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今日は両親と神保町の古本市に行ってきました。 神保町の古本市、毎年、この時期に開かれるのですが、なんでこの時期なのか、確か「サン・ジョルディの日」だかに関係があったような気がしますが、とにかくこの時期の風物詩でございます。 東京で学生してた頃は、これが楽しみでね。友達と連れ立って行って、どっちがいい本をゲットしたか、なんて競争したり。しかし、名古屋の大学に赴任してから、なかなか行くチャンスがなくて、今回行ったのは、それこそ10年ぶりくらいでしょうか。 しかし、相変わらずの盛況で、日本というのは本好きの多い国なんだなあとあらためて実感。人ごみがすごくて、まともに歩けないですもんね。 で、私たちはすずらん通りの辺りから見始めたのですけど、そのあたりにあった「ボヘミアンズ・ギルド」という古本屋さんで池田満寿夫の本を2冊、『親しい友への手紙』と『池田満寿夫詩集』を(今日は1割引きで)ゲット、しかもどちらも初版のサイン本。この店、私好みの本がずらっと品揃えしてある上、二階にはリトグラフのいいのも置いてあったりして、かなり気に入りましたね。教授のおすすめ!です。 その後、道端に仮設された台に並んだ古本を眺めながら信山社の方までそぞろ歩き、そこから交差点を渡って神保町の名店、「ランチョン」へ。今日はここで昼食を食べることにしておりまして・・・ ・・・と思っていたら、なんとこのお店、今日はお休みだそうで。あーん、予定が大幅に狂う~。 で、仕方なくその辺にあったパッとしないイタリアンで食べたのですけど、ホントにパッとしませんでしたなあ・・・。 かくして変なものでお腹を満たした我ら親子は、再び古本探索の人となり、私は種村季弘さんの『怪物の解剖学』を購入。英文学の由良君美、フランス文学の澁澤龍彦ときて、ドイツ文学の種村季弘と、こう来るわけですけど、私は今まで種村さんの著作に親しんだことがなかったんです。だからこの際、一度試してみようと。今年は「今までにやったことのないことにチャレンジする一年」ですからね。 で、父も母もそれぞれ古本を1冊ずつゲットしたところで今日の古本祭り散策は終了。帰りがけに「山のホテル」でお茶をしてから帰宅とあいなった次第。 で、私はその後、4時間のドライブで名古屋に戻って来たと。 今週末は学会がらみで忙しかったけれど、忙中閑あり、久しぶりに神保町の古本まつりの賑わいに接することが出来て、楽しかったです。ネットで古本を買うことが多くなってしまった昨今の私ですが、やはり神保町の古書店を冷やかす楽しみはまた別物。今度はもっと時間をかけて、じっくり歩いてみたいですなあ。
October 31, 2010
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今日は「朗読・音読」をテーマにした学会にパネリストとして参加してきたのですが、それが終わってホッとして家に帰ってきた途端、野沢那智さんの訃報に接してビックリ。享年72歳。肺がんだったとのこと。 野沢那智さんと言うと、かつてはアラン・ドロン、最近ではブルース・ウィリス担当の声優というイメージが強いですし、また演劇好きの間では「劇団薔薇座」の主催・演出家というのが真っ先に思い浮かぶのかも知れません。しかし私にとって野沢さんは、まず第一に「パック・イン・ミュージック」のDJ、というイメージがある。私と野沢さんをつなぐ糸は、何といっても深夜ラジオですから。 もう30年以上も前のことになりますが、私の小学生・中学生時代は、若者の間でのラジオ文化華やかりし頃でしたからね。特に深夜枠のラジオ番組は、聞いてないと翌日、友人の間での会話に参加できないというくらいのものでしたし。 で、そんな深夜ラジオの世界では、何といってもニッポン放送の「オールナイト・ニッポン」が王者でありまして、クラスの友人のほとんどはこれを聞いていたと思います。しかし私は、ひねくれ者だったからというわけでもないのですが、ニッポン放送よりTBSの方が何だか上品な気がして、深夜放送に関しても敢えてオールナイト・ニッポンをはずしての「パック・イン」派だったんです。中でもとりわけ野沢那智さんと「チャコ」こと白石冬美さんが組んだ曜日のパック・インが私のお気に入りで、この日ばかりは眠さをこらえて遅くまでラジオに耳をこらしていたものでした。 何しろ、野沢さんと白石冬美さんのコンビは絶妙でしたからね。時に野沢さんがエロティックな話題をふっても、白石さんがそれをうまく丸めこんで上手に受けるものだから、下品に落ちる手前のスレスレのところを楽しむことができる。そこらへんのさじ加減が素晴らしかった。 しかしそんな賑やかで陽気で、時にアダルトな放送の中、時折、野沢さんが演劇に対する激しい情熱を語り、また劇団経営の苦労を語ることがある。これがまた良かったんですわ。普段はおちゃらけていても、野沢さんと言う人は、芯のところでものすごく真面目な人だったんでしょうな。そして野沢さんがそうやって、子供のように夢中になって演劇のことを語っている時は、白石さんがまるで野沢さんの年上のお姉さんででもあるかのように、それを暖かく見守るような感じがありましてね。その優しさもすごく良かった。本当に気の合った二人による、素晴らしい深夜放送でした。 今日、私が参加してきたの学会のテーマは「朗読・音読」。もちろんこれは「読書」を想定した上でのテーマではありますが、しかし耳から情報を得て、そこから色々なことを想像したりしながら楽しむという点では、「ラジオを聞く」というのも、まあ「朗読・音読」のカテゴリーに入るでしょう。となると、野沢さん&白石さんのパック・インは、前期・青春時代にあった私に、そういう「耳で聞く楽しみ」を味わわせてくれた貴重なメディアだったのかもしれません。 そんな私の若き日の記憶と強く結びついた野沢那智さんが亡くなって、私は何だか妙に寂しい気がしております。私ですらそうなんですから、野沢さんの盟友・白石冬美さんは、きっとすごく寂しい思いをしているんでしょうね。そんな白石さんのことも考えながら、ここに野沢さんのご冥福をお祈りしたいと思います。合掌。
October 30, 2010
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11月末に受ける予定の人間ドックに備え、このところ食事の量を節制しているのですが、昨日は随分疲れたし、今日は東京まで4時間のドライブだし、ということで、今日の昼は何かガツンとしたものを食べたくなり、家の近くにある「丸源らーめん」というところでガツンと食べてしまいました。 丸源らーめん、チェーン店のようですが、名古屋発祥なのかな? なんか、そんな印象を得ましたが、詳細不明。 とにかくこの店の売りは「肉そば」とよばれるものらしく、チャーシューの代わりに、汁の中に薄切り肉が沢山入っている。なにせ今日のワタクシは「ガツン願望」満々ですから、これに鉄板卵チャーハンと、さらに餃子までつけちゃいました。家内は、シンプルに煮卵入りの肉そばを注文。 で、そのお味はと言いますと、ややこってりとした醤油味にワタクシの好みの細麺の組み合わせということで、全体としてまずまず。テーブルに「揚げガーリック」とか「どろラー油」とか、そういうのが置いてあるので、それらを適宜加えてラーメンの味をさらにこってりさせたり、辛味を加えたり、そんな「テーブル調理」も楽しめたりして。「肉そば」と謳うほど肉の量は多くないですけど、結構美味しかったです。値段も手ごろだし、リピートはあり得ますね。 一方、鉄板卵チャーハンと餃子は、可もなく不可もなし。ごく普通です。次はこれらをカットして、むしろラーメン自体を「大盛り」にしようかな。 ということで、丸源らーめん、そこそこおすすめです。 で、満腹したワタクシは、明日の学会に備えて午後から東京入り。特に問題なく4時間で実家に到着。退屈なドライブでございました。道中、ステキな車でも見かけると少しは長旅の退屈がまぎれるのですが、今日の東名はほぼ100%国産車、たまの外車といえばゴルフとかベンツとか、そんなのばっか。つまりませぬのぅ。東名を降りてから、一般道でランボルギーニにぶち抜かれた時だけ、ちょっと心が動かされましたが。 さて、明日は台風上陸の恐れアリ、だそうですが、学会の客足への影響はどうなんでしょうか。ま、ワタクシとしては、あんまり気の利いたことを言えそうもないので、むしろ大入りの方が困るんですけどね。ま、どうなりますことやら。 それでは、もう少し明日の予習をしてから、今日は早めに休むことにいたしましょう。
October 29, 2010
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今日は2限「ジャズ史」、3限「英語コミュニケーション」、4限「アメリカ文学概説」と3連チャンをやった後、会議を2時間、そしてその後、柔術の道場へ、というハードスケジュールの日。ひゃー、疲れました。 柔術では二段技の「腕押さえ捕り」と「胸押さえ捕り」を習ったのですが、前者は相手がこちらの袖口を掴んできた時、瞬時にかける技で、まあ激痛よ。あーん、こんなスゴイ技、中学とか高校の時に知っていたら、柔道の試合の時とかにこっそりかけて、相手を地獄に突き落としてあげられたのに。 それはさておき。 明後日、東京で学会があるもので、明日から東京入りです。 今回の学会のシンポジウムのテーマは「朗読」。ま、朗読の良さを見直そうってわけなんですけど、ワタクシもそのシンポのコメンテーターになってしまったので、このテーマについて何か発言しなくちゃならない。と言っても、なーんも思い付かなくって、往生しとります。 まあ、きっと「ポエトリー・リーディング」的なものは現代でもそれなりに行われているだろうし、そういう話も出るかなあと思っているのですが、もしそういうのが出たら、宮沢賢治の話でも話題に出そうかと。 宮沢賢治の『風の又三郎』の冒頭、有名な 「どっどど、どどうど、どどうど、どどう 青いくるみも吹き飛ばせ すっぱいくゎりんも吹き飛ばせ どっどど、どどうど、どどうど、どどう」 という歌があります。で、この歌の読み方なんですが、作者の宮沢賢治自身は、普通我々が思っているのとは違う節で読んだらしいんですな。それは 「どっ、どどどどう、どどどう、どどどう」 というもの。そして「吹き飛ばせ」の部分は、「吹き飛ばせぇぃ!」と絶叫調で読んだらしい。 で、やっぱり、読み方によってこの歌の感じというのは大分変わってくるもので、原作者がこの歌をどう発音した(朗読した)のか、というのは、かなり重要な、というか、かなり興味深い情報なのではないかと。 この話、面白いですか? 面白くない、と言われても、他に出す話題がないという・・・。 じゃ、これは? その昔、家庭における朗読というのは、昔から「家長」の役目であって、つまりは男がするものだったが、最近、「家長」という考え方自体が薄くなってきて、一家の大黒柱としての男の役割が弱まって来た。朗読の衰退も、一つはそこに原因があるのではないか。 という説を出してみる、とか。つまらんか・・・。 まあ、つまらんな。 義理で引き受けた役柄とはいえ、こういう自分の専門とかけ離れた話題について、何かコメントしなきゃいけないというのは、辛いもんですなあ。もう、この学会の仕事、さっさと終わらせて、ホッとしたいですわ。くわばら、くわばら。
October 28, 2010
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今日はうちの科の「卒論中間発表会」でした。 英米文化科の4年生全員が、それぞれ現在執筆中の卒論について10分ほどのプレゼンをするのですが、「他のゼミの学生たちと比べて、自分のゼミ生たちの実力はどうなんだ?!」というのが如実に分かってしまうという意味で、いわば他流試合みたいなところがあり、指導教員の側としても結構緊張するものでありまして。 しかーし! さすがは鉄の結束を誇る我が釈迦楽ゼミ。本年ゼミ生の4名は、それぞれ非常によく準備された完成度の高いプレゼンをして他のゼミの学生たちを圧倒! 事前に原稿を用意させ、何度も事前に読ませてプレゼンの時間ぴったりに終わるようにし、与えられた時間を100%有効に使うよう指示してありますから、他のゼミの学生たちのように、プレゼンの途中でつまったり、言い淀んだり、時間をオーバーしたり、時間を使い切らなかったりということは一切なし。テーマの面白さという点でも、相当いい線を行ったのではないかと。 いやあ、でかした、でかした。結構、結構。 ということで、発表会の後、トゥーリオのごとく「釈迦楽ゼミ生、集まれ~!」と集合させて、彼女たちを褒めてやりました。褒めるべき時はうんと褒めてやることも大切ですからね。 さて、卒論指導も中間発表会を終えたこれからが本式。これから忙しくなると思いますが、ワタクシは卒論指導に関しては、不満は言わないの。こればっかりは、ワタクシにしかできないことなので、不満を言わずに頑張るだけ。皆、いい論文を書いてくれよ!
