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設計者辰野金吾の和魂みゆ小雨の似合ふ赤れんぐわ駅(高野公彦「天平の水煙」より) あちこち工事中だけれども、赤れんぐわの東京駅丸の内口は、いつでもなつかしい。無機質な建築物が周囲に増えた中で、赤煉瓦の駅舎を見ると、心が潤う。それが「和魂」のなせる作用なのかもしれない。今日は、たまたま暖かくて穏やかな日で、小雨ではなかったけれども・・・。
February 29, 2008
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カナダから日本への移動日。「たびたび・・・」というのは、つまりは要領が悪いことで・・・ 小雨模様のバンクーバーを下に見て 町は雨でも雲の上は藍色の空 10時間飛んで・・・赤い雲の下が房総半島 明かりのつき始めた成田に到着疲れました、何もしないのに。
February 27, 2008
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礼をして顔を上げたる棋士二人いづれ勝ちしや共にほほえむ(高野公彦)どどどつと夜半の雷雨の去りゆけば闇の密度のややにゆるびつ(矢野京子)妻と我ともに杖つき言ふなれば〈ツエンズ〉として娑婆に出でゆく(狩野一男)我らしく必ずわれはなりゆかむきつぱりとした冬に護られ (狩野一男)父逝きて嘆かふでなく泣くでなく母は野菜のごとく息をす (金子 智佐代) 桃まんを食べつつ思ふ地球人の五人にひとりが中国人(田中愛子)肉体の六割占むといる〈水〉のひとしづく君のほほを流るる(風間博夫)秋の日のベンチのカップル雲を見ず花を見ずしてケータイ見つむ(島田暉)幼年の吾を知りたる係累の最後の一人叔父も逝きたり (金田義直)『支那紀行』皇紀二千六百年初版二万冊その一冊が我の手にあり(高林和子)遠山のごとく見えしかあるときは土塀の影のごとく死はあり (田宮朋子)わが声が眠りを誘ふと女生徒が非難がましく言ひて席立つ(鈴木竹志)脱穀機出でくる米をまつさきに両手で受けぬ米のぬくとさ (米田靖子)
February 25, 2008
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春の気配がして、日差しが暖かくなってきた。とうとう一冬を、渡りの中継地で過ごしてしまったスノーギース、人家を恐れず住宅地の上を飛び、住宅地の間の公園や学校に降りる。・・・とここまでは他人事のようなものだったが、今日の夕方、例の湧き上るようなスノーギースの声がするので、11階の我が家の外に目をやると、まあ、来る来る。L字型になっているうちのマンションの方に向かって沢山飛んでくるではないか。地上から見上げたことは何度もあるけれども、自分の目の高さをこちらを向いて飛んでくる群を見るのは初めてで、そのスピードの速いことも実感できて、正直のところ怖かった。飛んでいる姿を横から写真にとりたくて、ベランダから離れなかったのだけれども、もし、一斉にあの鳥たちがこちらに向かってきたらどうなるのだろう!昔、ヒッチコックの映画の「鳥」に、そんな場面があったっけ・・・とか頭をよぎった。でも、そこは方向感覚のすぐれた渡り鳥だから、建物にぶつかる寸前で方向を変えて、飛びぬけていったのだが、その一群が見えなくなると、また次の一群が東南の地平線からガヤガヤガヤと現れて、点々が粒々になり、鳥になり羽ばたいてどんどんこちらに近づいて、直前で見事に方向を変えてゆく。下からみるときのように、きれいな「かぎになり矢になり」という形は判別しにくいが、自分を安全地帯に置いていないだけに、迫力のあるショーであった。東の空も低いほうは茜色とのぼかしになって美しい夕方だった。
February 24, 2008
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まだ2月号のコスモスを読み終わっていない。感動したり、同意したり、わからなくて調べたり、けっこう時間がかかるのである。今日わからなかったのは、オザースでけふのブログを始めたり写真の犬に台詞を言はせ(森田則子 コスモス2008年2月号)「オザース」って何だろう!そういえば、小島ゆかりさんの作品にも、ちょんぎーす、アザース、オザース、すういっちょ、チョー、マジ、メッチャ、ちんちろりんというのがあった。小島さんの時は、擬音だの流行語だのが並べてあったので、あまり深く考えずに、アザースと並んでいるところから、others のローマ字読みかしらとか思って読み流してしまったのだが、掲出の一首では、「オザースで始める」とあり、ちゃんとした意味があることが歴然。インターネットで検索すると、たくさん出てくるのだが、どれも用例であって説明ではない。・・・もしかすると、「おはようございます」みたいな挨拶の言葉かもしれないような・・・気がしないでもない。まあ、意味がわかったところで、私が使いこなせる言葉ではなさそうだが、コスモスの同人クラスの方の作品の中の、多分、日本に住んでいる人ならふつうに知っているであろう言葉がわからないとなると、ちょっと残念。こういうところが、私の「浦島化現象」の一例なのだろう。
February 23, 2008
