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かつて日本の教育は、そして今なお多くの学習塾は、「知能」を伸ばすことに重きを置いてきました。「いかに早く、正確に、効率的に正しい答えを導くか」――。この価値観が根深く教育の土台を形づくっています。しかし、私はこの現状に強い違和感を覚えます。教育現場にいる大人たちも、心のどこかで気づいているはずです。「知能」だけを伸ばすやり方では、21世紀の社会は生き抜けないということに。それでも、惰性や制度の都合からか、旧来型の「答え探し教育」にしがみついてしまう。中には、その「知能」すら十分に伸ばせない指導者さえ少なくありません。知能・知性・知識・知恵の違い私はこう定義しています。知能…「答えのある問い」に対して、早く正しい答えを導く力知性…「答えのない問い」に対して、その問いを問い続ける力知識…言葉で表せるものであり、書物から学べるもの知恵…言葉で表せないものであり、経験からしか学べないもの現代の教育は、ほとんどが「知能」と「知識」の領域にとどまっています。しかし、これからの時代に本当に必要なのは、「知性」と「知恵」です。子どもたちはすでに知っている今の子どもたちは、生まれたときからITやスマートデバイスに囲まれてきました。わからないことは数秒で検索できる――そんな世界が当たり前です。彼らは体の芯で理解しています。「調べればわかること」に知能は必要ない、と。だからこそ求められるのは、“正しい答え”よりも、そもそも“問い続ける力”や“試行錯誤から導く知恵”なのです。しかし大人世代は、この感覚を子ども時代に体験していません。私たちは「先行き不透明な時代を生き抜くには、学歴と知能が命だ」と刷り込まれて育ちました。その価値観は、無意識のうちに子育てにも反映されます。「本当は知能よりも知恵の時代だ」とわかっていても、手放せない。そんな“常識”という名の呪縛に縛られているのです。人は簡単には変われない人間は、自らの価値観をそう簡単に変えることはできません。ましてや、他人を変えることはなおさら難しい。だからこそ、私は思います。真正面から説得して変えようとするのではなく、日々の関わりの中で、静かに育てていくしかないのだと。知性を磨き、知恵を身につける教育へ私は今日も、子どもたちと向き合います。テストの点数や偏差値だけでは測れない成長――それを引き出すために。知能や知識を超えて、「自分の頭で問いを立てる力」、「経験から学び、状況に応じて行動できる力」を育む。それがやがて、日本の教育の“当たり前”になる日を夢見て。今日もまた、子どもたちと一緒に歩んでいきます。
2014.06.28
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「ちょっとでも安いから」と、私たちはつい、遠回りな選択をしてしまうことがあります。たとえば、消耗品を買う場面。あなたの職場ではこんなことがありませんか?ある従業員が、「アスクルで買うよりも、ドラッグストアの方が50円安い」と言って、片道10分かけて徒歩でお店まで出かけていく。——これ、一見“正しい行動”に見えるかもしれません。けれど、少し視点を変えてみると、その判断は本当に合理的と言えるのでしょうか。「50円安い」けど…その行動にかかる“本当のコスト”とは?具体的なケースで考えてみましょう。アスクルで売っているティッシュが1箱500円。一方、近所のドラッグストアでは450円で手に入ります。確かに、モノの価格だけを見れば、後者の方が「安い」。でも、ここに“時間”の価値を加えると、話が変わってきます。仮に、その従業員の時給を3,000円とします。片道10分、往復20分かけてドラッグストアで買いに行くと、労働コストは約1,000円。商品代450円と合わせて、実質の総コストは1,450円にもなるのです。一方、アスクルであれば、パソコンでクリックひとつ。作業時間は3分ほどなので、労働コストは150円程度。商品代500円と合わせても、総コストは650円で済みます。同じ商品を手に入れるのに、実に800円もの差が生まれる。これが、「見えないコスト」の正体です。時間=お金。だからこそ「時間の使い方」は経営そのもの私たちはつい、「目に見える価格」だけで物事を判断しがちです。でも、経営の視点に立つと、“時間もまたコストであり資源”。それをどう使うかで、生産性や利益が大きく左右されるのです。この例のように、ちょっとした選択でも、「サンクコスト(埋没費用)」「機会費用」「労働生産性」といった観点で見ることで、本当に合理的な判断ができるようになります。