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アスペルガー症候群の子どもはけっこう高い頻度でいるものです。軽い程度の子も入れればどこの学級にも1人ぐらいはいると考えた方がいいでしょう。 なかなか話が通じない、雰囲気、空気が読み取れない、相手の気持ちが読めない、臨機応変に合わせることができない、そんなアスペルガー症候群の人は、社会に出て行くことができるのでしょうか。 アスペルガー症候群の人の中には社会的に成功を収めている人がけっこういるようです。そのような人たちはどのように社会生活を送っているのでしょうか。 アメリカの畜産学の専門家テンプル・グランディンさんという人の例を紹介します。 高機能自閉症でアメリカの畜産学の専門家のテンプル・グランディンさんは、(社会適応するために)毎日の努力をしている自分のことを「火星人に囲まれて調査をしている人類学者」と称している。もし地球の人類学者が火星に降り立ったら、周りの火星人がどんな価値観でどんなことを思っているかまったくわからない。それでもそうした火星人のことを調査し、火星人の意味のわからない行動や言葉から、想像しなくてはならない、という例えで自分の生活の苦労を表したのだろう。 テンプル・グランディンさんは、コロラド州に住んでいるが、コロラド・ロッキー山脈の雄大な景色を見ても、感動したりできないという。また、人が人を好きになる恋愛感情も理解できないと告白している。彼女は、言葉の文字通りの理解に困難はないが、冗談やユーモアを理解することはできない。冗談もその言葉通りにしかとれないというのだ。また、言葉以外の表情や動作から、他人の言葉を理解することは難しい。 難しいと書いたのは、工夫すればある程度理解できるというのだ。その工夫とは、他人の言葉と表情と、それらが発せられた状況を、映画のように視覚情報として記憶しておき、新しい状況に直面したら、記憶していたそれらと比較して判断するというのだ。グランディンさんに言わせれば、その記憶には画像だけでなく、音声もついているという。 私達も経験を積んで、人とのつき合い方を学んでいく。でも、一場面一場面記憶しなくても、表情や口調のパターンから、特徴を抜き出して記憶していけば、どんな場面でもそれほど苦労せず理解することができるようになる。そうした表情に対する敏感さを私達は生まれつき持っていて、乳児期から身近な人の顔や表情、口調に接しながら育ってきた。だれでも生まれたときから練習し、記憶してきたワザなのだ。 ところが、テンプル・グランディンさんは子どもの時、世の中の音や声はすべて、イライラさせる耳障りな雑音にしか聞こえなかったというのだ。周りの大人の笑顔や優しい声を聞いて幸福な気持ちになりながら、人の心を理解するすべを覚えて育ってきた私達とはなんという違いだろうか。(途中略)テンプルさんは、現在はコロラド大学の助教授として、立派に自立した社会生活を送っている。牛やブタを屠畜場に送り込むための誘導路の設計では、グランディンさんの右に出るものはいない。彼女は、誘導路を通る家畜の目の高さでたくさんの写真を撮り、それを見ることによって、家畜がどんな影やものの形におびえるのか、わかってしまうのである。社会的状況を視覚的イメージに変換して理解するという作業を、症状時代からずっとやってきた彼女だからできるワザなのだ。(「アスペルガー症候群と学習障害」榊原洋一著 講談社刊 より) テンプル・グランディンさんの場合、社会生活をしていくにあたり、「こういう場面でははこうした」という知識を、まるで一枚のスチル写真のようにして頭の中にぺたぺた貼っていくというわけです。頭の中に貼られた何千、何万という写真を見ながら、今、自分の目の前の状況はどれにあてはまるものなのか、それを判別していくという作業を繰り返しつつ、人と関わっているというわけなのです。 こういうアスペルガー症候群の子たちに、「こんな時はどうする」「こういう場面ではこうするといい」というのを教えていくのを、「ソーシャルスキルトレーニング」といいます。こういう子が社会に出て行くためにはソーシャルスキルトレーニングが必要なのです。 「自分の頭で判断しろよ!」と、子どもたちに言いたくなるときがありますが、でも、生まれつきそれができない子もいるのです。
2007.09.24
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夏休みあと、毎年かったるいのが子ども達の読書感想文。を読んで朱を入れる仕事。子ども達も相当かったるいと思いつつ書いているでしょうね。書く方も読む方も・・・というわけなんでしょうね。 ところで、学級の中で、いたずら坊主のBくんが、「先生、ぼくね、100万回生きたねこの感想文書いたんだよ。」と、わざわざ知らせに来ました。なんでもこの本はBくんのお気に入りの1冊なんだとか。 「あのね、Bくん、100万回なんて、ねこと人類の歴史から考えて、あり得ないよねえ。」なんて、意地の悪いことはもちろん言いません。 Bくんの感想文を読んでみると、「いじわるだったねこは、しろねこに会って、心のやさしいねこになりました。好きな人ができると、心のやさしい人になるのかな」なんて書いてありました。Bくんなかなかいいところを読み取っていると感心しました。 この絵本は、実は個人的にたいへん好きな本なのです。どちらかというと子どもより大人の方が読んで感じるものがあるんじゃないかと思います。実際。大人でこの絵本のファンがけっこうたくさんいるみたいです。 テーマは「自己愛」ですね。 このねこは、誰よりも自分を愛しています。ほかの人を愛そうとはしないねこです。 