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少し前、「ここ3日のことだけ考える」 と題して書いた患者さんの訃報が届きました。スキルス胃癌の40代・男性患者さんです。奥さまからメールを頂きました。この患者さん、術後に腹膜播種が判明して、米村先生の元で腹腔鏡による温熱療法を受け、その後は腹腔内化学療法を受けていました。昨年1年間は、治療も上手く言っていて状態も良かったのですが・・・今年に入ってからの、体調変化は先日書いた通りです。一般的に、腹膜播種の状態が進行してしまうと、癌性腹膜炎を起こして腹水が溜まったり、腹膜の癌が腸に飛んで、腸閉塞の症状が出ることが多いです。腹水が溜まれば、臓器を圧迫してしまい食事が難しくなってしまたり、腸閉塞を起こせば、これまた食事に苦労したり、痛みや吐き気が出たり・・・と、患者さんは不快が思いをする事が、実に多い・・・ですが、この男性患者さんは、骨に転移はしてしまったけれど、旅立つその日まで、腹水が溜まることも無く、また、便通も普通にあり、全く腸閉塞の兆しさえありませんでした。言わば、腹膜の治療にだけ焦点を置いて判断するならば、完璧であったと言っても良い状態ではなかったのかと思います。骨にさえ転移しなければ、今のこの時間も、食事も時間も楽しめたのではないか・・そう思うと実に悔しいです・・・・常に 「たら、れば」 は意味が無いと申しておりますが、あまりにもお腹の中では問題が出なかっただけに、つい、つい、そう思ってしまうんです。以前も同様の患者さんがいました。まだ20代のお若い女性患者さんでしたが、腹膜の治療があんなにも上手くいったのに、骨に転移してしまって・・・スキルス胃癌の骨転移の確率は、決して高くありません。何百人もスキルス胃癌患者さんを知っていますけど、骨転移の患者さんと限定して思い出せば、頭の中にはお名前が簡単に出てきます。実に数は少ない・・・それだけに、本当に残念でなりません。今、本当にお辛い時間を過ごしておられる奥さんから届いたメールは、とても暖かなものでした。ずっと孤独だった気持を助けてくれました・・・と、書かれていました。一人じゃないと思えたと・・・そして「寂しくて仕方ありません」とも書かれていました。これは少し前に そりゃないよさんの奥さんからも届いたメールの中にもあった言葉です。同様の思いをされている方を沢山存じており、その多くの方が、今も私のブログを見てくださっていること。。。多くのご遺族から 「続けてください」 と言われること。。。私の方こそ、一人じゃないと思ってます
2009年06月30日
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何日か前の夕方、患者である母親が酷い吐き気で食事が取れず、寝たきりです・・・という電話が、娘さんからありました。患者さんは、スキルス胃癌(60代・女性)で、電話を頂いた1週間ほど前に、腹腔内化学療法を開始したばかりでした。この患者さん、これまでの闘病歴がもの凄いんです。過去18年の間に、乳癌→甲状腺癌→子宮体癌→膀胱癌を克服し、そして、今現在は再発のスキルス胃癌と闘っています。最初の乳癌で全摘、その後、甲状腺も摘出、子宮も摘出、膀胱も摘出。2007年の暮れには、術前化学療法を経て胃の全摘手術も受けておらます。術後、1年ちょっとで腹膜に再発となり、米村先生の治療を受ける事になったのは、最近のことです。これまでの闘病の中には、骨盤転移(甲状腺癌の時)も判明しながらも、胃癌再発までは、お元気で過ごしてこられたようです。一言、 「元気」 と言っても、これほどの病歴に手術ですからね、そりゃご本人の努力と忍耐なくしては、成り立たない 「元気」 であっただろうと思います。ご自身で勝ち取った 「元気」 です。そんな患者さんで、癌とは何ぞや?手術とは何ぞや?、手術後の体力低下や、痛み等・・・精神的にも、肉体的にも、幾つもの大きな山を乗り越えてこられた方が、今回ばかりは 「しんどい」 と弱音を吐くと言います。はて・・・、どうしたものか・・・お聞きする限りでは、現れた副作用は、腹腔内投与が原因というよりも、TS-1自体の副作用が全て当てはまるように思いました。「この治療は、メチャ楽です」なんて言う患者さんは一人もいませんが、辛さというのは数値では表せませんし、どなたも、止む無しと腹をくくって取り組んでいるのが、抗癌剤治療の現状なので、辛いのは、言わば普通。この、辛い普通をどこまで許容範囲とするか・・・これは、とても微妙なんです。提案事項として、吐き気止めの処方と、TS-1等の薬剤の量を減らす事が妥当かと思いました。ただ、米村先生は手術を目指しての治療段階では、あまり匙加減をされない事が多いので、先生がどこまで、対応されるかなぁ・・・とは、思いましたけども。とりあえず、先生とは連絡が取れたようで、TS-1服用中止。その後、外来で処方が減らされたようです。これまで1日80mgのTS-1が、60mgに。服用も1投1休に。シスプラチンの量も減ったようです。腹腔内には、タキソテールも投与しますが、これはそのままのようです。シスプラチンの目的は、TS-1服用との併用もありますが、腹腔内に薬剤を投与する場合、シスプラチンが抗癌剤による癒着を防ぐ役割も果たします。で、処方が変わったばかりで、未だ、よくわかりませんが、あれほど辛い吐き気が治まったようで、食事も1人前摂れたとか抗癌剤の副作用ばかりが、体に悪さをする訳じゃないので、ちょっと心配していたんですけども、どうやら、副作用が原因であった事は間違いないみたいです。治療の効果は、未だ、検査上では現れていませんが、ご本人は体で感じ始めているようです。このまま、上手くいってくれると良いなぁと思っております。再び、 「元気」 を勝ち取ってください
2009年06月28日
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昨日は、鎌倉の長谷寺、別名「あじさい寺」に行って参りました。午前中は、どしゃ降りだったんですけども、午後からは止みまして仲の良い従兄夫婦と、江ノ島水族館と鎌倉巡りをして来ました閉門30分前に行ったせいか、待つ事は無かったけど、看板には20~80分待ちの札があり、整理券番号まで書く欄がありました。・・・って事は、最大80分待ちってことこれが長谷寺です↓これは長谷寺の全体図です↓建物の裏手が小さな山になっていて、あじさいの小道となってます↓あじさいの小道の中に、ちょこんと小さな石造↓帰りの車の中から撮った、江ノ電(映画・稲村ジェーンの稲村ケ崎駅)↓博士が急遽休みとなり、従兄夫婦と午後から出かける約束をしてから少して、急な来客が今年の3月にお母様を大腸癌で亡くされた娘さんでした。大阪から、わざわざいらしてくれましたホント、びっくりしました、ここは神奈川県でっせ~!!3月末のブログで 「またまた再発」 と題して書いた患者さんの娘さんです。他界されたお母様とは、元気になったら、私にお礼を言いに行こうと約束されていたそうで、それが叶わず、娘さんお一人での訪問となったとのこと。「兎に角、直接お礼を申し上げたくて、押しかけました」と言われました。