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頭の悪いという意味での「保守」って奴らはどんな思考の仕方をするのかと、いつも俺なりに観察しているのだが、はっきりと気づいていることが1つある。彼らは、次のような言い方をよくするのである。「この一点で、俺はこいつを信用しない」全体の論旨でなく自分が「わかる」ところの1点。つまり、論の積み重ねの適正さ等はその「言説」の当否の判断基準にならず、自分がわかる(思い込んでいる)問題で意見が一致するかどうかが、その「人」を信用するかどうかの判断基準なのである。最初に相手を信用するかどうかは、頭の悪い自分の主観(直感)に委ねられているわけだ。そして面白いことに、彼らは一度「信じる」と、その人が言うことには絶対的に賛成しだす。言っている「こと」が大切なのではなく、言っている「人」が大切なのだ。逆に言えば、いったん心服した人間の言うことは「間違いなく正しい」のである。もちろん、こういうのを権威主義という。頭の悪い「保守」が新興宗教と結びつきやすいのは、彼らには絶対に信頼できる言の葉を吐く「教祖」が必要だからに他ならない。自分の頭で考えようとしない「こども」なのである。(これも最近気づいたのだが、彼らはこの「こども」をもしかすると肯定的に捉えている。大抵の新興宗教は「人は神の子」なんて言ったりして、積極的に「無思考」を誘導している。)「自分は思考しない」のに(なぜか)「自分は正しい」。「無思考」だから「自分は変わらない」。「自分を変えたくない」という「うんこなプライド」を持つ。これらが「保守」の特徴なのである。■「保守」とオイディプスそして、そこには大抵の場合、「オイディプス・コンプレックス」がある。父親を信じたいのに父親が信頼に足らない存在であった家庭で育った人間こそ「保守」になりやすい。現実の「父」がひどく不完成だったために、理想の<父>という間違わない人間を追い求めてしまうのである。しかし、そんな理想的な<父>が現実に存在するわけがない。ここで、「父には、いい部分もあれば、悪い部分もある」といった「おとな」として当然な判断が出来る人間は「保守」にはならない。「保守」は、そういう現実を認められないコンプレックスが反転して、理想の<父>を「宗教(的なるもの)」に見出すのである。そして、そこでは実際の「父」も(興味深いことに「死んだ」後がほとんどだが)「実は理想の父だった」という偽装が為されるのである。言うまでも無く、彼らからは「父殺し」の契機が奪われている。存在しない理想を<父>に見出す心性は、存在しない理想を<国家>に投影しようとする精神の働きに対応している。これが「保守」なのである。ところで、今し方、「おとな」として当然な判断が出来る人間は「保守」にはならないと述べた。問題は、これの解決法である。言うまでもないことだが、「理想的な家庭」を復権させようとする安倍や石原といった「政治屋」がやろうとしているのが、この抑圧を強める逆効果の方法であることは多言を要しない。(しかし、さらに興味深いのは、彼らもまた「オイディプス・コンプレックス」を持っていることだろう。石原慎太郎の例は有名だが、安倍の場合は祖父がその対象である。「美しい国へ」で書いているように、A級戦犯として批判され続けた祖父に、彼はアンビバレントな感情を持っていたに違いない。)■引用余談のつもりが、長くなった。当初の予定していた文章を引用する。要するに、「愛国心」とは根本的に無茶な事柄なのである。「愛国心」あるいは「我が国と郷土を愛する」という言葉で、実は何一つとして内容のあることが言われているわけではない。ただ改正推進派が漠然とイメージしている自分の主観を、「愛国心」という言葉を利用して、被治者に押し付けようとしているだけである。これは「愛国心」の私物化であり略取である。しかもそれを国の公共の基本法として、国の名において制定しようとしている。国を愛せとする法律を国が自分で制定するということ自体、少し冷静に考えてみれば気持ちの悪い茶番である。しかもそれが特定の権力者たちの利害や私念によって推進されているのである。そんな「自己中」な国でよいのか、他のあり方は模索できないのか、と問いただす最小限の政治感覚やモラルが必要である。(藤本一勇「「国」を考える自由」『世界』760号百四頁)はっきり言って、今回の教育基本法「改正」には、愛国者ほど怒りの声を上げてしかるべきはずだ。最小限の政治感覚は、「愛国」には必須の作法だろう。当人たちでさえ定義しえないはずの(あるいは定義づけの議論を行えば矛盾が露呈するしかない)「愛国心」を基本法として制度化しようとするから、強引に力によって「押し付け」るしかなくなる。与党による拙速な強行採決はその表れである。「押し付け」は「愛国心」そのものを毀損する振舞いである(真の愛国者ならば、そのような振舞いだけは許してはならないはずである)。そして、はからずも強行採決に露呈した「押し付け」構造は、「愛国心」を教える(評価する)現場にも波及していくだろう。なぜなら、教える側の教師にもわからないことを子どもたちに教えてなくてはならない以上、それは無理やりでしかありえないし、また外面的な評価による形式主義によるしかないからだ。(同上同頁)こうして考えると、「心」が「態度」になったのは、批判があったからというよりも、実は評価する上で適しているからかもしれない。なぜ、内心の自由が必要なのかは、また書く。
2006.12.20
