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最近、ルイボスティーにはまっております。 ルイボスティーってご存知? 「ティー」とはいいながら、植物としての「茶」とは全く関係がなく、アフリカの一部に自生する灌木(雑草?)の葉を乾燥させたものですね。ま、一応、健康茶としての効能もあるようです。 で、私も前から一度飲んでみようと思いつつ、ハーブ系のお茶が苦手なこともあってちょいとためらっていたのですが、紅茶好きの林望さんもエッセイの中でルイボスティーを飲んでいるというようなことを書いていらしたので、それなら私にも飲めるかな、と。 で、私がよく紅茶を買う「ルピシア」というお店(ネット通販もあります)から取り寄せて飲んでみたわけ。すると、これがなかなかよろしい。 私が買ったのは、「キャラメル&ラム」という奴で、ルイボスティーにキャラメルとラムのフレーバーを足したものなんですが、これがかーなり旨いっす。ルイボスティー自体も独特の甘い風味があっておいしいのですが、ルイボスティーだけだと、紅茶に比べてパンチがないというのか、コクがないところがある。だもので、そこに「キャラメル&ラム」のフレーバーが加わると、その足りない部分が補われるわけね。 で、ルイボスティーはカフェインが含まれていないので、夜中に飲んでも寝付きが悪くなるということはありませんし、そういう意味でも、これ、教授の熱烈おすすめ!です。 残念ながら楽天市場では扱っていないようですけど、興味のある方はルピシアのオンライン・ストアへどうぞ!これこれ! ↓ルピシア・ルイボスティー「キャラメル&ラム」
July 31, 2010
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今日は何となくモスが食べたいなあ、ということになり、お昼にモスへ行ってナンタコスと抹茶シェイクみたいなのを食べました。久しぶりのモス、おいしかったです~。 で、食べ終わってそのまま帰っても良かったのですが、せっかく外へ出たので、ついでに本屋でも寄っていこうかと。 で、雑誌などを買ってそのまま帰っても良かったのですが、せっかくここまで来たので、ついでに「Bo Concept」でも寄っていこうかと。 Bo Concept というのは北欧系の家具を扱うインテリア・ショップなんですけど、我が家のダイニング・テーブル、と言うか、そのセットになっている椅子が大分ガタが来ておりまして、近いうちに買い替えないといかんなと前から思っていたんです。で、Bo Concept のような、デザインのいい家具を売っているところを一応見ておこうかと。 で、いきなりノックアウト。 入口から入って最初に目につくところにエクステンション機能付きのダイニング・テーブルが置いてあって、これがいきなり気に入ってしまった! テーブルの天板はウォルナットでミッド・センチュリー風なんですけど、中央のエクステ部分がメタルで、これがモダンな雰囲気を加えているんです。でまたそのエクステンションのメカニズムがすごく良くて、簡単な作業でテーブルを延ばすことができる。また四本足ではなく、中央のボードで支えるようになっているところもカッコいい。 で、このテーブルに合わせた椅子も4脚つけて、しめてウン十万両。あら~、ナンタコス食べるだけのつもりだったのに、でかい買い物しちゃったよ。いいのかね、サバティカルの身でこんな罰当たりなことして。 というわけで、予想外の、しかし大満足の大きな買い物をしてしまったわけですが、となりますと、問題は現在使っているテーブルと椅子をどうするか、です。 いやね、これ名古屋に赴任する時に実家から持ってきた奴で、実家で使っていた時から数えるともう三十数年使ったことになるのかな? ある意味、リアルなミッドセンチュリー家具にして、釈迦楽家の歴史が刻まれた一品。昔の家具は、作りがいいからね。 そういえば、何年か前、インターネット接続をしてもらうためにとある業者を呼んだところ、その方が仕事を終えた後、このテーブルをなでさすって、「これ、子供の時、実家にあったテーブルに似ているなあ・・・」と言い出したことがありましたなあ。で、話を聞いてみると、その方も私も出身が東京・神奈川周辺の同世代で、どうやら同じ家具屋さんから我が家のテーブルと同じものを買っていたことが判明、あまりの奇遇に驚いたことがありましたっけ。 そんな懐かしいテーブルを処分すると思うと、ちょっと悲しくなってきます。私はモノに対する執着が激しいからね。好きなモノは、人間と同じに見えてきちゃうの。だから、好きなモノを捨てる時は、まるで友達を裏切るような罪悪感があって、非常に気が進まないわけ。 かといって不要な家具を取って置くスペースがあるわけでもなし。仕方がないですな。 ま、とにかく、今日は予想外の面白い買い物をしてしまった、妙な一日となったのでした、とさ。
July 30, 2010
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岩波のPR誌『図書』の7月号の最後の方のページを見ていたら、岩波文庫から『釈迢空歌集』が発売になったことを知りました。 うーん。これは必買ですね。選者は富岡多恵子氏。 私、洋の東西を問わず詩歌の類にはまったく感性が働かない無粋な男でございまして、それはまあ、人から天下の名詩だと言われて読めば、なるほどそんなものかと感心しますけれども、そこまでと言いますか、それ以上、自分から進んで何かを読もうとするほどの意欲を持ち合わせておりません。 が。 どういうわけか、釈迢空(しゃく・ちょうくう)の歌だけは、実にこう、ピンと来るものがある。私の名前が「釈迦楽」で、名前の字面が近いということもあるのでしょうか。ないか。 例えばね、迢空の歌というのは、こんな歌: かそかなる幻--昼を過ぎにけり。髪にふれつつ 低きもの音 特に前半がいいよね~! 何か夢うつつの境をさまよいつつ、多分、思いのある人と夢の中で会っていたんでしょうな。そしてふと目が覚めたら、もう昼を過ぎていたと。ああ、寝てしまったんだな、と。 この呆然とした感覚。これがね。昼を過ぎにけりって。 でまた、釈迢空の短歌ではダッシュとか、句点とか、そういうのが入ることが多いのですけど、このモダンさ。 迢空の歌で一番有名なのは「人も馬も 道行き疲れ死ににけり。旅寝重なるほどのかそけさ」かなあ。あるいは「葛の花 踏みしだかれて、色あたらし。 この山道を行きし人あり」か。どっちもいいですけど、他にも良い歌は沢山あります。 というわけで、この本の存在を知ったからには早速取り寄せて、この夏の愛読書とすることにいたしましょう。夏に岩波文庫。くーーーっ! なんか高校生時代みたいで、いいですなあ!これこれ! ↓釈迢空歌集価格:735円(税込、送料別)
July 29, 2010
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昨日からNHKのBSでブルース・リーの映画を連日放映しておりまして、やっぱり見ちゃいますね。何せ私、バリバリのドラゴン世代ですので。 そう、小学生の時、初めて『燃えよドラゴン』を見た時の衝撃。たちまちクラス中に怪鳥音が響きわたるようになったという。そして、漫画雑誌の通販か何かで入手したヌンチャクを学校に持ってくる奴が必ず何人か居て。で、結局見つかって先生に怒られると。 その後、ジャッキー・チェン映画で再びカンフー・ブームが起こりますが、やっぱり私は第一世代として、ブルース・リーを上に置くかなあ。 『燃えよドラゴン』での鍛え抜かれた身体と技を堪能するのもいいけど、それ以前に作られた『ドラゴン危機一髪』における、若きブルース・リーのコミカルでナイーブな演技もいい。とにかく、独特の雰囲気と、優雅な物腰を兼ね備えた、稀有なスターでした。 もっとも、最近ではヌンチャク見ても、それが何か分らない若い人とかもいるようで、この種のものですら、あらためて教えなければならないのか、と、愕然とするところもありましたが。 さて、明日は『死亡遊戯』かな? 多分、これも見ちゃうんだろうな・・・。
July 28, 2010
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順番が逆になってしまいましたが、先週末、うちの科の合同同窓会がありまして、12世代にわたる代々の卒業生たちと旧交を温めて参りました。 いつも言うことですが、卒業生ってのは一人残らず可愛いもので、彼ら・彼女らと話していると、時間の過ぎるのを忘れます。 で、せっかく帰ってきてくれた卒業生の全員の声を聞きたいので、会場を飛び回ってそれぞれの世代の卒業生たちと話をしていたのですけど、そうなると一人一人と話している時間が短くなってしまって、本当はもっと詳しく近況を聞きたかったなあという思いが残ります。特に、遠くからわざわざ来てくれた卒業生に対しては、もっと話せれば良かったのですが・・・。 しかし、その多くが三十代に収まる彼ら・彼女らの話を聞くと、この年頃というのは色々な意味で人生の転機に差し掛かる頃だなあ、という気がします。結婚する、子供が生まれる、転職する、家を買う。そういう人生のビッグ・イベントの真っただ中で、奮闘している感じが伝わってきます。そういや、私自身もその年ごろにはそうでしたもんね。 またそれだからこそ、連中も久々に同級生と顔を合わせて、それぞれの経験を共有して楽しんでいたみたいです。 この同窓会は、大体2年に一度行われるのですが、次の時にはまた彼らとどんな話ができるのか、私は彼らにどんな報告ができるのか、今から楽しみです。
July 27, 2010
