全28件 (28件中 1-28件目)
1
のんびりと過ごした昨日とは打って変わって、今日は大分勉強(=書き物)をしましたよ! 今、書いているのはアメリカの有名なブッククラブである「ブック・オブ・ザ・マンス・クラブ」についての文章なんですが、これがなかなか面白いクラブでね。 このクラブが創設されたのは1926年。アメリカ文学史的には、いい時代ですわ。 で、このクラブの仕組みは、クラブの選書委員会が毎月一冊、新刊の文学作品の中から優れたものを選び出し、それを会員に郵送する、というもの。当時のアメリカは国土の割に書店の数が少なかったため、本好きの人たちも本を買うのに苦労していたわけ。だから、郵送で本が買えたらすごく便利だったんですね。 ところが。 こんな感じで本を売り始めたものの、最初は大失敗だった、と。どうしてかというと、会員に本を送るのはいいのですが、会員の半分以上が返本してきたからで、いくらクラブが「この本はいいですよ~」と言っても、必ずしも会員のすべてが同意しなかったんですな。 そこでクラブはどうしたか? 返本のルールを変えました。事前に「来月はこの本を送りますよ~」と告知しておいて、「もし嫌なら、何日までにその旨、クラブに知らせて下さい。期日を過ぎたら、本を買うという意思表示と受け取りますからね」と、そういうシステムに変えたんです。 と、どうなるかと言いますと、たいていの会員は、たとえ翌月の推薦本があまり気に入らなくとも、期日までに「いりません」という意思表示をするのを忘れるので、結局、ほとんど強制的にクラブが選んだ本を買うはめになると。 頭いいね~! これぞ、メール・オーダー・ビジネスの勘所だよね! だけど、このクラブは単にずる賢かっただけではなく、ちゃんと文学作品の傑作を選んで会員に送り続けたため、次第に信用を得るようになり、会員数もウナギ登り。第二次大戦前には90万人近い会員を要するようになったんですな。 90万人ってスゴイ数ですよ。だって、ブック・オブ・ザ・マンス・クラブがある本をその月の推薦本に選ぶとなると、その時点で原則90万人がその本を買うということですから、一般に市販される分と合わせればたちまちミリオンセラーですよ。 というわけで、『風と共に去りぬ』も『動物農場』も『アメリカの息子』も『ライ麦畑で捕まえて』も『ソング・オブ・ソロモン』も『ガープの世界』も、みーんなこのクラブを通じてミリオンセラーになった口でーす。 だからね。文学の世界の評価ってのは、それがどういう風に売られたかってのを考慮しないと、正確には分らないわけですよ。その辺のことが、従来の文学史に決定的に欠如しているところなのでありまして。 で、日本でその辺を研究しているほとんど唯一の人、それこそ、我らが釈迦楽先生であると。ま、そういうわけでございます。 というわけで、今日は頑張りました。偉いぞ、ワタクシ!
February 28, 2010
コメント(2)
入試関連の業務がとりあえずひと段落したこともあり、今日の午後は家内をつれて「べら珈琲」という店でまったりしてきました。私も家内も、ここを訪れるのは初めてだったんですけどね。 べら珈琲。ご存知でしょうか? これ名古屋の喫茶店のチェーンで、といっても「コメダ珈琲店」のようにそこら中にあるものではない、ごく小規模なチェーン店なんです。 で、そのべら珈琲ですが、外観は別に洒落たところがあるわけではなく、コメダとどっこいどっこい。東京あたりの喫茶店と違うのは、駐車場が広いということで、この辺は自動車の街名古屋ならではというところ。 で、店の中に入ってみますと、そうですね、「悪い意味で洒落ている」といいましょうか? ギリシャっぽい白い小さな噴水があったり、壁に絵やオブジェがやたらに掛かっていたりという、泥臭く、ごてごてとした派手目な内装。小金のある田舎者が気負って作った応接間みたいな感じ? つまりは、「にゃごや」っぽい、ってことですね! 実際、名古屋のマダム達というのは、こういう内装の喫茶店だと落ち着く、ということなんでしょうか。店内には中年の、それなりにお金持ちそうな奥様連が沢山いらして、おしゃべりに花が咲きまくり。年齢層、高! で、そんなべら珈琲の売りは、1客2万円はしそうなエルメスのカップ&ソーサーで供されるウィンナー・コーヒーでございます。このね、「ウィンナー・コーヒー」ってところがいいわけですよ。きっと名古屋の人たちは、ウィンナー・コーヒーってのがすっごく高級で洒落たコーヒーだと思ってるんだろうな、ってのが見え見えで可愛い! ちなみに、このエルメスのカップ、ほとんどカフェオレ・ボウル大の代物でして、まあ通常のコーヒーカップの2倍は入りそう。で、そこにたっぷりのホイップ・クリームが乗ったウィンナー・コーヒーが出てくるのですが、これが600両と絶妙なお値段。カップの豪華さとたっぷりの量のコーヒーからすると、これで名古屋的には「お値打ち!」という評価が得られるということなのでしょう。喫茶店文化のある名古屋では、これだけで長居ができますからね。 で、我らはこのウィンナー・コーヒーに、やはりべら珈琲ご自慢の「キャラメルハニートースト」のハーフサイズと、サンドイッチもつけちゃいました。このキャラメルハニートーストですが、黒糖入りの食パンをトーストしてサイコロ状に切ったものの上にキャラメルハニーをたっぷりとかけ、それにバニラアイスを添えたものなんですが、サクサクとした黒糖トーストとアイスクリームの組み合わせが楽しい逸品。量もハーフで十分。サンドイッチの方もなかなかのおいしさでした。 そして、これらを楽しみながら、店備え付けの雑誌をそれぞれ2冊ずつ(私の場合、外車雑誌とちょいワル親父雑誌『レオン』みたいな?)熟読。 ということで、名古屋名物べら珈琲デビュー、結構楽しかったのでありました。コメダ珈琲店は東京方面へかなり積極的に進出しておりますが、さらにおハイソ系名古屋度の高いべら珈琲も東京進出、どうなんでしょうか。ワタクシ的には、それなりに受けるんじゃないかと思うのですが? それにしても「べら珈琲」の「べら」って、何?
February 27, 2010
コメント(3)
このところ毎日、ジョージ・ウォリントンというピアニストの『ライブ・アット・カフェ・ボヘミア』というアルバムを聴いているのですが、このアルバムの冒頭の曲、「ジョニー・ワン・ノート」というのが良くてね! 特にその出だしが何だかスゴイ。クインテットの銘々が勝手に練習でも始めたか? と思うような、アバウトな、見切り発車的な出だしから徐々に音が揃い始め、そこでふいにドナルド・バードのトランペットがテーマを吹き出す。で、これを機にジャッキ・マクリーンのアルトサックスも絡まってきて、お、曲が始まったなと思わせるのですが、そこでもう一度多重なる音のカオスへとブレイクする、と。この辺の構成が見事なわけ。凄いよ!これこれ! ↓George Wallington ジョージ・ウォーリントン / Live At Cafe Bohemia 【CD】 さて、今日のことなんですが、今日はですね、ある野暮用で中国人の若者と韓国人のお嬢さんの二人と、別々にお話をさせていただく機会がありまして。 で、それぞれまるで異なる文脈の中での話なんですが、この外国人の二人が日本にやってきて、最初に驚いたのは、「日本人の礼儀正しさ」だっちゅーんですな。 ほう。そうですか。 で、特に二人にとって印象的だったのは、日本人が交通ルールをきちんと守るということ、そして自動車を運転している人のマナーの良さなのだそうで、例えば道を渡ろうとしている時、クルマの方が停まってくれて、運転している人が「渡りなさい」と合図してくれる、と。で、こういうことは中国や韓国では普通、起こらないことなんだそうで、その辺が「日本人はマナーがいいな、礼儀正しいな」と思うところなのだとか。で、この礼儀正しさ、そして「規則を守る」ということ、この辺りに、日本の文化的・経済的発展のカギがあるのではないかと、彼らは異口同音に言っておりました。 ふーん。そんなもんすかねえ。 ま、日本人として日本に居て、日本人ってルールを守るよな、とか、礼儀正しいなとか、あまり意識はしないですし、むしろ私なんぞは日本人のマナーの悪さの方に気を取られますが、それでもアジア的に見れば、日本人なんてまだいい方なのかしらね。 私がアメリカ文化・文学が専門なせいか、日本人を外から見るとなると、どうも欧米の方角から日本を見てしまいがちですが、アジアの方から日本人を見る、という方角もあるわけですね。で、そっちから見ると、また違う日本の姿が見えてくる、と。 ま、そんなわけで、今日はアジアから来た人たちとお話しして、勉強になりました。日々是勉強ですね。
February 26, 2010
コメント(0)
今日から国立大の入試(前期)が始まりました。私も採点をやってきましたけれど・・・ まーあ、受験生の学力の低下たるや、目を覆わんばかりですな。学力だけでなく、答案の字がひどい。これが最高学府を受験しようって字か?! と言いたくなるようなものばかり。知性がまったく感じられない。 もうね、提案します。高校卒業したら、全員社会に出なさい。社会で少しもまれてから、それでも大学で勉強したい奴だけここへ来い! 一方、自分自身の仕事ですが、先日来書いていた「研究ノート」の原稿、おおよそ書き終わっちゃいまして。我ながらすごいスピード。しゃあない、埋め草にさらっと書くか、と思い立ってから数日で書いちゃったよ。字数だって1万字を超え、これじゃ立派に論文だわ。あれ、論文ってこんなに簡単に書いちゃうもんだっけ? ま、もちろん、ゼロ・スタートじゃないですけどね。基礎的な資料だけは読んでノートを作っておいたからできることではあるのですが。 でも、研究ノートにせよ、論文にせよ、起承転結のおおよその形が整いますとね、書き手というのはものすごく安心するわけ。ここから先、死ぬほど推敲して書き直すわけですけど、おおよその形さえ整っていれば、その作業は別に嫌じゃない。っていうか、むしろ好き。 というわけで、今週の週末あたりが一つの山場かなあと思いつつ、心楽しく仕事に精を出しえいるワタクシなのでありました、とさ。
February 25, 2010
コメント(2)
