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今日はアメリカ生まれの卸売巨大マーケット・コストコで買い物をしてきました。 既にコストコのことはこのブログでも何度か言及しておりますが、とにかく圧倒的な物量で迫るこのマーケット、何度行っても楽しい! とにかく何でも売る単位が半端じゃない。おなじみの絶品コーンブレッドにしたって、大きな袋にパンが40個くらい入ってますからね。液体洗剤だってガロン入りですから、4リッターで売ってます。石鹸だってダース売りだし、もちろんビールはケース売り。肉なんかですと、牛肉とかは2キロ単位くらいで塊の肉を売ってますよ。 で、そんな売り場を巨大カートを押しながら回り、コーンブレッド一袋、オーストラリアのビール1ケース、バケツ大のティラミス1個、12個入りのマフィン、洗剤2ガロン(8リッター)、石鹸1ダース、プロシュート沢山、電池沢山、クッキー沢山、ビルケンストックのサンダル、紅茶沢山、その他あれこれ沢山買ったら、最終的にお会計が3万6千円になっちゃった。買いすぎ? でも、量と質から言えば、5万円分くらいのものを買ったのではないかと。やっぱりコストコは卸売だけに圧倒的に安い! ちなみにコストコでは、家電製品(GE製の冷蔵庫など)やパソコン、時計なども売っていますが、その中でTEAC製のミニコンポを売っていて、これがなかなかスタイリッシュ。スピーカーは左右一対+低音用ウーハー付き、iPod対応にもなっていて、なかなかモダン。今実家で使っているミニコンポが半分壊れかかっているので、衝動買いしちゃおうかな、とも思ったのですが、寸前のところで理性が勝ち、結局買わなかったという・・・。 でも、家に帰ってから、やっぱり買っておけばよかったかと、ちょっと後悔。近いうちにもう一度コストコに行って、じっくり考えた挙句の衝動買い(何だソレ?)をしちゃおうかな~、なんて。 ま、たまにこういう「山のような買い物」をすると、何だか気が大きくなりますね。ショッピングってのは、やっぱり一種のストレス解消法ではありますな。 ということで、今日は車のトランクが一杯になるほどの買い物をして、いい気分のワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
March 31, 2010
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さてさて、今日は午後から東名をかっ飛ばして、東京の実家に戻って参りました。 ところで、車内で色々なジャンルのCDを聴いていたのですが、その中にお気に入りのジャズ・ボーカル、マット・デニスの『プレイズ&シングス』も入っていて、このCDの最後に「Let's Get Away From It All」という曲がある。ま、歌詞は別に複雑なものではなく、飛行機に乗ってセント・ポールに行こう、あるいはボストンに行ってチャウダーを食べよう、それからナイアガラに行って滝壺でも覗いて来よう、とにかく家なんか二人で飛び出して旅に出よう、48の州を全部回ろう、そして48回「愛している」と言ってあげるよ、というような内容なんですな。その軽い内容の詞を、マット・デニスの軽妙な弾き語りで軽やかに、楽しげに歌いあげると。 で、聴いていると思わずいい気分になってきて、また実際、車を駆って名古屋から東京を目指している時に聴いたりすると、とてもふさわしい感じです。 で、いい気分で聴きながら思ったのですけど、アメリカの歌謡曲って、アメリカの地名を沢山編み込んだ歌が多いなって。ジェイムズ・ブラウンの「Living in America」とかね。サイモン&ガーファンクルの「America」とかね。要するに、あちこちを旅しながらアメリカを経巡る、というタイプの歌謡曲が人気だ、ということなんでしょうけど。 でも、この種の歌って、日本にはあまりないのでは? 土地土地を歌う歌は多いけれど、あちこち経巡るという歌は少ないのでは? やっぱり、ジョン・スタインベックが『アメリカ、及びアメリカ人』という本の中で指摘しているように、「移動」というのがアメリカ人のDNAに根強く染みついているのでしょうか。ま、アメリカの地名には、歌詞にしたくなるようなもの(特にインディアン系)が多いですからね。例えば「マンハッタン」にしたって、歌詞になる地名ですよね。 とまあ、そんなどーでもいいことを考えながら、東京へ戻ってきたワタクシ。明日からはしばらく東京からのお気楽日記、お楽しみ下さいね~。じゃ、お休みなさーい。
March 30, 2010
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今日は入試関連の仕事が急に入って大学に行かなくてはならなかったのですが、大学っちゅーところは、行けば必ず野暮用が次々とかぶさって来るところでありまして、予想外に色々な仕事をする羽目に。やれやれ・・・。 ところで、春休み中とてひっそりと静まり返った研究室棟の我が研究室に向かうと、廊下の奥の方から何やら人の気配が。誰かと思えば、この4月から東京方面の他大学に移籍されるM先生。研究室を引き払うために、今日も出勤されていたんですな。 ということで、私の方の仕事が一段落したところでM先生を誘い、共同研究室で二人でお茶を飲むことに。先生とゆっくり話ができるのも今日が最後でしょうからね。 で、先日の卒業式・謝恩会の感想やら、移籍先の大学での勤務状況などを伺ったり(うちの大学より持ちコマ数がずっと少なく、しかも専門の授業の担当が多いとのこと、羨ましい!)したのですが、そのうち話が英語の授業の話になりまして。 ま、大学というところはそれぞれの教授が自分の好きなように授業をすることになっておりまして、また互いに干渉し合わないというのが暗黙のルールになってもおりますので、私はM先生がどのような英語の授業をしているか、今まで知らなかったのですが、伺ってみると、意外なことに、文学作品を読んでいらっしゃる、というのですな。つまり、英米の小説を授業中に読んでいると。 いや~。実は私も十数年前まではそうでした。しかし、その後、「文学なんて役に立たないから、もっと実用英語的なことをやって欲しい」という大学側からの要請もあり、最近は英語の授業で英米の小説を原文で読む、なんてことはまったくやっていなかったんです。しかし、M先生はそういう状況をも顧みず、敢えて文学作品を読んでいたと。 で、「授業で小説とか読むと、学生の受けが悪くないですか?」と尋ねると、「全然そんなことないですよ、むしろ好評でしたよ」とのこと。M先生曰く、「学生たちは、物語を欲している」のだとか。 で、じゃあ、実際にどんなものを読んでいらっしゃるのか、さらに突っ込んで聞いたところ、2ページから3ページで読み切れるショート・ショート的な英語の小説をこのところずっと読んでいらっしゃったのだそうで。これなら毎回の授業で一話完結の物語を読み切れるので、ちょうどいいのだとか。ショート・ショートというと、何だか二流・三流の作家のSF作品みたいなものを想像してしまいますが、実際には英米の著名な作家のものすごく短い短編作品を集めた大学生向け教科書が、あちこちの出版社から出ているのですって。 で、その教科書の使い方ですが、M先生は受け持ったクラスの学生を二人ひと組のペアにして、例えば何ページの何行目から何行目までで分らないところを各ペアに合議させ、ある程度の時間をおいてから、「そこまでで分らないところ、ある?」という風に聞く、というのですな。で、合議しても分らない箇所がある場合は、そこで質問が出るので、それに対してM先生が答え、質問が出なければ次へ進む。また、M先生から見て難しい箇所なのに質問が出なかった場合は、逆にM先生から学生たちに質問したりもする。 そして、英語としてではなく、小説の意味として考えるべき描写などは、M先生の方から学生たちに先に質問し、各ペアに合議させて、その意味を考えさせる、というようなこともするそうなのですが、この「小説の意味を考える」という側面は学生たちに結構好評で、さっと読むと気がつかないけれど、よく読むと、そんな深い意味が隠されていたのか~、などと驚くのだとか。 とまあ、ざっと伺った限りではM先生はこんな感じの授業をされていたらしいんですけど、要するに、文学を材料にして英語を教えるという意味では、ほんとに王道というか、直球の授業をされていたわけですな。で、それが学生に受けた、と。 はあ~。そうなの? それでいいのだったら、私も昔に帰って、そんな感じの「文学的」な授業に戻そうかな・・・。 確かに最近、英語における「リーディング」の重要性が再び脚光を浴びるようになり、とりわえ文学作品を使った授業の復権が言われていることは知っていましたが、「そんなこと言ったって、このご時世、英語の授業で英米の小説を読みますなんて言ったら学生から総スカンだろう」と勝手に思い込んで、それを実際にやるところまでは行かなかったんです。でも、身近な先生から「学生は小説を面白がって読むよ。実用英語向けの無味乾燥な英文を読ませるとか、TOEIC対策の授業なんかやるより、よっぽど受けるよ」と言われると、「じゃあ、私もその路線でやって見るか・・・」という気になります。 そりゃ、私はアメリカ文学の研究者なんだから、授業中に文学作品が読んでいいのだったら、その方がよっぽど上手に教えられるでしょうからね。 ということで、我が大学を去りゆくM先生と最後にゆっくりお話をするチャンスを得、そこで「学生たちは、物語を欲しているのだ」という言葉をもらったことは、私にとってとても有意義なことだったのでありました。 M先生、この言葉、先生のこの大学への「置き土産」として、私がしかと受け取りましたぞ! 移籍先の大学でも、どうぞお元気で!
