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パートナー企業であった日本航空の破たんのためか、今年のPMFは規模が縮小された。規模の縮小はいまに始まったことではなく、レジデント・オーケストラの招聘はかなり前にやめたし、今年はレジデント・コンポーザー、指揮者の招聘もとりやめた。結局、音楽監督のファビオ・ルイジがPMFオーケストラの3つのプログラムのコンサートすべてを指揮する、個人色の強い音楽祭になった。そのせいかどうかはわからないが、今年のPMFオーケストラメンバーは驚異的にレベルの高かった昨年などと比べて見劣りがする。管楽器にスタープレーヤーが見あたらないだけでなく、ブルックナーの交響曲第7番では、特に第2楽章で通常では考えられないほど濁った響きのワーグナー・チューバ合奏を聞かせられるハメになった。ただ、ビオラやチェロ以下の低弦セクション、男性の多いパートは非常に充実していて、それがいい結果を生んでいた。ファビオ・ルイジのブルックナーは、一ヵ所を除いてすばらしいものだった。特に印象に残ったのはフレーズの終わり方の美しさで、フレーズの最後まで気をぬかない、ていねいな表現には非常に誠実さを感じた。テンポもまことに適切で、あの感動的な第2楽章も遅すぎず、第3楽章のスケルツォも速すぎず軽すぎない。同じ曲を同じホールで、ハイティンク指揮ウィーン・フィルで聴いたことがあるが、音楽の品格ではこちらの方が上だ。しかしいいことばかりではなかった。ブルックナーの音楽には神が現れる瞬間がある。緩徐楽章のクライマックス部分、両端楽章の終結部分こそ、いささか冗長で繰り返しが多いブルックナーの音楽を聞く醍醐味である。というか、冗長と繰り返しに耐えるからこそ、その部分がひときわすばらしく感じるのだ。この7番では、フィナーレの終結部分、ア・テンポに至る高揚と最後の1分に「神」が現れる。この部分を成功させられるかどうかがキモ中のキモである。そしてルイジは、こともあろうに、この部分でブルックナーがスコアに書いた「ア・テンポ」の指示を忠実に守り、颯爽としたテンポで開始したフィナーレ冒頭部分のテンポで、若々しく勢いのあるラストを作り上げてしまったのだ。たとえて言えば、重厚なドイツ料理のフルコースの最後に、ミニサイズのカップラーメンが出てきたようなものである。この部分を「速く、軽く」演奏する指揮者はヴァントなどドイツ系にも多い。これが伝統的なスタイルなのだろう。スコアを見ても、そうした解釈は妥当に思える。ルイジのこの部分の演奏は速いテンポでも決して軽くはなかったのは救いではある。しかし、わたしは、音楽をすばらしいものにするなら、作曲者の意図に反してもかまわないと思っている。演奏とは、演奏者によって、作曲者ですら気がつかなかったいちばん美しいディテールを付け加えることだと思うからだ。作曲者の速度指示は妥当と思われるテンポより速いことが多い。テンポの伸び縮みを子細に楽譜に書くのも難しい。楽譜に書いてないからと言ってストレートに演奏したり、楽譜に書いてある部分だけ緩急をつけたりするとおかしな音楽になることは、演奏という行為に少しでも関わったことのある人なら誰でもわかるはずだ。大事なのは、音楽に内在するテンポを、演奏家がつかみとることである。ブルックナーのこの曲の終結部分は、通常演奏されているテンポの半分以下で演奏されるべきだと思う。そこまで遅くするのに抵抗があれば、ア・テンポの直前の2つの音は限界まで引き延ばし、可能な限りのピアニシモでリズム感を感じさせないような表現で「ア・テンポ」を開始することだ。バーンスタインはこの曲の録音をのこさなかったが、バーンスタインならそう演奏したと思う。ブルックナーの音楽はベートーヴェンとはちがう。ベートーヴェンが律動の音楽だとすればブルックナーは鳴動の音楽なのだ。人間の音楽ではなく神の音楽であり、ルイジの演奏には神々しさが皆無だったのである。また、ノヴァーク版を使用したのも(この曲に限っては)疑問だ。ハース版とノヴァーク版、さらに他の版の細部についてこだわるつもりはないが、全体にハース版の方が音が少なくすっきりした響きがする。