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「法律にのっとって行われる教育行政は『不当な支配』ではない」(アホ!参照)これは安倍も含め、再三政府側が答弁してきたことだが、本当にものを知らない人たちなんだとむしろ感心してしまう。今日はこれについて少しだけ書く。この問題をあまりしっかり追っていなかった身として反省しつつ、自分なりに整理しておきたい。■ひとつの問題の整理【前】教育基本法 第10条(教育行政)1.教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。【新】教育基本法 第16条教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものであり、(後略)質疑でも「不当な支配」の名宛主体が問題になったようだが、まずその問題が確かにある。教育が「法律の定めるところによ」って「行われる」ものとされるとき、(実質上の)法律の制定主体たる「政府」が「不当な支配」の主体から排除されていることは間違いない。「法律にのっとって行われれば『不当な支配』ではない」というが、その法律を決めるのはそれを言うあなたじゃないか、ということだ。嘘を言った本人が「良い嘘もある」と言うおかしさに似ている。これにより、「多数派」の「政府」の考えが常に優先され、「少数派」の尊厳を脅かす可能性が確実にされたといえる。【前】教育基本法では、「不当な支配」を立憲的意味において解釈するという当然の理解が可能だったのが、【新】教育基本法では、普遍的な<法>よりも、多数派が制定する「法律」によって「多数派」に有利な「不当な支配」解釈がなされてしまうわけだ。国民の代表が決めるからいいって?(ナイーヴ!)この点は、以前「自由への予備的問題(2)」で書いた通り。そう、彼らのやってることはヒトラーと同じなんだよな。多数派側にいると自分が間違っている可能性に気づかないという、この「多数派無謬信仰」というナイーヴさは、「こども症」として再三指摘してきたところだが、彼らは本当に「多数側だから間違わない」と思っているようで、その尊大さ・他者への想像力の無さに改めて驚く。結局のところ、多数の形成者なんて、何にも考えていない人たちだともいえる。感覚的「常識」なるものに寄り掛かった無思考の集積こそ、同質的多数を形成する。だが、そんな風に、ナチスドイツはつくられたんじゃないか。裁判史をみてみよ。少数意見こそ後の世論を導いたことは忘れてはいけない。「真理は常に少数派にあり」という警句も忘れてはいけない。実際に考える人が増えれば、これは絶対に変わっていく。何も考えない「多数」を、「よく考えた」少数が打ち破ることを信じ、求め続けなければいけない。■もうひとつの問題の可能性さて、既出の論点を長々とぶってしまったが、この【新】教育基本法について、俺は少しだけ見方を変えて問題を提起したいと思う。当該箇所の文言の改定は、実はもうひとつの可能性を保持している。「国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである」という文言が端的に消えたということは、政府のもうひとつの狙いとして、教育の<委託>の可能性が開かれたということを意味する。(もちろん、【新】法の示唆する通り、法律によって<委託>先が「公認」されるだろう。)そこで狙われるのは、間違いなく「政教分離規定」である。「道徳」教育という名の「宗教」教育が行われる素地をつくろうとしているのは間違いない。というのは、法律で認められた団体というのは、何らかの特殊法人であり、そこの意思決定は、国民に開かれていない。一度法律を作ったが最後、あとは、その団体の理事なる人物によって、「教育」が「解釈」されてしまうのである。この意味は大きい。以前も指摘したが、「保守」政治家というのは、新興宗教とのつながりが強い。教育に口を出したい「宗教家」たちが、特殊法人を隠れ蓑にして、国民に「直接」教育する可能性が開かれたといえる。今は、この指摘に留めておくが、この流れは決して杞憂じゃない。今回も、多分に「道徳という名の宗教」が入り込んでいるということは、いろいろなところで指摘されている(参照)。まるで、どこかの自民党を支援する宗教が申し入れたかのように。
2006.12.19
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この国の「保守」と呼ばれる人たちは(ちっとも西洋的意味での保守じゃないが)、ある宗教につながっていて(それについては機が熟したときにしっかりと書きたいのだが)、その宗教は教義として戦前回帰を求めている。安倍晋三などは、「長州藩」の出身で、しかも爺さまがあのA級戦犯であるから、宗教的なものとは別に、戦前に回帰したい気持ちもあるのだろう(長州藩で思い出したが、安倍晋三は、「ビリケン(=非立憲長州閥)内閣」の寺内正毅に似ているかもしれない)。まあ、それはともかく、内容がおかしいだけでなく、何よりも「手続き的正義」に適っていない「法案」が通ろうとしていることに驚く。公聴会での「やらせ」は、民主的手続きを本当に踏み躙ったものだったはずだ。だが、今、その「法案」とその「やり方」に対して、多くの批判の声が上がっていることを頼もしくも思う。この戦いは、「多数の専制」のゆえに、必ず負ける戦いであるが、政治はある種「歴史解釈の戦い」であるわけで、今この戦いをしたことが「歴史」に残ることは、次の戦いにおいて、必ず生きるだろう。後の世代のアホウ政治家に、「満場一致で通った」などと(今の政治家が使うような)嘘を言わせないだけの証拠になるだろう。(しかし、「郵政」解散の結果にできた国会が、なぜにこんなにいろんな法案を成立させる「正統性」を持っていると言えるのだろうか。)今後、この国に「強制」の嵐が吹き荒れるだろう。だが、まだ司法の場での戦いも残されている。トクヴィルが教えてくれたように、司法の場は「多数の専制」に対抗する砦となりうる。戦前と比べて、学者の数が増え、学の世界的ネットワークもできた時代に生きているわれわれは、戦前の敗北(司法の敗北も含めよう)を繰り返さずに済むだけの状況がある。そうした戦いをしっかりと戦い、「垓下の戦い」で勝利するために、今からしっかりと「敗戦」を戦い抜かなくてはならない。そのためにも、声を上げよう。無駄なことは何もない。負け戦に無駄なものが無いというのは、人類史の常識じゃないかと思う。
2006.12.15
