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車にべバストヒーターを付けることにした。ガソリンタンクに穴を開けるので、できるだけタンクを空にしてほしいという。そこで、以前からの懸案だった祝梅温泉探訪にチャレンジすることにした。この温泉はガイドブックにはもちろん載っていないし、看板もないらしい。大きなボーリングのピンが目印というだけで、はなはだ心許ない。地図だけでたどり着ける人はかなり少数だろう。カーナビのおかげで肉薄できたが、それでも迷った。ブログに載っていた写真を見ていなければたどり着けなかったにちがいない。この時期の北海道は15時をすぎると夕暮れ時になる。13時半に家を出て、15時を過ぎても見つけられなかったので少し焦った。行き方は、とにかく自衛隊の東千歳駐屯地を目指す。そうするとトンネルの手前に高圧線がありそこを左折。しばらく行くとボーリングのピンがあるので、そこを左折するとすぐ着く。犬とネコがいるらしいのだが、この日は人なつっこい犬が出迎えてくれた。何度かの火災のあと、2008年に再建された建物がこれ。建物の東側はこんな風景。玄関に入ると、まるでそこはふつうの民家。ドアを開けると居間のようなところでおばあさんが座っていて店番をしている。入浴料350円を払い、男女別の内風呂へはその居間から行く。まるでどこかの家にもらい湯をしにきたような感じ。浴槽は小さめの銭湯くらいの大きさ。薄茶色の、モール泉系のお湯と思われるが、これがなめらかでぬめりがあり、温まる。20度くらいの冷泉を薪で加熱しているそうで、地元の常連によれば、それがお湯の柔らかさの原因だという。冷泉をそのままペットボトルに入れて持ち帰る人は多いらしい。塩分はまったく感じないので、飲んだり炊飯に使う。化粧水がわりになるので毎日ぬっているという人もいた。このお風呂の部分は外から見るとこうなっている。お風呂からはこんな景色が見える。温泉にやたら詳しい男性としばし歓談。60代なかばくらいにしか見えないのに73歳のこと。温泉ジャーナリストかと思うくらい詳しいが地元の人。温泉が好きで全国を旅しては温泉に入っているらしい。彼のナンバーワンは草津だそう。脱衣場で苫小牧から来た50歳くらいの男性と歓談。渓流釣りをやる人で、彼のおすすめは岩間温泉と、中標津の旅館「だいいち」。ほかにいいところは?と根堀葉堀訊こうとしたら、「祝梅ですよ」と爽やかに言い残して帰っていった。こういう、人との触れあいが楽しい。こういう楽しさを知ってしまうと、あいさつもなく目をかわすこともしない客がほとんどの、ふつうの温泉には行く気がしなくなる。受付におばあさんがいるのもほっとする。農産物も少しだけ売っているので、この日は卵を買って帰った。○○べ温泉、モツタ海浜温泉、そしてこの祝梅温泉。泉質のよさでこの3つをしのぐ温泉はそう多くないと思うが、比較的近くにこんないい温泉があったとは、とんだ灯台下暗しだった。いつまでも汗がひかず困った。
November 26, 2010
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有料のクラシック・コンサートに通い始めて40年。数十年前なのにきのうのことのように覚えている音楽会もあれば、手元に残っている半券を見てもどうしても思い出せないような印象の薄かった音楽会もある。このコンサートは前者になるだろう。死ぬまで心の財産として残り、人生のどんな難局に際しても自分を支えてくれる支柱のようなものとして残り続けるにちがいない。過去40年のコンサートでも数えるほどしかないが、このコンサートは間違いなくそうなると思う。実は、オリジナル楽器はあまり好きではない。古楽器オーケストラやアンサンブルがブームになったころいくつか聴いてみたが、典雅な響きではあるものの音が痩せていて貧弱に感じ足が遠のいてしまっていた。録音ではいいものが非常に多い。それで、オリジナル楽器の演奏は「録音で聴くものであってナマで聴くものではない」という思いこみができてしまったのである。ヴェニス・バロック・オーケストラの、決して力まない、暖かく柔らかい音色のふわっと包み込まれるような響きでアルビノーニの「弦楽と通奏低音のための4声の協奏曲ニ長調」が始まって、その思いこみのおかげでどんなに損をしたかを悟るのには数秒しかかからなかった。まさにこれこそ天上の響きというのであろう。あの豪華なヴェネチアの街の片隅にある質素な教会かどこかで音楽を聴いているような、そんな心地よい錯覚にさえ誘われる。オリジナル楽器アンサンブルというと鋭角的で攻撃的な演奏が多いが、続くガルッピ「弦楽と通奏低音のための4声の協奏曲」、タルティーニ「弦楽と通奏低音のための4声のソナタ」も、大ホールをまったく意識することがない、普段着のというか日常そのままの演奏。