誰でもはっきりわかるのは第2楽章のクライマックスで、ノヴァーク版では打楽器が使われている。さすがにルイジはシンバルなどは省いていたが、この部分はハース版のように打楽器なしで演奏した方がはるかに現実離れした美しい音楽になる。ブルーノ・ワルターやギュンター・ヴァントはたしかハース版で演奏していた。あと一歩で名演になったのに、最後の最後で駄演になってしまったブルックナーは、東京・大阪公演、それにNHKの放送で確認することができる。前半はショパンのピアノ協奏曲第2番。この曲では、ほぼ最前列の左端の席だったので、「音」は聞こえても音楽は聞こえず論評は不可能。リーズ・ドゥ・ラ・サールという超美人ピアニストはコンチェルトというよりオーケストラ伴奏付ソナタ、あるいは室内楽を演奏しているような演奏ぶりで、名人芸をひけらかさない姿勢に好感。アンコールにひいたショパンの夜想曲も瞑想に誘われるようで、若いのに精神的な深みを感じさせる立派な音楽家であることがわかった。
July 31, 2010
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同じプログラムのコンサートは、一日目より二日目、二日目より三日目と、尻上がりによい演奏になっていくのがふつうだ。だからルイジの「ラ・ボエーム」の二日目には期待した。一日目であれほどすごいのだから、二日目はどうなるか想像もできない。終幕がアンコールされるのではないかとさえ思った。だが二日目は期待に反して凡演に終わってしまった。凡演と言って悪ければ、一日目のような奇跡は起きなかった。その原因の大半は、主役の二人の歌手が変わったことにある。悪くはないのだが、ミミの千恵・リー・サダヤマも、ロドルフォの小笠原一規も、突きぬけるものがない。萎縮せず力を出しているのはわかるのだが、「火事場のバカ力」が出ていないのだ。主役のノリが悪いとそれが指揮者にも感染するのか、ルイジも安全運転に終始し、ややストイックな「ラ・ボエーム」になってしまった。ルイジの「ラ・ボエーム」はもともと、ノスタルジック(バーンスタインの録音のように)ではなく、若々しい青春の息吹を感じさせるもので、あくまでも若者たちの現在進行形のドラマという解釈である。それが、一日目は歌手たちの迫力ある熱い歌に呼応して輝かしい音楽を作り上げていった。しかし二日目は主役の二人に配慮しすぎたのか燃えるべき部分でも冷静で、どこかさめた「ラ・ボエーム」になってしまったし、合唱や舞台裏のバンダが他の部分とずれるというありがちなアンサンブルの乱れも散見された。一日目よりよかったのは終幕。死の床にあるミミに友人たちが贈り物をする部分からミミの死に至る部分は真に迫り、会場のあちこちからすすり泣きの声さえ聞こえたほど。音楽的にも精巧で、濃密な室内楽を聴いているような趣があった。主役以外では、マルチェエッロ役のバリトン岡昭宏はよくのびる声と雄弁な表現で抜きんでていた。このように演奏会形式といえどもオペラの上演というのは難しい。すべての条件が整わないと名演奏にならないが、特に重要なのは主役であるという基本の事実を再確認させられたひとときだった。しかしそれでも、これだけのレベルでオペラを体験できるなら、それに文句をいうのは贅沢というものだ。それにしてもプッチーニのスコアは美しい。つい歌に耳が傾きがちだが、そのオーケストレーションの精妙なこと。こればかりはナマのコンサートでなければわからない。来年・再来年もルイジはオペラを軸に据えるのだろうか。そうだとすれば楽しみだし、次にやるのは「カルメン」だろうか、それとも「マダム・バタフライ」や「トゥーランドット」あたりかと推理するのも楽しい。
July 25, 2010