事前に言えば、気を遣わせてしまう・・留守かもしれない、会えなくて元々、と覚悟を決めての行動だったとか・・・神奈川にご親戚がいるとは言われましたが、そこからここまでも、結構の道のりです。私自身は、この患者さんやご家族に何かをして差し上げたという思いが、全く無いのです。何かよーわかりませんけども、この方にとっては 「凄いこと」 を私はしたそうで、このギャップがどうにも不可解なんですよねぇ・・・ホント、わからん おかしなことに、私のことをずっと医者だと思っていたとか。確かに、患者さんが危篤状態近くになった時、細かな留意点は伝えはしましたけども・・・お母様が他界されてから3ヶ月が経ち、百か日という節目を迎えられ、わざわざ大阪からいらして下さるとは!!お母様がお元気になられたのなら兎も角、そうではなく、お亡くなりになられたにも関わらず、ここまで感謝の念を持ってくださるとは、正に、米村先生のご人徳であって、私じゃないですよ。米村先生が、最後の最後まで希望を持って尽力されたからに他なりません。改めて、米村先生って凄い人なんだなぁ・・・私はイメージとは大きく違ったと思います。決して、繊細で傷つき易いという人間ではなく、どんな患者さんとも 「ぎゃはっは」 と笑えちゃう人なんで。エールを送って下さる方が殆どですが、時にどぎつい一発をくらう事もあり、繊細じゃやっていけません。ここらあたりは、米村先生と似ていて、落ち込むけど立ち直りも早い・・・みたいな^^キツイことは確かで、時にもうギブアップかも・・・と思う日が無いじゃないけれど、こんな風に捉えてくださる方が一人でもいらしてくれるなら・・・って、逆に力を頂きました。本当にありがとうございます。正直、感動してしまいました。凄いのは米村先生なので、私は、まぁ言わば、人のフンドシで相撲を取っているようなもんですけどね。治療に求められるもの・・・これを改めて考えさせられました。完治や延命だけに的を絞れば、治療の機会を逸する患者さんは沢山います。少しでも食べられること・・・ご家族と過ごす時間を作ること・・・色んな目的があっても良いのではないかと思います。再発率や生存率なんて、患者さんをふるいにかければ、向上させることが出来ます。この治療を行えば生存率がアップ、再発率低下って、看板を上げることだってできます。患者さんを選別したことなんて、書く必要は無いですからね。数値の向上だけを目的とするならば、患者さんを選べば良いんですから。実際、私に相談メールを送ってこられる患者さんの中には、病院のふるいからこぼれ落ちたと思える方が少なくありません。特に研究をも目的としている医療機関に多いです。これは、その病院の特性で致し方ない事ではありますが・・・以前、病院実績の公表を義務化?みたいにした流れがありましたけど、これはこれで、問題があるように思います。病院名を出しての公表となれば、実績をあげなければ患者さんが来てくれません。実績をあげる為には、こられる患者さん全てを診ていては、無理です。米村先生は、このふるいからこぼれ落ちた患者さんの治療にも当たります。ダメだとわかっていても、手を尽くして貰いたいのが患者さんであり、ご家族です。数値の向上を目指しながら、手を尽くされたから、こんな風に感謝してくれる患者さんがいるんじゃないでしょうか。※これを読んだ方、「んじゃ、私も行こう!」 とか思わんで良いですからね。 これまでも、青森やら福岡の方から、同様の申し出を頂いておりますが、「気にせんでええっちゃ」 とご辞退申し上げております。
2009年06月25日
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少し前のことですが、久しぶりにお付き合いのある、腹膜偽粘液腫の患者さん(60代・女性)からメールが届きました。この患者さんは、2007年末に手術を受けられ、1年半が経過するまで本当にお元気に過ごしておられました。良性の部類で、抗癌剤治療もなく、また、手術によるQOLの低下も全くと言って良いほどなく・・・半年に1度くらいですが、「お元気ぶり」 は伺っておりました。手術を受ける前は、大きなお腹で入浴にも苦労されていましてね。お風呂場を改築したり、兎に角、難儀する生活を送られていたようです。それがたまたま、米村先生がテレビにご出演になったのをご覧になり、これまた、たまたま、先生がご多忙になる寸前に手術を受けることが出来たのでした。この機会がちょっと遅ければ、手術は、ゆうに3ヶ月は先になっているところだったんです。ご本人とは、何度かお電話でお話しをした事があります。その都度、お元気ぶりが聞けて、凄く安心しておりました。ところが、1年半が経過するにあたり、腹部に脱腸のようなコブが出来たといいます。それが、痛みをもっているとのこと・・・すぐさま、米村先生の外来に行き、検査。しばらく経過観察で、大きくなるようであれば切除という事になったようです。この外来の数日後、このコブが突然破裂してしまったとか。膿が出て来たそうで、慌てて近所の病院へ。「消毒と、炎症を押さえる薬をもらってきたところです」こんな、メールが久しぶりのメール内容でした。久しぶりに頂いたメールが、コブの破裂だったので、慌てたのは私の方です。急いで、電話を入れ状態を聞きました。「痛みは?」「発熱は?」「食事は取れているのか?」懸念事項が幾つか、頭に浮かびます。電話にはご本人が出られ、予想外の明るくてお元気なお声で、まずはホッ。膿が出たら痛みが無くなったこと、ただ、この傷口から粘液が少しずつ出てきていること、近所の病院の医師から、執刀医と直ぐに連絡を取るように言われたこと、直ぐに手術!対象ではないか?と思っていること・・・こんな話を聞きました。破裂して出て来た膿は、かなり臭かったらしく、ご本人いわく金バエが飛んできたとか・・・あまりの臭さに、服は捨てたと、笑いながら言われましてね、既にご本人の中では「笑い話」になってました。米村先生と連絡が取れずに、困ってのメールだったのかもしれません。丁度、この時先生はお留守でしたから。一番の懸念は、高熱が出ていないか?という点でした。何らかの感染症が疑われますからね、これって、状態によってはとても危険なんです。熱はなし、食欲あり、痛みなし・・・この3点を確認して、安堵しました。ただ、この状態でずっと放っておく訳にもいかず、再度の受診となりました。ご本人も直接診て貰った方が、安心できますし、診てみないとわからないこともありますからね。再受診後、ご本人から報告メールが届きました。取り立てて急ぐ必要はなく(手術スケジュールが埋まっていることもあり、即は無理なんです)、心配な状態でもなかったようです。再手術の予定も組まれたようです、未だ先の話ですけどね。何よりご本人が前向きで、 「再手術のために、体力つけます!!」 とありました。自分はとても恵まれていると、何度も言われました。こうして、私と直ぐに連絡が取れたことも、その一つだとか^^;私との出会いが幸運だったと、以前にも何度も言って頂きましたけど、私は何もしてないんですよね。たまたま、知っていた米村先生のスケジュールに合わせて、先生とこの患者さんが、お会い出来るようにしただけの事ですから。再手術を頑張って頂いて、また、お元気な生活に戻って頂きたいと願っております。※先日、頂いたコメントは全て目を通しております 私を心配してくださった方々、ありがとうございます 大抵1日凹めば、復活してますから大丈夫です!!※ミハルさんへ 現在、入院中と聞いています、ケータイででも、これをご覧になっていると良いんですけど・・ 私と話したいと言われたと、聞いています PCの方にケータイ番号とアドレスと送りました ご家族に確認して貰ってください、お待ちしてます