それでも響きが豊かで透徹しているので、2階席でも全く不満がない。ただ、この穏やかな音楽は、創設者のマルコンが同行せず、若手のチェンバロ奏者がマルコンの代役をつとめていたせいも若干はあるかもしれない。バロック・バイオリンの第一人者、ジュリアーノ・カルミニョーラが登場すると空気が一変。ヴィヴァルディのバイオリン協奏曲「狩り」と「海の嵐」は、即興性に満ちた生き生きとした音楽が弾むように流れ出して度肝を抜かれた。これほど生命力と音の喜びに満ち、しかもどこまでも優雅さ優美さを失わない音楽がこの世にあったのかと嬉しくなった。しかしそれはまだほんの序の口だった。後半、ヴィヴァルディの最もポピュラーな作品「四季」では、前半のすばらしい演奏さえかすんでしまうほどの、スリリングな興奮と豊かなイメージに彩られた至福の音楽の時間が流れたのである。40分ほどの演奏時間が、わずか数分に感じられたほど。最もすばらしかったのは「夏」の急速楽章で、その千変万化するパッセージのあとそっと静かに消え入るように終わるあたりではゾクゾクするほどの興奮を味わった。絶世の美女100人とのセックスより、カルミニョーラの「四季」を味わう快楽を選ぶ。札幌では珍しいスタンディング・オベーションの熱烈な拍手にうながされて、すべてヴィヴァルディ作品によるアンコールを4曲。「夏」の急速楽章がもう一度聴きたい、あれを聴くためなら地球の裏側まで出かけても苦にならない、と思っていたら4曲目に演奏したので2度痺れた。7時に始まったコンサート、終わって時計を見ると9時30分近く。まだ8時30分くらいだろうと思っていたので驚いたが、このように至福の時間というのは短く感じるものだ。カルミニョーラはそろそろアラ還といったところか。バイオリニストは加齢による技術の衰えが早い。聴いて(見て)おくのはいまのうちだ。リュートとチェロ奏者もかなり優れた人のようだった。特にリュートのイヴァーノ・ザネンギの音楽への密着と没頭には圧倒された。もうひとつ感心したのは、ヴェニスから来たこの集団のかもしだす、特に男性陣の何ともいえないいい雰囲気。ひとりひとりが個性的なのに嫌みがなく、個が集団に埋没することも突出することもない。そうしたひとりひとりのあり方が、音楽にも反映され室内楽の理想が実現されていたと思う。この世で最も繊細なロック音楽のコンサートに出かけたあとのような清涼感と、オペラティックな濃厚で濃密な歌いまわしの感動の両方が得られたコンサートだった。30日と12月1日の東京公演に行くことにした。
November 25, 2010
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3年ぶり3度目という、札幌在住の若手フルート奏者のリサイタル。「STEP」というタイトルがつけられ、舞曲というか、踊りにちなんだ曲が集められていた。数年前、あるオーケストラのコンサートで、光っている演奏者を二人見つけた。ひとりはトランペットの桜井匡という人で、もうひとりがこの人。それ以来、この人のソロを聴いてみたいと思っていたが、今回やっとそれがかなった。地元の大学を出たあとフランスで勉強した人らしく、日本では少ないフランス流の奏法というか音楽を感じさせる。音色が明るく華やかで、作り出す音楽もどこか楽天的。しかし軽妙さに流れてしまうことはなく、華美にはならない。このバランスのよさは滅多にお目にかかれない質のもので、身近なところになかなかすごい音楽家がいたものだと、ハチャトゥリアン「ワルツ」、クライスラー「美しいロスマリン」といった開始のナンバーを聴きながら思った。語りというよりは「しゃべり」を入れながらの進行で、そのしゃべりがまたいい。堅すぎず、柔らかすぎず、人柄のよさがよく伝わってくる。音楽家と人柄というか人間性の関係について考えることがある。「あまりいい演奏をしない」と思っていた演奏家の家に行ってみたら、豪邸なのに家の中は雑然としていたり、不要なものに囲まれていたりということがあった。品のない演奏をする人だと思っていたら、高級車のコレクターだったり、射撃が趣味だったりした。「いやらしい演奏をする」と感じた演奏家は収賄で逮捕されたこともあった。一方、「いい演奏をする」と感じる演奏家の家に行ってみると、ほぼ例外なく質素で余計な「モノ」がなかった。趣味も点数や勝敗を競うスポーツではなく登山のようなことだったりした。きっとこの人の部屋はすべてがきちんと整理整頓されていて、狭い部屋でも空間が広く感じるようにアレンジされているような気がする。趣味のよい小物が趣味よく置かれているのではないか、そんな風に感じる演奏だったのである。フランス風に軽妙なだけではないシリアスさを感じさせたのが、休憩後に演奏されたカルク=エーレルトの無伴奏曲「シャコンヌ」。一方、もう少しスクエアに演奏した方が効果的に思えたのが前半最後のオネゲル「牝山羊の踊り」。