王様に大事に飼われていたねこは、戦の流れ矢にあたって死んでしまいます。王様は死んだねこを抱いて涙を流して悲しみますが、ねこは死ぬことを別段悲しいとは感じません。 ねこは王様のことが好きだったわけではないし、王様のペットとして生きる一生に特別な未練を感じなかったのです。 ねこは生まれ変わり、今度は船乗りの飼い猫になります。また、ねこは愛されながら、不慮の事故で死んでしまいます。ねこは自分を愛してくれた船乗りに、なんの未練もありません。 またしてもねこは生まれ変わります。今度は手品師の飼い猫、その次は泥棒の飼い猫、おばあさん、小さな女の子・・・・いろいろな人に飼われます。みんなにかわいがられます。そして、死にます。ねこは、まるで飼い主も、死ぬこともどうでもいいことだというかのようにすぐに生まれ変わります。 こうしてねこは「100万回」生まれ変わって生きたのです。 このナルシスティックなねこは、自分を自慢し、ひたすら利己的ですが、同時に「傷つきやすさ」を感じさせます。思春期の自己愛は、他人の批判などから傷つくことをひたすら恐れるあまり、人から距離を置いたり深い人間関係を避けるようになるケースがよくあるという話を聞いたことがあります。 このねこの自己愛は、まさにそれではないでしょうか。 飼い主から愛されても、自分からそれに応えて深い関係を作ろうとすることをしないねこ、いつも超然としているようでも、内心は傷つくことを恐れて一歩退いてるかのようです。 ねこは死ぬことによって相手との関係を絶ってしまいますが、でも、心の中では傷つくことを恐れながらも相手と関係を作ることを望んでいます。だから、またすぐに生まれ変わって新しい主の飼い猫になります。 相手と仲良くなりたい、だけど傷つきたくない→ねこは満たされない関係を繰り返し結んではこわし、結んではこわします。 そして最後に、白いねこと初めて双方向の好意を交流させる「いい関係」を作ります。 この時ばかりは「はじめからのらねこ」でした。自分の思い通りに関係を始められたのがよかったのでしょうか。 そして、のらねこは、二度と生き返ることはありませんでした。 このお話では、「生き返る」「生まれ変わる」というのは、成就されない関係、関係の中で満たされないがゆえに、それを繰り返すという意味があったのではないでしょうか。だから、二度と生まれ変わらないというのは、関係に満たされたという意味なのでしょう。 我が家の愛猫は、こっちがいくらかわいがってやっても、気が向かないとひとりでぷいっとどこかに行ってしまいます。ねこってそういう生き物なのですよね。 そんなねこを見て、この物語が生まれたのでしょうね。 でも、ねこは自分勝手で役に立たない動物ですが、やっぱりかわいいですよ。我が家の壁はズタズタで、網戸は穴だらけですが、それでもねこはいいなあ。 パソコンを打っているとひざに来てくるんと丸まって寝てしまいます。足がしびれて困ります。夏は暑くて汗かいて困るんですけど・・
2007.09.08
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自閉的な傾向を持った子どもたちは、しばしば音やにおいなどに過剰な敏感さを見せます。明るさなど視覚的な刺激、耳から入る聴覚的な刺激、臭覚的な刺激、触覚的刺激など、その子によっていろいろですが、けっこう親や教師は接する中で難しさに直面することがあります。 自閉症の子どもは好き嫌いで手を焼くことが多いといわれます。これはその子の持つ味覚の過敏さから来ているものだと考えられます。決まったもの、きわめて限られた食品しか食べないなど、自閉的な子どもの育てにくい一つの要因になります。 一般に多いのは、聴覚の過敏さです。うるさい音がだめ、校庭のスピーカーから大きな音で音楽がなると、耳をふさいでしまったり、泣き出してしまったりする自閉症の子がよくいます。普通の人にとっては何でもない、あるいはがまんできる範囲の音であっても、音に対する過敏さを持ったこれらの子どもたちにとっては「耐えられない刺激」なのです。そんな過敏さを持った子どもに対しては、音量を下げてやったり、音が聞こえにくい場所をもうけてあげるなどの配慮をしてやらなければならないでしょう。 「自閉症だった私」を書いたドナ・ウイリアムスさんは、子どもの頃母親や近所のおばさんに抱きしめられたりなでられたりほおずりされたりするのがぞっとするほどいやだったということを著書の中で書いています。この人の場合は触覚に過敏なものを持っていたのです。 逆にある感覚は非常に鈍いという場合もあります。 この発達障害に見られる感覚過敏は、どのように考えたらいいのでしょうか。 普通の人は、刺激を感じる、ある「標準値」を持っていると考えられるのではないでしょうか。 感覚過敏な子どもたちは、脳の中の音や味を感じる部分が、標準よりもきつめに、あるいはゆるめにチューニングされてしまっているのではないかと考えられます。これを「異常」というとらえ方もできますが、単に標準値と違うという考え方もできるでしょう。 どうしても満員電車に乗れないということで来談した女子大生と、カウンセリングをしたカウンセラーの先生は、「よく考えてみると、満員電車に平気で乗れる方が異常なのではないかな?」という気持ちになってきたそうです。 また、エリック・サティなど、何人もの優れた音楽家は、いわゆるアスペルガー症候群だったのではないかといわれています。もしそうだとしたら、「標準値」から外れた音への感覚が、天才を生み出したということもできるのではないでしょうか。
2007.09.01
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