2009年06月23日
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先日の日記の、「ここ3日のことだけ考える 」 と題して書いた患者さんとの交流には、ちょっとした裏話があります。私の元にメールが届いたのは、今年に入ってからでした。「夫が米村先生の患者です」 という触れ込みでした。内容は正直申せば、「ひょっとしてこれって、苦情?」 とも取れるものだったんです。年末まで検査の結果上では何ら問題なく、未だ未だ深刻な状況にはほど遠く、心配が無い訳じゃないけれど、穏やかな年末と年始を迎えた途端、急な進行を知るところとなりました。この急激な状況変化が、奥さんとしては受け止めきれずにいたのだと思います。ご本人も同様だったかもしれませんが、ご本人は自分の体ですから、「もしや?」 の思いは常にあった筈で、それを確認させられた・・・という所ではないか?と思います。「先生は、主人のことを覚えていらっしゃらないんです!! 先生にとっては、大勢の中の一人でも、私にとっては大切なたった一人の人なんです!!」こんな言葉がありました。ひろりんさんに言うべき事じゃないけれど。。。とも書いてあり、気持のやり場に困っているのだと感じました。夫がこの年齢で癌になる事も納得できなければ、いきなり病状が進んだ現実も納得できない・・・そもそも、こんな病気になるのが、何故自分の夫でなければいけないのか?その理不尽さは、もっと納得できない・・・こんな思いがあったのでは無いでしょうか・・・これまで、多くの方々の声を聞いてきて、きっとこの方もこんな思いを抱えておられるのだろうと、勝手ながら推測したのでした。あまりの病状の急な展開に、先生が言われる事が変わってしまったと、捉えたようにも思いましたが、こう捉えさせてしまった先生にも、問題はあるでしょう。何せ大勢の患者さんを抱えておられます。極力気をつけていても、単なる、先生の勘違いのコメントでもあったのかもしれません。(私にしても、多くの方からメールが届いていて、時に訳わからなくなる事があります。同様の状態の患者さんばかりですし、お名前だけでは、状態が思い出せないこともしばしばです)片方の話だけを聞いて判断するのは、フェアじゃないけれど、患者さんやご家族に、こんな思いをさせてしまったのであれば、そりゃ、先生が悪い。これは一つ、先生をお叱りせねば!!と思い、「先生~!!」から始まり、ガ~ミガミ、ガ~ミガミ・・・米村先生の良いところは、こーゆー時に素直に叱られている(?)とこです。「患者さんやご家族にとっては、大切な一つだけの命なんですから!!」と言うと、「わかっとるよ・・・」と言われる。「先生がわかっていてもダメなんです、それを患者さんやご家族が感じなければ、意味がありません!!」と言えば、「そやね・・・」と、これまた素直に言われました。先生くらいのお立場になれば、こんなことを言われれば、「うるさい!!、素人が何を言う!!」と怒鳴るか、思いっきり機嫌を損ねるか・・・じゃないでしょうか?それを何も怒りもせずに、聞いておられました。(・・って普通、こんな事を言えるヤツはいない?えっおかしいのはアンタの方って??)←そうとも言う~こんな事があってから、先生にとっては、逆にこの患者さんの印象が強くなったようで、これって怪我の功名?しばらくして、奥さんから、「患者というものは、都合の良いもので、先生からは良い話だけを聞きたいものなんです 悪い話には、耳に蓋をしてしまうような所があります」というような内容のメールが届きました。わだかまりは溶けたようです。※コメントを下さった方々、ありがとうございますm(_ _)m 心に染みております 私を心配して下さる方がいてくれるのだと実感しております お返事は出来ておりませんが、この点、ご勘弁くださいそして、A.Nさんへご不快な内容であれば、削除致しますので遠慮なく言ってください
2009年06月21日
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メールを頂いて、涙がこぼれました 昨夜、届いたメールの1行目の言葉です。この言葉を目にした途端、胸が熱くなりました。。。この言葉には、あまりにも多くの、そして重い思いが凝縮されています。この方のご主人が、スキルス胃癌(40代)です。先日、私の方から送ったメールのお返事でした。この間、米村先生との会話の中で、先生から 「○○さん、どうしてますか?」 と聞かれました。そう言えば・・・骨転移が判明してから、メールが来ていない。。。緩和ケアに移行の為、地元病院に転院されたそうで、その後を米村先生は気にされた訳です。この患者さんは、2007年春にスキルス胃癌の手術を受けています。胃3/4切除、胆嚢切除、リンパ2郡カクセイの手術内容ですが、この時に、腹膜播種と診断を受けました。手術時に判明した場合、何も切除せずに閉じる事が多いですが、目視出来る癌はなく、術後の病理検査で腹膜播種が判明する場合もあります。この患者さんの場合、開腹時に腹膜播種でも切除したのか、手術時にはわからず、その後に、腹膜播種が判明したのか、これはわかりません。この半年後に、米村先生の元へ来られました。2008年1月には、腹腔鏡による温熱療法を1度受けています。年末には、洗浄細胞診がクラス1になるなど、治療の効果は維持出来ていたようです。ところが、今年に入って腎臓近くのリンパに転移らしきものが幾つも見られ、薬剤変更となったものの3月には骨転移が判明、腸閉塞の症状も見られました。疼痛緩和を目的とした放射線治療を受けていましたが、この時、奥さんは緩和ケアも考え始めました。米村先生の、もう少しここで頑張ってみようとの言葉で、一時は踏みとどまりましたが、病状は悪化・・・病院までの通院がきつくなり、奥さんは 「緩和ケアに行こうと考えています」 と米村先生に相談。先生の、「それも仕方無いかもしれん」 という言葉に背中を押してもらい、地元で緩和ケアとなりました。この緩和ケア移行の決断時は、既にご本人の意思を明確に把握出来る状態ではなかったようで、事実上、奥さんがご主人の命を背負うような状況だったようです。夫とは言え、一人の人間の命の選択を背負うという事は、これは重い十字架とも言えます。緩和ケアに移行してから、鎮痛剤の量がどんどん増えていったようです。その影響なのか、時に人格が変わってしまうことがあります。ヒゲさんもそうだったけど、たまに意味不明の言動があったり、夢と現実の区別が曖昧になったり、記憶が怪しくなって同じ薬を続けざまに飲んだり・・・ヒゲさんはこれを実感した時、自分で 「あ~っ!!頭がおかしくなった!!」 って言った事がありました。 これは、病気の進行よりもご家族にすれば、ある意味もっと辛い症状です。そんなあやふやな状態の中、このスキルス胃癌の男性患者さんは、奥さんが米村先生の名前を出した時、目に輝きが戻ったそうです。先生の元を離れてみて、あれほど治る事を信じて治療に当たってくれるお医者さんはいなかったと、書かれていました。そして先日危篤状態となり、何とか乗り越えて自宅に帰ったら、私からメールが届いていたそうです。だから、 「涙がこぼれました」 になったんだと思います。「ありがとうございます」 の言葉が、沢山書かれているこのメールには、私の方が涙が止まらなくなりました。ご主人が危篤を乗り越えた今、また、いつ危篤になるかわからない今、この奥さんを支えているのは「ここ3日のことだけ考えれば良い」と言った、米村先生の言葉だそうです。唯一、ご自分の中で精神のバランスを取る手段なのかもしれません。