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今日、私のゼミ生たちと前期打ち上げの飲み会がありまして。 今年度の釈迦楽ゼミのメンバーは4人で、例年に比べて少ないのですが、とにかくその連中と、研究室では出来ない色々な話ができて、なかなか面白い一夜となりました。 ところでその過程で一つ、面白いことを聞きましてね。 どういうことかと言いますと、連中の話を聞いていると、その端々に「エイトの○○君」とか、「トキメキの××ちゃん」などという言葉が出てくるんです。どうやら同じ学科に所属している友人のことを指してこのように呼んでいるのですけど、この「エイト」とか「トキメキ」ってのは一体何なのか? で、そこのことろを聞いてみると、なんとうちの学科には、このような名前のチームが複数ある、というのです。 つまり、大きな学生集団としての「英米文化学科」と、小さな学生集団としての「ゼミ」の中間に、5、6人から10人程度の規模の、学生独自の集団がある、というわけ。もちろん、どこのチームにも所属していない学生もいますが、多くの学生が、どこかのチームに入っていると。 で、このチームは、別に趣味やスポーツのサークルとは異なって、集まって何か特別なことをするというのではなく、ただ何となく気が合うとか、価値観が近いという理由で一緒にいるのだとか。それでいて各チームでお揃いのTシャツを作ったりして仲間意識を高めているのだそうで。 ええ~っ! そんな話、初めて聞きました~。そうだったの~?! いやー。ちょっとビックリしましたね。何なのでしょうか、この学生文化は? 私の知る限り、ちょっと前にはなかったことだと思います。もちろん、いつの時代だって仲のいい子同士の小集団はありましたが、その集団に名前をつけて名乗り合ったり、お揃いのTシャツを作るほどの帰属意識はなかったはず。 うーん、今時の若い人たちってのは、そこまでして何かの集団に所属していないと落ち着かないとか、そういう感じになってしまったのかしら? それとも、これは自分たちを、それこそ「AKB48」的にグループとしてプロデュースしてしまおうという、妙な意図でも働いているのでしょうか? いずれにせよ、近頃の学生さんたちのありように、驚くというのか、あきれるというのか、気味が悪いというのか、逆に感心するというのか、何とも言い難い感銘を受けた今日のワタクシだったのでした。他大学でもこういう文化はあるのでしょうか?? もしご存知の同業者の方、いらっしゃいましたら、ご教示下さい。
July 26, 2010
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今日も暑いですなあ。 とはいえ、私は家から一歩も出ず、ひたすら原稿書き。しかし、これがまた遅々として進まないんだ・・・。一日やって10行とか、そういうペースですからね。しかも今日書いた10行がそのまま残るわけではなく、明日になれば気に入らなくなって全部消しちゃう、なんてことも珍しくない。つまり、一日の仕事がゼロ、ということもしょっちゅう。 もうね、フラストレーション、たまる、たまる・・・。 とまあ、そんな具合ですから、息抜きしないと死ぬわけ。 で、仕事の合間に色々な本を読むわけですけど、今ね、『Twilight』という本が一番、息抜きになる。これ、映画化もされた『トワイライト』の原作ですが。 何せアメリカで、それもティーンエイジャーの間でベストセラーになった本ですから、英語も比較的に易しいし、とにかく読み易い。内容も、結構面白いわけ。 じゃ、どんな内容かと言いますと、とある事情があってイザベラって女子高生が、太陽燦々のアリゾナから、毎日雨ばかりっていうワシントン州のフォークスっていう田舎町に移ることになり、必然的に転校生になる、というところから始まるんですけど、な、なんと、彼女が転校した高校には何人か吸血鬼の皆さんがいらして、で、当然予想されるように、イザベラちゃんはそのうちの一人と恋に落ちまして・・・という話。 はい。荒唐無稽と言われればそうなんですけどぉ。私のようにぃ、「大衆向けロマンス」なんてものを研究している者にとってはぁ、面白いこともありましてぇ。 つまりね、今、大衆向けロマンスの世界では、「パラノーマルもの」ってのが一番受けるんです。パラノーマルというのは、要するに人間以外のものと恋に落ちる、という常軌を逸したロマンスのことですが。で、その観点から言うと、『トワイライト』なんてのは典型的なパラノーマルなわけですよ。何せ、人間と吸血鬼の恋ですから。 で、パラノーマルの約束事として重要なのは、ヒロインが人間で、ヒーローが人間以外、という点ね。この逆はありません。これ、ポイント。 なぜか? それはですね、ロマンスにおいては、ヒーローが常に謎の人物だから。もともとロマンスでは、ヒロインの方がヒーローの心根が分らなくて悩むというのがルールなんですな。彼は、私のことどう思っているのかしら? 好きなのかしら? 嫌いなのかしら? って悩むヒロインの姿を楽しむのがロマンスの醍醐味なの。 で、その「心情が分らないヒーロー」の究極の形が、パラノーマルものなんです。何せ相手は人間じゃないんですから、彼が何考えているかなんて分りませんよ。その分らないところがいいんだなあ。彼、私に気があるのかしら? それとも・・・私の血が吸いたいだけなのかしら~、なんて。そりゃ、悩みますよね。実際、真剣に悩んだ方がいいと思う。命かかってるから。 ってなわけで、評判のパラノーマル・ロマンス『Twilight』、まだ私も読み終わってないですけど、現在のところ、面白いのでおすすめ!です。翻訳もあるしね~!Twilight[洋書]価格:1,008円(税込、送料別)トワイライト(上)価格:735円(税込、送料別)トワイライト(下)価格:714円(税込、送料別)
July 24, 2010
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最近、我が愛車・アルファロメオのネタが少ないですが、これは昨年の10月の排気系の故障以来、全然故障なく走っているからで、とりあえずは快哉を叫びたいところ・・・ ・・・だったのですが、このところの暑さにやられたのか、最近、停車中に突然エンストすることが2回ほど。アイドリングが安定しない時もあるし、あらら、ひょっとしてこれは何か良くないことの前触れなのでしょうか?? しかし、これまたタイミングのいいことに、ちょうど車検の時期でありまして、その辺の不具合の予兆も含め、整備しておいてもらおうと、今日、愛車をディーラーに持って行って車検の見積もりをしてもらったのでございます。すると・・・ 整備だなんだという前に、あからさまな欠陥がひとつ見つかったという・・・。タイヤです。 リフトで車体を揚げて下からタイヤを見たら、なんと前側のタイヤの内側のすり減りがかなり激しく、一部、ワイヤーが露出していた! これは待ったなしの状況です。早急にタイヤを変えなくてはなりますまい。 しかし、アルファもぶっといタイヤを履いているもんでねえ。4本換えると間違いなく10万円コース。はあ・・・。 とはいえ、タイヤは車の命。換えないわけには参りません。というわけで、どのタイヤを履くかの選択に入ったのですが、ディーラーの人曰く、総合的な性能の良さを追求したらブリジストンの「レグノ」がいいですよ、と。食いつきもいいし、音も静かなんだそうで。 なるほど。だけどワタクシ、ブリジストン・タイヤの味ってどうもピンと来ないんだよなあ・・・。なんかこうゴムが柔らかすぎて、ぐにゃっと来る感じがして。ま、これは個人的な好みの問題ですので、ブリジストンに問題はないですが。 で、私が首を縦に振らないもので、次に検討を勧められたのは、ハンコック・タイヤ。韓国系メーカーのタイヤですな。これは値段の割に性能がいいと。 うーん。ハンコックねえ・・・。きっと悪くはないんでしょうけど、こちとら腐ってもアルファですから。ハンコックじゃあ、いくらなんでもアルファが泣くんじゃないでしょうか。と思い、これも却下。 ということで、値段と性能を天秤にかけつつ、結局今回はミシュランを選びました。ま、ミシュランなら失敗はないだろうと。以前、プジョー306に乗っていた時はずっとミシュランでしたし、ゴムの「グニュ」感がなく、剛性感があって、ハンドルを切った時の追従の速さが気に入っていたのでね。ま、イタリア車なんだから「ピレリ」という選択もあったかもしれませんが、ひょっとして硬すぎるのではないかと、不安だったもので。 あ、ちなみにオリジナルは「ファイアストン」でしたけどね。ファイアストンって、確かブリジストン系ですよね? 悪くはなかったですが。 かくして、今回の車検は車検代プラス10万円コースとなったのでありました。そういや最近、某出版社から原稿料として何がしかのお金をもらったばかりなんですけど、臨時収入だ、ワーイ!、とか喜んでいると、途端にほぼ同額の臨時出費が待ち構えているって、どういうこと? なんだか、いつでもそうなんですけど。 「車というのは、売っても買っても損をする」というのは、モーター・ジャーナリストの草分け・徳大寺有恒氏のセリフですけど、けだし名言、ですなあ・・・。
July 23, 2010