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パシフィック・ミュージック・フェスティバルのメーンイベントであるPMFオーケストラ演奏会。今年から3年、音楽監督をつとめるファビオ・ルイジの指揮によるプッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」(演奏会形式)一日目は、ほとんど奇跡と言っていい上演になった。これほどの公演は、超一流のオペラハウスでもめったに体験できない種類のものと断言できる。オペラにつきものの合唱の遅れや歌手の先走りが皆無なだけでなく、バランスやニュアンスが完璧。しかもPMFシンガーズを中心とした若い歌手たちのみずみずしい表現や集中力は圧倒的で、へたな舞台装置や演出や演技ならいらない、演奏会形式の方がよい、そう思わせるほどの演奏だったのだ。技術は超一流とはいえ、オペラなどまったく演奏経験がないであろう学生オーケストラ、やはり経験の少ない若手歌手、200万都市のくせにオペラハウスどころか常設のオペラ団さえない街の合唱団・・・ルイジがいくら一流のオペラ指揮者とはいえ、オーケストラの音量を抑えアンサンブルを整えるのが精一杯だろう、破たんなくおしまいまでいけば上出来にちがいない。そんなふうに、ハスにかまえてのぞんだコンサートだったが、まず非常に洗練されたオーケストラの響きに耳を奪われた。大きい音でも吠えることがなく、しっとりと美しい。同じピアニシモでも、柔らかな音、輝かしい音、くすんだ響き、繊細な音と、表現の幅が広い。どんなフレーズもていねいで、品がよく、すべての奏者がその音の意味を理解して演奏しているように響く。主役の二人もよかった。ミミのグァンチュン・ウは役のイメージには合わない大柄なソプラノ、ロドルフォのコスミン・イフリムも役柄に合わない小柄で血色のよいテノールだが、あらゆるオペラの中で最も甘美な第一幕の後半部分など、最高のオペラの最高の上演のときにだけ起きる、夢のような時間が流れた。のではなく、時が止まった。ほんとうだ、そのほかの出演者はみな日本人、中には地元の学生もいたが、歌唱の見事さだけでなく、わずかな身振りながら雄弁な演技、それぞれのキャラクターが立った役作りなど、いずれもレベルが高く、日本の声楽界もここまで来たかと思わせるものだった。オーケストラには、ドレスデン・シュターツカペレのメンバーをはじめとする教授陣(PMFファカルティ)が10名参加していたが、彼らの功績は大きかったと思う。オーケストラ、特に金管がまったく歌のじゃまをしないのは、こうしたメンバーが要所を固めていたからだろう。中でも見事だったのはハープのアストリッド・フォン・ブルックである。ドレスデンの首席奏者とのことだが、音楽が要求する表現をこれほど自発的に、しかも過不足なく的確に表現するハープというのははじめて聴いた。ウィーンやメトのオーケストラにはこんなすごい奏者はいない。世界一のハープ奏者と見てよい。オペラ座のない東洋の地方都市での、音楽祭としても14年ぶりのオペラ上演。演奏会形式で効果のあがる、できるだけたくさんの学生に出演させられるよう3管編成かそれ以上のオーケストラの、オペラになじみのない聴衆でも初回から楽しめオペラのよさを味わえる作品として「ラ・ボエーム」を選んだルイジの慧眼にはまったく頭が下がる。バーンスタインのシューマン「交響曲第2番」、トーマスのショスタコーヴィチ「交響曲第11番」とマーラー「交響曲第5番」、そしてこの日の「ラ・ボエーム」。PMFの21年の歴史に、4度目の奇跡が刻まれた。
July 24, 2010
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亡父は、他人を評価するとき、「自分の親についてどう語るか、どれだけ語るか」を基準にしていた。まず自分から親の話をする。そうすると、それが誘い水になって相手も親の話をする。その内容でその人の人柄や生活歴全般を推測するのである。 わたしの記憶では、父の話に対してひとりだけ、自分の親の話をまったくしない男がいた。その男は従姉の婚約者だったが、マルチ商法にのめりこみ、離婚後、消息不明になった。 「親についてどう語るか、どれだけ語るか」は人間を計る非常に優れたモノサシだ。 そういうモノサシは他にいくつもあるが、相手が日本人であれば、「おにぎり」というテーマも優れている。「おにぎり」をテーマに独創性があり発見のある4000字くらいの文章をすぐ書けないような輩は人間として三流だ。 わたしが担当者なら、入社試験などはこういうテーマで小論を書かせたいと思う。 先日、「秘密のケンミンショー」で、おにぎりに巻くノリは焼き海苔か味付け海苔か、というのをやっていた。