2009年06月20日
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久しぶりに、ミワさんからメール~ミワさんと言うのは、スキルス胃癌の患者さんです(40代・女性)かれこれ、お付き合いは3年になりますです。ずっと後で知ったのですが、他のスキルス胃癌患者さんが、私を紹介したんだそうです。残念ながら、私との橋渡しをしてくれた、このスキルス胃癌の患者さんは、昨年の秋に旅立ってしまいましたけども。。最近、どこのどなたかわかりませんけど、患者さん本人が私を紹介・・ってパターンが増えてきました。特に、腹膜偽粘液腫の患者さんに、このパターンが多くて、今年に入ってからの相談メールの1割は腹膜偽粘液腫の患者さんです。私を紹介してくれる・・・そんな方が、何人もいてくれるみたいで、実に不思議~ですで、話は戻ってミワさんですが、丁度、3年前の今頃、メールを頂きました。スキルス胃癌で手術を受けたばかり・・だったと思います。米村先生が静岡におられた頃ですね、セカンドオピニオンを受けに来られました。この時ですね、ちょっと面白いことがあったんですよ。内科と外科(米村先生)と、双方の話を聞くことになったんですが・・・米村先生は、術後のTS-1は3年は服用すべしと言い、内科の医師は1年やれば良いと言い・・・一体どっち??って感じになりましてね。最初は、米村先生の3年服用論で納得していたんですが、次に話を聞いた内科の先生が、そりゃ違う!1年で良いんだと強い否定論になり・・・迷いが生じる中、内科の医師の高飛車な物言いが、どうにもカンに障り始め、 「私は最初の3年服用論で行く!!」 と、気持が固まっていったんです。この内科の医師、私、お会いしたことがあるんです。ある患者さんのセカンドオピニオンに付き添っていた時、この先生に当たりましてね。一方的に話を終えると、 「何か質問は?」 と言われるので、幾つか質問をしてみたら、少しばかり話がわかる人と、どうやら思われたらしく、急に身を乗り出して話し始めました。で、この医師の直属の上司は、実際、腕のある腫瘍内科医で、この医師を誉めると、これまたご機嫌モードになって、 「何でも聞いて下さい」 と大サービス??私の印象は、そんなに悪くは無いんですけども、内科と外科、もうちっと仲良くできないの??っていうのが、正直な感想ですわ^^; 話がそれましたね。で、ミワさんですが、米村先生の助言通りにTS-1を3年服用しています。血液検査の結果も、まずまず・・・再発せずに今も続けてきてますが、いざ3年経ってみると、何時止める?という問題が発生。主治医との相談のもと、血液検査で何も問題が無い状態が、3回続いたらTS-1卒業を検討してみようという事になったようですこのTS-1服用ですけども、そりゃ抗癌剤ですからねぇ・・・どんと落ち込むような状態の日もあるようです。ですけども、この病気は術後3年経過する事が、珍しいというのが現実。であれば、TS-1の3年服用が起因しているのでは?とも言えます。辛い日もあるけれど、ちゃんと主婦業も出来ていて、趣味も出来ていて、3年が経過して・・・科学的、医学的な証明は出来ないけど、選択は間違っていなかったって事じゃないかなぁ~って思いますね。
2009年06月19日
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先日の子宮体癌肉腫の患者さんの、補足をば。この患者さん、3ヶ月に及ぶ放射線治療の甲斐あって、シビアな表現をすれば、まさに命を繋ぎました。その後、肝臓に転移判明となり、今度はラジオ波治療に変わりました。このラジオ波治療って、ようは肝転移の腫瘍に直接針を刺して、そこを焼いてしまうという手法。話にしか聞いたことは無いんで、良くわからないのですが、ご本人が言われるには 「拷問」 だそうです。(ちなみに、この治療はスキルス胃癌のように塊を作らない癌には向きません)何と表現したら良いんでしょう・・・と表現が難しいようですが、単に 「痛い」 というのとは違って、とにかく辛い治療だそうです。ですが、3日この拷問に耐えると、また、普通の日々が送れるから、頑張れるみたいです。再発や、転移を繰り返していて、治療は 「拷問」 だけど、考えてみれば、普通に歩けて、美味しくご飯が食べられて、家で生活が出来て、文化的な生活を送れています一人で新幹線に乗って、治療に通えているし、これは幸せなことですよね。って、言ってました。欲を言えば、フルタイムで仕事をしたいし、ご自分の中にあるレベルでは 「元気」 って言えないようですが、ちゃんと幸せでした~ってところみたいです。手術時の腫瘍の大きさは、確か7センチを越えてました。それを何とか切除するも、術後2ヶ月経つ頃には、再発した腫瘍が10センチとなる程の、かなりの悪性腫瘍なんです。抗癌剤では歯が立たず、ダメもとでの放射線治療。これが効いてくれたものの、今度は肝転移。。。こんな経過にも関わらず、こんな生活を送れている患者さんて、ホント稀だと思います。私的にも、「ありえへん」 みたいな・・・一時は、「太く短い人生」 を選び手術をキャンセル。その後、気持が変わって 「やっぱり手術」 と言われた時は、また 「止める」 に気が変わるかもしれないと思い、ご本人の意思を、それこそ突っ込んで確認したものです。この時の決心は固かったですね。ただ、「手術は止めます」 と先生に言ってしまった手前、またお願いするのは、とても言い辛いと言われました。ですからこの時、先生へ再度、手術のお願いをしたのは、私だったんですよね。「一度断った人が、また?」 なんて事で臍を曲げる人じゃないですし、軽く 「良いですよ~」と言われましたねぇ^^で、現在は治療担当医が違っていて、米村先生には病院に行っても、なかなかお目にかかれないとか。外来の待合場所で、待ち伏せしていても、ちょっとトイレに行っている間にすれ違ってしまったりするようです^^;だから、ずっとお会い出来ていないんですって言われるんで、まんま先生に伝えておきました先生、ちゃんと経過をご存知であの人、ホント元気やわ~と、お腹の中とこれまでの経過を良くご存知の先生が、すごく驚く状態のようです
2009年06月17日
