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学級の中に、いつも先生の話を聞き落として行動に遅れる子、お勉強と違うことをしている子、みんなが並んでいるときに1人だけ違うことをやっている子、気がつくと1人でどこかに行ってしまう子・・・その他いろいろ担任が特別配慮をしなければならない子はいると思います。 こんな時、よく、学級の友だちがその子に教えてあげたり、声をかけて、教室移動の時にいっしょに連れて行ってあげたり、身のまわりの整理を手伝ってあげたりしてあげている光景をよく見ます。こういう子は「○○ちゃんのお世話係」なんていって、席替えをしてもまたいっしょの席にされたりすることもあります。 たいていこういう子は、自分から「お世話係」を買って出て、教師が頼めば笑顔でいつもお世話をしてくれます。でも、この「お世話係」の過信は、時にとんでもないマイナスを呼び込むことになってしまうことがあります。 ある先生のクラスに、やや自閉気味で、集団生活になじめないBくんという子がいました。Bくんをいつもお世話してくれるCくんという子がいました。この先生は、なにかあると、必ずBくんとCくんを同じグループにするようにしていました。 そんなある日、Bくんがみんなにいじめられ、からかわれているということがわかりました。驚いたことに、いじめていた中心の1人にCくんがいたのです。その先生は、ビックリ、青天の霹靂、思わず頭を抱えて悩んでしまいました。 この先生の失敗は、「お世話係」を過信しすぎたところにあります。 子どもが誰かの世話をする、それは純粋な親切、善意、友愛といったものから始まると考えていいと思います。一時ならば、その苦労とよいことをしたという充足感は、等価として釣り合うものです。 しかし、毎日のようにその子のお世話をするとなると、いやになってくるのは当然のことです。なにしろまだ子ども、ましてや本来なんの必然もないのですから。 それでも毎日喜々としてお世話係をする子、それは、教師や周りからの、「えらいよね!」という心理的サポートがあるからだと考えられます。 だから、教師が、それを当たり前だというような態度を取ったら、いつかばかばかしくなります。「いつもありがとね。」「たいへんだよね。たまには○○ちゃんと違うグループにしてあげなくちゃね。」といった配慮、心遣いを教師がいつも忘れないことが肝心でしょう。 Cくんはお世話係に疲れていやになってしまったのですね。他の友だちと同じように、気ままで無責任な、おもしろおかしいことをやりたくなってしまったのかもしれませんね。 多動な子や、わがままな子、衝動的な子が、クラスにいたとしたら、その行動にがまんしてあげている周りの子たちにも教師は配慮して、がまんしていることをわかってあげているということを、どこかで伝えてやることが必要でしょう。 また、まれに、ハンディを持った子どもにいやに優しい子ども達、「ちょっと教師の意を汲みすぎているかなあ?」と、ちょっと違和感が感じられるときもあります。まあ、程度の問題といったところでしょうか。 子どもは子ども。おんなじ子どもです。頼りすぎは禁物です。
2007.12.26
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カーラ・ボノフという名前を聞いて、ああ、あの人かとピンと来る人は、それなりに長く人生を経験されている方かもしれません。回りくどくない言い方をすれば、けっこうおじさんおばさん(失礼)、若い人は知らないでしょうね。 70年代のウエストコーストサウンド全盛のころを彩った女性シンガーソングライターの1人です。 僕は70年代のウエストコーストが大好きなので、未だにニールヤングやジャクソンブラウン、ドゥービーやらイーグルスやらをよく聞いてます。そしてもちろんカーラ・ボノフも。 ずいぶん前に、パーラメントのCMに、彼女の「All My Life」が使われていました。また、最近では彼女の代表曲「Water Is Wide」のメロディーが流れていました。 僕はずいぶん前から彼女の曲と歌声が好きで、CDを繰り返し聞いていました。 最近、彼女が2枚組のライブアルバムを出したので、さっそくネットで注文、輸入盤を買いました。そうしたら、どこにもレーベル名がありません。彼女自身の制作盤なのでした。 しばらく前に、彼女がレコード会社との契約を打ち切られてしまったということは聞いていましたが、現実に見ると、歌手という職業もシビアなものなのだなあとつくづく感じます。 とはいえ、このライブアルバム、内容はすばらしくて、毎日繰り返し聞いています。個人制作でも、たとえもうからなくても自分の音楽を発信し続けていけるというのはすばらしいことだなあと思います。 カーラ・ボノフは、デビューしたころから、清楚なイメージを持っています。それは50を過ぎた今でも変わりません。歌声も、そして容姿もですね。50過ぎでも美人はいます。でも、こんなに少女のような清楚なイメージを保ち続ける人も珍しいと思います。 なんとなくですが・・・女の人の中には、ステキに年をとる人と、そうでない人とがいるように感じています。若いときの感じを保ち続ける人、あるいは、それはなくなってても、なんとなくお話ししてみたいような、あるいはいっしょにいたくなるような、そんなものを感じさせる女性はいいですね。(男性も同じかも) 残念ながら、僕が好きだった歌手の何人かは、年をとった姿に、がっかりしてしまいました。 そういうのって、生き方や性格が顔に出るものなんじゃないかなってちょっと思っているのですが・・・・?
