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現代の御伽噺を書きたかったのだろうか、と想った。粗筋は母子家庭で母と双子の妹カザリとその姉のヨーコが暮らしていて、母はカザリのみを可愛がり姉であるヨーコは最初は育児放棄の被害者になり、後には虐待の被害者になる。親というのはよく長男や長女を叱り、末っ子を甘やかす。そして極めつけに言う科白がこれだ。「見てみなさい、●●はこんなにも良い子にしてるじゃない」私もこれを言われた長女だが、というか言われ続けて育ったが、私の場合それを明らかな偏見だと思ったので劣等感を植え付けられる事はなかった。逆に「何言ってるのこの老ボケ、頭オカシくなったんじゃない?」だった。変な方向にプラス思考な頭だと今思い出すと感心する。学校で天才と呼ばれていれば自分の出来が悪いと思い込めないのは当然かとも思うが、何故だろう私は自分が平均よりも少し上程度なのだと思っていた。そしてそれが最も倖せなのだと中学の頃から思っていた。そう、思い返せば周りからは暗いと言われたが私自身は自分を大した楽天思考だと思っていた。恐らくは私の方が正しい認識だ。私は自分が周りよりもネガティブな思考になったり落ち込んでいる様なんぞ想像も付かない。そして言っちゃ悪いが、私の妹は明らかに私よりも出来が悪い。もし私たちが同年だったら彼女が私に対して劣等感を持ったかもしれない。私も妹も中学での成績は学年主席だったが、妹と言葉を交わすと頭の程が知れてしまう。会話とは双方の知的レベルを浮き彫りにしてしまうという点で恐ろしいものである。因みに、私の妹にも私は面と向かって「頭が悪い」と何度も言ったが妹は自分が中学で学年主席であるからという話を持ち出しそれを否定する。まぁ、すぐに否定してくれるから私も率直にそんな話が出来るのではあるが、妹はもし彼女に自己認識という概念が在るのであれば過去の経験から自分の知識の程度を解かっている事だろう。彼女は私の書く文章は「難しくて読む気がしない」らしく、更に私と母の会話は「何言ってるのかサッパリ」だそうだ。中学の成績なんて後からどれだけでも引っ繰り返せるものだが、会話に関する知的レベルは高校で会得してくれとしか言いようが無い。だから出来るだけ成績上位の高校に入ってほしい。何よりも彼女が言葉を憶える為に。私とこんな実を結ばない議論をする為でなく、将来出逢う人に侮られない為に。彼女は既に県内トップの国立高校の合格は決まっており、県立トップの高校に行こうかどうかと迷っている真っ最中だ。私個人の意見としては国立の方に行き、打ちのめされてきてほしい。其処は私がこの三月に卒業する母校となる高校でもあるのだが、際物が揃うという点では他の県立には引けを取らない。そして、概して際物というのは何かしらの分野について知識が豊富であるものだ。彼らと話して目に鱗が出来る間すら無いようになってほしい。愛すべき妹よ、私はヨーコのように貴女を憎んだり殺したりする必要は無いから、貴女も私を疎まないでほしい。人の価値なんて誰が決められる。もし自分の一方向からの価値基準を他者にまで広めようとする輩がいれば笑ってやれ。何て見識の狭い人だろう、と。私のせいで一番になれなかった人へ、私だって小学校の頃は本物の天才がいたから一番にはなれなかったんだ、と言い返しておく。上には上が居るものです。下には下が居るものです。親が育児に際してよく出てしまう言葉というのは心理学的に言えばどれもタブーになってしまい、彼らはそれを気にすれば何も言えなくなる。育児放棄などになるのも大変だ。だから子どもたちに一言伝えてほしい。自分の価値基準を持て、と。どれだけ辺鄙なものでも自分の考えたものを大切にしろ、と。そして、それに自信を持て。考えが凝り固まる事を懼れるな。自信は偏見に固執する事と同義ではないし、どうやっても子どもの頃は思想なんて変わっていくものなのだから。大層な矛盾した言い方ではあるが、私は自信を持った人の方が見ていて心地良いと思うから、自信を持てと叫びたい。
2004.02.29
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無理なことを言っていると思う。人間が生まれる前の世界に逢いたいだなんてフザケた事。それでも、思わずにはいられないから。不思議だから。無くなってしまえば良いと思うくらいに、何もかも。どうして世界はヒトを創ったの?存在してしまったから、こんなに沢山の無駄な事―――概念とか悩んだりとか―――が出来てしまった。何も無ければ、存在しなければ死を想う事も無く平穏も無く何も無くただ零のままでいられたのに。