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相変わらず、メールのお返事が 「遅延」 していますこれでも、頑張っているつもりなんですけども、大変ご迷惑をおかけしておりますm(_ _)mこの間、久しぶりに、ある患者さんから電話がありました。子宮体癌肉腫という、ちょっと珍しい病気の患者さん(40代・もちろん女性)です。この患者さんのことは、過去に書いたことがあります。2008年1月に手術を受けるも、その年の秋には再発。あれよあれよと言う間に、腫瘍が大きくなってしまいました。ここまで大きくなる前に、再手術の提案もありましたけど、人工肛門が免れないと知り、躊躇している間に、 「もう切れません」 という大きさになってしまいました。そんな時にメールが届いたのです。初めて耳にする病名の患者さんですし、病気の知識もなく、どう対応して良いのか???だったんですが、どうしても、米村先生に診て頂きたいと切望されました。どこまでお役に立てるかわかりませんが・・・と、橋渡しとなりました。その後、昨年末に手術となりました。手術は成功して、全て切除とはなりましたが、再度の再発は確実との診断が降りました。で実際、また再発してしまいました。僅か、術後1ヶ月で・・・その後、抗癌剤治療を受けるも、効果が見られず・・・放射線治療となり、これが効いてくれたようです。しばらく落ち着いていたものの、今度は又、違う個所に転移が判明。次から次へと、問題が出てしまい、さぞ落ち込んでいるのかと思いきや・・・予想外に明るい声。お久しぶりですから始まり、その後の近況報告となりました。新たな転移が見つかったものの、治療は続いています。治療が効いてくれるかどうか、それはわからないけれど、現在、遠路であっても自力での通院が出来ているし、まだまだ、頑張れますと元気一杯に言われました。早々に再発してしまったけど手術して頂いて良かったって思ってますって、言われました。年末の手術だって、一度はご自分からキャンセルされたんです。「太く短く生きることにしました」って、言ってね。それを止めるご兄弟がいて、決心を変えました。どんな状態になっても、生きていて欲しいと泣かれたそうです。ですから、ご本人は「手術して、それが上手くいかなくて、寝たきりになっても良いです 手術して頂きたいんです」そう言われての手術でした。仕事を続けるのは難しい状態だし、次から次へと転移が見つかるし、それでも、手術して頂いて本当に良かったって思ってますそう言われました。もしかしたら、私に宣言することで、ご自分にも言い聞かせていたんじゃないかしら?とも思いましたけど、嘘ではない事は確かでしょう。久しぶりに明るい声が聞けて、私も嬉しかったです。このところ、辛いことが続いたけれど、まだ私を必要としてくれている方がいるんだなぁって、感じて、また、私も頑張れそうです
2009年06月15日
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1ヶ月くらい前の話なんですが、ちょっと変わった相談メールが届きました。患者さん(スキルス胃癌・40代・男性)ご本人からです。4年前にスキルス胃癌が判明して、胃全摘の手術を受け、現在に至るまで再発なし。手術時には、癌を全て切除できたものの、術後の病理検査の結果から、遠隔リンパ転移が見つかったとのこと。遠隔リンパとの表現で、何郡のリンパ節なのか明記がありませんでしたが、遠隔という表現から2郡、もしくは3郡に転移があったものと思われます。このリンパの1郡、2郡、3郡・・・とは、原発である胃から数えての数字です。数字が大きくなるほど、遠くのリンパ節に転移があるということになります。この患者さんの場合、遠隔リンパ転移があったという点から、再発率が高いと推測されます。ですので、術後はスタンダードであるTS-1の服用が開始されました。ところが、TS-1の服用を2クール終了する頃には、体重が激減(20キロ減)し、このまま服用を続けるのは返って危険との判断から、服用が中止されました。ご本人は不安な気持から、体に良いとされるもの、癌に効くとされるもの、ありとあらゆるものを試したと言います。ですが、こう言っては大変失礼で申し訳無いのですが、これらのものが効いて、4年経つ今も再発しないのでは無いと私は思います。術後2年以内には、再発するであろうと推測されるこの患者さんが、何故、4年経つ今も尚、再発もせずにいるのか?理由はひとつだけ考えられます。この患者さん、TS-1服用を止めてから、何故か半年に1度のペースで肺炎を起こしています。その都度、高熱が出て入院。肺炎の原因は誤嚥性のものです。この、40度にもなる発熱が、実質上の温熱療法と化しているのでは?それで、癌が再発せずに抑えられているのでは?こう思えるのです。癌は熱に弱いですからね。42~43度で死滅すると言われています。これに近い熱が、定期的に起こることにより、再発するであろう癌を抑えているのでは?ところが、半年に1度のペースだった肺炎が、ここ半年ばかりは、毎月のペースに変わってきたとのこと。さすがに、毎月40度の発熱では、体がもちませんし、他の臓器に与える影響も無視できません。何故、誤減性肺炎が起こるのか?一般的言えば、誤嚥性肺炎を起こすのは、体力が低下した高齢の方や、病気が重症化した方。この患者さんの場合は、お若いですし、食事の苦労も書かれていなかったことから、体力も栄養面もさほど問題無いように思えます。ですので、原因は全くもって不明。同様の患者さんを存じ上げず、お役に立てなかったのですが、同様の患者さんはおられますでしょうか?もし、おられましたら一報頂けたらと思います。ちなみに、米村先生が行なっている温熱療法も、定期的に出来るようになれば、もっと治療成績が上がるのではないか?と思っています。こう言っては何ですけど、この患者さんが、実証しているような気がします。で、うちの博士が、その手法を思いつき、1年くらい前から先生には提案しています。現在の手法とは全く異なるもので、電磁波を利用するもの。うちの博士は、機械屋兼、電気屋ですから。役立つかどうかは?ですけど、案だけは出しておきました。現実問題として、実用化は難しいですけどね。多くの方々が、 「治療法の確立と、新たな薬の開発を望みます」 と言いますが、現実は問題山積みです。人体に対するものではなく、研究費や、機械を作る費用の捻出、それに出来れば専属の工学臨床検査技師さんがいて欲しいし・・・実用化できても、今度は健康保険がきかない。ガイドラインとして認められるまでには、多くの実証効果症例を出さねばなりません。そこまで行き着くには、どんだけのお金と、時間がかかるか・・・究極の最善治療とは、自由診療!ってことになってしまいます。。。
2009年06月12日