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前略昨日参議院特別委員会において強行採決があったことを誠に遺憾に思っている国民の一人でございます。国会特別委員会の中継を見ていて、とても納得のできる「審議」が行われているようには見えませんでした。また、最も基本的な事柄(なぜ、改正が必要なのか)にもしっかりとしたご回答が内閣から出されているように思えませんでした。タウンミーティングのことや、税制調査会長のことなど、ここでは敢えて書きませんが、まさか、この方々は国民を愚弄しているのではないかと、疑いたくもなってしまいます。われわれは確かに先生方ほど、法律について考える時間がありません。しかしながら、われわれの生活に関わること、黙って見過ごすのは、主権者たる「国民の一分」に関わります。識者からも多くの疑問が出されているのを知りました。それらの疑問にしっかり答えていただきたいと思います。私といたしましては、せめて改正の必要性を国民にわかるレベルでご説明いただきたいと思います。「私達に任せておきなさい」では通用しないようなことを与党の方々がされたという事実は、胸に手を当てられればおわかりになることと愚考いたします。疑いたくありませんが、皆様が、国民のことなどどうでもよく、この法案をただゲームのように通すことだけを考えられているとしたら、皆様は、ご自身の保身と出世だけに関心を示された「現代のアイヒマン」というに値しましょう。皆様の国会議員の初志に訴えたいと思います。国民のことを忘れないでください。面倒臭くても、説明する責任は果たしてください。早々■■■実は、これ、閣僚および与党参議院議員の皆さんにお送りいたしました。一昨日のエントリ内で紹介した「情報センター」のページに「一斉送信メールフォーム」があったので利用しました。
2006.12.14
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タウンミーティングの「国民騙し」問題で、閣僚が給与返納をしたことについての民主党議員からの質問に、安倍氏は「『お金で済まそうとした』と言うのは失礼ではないか」と言ったという(参照)。しかし、この「返納」というのが、またも国民を愚弄している。まるで、自分たちは知らなかったと言わんばかりだ。あなたたちは、十分国民を騙していることを知ったうえでやってるんですよ。内閣府事務次官の内田俊一がはっきり認めてるじゃないか。「内閣と国民の対話の中で、閣僚ばかりを見て国民のことを忘れてしまった姿を厳しく指摘された」(参照)朝日新聞は、「国民のこと忘れた」と見出しにしたが、違うよ朝日さん、もっと大切なのは、「閣僚ばかりを見て」いた、とはっきり認めているところじゃないか。内閣府は、閣僚の指示に従っただけなんだよ。内閣が、「国民を騙せ」という命令を内閣府に出したんだ。TMの「やらせ」は内閣主導だよ。そして、その結果をお金で解決しようとする。おいおい、そんな奴らがつくる「教育」基本法なんて信用できるわけないだろう。安倍首相、失礼なのはあなただ。しっかりした審議もせず、国民を騙し、無理やりに委員会で強行採決したあなたこそ、国民に対して失礼だ。明日の参院本会議、さらに国民を愚弄するのかね。「多数の専制」は歴史から学ぶのを放棄した人間が政治家になったときに起こる出来事だ。安倍内閣がつくろうとしているのは、「教育」組織ではなく、国民「洗脳」装置なのだろう。もはや「民主」主義ではなくなりつつある。■関連■「「美しい国へ」の途上?」安倍氏の「美しい国」の実体。安倍氏の選らんだ「政府税制調査会長」のことを「タカマサのきまぐれ時評」ハラナ氏が取り上げられている。「美しい国2」安倍氏の教育改革というものの実体を「ガラパゴス通信リターンズ」加齢御飯氏が解説されている。
2006.12.14
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いや、しばらく留守にしておりました。お訪ねくださった皆様、ごめんなさい。個人的には大変重要なことに掛かっておりました(温泉なんかでチャプチャプしてました)。さて、いつもいつも、署名になると締切間近で恐縮です。しかも、他のブログでも多くの方が取り上げられているので、もう署名済みの方もいらっしゃることと存じます。でも、大変少数でも存在をしらない方がいらっしゃるかもしれないし、あるいは、署名をしようと思って忘れてしまっていた方もいらっしゃるかもしれない。そうして考えると、締切間近に署名のお願いをするブログだって、1つくらいあってもいいかなと私思ってしまうのです。というわけで、明日13日(水)の午前10時までの署名です。■私見■まず、安倍首相が大好きな人に言いたいことがあります。この法案はまずい。このまま通すと安倍さんは歴史的汚名を被ることになります。とりあえず、下のアピールに答えるくらいはしないといけません。■私見おわり■■■■【アピール】「公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」への市民緊急賛同署名西原博史(早稲田大学教授)廣田照幸(日本大学教授)藤田英典(国際基督教大学教授)1 私たちは、12月6日に公表した「【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます」の呼びかけ人です。 私たちは、多くの問題を抱えた政府法案の今国会での採決を阻止し、政府法案の徹底審議を実現するために、この【アピール】への市民の方々からの賛同署名を広く募り、国会に提出することを決意いたしました。 多くの市民の方々は、「何かおかしい」と思いながら、自分の声を国会に伝えることができず、もどかしさや、歯がゆさを感じていると思います。私たちは、この【アピール】を、多くの市民の方々が持っているはずのこのような思いを国会に届けるための媒介にしたいと考えました。 今こそ、職業の壁を越えた市民と研究者との間の広い共同を実現し、「法案を採決するのではなく、その徹底審議を!」