October 27, 2010
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いや~、今日の夕方の寒かったこと! 突然、冬、って感じでしたね。何なんですか、この急展開。嫌だね、日本って。夏から急に冬になる。季節のいい時なんて、ホンの3週間くらいしかないんですもの。春は花粉だらけだし。 ま、それはさておきまして。 ちょっと質問なんですけど、足の脛の裏側、ふくらはぎの下、アキレス腱の上って、なんて呼ぶのでしたっけ? 実はワタクシも人に聞かれて答えに窮してしまったのですけど、どなたか、ご存知の方おられます? 一瞬、「腓(こむら・こぶら)」かと思ったのですけど、辞書で引くと、腓とふくらはぎって、どうやら同じものらしい。 で、あれこれネットで検索したのですけど、どうも上手く答えが出ない。人体の部位の名称って、案外、調べにくいものなんですね。あまりにも当たり前すぎて、改めて示す必要がない、ということなんでしょうか。 しかし、気になりだすと、気になるもので、足のその部分を呼ぶ名称、ご存知の方、いらっしゃいましたら是非教えて下さい。恩に着ます。
October 26, 2010
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いやあ、今日はゼミ生からこわい話を聞きました。 そのゼミ生の話によると、彼女の友人の行きつけの美容室に、うちの大学の某女性教員も髪を切りに行くらしいんですな。ところが、その教員はそれに気づかず、髪を切ってくれている美容師さんに大学や学生に対する不満をぶちまけるらしいんです。 「ったく、ゼミ生は全然勉強しないし、卒論指導なんてやってられないよ!」とか、そんなようなことを滔々と。 ま、その先生は、大学から地理的に離れた場所で、しかも美容室という閉鎖的な場所で、すっかりリラックスしてしまったのでしょうけど、それを同じ大学の学生が聞いていて、「あの先生、美容室でこんなこと言ってたよ」というのが逐一伝わってしまうとなると、これはちと問題です。 ま、教師稼業というのは常にこの危険性があります。何せ何コマも授業を持つとなると、こちらは自分が教えている学生の顔を全部は覚えていられませんが、学生の方は先生の顔を覚えているわけですから、キャンパスの外で出会っても、学生の方はすぐ気付くわけですね。ワタクシにしたって、名古屋の街中をほっつき歩いている時など、学生から見られている可能性もあるわけです。 だから、めったなことをやったり、言ったり、出来ないんですよね~。どこで見られているか、どこで聞かれているか、分からないですもんね。 漱石の『坊ちゃん』で、坊ちゃんが天麩羅そばを3杯もお代わりしたことが生徒たちに知れ渡って、そのことで揶揄される、というシーンがありますが、漱石自身が大学の教官でしたから、その辺の危険性がよくわかっていたのでしょう。 ワタクシも、そういうの見られるの、ヤだなあ! 「釈迦楽先生、この前吉牛で、夢中でかっこんでいるところを見かけたわよ」なんて、言われたくなーい! ま、それはともかく、「壁に耳あり、障子に目あり」。某女性教員の失敗を他山の石として、自分の職場について、他所でめったなことを口にしないよう、心がけましょうかね。
October 25, 2010
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去る10月21日は今から205年ほど前にトラファルガー海戦が起こった日でして、って、そんなこと知っている人は少ないでしょうけど、とにかく、それを記念いたしまして、トラファルガー海戦の英雄、イギリスのネルソン提督をモデルにした『美女ありき』なる古い映画を見てしまいました。これ、ネルソン提督をローレンス・オリヴィエが、そして彼の愛人エマをヴィヴィアン・リーが演じると言う、夫婦共演の映画でございます。 しかしね、これがまた渋すぎる映画でございまして。 エマは、もともといかがわしい場所で歌ったり踊ったりする歌姫だったらしいのですが、結構野心のある人で、お金持ちのボンボンをかどわかして結婚の約束を取り付けるんですな。ところがこのボンボンが借金だらけの人で、いわばその借金のかたとして、ナポリで駐在大使か何かをしていた伯父さんにエマを押しつけちゃったわけ。で、エマは結局、ウィリアムというこの大使と結婚してしまうんですね。ま、しがない歌姫だったことを考えれば、結構な玉の輿です。 ところが、当時イギリスはナポレオン指揮下のフランス軍と交戦しておりまして、イギリス海軍軍人ホレイショ・ネルソンが、ナポリに協力を求めるためにこの地に派遣されてくる。で、彼はエマの機転によってナポリの国王から協力を取りつけることに成功すると。で、そんなことからネルソンとエマは互いに知りあうこととなり、やがてこれが愛に発展する。 とはいえ、ネルソンもエマも既婚者ですから、つまりは道ならぬ恋なわけですよ。だから、まあ、二人の関係が深まるに連れ、色々な不都合が生じてくる。 で、しまいにゃエマはウィリアムから愛想を尽かされた状態になり、ウィリアムが亡くなった時も遺産などはもらえず。エマはネルソンの子供を産むものの、公には出来ない状態で、お金にも困るように。一方、ネルソンの方も奥さんは彼と離婚する気などさらさらなし。 そんな状態で、いよいよフランスとスペインの連合艦隊がイギリスを侵略に来るということになり、ネルソンは再びイギリス海軍に呼び出され、雌雄を決する海戦に赴くと。で、彼の得意な「ネルソン・タッチ」と呼ばれる戦法が図に当たってイギリス軍が相手を壊滅状態に追い込むのですが、その過程でネルソンは狙撃され、命を落とすことに。 で、エマはネルソンからの援助も断たれたわけですから、とうとう落ちるところまで落ちまして、コソ泥を働き、牢屋に入れられるような身分に。酒場の歌姫から大使夫人へ、そしてイギリスの国民的英雄の愛人となった後、歌姫以下に落ちぶれたわけですが、この間、わずか10年。そういうエマの数奇な運命を、この映画は描いたという次第。これ、実話に基づいた話らしいですけどね。 で、この映画への印象評価ですが・・・、 ま、「43点」ってとこですかねえ・・・。ま、今が今、敢えて見るほどの映画ではないのではないかと。若き日のローレンス・オリヴィエはカッコいいなあ、という程度のものですな。 大体、英雄の割にだらしないよね、ネルソン提督。元々真面目な人なんだから、そんな、道ならぬ恋なんかに落ちたらダメよ。逆に、落ちるなら落ちるで、英雄らしく、正妻・愛人双方を円満に満足させなさいって。その辺、中途半端なもんで、見ててイライラする。イライラする。(なんで2回繰り返した? あ、いとうあさこか。) というわけで、そもそも浮気映画の嫌いなワタクシ、この映画をまったく評価できなかったのでした。浮気するくらいなら、そもそも結婚なんかしなさんなって。その辺の覚悟がないまま結婚する男って、ワタクシ大嫌いなのよー。
October 24, 2010
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今日は夕刻から昨年のゼミ生たちが集まってOG会が開かれました。昨年のゼミ生7人のうち、5人が出席という高出席率。さすがリーダー、シャンティーの統率力。 ま、卒業後半年余りというと、入社直後の緊張感もほぐれ、だいぶ仕事や社内のことについても分かって来たところなのでしょうが、その反面、会社の嫌なところも見えてくる頃でありまして、なかなか大変なようでした。皆一様に、「学生時代に戻りたい!」と口にしておりました。 特に気になったのは、上司に悩まされているケースが多いことで、これだけ色々騒がれているにも関わらず、相変わらずセクハラ、パワハラにあたるようなことが横行しているようでしたなあ。 で、私もここ最近の近況を彼女らに伝えていたのですが、そうなりますと、畢竟、話題は今私が夢中になっている柔術の話題になりがちなわけでして、今日もまた熱を込めて柔術の魅力を語ってしまいました。実際、パワハラ、セクハラ上司に対抗するためにも、ひょっとして必要な技術かもしれませんしね。 ということで、次回のOG会は、私の稽古風景を皆で見学の後、道場周辺で行うことに決定!って、ホントかよってな感じですが、昨年のゼミの盛り上がり方からすると、ホントに実現しかねないというね。 ま、それはともかく、そんなアホな話で盛り上がりつつ、楽しい時間が過ぎて行ったのでした。 しかし、卒業してもちゃんとこうしてゼミ時代のことを忘れずにいてくれるゼミ生たち、可愛いね! ほんと可愛い。残念ながら今日は参加できなかった二人も含め、またこのメンバーで集まりたいものでございます。
October 23, 2010
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唐突ですが、皆さんは朝、どうやって目覚めてますか? 私はケータイのアラームに好きな音楽をセットしておいてですね、この音楽を目覚まし代わりにしております。そういう人は多いのではないでしょうか。 しかし、最近、「好きな音楽で目を覚ます」というやり方には、何か根本的な間違いがあるのではないか、という気がしてきまして。 というのはですね、私はこのところずっと、イギリスのバンド「コールド・プレイ」の「美しき生命(Viva la Vida)」という曲の大サビを目覚まし用の音楽としてセットしているのですが、これはもちろん、私がこの曲が好きだからそうしているわけであります。 しかし・・・。 朝目を覚ますということは、甘美な、心地よい眠りの世界から現実に引き戻されるということですよね。で、「美しき生命」を聴く度に、「ああ、今日もまた仕事か・・・」といういささかうんざりした気分になる、と。 すると、ですね、段々「美しき生命=嫌なことの始まり」という風に無意識のうちに繋がってくるのか、最近、この曲を聴くと、なんだか切ないというか、トホホな気持になってくるんです。パブロフの犬状態。 これはつまり、大好きだった曲を一つ、私は失ってしまった、ということではないかと。 だから、「大好きな曲で目覚める」のもいいけれど、それは土曜日とか日曜日用にして、ウィークデーには、むしろ「自分の嫌いな曲」をアラーム用にセットする、というのが正しいあり方ではないかと。 と、そんなことを思った次第なんですけど、ご賛同いただけます? ま、どうでもいいっちゃ、どうでもいい話なんですが。 しかし、それにしてもコールド・プレイの「美しき生命」の歌詞というのは、不思議ですよね。あれは一体、何を意味しているのか。しかし、ああいう歌詞の曲がポップスとして作られるということが、ちょっと羨ましい。日本でも、あのくらい不思議で意味深な歌詞の曲を作れるだけの教養のあるグループっていないのかしら。
October 22, 2010