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この3ヶ月、毎月、親しくしてきた患者さんの訃報が届いたせいか、どうにも、気力がいまひとつです。これまでも多くの訃報に接し、常に満身創痍・・・ってどこかで感じながらも、案外、私ってタフじゃんとか思ってきたけれど。。。チビっとばかり、お疲れモードかも・・・とか、言ってはいられません次から次へと、大変なことが起こりますです。ちょっとばかり前、用件が溜まりに溜まり、米村先生にしたら、おぉ~、久しぶりやねとか言われ・・・ん??、そんなに間が空いたっけっか?と記憶をさかのぼれば、1週間前にも話しとるやん(どんだけ、久しぶりやねん)そもそも、この1週間前の電話は超緊急でした。ここで何度か、 「希望に向かって」 と題して書いている患者さんのその後です。この患者さん(スキルス胃癌・20代・男性)が、栄養不良で倒れ、自宅近くの病院に緊急に搬送されたという一件を、先月書きました。単に栄養不良で、高カロリー輸液を点滴したら、すぐさま元気を取り戻したという経緯でした。手術後、胃は全摘していますから、食事の苦労から始まります。ですが、何れ代替胃という胃の代わりをしてくれる物が出来てきますので、少しずつ、食事も楽になっていくはずなんです。先月、術後1年を経過した、スキルス胃癌(腹膜播種)のやんちゃさん(40代・男性)なんて、たっま~にダンピングをやっちゃうようですが、今は、普通に食事してます。この 「希望に向かって」 の男性患者さんは、術後5ヶ月目というところ。術後にもTS-1服用と、腹腔内化学療法をしているせいで、どうにも食事の苦労は楽にはならない様子・・・過去の日記をご覧頂くとわかりますが、この患者さんの場合、スキルス胃癌が判明した時点で、多量の腹水が認められました。抜いても直ぐに溜まってしまう、抗癌剤治療(TS-1+シスプラチン)が1クール終了する頃になっても、全くと言って改善の兆しなし。抗癌剤治療の奏効が、全くと言って良いほど認められない状態でした。この時、医師から言われた余命は、3ヶ月。昨年の秋のことです。それが、2クール目になって突然、腹水が溜まらなくなり、ここで腹腔内化学療法に切り替え、その後、手術になった患者さんです。開腹してみると腹膜の癌は綺麗に消え、原発の胃の癌も、とても縮小していました。癌というものは、消える=なくなる という事ではありません。薬で消えても、そこには癌が未だあると思われ、切除する必要があります。ですので、胃全摘と、脾臓、胆嚢切除、腹膜部分切除、リンパ2郡カクセイという手術となりました。この患者さんの場合、手術しても、いずれ再発するのは確実と思われる状態なんです。ですので、再発をどれだけ先送りに出来るか・・・これが課題となります。再発予防のTS-1服用はスタンダードですが、これだけでは不安な状態ですので、術後にも腹腔内化学療法を取り入れました。この術後の腹腔内化学療法ですが、手術による避けられない癒着が、若干なりともあるハズで、術前ほどの効果は期待できないものの、何もやらないよりは良いだろうという事から、始まりました。何せ、スキルス胃癌の術後の再発率たるや、メチャ高い。腹膜播種となれば、手術する医師はとても少ないです。それに加え、腹膜の部分切除をも含めた手術を行うのは、日本では米村先生だけ・・・と言って良いだろうと思います。ですから、日本全国から患者さんが訪れます。で、話は戻って、この患者さんですが、この併用療法による再発予防の治療が、どうも食事を困難にしているフシがあります。前回、栄養不良で倒れてから、在宅でもIVHが出来るようにと、中心静脈にポートを埋め込みました。ここからの栄養点滴なら、1日1パックでも800~1200キロカロリーくらい入れられますからね。ただし、時間をかけて落とさねばならないという欠点はありますが。8~12時間かけて、ゆっくり落とす必要があります。高カロリー輸液を落とせるようになったものの・・・また、お姉さんから 「弟が、40度の発熱で病院に運ばれました!!」 という緊急メールが届きました。内容は、高熱を出して地元病院に運び入院したので、患者さんの奥さんが、米村先生に電話を入れたものの、繋がらない、どうしたら良いでしょう??というものでした。この場合の高熱は、IVHポートからの感染症が、1番に疑われます。在宅でも入院でも、これはよくある話で、IVHの経験者は、必ず1度はやってしまうと言っても過言じゃないくらいの頻度です。IVHを止めてポートを抜き、その後、抗生剤の点滴で直に治まるのが一般的。ですので恐らく、IVHポートからの感染症だろうと思いました。米村先生と直ぐに連絡を取り、その後、先生から患者さんの血液データを送るように指示が出たようです。ひとまず、安心。。。ところが!!この数日後に、お姉さんから慌てた声で、朝一番に電話がありました。「昨夜、弟が一時的にですが、心臓が止まったようなんです」話を良くきくと、カリウム不足による心室細動が起きたらしい。心臓はカリウムの代謝で動く臓器ですからね。電気ショックですぐさま、鼓動は再開したようです。意識はあるのか?とか、幾つか質問をしてみたけれど、お姉さんも慌てていて、これから病院に行って確かめます!と言う。米村先生への連絡も行っているのかも、わからないと。ただ、地元病院の医師が、米村先生からの連絡を待っているようだとのこと。すぐさま、米村先生に電話を入れ、「心停止」 の件を伝えると、「えっ」と、かなり驚いたご様子。僕、今日はここにいるから、直ぐに電話を入れるように伝えてくださいと言われる。(・・・っていうか、ここって言われても・・・、どこ??)←先生も慌ててる^^;FAXで送ったという血液データも、届いてないなぁ、見てないからねぇ送っている筈なんで、直ぐに探してください!!とにかく、向こうの病院に、必ず電話いれてくださいよ!!とまぁ、とにかくドタバタのやりとりの後・・・家族からの連絡を待って、向こうの病院に連絡を入れるという事となりました。何とか、医師間の連携は取れて、今は患者さんの状態も回復しています。ここまでの原因ですが、どうも、腎機能の低下からくるアシドーシスのようです。このアシドーシスとは、簡単に言うと中性に保たれていなければいけない体が、酸性になってしまう現象です。この酸性になってしまう原因は、幾つも考えられますが、この患者さんの場合、腎臓に何らかの悪い影響が起こっているようです。強い酸性状態になり、カリウム不足もあり、一時、心停止とまでなった・・・みたいです。なんでこんなことが起こるのか?これは、原因不明。抗癌剤が起因していると考えられ、しばらく、治療を止めて様子をみるようです。多くの患者さんの状態経過を見てきましたが、こんなことは、実に初めてです。患者さん本人ですか?今は状態回復していて、早く、米村先生に診て貰いたがってます。困難続きではありますが、まだまだ、諦めずに前向きです
2009年06月10日
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今日は、昨日まで書いてきた、「そりゃないよ」 シリーズの患者さん(30代・男性)の4歳の娘、マイちゃんにスポットを当てて書きます。ここでは患者さんを 「パパ」 奥さんを 「ママ」 と表現しますね。多くの患者さんが、小さなお子さんへは 「親は癌」 という告知をしません。ですがこの患者さんは、幼子である娘に、ちゃんと告知をしました。そんな告知を受けたマイちゃんの話を。。。私に最初にメールが届いた頃、マイちゃんのパパは、鬱病で睡眠薬を20錠も飲んでしまうという、事件を起こしました。自宅でヘロヘロになったパパ・・・フラフラしながら、家の中を歩くパパ・・・そんな姿を見たマイちゃんは、両手でパパを支えようとしました。もちろん、小さな体で支えられるハズはないです。それでも、パパを支えなきゃ!!って思いで、必死だったんですね。パパの闘病を通して、マイちゃんは色んな事を学んでいったように思います。願い事 (パパが元気になること) を神様に叶えて貰う為には、自分も何かを我慢しなきゃいけないこと、頑張らなきゃいけないことがあるって、誰が言ったわけでも無いのに、思うようになります。