という広範な声を国会に強力に伝えるべきだと思っています。2 そこで、教育基本法「改正」情報センターの協力を得て、電子署名により、私たちが呼びかけ人となった【アピール】への市民の賛同署名を集め、国会にそれを提出することとしました。情報センター( http://www.stop-ner.jp/ )HPからアクセスし、フォームへの入力で署名をすることができます。署名の第1次集約は13日(水)午前10時。同日午後に参議院教基法特別委員会委員に手渡しする予定です。3 電子署名の期間は限定されています。至急署名をしていただき、できるだけ多くの方にこの緊急署名をお知らせいただけるようお願い申し上げます。可能な限り多くの市民の方々の声を、私たちの【アピール】とともに国会に届け、今国会における政府法案の採決を阻止したいと考えています。 皆様のご協力を心からお願い申し上げます。【アピール】公述人・参考人として教育基本法案の徹底審議を求めます 私たちは、衆議院及び参議院の教育基本法に関する特別委員会において、参考人、地方及び中央公聴会での公述人として意見を述べた者です。私たちはそれぞれ自分の研究している専門的な立場などから、政府の教育基本法案について様々な危惧や問題点を指摘しました。 それらは、例えば次のような問題です。1.政府法案は、「教育基本法(…)の全部を改定する」としていますが、なぜいま教育基本法の全面改定が必要なのか、ということが何も明らかにされていません。さらに、GHQによる押しつけなどという教育基本法制定史についての誤った認識が払拭されていません。2.政府法案のように改定したら教育がどうなるのか、こんにち教育や学校が直面している「いじめ」をはじめとした諸問題が政府案によって解決されるのか、また、それらは現行教育基本法ではなぜ解決できないと考えているのか、などが何も明らかにされていません。3.政府法案17条の教育振興基本計画には学力テストが盛り込まれることが予定されておりますが、これにともない、自治体の判断による各学校ごとのテスト成績の公表やテスト成績に基づく生徒一人当りの予算配分の制度なども導入されようとしています。これらの政策が、学校選択の「自由化」や「学校評価」「教員評価」とあいまって、教育をますます競争主義的なものとし、子どもの成長発達に今以上の歪みをあたえることは明白です。4.現行の教育基本法は、教育の基本的な理念・原則・枠組と政治・行政の責務を規定したものです。その特徴は、憲法第99条「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」という規定と同様、近代立憲主義の原則に立ち、国家権力・行政権力を拘束する規範(権力拘束規範)になっているという点にあります。それに対して、政府法案は、子ども・家庭(保護者)・大学などに命令する規範(国民命令規範)が目立つものとなっています。政府には、このような重大な変更を行う正当な理由を明示する責務がありますし、立法府には、その是非を十分に審議検討する責務があります。5.教育基本法のような理念法、教育の根本法規に「教育の目標」を規定すれば、その達成度の評価を通じて、教育の自律性・自主性や個人の内心の自由が侵害される危険があります。しかも、「目標」には「愛国心」をはじめ20を超える徳目が盛り込まれていますが、これは、国家が特定の「道徳規範」を強制することになります。6.政府法案は現行法10条1項の「教育は不当な支配に服することなく」という規定を残していますが、政府法案の「不当な支配」とは何を指すのか、誰の何に対する支配のことなのかが明確ではありません。現行法第10条1項の「(教育)は国民全体に対し直接責任を負って行われる」の文言を削除し、「(教育は)この法律及び他の法律の定めるところによって行われる」という規定に変えた政府法案は、国会で多数で決めれば政府がどんなことでもできるようにしています。これは、国家・政府による教育への介入を無制限に許すことにつながります。7.政府法案は憲法に違反するのではないかと危惧される内容を多々含んでいます。憲法との関係、子どもの権利条約との関係について、各条文の検証が必要です。特に、政府は、法案16条1項の根拠として、76年の最高裁学テ判決を援用していますが、その援用が最高裁学テ判決の理解としては誤っているばかりか、最高裁学テ判決に照らしても違憲と判断されうる内容となっています。8.政府法案第13条の「学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚する」というのは、具体的には何を意味するのか不明です。 以上に例示したことはほんの一部に過ぎません。私たちが述べた審議すべき重要な課題について、衆議院の特別委員会ではほとんど審議されませんでした。中央公聴会の場合は、私たちが述べたことは、一度も審議する時間もないままに与党のみによって法案採決が行われました。 教育基本法は教育における根本法であり、憲法に準ずる大切な法律です。それを廃止して新法を制定しようとするならば、国民の意見を十分に聴き、それを国会審議に反映させるべきです。私たちが述べた意見は国民の意見の重要な構成要素だと確信しています。それについて、ほとんど議論がなされないままに法案が採決されるのは重大な問題であり、将来に禍根を残すことになります。 最近の世論調査でも、政府法案について、「今国会成立にこだわるべきではない」が55%で、「今国会での成立が必要」というのは19%に過ぎません。自民党支持者でさえ「今国会成立にこだわるべきではない」が53%で、「今国会での成立が必要」は25%です(日本経済新聞11月28日)。また、教育基本法「改正」で教育はよくなると思うかという質問に対して、「よくなる」と答えた人は4%、「悪くなる」が28%、「変わらない」が46%です(朝日新聞11月25日be)。国民の多数は今国会での成立を望んでいませんし、十分な時間をかけた徹底的な議論をこそ求めているといえます。 与党の中には、「何時間やったのでもう議論は十分」という意見があると伝えられています。しかし、このような大切な法律の制定では、何時間ということよりも、何をどのように議論したかということこそが問われなければなりません。参議院においても私たちが指摘した法案の内容そのものについての議論はきわめて不十分だといわざるをえません。 以上のようなことから、私たちは十分な議論のないままの拙速な採決に反対します。私たちは現行教育基本法と政府法案の関係、法案の各条文、条文と条文との関係などについて、十分な時間をかけた徹底審議を要求するものです。2006年12月6日 ■■■真っ当な疑問に思えます。署名お願いします。
