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社会心理学から分析する ネット・コミュニケーションの最新形 なぜブログは書かれ、読まれるのか? これが、本著の帯に書かれている宣伝文句です。 2005年3月に出版されたものですから、 もちろん、当時最新事情だったことも、 今となっては、過去のことになっているところも、多少はあります。 それでも、全体的に見ると、かなり新しい情報の集まり。ただ、『ウェブログの心理学』というタイトルから期待するほど、ウェブログに対する、心理学的なアプローチは、そんなに多くはありません。第3章が、その核となる部分ですが、わずか40ページほどで、全体の約2割程度。以前、記事を書かせてもらった『インターネットの心理学』に比べると、物足りなさを感じないわけにはいきません。それよりも、本著から多く得られるものは、インターネットの発展に関する知識。これに関しては、たいへん面白く、参考になりました。巻末付録の『ウェブログの歩き方』や『インターネット・ウェブログ関連年表』もよくできており、こちらを目当てに購入するのであれば、満足度は高いかと思われます。
2007.11.25
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きちんとした敬語が、場面場面で正しく使えているかどうかは、 なかなか自分では、分かりにくいもの。 そこで、日々の言葉遣いをチェックするために購入。 かなり売れている本のようです。 結論から言うと、そんなに目新しいことや、 引っかかる箇所は、ありませんでした。 大部分が、「そりゃ、そうですね」と、思える内容。 つまり、私は、まずまず正しく敬語が使えているということ?イヤイヤ、実際は、そんなに上手くは、出来ていないと思います。じっくり考えれば、正しい言葉遣いは、思いつくのでしょうが、瞬時に出る言葉については、ついつい誤魔化してしまっていたり、思わぬ言葉が、つい口から出てしまうこともあるでしょうから、要注意です。 しかしながら、世間では、誤用が氾濫していることも事実。本著で「間違い」とされている言い回しが、どれほど、あちこちで、普通に用いられていることか……。「悪貨は良貨を駆逐する」ということに、言葉遣いもなっている様子。本著を読んで、一番参考になったと感じたのは、第4章における、冠婚葬祭の場面での言葉遣い。この部分は、敬語の使い方と言うよりも、マナーについての、たいへんよい勉強になりました。
2007.11.25
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表紙の深キョンが、とっても可愛い。 WOWWOWで今夜から始まるドラマでは、彼女が主演。 でも、私のなかでは、一ノ瀬恵梨香と深キョンでは、 そのイメージに、かなりの隔たりがあるかな……。 さて、今回は恵梨香が主人公として活躍する第2弾。 『千里眼とニュアージュ』で、岬美由紀と出会う前のお話。 私は『蒼い瞳とニュアージュ 完全版』は、まだ読んでいないので、 ひょっとしたら、そちらでは、前作から多少なりの変更点があったのかも。出だしの部分では、鋭い観察力を発揮し、短時間のうちに、相談者の核心に迫っていく。それは、千里眼・岬美由紀を彷彿とさせるほどの鮮やかさ。恵梨香って、ここまでシャープなキャラだったっけ?「反側空間無視」については、読んでいて、すぐに気がつきました。ストーリー展開前に、後の流れが予測できるのは、嬉しいものですね。「ドリトル現象」は、とても面白かった。恵梨香の、それに対する冷静な向き合い方が、とてもgood!美由紀と違って、恵梨香が、宇崎のことをちゃんと意識しているのもイイ。 まあ、これはTVドラマ化するためには、必要最低限の条件設定なのかな。それと、内閣情報調査室に勤める国家公務員である宇崎が、緊急のことであるとはいいながら、コナカで3点セットを1万円で購入し、それらを着用していたということが、なぜか、私の頭には強く残りました。 事件が解決し、恵梨香は「萩原県」へ。ここから、お話は『千里眼とニュアージュ』へと繋がっていく。『千里眼とニュアージュ』も、やがて「完全版」が出版されるのでしょうか?『マジシャン 完全版』も1月に出版予定、松岡さん、書き換えも大変だ……。でも、松岡さんにとって、書き換え以上に大変だと思うのは、「時間」の問題。岬美由紀を、いつまで経っても28歳という年齢で維持し続けるのは、とても大変。今まで起こった事件や、これから起こる数々の事件を、時間的に、時期的にどう関連づけ、成立させていこうとしているのでしょうか?
