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人間は元々そんなに綺麗な生き物じゃなくてでも、綺麗なものを夢見て、創ろうとして何も知らない子には汚いことを教えるのを躊躇い綺麗なことばかりを教えていくいつか見たことも無い汚い世界にぶつかって天と地の距離に唖然とするんだ
2004.03.31
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住み慣れた場所に別れを告げて新しい住処へ希望を持って前進。・・・出来るわけが無い。追い出されるように過ごしてきた小中学校。結局、高校もこの前追い出された・・・もとい、卒業したんだっけ。友人の一人が今日引っ越した。こうやって一人また一人と旅立って、もうあと一週間後には誰も此処には居なくなる。有象無象の内の誰か一人が欠けたところで、私の故郷は故郷だけど、友人の一人が欠けると此処は一気に色を失くす。もう、此処は私たちの場所じゃないんだ。新しい住処を探そう。また暖かい場所ができるから。
2004.03.30
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誰かが言っていた。「太古の昔に遡り一番最初の生命をこの手で握りつぶしたい」私は思った。それは面白くない。「気が遠くなる時間を越えて最後の生命の終わりを見たい」
2004.03.29
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CDの価値は歌手の能力に比例するでしょうか。私の回答はNOです。相関関係は有りません。歌手に求められるものは声質、声量、音程、リズム感・・・せいぜいこんなものでしょう。曲を作るのは別の人でも出来ます。アーティストとしてではなく、只の歌い手としてなら上記の四つ位で充分でしょう。これは努力次第でどうにでもなります。本当に直せない音痴なんてのは極少数なんですから。CDはアカペラのもので無い限り、そこにBGMが付き、その楽曲としての価値も問われます。ところで、BGM良質。歌手の能力にも問題無し。それでも、一つの芸術として認められないCDがたまに在ります。歌手の声がカラオケのように聴こえるCDです。つまり、歌手がその楽曲を自分のものにしていないんです。これはプロの仕事とは思えません。私的にはこういうCDがチャートの上位に上がってきたりすると「ああ、また歌手とドラマ人気だけで売れてるCDが・・・」なんて思います。どんな曲でも自分流に歌えてしまう人は、れっきとした歌手でしょう。歌声が先にあり、その後に楽曲がBGMとして付随してくるCD。それが私の現代CDに於ける理想形だったりします。
2004.03.28
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人は年を取ると神経が太くなるのだろうか。それとも、顔中を皺だらけにして笑う彼らは、神経が太くなったふりをしているのだろうか。年月は彼らに巧妙な演技を仕込んだのだろうか。
2004.03.27
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新しい環境、新しい生活。今までの全てに蓋をして何処かに押し込めて忘れようとするのはやっぱり少し味気無い。
2004.03.26
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人生が行き止まりだらけだったら、どんなに良かったかと思うよ。そしたらすぐに引き返したのに。でも、何処に行っても道なんて無いからましてや行き止まりなんて優しい指標は無い。誰だって屋上を見れば飛び降りたくなるんだ。少なくとも、そう長くない人生の中で一回くらいは絶対に思うんだ。だから今、立ち入り禁止の柵を抜けて此処に立っている私は一時の気の迷いなんだ。
2004.03.25