2004.02.28
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生まれて初めて、アルコール飲料を飲んだ。正確には舐めたと言えば良いのか。それは、大学受験の一日目の夜。とても不味かった。予想通り、否、予想よりも辛くて苦くてその液体が舌に触れた途端にコップを傾けるのを止めた。アルコールは下手な薬よりも依存症になり易くて危険。何故こんなにも不味いものを大人は常用しているのだろう。薬と同じ効果なら、味の無い薬の方がまだマシだ。眠れない夜は酒ではなく、頓服薬を飲むようにしよう。まだ、それは遠い先のお話だから。
2004.02.27
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消えた一日について想う。それは何の変哲も無い一日で、多分消えなければ私は全く心にも留めなかったのだろう。その一日は消えることで私を困らせ、そして心に残らせた。居座った。掻き乱した。それは酷く子ども染みた所業で子どもじゃあるまいし、と思い私が子どもだからか、と首を捻った。
2004.02.26
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私たちは自分自身の姿を鏡や写真で知っている。しかし、通説に拠れば鏡は左右を逆に映すらしい。私たちは最も身近な自分の肖像についていつも正確でないことになるだろう。というか、私は鏡に映った姿を見ても自分と思えないが。鏡で見る時は目の高さから見る事になり、自然と足先に行くにつれて小さく見え、自分の容姿に落胆するようになるだろう。…いや、何が言いたいって気にするだけ無駄だよってか気にし過ぎだよって事。
2004.02.25
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私はあの頃意識せずにとても制約された生活を送っていた。しかし、無意識下でそれを感じ取ってか私はそれにちゃんと適応した行動を取った。制約が在ったのだ。どうしようもない程に厳然たる面持ちで、それは確かに既存のものだったのだ。だから私は自分では制約を掛けなくて良かった。私は出来得る限りそれに反抗すれば良かった。私は放浪した。学校帰りという唯一の自由時間に。六時半までに家に着けるように彷徨った。制約の中で出来得る限りの自由だった。今、私はあの制約から外れる。 さぁ、どうしよう。私は自分で歯止めを掛けねばならない。これは自由を為し得るか?否、大変難しい。制約から抜け出る事により、私は不自由になる。自由に出来る物事は増えるが、私自身の自由という状態でない。自律という名の不自由へ。
2004.02.24
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人は連続性の生き物であると言った人が居る。ではその連続性の証とは何かと考えるに、それは記憶である。記憶こそが我々が人間たる証である。ならば記憶喪失の患者は人間でないのかと問われれば、条件付きでYESと言おう。条件とは患者が生まれてから一切の記憶を失っており尚且つ一切の事象を覚える事が出来ない事である。則ち、若し患者に言語知識を与えた所で会話等は勿論成り立たない。人が連続性の上に成り立つというのは間違い無く事実のようだ。ところで貴方は産まれた時の記憶を持っているか。恐らくそんな頃の記憶を持つ者は世界に十人も居るまい。私の最も古い記憶は三歳の頃のものだ。少々の改竄はあるやもしれぬが大方は当時見たままであろう。それ以前の記憶は無い。人は平均的に一歳六ヶ月にもなれば物を見られるらしいが、私が一歳の時に物を指差し名前を言い始めたように、それが何か認識するのもその頃だろう。耳だって目よりは早く使い物にはなるだろう。では覚えていないのは何故か。理由は一つしか考えられない。その頃の私は、否、ソレは“私”ではなかったのだ。外見等は確かに今の私へ変わり行く兆候くらいは見せていただろうが、その生命体を私と呼ぶのは憚られる。連続が成立し、また途切れ、それが繰り返され、いつしかその連続が途切れぬようになり、私が出来た。それが私の結論だ。