2007.11.25
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『オレ様化する子どもたち』の諏訪哲二氏による一冊です。 『オレ様……』に比べると、少々硬めのもの仕上がっており、 書かれている事柄を、きちんと理解しようとするならば、 最近出版されている多くの新書のように、読み飛ばすわけにはいきません。 個人的にいえば、最近読んだ、どの書物よりも、 ラインを引いたり、付箋紙を挟みたくなる部分が多かったです。 本当にリアルで、まさに現在の生徒・教師・教室が描かれています。 そんな中で、特に気になったところを挙げると、次のようになります。 年齢や成績のレベルによっても違うと思うが、 いま日本中の教師たちが何に一番困っているかといえば、 クラス(学級)という生活空間、学習空間が 子どもたちの生活圏のユニットと意識されていないことである。 (中略) 昔は、クラスの生徒たちに向かって一般的に伝達しておけば 誰かが伝えてくれたものだが、 いまではそのとき教師の言うことを聞いていないと、 「ボク(アタシ)は聞いていない」クレームをつけるのである。(p.114) 「学校」(教育)が期待する子ども(生徒)は朝早く起きて学校へ来て、 みんなと一緒に勉強したり、掃除したりする子どもなのである。 「私だけの私」の生き方や考え方を「学校」は許容するわけにはいかないのだ。 社会的な近代的個人としての汎用性の高い、つまり、ある意味で画一的な、 一律的な個人を形成しようとするのである。(p.132) 教師はクラスで「生徒」たちに話しているつもりでいる。 そのとき、「生徒」の位置にいない生徒には聞こえていない。 生徒たちは教室でも授業中でも、「生徒」の位置にいるのではなく、 それぞれの「この私」であるA君(さん)やB君(さん)の位置にいる。 もちろん、「生徒」「(私)」であったり、 A君(さん)(「この私」)であったりするのは異常なことではないが、 みんながそれぞれ好きな位置にいて、それに固執すると 「学級崩壊」が起きたりもする。 だから、現在の学校において、「質問(あるいは問題提起)をする生徒」は、 かつてのように必ずしも「いい生徒」とはいえないのだ。(p.162) 学校でもクラスを生活圏として見なさずに、数人のグループで生活しているという。 自分が認知している範囲でしか人と親しくなったりしない。 自分の(認知している)生活圏や接触ポイントに他人が入ってくると、 敵か味方かを識別して認知する。 そうでなければ「見下す」にしろ「見上げる」にしろ、他人は関係がない。 いちいち他人のことにかかずらわないのが彼ら式の「やさしさ」なのである。(p.186) 学校は「みんなで成長するための大事な公共空間」なのである。 親や子の「私」的な教育要求を満たすところではあるが、 それは学校の「公」に沿って実現すべきものだ。 「私」の扱いを「私」の要求どおりにせよ、と求めるところではない。 逆に、高村薫さんの言うように、「私」は40分の1に過ぎない、 と客観視することを身につけるべきところなのである。 そう思わない生徒は人間的に成長しない。 その大事な「公共空間」の公共性を維持するのは、 「公」としての教育行政や学校でなくてはならない。(p.242) 「ゆとり教育」推進論者も、「学力向上」推進論者も教育改革を口にする人たちは、 みんなAレベル(表現される世界)しか考えていない。 つまり、授業のことだけ考えている。知識の学習のことだけである。 教室という囲まれた空間にいることに、どういう意味があるか、 クラス集団の共同性がなぜ必要かなどとは考えないから、 すぐに「教室の壁をとっぱらっちゃおう」とか、 「クラスをなくそう」などと発想する。 空間(場)のあり方が「個」の安定にどう寄与するかなどとは考えないし、 そういうことを考える学問のフィールドもない。 つまり、これは「表現されない世界」なのである。(p.307)このほかにも、ワタミの「クレームゼロ運動」(p.280)等、大変興味深く読みました。 学校のなかの「表現されない世界」については、本文に「そういうことを考える学問のフィールドもない」とありましたが、今後、ちょっと気をつけて見たり、考えていきたいと思っています。
2007.11.24