番組の調査によると、関西は味付け海苔が圧倒的。そのボーダーはというと三重県で、亀山市だと両者が半々なのだという。 おにぎりに味付け海苔を巻く地方があるということが、母が東北出身だったわたしには驚きだった。よく旅館の朝食に出る味付け海苔自体、あまりおいしいと思ったことはない。焼き海苔に醤油をつけて食べた方がおいしいと思うから、おにぎりに巻くなんて思いもよらない。 ひょっとして関西では磯辺巻きも味付け海苔なのだろうか。そうだとすると、関西人とは友だちになれそうにない。とりわけ女性とは絶対に付き合いたくない、そう思う「焼き海苔派」はわたしだけではないだろう。 この手の話はおにぎりに限らずよくある。子どものころから食べ慣れたもの、親しんでいるものを「おいしい」と感じるというだけの話なのだが、それでは、味覚は習慣でしか作られないのか。そんなことはありえない。習慣的に慣れ親しんでいるものしか「おいしい」と感じないとすれば、人間の味覚はパブロフの犬と同等かそれ以下だということになる。 慣れ親しんだものしかおいしいと感じないとすれば、人間とは本能を失いバランスを欠いた「狂った」ヒトであると言わざるをえない。人類がホモ・サピエンス(知恵のあるヒト)に進化するためには、おにぎりに巻くのりとしておいしいのは味付け海苔か焼き海苔かという問題に対する明快な答えを用意できるだけの「知性」が必要ではないだろうか。おにぎりに何を巻くかは重要だが、おにぎりを何で包むかはもっと大事だ。いまならアルミホイルかラップかということになるだろうが、ラップ派が優勢のように思う。いずれも、作ってすぐ包むと結露するという欠点があり、適度に水分を吸収する竹の皮などにはかなわない。それでもラップが優勢になったのは、ラップでにぎると衛生的でしかも手間が省けること、電子レンジの普及によってアルミホイルがすたれたことによると思う。しかし、昭和30年代にはアルミホイルやラップはまだ普及していなかった。昭和40年代なかばになってアルミホイルが、次いでラップが普及していったように思う。おにぎりを包むアイテムの変化もしくは進化は、この時代に思春期を迎えた者にとって高度成長そのものを表していた。 今でも忘れられないのは、スキー学習やスキー遠足といった行事のときに食べたおにぎりのまずさである。冷たいご飯というのは、場合によっては炊きたてのご飯よりおいしいことがある。しかし、それも一定の温度までだ。凍る寸前まで冷えたおにぎりのまずさといったらなかった。おにぎりは厳冬期の北海道における行動=携行食にふさわしくないということをあのとき学習した。 北海道米がおいしくなったのは最近のことで、かつては温かいうちはともかく、冷めるとまずかった。そのまずい米のさらにとことん冷たくなったおにぎりを、温かい飲み物なしで食べるのはほとんど拷問だった。登山の携行食としていまもおにぎりは主流だ。最近は登山口に近いコンビニで買っていくことが多い。しかしおいしいと思って食べたことがない。しかも、3回も続けて食べると飽きてしまう。長年、なぜだろうと思っていたら、ふとしたきっかけでその理由がわかった。おにぎりはふつう、ご飯の表面に塩をまぶす。しかし、コンビニのおにぎりは塩水で炊いた米を使っているというのだ。 どの米粒も均等な塩味がする。これが、持ち帰り弁当屋などの、手作りのおにぎりとのちがいであり、メリハリのない味の原因になっている。それでも、海苔を自分で巻いて食べるタイプのものが出たときは感激した。パリパリの海苔のおいしさに感動したものだった。しかし、いまでは海苔がご飯に密着した昔ながらのタイプのものの方がおいしいと感じる。結露して海苔がとけてしまったようなものが多かったので、海苔が別になったおにぎりに喝采したのだが、海苔がご飯と一体となったおにぎりの方が米や具のおいしさを強く感じる。東北出身の母のおにぎりは、丸く、海苔をご飯が完全に包み込んだものだった。携行食と考えれば、この方が合理的だ。なぜなら、海苔に包まれてない部分があると、その部分が乾燥してしまったからだ。もうひとつ印象に残っているのは、10歳下の恋人が作ってくれたおにぎりである。彼女は大学を卒業する直前。