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今日は八光流柔術の道場で汗を流してきたのですが、稽古を始める前、皆伝師範が八光流の風邪対策を教えて下さいました。 それが、標題に掲げた「醤油番茶」というもの。 これ、どういうものかと申しますとね、まず寿司屋なんかで出される大ぶりの湯飲みをご用意下さい。で、そこに醤油(出来るだけ昔からの製法に則った品質の良いもの)を小さめなティースプーンで2杯入れます。そして、そこへ熱湯で入れた番茶をですね、湯飲み一杯に注ぐと。 はい、「醤油番茶」の完成。 で、これを熱々のままふーふー言いながら呑み干し、あとは足を温めて寝ると。これで、風邪の回復が早まるのだそうです。 注意点としてはですね、醤油と番茶の順序を逆にしないこと。熱々の番茶の中に、醤油を二匙垂らすのではダメなのだそうです。あくまでも、醤油に番茶を注ぐ、と。 ま、師範によれば、醤油に含まれる塩分、そして番茶に含まれるミネラルのコンビネーションが風邪に効くということらしいのですけど、うーん、試したくなってきた! でしょ?! ところで今日は二段技の「手刀捕り」というのを習ったのですが、相手に捕まれた手首を、逆に相手に巻きつけるようにして極めるんです。掛かると痛いよ~。 しかし、相手がこちらの手首を離した場合、技は効きません。そこで私が師範に「その場合、どうするのですか?」と尋ねたところ、師範莞爾として曰く、「釈迦楽さん、その場合、相手はあなたの手を放したのですから、逃げればいいんですよ」ですと。 そういうことですか! で、師範が続けておっしゃるには、「武道をある程度収めると、変に自信がついて、つい襲ってきた相手に逆襲したくなりますが、それは護身術の範囲を超えています。護身術の基本は、危うきに近づかぬこと、万が一、危険な事態になったら、まず逃げること。それでも相手に追い詰められた時だけ、相手の動きを止めるために技を使って下さい。そして相手がひるんだら、深追いしないで、また逃げて下さい」。 この師に出会っただけでも、八光流柔術の道場に通い始めて、ほんとに良かったと思う私なのでした。
October 21, 2010
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今日は教育実習に行っている学生の研究授業を参観するため、朝も早よから家を飛び出して豊橋くんだりまで出かけ、1限と2限の授業を見て参りました。 しかし、ま、それは置いておいて。 せっかく豊橋まで出たのだから、帰りは少しドライブしようと思いまして、国道1号線には乗らず、23号線に乗ってのんびり蒲郡経由で一般道を走って帰ってきたという。 で、その途中、蒲郡を少し通り越し、山の中の一本道に差し掛かるところで、道の両脇に柿木が沢山植えてあるところがある。どうやらこの辺りは「筆柿」の産地らしいんですな。ということで、道端のところどころに置いてある無人販売店に立ち寄り、筆柿が8個くらい入った包みを100円でゲットしてきました。100円ですよ、100円。安いもんだ。 で、さらに23号に乗ってどんどんと名古屋に近づいて行きながら、ふと思いついて、刈谷という町の近くで23号を降り、この地にある「刈谷市美術館」に寄って行くことにしました。今、この美術館で「宇野亜喜良展」をやっているのを思い出したからです。 宇野亜喜良。ご存じの方は多いと思いますが、日本を代表すると言っても過言でないほどのイラストレーターでございます。世代的には和田誠とか、横尾忠則なんかと同じくらいかな? イラストレーターとしてのキャリアは、優に50年を超えるのではないかと。 で、その耽美的というか、細密にして独特のシュールさと抒情性をもった画風は実に私の好みでありまして、金子國義と共に、私が最も愛する日本の画家の一人と言ってよいでありましょう。澁澤龍彦を語るのに金子國義の絵が不可欠なように、寺山修司を語るのに不可欠なのが宇野亜喜良、みたいな感じと言いましょうか。その宇野亜喜良のイラストレーションの原画を数百点も集めた展示とあっては、行かないわけには参りますまい、ってなもんで。 で、実際に見てみると、うーん、やっぱり素晴らしい! これだけの規模で宇野さんの作品を見られるとは実に幸運。まあ、外国にも魅力的なイラストレーターは沢山いますが、その独創性において、またその量において、宇野亜喜良に匹敵する人がどれほどいるか。そう考えると、我が国に宇野亜喜良あり! と声を大にして言いたくなりますし、逆に、これほどの才能が日本にいるのに、果たしてその実力が海外にちゃんと紹介されているのかと思うと、いささかお寒い感じがします。いや、ある意味、ジャン・コクトーどころの騒ぎじゃない実力だと思いますよ、宇野さんは。 でまた、50年を超える長いキャリアを持ちながら、今なお現役バリバリというところがまたすごい。 というわけで、今日は宇野亜喜良展、堪能しました。それにしても刈谷市美術館というのは、地方の小規模な美術館に過ぎませんが、よほど腕のある学芸員がいるらしく、時折、ものすごくセンスのいい展覧会を独自に企画したり、気の利いた展覧会の巡回に参加したりして、私を喜ばせてくれます。より規模の大きい名古屋市美術館とか、愛知県美術館なんかより、よほど勉強していますよ。 ということで、刈谷市美術館で11月3日まで行われている「宇野亜喜良展」、教授の熱烈おすすめ!です。展覧会場では、宇野亜喜良さんが作ったショート・フィルムみたいなのを上映していますが、宇野さん独自の美意識が作り上げた、耽美的で幻想的な、ものすごい映像美を見せてくれますので、こちらも必見です。少女からの手紙価格:1,680円(税込、送料別)悪魔のりんご価格:1,470円(税込、送料別)美女と野獣価格:1,575円(税込、送料別)宇野亜喜良60年代ポスター集価格:3,045円(税込、送料別) 追伸:そう、美術館で宇野さんの絵を見ていたら、見事なアフロヘアをした若者が私の隣で宇野さんの絵に見入っていました。さすが、宇野さんの絵が好きな奴ってこういう髪型しちゃうんだ、と、何だか妙に納得しましたけどね。
October 20, 2010
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最近、小学校時代の友人がブログをやっていることを知り、よく見に行くようになりました。 で、こいつはフリーのテレビ・ディレクターをやっているらしいのですが、そういう仕事ですから、時間に余裕があるというのか、あるいは情報を発信することに命をかけているからなのか、一日に何回も更新するんですよね。時に4回とか5回とか更新している。 だもので、ついこちらも一日に何回もこいつのブログを見に行ってしまうんです。多分、奴が更新する回数より、私がアクセスする回数の方が多いんじゃないでしょうか。 で、そんなことをふと思ったのですが、奴の場合はブログなので、一回の更新の度に相当量の情報があるわけですが、例えばツイッターのようにホンの一言、発信するだけだったら、一日に10回も20回も「○○ナウ」とか言って更新することができるだろうな、と。 すると、そのツイッターの愛読者は、20回も30回も、そのツイッターを見に行くだろうな、と。 すると、ツイッターというのはブログ以上に広告効果があるのだろうな、と。 は~、なるほど。今、ようやくツイッターの存在意義が腑に落ちましたよ。そういうことね。もちろん私の理解の仕方は間違っているかもしれませんけど、自分的にはようやく納得できました。私は前から、ツイッターって一体何の意味があるんだろうと、ずっと不思議に思っていたんです。でも、アクセス回数がブログの比じゃないだろうと気付いて、ようやく意味が分かった。 はー、スッキリ~! でも、そう考えると、ツイッター思い付いた奴って頭いいな。ってか、私が最初に思い付いたら、今頃お金持ちになれたのにな。ネット上にはお金の生る木が沢山あるのに、どうして他の人が気づく前に、それに気付けないのかしら? ま、そういうもんなんでしょう。 さ・て・と。で・・・、今話題の「フェイスブック」って、何? 私には分からないことが、この世には沢山あるなって思う、今日この頃でございます。
October 19, 2010
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先週の月曜日が休みだったので、今日は2週間ぶりのゼミ。で、ゼミ生に「この2週間で、何か面白いことあった?」と尋ねたら、一人のゼミ生が「先週末、ディズニーランドに行ってきました!」ですと。 ああ、ディズニーランドね・・・。 すると、他のゼミ生たち(全員女子学生)も目を輝かせて「ランド? シー?」などと質問攻め。で、詳しく聞くと、朝、新幹線で東京へ出てディズニーランドで一日遊び、その日は泊って、翌日、ディズニーシーの方で一日遊んで、それで夜遅く、再び新幹線で名古屋まで戻って来たとのこと。私なんぞは、その日程を聞いただけでうんざりしますが、他のゼミ生たちは「ディズニーのハロウィーン、良かったでしょう!」などと口々に。何だ、他のゼミ生たちの中にも10月に入ってからディズニーランドに行ってきた奴がいるらしい・・・。 いやあ。皆、好きだね、ディズニーランド。どうして、そんなにあそこに行きたがるかねえ。私には分からないなあ。 だって、大規模な遊園地という意味では、大阪のユニヴァーサル・スタジオだって同じようなもんでしょ? だけど、学生たちの話を聞いていると、どうもそうじゃないらしいんだなあ。ディズニーランドというのは、何か特権的に、素晴らしい場所、楽しい場所の象徴になっているようで。 そこが分からない。何が、そんなにいいんだろう。 私はそもそも人ごみが嫌いだし、お祭り騒ぎが嫌いだし、子供の時から「子供っぽいもの」が嫌いなので、遊園地なんてほとんど行ったことがないという。ディズニーランドも、東京のに1回、ロスのに3回くらい行ったけど、別に、って感じです。幸いなことに私の家内も同じようなもので、ディズニーランドに行きたいなどと言ったことがありません。昨年ロスに行った時、「久しぶりに行ってみる?」と尋ねましたが、「行かない」と言ってましたしね。 ほんと、ディズニーランドの何がそんなに特別にいいのだろう。単なる遊園地以上の、何があるんだろう。その辺、ゼミ生たちにも聞くのですけど、今時の若い人たちは自己分析しませんからね。なんで自分はディズニーランドが好きなのかなんて、そこまで突き詰めて考えないので、結局、「なんか、いいんですよね~」ということになってしまって、そんな彼女らの曖昧な言葉からは、納得のいく回答は得られません。 彼女たちばかりではなく、私の周りには、「年に1回、家族全員で泊りがけでディズニーランドに行くのが楽しみ!」という人は多いですし、そのため家族全員分の往復の足代や入園料、それにホテルへの宿泊代など一度に20万円以上の費用をかける、なんて話も聞きますけど、私にしてはアンビリーバボー。そんなお金があったら、八ヶ岳へでも行って、人のいない静かな高原の遊歩道をのんびり散歩しますわ。 というわけで、ディズニーランドに行ったことを楽しげに語るゼミ生たちの姿を見ながら、まったく話の輪に加われないワタクシなのでありました、とさ。
October 18, 2010
