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6万アクセス&1周年 感謝!累計アクセス数が6万HITを超えました。それから、うっかり忘れていたのですが、今月で本ブログは開設から1周年を迎えました。気に入ったアルバムやミュージシャンのことを文章にまとめ、いろんな音楽を聴きながら混乱した(?)頭の中を整理していこうと思い、気がついたらあっという間に1年経っていたというのが正直なところです。ここまで続いてきたのも、このブログにアクセスし、日々ご覧いただいている皆様のおかげです。あらためまして今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いいたします。下記ランキング(3サイト)に参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでも2つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング: 音楽広場:
2010.07.30
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「リーン・オン・ミー(Lean On Me)」追記 前項のクラブ・ヌーヴォーの「リーン・オン・ミー」に関連して、誰のヴァージョンが最も好みかという個人的な話である。曲のメッセージを伝えるという意味では、やっぱり原曲がいちばんいいのかなと思いつつ、心のどこかに引っかかっているもう一つのヴァージョンがある。ほとんど認知されていない(それどころか音源も今では入手しづらそうな)マイナーな「リーン・オン・ミー」なのだが。 それはニルス・ロフグレン(この人物については過去記事[1]および[2]を参照)のヴァージョンである。以前、LD(レーザーディスク)で購入したライブ映像にこれが収められていた。いわゆる“ヘタウマ”風なのだが、案外この曲の表題通りのメッセージが素直に表れている好ヴァージョンだったように記憶している。LDのためもはや再生できないので、長らく聴いていないし、LD自体どこへ行ったかもわからない。DVDで再発されないだろうか…。いつか機会があれば聴き直してみたい。Nils Lofgren / Live (1990~92年頃?、LD/VHSのみ発売) 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010.07.30
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名曲カヴァーの特大ヒット クラブ・ヌーヴォー(Club Nouveau)は1986年にカリフォルニアで結成されたR&B系の5人組ポップ・グループ。クラブ・ヌーヴォーの“ヌーヴォー”とは、ワインのボージョレー・ヌーヴォーという時の“ヌーヴォー”と同じで、フランス語で“新しい”を意味する。同グループは1986年に最初のアルバム『ライフ、ラヴ&ペイン』を発表し、翌年シングルとしてカットされて大ヒットを記録したのが、この「リーン・オン・ミー(Lean on Me)」である。 「リーン・オン・ミー」はもともとはビル・ウィザーズという米国のシンガーの作で、1972年に全米1位のヒットを記録した。クラブ・ヌーヴォーはその曲をリメイクしたわけだが、その前後にも数多くのアーティスト(例えば1985年にアル・ジャロウ、1994年にマイケル・ボルトンなど)がカヴァーしている。 正直、サウンドの作りとしては80年代っぽさが強い。今の耳から聴くと、きらびやかさを強調し過ぎなきらいがある。原曲の素朴さというか素直なメッセージ性は少し姿を変えてしまっているが、その分、ソウル/R&B系らしいグルーヴ感がしっかりと出ている。要するに、何となくカヴァーしました(これを称して“何ちゃってカヴァー”、音楽業界には結構多いと思う)というノリではなく、明確なコンセプトというか独自性をもってカヴァーしたからこそ、ちゃんと聴衆に受け入れられ、結果的に、原曲同様に全米ナンバー1のヒットに輝いたということなのだろう。 とまあ、真面目に述べてはきたものの、実は筆者が最初にこの曲に触れたのがクラブ・ヌーヴォーのヴァージョンという思い入れもある(当時、筆者にとってリアルタイムではなかったビル・ウィザーズの原曲はまだ未知だった)。その点からすれば、数多くのアーティストにカヴァーされている「リーン・オン・ミー」という曲を知らしめてくれた曲でもある。クラブ・ヌーヴォー自体は、一発屋気味で、その後はさほど大きなヒットに恵まれていないが、この曲を教えてくれただけでも筆者は十分感謝している。[収録アルバム]Club Nouveau / Life, Love & Pain (1986年) 【2500円以上お買い上げで送料無料】【CD】[WPCR-28654]ライフ、ラヴ&ペイン [ クラブ・ヌーヴォー ] 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.29