ま、色々やらなきゃいかんこともあるわけですが、昨日は受験、明日からは国立大学前期試験ということで、その狭間の休日たる今日は「つんどく」になっていた本を二、三、読みふけってしまいました。 一つは小谷野敦(こやの・とん)さんの『文学研究という不幸』(ベスト新書)。この著者、以前は「こやの・あつし」と言っていたのではないかと思うのですが、名前の読みを「とん」に変えたんですかね? 里見とんさんの評伝を書いたことと関係があるのかしら。 で、なにしろこちらも文学研究を生業にしているだけあって、我が身の不幸とはいかなるものかと思って読み始めたのですが、この本、著述の大半が東大の人文系を中心とする学科所属の研究者総覧みたいな感じでした。 で、とにかく驚くのは、さまざまなジャンルの研究者たちのことをよくまあここまで知ってるな(調べたな)、ということ。小谷野さんは最近、『翻訳家列伝101』(新書館)なる本も編著で(実際にはほとんど一人で書いているけれど)出していますが、とりあえず過去から現在に至るまでの日本の人文系・文学系の研究者が何をしてきたか、ということを実証的に検証する、ということに興味を持っているのでしょう。 でまあ、そういうふうにずらっと研究者たちの業績を一覧しつつ、著者が言いたいのは結局、日本の学問の中心に位置すると思われている「東大」の、さらに中核をなす「本郷」なるところで、いかに学問が停滞しているか、ということですね。逆に言えば、少なくともここ三十年とか四十円くらいの間、東大の本丸たる本郷に受け入れられなかった研究者たちが、(その恨みもエネルギーに変えながら)いかに学問的にいい業績を上げてきたか、ということでもあるのですが。 ま、そういうことを言うと、世間的には「なんだかスケールの小さい話だなあ」と思われてしまいそうですけど、実際、学問を生業にする人々の世界は小さいですからね。そういう個人個人の恨みがエネルギーとなって学問を前に動かす、ということは十分あり得る。一方、そうやって学問を前に動かしてきた人々から見ると、東大、本郷、何やっとんじゃ! と強く言いたくなるのも良く分る。 で、またこういう状況を生み出す元凶として、「自分より優れた、あるいは派手に活躍しそうな若手を、後進として迎えたくない」という保身の心根が東大・本郷にはあると。それでいいのか、と。 で、こういうことを提起する一方、こういう問題はいわゆる一流大学の間の話なのであって、問題外の大学で文学を教えることに意味はあるのか、という問題も、小谷野さんはあわせて提起しているんですな。 たとえば、某私立大学の文学部では、ドイツ文学の授業として『アルプスの少女ハイジ』のアニメを見てその感想を書く、というのが半期の到達目標になっている、といった驚きの現状を紹介しつつ、学生のレベルも問題だが、もともと寄生的な学問である文学研究を、そんなところでまで教える意味があるのか、ということも問うているわけ。 ということで、一生懸命文学研究しても東大・本郷のようなところには迎え入れられないし、三流大学の現状は悲惨だし、そもそも世間で役に立つというようなものでもない文学研究を、日本中の大学で教える意味も分らんし、文学研究なんてことに足を踏み入れた人々(自分も含め)は、不幸であるなあ、というのが本書の趣旨、ということになりましょうか。 でまあ、読後の感想ですが、日本の大学の(人文系の)実情という点から言うと、少なくとも私の知るところでは、著者の言っていることはかなりの部分、当たっているんじゃないかと思いますね。 ただ小谷野さんが、昔から文学研究で世間的に名を挙げた人なんかほとんどいないし、そういう意味では文学研究ってのはしがない商売であると。それにそもそも文学研究なんて寄生的な学問であり、またそれを研究している人間というのは実作者になれなかった人間であって、そのコンプレックスが、例えば「実作もする文学研究者」を疎んじる要因になっている、というような趣旨のことを言いたいのかな、と思わせるところがあるのですが、そこはね、それほどのことかな、という感じはします。 大体、「文学研究なんて所詮、文学あっての寄生的な学問」という概念が昔からありますが、それを言ったらすべての学問は寄生的ではないかと。病気というものがあるから、どうして病気になるのか、どうしたら病気にならないのかを考える医学が出てくるわけで、その意味では医学とは病気に寄生する学問である、ということになる。経済学も同じ。経済学がなくても経済はあるわけでね。 だから、医者が「どうせ俺たちは、病気に寄生しているだけなんだよな・・・」などと思わないのと同じく、たいていの文学研究者は自分たちが文学に寄生しているとは思っていないような気がするんですよね。 もちろん、文学研究者ってのは基本的に文学が好きなんだから、自分のお気に入りの作家の作品を読めば、「俺もこんな風に書けたらな!」と思うとは思いますよ。私も含めて。だけど、それと同じことを映画を見ても思うし、ジャズを聴いても思うわけ。「もし『ビッグ・フィッシュ』みたいな映画が自分にも撮れたらいいだろうな」と思うし、エバンスのようにピアノが弾けたら死んでもいい、とも思う。 もっと卑近な例を出せば、今、オリンピックのフィギュアとか見て、誰だって「あんな風にスケートが滑れたら気持ちいいだろうな!」と思うでしょ? 「金メダルを獲れなくてもいいから、せめて10位の選手と同じくらい上手に滑れたらな」って。「せめて」って、世界で10番目に上手に滑れる人に失礼な話ですが。 だけど、当然、誰もが「せめて」オリンピックの10位の選手と同じくらいに滑れるわけではないし、そのことをコンプレックスとして抱え込むこともない。それと同じで、別に文学研究者の誰もが実作者に対してそこまでのコンプレックスを持っているとは思えないんですな。 ただ、学生の時から本を読んだり、批判したり、面白い読み方を発見して有頂天になったり、ってなことが好きで、それで大学の先生になったら、そういう好きなことをやって給料もらえると聞いて自分もなりたいと思い、願い出てみたらなれた、と。ラッキー、と。そう思っていると思います。自分のことを考えても。 で、ラッキーと思っていたことも忘れ、やれ近頃の学生は出来が悪い、自分が学生の時はこんなじゃなかった、とか不満は言いますけど、その程度のことなのでありましてね。 ただ、先にも言いましたが、そこから先に起こって来る大学内のこと、特に人事のことなどについては、小谷野さんの批判は正論だと思います。実際、学問の世界で高い地位に居る人が優れた業績を残しているとは限らないし、また大きな賞などを獲った若手の研究者がしかるべき地位に就けないということも現実にある。だからこれらの点について小谷野さんの批判に答えようとしたら、「業績は優秀だけど、人格が破たんしている」というような、ギリギリ正当な理由(この点については小谷野さんも認めている)だけでなく、およそ世間には公表できないような、どろどろした理由まで言わなければならなくなるでしょう。ま、こういうことは、たとえば企業や官庁の人事でも同じなのかもしれませんが。 とにかく、この本読むと、現在の日本の人文系・文学系の研究者の系譜みたいなものが分りますし、大学という小さな世界の中のあまり芳しからぬ伝統、みたいなものも分りますから、そういう意味で、興味のあるむきには一読して損はないのではないかと思います。 さて、もう一冊読み始めたのは、ちょっと前に出て、私の仲間内でもちょっと話題になった都甲幸治著『偽アメリカ文学の誕生』(水声社)という本です。 この本、日本人がアメリカ文学を研究することにどういう意味があるのかという、まあ、日本人のアメリカ文学研究者が一度は自問する(ウソ。実は大半の人が自問しない)問いに対し、都甲さんなりに答えを出そうとした、という本でありまして。 その意味では、本質的に興味深い本なわけですね。しかし・・・ 冒頭にある「序にかえて」というセクションを読んでいて、私は次のような一行にぶち当たったのであります。 「・・・何を学ぶというヴィジョンもまったくないまま、ただクソがんばりだけで入った東大で最もよかったことはと言えば、柴田元幸と出会えたことだった。/そのころのぼくは、柴田元幸がものすごく優秀な教師かつ学者であることなど知らなかった・・・」 自分の恩師を呼び捨てで呼ぶ。このセンス。私にはないものでございます。 こういう文章を読むと、その後を読もうという気が急に失せるんだよなあ・・・。ま、私には自分より若い年齢の人の著作を読むことができない、という悪い癖があるのですが、それにしても、悪い意味で「若々しい」文章だよね! ま、私が文章を書く時、一番注意するのは「若々しい文章にならないようにする」ということでありまして、その点でも私と都甲氏とでは、まったく志すところが違う。違うんだなあ・・・。 さて、この本、最後まで読み切れるかどうか・・・。
February 24, 2010
コメント(0)
今日は私にとって久しぶりの、ひっさしぶりの、「受験」でございました。実に、博士課程受験の時以来じゃないかって感じ。 そう、博士課程を受験した時、一緒に受験した同級生の一人が感慨深そうに、「もうこれ以上、受験しなくていいんだな・・・」と言ったのをよく覚えていますが、なんのなんの、まだありましたよ。 で、何を受験したかというと、「衛生管理者二種」という奴。常時50人以上の労働者が働いている職場では、この資格を持った人間が選任されていないとまずいのでありまして、大学側から泣いて頼まれて、不肖・釈迦楽がそのための試験を受けることになったと、まあ、そういうわけでございます。 で、このところ受験勉強をしていたのですが、やってみるとこれが実に楽しい。正答がある問題を解くのって、こんなに楽しかったかしら? ま、合格するためだけならそんなに一生懸命にやらなくてもいいんですけど、「正答がある問題」に答えるとなれば、私としては当然、満点での合格を狙うわけでして。 で、今日の試験当日を迎えたわけですが、3時間の試験時間のうち、20分ほどで全問に正答しました。全問に「解答」したのではなく、全問に「正答」した、と申しましたが、何か? で、思ったのですが、こんなに資格試験向きの体質なんだったら、他の資格のための試験も試しに受験しちゃおうかなと。例・え・ば・・・ 司法試験とか? (爆!) で、試しにネット上にある過去問を覗いて見たのですけど、あー、こういうのなら解けそうだな、という感じを受けましたね。そこで家内に「俺さあ、司法試験受けたら受かるかな?」と尋ねてみたところ、普通に「そりゃ、受かるわよ」と即答されました。 いい妻を持って、私は幸せです。 というわけで、今は、まるで高校時代にでも戻ったように、合格通知を待つ身分。春よ、来い来い! サクラ咲け!