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先日このブログでご紹介した特異なアーティスト・森村泰昌氏の展覧会「なにものかへのレクイエム」が豊田市美術館で行われているというので、今日の午後、このうだるような暑さの中、行って参りました。 で、その感想なんですが、総評としてまずとても良かった、とご報告しておきましょう。 他人に扮してセルフ・ポートレイトを撮るのが森村さんのアートですから、歴史上の様々な人物や映画女優などに扮した森村さんの、その見事なまでのなりきり具合を観るのが文句なく楽しい。私が「良かった」というのは、まず、そういう意味で実に面白い、ということです。 しかし、それはある意味、ただ単に「なるほど、そっくりだな。面白いな」だけで終わってしまうかもしれないものでもあって、その意味では森村さんのアートは非常に危険な、というか、真面目な芸術愛好家からそっぽを向かれてしまうような危険性を伴っているわけですね。こんなの単なるおふざけのパロディではないか、という・・・。 しかし、実際に彼の作品群を見るとですね、やっぱりそれだけじゃないところがあるんだな、これが。 で、今回、特にそれを感じたのは、セルフ・ポートレイトを使って作ったいくつものショート・フィルムを観た時。これがね、すごくいいわけ。 例えば、森村さんが三島由紀夫に扮したショート・フィルムでは、まさに三島由紀夫最後の露出となった市ヶ谷の自衛隊駐屯地での演説を再現しているんですけど、三島が死力を尽くして訴えた日本文化・芸術の立て直しというコンセプトが、一般の日本人に既に受け容れられないものになっていた、というその虚しさが実によく表れているんですな。三島に扮した森村さんの「聴け!」「清聴せよ!」という絶叫が、今でも耳に残っているほど。 それから、今回、一番感銘を受けたのは、「マリリン・モンローと兵隊」のショート・フィルムです。 まず冒頭、森村さんがマリリン・モンローに扮し、東大・駒場の900番講堂(学生運動華やかりし頃、三島由紀夫が東大の学生と話し合いをした場所)に降臨する、という場面が出てくる。そしてまた、マリリンがどこかの音楽会のようなところでピアノを演奏する場面もあったりして。で、その後(この辺のシークエンスが、今、曖昧ですが・・・)控室のようなところに戻ってきた森村さんがモンローのメーキャップを落とし、今度は名もない一兵士の扮装を身につけて控室を出ていくところが映し出される。 で、今度はその兵士が色々な場所に登場するのですが、やがて彼は古い自転車に花や楽器やイーゼルなどを積んで、どこかの海辺をとぼとぼ歩いている場面になるんです。(勝手に想像するに、多分、ロケ地は静岡県の中田島砂丘ではないかと。) で、疲れ果てた兵士は、その海岸でぶっ倒れてしまうのですが、しばらくしてふと気がつくと、少し離れたところに、やはり森村さん扮するマリリン・モンローが立っている。兵士は何事だろうとビックリした様子。 と、マリリンは純白のワンピースを残したまま虚空に消え、そしてそのワンピースが何故か血で染まるわけ。要するに、何か暴力的なものが、純粋なるマリリンを抹殺してしまった、ということを暗示するかのように。で、それを観た兵士は、血染めのワンピースを手にすると、一散に海へ駆け出し、海水でワンピースの血を洗い流そうとする。暴力的な過去を洗い流し、平和を回復したいという虚しいジェスチャーでしょうか。そしてその結果、先ほどのワンピースは、一枚の大きな白旗に転じます。 降参、という意思表示ですね。もう、いかなる暴力的なものにも加担しない、さっさと降参する、ということでしょう。 そしてその白旗を自転車にくくりつけてまた彼が海辺を歩いていると、今度は数名の兵士たちと遭遇する。銃を構えた彼らは、まだ闘う気が満々。しかし、そんな彼らに対し、我らが森村兵士はすぐに降参し、持っていた荷物を皆、渡してしまいます。そしてその降参のポーズによって、兵士たちもまた闘うことを止めるんですな。 そして森村兵士を含む、闘うことを止めた兵士たちは、力を合わせて先ほどの白旗を高々と掲げるのですけど、その姿が、例の、クリント・イーストウッドの映画でも有名になった「硫黄島で旗を掲げる兵士たち」の図に変わっていくという。 そして、また場面は展開して、一番最初の、マリリンがピアノを弾く場面に戻り、彼女は演奏を終える。観客は一人もいなくなっているんですが。 ま、あちらこちらうろ覚えのところもありますが、ショート・フィルムは大体、こんな感じで終わります。フィルムの最後に、森村さんからのメッセージとして、「あなたは、白い旗に、どんな色や模様を入れますか?」というようなアナウンスがあるんだったかな? もちろん、こういう種類のものですから、ショート・フィルムの解釈は観る人によって何通りにもあり得るのでしょう。しかし私としては、暴力、戦争、そしてその虚しさ。闘うことに対して必死で抵抗すること、あるいは闘うことを完全に放棄するという絶望的な身ぶり。しかし、そういう一種「崇高」とも言える行動も、流行遅れになれば誰も見向きもしない、という時代の残酷さ。そんなような様々なメッセージとして受け取りました。かなり強烈なインパクトと共に。 ま、同じ「硫黄島」のシーンが出てくるので比較してしまいますけど、イーストウッドが『硫黄島』で伝えようとしたメッセージよりもっと強いインパクトを、森村さんのこのショート・フィルムは観る者に与えてくるのではないかと。とにかく、確かにこれは「なにものかへのレクイエム」になっていましたね。 というわけで、森村さんの展覧会、教授の熱烈おすすめ!です。名古屋周辺にお住まいの方、必見です。豊田市美術館へ急げ!
July 22, 2010
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私が八光流柔術に夢中になっている一方、家内は最近、個人指導で本格的に「ピラティス」を始めているという。うちって、そんな体育会系だっけ? で、私も護身術にいいと思って家内に八光流の技をちょこちょこ伝授しているのですが、その分、家内からもピラティスをちょこっとだけ学んでおりまして。 ところでピラティスって、ご存知? ま、名前くらいは知っている方が多いと思いますが。 身体を鍛えると同時に、呼吸法も含め、精神修養的な部分もあるという意味でヨガにちょっと似ているところもあるようですが、実際にはかなり違う部分もあるらしいです。例えばピラティスの場合、専用のマシンを使った運動もあるんですって。もともと「ピラティス」という名前の人が開発した運動法なのですが、1920年代、第一次世界大戦での負傷兵の身体機能回復のために考案されたものなんだとか。負傷兵相手ですから、筋肉モリモリにするための運動ではなく、体幹をしっかり作り、インナー・マッスルを鍛えるという方向性を持つものなんだそうです。 ま、その辺のムズカシイことは置いておくことにしまして。 私が家内からまず学んだのは、腹筋を鍛える「ワンハンドレッド」という運動法。柔術なんかやっていると、自然と胸とか肩の筋肉が発達しちゃうんですけど、腹筋となるとなかなか。そこで、その部分についてはピラティスで引き締めちゃおうと。ま、そんなつもりで習ったのですけど・・・。 これがキツイ! やり方は、こんな風です。まず仰向けに寝ます。で、ここで重要なのは骨盤(要するに下腹)が床と並行になるようにするということなんですが、その状態で膝を折ったまま足を上げます。分ります? 腿が床に垂直、脛が床に並行、という意味で、クランクみたいな格好になるということですね。 で、この体勢のまま、上体を起こして自分で自分のへそを見て下さい。その際、首だけ曲げるのではなく、肩を持ち上げるようにすることを心がけること。 で、この苦しい状態で、両腕をまっすぐ伸ばしたまま、ハタハタと上下に100回振ると。100回振るから「ワンハンドレッド」と呼ばれるわけですが。これ、実際にやって見て下さいな。最初はとても100回なんて出来ませんよ。30回くらでギブ。 でもね、これは確かに腹筋に効くわ。実感あるもん。しかも、よくある普通の腹筋運動と違って腰を痛めないというのがとてもいい。お腹のタプタプが気になる御同輩、ピラティスのワンハンドレッド、教授のおすすめ!です。 というわけで、柔術とピラティスで心身を鍛え上げている、変な体育会系マッスル夫婦になってしまった釈迦楽家なのでありましたとさ。あー、腹筋が痛い・・・。
July 21, 2010
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うちの学科では毎年7月初め頃に「同窓会報」という小冊子状の印刷物を卒業生に送付することになっておりまして、今年も3週間ほど前に発送し終わったのですが、今年はどうもトラブルが多くて・・・。 いつもは郵便局を使うのですが、一度に大量の郵便物を送る場合、「送料別納郵便」というハンコを、出す側が郵便物全部に押さなくてはならないんです。それが結構な手間でして。 そこで今年はその手間がない、猫がどうしたとかいう名前の運送会社のメール便を使ってみたわけ。ところが・・・。 この会社のメール便の決まりによると、発送地から400キロ以内なら2営業日、400キロ以上なら4営業日に相手側に届くそうなのですが、5日、6日経ってもまだ届かないということを言ってくる人がありまして。で、そのことを、発送をお願いした営業所に文句を言うと、「調べておきます」みたいなことを言われ、その翌日、ようやく届いたとの連絡が。 文句を言ったらその翌日届いたとなりますと、文句を言った甲斐があったというものではありますが、じゃあ私が文句を言わなかったらどのくらい放置されていたのか・・・。 で、また今回ですよ。もう発送をお願いしてから2週間も3週間も経ったと言う時になって、まだ届かないという連絡が。 今回は、言ってきた人が最近引っ越したそうで、送り先と実際の住所が違っていたということもあるのですが、それにしても、もし宛先が違っているのなら、届かなかった送付物を、発送した私のもとに戻してもらわないと、一体誰に届いていて、誰に届いていないのか、分らないじゃないですか! で、今日、そのことを再び営業所に言ったところ、また「調べておきます」みたいなことを言われたのですが、その後、今日の夕方になって10通を超えるの「宛先不明」の送付物がどさっと私のもとに届いたという・・・。 つまり、ワタクシがクレームを出したので、ほっぽらかしにしてあった宛先不明の送付物を慌てて私のもとに送り返してきたとしか思えません。 クレームへの対応の早さは認めるとして、しかし、クレームを受けなければ何もしないで放って置くというこのいい加減さ! プロ意識のかけらもない! ということで、もう二度とこの猫がどうのこうのという運送会社のメール便だけは使うものかと決意したのであります。皆さんもご用心、ご用心。