訪れた部屋には余分なものが何もなかった。私有財産といえるものがほとんどなかったのに夢や希望に満ちていた青春時代を唐突に思い出し感慨深かった。そのとき彼女がさっと作ってくれたのが、ご飯にネギのみじん切りと一味とうがらしと白ごまをまぜてにぎっただけの、海苔を巻かないおにぎりである。 必要最小限のもので生活している、その暮らしと、ありあわせの材料で作られたシンプルなおにぎりに、妙に共通するものを感じて強い記憶となって残った。彼女とはその後憎み合って別れてしまったが、このときのことは「罪やかなしみでさえ、そこでは聖くきれいに輝いている」という宮澤賢治の文学世界に入り込んでいたような記憶に残っている。あのときのおにぎりが、ふつうのおにぎりだったら、彼女との思い出は苦さだけになっていたかもしれない。 おにぎりを食べるときは、それをにぎってくれた人の手のぬくもりや愛情を一緒に食べているのかもしれない。だから、ほかのどんな食べ物よりも強い記憶となって残るのだろう。最近は、栄養バランスやカロリー、手軽さから、昔ならおにぎりを食べた場面でカロリーメイトのようなものを食べることが多くなった。20代の体重、体脂肪率を取り戻したらやりたいと思っていることはいくつかある。その上位にくるのが、炊きたてのご飯に塩をまぶしただけのジャンボおにぎりを貪り食べる、筋子をたっぷり入れたおにぎりを満腹するほど食べるなど、おにぎり関連のイベントである。新米の精米したてを、釜で炊いて、塩も海苔も具も最高の材料を揃えるつもりだ。おにぎりを手に持っている、5歳のころと思われる写真がある。家族揃って自宅から出かけたただ一度のハイキングのときのものだ。道なき道を歩き、さまよい込んだじゃがいも畑でバッタを捕まえて遊んだりした。野山を歩いて、おにぎりを食べ、水筒の水を飲む、それだけのことが何とも楽しかった。あらためて写真を見て驚いた。てっきり海苔をまいたふつうのおにぎりを食べたと思っていたが、海苔のないおにぎりだった。全体に白く、ところどころ黒くなっている。ごま塩のおにぎりだったのだろうか。それにしてはごまが大きく、黒っぽい。大豆を入れて炊いた赤飯のようなものだったのだろうか。50年近く、あのときのおにぎりはふつうの海苔巻きおにぎりだと思いこんでいた。そういう思い出として記憶していたが、事実はちがったのだ。前もって予定していたわけではなく、思いつきで出かけたハイキングだったと思うから、おにぎりもあり合わせの材料で作ったと思う。そうだとすると、ちょうど海苔を切らしていたのか、それともあのころは家庭で海苔を常備する習慣がなかったのか。黒い点々はごまなのか、豆なのか、それとも別の何かなのか。アルミホイルもラップもなかったから、何か紙に包んで持参したようで、その紙も写っている。それはどんな紙で、どんな工夫をしておにぎりを包んでいたのかも気になる。紙のように見えて竹の皮かもしれない。あのころは包装紙は貴重品で、きれいに保存していたものだが、そういう紙を使ったような気もする。もしかするとそれらすべてのことを覚えていたかもしれない母は、もういない。
July 21, 2010
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弦楽器奏者は、声楽家ほどではないが加齢による技術の衰えが早い。喜寿を迎えた元札響チェロ奏者、上原与四郎はこの日2曲ソロを弾いた。ボッケリーニのチェロ協奏曲の第2楽章と、アンコールで演奏されたカタロニア民謡「鳥の歌」である。音程は不安定で、音量もない。加齢による技術の衰えは覆うべくもない。しかし、何というか品格のある音楽が漂う。ひとつひとつの音に心を込め、ていねいに、そして美しい音で演奏しようと心がけているのがわかる。聞いているうちに、欠点よりもそういう長所が浮き上がってくる。そして、この音はかつてどこかで聞いたことがあるという気がしてくる。そう、上原与四郎のチェロ独奏から聞こえてくるのは、数十年前の札響の、武満徹が愛した柔らかく透明でナイーブな音だったのである。彼が札響時代に彼の独奏をきいたことはない。にもかかわらずそういう印象を持ったのは、彼の音がまさにかつての札響を体現した音だったからだ。