立ち上がれる座り方だそうだが、そういえば、韓国出身のKさんが、「日本人の正座は、あれは奴隷の座り方なんです。すぐに立てないように、奴隷をあんなふうに座らせたのね」とおっしゃっていたし、その後で、韓国ドラマを見ると、片膝を立てて座っている人が多い。なんでも、片膝をたてていると、万一のときには、すぐ立って走りだせる(逃げられる)のだそうだ。最近、NHKの連続ドラマ「瞳」をみていると、ヒロインの瞳(20歳)が、ながい素足をもてあますようにして胡坐をかいてすわっているけれども、別に誰も気にしている様子がないから、日本の文化も「奴隷の座り方」から脱皮しつつあるのかもしれない。
June 17, 2008
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マンションの入り口に近い郵便受けの前に、葉書状の紙がたくさん積んであった。何かな?と手にとったところに、管理員のスティーヴが来て、「それは請願書(PETITION)だから、ぜひ署名して投函するように」という。私:「何の請願?」スティーヴ:「このすぐ北側の敷地に高層マンションが建つ計画があるので、それに反対している請願だよ。この広い空をわざわざ狭くして、車も増えるから空気も汚くなるし、みどりは減るし、このあたりの資産価値も減ってしまうじゃないか。絶対に、みんなで反対しなくちゃ」私:「・・・・???? あ、そうね・・・・まあ・・・・」というわけで、とりあえず一枚貰って部屋に帰った。でも・・・ちょっと待ってよ。ご近所の一戸建てに住んでいる方とか、マンションでも3階建てや4階建てに住んでいる方が、高層マンション反対というのなら、理解してもらえるけれども、うちは16階建てで、私の住まいは11階だ。自分のところはもう建ててしまったからよいけれども、他所が建てるのには反対だ・・・というのって、ありかしら?なんだか、京都議定書に反対しているアメリカみたいじゃないの?
June 16, 2008
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バンクーバー歌会6月例会の日。今回は、題詠で「海」と「さす」(刺す、差す、指す、射す)の二つを読み込む または 自由この会では、一回おきに「題詠」をするのだが、二つの題を詠みこむのは、今回初めての試みで、同じような内容になってしまうのではないかと、少々緊張した。今回の最高点歌は差す潮にぐらりと揺れて流木は砂地を離れまた海に向く(T.I)私も、流木の様子を歌いながら、人生を歌っているようで、ストーリーも詩情もあるよい歌だと思って票を入れていた。言葉の選び方がよいと褒めている人もいた。一読、地味な感じだが、奇をてらわない正統派。次点は、帰省する子に食べさせむ手巻きずし海苔に刺身をパリッと巻いて(Y.K)これも私は大好きな一首で、やはり票を入れていた。帰省する子を待つ、お母さんの心弾みがよく出ている。下の句が、いかにも楽しそうで気に入っていたし、みなも褒めていたが、よく考えてみると、理論的には、刺身と海苔の位置を入れ替えて、「刺身に海苔をパリッと巻いて」とした方が順当ではないかと思った。理屈っぽい批評かな?一首目の作者は、以前はコスモスの会員で、その一まで行った人だが今は会員でなく、二首目の作者も、コスモス会員ではない。そこで、コスモスへの報告歌は、以下の一首となった。相傘を喪服の肩に差しかけて冷たき雨の石段上がる(M.A.)先月なくなられた、会員の松山さんのご葬儀に行ったときの作品。ご葬儀は寂しく哀しいけれども、参列者同士のいたわり合いの暖かい気持が感じられると好評だった。「海」を入れそこなったのが、少々残念だが、題にとらわれて不自然な歌を詠むよりも、この方が潔いという考え方もある。
June 13, 2008