可笑しい事だが、そう考えると“私”という存在が酷く脆く壊れ易く感じる。眠りに就き、目が覚める時には“私”はもう居ない。それが幻想では無く超現実では無く、現実として有り得るような気さえしてくる。それに比べたら“死”のなんと市民権を得ている事だろう。未知の部分で在るから、想像の域を勿論出ないが、それは肉体の連続性の途切れだろう。しかし、精神が肉体中の脳により定義されるにあたり、精神の連続性もそこで途切れるのだろう。それはより確定的なだけで、日常の何処にでも在りそうな蓋の開いたマンホール程度の事象だ。途切れる事、それを人は本能的に恐れるのだろう。眠る事を恐れるのはとても理に叶っている。生きることが問題ではない。この連続を続けねばならない事が問題なのだ。
2004.02.23
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あんたは奇跡でも起こって自分が受かれば良いと言うけれど、その奇跡で落ちる人間もいるんだよ?そう、貴方は言った。だけど…他人なんて私の世界には居ない。此処には私の知り合いの数十人しか生きていなくて、外国なんてのはテレビの中と地球儀と紙の中にしか無くて、何もかもが私で始まり、そして終わっているんだ。
2004.02.22
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例えば、小中学の頃に買っていた漫画雑誌の付録のレターセット。使える事は使えるけど何となく使う気にもなれずに、かと言って別段スペースを取っているわけでもないから捨てる理由も無い。そうやって、あと何年これは私の手元に在るのだろうか。在っても無くても構わなくて、それでもまだ存在する。結局はそういう事なのだろう。私という存在も。こんなささいな積み重ねが私になり、私も亦 私以外の誰かにとっては在っても無くても構わない存在になる。否、“なる”のではなく現に今そうなのだ。何かの為に確固たる理由の為に存在するわけでなく、ただ其処に在るというだけ。この紙束と同じ。
2004.02.21
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最近、よく自分が生まれた時刻を目にする。どうって事ないただの液晶表示で、別にその時間にも何か特別な事があるわけでもなく、それでもふと目に付くと「ああ私が産まれた時間だ」と思ってしまう。私はそれを十年程後に母子手帳で見ただけでそれが正確かどうかも知らないのに。もしかしたら、測った医師か看護士の時計が少々狂っていたかも知れなのに。それでも、何か気にしてしまう。私の産まれた時刻。
2004.02.20
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学歴社会が悪いものだとは私は思わない。それは一つの指標として恐ろしいまでに確立されたものであり、私はこれ程安心に足るべき指標を他に見つけられない。IQなんぞで人を測るのは莫迦げていると確かに思う。しかし、学歴は人が努力して来た結果なのだ。寧ろ学歴社会を悪しく言い始めた所に現代の日本の憂れうべき点が在ると思われる。それは世論に流されやすい事である。本筋から逸れるので今回は置いておくが。 閑話休題。人は目標点が在るからこそ頑張れるものである。その目標点が例えば東大だったりなんだりするのであれば、それに向かい邁進するのみである。もし望まれない職についたとて、何が悪いって努力を怠った自分が悪いのだ。他に当たり散らしようの無い確固たる事実だろう。対話能力の欠如とか何とか学歴社会のせいにするな。そんな常識以前のもの、持ち合わせていない方が悪いのだ。欠落はれっきとした罪に成り得るのだ、もし彼が欠落したまま人々に混ざろうとした場合に於いては。指標が無くなり混乱した結果だと思わぬのか、この状況は。根拠の無い只の憶測に、十余年に渡る努力の結晶が打ち砕かれて良いのか。良いわけがあるまい。…と、最近めっきり肩身の狭くなった進学校の学生は思うわけです。つか、こういうのは進学校生じゃないのが言わないと駄目だよなぁ;
2004.02.19
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私の為の逮夜に、私の為に郷へ戻り、私の葬列に並んでくださいますか?縱い、それが貴方にアトラスの如き艱難を負わせたとしても、貴方は私を怨まずにいてくださいますか?