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このブログでも何度か書いたかもしれませんが、遠い昔、ワタクシはプロレスラーになることを夢見て、日夜身体を鍛えていた時期があったのでした。そして、とりわけジャイアント馬場さんに憧れ、彼が社長を務めていた「全日本プロレス」に入門の嘆願書まで出したことがあるという・・・。ま、当時はそんな小学生が沢山いたのでしょう。馬場さんから「明日、家に来い」という返事は来なかったですねえ・・・。 ま、そんな感じで、昔から根っからの馬場ファン、全日ファンのワタクシ。全日の名物レフェリー和田京平さんが書かれた『読む全日本プロレス』(メディアファクトリー:590円)という本があると聞いたら読まずにはおられんじゃないですか。すぐに購入し、一日で読んでしまいましたよ。 で、全体の感想から言いますと、なかなかの名著ですよ、これは。馬場さんの在りし日のこと、全日の全盛期のこと、全日本プロレス分裂劇の全貌などすごくよく分かるし、特に和田さんが師と仰ぐ馬場さんの思い出を語る時、馬場さんの人柄が伺えて、やっぱり馬場さんという人はすごい人だったんだなあと改めて思わされます。 例えば、ファンにサインするにも、いかに馬場さんが気を使っていたか。 ある時、小さな息子を連れた父親が、息子のためにと言ってサインを求めてきたことがあるんですって。で、その時、馬場さんは時間に追われていたのですが、構わず快くサインに応じてあげた。そして付き人だった和田さんにこう言われたそうです。「もしあそこでサインを断っていたら、息子の前で父親の顔をつぶすことになる。逆にサインすれば、父親の面目も立ち、しかも息子はずっと俺のファンになってくれるだろう。だから俺はサインを断らないのだ。ファンは大事なんだ」と。 またある時、和田さんが「若手レスラーの中で誰が一番可愛いか」と問うたところ、馬場さんは言下に「大仁田厚」と答えたというのです。しかし、その答えは和田さんには意外だったんですね。というのは、和田さんは大仁田さんが、馬場さんの見ているところでは一生懸命にやるけれど、目の届かないところではサボることを知っていたから。すると不審げな和田さんに対し、馬場さんはこう言ったんだそうです。「あいつ(=大仁田)は要領が良かった。ゴマのすり方が実にうまかった。京平、ゴマはすれよ。ゴマすられてイヤな奴は一人もいないんだよ。この俺だって、誰かがいいこと言ってくれたり、嬉しいことをしてくれたらゴマすりとは受け取らない。最終的には可愛い奴だ、になるんだよ。だからゴマはすりなさい。な、京平」と。 巨人時代、馬場さんは規定を守ってコーチ連に付け届けなどをしなかったがために冷遇されたことがあったそうで、そういう色々な辛い人生経験の中から、上のような哲学を得たのでしょうけど、こういうところにも馬場さんの人間理解の深さ、色々承知の上で清濁併せ呑むところが、よく表れているじゃないですか。 で、和田さんはこの教えを守って、馬場さんに目いっぱいゴマをすり、そして誠心誠意尽くした。だから、最後まで馬場さんに可愛がられた。そう、和田さんは振り返っております。 そして、馬場さんの最期の日々のこと。前年の12月に不調を訴え、翌年の1月末に亡くなるという、まさに急逝という言葉がふさわしい馬場さんの逝き方に、何とか対応しようとする和田さんの心情がリアルに描かれていて、心を打ちます。 本書の後半では、馬場さん亡き後の全日本プロレスの分裂劇の内実が綴られており、三沢氏の脱退とノア創立、武藤氏の社長就任など、プロレス群像として面白いことは面白いのですが、プロレスがショー的要素を失い、本気モードの単なる格闘技になりつつあった80年代辺りから既にプロレスへの興味を失っていた私には、この辺の記述にはあまり馴染みのない人名が多く含まれていて、懐かしさはないんですね。懐かしさという点では、むしろ本書の冒頭あたりの記述の方が私には面白かった。 例えば、覆面レスラーとして一世を風靡したミル・マスカラス。メキシコ・レスラー特有の空中殺法を得意とした彼の戦いぶりは、小学生時代の私を熱狂させましたが、そんなマスカラスのことを馬場さんはあまり高く評価していなかったなんてことを聞くと、そうだったのか・・・と思いますし、また覆面を脱いだマスカラスが、実はアラン・ドロンそっくりのいい男だったと聞いて、これまたビックリしてしまいます。 それから悪役のアブドーラ・ザ・ブッチャーね。彼の暴れっぷりは手のつけようがなく、和田さんですら怖かったそうですが、そんな彼も黒人であるがゆえに、白人レスラーがたむろする控室には決して近寄ろうとしなかった、なんて裏話を聞くと、何だかあの悪役が可哀想になってきます。そんなブッチャーに、和田さんは小さくとも彼だけの控室をあてがってあげたそうですが、ブッチャーは何度も「サンキュー、サンキュー」と礼を言ったのだとか・・・。 その他、スタン・ハンセンは実は非常に目が悪く、目の前の相手しか見えないので、それでめちゃくちゃにパンチを振り回していた、とか、昔のレスラーは、来日する時にきちんとしたスーツ姿で、特に「アイアン・クロー」で知られたフリッツ・フォン・エリックは、スーツ姿でもものすごいオーラがあったそうですが、ドリー・ファンク・ジュニアの弟のテリー・ファンクあたりから、Tシャツ姿で飛行機から降り立つようなレスラーが増えた、とか、まあ、私のような往年のプロレス・ファンにはたまらないようなエピソードが満載。 とまあ、大昔のプロレス・ファンとして、私はこの本を非常に楽しみながら読んだのですけど、この方面に興味のない人にとってはどうなんでしょうか。しかし、私と同じか、あるいは少し若い男性なら、同時代に起こった出来事として興味が無いはずはないので、おすすめしておきましょうかね。少なくとも、馬場さんという稀有な人物の描写だけでも読む価値はあるのではないかと。 ま、そういうものとして、和田京平さんの『読む全日本プロレス』、教授のおすすめ!です。
October 17, 2010
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公開時、観ようかどうしようか迷っている間に観損なってしまった『マイレージ、マイライフ』という映画をレンタルで観てしまいました。以下、ネタばれ注意です。 ジョージ・クルーニー演じるライアンは、人にリストラされたことを告げ、新たな職場探しの手伝いをする会社のベテラン社員。「あなたは会社に必要のない人間なので、クビ。明日から出社しなくていい」ということを告げることを職業にしているのだから、相当タフな神経と、相手の気持ちを慮る繊細さが同時に必要とされるわけだが、彼はこの職が性に合っているらしく、過去を捨て去り、新たな未来を模索するための講習会などで頻繁に講演を頼まれるほどの腕前。 ところで、アメリカ中を飛び回って人の首を切る他に、ライアンには一つ、生涯をかけた目標があるんですな。それは未だ6人しか達成したことがないという「1000万マイル」のマイレージを貯めること。これは毎年35万キロほどの出張を30年間続けてようやく達成できる数字ですから、誰にでも達成できるものではない。 で、年間320日も出張するライアンにとって、空港や飛行機の中こそ我が家、という意識があり、時におなじ出張族の女性と束縛のない付き合いを楽しんだりはするものの、結婚するとか、家を持って定住する、なんてことはまるで眼中なし。 ところが、そんなライアンの出張生活に、一つの危機が訪れます。ライアンの会社にナタリーという若い新人女性社員が入社してきて、この会社が費やす膨大な出張費を削るため、インターネットを使って離れた場所からクビを言い渡すシステムを構築することを提言するんです。もし、このシステムが採用されれば、ライアンの出張も激減し、1000万マイルのマイレージを貯める野望もついえることになる。これはまずいということで、ライアンは上司に「テレビ電話みたいなので人のクビを切れるか!」とねじ込み、とりあえずナタリーの教育係として実際のクビ切りを体験させるべく、彼女と共に出張に出ることになる。 で、このナタリーを連れての出張の中でライアンは、結婚して家庭を作ることを幸せと考えるナタリーとの間で意見の相違があったり、疎遠になっていた彼の妹の結婚式に呼ばれ、そこで結婚とか家族を作ることについて考えさせられたり、はたまた、ナタリーの提言が本格的に採用され、ライアンの出張ライフが終わりになったことを機に、このところ出張の度に会っていたガール・フレンドのアレックスとの関係を見直し、彼女との結婚のことを考え始めたり、と、ライアンの身の上にもかなり大きな変化が生じ始めると。 さて、果たしてライアンは生涯獲得マイレージ1000万マイルの大台に到達することができるのか? 彼とアレックスとの関係は結婚へと進展するのか?? ライアンの「空の上こそ我が家」という人生哲学はどうなるのか??? ・・・というような話です。 で、この映画に対する私の評価は・・・ 「73」点でーす。やや低空飛行ながら合格! まあね、人にクビを宣告するという仕事、そして年間320日を出張で過ごす男、というテーマが、まず面白いですよね。それから、1000万マイルのマイレージを貯めると、その人の身にどういうことが起こるのか、というのも非常に興味深い。また、それまで鞄一つに詰め込めるものだけを持って生きる、という哲学を通してきた男が、その哲学を捨て、新たな人生を始めるかどうするかで悩む、というところも面白い。彼が人にクビを宣言し、その人を新たな人生に導くことを仕事にしてきただけに、ね。 ただ、映画の結末がね、ややオープン・エンディングというか、カタストロフィーがないように作られているので、もやもやした気分で観終わることになるのがちょっと・・・というところがないわけではない。そこがいい、という風に思えなくもないのですけど。 それでも、ジョージ・クルーニーはこの役に実にふさわしい、という感じはします。大体、私はジョージ・クルーニーという俳優のことを憎からず思っておりまして、何となく彼だから許してしまうところがある。その辺の甘さも含めての73点と、まあ、そう思って下さい。 しかし、それにしてもライアンと私自身の生活の違うこと、違うこと。私なんざ、鞄に詰められるだけのものをもって生きるなんて、無理無理。ライアンが「up in the air」なら私はまさに「down on earth」の定住タイプ。家族・友人・恩師・家・財産・思い出・思い出の品々、何一つ捨てられないな。鞄に詰めるものが多すぎて、そもそも持ち上がらないよ。 それだけに、自分とはまったくタイプの違うライアンという男の生き方に対し、逆に強い共感をもって見ることが出来たような気がしているワタクシなのでありました、とさ。
October 16, 2010
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昨日辺りから何となく左目がゴロゴロするなと思っていたら、やーっぱり。ものもらいになっちゃった。 ワタクシ、子供の時からあまり目の病気にはかからないので、ものもらいにしても何年ぶり?という感じ。久しぶりに、あの独特の不快感に悩まされました。なんかゴロゴロするし、涙は出るし、目をずっと開けていられない。 で、家にあった目薬を色々投入してみたのですが、どうも全然効かないなあと思ったら、それもそのはず。「疲れ目用」と「花粉症用」のしかないんだもん。 で、まあ、これじゃイカンということで、涙をふきふき家の近くの薬局まで行きまして、買ってきましたよ、「ものもらい用」の目薬。で、家に戻ってから「これでもかっ!」ってな感じで薬液投下! 黴菌め、人類の英知を思い知れ! そしたらですね、これが功を奏したのか、まだ多少の違和感はあるものの、何とか普通に目を開けていられる程度には回復。うーん、さすが最近の目薬は、市販薬といってもよく効くなあ。 とはいえ、何となく一週間の疲れが出たのか、今一つ気合いが乗らず、今日はベッドに寝っ転がって本ばかり読んでおりました。本当はするべき仕事もあるんですけどね。ま、そういう日もありまさあ。 ということで、明日はもう少しちゃんと仕事するということにして、今日はもうこの辺で。お休みなさーい。