前半はほかにアイルランドの舞曲二曲とピアソラの作品。クラシックの曲ばかりではなくこうした音楽にも柔軟かつ完璧な演奏でサポートしていたのが武藤みさというピアニスト。初めて聴いたが、この人も日本人離れした、細部まで血が通っているのに神経質にならない上質な音楽を作る。まだ30代はじめと思われるが、やはり身近なところにすごい音楽家がいたものだと驚いた。ピッコロ・ソロのダマレ「白つぐみ」に続いてのドップラー「華麗なるワルツ」で登場したゲスト、フルーティストの安保香苗とのデュオは、技巧の見せ場という意味ではこの日のハイライト。最後の、やはりフルート・デュオのための「3つのダンス」(ショッカー)では、ジャズ風のフレーズが乱舞する、いかにもコンサートのトリにふさわしい楽しくも華やかで気のきいた曲。ノリのいい洒落た味わいの演奏が心地よかった。フルート音楽には人一倍の関心を払ってきたつもりだったが、過半の曲は初めて聴く曲という練られたプログラム、隠れた超一流の共演者と、思いがけずたくさんの収穫のあったコンサートには非常に得をした気分。こうしたラッキーがあるからコンサート通いはやめられない。ナマの音楽はいいと久しぶりに現実を忘れることができた。200強のホールはほぼ満員。ルーテルホールはピアノが響きすぎる難しいホールだが、さほどピアノの音量を落とすことなく良いバランスで鳴っていたのにも感心。このフルーティストはブログを持っているので、チェックして必ず聴くようにすることにした。
November 21, 2010
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とりたてて優れているわけではないが、いい映画だと感じて人にすすめたくなる映画がある。1991年のイタリア映画「エーゲ海の天使」(原題はメディティラーネオ=地中海)はそんな一本だ。こういう映画を観て共感するポイントが同じ人だと信頼できるし、そうでなければ深い付き合いはできない。あるいは、こういう映画を観て映画では少ししか描かれていない点について深く突っ込んだ話ができ、映画体験自体を豊富化できれば、友人やパートナーとして理想的にちがいない。そういう素材としてふさわしいと思う映画を何本か持っている必要があるが、「エーゲ海の天使」はわたしにとってそんな一本だ。封切り時に映画館で観て以来、もう4~5回は観ていると思う。今回、NHK-BSで放送されたので久しぶりに観たが、何年かおきに観たくなる。歳をとり、人生経験を積み重ねることで、新しい発見があるかもしれないと思わせる映画。「フィールド・オブ・ドリームス」「明日を夢見て」「黒い瞳」「ローマの休日」などと同様「エーゲ海の天使」はそんな一本だ。第2次世界大戦中のギリシャ。エーゲ海の孤島に上陸したイタリア人部隊は船と無線機を失う。戦争は終わり、きのうの敵がきょうの友となったことも知らず、素朴な村人たちと交流しながら3年以上の月日を過ごす。第2次世界大戦の兵士版「浦島太郎」のようなお話。初めて観たときは兄弟の兵隊がひとりの女性と愛し合うシーンや、何とものどかで光にあふれた南欧の風景や暮らしに目を見張らされた。娼婦と愛し合うようになり結婚する兵士の純情ぶりも印象に残った。ユーモラスなのに哀切さも感じ、佳作だと思った。それから20年近くたって今回、感心したのは、部隊をまとめる中尉。哲学的な、意味の含有率の高いことを言う。イタリアに帰還したい軍曹の提案に多数決をとる場面があるが、帰還したくない兵士が多数であることを見てとると、「自分は中立だが、残留と決定」とあくまで中立的立場を装うのがユーモラス。今回観てはじめて感動したのは、娼婦と結婚した兵士が帰還を拒むシーン。この兵士は幼いころ両親と死に別れた孤児なのだが、迎えのイギリス軍が来ても帰ろうとしない。「イタリアに帰っても家も仕事も何もない。ここしか自分の居場所はない」と木樽の中に隠れて出てこようとしないシーンには、人間にとって最も大事なものは何かを教えられたような気がして胸が熱くなった。兵士をはじめとして配役が適切で、それぞれの俳優の持ち味が最大限に発揮されているのにもあらためて感服。映画が文化であることを思い出させてくれる、そんな一本で、この映画を観たあとは森林浴をしたような気分になる。
November 20, 2010