February 23, 2010
コメント(2)
今日は卒業生のK塚さんが9か月の赤ちゃんを連れて遊びに来てくれました。 赤ちゃんは9か月にしては体格のいい、黒目勝ちなまん丸お目々の可愛い坊やで、一度抱っこさせてもらったのですが、赤ちゃん特有の甘ったるいようないい匂いがして、幸せのおすそわけをしてもらったような気分。坊やの方もどうも私が気に入ったらしく、他の先生方もいたのに、私ばかりじっと見ておりましたっけ。 私が実は人間ではなく、妖精だ、ということが、赤ちゃんには分ったのかしら? ま、それはともかく、卒業生がこうして母校に遊びに来てくれるのは嬉しいものです。 私はよく卒業していく学生たちに言うんです。「母校」というのはキャンパスではなく、校舎でもなく、教わった先生方なんだよ、と。自分が教わった先生方がいない大学は、もはや母校とは言えないんだよ、と。だから、母校が存在する時間なんて、実はそんなに長くはないんだよ、と。 私にしても、いわゆる「母校」というのはありますが、もはやそこには自分の指導教授はいらっしゃいません。もうとっくに鬼籍に入られたのでね。また、その他、さまざまな授業で教えを乞うた先生方もほとんどは定年を迎えられてしまいました。となりますとね、そこを訪れたところで、懐かしさなんかほとんどないです。そこへ帰った時、「やあ、釈迦楽君、どうしてる?」と言ってくれる教授が一人でもいなければ、それはもはや母校ではないのでね。 だから、母校がまだあるうちに遊びにおいで、と。私は巣立っていくゼミ生たちによくそう言うのですが、その意味がちゃんと分かる学生の数は、そんなに多くはありません。 それでも、中には私の言っていることが分かる卒業生がいるのであって、そういう子たちは、折にふれて私の研究室を訪れてくれる。卒業生たち、とりわけゼミの卒業生たちは皆可愛いですが、卒業後に遊びに来てくれるゼミ生をとりわけ可愛いと思うのは、ま、そういう理由なんですな。 というわけで、今日、K塚さんが新しい家族を紹介しに来てくれたことを、私はとても嬉しく思っているのでございます。K塚さん、また坊やを連れて遊びに来てくださいね!
February 22, 2010
コメント(4)
つい先日、この春某出版社から出版される本に載せる原稿を書き終わったばかりなんですが、今日も引き続き原稿書きでございます。 と言うのも、毎年この時期に発行している所属学科の紀要の原稿の集まりが悪いことが発覚したためでありまして。 この紀要、私が編集担当でして、体裁を整え、版下を作り、印刷会社と交渉し、完成した紀要を日本全国の大学に送付する、その全ての作業を一人でこなしているわけ。 しかし、今年は原稿の集まりが悪く、現時点で論文が2本しかない。論文2本だと、そうですね、ページ数にして50ページ行くかどうか・・・。50ページだと、背表紙を作るための厚みがでないんですな。 ということで、予定はなかったのですけど、急遽私も埋め草原稿を書いて今号に掲載することにした、と。時間的余裕は2週間というところ。 もちろん2週間でまともな論文は書けません。が、論文もどきというか、論文になりきる前段階のものを「研究ノート」という名目で紀要に載せることは可能(昨日、学会の役員会に出席していた皆さーん、どこかで聞いたような話じゃござんせんか?)。そこで私も研究ノートという名目で、まだ構想途中にして調査も行き届いていないテーマについて、何がしかのものを書いてしまおうというわけ。ま、ここで実験的に書いておいて、後でそれにしっかり手を入れて、別なところで書く予定の原稿にしちゃおうという悪だくみもあるのですが。 かくして今日はその研究ノートとやらの原稿を必死でかきこ、かきこ。一気に半分くらい書いたかな? もちろん、いつものように、一応全部書き終えてから鬼の推敲をするので、「半分書いた」=「10分の1くらい終わった」ということなんですが。でも、遅筆のワタクシにしてはいいペースではあります。 というわけで、結局、貧乏暇なしというか、いつでもなんだか仕事に追われているワタクシなのでありました、とさ。
February 21, 2010
コメント(0)
今日は今年度最後の学会に出席してきました。 二つ研究発表があり、一つはエドガー・アラン・ポーの『アッシャー家の崩壊』を素材に、精神分析を援用した分析をしたもの。ポーの作品でよくある、人とか猫を地下室に生き埋めにしちゃう設定について、地下に生き埋めにするっちゅーのは、精神分析的に言えば、何かを無意識下に抑圧するというのと同じで、云々、という趣旨。要旨は分りやすいけど、それって新しい見解なのかしら? なんか、昔からよく言われていることのような気がしなくもないですが・・・。 もう一つはノーベル賞作家トニ・モリスンの最新作『A Mercy』についてのもの。これはこのところモリスンを専門に研究されている先生のご発表だったのですが、何しろ昨年出たばかりの作品なので、とりあえず作品の内容が分るようなお話でした。この作品、時代設定が植民地時代のアメリカで、まだ白人=主人、黒人=奴隷という明確な図式が成り立つ前、という状況の中で、如何に黒人が、そして女性が、差別的な状況の中に押し込められていくか、また同じ厳しい境遇の中にありながら、しいたげられている人種や女性の間の連帯の可能性が奪われていくか、ということをテーマにした小説だとのこと。ここ2、3作、ちょっと評判を落としていたモリスンですが、今回の新作は大好評とのことで、批評家もこぞって絶賛なのだとか。 ま、ワタクシはモリスンが大嫌いなので、ワタクシのコメントは公平なものではありませんが、話の筋を聞いた限りでは、相変わらずだな、ってな印象を持ちました。だって、もしこの小説の軸が上に述べたようなものであるならば、それはモリスンの最初の作品である『青い目がほしい』とまったく同じじゃないでしょうか? 進歩がない。ま、今日の発表をされた先生も、この作品に新味はない、とおっしゃっていましたけれども。 しかし、それにしても、ね・・・。この小説でも展開されるのは、ワタクシいうところの「モリスン史観」なわけですが、この「モリスン史観」が真っ当なものだっちゅー保証はどこにあるのですかね? もちろん、すべての歴史は作り物の歴史なのではありますが、それにしてもその恣意性には強弱があるでしょう。モリスンの歴史観は、ワタクシに言わせればあまりにも恣意的過ぎる。そんなの、あんたが自分が言いたいことを言うのに都合がいいようにそう決めつけてるだけでしょ、と言われれば、それでおしまいになってしまう類のものなのではないかと。 なのに、そういう批判をする人が一人もいないんですかね・・・。 でまた、語りの手法もおっそろしく陳腐で、登場人物にみんな言わせちゃうんですよ、作者が言いたいことを。モリスンの作品には語り手が複数いることが多いので、何となくポリフォニックな感じに受け取られるのですが、実際には作者が言いたいことはすべてそのまんま、登場人物の誰かが口にしてしまう。つまり、芸がないというか、謎がないというか、バカバカしいくらい単純なわけ。読んでいて、読者の側が考えさせられることは一つもない。多様な読みもできない。だから・・・ めちゃくちゃ、つまらない。 ま、いいや。いずれ歴史が証明するでしょう。今でこそ超人気のようですが、モリスンが死んだ後、長いこと彼女の作品が読み継がれることは絶対にない。ワタクシはそう断言しますね。 しかし、久々に学会に出て発表を聞いてたら、なんか疲れました。 ということで、もう寝ます。お休みなさい。グーグー。
February 20, 2010
コメント(0)
今日は私も、男子フィギュアスケートをしっかり見てしまいました。 日本の3選手、それぞれよく頑張ったと思います。織田選手は靴紐が切れるというアンラッキーなアクシデントがありましたが、気を取り直して最後までよく滑りました。また小塚選手も見事4回転ジャンプを決め、また得意の高速スピンが素晴らしかった。 そしてもちろん高橋選手、日本人初のメダル獲得、良かったねえ! 4回転ジャンプは失敗しましたが、果敢にトライしたチャレンジが素晴らしい。 そして僅差で金メダルを獲ったライサチェック選手。でかいね。アバターの実物かっていうくらいでかい。でもその長い手足を巧みに、かつ優雅に操って見事勝利。これまた素晴らしい。 事前にドキュメンタリーを見ていたせいで応援していたアメリカのウィアー選手、そしてフランスのブライアン・ジュベール選手の両選手はともに残念な結果でしたけれども、これが4年に1回の勝負の世界というものでございましょう。 しかし、長い間精進を重ね、努力を積み上げていっても、たった一瞬の失敗ですべてがダメになってしまうこの種の競技ってのは、恐ろしいまでに厳しいものですなあ・・・。もちろん、そうであるからこそ、ドラマが生まれるわけですが。 ま、とにかく今日の日本人三選手の活躍は良かった。次は女子フィギュア陣が楽しみですね!