July 20, 2010
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野球賭博問題に関連して名古屋場所中継中止を決定したNHK。で、その厳しすぎた「懲罰」の埋め合わせでもするつもりなのか、連日のように7時のニュースで名古屋場所の話題を取り上げております。それで帳尻を合わせようということなんでしょうか。 で、その論調は、「どうすれば暴力団とのつながりを断ち切り、相撲人気を回復させることができるか」というものなんですが、私はこれが大いに疑問です。 まず人気回復という側面についてですが、自然に人気が落ちたものについて、人為的に人気を回復させようという企図がまず無理。廃れるものは廃れるんだから、そのまま放っておけばいいんですよ。廃れてしまった地方の「祭り」と同じで、心を同じくして祭りをしようという人がいなくなってしまったのだったら、それは外部の人間が無理やり復活させようとしたって意味ないです。 大体、どうして相撲の人気が高くなければならないのか。そんな必要性はまったくないと思います。この世の中には人気のないスポーツなんていくらでもある。たとえばハンドボールの公式試合を15日ぶっ通しでやって、どのくらいの観客が動員できると思っているのか。 でもハンドボールが好きでやっている人もいるし、それを見るのが好きな人だって少しはいる。それで十分。相撲も同じです。好きな人が相撲取りになればいいし、相撲を見るのが好きな人がいれば、見ればいい。それだけのこと。なんで大相撲の場合だけ、常に満員御礼にならなきゃ国家的な問題なのか、私にはさっぱり分かりません。 プロレスだって、力道山の時代から随分人気がありましたが、今では主要なTV中継はなくなりました。だからといってNHKが連日、「どうしたらプロレス人気が回復するか」とか言いながら、街頭インタビューの模様なんか写しださないでしょ? 相撲も同じように扱えばいいんですよ。放送がなくたってプロレスは今でも存在する。相撲だって同じでしょうよ。人気がなくなったって、存続するだろうし、ファンも存続するでしょう。 だから、放っておきなさいって。 で、もうひとつ、相撲人気の凋落は、野球賭博のせいじゃないよ。 私のような根っからの相撲ファンに言わせれば、野球賭博のことなんかあんまり眼中にないです。それより、日本人の力士がいないことが問題。幕内上位を見てて、出てくる奴出てくる奴みーんな外国人、というのがつまらないだけ。いつも言うことですが、甲子園大会が国際化して、高校野球の試合のベスト16が全部、アメリカとキューバの高校チームだったら、誰が甲子園に足を運ぶのか。そういうことです。あるいは、もし歌舞伎が国際化されて、外国人が歌舞伎を演じるようになったら、誰が歌舞伎座に足を運ぶのか。 世の中には国際化していいものと悪いものがある。相撲は国際化すべきじゃなかったのに、国際化してしまった。そこにこそ問題がある。と私は思います。私はね。異論はあるでしょうが。 とにかく、もう相撲のことなんか放っておきましょうよ。もっと他に考えるべきこと、憂うべきこと、糺すべきことは沢山ある。それらに比べたら、相撲の優先順位なんてよっぽど下です。
July 19, 2010
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もう昨日のことになってしまいましたが、昨夜、大学時代のゼミの仲間が銀座に集結、久しぶりに旧交を温める会が開かれました。 久しぶりも久しぶり、かれこれ二十年ぶりくらいなのですが、11人居たゼミのメンバーのうち、最終的には8人が集まるという高出席率。いやー、懐かしい! それにしても驚くのは、ゼミの仲間たちの変わらなさ、ですね。さすがに二十年ぶりだと、それなりに年齢に応じたアレがあるのかと思いましたが、それは全然。特に女性陣の若々しい美貌を保たれているのにはビックリ。マジで「二十歳代?」という感じでした。さすが才媛揃いと言うべきか、完全な主婦というのは一人もいなくて、全員が何らかの形で社会で働いているか、働くための資格を取ろうとしている人ばかりのせいですかねえ。生き生きしているんですね。 でまた、容貌だけでなく、キャラも変わってなかったなあ。 イタリア在住のHさん、学生時代からちょっと天然なところがありましたが、その意表を突く発言に今回も笑わせていただきました。私が柔術を習い始めたと言っているのに、「釈迦楽君って、昔からダンスが得意だっけ?」などとわけのわからない突っ込みを入れてくれるし。今回は5歳のお嬢さん、シリアちゃんもご一緒でしたけど、娘さんとイタリア語で話すHさん、かっこよかったねえ。それにシリアちゃんの可愛いこと! こんな可愛い子、見たことないってくらい可愛かったですなあ。 今回の同窓会の陰の立役者、Wさんは物持ちのよさを発揮し、ゼミ時代の懐かしい資料を数々持参で会を盛り上げ、また学生時代にKさんとMさんがカナダへホームステイしに行った時の昔の爆笑エピソードを暴露。それによってMさんが、カナダのTVのディスコ番組に登場して踊っていたという武勇伝が明るみに。そしてそのカナダ旅行中、破天荒にして無防備なMさんを支えたしっかり者のKさんのエピソードも明るみに出て、現在、某有名銀行でファイナンシャル・プランナーをしているKさんに、ひとつ、皆の老後を託そうではないかと衆議一決。 一方男性陣では某有名出版社に勤めるイケメンのT君、飛行機嫌いのため、ずっと空の上バージンを保っていたにも関わらず、つい先日、遂に社命でアフリカの孤児院の取材に行かされ、往復数十時間の空の旅に往生したとのこと。もっとも空の上では身動きのできないT君ですが、地上に降りれば縦横無尽。定期的に銀座のバーにバンドを引き連れて出演して歌っているとの情報に、次の出演時に皆で聴きに行くことが決定。 会の最後の方になって登場したM君は、8月1日からロンドン勤務とのこと。前にも5年ほど駐在していたので勝手知ったるところではあるのですが、今回は現在中3の息子さんの進学のこともあり、単身赴任にするか、家族を呼び寄せるかの思案中。とはいえ、そこは空気のように軽いノリが身上のM君ですから、「ロンドン立教に入れちゃおうっかな~」などと軽ーく受け流しておりました。 そして、こんなわけのわからんメンバーを、いつも静かに、ほほえみを持って見守ってくれているMさん。今回もどっちに転がるか分からない会話の洪水を、適切なコメントを挟みながら上手に捌いてくれていました。実は彼女も今回の同窓会の陰の立役者で、会場の設定から何から何まで全てをトータルで面倒を見てくれていましたけど、たおやかなようで、実はメンバーの中で一番しっかりしているのはMさんかも。 というわけで、昨夜は久しぶりに大学時代に戻ったような気分でした。今は名古屋に落ち着いちゃったワタクシも、かつてはゼミの連中とTOKIOを徘徊していたんだよなあ・・・。そういう時代のこと、すっかり忘れていたけど、それを思い出させてくれたゼミ同窓会でした。この次は、また二十年後ということではなく、もう少し頻繁に催したいものですなあ。
July 18, 2010
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わけあって今日は実家に戻っております。 で、帰宅早々、両親から訴えられたことは、家のIP電話が昨日から使えなくなって不便しているとのこと。 ってなわけで、インターネットサービス・プロバイダに電話したりなんかしながら、不肖・釈迦楽、電話の復旧に取りかかりましたよ。 しかし、難題は山積み。だって、復旧に必要な「ログイン・パスワード」なんて、わが父上が覚えているはずもなし。で、それを書いた紙がどこにあるかも覚えていないわけですから、まずそれを探すことから始めなくてはならない。とにかく、時間がかかる~! それでも何とか設定をし直して、電話、復旧させました。機械音痴で鳴らすワタクシにしては快挙と言う他ない。 そして、試しにかけてみた電話がかかった時の充実感! 私、自慢じゃないけど、この種の機械類のトラブルを解決した時と、事務関係の書類を書き終わった時の方が、論文1本書き上げた時より達成感があるかも。とにかく、帰宅早々、親孝行しちゃいまいた~。 さて、実は明日はちょっとしたイベントがあるのですけど、それについてはまた、明日、記すことにして、今日はこの辺で休むことにいたしましょう。それでは、御休みなさーい。
July 16, 2010
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巷で評判のツウィッター、しかしワタクシ、まったく興味がございません。そんな、つぶやき程度のことを他人と共有してどうすんの。ブログは少なくとも自分の一日を総括するという意味で、つまり日記としての価値はあると思うのですが、ツウィッターはね・・・。 だけど、ツウィッター独特の言い回しってんですか? あの「今、○○をしています」という意味で使う「○○、ナウ」という言い方。あれは、面白いかも。 っていうか、我が家ではこの言い回しが大流行、ナウ。 例えば、夜、柔術の道場へ行く時も、普通に「行ってきまーす」などと家内に言う代わりに「柔術、ナウ」「修業、ナウ」「行ってきます、ナウ」などと言いながら家を出る。 って、文字で書くと全然面白くないですけど、これね、実際、発音すると可笑しいんだって! 何でも応用できるよ。「ご飯、出来た、ナウ」「ありがと、ナウ。すぐ行きます、ナウ」とかね。もう寝ようか、というのであれば、「就寝、ナウ」とか。 というわけで、この時間、そろそろ午後のティータイムなので、そろそろ仕事も切り上げる、ナウ。それでは、皆様、さようなら、ナウ!
