全5件 (5件中 1-5件目)
1

最近TFTというのにはまっています。 TFTというのはThought Field Therapyの略で、「思考場療法」と訳されます。(液晶ディスプレイのことではないですよ!) これは、不安や悩み、トラウマなどを頭の中で考え(これを「思考場に置く」といいます)その状態で、体のある決まった場所を指先でタッピングしていくと、そのつらさやいやな感じが消えるという、ウソみたいな心理療法なのです。 初め、EMDRに興味を持ち、ネットで関連のものを検索してみたら、たまたまこのTFTに関する書籍を発見しました。すぐに注文して買い、読んでみました。 本の前半部分は、いかにTFTは奇跡的な治療法であるか、その効果の事例をえんえんと書いてあって、なんかちょっと怪しげな通販の品物か新興宗教みたいだなあなんて思いました。 要するに、あんまり信じていませんでした。 はっきり言って、トラウマや恐怖症がそんな簡単に消えてしまうわけはないだろうと思ったのです。 TFTの話を妻にしたら、「じゃあ、ひとつトラウマを取ってほしい」と言われました。 数年前、担任していた学級の子ども達とのいやな思い出のことだといっていました。 まあ、半信半疑、だめもとで本に書いてあるとおりやってみました。そうしたら妻が「あっなんか消えたよ。ほんとに効いたみたい。」と言ったのでびっくりしました。 驚いて、我が家の子ども達や周りの人にもやってみました。 まあ、全部ではないけど、けっこう効きました。 これはすごい!と思い、セミナーを受講しました。 ふつう、こういう心理療法は、臨床心理士に限るとか、大学院修了とか、治療やカウンセリングのキャリアなど、そういった条件がうるさいのですが、このTFTは、学校の教諭というだけで、かなり専門的な「診断レベル」の研修まで受けることもOKということでした。 研修を受けて、なるほどと思いました。 TFTにはほとんど、副作用や、かえって症状を悪化させるといった危険性がないのです。 学校でも、ちょこちょこ活用しています。 先日、授業中に、「なんかちょっとおなかいたい」と言いだしたFくん、トイレでもないということなので、「痛み」のアルゴリズムをちょっとだけ試してみました。そうしたらFくん、「あ、先生、なおった」と、驚いていました。「先生、あれ、効くんだよね。」と、あとで言いに来てくれてうれしくなりました。Fくんは、学校でTFTセラピストとしての僕を認めてくれた第1号になりました。 もじもじしてしまって、どうしてもみんなの前で生活科の発表ができないOさん。休み時間に「恥ずかしさ」を乗り越えるアルゴリズムを試してみたら、次の時間にスラスラと発表できてしまいました。 効くだろうと期待してはいましたが、あまりに劇的に効いたので、こちらがビックリしてしまいました。 これからもいろいろに試してみようと思います。
2007.10.24
コメント(6)

図工でザリガニの絵を描きました。「大きく描くんだよ!とくにハサミは大きくね!」なんていうことを何度もいいますが、小さく描く子はもうしょうがない。それはそれ。 絵はその子の表現なんだから、それならそれでいいのです。 絵というのは指導していて悩みます。じょうずに描かせたいという気持ちと、これは子どもの心の表現をねじ曲げてしまっているのではないだろうかという葛藤があって・・・ たまに、子どもの絵を自分スタイルに完全に指導してしまう先生がいると、はっきりと違和感を感じます。 自分が指導したのとぜんぜん違う絵を描いている子がいたりすると、自分の指導不足と思う反面、まあこれでよかったんだろうなとホッとする部分もあります。 ザリガニを描いたあとで、まわりに水草を描いてごらんと子どもに言いました。そしてちょっと目を離したら・・・ ワカメを描くなー! コンブを描くなー! 思わず頭を抱えました。ここは川の中なんだからそれっぽい水草ぐらいわかるだろ!・・・・・・・いや、わからないんだ。これは自分が甘かった。 間もなく自分の甘さをさらに痛感することになりました。「先生、おさかなかいてもいい?」と言いに来た子どもがいたので、「ああ、いいよ。あんまり大きく描かないようにね。」と言いました。 この答えは大きな誤り、配慮不足でした。 子ども達の絵を見てびっくり。 ザリガニのまわりに色鮮やかな熱帯魚を描くなー! もうあとのまつりですね。 いやあなんとも、実にたのしい絵になりました。 考えてみれば当然わかりそうに思えることが、けっこうわからない・・・これが小学校の低学年生なのですね。 以前、休んだお友だちの連絡帳を届けるのに、「お留守だったらポストに入れておいてね」と言ったら、まっ赤な郵便ポストに連絡帳を投函してしまったという話を聞いたことがあります。 この「わからなさ」の予測がつかなくて、いつもあたふたドタバタを繰り返しています。 あと半年、あたふたしそうです!
2007.10.16
コメント(4)