March 29, 2010
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気は若いつもりでも、年齢による衰えというのは随所に出てくるもので、私もこのところ、老眼の進行に悩まされております。で、先日、遠近両用のメガネを作っては見たものの、やはりまだ慣れないのでやたら目が疲れる。 特に苦しいのは本を読む時です。老眼初心者としては、どのくらいの距離に本を置いて読めばいいのかまだ自分でも掴めてなくて、色々トライをするのですが、どうも上手くいかない。しかし、私の職業は本を読んでなんぼの世界ですから、これはキビシイ。 で、そうこうしているうちに一つ気付いたことがありまして。 遠近両用メガネの場合、普通、レンズの上の方が「遠いところを見る用」、下の方が「近いところを見る用」になっております。 私思うに、これが逆なんじゃないかと。 人が集中して本を読む時、顎を引いて本に対するのが普通じゃないかと思うんです。ですからどちらかというとレンズの上の方を通して活字を眺めることになる。ところが遠近両用メガネはその部分が「遠くを見る用」になっているので、焦点が合わない。これが疲れる元なのではないかと。 だからね、遠近両用メガネってのは、上半分を「近いところを見る用」にして、下半分を「遠いところを見る用」にするべきなのではないかしら。だって、人が遠くを見る時、顔を挙げて見るので、その場合はむしろレンズの下の方で遠くを見ていることになりませんか? ということで、私は声を大にしてメガネ業界の人に提言したい。お前さんたち、昔からのしきたりで、何の疑問もなく、今あるような形で遠近両用メガネを作っているようだけれども、ここはひとつ、実際の使われ方を考えて、遠近のレンズの位置を逆にすべきであーる! あるいは、少なくとも「レンズの上下のどちら側を遠距離用、どちら側を近距離用にするか」について、客が選択できるようにすべきであーる! どう、この提言? 結構いいとこ突いていると思うのですが? というわけで、メガネ業界の人が一人でもこのブログを読んでいますように、っと! え? 読書用専用のメガネを作ればいいって? はいはい、分っておりますよ。しかし、「専用メガネを二つとか三つ持つ=爺さん」というイメージがあるだけに、まだそこまでにはなりたくない、という乙女心があるわけよ、私には。「乙女心」っつーか、何と言うか、よく分らないけれども。その気分は、分って欲しいんだな~。
March 28, 2010
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運転免許証の更新が近づいていたので、平針の試験場まで行ってきました。 と、今日はまたやけに人が多くて、しかも若い人たちばかり。今は春休み中ですから、高校を卒業してすぐ運転免許をとったとか、原付の免許をとりに来たとか、そういうアレなんでしょう。 そういや、私にもそういう時期があったんだよなあ。私は大学1年の秋にとったのですが。当時、まだワープロなんてものがありませんでしたから、運転免許をとるためには、試験場の近くにずらりと並んだ「代書屋」さんのところに行って、日本語タイプ(ぎっしり漢字が並んでいる台の上を、なにやらスタンプみたいなのを動かして、目指す漢字のところでガシャンと押すような仕組みになっている奴。今時の若い人は、そんなもの見たことがないでしょう!っていうか、代書屋そのものを知らんでしょう!)で書類を作ってもらったりしたもんですよ。 と、書きながら、「代書屋」だとか「日本語タイプ」だとか、そういうものを実地で知っている自分が恐ろしいほど年寄りに思えてきた! ところで、今回とった免許はシステムが変わったらしく、私の免許は「中型免許」になっておりました。前は「普通免許」だったのにね。それから、新しい免許はICチップ付きだそうで、暗証番号を覚えておかなければならないのだとか。やれやれ、また暗証番号か・・・。絶対忘れるな。 でも、真新しいゴールド免許をもらって、何となく気分も晴れ晴れ。わっはっは。これで後5年は面倒な手続きから解放されるぅ! と思って帰宅したら、私のもとに別な免許が届いていたのでありました。そう、先日受験して合格した「二種衛生管理者」の免許が届いたのでありまーす。わーい、何だか今日一日でピッカピカの免許を2枚もゲットしたじょ。 ってなわけで、別に今日何をしたというわけではないのですが、新品の免許を2つもらって何だかとっても偉くなったような気がしてきた私なのでありました、とさ。今日もいい日だ!
March 27, 2010
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DVDで『主人公は僕だった』という映画を観ました。以下、ネタバレ注意です。 税務署に勤めるハロルドという中年男がおりまして。計算が得意で、税務官としてきっちりした仕事をこなす以外、何の取り柄もないというか、趣味もなく、家族も恋人もなく、ただその日その日を暮らしていると。 ところがある時、ハロルドは自分が今していることを、誰かがそのまま描写しているような女性の声が幻聴のように聞こえ出すんですな。まるで誰かが彼の生活を覗いていて、彼の一挙手一投足を同時進行的にナレーションしているかのよう。 で、最初は自分がどうかしたのかと思い、医者のアドバイスを受けたりもするのですが、段々、「誰か小説家が、自分を主人公にした小説を書いていて、自分の人生はその小説家の言うなりになっているのではないか」という気がしてくる。でもって、ダスティン・ホフマン演じる文学部の教授に相談に行ったりもする。で、教授はハロルドを主人公にして小説を書いている人物を特定し、またどんなタイプの小説(悲劇なのか、喜劇なのか)を判定する作業に取り掛かると。 そうこうしている間に、(ま、その小説家の人が話をそういう方向に持っていったためか・・・)ハロルドは、仕事の関係で偶然知り合うことになったあるベーカリーの女性オーナー、アナと恋に落ちます。もちろん、最初は税務官として税金を取り立てに行ったのですから、彼女からはすっかり嫌われてしまうのですが、やがて互いのことを知るようになるにつれ、二人とも少しずつ相手のことに興味を抱くようになっていく。 で、ハロルドとアナはついに結ばれるのですが、ハロルドを主人公にして小説を書いている小説家の方も筆が進みだし、いよいよ悲劇的な、つまりハロルドが最後に死ぬ場面を書き始める、と。一方、ハロルドは教授の助けもあって、自分の物語を書いているのが誰なのかを特定するのですが、さて、せっかく恋人もできて、生きる張り合いを見つけたばかりのハロルドの運命は、その小説家の決めた悲劇的な結末に向かっていくことになるのか?? というような話です。面白そうでしょ? で、私の採点はと言いますと・・・ 「73点」でーす! まあね、映画としてどうこうっていうほどの作品ではないですけど、見ていて納得できないところはないし、人間誰しも一度くらいは、「ひょっとして自分の人生は、誰かが書いた物語に過ぎないのではないか」なんて空想をめぐらしたことはあるでしょ? そういう基本的な人間の空想、というか妄想を映画化した、というだけでも合格点をあげてもいい。 そういえば、ピランデッロという作家に『作者を探す六人の登場人物』という不思議な話がありましたなあ。私は文学座のアトリエ公演か何かで見たことがありますが、最後の最後、杉村春子が登場した時に、舞台がぐっと引きしまったことに驚愕したことがあります。ま、それはともかく、あの作品も、よく考えれば、実在の人間が、自分たちの物語を紡ぐ人を探す、という話であって、先に述べた人間の基本的な妄想を劇化しておりますね。 とにかく、この『主人公は僕だった』という映画、さほど悪い映画でもありませんから、もしレンタル屋さんで見つけたら一度ご覧になってはいかがでしょうか。こういう話は、むしろ映画ではなく、テレビドラマの喜劇として、日本でもリメイクできるのではないか、なんて思ったりもするのですけどね!
March 26, 2010
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年度の節目となる4月を前に、昨日・今日と部屋の片づけをしておりまして。状差しに溢れんばかりになった手紙類の中から不要なものを選んで捨てたり、机の引き出しの中を整理したりといったことに専念。こういうのって、一度やり始めると止まらないものでね。 で、その過程で、昔、誰かからアメリカ土産にもらったインディアン系のネックレスが出て参りまして。これ、どうしようかなあ。せっかくもらったのだから、捨てるのもなんだし。 で、自分で首にかけてみた、と。 ん? おお? あら。案外似合うかも。 で、そこからまた妄想が広がったわけですけど、よーくよーーーく考えてみると、私はひょっとして「アクセサリー」というものが好きなのかも、と。 もっとも私は男が指輪をする、という状況がどうも好きになれず、結婚指輪も交換してないくらいなんですが、例えば、世の男性方のほとんどが「タイピン」なるものをしなくなって久しいというのに、私が頑固にタイピンをし続けているのは、結局、私が密かに装飾品が好きだからなのではないかと。 そういえば、昨年の夏から「ループタイ」なるものを身につけ始めたのも、その顕れだったりして。もともと服装の点で目立つことが嫌いな割に、そういうことだけは割と平気で人と違うことをするんですよね、自分。 で、そのような新たな自己認識の上に立ってですね、この先、どのように過ごしていけばいのかと。まあ、そう考えたわけですよ。 例えば・・・ネックレスとか、して大学に行っちゃうとか? いやいやいやいやいやいやいやいやいやいや・・・・。それはまずいだろう・・・。 で、家内に聞いてみたわけ。僕さあ、ネックレスして大学行ったらまずいよね? やっぱ、まずい・・・。あ、そう・・・。・・・っていうか、似合わない? あ、そう・・・。 結論が出ました! で、私の妄想は、いつものように家内の手によって約10秒ほどで抹殺されましたけれど、しかし、アレですね。普通の男の、もういい年した勤め人がですよ、楽しめるアクセサリーというのは、もはや死滅したタイピンとか、もっと前に死滅したカフスとか以外には、存在しない、ということなんでしょうかね? そう考えると、なんかつまらないですね。女性にはあらゆる種類のアクセサリーがあるのにね。 ま、強いて言えば、「腕時計」か・・・。しかし、実用品としての時計と装飾品としての時計に、線引きするのは難しいですよね・・・。 いずれにせよ、ネックレスはNGとなりましたので、例の土産物のインディアンのネックレスも再び私の机の奥へと仕舞い込まれたのでありました、とさ。
March 25, 2010
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今日は私たち夫婦の結婚記念日。ということで、今日の夜はオメカシして外食をすることに。 向かった先は覚王山にある「ラ・メゾン・ブランシュ」というお店。そう、私たちはこのお店でレストラン・ウェディングをしたのでした。ですから、想い出のレストランということでございます。 で、今日我々がいただいたコースはと言いますと、まずは「ホタテ貝と苺のミルフィユ」。これは春を感じさせる爽やかな前菜でした。そしてお次はサラダなんですが、鴨の温製とフォアグラが添えられていて、これがまた絶品! スープはカリフラワーとトリュフのポタージュ。これも良かったねえ。 魚料理は、真鯛を赤酒(一種のみりんですな)に漬け込んだものを、ウニを入れた卵を絡めながら焼く、一種のピカタ的な料理でしたけど、これもなかなか。で、ここで口直しのグラニテを挟んでメイン。私はフィレ肉のステーキ、家内はオマール海老のブイヤベース風ということでしたけれども、どちらも結構なお味でございました。 そして最後はコーヒーとデザートの盛り合わせになるわけですが、中でも苺のタルトは美味しかった! というわけで、料理も素晴らしく、サービスも完璧。想い出の「ラ・メゾン・ブランシュ」で、12回目の結婚記念日をいい気分で楽しむことができたのでした。今日も、いい日だ!