October 15, 2010
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ジャズ史の授業、なかなか快調に飛ばしておりまして、講義してても楽しい、楽しい! 何せテーマがジャズですから、実際に音を聴かせなきゃどうにもならない。ということで、音楽科の「合奏演習室」という防音設備ばっちりの部屋を借り、ダイアトーンのどでかいスピーカーで大音量のジャズをかけまくり、ほとんどジャズ喫茶状態。 次々にお気に入りのCDを、蘊蓄たっぷりにかける・・・、まさにDJにでもなった気分でございます。っていうか、大学の先生なんか辞めて、まじでDJになりたいワタクシ。予行演習のつもりで、気合も十分。 で、今日はジャズと同時期に発生し、アメリカのポピュラー音楽の一つの源流ともなるブルースをテーマにして、ブラインド・レモン・ジェファーソンとか、サン・ハウスとか、ロバート・ジョンソンとか、ハウリン・ウルフとかのブルースを学生たちに聴かせていたのですが、聴きなれない、しかも彼らが日ごろ聴いているJ-Popなんかとは比べ物にならないような迫力の音楽に、目を白黒させておりましたっけ。 ところで、例えばロックなんかにもブルースの影響ってあるよ、ということで、ジミ・ヘンドリックスなんかも聴かせてみたのですが、ちょっと驚いたのは、十数名の受講生の中で、ジミ・ヘンのことを知っていたのはたった一人だった、といういこと。その唯一の学生(男子学生)は、「ジミ・ヘンって、知っているよね?」と言うワタクシの問いに、「もちろん!」と答えたので、私も少しホッとしたのですけど、残りの学生たちはジミ・ヘンの演奏を聴いたことがないばかりか、その名前すら知らなかったというのは、さすがに少しショックでした。 ふーむ、ジミ・ヘンも、過去の人か・・・。 まさか、とは思いますが、そのうち「ビートルズ」の名前すら知らないという学生も出て来るのかしら。いや、もう大半がそうだったりして。この授業の中で、どこかでビートルズに触れることもあるかも知れませんが、その時がちょっとコワイ・・・。 しかし、ジミ・ヘンにしてもビートルズにしても、例えばNHKの衛星放送とかで、時々特集とかやりますからね、今でも。今時の学生って、そういうの、興味ないのかね? ま、教育とは啓蒙のことなんですから、せめてワタクシの授業をとった学生だけでも、ジミ・ヘンの何たるかを今日知った、と思えば、いいのかな・・・。
October 14, 2010
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レンタルDVDで『サロゲート』を観ました。以下、ネタばれ注意です。 人々が「サロゲート」と呼ばれる自分の分身ロボットを自宅から遠隔操作しながら生活する、というライフスタイルが確立してしまった近未来の話なんですが、何せサロゲートが経験することはすべてヴァーチャルな体験としてそれを操作する本人(オペレーター)の脳にインプットされるわけですから、いわば本人が経験することと変わりがない。しかもサロゲートが事故にあったりしても、それはロボットが壊れるだけなので、オペレーターは無害。つまり、人間は自分の分身であるサロゲートを使うことによって、安全で快適な生活が送れると、こういうわけですな。で、サロゲートを開発・販売しているVSI社は巨大企業に成長したと。 ところが、そんなある日、サロゲートが何者かが発したエネルギー光線みたいなもので破壊され、しかもありえないことに、サロゲートのオペレーターまで自宅で死んでいるのが発見されるんです。これはサロゲートの安全性をゆるがす一大事。当然、捜査が始まります。 で、その捜査をするのが、我らがブルース・ウィリス演じるFBI捜査官グリアー。といっても、グリアー自身もサロゲートを使っていて、髪の毛ふさふさの姿で登場。実はグリアーは、奥さんとの間に男の子をもうけ、幸福な3人家族だったのですが、その坊やが交通事故で死亡、以来、奥さんは自室に引きこもり、サロゲートを使って仕事に打ち込むだけが生きがいになってしまっていたんですな。で、生身の人間として夫であるグリアーと向き合うこともなく、夫婦それぞれ別室にいて、昼間の間だけサロゲート同士が会話をする程度の夫婦関係になってしまっていたと。そのことにグリアーは悩みますが、奥さんは頑なに自室にこもったまま。 で、捜査が進むうち、どうやらサロゲートを破壊する光線を発したのはストリックランドというチンピラなんですが、そんなチンピラが、特殊な武器を使いえたのはなぜなのか。 実は、その裏にVSI社と、その創立者でありサロゲートの産みの親であるキャンター博士の間の確執があったんです。 キャンター博士は、自らが開発したものの、世の中がサロゲートだらけになり、人間同士のつながりがなくなってしまったことを問題視し、サロゲートを廃止しようと考え始めていたのですが、すでに巨大産業となっていたVSI社としては、そんなことをされてはたまらない。そこで社はキャンター博士を追放し、さらに抵抗を続ける博士を亡き者にしようとした。 で、FBI内部にもスパイを送り込んでいたVSI社は、ストリックランドと例の武器を使ってキャンター博士をサロゲートごと殺そうとしたんですな。ところがたまたまその時、キャンター博士のサロゲートを使っていたのは、キャンター博士の息子だった。博士は、自分とVSI社との確執によって、自分の息子を殺されてしまったと。 そこでますます怒ったキャンター博士は、この武器をFBIから奪い、これを使って世界中にエネルギーを放射、サロゲートを愛用し、人間性を失ってしまった人間をサロゲートもろとも破壊しつくしてしまおうと、そういう計画を立てるわけ。 さて、グリアー捜査官は自らが生み出したサロゲート社会を一掃し、その破壊行為によって人類救済をもくろむキャンター博士(彼自身は、破壊行為と同時に自分も自殺することを決意している)の最期の野望を止めることができるのか? そして、子供の死後、触れ合うこともなくなってしまった奥さんとの関係を、どうやって修復するのか?? ・・・みたいな話です。で、私のこの映画に対する評価は・・・ 「53点」でーす! 60点以下なので、見る価値なーし! もちろん、好きな人は見ていいですけど。 まあね、『アバター』同様、また「代理」ものかよ、という新味のなさもさることながら、ストーリーのあちこちに無理がありまして。 大体、この映画の一番の見どころであるはずの、グリアー捜査官とその奥さんの関係ですが、いくら坊やを交通事故で失ったからといって、それが原因でその後何年も夫との接触をすべて忌避するようになるなんて、ちょっとねえ。リアリティがないです。 同じ理由で、世の中の人の大半がサロゲート依存症になるなんて、信じられません。 逆に、仮に人々が皆、サロゲート依存症になるものとして、じゃあ今回の事件によって何が変わるんだろう? だってサロゲートが一時的に全部破壊されたって、VSI社とその技術は残るのだから、今後、この会社が新たに開発するであろう新型サロゲートはますます売れまくって、VSI社はますます巨大産業になるんじゃないの? そうだとすると何の解決にもなってないじゃん? その他、突っ込みどころ満載で、とても納得できる映画じゃござんせん。SF映画の見どころのひとつであるはずの特撮も、テレビドラマ・レベルですから、 それにしても、(『インセプション』はまあまあだったけど)、『トータル・リコール』とか、『エイリアン』とか、『ターミネーター(1・2)』みたいに、何度見ても面白いというようなSF映画って、なかなかないもんですなあ・・・。SFもネタ切れってことですかね。
October 13, 2010
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ふと気が付いたのですけど、最近、アメリカ文学関係の研究書が出版されないなあ、と。 私は学会の「資料室」というところを預かっておりますので、日本中のアメリカ文学の研究者が何か本を出したりすると、私のところに一部送られてくることになっているのですが、最近、それが全然送られてこないんですよ。 いや、最近どころではなくて、この2ヶ月というもの一冊も送られてこない。私が資料室を担当するようになってから3年ほど経ちますが、今までこんなことはなかったですねえ・・・。 例年ですとね、1週間に1冊、あるいは2週間に1冊のペースで送られてきたものです。ですから、年間を通じてざっと40冊くらいの新刊が出る勘定になるわけ。ところが今年は6月に1冊、7月に1冊の寄贈があった後、どこからも研究書の寄贈がない。8月・9月は成果ゼロ。 うーん、会員数1600人近い学会として、これは一体どうしたことでございましょうか。 どうしたもこうしたも、はっきり言ってアメリカ文学研究の世界が下火だ、ってことですよね。学会にとって研究書の出版というのは、いわば企業にとってのキャッシュ・フローみたいなものございまして、新しい研究書が出て、それが学会を刺激して、また新たな研究書が出ると。そうやってぐるぐる回っているのが学会だとすると、それが止まったというのは、命取りってことですから。 大丈夫ですかね、うちの学会!? しいて言えば、この先、マーク・トウェイン関連で何か大きな本でも出るかな、と。聞くところによるとマーク・トウェインって今年が没後100年で、彼自身が「100年封印しろ」と言い残しておいた自伝がいよいよ今年出るらしい。これはもう、学会としては願ってもないような大事件でありまして、これが出たら、少なくともマーク・トウェインを研究している人たちは盛り上がるだろうなと。そうなれば、そこからまた新たな研究書も出て来るでありましょう。 ま、そればかりでなく、私自身もね、そろそろ専門で一発、面白い本を出したいところなんですが、今のところ難産で。 とにかくこの停滞ムード。自他ともに何とかしなきゃと思っているところなのであります。
October 12, 2010