2006.12.12
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〔診断結果〕あなたは「嘘つき」です。〔基本性格〕実のところ自分のことを何よりも好きで、自分にだけ興味があるあなた。でも、それを表に出すと自分が得しないことも学んでいるあなたは、上手く振る舞い、周囲とは比較的良い関係が築けるでしょう。〔運勢〕波乱の吉凶混合運です。はじめのうちは、嘘をつくたび周囲と一悶着あり、若い頃は苦労しますが、そうした経験があなたの「嘘力」を鍛え上げ、晩年には大きな財を築くでしょう。大切なのは、頭の悪い人間や社会的弱者を、今のように嫌い続けることです。彼らは利用するものであって、好きになる対象ではありません。この教訓を守れば、必ず上手くいきます。〔適している職業〕政治家■擾の国「今年の漢字」みたいなことを去年やっていたが(一昨年以前のことは知らない)、今年もやるんだろうか? 去年は「愛」だったけど、そんなバカ選考ならやる必要ないよな。それでちょっと思い出したのが、郵政造反組の自民党復党をめぐっての茶番だった。自民党の中川昭一とかいう小物の政調会長が、「日本は擾の国」だと言った。勘違いしたマスコミは「情の国」というテロップを貼ったけど。あいつは「日本はダメな奴ら同士が政権組んで、その中で喧嘩して騒擾を起こす国なんだ」と言ったんだろう。そう捉えるほうが、事実を反映している。そして、「擾」があるところでは、民たちの生活なんか顧みられていないわけでな。■下層民の守るべき「徳」と、上層部の守られるべき「得」冗談はさておき、嘘みたいなニュースが流れまくっている。タウンミーティングでの「やらせ」。これは、かつてNHKが視聴率獲得のためにやった「やらせ」とは質が違う。国の意思決定を「manipulation(悪質な操作)」しようとした結果だ。こんなことする政府は、はっきり言って、最高の「国賊」じゃなかろうか。また、「国による科学技術施策の「格付け」作業で、国が沖縄振興の目玉として推進している「沖縄科学技術大学院大学」構想の評価が、関係閣僚や内閣府沖縄振興局の強い要請を受けて、公表直前に最高の「S」ランクに“修正”されていたことが関係者の話でわかった」(読売新聞)という。これを、「道徳を復権」させようとする「安倍政権」が行っているってことに、驚かざるを得ない。あなたがいう「教育」って何ですか?あの、「嘘をつかない」とか「人を騙さない」って、重要な徳目じゃないですかね?だいたい、バカな保守的考えを持っている奴らは、「徳」が無くなったというが、そんなことはない。戦前エリートたちの「得」が無くなってただけなんだ。それが今、格差社会の流れのもと復活しつつある。「道徳」なんて、既得利益を保持した層が、「バカな民」を操作する道具じゃないか。言い過ぎたけど、ともかく、「道徳」なんてものは、それを自分で守る気のない上層部が、民たちを操作するために「作る」ものだ。権力を持った側が、被統治者の同意を得られなくなってくると、「道徳」と「暴力」を持ち出す。不当逮捕が跋扈し、法とは全く別ものの「守るべき規律」が、正統性を持たない機関から発令され出す。今の世の流れをは、完璧に、そういう状況にある。真面目な人間ほど生きにくい国になろうとしている。本当に「鬱苦しい国」だ。安倍さんありがとう。下関でのお金儲け頑張って下さい。チョムスキーの警鐘でも書こうかと思ったが、タンパク質が残り少ないので、ここまで。
2006.12.05
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(上)のつづき■パターナリズムと偏見的差別A (2:46:07): ちょっと問題の整理が必要だなA (2:46:21): 彼にとっての自由を考えてるんだっけか?A (2:47:53): ちょっと錯綜しちゃったねA (2:48:00): 成長ってことだったかなB (2:48:11): もともとはねA (2:48:23): 成長ってのがどんな役に立つかはわからんのだけどA (2:48:34): ともかく、レールに乗ると成長しないA (2:48:42): そういうことを言ってたねB (2:48:59): うんA (2:49:05): 成長は、常に<他者>との出会いにおいてやってくるB (2:53:08): レールに乗っていると<他者>に出会いにくい?A (2:53:28): そこを考えたいねA (2:53:55): <他者>との出会いって偶然と、意志とどっちが重要かね?B (2:54:26): うーんB (2:54:57): きっかけは偶然も意志もあると思うけど、コミュニケーションまでを含めると意志が必要かなA (2:55:11): 意志って何かね?A (2:55:18): それこそ自己決定と違う?B (2:56:01): そうとも言うかもねA (2:56:33): 意志にしても、自己決定にしても、固体一つにそれを帰属させるような言説だよねB (2:56:41): うんA (2:56:47): でも、それはちとあり得なそうB (2:57:06): うんA (2:57:58): 今書いた「レールに乗っている」ってどういう意味?B (2:59:37): わかんない そのままAの表現繰り返しただけA (3:00:20): 世にすでにある考えを、そのまま無熟慮に踏襲することじゃないかねA (3:00:49): ちなみに、語源的に「世」って、まさに人間関係だねB (3:01:25): そうなのねA (3:01:58): 感覚的に言えばねA (3:02:11): 考えるってのは、考えないってのと対でA (3:02:34): 世にある思考回路をなぞるってことは、すなわち、世において見えていないものを見ないってことじゃないかねB (3:02:46): うん そうだねA (3:02:55): だからA (3:03:13): レールに乗ってると<他者>と出会いにくいんじゃなくて、A (3:03:22): <他者>が見えないんだと思うB (3:03:41): 見えないのかA (3:03:47): 見えてないよ、みんなA (3:04:05): ホームレスがいることも忘れてるし、餓えてるひとがいることも忘れてるB (3:04:50): うんA (3:05:16): つまり、あなたは、こうすればいいってのは、まさにレール的表現だけどA (3:05:35): それは、すなわち、そうした弱きものに対する思考停止であるし、A (3:06:30): 自分ってものが固定されていくよねB (3:06:39): うん■経験理性からつくる倫理の大切さA (3:10:03): 分断か共生かA (3:10:26): たぶん、二面作戦が必要でA (3:10:42): 今ある分断にはアテンションを向けなきゃいけないし、A (3:11:04): 新たな<他者>には開かれた態度が必要A (3:12:31): 今ある既製の思考を疑うことA (3:12:54): そして、違和感のあるものに対して開かれた態度を採ることA (3:13:07): どこか問題ありそうかなB (3:15:51): 日々流されて生きていると、既製の思考を疑うことはしんどいし、違和感のあるものに対して開かれた態度を採ることは怖いのではA (3:16:09): ねA (3:16:11): ほんとにB (3:17:07): 分断に本気で目を向けることで考えなくてよかったことを考えなくちゃいけなくなる、それは面倒だB (3:17:12): ってA (3:17:28): それは道義的なものというよりもA (3:17:51): 分断が深化することは、その共同体にとって大きな問題になるということがA (3:17:59): ちゃんと理解されて、A (3:18:06): 倫理となればいいんじゃないかねB (3:18:45): それしかないような気がするねA (3:19:00): 面倒なことってみんなしてるんだよねA (3:19:26): 酷い会社でも辞めないとかねA (3:19:53): 天皇誕生日に皇居に足を運ぶとかねB (3:20:02): あははA (3:20:25): 結局、<知>の前提=倫理(エートス)A (3:20:28): の問題B (3:21:17): うんA (3:21:39): 選ぶところがあるのだろうか、って思ってる?B (3:22:01): ん?どういうこと?A (3:22:28): 天皇誕生日に皇居に行くのと、弱者に目を向けることA (3:22:48): この二つのどちらを選ぶかについては、誰が選ぶのだろうかA (3:22:53): っていう、根源的な問いB (3:23:43): 誰が選ぶのA (3:25:22): 天皇に目を向けるのと、弱者に目を向けるのA (3:25:31): どちらにしても、集団のエートスとする場合、A (3:25:36): それには権力が絡むA (3:25:50): どっちかを選んで、成員として従わなきゃいけないB (3:26:00): うむA (3:26:09): おそらく、論理的には、A (3:26:16): 並列な関係でA (3:26:33): 非常にラディカルなデモクラシーに拠ってしまうかもしれないA (3:26:46): つまり、その時々で揺れ動くっていうかねA (3:26:56): ファシズムっぽいねB (3:27:05): 不安定だね■コミュニケーションという倫理A (3:27:06): 政治学的には、それが回答A (3:27:08): そうA (3:27:13): だからね、A (3:27:23): 俺は立憲主義が大切だと言ってるわけA (3:27:27): 法の支配ねA (3:27:40): 合理性が要求されるA (3:27:58): 方や、人間の平等を言っておきながら、天皇制を認めるってのは、A (3:28:18): 頭が付いていってない間だけ可能な、猶予措置に過ぎないB (3:28:27): うんA (3:28:36): もし、自分の安全を第一にしたいなら、分断を避けようとするA (3:28:43): ちょっと、啓蒙主義的だけどもA (3:28:58): 俺は、未完の近代ってのを信じてるわけだA (3:30:03): ともかく、<他者>に開かれたエートスをつくるA (3:30:19): その方が不幸が減るっていうことを訴え続けるB (3:30:25): うんA (3:30:40): 閉じられた思考は、戦前につながり、結局身を滅ぼすからねB (3:30:54): そうだよねA (3:31:26): そういうのって、でも、少しずつ、言葉を重ねていくことでしか達成できないA (3:31:39): エートスっていうか、<知>の前提ってそういうもんだと思うA (3:31:47): それが、コミュニケーションじゃないかねA (3:32:00): ちょっとずつ、変わっていくA (3:32:24): <他者>との関係を良いものにしていくB (3:32:39): うんA (3:33:06): そうした方向の<教育>概念を深めていきたいんだA (3:33:14): 研究したいってかねA (3:33:38): デューイが、教育に養育を含めた凄さって、A (3:33:43): そのことなんだA (3:33:57): 人は、成長する過程において、A (3:34:05): 