March 24, 2010
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今日は勤務先の大学で卒業式がありました。 1年間じっくり付き合ってきたゼミ生たちを送る日。キャンパスが一年で最も輝く日。色鮮やかな晴れ着に身を包み、友人同士互いに善き日を祝う卒業生たちの華やいだ雰囲気に酔いつつ、この子らとも今日でお別れか・・・という寂しさもあり、明と暗、二つの相反する感情がないまぜになった、複雑な気持ちでございます。 そしてその後の素晴らしい謝恩会。今回の謝恩会は、学年を代表して私のゼミ生たちが企画・運営したものでありまして。彼女らは、やるとなったら完璧に動きますからね。段取りから何から、あいつらに任せておけば大丈夫だろうって感じで、安心して見ていられましたし、事実その通りになりました。私もゲームなどに参加して大いに楽しみましたよ。 しかし、今年のゼミ生たちはホントにノリが良くて、「これぞ釈迦楽ゼミ」という感じでしたなあ・・・。鉄の結束。笑いの渦。自慢の娘たち。 毎年、この日に思うことですが、「ホントに4月から、こいつらに会えないのかなあ・・・」と。4月になればゼミのある月曜日はまためぐってくるけれど、ここにいるこいつらはもう研究室に来ないんだよなあ・・・と思うと、何とも言えない気持ちです。 多分、私はゼミ生たちを愛しすぎるのでしょう。しかし、私にとってはそれが「ゼミ」の意味なもので、仕方がないですね。 ま、彼女らには「君らは僕の娘なのだから、必ず戻ってきて、元気な顔を見せに来てくれよ」と強く言っておきましたから、きっとその通りになるでしょう。そういう絆は結んだと信じておりますからね。 さてさて、私の実は激しい感情を、いまだ別れの衝撃を手なずけられずにいる感情を、無理にでも抑え込みつつ、今日はこれで眠りに就くことにしましょうか。
March 23, 2010
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今日は午後からちょいとお茶でも飲みに行こうかと、家内と尾張旭の方にあるカフェを目指しました。 目指したのは「CAZAN珈琲店」というところなんですが、ここで評判の「フォンダンショコラ」でも食べてみようかと。ここのはチョコレート生地のケーキの中からとろりと溶けたホワイトチョコが流れ出すという趣向らしいのですが、何だか美味しそうではないですか。 が! 店に到着して見ると、すごい混雑で、尾張旭中の人たちがここにお茶を飲みに来たかのよう。よほど評判のお店なんでしょうか。 で、我々の前に3組もの待ちがあるとなると、こりゃ一体いつになったらコーヒーとフォンダンショコラにありつけるのか、いささか不安になってきたものですから、ここはまた今度ということにして、他の店を当たって見ることに。 かくして、プランBを練っていなかった我々の迷走はここから始まったのでありました。 とりあえず考え付いたのは、本郷駅前にある「光芒」というカフェだったのですが、到着して見ると、あれ? 店が変わってるぞ。「いと卯」とかいう店になってる・・・っていうか、今日休みだし・・・。 じゃあ仕方ないってんで、次に向かったのは藤が丘のジャズ喫茶「青猫」だったのですが、ここはオープンしていたものの、5時から貸し切りですと。せっかくジャズ喫茶に寄るのに、たった30分で出てくるなんて、つまらないもんなあ。 というわけで、あちらにもこちらにも門前払いを食らった揚句、結局本郷に戻りまして、そこにある「PECOLI」という店に入ることにしたのでありました。ここはカフェと陶器の店が並んでいるのですが、陶器の店の方には何度か行ったことがあるものの、カフェの方は今日が初めて。 で、私はペコリブレンドのコーヒーとチーズケーキ、家内はペコリ茶(フレーバー・ティー)とチーズケーキという組み合わせを注文。お味はまあまあというところですが、使ってある食器がなかなか可愛い。 で、お茶をした後、お隣の陶器のお店に入りまして、ここは「STUDIO M」系の食器が置いてあって、どれも皆ステキなものばかりなのですが、その中から空色をしたマグカップを二つ購入することに。今使っているマグカップが、少しくたびれてきていたので、ちょうど良かったかな。 ってなわけで、今日はたかがコーヒーを飲むために随分と回り道をしましたけれど、最終的には可愛いマグカップもゲットしたし、ついているような、いなかったような日だったのでありました、とさ。これこれ! ↓STUDIO M’(スタジオエム)/エピスマグ
March 22, 2010
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教授、45歳を超えた頃からかなぁ・・・イライラする! 教授、イライラする! なんか、最近大学で頭に来ることが多くて、あちこちで暴れまくっております。今日も某委員会で1時間ほど暴れて大演説までしちゃったという・・・。ま、私の方が正論を言っているのだと思いますが。 それでも大荒れの委員会が終わった後、理事がわざわざ私のところまで頭を下げに来たし、今まで話したこともない何人かの委員の先生方からも声をかけられ、エールを送られたので、私の大演説もそれなりに支持を得たのではないかと。 だけど、やっぱり大立ち回りは疲れるね。もの言えば唇寒し、的な。はぁ~・・・。 OK、ネクスト! 読みかけだった岡本太郎著『ピカソ[ピカソ講義]』(ちくま学芸文庫)という本を読み終わりました。 私、岡本太郎という人がとても好きで、彼の著作は既に色々読んでおりまして、ピカソ関連では他に『青春ピカソ』という本もあるし、その他、本書に書かれている太郎さんのフランス時代のエピソードなどについても他の著作で既に読んでいるものが多く、そういう意味では目新しい本ではなかったかなあ。 太郎さんのピカソ論というのは、これはもう太郎さんの中で定まっているものがあって、要するにピカソっちゅーのは19世紀の遺産を背負った19世紀人だと。そしてその背負ったものを破壊しながら前に進んだ人だと。で、その過程で例の『ゲルニカ』を描き上げ、その時、芸術と社会と個人が接するところで大爆発した人だと。 で、その後もピカソは自らの創造物を破壊しながら前進を続けるのだけど、次第に社会との接点を失う一方、自ら破壊したはずのものが、彼の意図とは別に「完成した芸術品」として認められてしまうという堂々巡りの中に捕えられてしまい、晩年はついに自らの城、自らのアトリエから一歩も出ないような、囚われ人になってしまった。まったく可哀想だねえ、と。 で、太郎さん自身としては、若き日にピカソに接して「これだ!」という感動を受けると同時に、だから自分はピカソを越えなければならない、いや、越えようと思った時点で既に超えたのだという確信を抱きつつ、ピカソとは異なるやり方で常に伝統の破壊者、古い自分の破壊者として前に進んでいると。 ま、ざっくり言えばこれが太郎さんのピカソ論、というか、岡本太郎論なんですな。 というわけで、私としては新味はないのですが、しかし、これは太郎さんの骨となり肉となっている考え方ですから、それを再読すること自体はとても面白いし、太郎さんはいいなあと思うわけ。 ところでこの本、太郎さんご自身が書いているのではなく、文芸評論家(?)の宗左近がインタビュアーというか、狂言回し的な役割で聞き書きをしている本なんです。で、そんな本ですから、太郎さんが言ったことに対して宗氏がコメントしたり、自らの意見を述べたりもする。 で、その宗氏のコメントなり、意見なりというのが、これまたクソつまらないんだなぁ。ちんぷんかんぷんというか、何言ってるんだろうね、この人は? という感じ。だから宗氏が何か発言するたびに、太郎さんが「そうじゃなくて・・・」と言わざるを得ないんです。その辺の噛みあわなさがなんとも歯がゆい。 こういうのを読むと、「評論家」なんてのがいかに空疎なモノ書きか、という印象を強くしますねえ・・・。 で、そういう宗氏のアホな発言の数々が玉に疵なんですけれども、インタビュー形式ということで、この本では時折、ほんの時折ですが、太郎さんのユーモラスな部分が顔を出すことがあるんです。例えば・・・「芸術はいつでも最初から超えられてるんだ。越えられるところから始まるんだ。超えられてるから、それをまた乗り越えるんだ。本当ですよ。ニヒリズムと言っちゃうと片づいちゃうから、この言葉は使いたくないけど、そういう真空の中にこそ、アクションがあるんだからね。 (まわりの風景を見ながら) しかしこの風景だって素晴らしいじゃない。あの樹も造形のつもりであんな格好になったわけじゃないんだろ。自然の条件とぶつかり合いながら自然に、こういう形になってくるんだね。違うの? 造形したの、あれ(笑)」(155-156頁) 上の引用の、「まわりの風景を見ながら」というところの後の部分ね。この辺の太郎さんの肉声。これ、素晴らしいじゃないですか! 私が、ああ、太郎さんと一度でもいいから話がしたかったなあ、って思うのは、こういうのを読んだりした時ですね。 ということで、宗左近氏の雑音(あと、終わりの方で解説を書いている赤坂某氏の文章もまったく不要)が邪魔ではありますが、太郎さんが喋っている部分は面白いですから、教授のおすすめ!としておきましょうか。これこれ! ↓ピカソ
March 21, 2010
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最近、なかなか優れた料理本を入手いたしまして、それをもとに作った料理が我が家的に大好評でございます。その本とは、『オレンジページ』が出している『15分でごはん!』という奴なんですが。これこれ! ↓15分でごはん! で、「15分でできる」とのたまうだけあって、確かに作り方も至ってシンプル。だけど、完成品はどれもおいしいです。既にこの中から10品以上のおかずを作ったと思いますが、どれも上出来でした。 私も一品、作りましたよ。缶詰のホワイトソースを利用して作る15分でできるクリームシチューなんですが、カレーパウダーを加えることでちょっと複雑な味に仕上がるんです。中に入れるジャガイモなどは、あらかじめ電子レンジで加熱することで煮込む時間を大幅に短縮するなどの工夫もあったりしてね。 それにしても個々の「料理」ってのは、もっとも重要な人類の発明品でありながら、もっとも評価されることの少ないものなのではないかと思いますね。それだけに、新たに料理を考える人たちって、すごいなと思います。 そういう風に考えると、『15分でごはん!』、私は大いに評価したいと思っているのですが、値段も600円ですし、買って損はない本です。教授のおすすめ!と言っておきましょう。
March 20, 2010
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さっきまで『スパイダーマン3』を見ていたのですけど、ピーターとMJの恋のすれ違いネタ、第3話まで引きずられると段々面倒臭くなってきますな。お互い、好きなんだから、さっさと結婚でもしちゃえばいいじゃん、みたいな・・・。 さて、それはともかく、先日印刷所に引き渡しておいた学科の紀要(論文集)が今日、完成しまして~。私も埋め草を書いておりますが、紀要の編集をすべて担当している者としては、印刷所から届けられるできたての紀要の束ってのは、なかなか嬉しいものでございます。早速、全国200ほどの大学と研究所に送付しておきましたが、そういう封筒詰めなどの作業も私の仕事で、今日はそんな雑務に追われていました。 しかし、今年度ももうほとんど終わりですなあ。あと大きなイベントとしては、週明けの卒業式と謝恩会くらいなもの。 で、この卒業式というのが、またね、独特の雰囲気のあるものでして。教え子を送り出すというのは、やっぱりなかなか感慨のあるものなんですよ、何回経験しても、ね。 しかし、それは週明けにとっておいて、今日はとりあえず一仕事終えたわけですから、週末は少しのんびりしたいものです。それでは、皆さま、お休みなさーい。
March 19, 2010