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バンクーバー短歌会会員作品生命の補給ならむか人々は花の下にて精気を受くる(茜) かたくりの花のうす紅きは立たせ雪は地表をうつすらおほふ(あき)余生とふ思ひは知らず朝霜も落葉も踏まむ庭師のままで(粟)美味しと言ひ否と言ふ子ら共にゐて蕗味噌のある夕餉にぎはふ(唐)新聞の見出しと写真目に追ひて朝のコーヒーそそくさと飲む(梢)冬枯れてレースのごときあぢさゐの花びらは春の陽を透きとほす(沙羅)窓越しに走り去る一すぢの黄(きい)線路伝ひに金雀枝満開(すみえ)タイル屋根をころげ落ちたる大粒の雹はポンパン庭白くする」(希)満開の桜に酔ひてふる里の東金城址の花見思ひぬ(とみこ)雪冠る連山浮かぶ空を背に三分咲きなり墓地の桜は(友)八重桜咲き極まりて散らぬ今日ゆるりゆるりと芍薬開く(奈津)通り雨の落し子ならんビルの上(へ)にしんと浮かべる下弦の月は(虹)夜の梅を見てゐし頃か亡き姉の恋人なりし人の逝きしは(のりこ)満開のソメイヨシノに風吹きてまた風吹きてシャッター押せぬ(ふみ)ほつほつと蝋梅ひらき老い父の日々もやうやく春兆し初む(みき)やんはりと春は扉を開きたり畑にぽつこり韮ののぞきて(よしこ) タンポポの綿毛を力こめて吹く幼の願ひ春風にのる(みちこ)
June 12, 2008
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Trevor Linden の引退表明が、今日のバンクーバーでは大きなニュースだった。Trevorは、アイスホッケーの選手で、長くバンクーバー・カナックスを支えてきて、根強い人気のあるスーパー・スターだ。「ホッケー選手のTrevor Lindenは引退するが、バンクーバーでは誰も忘れないだろう」というわけで、某テレビのニュース番組でも「あなたが、Trevor Lindenについて一番印象に残っていることは何ですか?」と、投稿を募集していた。あまりホッケーに詳しくない私でも、町全体が応援しているカナックスが、もう少しで優勝しそうだった年のTrevor Lindenの活躍などで印象に残っている場面はたくさんある。中でも一番印象に残っているのは、まったく本筋から外れて失礼なのだけれども・・・。次男が高校生の頃、私が何かのことでTrevor Lindenを話題にしたときに、「おかあさん、ちゃんと発音できるじゃないの」と、笑いながら認めてくれたことだ。大人になってから英語を話すようになった私には、rとlがうまく使い分けられないし、二重子音がなかなかうまくいかなかった。でも、Trevor Lindenのことは、テレビでホッケーの試合を見ているうちに、耳から覚えたので、知らないうちに、言えるようになっていたらしい。次男に褒められて、気をよくしたものだから、改めてスペリングを見ると、まあ、どうやって発音してよいかわからないような名前!「あら、私、こんなのが本当に発音できたのかしらん???」(スペリングをあまり難しく考えないで、暢気に発音しているとよいらしい。)以後、ちょっと難しそうだと思う rやl、二重子音などに出会うと、ひそかにTrevor Lindenと心の中で言ってみてから口に出すようにしている。たとえば、最近、孫が好きなThomas &Friends の機関車の仲間にTrevorという古いトラクターがいるのだけれども、その名を発音するときにも、一度Trevor Lindenの名前を頭の中の耳で聞いてみてから発音すると、うまくいくようだ。(いきなり Trevor と言うと、どうもダメみたいで孫に叱られることが多い。)・・・というわけで、Trevor Lindenさん! 私も貴方の名前は忘れませんよ!お疲れさまでした。
June 11, 2008
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ランチにサンドイッチを注文したら、トマトが入っていた。アメリカでサルモネラ菌によるトマトの食中毒が出てから、マクドナルドでもトマトを半バーバーに入れなくなったし、スーパーでもアメリカから輸入されたトマトを売らなくなったのに、珍しい。(カナダで普通に買う野菜には、アメリカ産がとても多い)「カナダ産のトマトなんでしょう、きっと」などと言いながら食べたし、実際、まったく問題はなかったのだけれども、テレビのニュースなどでも、もう出荷されたトマトがスーパーの倉庫などで毎日腐っていくのだと放送している。ポークでも、サーモンでもサルモネラ菌の話はよく言われるが、一度冷凍するなり充分に火を通せば大丈夫なのだから、トマトも片端から加工してしまえば大丈夫なのではないだろうか。生で食べるようによく出来たトマトを、トマトソースとか、トマトの丸煮とかにしてしまうのは、とてももったいないことかもしれないけれども、腐っていくと聞くのはもっともったいない・・・・