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ズートのサックスをゆったりしっかり聴く1枚 ズート・シムズ(Zoot Sims)言えば、明るいスイングを思い浮かべる人も多いかもしれない(その典型の一つとしては、『ダウン・ホーム』が挙げられよう)。けれども、本盤『ズート・シムズ・アンド・ザ・ガーシュウィン・ブラザーズ(Zoot Sims and the Gershwin Brothers』は、明るさよりもしっとり系、スイングするノリよりもじっくり聴かせる、そんなタイプの1枚だと言える。 テーマはガーシュウィン兄弟。アルバム・タイトルには“アンド”とあるが、別にガーシュウィン兄弟と共演という意味ではない。というのも、アイラ・ガーシュウィンとジョージ・ガーシュウィンのガーシュウィン兄弟は19世紀末の生まれで、20世紀前半に「米国の音楽」を作り上げた人物として知られる。兄アイラは1980年代まで存命だったが、弟ジョージは1937年に急逝している。これら兄弟の残した曲は、ジャズ界のスタンダードとして演奏されているものも多く、本盤はそれらをズート・シムズが演奏したものという意味である。 そのようなわけで、本盤の一つの特徴は、ズート・シムズがガーシュウィン兄弟の曲を演っている点にある。しかし、その特徴だけでアルバムの性質が決まってしまうわけではなく、共演者にも注目したい。ピアノのオスカー・ピーターソンをはじめとして、ベースはジョージ・ムラツ、ギターにジョー・パスといった実に個性的で豪華なメンバーが揃っている。ズート・シムズは一緒に演奏するメンバーを引っ張るというよりは、彼らのよさにあわせて絡んでいく演奏を得意とする。本盤ではそうしたズート・シムズの良さが存分に発揮されている。 ズート・シムズのテナーだけを追いながら聴いても、確かに柔らかい音色に心が安らぐのだが、少し気をつけて聴いてみると、この柔らかくしっとり落ち着いた雰囲気は彼一人だけが作り上げているのではないことに気づかされる。しかも、ズート・シムズがこのメンバーを“率いている”という印象はない。いや、それどころか演奏全体をコントロールしているのは、実はオスカー・ピーターソンであるようにすら思える。 どのような状況のレコーディングだったかは知らない。しかし、この全体のトーンを狙ったのは他ならぬズート・シムズだったのではないかという風に思う。つまり、オスカー・ピーターソンを中心に演奏全体を統制してもらい、そこに自分自身のサックスが絡み、時にメンバーの演奏の上で“踊る”というスタイルを意図的にズート・シムズが狙ったのではなかろうか。それは5.「アイ・ガット・リズム」という、アップテンポで、どちらかと言えば“盛り上げ系”の演奏曲からうかがうことができる。ズート・シムズ自身がある意味で自分のサックス演奏を“抑制”し、制御しているように思えるのである。 いずれにせよ、ガーシュウィン兄弟の楽曲とズート・シムズの演奏の相性は実にいい。ノリノリのズート・シムズを期待して聴くと、期待外れに感じるかもしれないが、最初に述べたように、ズートのテナーをじっくり聴こうという向きにはうってつけの一枚だと思う。最後にもう一つだけ無視できないポイントを付け加えておきたい。ジョージ・ムラツのベースが絶品なのと、ジョー・パスのギターが実にいいアクセントになっている。[収録曲]1. The Man I Love2. How Long Has This Been Going On3. Lady Be Good4. I’ve Got A Crush On You5. I Got Rhythm6. Embraceable You7. ‘S Wonderful8. Someone To Watch Over Me9. Isn’t It A Pity10. Summertime11. They Can’t Take That Away From Me (ボーナス・トラック)[パーソネル]Zoot Sims (ts)Oscar Peterson (p)Joe Pass (g)George Mratz (b)Grady Tate (ds)1975年6月6日録音 [CD]ZOOT SIMS ズート・シムズ/ZOOT SIMS AND THE GERSHWIN BROTHERS (REMASTERED)【輸入盤】 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.28
