2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
崩壊のフリをした安定思考と安定を目指すふりをした崩壊二つとも居心地は悪いよ
2004.07.31
コメント(0)
私たちは、あなたよりも少しだけ汚れたことを知っていてそれで、あなたを子ども扱いして純真だと思って守って傷つきやすい人間なのだと思い込んでいたのかもしれない時々あなたの強さに驚くよどうしてだろう。
2004.07.30
コメント(0)
「やがて周りの全てが貴方を裏切る」私がいくらそう告げても彼は疾うにそんな単純な現実は知っていてそれでも彼が一番疑ったのは彼自身だった私はいくら頑張っても“彼以外の人間”でそのうち彼を裏切るだろう事は明白だった彼の外側に居るから、変化しゆくのは彼だと思った私たちが変わっているなんて全く感じないだけど隙間が開いていくのは解かった隙間を埋める事ができない私は彼を埋める事になった冷たい土の下 かつての神を横たえ祈る対象を無くし私か私以外の人間が互いに裏切りの刃を向ける日を待った
2004.07.29
コメント(0)
死は優しさの抱擁優しさは嘘の温床嘘は世界のスペック世界はこの眼球の中丸まって纏まって小さくなってやがて死んでいく
2004.07.28
コメント(0)
もしも、殺人が泥棒よりも悪いことだとする指標があるならそれは不可逆性に起因するものだろう。物を盗んでも返す事ができる。物を壊すのは、また別の罪だ。無から有は生まれない。逆も然り。なのに殺人は有を無にしてしまう。それは人間が直接には原子によって定義されない存在だからだろう。誰も対価を決めない。それが尊厳だと思っているから。だから償えない。代償を支払えない。 これが殺人。 これは心臓が止まった後の話。
2004.07.27
コメント(0)
私たちは他人に全く正確には理解されないだから曲解され、それが伝播し誰かの頭に住み着いた頃には私の面影は無いそれでも誰かはそれを“私”と思い続け齟齬をきたし、やがて破綻するそれは、誰かの頭に住み着いた小さな私の破綻であってその後に私と誰かの関係がどうなるかは知らないがいつも増殖中の、明滅しゆく小さな私たちを想ってまた、時計の針が一回転する
2004.07.26
コメント(0)
誰かにとって特別な存在になりたいだとか心から思える程に自分はどうでもいい人間で特別でありたいと思えば思うほどそうでない自分が思い知らされていくこうやって私が自分勝手に傷つくとき傷ついているのは私だけではないと再確認する私が報われないと思っているほどに私の周りの人間も報われないと感じているのだ互いに傷つけあって生きる私たちだから
2004.07.25
コメント(0)
ドキュメンタリというのだろうか。身体や精神に障害を持った子とその家族の奮闘を記録した番組。実は、私はあの手の番組が吐き気がする程 嫌いだ。そういう人たちが居るというのは見た事は無いが知っているし実際会いたいか会いたくないかと言えば、会いたくない。テレビの中だけであっても例えば生まれつき下半身の無い人間は見たくない。当然の筈の目に見える機能を有しない状況は恐ろしいし自分との相違点が大き過ぎるのは生理的に受け付けない。一人の人間として尊重はしたいけど、他の人々に思うのと同じで受け入れようとは全く思わない。何より、そんな番組を企画するテレビ局の意向が分からない。只のエンターテイメントだとは口が裂けても言えまい。珍奇な画像で視聴率を取りたかったなどとは言えまい。―――では何が目的で?善意の解釈をすれば、障害者を健常者の社会に違和感無く送り出すための試み・・・だとしたら滑稽だ。務められないことが多過ぎる者を、役割として頻繁に必要とできるわけがない。能力の不足なんてのは健常者にも努力不足でなく環境的先天的要因として本人の意志に関わらず存在するんだ。そして不要とされて流されたり首切られたりして生きてんだ。それを最近の会社は宣伝目的で女性の採用枠をわざわざ作ったり莫迦げてる。「偏見を無くそう」とかいう言葉を数年前によく聞いたが、今回のもその一環なのか?