あっちでもこっちでもボクシング、内藤と亀田の話題ばかりで食傷気味・・・・・にもかかわらず、ここでもその話題を取り上げてみたいと思います! チャンピオンを「ゴキブリ」とののしり、「負けたら切腹する!」と息巻いていた亀田大毅、僕は見ていないのですが、新聞などで見る限りでは無様な負けだったようです。大口叩くとあとが惨めですね。 今回のこの試合では、亀田があまりにもきたない反則をしていることにみんなからブーイングが起こりました。人気のあった亀田もあの試合ですっかり周囲から見放されてしまったのだなあと思いました。試合後のインターネットの書き込みでも亀田をぼろくそに言う人ばかりで、擁護する意見はほとんど見られませんでした。 威勢のいい人が落ちぶれていく様はほんとに惨めですね。 しかしです。インターネットで調べるうちに、あることに気づきました。 試合の前から、おそらく大多数の人は、亀田びいきよりも、むしろ亀田に反感を感じていたのだということを。 チャンピオンの内藤は、「国民の期待に応える」といっていましたが、あれは本当だったんですね。 TBSは、徹底的に亀田びいき路線で押していましたが、すでに多くの人は亀田を応援するという気持ちがさめてしまっていたようです。 でも、いったん始めてしまった亀田びいきの大キャンペーン、今さらやめられなかったのでしょうね。ちょうど日テレがすっかりの落ちぶれて視聴率が取れなくなった巨人戦でもやっていくしかないみたいに。 初め、亀田が大衆に受け入れられ、拍手喝采を受けたのはたしかです。 私たちはみんな社会の秩序の中で、それに縛られ、その制約の中で生きています。法律や不文律、慣習や常識といったものに気を使いながら、日々生きています。 時に、そういうものを無視してハチャメチャなことをやる者に強烈に心惹かれます。そういう存在を通じてかなわぬ思いを満たしているのですね。 アニメの世界を見ても、一昔前の「スラムダンク」なんかは、バスケットというルールあるスポーツの世界の中で、不良っぽい、ワルっぽい雰囲気を出すことに必死になっているなあと感じました。「アイシールド21」も、まともじゃないところが人気の秘密なのでしょうね。アニメとかの主人公なんて、だいたいみんなちょっとワルっぽかったり、少しひねてたりしてます。 亀田兄弟は、みんなの心の中にある、そんな「ワル」を望む気持ちにフィットしたのでしょう。 型破りで大口を叩く、そして強い・・・(ように見えた) だけど、そんな亀田がだんだんみんなに見捨てられていったのは「やりすぎ」たのだと思います。 にくたらしい政治家をやりこめたり、大家といわれるようなえらそうな大先生の鼻をあかしたら、みんなはやんやの喝采、胸のすくような思いをするでしょう。 でも、その政治家や大先生に暴力をふるったり、奥さんや子どもの悪口などを吹聴したら、かえって胸が悪い感じになるでしょう。 亀田兄弟の言動は、痛快・・・をとっくに超えてしまったのです。みんなはもう程度をわきまえない悪口にうんざりしてしまったのでしょう。 それに気づかない亀田親子、内心頭を抱えながらもイケイケで押したTBS・・・ でも、フロックで勝たなくてよかったと思います。
2007.10.13
コメント(0)

