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しばらくの間、教師と保護者との関係について特集してみたいと思います。 教師と保護者がうまくいかない 教師と保護者の関係がこじれる こういうケースは数限りなくあります。教師の態度や対応に問題がある場合もあるし、保護者の側に問題がある場合もあります。また、どちらかに問題というのでなく「相互作用」のようにうまくいかなくなってしまったという場合もあるでしょう。 「親御さんと接するときは、教師はいつも~のようなことに心がけて、ぜったいこんなことはしてはいけません」といったスタイルの教師向けマニュアル本がたくさん出ています。それもおおいに参考になると思いますが、ここでは、★親御さんの持つ個性を教師が理解し、それに合わせて対応してみれば、少しはトラブルも減るのでは? という教師側の視点から、親御さんの持つ個性について考えていきたいと思います。 (保護者のことについてだけ書くのは不公平ですね。あとで、保護者とトラブルを起こしやすい教師側の個性についても考えてみます。) 1,子どもに気持ちが入りすぎている親御さん 親が子育てをするとき、大人として子どもを育てるという客観的な視点と同時に、子ども自身の中に自分を入れて、子どもと一体になったような気持ちにもなります。 例えば、子どもが喜び、はしゃいでいると、子どもの歓喜を自分のことのように感じ、幸せな気分になります。また、葛藤に苦しむ子どもの姿に、「胸を締め付けられるような」思いをし、かけっこで1番になれば自分のことのように感動し、喜びます。 親は子どもとの一体感を感じつつ、同時に子どもを客観的に見ていくというバランスを取りながら子育てをしているということが言えるでしょう。 ところが、子どもとの一体感が強すぎる、子どもに気持ちが入りすぎている親御さんが時折見られます。 子ども同士のけんかに介入して、相手の子どもをなじったり、相手のうちに怒鳴り込んだりする、あるいは子どもの成績やスポーツの勝ち負けに過度にこだわったり、子どもへの過保護や過干渉などが見られる親御さんは、「子どもに気持ちが入りすぎている」タイプの親御さんかもしれません。 このタイプの親御さんは、子どもの喜びを自分の喜びと感じる一方で、子どもの傷付きを自分自身の気持ちの傷つきと感じ、親御さん自身が精神的にダメージを受けてしまいます。 子どもが先生に叱られると、自分が叱られた気持ちになり、傷ついてしまうことがしばしばあります。子どものために注意してくれたんだという風にはなかなか受け取れません。 わが子が友だちにたたかれた、蹴られた、悪口を言われたといったことには特に過敏に反応します。まわり中を引っかき回して大騒ぎをするかもしれません。「いじめられたのに先生はちゃんと話を聞いてくれなかった」といった風に攻撃を担任に向けてくるかもしれません。 こういった親御さんは、子どもに純粋な愛情を注いでいらっしゃるのですが、どちらかといえば精神的に未成熟な傾向を持つ方が多いかもしれません。 教師が、こういうタイプの親御さんと付き合っていくときは、何よりも、子どもにいつも親御さんの気持ちが寄り添っているということを意識して子どもに接していくことだと思います。(イメージとしては、「背後霊」?)子どものトラブルへの対処には少々気を使うことになるでしょう。 しかし、こういう親御さんは、子どもをほめると、「自分のこととして」喜んでくれます。だから、よかったことやほめることをことあるごとに親御さんに知らせてあげるようにすると、態度がガラリと変わることもあります。先生の言うことは何でも好意的に受け入れようとするようになる場合もあります。 以前、「過保護な親で、子どもがいじめられたということでトラブルがあり、たいへんだった」という子を担任した先生が、家庭訪問で、その子のなけなしの良い面を過大に褒めちぎりました。お母さんは涙をぽろぽろ流して喜び、以後1年間、びっくりするほど協力的で、とてもいい関係を持つことができたそうです。
2007.04.29