2007.12.22
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先日、20年も前に卒業させた教え子から突然電話がかかってきました。 「先生、○○ですけど覚えてますか?」 「ああ、もちろん覚えてますよ。ほんとにおひさしぶり。」 こんなやりとりで20年ぶりの会話が始まりました。 電話をくれたのは、2度目に送り出した卒業生達の1人です。考えてみればこの代は一度も同窓会をしたことがありませんでした。「先生、タイムカプセルを埋めたの覚えてますか?」「ええ・・・?そんなの埋めたっけ?」申し訳ないけどまったく忘れてました。僕の記憶からはすっかり消えていました。 この卒業生の子からの突然の電話は、そのタイムカプセルを掘り出さないかという提案なのでした。 まずは打ち合わせ、そのあとでクラスのみんなに声をかけてみようということになりました。 連絡をくれたS子さんとD夫くんと3人でファミレスに集まりました。 当たり前のことですが、20年たって、すっかり立派な大人になって、社会人として落ち着いた姿、でも、2人ともおじさんおばさんになったというよりは、社会の中で自分のスタンスをしっかり持って輝いている感じでした。卒業してからいい人生歩んできてるんだなって感じて、うれしくなりました。 タイムカプセルがどうのという話の前に、あのころはどうだったという懐かしい昔話にあっという間に1時間2時間が過ぎてしまいました。「先生、なぜかおれ窓際の席が多かったんだよね。」「それはねえ、先生の席から近くに置いておいたんだよ。」「それって、目が離せないっていう意味?」「そうそう、その通り(笑)」 いつの間にか時間が5・6年生のあの頃にもどっています。 この子達は12歳の子どもだったけど、僕もまだ20代半ばの熱くて未熟な若手教師でした。あまりに未熟な昔の自分を思い出すのは赤面です。 でも、すごく満たされたすてきな時間があっという間に流れていきました。 「先生は、朝の早朝運動の後、必ず『今日も快晴ですね。』ってみんなに言ったんですよね。そうすると、D夫くんとか、他の男子とかが、あっちこっちをきょろきょろさがして『あ、あそこに雲がある』とか言って指さすのがおかしかった。」と言われて、「え、そんなことあったっけ・・・」ぜんぜん覚えていませんでした。 そういえば早朝運動なんてことをやっていた学校でした。 そういわれてみると、そんなことあったかも。 自分の中で、20年前の子ども達と自分の、おもしろおかしく、時にはすったもんだのやりとりが徐々によみがえってきます。 2人の卒業生とのしばしの語らいの中で、もう忘れてしまっていたもう1人の自分が掘り起こされているような気がしました。 タイムカプセルを掘り起こす前に、僕の中ではもう「タイムカプセル」を掘り起こしてしまいました。 過去にこだわって生きるのはいやですが、時に振り返れる過去がそこにあるのはすばらしいことだなあって思います。
2007.12.15
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特別支援が必要な子どもがたくさん通常学級に入ってくることになります。 配慮が必要な子が通常学級にふつうに入ってくるようになると、「一斉指導」「集団指導」はたいへんになるでしょう。 「個別指導」「個に応じた・・」ばかりじゃどうやって学級経営やるんだよ・・・と言いたくなるところでしょう。実際これからはたいへんだと思います。 まあ、それを言ってもしょうがないですし・・・ここでは、特別支援をふまえた学級経営、しつけやきまりなど学級の子ども達全体への指導をどうやっていくかについて考えてみましょう。 私たち教師は、子ども達を伸ばすために、子ども達に課題を与えます。子ども達に、時には厳しく指導します。めんどくさい問題をやらせます。字をていねいに書き直しさせます。宿題をさぼるなら無理やりにでもやらせます。教師は子どもに「負荷」をかけているのです。 この負荷が、一部の子ども達にとっては、支えきれないほどのストレスになってしまうのです。 例えば、「身の周りに物を落とさない」という、きわめて当たり前の指導であっても、注意力の面で発達的課題を抱えた子どもにとっては、とんでもなく難しい課題を与えられたことになります。先生がそれを厳しくビシビシと指導したとしたら、その子にとっては、毎日がそれはそれはきついストレスの日々になってしまうでしょう。 ならば、厳しい指導、徹底した指導はできないのでしょうか。 まあ、それもちょっと極端な話です。 やっぱり厳しくしてもいいんじゃないでしょうかね。 そうしないと子どもしつけられないですから。 教師が意識して、「この面では自分は厳しくやってるから、こっちはあんまり締め付けないようにやろうかな」といったバランス感覚をもって子どもに接して行けばいいんじゃないでしょうか。 