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2010年、バンクーバーで開かれる冬季オリンピックに備えて、私の住むリッチモンド市の、フレーザー河畔に、Richmond Olympic Ovalという、1周400メートルのスピードスケート場が建設された。8000人を収容する観客席など、まだ未完成とところはあるが、最近、だいたいの完成をみて、カナダの長距離スピードスケート競技会を開催中。 ここが建物の正面。大きな建物なので、全体像は飛行機にでも乗らないと撮れません。北側に大きく開いたガラス戸越しには、フレーザー河の対岸にあるバンクーバー飛行場その向こうには、スキー場のある山が見える。 中では1万メートルの競技中。 2人ずつのレースで25周すべります。 マットで囲われた4レーンのうちの2レーンを使ってこんな風に近付いてきたかと思うと 目の前を通り過ぎるときは、シューッと、まるで透明の影でたちまち画面からはみだしそう。 競技を撮影するカメラマンもまるでスポーツマン。腰を落として、足をひらいて「今だ!」真剣にレースが行われているレーンの内側は普通の床になっていて、そこには、 バトミントンのコートや バスケットのコートがあってスケートのチャンピオンシップの試合中だというのに、誰やら、ふつうに遊んでいました。こういうところがなんだかカナディアン。(オリンピックのときにはまさかやらないでしょうが。)東京競馬場の内馬場が子供の遊び場になっていて、夫がレースに専心している間、子供たちを遊ばせて待っていた昔を、思い出してしまった。
December 31, 2008
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いつも、大移動の後には、「時差克服障害」が起こるのだが、今回は、いまのところ上出来。昨夜は10時前に寝て、今朝は5時半に起きた。昨夜の風の後、朝の空はまっくらだけれどもよく晴れていて、星がひときわ美しい。次々と空港に入ってくる飛行機の灯が、ゆーっくりと星空を横切って来るのも、趣深い。山の方をみると、スキー場のあたりの稜線に接する空が、ほっとあかるく染まっている。TVジャパンをつけたら、「もうすぐ紅白歌合戦」だということで、なにやら、とてもにぎやか。ベランダの気温は、3度くらいしかないのだけれども、室内は暖房も入れていないのに、18度もある。上下左右のお宅からの貰い暖房+台所の火 ・・・かな?
December 31, 2008
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ひさびさのバンクーバーの朝。7時半になっても、まだまっくら。通勤の車が、赤い尾灯を、凍った道路に反射させながら行列を作っている。自分もああやって、毎朝車を走らせていた頃を思い出して、「あの頃はそういうのが辛くもなんとも無かった」とか、感慨新た。 ・・・・・・・・・・・・・・・・寒波のあとのバンクーバーでは、それでもまだ寒いので道路が凍ったり、雪かきをしそこねた歩道の雪が凍ってつるつるだったし、幹線道路以外には入っていくのも出てくるのもたいへんだったりするのだが、大きな道路を運転するかぎり、あまり支障はなくなっていた。路上駐車の車の中には、除雪車が盛り上げた雪が凍ってしまって通行できるところまでの50センチをどうやって乗り越えるのか心配になるような車や、積もった雪が屋根に厚くつもっている車やらもある。車の屋根の積雪の断面を見ると、いくつもの層になっていて、雪が降っては凍り、それがとける前にまた上に雪が積もってという情況が繰り返されたのが、実感としてわかった。ショッピングセンターの駐車場は、雪かきも充分にできているものの、その雪が積んであるので、駐車できるスペースが普段よりもずっと少なくなっている。でも、まあ一歩一歩、平常に戻っていっているというところか。天気予報がまた雪が降ったり強風が来るというようなことを言っておどかしてくれるのが気になるのだけれども。
December 30, 2008