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さてさて、今日も今日とて、妙な体験をして参りましたよ。 何かと言いますと、柔術の道場で師範に投げ飛ばされてきたと、ま、そういうことですね。自分で言うのもなんですが、ワタクシも色々な体験をするよねえ・・・。 ちなみに私が投げられたのは、「柔道」ではなくて「柔術」ですからね。一種の古武術というべきなのでしょうが。 で、柔術の何たるかを知るには、体験するにしくはないということで、いきなり師範に手取り足とり教わってきたのですけど、まずはね、師範の両手首を力一杯握らされるのですが、師範はそれを一瞬で振りほどいてしまうわけ。こちらがどれだけ力を入れても、パッとほどいてしまう。 で、今度は逆に私の両手首を師範に握られるのですが、力対力だったらとても振りほどけそうにない。しかし、師範の指示に従ってある動きをしますとね、これがまあ、面白いようにパッとほどけてしまう。はーあ、なるほどねえ・・・。これなら、相手がどんなに力持ちであろうと、また私がどんなに非力であろうと、相手から身を振りほどくことができるわけだ。 で、次にやはり同じように師範の両手首をしっかり掴むのですが、今度はまた別な、ちょっとした身体の動きをされる。すると、一瞬にして私は道場の畳の上に転がされてしまったのでした。いやあ、もうバランスを失ってしまって、踏ん張るどころか、気づいたら転がっている、という感じです。あれ~・・・。 そして極め付けは、師範に手首をきめられた時。師範は別に力を入れているわけではなく、ほんの数センチ、腕を動かしただけなのに、私はあまりの痛みに堪らず膝を突いて崩れ落ちたのでありました。 うーん、すごいぞ、柔術の技! もうね、中学とか高校の時、授業でやった柔道とは大違い。柔道の場合、如何に「柔よく剛を制す」とはいえ、実際には体力勝負の部分が多いですし、技をかけるのもそれを逃れるのも大汗かいてやるじゃないですか。ところが柔術の場合は、力もなにもいらず、一瞬の体捌きで、相手を吹っ飛ばしたり、その気になれば相手を動けなくできますからね。目からウロコですわ。 いや~。私も子供の頃はプロレスラー/力士志望で、実は密かに格闘技ファンですが、今日の体験は久々に感動モノでしたねえ。 ということで、未知の世界をチラ見して、いささか興奮気味のワタクシなのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
March 18, 2010
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私、実はこの4月から大学を半年ほど休み、研究に専念することになっているんです~、って、前に言いましたっけ? ま、基本的には家に居て、ひたすら資料読みと執筆をするんですが。 ということで、そろそろその準備に入ろうかと、昨年の秋にアメリカに滞在した折、集めてきた資料を読み始めたのですけど、中に結構いい資料があって、段々調子が出てきました。調子がいい時は、新しく仕入れた知識と今までに積み重ねた知識が上手いこと重なって、新しい発想がモリモリと出てくるんですが、何となく、それに近い手応えが出てきた感じかなあ・・・。 例えば、最近読んだ資料の中に、「コンピュータが書いたロマンス小説」というのが実際にある、ということが書いてあって、ホントかよと思いつつアマゾンで調べたら、確かにありますね、その本。ということで早速購入したんですが、どうもその小説、とある有名なロマンス作家の文体の癖なんかをコンピュータに入力し、それをもとにでっち上げたものらしいんですな。 でまたうまい具合に、その「とある有名ロマンス作家」というのが、まさに私が論文中で触れようと思っていた作家と来ているのでね。これで三題噺ができた、というもんじゃないですか。 ま、調子がいい時ってのは、こんな感じですわ。 ところで、そんな具合に調子に乗りつつあるときに入ってきたのが早川書房のポケミスの表紙を長く描かれていた勝呂忠さんが亡くなったというニュース。享年83歳。 早川のポケミスというのは、1953年から出版され、長く続いているミステリー叢書ですが、その表紙を飾る油絵の抽象画の大半は、この勝呂氏が描いたと言われておりまして。少なくともこのジャンルに詳しい方なら、その特異な画風を覚えておられる方も多いことでしょう。 ちなみに、専門的なことを言いますと、早川のポケミスというのは、当時アメリカで流行り始めたペーパーバック本、とりわけ「NAL」という出版社(あるいはその前身のアメリカ版ペンギン・ブックス)の叢書の体裁を模倣しているのですが、NALのペーパーバック自体が1940年代末から始まっているので、それを考えると早川の模倣は非常に早い。つまり、それだけ鋭敏に海外の状況を見ていて、その流行の行方をいち早く取り入れたということでして、それは見事なものでございます。 でまた、勝呂氏の表紙絵というのが、NALの看板表紙絵画家だったジェイムズ・アヴァティの油絵のスタイルと、ロバート・ジョナスの抽象画のスタイルを上手い具合に組み合わせたような感じの絵で、これまた非常に趣味がいい。模倣の仕方が実にうまいと言いましょうか。 その辺のアンテナの張り方と模倣のテクニックというのは、さすが日本(人)だなあ、と思いますね。いい意味で。 ということで、勝呂氏の業績は、出版史あるいは商業美術の方面から改めて検証・顕彰されるべきだと思いますが、誰か日本のポケミスファンあたりで、そういうことをやる人はいないものでしょうか。ディープな話題になるので、この方面が好きで好きでたまらん人がやるべきだと思うのですが。 ま、勝呂氏の死の報せを聞いてこんなハッタリが口をついて出る辺り、私もまたいい感じで自分の専門に対するアンテナが張れてきたな、という実感を抱いているのでありました、とさ。
March 17, 2010
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もうとっくに亡くなりましたが、アメリカにドナルド・バーセルミー(Donald Barthelme)という作家がおりまして、その人が「黄金のシャワー」("Shower of Gold")という短編を書いている。これがまた、傑作としか言いようのない素晴らしい短編なんですが、その中にパイロットのエピソードが出てきましてね。 そのパイロット氏、飛行中にフライト・アテンダントを膝に乗っけているところを写真に撮ってふざけていたら、それが表沙汰になりまして。結局、それがもとで長年勤務した航空会社を首になる、という話なんですが。そのあたりのくだりを原文でどうぞ!:The airline pilot, Wallace E. Rice. Was led to reveal that he had been caught, on a flight from Omaha to Miami, with a stewardess sitting on his lap and wearing his captain's cap, that the flight engineer had taken a Polaroid picture, and that he had been given involuntary retirement after nineteen years of faithful service. "It was perfectly safe," Wallace E. Rice said, "you don't understand, the automatic pilot can fly that plane better than I can." He further confessed to a lifelong and intolerable itch after stewardesses which had much to do, he said, with the way their jackets fell just on top of their hits, and his own jacket with the three gold stripes on the sleeve darkened with sweat until it was black. (Donald Barthelme, "Shower of Gold" 『Overnight to Many Distant Cities』所収) はっはっは! 日本のスカイマークのパイロット某氏も、「自動操縦の方が、俺より操縦が上手いんだから・・・」とぼやいたかどうか。いずれにせよ、バーセルミーの想像力が作り上げた可笑しなエピソードが、現代日本で実現したことが面白くて、ついひと言。 それにしても、今、バーセルミーってどのくらいの知名度があるんだろう。私が学生の頃はそれなりにマニアックな人気がありましたけどね。でもって、マニア好みの作品を翻訳することで有名なサンリオ文庫からも、バーセルミーの作品は二、三、翻訳されていたような。私も1冊くらいは持っていますが。 そう、それでまたこのサンリオ文庫が突然つぶれたもので、サンリオ文庫の古書価が跳ね上がった、なんてこともありましたなあ。一時はサンリオ文庫版のバーセルミーなんて、3000円くらいで取り引きされていたんじゃないかしら。今はもうさすがにそこまでの人気はなくて、多分、1000円も出せば買えると思いますが。バーセルミー作品としては『口に出せない習慣、奇妙な行為』なんて結構おススメなんですが。 もっとも、今時の学生さんにはバーセルミーの作品なんて難しいのかしら。面白いと思う前に、内容が分らなかったりして。大体、「黄金のシャワー」という短編のタイトルを聞いて、それが何を意味しているのかすら、分らないだろうな・・・。(ギリシャ神話ですよ、ギリシャ神話!)
March 16, 2010
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私の大嫌いなアイツが居なくなったということで、久しぶりにテレビ観戦を楽しもうと思っている大相撲春場所。 が・・・。 なんか、デジャヴを見ているようですなあ。大関陣は相変わらず不甲斐なくコロコロ負けるし、若手はなかなか伸びてこないし、強いのは依然として横綱ただ一人・・・。ま、大関狙いの場所の関脇・把留都が少しだけ気を吐いていますが。 それでも、あの嫌な奴の顔が出てこないだけ、いい気分かな~。ルン! ところで、春場所を見ていますと、やたらに「一人横綱」という言葉が発せられます。それもネガティヴな意味で。つまり「一人横綱の重圧」とか、そういうニュアンスで。 それはつまり、アイツが居なくなったことで、白鵬がただ一人の横綱となり、そのことが彼にプレッシャーをかけるのではないかと。で、そのことをやたらに強調するわけ。ま、実はこのことは今に限ったことではなく、昔からNHKは「一人横綱」という言葉が好きで、よくそのことに言及するのですが。 しかし、私は以前からこれが不思議で仕方がないんです。 よござんすか。よござんすか。「一人横綱」というのはですね、強い奴が自分しかいない、という意味ですよ。そのことが、どうしてその横綱にとって否定的な意味を持つというのでしょうか? 今までは白鵬とアイツと、二人が傑出して強かったから、場所ごとの調子の具合で、この両者が勝ったり負けたりしながら優勝を分け合っていたと。それが、今度からアイツが抜けて白鵬一人になり、しかも他に強い奴が居ないのですから、当分の間は白鵬が毎回優勝するんでしょう。 で、白鵬にとってこのシチュエーションのどこに文句があると? 文句どころか、笑いが止まらないでしょうよ。 それなのにNHKは、深刻そうな声を出して、毎日のように「一人横綱の重圧が・・・」って。一体、何の話じゃい!? 観客は別ですよ。観客はライバル同志の切磋琢磨が見たいのかもしれません。しかし、当の本人にとって、白鵬にとって、「一人横綱」であることは、決して悲しい状況ではあり得ないと、私は思います。 だからね、NHKさんよ、馬鹿の一つ覚えみたいに、深刻な声で「一人横綱の重圧が・・・」だなんて言いなさんなって。そういう真実味のない、変な盛り上げ方が、ある意味相撲人気に水をかけているんですから。 ということで、ここはひとつ、NHKの相撲実況に猛省を促しておきましょう。めっ!