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人生と同じで旅にミッションを欠くことはできない。ミッションがあるからこそ旅も人生も有意義な、辛くてもおもしろいものになる。今回の旅のミッションは、札幌から通勤圏にある「循環濾過・塩素消毒」なしの露天風呂つき温泉を探すこと。札幌市内・近郊の温泉はだいたい制覇したつもりでいたが、あらためて調べてみると重要と思われる温泉が二ヵ所あったので行ってみることにした。一ヵ所は石狩金沢にある樹林温泉(源泉名)ふくろふ乃湯。2008年にできた日帰り温泉で、作ったのは地元の建設会社の人らしい。手作り感あふれ、周囲の自然との調和も考えられた好感のもてる施設だった。カーナビによると自宅からこの温泉までの距離は27キロ。札幌都心からだと50分くらいだろうか。JR石狩金沢駅は客車を駅舎に使った無人駅で、札幌に近い割には秘境感がある。この駅を背にまっすぐ山に向かって徒歩3分。広い道に出るとこんな看板がある。すぐに建物が見えてくる。冬になって葉が落ちたので建物が見えるが、夏は木に隠れて建物ははっきり見えないだろうと思われる。このあたり、作った人のセンスが光る。入浴料は600円で11月30日までは露天風呂がある。12月からは内風呂だけになる(入浴料は500円)。男女別の日替わりで、ちょうどこの日は眺めのよい方が男性用になっていた。露天風呂からは裏山を望み、天然の小滝が二つ眺められ解放感は抜群。壁は男女を仕切るための向きだけで、あとはいっさい壁がない。天井はあるが、これが「正しい」露天風呂の姿である。加温しているが循環濾過などは全くしていない。かなり濃いコーラ色の、モール泉系のように思われる。肌に優しいが、動力揚湯のためか、力強さは欠く。露天風呂は何時間でも入っていられるくらいの温度で内風呂は41度くらいか。周辺には子どもの教育のため、あるいは田舎暮らしに憧れて本州から移住した人たちの家が点在している。5~600坪程度の敷地のところが最も多いが、1000坪超、中には3000坪を超える区画もある。ガーデニング、家庭菜園など思い思いの生活を楽しんでいるようだ。山をひとつ越えると日本海なので、毎日のように漁港に魚を買いに行く人もいるらしい。周辺はこんな感じで畑や田んぼが広がる農村地帯。遠くに雪を戴いた芦別岳や夕張岳が見えて神々しさを感じた。この時期、新雪をまとった山をふもとから眺める旅というのもいいかもしれないと思った。「山は登るもの」という固定観念に囚われていたことに気づいて愕然とした。ながぬま温泉は札幌から35キロほど。公共温泉にしては珍しく循環濾過も塩素消毒もしていない。それは毎分1900リットルという大量のお湯が52度の高温で自然湧出しているから。ホテル10軒分くらいのお湯が出ているわけで、大浴場のジャクジーまで温泉のよう。お湯はかなり強い食塩泉のようで黄色っぽい色をしている。パワーをもらえる温泉である。しかし、いいのはお湯だけで、それ以外は公共温泉の欠点をすべて持ってしまっている。チケットを券売機で買わされる(入浴料500円、2種類ある定食とのセット1000円)のにまず幻滅。建物や浴場にもおよそ風情というものがない。きわめつけは露天風呂で、立ち上がって背伸びをしなければ外が見えないほど壁が高い。入浴しながら景色を眺めるということが全くできない。露天風呂とは天井のない風呂ではなく、壁のない風呂だということを、この施設を作った官僚や業者はわかっていない。こういう風呂は露天風呂ではなく、無天井風呂(無天風呂)と呼ぶべきだ。せっかくの農村地帯で特産品もいろいろあるだろうに、入浴セットの和定食はこれ。「卵かけご飯で村おこし」程度の発想すら持っていないのがさすが補助金天国北海道。浴場には背中に刺青をしている人がいたが、公営温泉は避けるべきという教訓をあらためて確認できた。この温泉の近くに湧水の名水があり、水くみの人が絶えない。わたしも汲みに行ったが、汲みに来ていた中年女性に「これは湧水ですか?」と尋ねたら「いいえ、これは無料です」という答えが返ってきた(笑)長沼町は、学生のころ、ミサイル基地反対同盟の代表だった農家にアルバイトに来たことがある思い出の町なのだが、今回の経緯には、この温泉やこの町に近づくなという天の声を聞いた気がした。ふくろふ乃湯には足繁く通うことになりそうだ。昼寝もできる休憩室には「クッキングパパ」全巻がおいてあるのも魅力的。フロントの若い女性もてきぱきとしていて、自発的な応対ができる。この日は新十津川町の米についていろいろ教えてもらった。フロントで販売していたが、それを見ると、今年に限っていえば蘭越米よりも出来がよさそうだ。こういう、宿泊施設のない温泉の近くでは車中泊をしながら湯治をしてはどうかと考えている。
November 19, 2010