他者との関係を構築していくA (3:34:09): つまり、政治を行っていくB (3:34:15): うんA (3:34:25): 国家のためでも、この既存の階層で勝つためでもないA (3:34:46): 公共の事柄として、自分のために、それを考えていくA (3:34:57): 教育=政治=幸福追求かなB (3:35:28): うんA (3:35:43): そういうの勉強したいんだA (3:35:45): もっともっとB (3:35:53): ふふ うん いいねA (3:36:06): K先生がT大のK学研究科の教授になったからねぇA (3:37:04): K先生に弟子入りさせてくださいってA (3:37:18): ちょっと、もっとモノを知らないと怖くて言えない(笑)B (3:37:50): まあ そうは言っても言っちゃったほうがいいかもよ早いうちにB (3:45:29): ま そのへんは心配してないんでしょ 必要となったらAはすぐなんとかできるよA (3:45:43): うん、全然心配してない(笑)B (3:45:47): ふふA (3:45:51): 自分が行くって決めるかどうかだからねA (3:45:58): もう、行く気まんまんB (3:46:03): あはA (3:46:17): あとは、お金と知識をそろえるだけだ(笑)B (3:46:29): うんA (3:46:38): たぶん、そういうのって揃うB (3:46:44): うんA (3:46:55): 幸運は、意図するものに与えられるB (3:47:22): you are a wise man!A (3:47:30): あはは
2006.12.04
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だいぶ以前に為された「回り道雑談」なのだが、ずっと倉庫入りになっていた。最近、発見したので、ここに載せる。題は、そうだなぁ、「集団的理性と個人の幸福」くらいかな(笑)長いので2回に分ける。■運ってのはgoalへの運びだA (1:51:46): 前に、inside actor's studioにトムクルーズが出たときの話したけどA (1:52:03): 彼が運が良かったって言ったらA (1:52:24): ホストのジェームズリプトンが、幸運は意図を持つものに与えられるってね答えたA (1:52:27): そしたら、A (1:52:28): トムはA (1:52:42): You're a wise man.ってねA (1:53:42): 運ってのはgoalへの運びだねB (1:53:51): なるほどA (2:00:11): なんというか、無駄なことって無いんだよねB (2:00:22): うんA (2:00:22): 人は何かしら成長してしまうA (2:00:38): 唯一成長を阻むものがあるとすれば、A (2:01:02): それは誰かが敷いたレールなのかもしれん、と思ってるB (2:02:37): でも 自分が選んでいると思っても本当は選ばされている、ってB (2:03:05): いうのとどこで線を引くの?A (2:03:15): 選んでるなんて言ったことないぞB (2:03:44): 選んでるじゃなくて自己決定、ってことばだったか■自己決定と思考停止A (2:03:49): ふふA (2:04:03): 自己決定って、難しい概念でA (2:04:13): 突き詰めると、あり得ない概念なんだよねA (2:04:26): 単純に、他者との関係性に行き着いてしまうA (2:04:34): つまり、コミュニケーションねA (2:05:03): コミュニケーションって、思考することと等しいと思わない?B (2:05:31): かもしれない よくわかんないA (2:05:32): アーレントにとって、「他者の現れ」は「思考」であり「自由」なんだよA (2:06:04): そうした自由概念の反対物って何かって考えればA (2:06:06): レールじゃないかねB (2:06:37): もうちょっと具体的に言うと?A (2:06:46): 思考停止B (2:06:57): あ、そういうことか わかってきたB (2:08:57): ちょっとレールでイメージするものが違ってたA (2:09:31): レールで何イメージしたのB (2:09:41): 医者の子供は医者になる、みたいなB (2:09:44): 笑A (2:10:20): それもレールと言えるねA (2:10:49): 子供の方は、自分で選んでると思ってるんだA (2:10:56): つまり、思考枠ができちゃってるA (2:11:09): そして、多くの人間は思考枠ができちゃってるB (2:11:13): 思考停止しているとはいえないのではともおもうけどB (2:11:22): 枠から出られない状態なのかなA (2:11:26): そうだよA (2:11:32): 思考停止してるでしょ、そこでA (2:11:42): 許された範囲内で思考するA (2:11:47): かごの中で自由A (2:12:28): 外に対して思考は働かないA (2:12:32): 停止A (2:12:35): 単純に見えないB (2:12:53): まあ、人によるし、外に出た後で帰ってくる人もいるとも思うB (2:12:59): 少ないだろうけどA (2:13:14): それは思考と行動を混同してるA (2:13:38): 外に出るにしたって、思考枠の範囲A (2:14:09): 医者の子が思考できる範囲なんて、それなりのステータスがかったものになっちゃうB (2:15:01): 医者の子に生まれた時点で思考枠の中でしか考えられない子である、って決まっちゃうのかなA (2:16:22): 誰でも、思考枠持ってるのA (2:16:32): 医者かどうかは関係ないA (2:16:51): 大切なのは、その枠組みが最も自分を不自由にしてるってことなんだB (2:20:11): その思考枠って打ち破れるものなのかなA (2:20:40): その問題設定が、ちょっと全体を誤解してるように聞こえるB (2:20:44): ふむA (2:20:54): 医者の子に限らず、サラリーマンの子でもねA (2:20:56): 例えば、A (2:21:02): いい学校に行けってなるわけでB (2:21:09): そうだよA (2:21:11): レールだねB (2:21:14): そうだよA (2:21:27): 外部があることには普通気付かないわけだA (2:21:33): そりゃそうだB (2:21:36): うんA (2:21:50): 生まれたときに、全体を知ってるってことはないB (2:21:54): うんA (2:22:03): 自分の身体を離れた認識はできないからねB (2:22:12): うんA (2:22:19): じゃ、どうやったら、人は変われるのかA (2:22:31): それは、自分が変わったときをちょっと想起してみればいいんじゃないB (2:22:44): 他者とであったとき■自分を揺るがすような他者A (2:22:49): ご名答A (2:22:56): それしかないんだA (2:23:26): だから、アーレントは、自由の条件に他者を据えるB (2:23:32): うんA (2:23:52): 正確には、他者と出会うだけじゃなくて、A (2:24:01): コミュニケーションをとる必要があると思うけどねB (2:24:06): そう思うA (2:24:59): だから、ちょっと疑問を勝手に予測して書けばA (2:25:17): 医者に生まれたから思考枠が決まるということではなくてA (2:25:35): 思考枠って、関係性であってA (2:25:49): そこに、<他者>が入ってくるから、その関係性が変わるわけねA (2:25:58): 変な例なんだけどA (2:26:17): 江戸時代のある村を想像してみるA (2:26:33): そこにおいては共同体的均質性と同質性が宿ってるA (2:26:53): 「常識」があり「道徳」があるわけA (2:27:22): そこに、「南蛮人」が現れて、住むとしましょうかA (2:27:59): そうすると、関係性が変わると同時に、当たり前の「枠」も変わりませんかねB (2:28:42): 変わるでしょうねA (2:29:11): それは、なんでかA (2:29:24): その<他者>を受け入れようとするからなんだよねB (2:30:41): 枠を広げるのA (2:30:53): うーんA (2:31:11): 枠というメタファが適切でないのかもなA (2:31:40): まあ、自分が変わるよねB (2:31:46): うんB (2:32:29): そういうのもありかもね、とすこし「自由」になるA (2:32:42): うーん、A (2:32:51): ちょっと違う気がするB (2:32:55): そかA (2:33:12): 前提としてるものがBと俺で違うようで、A (2:33:19): どの部分が違うのか、考えてるところB (2:34:09): 私が自分の経験とかB (2:34:25): に引きずられているようですA (2:34:51): わからんけど、多少の抽象化が必要かもしれないA (2:35:06): あるいは、そうした具体例に合わせてもいいかもしれないB (2:35:06): うんA (2:36:02): 思考ってのは平板ではないので、簡単には言えないけれどA (2:36:38): どのような経験が自分を医者にしたいと思わせているのかA (2:36:48): 当人が解ってればいいんじゃないかねB (2:38:07): わかっていれば思考停止ではない?A (2:38:26): そこが簡単に言えないところねB (2:38:30): そうだねA (2:38:39): 思考が平板でないってのはA (2:38:40): そこでA (2:38:47): 重層性をもってるでしょA (2:38:50): 例えば、A (2:39:05): 医者に関しては、選びなおしていたとしても、A (2:39:32): そもそもその選択肢が、ステータスがかったものしかないとすれば、A (2:39:46): 俺から見ればより重大な思考停止とも言えるB (2:40:08): うんA (2:40:16): 言ってることわかるかなB (2:40:26): たぶんA (2:40:44): 例えば、そのオルタナティブが弁護士とか国連職員とかだとしたらA (2:40:55): それは、単純に彼/彼女にあってはA (2:41:00): 等価交換できるものなんだA (2:41:09): 医者=弁護士=国連職員A (2:41:23): それは形は違えど、心理学的には、同一物じゃないかねA (2:41:38): それはレールではないかねB (2:41:38): うんA (2:41:51): 医者の息子ってところが引っ掛かっちゃうA (2:42:12): 父親/母親に対するコンプレックスが選択肢を限定してるとすればA (2:42:18): 一番の思考停止じゃないかねA (2:42:25): レールじゃないかねB (2:42:35): うんA (2:43:22): 「他者」は現れてるけど、自分の前提を揺るがすような<他者>が現れてないんだよB (2:44:12): そうだねA (2:44:16): その情報からは判断できないけど、本当の意味で不自由な状態だとも言えるねぇB (2:45:06): 私も周辺情報しか知らないからね。ゴシップ的に言えば、高級イタリア車に乗っててB (2:45:18): 超美人の奥さんもらってて、B (2:45:38): 顔がそんなにかっこよいわけでは実はないんだけど、もてる。みたいな人ですねB (2:45:46): あははA (2:45:56): うんつづく
2006.12.04
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