しかも、浮いた17分間を他の業務に活用できれば、その分だけ、より生産的なアウトプットにつながるかもしれません。“安いものを選ぶ”のではなく、“価値ある時間の使い方”を選ぶ。これこそが、持続的に成果を出し続ける人の視点なのです。会計や経営に携わらなくても、「考えるクセ」を持つだけで人生は変わるこの話をすると、よく「でも自分は経営とか会計とか分からないし…」と返されます。でも、大切なのは知識ではなく、**“見方を変えるクセ”**なんです。日々の買い物、時間の使い方、人との接し方。それぞれに「見えない価値」や「未来の差」が隠れています。そのことに気づけるだけで、10年後の景色は大きく変わってくるはずです。たとえば、車で10分かかるスーパーに、数十円安い野菜を買いに行く。それが本当に“お得”なのか?ガソリン代、移動時間、手間……それらを天秤にかけて考えられる人は、日常の中で自然と「時間を投資する」という感覚を身につけていきます。“号令の時間”は、そんな視点を届ける小さなきっかけ私たちの教室では、朝の“号令の時間”に、こういったちょっとした事例やニュース、物語を取り上げて話すことがあります。目的は、「正解を教えること」ではなく、**“ものの見方を少しだけ変えてみる”**という体験を届けること。子どもたちが、やがて社会に出て、選択を重ねていくとき、その視点が確かな道しるべになってくれると信じているからです。***これからの時代、単に「安い」や「効率がいい」ではなく、“何に時間を使うか”が、人生の価値を決めていく時代です。「目先の安さ」よりも、「時間の豊かさ」を選べる自分であるために。今日もまた、小さな“考えるきっかけ”を大切にしていきたいと思います。
2014.06.25
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期末テストの結果が、続々と返ってきています。「点数が上がりました!」という報告もたくさん届き、うれしいかぎりです。けれど、点数が上がることは、実は“当然の結果”だと思っています。なぜなら、それだけの努力を重ねてきたのですから。大切なのは、どんな勉強をして、その点数にたどり着いたのか。つまり、「結果」ではなく「過程」にこそ、本当の価値があると、私たちは考えています。***これまで、当塾には、修猷館高校を“あとから”目指すようになった生徒が多くいました。たとえば、入塾当時は2番手、3番手の高校を志望していたけれど、勉強の成果が出て、最終的に修猷館に合格する——そんなケースがこれまでは主流でした。けれど、今年度は少し違います。「最初から、修猷館に行きたい」と、強い意志を持って入塾してくれる生徒が、確実に増えています。そして、そんな生徒たちの姿勢は、どこか頼もしくもあります。期末テストの直前になっても、「この教科、どうしたらいい?」と不安そうに尋ねてくることはありません。こちらから特別な対策を用意することも、あえてしていませんでした。それでも、結果は——満点を取ってくる。それは偶然ではありません。各教科ごとに、どんなふうに勉強を進めていくのか。定期テストと実力テストでは、どんなアプローチが必要か。そうした「勉強のスタイル」が、すでに彼ら自身の中で確立されているのです。自分で考え、自分で決めて、実行する。まさに、自立した学びの姿があります。***そんな生徒たちに対して、私たち講師の役割は何なのか?テスト対策の「答え」を教えることでは、もうありません。むしろ、彼らに必要なのは、**“学びのアソビ”**です。アソビ——これは「遊び」でもあり、「余白」でもあり、「ズレ」でもあります。たとえば、授業の中で、ちょっとした雑談が生まれる瞬間。一見、無駄に思えるようなやりとりの中に、「学び」の本質が隠れていたりします。社会の授業で、歴史の人物について深掘りして話してみたり、理科の公式に、日常生活の中で応用できる例を加えてみたり。「それって、実際のところ、どういうこと?」と、勉強そのものに疑問を持ち、自分なりに考えてみる時間。そんな“アソビ”を通じて、学びはますます深く、豊かになっていくのです。***点数を取ることは大切です。でも、それはゴールではなく、むしろスタート地点。満点を取ったからこそ、「次はどんな学び方をしようか?」と考える。自分の頭で考える力があれば、どんな壁が来ても、乗り越えていける。その先に、ほんとうの“学びのよろこび”があるのだと思います。これからも、点数以上に「どう学んだか」に注目し、子どもたちの中に眠る力を引き出していきたいと思います。そして、時にはちょっとした“アソビ”を通して、学ぶことの面白さ、不思議さ、美しさを、いっしょに味わっていけたら——そんなふうに願っています。
2014.06.24