March 15, 2010
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先日もちらっと書きましたが、最近オリンパスの「ラジオ・サーバー・ポケット」っちゅーのを買いましてね。これ、ケータイより一回り大きいくらいの大きさのラジオで、しかも番組を予約録音できるわけ。いつも聞こうと思いつつ毎週聞き逃しているラジオ番組とか、そういうのを予約録音しておいて、好きな時に聞ける優れモノでございます。 で、どうせこの新兵器を手に入れたなら、NHKのラジオ語学講座とか、聞いて勉強したりしようかな、なんて殊勝なことを思いまして。例えば「ビジネス英語」とか、私が聞いても結構難しいですもんね。 で、早速予約録音するために、その種のラジオ講座が何曜日の何時何分から始まるかを調べようとしてネットを見たところ、もちろん放送時間は分りましたが、ふと見ると、何やらそこに「ストリーミングで聞く」と書いてあるボタンがあることに気付いた、と。 で、それをポチっとクリックしたら、何と前の週のラジオ講座の放送がまるごとインターネットで聞けるではないですか・・・。 ということは、わざわざラジオを録音して聞く必要もないわけだ・・・。好きな時にネットで聞けばいいのだから・・・。 あーん! じゃ、なんのためにラジオ・サーバー買ったんだよーーん! でまた、じゃあ、他にも、例えばアメリカのテレビ番組とかも見れるのかしらと思ってググったところ、色々発見がありまして。はあ~。今更ながら、インターネットって何でもできるんですね。 で、私のお気に入りは「Late Show with David Letterman」でございます。これね、アメリカ・CBSテレビの夜のトークショーでして、私は1991年に初めて渡米した時以来、アメリカに滞在するたびにこの番組は欠かさず見ているんです。たしかその頃はCBSの番組ではなかったと思いますが。その後、番組ごとそっくりCBSに移籍したんでしょうな。これこれ! ↓Late Show with David Letterman その昔、久米宏さんが「ニュースステーション」を担当するようになった時、おそらく彼はこの番組を参考にしたはず。机の上にマグカップを置き、メモ用紙と鉛筆を用意してニュースを読んだり、コメントをしたりする、あのスタイルは明らかにデビッド・レターマンのトークショーのスタイルですからね。誰もそれを指摘していないと思いますが(レターマンの番組は1983年スタート、「ニュースステーション」は1985年スタート)。 ま、それはとにかく、このところこの番組をネット上で見ることができるのを知り、毎日のように楽しんでいる私なのであります。いやあ、ネットって、便利だねえ・・・。 ・・・で・・・ラジオ・サーバーはどうなったかって? まあ、これから使い道を考えますよ。
March 14, 2010
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今日、姉から電話があり、姉の家にある懐かしいピアノを業者に引き取ってもらうことになったとのこと。 仙台に住む姉一家ですが、義兄の仕事の都合でこの春から滋賀県に引っ越すことになり、また甥っ子がやはりこの春から東京の大学に通い始めることから、仙台・滋賀・東京の3つの家を同時に維持できないということになりまして、それで仙台の家は一時的に人に貸すことになったと。 で、人に貸すとなると家具を残していくわけにもいかず、といって滋賀に借りるマンションはそんなに大きなものではない。となると、とりあえず使わない家具を処分しなければならないのですが、その対象としてピアノを処分せざるを得なくなったと、まあ、こういうわけでございます。 このピアノ、もとは実家にあったもので、私はこれを買った時、たしか6歳くらいだったと思いますが、その時のことをはっきり覚えておりまして。 その時代、というのは、つまり日本の高度経済成長の頃ですが、その頃、「ピアノのある家庭」ってのは、戦後日本がようやくたどり着いた夢の境地でございまして、「ついにピアノが買える身分になったか」的なニュアンスをもった、一家団欒と一家繁栄の象徴だったような気がします。だからこのピアノを買った時も、おそらく我が父・我が母とも、おそらく誇らしい気持ちだったに違いありません。 ですが、そうは言っても当時(おそらく今も)、ピアノってのは本当に高い買い物でありまして、それを買うとなれば相当な覚悟が必要だったはず。おそらくは祖父が若干、経済的援助をしてくれたのではないかと、私は推測しています。ま、そういうこともあってか、確か銀座のヤマハに乗り込んで、それこそそこにあるアップライト・ピアノの中でも一番いい奴を買ったのではないかと思います。ピアノがずらっと並べられている売り場の光景を私は今でも鮮明に覚えております。 ま、とにかくそんな風にして買ったピアノが我が家に到来いたしますと、売り場で見た時とは違ってえらく巨大に見え、当時住んでいた家には不釣り合いなほど立派なものでした。で、私の姉はピアノ教室に通い始め・・・引きずられて私も通うことになった、と。 ちなみに、私たち姉弟が習っていた女のピアノの先生がまた少々ワケありでございまして。その先生はもともと私たちの通っていた某附属小学校の音楽の先生で、当時の小学部長だった先生の息子さんとご結婚までされたのですが、どうもこの結婚がうまく行かなかったらしく、小さなお嬢さんを連れて離婚され、お母様とお嬢さんと、女三人でひっそりと暮らしておられたわけ。三世代の女性それぞれ、とても顔立ちのいい美人でしたから、まるでドラマの一つも作れそうな感じでしたけどね。で、そんな女三人の生活を成り立たせるために、彼女はピアノの先生をやっておられ、そこに姉と私も通うことになったと。 ま、私はピアノに関してはダメダメな生徒でしたから、この先生からも随分叱られまして、毎週月曜日は地獄のような日々でした。が、姉は私と違って我慢強い人ですから、それなりにちゃんと練習をして、結構、楽しんでいたようでした。 で、これまた私と違って子供の頃の姉はなかなか気の強い、はっきりとした反抗期を持った人でしたから、よく父母と衝突しましてね。今となっては信じられませんが。で、そういうときには、自然、姉のピアノの音色も激しいものになる。世渡りのうまい弟の私は、姉のピアノの音を聞き、あ、今日は姉には近づかない方がいいな、などと判断したものでございます。 ま、とにかくそんな風にしてこのピアノは我が釈迦楽家にその場を得たわけですが、長じて姉が結婚する時、どうせ実家にあっても誰も弾かないだろうということもあり、いわば嫁入り道具のような感じで仙台に行きまして。だから姉はこのピアノと40年近くを共に過ごしたことになるわけですな。さすがに忙しい子育ての間、あまりこれを弾く暇はなかっただろうと思いますが。 で、その姉が、ついにこのピアノと別れざるをえないことになった、と。 私とはまったく逆で、ドライな性格、かつ物に執着しない姉にして、このピアノを手放すとなった時に、私に電話をしてきたというね。きっと寂しかったんだと思います。姉の性格を熟知している私としては、何とも言えない気持ちです。いつか大金持ちにでもなって、姉にピアノ付きの家でもプレゼントしたいくらいの気持ちですが、いくら高いピアノを買ってあげたとしても、それは「あの」ピアノじゃないもんなあ・・・。 春は別れの季節ではありますが、姉がピアノを手放す時の気持ちを思って、私もその切ない気持ちの何分の一かを味わっているのでございます。
March 13, 2010
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今日は国立大学の後期2次試験。私は前期2次試験の採点担当なので、今日は特に仕事がない・・・はずだったのですが、後期採点担当の先生がノロ・ウイルスに感染されて緊急入院と相成り、ピンチヒッターとして私がご指名に。かくして、前期に続いて後期も採点要員に駆り出されてしまったのでした。やれやれ・・・。 で、6時間にも及ぶ採点作業にほとほと疲れて家路につく時、私を癒してくれるのはアルファ156。 そういえば、去年の今頃、このクルマを買ったんだよな~・・・。 あれから色々ありました。交差点でギアが入らなくなり、立ち往生したこととか・・・。排気系統がひび割れして、溶接で直したとか・・・。 しかし、このところのアルファ君は絶好調。半年ほどはまるでノー・トラブル。ひょっとして、故障も出尽くしたとか? で、故障しないとなると、いよいよ引き立つアルファの走り。とにかくね、ハンドリングが凄いのよ。とてもFFとは思えないような曲がり方をする。曲がることをまったく嫌がらず、シュイーーンッと曲がるんですな。もう、その時の切れ味たるや。快・感! でまた、直進している時のエンジンの鼓動ね。これがまた、ちょっとレトロな感じと言いますか、電気モーター的な最近のエンジンの傾向とは逆に、低速で走っている時など特にド・ド・ドという振動を伝えてくる。大型バイクにでも乗っているような感じ。で、それが高回転になるにつれて振動が消え、爆発の間隔が揃ってくるわけよ。これがまたいいんだなあ。 ただ若干サスペンションが固いのか、路面の凹凸を拾ってしまうのがアレなんですけど、どうなんざんしょ。これはタイヤをコンフォート系に変えると改善されるものなのか、あるいはダンパーやサスとかを換えたらもっと滑らかなライドになるのか。しかし、それで現在のハンドリングの良さが消えちゃったら元も子もないもんなあ。 というわけで、現状のハンドリングをこのまま楽しむべきか、手を入れてさらなる改善をすべきなのか。その辺のことも悩みつつ、日々、アルファとの生活を楽しんでいる私なのでありましたとさ。今日も、いい日だ!