February 19, 2010
コメント(0)
授業も期末試験も終わってちょっと暇になると、大学ってところはやたらに「FD」ってのをやりたがって始末に負えません。「FD」ってのは「ファカルティ・ディヴェロップメント」の略で、日本語にすると・・・日本語にすると何なんですか? まあ、個々の教員がそれぞれ自発的に己の教員としての質を高めようとすること、なんですが。最近変な略語ばかりで困るなあ。 ま、とにかくそんな具合で、大学上層部の方から「ほーれ、各講座で話し合ってFDやれぃ。授業改善しろぃ」という声が降って来る。 授業改善。まったくこの言葉を聞くとうんざりしますね。 要するにね、「授業改善しろ」というのは、「お前らの授業の現状はひどいものだから・・・」という前提があるわけですよ。ダメだから直せ、と。 そりゃ、誰もが理想的な授業やってるわけじゃないけどさ、こちとらだって一生懸命やってんだから、頭ごなしにダメだダメだって言うなよ。 要するに授業改善しろって言われて嫌になるのは、それが常に「マイナス評価」を前提にしてるからなんですよね。 だけどさ。そんなこと言っている執行部の皆さんよ。あんたら、小さい時に「北風と太陽」ってイソップ物語を読まなかったんですかい? 北風ビュービュー吹かしたって、効果ないんだって。太陽みたいにニコニコしてりゃ、こっちもニコニコになるんだから。 FDだ、授業改善だってやるのはいいけど、それをやるんだったら、マイナス評価の慣習を捨てて、プラス評価のFDってのを考えませんかね。 例えば、うちの大学でも「ベスト・ティーチャ―賞」っていう賞を創設するとかね。 毎年、卒業予定の4年生に、4年間色々な授業を受けてきた中で一番良かった授業、一番ためになった授業、一番面白かった授業は何か、アンケートとって、票が集まった教授を「ベスト・ティーチャー」に認定するわけ。で、選ばれた教授には学長から金一封を贈呈の上、卒業式の中で表彰する。 で、ベスト・ティーチャー賞を3回とった教授は、「殿堂入り」させて、以後は賞の対象から外す代わりに、大学の宝として給料アップ! で、ベスト・ティーチャーに選ばれた教授は、次の年度のどこかで一度、自分の授業を他の教員に公開する義務を負う、と。そしたら、「学生たちからベストと言われる教授は、一体どんな授業をしているのだろう」という興味が湧くでしょうから、参観したくなるじゃないですか。で、そこで「なるほど、俺の授業よりよっぽど上手にやっとるなあ。俺ももう少し熱を入れて授業やるか」という感想を抱くもよし、「なーんだ、ただ学生に媚びた授業をしてるだけじゃないか。俺は学生から嫌われたって、今まで通り、厳しくやるぞ!」という感想を抱くもよし。どちらにしたって、とにかく何らかの感慨は抱くでしょう? それが、結局、実のある「FD」ってもんじゃないの? とにかく、マイナス評価のFDやって、ダメな教授をあぶり出すより、プラス評価のFDで優秀な先生を表彰する方が、絶対いいですよ。 表彰、そして褒賞。これで教員の授業改善へのインセンティヴを高める。頭とカネは使いようですわ。 ということで、今日のFD会議では、上のようなことを提案したんですけど、どうなりますかね。何人かの同僚からは賛同の声は上がりましたが、後で別な同僚からは「それやったら、最初にベスト・ティーチャーに選ばれるのは釈迦楽さんだね」と言われまして。それはつまり、「自分が選ばれたいから、こういう提案するんだろ」という皮肉な意味だったのかしら? 実際、そうなるでしょうけれども。 ま、いいや。人が何を言おうと、ワタクシに言わせりゃ、「人は褒めなきゃ動かない」のでありまして、大学上層部がワタクシの提案を少しでも受け容れて、プラス評価のFDというものを考えてくれりゃーいいと思います。 しかし、上の人たちも、頭かたいからなあ・・・。あ、私もマイナス評価しちゃった!
February 18, 2010
コメント(2)
そのまま食べる、あるいは練乳をかけて食べるなど、苺の食べ方って色々あると思うのですが、皆さんは普通、どうやって食べてます? と申しますのは、最近、我が家では苺の新たな食べ方を編み出したからでーす。 ま、苺にプレーン・ヨーグルトを添え、ちょっとハチミツなんかかけてみたりしながら食べる、っていうのは、前からやってはいたのですが、そのプレーン・ヨーグルトを切らしてしまったことがありましてね。 で、同じヨーグルトなんだから一緒だろうと、たまたま家にあった「アロエ入りヨーグルト」を苺の上にかけて食べてみた、と。すると・・・ う、まーーーーい! もうね、単にプレーン・ヨーグルトをかけた時の比じゃないくらい、強烈に合うわけ。アロエ入りヨーグルトの程よい甘さと風味が苺本来の甘さを加速させるというか、相乗効果がものすごい。メロンに生ハム以上の驚異のマッチングですよ、これは。 ということで、教授に騙されたと思って、苺とアロエ入りヨーグルトを買ってきて、二つを一緒に食べて御覧なさいな。うそ~って言うぐらい美味しいんですから。教授の熱烈おすすめ! でーす!こういうのをかけるのじゃ。 ↓脂肪ゼロ明治ブルガリアヨーグルト 脂肪0アロエ 80gx4
February 17, 2010
コメント(0)
買い物をしまくることを(無駄遣い、という意味も含め)英語で「shopping spree」なんて言い方をすることがありますが、今日のワタクシはまさにショッピング・スプリーでしたね。 まず名古屋は矢場町のイタリアン「トペ」で家内と一緒においしいランチをいただいた後、栄の丸善に赴いてシャープペンシルを購入。シャープペンってったって、あーた、100円、200円のものだとお思いなさるな。スイス・カランダッシュ製の高級品ですからね、値数万というものでございます。かっこいいよー。ネームも入れてもらったし。 ま、筆記具に関しては、私は非常にこだわりますのでね。贅沢させていただきました。 で、お次は丸善のお隣にある明治屋で紅茶やらジャムやらタイ米を購入。本当はイランのバスマチ・ライスが欲しかったのですが、タイ米も似たようなものですからね。この細長くてパラパラした米、濃厚なシチューなどの脇に添えるのにピッタリなんですよ~。 そしてお次は「バナナ・レコード」に行ってジャズのCDを2枚ほど。レッド・ガーランドの『ガーランド・オブ・レッド』とジョージ・ウォーリントンの『ライブ・アット・カフェ・ボヘミア』。特に後者はちょっと珍しいのではないでしょうか。 で、そこから「プリンセス大通り」(なんちゅうネーミングなんでしょうか)を南下し、ユニクロを目指したのですが、その途中「ワン・オン・ワン」という名の古書店を発見して立ち寄ります。 昭和っぽい古いビルの3階の「6号室」にあるこのお店、客なんか入ってないだろうと思いきや、店内は若い女の子のお客さんが結構いまして。なんとなればファッション系・アート系の写真集やそっち方面の洋書を揃えたこだわりの古書店だったからで、和書の方も店主の趣味・美意識の行き届いたコレクションでございました。澁澤龍彦とか寺山修司とか三島由紀夫とか、そういう方面の本はごっそり置いてありますので、そちらに興味のある方は一度行かれるといいと思います。面白い品揃えの店でした。 で、その店を出てからロフトのちょっと北にあるユニクロへ。なんでわざわざここのユニクロかと言いますと、ここ名古屋ではおそらく唯一、「+J」の品ぞろえがある旗艦店だからでーす。 で、その+Jブランドで春物の薄いオリーブ色のセーターを始め、なんだかどかすかと買い込み、私はすっかりご満悦。 そして最後は矢場町に戻って「コンラン・ショップ」を一通り眺めて今日のショッピング・スプリーを終了~。スプリーと言っても、結局買ったのは私だけで、家内は一つも買いませんでしたけどね。ま、そういうこともありまさあ。 先日、某出版社から頼まれていた原稿を書き終え、また昨日は期末試験の成績も提出し、すっかり気分が楽になったワタクシ。今日はそんな気分の軽さとともに、買い物を存分に楽しんだのでありました、とさ。今日も、いい日だ!