私にはその「偏見の無い」スタイルを崇拝する姿勢に偏見が感じられてしょうがないのだが。ドキュメンタリを見て涙する人は一体どう想っているのだろう。身体に欠けた箇所があるなんて見て判ること特集してどうすんだよ。そんなの特集するくらいなら、生まれつき体の中の化学物質が足りなかったせいで人格分裂起こしてる私の友人への偏見無くしてくれよ。まさか片足無い子や知能遅れの子の番組に涙しておいて、多重人格者(正確にはDID)を電波扱いしやしないだろうね。皆、判り易い指標に群がる。楽だし安全だし。気にくわなけりゃ耳塞ぎゃ良いんだ。自分が傷ついた時だけ大声で叫べよ。血を見れば誰だってアンタの味方してくれるから。ねぇ 必死で血を隠す奴らは莫迦でしょ
2004.07.24
コメント(0)
なんか莫迦々々しい憧れみたいなやつでねあたしの欲しいもの全部与えてくれるような優しい恋人は見つけられそうだけどさあたしの望むように振舞ってくれるような温かい家族は望めそうにないんだ家族って枠苦しいほど恋しくて絶望的に大嫌い
2004.07.23
コメント(0)
一般に「うつ状態」と呼ばれる精神状態―――というか私の場合は抗欝剤を処方されてしまったのだが―――それが私にとって、どういう状態だったのか考えた。私はよく泣いたし、何もする気になれなかったし、酷く気分が悪くて自殺する気さえ起きなかった。指先一本動かす事にさえ、今では考えられない程の精神力を必要とした。「胸の痛み」と言われる心臓の収縮が時々襲い掛かってきて、息が止まる程に痛かった。そうでなくても全身の血に毒でも混ざっているように、鈍い痛みが いつも体中を覆っていた。比喩でなく視界は色を失い、渦を巻いていた気がする。食欲も無かったから眩暈でも起していたのかもしれない。体が全く動かなかったのは一番酷かった時だ。症状の軽い時を思い出すと、学校に居る時に うつ状態に陥った事もある。恐らく周囲からは何も無いのに泣き出したように映っただろうけど私の頭の中では色んな事が起こってしまっていたんだ。平たく言えば想像が精神を喰らい尽くしてしまったような感覚。実際には起こるか分からない悲観的な予想が現実になると確信していた気がする。現実に追い詰められていたのは、確か。金縛りに頻繁に遭ったし夢の中で見知った人間に首を絞められた。夢の中で殺し合いをしているのは今でも変わらないが、今は大抵 殺す方だ。想うに、あれは想像力が少し強くなってしまった状態だったのではないか。将来の不安が倍増して、街に流れていた歌は爆発するように心を乱した。一時も離れたくないほどに愛し、視界に入るのもおぞましいというふうに憎んだ。愛したのも憎んだのも対象は同じ人間。感情の起伏が激し過ぎて苦しかったんだろう。そして、それらは全部何物に対しても気負う必要が無いのならば決して堪えられない状況ではなかったということ。ずっと忘れずにいたい。
2004.07.22
コメント(0)
たとえ夜空に星が見えなくとも星は一向に困らない困るのは夜空に星を見ることを趣味とする稀有な人たちだたとえ地球が全面砂漠になろうと地球は全く困らない困るのは酸素を無くして喘ぐ人間だけだ私は目が悪いから夜空に星が在っても見えない月さえ在れば景色的には満足だ夏の排気ガスと茹だるような暑さには辟易だだから環境保護を唱えるかもしれない地球のためとか環境のためじゃなくそれらは全て自分のため
2004.07.21
コメント(0)
自分の想いなりそれに基づくフィクションを書く時私は確実に自分を削っていると感じるガリガリ、と音を立てて私は磨り減る何処かで私が、イタイ、と感じる私の誰かが涙を零すかもしれないでもそれは私に見えないし誰にも見えない身体の傷ならば誰もが気付く赤色は痛みに同調しやすくて近寄り、労わり、安心する私も、少し安堵するこの文字は誰にも見えない自分を材料にして綴るから痛いのか自分に刻み込むから痛いのかそれでも、否、私の痛みになど関係無く私は私を削り続けるそれは蝋燭と同じように失われないことには何の価値も無い
2004.07.20
コメント(0)