March 12, 2010
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今日は大学から早く退いたので、帰宅途中、市立図書館に立ち寄って何とはなしに雑誌を見たり本を見たりしていました。 で、まずは『マック・ピープル』なる雑誌で例の「iPad」の情報をゲット。 この巨大な iPhone のようなものは果たして日本でも受けるのか? と、多少疑心を抱いている私ではあるのですが、色々読んでみると、なるほど面白そうなものではありますね。 例えば、iPad って、結構な大きさがあるようだけど、これ、ずっと手に持っていなくちゃいかんのかしら? と思っていたら、ちゃんと別売の小型スタンドがあって、充電しながら机の上に見やすい角度で立てられるんですってね。それから、これまた別売のケースがあって、このケースを使っても見やすい角度に立てられるらしい。それなら、長時間見ていても疲れなくていいですな。 さらに必要な時には本体に文字入力用のキーボード画面が現れるとか、もっと本格的に入力したいのなら、別売の薄型キーボードもあって、ワード文書なども読み書きできて、ほとんどノートパソコン的にも使える、なんて話を聞くと、ますます興味が湧いてきます。今は100%ウィンドウズ環境になってしまった私ですが、iPad を2台目のノートパソコンとして使っちゃったりしたらどうなんだ? みたいな。 ほんと、マックってのは、大人の遊び心ってのが分ってるよね! とまあ、そんなことを思いつつ、お次は『特選街』という雑誌を手にとって最近のデジタルモノのトレンドを掴んだり、『月刊自家用車』なんて渋いカー雑誌を見て、ホンダから出た「CR-Z」の評判を読んだり、はたまたちょっと前の『CG(カー・グラフィック)』で古いアルファ・ロメオの記事を読んだりして楽しみました。で、そんな風に雑誌をあれこれ楽しんだついでに、池谷伊佐夫という人が書いた『古本蟲がゆく』(文芸春秋)なんて本まで借り出してしまったという。これだけ楽しんで、すべてタダなんだから、図書館ってのはいいところですな。 で、家に帰ってこの『古本蟲・・・』をぱらぱらと読んだりしているのですが、これ、日本各地の、そして時にはイギリスの古書店を著者が巡り、個々のお店の様子をスケッチしつつ、そこで自分が買った本などを紹介する、という趣旨の本なのですが、こういうのを読んだりすると、また無性に古本屋巡りをしたくなります。 だけど、古本屋巡りもね、気の合う相棒と回ると楽しいのですが、私と同じくらい古本屋巡りが好きな友達というのがなかなかいないもので、そこがちょっと寂しい限り。神保町で散々見て、よーしこのまま早稲田もやっつけるか! なんて話になって、「おお! 望むところだ!」なーんて喜んで付き合ってくれるような友達がね、居ればいいんですが。特に私の場合、一人では喫茶店にも入れないため、一人で古本屋巡りをすると、途中で休むことがないものだから、疲れ切っちゃうんですよね・・・。 ま、それはともかく、今日は午後のひと時を図書館で過ごし、無料の娯楽にうつつを抜かしていた私なのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
March 11, 2010
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今日は列島各地で春の嵐が吹き荒れたそうですが(名古屋はそれほど大したことがなかったので、話題に取り残された感が強い・・・)、私にとってショックだったのは、この強風で鎌倉・鶴岡八幡宮の階段下の大銀杏が根こそぎ倒れたということ。 いやあ・・・、あれ、倒れちゃったのかよ・・・。 人も知る京都嫌いの私、あんなところに行かなくたって地元に鎌倉があるもんね、とばかり、湘南ボーイの私は子供の頃から鎌倉にはよく行ったものでございまして、当然、八幡宮の大銀杏には馴染みがあります。あの大木の前で何度記念写真を撮ったことか。階段を上って八幡宮まで行かずに、大銀杏を見て満足してしまうことも多かったし。この木、1000年以上もここに立って、神社にお参りする善男善女を見つめてきたんだよな、そして源実朝暗殺の現場も目撃したんだよな、なんてことが子供心にもこの木に対する敬意を抱かせたものです。 その大木が、倒れたと。1000年の寿命が尽きたと。 このニュースに、私は自分でも意外なほど動揺したのでした。 やっぱね、この年齢になると、「自分が死んでも残るもの」への関心が高まるものでして、そう考えると、人間の作ったものなんかなかなかこのカテゴリーには入ってきません。特に地震と火事の多い日本ではなおさら。しかし大木となると、屋久杉なんかもそうですが、人間の文明を初めから全部見た、なんて木が実際にあるわけでね。 で、八幡宮の大銀杏もまたそのカテゴリーに入るものと思っていたのに、そうではなかった、ということが、とてもショックで。ニュースで八幡宮の神官の方が、動揺の色をありありと漂わせながら「残念で・・・」と語られていましたが、その気持ち、分かるなあ・・・。 ということで、別に私のモノじゃありませんが、私自身何度も手で触ったことのあるあの懐かしい大木が倒れたということを、惜しんでも惜しみきれないような気持ちでいるのでございます。
March 10, 2010
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今日はあんまり寒いので、ベッドにもぐり込んで本ばかり読んでいました。 まず読んだのは『マイルス・デイビス自叙伝』(文春文庫)。ジャズ界の帝王と呼ばれた名トランペッターの半生記ですな。本人が書いたのではなく、聞き書きのようですが。まあ、自分で書くより聞き書きの方がうまく行くケースというのは多々あって、マルコムXの自伝なんかも、あれは確かアーサー・ヘイリーが聞き書きしたのだったと思いますが、あれもとてもよかった。 で、このマイルスの自叙伝も、ものすごく面白い。とにかくマイルスの若き日のニューヨークあたりのジャズ・シーン自体が凄いですからね。もちろんデューク・エリントンとかのビッグバンドによるスイング系のジャズもまだまだ存続しつつ、そろそろディジー・ガレスピーやチャーリー・パーカーらによる新しいビバップ系のジャズも生まれつつあった、その激動の時代に、若き日のマイルスが飛び込んできて、同世代の若いジャズメンたちと切磋琢磨する話ですから、面白くないわけがない。ファッツ・ナバロ、クリフォード・ブラウン、マックス・ローチ、セロニアス・モンク、ソニー・ロリンズ、ジョン・コルトレーン、ジェリー・マリガン、ジャッキー・マクリーン、デクスター・ゴードンなどなど、今ではそれぞれ一家をなした様々なプレーヤーたちがバンバン登場しますしね。 で、そういう同世代のジャズメンたちとの交流が色々描かれているのですけど、やはり実力者同士のことですから、時にケンカもするけれど、たいていは互いに尊敬しあった、すごくいい関係であることが多いんですね。むしろ世間の噂で、○○とマイルスは仲が悪い、なんてことが言われていても、実はそんなのはデマでしかなかったりする。 例えばジャズの歴史をちょっとでもかじったことのある人なら誰でも知っている『バグズ・グルーヴ』録音時のマイルスとセロニアス・モンクの諍い(いわゆる「ケンカ・セッション」)についても、この本はその真相を明らかにしています。 世上言われているところでは、マイルスがモンクに対し、「オレがソロをとっている時には、バックでピアノを弾くな」と言い、それにカッとしたモンクとの間に緊張感が走った、と。評論家の中にはこの噂を信じ、「二人の間の緊張感が、逆に素晴らしい演奏を引き出した」なんて書いている人までいます。 しかし、マイルス自身の説明では二人の間に何かがあったわけではない、というのですな。その辺の一節をご紹介しますと・・・ 「オレはただ、モンクが作った<ベムシャ・スイング>以外では、オレのソロのバックでピアノを弾くな、休んでろ、と言っただけだ。理由は、ホーン・プレーヤーのバッキングについて、モンクがあまり理解していなかったからだ。モンクと一緒にやって良いサウンドが作れたのは、ジョン・コルトレーン、ソニー・ロリンズ、チャーリー・ラウズだけだ。みんなサックス・プレイヤーだ。オレの意見だが、モンクはたいていのホーン・プレイヤー、特にトランペットとの演奏は得意じゃなかった。(略)あのレコーディングでは、オレが唯一のホーンだったし、彼の和声進行のポイントがしっくりこなかったから、オレが吹いている間は休んでいてくれと言ったんだ。オレは、リズム・セクションにピアノ抜きでストロールさせてみたかったし、音楽にある種の空間も残しておきたかった。(略)あのレコードでのモンクは、オレが期待したとおりに自然で、とても良く聞こえる。オレがこう演奏してほしいと言ったものが、彼がやろうとしていたことでもあったわけだ。オレが吹き終わって少し経ってから演奏に入ってきてくれと言った通りに、モンクはやっただけだ。なんの口論もなかったし、なぜオレとモンクがケンカしたという話になったのか、まったくわからない。(略)自尊心も高く、オレを好きなこともわかっていたし、オレだって彼を愛していた。彼はケンカっ早い人間でもなかった。たとえ一週間、彼の足を踏みつづけたとしても、殴り合いになることはなかっただろう。雄牛みたいに強かったが、モンクは優しく、静かで美しい人間だった。」(308-310ページ) 長々と引用しましたが、これを読むと、「噂」というのがいかにつまらないものか、というのがよくわかります。それにしても、すばらしい回想文でしょ? こんな感じのがずっと続くのですから、読んでいて本当に気持ちがいい。 で、モンクとのことばかりでなく、例えばバードことチャーリー・パーカーが、ミュージシャンとしていかに素晴らしかったか、その反面、人間としてはいかに人格破綻していたか、なんてことが、愛情を込めて語られていたりします。そのチャーリー・パーカーに憧れ、目標とし、そして乗り越えていったか、なんて辺りはほとんど小説の世界ですね。 大体マイルス・デイビスというと、イメージ的には高飛車な、おっかないおっさん、という感じですけど、この回想録を読む限り、とんでもない。とても筋の通った、素直で優しく、しかもユーモアのある人ですね。そして音楽に対する情熱と研究熱心さ、これも読んでいてひたすら頭が下がる、というところがあります。読めば、マイルスのことが好きにならざるを得ないでしょう。 ま、この本は、ある程度ジャズの知識がないと読めない本ではありましが、逆にここから入ってジャズのことを知りたいと思う人もいるかも知れません。とにかく、大した本であることは確かです。教授の熱烈おすすめ! と言っておきましょう。 さて、『マイルス・デイビス自叙伝』の上巻を読み終えた後、今度は柴田元幸さんの『つまみぐい文学食堂』(角川文庫)を読み始めました。柴田さんというのは、アメリカ文学研究者にして翻訳家としても有名な方。ご存知の方も多いことでしょう。 で、この本は、アメリカ文学を中心とする英米の小説を縦横に引き合いに出しながら、柴田さんが食べ物にまつわる小話をする、という趣向のエッセイなんですが・・・。 うーん・・・。どうなんだ、これは? まあね、面白くなくはないんです。そりゃ、柴田さんの書くものだから、つまらないものであるはずがない。だけどめちゃくちゃ面白いかというと、それほどでもない・・・かな・・・。 この本、柴田さんが雑誌か何かで2年間にわたって書かれた連載を本にしたものなのですが、ワタクシ思うに、食べ物にまつわる話をアメリカ文学にからめてしなくてはならない、しかもそれを24回やらなきゃならないってところに無理があるのではないかと。もちろん1回、2回ならとびきり面白い話ができると思います。3回、4回くらいならまだ大丈夫かもしれない。しかし24回となるとね、これはさしもの柴田さんでも苦しくなってくるのではないか。 食べ物をめぐるエッセイでは、有名なところでは吉田健一さん、あるいは池波正太郎さん。近いところでは林望さんなんかもよくお書きになりますが、吉田さん、池波さんとなるとこれはもう人も知る食通でしょ。また林さんは自分でも本を出すくらい、料理がお得意と来ている。こういう方々と比べると、柴田さんはご自身では食べ物とか料理とかいうものにそこまで入れ込んでないんじゃないかと、まあ、そう思うわけ。 で、そこへ持ってきて、「英米の小説とからめる」という制約がかかって来るわけでしょ。となると、話がどうしても「味覚」という体感的な部分からではなく、あくまで知的な側面の話になっちゃうわけ。 となると・・・やっぱね、頭脳の中から発する食べ物の話ってのは、限界がありますよ。まさに「絵に描いた餅」みたいなことですから。で、絵に描いた餅の話を連続して24個も読まされると、こちらとしても飽きてくる。こういうのは、毎月一回、雑誌の連載として読むならいいですけど、単行本となると、今月一話読んで本を伏せ、来月また一話読んで本を伏せ・・・というわけにもいきませんしね。 ということで、この本、そんなに大部な本ではないのですが、どうも読むスピードが上がってこない・・・。ついつい、『マイルス・デイビス自叙伝』の下巻の方を先に読もうかなあ、なんて気になってきたりして。下巻では、冒頭あたりで、ビル・エバンスとの出会いが書いてあるんだよなあ・・・。こちらは、まさに「小説より奇なり」な話がバンバン出てくるわけでして。 それにしても、最近のワタクシ、アメリカ文学の研究者なんだか、ジャズの研究者なんだか、よく分らなくなってきたなあ・・・。大丈夫なのか、ワタクシ?これこれ! ↓マイルス・デイビス自叙伝(1)マイルス・デイビス自叙伝(2)