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結局・・・というかとうとうカナダへの移動日。成田空港から公衆電話をかけようとして並んでいたら、ふと聞えてきたのが「おばあちゃん、おれ、おれ」 という男性の声。この有名な台詞を実際に聞いたのは初めてだったので、思わず夫と顔を見合わせる。「ま、ま、まさか・・・オレオレ詐欺の現場・・・?」という懸念から、失礼ながら、ついその声の方に神経が行ってしまう。〈おばあちゃん〉の声は、電話だからもちろん聞えない。 「・・・・」〈男声〉 「うん、これから飛行機にのるところ。今度はいろいろありがとね。」〈おばあちゃん〉 「・・・・」〈男声〉 「うん、おいしかったよ、とっても。」〈おばあちゃん〉 「・・・・」〈男声〉 「じゃあ、元気にしててね。おばあちゃんはあんまり無理しちゃだめだよ。」〈おばあちゃん〉 「・・・・」〈男声〉 「うん、オレもがんばるよ。また夏に休みがとれたら顔見に来るからね。」〈おばあちゃん〉 「・・・・」〈男声〉 「ほんとにありがと。元気でね」〈おばあちゃん〉 「・・・・」〈男声〉 「うん、うん・・・。じゃあね。」短い間だったけれども、背をむけて話をしていたその人が、受話器をおいてこちらを向いたとき、ふっと目があってしまい、思わず会釈してしまった。孫からこんな電話をもらった〈おばあちゃん〉は、どんなに嬉しかったことだろう。同じように、隣でその電話を聞いてしまった夫も思いは同じらしく、「詐欺でなくてよかったね」と笑った。多分、この人、普段カナダに住んで働いているか勉強している人かで、日本語放送も新聞も見ていなくて、「おばあちゃん、おれ、おれ」という台詞が、いまどきは悪名高いせりふであることなど、知らなかったのだろう。でも、このおばあちゃん、こんなにやさしい孫が使ったのと同じせりふで、他の人から「おばあちゃん、おれ、おれ」と電話がかかったときなど、ころりとだまされたりしないかしら。私だったら、こんなにことを言ってくれる孫が、「こまっちゃった・・・」と電話をかけてきたら、無いお金まで振り込んでしまいそう。かといって、「今度おばあちゃんにお電話なさるときには、ご自分の名前をおっしゃいね」と見ず知らずの人に注意できるような私ではないし・・・・・。よそながら少々気がかり。(これが本当の老婆心!!)・・・・・私って、いつからこんなおせっかいになったのかしら。
December 29, 2008
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蝋梅 佐野四郎霜置きて寒き狭庭に蝋梅の枝引き寄せて浄き香を聞く冬を越さむいのち危ふし日に沁みて黄の花ひらく素心蝋梅黄に透きて咲き揃ひたる蝋梅のみな俯けり真冬咲く花み冬長く咲き保ちゐる蝋梅は門の出入りに見つつ見飽かぬ帰り行く友への苞とわが門の黄に澄む蝋梅の花を見せしむ冬咲きて強き香放つ蝋梅の一木にこもるいのちをおもふわが庭の蝋梅清く咲き初めぬ見に来給へと行きずりに言ふ咲き次ぎて月余を経たる蝋梅の黄に冷え冷えと寒の雨降る所沢の航空公園に、蝋梅がたくさん咲いている風景が、今日のテレビでニュースで何回か紹介されていた。「蝋梅」というと思い出されるのが、佐野四郎氏の歌集『蝋梅』。85歳から88歳までに詠まれた歌がまとめられている一冊だが、富士山麓に住まれた作者の悠々とした歌風が好きな私には、愛読歌集の一冊である。集中の「蝋梅」の章のほかにも、宮柊二追悼の一連の中に、以下の一首がある。蝋梅の莟ほころび香を放つ師走十九日君が葬り日
December 28, 2008
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昨年、奈良のJALホテルにとまったとき、外出から帰ったら、掃除の済んだ部屋に、清掃担当者のメモと一緒に、折り紙で折った小さなサンタクロースさんがおいてあった。とても可愛かったので、大事にしまったら、2泊目にもまた同じサンタさんが置いてあった。2つになって心強かったので、一つはそのまま見本にし、もう一つを広げて、「研究」。あれこれやってみた結果、少し大きめに切った紙でならサンタクロースが作れるようになった。それから約一年。今年のクリスマスカードには、折り紙で作ったサンタさんを1人ずつ貼って、諸方面に派遣したのだが、受け取ったうちの一人、埼玉で老人クラブのお世話をしているHさんから、うれしい報告が来た。(Hさんは、こういうことが好きなのを知っていたので、研究用を含めて特別に二人派遣しておいた。) サンタクロース50人折り紙で折りました。 