全22件 (22件中 1-22件目)
1
知子さんの病室に泊まりこんでいた頃、知子さんは自分の夢を語ってくれた。ご主人が定年退職したら、陶芸を始める約束をしたのだそうだ。知子さんは、美大の出身で芸術には心得のある女性だ。「でも、あの大柄なご主人が陶芸のろくろを回している姿を想像すると、まるで熊のプーさんがはちみつ のつぼを抱えているみたいですね」って言うと、「本当よねぇ~」って、カラカラと笑った。そのご主人からは、「自分は胃癌の事とか治療とか、さっぱりわかりません。 お金はいくらでも掻き集めてきますから、宜しくお願いします」と、頭を下げられていた。癌の治療費は高額だ。健康保険が効いても、すぐに万札が沢山飛んでいく・・・ご主人はかなり無理して、お金を用立てていた。医療費だけではない、家族の交通費・・・これが本当にバカにならない。それに加え、外食は増えるし見えない部分のお金も沢山必要になる。知子さんはそんな苦しい台所事情もよくわかっていて、早く良くなって又パート勤めをするのだと言っていた。そんな事を今日はふと思い出した。
2006年05月31日
コメント(2)
昨年春に病気が発覚した知子さんは、大のタバコ好きの人だった。ボールマン3型のスキルスタイプの胃癌で、このタイプの胃癌は胃潰瘍の下によく隠れてしまうので胃潰瘍だと何年も前から診断を受けていた。いよいよ食べられなくなり痩せてきてから、ようやく胃癌と診断された時は既に末期だった。タバコは体に良くないし、そもそも病院では吸えないのだから、辞めるように何度も知子さんの実姉と言ったものだ。手術が決まってから、術後退院するまでは病院から出たニコチンパッチで我慢出来たのだけれど、退院するとすぐさまタバコが始まった。タバコは控えるようにと私が言う分には笑って誤魔化してしたけれど、実姉が言うと何度も大喧嘩になってしまった。治療の為の入院が始まると、どんなに寒くても厚手のダウンコートを着て、病院の玄関まで点滴台を引きながら、寒さに震えてまでもタバコを吸いに出て来ていた。真夏の暑い時ですら、厚手のコートを羽織るほどの寒がりだったのに・・・・その姿を見るうちに、タバコを辞めろとは言えなくなってしまった。タバコを吸いたいから、頑張っているように見えた。まさしく命がけでタバコを吸っていたのだから・・・本当の自分の病状を知っても吸っていたかどうかは、わからない。私自身、タバコはやらないのでタバコを吸う人の気持ちもわからない。体に悪いことでも、患者さんにとってはそれが唯一の楽しみであったり、それ故に耐えられる事もある。生きるためにどんな辛さも甘んじて受け、全力で突っ走ったpiccolaさんの姿を見てきた私には、甘えにも見えた知子さんのタバコだったけれど、人は誰しも同じじゃない。そもそも、自分に当てはめてみたら、絶対に私はpiccolaさんのようにはなれないだろう・・・いなくなってしまうと、残された者は「そんなに好きなら、もっと素直に吸わせてあげれば良かった」と思う。だけど、本人がいた頃は少しでも元気で長く生きて欲しいから、本人には酷な事でもついそれを求めてしまう。そして、時に喧嘩になり、わだかまりになってしまう・・・その兼ね合いはお互いに「愛情」があるだけに難しい。そんな思いの中で、皆過ごしている。
2006年05月30日
コメント(1)
昨年、Y先生の講演を聴きに行った際に、「私は何千人もの胃癌患者を診てきましたが、誰一人として同じ経過を辿った人はいない」と、言われたが本当にその通りで、私もこの数年、沢山の患者さんやご家族と接してきたけれど、誰一人として同じ経過の方はいない。状態も違えば、治療も奏効の仕方も違うのだから当然と言えば当然だけれど。ネットで情報を得ようとすると、どうしても数値化されていて、その数字に不安を覚える方は多い。私など、沢山の・・・なんて言ってもY先生の百分の一にも満たない人数だけれど、そんな人数の中にだって、術後何年もお元気にされている方がちゃんといるのに、そういう方の話はなかなか出てこない。でも、ちゃんと存在するんですよ~~~!!!こういう事実もちゃんと伝えておかないとね^^闘病も落ち着いて長くなってくると、患者さんもご家族も、ついお互い本当の気持ちを伝えなくなる傾向があるようです。模範的な患者になろうとしている自分がいたり、また、心優しい家族を無理してやっていたり・・・双方、無理は禁物です。こんな病気ゆえに、相手に言えない事は沢山あると思います。文字にしても良いし、言葉にしても良いですから、溜め込まないで吐き出せる場を見つけてください。うちのサイトでも良いですし、ここでも良いですから・・・