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新学期が始まって数週間たちました。 我が担任するクラスは、2年生3クラスの中でひとつだけ「しまらない」クラスです。 集会で学年がそろってもひとクラスだけわやわやうるさい。前に立ってお話をしようとしても、全員の視線がこちらに集まることがない。何の時間でも数人は、その教科と関係のないことをしています。休み時間などはしょっちゅう誰かが泣いて、1日中いやになるほど「先生、○○ちゃんが・・・」と誰かが言いつけに来ます。 教室の中は、いつもゴミやぞうきんが落ちています。 楽なクラスだと思っていたら、ふたを開けたらびっくり、なんとも手強いクラスを受け持ってしまいました。 厳しくしつける前担任に、保護者から「厳しすぎる」という抗議の声が上がっていました。特に、集団適応のむずかしいM君はチックが激しく出てしまい、親御さんは前担任を激しく非難されていました。 そういうクラスを受け持って、まあ、前担任からちょっとゆるめて、きちっとしたところはある程度受け継いで、楽しさをプラスしてやっていきましょう・・・という目論見は大外れ。 前担任のもとで、まるで「凍る」ようにしてシャンとしていた子どもたち 「凍らせていた」ものを解凍してしまったら、ぶよぶよにふやけてしまいました・・・・と、そんな感じがします。 M君、それにO君は、想像以上にマイペースで、授業中もお絵かきやおりがみをして、注意してもなかなかやめようとしないし、連絡帳もなかなか書きません。 強面でビシッと厳しく注意すればしまったムードになるでしょう。 まあ、ビシッとやるのは自信があります。 ビシッと決めてしまいたい そうしたい衝動に何度も駆られました。 しかし、それをやったらクラスは引き締まるだろうけど、M君、O君が浮いてしまうことは目に見えています。他の子は「ちゃんとしなきゃ」という意識を持つでしょうが、今度はそれができないM君、O君に厳しい非難の目を向けるでしょう。それができないでいるM君、O君が許されることにがまんがならないでしょう。 かといって、M君への個人指導をしようにも、今の状況ではうまくいきません。先生の関心がM君に向かっているとまわりの子ども達が感じ取ったら、みんなはM君への意地の悪い注意やおせっかいをするでしょう。また、先生の目をひくためのトラブルも起こるかもしれません。 クラス集団をまとめ、落ち着いた学習環境を作ること M君の持つ課題をふまえての個人的な指導 このどちらも手をつけられません。 困ってしまって・・・どうしよう そうだ!宝物さがしをしよう! いまは、ごちゃごちゃ指導なんかやめて、宝物さがしをやりまくろう それに決めた! 宝物さがしとは、友だちになにかしてもらったこととか、友だちのいい行いとか、がんばったこととか、発表し合うことです。 1週間、授業時間も使って、毎日毎日宝物さがしをしました。「消しゴムをひろってくれました」「折り紙のしゅりけんを作ってくれました」とか、どうでもいいものばっかりで、まわりからは拍手もパラパラ授業中は相変わらずわやわやっとしてわけわかんないし・・・こんなことを毎日続けていてもいいものなのだろうか? 宝物さがし4日目、4日間で発見した宝物は全部で119個。ようやくクラスの子ども達にちょっと違ったものが表れてきたのに気づきました。 友だち同士のトラブルが減り、言いつけも半減しました。 不思議なことには、授業中の集中の度合いも明らかに高まっています。 ひたすら宝物さがしに時間を費やしてきた効果があった! 子ども達の自己肯定感やプラスの感情表現が明らかに高まってる いやあ、うれしい 敵は崩れた、今こそ総攻撃だ(何を言ってるんだ?) 今日の朝、M君を呼んで「M君、授業中いつもちゃんとやるのはきついかもしれないから、先生はあんまりうるさく言わないけど、お勉強の最初と終わりの礼だけはちゃんとやろうよ。」と指導しました。 そして、今日は、ようやく全員に指導しました。 「礼の時は、きちんとやろう。はい、気をつけ!」 ピシッと、全員に指導しました。M君もO君も気をつけをしています。 いやあ、クラス開き以来、初めて引き締まった気がします。 締まってもクラスの雰囲気が明るいのがうれしい。 だれもM君やO君に意地悪を言う子もいません。(少なくとも今のところは) 満足満足! がまんして宝物さがししてよかった。 まあ、ようやくクラス作りが始まったところなんですけどね。考えてみれば。 今日現在、宝物133個。200個になったら、「宝探しゲーム大会」をやろうということになりました。
2007.04.27