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*************彼は極度の面倒くさがりだった。そのヤル気の無さが災いし、大学受験に失敗した時の科白は「ああ、やっぱり」。そして、予備校の入学書類を書く事でさえ気合いを入れねば出来ぬほどの面倒くさがりだった。彼は生命活動を続ける為以外の行動、時には生命活動に関わる事でさえ放棄してしまっていた。彼は一人暮らしをする事になった。家を出て、大学の近くの予備校に通う事となった。これは極自然な流れだ。そして彼はガス漏れか煙草の不始末かは知らぬが兎に角、面倒くさがりが祟り事故死した。*************「で、結局君はこの文章で何を言いたいわけだ?これじゃ面倒くさがるなという訓戒にすらなっていないじゃないか」「訓戒なんてのは童話作家が書けば充分なんだよ。だがしかし・・・」「だがしかし何だよ」「彼結局死んだんだよ?君はこの程度じゃ“訓戒にすらなってない”と言うのかい」「そりゃそうだろ、奴は死んだだけだ。死ぬ事は何か忌避するような事かい」「・・・君に対しては童話作家だって訓戒なんてものを突きつけられないだろうよ」「童話ってのは優しいだけじゃ駄目なのかい」
2004.03.24
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「なぜ人を殺してはいけないのか」という本を数年前に読んだ。その時こう思った。「人を殺しても良いんだ」。今朝、人を殺す夢を見た。殺した後に殺されそうになって逃げた。どちらも同じくらい怖ろしかった。私はそこに法律と他者の目が無ければ、人を殺すことくらい何でも無いと思っていたんだ。でも、違った。怖い。今まで見て聴いて動いて喋ってたものが、突然その全てを放棄するということ。とんでもなく怖いと思ったんだ。全ての権利を無闇に取り上げること。どうしようもなく哀しいと思ったんだ。私は多分人を殺さない。人の機能を取り上げることもしない。人畜無害にはなれなさそうだけど、身体的に治療不可能な傷だけは絶対に誰にも作りたくないと思った。
2004.03.23
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「ごめんなさい、貴方を不幸にするために貴方に知識を与えました」そう彼女は言った。「怨んでないから謝らないでください」そう僕は言った。ゴメンナサイ。謝るのは僕の方です。僕は自分が世間的には不幸と見られる立場になる事を最初から知っていました。そうなった僕に貴女が罪悪感を抱く事を予想してました。そして僕はその事を一生貴女に言いません。「誰も悪くありませんから」嘘です。悪いのは、謀ったのは、僕です。別に、何もかも知っていた人が悪いわけじゃないんですが。
2004.03.22
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「例えば君の想像する限りに於いては全く子供らしくない小学生時代で最も気に障ったものは何だ?」「気に障った、とまではいかないけどちょっとこれは無いんじゃない?ってのは在ったなぁ」「何?」「小学生ってさ、先生に褒められたとか先生がこう言ったからとかとにかく教員ってのを絶対視するじゃん。あれが俺には有り得ないったらなかったな」「そう云う君は職業教師を絶対視していなかったのかい」「絶対視しようがないんだよ。両親とも教員で、その二人が年中俺の前で人間らしい発言をしてくださるからね」「“聖職者”に対するアンチテーゼとか?」「あー、それもあったなぁ。俺は初めて教員って職業が聖職って聴いた時、嘘だろって思ったもん」「金八先生が言ってた気がするなぁ、聖職者・・・」「先生だってサービス業なんだってうちの親いつも言ってたし」「・・・」「・・・」「・・・」「・・・何だよ」「いや、君の子供らしくない小学生生活はその親御さんが原因なんじゃないかと思ってね」「当然だろ。何処の世界に親に影響されないガキが居るってんだよ」
2004.03.21
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私が危惧する事は“私が私の過去に依存していないか?”という事。多分、カッターにも抗欝剤にも手を出した事が無かったなら、私はその体験を綴るHPを目にしてもカワイソウに、としか思わなかっただろう。例えばその体験談を見て、「私も似たような事あったな」とか「この程度で苦しいとか言うのかよ」と云った類の事は思わなかっただろう。UGに少し慣れた人間がすっかり精通しているような顔をして厨と呼ばれるのと同じで、私の思考もとても子どもっぽいと思う。(譬えが可笑しいのは充分承知です;知らず知らずの内に自分と比べている。私と、そのHPを造る誰かは違う人間なのに。違う人間だから、同じ事を体験しても辛さや悲しさは全く違う筈なのに。話をしても到底理解出来ない人が居て、到底理解されない人が居て、それでも誰もが同じ地平に立って生きていかなきゃいけないんだ。「辛い」「苦しい」その言葉を真っ直ぐに受け止められる人間になりたい。“私”の過去に頼らない人間になりたい。