March 9, 2010
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アカデミー賞のニュースが色々と出ております。 ま、世間的に言って一番の話題は、当然のことながら、作品賞・監督賞を獲るのは『アバター』か、それとも『ハート・ロッカー』か、というところなんでしょうけど、まあ、それは私にはあまり興味がないことでして。 それよりも、私的には助演男優賞を誰がとるか、が一番の興味の的だったのですが、やっぱりというか、下馬評通り、『イングロリアス・バスターズ』のクリストフ・ヴァルツでしたね! いやあ。これは妥当な決定ですわ。この映画でナチスの将校を演じたヴァルツの演技の凄かったこと! 日本の映画賞なんかだと、熱演=名演みたいにとらえられがちで、汗飛び散る、涙飛び散るような体当たりな演技が評価されることが多いですけど、ヴァルツ演じるナチス将校はそういうんじゃないんだなあ。 ナチス将校としてすごく優秀なわけですから、恐ろしいことは恐ろしいわけ。だけどその恐ろしさが単なる凶暴、単なる冷酷、というのではないんですよね。しかし、単に「冷酷が笑顔を纏っている」と言うのでは、全然ヴァルツの演技を言い表したことにはなりません。彼がスクリーンに登場している間、恐ろしさに息もできないのだけど、しかも目が離せないほどチャーミングという感じ。彼がミルクを飲む、彼がケーキを食べる、そんな簡単な行為をしているだけでも、観客としては圧倒され、惹きつけられてしまって、まったく目が離せないんですから、どんだけスゴイ演技か、ってなもんです。 この10年くらいの間に見た映画の中で、純粋に「演技」という側面についてスゴイと思った俳優を一人上げろと言われたら、私は間違いなくヴァルツを挙げます。それほど素晴らしかった! だから、私としては、クリストフ・ヴァルツがアカデミー助演男優賞をとりさえすれば、後は、まあ、どうでもいいわけ。3D映画の可能性を追求したという一点で『アバター』が作品賞をとってもいいし、でもストーリーには無理があって、しかもつまらなかったから、他の映画がとるというのなら、別にそれでもいい。 しっかし、アカデミー賞を報じるテレビ報道で、ヴァルツのことに触れたものって一つもありませんでしたなあ・・・。その辺がね、どうしてこう月並みなんだろうって思います。テレビ・ニュースの製作者でも、あるいはコメンテイターでも、『イングロリアス・バスターズ』見た奴、一人くらいはいるでしょうに。だったら、今回のアカデミー賞のキモは、助演男優賞だ、ってことくらい分るだろうになあ。 ま、とにかく、いいの。ヴァルツがアカデミー賞とったから。選考委員たちも、そこは間違えなかったもんね。 それにしても、ああいう芸を見せてくれる俳優がいて、しかも今までそれほど有名でもなかったというのですから、アチラの芸能界も奥が深い。顧みて我が日本。どうなんでしょうか。鶴瓶さんが映画賞独占というのでは、どうも寂しかないですかね・・・。
March 8, 2010
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今日は日曜日だっつーのに、入試関連の仕事で大学へ。色々仕事させられましたけど、驚いたことにどこも暖房が入っていない。今日は寒かったし、今日の仕事は大学の都合だってーのに、日曜日だからという理由で暖房が入らない理由が分らん! 一方、英語科が出す紀要の編集も今日が大詰め。明日、印刷所に入稿するため、今日は最後の仕上げをしました。 この紀要、私が編集からデザインまですべて担当しているのですが、印刷所に丸投げする場合の半額から3分の1くらいのお金で刊行します。その分、私の手間が掛かるわけですけど、私にとってはこれが道楽でね。 で、我ながら惚れ惚れするような版下を完成させ、今日の作業終了~! 版下見て惚れ惚れするって感覚、分るかな~? 分んないだろうな~。 で、これを明日入稿しますとね、大体1週間くらいで紀要(=論文集)が仕上がるわけ。版下があれば、印刷とか製本なんて、実はあっという間に出来ちゃうものでね。で、この完成した紀要を受け取る時の気持ちってのが、またね。いいんだな~。 本ってのは、買うのも楽しいし、読むのも楽しいし、書くのも楽しいけど、作るのも楽しいんだよね! しかも売れるともっと楽しい。こんないいもの、他にないね。 ということで、今日は紀要の版下が完成して、すっかりいい気分のワタクシなのでした。今日も、いい日だ!
March 7, 2010
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今日3月6日で、本ブログも開設5周年を迎えました~、パチパチパチ! そう、2005年の3月6日に始めたんですよね、このブログ。以来5年、お気楽日記はほぼ毎日更新で既に1800回を超えております。延べアクセス数も27万6千。 大げさなことを言いますと、ほとんど「ライフワーク」の世界になってきてますよね、ブログの更新が。ま、ここまで来ますと、意地でも毎日更新してやろうという気になっております。 っていうか、段々プロ意識が出てきまして、書くことがある日に書くのは素人、だけどワタクシはプロなんだから、書くことがあろうがなかろうがとにかく毎日書く、みたいなね、意味のわからない責任感とでも言いましょうか。たかがブログに素人もプロもないわけですが。 でもね。そんな風に意地でも毎日更新していると、楽に書ける日、書けない日が当然出てくるわけ。 一日生活していて、「あ、このネタでブログが書けるな!」と思うことがある日は楽なんです。そのネタ一丁で、あっという間に3000字でも4000字でも10000字でも書けちゃう。書こうと思えば。 しかし、そういうことがない日というのも、少なからずある。というのも、私も基本、研究職ですからね。一日家にいて、仕事でずっとパソコンとにらめっこしていたり、本を読んでいたりすることも多いわけ。そんな日は、ほんとに書くことがなくて、いざブログ更新ページを開いても、「わし、今日は何を書いたらええんや~」なんて悩むことしばし。 でも、そんな時はこう考えるようにしているんです。 「今日は、他の日と違う、どんなことがあったっけ?」ってね。 今日は、昨日とも一昨日とも違う、特別な日のはずだ。じゃ、今日を「特別な日」にしたものってなんだっけ?って思い返すわけ。 すると、なんか思いつくもんですよ。そうだ、今日の夕ごはんは旨かったなあ。だから今日は特別な一日だ! とかね。今日はテレビを見ていて、今まで知らなかったことを知ったなあ、だから今日は特別な一日だ! とかね。今日は春みたいな陽気で、通勤途中に梅が咲いているのを見たなあ、だから今日は特別な一日だ! とかね。 ところがね、ちょっと自分でも驚くのは、すごくいいこと、楽しいこと、嬉しいことがあった日でも、ブログを書く時までにそのことを忘れていることがあるんですよ、案外。 つまり、人間って、幸福なことにはすぐ慣れるんですな。すぐにそれを当たり前と思っちゃう。罰当たりなことに。 だからね、一日の終わりに「今日は昨日と違う、どんなことがあったっけ? 今日はどうして特別な日なんだっけ?」って考えることは、色々な意味でとても好いことだ、と、自分でも思うんです。もし、ブログを始めたことで、自分にとって何かためになることがあったとすれば、それかなあ。 ま、これからもせいぜいそんな風に、「昨日とは違う今日」のことを考えながら、このブログを書き続けて参る所存でございます。ご愛読者の皆さま、今後とも本ブログを御贔屓のほど、よろしゅうお頼もうします。
March 6, 2010
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今日、何の気なしにNHKの『美の壺』という番組(多分、再放送)を見ておりましたら、たまたま「ぼろ布」を扱った回でありまして。 それも途中から見たので、詳しくはよく分らないのですが、どうも青森地方で「ぼろ布」のコレクターか何かをなさっている(地方史家?)田中忠三郎さんとおっしゃる方が登場し、この地方で昔から大切にされてきた「ぼろ布」への思いを吐露されていたんです。 で、「ぼろ布」なんて言うと、なんじゃそれ、という感じですけど、これがすごく良かった。 番組によると、青森はその昔貧しくて、なかなか綿の織物や糸なんて手に入らなかったというのですな。ですから、布はほとんどが麻製。と言っても、麻布なんて夏向きの布ですから、これで青森の厳しい寒さを防ぐには工夫が要った。 一つには何枚もの麻布を重ねて縫う方法です。で、しかも、新品の麻布もそうは手に入らないので、古い麻布を何枚も継ぎはぎしながら重ねて縫うわけ。一種のパッチワークですよ。で、この重ね縫い・継ぎはぎ縫いの麻布に家族一堂が丸裸で包まって、互いの肌のぬくもりを寄せ集めて寝たと。 しかし、もちろんこの地方にも晴れ着が必要な時もある。特に女性はそうです。そこで、わずかながら手に入る木綿の糸で麻布に刺し子をするんですな。藍で染めた麻布に、白い木綿の糸で上手に模様を入れながら刺し子をする。この地方の女性は小さな時から針を操る術を身につけ、そうして自らの手で作った晴れ着を二三枚、お嫁入りの時に持っていくというわけ。貧しい中もやっぱりある、女性らしい洒落っ気と誇りとが、その刺し子を施された布にありありと残っているんですね。 で、また、そうやって服や布団としてぼろぼろになるまで使い切った布は、細く切り裂いてそれ自体を糸にし、その糸を紡いでまた布にする。 で、それでなお使い切った布は、これまた継ぎ合わせて、お産の時、下に敷いて生まれてくる赤ん坊を受ける布に使うというのですな。つまり、何度も何度も使いまわしながらその家族が身につけ、その家族を暖めてきた布を、最後の最後で、新しい命の受け皿にするというわけ。だから、そうやって使いに使って、ぼろぼろになった端切れには、青森での暮らしというもの、そして一つの家族の歴史というものが、どうしようもなく詰まっているんですな。 もちろん今では青森だってそんなぼろ布を必要とするほど貧しい家庭というのはないわけでして、今時の若い人はそんなゴミみたいなものに目もくれません。だけど、そういうことを経てきたお年寄りたちは、そういうぼろ布の端切れを今もなお捨てられないでいて、大切にとってあったりするわけですよ。で、そういう思いのこもったぼろ布を、田中忠三郎さんは青森の各地のおばあさんたちから分けてもらいながら、大切に大切に、いとおしむようにコレクションしていらっしゃるわけ。そのぼろ布に、東北の暮らしの貴重な歴史があるから。田中さん曰く、青森のお年寄りの顔に深く刻まれた皺が美しいように、このぼろぼろの布には美しさがあると。何ともいえない柔らかさと温かみがあると。 いや~。素晴らしい。田中さんみたいなのを真のコレクターというのじゃないでしょうか。価値なんかないと思われているものに価値を見出し、他の人には見えないものを見ていらっしゃるんだもの。そして、東北の暮らしを支えたぼろ布に感謝の気持ちを抱きながら、慈しんでいらっしゃるのですから。ほんと、ぼろ布の一枚一枚を手に取り、それを見つめる田中さんのまなざしの何とやさしいこと! それを見ているだけでも、何か教えられるものがあります。 というわけで、今日はとても素敵な番組が見られて、いい気分のワタクシなのでありました、とさ。NHKの『美の壺』という番組、谷啓さんが出られていたころからファンでしたが、その中でも今回は、いい目のつけどころだったのではないでしょうか。もし、またこの回が再放送されるようでしたら、ぜひご覧になってくださいね~。教授の熱烈おすすめ!です。