June 10, 2008
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欲しいまま死にたいと弱音吐く友よどうぞ勝手にと言ひたくなりぬ(小松春江 コスモス六月号)痛快で歯切れがよい一首。そのままの気持が、そのままの言葉で歌われている。実は、コスモスに入って間もない頃、提出する詠草に住所・氏名と共に年齢を書かなくてはいけないことに少々の抵抗を感じた私は、怖いものしらずで鈴木英夫先生に、「よい歌は、何歳の人が詠んでもよいし、だめな歌は何歳の人が詠んでもだめなのに、年齢を書かなくてはいけないのは、年齢による評価が加わるようで、抵抗があるのですが・・・」みたいなことを質問してしまった。先生は、「歌にはその作者の年齢に関わらず鑑賞できるものもあるが、年齢がわかるといっそう深みが感じられるものもある。」と答えてくださったので、その時は、私も「そんなものかなあ」と思って、一応納得したのだけれども・・・最近、自分も齢を重ねてきたおかげで、少し、そのあたりの微妙なところがわかるようになった気がする。例えば、この小松春江さんの一首。「コスモス」をただ読んだだけでは、作者の年齢がわからないから、ちょっと見過ごしてしまう可能性もあるだろうが、私は小松さんが明治43年生まれの、はっきりした奥様だとわかっているので、この作品を一読してすぐ、「おそれいります・・・」と降参して口をつぐむ。たいていの『友』は、作者より年下だから、作者はそういう葛藤なんかはとうに経験済み。この「死にたい」気持には、本当に体が悪かったりして、精神論では解決つかないものが多いかもしれないのだけれども・・・それでも、まだそんなのは小松さんには、恥ずかしくてこぼせる話ではない。「死にたけりゃ、どうぞご勝手に」。私はそんなことではおどろかないし、無理にとめたりしませんよ。でも、そこまで言うと悪いから、言わないでおきますけどネ。ウフフッ!97歳(たぶん)だからこそ、命の大事さも、生きている楽しさも苦しさも全部飲み込んで、「どうぞご勝手に」と言いたくなっても、それは貫禄というもの。これが、「作者の年齢がわかってこそ、内容が意味を深めてくる歌」の一例だということは、この作者が「高校生だったら」、「20代だったら」、「40代だったら」・・・とか置き換えて鑑賞してみると、わかってくるのではないだろうか。
June 8, 2008
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牛起(うしお)きに起きて素早く身支度す全天冷ゆる入試の朝(あした)(高野公彦「天平の水煙」)両親が、それぞれの仕事で帰宅が遅くなるというので、午後から夜遅くまで、孫との留守番を引き受けた。食事も入浴も済ませて、順当な時間になったのでベッドに入り、何度も何度も読んだ絵本、「Puff the Magic Dragon」を読みきかせ、本人もすっかり覚えてしまった言葉を一緒に小さな声で言いながら、だんだん声が途切れがちになってうとうととしてきた頃、玄関のドアが「カタン」と音をたてて開いて、ママの「Hello, I am back!」という声がした。と、いままでほとんど眠りの世界に入っているように見えていた孫が、ガバッと起き上がり、「Hi, Mom!」とベッドから飛び降りて叫ぶ。おお、おお、これこそ「牛起き」の実演!入試の朝の身支度に「牛起き」する人もいれば、ママが帰ってきてうれしっくて「牛起き」する子もいる。牛はどういうときに、どんな風に「牛起き」するのかな?牛起きとふ言葉を知ればげに見たし牛がガバッと起き上がるさま(久保田美穂 コスモス五月号)私も、ぜひ、人間ではなく、牛が「牛起き」するところを、見たいものである。
June 7, 2008
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リストラのなき妻の座にありなれて五十余年を居据わりつづく(日野原典子「糸遊」)こういうことが堂々といえるのは、昭和一桁の作者ならではの感慨と、ご自分がキチンと妻としての資格を満たすだけのことをしていらっしゃるという自信からくるではないだろうか。金婚式を過ぎた実績もあるし。作者もその夫君も結婚生活の継続を大事に(というより、大前提として)、お互いを信じあって仲良く暮らしてこられたに違いない。「居据わりつづく」は、ちょっとした「てれ」のようなものだろう。でも、現実には、今の社会では、「妻の座」にも「夫の座」にもリストラの危険はいっぱい!そうそう、昔も「三くだり半」という妻へのリストラ状がありましたっけ・・・。