2004.02.18
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御都合主義?別に好いじゃないか。君達が望んだ結末だろうに。ハッピーエンドだろうとバッドエンドだろうと、僕らには選択権なんざありゃしないんだから。
2004.02.17
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君のその一筋の光りさえ許さぬ漆黒の瞳で僕を見つめてください。何て言うか、厭過ぎる告白だよね。
2004.02.16
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The everything is the everything.一つの例外・異端も無く、全てがこの円の中に収まる。
2004.02.15
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正反対のあたしたちだからいつのまにか議論みたいになって必死に反論する貴方議題をすり替えられても気付かない。私はそんな貴方を嘲笑い、見下しながら何処か無垢なものを見ているような錯覚に捕われ困惑する。
2004.02.14
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動物の中で、信念だとか何だとか言って利益にならないどころか、自分を破滅の道へ追い込むような事をするのは人間だけです。保身の為に動かぬのはアメーバ以下の単細胞です。いくら偉そうにしてみせたところで自分の地位や生命を脅かした莫迦で在る事に何ら変わりは無いのです。それでも、こんな事は莫迦げていると解かっていたところで、信念と呼ばれるもののために動いてしまう人も居るのです。・・・本当。大莫迦だよね、君も僕も。
2004.02.13
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「水って何ですか?あなたはどう定義するのですか」* * *「流れるものなんじゃないの?」「それは液体だって」「『海洋深層水』『天然水』『活性化水』...」「早速検索かけたのかよ」「水・・・無いな」「諦めろ」「エイチツーオーで良いんじゃないですかー」「蛇口から出てくるのは何だよ」「水。・・・」「あれがH-O-Hか?」「・・或る程度の混ぜ物は許されると思う」「どのくらいまで?」「知らないよ」「水って何なわけ?」「訊かないで」* * *案外知らないものです。
2004.02.12
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私は幼児の言葉を知らない。私は大人の言葉を知らない。私は子供の言葉を知らない。私は老人の言葉を知らない。私は男性の言葉を知らない。私は貴方の言葉を知らない。私は私の言葉しか知らない。
2004.02.11
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親には私の知る限りで二種類あってね。子供を自分と対等に見て、人格を認めて、対抗心まで燃やしたりするタイプと子供を完璧に自分と違うフィールドに見て、まるで育成ゲームのように、自分の出来なかった事をやらせようとするタイプがあるんだ。性質悪いのは後者だけどね。だって子供が何言っても聞き入れちゃくれないんだもの。どうしようもないのさ。子供は弱いんだから。力も金も無いんだ。親に暴力をふるって金を巻き上げるなんてまだ可愛いじゃない。無力な私たちは或る日突然背中からグサリと一突きしたりするかもしれないよ。気を付けた方が良いよ、世の大人達。無邪気に甘えてきてる子供が腹の中では殺意を必死で寝かせつけている事だってあるのだよ。勘付かれたりするものか。命懸けなんだからね。
2004.02.10
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自尊心って絶対、年を取るにつれて薄れていくと思うんだ。脳の成長が五歳で止まって消滅し始めるみたいに。思春期に絶頂を迎えて、その後は墜ちて逝くんだ。自分や仲間を見てて解ったんだ。僕らは、口では世間の為と言いながら自分のプライドの為に死ねるけど大人は、口では自分が堪えきれなかったからとか言いながら結局は周囲の為に死ぬんだ。そうじゃなかったら精神がズタズタに崩壊してから死ぬんだ。だって僕らは希望が無いから死ぬんじゃないんだもの。絶望して追い詰められて死ぬんじゃないのだもの。縱い崖っぷちに立っていても僕らは引き返す大地を持っているし、足だって動けないほどに疲れきっているわけじゃないんだ。大人はそれこそ疲弊しきって、目に付いた建物に登って飛び降りようとするけどさ。僕らは死に場所を捜して何日だって旅を続けるんだから。崖に片足で留まって考えるんだ。「どっちがいいかなぁ」って。そして、明らかに生きてても人並みの幸せぐらいは掴めると判っていても、「此処まで来て帰るの?恰好悪いじゃん」自分のスタイルの為なら片足を蹴り出すんだ。大人は忘れてしまったんだ、自我ってものがどんなものだったか。だって思春期って金持ち病みたいなものだからね。働くのに忙しい大人には解らないんだ。年を経て、僕らもプライドを忘れゆくのだろうね。
2004.02.09
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世界にはものが溢れ過ぎてしまった。それは、只の環境的な問題に留まらなかった。世界は停滞し始めた。何処を見ても同じ様な景色が拡がり、どんな新しいものも、いつか見たモデルに重なった。人々は漸く諦め始めた。もう全て出尽くしたんだ、と。例えば、サイコロを六回振って出る目のパターンに限りがあるように、全ての創造にも限りが在ったのだ、と。人々は漸く理解した。もうどんな天才も必要無いだろう。創造は不可能だ。見た事も無い何かを創りたければ、何も見なければ宜しかろう。そうすれば、創造者はそれが唯一だと信じていられる。周りの誰も指摘せねば、彼は満足なまま去ねるのだ。新しい分野、新しい原材料...ただ色を変えただけじゃないか。創造者は内に引き篭もらねばならないのだろう。彼が彼を創造者たらしめる為に。先人の道から遠ざかれ。
2004.02.08
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何かが存在する事は、定義する事無しには語られない。しかし、何かの存在を否定する事もまた、定義する事無しには語られない。例外無く相候。
2004.02.07
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頑張った人には、自分の功績を自慢する権利が有って頑張らなかった人には、それを黙って聴いてる義務が有る。・・・いや、義務は無いな。でも、心持ちとしては聴いてあげても良いでしょう、位で。自分の努力で勝ち取ったものだったら、ひけらかしたって良いじゃありませんか。だ か ら怒ってないですよ?目の前で「もう勉強しなくても受かる」とか先日ほざきやがった方。全然何も、怒ってないですよ...