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文化とは何か。人間を、人間性を擁護するものである。もちろん、自明のものとされている人間観、人間性そのもの鋭く問い直す営為、問題提起も文化に含まれる。今年公開されヒットした中島哲也監督の「告白」は、たしかに問題作ではある。登場人物のほとんどが性格のねじれた悪意の人物ばかり。熱血漢の男性教師も滑稽な存在として描かれる。最大限に善意に解釈すれば、人間性を安易に信じるなという監督のメッセージを読みとることができるかもしれない。しかし、この映画は「文化」の名に値しない。娘を教え子に殺された女教師の復讐方法がトリッキーなだけで、既製の人間観への問いかけも、空虚な人間性擁護への批判的視点も何もない。好きではないもの、嫌いなもの、そういうものでも価値があるのであれば否定しない、そういうものの中にある積極性の契機を見つける、それが大人の文化である。しかし、この映画は、どちらかというと映像表現やストーリー展開のテンポは好きなものの、価値がないと感じる。いっときのエンタイテイメントとしては話が暗すぎるし、グロテスクな映像も多い。映画とは基本的にカップルで観に行くものだが、カップルでこの映画を観に来た人たちは、二度とこの監督の映画に足を運ばないだろう。復讐譚には優れた映画が多いので期待したが、復讐というより「娘を殺された女性教師がその残酷な人間性を開花させた」というだけのお話なので、カタルシスもない。むしろ、幼児化する日本の中学生の一側面を描いた映画として観るとよかったのかもしれない。この映画がヒットしたのは、観客が幼児化したからなのだろう。幼児の幼児による幼児のためのこの映画は、演技力ゼロの俳優(松たか子や木村佳乃)で映画を作るにはどうしたらいいかという問題への解答とはなっている。
November 17, 2010
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音楽監督・尾高忠明の指揮でオール・シベリウス・プログラム。尾高の絶妙な指揮と相まって、札響が世界に冠たる「シベリウス・オーケストラ」であることを示したコンサートになった。都合で2日目を聴けないのが痛恨のきわみ。たとえば最初に演奏された弦楽合奏とティンパニのためのアンダンテ・フェスティーボ。こんなに透明で澄んで冷ややかなサウンドは、本場フィンランドのオーケストラにさえ聴くことができないものだ。弱音時の残響はこの世のものとも思えないほど美しく、タケミツ・トーンを思い起こさせる。こういう響き、素直でてらいのない音楽は、ウィーン・フィルやベルリン・フィルには絶対に作ることができないし、シベリウスを得意とするイギリスのオーケストラはハリウッドの映画音楽のように親しみやすく語りかけてくる響きになってしまう。シベリウスは、それではだめなのだ。基本的には澄ました冷たい美女のような響きで演奏するからこそ、ドラマティックな部分やクライマックスでの重厚な響きに人間の体温を感じて感動するのである。わずか5分の天上の音楽。オーケストラを無理なく、力まず鳴らす「尾高マジック」にも脱帽するしかない。2曲目、竹澤恭子をソリストに迎えた「バイオリン協奏曲」はやや不満が残った。人間的なドラマよりも大自然の響きが作り出す情緒を志向する尾高の解釈と、あくまでロマン派のバイオリン協奏曲の20世紀的展開ととらえる竹澤恭子の解釈に齟齬というか距離があったからである。また、札幌の音楽ファンは、この曲ではヤン・ウク・キムやギドン・クレーメルの壮絶な名演を過去に経験している。特に、スイス・ロマンド管弦楽団と共演したクレーメルの演奏は、オーケストラがかすんでしまうほどの迫力で、フィナーレなど独壇場だった。それに比べると、「超一流」の「世界的名手」竹澤恭子といえども、テクニックで見劣りがするし、演奏至難な場所での安全運転が気になってしまう。休憩後の交響詩「4つの伝説曲」では、しかしそんな不満も忘れた。この曲は若書きの長所と短所が混在していて、シベリウスの創意や表現意欲の強さ豊かさに圧倒される。後年に開花する音楽的アイディアが惜しげもなくざっくりと投げ出されている印象がある。だから2曲目の「トゥネラの白鳥」などは演奏されても、まとまって演奏されることが少ないのだろう。プログラムに掲載された高関健のエッセイによれば、シベリウスはマーラーと懇談したことがあるらしい。最近、モーツァルトの音楽が犯罪を激減させるという話をきいた。シベリウスの音楽を聞きながら、マーラーの音楽にはそういう要素はないが、シベリウスの音楽にはあるような気がした。ただ美しかったりドラマティックするだけではなく、心の中の残滓物を洗い流してくれるような精神的な何かが、シベリウスの音楽にはあるのである。この日のコンサートはいつになく空席が目立ったし、シベリウスの音楽の人気は1960年代に比べるとかなり低下している。それは、シベリウスの音楽のストイックな精神性よりも刹那的な音響的快楽を求める風潮によるのではないだろうか。演奏は、すべてのパートが「これ以外にありえない」という説得力を持って演奏されていた。これは札響のシベリウスの音楽への適性と、尾高の音楽性が完全に一致していたからこそ実現したことであり、こういう演奏に出会うことは、100回に1回もないものである。尾高=札響は、シベリウスやエルガーやラフマニノフで、100回に1回しか出会えない名演をかなりの確率で実現している。道外からの聴衆をほとんど見かけないのは不思議だし、「4つの伝説曲」のようなあまり有名ではない曲のせいで地元の聴衆も少なかったのだろう。