2006年05月28日
コメント(2)
昨日は久しぶりに出かけてしまったもので、丸一日PCを開けませんでした^^;サイトの仲間にあと2ヶ月もすれば、術後5年を経過する50代の男性患者さんがいる。知り合ったのは2年前開催したオフ会だったので、その時は既に術後3年が経過していた。十二指腸潰瘍の持病があり、その為にたまたま初期に見つかった幸運の持ち主だ。人間、何が幸運かわからないもの。それでも胃全摘の手術を受け、その後化学療法も受けた。この術後化学療法は辛かったようだ。それで、早々に根を上げて治療を止めたという。「どうせ、いつまで生きられるのかわからないのなら、人生を楽しもう」と開き直ったそうだ。好きな登山に定期的に行き、普通にサラリーマンもしている。早く仕事をリタイアして、趣味に没頭したいと会う度に言ってるけど^^お会いした時には術後3年を経過していたし、治療もしていないし、時にダンピングに悩まされるとは言っていたが、食事もちゃんと摂れるし、もう「根治」ではないか?と思うほど「普通」なのに、やはり気持ちは時に揺れるものらしい・・・サイトの管理人と、メールのやり取りをしていて、その管理人本人に初めて出会ったとき、感極まったようで右腕を両目に当てて、立ったまま急に泣き出してしまわれた。あの時は、大の男の人が泣き出す姿を初めて見て、驚いたなぁ・・・「会えて本当に嬉しい」と、感激したそうだ。常々感じるのだけれど、闘病に一番必要なものは、この男性のような「開き直り」ではないかと。治療法も、主治医との信頼関係も、大事だけれど、どんなに優れた治療や医師と出会えても、ご本人のある種の「開き直り」が無ければ、絶対に上手くいかないと思う。患者さんの状態は色々で、この男性のように初期の方ばかりではないし、再発された方もいれば、もう緩和医療を考えるような方もおられる。でも、声を大にして言うけれど、何より大事なのはご本人の気持ちだ。これが無ければ、上手くいくものもいかなくなる。気持ちがあっても、それだけじゃ駄目な厳しい現実もあるけれど、気持ちが無ければ最初から絶対に駄目だ。そんな「前を向ける気持ち」の手助けの真似事が出来れば良いなぁと思っている。昨日泣いた貴方へ一人で抱え込まないでください・・・
2006年05月27日
コメント(6)
ある30代半ばの女性患者さんのお見舞いに行った時、彼女が天井を見つめながら言った言葉がとても印象的だった。彼女は大きな公立の総合病院に入院していた。普通、がんセンターでもなければ、スキルスの患者さんが他にも同時に入院している事なんて滅多にない。「胃癌」は珍しい病気ではないけれど、実はスキルスとなると胃癌の1割にも満たないと言われている。だから、普通は同じ病気の人と出会うことは稀なのだ。彼女の場合、たまたま同じ病院に同じ病気の患者さんが入院していたそうだ。彼女は6人部屋に入院していたのだが、薬の副作用でトイレで意識を無くした事があって、病院中大騒ぎになり、個室に移されていた。個室に移る前、隣の6人部屋に同じ病気の人が入院していて、その人のその後がとても気になると言っていた。「この廊下の突き当たりの部屋にいたんだけど、名前がわからなくて・・・」歩く体力をなくしていた彼女に確かめる術はない。「今、どうしているんだろう・・・どんな状態でも良いから、いてさえくれれば良いんだけど・・・」と、言う。名前がわからなければ、私が見に行ったところで確かめようもない。それに、彼女と話していて感じたのだけれど、彼女は私に確かめに行って欲しい訳ではなかった。もういなかったら・・・それを知る事が怖かったようだ。私が突き当たりの部屋まで見に行って「いなかったよ」って言うのが恐ろしかったのだ。だから、彼女は見てきてくれとは言わなかった。そして、また天井を見つめてつぶやく「いて欲しいな・・・」と。
2006年05月25日
コメント(0)