自分は何回くらい世界を諦めてきたのだろう薄い膜を張ったような霞が覆い声を発するたびに遠くから聴こえる何度も「どうでもいいさ」と繰り返しては直前に向けられた笑顔を思い出す失いたくないよ
2004.07.19
コメント(0)
全てを統べる存在としての神様。それと人との基を同じとする前提での創作。自分たち自身の慈悲を発見したり開発すれば世界にも救いが見出せる寸法。本当に、自分勝手。でも元来宗教とは自己完結的で自己満足なのだろう。
2004.07.18
コメント(0)
友情ですか愛情ですか慕情ですか同情ですか君の想う愛情と僕の想う愛情は同じものだと言えますか僕の想う同情と君の想う慕情が違うものだと言えますかこの名前は何ですかこの想いは何ですか名前が必要ですか名前が無いと駄目ですか分類しないと解かってくれませんか君に伝えたいのに名前が分からない
2004.07.17
コメント(0)
想像力が欠如していたとか倫理観が欠けているとか貴方に謗られる謂れは無いなぜ私が罪を犯したのかそんなこと生まれてきたからだ としか言えない一つの命を消したことよりも大多数の信仰する神に叛いた者として私は石に刻まれる
2004.07.16
コメント(0)
全てが全て因果律に支配されてることもなければ全てが全て何にも無関係に存在できるわけでもない幼いときに些細な言動で以って君を振り回した僕が今、君の一挙一動に振り回されても「身に還ってきた」とも言えるし「過去は関係ないよ」とも言える途切れていく関係でもおかしくなかった筈なのにね“何処かに天秤を掲げた神様が居たら”そう、時に願うそれは一部の狂いも無く全てを平等にする天秤全ての行いを零に還元していく呆れるほど愚直な神様居たら良いな、なんて言えるのはそんなもの無いって解かってるから居たら良いな、なんて言えるのはそんなもの信じる人を実は哂ってるからでしょう
2004.07.15
コメント(0)
生きる目的を放棄したそれは大いなる無駄な自由の為何かの為に生きるだなんて偏屈なスタイルは被らない何からも自由だなんて在り得ないスタイルも要らない私は このまま周りに縛られ 身を低くして生きる為に生きるだけ「自由だ」とか言葉は要らないもう 何も要らない
2004.07.14
コメント(2)
人は言葉によって自分以外を複雑化するとともにまた言葉によって自分自身を単純化してきた自分の内部を表すとき言葉とは小数点以下を四捨五入するように感情を単純な記号に変換してきた空と海の色を青だと言ったように太陽の色を赤だと言ったように瑣末事と切り捨て排除していく過程
2004.07.13
コメント(0)
認識が感情に追いつくこと否定も肯定もできない理想像だと思う。全てを理解する程の容量を僕らは持ち合わせていないしまた、それほど愚かでもないというのに * * *何の為に生きるの?という質問を僕は昨日に置き忘れてきたどうすれば生きられるの?という質問を僕は今日の全てに投げかける * * *五分前の思考を忘れてしまった多分、世界の崩壊はこんな些細な予兆から
2004.07.12
コメント(0)
リストカットタトゥの存在を今さっき知りました。正直、こんな物が発売されるなんて世も末だなと思いました。何の事か分からない人は「リストカットタトゥ」でググってください。販売会社のサイトが当たります。率直に言うと販売までの経緯(「開発秘話」という見出し)が阿呆丸出しですが、気付かない人は一生気付かないのでしょう。(いちいち引用して指摘するのも莫迦らしいのでやりませんが;確かに周りに構ってほしくてリスカやODをする人もいるでしょう。そういう興味本位の人間には打って付けかもしれません。そういう軽薄で無意味な創を減らすという点では、そこそこ使える商品なのかもしれません。販売のターゲット層は興味本位の人間で、需要があるものを商品として否定はしません。しかし、やりたくもないリスカで本当に苦しんでいる人がこの商品の存在を知ったらどれだけ傷つくか、考案者は考えているのでしょうか?そもそも重度のリストカッターのことなんて考えていない?