November 13, 2010
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LCC(格安航空会社)が当たり前になったヨーロッパで、鉄道を使ってパリからミュンヘンへ行こうという人などもうほとんどいないにちがいない。パリからミュンヘンまでは直線でも800キロほどはある。実乗車距離は1000キロを越えるのは間違いない。本州の端から端まで列車移動するのに近い。ユーレイルパスの当時の値段は一日あたり5000円くらいだったから、5000円で1000キロの移動であり、一キロあたりの移動コストはわずか5円。これは安いと思って買ったが、安いだけあって時間もかかるし不便なことも多かった。列車がパリを出てすぐ、車掌が来て大声でわめいた。何かと思ったら、パスポートを出せという。なぜ渡さなければいけないのかわからなかったが、大声で催促するので渡した。向かいのチェコ人らしき二人も渡しているからまあ大丈夫だろう。結果から言うと、翌朝、返してくれた。国境を超えるとき、係官みたいなやつが回ってきて、寝ている客を大声で起こす。寝ぼけまなこで何だろうと起きると、パスポートと照合していった。パスポートを集めていったのは、言ってみれば入国審査のためだったわけだ。この審査はほとんど形式的だった気がする。日本のパスポートと見ると中を開くことさえしなかったからだ。しかしそれでも複数の係官と車掌が深夜、どやどやどやってきて大声を出すのには閉口したし、何事か理解するまでは恐怖でもあった。フランクフルトに着いたのは朝。ここでシャイだけど気のいいチェコ人らしき二人とは別れ、ミュンヘン行きに乗り換えることになる。一言も話さなかったが、どこかのんきで微笑の絶えない、印象に残る男たちだった。このときだけでなく、この後、ヨーロッパを歩いていつも感じたのが、ヨーロッパの男に感じる人間味である。特に年配の男性に感じることが多いのが、誠実さと人情味であり、裏表のない正直さだ。立ち振る舞いや仕草にも品がある。特に感心したのは食事のマナーで、チャップリン扮する乞食の食事時のシーンを思い出したりした。フランクフルトの駅には防毒マスクが売られていた。何でも、南へ向かう列車で、個室に催眠ガスを噴霧し、眠ったあと金品を奪う強盗が多発しているのだそうだ。だからと言って、防毒マスクをして寝るのには抵抗があった。それなら眠らずにいて強盗を撃退したほうがマシと考え、買わなかった。ミュンヘン行きの列車に乗ろうと長いホームを歩いていると、ドイツ人の母子とすれちがった。息子は20歳前後だろうか、背が低いので高校生くらいにも見え、リュックを背負っている。母親はと見ると、ニコニコして歩いている息子の横で涙ぐんでいる。少し太った、いかにもドイツの肝っ玉母さんという感じの女性がなぜか顔をくしゃくしゃにして歩いてくる。息子が長い旅から帰ったのが嬉しいのか、それとも兵役でも終えて無事に帰ってきたのか。想像するしかないが、ニコニコ顔の少年と泣き顔の母親が一緒に歩いてくる姿に、ほとんど一瞬のことだがドイツの女性というよりもひとりの母親の真情を感じた。愛想がなくとっつきにくい感じのすることの多いドイツの女性だが、この母親を見たことで印象ががらりと変わった。フランクフルトからミュンヘンまで、初めて外国の風景というものを車窓から見た。美瑛の丘のような美しい農村地帯が延々と続いていく。それを見て、夜行列車の移動はもったいなかったかもと少し後悔した。スケールが少し違うが、牧草地と防風林が交互に現れる北海道の農村地帯とさほど変わらない風景を眺めているうち、先ほどの母親のこともあって、自分の体が外国というものになじんできた気がした。初めての外国の初めての夜が夜行列車というのもハードだったが、そうしたハードさをくぐっていま明るい朝の光で眺める外国は、それほど外国という感じがしない。ユーレイルパスだと一等に乗ることができるのもよかった。疲れているときは他人とあまり関わりたくないものだが、一等に乗っているドイツ人はビジネス客がほとんどで、こちらに全く関心を示さないのもありがたかった。座席もゆったりとしていて快適さが違い、二等のドイツ人に対して何となく優越感を感じる。ミュンヘンはもうすぐだ。ミュンヘン駅前のバーガーキングに巨乳の彼女が僕を待っているはずだ。さすがドイツ国鉄、時間通りに運行している。札幌を出てもうすぐ60時間がたとうとしていた。
November 10, 2010