February 16, 2010
コメント(0)
今、文科省が何にお金を出すと思います? 答え。「小学校英語」でーす。 もともとどこのどいつが「やろう、やろう」と言い出したのか分りませんが、とにかく始まってしまった小学校英語。そんな小さな時から英語嫌いを養成してどうするんだ、と思いますが、とにかく始まってしまったことは事実。 となりますと、大迷惑なのは小学校の現場です。そりゃ、メソッドも何もないところへもってきて、急に「おまえら、英語やれ」と文科省が言い出したわけですから、混乱するのも当然でしょう。で、「やれというなら、どういうふうにやればいいのか、指針ぐらい出せ」と騒ぎ出した、と。 で、そんな感じで現場から「早く指針を出せ」とせっつかれたもので、文科省も慌てて、「小学校英語の教え方を早く考えなきゃ」という風に思い出した。 だから、今、「小学校英語について研究します」というと、ガンガンお金がつくわけですよ。 で、私の知人のグループも試しにその殺し文句を言ってみたところ、ポーンと予算がついたそうで。つきもついたり2000万両! 2000万両ですよ、2000万両。そんなお金、どこにあったんだよ、と言いたくなるくらい簡単に予算がつく。 しかし、ついたらついたで困ると思うんですよね。だって、そのお金を申請したグループの中に小学校英語の専門家なんて一人もいないんだもん。専門家がいないどころか、多分、研究のヴィジョンも何もないんじゃないかな。 だから、これからその多額のお金をどうやって使うか、四苦八苦すると思うんですよね。おそらく、附属の先生方やなんかにお金をばらまいて、一応なにか実験をしたことにして、適当にデータとかとって、とりあえず報告書を作文すると。 で、文科省の方には、ある研究に予算をつけるかどうかを審査する部門はありますが、研究の結果、出た成果が予算に見合うだけのものだったかどうかを審査する部門はありません。だからその2000万両も、きっと大した成果なく消えてしまうんじゃないでしょうか。 お分りですかな? 日本という国は、不景気に見えて、実はこれほど「豊か」なんですぞ! お金があり余っていて、そのお金がどんどん無駄に流出していても、まったく意に介さないのでございますぞ! いやあ。文学部門では100万、200万の科研費をとるのだって必死だというのに、教育部門には湯水のようにお金を使う文科省のアホさ加減。 願わくば、我が知人たちがそのお金を有意義に使って、小学校英語の導入で混乱する現場に福音をもたらしますように。 ま、無理だと思いますけどね・・・。
February 15, 2010
コメント(2)
期末試験の採点をしていたら、ある学生の答案に次のような一節がありました。 「男の恋愛は『名前をつけて保存』、女の恋愛は『上書き保存』とよく言われますが、云々・・・」。 「よく言われますが・・・」と書いてありますが、これ、ホントによく言われていることなんですか? 寡聞にしてワタクシは知りませなんだ・・・。 しかし、過去の恋愛体験をいつまでも覚えている男に対し、女性は今の恋愛がすべて、という一般的な傾向を、確かに上手に言い表しておりますなあ。心のメモにかきこ、かきこ・・・。 ま、それはともかくといたしまして、ようやく期末試験の採点が終わりました。今回はどういうわけか、割と誤字が少なくて、いつもほど沢山列挙できないのですが、一応書いておきますと・・・、「般」:これ、「船」のつもりらしいのですが、よく今まで直されなかったね・・・。「目る」:何度も使ってありましたが、「見る」のつもりらしいです・・・。「電話張」:最近使いませんけどね。「電話帳」ですな。「盲黙」:なんか別な意味に使えそう。でも「盲目」でしょ。「苦脳」:おー、脳が苦しい~! 「苦悩」と書いて。「利にかなう」:絶対儲かるって感じ? 正しくは「理にかなう」かな。「羊子皮」:これ「羊皮紙」のつもりかな? そして今季一番笑わせていただいたのは・・・「たぐいまれのない」:「たぐいまれな」と「たぐいのない」が合体しちゃったか! それにしても、漢字や言いまわしだけでなく、最近の学生の答案のひどいこと。字もひどいし、内容も子供っぽくて。特にひどいのが「文学」とか「映画」関連の授業の答案。今の学生は、文化的なものなんて、まったく興味がないのでしょうか。 なんか、寂しくなりますなあ。こういう連中が社会人になった暁にゃ、この国から文化的なものなんか無くなるんですかねえ・・・。
February 14, 2010
コメント(4)
今日は一日、書斎に籠りきって仕事。某出版社から頼まれている原稿をひたすら。 で、原稿の方は何とか書ききったのですが、その関連でアメリカの大衆文学作品の年表を作る必要が生じまして。 で、その年表を作り始めたのですけど、これがまあ時間が掛かること・・・。 まず掲載すべき作品が大衆文学のカテゴリーにあるものなので、いわゆる辞典的なものには載ってないことが多い。となると、専門の研究書にあたるか、さもなくばネットで検索するか、ということになるのですけど、これがまたしんどい。 というのも、研究書やネットによって、情報が微妙に異なるからです。例えばある作品が発表されたのが「1985年」と書いていあるものもあれば、「1986年」と書いてあるものもある。まあ1年の誤差なんて可愛いもので、中には10年違ったものもありましたからね。 ということで、色々な情報の中から出来るだけ信憑性の高そうな奴を選び出して年表に記していくわけですが、この他にももっと重大な問題がありまして。 それはですね、実際に年表を作ってみると、「空白」部分が沢山ある、ということに気づくんです。つまり、その空白部分によって、「自分の知識は圧倒的に足りない」というキビシイ現実を目の当たりにすることになるわけですね。自分じゃこの分野に詳しい、なんて自負していても、実はこんなに知識に穴がある、ということが分かるわけですよ。 いや~、年表作りって、実はいろんな意味でキビシイ作業だったのね・・・。 ってなわけで、今日一日、年表作りに奮闘しつつ、反省しきりのワタクシなのでありました、とさ。
February 13, 2010
コメント(0)
名東区貴船の方に以前あった「パリパリ」というパン屋さん、なぜか開店後1年もしないうちに閉店してしまい、そこのパンのファンだった私としては、一体どうしちゃったの?状態だったのですが、今日、たまたまその近くを通ったもので、元パリパリの店舗がどうなったかチラッと見たわけ。すると・・・ あらま、別なパン屋さんがオープンしてる・・・。 ひゃー、そうなんだー、と思い、急遽クルマを止め、とりあえず新しいパン屋さんのお手並み拝見することに。 その新しいパン屋さんの名前は「ベーカリー・ベック」というのですが、若い男性が二人で切り盛りしているようで、なかなか気合が入っております。 で、とりあえず「全粒粉の食パン」を半斤、それに総菜パンを2種ほど、それに菓子パンを2種ほど買い求めておきました。 で、今日の午後のお茶の時に菓子パンを食べてみたのですが、その中の一つ、コルネ・パイとでも言うのでしょうか、パイ生地を巻いて棒状にした中にカスタードクリームをたっぷり入れたものを食べた途端、私は驚愕しましたね。 う、うまい・・・。 いや~、パイ生地のサクサク具合といい、噛みしめた時の風味といい、そしてバニラビーンズが入ったカスタードクリームの甘すぎず、しつこすぎない絶妙な味わいといい、点をつけるとしたら満点ですな。今まで食べたコルネ・パイの中で、これが一番だったかも。 ちなみにもう一個食べた杏のタルトみたいな奴は、まあまあうまい、という程度でしたので、べックのパンのすべてがうまいかどうかは分りませんが、少なくともコルネ・パイに関しては素晴らしい出来、と言ってよいのではありますまいか。以前の「パリパリ」がなくなっちゃったのは寂しいけれど、今度のパン屋さんもなかなかやりますぞ。 ということで、名東区周辺にお住まいの方、貴船にある「ベーカリー・べック」のコルネ・パイ、教授の熱烈おすすめ!です。ぜひ一度お試しを!