昨日の日記に暖かなコメントをありがとうございました。ご存知ない方も多いと思われますので、改めてmidoriさんのHPをリンクしました。この楽天でずっとブログ開設していたのです。もう、更新される事はないけど、まだちゃんと残っています。あらかじめ言っておくと、彼女はこのブログの中では言わばギャル風に書いていますが、本当の彼女は超常識人間で、責任感の強い立派な社会人です。現実から逃れる場・・・を自ら違うキャラを演じる事で作っていたのかもしれません。まだ再発がわかる前だったか、再発が発覚してからだったか、記憶が曖昧だけどmidoriさんから「よくよく考えてみると、私って患者さんなわけだし、こんな風にメールを打てるような元気がない時がこれからくるかもしれない。私からずっとメールが来なかったら、きっとひろりんさんは心配しますよね?だから、妹のメルアド教えておきます。もし、私からずっと連絡がない時は妹にメールしてください。妹には、ひろりんさんの事、話してありますから」って、妹さんのアドを書いたメールが届いた。midoriさんは、私の事を逆に心配していた。支えているつもりが、実は支えられていた事に気付かされる。midoriさんにも、そして他の方々にも・・・midoriさんが逝ってしまって、何より私を支えてくれたのは、患者さんからのメールだった。彼女が命のバトンを渡してくれたのだと、思う。それが無ければ、ここに私はいなかったと思う。彼女は福井の人だし、私は神奈川・・・滅多に会う事が無かったから、会えない事に違和感はない。だから、もう本当にいないの?って時々思う。最後に会ったのは帰りの東京駅。彼女は無理して娘達との思い出を作るためTDLにやってきた。広い東京駅で彼女を探し出すのは大変だった。同行した妹さんが必死に私を探していた。ようやく見つけた彼女は疲れ果て、毛布を被り大きな柱にもたれかかって座っていて、5歳になる下の娘さんが、眉を八の字にして不安そうにmidoriさんの横で座っていた。あの光景が目に焼き付いている。駅から車椅子を借り、ホームへ連れて行く。ホームに現れたヒゲさんにmidoriさんの荷物を沢山持ってもらい、私も少しばかり荷物を持って新幹線の中まで入る。発車時刻間際に、ヒゲさんと新幹線を降り彼女を見送った。動き出した新幹線の中から、頭を下げるmidoriさんが見えた。彼女が旅立ったのは、この1週間後だった・・・
2006年05月24日
コメント(4)
「怖い、助けて!」これは、midoriさんが再発がわかった時に私に寄越したメールの文章の一部です。「今、病院を出たとこ。どうしよう、今頃になって体の震えが止まらない・・怖い、助けて!」と。一人で病院に行き、一人で再発を聞いた彼女・・・それまでも治療に関しては全てを一人で悩み、決断していた。再発がわかってからは、時々副作用の相談のメールがくるようになった。体調の変化があると、やはり不安だったのだろう、メールがきた。時には、慰めて励ましたつもりの言葉が彼女の心に刺さり、むくれたメールが返ってくる事もあった。今思えば、たわいのない内容だったのだけれど、私の配慮が足らなかったのだろう。それでも、めげずにメールをまた返したなぁ・・・すると、ひょっこり可愛い彼女の一面が戻ってきたりして・・・そんな彼女が大好きだった。明るいメールが返ってくるとホッとした。最後に会った時、昨年の10月下旬だったけど、彼女は照れる事もなく私の目を見て「始めはネットの世界なんて、適当にうわべだけ繕って付き合えば良いと思っていたんです。 でも、体調が悪くなるとそんな余裕が無くなってきちゃって・・・ そんな、わがままな私の事も全て受け止めてくれた。」と、彼女から言われた。翌月に開催するオフ会で又会いましょうと言って別れたのに、これが最後になるとは思わなかった。彼女に逝かれてからは、もう辞めようと真剣に思った。そんな時、kazuyoさんやkazeさん、キヨカさんから、私を必要としてくれるようなメールが届く。やっぱり、続けようかな・・・と思い直す。
2006年05月23日
コメント(4)
こぐまパパさんから掲示板に投稿を頂いて、2年前の今日の事を思い出した。あれから、2年・・・あの日の事を思い出し、ちょっと涙してしまいました。色んな事を教えて頂いたように思う。患者さんの本当の思い、辛さ、悲しみ、そして喜び・・・そういった、芯の部分を私に教えてくれたように思います。こぐまママさんは「治療」に希望を持っていた。「治療」出来る事自体が「夢」であり「希望」そのものだった。こぐまママさんから「久しぶりに先生から新しい治療の話が出ました。 もう、治療法がないって言われていたから、これはすごく嬉しかった。」ってメールが届いたっけ・・・こぐまママさんのような思いを受け止められたら・・って、この頃から思い始めたんだった。ただ、思うだけだったけど。この頃はサイトにも参加し始めたばかりだったし・・これと言って何もしなかった。サイトの掲示板にも投稿した事すらなかった。あれから2年・・・2年前の自分は今の自分なんて、思いもしなかった。何人もの患者さんと出会い、ご家族と出会い、そして辛い別れも少なくない・・・それでも尚、こんなことをしているのは、こぐまパパさんから頂いたような暖かい沢山の言葉に支えられているからです。本当に沢山、頂きました。その都度、泣いちゃうけど・・・