July 15, 2010
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森村泰昌ってご存知ですか? 自からゴッホやモナリザ、アインシュタインや三島由紀夫、マリリン・モンローやマドンナなどに扮した上で、セルフ・ポートレイトを撮ってしまう空前絶後のアーティスト。その森村さんの半生を記した自伝が『芸術家Mのできるまで』(筑摩書房・2,095円)を読了したので、ちょっと感想を。 森村さんのエッセイが面白い、という話をどこかで読んで、それでこの本を入手して読んだのですけど、そうですね、私が当初期待したような意味では、さほど面白い本でもなかった、といのが正直なところかな~。 じゃ、私がこの本に何を期待したかというと、もっとエクセントリックな、ぶっ飛んだ内容です。何しろ森村さんがやっていることって、ぶっ飛んでいるでしょう? セルフ・ポートレイトだって言ってるのに、他人に扮しているというのですから、もう何がセルフなのかよく分からない、というね。そんなヘンテコリンなアートをやっている人ですから、その書くものもすっごくユニークなんだろうと、まあそう思ったわけですよ。 ところが、そうではなかった。森村さんという人は、むしろ、すごく普通の人でした。 もちろん人並み外れて才能豊かな人であることは間違いないし、また例えばサラリーマンとして社会人になれるような感じの普通の人ではない(事実、彼は最初に就職した会社を三日で退職している)。だけど、その感性はとっても普通でまともです。つまり、真面目な人ですね。 だもので、私が当初期待したような意味では面白くなかったのですけど、最後まで読んでみると、その普通さゆえの、真面目さゆえの面白さというのが確かにある、と、私は確信を抱くに至りました。 つまり、結局、面白いんですよ、この本は。 大体、森村さんを世界のモリムラにした「他人に扮してのセルフ・ポートレイト」にしたって、ごく普通の感性のたまものです。 森村さんが初めて他人に扮したのはゴッホだったのですけど、その成り行きにしたって、別に深い思想の後にたどり着いたものではありません。自分の耳を切り落としてしまった後の、あの例のゴッホの有名な自画像、あれを見ているうちに、森村さんは「なんか顔立ちが自分に似ているな」と思った、と。出発点となる発想は、ただそれだけ。 で、そういうことって誰にもあると思うんですよね。例えば私の親友のTも、いつだったか、口髭を蓄えてみたら、自分が教科書に出てくる正岡子規の横顔にそっくりであることに気付いた、とか言ってケラケラ笑っていましたもん。自分の顔が、どうかすると有名人の誰かに似ていると思う、なんていうのは、だから誰にでも経験のあることだと思うんです。 だけど、森村さんはそこで笑って済ませるのではなく、もっと完全にゴッホの肖像そっくりになってみたらどうなんだろう、という風に一歩発想を進めたんでしょうな。そこで一生懸命メークをしてみたり、背景も同じようにしたりして、最終的には自分の顔でゴッホの肖像画を完全に再現してしまった、と。そして、それが後に森村さんを世界的なアーチストに押し上げることになる、一連のセルフ・ポートレイト・シリーズに発展していったんですな。 だから、発想自体は凡人と同じなんですよ。だけど森村さんは、その平凡な発想をとことん突き詰めることによって、別なレベルのものにしてしまった。そこが掛け値なしにスゴイ。 でも、多分森村さん的には、別にスゴイことをやろうと思っているのではなくて、単に、真面目に、淡々と工夫を凝らして、完全なる模写を目指してゴッホになりきろうとしただけだと思うんですよね。 そういう普通なスゴさ、それが森村さんを今日の森村さんにしていると、私はそう思います。 その他、この本の中で森村さんが言っていることは、ごく普通なことばかりです。例えば、森村さんが女優シリーズなんかを出して少しずつ有名になり始めた頃、日本の美術評論家は高く評価したものの、作品自体はあまり売れなかった。ところがこれをアメリカへ持っていくとバンバン売れる。でまたこれをフランスへ持っていくと、フランス政府が数千万円規模の金銭的な支援をするから、もっとどんどん作品を作れと言ってくれる、と。 で、ここから森村さんは、次のような結論を導きます。曰く、日本の経済不況は深刻だ、それに対してアメリカは好景気だ。フランスは国家が芸術を支援する姿勢を見せる分、芸術に関して底力がある、と。 うーん、何たる平凡な結論! 穿った見方なんてどこにもない。 しかし、森村さんは海外でそれだけ高く評価されるアートを実際に生み出しているからこそ、この平凡な、しかし真理をついた、腹の底にこたえる結論に至れるわけですよね。私はそこがスゴイと思うわけですよ。誰にでもできることでは絶対にない。だから、森村さんが語る数々の平凡なエピソードを読むことは十分に面白いわけ。 というわけで、森村泰昌さんの『芸術家Mのできるまで』、その平凡なスゴさを味わえるという点で、教授のおすすめ!です。特に、高校時代の恩師の思い出を書いた「チュンさんのいる校庭」の章は、なかなかいいですよ。これこれ! ↓芸術家Mのできるまで価格:2,200円(税込、送料別) しかもね、この本、装丁もなかなかデラックスでいいんだ。日本の本で、しかもこの価格で、よくここまで洒落た装丁にできたもんですわ。 ところで、この本を買ってから気づいたのですが、今、豊田市美術館で森村泰昌さんの展覧会が開催中なんですよね。これは何かの縁ですから、私も近いうち、ここを訪れ、森村さんの作品の実物を見てこようと思っております。名古屋周辺にお住まいの方、こちらの方もお忘れなく!豊田市美術館・森村泰昌展
July 14, 2010
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今日、道場での稽古の後、皆で道着を着替えている時、一人の人が師範に質問をしまして。 ま、その質問は、ある意味、我々の誰もが一度は尋ねたくなる種類のものでありまして、曰く「八光流で、例えば空手のように突いてくる相手に対抗できますか?」。 で、師範はこれに答えて、こういう話をしてくれました。 昔々、ある八光流柔術の道場に、一人の空手家が道場破りに来て、そこの師範に試合をするよう詰め寄ったことがあった。ところが八光流では他流派との試合は禁じられているので、師範はこの挑戦を断った。 するとこの空手家、この道場に入門してしまったと。 で、その上で、その空手家は「先生、私がこう突いてきたら、先生はどうなさいますか?」と言いながら、空手の正拳突きで殴りかかってきたというのですな。そこで師範は八光流の技で伸びてきた腕を払った。すると・・・ 空手家の手首はバキッと折れてしまったんですと。 ま、そういうことがありました、と言って、師範は涼やかに微笑まれたんです。 八光流伝説・・・。 ま、信じるか、信じないかは、あなた次第です。 さて、今日は黒帯の先輩との稽古で絞られましたので、疲れました~。お休みなさーい。グーグー。
July 13, 2010
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前日にサッカーW杯の決勝戦をライブで、ということはつまり朝方の5時半頃まで見てしまったおかげで、すっかり夜型に戻ってしまったワタクシ。で、今日も夜中にNHK・BSでやっていた『さらば友よ』を観てしまいました。 アラン・ドロン、チャールズ・ブロンソン共演の1968年のフランス映画。ま、有名な作品ですから、ご覧になったことがある方も多いことでしょう。フィルム・ノワールというほど暗くはないけれど、ファム・ファタールに騙される男たちの話だから、一種のノワールなのでしょうかね。 私も子供の頃に、テレビで観て、特に最後のシーンに衝撃を受けまして。あの、アラン・ドロンがブロンソンの煙草に火をつけ、ブロンソンが低い声で「イエー」というのを受け、ドロンが「イエーーッ!」と絶叫して終わる、あのシーンですが。映画ってのは、こういう終わり方をするものか、と。 もちろん、それ以外にも印象的なシーンがいくつもあって、懐かしかったものですから、今回改めて観てみたわけですが、ところどころ記憶にないシーンがあったりして、結構面白かった。多分、テレビで観た時にはカットされていたちょっとHなシーンもあったりして。 で、この映画、理性的に観るとかなり訳が分らない映画でありまして、ストーリー的にも無理なところが山積み。だけど、そういう無理無理なストーリーでも見せてしまうのは、所々に痺れるシーンがあるからなんですよね。 特に、ブロンソンがカップになみなみと満たしたコーヒーをこぼさずに、5枚のコインを入れようとするシーン。アラン・ドロンを罠にはめた二人の女が、洗車機の中で話をするシーン。この二人の女を警察が射殺するのを止めようと、アラン・ドロンが廊下を走るシーン。そしてもちろん、先に述べた、煙草をめぐるラストシーン。 考えてみると、これらのシーン、お金は全く掛かってないですね。音楽で盛り上げることもないし。昔の映画は、こういうシーンで観客を虜にしたんだよなあ・・・。 でまたね、主演の二人の俳優の姿の美しいこと。アラン・ドロンのコート姿なんて、40年前の映画とも思えないほど。今、ファッション誌のグラビアに出してもおかしくない。またブロンソンのスーツ姿。これがまたキレイなんだよなあ。そして、背景もすごくて、例えばドロンとブロンソンが閉じ込められるビルの廊下やエレベーターに描かれた女の絵。あれがまた、ものすごいインパクト。 今日の映画の概念とはまたまったく違う美学で構築された昔のフランス映画、たまに観ると、新鮮でいいですなあ。 ってなわけで、一夜明けた今朝は、何となくノワールな、騙される男の美学の余韻を引きずっているワタクシなのでありました、とさ。イエーーーーーイ!!
July 12, 2010
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選挙サンデー、いかがお過ごしですかな? 私も今日は投票に行って参りましたよ。 で、投票の前に、各党のマニフェストを党名を隠した状態で読み、自分の考えに一番近いのはどこかを探す、というサイトを利用して、どの党を応援すべきかを見たのですが・・・。 結果から言うと、あまり参考にはならなかったという・・・。 と言いますのも、自分の考えの大半と一致する党が見つからなかったため。経済問題ではA党に近いけど、軍事問題ではB党に近い。教育問題ではC党に近いが、子育て支援問題ではD党に近い・・・、ってな感じで、バラバラなんですもん。 結局、ワタクシのようなのを「無党派層」っていうんでしょうね。 それでもまあ、なるべく考えの方向性が近いと思われる党を応援する方向で投票しましたけど、さて、私の清き一票は、無駄になったのかならなかったのか。明日の新聞が楽しみでございます。 それにしても、結果としてあまり見たくないのは、知名度だけで出馬しちゃう有名人の当選風景ですなあ。例えば選挙活動の合間に富士登山しちゃった人とか、選挙中逆立ちばかりしてた人とか。せめて三原某氏のように、なるほどこの人には立候補するだけの強い動機があるんだなと思わせるようなことを訴えて欲しいよね!