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プレジデント 2007.12.17号のテーマは わが家に一冊!「医療機関との付き合い方」大全 頼れる病院 危ない病院さて、今回の特集ページ、「全国4000病院」の実力ランキングは、要保存版。1.心臓病(心カテーテル治療)のベスト2002.心臓病(心臓外科治療)のベスト1503.脳疾患治療のベスト1004.肺ガン治療のベスト1005.食道ガン治療のベスト506.肝臓ガン治療のベスト1007.乳ガン治療のベスト508.胃ガン治療のベスト509.大腸ガンの治療ベスト5010.内視鏡治療のベスト100以上について、日本全国の病院がランク付けされている。直接、生命に関わってくることだけに、今話題の、ミシュランガイド東京2008における、飲食店の星の数を眺める時より、このランキングを見る時の、読者の真剣さの度合いは、高まるはず。「治療・入院・手術」いざというとき いくら必要か?ノンフィクションライター山田清機氏による、この記事も参考になる。胃ガンにかかって1か月入院しても、サラリーマンの場合、公的医療保険や高額療養費制度を利用すれば、自己負担額は約8万円。差額ベッド代も、公立の病院であれば、保険会社が宣伝するほどには、入院費を押し上げるものではないらしい。また、三大疾病(ガン、心筋梗塞、脳卒中)は、死因のトップ3に違いないが、医療費がかかるトップ3ではない。統合失調症や認知症等の精神疾患の方が、平均入院日数が長くなってしまい、ずいぶんお金が、かかるのである。だから、三大疾病などの特約は、ナンセンスの極みとのこと。入院期間ではなく、働けない期間に対して保険金が支払われる「所得補償型の保険・特約」に入る方が合理的。どうしても、病気の治療にかかる費用に対して保険をかけるなら、「実損填補型の医療費用保険」がお勧めとのこと。つい先日、私も、これまで加入していた傷害保険から医療保険へと。切り替え手続きを済ませたばかりだが、この記事を読んで、ちゃんと理解してからにすればよかったと、少々後悔している最中である。
2007.11.24
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自分の決定は自分でしている。 誰もが、そう思っているけれど、実は違う。 実は、その決定は、誰かに影響されてのものであって、 自分で決定したと、思いたがっているだけ。 人は幸せなことがあったとき、楽しいことがあったとき、 それを頭の中で何度も思い返し、快楽を味わう。 さらに、その快楽を、共有できる誰かに伝えると、よりカ・イ・カ・ン。 この「自慢」をするため、新たな情報・ものを手に入れようとする。新しいことに遭遇したときの驚き、この驚きによって、脳が刺激され、快楽を味わうことができる。そして、誰かに伝えることができる、新しい話題や、みんなの共通の話題になるものを求め、人気店やテーマパークの行列に並ぶ。並んでいる、その行為自体に、快感を感じているかのように。「あの子可愛いよね」と、誰かの一言。それがきっかけで、みんなが、我も我もと、好きになっていってしまったりする。そして、その子は一躍、時の人、話題の中心、スターの座へと上り詰める。でも、最近は持ち上げられるのも早いけれど、落とされるのもとっても早い……。芸術自体に絶対的な価値があるわけではなく、誰かが、その価値をそこに見いだすことで、それを周囲の人が理解していく。その価値に共感していく、あるいは共感したように思わされていく。これが、神経経済学から見るゴッホ現象。ゴッホの本物の絵を目の前にしたとき、自分の持っていたゴッホの絵に対するイメージとの違いに多くの人が、肩すかしを食ったような落胆をするという。しかし、多くの人は、ゴッホの絵が理解できない自分を恥ずかしいと感じ、「やはり、ゴッホは素晴らしい!」等と、心と裏腹のことを口走る……。ゴッホという偉大な画家の絵ですら、一般人は、誰かの価値判断を借りて、見ているだけに過ぎない噂やブランドに騙されない、自分なりの価値観を持つこと。これは、考える以上に難しいことなのかも知れない。
2007.11.24