2006年05月22日
コメント(3)
昨日は急に暑くなり、PCの温度が厳しそうだったので、夜にメールを返すのが精一杯という情けない状態でした^^;一昨日、久しぶりに福岡の女性患者さんからケータイにメールが届いた。私より年上の彼女に失礼かもしれないけれど、可愛らしい女性。時々、弱音メールが届く。患者さんなら、当然の事だ。彼女とは久しぶりにメールのキャッチボールをした。どなたへのメールでもそうだけれど、私は「頑張れ」は絶対に言わない。だって、もう頑張っているのだから言う必要はない。「頑張れ」は言わないけど、落ち込んでいる人には笑って欲しいと思うから、相手が少しでも笑えるようなそんな気持ちで、メールをしている・・・つもりです^^;(自信なし)彼女とはもう1年半くらいのお付き合いだ。昨年の春に「もう治療の意味がない」ような事を言われ、余命3ヶ月とも言われたけれど、昨年は息子さんの野球の応援に炎天下の中、野球場へ行ったし、11月にサイトで開催したオフ会にも参加した。今年の3月には沖縄に旅行も行ったし、お子さんの卒業式や入学式にも参列した。もちろん、これは辛い治療に耐えた事、治療が奏効した事で実現した事だけれど、何より効果的だったのは、目先に「夢」を持った事だと思う。病気でなければ「夢」なんて言葉にはならないような出来事だけれど、そんな「夢」が何より大切なんだと思う。例えば、今からなら「満開のひまわりを見る」とか、TDLに行く事とか、何でも良い。お子さんがいれば、お子さんの行事とか。遠方の友達に会いに行くとか。すぐ目先に目標とも言える「夢」を持つこと。そんな目先の目標の積み重ねが、生きる希望になる。そんなちょっとした「夢」の鎖を繋げてみませんか?これはどんな治療より、素晴らしい治療になると・・・何人もの患者さんと出会ってきてそう思います。この夢と夢の間に泣くもよし、愚痴るのもよし・・・人間は前を向ける時ばかりじゃないから、無理をせず「夢」を見ましょ^^福岡の彼女とのメールやり取りの中で、また彼女は新しい「夢」を見つけてくれました。
2006年05月21日
コメント(4)
気が付けば、ブログを始めてから1ヶ月が経過した。以前、メールをやり取りしていた方からメールやコメントを頂き、それだけでも始めた甲斐があったと思った。支えて頂いているような感じがして、ホッする。ありがとうございます^^ちょっと重い話が続いたので、今日はちょっと違う話にしましょ^^ある日、私の元へ「こんなHPを見つけたのですが、これはY先生が書かれたものですか?」というメールが届いた。見てみると、健康食品を販売しているお店の通販のHPだった。そのHPには色々な病気の説明が書かれていて、その胃癌編に明らかにY先生が書いたものと思われる文章が載っていた。病院名も先生の名前も書かれてはいないが、まず間違いないだろうと思った。で、Y先生にこのHPアドレスを送ってみた。すると「これは僕が一般向けに書いたものですね」と言われる。でも、いつどこに書いた物かは覚えていないのだそうだ。無断で掲載されて、さぞご立腹かと思いきや・・・「でもあそこのお店、安いですねぇ~、何百円からありましたよ」と、妙なところを感心しておられる・・・・(そーゆー問題か?)病院名も出ていないし、名前も出ていないし、何より良心的なお店のようだし・・・と、いう事でY先生的には「おとがめなし」という事になりました^^
2006年05月19日
コメント(6)
先日、このブログの掲示板に投稿してくれた、おれんじさんのお母様からも暖かい言葉を頂いている。お見舞いに行ったのは昨年の10月。手術に根治の可能性を賭けたのだけれど、残念ながら予定の手術が出来なかった。病室に入るやすぐに、おれんじさんのお母様はベッドの上に正座され、頭を深深と下げられた。「お世話になったのに、こんな結果になってしまってごめんなさい」と言う・・・そして、「もし、私が死んだら貴女と娘の事は私が守りますから」と言う・・・おれんじさんと二人で「何を縁起でもないことを・・・」って言ったのだけれど「ううん、嘘じゃないのよ、本当に私が貴女達の事を守るんだから」って言われた。一番ご自分が辛い時に、娘さんの事はともかく、私の事までも守るからと言われ、胸が詰まる思いだった。時に「怖い」と泣き、また「辛い」と泣くのは患者さんには当然の事で、その泣く思いの中で、「私が守る」という言葉が出てくるこの患者さんはスゴイ方だと思った。今もこんな思いの中で、この患者さんは頑張っておられる。人は脆くて弱いものだけれど、でもその脆さの中にも必ず「強さ」もあるのだと、私は思う。