2004.03.20
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近頃よく見かける精神系HPについての愚見を以下に述べる。私はそういう精神系HPについて多くを語れるほどには出入りした事も無いし、たまたま見掛ける事が多いぐらいで大して興味も持っていない。何となくHPの名前や管理者の名前が気に入って見に行ったら精神系だったというのが侭有るので恐らく私はそういう人達にどこか自分の気に入る要素を共通して見出しているのだろうけど。例えばよく見聞きする言葉:リスカ。今更そんなに珍しくも無く、クラスに一人はやってる奴が居るだろう。そう、昔で云うところのガキ大将と同じ位の確率で存在するのだ。しかし、そのガキ大将がそうしてアイデンティティを確立したように、リストカッターもその行為でしか周りからの人物像を得られてはいないと思われる。是に対して当のリストカッター達はどう思っているのだろうか。私が此処にこうした文書を書き連ねるのも、今しがた自分のHPの訪問者リストを見てみたら所謂リスカ系統のHPオーナーが立て続けに引っ掛かったからで、そしてそれに疑問を持ったからに他ならない。リスカは今どういう行為と受け止められているのか。自分の絵や文章を公開するのと同じくらいのレベルでリスカ写真(血塗れの腕等)を公開する方が数多くいる。しかも数年前ならそういう写真は最後の良心とばかりにUG系のHPに置かれていたものだが、今では中学生が何の変哲も無い只の日記を書く場所にその写真が置かれている。ジェネレーションギャップにも似た感を受けるのは私だけだろうか?しかし、まぁ当然の事ながら、そういうHPには冒頭に「誹謗中傷はやめてください」と云った文が書かれており、世間の風当たりは殊更冷たい事が分かる。そこまでしてどうして公開するのか。一つには「忘れたくない」という事があると思う。例えば人を憎む事には百害あって一利無し。憎むだけ労力の無駄遣いではある。しかし誰も憎まずに生きられたらどんなに楽だろうと思う私でも、憎しみが風化するのを恐れた事がある。今でも悔しいと思う。忘れてはいない。ただ、自分が損をせずに復讐しようと思う事にしただけだ。辛い事というのも多分同じようなもので、早くその渦中から逃げ出したいと思う反面で、それを忘れゆく事を避ける気持ちも有る。一種の陶酔にも似た感情。何かから抜け出したいと思う時、一生懸命やりきれない自分を叱咤し、苦しんでない事を侮蔑する。そんな時には温かい人々よりも苦境を選ぶだろう。「これで一杯いっぱいなんだ」と思えたらどんなに素敵だろう。私の腕と足は一年ちょっと前、真っ赤だった。人には見せられなくて着る服を選ぶ時困った。それでも、それを公開するのは露悪趣味が過ぎるような気がして、幾つか持っていたHPには何処にも一言も洩らさなかった。リスカ自体やその写真を載せるオーナーを批判するわけではない。それは私には全く関係が無く、ネットで知り合った友人の一人は堂々とリスカやODについてHPで語っている。彼女の事は大好きで、単にリストカッターだとかオーバードーパーだとかそんなふうには見ていない。それは彼女が断固とした自分を持っているからで、畢竟するに、リスカしていようがいまいが彼女の人間像には何ら問題は無いという事だ。私はリスカ・ODその他諸々の事には無関心だが、そんな雑事にアイデンティティを奪われる程度の人間は好めない。リスカについての諸事項を公開する理由として考えられる二つ目に、同じ苦しみを味わう人間を見つけたり、又は救いを求めているという事が挙げられる。しかし、これは二つの観点から私としても褒められた考察ではないだろう。一つに、彼等は滅多に同属を求めたりはしない。二つに、公開しても多くは誹謗中傷が募るばかりで心の底から心配し、助けようとする人間なんて存在するのかさえ疑う。また公開理由として挙げられる三つ目に―――これは稀少であろうが―――リスカ等の写真を芸術と見做す事が在る。パンドラの箱でも青髭の話でも何でも良いのだが、人には古代から禁忌とされるものに好んで近づく習性があるように思う。