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私らしくないと言えばそうなんですけど、書店で見かけた『大学破綻』(角川ONEテーマ21)という本を買って読んでしまいました。ま、うちの大学も破綻しないように悪あがきをしておりまして、そのために我々教員は苦労させられっぱなしなんですが、じゃあ、もっといい改革の方法があるのか、どういう方向性を持って大学を改革していけばいいのか。プロの人はどう考えているのか気になったものですから。何せ著者の諸星さんというのは、ミネソタ大学秋田校初代学長、桜美林大学副学長などを経験された、大学経営学のプロですしね。 で、この本をざっと一読してみたわけですが、うーん、結局この本はですね、大学全入時代に突入している今、そしてこれからますます少子化が深刻化していく中、真っ先に閉鎖に追い込まれそうな小・中規模の地方新設大学が、この先生き残って行くためにはどうしたらいいか、ということが書いてあるんですね。ですから、ここで書かれていることが必ずしも地方国立大学の改革の指針になるかどうか、その辺は少しターゲットが異なるのかなと。 しかし、もちろん参考にはなりますからね。 で、諸星さんによれば、そういう大学が生き残って行くために必要なのは、まずもって「当該の大学のミッションとは何か」をはっきりさせ、そのミッション達成のために今何をすべきかを考えることが大事だ、というのですな。そして、そういう大学に勤める教員は、研究者としてのプライドを捨て、まずは教育のプロになる、という風に意識改革をし、また大学の経営サイドは、大学をビジネスと考え、徹底した効率化を追及すると同時に、大学職員は教員の組織以上にプロ意識を持って改革の旗頭に立つべきである、と。 つまりね、日本にある全ての大学が研究機関である必要はない、という意識を、大学人自身がまず持てというのですな。日本にある研究中心大学、研究者養成大学なんてのはごくごく少数なのであって、むしろ日本の大学の大半は、有能かつ教養のある社会人を育てる機関であるか、あるいは明らかに能力の低い学生を叱咤激励しつつ育て上げ、一応はまともな社会人として社会に送り出すための機関であると。だったら、それぞれの大学は「うちはどのレベルの大学か」を明確に意識し、そのレベルにあった目標をもって、そのレベルにあった学生を募集し、彼らをその目標に沿って責任をもって育てるべきだ、というわけ。 もっと具体的に言えば、「うちの大学は中レベルの学力を持った学生を受け入れ、教育する」ことをミッションと定めたら、入試の得点の高かったハイレベルの学生を敢えて落とすくらいの覚悟を持てと。でまた大学教員も、研究中心大学の先生以外はもっと教育に力を入れるべきだし、もしそれが出来ないというのなら、そんな人はクビにして、教育のプロと交換しちゃえと。 で、そういうミッション先行型大学の成功例として、諸星さんは金沢工業大学と日本福祉大学を挙げておられます。なるほどね。 それから、大学の売り物は「単位」なんだから、その単位の価値をしっかり定めろ、ということも諸星さんは主張しておられます。どんぶり勘定で授業料を決めるのではなく、それぞれの大学が「うちの大学は1単位いくらだ」ということを、根拠をもって示せと。そしてその価格に見合うだけの価値のある授業をしろと。またそれと同時に、大学のキャンパス周辺に住む地元の住民にその単位の価格を公示して大学の授業を一般の人にも公開し、もし何年かかってでも124単位揃える人が出たら、その大学の卒業証書を出せと。それでこそ、地元の人に支持される大学になるのだと。 とまあ、そんな感じで日本の大学の在り方について様々な問題点を指摘され、それを改善するための提案をされているわけですな。 ま、はじめに言ったように、この本は現在の日本の大学の中でも特に弱い立場にある(存立の危機にあるような)大学を想定しての提案ですから、全ての大学に当てはまるわけではないですけど、中にはそういう大学だけでなく、日本の大学全般に当てはまる厳しい指摘や、その改善策などもありますので、一読して損はない本だと思います。そういうものとして、大学関係者にはおすすめしてもいいかな~、と。 で、自分のことに引き付けてこの本を読むとなると、諸星さんの目から見たら、ワタクシなんぞは、まだまだ教育者としての自覚が足りないと言われてしまいそうだなあって思いましたね。 いや、少なくとも専門の授業に関して言えば、凡百の先生方よりよっぽど面白い授業をしているという自負はありますよ。ありますけれども、それはある意味自分のためであって、「俺の授業の面白さが分からない学生なんぞに用はない」と冷たく突き放しているところはある。大学ってのは、やる気のあるヤツ、こちらの言うことが分かるヤツだけ来ればいいんだ、と思っていますから。逆に言えば、お馬鹿さんたちの面倒を懇切丁寧に見てやるほどまでは自分を落としたくない、と思っている。 そこがイカンのかな、と、諸星さんの本を読んで少し思いました。「お前は、そこまでご立派な一流の研究者か?」と、諸星さんに問われているような気がして・・・。 そういう意味では、いい反省材料にはなりましたね。もう少し己を知って、分相応に教育にもっと熱を入れなきゃいかんなと。 しかし、それでもやっぱり大学進学率50%というのは、どう考えてもおかしな数字だと思いますねえ。このおかしな数字がもたらす様々な弊害を、大学の改革だけに引き受けさせようという現状には大いに疑問を感じます。大学以外にも、進学先があっていいはず。私は、既存の工業専門学校だけでなく、国公立の農業専門学校、漁業専門学校、音楽専門学校、デザイナー専門学校、サラリーマン専門学校、図書専門学校、美容専門学校、動物飼育専門学校などなど、あらゆる分野の専門学校をもっと増やし、そこを中学・高校卒業生の受け皿にすべきだと思うんだけどなあ。大学進学なんて、そもそも非常に特殊なことなんだから、皆が皆、そんなことしなくていいんですって。 そういう教育の複線化こそ、日本の教育を変える本当の道筋だと、私は思っております。そこは、この本を読んだ後でも変わらないな。
October 11, 2010
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実家に川本三郎さんの『いまも、君を想う』という本があったので、読んでしまいました。『yom yom』に連載されていた時から話題になっていた、亡くなった奥様、服飾評論家の川本恵子さんへの追悼の書ですな。 ちなみにこの本の帯に、おそらくは編集者が書いたのであろう惹句があって、曰く「文芸・映画評論の第一人者が愛惜を綴る、感泣落涙の追想記」。しかし、別にこれ読んだって感泣落涙なんてしませんよ。というのも、恵子さんありし日のことや、恵子さんが亡くなった時のことを、川本さんは(おそらくはご自身が泣かないために)努めて淡々と綴られているのですから。その意味でこの本は「泣かないように書かれた本」なのであって、そこへお涙ちょうだいみたいな変な惹句なんか付けない方がいいのに、と私は思います。かえって著者に失礼ですよ。 むしろこの本の面白さ(と言っていいのかどうか・・・)は、亡くなった恵子さんの人柄がよく分かるようなエピソードの数々で、例えば、川本さんが気に入ったコートや靴があると、恵子さんは同じものの色違いを買ってきて、変わり番こに着るようにさせた、とか。男というのは気に入った服や靴があると、そればっかり着るのですぐ駄目になってしまう。だったら同じものを二着買って、代わる代わる着た方がどちらも長持ちする、というのですな。 また、ある時恵子さんは川本さんのためにアロハシャツを買ってきたそうで、川本さんがそのシャツの派手さにたじろいで難色を示すと、恵子さんは「アロハシャツというのは二枚目より三枚目の方が似合うのよ」と言って川本さんを説得。実際に着てみたら、果たしてアロハシャツは川本さんによく似合い、それ以来、川本さんの夏の装いの定番になった、とか。 あるいは、川本さんの還暦祝いのパーティーの後、参加者(大半が女性)へのお礼の品を選んでいた時、川本さんご自身は「ぐい呑み」だの「ジョッキ」だの、そういった酒器でも買うか、というような発想しかできなかったのに対し、恵子さんは「香水をもらって嬉しくない女性はいない」とずばりと断言、結局、香水を選んで喜ばれたとか。 そういうエピソードの一つ一つを読んでいくと、この川本恵子さんという人がいかに賢い人だったか、というのがよく分る。さすが、若き日の川本さんが警察沙汰に巻き込まれて、職も失うようなピンチにあった時、そんなことには決して動ずることなく、川本さんと結婚された女丈夫だけのことはあります。 で、その恵子さんが亡くなった今、もはや川本さんには恵子さんとのエピソードが積み重ねられなくなってしまった。その悲しみが、じんわりと伝わって来る。そんな本ですな。いい本ですよ。教授のおすすめ!です。 ところで、この本を読みながら一つ思ったのですが、何だか最近、この種の本が多くないかと。 多分、城山三郎さんの『そうか、もう君はいないのか』あたりからかと思うのですが、その他にも仲代達也さんの『老化も進化』とか、長門裕之さんの『待ってくれ、洋子』とか。その他、本になっていなくとも、妻に先立たれた男の話を、最近よく聞いたり読んだりするような気がする。これは一体、何なのか。 少し前、『世界の中心で愛を叫ぶ』的な純愛ものブームがありましたが、結局、それの老人バージョンなんですかね? 純愛なんて若者の特権かと思いきや、おっとどっこい、年老いた男には、長年連れ添った糟糠の妻に先立たれるというすごい切り札があった。若者の純愛なんぞ一時の気の迷いだが、こちとら何十年連れ添ったという歴史があるんだぞ、みたいな。 で、その空気のような存在になってしまった老妻に先立たれて、ああ、自分には何十年もの間連れ添った最愛の妻が居たのだ、ということを再発見する、と。ま、再発見した時には、その妻はもう居ないのですけどね。でも、それだけ余計に愛おしいと。 今、日本は「妻の再発見」の時代なんですよ、きっと。 これはね、文学ビジネスとしては大きいんじゃないでしょうか。だってこの老齢化時代、この国には多くの老人がいて、で、その半数を占める男たちがこの種の話にこぞって共感するんだもの。私の父にしたって結構この種の話が好きらしく、城山三郎の『そうか、もう君はいないのか』も買って読んでましたもんね。 だけどこのブーム、女性から見たらどうなんでしょうね・・・。だって、こういう本を読んでいる男たちというのは、当然、「もし自分の奥さんが自分より先に死んだら・・・」ってなことを考えながら、またその悲しみにヒロイックに耐えている自分の姿なんかを想像しつつ読んでいるわけでしょ? まだ生きている奥さんを、想像の中で殺しちゃってるじゃないですか! こういう本を読んでいる父のことをどう思うか、母に感想を聞いてくればよかった。 あのー、こういうことを書いて、川本さんの悲しみにケチをつけているわけじゃないですよ。そこは誤解無きように。だけど、かつてゲーテの『若きウェルテルの悩み』が、「男だって恋に悩み、泣き崩れたっていいんだ」ということを世の男たちに教えたように、今、日本では、妻に先立たれた男は、そのことを大っぴらに嘆いたっていいんだ、という認識が広まりつつあるんだ、ということは覚えておいてもいいのではないかと。 ま、ワタクシはそんな風に思った次第。読者諸賢の御意見や如何に。
October 10, 2010