2006年05月17日
コメント(5)
先日の日記に「私はここにいるよぉ~」って叫んだのは、患者さんやご家族からの思いを伝えられる場があるようにと書いたけど、それにはちょっとしたきっかけがある。昨年2月東京に突如雪が降った日、私は主人とある女性患者さんの告別式に参列した。その時、彼女の友人の若い女性が遺影に向かい弔辞を読み上げた。彼女が亡くなる数ヶ月前に初めてメールで病気の事を知らされたのだそうだ。あまりの事に驚き、すぐにメールを返そうと思ったけれど、何を言っても絵空事になりそうで返せぬまま彼女は逝ってしまったのだと泣きながら言う。この話を聞いた時、私はむしょうに腹が立ってしまった。そんな、思い悩んで言葉を捜しているうちに大切な友達である彼女は逝ってしまったではないか!!と。どうして、すぐに返してあげなかったのか!貴女は大事な友達で、大好きな人だから生きていて欲しいと、そう言ってあげれば良かったのに・・・自分の病気を友達に告白するという事は、本当に勇気がいる事だ。誰しも言いたくない事なのだ。それを、思い切って告げた彼女の気持ちを考えると、もう腹が立って、腹が立って・・・だけど、この弔辞を述べた彼女はまだ若い。病気の事を知らず、あの若さであれば、私も同じ事をしていたかもしれない・・・そう思うと責められないな・・・って思った。きっと、世の中にはこんな人が沢山いるのだろう・・・だったら、私が!なんて、思ってしまったんだよなぁ・・・友達にはかなわないけど、誰もいないよりは良いだろうし、一人でも多い方が良いだろうって。そう、思った。
2006年05月15日
コメント(9)
昨年7月、やはり???ん~と思う番号から電話がきた。出てみると若い女性の声。この時はすぐに誰だかわかった。「今日、お母さんの手術の日で・・・」と言った途端、泣き出してしまう・・もう、それだけで状況はわかる。腹腔鏡で腹膜転移がわかり、何もせずに終わったのだという。その後、TS-1単剤の化学療法が始まった。時々、検査をなかなかしてくれないと不安のメールが届いたので、休薬期間やクールを考えてもそれは不自然では無かったので、そう返事をする。彼女からは夜中の2時にメールが届いた事もあって、不安な気持ちが手に取るように伝わってきた。実際に会った事もあるけれど、私から見ると本当にまだ若い可愛らしい女の子だ。そして、今、彼女の母親は驚くほどに癌が縮小し、現時点ではとても癌患者さんとは思えないほどにまで薬が効いている。残念ながら、癌は薬では治らない。だから、手術出来るものならば手術をした方が良い。この患者さんは、手術が可能かもしれないと、期待が持てるほどにまでなっている(^^)v
2006年05月14日
コメント(0)
患者さんは皆さん、ご家族にすら言えない思いを抱えている。もちろん友達にも言えない・・・家族も辛い思いをしているのが、患者さん自身にもわかるから、時に言葉を飲み込んでしまう・・・そんな時、誰にも言えない思いを話せる相手になれればなぁ・・と思って、このブログを立ち上げた。この病気の事は良く知っているし、治療の辛さも沢山見てきた・・・ご家族もそう・・・誰にでも言えるような事じゃないから、つい辛さを一人で抱えてしまう。話したところで、この病気の事を知らなければ話がかみ合わないし、理解を求めるのは難しい・・・そんな、ご家族の思いも受け止められたらなぁ・・・と思った。だって、それは数年前の自分だから。このブログを立ち上げたのは「私はここにいるよぉ~!!」って叫ぶため・・・是非、ここを見つけて欲しい。今、頑張っている患者さん、そしてご家族の方々。強がらないで時には愚痴ってください、泣いてください。明日、笑うために・・・
2006年05月13日
コメント(13)