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サン・アントニオでクリントン上院議員が演説するのを聞いていたときに、「私はここに三ヶ月も住みました。三ヶ月も住んで、メキシコ料理とマンゴアイスクリームが大好きになりました」と、いう一節があり、拍手を受けていた。「あらら、三ヶ月居ただけで、そんなに演説するほどその土地がわかるものなのかしら」と首をかしげてしまったけれども、人がその土地を理解するのには、ふつうどのくらいかかるものだろうか。クリントン上院議員は、「私はクラスで成績が一番よい女子学生だった」と言っていたが、その頭脳をしても、もう少しはかかるだろうと思うし、その土地の人にしてみれば「三ヶ月くらい暮らして、同じような階級の人と交際をしたところで、わかったなんて言ってほしくない」という気持にはならないのだろうか・
February 22, 2008
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三歳の孫と遊んでいるうちに、「SPIDER(蜘蛛)の絵を描こう」ということになった。二人でああだこうだといいながら、黒いクレヨンで描く段階になり、私は蜘蛛は昆虫だから足は6本だと思って、6本描いてみたらなんだか物足りない。冬のことで、あたりにも蜘蛛がいなくて本物を見ることもできないし、なんだかへんだなあと思ったら、孫が「蜘蛛も蛸も足は8本だ」という。「え? だって、昆虫は足が6本なのが特徴で、蜘蛛は昆虫だから足は6本だよ~」とオバアチャンは確信犯だから主張する。孫は8本を主張して、2本描きたす。「あれ?なんだかそれらしくなったけど、へんだなあ」と思いつつ、蜘蛛の巣の方を描いているうちに、テレビで「MISS SPIDER」というアニメが始まった。ミス・スパイダーは黄緑色の胴体で、三角帽子をかぶり、大きな黒い目をして大活躍。では、足は? とみると、左右に4本ずつで全体は8本。 前の2組は手、後ろの2組は足という想定らしく、後ろの2組は紫色の靴を履いている。「あらら、こういうのを見ているから、足が8本なんていうんだ。昆虫なのに・・」とか思っていると、孫は逆を思ったらしく、「ほら、全部で8本でオクトパスと同じでしょ。」と得意そう。まだ納得できなかった私は、お守り当番が終って帰宅すると、さっそくインターネットを検索。なんと、すぐに解説ページが見つかって、one pair of short, leglike appendages called pedipalpsor palps; and four pairs of legs.なんと、4組の足があると説明されているではないか!「負うた子に教えられる」ならまだしも、「三歳児にも教えられる」ワタクシでありました。
February 21, 2008
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Yes, we can ! と You Tube で歌まで流されているオバマ氏が、ヒューストンでは イスパニックの人たちを間でに、Si,se puede ! と演説をしている。で、それを土台に、”Yes, SI SE PUEDE is right ! ....but... " とクリントン氏が演説する。イスパニックの人口が多いテキサスだから、Si, se puede とスペイン語で言うことで、親しみを感じさせようということだろうが、私はなんだか違うような感じがする。Yes, we can ! だと、いかにも努力してできるということだが、se puede となると、再帰動詞なので、当然のことのとして、人間一般ができるようなニュアンスがある。翻訳の方が、前向きの意味になっているのが、ひそかに楽しい。
February 21, 2008
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夕食を早めに済ませ中空に欠けはじめたる満月を見る晩年の母が使ひしパステルに翳りはじめし月を描けり月影の凍る季節はもう過ぎて今宵の光すこし和らぐ今晩は月食。幸い晴れたので、7時5分からの月食をよく見ることができた。まさに教科書通りに進んでいくのが、うれしく(?)て、デジカメで写真にとろうと試みたが、普通の満月は何とか撮影できたのに、月食の満月は、ほとんど写真にならない。愛用のデジカメが役に立たないので、絵を描いてみた。月が地球の影に入るにしたがって、その残りの光った部分の明るさが目だって美しい。すぐ左下に見える金星の輝きも、ふだんよりも明るいような錯覚に陥る。ここ数日、寒さが和らいだせいか、月の光も穏やかな感じがした。
February 20, 2008
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憂き身よにやがて消えなば尋ねても草の原をば問はじとや思ふ(朧月夜の君)いづれぞと露のやどりをわかむまにこざさが原に風もこそ吹け(光源氏)(源氏物語、「花宴」より)Nさんから、源氏物語のお話をうかがうチャンスがあった。短歌に縁のある私たちが対象だったので、今回は「源氏見ざる歌詠みは遺恨のことなり」という、六百番歌合での藤原俊成の判詞を糸口にして、話を進めてくださった。「プレイボーイで女性にはつらい思いばかりさせていた光源氏のお話」だと思っていた源氏物語が、Nさんのお話を聞いていると、その時代の風俗習慣から、政治状況までを後世に残す手がかりになる大パノラマに見えてくるから面白い。やっぱり、すごい文学なのかなあ・・・。