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今回は、全くのシュミシュミ、サッカーの話題で失礼します。 中村俊輔の所属する、スコットランドプレミアリーグ、グラスゴーセルティックが見事優勝しました。しかも、中村のロスタイムのフリーキックで優勝を決めるなんて、ほんと劇的でした。さらに年間MVP。個人的に好きな選手なんで、特にうれしいですね。 口の悪い人は、「スコットランドプレミアリーグは、ヨーロッパの中ではレベルがあまり高くないから、あまり意味がないよ。」ということを言うでしょうね。 俊輔がスコットランド移籍を選んだとき、これはすごい冒険だったと思います。最高レベルのリーグといわれるイタリアから、格下に行くのですから。でも、「これもありだろう」と思います。 「お厚いのがお好き」風に、これを高校受験にたとえて考えてみましょう。スコットランドを選択したということは、最難関の進学校に合格する実力がありながら、あえてちょっとレベルは落ちるけど、雰囲気のいい学校を選んで受験するようなものではないでしょうか。 最高レベルの進学校に入って、毎日勉強に追われて、ライバルとの競争、あるいは受験一色の日々。それに比べて、ちょっと学力では劣るけど、成績は全校トップ、よい仲間に恵まれ、のびのび自分を発揮して、充実した高校生活をエンジョイする・・・これって人生という長い視点で見ればこっちの方が得るものが大きいのではないでしょうか。 やたら高みを目指すだけがすべてではないと思うのです。「レベル」という物差しの他に、「自分らしさが発揮できるか」ということが重要なのではないかと思います。 スコットランドはレベルが低いから俊輔は伸びないと主張するみなさんに言いたいことがあります。 日本にJリーグができる前、もっともっとレベルが低かった「日本サッカーリーグ」には、たくさんの助っ人ブラジル人が来ました。(草分けはセルジオ越後さん)その、レベルの低かった日本サッカーリーグで活躍して母国へ帰った助っ人たちは、その後、けっこう自国のトップリーグで大活躍した人が多いんですよ。(読売のガウショとか) のびのび自分らしさを発揮する場って、その後に大きく伸びるひとつの重要な要素なのかもしれませんね。 最後に一言「レンジャースもがんばってくれよ!」
2007.04.23
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多くの学校で、家庭訪問が行われますね。今は夏休みに行うという学校も増えてきたみたいですが。 子どもの家に出かけていく家庭訪問は、意義のあるものだと思います。家の場所や環境を確認しておくことはもちろん、担任と親とのコミュニケーションを作ったり、子どもの家での様子や親の要望を聞いたりする大事な機会です・・・とかいうことはおいといて・・・ 家庭訪問は、親の話の内容以外のところからも、いろいろなことを知ることができるチャンスです。 ぼくの学校では、あらかじめ時間の希望を取ってから順番を組んで親御さんに連絡します。 その後で、いきなり変更の日時の希望を書いてくる親御さんもいます。(「すみません」のひと言ぐらいないと、ちょっとムッとするところです) でも、これって親についての重要な情報です。子どもが手紙を出さないのにいらだっているのかもしれません。 あるいは、こういう行動が相手に迷惑をかけるということに気づかない洞察力の欠如、または感受性の鈍さを持った親御さんなのかもしれません。だとすると、ふだんの親子関係の中でも、もしかしたら子どもの気持ちをくんで、適切に甘えさせたり叱ったりできていないのかもしれません。 「玄関で失礼します」というのは、教師にとっても、親にとっても楽でいいのですが、もしも中へどうぞと何度もお誘い頂けるときはぼくは中におじゃますることにしています。 家に入ったら、絵や置物、花などの装飾品に注目してみましょう。まず、それらが子どもっぽいかわいらしい雰囲気を持ったものか、大人っぽい洒落たものであるかで、家庭生活がどの程度子ども中心で回っているか、なんとなく想像がつきます。居間が子どもの作品だらけの家などは、ベタベタの親子かもしれません。(ベタベタが悪いわけではないですね。密着度が高いということです) ゲームがどこにあるのかもさりげなくチェックしておきたいところです。子どものゲーム環境は、現代の子ども理解のためにはとても重要な要素のように思います。ゲームの話題などもさりげなくふってみるのもいいかもしれません。前に、テレビの前に3種類のゲーム機が置いてあるご家庭がありました。「こんなにいろんなゲームをやっているんですか?」