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気温が下がってくるとヘルニアが痛み出した。厳冬期が思いやられる。そこで、厳冬期には湯治に行くとして、11月はその候補になるようなところを探すことにした。1ヵ所はあたりをつけてある。白老漁港近くにある「○○ベ海浜温泉」で、泉質はずばぬけていい。白老には長期滞在用の宿も多いし雪がほとんど積もらないのも好都合だが日本海側にどこかないか。そう思って調べているうちに見つけたのが、島牧村の旅館たかだ。この宿自体には温泉はないが、97歳と93歳の老夫婦がいて現役だという。いまやスーパー老人は決して珍しくないが、それにしても夫婦揃って90代で元気というのも珍しい。とりあえず泊まってみることにした。島牧村には1989年6月に一週間ほど滞在したことがある。まだ30代前半で、仕事だったこともあり、ひなびた漁師町という印象しかなかった。ちょうど悪天で、荒々しい波には恐怖を感じるほどだったこと、海岸沿いの道でクルマが波しぶきをあび横滑りしてあぶなかったことをおぼえている。初めてけあらしを見たのもそのときだ。蘭越町で昆布元気村のFさん(広島県出身)おすすめの小松さんのゆめぴりかを買い、黒松内町にある日本北限のブナ林、歌才ブナ林に寄る。しかしこれは本格的な登山の装備のいる遊歩道だった。軽装だったので半分ほどの最も標高の高い地点まで行って引き返す。このブナ林探訪には2~3時間、食事や温泉を含めると半日くらいの時間をみた方がよさそうだ。紅葉も終わり、葉も落ちているので期待していなかったが、葉が落ちている分、森の中がすっきりと見渡せる。思いがけなくよかったのは、夏の間なら葉に隠れて見られない川を見られたこと。このブナ林の中だけでなく、どこへ行っても護岸されていない川の美しさをじっくり味わえた。11月の旅ならではの醍醐味かもしれない。旅館たかだに着いたのはちょうど17時。しかし誰も出てこない。電話を鳴らすと寝ぼけまなこの女将さんが出てきた。うっかり寝過ごしたらしい。「これからだと満足な準備ができないので、宿泊代は5千円でいいです」といきなりディスカウント。こういうトラブルがあるから旅はおもしろい。宮内温泉はこの宿からクルマで10分もかからない泊川渓谷にある。ゾウの花子が湯治に来た半農半宿の温泉として知られる。露天風呂ができていたほかは全く変わっていない。この宮内温泉の上流6キロほどのところに、野湯として有名な「河鹿の湯」がある。残念なことに湯温が低下したのでこの時期は入ることができない。宿泊客はほかに二人。いずれも男性で、工事関係者と釣り客と思われる。花や紅葉の時期の登山客を除けば、このあたりの宿の客はほとんどこの二種に限られるようだ。温泉がないと家族連れやいわゆる観光客は来ないのだろう。「温泉のない民宿」は、ソロ・ツーリストにとっての穴場かもしれない。夕食は満足のできるものだった。満腹しそうなくらい大量のブリの刺身(というよりぶつ切り)をゆっくりひとりで食べていたらアワビの刺身まで出てきた。こんなにたくさんのアワビを一度に食べたのは初めてだ。ほかにはホッケのすり身の汁物がおいしかった。60代はじめとおぼしき女将さんひとりでの切り盛りなので、細かいところに手が届くという具合にはいかないが、既製品のほとんどない手作りの夕食に心が豊かになった。ところで、夕食を同席した男性は、どこか知的な雰囲気のある人だと思ったら札幌の医者だった。いつも3~4泊していくという。24時間勤務なので、3日連続して休みをとることができるらしい。また、島牧村の人たちと話していてわかったのは、たとえば宮内温泉のようなひなびた、古くてお世辞にも小綺麗とはいえない温泉を恥ずかしいと思っていることだった。この二つのことから、貧乏ということに関して思うところがあった。貧乏には3つある。ひとつは、ぎりぎりの生活のお金しかない、いわゆる貧乏。もうひとつはお金があっても時間がない、時間貧乏。もうひとつは、お金も時間もあるのに心が貧しい、心の貧乏である。いわゆる貧乏な人たちは、たまの温泉旅行ではカラオケやゲームに打ち興じ、バイキング料理を食べ散らかして帰っていく。北海道でいえばカラカミ観光や野口観光のチェーンホテルに泊まるような人たちである。お金があって時間がない、時間貧乏な人たちはオーベルジュや高級宿に泊まり優雅かもしれないが空虚な時間を過ごし優越感を消費して帰っていく。両者は現実逃避の一点で共通している。しかしこの札幌のお医者のようにお金も時間もある人がなぜ温泉もない寒村の民宿に泊まるのか?心豊かに過ごすことがどういうことかを知っているからだ。不便かもしれないが人間的な暮らしのある漁村に身をおくことで、都会暮らしでなくしてしまいそうなものを思い出すことができるのだ。一方、成金に典型な「心の貧乏人」には、こうした宿の良さも、宮内温泉の鄙び感のよさも決してわからないだろう。いまの日本の都会人の多くはこうした成金的価値観の囚人になっているということが、島牧村のようなところにきてみるとよくわかる。翌朝は島牧漁港にある漁協への買い出しに同行。