若いときには、なんだかすかっとしたところのない物語だと思っていたが、今の年齢になって丁寧に読み直したら、なんだか別の顔が見えそうな気がする。こんなに男性ばかりがよい思いをする小説だから、ファンは男性ばかりかと思うと、実は、女性の方に多く人気があるのは何故だろうと思っていたので、うかがってみたら、「源氏物語は、女性には教科書的な意味もあったのではないかと思いますよ」とのお答えに、ううん・・・なるほど。「こんなことをすると、彼がうるさく思いますよ。」「こんな風にすると喜ばれますよ」とか、実例付きで読んだら、前者の轍を踏まないで済む・・・のかな?思えば、高校時代の古文の時間に読んだときには、品詞分解を完璧に理解したくらいの収穫しかなかったような気がする。先生には悪いことをしたけれども、マジメすぎて融通のきかない高校生だった私には、男女の機微などわかろうという気もなかったのだからしかたがないが、 当時は「まだわからない」、今は「もうわからないかもしれない」で、読み時を逃したのかもしれない。とにかく、私にとって、普段の日常とかなりかけ離れた楽しい半日になった♪
February 19, 2008
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末の子の何憚らぬもの言ひが夕餉の卓の笑ひをかもす(大橋富子「冬椿」)この「末の子」は、若き日の私である。自分ではかなり気をつかって話をしていたつもりだったのに、こんな歌を母親に作られたので、怒ったのも今となっては「笑ひをかもす」。こういうことに怒るあたりが、「何憚らぬ」ことを立証しているのに、渦中にいると本人は気がつかない。ところで、今日、2月19日は母の命日である。もう11年目だ。その後で、息子が二人結婚し、孫が一人生れ、引越しを一回し、夫も私も10歳年をとり、鏡にうつる私は、高齢になってからの母によく似てきた。さらに白状すれば、高齢になってからの母には、なかなか面倒なところがあって、扱いにくかったが、最近は私の思考経路がきわめてよく似ているのに気づき、愕然とすることがある。「あ、そういうことだったのか・・・」と。今だったら、母のことを理解できて、もっとやさしくできたかもしれない。11年とは、そういう年月だ。あっという間に過ぎてしまったけれども。
February 19, 2008
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わが町に電車の通る日の近く高架軌道の工事が進む 車社会のカナダ。私の住むリッチモンド市でも、「君たちの生きているうちに、電車が通ることはないだろう」と、娘は小学生の頃に先生から言われたといっていたけれども、2年後のオリンピックを控えて、やっと電車が通ることになって、工事が進んでいる。まだまだ大変だろうが、道筋はできたようで、なんだか実感のわいてきたこのごろである。
February 18, 2008
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おのづから土に還らむ過程にて落花仄けき薫りを放つ(大橋富子「冬椿」)しみじみとしたよい歌だと思う。よい香りを放つまま、花が落ち、土に還り、それがまた肥料となり、次の年に美しい花を咲かす・・・。ただし、これは昭和二十年代の話、花が散れば、土に還っていける時代の歌だ。ところが、今の都会では、花は舗装道路の上に散り、箒で「掃除」されて、ごみとして処理される。「おのづから土に還らむ過程にて」と断定できないところが、さびしい。
February 17, 2008
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Bob The Builderという子供用のテレビ番組がアメリカ&カナダで放送されている。先日、日本でキャラクターショップに行ったら、主人公のボブやガールフレンドのウエンディーのグッズがあったので、たぶん、日本でも放送されているのではないだろうか?で、その主題歌のリフレイン部分だ。Can you build it? Yes, we can!とか、Can you fix it? Yes, we can!とか、節目ごとに、Yes, we can! が元気よく繰り返される。これって、最近のオバマ氏の演説みたいではないか。オバマ氏の演説も、Can we change it? Yes,we can. と言ったようなリフレイン(?)がはいり力強くひびく。しかもYou Tube で紹介されているBarack Obama: Yes We Canのピアノ・ギター入りの歌を聴いていると、次々といろいろな人がでてきて、Yes, we can と歌い、音楽としてはすばらしいし、なんだか大勢の人たちが、自分たちの力で国の立ち上がりに力を尽くしそうで、頼もしくなる。でも、なんだか、子供番組のテーマソングと同じ構造だというのは、ちょと気になるのだけれども・・・・
February 16, 2008