だから、 「良い子で保育園に行く」 って言ったり、 「クリスマスも、お誕生日もプレゼントはいらない、その分、パパにあげて」 って言ったり。。。経済的に助けるとか、実際に治療を耐えるとか、パパの痛い辛いを代わてあげるとか、マイちゃんには出来ないけど、それでも、マイちゃんに出来ることを自分なりに探してたみたいです。ある時、ママも疲れてしまって、ついパパに優しく出来ない日がありました。そんな時、マイちゃんはママ、パパには優しくしてあげんとって言いました。さすがにママは、4歳の娘に真を突かれて、マジにへこんだようですが^^;苦しい人、辛い人には優しくしてあげないといけない・・・こんなことも、いつしか学んでいたんですね。こんなマイちゃんの姿に、パパもママも、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、励まされ助けられてきた事は間違いないと思います。小さな子供ですから、病気の説明をしたところで理解出来ているとは思いません。でも、パパが重い病気で、もしかしたら死んじゃうかもしれない病気で、とにかく家の中は大変な状況!!って事は、わかります。こんな歳の子供は、天真爛漫に生きているのがベストだと思います。両親が健康で、仲良くしてくれていれば、それが最高で最良だと思います。でも、人は誰かを羨んでも、他の人にはなれません。パパが重い病気だっていう現実は、変えることが出来ません。マイちゃんのパパは、たった一人。元気じゃなくても、パパはパパ。大好きなパパに違いはありません。そんな大好きなパパを、ママもお爺ちゃんも、お婆ちゃんも支えようと頑張ってる。だから、マイちゃんだって頑張る・・・これは、家族の一員として自然なこと。もちろん4歳児ですから、反抗期も相まって、時にワガママも言います。我慢ばかりは出来ません。だけど、奥底ではちゃんと家族の一員として、戦力になっていました。そんなマイちゃんに、神様は粋なご褒美をくれたようですよ昨夜、ママからこんなメールが。。ひろりんさん、マイにはパパが見えているんです昨日の晩、こんなことがあったそうですママとマイちゃんが一緒にお風呂に入っていた時のこと。 ママ 「パパも一緒にお風呂に入れたら良かったのにね」入院が長引くと、患者さんは皆さんが言われます、 「お風呂に入りたい」 って。体がしんどくなると、お風呂に入ることもキツクなり、体拭と言って濡れタオルで体を拭くだけになってしまいます。そんな時、ゆっくり湯船に浸かりたいって思うんですね。多分、パパもそう言ったんじゃないでしょうか。だから、ママはこう言ったんだと思います。 マイちゃん 「一緒に入っとるが 今、ママに抱きついてとるで」 ママ 「?????」どうやら、パパ、お風呂に一緒に入っていたようです。パパは見えていないって、思っていたようで、慌ててマイちゃんに近寄ってきたようです。 マイちゃん 「あ~つ、こっちにきたぁ~! 離れ~ 」この時、マイちゃんの視線は明らかにパパを追っていたとか。マイちゃんには、パパが見えたようなんですね。パパは、お風呂でママに抱きついている所を、マイちゃんに見られちゃってバツが悪かったんじゃないでしょうかパパが見えるから、マイちゃんは寂しくないみたいです。今のパパは元気だから。頑張っても願いは叶わなかったけど、マイちゃんは誰も恨んだりしていません。ママも、パパがここまで生きられたのは、米村先生のお蔭ですと言われました。そして、パパを元気に出来なかった私のことも、相変わらず、「大好き」 なんだそうです^^;
2009年06月05日
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今年に入ってからも、ずっと入院生活は続きました。年明け早々に、愛娘のマイちゃんの4歳の誕生日があり、その月の下旬には、そりゃないよさんの誕生日があり・・・年末のクリスマスから、何かとイベントが続きました。幸せそうに、マイちゃんとのツーショット写真が、何度となく送られてきました。体調は?と言えば、ちょくちょく熱が出たり、下がったり・・・調子が良い日に、自宅に帰る日もありました。腹水も溜まったかと思えば、ペッタンコになったり・・・食事をしても吐いてしまうので、又、腸閉塞か?と思いきや、検査上では食べられるハズになっている。なのに食べては吐いてしまう。もう、食べることは出来ないのか・・・と嘆いていると、普通に食べる事が出来たり。とにかく、体調は目まぐるしく変化。主人がこんな状態です、もうダメかも・・・と慌てたメールが届いた後には、必ず嘘のような軌跡の復活。。。何度繰り返したかわかりません。主治医も、この経過には首を傾げるばかり・・・米村先生にもちょくちょく報告は入れましたけど、その先生すら、「ほぉ~」と不思議がるほど。それが、5月に入ると多量の胸水が溜まるようになりました。両肺からそれぞれ、2Lを越える胸水が溜まり、抜くことに。そして6月1日、帰らぬ人となりました。こんな風にダイジェストで書くと、辛い日々ばかりのように思われるかもしれませんけど、そうではありません。もちろん、苦しい日もあったけど、ちゃんと幸せだってありました。過去の私の日記をご覧頂くとわかると思いますが、この 「そりゃないよ」 シリーズでは微笑ましい内容や、笑える内容もあったでしょう?このシリーズは、何よりご本人が一番喜んでくれていました。また、ネタを送ります!!ご本人から届くメールに、必ず書かれていた文句です。私が書く都度、本当に喜んでくれて、ご家族揃って笑顔になってくれたようです。私に最初にメールが届いた頃、奥さんはご主人のことを、こんな風に表現しました。「毎日、主人は死んだ魚のような目をして過ごしています」 と。。。そんな日々だったのに、手術へ気持を切り替えた日から、変わっていったのです。人から見れば、僅かな時間だったかもしれません。ですが、確実に笑顔を取り戻した時間があり、心身共に元気な時間があり、ご家族で幸せな時間を作りました。長く辛い日々へと、結果的には変わっていってしまったけど、頑張って作りだした幸せな時間が、嘘だった訳でも、夢だった訳でもありません。いつだったか、奥さんがこんなメールをくれました。「まいがこんな事を言いました まいちゃん、ひろりんさん大~好き だって、パパを元気にしてくれる人だから」4歳のマイちゃんが、こう言ったそうです。ごめんね、マイちゃん、パパを元気にできなくて。。。
2009年06月04日