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黄金トリオの長尺4曲盤 レッド・ガーランドのトリオで馴染みの、そして最高の組み合わせと言えば、ベースにポール・チェンバース、ドラムにアート・テイラーという組み合わせで、超有名盤『グルーヴィー』もこの組み合わせだ。本作『キャント・シー・フォー・ルッキン(Can’t See for Lookin’)』は、その『グルーヴィー』(1956~57年録音)の翌年に吹き込まれたもので、細かい動きまで互いを知りつくしたトリオが、総収録時間にして35分ほどという、長尺の4曲を演奏したものである。 表題曲の1.「アイ・キャント・シー・フォー・ルッキン」(ただしアルバム・タイトルでは“アイ”の部分は省略されている)からして、何とも落ち着き払った演奏で始まる。2.「スーン」では少しテンポ・アップするが、必ずしもピアノの音数の多さは目立たず、やはり落ち着いた印象を受ける。3.「ブラック・アウト」もまた、まったりとしたテーマから始まり、音の間を生かしたピアノを演奏している。4.「キャッスル・ロック」は再びテンポを速めた演奏で、本盤中いちばんの盛り上げどころと思われるのだけれども、これまたどこか控えめな印象がぬぐえない。 とまあ、各曲の感想だけ書くと退屈なアルバムかと思われてしまうかもしれないが、決してそうではない。控えめなピアノ演奏で最大限の効果を発揮する技術と力量につい聴き惚れてしまうアルバムなのである。一つには、他の同じ面子でのアルバムと同様、ポール・チェンバース、アート・テイラーとの息がぴったり合っているという理由がある。ドラムとピアノの絶妙の間は、繰り返し演奏をしているからこそこれだけピタリと合わせられるのだろう。ピアノとベースの出たり入ったりも同様で、場数のなせる技なのかもしれない(特にベース・ソロの前後にその息の合い方が顕著に表れているように思う)。 そして、もう一つの理由は、ガーランドの“ある技法”にあると言える。ガーランドと言えば、カクテル・ピアノだとかブロック・コードだとかに衆目が集まるが、実は、“音を出さないこと”にも長けている。ミュージシャンにとって、“音を出さないこと”は勇気がいる行為のはずだ(そもそも音を出すことでミュージシャンをやっているわけだから)。だが、音と音の合間で音を出さないことは、出した音を生かすことになる。無論、それをするには技術面での絶対的自信も必要だろう。本盤を聴いていていちばん強く印象に残るのは、このレッド・ガーランドという人が、おそらくは意識的に“音を出さない”ことを試みている点である。そして、それをやっているからこそ、間延びした演奏や退屈な演奏になるのではなく、聴き手に対して落ち着き払った印象を与える盤に仕上がったのだろうと思う。その意味では、目立たない1枚だけれど、レッド・ガーランドの底力がじわりと伝わってくる盤である。 [収録曲]1. I Can't See For Lookin'2. Soon3. Blackout4. Castle Rock[パーソネル] Red Garland (p)Paul Chambers (b)Arthur Taylor (ds)1958年6月27日録音Prestige 7276 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.26
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ブルース・ロック誕生から数十年後の“現代的ブルースロック”の形 ブルース・トラベラー(Blues Traveler)は、1987年にニュー・ジャージーで結成されたロック・バンドで、もともとは同地でジョン・ポッパー(ヴォーカル、ギター、ハーモニカ)を中心としたハイスクール・ガレージ・バンドが母体となっている。主にブルース・ロックの影響が濃いが、サイケ・ロック、フォーク・ロック、カントリー・ロックなど多彩な要素が混じり合い、ジャム・バンドとして発展してきた。メジャー・デビューは1990年だが、その名が広く知られるようになったのは、1994年の第4作目のアルバム(『Four』)とそこからのシングル曲(「ラン・アラウンド」)によってである。そんな彼らが続く5作目としてリリースしたのが、本盤『ストレート・オン・ティル・モーニング(Straight On Till Morning)』(1997年発表)であった。 アルバムのタイトルとジャケット・デザインは、ディズニー(ピーターパン)に因んだものとのことだが、内容的には別にファンタジックでも何でもない。