老人会のお楽しみ会にサンタクロースの後ろに番号を書いて、みんなに1枚ずつ引いてもらいました。 贈り物にも番号を書いて、サンタクロースの番号とあったのをもらうのです。みんなに一枚の紙で折ったのかと驚かれました。 サンタさん教えて下さりありがとうございました。そんなちょっとしたものでも、工夫して他の人まで楽しませてくれた人がいると思うのは、なかなか嬉しいものだ。「どう致しまして」と言いたいところだが、私もJALホテルさんから非公式に「教わった」のだからあまり威張れたものではない。JALホテルさん、ご存知ないことでしょうが、どうもありがとうございました。(ついでに言えば、Hさんは私の中学時代の同級生だから68歳。立派に「老人」なのに、他人ごとのように「お年寄りに・・」なんて言ってサービス係をしているところが偉い。)
December 27, 2008
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本当は、12月初めにカナダに帰るつもりで、7日にあった某会合のお手伝いをお断りしたりしていたのに、次々と事情がかわって延期になっているうちに、16日くらいからカナダは大寒波。先週末から雪が降ったり凍ったりで、交通マヒ状態が続き、息子からの忠告もあり更に出発を延期していたのだが、今日の新聞にはこんな写真がでていた。 (Vancouver Sunより拝借)It may sound obvious by now, but if you don't have to be outside, don't even try to venture outside those front doors. West Vancouver police are warning drivers to stay away from the Upper Levels highway today, as officers are in the process are shutting it down「どうしてもという用事がなければ、一歩でもドアの外に出ようとはしないこと。」という警告ももっともで、一番寒いときには、体感温度はマイナス20度くらいになっていたらしい。 普段は、せいぜいマイナス5度くらいにしかならないバンクーバーとしては、40年ぶりというくらいの大寒波。もっとも、今日の新聞で見ると、午前中の気温0度、午後は2度まで上がり、多少の晴れもあるらしい。長期予報を見ると、土・日・月・火と、多少の雪模様はあっても、最高気温が連続プラスなので、そろそろ先が見えてきたらしいけれども・・・。
December 26, 2008
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東京都立神代高校の男子生徒さんが、ご近所の火事で逃げ遅れた80代の夫婦を、助け出したというニュースがあった。なんでも、水をかぶって、燃えている家に飛びこんでいったのだそうだ。人間として、本当にすばらしい。「あとで考えたら怖くなった」とご本人も言っていたが、飛びこんでいく瞬間は夢中だったのだと思う。無事に三人とも助かったからよかったものの、その生徒さんも一歩間違えば・・・と思うと、あまり安易に褒めて、皆がそういうことをし始めても怖いし、立派なことをしたのに褒めないのもよくないし・・・少々複雑。その生徒さんのご両親も、誇らしくて褒めてやりたいのは山々でも、「そんなあぶないことをしないで!」という本音もきっとどこかにあるし、もし、現場に居合わせたらひきとめたかもしれない。でも、神代高校は亡くなった姉が最終的に勤務していた学校だったので、そういう「英雄的」生徒さんがいるというニュースを聞くと、なんだか誇らしいような気持ちになるのは、自分でも不可思議だった。(なんと、単純なワタクシであることでしょう!)もう、今ではご縁のない学校だけれども、職員室の姉の机を片付けに行ったときのことなど、改めて思い出す。(坪内逍遥のシェイクスピアも、所持品の中にあったことまでふくめて)
December 25, 2008