朝食用のホッケ20キロ(1箱10キロ)はいったい何人分になるのか想像もできない。これをさばいて干したりするだけで大変な労力だというのがわかる。こういう宿に泊まり、ほかにお客がいないのでこういう体験ができたが、そうでもなければ旅館運営の大変さを肌で感じるようなことはなかっただろう。朝イカも一箱入手して、刺身が朝食に出たが、今まで食べたいちばんおいしいイカ刺しだった。島牧は波が荒いので海水温が低く、したがって脂が乗り魚がおいしいのだという。隣の寿都漁港の海産物は有名だが、島牧のホッケの方がずっとおいしいらしい。あまり市場に出回らないので、こういうものはここへ来なければ食べられない。ただし、ほかのものはあまり食べられなかったりする(笑)泊川のさらに西に千走川という川があり、その上流には千走川温泉と北海道最大の滝として知られる賀老の滝がある。千走川温泉が準備中だったので、通行止の標識を無視して車道終点まで行ってみることにした。川を離れると、あまりの広大さと人気のなさに、クルマで走っていても恐怖をおぼえるような高原の道が続く。ヒグマと遭遇しても不思議ではない場所で、半径10キロ以内に他に人間はいない。携帯はもちろん圏外だ。野生動物の気配はないが、万が一の危険は避けて滝に行くのはやめ、駐車場から100メートルほどのところにあるドラゴンウォーターだけ行くことにした。だがこの100メートルですら恐怖だった。ペットボトルで作った即席の鳴らし物を鳴らしながら大声を出して歩く。ドラゴンウォーターとは岩の間から炭酸水が噴き出している珍しい場所。だが一口飲んだだけで退散することにした。この間、わずか3分ほどだが、こんなに命の縮む思いをしたのは定山渓の山でヒグマに遭遇して以来。来た道を戻り、追分ソーランラインを下るとモツタ海岸温泉がある。20年ぶりに訪れてみると建物はすっかり新しくなり、海を望む趣味のよい露天風呂もできていた。この温泉はあの玉川温泉をしのぐラジウム量があり飲泉もできる。少し肌に刺激のある、力のあるお湯でよく温まる。宮内温泉と同じで、加水・加温なしの完全な自然湧出泉である。帰り道、海にかかる虹を見た。海から二本の虹が出ている光景も見た。今回の旅では貴重な教訓を得た。できるだけ観光客を避けて旅をすることの大事さである。いわゆる観光客が来ないような場所に、しかも旅行シーズンを避けるほどおもしろい旅ができる。海外旅行でそういうことはわかっているつもりだったのに、国内旅行ではつい気が緩んでいたようだ。
November 8, 2010
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あと1万本は観たい映画があるし、新しい作品もどんどん作られる。そうすると、映画を観る媒体の中心はDVDやBSということになる。NHK-BSは丹念に拾っていくとかなりの映画にアクセスできる。一方、民放で放映される映画はカットがあったりするのでお話にならない。しかし、日本ではなぜか劇場未公開の「ドランのキャデラック」(原題も同じ)が民放で放映されるので観てみた。CMは入ったがカットはないようだ。原作はスティーブン・キングの小説。妻を殺された男の復讐譚だが、映画としてのできはさほどよくない。サスペンス映画には文学的・哲学的なものも散見されるが、この映画はそういうレベルではない。しかし、それでは観る価値がないかというと、そんなことはない。というより、ぜひとも観るべき一本だと思う。もし自分の愛する人が同じ目に遭ったらどうするか。そう問うことをしない、想像力のない人にはこの映画は無意味だろうが、そうでない人には多くの示唆がある。殺人事件の目撃者となったばかりに殺された妻。その復讐のため、小学校教師の夫は人身売買組織のボスに挑む。倒せるチャンスは自動車で移動している間だけ。だがその車はマシンガンの乱射でもびくともしない頑丈なキャデラックなのだ。これだけのあらすじで結末を予想できる人はまずいないだろう。あとから考えれば途中にたくさんのヒントがあるのだが、実際、その瞬間になるまではどんな方法で復讐するかわからないように作られている。この方法というのが大陸的というか奇抜なのだ。金も力もなく弱い人間が、強大な敵に立ち向かう際に最も大事なことは何かがわかる。この方法は、言ってみればゲリラ戦の基本でもある。警察を出しぬいて復讐を遂げる主人公は、しかし個人的な復讐を完遂しただけではない。しょせんはサラリーマンでしかない警察などに頼らない、自主・自立のアメリカ的気質を体現しているようにも見えるしそれを称揚しているようにも受け取れる。アメリカならこんな話がほんとうにあったかもしれないという気がしてくるが、暗い復讐譚ではなく、笑える陽気な復讐譚になっているのがユニークだ。
November 3, 2010
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