私は患者さんと良くメールをする。しばらくメールが無いと心配になる。で、自分からメールする。昨年の秋、メールしたけれどなかなか返事が来ない患者さんがいた。そんな時、又???ん~という番号から電話がくる。出てみると返事をずっと待っていた患者さんからだった。「めぇ・・るしようと思ったんだけど、電話しちゃったぁ・・・」とちょっと息苦しそうな声。40度を超える熱が出て、メール出来なかったけど今日は39度まで下がったから、いつもより楽なのだと言う。私も経験があるけれど、39度の発熱は決して楽なハズはない。高い熱で息苦しい中、それでも電話してきたようだ。体調が悪い中、寂しさと不安とが入り混じって、誰かと話したくなったのだろうと思う。誰でもそうだけれど、体調の悪い時に一人でいるのは嫌なものだから。いつも心は患者さんの側にいたいと思っている。だから、この電話は嬉しかった。彼女はこの時既に長期入院していた。midoriさんが、懸命に励ましていた患者さんだ。「midoriさんが自分より先に逝くなんて、絶対に無いと思っていたのに・・・」と悲しげな声で言う。この時、彼女と悲しみを共有したように思う・・・あとは何を話したのか良く覚えていない。この少し後、すっかり熱が下がったと明るいメールが届き、メールのやり取りが再開した。だけど、悲しみを共有した彼女も今はもういない・・・・
2006年05月12日
コメント(3)
サイトの活動を始めてから、本当に沢山の方とメールをするようになった。何度となくメールのやり取りをしていると、相手の様子も見えてくるので、その様子によってはケータイのアドレスや番号も教えている。が・・・!!しかし・・・教えているのは良いのだけれど、その事自体を私はすっかり忘れているのだ^^;いやはや、申し訳ありません・・私とメール交換している方々・・・私は本当はこんないい加減なヤツなんです・・・すみませんm(_ _)mなので、どなたに教えたか・・・覚えていないので時に???ん~と思うアドレスからメールが、???ん~と思う番号から電話がくる事がある。昨年12月のある晩、???ん~という番号から電話がかかってきた。出てみると「Sさんですか?」と、男性の声。私の名前だから間違い電話では無いようだが、誰だかわからない。相手がフルネームを名乗って初めて「あぁ・・・」と思い当たる。確か、奥様がこの病気で状態が芳しくなかった方だ・・と思い浮かぶ。「今朝、家内が亡くなりました」と言われ絶句する。「ようやく、家に連れて帰る事ができました。先ほどまで、親戚やら友人やらが入れ替わり立ち代りやって来ていましたが、ようやく二人きりになれました。恥ずかしい話ですが自分は本当に辛かったんです。そんな時にメールで励まして頂き、本当に嬉しかった。面識の無い方に大変失礼だとは思いましたが、どうしてもお礼を直接言いたかったので電話させて頂きました。」と言われた・・・。確かに、何度かメールのやり取りはした。けれど、それは数えるほどだったように思う。そして、まるで背筋をシャンと伸ばすような声で「支えになって頂き、ありがとうございました!!」と言って電話が切れた。しばし、呆然とする。で・・・必死に思い出す・・・えっと・・・私はメールに何って書いたんだっけ??確か、この方のパソコンの調子が悪いからとケータイでメールをやり取りしていた方だから、ろくな文章も書けなかったはずだ。あの頃、知子さんの病院に詰めていた事もあって、私自身もパソコンにろくに向かえなかったから、ケータイメールが多かった。1日に8人くらいと、ひっきりなしにメールをする事もあったから、なおのこと、大した事は書けなかったはず・・・ケータイメールだとチャット状態になる事もあり、聖徳太子なみ?だぁと思ったりして^^;だから、こんな言葉を頂戴するような覚えは、本当にない。声を大にして言うけど、本当に思い当たるフシがないのです・・・思い当たるフシも無いのに、あつかましいけれど、この方の言葉には間違いなく心がこもっていて、熱く胸に染み込んできた。そして、涙があふれてきた。人の言葉って温かい・・・もしかしたら、このブログを読んでいてくれるかもしれない・・・何だか自分では良くわからないけれど、貴方の言葉は今は私の心の支えになっています。ありがとうございます。ふと気づくと、私の心の中にはこんなあったかい、支えが沢山できている。
2006年05月10日
コメント(2)