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深夜・・・というか、早朝というか、イヤフォーンでラジオを聞いていたら、NOVELという英語から「小説」という日本語を考えだしたのは、坪内逍遥だという話がでてきた。ぼんやり聞いていたので、どの局だかわからないのだが、夢ではないと思う。今では、本当に普通の言葉としてつかっている「小説」という言葉だが、よくよく考えて言い初めた人がいるのだと思うと、その背後にある翻訳家としての「意気込み」とか、文学者としての「愛情」とかが思われて、畏怖の念を持った。念のために広辞苑をひいてみたら、第2義に、(坪内逍遥による novel の訳語) 文学の一形式。作者の想像力によって構想し、または事実を脚色する叙事文学。韻文形式だけでなく、語り手が物語るという形式からも自由となった、市民社会で成立した文学形式。古代における伝説・叙事詩、中世における物語などの系譜を受けつぎ、近代になって発達、詩に代って文学の王座を占めるに至った。と、ちゃんと書いてある。「小説」という言葉は、自分ではわかっているつもりでいたので、改めて辞書をひくことを考えたこともなかったので、今日はひとつ物知りになった。サンタクロースの、プレゼントかな?・・・・・・・・・・・・「そんなことを知ったからといって、どうということもないでしょ」と言われそうだが・・多分、「冥土の土産」にはなると思いますよ。私の場合、冥土には、けっこう教育ママだった母もいるはずなので、あんまり何も知らないまま冥土に行ったら、嘆かれてしまいそうだし。
December 25, 2008
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静かな住宅街の道を歩いていたら、一軒のお宅の玄関先に、空の植木鉢スタンドが置いてあり、ボール紙にここに飾っておいた「クリスマスローズ」の鉢植を返してくださいと書いたものが挿しこんであった。 なんだかねえ・・・・。
December 19, 2008
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栴檀は双葉より芳し・・・で、名前だけは知っている(と思っていた)「せんだん」を初めてみた。「せんだん」と札がかかっていたから、本当に「せんだん」なのだろう。高いところに白い玉実がたくさんならせている大きな大きな木で、晴れた冬空にのびのびと枝を伸ばしている。 でも・・・近寄ってみても、あまり芳しい香りが漂ってこない。不思議に思って、あとで調べてみたら、「栴檀は双葉より芳し」の栴檀は白檀のことで、これとは違うらしい。せっかく喜んだのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「栴檀は双葉より芳し」(優れた人物は、幼いときから他と違って優れている)というのは、時に実感を伴うけれども、解釈によっては、少々寂しい。薔薇ノ木ニ 薔薇ノ花サク。 ナニゴトノ不思議ナケレド(白秋)(どんなに無理をしても、薔薇でない木には薔薇は咲かない)死は一度 梅には梅の花が咲き 雨の降る日は天気が悪い(小島ゆかり「折からの雨」)(梅でない木には梅の花は咲かないし・・・)何事も自然体がよろしい。 達観して、の~んびりしましょ。私製格言「不自然は万病のもと」
December 16, 2008
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コスモス1月号に掲載されたバンクーバーの仲間の歌を転載する。粟津三寿擦り切れしゴム手袋にしみるともまだ暖かき長月の露甲高く山雀は鳴き池の上の楓の枝に三羽飛び交ふ秋彼岸幼の未来を頼みつつ植ゑし公孫樹に神酒を供ふる奥山和子還暦となりたるなれど溌剌と我は働く背筋を伸ばし溢れ出す雫が次次伝ひ落つ悲しみためし涙のやうに夕焼けの眩しさ見つつ老夫婦微笑みて言ふ今日のボーナスと金 淑子苑の路に飛び交ふ虫の名を知らずあるかなきかの蜉蝣の群ビル街に陽光の束が広がりて蜃気楼のごとく白く浮き立つ高層のわがベランダに鳩が来てくちばし突き餌をねだりぬ佐藤紀子「饅頭」と夫が言ふときぶたまんも最中もパイも含まれてゐる過ぎ行きし嵐の後の水溜り ぴちやりぴちやりと児の靴が踏むイエスでもノーでもなくて私にグレイ・エリアがじわじわ増える日本に売れなくなりし中国の葱がカナダの八百屋に並ぶ菅原美知子刻くればみな待つてると朝夕を池の金魚に餌撒く夫月の夜は君と歩みし北上へ想ひ深まる老いたれば尚大掃除捨てる、捨てない迷ひをり生存期限間近なわれは田中澄江「生きてたの」友の電話にびつくりす同姓同名の田中さん逝き日本語で書けば澄江とすみえなりローマ字だから同じと友言ふ強風に傘さした儘押され行き信号無き道よろよろ渡るおいしいと呟く我に答へなし食事を始める一人居の昼鳴海登志子夕風とさやさや遊ぶやはらかき宮城野萩のあまたの小葉はツンドラで発見されし狩人は三百年前のままに眠れりしめやかに伝統的な葬儀もてふたたびを眠るいにしへの魂