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そりゃないよさんは、手術で全ての癌が切除できました。あくまでも、目視出来る癌という意味において・・・ですけどね。入院期間は、2週間程度じゃなかったかと思います。自宅療養を経て、職場復帰も果たしました。仕事に行くようになってから、ご本人と直接電話で話した事があります。明るい声で、メールでは何度もやり取りしているのに変ですが、はじめましてお陰様で元気になりましたそんな風に、笑いながら言われましたね。ゆっくりではありますが、本来の日常を取り戻し始めました。そんな時間が少しばかり経過してから・・・奥さんから、どうにも本人が不調を訴えるという内容のメールが届きました。病院で検査を受けても、何処にも異常は見当らず、問題なし。何で、やたらと疲れると言うのか、しんどいと言うのか、周りには全く理解出来ず、この時は正直言うと 「怠けてるだけ?」 としか思えない日もあったようです。もともと、鬱病もあった方で薬の処方も受けていましたからね。その薬はもう不要と医師に判断され、服用を止めてしばらく経っていました。検査上で体には問題はなくても、精神的に、新たなスタートはキツイのかなぁ・・・鬱病の再発なのでは?そんな風に捉えていました。そんなある日の真夜中、寝ている奥さんを起こし 「明日から入院する!」 と、そりゃないよさんが宣言したんです。奥さんは、何でこんな時間に言うんだろ?私にだって仕事があって、夜は寝ないと明日が辛いのに・・・と、訝しく思ったそうです。ご主人が癌になり、最初の手術から現在に至るまで、収入は激減する、出費はかさむの現実があって、奥さんも子供を保育園に預けて働いていました。小さな子供を育てるだけだって、心身共に大変なことで、その上に仕事に、ご主人のフォロー。幸か不幸か、ご主人は若い。ご両親も当然若く、同居している事もあり、経済面を含めて頼れるのが救いでした。何が何だか良くわからいないまま、地元病院に入院となったのです。2008年11月の終わり頃だったと思います。この時は、ご家族は入院の必要性を、あまり感じていませんでしたが、本人が入院したいと言うのだからと、本人の気が済むようにさせよう・・・そのくらいの意味合いでした。栄養不良ではあったので、栄養点滴による入院。1週間か10日で退院するだろうと、思っていました。ところが、意に反してこの入院は長引きます。これまで検査では出て来なかった異常が出始めます。12月に入ると、腹水が認められるようになりました。癌は切除しきれた筈!もしは、これは再発?と不安が大きくなる頃になると、ご家族も 「怠けてるだけ」 では無かったんだ、本当にしんどかったんだと、思うようになります。本当の辛さを、わかってあげられなくてゴメン・・・って。そもそもこの腹水ですが、何度となく検査を受けていますが、時に陰性のときもあったのです。いきなり大量に溜まり、腹腔内に埋め込んだポートの傷口から漏れ出る事もあり、傷口が開き化膿したこともありました。この傷口は、私にも写メで送られてきましたが、大きく化膿しており、あっちゃ~と私も驚きました。この写真と、現在の状態がわかるデータをご家族が持参して、米村先生の元へ行って見解を聞いて来てはどうか?と言いました。ご家族もそれを望んでいましたし、地元の医師と米村先生の連携も、今後必要となるだろうと思ったのです。これは言うなれば、患者サイドの勝手な申し出ともなりますが、地元の病院にお願いするしかありません。必要とあらば、米村先生に 「お願い」 という形で、地元の医師宛てに一筆書いて頂こうと思ってもおりました。米村先生の口から、「再発」 の言葉が出て、ご家族の落胆は相当のものでしたが、これは一体何??と不安ばかりの毎日よりは良かったようです。この頃から、地元病院の医師が、とても良心的に米村先生との連携を取ってくれるようになりました。時にご家族を通して、時に主治医自身から米村先生に見解を求めるという形で。このパックリと開いてしまった傷口は、もう塞がることは無いだろうと思っていたのですが、ちゃんと塞がり、腹水も何故か出なくなり・・・とにかく、???の軌跡の回復が何度も何度も、起こりました。(続きは次回)
2009年06月02日
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このブログでのシーリズ化としては、一番長いと思いますが、「そりゃないよ」 の患者さんの話を。実は今朝、訃報という形で近況が届きました。30代半ばという年齢、4歳になった娘のマイちゃんを残して、今朝、旅立ちました。そりゃないよさんの、スキルス胃癌が判明したのは、2007年1月です。この時、胃切除の手術を受けましたが、既に直腸や腹膜にも癌が見られる状態でした。(胃は全摘だったと記憶しています)術後は再発予防というよりも、のこした癌を抑える為の抗癌剤治療として、TS-1を服用。術後、そりゃないよさんには 「癌がお腹に少しだけ残っている」 という、何とも曖昧な説明でお茶を濁したようです。手術から、1年が経過した頃に奥さんから相談メールが届きました。この時、若干ではありますが腹水が認められ、医師からは厳しい話も出たと言います。既に、手術後にご家族には、長いとは言えない余命の話も出ていましたが、1年を何とか過ごしていました。私に相談メールが届いた頃(2008年2月)、実は、曖昧な説明しか受けていなかった、そりゃないよさんは、鬱病でした。ある日、睡眠薬を20錠も飲んでしまい、フラフラになってしまったのです。この行為は、咄嗟のものであるのか?、ただ眠りたいと願っただけの行為なのか?それとも自殺未遂と言える行動なのか?・・・・いずれにしても、心身共にとっても悪い状態だったのです。この時に、米村先生のセカンドオピニオンを受ける事となりました。2008年3月のことです。ご家族だけで先ず、話を聞きました。米村先生と出会い、ご家族は方針を変える事を決意しました。本人にちゃんと本当の話をしよう!病気に向き合って貰って、そして、一緒に前向きに闘おう!と。このご家族の決心は、本人には残酷なことで、もしかしたら、もっと追い詰めてしまう可能性だってあります。ですがそんな周りの心配をよそに、事実を知った本人は、驚くほど前向きになりました。早々に米村先生の元で、腹腔内化学療法を受け始め、いつしか鬱病の薬が不要なほどにまで、精神面が回復したんです。そりゃないよさんにとっては、嘘を付かれる、隠し事をされる・・・こちらの方が、残酷だったようです。治療が始まって、ご家族も含めて精神面が向上したのも束の間・・・2008年のGWには、腸閉塞の症状が出てしまいます。腹腔内化学療法を始める1ヶ月くらい前、既に腸閉塞の症状が出ていました。それで、早々に腹腔内化学療法を開始したのですが、即効の抗癌剤はありません。地元病院に緊急外来で連れて行き、再び、腸閉塞が判明したのですが、GWという事もあり本来の病院への移動が難しく、何より、本人を動かせない。。。主人は動かせないし、本来の病院に電話を入れたら兎に角、連れて来て下さいの一点張り。。。ひろりんさん・・・私、どうすりゃいいんじゃろ・・・泣きながら、お国言葉混じりの電話がきましたっけねぇ・・・即、米村先生に連絡を取り、緊急入院となった病院へ米村先生からの連絡を頼みました。こういう場合、この患者さんは米村先生の患者さんであり、米村先生の指示というより、頼みがなくては、地元病院では単に、痛み止めや栄養点滴といった、応急処置しかできません。状態が落ち着いた頃を見計らって、本来の病院へ移動、約3週間入院して退院となりました。退院してからは、普通に通院。。。ですが、少しずつ状態は進行していき、もう、これ以上は待てないと、手術となったのが2008年7月です。抗癌剤治療だけでは、もう先が見えていて、言わば大博打とも言えます。手術しなければ、恐らく、この時点から3ヶ月が限界では?と、内心私は思っていました。(続きは、また次回)
2009年06月01日
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