血塗れの写真に詰め込まれた屈折した心情を、キャンバスに描かれた芸術として観るのは構わないと思う。元々芸術なんてイカレている物だし、幸福の中から至上の芸術は産まれないものだ。更に謂えば、芸術家になりたければ幸福なんてものには背を向けろ。病的な文章こそが芸術として認められるのだから。しかし、今ネットに溢れている精神系HPには見た所そこまで悲惨な物は無い。完膚なきまでに不遇であれば、その生き様だけで芸術にも成り得るものを。手にする物など何も無く、救いを求める事も諦め、全てに敵意を向けた文章。想像しただけで芸術的だと思うのだが、そう思うのは私だけだろうか。私は自傷行為・ODその他について否定的な意味での批判は恐らくしないだろう。私がそのせいで被害を受ける事さえ無ければ。寧ろ過去の体験からは奨励するだろう。過去に、ODしようとした時にオーバードーパーのページを見て「こんな有象無象と一緒にはなりたくない」と笑って薬を箱に戻した事を思えば。子どもらしい浅はかさで私は文章を書き、公開する。この行為は恐らく自傷者がそれを語るのと同程度の価値も持たない。批判すれば団栗の背比べになる。それは滑稽だ。精神系HPのオーナーもそれを批判する方も、自傷やODを一つの趣味と見做してしまえば良いのではないかと常々思う。手芸や料理、スポーツと同じく此処の勝手であり、得手な者がそれを語る事に何も不自然な事は無い。自傷とODを重ねれば死に易くなる事は事実だが、各々の命なのだから自由にすれば良いと思う。近しい友人や家族なら兎も角ネットで見ただけの私たちに口出しをする権利は無い。破壊衝動が外に向かずに内に向かうのは百歩譲って褒められた事だと思えないのか。腕が傷だらけだった時に思った。自傷行為が世間的に受け入れられるものだったら良かったのに。いつバレるかと心配していた。そんなにビクビクするくらいなら最初から自傷なんてしなければ良いのにと今では思うのだが、自傷“癖”というように一種の癖で切る時には抵抗も無く、それを隠そうとする段になり初めて後悔する。数十回体を切りつけた中で死のうと思った事はたったの数回で首を切ろうとした事も憶えている限りでは数える程しかない。自傷系HPオーナーに言う事がもし在るとすれば、これだけだろう。どれだけ本人が正気を保っていると思っていても自傷が癖になっている時は何処かがオーバーヒートしている。その状態で文章を書き、公開しようとすれば自制の効かないものになるだろう。一度自分の公開している物を客観的に見つめる事をお奨めする。それだけ。客観的に見つめた後の事は知らない。それでもやはり公開し続ける人はすれば良い。人の趣味には口出ししない。見苦しいとも思わない。私だって同レベルなのだから。
2004.03.19
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たとえば地獄のような日々が過ぎ去り、平穏しか無い日々の中で僕は思う。ああ、何て物足りない人生。そして笑う。神様、ありがとう。天を嘲笑い、ビルの屋上から地上を歩く人々を見下ろし、微笑む。これが余生ですか。吉事・忌事どちらにしろ大事が終わった後は只管穏やかに感じる日々。それでも続く日々。生きる人。死ぬ人。人は艱難辛苦のどん底から少し這い上がった時に最も自殺に走りやすいらしい。何故だろう。屋上の端に片足を引っ掛けて考える。既にフェンスの外側に出てしまった。誰も気付かない。誰も空を見上げたりしない。穏やかな日々は見た目よりも、ずっとシビアでバランスの取り難いものなんだろう。バランスの取れない者からこうやって転落していくんだろう。平穏に、それでも必死に生きる人々に緩慢な拍手と盛大な衝突そして血飛沫を贈る。
2004.03.18
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何もやる気が起きない日は寝転んで、本さえも読めなくて眠るだけでも辛い時は泣いて。我慢していれば、明日は良い日になるとは到底思えなくてもこれが最悪だなんて楽観思考はできないから、どうせならこの世の最悪を見てから死のうじゃないか。世界の全てが一炊の夢の話なら、こうやって縮こまって蹲ってる時間だってそうそう大した時間じゃないさ。誰かを殺すまでの勇気は必要無いし、少し人を出し抜ければ生きていくには充分だよ。自己嫌悪だって、人間やってる醍醐味だと思えよ。誰に迷惑掛けても生き抜くぐらいの覚悟は持つべきなんじゃないのかい?