商人が商いの事しか考えないのは普通でしょう。彼らはリストカッターが何人死のうが何とも思わないんです。タトゥの紹介のページを見ていて思ったのですが、彼らは「若者」と書いて「バカ」と読ませようとしています。自分たちがバカだから周りもバカだなんて思うな、と言ってやりたいですよ。考案者は文章の書き方を分かってないとしか言えませんが、あれに反感を持つリストカッターの為に言えるのは「あれは完璧なオフザケ商品である」って事でしょうか。販売文句に微妙にフザケっぽくない文章が混じってるから、こんな訳の分からない事になるんですよね。ネタならネタらしくすれば良いのに。釣られた奴が釣られたと気付かないようなネタなんて三流だ。---最後ですが、リストカットについての見聞の浅い方のために---全てが全てこうだとは言いませんが、大半のリストカッターの方は傷痕を見せるためには切っていません。逆に、隠そうとして必死になってます。彼らは自分の血が痛みという実感を伴って晒されて、漸く安心するんです。私が自傷行為をしていた時は、それをサイトでネタにしようなんて思いもしないほど酷い精神状態でしたし、少し快復してきてもリスカをネタにしようとは思いませんでした。寧ろカッコ悪いと思ってました。それは弱い心の象徴という意味で、私にとって恥ずべき事でした。リスカ自体を批判する気はあの頃もありませんでしたが、私がそれをしなければいけない程に追い詰められていたという事が嫌でしょうがなかったんです。タトゥの製作会社の方は禄にリスカについて調べもしなかったようですが、リストカット症候群についてはネットでも手軽に調べられると思います。痛みが 必要なんです。
2004.07.11
コメント(2)
分厚いガラスを隔てて三匹の魚が泳いでいるそれぞれ首に縄をつけ水が渦巻く水槽の中を漂う水面は下がり 一匹目縄の先は水槽の縁水面は下がり 二匹目縄の先は玩具の上水面は下がり 三匹目縄の先は腹の横雨は降れども蓋が邪魔光照る 魚は砂漠に横たわるそのうち回収に来た人間が乾涸びた体をビニールの袋に入れる突き出た骨は白かった砂より白かった袋を背負った人間が呟く「手も足も分からないような子どもが自殺するんだね」分厚いガラスの向こうで そう呟いた私は此処で座ったまま「子どもは首吊りしか知らないんです」全てはガラスの向こうの話愛情が欲しくて 誰かに首を絞めてほしくて私が四匹目の魚
2004.07.10
コメント(0)
人はどこまでなら主体で居られるだろう自分の意志が届くのは何処までだろう自分、兄弟、家族、恋人、友人...どこまでなら主観を混合して良いのだろう他人と言い切れるのは何処からだろう付き合いが長ければ何も言わなくても思考は解かるでも、それは一時的で部分的で波長がシンクロした一瞬を自分が錯覚しているだけだろうか私はどこまでなら主体として関与できるだろうか誰からなら客体になって良いのだろうか自分以外は全て傍観しているのはおかしいのでしょうか
2004.07.09
コメント(2)
誰かを「井の中の蛙」と貶めるときそう告げた人が井戸の中に居ないことがあろうか人は大小の違いこそあれ誰だって井戸の中に住んでいる大海を知ろうとして井戸を飛び出せば太陽は容赦なく照りつけ 水分を弾き蛙は乾涸びて死ぬだろう必ずしも何もかもを知った方が幸せだということはない井戸の水が涸れるまでは空しか知らない蛙でいたい
2004.07.08
コメント(0)
罪を犯した人は、いつまで犯罪者なのだろう。懲役二年の刑罰が下ったとして出所してきたらその人はもう犯罪者じゃないのだろうか。罪を償ったという点で言えば、その人は犯罪者と呼ばれるべきではない。しかし前科者として指紋などを採取されるし、何かあるとすぐに疑われる。一度罪を犯せば死ぬまで犯罪者なのだろうか。
2004.07.07
コメント(0)