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モヤッとボールを立て続けに 思う存分、大量投入したい気分。 もちろん、最後の巧と門脇の対決シーンもそうだけれど、 それ以外の、あらゆる部分が、私にとってモヤッと気分。 とうとう6巻、完結まで読み進めてしまったけれど、 本当に理解し難いところが多かった作品。 あさのさんが、本当に伝えたいことは何だったのか? 思春期の少年の曖昧さ、不確実さ、それとも、頼りなさ、繊細さ、脆さ?でも、ここに描かれている世界って、なんか、中学生の男の子の世界じゃないような気がします……。もっとドロドロとした、陰湿で、神経ピリピリのイヤ~な世界っていう感じ。野球小僧って、もっとシンプルで、ストレートじゃないのかな?そう考えると、この作品は、そもそも、本当に野球をする少年たちを描こうとしたものだったのか?という疑念さえ生じてきます。何か、野球とはかけ離れた、異質なものが扱われているような感じ。そこへ来て、ダメ押しは、最後の「あなたへ」。これを読んで、ますます混乱してしまった私。この状態を脱するには、やはり、『ラスト・イニング』を読むしかなさそう。結局、また、次の一冊へと引きずり込まれるいうことか……。
2007.11.23
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「5分で黙らせる」 これだけでも、十分魅力的に思えるけれど、 それ以上に目を引いたのは、帯にある次の文章 「脅し文句別・対応問答集付き!」 本著では、次のような、よく聞かれるクレーマーの言葉に対する 具体的返答・対処法が、一つ一つ丁寧に示されるとともに、 それらのクレームに対する基本的な心構えや、 それらを解決するための、普段からの体制づくりについても述べられています。「どうしてくれる!」「誠意を見せろ!」「マスコミ、インターネットに流すぞ!」「保健所、行政に言うぞ!」「責任者としてのお前の力量を見せろ!」「右翼に知人がいるんだ」「街宣ビラまきになれば大変だぞ!」「ライバル他社はこう対応したぞ!」「いまから新幹線で行く!」「いつまでに結論を出すんだ!」「精神的来る腕仕事が手につかない!」「俺とお前の、心と心の問題だ!」また、後半部分においては、著者が対応したクレーマーたちの実例が数多く示され、著者や共に対応した人たちの頑張りが、よく伝わって来ます。また、そこから、クレーム対応の流れを掴むことができ、たいへん参考になります。そして、本著全体を通じ、私が特に感銘を覚えたのが、次の記述。 スピーディに対応することは誠意ですが、 スピーディに解決することは誠意ではありません。 スピーディーに解決しようとするのは相手の思うままになること、 罠にはまることでしかないのです。 したがって、言葉数をできるだけ少なくし、 相手のペースに巻き込まれないように、 のらりくらりした受け答えをしたり、 場合によっては沈黙したりすることも大事です。 悪質クレーマーに対しては、「逃げる」のでもなく、 「撃退する」のでもないということです。 悪質なクレームには屈することなく 「乗り越える」ことが大事なのです。 たとえ、表面的にはへりくだった部分があるとしても、内心では常に、 「私はあなたの言い分を聞きに来たのではありません。 あくまでも交渉に来たのですから、立場としては五分と五分の対等ですよ」 という意識を持っている必要があります。 とにかく、本著がこれまで出版された同種書物に比べ優れている点は、「具体的」という一語に尽きます。「ギブアップ・トーク」「5秒の沈黙に、10秒の沈黙で応える」「のらりくらりの術」「同意も反論もしない」「積極的な放置」等、相手に応じた、こちらの戦術も、複数、きちんと示されており、これらを駆使すれば、悪質クレーマーを乗り越えられそうな気がしてきます。買って読めば、即、役立つという一冊。読んでおいて、絶対損はないという、お薦めの一冊です。
2007.11.23