2004.03.17
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灰色の墓地に、煤けた羊が丸まって眠ろうとした。誰も居なくて、誰かに構ってほしくて死のうと思った。刃で体を切ると、動脈の赤い色の液体が流れて冬空の下、そのまま座り込んだ。墓碑に背中を預けて、思ったんだ。もしも誰かが僕を見つけて助けたら僕はまた生きてみよう。誰も僕を見つけなかったらこのまま死んでも良いや。冬空の下、白い息が見えて水が溢れる目蓋を閉じた。
2004.03.16
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既出だと思っていたのだが、今見返すと書いてなかったので書きます。謙遜と卑下・過小評価は全くの別物です。実際の言動は同じになるのではないかと思った事もありますが、見てみれば解かります。態度からして全てが違います。謙遜は自信の上に成り立つものです。それは社交辞令としてであり、人間関係を円滑に進ませようとする有り難い心情から為るものです。対して卑下は全く以って自分に自信が無い事で、これは見ていて気持ちの良いものではありません。大体にして過小評価は過大評価と同じく惨めなものです。自分が今存在する意味を考えなさい。誰一人として、自信を持つ隙が無いなんて人は居ないはずです。自分の欠点を笑って話せるくらいに出来た人間になりましょうよ。「自分を愛しているからこそ自分を悪く言える」そんな人間が理想なのです。
2004.03.15
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道を尋ねられた。よく知らない場所への行き方だったのだが、これだけは自信を持って答えられた。「まっすぐ行ったら海ですか?」Yes.人間は少し住宅が並ぶだけで、たった1km先の海が見えないくらいに小さいのだと再認識した。
2004.03.14
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「『全てが全てになる』ってどういう意味ですか?」「君の先入観や偏見というものが全て無くなった時に解かると思うよ。但し・・・」「ただし?」「その結果として社会生活に支障をきたしても構わないという覚悟が在れば追い求めれば良い」「・・・」「先入観や偏見、雷同不和の精神ってのはさ、社会に適応するにはどうしても必要不可欠なんだよ」
2004.03.13
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「これは君が最も嫌っていた種類の私小説ですか」僕が書いた文章を見て彼はそう言った。「いえ、これは虚構の中でしか心内を言えない僕らへのRequiemですよ」暗唱したかのように淀み無く応える僕を彼はせせら笑った。「大した詭弁ですね」
2004.03.12
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人を傷つけずに生きようと思った事はありますか?人を傷つけずに生きようと今でも思っていますか?ならば、それが不可能だと今は思っていますか?不可能だと思い始めたのはいつ頃だろうか。不可能だと確信したのはいつ頃だろうか。私は自分の為にしか生きられないし、他人を救おうとも思わない。誰か一人の為に生きることが、もしも可能だと想定してみよう。―――実際は無理に決まっているが―――もし可能だとして、それは絶対に誰かを傷つけるだろう。例えば生きているだけで私は誰かにとって害悪だろう。例えば私の為に生きてくれる人が居たなら、その人は確実に三人の人間を傷つけるだろう。生きている限り、絶対に利害関係に巻き込まれるんだ。人間っていう社会動物は。諦めて生きましょう?人間なんだから、これは“しょうがない”事なんです。
2004.03.11
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本当に悟りでも開いてしまったかのようにダメージが無い。前期試験に落ちてもう後が無いだろうに、仲間は全員余裕で居る。・・・ああ、私の仲間なんだな。入試を週末に控えながらもテレビを見ながら笑っている娘を見て、あの人はどう思っているだろうか。育て方を間違えた?やる事なす事全て逆効果?こんな事なら殺してしまいたい?そうやって私を邪険にすればいい。私が十年近く抱えてそれでも笑って見せてきた想いを知ればいい。
2004.03.10