December 15, 2008
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コスモス短歌会の本年度後期出版記念会。今回はコスモス賞(小嶋一郎氏、後藤美子さん)、純黄賞(海老原光子さん)の表彰があった。中でも後藤美子さんには20年以上にわたり、何かと教えていただいているので、バンクーバーの仲間の分も大きな拍手を送りたく、がんばって滞在期間を延ばして、出席した。今期、出版された歌集は17冊、歌書が1冊。評者が選り抜きだったせいもあるかもしれないが、170首の短歌をしっかりと鑑賞することができた。特に、あらかじめ読んでいた歌集については、見落としていたところにも気づき、「見る目」「選ぶ目」の違いも感じ、楽しかった。評者の抽出された作品より、特に私の印象に残ったものを一首ずつ引用する。足早に白猫去りし路地の闇もくせいの香が押し寄せてゐる(狩野一男『栗原』) 存念の何かあるごときまなこして振り返りゆく庭を狐が(杉本あい『花寿』) 小膝つきつひには坐り差し覗く小暗き部屋の紫式部(伊藤美知子『淡墨桜』) 褐色のオナモミの実が仕事着にあまた列なす野良の勲章(東城ヒロ『野良の勲章』) しろがねの光寂けき海を背に夕ぐれはやし良寛堂は(山田いく『海辺の家』) お客様に謝罪するため外気温マイナス8度の千歳に着きぬ(四野宮和之『座標軸』) ティッシュペーパ一枚出せば次なるが用あるごとく立ち上がりくる(小坂喜久代『子午線の風』) 南国の黒糖焼酎口腔に黍のさやぎのごとくひろがる(荒巻和雄『ポピーが笑ふ』) 新参のわれ身をちさくして着衣せり男ら交わす雑談耳に(奥村晃作『多く連作の歌』) 人類史どのあたりまでさかのぼりゆかば神なきさきはひの世か(木畑紀子『歌あかり』) 満月が自力で動くやうに見ゆ速き流れの雲過ぐるとき(荒巻睦代『日向夏』) 大方の狂ひはあらず手触りに掴める捻子の百個ぐらゐは(倉田たつ子『きさらぎの店番』) 煮おろしの味噌汁にまづ口つけて噫(ああ)と感嘆す朝々夫は(山崎あさ『花ぐるま』) 白寿なる母の体調今日はよし木戸に掃きたる箒目ありて(山根芙美子『続 簸川野』) 木枯しに吹き寄せられいもみぢ場の死にどころなく道にさ迷ふ(島田暉『枯葉の旅人』) 折からの雨に娘の肩を抱く背のびをせねば届かぬ肩を(小島ゆかり『折からの雨』) ひらがなのやうな温とさカタカナのやうな鋭さともに持つひと(武田弘之『卯月みなづき』)今回、1冊だけあった歌書は『ことばの森林浴』(高野公彦)だったが、一度読めばそれでよいという本ではないので、購入。連載されたものをまとめただけあって、少しずつ読むのに適しているので、一章ずつ読んで楽しみながら消化していこうと思う。
December 14, 2008
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カナダにいる息子の妻と電話でおしゃべりしていたら、「今日、オリンピック用新設スケート場の一般公開があるので、家族三人そろって見に行く」と楽しそうだった。見に行くだけではなく、もし滑らせてくれるものならすべるのだそうだ。オリンピックのテレビを見ながら、「あそこのオープニングでは、みんなですべったね」と家族で話し合うのも、よい図になりそう。これは、オリンピックではスピードスケートに使われる施設で、市としては大事業だったが、いろいろな問題を乗り越えて、とにかく「こけらおとし」(スケート場にも使える言葉かな?)にこぎつけたのだから、めでたい。スケート場は作るし、電車は引くしで、オリンピックを招くのはもうたいへん。かくなる上は大成功となりますように!! 建設中のスケート場(2008年8月撮影)
December 13, 2008