今、大阪に来ています。 この連休、研修のために大阪まで来ました。今年の夏に続いて2回目です。 関東からほとんど出たことのない人間なので、こういう体験は、珍しいのでとても興味深いです。 大阪の地下鉄は、初めはなんかよくわからないけどごちゃごちゃしていて複雑だなあと思いました。梅田のあたりが初めての時はよくわからなくて悩んだものです。 でも、2回目で慣れてみると、網の目状にけっこうわかりやすく通っているんだなあと概念がつかめるようになりました。 わからない土地に来てみると、研修で東京に出てきてる人の苦労、心細さがよくわかります。 人間、やっぱり体験してみないとその気持ちはわからないものです。 九州から来ていた人に、「大阪よりも東京の地下鉄の方がごちゃごちゃしていてわかりにくいですよ。」と言われました。 なるほどその通りです。 大手町駅の乗り換えで千代田線から東西線の駅までの歩くこと歩くこと、道をまちがえたと思ったら、いつの間にか日比谷駅に出ていたりして。 なんか、東京の地下鉄って、建て増しを繰り返した旅館みたいですね。 大阪の人は日本で一番歩くのが速いと噂に聞いていて、それを体感しようと思っていたのですが、少なくともぼくが見た限りでは、東京と変わりませんでした。 また、大阪の電車の駅では、みんな並ばないでドドドーっと入っていくということを聞いていたから、内心それを楽しみに行ったのですが、これも期待はずれ。みんなきちんと並んで整然と乗り込んでいました。「15年ぐらい前まではけっこうみんな並ばなかったんだけど、今はみんなちゃんと並んでいる」ということでした。 たまに携帯で話しているおじさんが大阪弁なのぐらいをのぞくと、ほとんど東京にいるのと変わりません。マック、いや、マクドのバイトのお姉さんのアクセントもけっこう標準語風だったし。 都会はどこもそう変わりはないということでしょう。 ちょっと当てが外れた気もしますが、なんか大阪という街に親しみも感じました。 ただ、エスカレーターで、みんな左をすたすた歩いていくのを見て、「おお、大阪だ!東京と違う!」としみじみ感じました。
2007.10.07
コメント(2)

毎日の教室での風景。子ども達は、今日も今日とて「せんせーい、ぼく、なんにもしてないのにね、○○くんが、ぼくのことバカだとかうざいとか言ってきた」と、言いつけに来ます。 一時はもうそれがやになって、「もう言いつけに来るなー!」と言ったこともあります。でも、結局それは無理もない、しかたがないことなのだとあきらめました。低学年の子ども達と言いつけは、切っても切り離せないもののようです。もうその時代を通り過ぎてしまった大人のわれわれにとってはうんざりでも、子ども達にとっては当たり前で当然やるべきことのように感じているのです。われわれもかつてはそうだったのですね。 最近、2学期になってから、「言いつけのきまり」というものを作りました。 「先生に言いつけに来るときは、次の(1)→(2)→(3)の順番で、ちゃんと言いつけてください」ということを子ども達に言いました。さて、その内容は(1)なにがあったのか これはこっちが要求しなくても言ってきます。(2)今、どんな気持ちなのか 実はこれが目的!(3)先生にどうしてほしいのか その通りにするとは限りません。 さて、始めてみると、子ども達は(2)でひっかかります。予想されたことですが。 「せんせい、××君がぼくの消しゴム取った」と、子どもがやってくると、ぼくはにこやかに笑って、「ああ、そうなんだ~・・・それで?」と言います。 すると、子どもは「ええと、ええと・・・」と言って言いつけのきまりを見に行きます。 言いつけのきまりには、気持ちの例として、「くやしい」「かなしい」「あたまにくる」「むかつく」「にくたらしい」「さびしい」などと書いてあるのです。 それをみて、子どもは、「ああ、にくたらしいんだ。せんせい、おこってください。」と言いにもどって来ます。 ここではじめて、「○○君、××君呼んで、2人でいっしょにいらっしゃい。」と、反応します。 これを始めたのは、子ども達に、今の自分の気持ちを「感じる」ことに慣れてほしいと思ったからです。低学年の子どもには、ちょっとレベルの高いことを要求しているかもしれないとも思いましたが、慣れてくるとけっこうできるものです。 ところが子ども達、今の気持ちを「いやな気持ち」と、表現する子どもが実に多いのです。 ぼくは、「やな気持ち」は認めないと子ども達に宣言しました。「さびしい」も、「かなしい」も、「あたまにくる」も、みんな含んでしまっている表現なのです。ちょうど、「いい子」みたいな、広すぎてあいまいな言い方です。 あまり自分の感情に敏感にならなくても、なにか不快を感じたら「やな気持ち!」ひとことですませてしまうことが可能です。これって、中学生あたりが、何かあるとすぐに「最悪ー!」とか言ったり、なにか聞かれると「びみょー!」と答えるのと似ている気がします。 この、言いつけのきまりを始めてから、やっかいだと思ったのか、一時言いつけがだいぶ減りました。でも、最近はみんな慣れてきたのか、また以前のように増えてきました。
2007.10.03
コメント(4)
全5件 (5件中 1-5件目)
1

![]()