と、驚いて聞いてみたら、お母さんから、「いいえ、これはみんな主人のなんですよ。」というお答えが返ってきました。 その他、本棚などもさりげなく見せてもらってます。けっこう意外な発見がある場所です。 私たちが親御さんのお話をうかがって、その中で、学校での子どもと家庭での子どものギャップを知ることができます。 もうひとつのギャップにも注目しましょう。子どもの行動、様子と、親や家庭が持つ「雰囲気のギャップ」です。言うことをきかないきかん坊、いたずら坊主のお母さんが、元ヤンキー風な人だったら、「この親あってこの子あり」納得です。お嬢様っぽい子の家が上品な雰囲気だったら、これも納得、ある意味安心です。 ところが時折、子どもと親、家庭の雰囲気に、妙なギャップがあるケースにお目にかかることがあります。 例えば受験目指してガリガリやっているような子どもの親が、いやにおっとりと鷹揚な感じで、「子どもはのびのびと・・・」などと言っていたりしたら、ちょっと「?」でしょう。不潔で下品な感じの子どもの家が、なぜか品があって、高級な装飾品などを飾ってあったりすることもあります。または、子どもは素直ないい子なのに、親はさかんに前担任の批判をするなど一癖ありそうな人であったりする場合もあります。 家庭訪問で感じた違和感は、ちょっと心にとめておきましょう。後になってから、「なるほどそういえば・・・」という風にそのことに納得がいく出来事に出会うことがよくあるものです。 ところで、教師である自分が親の立場で子どもの先生を迎える時は、けっこう気が重いものですね。あたふたと部屋の中をかたしたり、お茶菓子は何にしようかと考えたり・・ 要するに、立場変わればふつうの親なんですよね。
2007.04.21
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今回は、教育相談だよりはひと休み久々に学校での出来事を書きます。 今年は教師生活初めての低学年。 刺激的です!おめーら、毎日牛乳こぼすなよー!ノートにマルもらう順番でけんかして泣くなよー!算数の時間に折り紙やるなよー!ひとつのゴミだけはく掃き掃除するなよー!連絡帳うつすのに30分も時間使うなよー!テストの時間、後ろ向いてともだちの答え見るなよー!黒板の漢字習った習ってないでいちいち大騒ぎするなよー!5分休みに外遊びに出るなよー! といった具合で、毎日がカルチャーショック、日々、どれだけ人間ができているかを試されているような毎日です。 幸い、まだキレていません。 さて、かわいいかわいい低学年の子どもたち、毎日必ず2・3回、いや、5回、6回、多いときには10回くらいぼくのところに言いに来ます。「せんせい、なんにもしてないのにねえ、○○ちゃん、ぼくのことぶってきたんだよ。」 呼んで話を聞いてみると、だいたいの場合、なにかしてるのです。要するに自分がしたことは棚に上げて、相手が自分にした悪事だけを報告に来るのです。考えてみればわかりそうなものです。相手とトラブルになって、自分が損害を被ったのは、それ相応の原因が自分にもあるからなのです。 でも、そんなことは考えずにただ相手の非を先生に叱ってほしい、その一心なのですね。 また、注意されても白々しく見え見えのウソをつきます。 ともだちの頭をポカリとやった子を呼んで注意しても、「ぼく、ぜったいやってないよ。」とすっとぼけます。「先生見てたよ。ウソをついちゃいけないよ。」と言うと、「うーん、手が当たっちゃったかもしれない。」とか、「ぶったかもしれないなあ。」なんていう風にだんだん白状してきます。 要するに、小さい子って見え見えのウソを臆面もなくつくし、自分の都合のいいことばかり訴えてきます。 『小さい子ってやだなあ』 そんなことを感じる時もあります。 でも、よく考えてみると、高学年の子どもや大人がこんなことをしないのは、そんなウソをついてもすぐばれる、かえって信用をなくすし、自分が損するだけだという判断が働いているだけなのではないでしょうか。 つまらない言いつけをしないのも、まったく同じ、ばれないとわかっていれば、多くの大人も同じように露骨なずるい、せこい行動をするのではないかと思います。 社会生活のスキルを身につけた人は、見え見えのずるや不正をすることが自分の損になることがわかっているということなのでしょう。 そういう意味では、低学年の小さい子って、人間の『素』だと思います。 明日からも、人間の『素』を相手に悪戦苦闘します!