June 6, 2008
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「一日中、冷たい雨が降って、まるで冬のようだ」と思っていたら、夕方のニュースの後の天気予報で、気象予報士のオネエサンが、「今日はJuneなのにJanuaryのような雨と寒さで、まるでJunuary でしたね」と、言っていた。「Vancouverには、最近、香港(Hongkong)からの人が増えて、まるでHoncouver のようになりました」と新聞に出ていた時にも、かなり笑ったけれども、Junuaryもなかなかいける。もちろん、夕食は「鍋もの」。
June 5, 2008
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咲き疲れさくらは今し散りゆかむ好きよ好き好きと叫んでみたい(宮英子 コスモス六月号)コスモス6月号が届いた。今月の巻頭のNo.1は宮英子作品5首で、タイトルは「好きよ」。抽出歌は、一連の最後に置かれている。上の句では、桜の散り際が「咲き疲れさくらは今し散りゆかむ」と、しみじみと、かつ格調高く表現されていて、下の句では、がらっとトーンを変えて「好きよ好き好きと叫んでみたい」と口語調。その展開が、とても自由ですばらしい。散るばかりになっている桜を「咲き疲れ」と詠まれるのも、90歳の作者なればこその投影かもしれない。それにしても、「好きよ好き好き」とは、誰にでも言える言葉ではない。さすがっ!!
June 4, 2008
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海外新聞放送協会主催の海外文芸祭で、カナダからも俳句・短歌をたくさん応募していただこうと、「宣伝」だの「取次ぎ」だのまあ、そういうお世話をしている。締め切りは7月10日なので、それまでにはあと一ヶ月あるし、締め切り間際の投稿が多いのでまだ全体としてはあまり集まっていないし、こちらも待ちうけ態勢というよりは、むしろまだ広報段階であったが、今日、フレーザーバレー日本語学校の先生から、小学生9人の短歌が届いた。私は取り次ぎをするだけなので、作品をここにUPするわけにはいかないが、いずれものびのびと自由な短歌である。いわゆる「短歌らしさ」には欠けるけれども、それも一つの味。自分の言葉で自分の感慨を歌っているところがなかなか楽しい。入賞や入選をするかどうかは、選考基準や、他の作品のレベルにもよるから別問題だが、日本を離れて住む日系の子供たちが「日本語には短歌という文芸がある。」ということを、ただ見聞きして知るだけでもよいけれども、さらにそれを自分で実作してみて知るということは、とてもよいことだと思った。「今年、短歌を詠んでみた」みたという体験が、大人になったときにきっとよい思い出になるだろうと思う。先生からのメッセージにも、「子供たちに短歌を読ませたのは初めてでしたが、思いもかけない楽しい短歌が出来上がり、教師も驚いています。」とあった。学校も社会も英語で運営されている中で日本語を覚えるのも大変な努力だし、さらに短歌や俳句まで作ろうと思うまでの力をつけるのは簡単なことではないと、私も身を以って経験しているので、先生にも子供たちにも、父兄にも心からの拍手を送りたい。昨年は、グラッドストーン日本語学校の生徒さんの作品を、先生がまとめて応募してくださって、中には入選作品もあり、とてもうれしかった。先生もA結社に所属して短歌を勉強している方なので、きっと今年も・・・と、これもまた楽しみ。
June 3, 2008