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みどり児がコクコクコクと乳を飲む足の親指ピンと伸ばしてバンクーバー短歌会の2月例会に出した一首。乳を飲むときの赤ちゃんは、おなかがすいているうちは、指先が白くなるほど、乳房や哺乳瓶をぎゅっと抑えこむと同時に、足は親指の先まで力が入ってピンとさせているようだ。だんだん満足してくると、手も足も口元も力がぬけて眠そうになってくるけれども。自分の最初の子供がそうだったから、「こんなに緊張して飲まなくてもいいのに」といじらしく思っていた。そのあと二人目も三人目も育てたけれども、みんな同じ。それからひと世代だって、孫も同じ。どうも、個人的な癖ではなく、本能らしい。・・・と決め付けてしまうには、観察例がすくなすぎる・・・かな?(そういうときに、足の裏をくすぐってみても、ただうるさそうにするだけで、笑ったりはしない。どうしてしっているかというと・・・子供たちと孫で試したからであります。意地悪ですねえ。)互評では、「足の親指ピンと伸ばして」を褒めていただいたのだが、作者は実はここの「足の親指」と「伸ばして」の二箇所がおおいに気になっていた。* 足の指を指す名詞は、手の指と同じでよいのだろうか?親指・中指・小指の場合、あまり抵抗を感じないけれども、ひとさし指と薬指となると・・・足の第二指で人を指差すとか、第四指で薬を塗るなんて、普通では考えられない。この際だからと検索をかけたら、これはわりとありふれた疑問らしくて、たくさんの回答に行き当たり、 特にないから、手と同じでよい。 足の第1指(あしのだい1し) 第1足指(だい1そくし、だい1あしゆび) 第1趾(だい1し) 足の母指(あしのぼし) 母趾(ぼし)などの答えがでてきた。とはいえ、この一首の中で「足の第一指ピンと伸ばして」と詠うのも、「だいいちそくしピンと伸ばして」と詠うのも、なんだかあまりかわいくない。なにか、よい言い方はないものだろうか?ただ、足の指を手の指を区別して言いたいときには、趾 という字を使うということだけは、何かのときのために覚えておこうと思う。* もう一つは「ピンと伸ばして」の「伸ばして」まっすぐにバレリーナのように伸ばしているわけではないのだけれども、なんだろう・・・と歌会が終わっても落ちつかなかったのだが、これについては、今朝、紅茶を淹れているときに、突然なんの脈絡もなく「ピンと反らせて」にすればよかったと思いついて、満足。肝心のときまでに頭に浮かばなかったのが残念だが、しかたがない。もっとも、こういうことを考えはじめると、こだわってしまうのが、私の悪い癖。ほとんどの歌が「よくわかるが、面白くない」という結果になってオシマイになることが多く、言葉がみつからないことより、こちらの方が問題なのかもしれない。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・通信で書道を見ていただいている先生から、昨日いただいた講評に「あまり細部にこだわらず(といっても無理でしょうが)、手本も一度見たらもう忘れるくらいの気持で書いてください」という評をいただいた。あらら・・・。短歌と同じだ! (といっても無理でしょうが)には、泣ケル。
February 15, 2008
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Bob the builder という子供用のテレビ番組がアメリカ&カナダで放送されている。先日、日本でキャラクターショップに行ったら、主人公のボブやガールフレンドのウエンディーのグッズがあったので、たぶん、日本でも放送されているのではないだろうか?で、その主題歌のリフレイン部分だ。Can you build it? Yes, we can!とか、Can you fix it? Yes, we can!とか、節目ごとに、Yes, we can! が元気よく繰り返される。これって、最近のオバマ氏の演説みたいではないか。オバマ氏の演説も、Can we change it? Yes,I can. と言ったようなリフレイン(?)がはいり、聞いているものを、そんな気にさせるところがある。私も、これからこのフレーズを多用してみようか・・・。
February 14, 2008
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鵜沢梢さんが出しているTANKA雑誌、GUSTSの締め切りが近い。私も創刊から会員にしていただいているのだが、前回は投稿をしなかった。いつまでたっても、TANKAというものがよくわからないし、英語の短詩との区別も見えてこず、自分で「TANKAですよ」と、かなりわがままに定義を下して提出することを重ねていたことが、恥ずかしくなってしまったのである。考えてみれば、日本語の短歌を23年間も、かなり熱心(と自分では思う)にやってきても、そちらもなんだか馴れて小手先になってしまった印象がありぱっとしないのだから、ましてTANKAは・・・という気持もある。長いことカナダにすごしていても、また、日本を離れて日本語センスが鈍っていても、それでも日本語と英語を比べれば、やはり私にとっては日本語の方が背後の文化・歴史を含めて、使いこなせていると思うので、いっそうのことだ。で、今回ももう投稿しないで読者に回ろうと思っていたのだが・・・今月に入って、3歳の孫と話をしているときに、ふと気が変った。理屈を言っていないで、この子が大きくなってから読んでもらえるものを、少しは残しておくのもいろいろな意味で楽しいかもしれないではないか。で、案を練ること数日。締め切り一日前に、エイッとメールで送信した。もっともGUSTSには選があり、あまりめちゃくちゃであれば掲載されないから気楽でもある。日本歌人クラブのTANKA JOURNALにも数年間は投稿していたのだが、こちらは選がないので、もうしばらく、ご遠慮申し上げて、読者に回っておこう。