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超過激なタイトルに、まずは大仰天! でも、「教育は問答無用で叩き込む」というサブ・タイトルを見て、 「そういう部分もあるかな」と思い直し、 躾や義務教育、ゆとり教育に関する記述もありそうということで、購入。 しかし、過激なのは、タイトルだけではありませんでした。 著者が、小学6年生の児童たちを担任をしたとき、クラスで恐喝事件が起きます。 加害者ヨシヒロが事実を認め、被害者セイコに謝罪した後、 著者は、生涯に強い印象を残すためにと、頬をひっぱたきました。すると、極度の緊張とショックで、ヨシヒロの首が、少し曲がってしまったのです。その時、著者は、教室で児童たちに向かって、こう言いました。 「これはヨシヒロにとって人生の恥だから、 お前たちは絶対に親には言うな。 ヨシヒロも言うな。 先生も黙っていてやる」ヨシヒロの母親は、こどもの首が曲がっていることを不審に思い、本人に聞きますが、何も喋りません。母親は、クラスの父母たちにも聞き回りますが、どうしても理由が分かりません。そして、1か月ほどして、母親は学校を訪れ、著者から真実を聞くことになるのです。その際、著者は、母親に対してこう言ったのです。 「お母さん、首が曲がったくらいで人間が真っ直ぐになるのだから、 私に感謝してくれないと困りますよ。 セイコちゃんのご両親に謝っておいたほうがよろしいですよ」母親は、担任である著者に恐縮しながら、その場を去り、ヨシヒロの首は、それからほどなくして、元に戻ったといいます。母親が、こんな説明で納得できるような首の曲がり方って、どれほどのものだったんだろう……。しかしながら、この出来事を、こんな風に記述して、公に出版物として発表できる著者の感性に、私は驚きを隠せません。また、こんな人物が、私立高校で現在も校長を務め、その学校の経営が、ちゃんと成立しているというのも、信じられません。本著の他の部分に、どれだけ人を唸らせるような立派なことが書かれていたとしても(実際、「なるほど」「まさに、その通り!」という記述は、かなり多いのです)、この部分の記述から、垣間見られる著者の人となりを知ることで、それらは、全て台無しになってしまいました。
2007.11.23
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横手二中との練習試合におけるバッテリー崩壊から 再戦へ向け、巧と豪の変化を描いたのが今巻。 しかし、今巻の実際の主人公は、横手二中の門脇と瑞垣。 新田東中のメンバーと、様々な場面で絡んできます。 横手市を訪れた新田東中野球部元主将・海音寺を目の前にして、 普段の行動や巧に対する拘りについて、瑞垣が門脇を過激に挑発。 ついに堪忍袋の緒が切れ、瑞垣を殴りつける門脇。 さらに土下座まで要求する瑞垣を背に、門脇は、黙ってその場を立ち去る。新田東中の練習に参加したバッター・瑞垣は、キャッチャー・豪と、巧の投球について、言葉をやりとり。その直後、手に持ったボールを、いきなり上空に打ち上げ、捕球しようとした豪の足を、意図的に引っかけ転倒させる。そして、投手・巧の投げた次の一球は、打者・瑞垣の内角に食い込み、打者・瑞垣は、バッターボックスの外に倒れ込む。「わかってたんか?」という瑞垣の問いかけに、「はい」と答える巧。「どいうつもりや?」と瑞垣に問われ、「遊んであげようかと思って」と答える巧。「おれを、からかいたかったわけや……原田」「はい」瑞垣の右手が、巧の左頬、そして右頬を打つ。微動だにしない巧。素直じゃない少年たちの集まり。何か、違うなぁ……。それに比べると、巻末の「THE OTHER BATTERY」の二人は、分かりやすいし、共感できます。
2007.11.23
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まぁ、それにしても、えらい過去を背負わされちゃいましたね。 良家に育ったお嬢様という岬美由紀のイメージが、 根底から覆ってしまいました。 個人的には、ちょっと残念……な気もします。 親友の藍に伊吹先輩、外務省の成瀬さんたちの活躍で、 相模原団地を舞台にした人身売買と武器密輸の実態が暴露され、 絶体絶命のピンチを脱することに成功した美由紀さん。 でも、そのことがきっかけとなり、自らの意外な過去に辿り着くことに。途中、あのメフィストのダビデが登場し、幼少の記憶をなくさせたのは、友里佐知子だと告げる。彼女が、脳手術によって、美由紀の辛い記憶だけを奪い去り、その後、過去を再構築したのだと知る。そして、真実を求め、危険覚悟で敵の懐の中に飛び込み、美由紀さんは、見事にその謎を解明。裁判の方も、何と無罪判決となりました。でも、あれだけ暴れまくって無罪というのも、何か現実味がねぇ……。ところで、巻末の大塚さんによる解説は、これまでには、あまり見たことのないパターンのもので、なかなか面白いものでした。千里眼シリーズの解説の中では、ひょっとしてNo.1かも。