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6月3日以降、今日に至るまで、ありがたいことに、毎日ひっきりなしにお問い合わせや入塾のお申し込みをいただいています。もう6年目になりますが、これはもしかすると、新記録かもしれません。メールでのお問い合わせも多く、特に目立つのが、遠方からのご相談や、中学1・2年生の新たな入塾が多いという点です。わざわざ時間をかけてこの学び舎にたどり着いてくださる皆さんに、心から感謝しています。***数字や成果だけを見れば、「順風満帆ですね」と言っていただけるのかもしれません。ですが、私たちの視点から見える風景は、少し違います。実は、問題が山のようにあるのです。もちろん、危機的なトラブルというわけではありません。むしろ、多くの方にとっては「それって問題なの?」と思われるようなことばかりかもしれません。それでも、私たちはその“小さな違和感”や“未然の課題”を拾い上げ、見過ごさずに受け止め、日々話し合っています。というより、僕の性分なのかもしれません。“問題がないことが、最大の問題”と感じてしまうような気質で、つい些細なことまで気になってしまうのです。***そんな僕が、実はこの学び舎の先生の中で一番叱られています。「もっとこうした方がいい」「それは違うんじゃないか」——毎日のように指摘を受けます。でも、不思議とそれがうれしいのです。「怒られてうれしい」と言うと、語弊があるかもしれませんね。でも、そこには確かな“関心”と“愛情”があります。つまり、叱る方も本気で関わってくれている証拠なのです。無関心では決して生まれない、あたたかな摩擦。それは僕たちのチームが、“当事者”として本気でこの学び舎を育てようとしている証なのだと思っています。***さらにうれしいのは、「問題の質」がいい、ということです。単なるクレームや愚痴ではなく、「より良くするにはどうすればいいか?」という前向きな問いばかり。これは本当に、ありがたいことです。僕たちは、もはや単なる「学習塾」としてだけでは語れない存在になってきました。子どもたちの学力向上はもちろん、心の成長や家庭とのつながり、地域との関わりにまで目を向けながら、毎日を積み重ねています。だからこそ、さまざまな“想定外”が次々と現れるのです。でも、それでいいのだと思っています。僕の役割の一つは、多くの人にとっての“想定外”を、できるだけ“想定内”にすること。計画(想定)は悲観的に、行動(実行)は楽観的に。そんなバランスを意識しながら、これからもチームみんなで、一歩一歩、進んでいきたいと思っています。***この学び舎には、まだまだ可能性があります。その可能性を引き出すのは、僕ひとりの力ではありません。関わってくださる保護者の方々、生徒たち、そして何より、厳しくもあたたかく支えてくれる先生たちの力があってこそです。これからも、「問題があること」をむしろ喜びに変えながら、今日より少しだけ良い明日を目指して、歩み続けていきたいと思います。
2014.06.22
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いま、私たちの学び舎には、早良区や西区の広い地域から、たくさんの中学生たちが通ってきてくれています。西福岡、次郎丸、原、原北、田隈、梅林、早良、百道、壱岐、金武。そして今年度からは、新たに壱岐丘、福岡教育大学附属中、城西中、原中央中の生徒さんたちも仲間に加わりました。片道30分以上かけて通ってくれる生徒も少なくありません。また、開校から6年が経ち、かつて通っていた生徒の弟さんや妹さんが、中学に上がると同時に早い段階から通塾してくれるようにもなりました。そうやって家族ぐるみで信頼を寄せてくださることが、何より嬉しく、ありがたいことだと感じています。私たちは、少し変わった考え方を持っているかもしれません。でも、そんな私たちの方針に共感し、足を運んでくださるご家庭があることは、この学び舎の存在意義を支え、私たちの信念を貫く大きな力になっています。ありがたいことに、新しく入塾してくださるご家庭の多くは、卒塾生や現在通っている生徒・保護者の方のご紹介です。人から人へとつながっていくご縁は、何よりも温かく、信頼に満ちたものです。しかし一方で、私たちはあることにも常に注意を払っています。それは「伝わっている情報が、事実であっても、真実とは限らない」ということです。口コミというのは、ときに“伝説”のように語られてしまうことがあります。「すごい塾らしい」「とても厳しいらしい」「圧倒的に伸びるらしい」……ありがたい評価だとは思いますが、正直なところ、私たちがやっていることはとてもシンプルで、“至って当たり前のこと”ばかりです。