March 5, 2010
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今日のお昼は簡便にマックを買ってきて食べました。そう、現在のスペシャル・メニュー、「ロコモコ」です。 で、いただいた結果は・・・ う、うまい! このところのスペシャル・メニュー、「テキサス」「NY」と来て、今回の「ロコモコ」なわけですけど、どれもおいしかったですなあ。敢えてワタクシ的に順位をつけるならば、1位「ロコモコ」、2位「テキサス」、3位「NY」というところでしょうか。 しかし、それにしてもマックっていうのは、ビジネスが上手いですね。企画モノも上手だし、結局一人勝ちだ。私も、普段はそんなにマックを利用する方ではないですけど、この種の企画モノになると、つい試しに食べたくなりますもんね。次は我が第二の故郷、「カリフォルニア」だそうですけど、これも楽しみです。 さて、今日の私ですが、先日来書いていた原稿の方はほぼ脱稿しちゃったので、今日はお休み。のんびり本ばかり読んでいました。日本のジャズ喫茶の歴史について書いた本を読んでいたのですけど、来年度後期に「アメリカ文化論」の講義でジャズ入門的な話をしようと思っているので、その下準備ということもありまして。 ま、結局、何でも「何かの下準備」にしてしまうのが、私の悪い癖ですが。 読んでいたのは、後藤雅洋さんの『ジャズ喫茶 リアル・ヒストリー』(河出書房新社)ですけど、サントリー学芸賞もとったマイク・モラスキーさんの『戦後日本のジャズ文化』というジャズ喫茶を論じた本に対する、ジャズ喫茶オーナーからの反論、という趣の本ですな。実際にジャズ喫茶を経営している身からすると、モラスキー氏の部外者としての論述にはちょっとおかしなところがあるよ、ということなんですけど、さすがに実経験の本ですから、これはこれで説得力があります。 でも、この本を読んで、いわゆるジャズ喫茶の経営者がジャズについて論じる本を出し始めたその最初が寺島靖国さん(『辛口! JAZZノート』)だ、ということが分りました。で、これがジャズ本としては驚異的な売れ行きを示したため、後藤さんも『ジャズ・オブ・パラダイス』を出すチャンスを得、以後、ジャズ評論家ではなく、ジャズ喫茶の親父がジャズ本を出す、というのが普通のことになってきたと。 で、その寺島さんと後藤さんの間には色々論争がありまして、その辺の論争史についてもこの本の中で総括されていて、なるほどね~、と思うこともあり。ジャズに対して真面目な後藤さんと、そういう真面目さが我慢ならない寺島さん、という感じの対立なんですけどね。 それから、ジャズ評論の大学別系統というのがあって、初期には慶応大学出身者が多かったというんですな。これは新しモノ好きの慶応ボーイの習性を反映しております。後藤さんも慶応ですね。で、その次に早稲田出身者がのしてくる。これは在野精神といいますか、クラシックに対する在野のジャズ、という感性があったためらしい。で、寺島さんが早稲田と。で、その次に上智大学出身のジャズ関係者が続々と出るのですが、これは後藤さんが経営する「いーぐる」が上智大のすぐそばにあったことが理由の一つではないかと、これは後藤さんが自負していらっしゃることで。 ちなみに、そういう風にして出身大学別に見ると、私自身はジャズ方面では菊池成孔さんとか村井康司さんなんかの文体が好きなので、つまり「上智派」ということになるでしょうか。 上智大学って、私としてはイマイチ、イメージが湧かないというか、非常に優秀な大学だということは知っていても、実際のところ「どんなんかな~?」という感じしか持てなかったのですけど、後藤さんの本を読んでいて、なるほど、上智出の論客たちのスタイルとでも言うべきものへのイメージがつかめたような気がしてきました。そういや、アメリカ文学の巽孝之先生も学部は上智だったよなあ。 そう考えると、上智ってすごいね。なんか、上智ファンになってきた。 というわけで、今までバラバラに知っていたことが、この本を通じて一つにつながった、というところもあって、なかなか面白かったです。これこれ! ↓ジャズ喫茶リアル・ヒストリー
March 4, 2010
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本日、中部安全衛生技術センターから一枚の葉書が私のもとに届けられました。もちろん、先日私が受験した「第二種衛生管理者」資格試験の合否通知でございます。 葉書にはシール部分があって、「本人開封のこと」ですと。もし合格していればこの葉書はそのまま「免許試験合格通知書」であり、万が一不合格の場合は「免許試験結果通知書」となる、というようなことが葉書の裏にツラツラと書いてあります。「板子一枚下は地獄」なんてことを申しますが、この場合、シール一枚下は天国か、はたまた地獄か、ということですな。さてさて、丁と出るか半と出るか・・・。 もちろん私の場合、全問正答したという自信がありますので、「合格」以外にはありえないわけですけれども、いざ、こういう葉書を目の前にしますと、結構、緊張するものですな! 万が一、万が一にでもですよ、「不合格」なんてことになったら・・・、それこそ大学で物笑いだ・・・。 ・・・などという心配が脳裏をよぎる。あーん、シール剥がすのコワいよ~! わー! きゃー! なんて騒いでいたら、家内に「心配ないから・・・」と諭されまして。しからば、いざ、いざ~! ベリッ!! (←シールを剥がす音) ご・う・か・く! わーい! 合格した~! ひゃっほ~! これで私も衛生管理者の仲間入りだーい。偉いぞ、私。 ということで見事、みんごと、「サクラ咲く」を勝ち取ったのでございます。いや~、こんなんでも、結構嬉しいもんですのう。 なんか自信が出てきた。ホント、また別な資格とか、取っちゃおうかな~。やっぱ次は危険物取扱資格か、毒物取扱資格かな~。あるいは、手に職つけるという意味で大型免許とか? あるいは国内A級ライセンスとか、取っちゃおうかな~っと!
March 3, 2010
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あれは1月の中旬でしたから、今からひと月半ほど前のことなんですが、定期健診の結果を聞きに行った父がガックリして帰ってきまして。曰く、胃にガンが見つかったと。 ま、父は11年くらい前に胃ガンが発見され、早期発見だったので簡単な手術で済み、以後、無事に暮らしてきたんです。しかし、用心のために毎年胃カメラを飲んで、再発しないか見張り続けてきたと。 で、今回、また見つかったということで、ちょっとガックリ来ていたわけですよ。ガン再発というのは、あまり気色のいいもんじゃないですからね。 で、手術の方法や日時を決めるため、先日再び有明の癌研で精密検査を受けてきて、今日、その結果を聞きに行ったのですが・・・ 再検査の結果、どこにも癌細胞が見つからなかった! じゃあ、その前の時の診断は何だったんだよ、という話になるわけですけど、とりあえず今回は無罪放免ということにして、2ヶ月後にもう一度胃カメラを飲む、ということになりました。ま、仮にその時にまた癌細胞が見つかったとしても、それはごくごく初期ということになるでしょうから、父の年齢からしても、そう危険なものではないだろうと。 いや~。このひと月半、心配させられましたよ。私はともかく、父は気が気でなかったでしょう。最初の診断をした人も、罪だねえ・・・。 だけど、まあいいですわ。ガックリきていた分、喜びも倍増ということで。釈迦楽家にも世間なみに春が来た、ということにいたしましょう。 とにかく、健康第一。すべての幸せはこの四文字から、ですな!
March 2, 2010
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今日大学に行ったら、同僚数名が研究棟の廊下でヒソヒソ話しているので、「なーに? また皆で僕の悪口?」などと言いながら話の輪に加わったところ、そんな呑気な話ではなかったのでビックリ。 なんと今から10年くらい前に定年を迎えられた元同僚で、ドイツ語・ドイツ文化がご専門だったY先生が亡くなられたのでした。 しかも亡くなり方がまた・・・。生涯独身だった先生は、ご自宅でお一人で亡くなったまま、誰にも気づかれず死後1週間が経過してしまったのだそうで。当然、警察沙汰となるわけで、大学にも問い合わせがあり、何人かの元同僚の先生方が確認に出向いたりもしたのだとか。 で、その辺から伝わってきた話によると、Y先生は、ちょうど食事を終えられた後だったらしく、食卓に乗った幾つかの空の皿を前に、椅子に座ったままこと切れておられたのだそうです。死因は脳内出血の発作によるもので、おそらくは一瞬の出来事だったのでしょう。 はあ~・・・。 まあ私は専門が違うこともあり、また年齢差もあったため、先生が大学に在籍しておられた間もそれほど親しかったわけではありませんが、人づてに幾つか、先生の若き日のエピソードを聞くこともありましてね。 それによると、若き日の先生は、同僚であったとある女性の先生に恋をしたんですな。ところが美貌でならしたその女性の先生には他にも崇拝者が沢山いたと。で、結局、その先生はY先生とは別な同僚と結婚、哀れY先生は恋に破れることになってしまった。 ま、私の知る限り、Y先生は相当な変人でしたからね! その女性の先生がY先生以外の方を選ばれたのも、むべなるかな、なんですけど。 が、とにかく、恋した女性から振られてしまった先生は、そのせいあってか知りませんが、その後、他の女性と結婚することなく、生涯独身を貫かれたと。ま、噂ですよ。 で、家族を持たれなかった先生は、独り身の気ままな暮らしで、スキーがお好きだったこともあり、別荘として雪国に山小屋を購入。夏は登山、冬はスキー三昧というような生活を送られたようです。その頃は別に業績がどうのこうのとうるさいことも言われませんでしたから、Y先生もアカデミックな方面のことはそっちのけで、大自然を相手にした生活をエンジョイしておられたようでした。 昔はそういう豪傑タイプの先生が大学ってところには沢山居ましてね。Y先生も人後に落ちぬ豪傑ぶりで、日焼け・雪焼けした山男風のいで立ちで教授会などにふらっと顔を出したかと思うと、突然、脈絡なく突拍子もないことを言いだしたりして、関係各位を戸惑わせ、部外者を大いに笑わせてくれたものです。 そんな豪傑のY先生が、お一人で、そんな風に亡くなられたと。 別に親しかったわけではありませんが、少なくとも数年は同僚だったことを思うと、何となく寂しい気がします。 ところが、今日一日、Y先生の噂をあちこちでしたり、聞いたりした限り、先生の死を知った同僚たちの多くの反応は、むしろ「ああ、理想の死に方だね!」というものでした。 つまり、病気などで長らく苦しんだ末、というのでもなく、元気なうちに一瞬で死ぬ、という死に方が、なんとも羨ましいと。しかもまったく身寄りがないので、後に残す人を悲しませることもなし、面倒臭い葬儀も一切なし、と。これ以上の死に方があろうか、というわけですな。 なるほど、そういう考え方もあるわけですか・・・。 ま、当人でないのでY先生の今際の際の心持ちがいかなるものだったかは知る由もありませんが、哀れな寂しい死に方だったね、と周りの人に思われるよりも、「Y先生、さすがに見事な死にっぷりだったな」と思われた方が本望かも知れません。 ということで、私も「Y先生、死に際は見事な直滑降でしたね! スゴイもんだ!」という風に思うことにいたしまして、先輩学徒のご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
March 1, 2010
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