昨年の3月、サイトの仲間であり患者さんでもあるmidoriさんが福井から二人の子供を連れてTDLに来ると言うので張り切って「みんなTDLに集合!!」計画を立てた。と、言っても平日だし、皆仕事がある・・・無理せずに来られる人と条件を付けて仲間に連絡を入れた。アフター6パスポートを使って入場、来れる人は来て!という単純な内容。行きたいけど、どうしてもその日は無理と言う返事も何人からか届いたので、実際は何人集まるかなぁ・・と思っていたけれど、夕方6時を過ぎてからぼちぼち集まり始めた。サイトの管理人、ヒゲさん(二人の娘を連れて)、こぐまパパ(娘を連れて)、元気印の患者さん、れっずサポさん夫妻(娘を連れて)そして私たち夫婦が集まった。朝からmidoriさんは二人の娘と妹さんと来ていたので夕方合流し総勢16名!!になった。あの春休みの大混雑のTDLでこれだけの人数の集まる場所を確保するのは、大変だった。何とか、席はちょっと離れてしまうけどTDL内のレストランで皆で食事をする。そろそろ、店を出ないとまずいかなぁ~という頃になって、ようやく、まさとさんが現れる。一生懸命頑張って仕事を切り上げ、車を飛ばしてきたのだという。駐車場代2000円、アフター6パスポート3000円を支払い、1杯のコーヒーを飲みに来たという訳^^;ほんの少しだけTDLを楽しんだ人もいたけれど、この日集まった人間のほとんどが入り口からすぐ入った所にある、このレストランまでを歩いただけだ。私のいい加減な計画で皆には散財させてしまった・・・だけど、誰一人文句を言わない。それどころか、話は尽きずに盛り上がり、全員が明るい笑顔で帰って行った。それだけmidoriさんという人は存在が大きかったんだろう・・・彼女と会いたいと言うだけで、これだけの人が無理して集まったのだから・・・彼女が昨年11月に亡くなってからは彼女のケータイは上の娘さんが使っている。妹とのツーショットの写メを、上の中学生の娘さんが昨年末に送ってくれた。この中学生の娘さんから「ひろりんさん」って呼ばれるのはちょっと、くすぐったいけれど、何だか嬉しい。このブログの掲示板にmasbooさんが、今年の3月に大阪で開催された胃癌学会の様子を報告してくれています。医師ではない目からみた内容ですので、返ってわかりやすいと思います。是非、ご覧下さい。
2006年05月08日
コメント(8)
私はケータイ電話の電源を切らないようにしている。父が入院中は当然、病院からの急な電話を気にして電源を切る事は無かった。父他界後は、戦友でもあるヒゲさんから奥様の様態が毎日数回メールで報告があったので、この頃も切らずにいた。ヒゲさんの戦いが終わってしまうと、さすがに夜は電源を切るようになった。稀ではあるけれど、間違い電話で真夜中に起こされる事があったから。寝る前に電源を切り、朝起きてから電源を入れるようにした。そんなある日、いつものように朝起きてケータイの電源を入れ、念のためにメールの確認をするとメールが届いていた。着信時間は午前3時。Piccolaさん(30代女性)からだった。確か、彼女は今は入院中のはず・・と思いながらメールを読む。内容は、最近食べられなくなっている事。インシュアリキッド(高カロリーの甘い飲み物)を出されたけれど、どうも口に合わない事。(彼女はパンチの効いていないマックシェイクと表現していた)どうにも嫌になる味だとこぼしていた。最後の言葉は「あ~あ」だった。入院している病院は新宿だったから、何度かお見舞いに行った事がある。彼女の病室は6人部屋で窓際だ。6人部屋の彼女に割り当てられた空間はとても狭い。そんな中で他の患者さんを気にしながら、眠れずに午前3時という時間に私にメールを打っていたのかと思うと、とても切なくなってしまった・・・2004年の冬だった。それからは電源を切るのをやめた。そんな真夜中に彼女からメールが届いたのはその1回だけだったけれど。たまに夜12時をまわった頃に届く程度で、あとは普通に昼間や夕方に届いた。こんな風に書くと私は「優しい人」「良い人」と勘違いされるといけないので、自己申告するけれどサイトの仲間の男性陣には「ひろりんは患者さんには優しいけど、僕らには冷たい」と良く言われます^^;
2006年05月06日
コメント(9)
おかげさまで、開設18日目の本日1000アクセス突破致しました。開設当初は、桜模様の壁紙で(これを知っている方はかなりマニアック)開設数日後に今の壁紙に変更しました。1日のアクセス数が15という日もあり、さすがに寂しい・・・と思った私は、私の活動サイトが「癌掲示板」と言うサイトにいつもお世話になっている事を思い出し、開設早々の何も出来ていない時期にあつかましくも登録申請したのですが、登録には2週間以上かかるらしいので「じゃぁ2週間で何とか形を作れば良いかな」と、これ又あつかましい考えで悠長に構えていたら、早々に新着サイトとして紹介して頂いていました。道理で急にアクセス数が増えたと思いました^^;ずっと黙っているのもナンだからと、活動サイトでも公表・・それ故にこれだけのアクセス数があり、私個人の力など微塵もない事は十分に承知しております。「癌掲示板」と「Gastric Cancer Support Site」というこの二つのサイトの力のすごさに驚いています。皆様、本当に沢山のアクセスをどうもありがとうございます。出来るだけ多くの患者さんにいらしていただけるブログでありたいと思っています。追記です私のつたないブログをリンクして下さっている方は上記サイトだけではありませんでした。いつのまにか、沢山の方・・にリンクして頂いておりました。皆々さまのおかげですm(_ _)m