このテーマで日記は書くまいと思っていましたが、余りにも腹が立ったので書いておきます。先に言っておくと、私は加害者に完璧に自分を重ねてしまっています。だからこれは冷静な考察では有り得ませんし、前述の通りに怒りに任せた文章です。長崎の小学校で起きた事件に関して色々なところで様々な憶測が飛び交っています。そして大半が加害者にも被害者にも何の理解も示さず、理解の努力も無い人たちでした。楽天には小中学生ユーザが多い筈なのに事件に関して書いているのは大人ばかりです。なぜこの人たちは彼女たちの事件に対して軽々しく文章を書けるのか不思議でした。「恐ろしい」とか「怖い」とか挙句の果てには「現実と虚構を混同した」とか...或る人の日記で加害者女児が現実とバーチャルの混同と自供したと知りましたが、そう書いた人はそれがどういう意味か知っているのでしょうか?その報道を流した人は意味を判っているのでしょうか?その自供を聞き出した人は意味を解かっているのでしょうか?そう自供したという11歳の少女は本当にその意味を理解しているのでしょうか?この言葉を最初に言い出した人はもしかしたら理解していたのかもしれませんし、只の商業主義の上で目新しい事を言っただけかもしれません。加害者の少女はテレビなんかでこの言葉を聞いていて何となく言ってみただけかもしれません。いえ「何となく」どころか心神喪失状態を装いたくて供述したのかもしれません。ここまで言うのも私が目にした加害者の少女の書いた文章が随分しっかりしたものだったからです。精神的にはかなり発達していたと思います。(小中学生的に言えば“精神年齢が高かった”という事ですね。)こんなこと言う莫迦いないと思うんですけど「精神年齢が高かったら何故人殺しなんて・・・」とか言わないでくださいね。御年配の方だって人を殺すでしょう?まさか人殺し全員が精神年齢が低いとか阿呆らしい事言わないでしょうね。ヤフーニュース見てたら結構阿呆な事が書いてありまして、取調べが五時間続いたとか。そんなに続いたらそれこそ心神喪失状態です;マスコミは当てになりません。おまじないを黒魔術と呼んでバトロワのパロを猟奇小説って呼ぶくらいなんですから。あの良識的な2chが散々悪し様に言われた頃からマスコミって嫌いなんですけど、今回の事で更にマスコミ不信に拍車が掛かりました。子どもの犯罪は珍しい事ではありません。今回の事件だって手口は別に猟奇的でも何でもありません。人を殺そうと思えば喉元かっ切りますよ。それ以外にどうしろってんですか。手首切り落として失血死するまで眺めてろってんですか。もしも加害女児が友人を人気の無い所に閉じ込めて手足を何日にも渡って順々に切り落としていったとでも云うんならそりゃあ猟奇的でしょうよ。でも今回の事件に関しては何処も猟奇的だとは思えません。加害女児と呼び続けるのは変な気がするのでデュオさんと便宜的にお呼びしますけど、デュオさんは別に有名になりたくてこんな事件起したわけじゃないし、今の状況を勝手に推し量れば何の理解も得られない臨床心理士に怒るか悲しむかしているでしょう。心理学者がもしも本当に彼女を解かってあげられているのなら彼女の怒りや悲しみの矛先は、こぞって事件を面白おかしく仕立て上げようとしたマスコミでしょう。「死にたい」も「殺したい」も実際はスタイルの一形態に過ぎません。人はどうしようもない逆境に陥ってもそのスタイルを知っていなければ死にたいとは思わないし、殺したいとも思いません。自分が小6の時の事を思い出して可笑しくなりました。11歳と言えば私が初めて「生きたい」と思った頃です。その頃の日記によると、10歳までは「殺したい」としか思わなかったのに、11歳になると「死にたい」と思うようになったんです。でも、それを実感として感じると怖くなって「生きたい」と日記に反対の事を書いたんです。自分の中には確実に「死にたい」自分が居て、そいつにいつ殺されるかと怯えてました。デュオさんが自殺していたら被害者と加害者は逆転して、事件はこんなに多くの人に知られる事はなかったでしょう。今回は被害者だった御手洗さんを、逆にいじめっ子として吊るし上げる事だって本当は出来たんです。でも、いじめられっ子というのは親や大人の手を借りるのを嫌います。小学生にだってプライドは在ります。自分の手で復讐したいと思うのは極自然な事です。