February 13, 2008
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源氏謡ふ晶子の声が流されてホールの百の心臓ふるふ(森上美恵子 NHK全国短歌大会、海外作品賞受賞作品)朝5時半からテレビで、NHK全国短歌大会を見た。こんな放送時間は、早すぎると常々不満に思っていたのだが、考えてみると他の用事に邪魔をされず、他の人の見たい番組を犠牲にすることもなく、誰かが来る時間でもなく、外出の用事もない早朝というのは、意外によい時間帯だ。それはともかく、冒頭の一首の作者、森上さんとは、数年前に一度お会いしたことがあり、それ以後、かなり間遠ではあるけれども、メル友なので、なつかしい気持ちで画面を見た。ショートヘアーに、紫地のタイシルクの、民族衣装の味をとりいれたアンサンブルがステキに似合うのは相変わらずで、ヨガで鍛えられているせいか、以前にもまして元気そうな、余裕のある笑顔。・・・うん、たのもしい。そういえば、いつだか森上さんにいただいたカードには「また、地球のどこかで会いましょう」と書いてあって、その感覚に感動したものだった。そうね、お互いに地球の外には行く元気がありそうもないものね・・・とか思いながら、しかし、孫たちが大人になる頃には、「『地球のどこか』なんて了見がせまいわねえ」というような時代になるかもしれないと思ったりして。さて、大会では、実際にこの晶子の声が流されて、私は、ほんの一節だけれども、晶子の声を初めてきいた。録音の質のせいもあるだろうが、晶子の歌を読んでいて想像するよりは、ずっと暗い感じだったし、「心臓ふるふ」ほどではなかったけれども、バンコックで、日本語の分かる人ばかり100人もあつまって、晶子の謡う源氏物語をきいたとしたら、やはり森上さんのような感慨があるのだろう。「謡う」というのが、また工夫された表現だと思った。
February 11, 2008
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辞書になき水庫(すいこ)といふ語思ひつつ秋の熊本に心は向かふ(高野公彦「天平の水煙」)「水庫」には聞き覚えがあった。えーと、なんだっけ、湖だったっけ・・・とか思っているうちに、、車のエンジンをかけたとき、なんの脈絡もなく「あ、そうだ、ダムだった」と思い出した。でも、その言葉をどこで知ったのかしら・・・と思っていたら、今度は、交差点で信号待ちをしているときに思い出した。鈴木英夫歌集「壁画」に出てきたのだ。帰宅して、早速参照。ダムに堰きたたふる水を水庫とぞ航き航きてつひに涯はけぶらふ(鈴木英夫『壁画』) これは「天山にて」の章にある「蘭州炳霊寺」の一連中の一首。一連は以下のように構成されている。大黄河堰きたる水に直下して岩山の肌草をゆるさず (劉家峡ダム) ダムに堰きたたふる水を水庫とぞ航き航きてつひに涯はけぶらふ岩山の斜面に草を追ふ羊ときに弾みて危ふく走る磨崖佛湖にのぞみて岩を負ふその上空(うはぞら)のはてなく澄みて半眼のまなじり勁(つよ)く肢体痩す北魏のほとけ岩に遺りて谷に沿ふとぼしきみどり辛うじて馬鈴薯の花白きもまじる黄土層うがてる谷に驢を追ひて行きすがふひとふたたびは見じ最近、こういうことを思い出すのに時間がかかるようになってきているのを実感して情けないが、まあ、まがりなりにも、ここまでは辿りついたので、Nさんに報告(?)すると、土木工学専門のご夫君が、「中国で、その方面の会議に行ったことがあるが、『水庫』という言葉には出会わなかった。『堰堤』という言葉がダムには使われていた。水庫は台湾でむしろよく使われていた言葉だと思う。台湾では烏頭山水庫というダムがあり、これは日本人の土木技師八田與一氏が設計・指導して作ったダムである」と教えてくださった由。(鈴木先生の一首は、黄河のダムだし、先生の私たちへの解説では、「中国共産党政府になってからの造語」とのことだったが、20年以上昔の歌であるから、今は現地で死語となっている言葉もあるかもしれない。)その話を今度はうちの夫にすると、司馬遼太郎の『街道をゆく』を出してくれて、「これを読め。八田氏のこともでている。」と言いつつ、八田與一氏がいかに台湾の人に愛されたか、このダムがいかに台湾の農業を変えたか、応召で輸送船に乗って南方に行く途中でなくなられ、それを知った夫人はこのダムに身をなげてなくなられたこと、ダムのそばには、八田氏の像だけでなく、ご夫婦の日本式の墓もあること、果ては、2006年に台湾でテレビドラマとしてこの話が放送されたこと、この夫人の役には松田聖子が決まっていたのだが、ドタキャンしたことなど、まあ、いろいろ教えてくれた。このご夫婦のことは、夫からきいただけで涙がでてきたけれども、息子さんもいらしたそうだし、両親のいないその方が、戦中戦後どんなにか大変だったかまで考えてしまって、まあ、「水庫」という一つの言葉に、何日も気持がかかわってしまっている。・・・で、そこで再び冒頭の高野氏の歌に戻ると、その上の句が「秋の熊本に心は向かふ」とどう繋がってくるのかがわからない。熊本に有名なダムがあるのかと検索したら、たしかにダムはたくさんあるが、はたして、そのどれかと関係があるのやら、それとも??ちょっと情報過多になった頭を冷やさないと、肝心の一首がわかってこないようだ。・・・・・というようなわけで、この調子では、高野氏の「天平の水煙」を読み終わるのには、いったいどれだけの時間がかかることやら。楽しい時間になりそうである。