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6月のバンクーバー短歌会は、題詠で「海とさす(刺す、差す、指す、射す)の二つを読み込む。」又は自由詠。このように、一つ以上のものを読み込む題詠は、よそではよく見かけるのだが、バンクーバーの会では初めての試みである。二つも読み込もうと思うと、内容が似通ってしまうのではないかと思っていたのだが、詠草集が配られてみると、意外に変化に富んだ用法になっていて、自分ではまったく想像しなかった使い方をされていたりして楽しい。具体的な作品については、歌会が終って、先生のコメントが帰ってくるまで、UPするのは控えるけれども、参考のために、「この二つの題が入った作品はないものか」と思って、高野公彦氏の作品を探したら、以下の作品に出会った。十津川の高き吊橋その下を海さして若き川は急げり(「地中銀河」) 海中(わたなか)のくらげは遠き汀(みぎは)指して漂ひながら透きて死すとふ(「天平の水煙」)四海波(しかいなみ)静かならねど青き魚(うを)の頬ざし食ひぬ魚食ひ我は(「渾円球」) 海棠睡(ねむり)未だ足らざる面差しに箏(さう)の琴弾(ひ)く萱御所斎院(かやのごしよさいゐん)(「天平の水煙」) 自分で悩んだあとで、こういう作品を読むと、巧みさが身に沁みる・・・。バンクーバー歌会では、隔月に題詠をしているが、次回、二つを読み込むのは来年2月で、「数字」と「手」。関係がありそうな、なさそうな組み合わせで「海」と「さす」よりもだいぶ難しそうだから、今から気にしておかなくては・・・。
June 2, 2008
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シアトルより少しバンクーバーよりのエヴァレットという町に行って3泊。今朝帰ってきた。出かけてから帰るまでの走行距離は、380キロ。私にしては、走ったほうだ。アメリカのハイウエイは、一部、大きな町の近くとか、国境近くを除いては、交通量が少なく、今の季節は緑も美しくて気持ちがよいし、車の渋滞も、道路の凍結や積雪もなくて運転をしやすいのだけれども、長い間運転していると、退屈で眠くなりそうなのが怖い。 それも、帰りは用件をすませた安心感があるから、よけいにあぶない。スピード制限が70マイルだから、120キロくらいは出すことになるので、もし居眠りなどしたら大変だ。で、時には、日本でいうサービスエリアに止まって、車から出て体を動かすのだが・・・これが日本の高速道路のサービスエリアと大違い。日本のサービスエリアには、大きなトイレがあり、自動販売機がたくさんあり、レストランがあり、ギフトショップがあり、駐車場は混雑して・・と、とてもにぎやかなところが多いけれども、今日寄ったサービスエリアなどは、トイレは男女各10個以内、小さな売店に、女性が二人、コーヒーやマフィンなどを売っていたが、あとは静かなもの。ガソリンスタンドもない。広い駐車場にも、大きなトラックが4-5台と、SUBと普通車がポツリポツリと止まっている。木立の中で鳥が啼き交わしているのが、清清しかった。車の音も、シューシューと聞えるが、道路からは引込み線で少しはなれているし、間に森があるせいか、あまりうるさくない。とてもほっとする雰囲気だけれども、こういうところで店番をするのはちょっと怖いのではないだろうか。「悪い人」が来て「悪いこと」をして、そのままサッと車で逃げてしまえば、それっきりみたいな恐怖感がありそうだ。この静かな休憩所で、持参の水を飲みながら、「こういう場所をサービスエリアだと思っている人たちに、日本の高速道路のサービスエリアをみせたら、さぞびっくりするだろうなあ・・」と思った。それでも、数年前にドライブした、ラスベガスからグランドキャニオンへの道にくらべたら、まだ変化がある。あの道ときたら、まったく周囲に何もない。周辺は原則として砂漠だから、緑がまったくなく、本当に行けども行けども地面があるというだけで、時にポツリとガソリンスタンドがある他には、何の変化もない数時間。その時は、長男夫婦と一緒だったので、運転は交代だったし、雑談をしたりしていたので、まだよかったけれども、一人だったら眠くなりそうでたいへんだ。「こういう運転も、交通が激しいところとまったく違う難しさがあるね」と話あったものだった。ダラスに住んでいる次男(音楽家)は、独身の頃は車で帰省してきたことが何回かあったが、本当に退屈で眠くなると、車を路肩にとめてトランペットの練習をするのだと笑っていたものだった。
June 1, 2008
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