February 12, 2010
コメント(0)
昨日の続きです。 そう、それでね、卒論審査が終わり、今年度の卒論関係のことがすべて終了した後、ゼミ生たちが私を招待して忘年会ならぬ「忘・卒論会」を催してくれた、と。 で、最寄の駅前に7時に来てくれと言われていたので、そこで皆で集合して、駅近くの会場まで歩いていくことに。 で、事前に「会場は駅の近くです」と言われていたので、どうせ駅前にある白木屋とか村さ来とか、その類の居酒屋へ向かうのかと思っていたのですが、ゼミの連中、それらの店の前を素通り越してどんどん先に行ってしまうわけ。あれ、ひょっとしてもうちょっとグレードが高い店に行くのかな? と、ちょっぴり期待が高まります。 で、5分くらい歩いて着いた先が、なんと、こじゃれた隠れ家風なワインバーじゃありませんか。「Cattivo」という名のこのお店、客が10人も入ればいっぱいになってしまいそうな小さな店ですが、ドアをくぐった瞬間、お、これはなかなかイイナ、と直感。なんだ、我がゼミ生たち、なかなかいい店を知っているじゃないの! 合格、合格。 で、私を囲んで皆が席に着き、早速ワインが供され、生ハムやトマトのピクルス、ピザ生地を作って焼いた丸パン、それにパテを添えたサラダや芽キャベツとツボ貝の炒め物、ブロッコリーを使ったパスタ料理など、ワインに合いそうな料理の数々とともにおいしくいただきます。話題は終わったばかりの卒論審査のことから、私得意の「卒論占い」(←卒論指導をしている過程で、私にはゼミ生たちの隠れた性格が分るようになり、そこから彼女たちがこの先どのような恋をし、どのような結婚をするか、大体予想がつくのでありまーす)など多岐にわたり、盛り上がる、盛り上がる! と! 話の途中で一人のゼミ生がするりと店の外に消えたかと思うと、やがて何やらぞろぞろと楽器を持った連中を連れてきた。 何事かと思ったら、入ってきた四人は名古屋大学ジャズクラブのメンバーとのこと。ゼミ生の一人が彼らの先輩なのだそうで、そのコネで彼らに来てもらい、私のためだけに一夜だけのジャズ・ライブをやってくれるというのです。 いや~、ビックリ! ホントかよ! ジャズ好きのワタクシのために、こんなステキなサプライズを用意してくれていたのか! で、私はまさに夢見心地でゼミ生たちからプレゼントされたジャズ・ライブに聴き入ったのでございます。素晴らしい! そしてライブの後も、演奏メンバーと歓談したり、彼らの楽器を持たせてもらったりして楽み、彼らが去ってからもしばし興奮さめやらなかったのでありました。 しかし、サプライズはまだまだ続いたんです。 そのあたりで店のマスターが「パエリア」を持ってきてくれたのですが、このパエリア、なんと私のレシピをもとに作ったものだったのであります。パエリアというのは私の得意料理でありまして、以前、ゼミ生たちにその作り方を教えてあったのですが、店のマスターと親しいゼミ生がこのレシピをマスターに伝え、マスターがわざわざそのレシピでパエリアを作って下さったんですな。自分のレシピを使ってプロが作ったパエリアをゼミ生たちと分かちあって食べる。うーん、至福! そして極め付け。ゼミ生たち全員が作成した、写真とメッセージが満載の、素晴らしいアルバムを、私にプレゼントしてくれたんです。あいつら、卒論を提出した後も毎週ゼミの時間に私の研究室に遊びに来て、なんだかやたらに写真を撮ったりしていましたが、あれはこのアルバムを作るためだったんですな! で、そんなことも含め、このパーティーを成功させるために色々苦労した話を彼女たちから聞かせてもらったのですが、実は今日も彼らは事前にこの店に集合して作戦を練っていたのだとか。そういえば先に駅からこの店まで歩いてくる途中、ゼミ生の一人に「君は今日行く店に行ったことあるの?」と聞いた時、なんだか要領を得ない答えをされたのですけど、それは「既に先乗りして作戦を練っていた」というのがバレないためにはどう答えればいいのか、一瞬悩んだ末の曖昧な返答だった、なんてことも分って大爆笑! ということで、今日の忘・卒論会、会場の設定といい、料理といい、ジャズ・ライブといい、パエリアといい、アルバムといい、それらを準備するための彼女たちの様々な苦労といい、最高でした。いやあ、こんなに愉快なパーティーはちょっと思い出せないくらいです。 こういうのを「教師冥利に尽きる」というのだろうなあ・・・。 あさみちゃん、わっしー、あぼちゃん、AJ、ナンシー、りさちゃん、ちいちゃん、今日のサプライズの数々、本当にありがとう! それからアルバムも爆笑しながら読みました。君たちは僕の大事な娘たち、卒業してもそれは変わりません。僕の研究室のドアは常に君たちに開かれていることを忘れずに、これからも何かあるごとに遊びに来てくれよ! 今日は、本当に、本当にいい日でした。
February 11, 2010
コメント(6)
今日は卒論口頭試問の日。私のゼミの学生たちの卒論も副査がついて審査されます。毎年、この日はドキドキ。ゼミ生たちの成績は、ある意味、私の卒論指導の成績でもありますからね! で、結果はと言いますと・・・ 今年度ゼミ生7名全員「A」を取得! やった~! うちの科には11のゼミがありますが、ゼミ生全員「A」なんてうちのゼミだけでございますぞ。わっはっは。やっぱりね、指導者がいいからねえ・・・。 うそ。今年はゼミ生が良かったの。彼女らの実力、実力。 というわけで、今日は非常に気分が良いのであります。 が! 今日はもっとハッピーなサプライズがあったのでございます。 毎年、卒論口頭試問の終わった後、我がゼミは「忘年会」ならぬ「忘卒論会」というのをやるのですが、そのサプライズはその場で起こったのでした。一体忘卒論会で何が起こったのかっ! で、それを書こうと思ったのですが、今日はもう朝から今まで仕事で疲れ切りました。 ということで、その忘卒論会の模様は、また明日のココロだ~! To be continued...
February 10, 2010
コメント(2)
注文してあったマット・デニスの『マット・デニス プレイズ・アンド・シングス』が届いたので、早速聴いてみたのですが、これがね、なかなかいいんですわ。 マット・デニスというのは、ジャズ・ピアニストにして作曲家、そして自作の曲の弾き語りもするのですが、そんな彼の絶対定番がこの『プレイズ・アンド・シングス』。 ジャズ・ヴォーカル、それも男声となると、私は何と言ってもチェット・ベイカーが好きでありまして、要するに本格派の歌唱力をもった人よりも、雰囲気で歌う人が好きなんです。で、マット・デニスもそちらの方面の人なんですな。歌唱力で押すというより、洒落のめして歌う感じ。 で、一聴、まずピンときたのがこのアルバムの5曲目『エンジェル・アイズ』。パーティに現れないつれない恋人を探しに、会場を後にする男の切ない歌なんですけど、もちろんマット自作の曲。この曲、私はカーメン・マクレイの『ブック・オブ・バラーズ』で聴いて、好きな曲の一つだったのですが、カーメン・マクレイのバージョンもいいけど、マット・デニスのオリジナルもいいですなあ。 で、その他の曲も、リラックスした雰囲気の中でマット・デニスが快調に飛ばしながら歌いまくっております。ライブ録音というところも、趣があってよろしい。 ということで、マット・デニスの弾き語りアルバム『プレイズ・アンド・シングス』、教授のおすすめ!です。それにしても、こんな風に自分で曲を作って、自らのピアノの伴奏で歌いまくることが出来るなんて、カッコいいねえ・・・。これこれ! ↓Matt Dennis / Plays & Sings 【CD】
February 9, 2010
コメント(2)
昨日の話の続きですが、「面白い話」というのは私の親友でタクシーの運転手をしているH田君のことなんです。ま、シチュエーションを説明しておきますと、比較的早く結婚した彼には二人のお嬢さんが居て、上のお嬢さんは既に短大を卒業され、今は幼稚園の先生として働いている、と。 で、ワタクシが「じゃあ、子育てもほとんど終わりかけってところだネ」と言うと、H田君、「いや~、そうでもないよ」と。その言い方がなんだかワケありっぽかったので、どういうことか聞いてみると、なるほど親の悩みってのは尽きないもんだ、と思いました。 というのも、このお嬢さん、大学生の彼と付き合っているのですが、最近、その彼の自宅(実家)にお泊まりするのだ、というのですな。まあ、最近の若い子のすることですから、H田君も苦々しく思いながらもそこは黙っていたと。 ところが先日、東京で雪が降った日、雪を口実にまたお嬢さんがその彼の家に泊まった、と。 で、翌日、彼の家から幼稚園に出勤した、と。 で、それを奥様から聞いたH田君、もう容赦ならないとばかりお嬢さんの帰宅を待って電話を入れ、仕事中だけどこれから家に戻るからそこに居ろと厳命したんですな。逃げるんじゃないぞ、と。 で、そこから本格的な家族会議ですわ。結婚どころか婚約もしていない若い女性が、男の家に泊まってそこから出勤、しかも幼稚園の先生という教育職にありながらその振る舞いはどうなんだ、ということを問い詰めたらしいんですな。もうお嬢さんが泣こうがわめこうが、手をついて謝ろうが、とにかく半端なところでは済まさないのがH田君流。親の言い分、子の言い分、双方突き合わせ、双方が完全に納得するまで徹底的にやる。H田君はこれまでもそういう子育てをしてきたし、この時も相当やりあった揚句、お嬢さんが己の非を十分に納得するまで話し合ったそうです。 これだけでもスゴイと、ワタクシは思うんですよね。もし同じシチュエーションだったら、ワタクシは娘がある程度謝った段階で許してしまいそうです。