July 11, 2010
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話題になってから久しい「食べるラー油」、しかし、情報通の私としたことが、実はまだ食べたことがなかったという・・・。桃屋のラー油、略して「桃ラー」は、今や・・・何だろう、「キャビア=黒いダイヤ」に則して言えば、「みじん切りのルビー」とでもいいましょうか、とにかく貴重品でありまして、どこにも売ってないですしね。 で、ブームが落ち着き、桃屋の生産能力が需要に追い付くまで待つか、と思っていたんですが・・・。 なんと昨日、ついに家内が食べるラー油を買ってきてしまったという。 ま、「桃ラー」じゃないんですけどね。どこか、別のメーカーの奴。でも、近似値的な体験をするには、これで間に合うでしょう。 というわけで、昨夜、この食べるラー油という奴を白いご飯に乗っけて食べてみた、と。すると・・・ うまーい・・・・のか、これは? うーん、どうなんでしょうか。確かにサクサクとした歯ごたえは楽しいものの、もう少しこう、深い味わいを期待していただけに、ちょっとピンぼけっぽい味に、いささか拍子抜け。ちょっと期待外れではあったのですが、これはこのラー油がいかんのか、桃ラーならもっと旨いのか、その辺が分りませんからねえ。 で、一夜明けて今日となりまして。今日の夕食は「豚の冷しゃぶ」だったのですけど、ふと、このメニューなら、食べるラー油が合うのではないかと思い付き・・・。 で、ポン酢をたっぷりかけた冷しゃぶにですよ、件のラー油を乗せて口に運んでみたとお思いなせえ。すると・・・ うまーい! 今度はホントに旨いっ! 昨日、物足らないと思った味のパンチをポン酢が補ったというのか、さらっとしたポン酢にラー油とサクサクした具がコクを添えたというのか、とにかく両者相まってなかなかの味です。薬味の玉ねぎスライスやレタスとの相性もばっちり。 ということで、今日は食べるラー油の実力の一端を垣間見たのでありました、とさ。 ただ、残る問題は、やはり桃ラーの存在ですよね。果たして桃ラーは、本当に旨いのか? 昨日・今日食べた別メーカーの食べるラー油とは別格のシロモノなのか?? というわけで、もし桃ラーを既に食べたことがあるヨ、という方、いらっしゃったらその旨さのほどを教えて下さい。
July 10, 2010
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さて、昨夜、『SATC2』を観てきたわけですけれど、果たして『SATC3』は作られるのかどうか、という点についてちょっと考えて見たのですが。 で、この問いへの答えを先に言いますと、私の見るところ、その可能性は大いにアリですね。『SATC3』は、今から2年後くらいにまた作られるでしょう。 で、その前提の上で、では『3』の内容はどのようなものになるか、ということなんですけど、私が勝手に想像するに、次回作のテーマは、多分、「円満な結婚生活に於いて、子供は必要かどうか」になるのではないかと。 具体的に言うと、例の4人組のうち、現在のところシャーロットとミランダのところに子供がいるわけですが、2年後の設定の中ではこの二人(特にシャーロット)の子育ての大変な時期が一応過ぎ去ったということになっていて、ファミリーとして充実した時間を過ごしているところが冒頭で描かれるのではないかと。 で、この二人の充実したファミリー・ライフを傍目で見ているキャリーの心の中に、次第に「ひょっとして、私も子供が欲しいかも」みたいな願望が生まれてくる、という話になるんじゃないかと思うんですよね。で、同じく子供のいないサマンサに相談するも、完全な独身主義者のサマンサは、冗談じゃない、子供なんていらないわよ、とアドバイスする。 しかし、サマンサにそうアドバイスされればされるほど、逆にキャリー的には子供が欲しくなってきて・・・。 で、彼女はビッグに相談するんだけれど、年齢のこともあってビッグは取りあわず、二人のままで人生を楽しんだらいいではないか、というようなことを言う。そこで、子供を作るか作らないかで、キャリーとビッグの間に心のズレが生じる、と。 で、さて、どうなるか、みたいな。作るのか、作らないのか、自分で作るのか、代理母を雇うのか、養子をとるのか、みたいな。 多分、こういうストーリーになるんじゃないかと、私は予想するんですね。 なぜそう思うかというと、『SATC2』の随所にその伏線があったような気がするからです。 例えばゲイ・カップルの結婚式で、キャリーとビッグの隣の席に座った夫婦が、「私たちは代理母を使って子供を作る予定なんだけど、あなたたちは?」みたいなことを聞いてくるシーンがある。で、これに対し、キャリーは「うちは子供はいらないの」と返事をするのですが、返事をした後に、何だか少し気まずいような顔をする。まずこれがアヤシイ。 それから、『2』の中で、ビッグとキャリーが「私たちは他の人とは違う独自の夫婦のあり方を模索するのだ」というようなことを何度か宣言する場面があるんですけど、この宣言の具体的な顕れの一つが「我々は子供を作らない」ということなのでありまして、何となく、次回作ではこのあたりが揺らいできて、そこがいじられるのではないかという匂いが。 さらに、『2』のサブ・テーマの一つは、「子育てとキャリアは両立するか」であって、この話題がミランダに割り振られていたんですけど、これが『3』においてメイン・テーマに格上げされ、キャリー自身のこととして考察されるんじゃないか、という予感があるんですよね。 また、『2』ではこの映画の主要キャラであるゲイ・カップルの結婚が描かれたわけですけど、「子供を持つかどうか」というテーマに関して、このゲイ・カップルはどういう選択をするのかということが、『3』の脇筋になるのではないかと。 というわけで、色々な手掛かりから、ワタクシは『3』のテーマについて上のような予想をしているのですけど、さて、この予想、見事当たるでしょうか、それとも大ハズレでしょうか。 これをお読みの方の中でSATCファンの方がいらっしゃいましたら、私の『3』予想に同意・不同意のコメント下さーい。
July 9, 2010
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『セックス&ザ・シティ』をレイトショーで観てきました。ネタバレ注意~。 ま、好きな人が観る映画で、好きな人はすべて分かって観ているわけで、別に映画としてどうのこうの、というものではないんですが、まあ、そういうものとして、別に悪くはなかったです。 前作でキャリーはMr.ビッグとついに結婚したわけですけど、今回はあれから2年が経って、キャリーとビッグの間に倦怠期が来たというのか、ちょっとした機会毎に何となく気持ちがすれ違うようになった、という設定。で、そんなことが何度か続いた後、ついにキャリーは、ビッグの方から「週に二日ほど別居しないか」などという提案をされる、と。 ま、ビッグとしては、キャリーが要求するように毎日毎日、「キラキラした生活」なんかできないと思うわけですよ。仕事して帰って来るんだから、家に帰ったらのんびりテレビを見たり、ソファでぐったりしたりしたい、と。で、どうやらそれが不満らしいキャリーの様子を見て、それだったら週に何日か別々に暮らせば、その間、それぞれのんびりできるし、逆に一緒に居る時はアツアツで居られるだろうと。ま、ビッグはそんな風に思って、別居の提案をしたわけですね。 で、キャリーは納得できない自分の気持ちを抑えながら、渋々ビッグの申し出を呑むわけですが、保守的な友人のシャーロットから「夫婦ってのは、毎日ベッドを共にするものじゃないの?」というような、批判的なことを言われ、夫から別居を申し出られたことにあらためてショックを受けてしまうわけですな。 ま、そんなこんなでビッグとキャリーの夫婦関係に暗雲が垂れ込めだしたところで、例の4人組に中東アブダビへの豪華旅行のチャンス到来。キャリーもしばしビッグと離れてみて、あらためて二人の関係を考えようとするわけですが、何とそのアブダビでキャリーは元カレと出会ってしまう。さて、そんな状況でキャリーは何をするのか? というようなお話。ま、それに加えてキャリー以外のメンツの現状が色々な形で語られたり、中東でのカルチャー・ギャップの話題が出てきたり、という賑やかさ。もちろん4人組の派手なファッションもお楽しみということで。 で、いつもの点数ですが、うーん、72点かなあ。ま、この映画に関しては、別に点数をつける意味もないような気がしますが、やや点数が低めなのは、男として見ると、どうしてもビッグに肩入れしてしまうから。男から見て、ビッグは夫としてよくやっている方で、これに文句をつけられたら、(私を除く)世の殿方は、軒並み夫・失格ということになってしまう。ですから、私としてはキャリーのふるまいに共感できないんですよね・・・。ま、この点については、女性とは見方が違うかもしれませんが。 あと、これは映画のストーリーとはあまり関係がないのですが、この映画の最初の方で、ライザ・ミネリが友情出演みたいな感じで登場し、デスチャの曲を一曲、歌って踊るんですけど、これは見ものでしたね。すごい迫力。やっぱりライザ・ミネリは伊達にライザ・ミネリじゃないな、と思わされました。 ところで、予想されたことではありましたが、映画館の中で男性の観客は私を含めて二人ほど。後は全部女性。『SATC』はやっぱり、女性向けの映画なんでしょうな。家内と一緒じゃなかったら、ワタクシ、映画館に入れません。 でまた女性客の大半は20代前半とおぼしき若い人たちばかりで、この点についてもちょっと違和感。だって『SATC』ってのは、三十代、四十代、あるいは五十代じゃないと分らない話でしょ。二十歳の女の子たちが観て面白いんですかね? それにライア・ミネリが誰かも分らない、あるいは映画の中に登場する『ある夜の出来事』という古い白黒映画を観たことがないガキんちょに、この映画の何が分るんだろう? また逆に言うと、これはそういう年代の女性のための映画なのに、その年代の女性客があまり居なかったのはどういうこと? ・・・って、ちょっと思いました。つまり、観客層が違っているんじゃないかと。 ま、主婦はレイトショーなんか観られないのよ、と言われればそうでしょうけど、逆にそういう諦めがね、ちょっと寂しいな、と。 ま、映画とは関係ないけど、そんな感想も持ったのでありました、とさ。あ、『SATC』関連の話題、明日も続きまーす。
July 8, 2010
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八光流柔術の稽古で絞られて参りました。 さすがにこの時期、狭い道場に8名ほどの門下生が稽古に励むと、熱気がタダ事ではなく、もう道着が絞れるほど汗ビチョでございます。 しかし、今日はまた新たに二つ、強烈な技を教わって参りました。 一つは、前から首を絞められた時の技なんですが、まず自分の頸動脈を保護する方法を習い、その上である簡単な動きをするのですが、それで相手は完全に吹っ飛びます。私も師範にその技をかけてもらいましたが、まあ、きれいにぶん投げられました。 それからもう一つ、今度は逆に背中からガシっと抱えられた時の対処法なんですが、これも簡単な動きで見事に敵を投げられるんですよね。 いやあ、面白い、面白い。もう柔道なんてまるで目じゃないほど面白い。 その上、例の護身体操の一環として、心臓系に効く体操を習ったのですが、これも私のように日頃からニトロを携帯せざるを得ない者にとっては、ぜひ試してみたい体操です。 でまた、稽古の後に飲む水の旨いこと! この年齢になって、飢えた獣のように水を飲む快感を味わうことができるとは思いませなんだ。 ということで、身体はぐったり疲れているものの、精神的には実に爽快な私なのであります。柔術習い始めて、良かった~!