デュオさんにとって御手洗さんの発言が命の価値を越えてしまったのならそれはもう仕方ないとしか言いようがないです。チャットで顔が見えなかったからって理由で御手洗さんから自制の効かない発言が飛び出たのなら、それは只の莫迦です。「お前ら普段使ってる顔文字は何の為のものだよ。しかも相手はオフ友だろうが」と言ってやりたいです。勝手な希望としてはデュオさんには二年間の施設暮らしの後には御手洗さんの事なんて忘れて生きてほしいです。「殺してしまった人間を思い続けながら生きる」とかドラマの締めみたいなセリフはマスコミ相手の時だけで良いんです。そんなもの忘れた方が身の為です。あと情報過多とか言ってネット規制はお門違いです。情報垂れ流し過ぎてるのはネットじゃなくてテレビです。犯罪は誘発されます。類似の事件が起これば、その責任の一端は知りたくもないニュースを街中に流し続けるテレビに在ります。そして、興味本位で事件の憶測を飛ばし面白がった大人たちにあります。長崎の事件に関して書いた人たちの中に、この事件を思って泣いた人が何人いますか?心から悼み悲しんだ人が何人いますか?自分と何ら変わりの無かった少女が突然、衆人観衆の好奇の目に晒されていることをあなたはどう思っていますか?最後に、この事件のせいで恐らく首になったであろう彼女らの担任に同情します。何の非も無いのに責められたであろう教員が気の毒です。
2004.07.06
コメント(2)
人は過度に率直になると純粋さを失う。少しくらい控え目な方が純粋なのだ。譲渡は必ずしも不純にはなりえない。誰かを純粋だと思う時、それに含まれる主観に何がある?傷つきやすさとか無知だとかnaiveって意味で言ってない?強靭な意志を持ち、自信満々で語る人に対してあなたは「純粋だ」と思うことが今までにあった?滑稽なことに、真っ直ぐに突き進めば進むほどに純粋からは遠ざかるらしい。
2004.07.05
コメント(0)
例えば人格交代を起した時 DIDになってしまった時私は私の中に住まう他の人格を、私とは認めない。それらが私の日記やその他の決して他人には見せない創作物を見ることは我慢できない。だってそれは私の体を持っているだけであって思考も経験も私とは違う人間なのだ。ホストの人格が変わった時に身体の所有権がどうなるかは知らない。初期人格が嫌ったタトゥを体に彫っても良いのかとかどちらの制限がより相手を制すのかとかそういう内部のことは分からない。彼らがそんな人格間の我が儘で苦労しているのは知っている。体も手記も全て含めて、所有権が一つの人格に留まれるそれはとても幸福なことだと思う。だからあなたを理解できないし、その言葉を嫌悪する。「たとえ全てを忘れても君は君だ」とかそんなの全部、欺瞞でしょ?
2004.07.04
コメント(0)
ジェンダー[gender]1.生物学的な性別を示すセックスに対して、社会的・文化的に形成される性別。2.名詞を分類する文法範疇の一。ラテン語・ドイツ語・ロシア語などでは男性・中性・女性に分け、英語では性の区別がない(人称代名詞にはある)。出展:広辞苑 第五版高校の時、初めて「ジェンダー」という単語を聞いた。それまで「男女参画社会」や「男女平等」という言葉を聞いたことはあったが、それらに付けられた名称を知ったのは高校の生活科の授業が初めてだったように思う。フリーというのは例えば免税の商品をtax-freeと言うように、この場合だとジェンダーが無い状態をジェンダーフリーと呼ぶのだと思う。私は普段あまりジェンダーフリーを口に出すことは無い。まぁ、男性が時々口にする「○○さんなら可愛いから試験でも面接官落とせるよ」という類の冗談に対しては、不愉快なので誠心誠意を以って「セクハラ発言だ」と横槍を入れさせてもらうが。(断じて私が言われたのではないレディファーストだと言って順番を譲る人や荷物を持ってくれる人、夜道を送ってくれる人に対してジェンダーフリーを私が言うことはあまり無い。理由は、そんなことは言わない方が便利だからだ。そもそも今の男女平等とかの建前にしたって、女性が何かと不便だったり不自由だったりしたから自分たちの利益を増やす為に言い出したことだ。