2007.11.20
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新シリーズになってから、 各巻の場面場面で、思い出したように挿入されてきた 美由紀の過去に関する曖昧な記憶…… その謎が、今回のお話で、ついに明らかになります。 まぁ、それにしても美由紀さん、 スタートからいきなり、これまで以上にエンジン全開。 イケイケドンドン、これでもかっていう感じで、 勢いを加速させながら、派手に暴れまくります。女性が記憶を失っているのをいいことに、夫のふりをして、身勝手な快楽のため利用した男を叩きのめし、雑誌の売り上げを伸ばすために、花火大会で大爆発事故を企てた出版社社長を、自白に追い込みます。けれど、暴れまくったつけは大きかった……。不法侵入、窃盗、公務執行妨害、傷害等々の容疑で被告人として、法廷の場に立つことに。このまま、有罪判決になってしまうのか?この美由紀のピンチを救うべく、カウンセラーの嵯峨君に、刑事の蒲生さん、それに、自衛官の伊吹先輩といった懐かしい面々が結集し、美由紀を突然豹変させる「過去」に迫ります。ストーリー展開が、何時にも増してテンポよく、お馴染みのキャラクター達を勢揃いさせたことで、古くからの読み手にとっては、すごく好印象。新シリーズになってからは、最高の出来じゃないでしょうか?一気に読み切り、次は下巻に突入です!
2007.11.19
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(3)まで読んで、随分長い間中断していました。 主人公の巧のことが、あまり好きになれなかったし、 その好きになれない理由も、自分の中で、何だかとらえどころがなく いつも、モヤッとした気分が、残ってしまっていたから……。 でも、今巻では、巧が他の野球部員と結構絡んだり、 横手の天才スラッガー門脇君や瑞垣君の登場、 さらに、吉貞君のキャラクターが、押し出されてきたことで、 ストーリーとして、かなり面白くなってきました。それにしても、豪もよく分かんない。今巻では、巧以上に、意味不明……。モヤモヤッとしながら読んでいましたが、途中でやっと、そのとらえどころのない原因が、見えてきました。それは、この作品が、女性によって書かれていると言うこと。巧も豪も、中学生の少年という設定になっているけれど、それを作り上げているのは、実は女性だと言うこと。彼らは、女性の感性から生み出された少年たち。そう思えば、何となく理解はできる。巧や豪が、少女だとすれば、こんな考え、こんな立ち振る舞いをしても、これほどまでの違和感はないかも。男の子だと思ってみるから、「何か違う……」と感じてしまう。もちろん、このことは、この作品に限ったことではありません。女性が描く男性は、本当の男性とは異なる部分が出てくるだろうし、逆に男性が描く女性も、本当の女性とは異なっているはずでしょう。そこに違和感を感じることも、当然のように起こってくるはずです。まあ、そんなことを言い出したら、女性は男性を描くことができなくなるし、男性は女性を描くことができなくなってしまう。と言うか、他人を描くことなんかできなくなってしまう。さらに言えば、自分自身のことだって完全に理解できているわけではないでしょうから、自分のことでさえ描くことができなくなってしまうのかも……。あ~ぁ、何だか訳が分からなくなってしまった……。
2007.11.17
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大学院がこんなことになってるとは…… 博士号をとりながら、就職は想像を遙かに超える困難さ。 必要に迫られ、コンビニでバイトをしたり、 中には、パチプロとして生活することになった者までいる。 ことの発端は「少子高齢化」による18歳人口の急減。 それから始まった「大学院重点化計画」。 大学や短大進学者数が激減する中、大学院生の数は、 20年前に7万人だったのが、平成18年には26万人を突破。短大・大学・大学院の進学者数合計は、平成3年に比べ、現在微増中。