July 7, 2010
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先日、野暮用で大学に行ったところ、人事課の方に呼び止められ、ある人の消息を尋ねられまして。15年ほど前、私の同僚だったジョージ・ダナム先生が、今どこで何をしているか、知っているか、というのです。 で、事情を聞いてみると、ダナム先生は今年60歳になられるはずで、そうなると日本で働いていた数年間の分の年金が付くらしいんですな。だから、その支払い方法をどうするか、聞かなければならない、と。まあ、そういうことらしい。 で、そういう事情で私も久々にダナム先生の名前を聞いて、急に懐かしくなりまして。私とダナム先生は研究室が隣同士だったもので、何かと話す機会があったものですから。 ダナム先生は「外国人教師」として英会話などの授業を担当されていたのですが、先生の授業は、当時としてはかなり実験的なものでありまして、例えば学生を幾つかのグループに分け、それぞれのグループにシナリオを書かせて一種の劇を作り、それをビデオで撮って発表しあう、というようなことをやらせたんですな。教科書を使って淡々と進める授業ではなく、学生をどんどん自主的に動かすような、そういう授業の仕方だった。ま、気質的にちょっと短気なところもあって、学生が自分の思い通りに動いてくれると機嫌がいいものの、そうでないとすぐに怒り出す、という側面もあったようですが、それでも学生たちからは随分慕われていたものです。 また当時はうちの学科も小規模だったので、教員と学生が一緒に合宿旅行に行く、なんてことも多かったのですが、そういう時もダナム先生は我々と行動を共にされ、あちこちを旅してまわるのを楽しまれておりました。今でも思い出すのは、学生たちと一緒に三島由紀夫の『潮騒』の舞台ともなった三重県の神島を訪れた時のこと。島の無邪気な子供たちは異国からの訪問者に目を白黒させていましたっけ。先生は先天的に足がお悪かったのですが、そんなことはつゆほども気にしておられず、神島を歩き回った時も、私なんぞよりもよほど健脚だったことを覚えています。 しかし、当時、うちの大学では外国人教員には任期があり、ダナム先生も確か3年間の任期を務めた後、アメリカに帰国されたのでした。その別れ際、先生は私に封筒を一つ手渡されたのですが、何かと思って後で開けてみると、どういうわけかギターのピックが一つ入っていて、封筒の裏に「Keep on rocking!」と書かれていた。ロック音楽が好きだった私に、先生は「ロックし続けろよ!」というメッセージをくれたのでありました。この言葉の中には、体制に順応した大人になんかなるなよ、という意味も含まれていたでありましょう。 さて、事務の方からダナム先生のことを尋ねられた私は、そんな数々の懐かしいエピソードを思い出し、何とか先生の現住所を探し出して、たとえわずかなものであろうと年金を送り届けてやろうと、昔の卒業生に声をかけ、先生と未だ文通している者がいないかどうか、先生の消息を知っている者がいないかどうか、探したんですな。 ところが。 昨夜、卒業生の一人、K君から返事があり、私は彼から意外なことを聞かされたのでありました。それによると、ダナム先生は、既に亡くなっている、というのです。 え・・・。ウソだろ・・・。そんな・・・。 卒業後もダナム先生と連絡を取り合っていたというK君によれば、アメリカに帰られてからのダナム先生の人生は、あまり芳しいものではなかった、というのですな。先程も言いましたが、身体に不自由なところがあった先生は、アメリカでは教職にも、それ以外の定職にも就けず、たった一人の身内だったお姉さんのところに身を寄せて、日本に居た時に貯めた貯金を切り崩しながら生活をしていた、というのです。しかも、そうした肉親に頼った生活にも行き詰まり、しまいにはアメリカ中を転々と放浪しながら、荒んだ生活をされていたのだとか。 しかも、そうした荒んだ生活の中で、精神的にも不安定な状態になってしまったのだそうで・・・。 そんな先生のことを遠くから心配していたK君のもとに、先生のお姉さんから訃報がもたらされたのは、今から4、5年ほど前のこと。K君は当然、我々元同僚にもその連絡が行っているものと信じ、敢えて何も言わなかったんですな。 いやあ。そうでしたか・・・。 思えば、ダナム先生にとって、日本の大学で教鞭を執っていた3年ほどの間が、人生の中で一番充実していた時期だったのかな、と。またそうであったならば、私が先生に出会ったのは、まさにその時だったんですな。で、そんな先生との間に明るい、いい思い出しかなかった私は、その後の先生の人生の暗い影について、何も知らないで過ごしてしまった、と。 私に「ロックし続けろ!」と言い残した先生。その先生が自らグラグラと止め処なく揺らいで、転落し続ける道を歩み続けられていたとは・・・。 いま私は、形見となってしまったギターのピックを見つめながら、人生で一番良かった時の、あの人懐こいダナム先生の思い出と、そしてその後の荒んだ生活で心身ともに衰弱しきってしまった先生の姿を、一つに結びつけるのに苦労しているのであります。合掌。
July 6, 2010
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ボストン行きの航空チケットを取りに行きがてら、長久手にある「べら珈琲店」で午後のお茶をしてきてしまいました。もちろん名物の「ウィンナー・コーヒー」に、黒糖パンをトーストしたものにアイスクリームと蜜をかけた、これまた名物のお菓子を添えまして。旨し、でございます。 で、お茶をしながら雑誌を読もうと、お店に備え付けの雑誌を物色すると、ゴルフ雑誌とかタウン誌とか、ちょっと興味のないものばかり。で、仕方なく選んだのが『LEON』というファッション誌。そう、ジローラモさんがメインモデルをしている「ちょい悪オヤジ」御用達雑誌でございます。 ワタクシ、実はこの雑誌のことをあまり好ましく思っておりませんで。だって、「ちょい悪オヤジ」と言うコンセプト自体、カッコ悪いんですもん。だけど、他に選択肢がないのだから仕方がない。少しはクルマのことや時計のことなんかも載っているし、まあ、いいかと。 で、パラパラと読んでいたのですが・・・ ふむふむ、なるほど。はあ。なーるほどね・・・。 って、熟読しとるやん! 馬鹿にしていた割に、案外読みどころがあったという・・・。 っていうか、やっぱりカッコいいんですよね、イタリアの中年オヤジたち。ファッションのセンスが私を含めた日本の中年男性とはもう段違い。というか、日本の中年男性はファッションへの思いを、ほとんど捨てているところがある。父の日に子供からもらった甚平なんか家で着ているようじゃ、もう男もおしまいですからね。 そこへ行くと、イタリアの同年輩の男たちの色気たるや、どうよ。 同じポロシャツを着るにも、身体にピッタリしたサイズのダークな色合いのものを「イン」で着て、スッキリしたシルエットを見せつけたかと思えば、ハデ目な色合いのものを陽に焼けた、なよっとした感じで着て、リラックスしたところを見せたり、はたまたジャケットと合わせてちょっとフォーマルなところを添えたり(この場合、もちろん襟は立てる、みたいな)、と、まあ、カッコいいこと。 それからアクセサリーもね、さりげなく、しかしうまいこと身につけるんだ、あちらのオヤジたち。特に私の目を惹いたのは、「フレッド」のブレスレット。さすがに私がネックレスとか指輪とかをしたら柄に合わない感じがしますが、渋いブレスレットくらいならねえ・・・。 もう、ワタクシ、ちょい悪オヤジになっちゃおうかな、って。 その他、今時のちょい悪オヤジは「ほどマッチョな時計(=ほどほどごつい時計の意、らしい・・・)」をする、とか、「潮の香り」を漂わせるために、ヨット・オーナー風の純白のズボンを、しかも裾をまくり上げて履く(もちろんその下は「素足に靴」)とか、色々、情報を仕入れてしまいましたよ。ま、さすがに私もそこまで石田純一にはなりきれないか・・・。 ま、身の程に合わないことをしたら逆にカッコ悪いですけど、確かに日本男性たるもの、もう少し服装のことに気を使わないといかんかな、と、自戒の意味も含めて『LEON』を見直してしまったのでした、とさ。
July 5, 2010
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昨年同様、今年の9月もアメリカに滞在する予定なのですが、今年は勝手知ったるロスではなく、東海岸、ボストンに行ってみようかな、と。ハーバード大学やボストン大学など、有名どころがありますし、アメリカ文学の歴史から言うと、見ておくべき場所の宝庫みたいなものですからね。 しかし、ロスの場合と異なり、定宿があるわけでもなし。まずは短期滞在のアパートを探さなくてはなりません。というわけで、今日は午後から家内とパソコンの前に陣取り、インターネットで様々な不動産系サイトをサーフィンとあいなりました。 もちろんボストンと言っても広いので、ボストンのどの地域に住むか、ということもありますし、またもちろん費用の点も考慮に入れなくてはならない。私がもらっている科研費からすると、週当たり1000ドル以下、できれば800ドルから900ドルくらいが資金面の限界というところ。 で、とりあえずまあ、この辺なら納得できるか、というのを3件ほどピックアップしてメールで問い合わせをしておきました。まあ、こういうのも自宅に居ながらにして出来るのですから、便利になったものです。 とりわけ、なかなかいいなあと思ったサイトを一つ、ご紹介しましょう。「VRBO」というサイトなんですが、アパートのオーナーがネット上に自分の物件を紹介しているのですけど、アメリカだけでなく、世界中で短期滞在のアパートを探すことができる。これ、見ているだけでも結構楽しめますよ!これこれ! ↓VRBO しかし、実際に住むところを選定し始めると、途端に気分も盛り上がるもんですな! ということで、住む場所を確保する一方、明日はお気に入りの外資系旅行代理店「IACE」に行って、ボストン行きのチケットでもゲットしてこようかな、と。日本からボストンまでの直行便はないようですが、名古屋からですとデトロイト経由で行く方法があるのではないかと。 あ、それから国際免許も取らなくては。色々、やるべきことがあるなあ・・・。 それにしてもアメリカ東海岸、どんな感じなんでしょうか。NY以外、そちらに行ったことがない私としては、いつものロス行き以上に、「外国に行くんだ~」という気分が盛り上がっているのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
July 4, 2010
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昨夜、ブラジル対オランダ戦を見てしまいました。 日本代表が敗退してワールドカップへの関心もやや落ちましたが、これからは強豪国同士の対決ばかり。特に優勝候補筆頭のブラジルチームの登場となれば、つい観戦したくなるというものではないですか。 で、前半、ブラジルの攻守にわたる見事なプレーの連続に、これが世界トップのレベルかとあらためて感心することしきり。前半は1対0で折り返しましたが、この調子では最終的には3対0くらいでブラジルの勝利だろうと。私だけでなく、あの試合を見ていた誰もがそう思ったことでしょう。 ところが。 後半、セットプレーからややラッキーな形でオランダが得点すると、そこから試合の形勢は大逆転。押せ押せのオランダに対し、ブラジルチームはボロボロ。攻めは単調にして強引。そして焦りから守りもファールの連続で、しまいにはレッドカードまでくらい、数的劣勢に立つ羽目にも。結局、オランダチームの追加点を許してまさかまさかのベスト8敗退。 いやー。ブラジルほどレベルの高いサッカーをやっていても、一旦歯車が狂いだすと、もう止めようもなくボロボロになってしまう、というのを目の当たりにして、逆の意味で見ものではありましたね。 やっぱり、スポーツってのは、技術だけでなく、メンタルの部分が大きい、ということを改めて教えられましたわ。ほんと、後半戦だけ見たら、あのブラジルが、負けが見えて苛立つ子供のサッカーチームみたいでしたもんね。 それにしても、オランダ対日本の試合で、スナイデルの一発をくらった一瞬を除き、後の時間帯はほとんど攻撃らしい攻撃をさせなかった日本代表チームの鉄壁の守り。あれがいかに凄いことだったか、今更ながら思い知らされます。日本代表のディフェンス陣、お見事!でした。 さてさて、今日はまたアルゼンチン対ドイツですか。うーむ、やっぱり観戦せざるを得ません。メッシの妙技が炸裂するのか、イングランドを粉砕したドイツチームのスピードが勝るのか、目が離せませんね!