20年近く前になるだろうか。札響創立指揮者の故・荒谷正雄氏が最後に指揮をした「札幌音楽院管弦楽団」によるシューマンの交響曲第4番は名演だったというが、そのコンサートはうっかり聞き逃してしまった。その反省から、高齢の演奏家の演奏会にはなるべく出かけるようにしている。札響創立時からのメンバーで首席奏者をつとめていたこともある上原与四郎の門下生が開いたコンサートでは、プロ・アマ合わせて30名ほどの門下生がチェロ・アンサンブルのために作られたオリジナル曲やアレンジものを10曲演奏。中には一流のオーケストラで首席級の奏者をつとめたことのある名手もいて、教育者としても優れている上原氏の一面を知ることができた。懐かしかったのは、演奏が終わったあとチェロを抱えて退場する上原氏の後ろ姿というか、ステージマナーである。上原氏が在籍していた時代の札響の定期演奏会は、今とは比較にならないほど大きなイベントだった。そしてその定期に欠かさず出演していたのが氏だった。演奏が終わってステージから楽員がいなくなるまで拍手が続いた、そんな古きよき時代の定期で、氏の後ろ姿が消えて初めて席をたって帰路についたものだった。ある街の文化度とは、オペラハウスやオーケストラを引退した音楽家がどれだけ住んでいるか、その数で決まると思っている。そういう人たちが街のあちこちにいることで、街の雰囲気は大きく変わる。わたしの元カノはミュンヘンで、引退したオペラ歌手がやっているアパートに下宿していたが、大家が地主と元オペラ歌手というのでは、いろいろなことが大きくちがってくるものなのだ。小澤征爾とほぼ同年代で、友人でもある上原与四郎の「音」は、きれいだった。リンゴやジャガイモを根気よく磨くと光沢が出てくるが、そんな光沢を感じさせる音だった。こんな音を出せる音楽家は、今の世界ではいないし、二度と現れないだろう。サンプラザホールがほぼ満員。
July 18, 2010
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2~3日の旅ならいいが、それ以上になると困るのが朝食。アジアなら早朝からでも新鮮な野菜や果物が食べられるが、日本や欧米ではそうはいかない。冷たいコンビニ弁当を食べるのがイヤなら、サンドイッチくらいしか選択肢がない。それでも、ホテルの朝食ブッフェはまあまあだ。朝は6時台からやっているところもあり、宿泊客以外も食べられる。ランチブッフェとは比較にならない割高感さえガマンすれば、とりあえずバランスのよい食事をとることはできる。しかし、それ以外となると大都市札幌でも厳しい。松屋やマクドナルドといったファストフード店か、二条市場や中央市場にある海鮮食堂しか選択肢はない。200万都市札幌で、朝8時台にまともな朝食を食べられる場所は2ヵ所しかない。その一ヵ所がここ、道庁本庁舎の最上階にある「たかはし料理店」である。写真は座席からの眺めと朝定食(350円)。道庁の中庭が広がり、右下には観光名所として知られる赤レンガの旧道庁のドーム部分が見える。ほかのメニューはだいたい600円台だが、この眺めを見ながらゆったり食べられる(朝はほとんど客がいない)のはお得感が強い。ほとんどが女性スタッフでやっているようで、店の作りはなかなかセンスがよく、器もまあ気がきいている。料理は手作りの家庭的なよさがある。ただしホスピタリティを期待してはいけない。「ありがとうございました」や「いらっしゃいませ」といった言葉を聞くことはない。ここは北海道なのだ。わたしが行ったときは、アジア系の、長期滞在者で常連客と思われる家族4人だけだったが、二日酔いの道庁職員がこっそりコーヒーを飲みに来るといった利用のされ方もしているようだ。8時台から営業しているもう一軒は北海道大学北部食堂。ここの朝定食は300円で、やはり学生が主な顧客のためか「たかはし料理店」より内容は充実している。アラカルトも豊富。ニューヨークのデリのように、サラダは自分で自由に盛りつけて1グラム12円というシステム。どちらも、観光客はおろか地元の人間でさえほとんど知らないが、北大くらい規模の大きな大学になると、各所に食堂があるだけでなく、ちょっと高級なレストランもあり、案外、穴場だったりする。札幌の中心部は日本で最も人口密度の高い場所として知られている。ホテルの部屋が狭いのもそのせいだが、都心人口が増えることは確実。都心のマンションに移り住む高齢者は多いが、こうした人や出勤前のサラリーマンを対象にした「朝食ビジネス」はかなり有望ではないだろうか。