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「人の不幸を食い物にするって点では、探偵も警察も葬儀屋も大した違いは無いわな。」「それは警察や探偵のように被害者の為に動く人には失礼じゃないか?」「被害者が生きていれば違いは在るんだろうが。死んでるのなら後は一緒だね。」「そうか?」「大体にして彼らだって職業だよ。被害者の為?否、肥大者の為だろう。」
2004.03.09
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この世に、自分と全く同じ意志を持つ者が居るならこの世に、自分と全く同じ未来を夢見、実現する者が居るなら死ぬことは果たして忌み嫌うに値するのだろうか。
2004.03.08
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「彼の夏目漱石も言っていたが、自分以外の人間を信じる事なんぞ愚考以外の何物でもないな」「そうね。でも、その意見には一つ間違いがあるわ。」「何」「世界に於いては自分なんてものも信じるに値するかしら」「・・・」「そもそも信じる必要のあるものなんて存在するのかしら」―――別に何をする必要も無いんだから―――
2004.03.07
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動けない人が居る。人によってはそれを動かない人と云うけど、動けない人が居る。体中、支障は無いのにそれでも動けない。怠惰の為と呼ぶ人も居る。私も、怠惰だと思いたい。動けない。それは残酷だから。
2004.03.06
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携帯の充電。MDウォークマンの充電。そうやってコンセントに差し込みながら、人間もこうやって充電できたらどんなに楽だろうかと考える。赤色、まだ充電必要です。色が消えました、充電完了です。
2004.03.05
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明日、卒業するというのに何の実感も湧かなくて、学校からロッカーに詰めてあった食料を持ち帰った時、「ああ、明日で終わりか」と呟いたように思い出す自分が居る。
2004.03.04
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安らかに死ねた人間が、生き延びてしまった人間よりも辛かっただろうとは思わない。零になれたらどんなに楽だろうかと、生き延びてしまった人間は思うだろう。ああ、明滅する世界に願う。死後の慈悲の一部でも今を生きる人々に与え能え給わんことを。生き延びても生き延びても壱以外にはなれないのに。理由を問いたいくらいに、死ぬのは呆気無く、劇的ではないのに。何故 生きるのはこんなにも辛い?何故 全てが壁のようで風は突き刺さり言葉は強く打ち付ける?望みを持たせるのは残酷。望みなんて無く、不確定な事が一つも無ければ、何もかも零でいたかもしれない。何も無ければ。今すれ違った人も恋人も友人も家族も私も、何も無ければ。ただ壱と零を映し出す世界で壱のまま傍観する。体を幾つもの刃が突き破るように、破壊的に佇む。
2004.03.03
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赤い金魚が死んだ。仰向けになって水槽の底に横たわっている。正確には転がっている、と云った方が良さそうだけど。何故死んだのか分からない。そもそも本当に死んでいるのか?疑問に思って、赤色の金魚をまじまじと見てみた。えらく太った金魚だった。真っ黒で丸い目がじっとこちらを見ていた。否、そう見えるだけで彼女は何も見ていやしない。責められているような気になる。別に飼い主だったわけでもないのに。熱湯を注いだわけでもないのに。餌をやり過ぎて水槽の水を腐らせたわけでもないのに。小動物は嫌い。すぐに死ぬから。元気に動き回っていれば、まだ見られたのに動かなくなると、ただ怖いだけの小さな物体になった。プクプクと水槽の上の方で浄水器が作動していて、もう動かないのが余計にはっきり解かった。
2004.03.02
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「このドラマの主役、善い事言ってるんだけどやってる事が噛み合ってないんだよね~」・・・そりゃあ、そうだろう。「君ならそんな聖人君子が主役のドラマを見たいかい?」
2004.03.01
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