2004.02.06
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もしも精神が必ずしも体に束縛されるものでないとしたら貴方は一体私のどちらがお好きなのですか?体は老いゆきますが、精神だって刻一刻と同じ様は見せません。それでも、この骨格が好きと言いますか。それでも、この信念が好きと言いますか。骨格はそう簡単には変わりはしないでしょう。信念だって、それまでの経験から自然発生するものですから記憶を消さない限り脳内に留まり続けるでしょう。もしも精神と身体が分離する事があれば私とはどちらでしょう?大怪我をして四肢を失う事もあるでしょう。何かの拍子に記憶を失う事もあるでしょう。そもそも“私”なんて定義が出来ますか。貴方は私の心の変わらぬ根底が好きだと言った。もしも一切の記憶を私が捨てたら?全くの別人になってしまったら?貴方はこう言うのでしょう。『僕の記憶の中の君を愛す。』幻影を追い、体に執着する事もあるやもしれませんね。そしてそのうち他の人を好きになるんでしょう。だって貴方の精神だって刻一刻と変わっているのですから。でもね、やっぱり貴方は貴方の記憶の中の或る人が好きなのです。本当は“私”なんて見てはいないのでしょう?誰だって本当は自分以外見ちゃいないんです。見ていると思っているのは実は貴方の目に残った影法師なんです。影の先を辿ってみましょうか。もしかしたら全てが貴方に辿り着くかもしれませんけどね。
2004.02.05
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某有名漫画家が作中でこの科白を使った時、本気で考え込んだ人間が一体何人居るだろうか。客観として人間の価値は自分が決める。彼は面白い、彼女は美しい...自分のフィルタを通して見た人々の総合評価がつまりその人間自体の価値である。ならば自分は?私はこう思う。「自分の価値は世界と同値。」当たり前の事なのに、皆 口に出すのは憚るよね。結局は自分で世界を造って決めて固めて終わるのに。自分の価値が世界と同値ってのは別に自分が一番大事ってわけじゃないと思うんだ。自己満足だとしても「誰かの為に尽くしたい」って気持ちは何処かに自然発生するんだ。そうやって調和は保たれて、世界は綺麗なまま終われるんだ。世界と同値の自分と共に。
2004.02.04
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例えば、目の前に居るアナタの全てが手に取るように解かるとしたら僕は絶望して命を絶つでしょう。そこには何の楽しみも面白みも無く、ただ無機質な世界。アナタについて全てを知ってしまえば他には何も無いのです。それが、僕の世界。謎めいているうちしか興味の対象には入らない世知辛い現状。いつまでも謎のままでいてください。必死で追いかけますから。
2004.02.03
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生きて。貴方はまだ生きているんだから生きて。こんなふうに手遅れには為っていないでしょう?人は段々死んでいく。緩慢に。脅かしながら。貴方はまだまだ生きられる。これは残酷な宣告かもしれない。けれど、貴方が死のうと思ったのは貴方の高過ぎるプライド故なのです。決して私たち周囲の事を考えての事じゃないのです。私は今、首に縄を掛け、この足下の台を蹴り倒そうとしています。ねえ。それでも貴方には生きてほしいのです。
2004.02.02
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若さというのは恐らく洋楽を聴きながら忍者漫画を読み尚且つコント番組を見られるそういう一種の器用さだろう。…小学生の頃は出来たなぁと思いつつ。・・・今さっきこれをやっていたのは二つ下の中学の妹ですが。
2004.02.01
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