February 10, 2008
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Chinese New Yearの行事であちこちにぎやかだが、それとは別に、昨日・今日はRichmond Winter Festivalというのが、家のすぐ近く(万歩計をつけて歩いていったら、1500歩だった)で、市役所前の道路を閉鎖して広場を作って開催されていた。(昨年はいなかったので知らなかったが、これは昨年はじまったお祭りで、今年は二度目だそうだ。)なんでもこのフェスティバルは、2年後の今日開催されるオリンピックを視野においているとのことで、一つの大きなテントでは、オリンピックのために市内に建設中のスケート場の説明や、オリンピックのグッズの販売が行われていた。メインステージでは、いろいろな音楽が演奏され、たまたま私の行ったときは、市のコーラスグループが歌っていた。 (ただいま準備中) 足をとめて聞いている人は、ステージの上で歌っている人よりも少ないので、ちょっと寂しい。いつもは少年サッカーをやっているグランドには、テントがいくつも建てられて、チェス、将棋、碁などのゲームが行われていた。一つの台に盤を4個か5個ならべて、その前に客の方は一人ずつ腰掛けて駒を動かしているが、相手側では強い人が、対する側は、一人。全体に目をくばって、駒が動いた盤のところに一手をさしに行く。日本で見たことのある将棋の稽古と同じような仕組みだった。客の方はだいたい大人なのに、上手い人の方は、大人に混じって、小学4年か5年くらいの少年が二人もいて、さっさと次の手を打っていくことだった。知識がないので、その手がすごいのかどうかわからないけれども、なんだかすごそうだ!(昨夜来てみたときは、もっと人が大勢いて、「先生」たちは大忙しだったが、今日は昼間行ったせいか、なんだかひまそう。)市役所のテラスでは、屋外スケート場が設置されて、子供連れが楽しんでいる。
February 9, 2008
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バンクーバー短歌会2月の例会があった。今月は題詠で「飲む、呑む、のむ」途中で、「呑む」と「飲む」の使い分けについての話し合いがあり、広辞苑では同じように並べて書いてあるが、実際の感覚としては、「飲む」は液体に近いもの、「呑む」は固体に近いものに使われることが多いのではないかということで落ち着いた。ちなみに、私は、英語でいうのdrink が「飲む」、swallow や gulp が「呑む」のような印象を持っていたのだが、英和辞典をひくと、どれも「飲む」で訳語がでていたので、ちょっと抵抗があった。そういうところから類推すると、あるいは、現在の日本語では、「飲む」が一般的であって、「呑む」は特殊な場合にしか使われない字なのかもしれない。短歌会に出された作品は、定義的にしっかり意識して「わからないから」と、ひらがなにした良心的な一首があったけれども、他は、なんとなく身についた感覚で使い分けてられていたように思う。つきつめての立証することはできなくても、用例をたくさん知っているので、あまり考えずに使い分けられるのが母語なのかもしれない。たとえ、大人になってからの外国暮らしが長くなってきた場合であっても。・・・・・・・・・・・・・・・・ *「呑む」が使われた作品:酒好きな祖父に似たのか孫たちは結構呑める男子も女子も朝十時収集の車廻り来て生活(たつき)のゴミをグアーと呑みゆくしまッたと唸る声のす洗濯の渦に呑まれし子の定期券かくも赤き没り日ありしか息を呑み枯れ極まれる野に立ちてをり*「呑む」か「飲む」か迷ったのでひらがなにした作品その案はのめぬと言ひて席立ちし上司の姿ふと想ひ出づ* 他の34首は「飲む」を使って読まれていた。
February 8, 2008
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今日は、農暦の元旦。2006年1月29日の日記に書いたのと同じ場所に、ライオンダンス(獅子舞)を見にでかけた。年々盛んになる中国人のお正月のお祝いであり、今日から週末にかけては、あちこちでライオンダンスがあるが、出来る人も、機材も限られていると思うので、中で、市長と市会議員が出席して獅子の目をいれるところが一番よいのではないかと想定して、一昨年と同じ場所を選んだ次第。(昨年もあったのだろうが、私はバンクーバーにいなくて見損なった。)ショッピングセンターの吹き抜けになった箇所を利用した舞台で、1階で見ることもできるが、2階や3階から見下ろすこともできる。私は2階に陣取ったが、3階からは、先生に引率された小学校低学年らしい子供たちが大勢見下ろしていた。 背伸びしてライオンダンスを見つめをり時に歓声あげつつ児らは 水筆で形だけする目玉入れ昨年の獅子を使ひ回して獅子頭上下左右に振りて舞ふ太鼓の早きリズムに乗りて 獅子頭脱げば一人は少女なり汗の額に髪がはりつく胸の前に両手を合はせ振りゐるは目出度きときの挨拶ならむ振り駒の仕草に似たる挨拶を初めて見たり「おめでたう」らし残念ながら、今回の獅子舞は迫力がなくて、少々がっかり。ただただ、元気に走っているだけといったら、やはり失礼なのだろうけれども・・・。「市長のいるところ」という選択基準は違っていたらしく、うまい人たちは、別の場所で演技しているに違いない。そういえば、中国系の知人にはまったく合わなかった。今度は、もっと中国系の人から「内部情報」を見てでかけよう。