2007.04.19
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休み時間、子どもたちはよく先生の机のまわりに来て、とりとめのないおしゃべりをしてきます。 小さい子なら、「せんせい、あのね・・・」といったところ。 高学年ぐらいの子になると、「ねえ、先生、あのさあ、○○(アイドルの名前とかバラエティー番組の名前)って知ってる?」といった感じのことをよく話しかけてきます。やっぱり女の子が多いかな。 そんな子どもたちが、「先生、お母さんがねえ、先生は授業が遅いって言ってたよ」とか、「うちのお母さん、先生の教室はきたなくてしょうがないってさ。」などとわざわざ報告してくることがあります。『なんだと!?こにくたらしいやつだなあ』と、内心ムッとしたこともあります。こいつ、なんでよりによって、ご丁寧に親の教師批判をわざわざ報告に来るんだよ!と、不愉快な気持ちになります。 でも、そんな内心のムスッとした様子は表に出すことなく「ハハハ、そっかー・・・お母さんそんな風に言ってたか・・・こまったなあ」と、笑ってごまかします。 そうすると、不思議なことに、子どもたちはとてもうれしそうな、満足そうな顔をします。『こいつ、人の気も知らないで・・・』という気持ちになったこともありますが、この子どもたちの行動、気持ちが少しずつ理解できるようになってきました。 子どもたちは冗談めかして、ちょっと先生に意地悪を言うように言ってきてはいますが、やはり内心は『お母さんが先生を悪く言っていた』という不安があったのだと思います。これはもしかしたらお母さんと先生が仲が悪くなるのではないか、実は険悪な関係にあるのではないかという恐れを感じ、それがストレスになっていたのではないでしょうか。 だから、先生が笑って聞いてくれたことに、ホッとしたのでしょう。なあんだ、たいしたことじゃなかったんだ、と安心したのでしょう。 そういうことがわかってからは、子どもの言葉にカッと来ることもなくなりました。 子どもたちをよく観察していると、家で親御さんが教師のことを肯定的に見ているか、批判的に見ているか、けっこうわかるものです。 でも、やっぱり結局はどんな形であれ、親と教師の不和は、子どものストレスという形に行ってしまうのだなあとつくづく思います。
2007.04.17
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今回は親と教師の関係について考えてみたと思います。 子どもは全面的に親に依存しています。特に小さい時は、親とのつながりがその子のコミュニケーションのスタイルを決定してしまうと言っても過言ではありません。 例えば、その場の気分で怒り、体罰などで子どもを思い通りにしようとする親に育てられた子どもは、相手の気分次第の、自分ではどうしようもない不安定な関係がふつうだと感じてしまいます。 だから、相手の顔色をうかがい、自分の過失や悪さはためらいなくうそをついてごまかそうとします。そういう子にとっては、大人から叱られるのは、ただの「災難」でしかありません。ひたすら避けて、やり過ごすものだという感覚が染みついてしまっています。 子どもは親とのコミュニケーションの形、方法を、他の大人との関係にも向けます。とくに、親との「愛情関係」を、学校ではそのまま先生との間で作ろうとします。つまり、家で親に対するのと同じまなざしを、学校では先生に向けているのです。 ぼくは何度も子どもに、間違って「お父さん」と呼ばれたことがあります。5年生の子どもに「お母さん」と呼ばれた時には、ズッコケました。教師は学校では、子どもにとってのお父さん、お母さんなのです。 さて、ここで本題です。 もしも、親と先生がけんかをしてしまったら、どうなるでしょうか。 子どもは、家では親に、学校では先生に向けていたひとつの気持ちを、2つに引き裂かれることになります。これは子どもにとって、大変なストレスになります。 親と先生、どっちの言うことも聞いて、どちらにもかわいがってほしいのに、その2者が対立関係にあるために、それができません。 先生の言うことをきくと、それは親を裏切ったような気持ちになります。逆に、親の言うことをきくと、学校ではそれが否定されるのではという不安な気持ちになります。 教師と親がけんかをする、または、そのどちらかが、子どもの前で中傷や批判をした場合、子どもの学校での行動に、はっきりと変化が表れます。 まず、行動に落ち着きがなくなり、授業中の私語や集団行動中の勝手な行動、ルールを破る、悪ふざけなど、行動面でのはっきりとした荒れが目立ってきます。子どもにとってはどうしても親との結びつきが第一ですから、学校で教師が指導すること、学校での規範に従うことは、親を裏切ることになってしまいます。 「先生のいうことをきいたら親に愛されなくなってしまうのでは」という思いがおこってしまうのです。ですから、行動が荒れる一方で、内心は不安でビクビクしているのです。 驚かされるのは、行動が荒れるばかりでなく、成績もはっきり落ちることがあります。(塾に行っている子はそうでもないかもしれませんが) 授業というのは、やはり教師が与えるものを子どもが受け取っているものなのですね。ですから、当然かもしれません。 個人的な経験をひとつお話しします。以前、6年生の親と大げんかをしてしまったことがありました。その時以来、その子はどの教科もほぼまんべんなくテストの平均点が20点ぐらい落ちてしまいました。あとで親と仲直りしてから、次の学期は、みごとに20点を回復しました。 我ながら、若気の至りと反省しています。