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みづからの無知を知るにも或程度の理智なるものを必要とする(安立スハル) 福士りかさんのブログに引用してあった一首。するどいなあ・・・。安立さんの作品には、普通はいわない本当のことをグサッと言われていることが多いので、ドキッとする。「或程度の理智なるもの」ねえ・・・・・。考えてみれば、勉強などというものは、自分の無知を実感するためにしているようなものだ。そして、その無知の部分、理論で片付かない割り切れない部分を解決しようと、とことん研究した結果が、極端な場合はノーベル賞の受賞だったりする。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「わからない言葉があったら、辞書でひきなさいと言われるけれども、わかったつもりの言葉はわかったと思っているから辞書でひくこともなく、勘違いしたままなんです。」「落語家は、あほなことばかり言ってるとお思いでしょうが、これはほんまのあほじゃできませんのですよ。噺もおぼえなならんですし。そこへいくとお客はんはなあ・・・笑っていればよろし。」「私はあなたとはちがうんです。自分を客観的に見ることができるんです。」
December 12, 2008
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鍋囲み家族と笑ひあひながらコンロの小さき火をみつめゐる(岩崎祐太)今朝放送のあったNHK短歌(栗木京子選)で一席になった作品。作者はまだ若い。選者からは、「小さき火」であるところがよい。平明だが思索的なことを秘めていて、深い。思春期特有の視線がよく表現されていると褒められいた。もちろんそういう、文学的な良さもあるのだけれども、私は、家族とのつながりに「テレ」だの「抵抗」だのを感じることの多いティーンエイジの作者が、家族と笑いあいながら鍋を囲んでいることにも、その家庭の温かさとか、作者の気持ちの優しさとかでていて、うらやましいと思った。(本当は、短歌を内容で褒めるのは邪道だと言われているのだけれども、つい、そういう目も働いてしまって・・・)思い返せば、うちの息子たちなど中学・高校時代には、かなりぶすっとしていて、母親を否定するところから思考が立ち上がるみたいなところがあり、家族揃ってこんな暖かい雰囲気で鍋を囲んだりすることがなんとまれであったことか!当時の私はそのことにかなり悩んでいて、親しかった年上の友人にそんな話しをしたことがあった。話しを聞いてくれた彼女は、"Don't worry, Noriko. They will be human again when they finish highschool"と笑ってくれて、私も多少気が楽になったし、実際またその通りだったけれども。ところで、この作者、「コスモス」所属で、特選の回数もとても多く、私も毎月楽しみに読んでいる。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・作者の12月号掲載歌 教科書の戦(いくさ)の記述に走らせる蛍光ペンの乾きたる音氷の多きコーラに文句言ひながら友とマックにゐる三時間人気ある教師は鳥の群れる木のごとし生徒に囲まれてゐて臓器売る必要もなく生きてきて今宵湯船に身を沈めたる空をゆく小さき船を思はせてティーカップあり夜の卓上
December 11, 2008
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池田はるみ氏の自作朗読を聞く。関西語(関西のどこだかは、わからないけれども)で読まれている。池田さんの作品を、雑誌などで読むときには、私は関東語発声で読むので、同じ作品でもまったく印象が違う。私の口から出るばかりに、あるいは、私の頭を通過するばかりに、原作のなんとも言えないやわらかくのびやかな趣がすっかり消えてしまたその結果を鑑賞されてしまっていた歌達を、もし、作者が知ったらどんなにがっかりとされることだろう!同じ日本字で書かれていてもその始末だ。昔の謡の「楽譜」のように、抑揚などを書きくわえたものが、本当は短歌にも必要なのかもしれない。
December 10, 2008