むしろ、いまの時代には忘れられつつあるその「当たり前」を、もう一度大切にしているにすぎません。たとえば、生徒が真剣に勉強に向き合う時間を確保すること。教える側が、生徒一人ひとりと丁寧に向き合うこと。学ぶことを楽しみ、学びの姿勢そのものを育てていくこと。それはどれも、「特別なこと」ではないはずです。でも、情報が氾濫するこの時代には、そうした基本が見えにくくなってしまっているのかもしれません。いま私たちは、情報が生のまま届くことはほとんどない時代に生きています。SNSや口コミ、広告やブログ。それらはどれも「加工された情報」であり、「演出された情報」でもあります。もちろん、加工された情報の中にも“事実”は含まれています。けれど、私たちが大切にしたいのは、その“事実”の奥にある“真実”です。情報に振り回されるのではなく、自分の目で確かめ、自分の頭で考え、そして自分の心で感じる力を、これからの子どもたちにはぜひ育んでほしいと思っています。だからこそ、私たち自身も、誇張や過剰な演出に頼らず、ありのままを丁寧に伝え続けていきたいのです。過度に期待や不安をあおるような言葉には、立ち止まって考えてみる。「これは本当に、自分にとって必要な情報なのか?」「事実の中に、どんな真実が隠れているのか?」そんな姿勢を、私たち大人こそ持ち続け、そして子どもたちにも伝えていきたいと思います。“忘れられた当たり前”を、もう一度、ていねいに積み重ねる。それが、未来を生き抜く本当の力につながると、私たちは信じています。
2014.06.18
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「成長」とは、いつもほんの少し、自分の外側にあるものに手を伸ばすことから始まるのかもしれません。それは、ふだんとは少し違う、背伸びをした世界に一歩踏み出すこと。つまり“非日常”の体験をすることです。たとえば、1日に8時間も机に向かって勉強すること。これまでの自分にとっては考えられなかったような、そんな長時間の勉強は、明らかに“非日常”です。けれど、その“非日常”を一度経験してみる。そして、またその“非日常”をもう一度、もう一度と繰り返していく。するとある日、それが自然と「いつものこと」になっているのです。そうやって、少しずつ“非日常”を“日常”へと変えていくこと。その連続こそが、成長のスピードを加速させる原動力なのではないかと、私は思うのです。面白いことに、自分にとっての“非日常”が、他人にとっては“日常”であることも少なくありません。逆に言えば、他人の“日常”に自分の身を置くことで、自然と自分の限界が広がっていく。そんな環境に身を委ねられることもまた、大きな学びだと思います。――今日、私たちの塾では「3週連続・日曜無料対策授業」の第2弾を実施しました。特に中学1年生や、春から新しく加わった塾生たちの中には、「こんなに長い時間、集中して勉強したのは初めてです」と驚いた様子の子も。でも、私はそれを“喜び”として受け止めています。子どもたちは、今日という1日で、確かに一つの“非日常”を体験しました。そしてその経験は、彼らの中でしっかりと“経験値”として積み重なったはずです。そして、何より大切なのは、「今度は、それを自分の力でやってみよう」と思えるかどうか。誰かに言われてではなく、自分の意志で。明日、彼らはきっと、自然とまた塾に足を運んでくれるでしょう。長く通っている塾生たちと一緒に、学びの場に集まる姿が目に浮かびます。ちなみに、うちの塾は現在、男子1に対して女子4という珍しい構成。休み時間はまるでカフェのようににぎやかですが、授業が始まると不思議なほどの静けさが訪れます。私語ひとつなく、皆がそれぞれの課題に真剣に取り組む姿。その“メリハリ”が、私は何よりも誇らしく、嬉しいのです。「今の自分には難しそうだな」と感じることに、ほんの少し挑戦してみる。それが“非日常”を生きるということ。そしてその一歩が、やがて新しい“日常”をつくっていく。子どもたちの未来は、そんな一歩一歩の重なりの中で、ゆっくりと、でも確かに、形づくられていきます。それを見守れることが、私の何よりの喜びです。――次回はいよいよ、3週連続の最終回。日曜の塾が、子どもたちにとって“非日常”ではなくなっているかもしれません。それを想像するだけで、なんだか楽しみで仕方がありません。未来を変えるのは、ほんの少しだけ昨日と違う今日を積み重ねること。私たちは、そんな今日をこれからも大切にしていきます。
2014.06.15
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