2007.04.16
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前回の続き、今回は「千と千尋の神隠し」に出てくるお父さんについて考えてみたいと思います。 冷たい感じのお母さんに比べると、お父さんは、鷹揚な、楽天的な人として描かれています。少々お腹が太り気味、メタボリックシンドロームが心配ですが、どこにでもいるような感じのお父さんです。でも、この人もやっぱりどこか変です。車で道に迷ってしまう場面があります。 千尋「お父さん、大丈夫?」 父 「まかせとけ、この車は四駆だぞ。」 このお父さんの言葉も千尋とかみ合っていません。千尋の方をちらりとでも見て、「お父さんにまかせとけ。大丈夫だから心配いらないよ。」とでも言ってやれば、きっと千尋はお父さんに無条件に頼ることができるのでしょう。でも、このお父さんは「四駆だから悪路でも行くぞ」という気負いを見せて、かえって千尋に不安を与えています。(だいたい千尋は四駆のことなどわからない!) このあとお父さんは、道に迷うほどにむきになって、ますますスピードを出しています。まるで自分の不安を、無茶な行動で振り払おうとしているかのようです。がたがた揺れて妻や千尋が不安でおびえていることも、全然目に入っていません。これって父親(大人)としてはちょっと未熟じゃないでしょうか。 その後、車を降りたお父さんは、奇妙な建物に興味を示し、トンネルの中にどんどん入っていってしまいます。不安がる千尋のことなどまるで無視し、好奇心旺盛な少年のように勝手に進んでいってしまいます。 このお父さんの行動は、家族のことを考えるよりも、自分の中の感情、興味の向くままという感じです。内面はまだ大人になりきれていないのでしょう。悪い人ではないのですが、「親」としてはだいぶ未熟で不安定なようです。 子どもの気持ち、甘えを受け止められないお母さんと、未成熟で親になりきれていない父さん。子どもは安心して甘え、頼ることができません。気持ちのコミュニケーションを通わせ合うことで、安心感を得る「家庭」は、子どもの安定した気持ちのベースになるものです。それが十分に機能していない家庭は残念ながらよく見られます。子どもの問題行動を見ていくと、このような家庭の「機能不全」がベースになっていることがよくあります。 何不自由ない家庭に育ちながら、援助交際や薬物などに走る子どもたちが、よく「私は家で居場所がなかった」「いつもさびしかった」などということを言うというのを聞きます。それはこんな気持ちのコミュニケーションの欠落した家庭なのかもしれません。 学級で気になる子どもがいたら、ぜひ、親と会話する場面を観察してみましょう。親子で気持ちのコミュニケーションができているかどうかは、その子を理解する重要な要素だと思います。
2007.04.13
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少し、「保護者」をテーマに考えてみたいと思います。 「千と千尋の神隠し」は、すでにたくさんの人が見ているようで、題材として取り上げやすいので、今回はこれをテーマに話を進めてみたいと思います。 この映画はとても示唆的で、いろいろなことを考えさせてくれるように思います。細かい分析や、その主題の奥に隠されていることについては、光元先生はじめ、多くの方が分析されていますので、私ごときが今さらここでやってもしょうがないので、それはやりません。 この「千と千尋」の冒頭部分を題材に、親子のコミュニケーションについて考えてみたいと思います。 今回は、千尋とお母さんのコミュニケーションに絞って考えてみたいと思います。 転校することをいやがる千尋を乗せた車が新しい家に向かうところから物語は始まります。 その車の中で、千尋とお母さんの会話があります。千尋「初めてもらう花束がお別れの花束だなんてかなしい。」母 「あら、このあいだのお誕生日にバラの花をもらったじゃない。」千尋「1本ね。1本じゃ花束って言えないわ。」母 「カードが落ちたわ。窓開けるわよ。もうしゃんとしてちょうだい。今日は忙しいんだから。」このお母さん、「お手紙出せば?」とか、「お友達すぐにできるよ」とか言ってあげればいいのにと思います。 