これによって、メリットを受ける者は、もちろん受入側。お客さんを減らしては、商売は成り立ちませんから。ところが、お客さんたちの方はというと、デメリットをもろに被ることに。色んな大学に、どんどん大学院がつくられ、そこに、かき集められたお客さんたち。そこには、かつてなら、そんなタイプのお店に立ち寄るなんていう発想すら起こらなかったであろうはずの人たちも混ざってしまっていた。オープン記念セールの呼び込みに誘われて、フラリと店内へ。そこで、時々、店員さんのお手伝いなんかもしながら時間を過ごせば、やがては、そのお店や関連企業で、きっと雇ってもらえるはずだと期待していたのに、いくら待っても、そんな誘いは、どこからもかかってこない。挙げ句の果てに、店を追い出され、次に目指すべきところも思いつかず、路頭に迷う……。もちろん、入るお店をちゃんと選んでいれば、何とかなったのかも……。いや、やっぱり、何ともならないことも、多いみたいです……。 でも、よく考えれば、こうなることは、結構簡単に予想できたのかも……。お客さんの数が、今後減り続けていくことが分かっているのに、店員さんの数を、これまでより増やそうとするお店なんて、あるはずない……。やっぱり、甘い誘いに「はめられた」と言うことか……。ここは、もう考えを切り替えるしかない。今までとは違うやり方、生き方を探すしかない。大学院を卒業して、パチプロっていうのも、「あり」としなければならないのかも知れない。著者の言うように「博士号」というもののとらえ方をこれからは、変えていくしかない。そういうものだと理解したうえで、大学院には進学しなければならないと言うことでしょう。
2007.11.17
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ヴィエラ先生が、マーラーの2番「復活」を指揮し、 のだめたちは、ウィーン観光で、ブルックナーが住んでいた家を訪ねる。 さらに、シュトラウス親子の確執エピソードまで盛り込まれるなど、 今回は、私の好きな音楽家が目白押しで、とってもHappy!! でも、今回の主役は、やっぱりユンロン。 のだめや千秋のように、どこまでも突き進むことができる者は、ごく僅か。 その何倍も、ユンロンのように、別の道へと歩んでいく者たちがいる。 その、現実の厳しさが、痛いほど伝わってきた今巻は、秀逸。それに対し、突如開眼したターニャ。ユンロンの悔しい思いを胸に、新境地へと挑む!そして、清良、目の前に立ちはだかる壁を乗り越えることができるのか?それ以上に、峰君、君はこれから何を目指し、どこに進んで行くのだ?
2007.11.17
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期待に違わぬ充実した内容。 色んな商品の価格の決まり方が、とてもよくわかります。 私もタイトルに惹かれ、気にしていた本ですが、 やはり、世間の皆様も注目し、よく売れているようですね。 ペットボトル入りのお茶の値段が、コンビニとスーパーで違ったり、 テレビやデジカメの値段が、発売後、月日が経つにつれ、だんだん安くなる。 この辺りの理屈は、だいたい分かっていましたから、 「そう、そう!」と納得しながら読んでいました。ところが、大ヒット映画のDVDの価格が段階的に下がっていく理由や、携帯電話の料金設定が複雑な理由になると、ちょっと違っていました。「そうだったのか……」という感じのところがとても多く、「売る側の事情」に、初めて気付くことができました。また、100円ショップの安さの秘密も、本当に「なるほど!納得!!」の世界。「つくる側」そして「売る側」に、こんな事情があったが故にあんなに安いのかと、思わず感心。まさに「目から鱗が落ちる」の世界でした。本著では、随所でグラフや図を用い、理論的かつ丁寧な説明がなされています。でも、私は、それらを、ちらちらっと横目で見ながら、読み進めてしまいました。にもかかわらず、書かれている内容については、ほぼ理解できたように感じます。それぐらい、文章も、分かりやすく書かれているということでしょう。最近、経済のしくみを分かりやすく説いた本が、多数出版されています。それらは、学校の教科書には出てこないけれど、新しくて身近な内容。 そして、私たちの生活に直接関わる、最も知っておくべき内容。売れるのも当然、といったところでしょうか。