2006年05月05日
コメント(8)
ちょうど今はつつじの花がどこも満開だ。昨年は知子さんの病室からよく眺めた。術後で起き上がれない知子さんに手鏡を駆使して、つつじを見せたっけ・・・父がお世話になった病院もつつじが綺麗だった。2年前、ヒゲさんを介して知り合った「こぐまママ」さんが父と同じ病院に通院していた。「もうじきあの病院のつつじは満開で、とっても綺麗なんですよ」とこぐまパパさんにメールしたら、病院の建物を背景に満開のつつじの写真を添付して送ってくれた。(このブログのお気に入りにこぐまパパさんのHPがあります)この写真を見たとき、わぁ~とこみ上げてくるものがあったのと、こぐまパパさんの心遣いが嬉しかったのと両方でこの時も涙した事を覚えている。この少し後、こぐまママさんは転院して転院先の病院に入院した。その頃からこぐまママさんとのケータイメールが始まった。そのメールの中に「相変わらず弱気です。どうしたら明るくなれるのか・・」と言う文章があった。独り言とも、問いかけとも取れるこの言葉をずっとこの2年・・・考え続けている・・・答えがわからなくて、緩和ケア病棟の先生の講演を聴きに行った事もある。私が質問しようとした同じ内容を他の人が質問していたが、この良心的な先生は頭を傾げうつむいて必死に答えを探していた。つつじを見る度に、こぐまママさんを思い出す。あの言葉を私に残し、その4日後に逝ってしまった・・・
2006年05月04日
コメント(4)
先日ちょこっと書いた、昨年行って来た「国際胃がん学会」のエピソードがもう一つある。これは「国際」胃がん学会だから全てが英語だったのだけれど、他の学会は日本語です。で、この国際胃がん学会には当然、海外からも沢山の医師が参加していた。丁度見ていたポスターセッションで、腫瘍外科で有名なある先生の発表があった。この先生の話にはとても興味があった。(勘違いされると困るので、これだけは書いておくけれど、平○先生ではありません。)この先生の発表がされると、ある外国人医師が突然「そんな訳あるか!信じられない!」(←もちろん英語、これくらいはわかる)と叫んだ。そしてしばし、この有名な腫瘍外科医と外国人医師の熱い英語でのディスカッションが続く・・・誰か止めなくて良いのだろうか?などと、心配する。この内容はさ~ぱりわからなかった^^;そして、最後はこの腫瘍外科医が「結果がもうじき出るから、待っておけ!!」(←これ又英語)でこのディスカッションは終了・・・・双方、果てなき探究心からのディスカッションだろうけれど、しばし呆然と見入ってしまった。医者も結構熱い人種なんだなぁ~ようやく風邪が治りました^^
2006年05月03日
コメント(6)
いつの間にか大勢の方にご訪問頂きまして、誠にありがとうございます。この2日間、パソコンが壊れてしまいまして・・・^^;全く見る事すら出来ない状態でした。ご覧頂いた方の中には「風邪をこじらせたのでは?」と思われた方もおられるのではないでしょうか・・・すみません。まだ、不調ではありますが私は大丈夫ですが・・・・ハードディスクが完全に壊れデータが消失しました。データ復活のために1日がかりで主人が奮闘しておりましたが、だめでした~うちのパソコンは主人の自作で言わば保証なしのパソコン。それも、いかに安い部品でどれだけ性能を上げるかに意欲を燃やすタイプで、そこらの電気屋さんで新品を買う事を嫌う、変な人です。秋葉原や大手中古パソコンショッップで掘り出し物(私から見るとガラクタ)で組み上げるのが好きなんですよねぇ・・・テクニカルエンジニアだか何だか知らないけど、私としては「早く使えるようにして~」と願うばかりの2日間でした。そんな状態の中で患者さんやご家族の皆さん、そして遺族という立場に変わってしまったけれど縁あって知り合えた方々の訪問は本当に嬉しいです。ありがとうございます。
2006年05月02日
コメント(6)
全22件 (22件中 1-22件目)
1