February 7, 2008
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明日は農暦の元旦だから、中国(and/or 中国出身)の方たちにとっては、今日がさしずめ大晦日。私の住むリッチモンド市は、人口の半分以上がその系統なので、あちこちがあわただしい。お祭りの準備でテントがたてられたり、交通規制の看板がたったりしている。そのあたりまでは楽しいのだけれども、疑問をもってしまうのは、なんと、今年は初めてのことだが、市内の公立学校が休みになることだ。昨年までも、なんどかそういう話がでて、「中国のしきたりだけを優遇するわけにはいかない」と否決されていたのに、今年はとうとう実現。当地で教師をしている長男の妻に聞いてみたら、「実際問題として、欠席者が多くて授業にならないから、苦渋の決断」だと言っていた。ついでに、テキサスで教師をしている次男の妻に言ってみたら、「What? I cannot believe it!」と呆れて笑いこけていた。日本語で言うと「しんじらんな~い!」というところか?学校が休みになれば、子供をほっておくわけにもいかないから、働く親の中には、中国系でなくても会社を休まなくてはならない人もいるのだろうな・・・。
February 6, 2008
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例年は、今頃はメキシコあたりで越冬しているはずのスノーギースが、今年は、沢山の群れがまだ町に留まっているので喜んでいたら、Richmond Review という町の新聞に関連記事がでていた。先週の寒波で土が凍ったときに、諦めて南にいった群れがかなりあったものの、まだ残っている群れもたくさんあり、公園や校庭などの芝生が荒らされたり、「落し物」がたくさんあったりして、あちこちで困っているのだそうだ。スノーギースがいたところは、広い範囲にわたって芝生が食いちぎられたり踏み荒らされたりで、「泥んこ広場」になってしまうし、種を蒔いても食べられてしまうし・・というわけで、市では公園の芝の手入れだけでも、かなりの費用がかかると言っているそうだ。たかが鳥と思うが、桁違いの数が長期間いるとこういうことになる。市役所では、市の公園については、「かかしを立てよう」とか、「番犬を置こう」とか、いろいろ案がでているらしい。(以前から、この地域を通過していくときに、あまり畑に近づくと、空砲を鳴らしていたところたあるのは気づいていた。私の所属クラブでも、どきどき、ドカーンと音をさせていたし)それにしても、毎年大旅行をして間違わずに帰ってくるだけでも渡り鳥の頭脳はすばらしいと思っていたが、それだけでなく、「今年から、ここで冬を越すぞ」と判断し、決定をくだし、それを全体に浸透させて、従わせ、その結果、長い長い南下を短縮して体力を温存、落伍する数も減って、しかも食べ物も確保できているのだから、スノーギースのリーダーは中でもすごい!あのガヤガヤと鳴き交わす声の中に、いろいろの指示(あるいはディスカッション)が含まれているのだろう・・。鳥語がわかったら、勉強になりそう!とにかく、人間としては、暢気に喜んでばかりはいられないことらしい。新聞では、来年からも居残るスノーギースは多いだろうことを警告していた。類が友を呼びつつ大き群となりスノーギースが町に居残る越冬地の変更を決め群れ中に徹底させたり雁のリーダー案山子、犬、空砲などとさまざまにスノーギースの撃退諮る歓迎をされゐしスノーギースたち長居しすぎて困惑を招ぶ
February 5, 2008
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毎週月曜日の朝、5時半からTVジャパンで「NHK短歌」の放送が見られる。前日、寝るのが遅くなった日なども、録画で見ればよいのだからそんなに頑張って早起きをするほどのことはないと思いながら、しかし体が覚えているので、ちゃんと5時少しすぎると目が覚め、ノートパソコンを起動し、熱い紅茶を入れて、テレビをつけて待つ。が、今日は、なぜかNHK俳句が始まった。それも「9月23日に放送されたものです」の字幕が出て。最近は、NHK俳句も見ているので、俳句でもよいのだが、いよいよ私もぼけて月曜日と火曜日を間違えるようになったかとびっくり。TV JAPAN のウェブサイトを開いて番組表をみると、今週は月曜日に俳句があり、短歌はない。「あ、俳句があるのに、短歌だけなくなったのかな?」と思って来週の番組をみると、来週は「NHK全国短歌大会」で1時間の放送。その次は普通にNHK短歌の番組が放送されるらしい。今週だけのことであれば、まあ、それでよいのだけれども、もっと寝坊すればよかった!6時半に起きたのでも、日常生活には支障がないのに・・・。数年前までは「NHK俳壇」の放送はされても、「NHK歌壇」の放送はされていず、「みんなでTV JAPAN にリクエストのメールを送りましょう」とか声をかけあって、その成果かどうかはわからないが短歌も放送されるようになり、喜びあったのを改めて思い出した。最近、感謝を忘れて「朝早すぎるよ。冷遇じゃないの~?」などと私も文句を言うようになったけれども、見られるようになっただけでも、本当はずいぶんありがたいことだったのである。何しろ、普段は忘れているけれども、日本とは太平洋を挟んだ遠距離放送になるのだし。