千尋は言葉の裏に「友だちと別れてさびしい」「心細い」という気持ちを伝えています。でも、お母さんは千尋の気持ちでなく「花束」という言葉に反応しています。このあとも含めて、このお母さんは、ことごとく千尋の「気持ち」に反応できていません。というよりは、千尋の気持ちや甘えを無視し続けているような感じがします。千尋「お母さん、あの建物うなってるよ。」(不安→不安な気持ちを共有してほしい)母 「風鳴りでしょ。気持ちいいところね。車の中のサンドイッチ持ってくればよかった。」 (千尋と全然気持ちを共有していない 自分の世界に入っている)千尋に言葉は返していますが、気持ちの部分ではまったくコミュニケーションを取れていません。 トンネルに入っていく時、千尋が心細くてお母さんの手にしがみつくと、「そんなにくっつかないでよ。歩きにくいわ。」と、冷たくはねのけています。千尋は、どんな表現方法でもいいからお母さんが「安心感」を与えてくれることを求めているのですが。 おそらく日常生活でも、お母さんとの関係の中で、千尋はいつも「気持ちを受け止めてもらえない」という思いを持っていることでしょう。 子どもの気持ちを感じ取れないお母さんはけっこうよくいる気がします。こういうタイプのお母さんは、子どもをひどく邪険に扱ったり、あるいは無神経に兄弟と比較したり、「あなたの将来のためよ」といって勉強やならいごとを子どもに押しつけたりすることもあります。 ※千尋のお母さんは、鈍感というより子どもの甘えを受け入れられないお母さんのように見えます。もしかしたら、この人は小さい頃十分甘えられなかったという思いがあるのかもしれません。 お母さんが豚に変えられてしまうというのは、千尋の心の中での、そんなお母さんの存在の否定?というのはちょっと考えすぎかな・・・
2007.04.11
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新学期が始まりました。 教師生活二十ン年、初めての低学年。期待と不安に胸をときめかせての始業式。 担任発表が終わって教室へ。 ここで、またまた教師生活初めてのびっくりが待っていました。 事故欠2名 連絡帳にははっきりと「旅行のため、5日、6日は欠席します」と書かれていました。 こんなに堂々と、2名もが、学校休んで旅行いってますと宣言するとは、しかも、4月早々、始業式、しかも担任が替わるとわかっているスタートに・・・これは驚きでした。 思わず悩んでしまいました。 スタートで担任が替わって、2日間も休んでしまって、子どもは気後れしてしまうのではないか?担任が替わって学級の感じが変わると、ナーバスな子なら不適応になってしまうのではないか?新しく席や係を決めるのに不在のままで、決まってしまい、気持ちのよいスタートを切れないのではないか?新しい教科書やノート、ドバッと来るプリントに提出物を後で見て、パニックになってしまうのではないか? そして、さらに考え込んでしまったのは、 それを知ってて旅行に連れて行ってしまう親御さんはどんな方なんだろうかということです。もしかしてとんでもなく挑戦的で学校に批判的な方なのか、それともぜんぜんわかっていないだけなのか?どちらにせよ、ちょっと不安・・・ 週が開けて、旅行帰りの子どもたちは元気に登校してきました。やはりかなり気を使ってしまいました。なんとかふつうに適応できたようで、ホッとしています。 聞いた話によると、海外旅行など、今の時期は安いのだそうです。(そりゃそうだろう) 価値観が違うという言い方もできるのでしょう。 ただ、「学校を休ませて旅行に行く」ということの「危険」がわかっていないのではないかということが不安です。 学校を休ませて旅行に行く-それを両親が決定したということは、両親が学校の「権威」を否定したということなのです。 それをしてしまったら、もう、「学校」を、子どもの教育のための「重し」として利用できないということなのです。 例えば、よく、親御さんが言います。「先生、宿題以外にも勉強するように子どもたちに言ってください。もう、親が言ってもぜんぜん言うこときかないんですよ。」とか。 でも、親が学校の権威を否定してしまったら、先生が言ったって、そんなのきくわけありません。 担任が宿題をやれと言っても、それをどこか軽んじていい加減にすませてしまおうとするかもしれません。 怠学傾向のある子は、やがて学校なんて行かなくてもいいんだとうそぶくようになるでしょうね。 今までのほとんどの親御さんは、学校の権威を子どもの教育の道具として利用していたように思います。(利用されすぎても困るのですが・・・) そんなものは利用しない-それは大いにけっこうです。むしろ理想だと思います。 でも、それをすべて家庭の責任と裁量でやっていくという信念と自信を持たなければなりません。 ぜひ、持ってほしいものです・・・
2007.04.10