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池田はるみ氏の自作朗読を聞く。関西語(関西のどこだかは、わからないけれども)で読まれていて、字からだけでや読み取れなかった味わいと襞が感じられた。池田さんの作品を、私が雑誌などで読むときには、それしかできない関東語発声で読むので、同じ作品でもまったく印象が違う。私の口から出るばかりに、あるいは、私の頭を通過するばかりに、原作のなんとも言えないやわらかくのびやかな趣がすっかり消えてしまたその結果を鑑賞されてしまっていた歌達を、もし、作者が知ったらどんなにがっかりとされることだろう!同じ日本字で書かれているのに、その始末だ。昔の謡の「楽譜」のように、抑揚などを書きくわえたものが、本当は短歌にも必要なのかもしれない。
December 9, 2008
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「現代短歌朗読集成」CD1~4を聞いている。前半の佐々木信綱から始まる故人の朗読は、以前入手したカセットテープと同じで既に何回か聞いているのだけれども、与謝野晶子や白秋の朗読が、短歌の内容からうける印象とちがって、籠もったような声になっているのは、録音のせいだろうか。現在活躍中の歌人の方々の分は、以前の版にはいっている歌人の方でも、改めて更新されて最近の歌が入っていて、興味深い。こういうCDを出すという目的を意識して録音した朗読と、何か他の用途のために残っていた故人の朗読を収録したのとの違いであろうか。今回、加えられた歌人の方々の朗読は、速度も発音や発声もわかりやすく、歌も朗読だけでなく、歌数を犠牲にしても、説明を加えながら読んでいる方もあり、親切だ。また、朗読されている作品は、ほとんど既に読んで知っている作品であるが、作者自身の朗読を聞くと、作者がどういう意図で詠まれたかがよくわかるのも、うれしい。解説の入れ方にも、それぞれの工夫があって、三枝昂之氏は、詞書の部分を女性の声で入れ、短歌の部分だけを自身で朗読されていたし、篠弘氏は、すこし声のボリュームを落としていられたし・・・小島ゆかり氏が、長歌と反歌を選ばれたのもよかった。長歌は、やはり、作者の朗読で聞くのと、自分の黙読とでは、鑑賞が違うように思う。MP player におとしたから、これから、家事をしながら、散歩をしながら、電車の中でなど、イヤーフォーンで聞くことができてうれしい。私が好きだなあと思っていた作品が、作者の選んだ作品の中に入っていたりすると、思わずにっこりしたりして。以上、私の断片的感想ですが、朝日新聞11月17日の短歌時評(穂村弘)に、上のようなことが、もっときちんとまとめられています。
December 8, 2008
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バンクーバー短歌会会員作品次々と娘ばかりを五人生み夢中で育てた昔を思ふ(すみえ) いびつなる形で育つ庭の梨不出来なる子を見る心地する(希) 垣沿ひの朱き薔薇の実照らしゐる仄かな夕陽はやも消えゆく(友)雛三羽守るがにその後を行く雷鳥一羽人を恐れず(奈津)補聴器も入れ歯もなしと誇りしに心臓は持つバイパス二本(虹) 四歳がつま先立ちをする時に明日への視線きらと輝く(のりこ)母鶏の羽ふんはりと大きくて四羽、五羽、六羽、雛が顔出す(ふみ) 背伸びして拭く玻璃窓に映る空しろく光りて雲ゆるり行く(みき)薔薇添へて蒲の穂活ける昼さがり因幡の兔ふと想ひ出づ(みちこ)手のひらにのせて重たき月餅よ宇宙(そら)の満月無重力にをり(ゆりこ) 重き穂を大地に垂れてしづまれる稲田の上をとんぼ乱舞す(よしこ)朝日受け落ち葉ちりつぐ公園はモザイク模様に秋を奏でる(茜) 秋明菊少しゆらして夕暮れを時間の端(へり)が触れてゆきたり(あき)懐妊を告ぐる娘に姑の青き瞳が潤みしと聞く(粟)峰の雪水面に映す絶壁のフィヨルドを行くカヌー一隻(唐) 東京をトンギョンと言はれ幾たびも聞き返したり釜山の店で(梢)そろそろと道渡り初め戻るリス優柔不断な我と似ている(沙羅)
December 7, 2008