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昨夜、懇親会に出席しつつ、新生ザック・ジャパン・チームとアルゼンチンのサッカーの試合のことが気になっていた私。帰宅後、ネットでチェックすると、なんと、日本が1-0で勝ったというではないですか! いやー、お見事。ザッケローニ新監督、なかなかやるではないですか。 ところで、ザック監督就任後、私は彼の指導法というか指導方針について報道されたものを読みながら、なるほど合理的でよいなあと感心しておったのでございます。 各種報道を総合すると、ザック監督の指導方針というのは、(1)体を常に相手ボールに向ける(2)体の後ろに出されたボールは、後ろの選手に任せて無視する(3)2人1組でボールを持つ相手に1メートルの距離まで体を寄せる(4)横パス中心の日本サッカーを、シンプルな縦パス志向に切り替える というもの(らしい)。イタリア流の、圧力はかけるけれども、守備のバランスを崩すほどには深追いはしない、そんな守りの基礎を作り上げた上で、攻撃の方はシンプルに、手数をかけずにゴールへ切り込ませる。ね、方針がしっかり定まっていて、スッキリしているじゃないですか。 そして喫緊のアルゼンチン戦に関しては、(1)メッシではなく、メッシにパスを出す選手を徹底マーク(2)それでもメッシにボールが渡ったら、3人がかりでメッシの動きを封じる という方針でメッシ対策も万全。 で、このようなザック監督の指導の様子を仄聞しながら、この人が采配するとなると、ひょっとして今度のアルゼンチン戦もちょっと期待できるんじゃないの? と思っていた私。しかし、「専門家」の方々は、私と同じように感じている人たちばかりではなかったみたいで。 例えば夕刊フジの久保武司氏は、ザック監督の采配に次のような疑問を提示しておりました。曰く・・・------------------------- 連日の非公開練習でザッケローニ監督がまず着手したのが守備の強化。徹底したのは、DF陣への「ゾーンプレス」だった。しかし、これは1995年から2年間、日本代表を指揮した加茂周監督が好んで使った戦術。(中略) イタリアでは「過去の人」と呼ばれているザッケローニ監督。その理由が、20年近く前にはやったこの戦術に固執している点にある。(中略) ちなみに加茂ジャパンは就任2戦目がアルゼンチン戦(95年1月8日)で、1-5で完敗した。当時主流だったゾーンプレスを旗印にしたまではよかったが「世界との差がありすぎる」と加茂監督も認めざるをなかった。 あすのアルゼンチン戦も「95年惨敗の再現」になる可能性が高い。というのも、ザッケローニ監督からゾーンプレスの指示を受けたDF陣のうち、イタリアで売り出し中の長友(チェゼーナ)でさえ「ゾーンプレスというのはやったことがない」と苦笑いするほど戸惑いをみせているからだ。15年前もおそるおそるゾーンプレスを仕掛ける日本DF陣の合間をかいくぐり、アルゼンチンの攻撃陣はゴールラッシュした。 「相手を恐れる必要は全くない。尊敬はしなくてはいけないが」とザッケローニ監督。いずれにせよザックジャパンのスタートは、失敗に終わった95年の加茂ジャパンとうり二つである。 (夕刊フジ編集委員・久保武司)------------------------- 久保氏の記事全文は以下のサイトで見ることができます。久保氏の記事全文 し・か・し・な・が・ら。蓋を開けたら、どうやら久保氏の予想はまったく当たらなかったようで、ザック監督の采配はものの見事に機能。今まで一度も勝てなかった世界ランク5位のチームに対して完封勝利したではないですか。 ひゃー、久保さん、「失敗に終わった95年の加茂ジャパンとうり二つである」なんて言っちゃって、恥ずかしい~! ま、こうなった以上、ここはひとつ兜を脱いで、一言くらい、ザック監督に謝っておいた方がいいんじゃないんですかい? とにかく、ごく短期間の指導にしてこれだけの歴史的快挙を挙げたザッケローニ監督。その手腕に、大いに期待したい「にわかサッカーファン」の私なのであります。
October 9, 2010
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今日は東京で学会の役員会に出席してきました。 で、役員会自体は4時半開始だったので、名古屋の家を9時頃出たのですが、通常ですと4時間で実家に着くので午後1時半頃には実家に着くだろうと。で、しばらく休んで3時半くらいに実家を出れば、会場には余裕で着くだろうと。ま、そんな読みをしておったわけです。 ところが。 東名高速が集中工事をしておりまして、随所で渋滞に巻き込まれ、時間だけが虚しく過ぎていくという事態に。 で、ちょうど道半ばまで来たところで、既に1時半になっていたという・・・。これは相当ヤバい状況でございます。この分だと実家に着くのは5時半、その時点で会議は1時間過ぎております。 というわけで、高速上で焦りまくりまして、とりあえず車の中でスーツに着替え、もういざとなったら沼津で東名を降り、三島に車を止め、そこから新幹線で品川へ出るか、なんてことまで考えたりして。しかしその場合、会議と懇親会が終わったあと、もう一度新幹線で三島に戻り、さらにそこから車で実家まで帰るということになります。それもキビシイ! が、そこはそれ、私の日ごろの行いがいいせいか、道のりの後半は大きな工事渋滞もなく、実家に着いたのが3時過ぎ。もう落ち着く暇もなく、そのまま駅へ駆けつけ、会議開始時間ぎりぎりで会場に到着! 今日の会議では、私も発言することになっていたので、遅刻したらどうしようと、生きた心地もしませんでしたよ・・・。間にあって良かった~。 なーんて、情けない話を書きましたが、実は今回のお気楽日記がなんとなんと、通算2000回目のアップだったのでありまーす。パチパチパチ! 2000回。ほぼ毎日5年間書き続けて到達する数字でございます。野球で言えば2000本安打みたいなもので、いよいよ私もブログの殿堂入りか? ま、これも日頃ご愛読の皆様の励ましによるものでございまして、感謝、感謝でございますよ。 さて、2000回アップを達成した今の私の目標は、明日、2001回目のアップをすること。今後ともこのブログをどうぞ御贔屓に! それでは、お休みなさーい!
October 8, 2010
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今日からアメリカ文化史の授業が始まり、今年度の新ネタ、「ジャズ史」の講義の一回目をやってまいりました。 で、その予習のためもあって、昨夜、久々にセロニアス・モンクの『セロニアス・ヒムセルフ』というアルバムにある、有名な「ラウンド・ミッドナイト」という曲を聴いていたのですが、聴いているうちに何だかひらめくものがありまして。 モンクのピアノというのは、随所に意図的な不協和音があり、また意図的なリズム崩しがあって、こちらの体調が良くないとなかなか気持ちよく聴けないというか、「うーん、もういいや」的な気分になってくることが(私には)多いのですが、昨夜は何だか急に「あれ、これ・・・、ひょっとして好きかも」という感じがしてきたんです。 なんか、少しモンクの良さが分かって来たような・・・。 そして一夜明けた今日、仕事が終わった後、1か月ぶりに柔術の稽古がありまして。 一か月のブランクがあっただけに、どうかな、技のコツを忘れたかな、なんて不安に思っていたのですが、やってみるとそうでもなく。それどころか、今までどうしてもうまくかけられなかった「手鏡」という技のコツが急に分かってきて、「これだ!」というのを一気に掴んでしまいました。 とまあ、昨日・今日と連続して「しばし離れていたら、急に分かって来た」ということが続いたもので、ちょっとね、思うところがあったわけでございます。 つまりね、なんか思いつめて、分からないことを悩みながら、やみくもに打ち込むのも重要なんでしょうけど、そうした蓄積の後、一旦離れてみて、時間をおいてもう一度接すると、案外、詰まっていたものがふっと流れて、自分でも「あれ?」と思うほど簡単に難関を通過できる、なんてこともあるんじゃないかな、と。 ま、続けるも一手、一旦離れるも一手、ということでしょうかね。 さて、今週末は東京で学会です。私はその前の役員会にも出なければならないので、明日は早朝から東京入り。というわけで、明日からはしばし東京からのお気楽日記ですが、またよろしくお願いいたします。そいじゃ皆さま、お休みなさいませ。
October 7, 2010
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最近どこの大学もTOEICを学生に強制的に受けさせるところが多いのですけど、うちも数年前から1年生全員に受験させております。 TOEICを受験させるメリット、と言うか、お題目はですね、とりあえずこれが英語力の客観評価になる、ということですね。例えばまったく同じ英語力を持った学生が二人居たとして、一人は点の厳しいA先生のクラスに入ったためにC評価を受け、もう一人は点の甘いB先生のクラスに入ったためにA評価を受けた、なんてことはあり得る。しかし、この二人がTOEICを受験すれば、同点になるわけですから、その意味でTOEICで評価した方が公平感はあると。 だもので、この客観評価のスケールを使って、学生の英語力評価の一助にしようと、まあ、そういうわけですな。 しかし、実際にはこれが問題山積みでして。 例えば、今、うちの大学では、TOEICの点数のあまりにも低い学生には、英語の単位を出さない、というふうにすることを検討中なんですけど、これは果たしてよい制度なのか・・・。 例えば、英語のセンスがまったくない人というのは居るもので、それは例えば運動神経がからっきしない人がいるのと同じ。そういうのは、通常の努力程度ではなかなか英語が上達するものではありません。 従来であれば、まあ真面目に授業に出ていれば、多少、期末テストの成績が悪くとも、お情けで合格にしてやれ、なんてことが出来たわけ。しかし、TOEICの客観評価を導入したら、こういう学生は大学が定めた最低点にいつまでたっても到達できず、何年も英語の単位を落とし続ける、なんて事態にもなりかねない。果たして、それでいいのか。 それに、TOEICテスト自体の性格の問題もあります。 TOEICテストというのは、結局、社会人向けのテストですからね。ビジネスの場でどのくらいの英語運用能力があるかを計るものなので、必ずしも学生向けとは言えないところがある。出て来るシチュエーションが学生生活とは関係ないものが多いですからね。で、そんなテストを学生に受けさせて、果たして意味があるのか。 でまた社会人向け、ビジネスマン向けの上、さらに英米中心主義ですからね。その点でもまた実情と合わないところがある。日本人にとって、本当のビジネスの場というのは、例えば中国の会社と取引するのに、日本人ビスネスマンと中国人ビジネスマンが英語で打ち合わせする、というようなものでしょ。つまり、「非ネイティヴ対非ネイティヴ」なんてのがかなりのウェイトを占めるはずなのに、そういうシチュエーションをTOEICは想定していないというね。 でも、ま、その辺は百歩譲ってよしとしましょうか。 しかし、こういうものを導入すると、大学の上層部は、「うちの学生のTOEICのスコアはやたらに低いではないか。英語科の教員は何をやっているんだ」というようなことを言い出すに決まっています。 だけど、そんな1週間に1度くらいの授業で英語が上達するくらいなら、誰も苦労しませんって。学生のTOEICスコアが低いのを、こちらのせいにされたら、たまりませんわ。 大体、どうしていつもいつも英語の教員には「成果」を出すことが求められるのか。それが問題です。 例えば英語以外の教科、例えば「体育」を例に挙げれば、日本人なら誰だって小学校、中学校、高校、大学教養課程で十数年、体育の授業を受けているわけでしょ? 十数年ですよ。だったら、日本人の誰もがバック転の一つくらいできそうなものですけど、実際にはほとんどの人ができないでしょ、バック転。十数年、体育教育を受けてきてバック転一つできるようにはならない。だけど、それをもって「体育の先生方は何をやっているんだ!」なんて批判されることはないじゃないですか。じゃ、なんで英語という教科だけ、いつもいつもそういう批判をされるのか。 私、思うに、一般教養の英語なんざ、少なくとも週1回くらい横文字に触れる、その程度のもので良いのではないかと。一般教養はその程度でお茶を濁しておいて、英語を専門とする学生だけは徹底的に鍛える、というのでいいじゃないですか。 他の大学って、TOEICをどんなふうに使っているんですかね・・・。どこか、TOEICを導入したために、すごくメリットがあった、というところはあるのかしら? そういう上手い使い方があるなら、まあ、私も導入に賛成しなくもないですが。 とにかく、こういうやっかいな議題が出てきたりすると、それを考えるだけでものすごい労力。そんなものがなかった昔が、懐かしいですわ。やれやれ・・・。