July 7, 2010
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高校の同級生に野球部員だった男がいる。地方大会の決勝戦で負けたので甲子園には行けなかったが、この決勝戦で長打を打ち、相手チームとの得点差を縮めたのが自慢だ。その試合から10年以上たってからも、同期の集まりではいつもその自慢をしていた。そろそろ35年たつが、たぶんいまでも自慢していることだろう。この男は地方公務員になった。そして独身だ。公務員のように安定して比較的高収入であれば、よほどのことがない限り結婚相手には恵まれるものだ。そうならなかったのは、端的に言って「女にもてない、好かれない」からだろう。彼女ができたという話さえ聞いたことがない。この男は、多少背が低めであることを除けば、さほどブサイクではないし、アタマも悪くはない。社交性もそこそこある。風俗遊びをすることを公言していたから、同性愛者ではない。女性は一般に、40歳に近づくと結婚相手に対するハードルはがくんと下がる。条件は収入だけに収れんする例がほとんどだ。それでは、なぜこの男は結婚できなかったのか。もちろん、それはこの男がバカだからである。「男の子」が「男」になるにあたって、最も必要なのは「英雄体験」である。アメリカ映画「スタンド・バイ・ミー」を思い出せばいい。4人の男の子が「冒険旅行」に出かけて帰ってくる、それだけの話だし、あとでよく考えると冒険といえるほどのものでもない。しかし、あのささやかな「冒険旅行」で「英雄体験」(年長の不良に知恵と勇気で打ち勝ち、ピストルを向ける場面がそのクライマックスだ)をした彼らは、少年から一人前の男へと成長していく。女が男に求めるものは、英雄体験を通して勝ち取った、知恵と勇気である。英雄体験そのものは問題ではなく、その体験を通して、どんな知恵と勇気を得られたかが重要なのである。女は、自分を守ってくれるのは、そうした男の知恵と勇気であることを本能的に知っている。だからこそ、そうした知恵と勇気のある男を好きになるのである。英雄体験は大したものでなくてよい。オリンピックに出場したとか、エベレストに登ったとか、そういうことだけが英雄体験なのではない。日常で遭遇するトラブルを切り抜けた体験はもちろん、失敗ですら英雄体験になりうる。この同級生は、「決勝戦で長打を打った」という英雄体験を持っている。しかし、その体験を語るだけで、そこに知恵と勇気を感じさせるものは何もない。あるのは、ただの事実だけである。決勝戦で逆転サヨナラホームランを打ったというのなら一生自慢してもいいかもしれないが(笑)、それでもプロ野球に入れなかった自分の限界を語り、「他人に花を持たせる」ようなことを語る男を女は好むはずである。「世界一の金持ち」オナシスに恋をしたマリア・カラスのことを考えてみよう。彼女が「世界一の金持ちにして世界屈指のぶ男」であるオナシスに恋をしたのは、オナシスが戦争中と戦後の悲惨な状況を知恵と勇気で乗り切った、その話に魅了されたからである。男女の愛情のベースにあるのは、というかあるべきなのは尊敬である。自分にないものを持っている、自分のできないことができる。女は男を、その男が英雄体験を通じて獲得した知恵と勇気の質で判断する。その知恵と勇気が自分を守るのにじゅうぶんなものか、相手の人間的な器量の大きさをそこで判断し、尊敬から愛情が生まれていく。こんなことは、女にもてる男の言動のパターンをいくつか分析すればすぐわかることだ。英雄体験を知恵や勇気の源泉としない男、そもそも英雄体験をしようとしない男、ついでに言えばそういう男を好きになる女。それらはみなバカである。そしてこの手のバカは急速に増大しているように思われる。
July 6, 2010
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