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岡本太郎の壁画「炸裂」をメキシコから渋谷にもってきたとは聞いていたが、今回は、ちょっとした外出のたびに、しばしば見ることになった。 浅草行きの地下鉄に乗り換えるときは壁画を目の高さに、JRに乗り換えるなどの時には壁画を見上げてみることになるのだが、私は、やはりあの壁画は見上げるようにできているなあという印象をうけている。まだ自分が元気なせいか、行きがけには、まださほど圧倒されずに目を向けるのだが、くたくたになって帰るときには、もう見返すエネルギーが残っていずに、目を逸らすようにして通りすぎる。そして、いつでも、かならず、警備員さんが1名、この絵の下にじっと立っているのにも気づき、たいへんだなあと思う。一見、だれとも視線をあわさない微妙なスタンスで、常に1名!たっているだけでもたいへんなのに、もし誰かが絵になにかをしたとして、この人は、とりあえず1名で対応せよと言われているのかと思うと、「たいへん」だけではすまないなあ・・・。(それだけ、日本は平和だということなのだろうけれども)他に、いつも必ずいるのが、デジカメにこの壁画を収めようとしている人々。壁画の前のスペースと、壁画の大きさの関係で、どうしても全部を一枚に納めることはできないのだが、みなそれぞれに工夫している様子だ。
December 5, 2008
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ユリの木の葉が殆ど落ちてしまったら、枝には、2日の日記に書いた「実」もしくは「種」が残っているだけになった。11月10日には、まだ緑豊かだった木なのに、この一ヶ月の間に、こんなに変わってしまって。落葉掃きをしていたマンションの管理人さんに、「もうすこしで、落葉掃除が終りますね」と言ったら、「はい。私達にとっては、毎日、タイヘンでした」との返事。「今年もお疲れ様でした!」 12月7日追記ベランダにも、種が落ち始めた。
December 4, 2008
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歌舞伎を見にいった。生涯でまだ二度目である。一度目はなんともう、47年も前!家庭教師のアルバイトに行っていたお宅で、「株主招待券があるけれども、自分達は行かれないから」といただいたチケットでお正月の興行を見た時だ。張り切って、伯母に和服を着せてもらって、出かけたのはよく覚えているのだが、内容はあまり記憶がない。(もったいない!!)で、今回は、「切符が手に入ったから」と誘ってくださった方があったので、よろこんでつれていっていただいた。私も、無駄に年齢を重ねたわけではないらしく、構成の面白さも、ストーリーも、せりふもよくわかり(あるいは、音声ガイドのおかげかもしれないし、短歌を通じてすこしは時代背景や昔の日本語が聞き取れるようになったからかもしれない)、4時間半を十分に楽しんで帰ってきた。銀座の歌舞伎座は、来春には建て替えになるそうなので、よい時に見物できたと思う。華やかな舞台が、いまだに目の裏に残っている。 これから47年後は・・・・まさかないので、これが最後かな?
December 3, 2008
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銀座線の地下鉄を渋谷で下りたところにあるI文房具店で、クリスマスプレゼント用のラッピングペーパーを買ったら、うち側になる面に包装紙をおいてから、一緒にくるくると筒に巻き、その外側から、もう一度、別の包装紙を巻き、更に、「長いので両端がでますから」と、細長いビニールの袋にいれて、「ありがとうございます」と渡された。お国柄って、こういうことを言うのだろう。もっとも、お店で買ったものをプレゼントにすれば、プレゼント用のラッピングペーパーなんて買う必要はないのだけれども。
December 3, 2008
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ユリの木の下で、落葉がたくさん散らばっている中におちていたコレ。花のあとに出来た「たね」だと思うのだけれども・・・。松傘のような形をしていて、引っぱると、種のようなものが抜けてくる。これを植木鉢に植えたら・・・どうなるかな?
December 2, 2008
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近所のスーパーで、20%引きのかまぼこを買った。 切っても切っても同じ「ブタさん」の顔がでてくる金太郎飴方式。ぶー、ふーッ! 面白いけど、老人夫婦の食卓にはなんだか・・・
December 1, 2008
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