February 4, 2008
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バンクーバー短歌会の予習をしている。今回は題詠で、題は「飲む」「呑む」。ちょうど今、小島ゆかり『ごく自然なる愛』を読んでいるので、この歌集の中で、小島さんはどんな風に「飲む」「呑む」用いていられるかとさがしたら、ちょうど、一首ずつ目にとまった。「飲む」:ふくらはぎをぬるき風吹くゆふまぐれ白秋が濃きココア飲むころ「呑む」:あしびきのやまたちばなのあかき実を呑みてはうごく鴉の眼玉「ふつうなら飲むのだけれども、作者は『かみしめる』(白湯)」行く年や来る年やおもひ深ければそば湯のあとの白湯をかみしむこんな風に見事に使われている「飲む」「呑む」「(のまないで)かみしむ」にであうと、私の提出歌の中で使われている「飲む」という言葉が気の毒になる。でも、自分で使ってみているから、小島さんの作品のすばらしさがいっそう身にしみるのであって、それはそれで鑑賞上の役割は果たしてくれている・・・・としよう、一応。(歌会への提出歌は、歌会が終わるまで作者名を発表しないことになっているので、今のところ非公開)
February 4, 2008
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新幹線の車中にひとり聴きてをり自分の声の『やがての秋』を(人見忠、コスモス二月号)作者は、宮英子氏の最新歌集『やがての秋』をご自分で音読なさって、その本を持ち歩いていられる。新幹線の中でも、それを聴いて、観照。・・・・なるほど。音読で一回頭に入り、それを繰り返し聞くことによって、理解が深まる。なかなかよい方法だと思うので、私も何かを録音してみよう。
February 3, 2008
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コスモス1月号その一集より、私の好きな歌どう見ても月が走つてゐるやうで雲間に消えし月の素早さ(本田禎子)本当に、「どう見ても」そんな感じだ。ほとんど毎月(ほとんどではなくて、毎月なのかもしれない)特選の本田さんの作品。胸に住むもやもやいつか役立たむ原油となりし死骸のごとく(湯本直)ユニークな比喩。きっとその通りなのだろう。それとなく拒否の返事かわが息子微妙の二字でしめくくりたり(布施隆三郎)「それとなく」・・・ね。お刺身の半値となる間のひとときを宝石店のダイヤを覗く(宮崎小夜子)もう少し待つと、お刺身が半値になる・・・だったら、ちょっと時間をつぶしてから、スーパーに行こう。刺身の値段にこだわる気持と、ダイヤを見る気持の価格の格差が面白い。秋風がひしひしと寄る十字路に束の間探すわが乗る風を(渡辺ミヤ)下の句への展開が興味深い。運動会の昼のひとときグランドに子らの笑顔と青みかん匂ふ(安部はるみ)季節より少しはやい青みかんの匂いと、運動会の思い出は切り離せない。日陰モンで御座居ましてと遠慮がちに茗荷の咲かす淡き黄の花(高田孝子)機知にとんだ高田さんらしい一首。あの暑さどこへ行きしか触れるのも嫌と思ひしセーター捜す(入谷幸江)あの暑さの何十分の一でも、冬にとっておいてくれられたらよいものを・・・・骨董を値切るのも力仕事なりこの頃老いて言い値にて買ふ(奥村紀夫)なれないうちは、力仕事のように疲れる。好きな人にはゲームのようなものなのだろうが、時間もかかるし。草の秀に光る朝つゆまぶしかろむぎわらとんぼしほからとんぼ(玉井周子)あんなに大きな目玉だし、目を閉じることもないのかもしれないし。。。それぞれがそれぞれの虹宿しつつ子のしやぼん玉空のぼりゆく(宇井充子)楽しそう・・・・。 夢もそうやって膨らんで、空をのぼっていくのだろう。阿寒湖の水汲むごとく降りきたり北斗七星(ビッグディッパー)夜をかたむく(大塚守明)阿寒湖の上の空は、暗くて星がよく見える。比喩も美しい。疵ひとつ付けて緊張ほぐれたり新車のハンドルゆつくりと切る(阿部照子*)そんなものかなあ。・・・そんなものかもしれないなあ・・・・。私ならますます緊張するところだけれども、そういう個々との動きもあるのかと得心。初孫の婚約なりぬとほからず曽祖母(ひばば)ぞ小さくガッツポーズす(関好子)小さくとも「ガッツポーズ」するのがおばあさまなのだからすばらしい。婚約から心配が生れるのは母、単純に喜べるのが祖母。孫の誕生と婚約を直結して考える度胸があるのも、作者の世代が最後だろう。眼圧の検査受けむとレンズの前キリンのごとく首をのばせり(島田紘一)比喩が面白い。だれでもが使う比喩ではなく、それでいて、誰にも納得の行く比喩。
February 2, 2008
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2月1日になったから、題詠BLOG2008に参加表明をした。カナダでは1日でも、日本ではもう2日だったので、すでに30名近い方が参加表明をすませていた。今年も、題詠BLOG2008に参加専用のブログを別に作った。タイトルは考えた末、encantada. これで、一応、準備は整ったような気がしているが、さて、どうなるか・・・。昨年はちょっと雑だったので、今年は丁寧に詠めるとよいと思う。
February 1, 2008
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