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ADHDの子どもたちに対してどう対応していったらいいのか、 いろいろなマニュアル本などに紹介されているのですが、今一度おさらいの意味でまとめてみたいと思います。●刺激をおさえてあげましょう ADHDの子どもたちは、次々に新しい刺激か来る状況に極端に弱いのです。ですから、授業中など、気が散らないような条件を整えてあげることで、ずいぶん変わつて<るといわれています。 たとえば、座席は、友だらの動さや窓の外の景色か目に入らない廊下側前の方に取ってやると、落ち着きやすいでしょう。また、図工の作業など、周りに気か散って集中できない場合は、全体におしゃべりをしないよう注意したり、場合によっては別室で取り組ませるというのもありかもしれません。●指示の出し方、メモの取らせ方を工夫してみましょう「これとあれとそれをやりなさい」という指示の出し方はADHDの子どもたちにとってはたいへんわかりづらいものです。(これはアスペルガー症候群でも言えることです)指示を出す時に、できるなら黒板に、 (1)これをする (2)それをする (3)あれをするという風に書いてあげると、黒板を見て、思い出じて確認することができます。また、メモを取らせる時にも、同様に順番をつけてあげると行動しやすいでしょう。● 友だらに腹を立てたりしてパニックに陥った時など、友だらから引き離して、相談室など離れた場所で落ち書かせると効果的です。 まだまだこれで終わるわけではないのですが、これ以上知りたい方は書店で、「ADHDの子どもの接し方・・・」とかいったたぐいの本を立ち読みして頂ければすむと思いますので以下省略といたします。 ここで大事なこと(見方によってはよけいなこと)を押さえたいと思います。 ADHDなど発達障害の子への対応について考えていくと、「みんな同じ」「努力すればだれでもできるんだ」という学校教育の基本になっていた考え方が見事にひっくり返ったんだなあと感じます。 「どの子にも平等に同じ対応をしていく」のでなく、「どの子にもちがう対応を」という発想なわけです。 でも、そうしたら、当然子どもたちはいいます。「先生、ひいきだ!」「先生はずるい。」と。 やっかいですよ。神経使います。 でも、そこのところをいかにうまくやるかが、これからの教師の力量ではないでしょうか。 普通の学級の特別支援教育では、個別支援計画をまじめに詳細に書いて書庫にしまうことよりも、ずるい、ひいきだという不満を出さずに、その子のハンディに合わせた「不平等な待遇」をしてあげる、そんな力量を問われるのではないでしょうか。
2007.04.02
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先生や心理の人と話をしていると、けっこう「私ってちょっとADHDっぽいかも」とか、「ぼくはけっこうアスペっぽいからこだわるっちゃうんですよね。」なんていう会話になることがあります。 ただ、本当にADHDとかの診断を下すのはお医者さんです。お医者さんもこの発達障害の診断を下すのは結構大変のようです。 ADHDは、インフルエンザなどの病気と違って、ウイルスなどはっきりした病気や障害としての根拠が特定できません。医師が診断を下す時は、症状のリストを見て、「こういう行動がよく見られるので、どうもそのようですねえ」という感じなのだそうです。 ですから、1度はADHDと診断を受けて、あとでやっぱり違うと言われたという例もあります。 「ADHD」と「普通の子」と、はっきり線を引いて2通りに分けられるのではなく、けっこうその中間、「ちょっぴりADHDっぽいねえ」みたいな人はたくさんいるようです。 ですから、医師の診断が出たところで、「だからどうなんだ」という場合もけっこうあるのです。特別ワクチンがあるわけでもないのですから。 まあ、親御さんが焦ってしまって、本人に厳しく当たってしまったり、本人が自分にひどい劣等感を持ってしまっている場合とかは、診断が下されることで落ち着いて対応を変えていくきっかけになるかもしれません。 症状が激しい場合は、リタリンなど、症状を一定時間抑える薬を処方してもらうことができます。アメリカでは、ものすごい量のリタリンが消費されているということです。ただし、リタリンもすべてのADHD児に効くというわけではなく、効果がないという場合もあります。 このことからも、ADHDという障害が、脳のひとつの部位でなく、脳のあっちこっちの部位で起こっている雑多な障害の症状か、多動・不注意という形で表れるのかもしれません。 脳の中のことは、まだまだ研究途上なのですね。 なお、ADHDは、だいたい7歳までに症状が表れるといわれています。 大人になるにつれて症状は落ち着いてくるといわれていますが、大人になっても物忘れや注意力不足などの症状が残り、苦労している人もいます。
2007.04.01
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