叱るというのは、叱る側にとっても相当なストレスですから、そこから逃げたくなる。ところがH田君は違うんだなあ。そこで決して逃げない。 ところがね、H田君のスゴイところは、この先なんです。 上の経緯でお嬢さんが納得したところで、今度はH田君、奥様、お嬢さん、三人揃って相手のボーイフレンドの家に「謝りに行く」ことにしたと。で、今日皆でバーベQを楽しんだ後、相手の家に乗り込んでいくのだと。 無論、ポイントは「謝りに行く」というところです。 本来は「殴りこみに行く」、でしょ? てめー、親が付いていながら結婚前の他所の娘をほいほい泊めるとはどういうつもりなんだ? と言いに行ってもいいわけです。ところがそれでは角が立つと。別にこの件でお嬢さんとボーイフレンドの仲を裂こうというわけじゃあなし、この先、もしも二人が結婚するようなことになるなら、双方、親戚づきあいが始まるわけです。だから、喧嘩をしに行くのはまずいと。 そこで、親子三人揃って「謝りに行った」と。「婚約をしているわけでもないうちの娘がしばしばお宅に泊まりに行っているようで、申し訳ございません。御子息様は大学生で、勉学をしなければならないでしょうに、うちの娘が行っては気が散ってそれどころではないでしょう。今後、気をつけますのでお許しください」と。それを言いに行くというのですな。 つまりね、実質的には相手の男とその親に「お前ら、舐めるんじゃねーぞ。うちの娘はこういう躾をしているんだ。その辺のふらちな娘と思うなよ。お前らも自分の息子の行動をしっかりチェックしておけ。それから、お前は大学生なんだから、ちゃらちゃらしてないでもっと勉強しろ」と言いに行くようなもんですわ。 だけど、表面的にはH田君の側が頭を下げている、と。頭を下げながら、自分の家の姿勢を示し、かつ、相手の家の姿勢をも糺す。 しかもね、謝っているH田君、高校時代は県内有数の有名校の野球部で鍛えた大柄な体格、それに「昨日気合を入れてかけてきた」というバリバリのパンチパーマですからね。これは迫力あるよ! ま、とにかくそこまでやって、H田君は相手の家に対して、それから自分のお嬢さんに対しても、事の重大さを教えようとしているわけです。 賢い! そしてスゴイ! で、それを聞いたワタクシ、H田君の一連の行動にあまりにも感心してしまって、わが友ながら仰ぎ見ましたよ。こういうことが出来る男って、この世にそうはいないんじゃないかしら。賢さ、度量の広さ、やるべきことはきっちりやる勇気。そして娘さんに対する愛情ね。 で、ワタクシが彼の行動について口をきわめて賞賛すると、H田君、「そんな、大したことじゃねーよ。俺だってこんなことしたかねーし。今日、この後、相手の家に行くかと思うと、今から気が重いよ」なんて笑ってましたけどね。 いやいや、H田よ、俺はお前のような友達がいて、ほんと、嬉しいよ! お前に比べたら、俺なんぞぜんぜんダメだ。今日はいいことを教えてもらいました。勉強になりました! というわけで、バーベQを楽しみながら、ワタクシはH田君から聞いた話を腹の中で反復しつつ、友のことをまぶしく仰ぎ見ていたのでございます。
February 8, 2010
コメント(2)
ひゃー、先ほど名古屋に戻って参りました~。 って、どこへ行ってたのかって? いや、実は週末、実家に戻っていたのでございます。二月の第一日曜日は小学校時代の恩師の墓参りと決まっているもので。 今年は4人集まりました。今年で28回目の墓参り。ワタクシとH田君は皆勤かな。 で、今年もいつものように午後1時にお墓前集合。4人でこの1年間のことを心の中で恩師の墓前に報告し、その後、例によって会食となりました。 ところで、例年ですと、この会食、近くのファミレスで行うのですが、今年は少し趣向を変えて4人でバーべQをすることに。 え、この寒いのにバーベQ? と思ったでしょ? 私もそう思いましたよ。ところがH田君の案内で行った「潮見台バーベQ」というお店は、冬でもバーベQが出来るのでございます。何となれば、バンガロー風の個室の中、畳敷きの上にバーベQコンロがしつらえてあるので、冬だろうが雨だろうが、ぜーんぜんお構いなしなのでありまーす。 しかし、この潮見台バーベQさん、実に激シブの店でございまして、昭和の匂いがぷんぷんする店でした・・・。 で、この店の売りは「ひな鶏」だそうで、それを注文したところ、一人前が鶏半羽分ということで、つまりは4人で2羽の鶏を食っちゃった、ということですな。ボリュームありましたよ~。すごくおいしかったですしね。 で、小学校以来の友人たちと色々と懐かしい話をしたり、近況を報告し合ったり、楽しいひと時を過ごすことが出来たという次第。 ところで、その中で一つ、かなり面白い話題がありまして。で、それを書きだすと長くなりますので、それについてはまた明日のココロにさせていただきやす。 ということで、今日は真冬のバーベQというかなり面白い経験をしてきたワタクシだったのでありました、とさ。明日の更新も、楽しみにしてて下さいね~!
February 7, 2010
コメント(2)
私、勤務先大学の出版会から本を2冊出しているんですけど、この間、売れた分の印税が入ったのを見たら、案外、額が大きかったんですわ。あら、それなりに売れているじゃん、と。 で、その印税は給料ではなく研究費として来るので、そういう使い方をしなくちゃいけないわけ。と言って、既に本の購入は締め切られてしまったので、結局、物品を買わなくちゃいけない、と。 で、考えた末、電子辞書を新しくすることにしたんです。今まで使っていた奴は、もう5、6年以上使っているので、液晶が劣化して画面が見にくくなっていたもので。 で、新たに購入したのはセイコー・インスツルメンツの最新型。購入の決め手は、中に入っている英語辞書の充実度です。英和辞書としては研究社の『リーダーズ』、『リーダーズ・プラス』が入っており、和英としてはやはり研究社の『大和英』が入っているほか、『活用大辞典』も入っている。鬼に金棒状態ですな。どうせなら研究社の『大英和』も入っていれば良かったのですが、そこはそれの代わりに小学館の『ランダムハウス』が入っている。強いて言えばそこが玉に瑕かなあ。ワタクシ、英語系の辞書はやっぱり研究社のものが好きなんですよね~。 この他、英英辞書も充実していて、とりあえず英語商売の人間にとってはほぼ完ぺきなラインアップ。不満はありません。 で、先日その電子辞書が手元に参りまして、この数日、これで遊んでおります。 ・・・・が! 遊んでいるうちに、一つ、とんでもないことに気づいてしまったのであります。 なんと、この電子辞書には岩波の『広辞苑』が入ってない・・・。代わりに小学館の『大辞泉』か何かが入ってやんの・・・。 えーっ! ウソだろー! 『広辞苑』がないのかよ~! 英語辞書のラインアップばかりに気を取られて、国語系辞書を事前にチェックしてなかった~・・・。前に使っていた同じセイコー・インスツルメンツの電子辞書にはしっかり『広辞苑』が入っていたもので、今回のも当然入っているだろうと、勝手に思いこんでいたんですよね。 まあね、別に『広辞苑』が日本の国語系辞書の最高峰というわけでもなし、これが入っていないからといって不都合が生じるわけではないのでしょうけど、やっぱりね、こう、子供の時に親から「分からない言葉は『広辞苑』を引いて調べなさい」と教えられて以来、この辞書に対して非常に強い愛着を持っているもので、それが入ってないとなると、何だか下腹に力が入らないような、頼りなーい気がしちゃいまして・・・。 ま、そう感じるワタクシのような人間がいるということは、『広辞苑』という辞書が、単なる辞書以上の価値を持っているということの証左でしょうなあ。 というわけで、真新しい高性能電子辞書を手にしつつ、何となくガッカリしているワタクシなのであります。あーん、『広辞苑』が恋しいよ~ん!
February 6, 2010
コメント(2)
先日、北向きの書斎が寒い、という話を書きましたが、さすがに膝掛けだけではやっぱり寒いということになり、エアコンの補助としてセラミック・ファンヒーターを一台、新たに購入することにいたしました。 ところで、セラミック・ファンヒーターについては私は以前から一つ疑問に思っていることがありまして。それは何かと言いますと・・・ 「家電量販店に行っても、ほとんど売ってないのは何故か?」 ということでーす、ガーン! 実は今日、3軒の大型家電店を回ったのですが、どこも私が望むタイプのものは売っておりませんでした・・・。 これは一体、何ゆえのことのなのでしょうか。 私は随分前からセラミック・ファンヒーターのファンで、東京の実家の自室でも冬はこれを愛用しております。コンパクトで、エアコンなんかよりよっぽど暖かくて、しかもいわゆる「電気ストーブ」のような局所的な暖房ではなく、部屋全体を素早く温めてくれて、しかも石油系/ガス系ストーブのように空気を汚すこともなくて、スイッチオンですぐに温風が吹き出してきて、こんなにいいところだらけなのに値段が安くって、暖房器具としてこれ以上のものなんてないじゃないですか。なのに・・・ どこにも売ってない、と。不・思・議・だ・よ・ね~・・・。 で、結局、お店で買うことができなかったので、楽天市場で買っちゃいましたよ。これこれ! ↓上下に風向きを変えられるルーバー付きPanasonic/パナソニック DS-F1202-C(ベージュ) セラミッ... 現代日本の気密性の高い住宅であれば、8畳くらいの部屋ならこれ一つあれば十分よ。 ということで、もうすぐ「北国」の異名をとる我が北向きの書斎が、南国パラダイスになることは決まったようなもの。早くこいこいセラミック・ファンヒーターちゃん!