とくに手のかかる○○君の立場で、「1日の学級での生活、どれくらいストレス感じてるんだろうかな?」と考えてみると、自分の指導のさじ加減がつかめてくるのではないでしょうか。 例えば、クラスの子ども達に時間を守る意識を徹底させたいと考え、厳しく指導することにしたなら、同時に「忘れ物ゼロキャンペーン」をやるのは思いとどまって、とりあえず今はおだやかに注意するだけにとどめるとか。 何でもかんでも子どもを締め付ける先生では、必ずまいってしまう子どもが出てしまいます。 また、「私の受け持ったクラスは必ずこんな風にする」という確固たる方針を持った先生も、特別支援教育が入ってきたこれからは、今までと同じにはできにくくなるかもしれません。 自分のポリシーはあるけど、あくまで受け持った子ども達の実態を見て、その子たちにあわせて指導のやり方や、徹底の度合いを調整できる、そんな柔軟性が、これからは求められていくのではないかと思います。 ある先生は、新しく担任した学級の学級開きの日に、子ども達に、教室の床を手でなでさせました。そして、こう言いました。「先生は、昨日、いっしょうけんめいに、みんなが来るこの教室を掃除しました。ざらっとした砂ひとつないでしょ?なにかをやるんだったらとことんやりましょう。いっしょうけんめいにやれば、みんなだってできます。やる気になって努力すればなんだってできるのです。」 この先生は、完璧に汚れがない教室という「サプライズ」で、子どものやる気、自覚を一気に高めました。掃除はたいへんですが、たいへんインパクトのある学級開きです。 でも、毎年ワンパターンでこれをやるのではプロではないですね。 だって、はっきりと注意欠陥が目立つ子どもがいるクラスだったら、その子は初めから自信をなくしてしまうかもしれませんから。 教師は手元に何枚かのカードを持って、子どもに合わせてそれを切っていくといった幅の広さを求められていくのではないでしょうか。 次回からは、特別支援を考えた学級経営手法 いくつか具体例を挙げて考えてみたいと思います。
2007.12.11
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ある時、担任しているクラスのWくんが、わざわざ言いに来てくれました。「先生、おれね、大きくなったら走り屋になるんだ。」 小学校2年生の子が「走り屋になりたい」とは・・・ これを聞いて、ちょっといたずら心が出てきて、からかってやりたくなりました。「へえ、走り屋って、マラソン選手のことかな?」2年生の子は冗談だなんて取りません、大まじめに反論します。「ちがうよ、先生知らないの?走り屋ってね、車で走るんだよ。」さらにしつこくからかう教師も少々意地が悪いです。「そうか、あの、自転車じゃダメなの?」Wくんはちょっとあきれたような顔をします。「先生さあ、『イニシャルD』って見たことないの?」『そんなのぜんぜん興味ねえよ』と内心思いながらも、ニッコリと「う~ん、ちょっと読んだことないなあ。」と言うと、「あのねえ、すっごくカッコいいんだよ。」と、マンガの話をし出します。 こういう小さい子は、自分が好きなものは当然他人も好きなものだと思っているのですね。 都合よく他の子が「ねえ、先生・・・」と割り込んできます。イニシャルDの話からは離脱できました。 給食の時、牛乳の嫌いなWくん、「先生、牛乳のこしていい?」と聞きに来ました。「Wくん、牛乳を飲まないと、いい走り屋になれないぞ。」と、返しました。内心、ちょっと冗談が過ぎるかなとも思いながら。 高学年くらいだったら、冗談を笑うかいやな顔をするかでしょう。 でもその辺はやっぱり小さい子。走り屋と牛乳がどう関係しているのかなどということは細かに詮索しません。 Wくん、しばらくして、「先生、全部飲んだよ!」と、元気にやってきました。「おお、すごい、えらいなあ!」と、素直にほめてやりました。そうしたら、「ほんと?おれ、いい走り屋になれるかなあ?」と、うれしさに顔を輝かせて聞いてきました。 内心おかしさをこらえながら、「うん、きっとなれるぞ。毎日飲むんだぞ!」 Wくん、それ以来よく牛乳を飲んでいます。 小さい子どもは本当に、親のものをそのまま自分の中に取り入れようとします。 Wくんのお父さんもきっと、Wくんの前で「おれも結婚前はけっこう派手に走り屋やってたんだぜ」てなことを話しているのかもしれませんね。 Wくんは中学ぐらいになったら、もしかしたら生徒指導の先生にお世話になるかもしれません。でも、父親のものを素直に取り入れている今のWくんの父-子関係は、ちょっとほほえましくも思えます。
2007.12.01
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