2007.11.04
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当たり前だと思っていることが、実は当たり前でなかった。 そんなふうに、いとも簡単に、常識というものは覆ってしまう。 思いこみや先入観が、人の「もの」を見る目を曇らせてしまう。 これは「科学」だけに限ったことではないでしょう。 「決定的な証明などということは永遠にできない」 何億回実験を行って理論に合うデータが出てきたとしても、 その次の一回で、理論に合わないものが出てくる可能性があるから。 もし、そうなったら、その理論はもうダメになってしまう。理論も実験も全く無視して、言い訳をするのは、疑似科学。宗教の場合は、別の解釈をすることで、生き残りを図る。絶対に反証できないことを言うのは、その時点で科学ではない。また、科学そのものも、一番新しい「仮説」の集まりに過ぎない。ホーキングの話は難しいけれど、分かる気もします。私たちのこの世界が、実は誰かの夢に過ぎないとか、誰かのコンピュータの中の仮想世界なのかも知れないとか、子供の頃、私もそういった印象を、ぼやっとながら持っていました。この世の中は、仮説だらけ。何が真理なのか……いや、真理を求めることすら間違っているのか……。まさに、科学は哲学。
2007.11.04
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私自身は、とても「一流」といえるような器ではない。 頑張ってみても、せいぜい「二流」である。 でも、ただの「二流」じゃ、面白くない。 だから、目指すところは「超二流」。 かつて、大洋ホエールズという球団があった。 横浜ベイスターズの前身である。 そのチームが、日本シリーズで4連勝して日本一になった。 チームを率いていたのは、名将三原脩。当時、ホエールズの中心選手は、投手の秋山に捕手の土井。しかし、チームが日本一の座に輝いたとき、MVPに選ばれたのは、近藤明仁という名脇役。三原監督曰く「彼は超二流選手」。この言葉が気に入り、本著の著者である江坂彰さんは、ありがたがって使っているとのこと。でも、江坂さんは、東急エージェンシーにおいて、41歳という若さで関西支社長まで務めた方。一般的に「二流」と言うには、かなり無理があるのでは?それは、背負っている企業の看板ゆえの謙遜?やっぱり、「電通」「博報堂」に比すれば、「超」でも「二流」どまりっていうこと?これは、広告業の現況に、さほど詳しくない私の勝手な受け止め方。その後、トップがかわり、江坂さんは名古屋支社長に。サラリーマンの厳しい現実。そして、その後会社を辞め、経営評論家・作家に転身。その後の顛末も、とても興味深い。でも、通常、なかなかこんなに思い切り良く、ことは進まない。やはり、実力ある人だからこそ為せる技。「やっぱり、この人、一流だよ……」と思う私には、「超二流」は、とてつもなく難しいことなのだろう。
2007.11.04
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「苦情社会」の到来。 あっちでも、こっちでも苦情やクレームの雨嵐。 いつ、誰が、どこで、その矛先を向けられかわかりません。 そんな苦情処理について、専門家の立場で書かれたのが本著。 『社長を出せ』シリーズ以来、 この手の書物も、本当に多く出版されるようになりました。 本著は、西武百貨店で「お客様相談室」を担当していた関根さんが、 自ら体験したエピソードをもとに、クレーム対応の仕方を解説してくれています。紹介されているエピソードは、どれもこれも、相当無理難題と思われるものばかりで、たった一つのクレームに、これだけ多大な時間と労力をかけて、何とか一件落着にこぎ着けた担当者の方々に、本当に頭が下がる思いです。とにかく、「言った者勝ち」の風潮が充満している現在。相手に、何か気にいらないところがあると、そこを徹底的にとらえ、思う存分、気が晴れるまで、言葉を並べ立てて、叩きのめす。この流れをつくっているのは、間違いなく「マスコミ」だと私は思うのですが……。
2007.11.04
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