しかし本当に男女平等と言うのならレディファーストの概念や諸々のマナーとしての女性への配慮も無くさねばならない。これが面倒なのだ。私はまだ学生であり、女性だからといって何かが制限される事は殆ど無い。あるとしたら性道徳上の規制(男子の部屋に泊まってはいけない等々)ぐらいだ。こういう立場の人間にとって、ジェンダーフリーというのは目障りなだけでしかない概念だ。自分の利益を削ぐのだから。学校で教官がジェンダーフリーを口角泡飛ばして論じても白い眼でしか見られないのは、つまりそういうわけだ。現在のジェンダー観というのは多くの人にとっては温床なのだろう。それは打破する必要などなく、女は従来の女らしく男は従来の男らしくしていれば周囲からも何も言われない上に、自分も気分が良いだろう。私はジェンダーフリーの信奉者ではない。しかし余りに何度も「女らしくしなさい」などと言われると腹が立つし、ネット上で私が理解できない感性を論じる人が「これは女性特有のものでしょうから」などと言い出すと殴りつけたくなる。結局のところ、ジェンダーフリーという概念はどれだけの人に受け入れられているのかとふと気になった。
2004.07.03
コメント(0)
土台から構築されていった理論の先の結論なんて僕は見たことがないよいつだって結論は、直感や天啓という細い一本の棒の上に不安定に揺れていてそれを危ういと惜しむ心が、その隙間に理論を埋めていくんだだから、君に言っておくよ理想的な結論に至る理論は多くの場合、不完全だ
2004.07.02
コメント(4)
前日の日記の「人を殺してはいけない」を撤回する。やはり私には断言できない。前日にも条件付きでと言ったが、それは既に場合分けの問題になってくる。私は“世界に何一つ断言できるものはない”とこれまで口にしてきたし、このスタンスでこれからも生きようと思う。人を殺す人も居る。人を殺さない人も居る。殺人が善いか悪いかなんて思想背景や時代・環境的背景によって変わる。私たちは今「戦争は悪いこと」と小学校の先生に教えられるけど、太平洋戦争でもしも日本が勝っていたら今頃大半の人は戦争が悪いことだなどと言っていないだろう。(一部の人たちは「口で言っていないだけで弾圧が無ければ戦争反対と叫ぶだろう」と言うかもしれないけど、自分たちが口にする言葉というのは徐々に脳内を汚染していくものだし、何物にも影響されない信念などというものはありえないだろう。特に、その戦争という行為で自分たちに利益が訪れるのであれば。)私たちは「人を殺してはいけない」と社会的には教えるだろう。街角で「人を殺しても良い」と言う人はそうそういないだろう。しかし、結局私たちは「人を殺せば社会はあなたを身体的・精神的に罰します」としか言えないのだ。もしも私の家族が誰かを殺そうとすれば、その社会的な制裁を恐れて私は「殺さないでくれ」と家人に頼むだろう。もしも私の友人が誰かを殺そうとすれば、その後に起こる不自由を回避したいが為に私は「殺さないでくれ」と友人に頼むだろう。人を殺してはいけない、と命令するのではなく人を殺さないでくれ、とお願いするしかないのだ。私たちは力によってしか刃を持った誰かの行動を規制できないし私たちは言葉によって刃を持とうとする誰かを規制できるかもしれない。一つの意志が消えることを私は哀しいと思うけど、そうは思わない人だって居る。大体にして、一つの意志を消したいと思うほど追い詰められた人間は「人を殺してはいけない」という事への論理に対する配慮なんて持たない。何となく思い出した。私は人を殺したいと思うほど追い詰められたことがある。結論として私は人を殺すぐらいなら私が死んだ方が効率的だと落ち着いたから、こうやって穏やかに暮らしている。人を殺したいと思ったことのある人、今も殺したいと思っている人、一度も人を殺そうと思ったことのない人に訊ねます。「人を殺してはいけない」と君はどうして言えますか?
2004.07.01
コメント(0)
全31件 (31件中 1-31件目)
1
![]()
![]()
![]()