February 5, 2010
コメント(0)
いやー、安治川親方廃業撤回、良かった、良かった。そうでなくちゃ、いかん。そして朝青龍引退! こいつぁ春から、縁起がいいわい~。 さて、話は変わりまして・・・。 ワタクシの書斎は家の北側にあるのですが、そのせいか冬は寒い、寒い。もちろんエアコンをガンガンに効かすのですけど、10年選手のエアコン君がパワーダウンしているため、足元までなかなか暖まりません。で、「北国(←私の書斎の冬の呼び名)は寒い」という感覚があるせいか、どうも足が書斎の方に向かないという・・・。 ま、理由はそれだけではないかも知れませんが・・・。 しかし、抱えている仕事もあるわけで、とりあえず書斎に籠らなければならないワタクシ。家の中にいるのにやたらに着こんで、ふくら雀のようになっております。 ところで、私があまり「寒い、寒い」と言うもので、先日、家内が「膝掛け、貸してあげようか」と情けをかけてくれたと。 しかし、実のところ、そんな膝掛け一枚で寒さが防げるものかと思っていたわけですよ、ワタクシとしては。ところが実際に使ってみると・・・ む・・・、暖かい! なんだかしみじみ暖かい・・・!! いやー。ビックリ。膝掛けって、こんなにいいモノだったんだ! 一枚膝の上に載せるだけで、こんなに違うんだ! ま、今まで膝掛けに目もくれなかったのは、その効果を疑問視していただけでなく、膝掛け姿ってのが何となく女性的な感じがして、「大の男が膝掛けかよっ!」という思いがあったからでもあるのですが、この暖かさを知ってしまった以上、もう構うこたぁない。誰が見ているわけでもなし、これからは大いに膝掛けを愛用しようと心に決めたのであります。 というわけで、これからは「膝掛け男子」だっ! という意気込みのワタクシなのでありました、とさ。
February 4, 2010
コメント(2)
いや~、やっぱり、という感じであります。相撲協会立浪一門の安治川親方が、理事選において一門外の貴乃花親方に投票したことの責任をとって廃業するとのこと。 あの雰囲気では絶対造反者の炙り出しをやるだろうなと思っていましたが、思った通りだ。立浪一門としては造反者探しはしないと表明していたそうですが、どうだか。 それにしても、相撲協会の規則として「理事選において投票権のある親方は所属する一門以外の候補者に投票してはならない」という一項がない以上、少なくとも規則上、安治川親方に何の落ち度もないわけで、彼がこの件で責任をとって辞めると言ったら、理事長が止めなきゃいかんでしょう。止めないなら、「暗黙のルールを破ると、こういうことになるんだからな」ということを表明しているようなものではないですか。 ほんと、相撲協会、がっかりだぜ。マスコミもしっかりして安治川親方を廃業に追い込む相撲協会の暗黙のプレッシャーについて、きちんと批判しろ! さて、お話は変わりまして・・・。 昨年のブログにも書きましたが、どうも雀というのはものすごく頭がいいようで。毎年節分の日になると、「えーっと、そろそろ豆を撒くころではござんせんか?」ってな感じで、我が家のベランダに雀の集団が偵察に来るんですが・・・。 なんと! やっぱり今年も、今日、我が家の9階のベランダに、日ごろ見ないほどの雀の御一行様が様子を見にきた、と。 あいつら、確実に「節分」を意識してますね。どう考えてもそう。この日のあたりに来れば、ベランダに豆があるとちゃーんと知っている。 冬だし、他に餌も少ない、ということがあるのでしょうが、それにしてもきっちり2月3日に現れるというところがカワイイ! けど、ちょっとコワイ。他に、どんなことを知っているんだろう、なんて・・・。 とにかく、おチュンの皆様がお待ちかねのようですから、今日はしっかり豆を撒いて、鬼を追い出すとともに、雀さんたちのお腹を満たしてあげましょう。そしたら、きっと何かステキな福を、我が家に持って来てくれるかもしれませんからね!
February 3, 2010
コメント(2)
貴乃花親方が二所一門の縛りを出てまで敢えて理事選に立候補したことで、連日、この問題が報道されましたが、結局、親方が見事理事当選したことで、まあ、一つの結果が出た、ということになりました。 しかし・・・この間の報道を見ていると、疑問なことが多かったですなあ。 投票前の報道では「貴乃花親方を支持する票は7票だから、当選ラインには届かない」ということが盛んに言われていましたけど、そもそもこれがおかしい。まだ投票も行われていないのに、何で誰もが「7票」という数字を知っているんですか。 つまりこの選挙は、選挙とは言いながら、投票権を持つ者が自分の意思で投票するわけではないということを、当の協会だけでなく、報道各社もみんな認めていたということになるではないですか。現職の理事の中には、「一門の中から裏切り者が出ないよう、意志確認した」というようなことを平気で報道陣の前で口にした奴もいましたし(金剛、お前のことだよ!)。 事前に誰が勝つかが分かっている。こういうのを「八百長」というんじゃないんですかい? 相撲協会って、公衆の面前で八百長選挙をやって、恥じるところがないんですからね。やい武蔵川、お前は恥ずかしくないのか?! でまた、そのことを批判した報道が一つもなかった、ってどういうことじゃい! 報道が批判したのは、貴乃花親方が理事になった暁にどのような改革をするつもりかについて公にしなかったことだけ。でも、そんなこと、本来批判されるべきことではありません。だって、公職の選挙じゃないんですから。国民に向かって発表する筋合いのものじゃない。 それから、横審も馬鹿者揃いだね。こういう茶番が目の前でなされていることについて、何とか言ったらどうなんだ。 ま、幸いなことにと言うべきか、貴乃花の心意気に票を投じた「裏切り者」がいたおかげで、貴乃花親方は無事当選して、それはそれで良かったと思いますが、相撲協会の体質がこれでは、当面、何の改革も起こらんでしょうな。 まあ、上がこんなレベルですから、朝青龍の暴走を誰も止められないのもよく分かる。っていうか、せめて今回の暴行事件に対してきちんとした対応をとることで、最低限の常識はあるんだ、というところくらい見せてもらいたいもんでございます。
February 2, 2010
コメント(2)
先の人間ドックで「脂肪肝のおそれあり」と言われてしまったワタクシ。タウリンが脂肪肝改善に効くと聞きつけ、タウリンがたっぷり配合されている栄養ドリンクを選んでたまに飲むようになりました。で、今日も通勤途中で一本買い求め、大学に着いてからグビっとやって、空きビンを捨てようと研究棟の共同ゴミ捨て場に持って行ったら、なんとそこは栄養ドリンクの空きビンの山。 はあ~、同僚の皆さん、お疲れなのね・・・。 それはともかく、今日、近くのスーパーでの買い物から帰って来た家内がニコニコして言うには、「今日は谷山さんにレジを打ってもらっちゃった!」とのこと。谷山さんというのは、そのスーパーの看板レジ娘さんなんです。ま、「娘さん」というのはちょっと無理があるかも知れませんが。 で、何で谷山さんが看板レジ娘かと言いますと、とにかく陽気で、面白いんですな。レジを打ちながら、いろいろ話しかけてくれる。 例えば、3割引きになっていた洋モノのクッキーなんかを買ったりすると、谷山さん、レジを打ちながら「わー、これ安くなってるんだ! 私も後で買っちゃおう!」なんて話しかけてくれるわけ。「これ、おいしいよね~!」なんて言いながら。そういうあけっぴろげな陽気さが、なんとも楽しいわけですよ。で、もちろんレジ打ちも熟練の技でテキパキと早いから、長い列もたちどころに解消。ですから、谷山さんファンの家内は、レジに谷山さんが入っていると、必ず彼女のレジの列に並ぶんです。 ただそれだけのことなんですが、やっぱり偉いなと思うんですよね、谷山さん。レジを打つことは誰にでもできるけど、そこにキャラクターを込めるとなると、もうそれは谷山さんにしかできないことなんですから。そのこと自体、すでに「芸」ですよ。谷山さんは、一種の芸人だ。 アメリカのスーパーなんかですと、やっぱりそういう芸人が沢山いて、それぞれ固定ファンを持っていることが多いです。で、そういう馴染みのレジ打ちと客が、レジを打つ1、2分の間、互いの消息を確かめあったりして会話を楽しむ。それは傍で聞いていてもなかなかいいものでしてね。日本のスーパーやコンビニのレジにおける黙りこくった、あるいはマニュアル通りの応対ってのは、アメリカのそれと比べると本当に不気味なものでありまして。 そういう意味でも、いいなあ谷山さん。日本人離れしたレジのエンターテイナー。以前、某大学の生協の従業員のユーモラスな応対をまとめた『生協の白石さん』なる本が話題になりましたが、こちらはさしづめ『○×スーパーの谷山さん』ですな。本、書いちゃおうかしら。 というわけで、その道におけるオンリーワンの谷山さん、私は高く評価したいと思うのであります。
February 1, 2010
コメント(2)
全28件 (28件中 1-28件目)
1