July 3, 2010
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今日、野暮用があって大学に顔を出したところ、人事課から何やら封筒が届いていまして。何かと思って開けてみたら、何と、私の通信簿でした。 ひゃー! ついにこういう事態に立ち至りましたか・・・。 最近、文科省の圧力で国立大学でも色々うるさいことが多くなりまして、教員は毎年、その前年に挙げた業績を当局に報告しなくてはならないんです。 いや、そういう制度は昔からあったのですが、それは昇任人事のために必要だったからなのであって、もう教授になってしまった人にはあまり関係がなかったんです。 ところが最近のこの調査は、昇任とは関係なく、すべての教員の勤務状況を調べるために行っているんですね。そのため、学術的な意味での業績だけでなく、何コマ授業をしているか、委員会にはいくつ所属しているか、ちゃんと教授会に出席しているか、自己啓発のためのセミナーなどにちゃんと顔を出しているか、というようなことまで調べあげるわけ。 で、今までは各教員が書類を提出するだけで良かったのですけど、今年からその書類を大学当局が審査して、判定を下す、というところまでやることになったんですな。要するに、大学の教員一人一人の通信簿をつけようというわけです。 で、今日、その通信簿が届いた、と。 で、私も恐る恐る開けてみましたよ。すると・・・「水準に達しています」 ですと。 これはどういうことかと言うと、「大変良くできました」「良くできました」「水準に達しています」「もう少し頑張りましょう」「もっと頑張らないとクビです」という5段階評価の真ん中、ということですな。普通、というわけ。 うーん、微妙! 下二つの範疇に入らなかったことを喜ぶべきか、上二つの範疇に入らなかったことを悔やむべきか・・・。 だけどさ。 馬鹿にしてるよね。ふざけるなって。こちとら安い給料で、それでも色々一生懸命大学のために働いているっつーのに、何が「水準に達しています」だよっ! 何様のつもりだっ!! その昔、私がこの大学に赴任したての頃、授業の進め方について先輩の先生にアドバイスを求めたところ、「大学には、他の先生の授業に一切口を出さないという不文律があってね。だから他の人がどういう授業をしているかなんてことは気にせず、自分のやりたいようにやればいいんだよ」と諭され、なるほど大学というところは、それぞれの教員に自由が与えられていて、それと同時に、すべて自分の責任でやっていかなくてはならないのだな、という、一種清々しい覚悟のようなものを植え付けられた記憶があります。 しかし、そんな美風も今は昔。今じゃ、学生と同じく、教員も監視され、評価され、尻を叩かれるようになっちまった。これじゃ、サラリーマンの勤務評定と同じじゃん。研究者各人の自由も責任も覚悟も、あったもんじゃない。 ま、大学当局や文科省は、実際、そうやって縛りをかけたいのでしょうが。 とにかく、「ちゃんと見張ってないとサボるだろう」というコンセプトで大学を運営しようってわけですよね。子供扱いもいいところですわ。馬鹿にしやがって・・・。 あー、ますます腹が立ってきた。いいか、大学当局、それから文科省、テメーらなんざ下種の極み。釈迦楽様が「水準以下、クビ寸前」の焼印を押してやるわっ!
July 2, 2010
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昨夜、レイトショーで『アイアンマン2』を見てきました。以下、ネタバレ注意でーす。 前作でアイアン・スーツを完成させ、アイアンマンとなったトニー・スタークですが、その後、彼は自らがアイアンマンであることを公表、彼一人の圧倒的な力で世界紛争を抑制、もって世界平和を維持するという役割を果たすようになっていた、というところから話は始まります。 何せ世界平和はアイアンマンの手で維持されているわけですから、マスコミや一般市民は彼をヒーロー視するわけですが、そうした華々しい生活がある一方、色々と面倒な事態も生じてくる。アメリカ政府は一人の気まぐれな人間が世界平和を維持していることを不安視し、米軍にアイアン・スーツを引き渡すよう様々な圧力をかけてくるんですな。また北朝鮮やイランなどアメリカに敵対する諸国家も、自らアイアン・スーツに匹敵するものを開発しようと躍起になっている。さらにスターク・インダストリーをライバル視するアメリカの武器製造会社ハマー・インダストリーの社長ジャスティン・ハマーは、何とか自前のアイアン・スーツを作り、トニーの鼻をあかそうとしている、と。 しかし、さらに深刻だったのは、トニー・スターク自身の健康問題です。アイアン・スーツの動力源であると同時に彼の生命を維持しているアーク・リアクターに使われているパラジウムによってトニーの身体が蝕まれていたんですな。もちろんトニーもそのことに悩み、パラジウムに代わる無害な新元素を発見しようとするのですが、どうしても見つからない。 そして、それが見つからない以上、自らの命が長くもたないことを自覚したトニーは、自暴自棄な奇行を繰り返すようになり、それを知らずにいる周囲の人々、とりわけ秘書にして恋人でもあるペッパーや、トニーの友人で味方であるローディ中佐などとの関係が悪化、特に軍人でもあるローディは、トニーの奇行に愛想を尽かし、アイアン・スーツの一着を軍と結託したハマー・インダストリーに提供するという行動にも出ます。 そんな中、さらなる危機がトニーを襲うことに。 スターク・インダストリーの生みの親でもある、今は亡きトニーの父親・ハワードと共にアーク・リアクターの開発に尽くしながら、ある事情でシベリアに抑留されることになり、失意のうちに亡くなったアントン・ヴァンコの息子、イワン・ヴァンコが、トニーを父親の敵とみなし、彼を亡きものにすべく「エレクトリカル・デス・ウィップ」なる鞭状の武器を開発。トニーのライバルであるジャスティン・ハマーの後ろ盾を得て、グローンなるロボット部隊も作り上げて、トニー/アイアンマンに迫ってくる。 さて、こうした状況の中で、トニーはパラジウムに代わる新元素を見出し、イワン・ヴァンコやジャスティン・ハマーらから身を守ることはできるのか? ローディ中佐との友情の回復、ペッパーとの関係の修復は出来るのか?? というような話です。 で、私のこの映画への点数ですが・・・ 「77点」でーす。80点まで行かないけど、見て損した感じはしない、というところかな~。 ちなみに、『アイアンマン』と『アイアンマン2』のどちらをより高く評価するかと言いますと、私は前者を圧倒的に支持しますね。 大体、『2』では、ストーリーに弱いところが色々ある。例えばトニー及びスターク一族に恨みを抱くイワン・ヴァンコですけど、ちょっとね、逆恨み的なところがあって、共感できないわけ。ハワード・スタークが悪意を持ってアントン・ヴァンコの発明を奪った、というのならアレですけど、そうじゃなくて、ハワードと共同で開発したエネルギー発生装置をアントンが悪用しようとしたために、ハワードはアントンをソ連に追放したんですもん。それを恨むのは、いかがなものかと。 それから今回から登場するトニー・スタークの新秘書・ナタリーの位置付けがね、どうもはっきりしない。彼女は実はアイアンマンの支持母体でもある秘密組織「シールド」からの回し物で、トニーの「世界平和維持者」としての適性を監視する役目だった、ということが後に分るのですけど、シールドとトニーのかなり緊密な関係からして、敢えてトニーを秘密裏に監視する必要性がよく分らないし、ナタリーの登場でトニーとペッパーの関係が悪化することになるような、ならないような、ペッパーとナタリーがトニーを巡ってライバル同士になるような、ならないような、という、その辺の関係性が今ひとつ曖昧です。 ・・・と、そんな感じで色々納得できないことがありまして。 しかし、それでも『アイアンマン』シリーズに共通する美点といいましょうか、トニー・スタークという人物のキャラクター、これは相変わらず面白いです。例えば正統派ヒーローである「スーパーマン」とは対極にあるヒーロー像(正義感もそんなにないし体格も小柄、性格・人格に問題点大アリ、お調子者でいい加減で女たらし・・・)を、ロバート・ダウニー・ジュニアが好演していて、なかなかよろしい。結局、ロバート・ダウニー・ジュニアゆえに、つい見てしまう映画なんですな。 ということで、『アイアンマン2』、前作には及ばないとはいえ、一応は楽しめる映画にはなっておりますので、その程度のものとしておすすめしておきましょう。 ところで、映画のエンディング・ロールがすべて終わった段階で、次の作品につながるようなシーンがチラッと登場します。この映画をご覧になる場合、本編修了とともに映画館を出てはいけません。最後の特典映像を見逃すことになりますよ~!
July 1, 2010
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