October 6, 2010
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うちの大学、大学院に社会人を迎えるため、「夜間大学院」というのを開講しておりまして、6時半から「6限」、8時10分から「7限」が始まることになっております。ま、相手は社会人ですから、そのくらいからでないと通ってこれないわけですね。 で、私、今回初めて、この夜間の授業(6限)を担当することになりまして、今日はその第一回目。しかし、今の時期、6時半というと、もう辺りは真っ暗。研究室の窓を通して、そろそろ肌寒くなってきた外気と共に、虫の音がうるさいほど聞こえて参ります。 そんな中、3人の受講生が私の研究室にやってきたのですが、その中のお一人は私よりも大分年上の女性でした。現職の中学校の英語の先生だそうで。 で、今日のところは、とりあえずこの先半年、どういうような演習をしていくか、という説明をし、その後は、まあ、今後の授業の運営方針を立てるという意味もあって、3人の受講生それぞれが今、どのような研究をしているのか、ざっと尋ねたりしたのですが、そんなことをしているうちに結局、8時までかかってしまいました。 で、「今日はここまで」となって、私が帰り支度をしていると、先ほどの3人はまだこの先7限がある、というのですな。ひゃー、まだあるの? 7限が終わるのって9時半過ぎじゃないですか。 仕事が終わって大学に駆けつけて、9時半まで勉強というのでは、さぞ疲れることでしょう。そこから家に帰って、ようやく夕食ですからね。 で、社会人大学院生は大変だ、と思いながら研究室棟の階段を下りていくと、各階で同じような社会人大学院生が7限に備えて休憩していたり、談笑している。ほほう。私はいつも6時頃、さっさと大学を後にしてしまうので知りませんでしたけど、こんな夜でも、まだまだ大学って賑やかなんですなあ。まるで不夜城だ。 しかし、疲れているだろうに、それでも勉強しようと頑張っている社会人大学院生たちの明るい声を背に校舎を後にしながら、何となく私は、そんな彼らの姿に励まされたような気がして、妙に爽やかな気分になったのでした。
October 5, 2010
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アメリカから帰国してから1週間経ったのに、まだ時差ボケがあるようで、夜8時頃になると猛烈に眠くなり、ここでつい2時間ほど眠ってしまって、その結果、本式に寝るのがますます遅くなるのですが、その割に朝は妙に早くパキっと起きてしまうという状況が続いております。なので、起きている時間もなーんかだるくて、やる気がでないんですよね・・・。 ま、一つの原因としては、デ○タ航空の古いタイプのボーイング747のエコノミー席があまりにも狭くてですね、ボストンからの13時間にわたるフライトの間、ほとんど眠れなかったことがあるのではないかと。もう、あの狭い座席、たまらないですな。 で、ビジネスクラスだったらもっと楽にアメリカまで行き来できるのだろうと、試みに値段をちょっと調べてみたら、もう笑っちゃうくらい高い。アメリカまで往復一人80万円となると、庶民にとってはちょっと現実味のない選択肢と言わざるをえません。エコノミーの6倍か7倍くらいでしょ? いやあ。何なんだろう、この現状は。ちょっとおかしくないすか。 ファーストクラスは別として、ビジネスクラスの料金なんてせいぜいエコノミーの倍くらいで抑えるべきじゃないんすかね? 新幹線のグリーン車だって、一般料金の6倍とか7倍とる、と言ったらおかしいでしょ? さもなければ、エコノミー席の前後間隔をせめてあと10センチ、出来れば15センチ、広げてくれないかなあ! いや、広げなきゃおかしいですって。あの狭い座席に十数時間も客を詰め込むなんて、非人道的と言っていい。 雑誌などに載っている航空会社の宣伝で、「ビジネスクラスでファーストクラスの快適さを」というのがよくありますが、そんなことを宣伝するくらいなら、「うちのエコノミー席は他の航空会社のエコノミー席と比べ、プラス15センチ余裕があります」と宣伝した方が絶対受けると、私は思います。 もうね、航空会社もこれからはエコノミー席の快適さで勝負しなきゃ。実際、私なんぞ、今回のフライトで懲りて、今後デ○タの利用はないな、と決意したくらいですもん。 というわけで、私の飛行機の座席の改善案を示しましょう。 まずね、エコノミー席の4分の1くらいを、従来より前後間隔を15センチ広げた「スペシャル・エコノミー席」とする。で、この座席の料金を、通常のエコノミー席の1.3倍か、そのくらいの値段にする。で、その結果、減った座席数の損失分を、スペシャル・エコノミー席の割増料金で補う。これなら航空会社に損害なく、ちょっと楽なエコノミー席が作れるじゃないですか。 1.3倍程度の割増料金だったら、私は絶対そのスペシャル席を選ぶな。そう思う人は沢山居ると思う。どうです、そう思いません? そして、ビジネスクラスについては、スペースを詰めてその分座席数を増やし、サービスの質ももっと落として、その代わり料金はエコノミーの倍程度にする。ファーストクラスは、まあ、どんなにお金を出しても快適に旅したいという人がいるでしょうから、従来のまま。 どうだ、これで。おい、どうなんだ、そこの航空会社のお偉いさんよ。 ま、とにかく現状のエコノミークラスの座席は、ほとんど犯罪的だと、私は声を大にして言いたい。航空会社各社には、上に提示した私の改善案を呑めと、詰め寄りたいところですね。
October 4, 2010
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2、3日まえから体調がおかしかった家内が、ついにここにきて風邪の症状を発症。私もボストンで風邪を引いて以来、いまだに咳がとれないのですけど、私のが移ったのでしょうか。 というわけで、今日は家内には寝ていてもらって、私が活躍することに。 で、今日の夕食は私が作ることにしたのですけど、献立は鍋。シンプルに「鶏の水炊き」にすることにしました。鍋なら身体も温まるし、野菜も沢山とれますからね。ポン酢のパワーで食欲も湧くでしょう。 しかし、考えてみると、今シーズン初鍋だなあ。いよいよそういう季節になってきたわけですね。久しぶりの鍋物、おいしかったですよ。ま、男の料理ゆえ、ちょっと作り過ぎてしまったのですけど、残った分については、明日の昼にでも御飯を入れて、栄養満点のおかゆにでも仕立て直しましょう。 さあて、明日は月曜日。私の現場復帰も本格化です。久々の授業、多少は新鮮な気持ちで頑張って見ますか。それでは皆様、お休みなさーい。
October 3, 2010
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今日はサバティカル明け一発目の仕事として、某大学の学会で講演をして参りました~。聴衆は院生が中心だったので、その辺も意識して、研究上の心得的なことも適当に織り交ぜながらお話してきましたけど、出来はまあまあ、というところですかね。 でも予想外に沢山の講演料もらっちゃって、ちょっとハッピー! で、懐が温かくなったから、というわけでもないのですけど、今日の夕食は外食ということで。 向かったのは「けん」というお店。チェーン店ですからご存知の方も多いと思いますが、ハンバーグとかステーキのお店ですな。 「けん」の面白いところはその出店の方法で、このお店は倒産した飲食店の店舗を居抜きで買い取り、改装して自分の店舗にしてしまうんです。そうやって新規に建物を作るよりも安上がりに出店し、その分、利益率を上げようと、まあ、そういう戦略でやっているわけですね。今日私たちが行ったお店も、もとは回転寿司のお店でした。 で、色々あるハンバーグやステーキの中から一つ選んで注文するわけですけど、そうすると自動的にサラダバー、デザートバーみたいなのがついてくる。ドリンクバーは別なんですけどね。それからご飯はサラダバーのところに大きなお釜があるので、お代わりし放題。さらに、スープも勝手に飲めるし、カレーも置いてあるので、勝手にカレーライスにしてもいい、と。 ということで、我々もしこたまサラダを盛り、スープも飲み、さすがにカレーまでは食べませんでしたけど、食後にはデザート(プリンとか、コーヒーゼリーとか、杏仁豆腐とか、ライチー等々)もしこたまいただいてしまいました~。 で、それだけ食べた揚句、私たちが出した結論は・・・ うーん、このお店に来るの、これが最初で最後かな~、と。もう、「恩知らず~!」ですよね! いやー、やっぱりね、こういうお店は若い人向けですわ。若い人は質より量でしょ。実際、今日もお店の中は若い連中で一杯。だけど、さすがに私くらいの年齢になると、一品一品のクオリティを重視しますからね。今日食べた感じだと、むしろ「びっくりドンキー」とかの方が魅力あるかな、と。 ということで、外食の方はイマイチでしたけど、それでも「一仕事終えた」という解放感がありまして、今夜は何となくほんわかと、のんびりした気分を味わっているワタクシなのであります。今日も、いい日だ。
October 2, 2010
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今日、F教授と話をしているうちに、「日本の外交って、したたかさに欠けるよね」という話になり、そんなところから「そういえばこういうジョークがあるよ」と。 外交官が「Yes」と言えば、それは「Maybe」という意味。 外交官が「Maybe」と言えば、それは「No」という意味。 なるほど。で、外交官が「No」と言えば? それは「腕の悪い外交官である」、と。 あはは。上手い事言いますね。 ところで、このジョークには対になるもう一つのジョークがありまして。 女の子が「No」と言えば、それは「Maybe」という意味。 女の子が「Maybe」と言えば、それは「Yes」という意味。 なるほど。で、女の子が「Yes」と言えば? それは「良い家柄の娘さんじゃない」、と。 あっはっは! ま、こう言うのは誰が考えるのか知りませんけど、辛辣な中に真理を突いている部分があって、なかなか愉快ではございませぬか。 お後がよろしいようで。それでは、皆様、お休みなさい。
October 1, 2010
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