バンド名が示すように、“ブルースの旅人”を地で行くような音そのものである。“ブルース・ロック”という観点から見て、筆者が今までに聴いたブルース・トラベラーのアルバムの中で最も興味深く、かつ心地いのが本盤である。 “ブルース・ロック”とは言うものの、ここにはかつてのブルース・ロック創成期・全盛期のような気負いがまったく感じられない。わかりやすい例で言えば、初期のジョン・メイオール(過去記事参照)やポール・バターフィールド(過去記事1、過去記事2)と比べるとその違いがはっきりするのではないだろうか。ブルース・ロックの創設者たちが良くも悪くも“構えていた”のに対し、このブルース・トラベラーが示す“自信”は全く別物である。厳密に言えば、個人の音楽への姿勢の問題というわけではなく、むしろ30年ほどの時の流れの結果がこの根本的変化をもたらしたと考えるべきなのだろう。 30年が経過して創造性がなくなったのかと言えばそうではない。なくなったのはある種の“不安”であって、この“不安”はかつてブルース・ロックの発展に大きな推進力を与えた要素だった。白人による黒人音楽の模倣という後ろめたさが同時にパワーの源泉だったわけである。これに対して、90年代になって台頭してきたブルース・トラベラーの音楽は、そうやって成立したブルース・ロックが既に確固たるものとして存在していて、それゆえ後ろめたさなどない状況からスタートしていて、今度はそれをどう再創造し90年代以降の音楽として発展させていくかに主眼が置かれているのだと思う。 とまあ、ブルース・ロックの音楽史的な側面から見ればこんな評価ができるのだろうと思うのだけれど、とにかく耳を傾ける際にはそうした“自信”に注目してもらいたい。他の要素と混ざり合ったブルース・ロックとでもいうべき全体的な音の塊が気持ちいいのは、演奏者たちの上記のような“自信”と“過去に大きく拠りながらもその過去にまったく執着していない姿勢”の二つが揃ったことではじめて成立している。それだからこそ、これほどにまで気持ちいい一枚に仕上がっているのである。[収録曲]1. Carolina Blues2. Felicia3. Justify The Thrill4. Canadian Rose5. Business As Usual6. Yours7. Psycho Joe8. Great Big World9. Battle Of Someone10. Most Precarious11. The Gunfighter12. Last Night I Dreamed13. Make My Way1997年リリース。 ストレイト・オン・ティル・モーニング/ブルース・トラベラー?【中古】[☆2] 下記ランキングに参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2010.07.24
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最新作が待たれるZZトップの03年作 ZZトップ(ZZ Top、読み方はズィー・ズィー・トップ)はテキサスで生まれたアメリカン・ブルース・ロック/ブギーの3人組バンド。このグループ名に聞き覚えはなくとも、“とっても長い鬚にサングラスをかけてギターを抱えたオジサンたち”と言えば心当たりのある方も多いかもしれない。純粋に音楽的には日本ではあまり有名ではないが、その風貌だけならば、比較的知られていると言えるのかもしれない。 実際には、その“鬚面のオジサンたち”というのは、3人組のうち、リード・ヴォーカル&ギターのビリー・ギボンズと、ベースのダスティ・ヒルのイメージであるが、実際にはもう一人、ドラムのフランク・ベアードというメンバーがいる。これら3人は、1969年の結成以来、既に40年も変化していない不動のメンバーである。 彼らのサウンドは、アメリカン・ブルース・ロックをベースにし、ブギー、ハード・ロック、流行りもの(例えば一時期はシンセを多用)といった要素を兼ね備えたものである。正統的アメリカン・ブルース・ロックと呼ぶには、それほど求道的でもない。かといって、80年代の一時の彼らからイメージされるような、流行りを追いかける芸人的存在と言うには、そのサウンドは本格的に過ぎる。要は、古いスタイルを頑なに守るというよりは、ブルース・ロック・ベースのサウンドを様々にアレンジしながら広く聴衆に聴かせようというタイプであり、シリアスというよりはコミカル、真面目というよりは陽気なキャラのイメージだ。 本盤『メスカレロ(Mescalero)』は、2003年にリリースされたもので、70年代から続く“スペイン語系タイトル路線”の一つである。実際、彼らの70年代から80年代初頭のアルバムにはスペイン語タイトル路線のものが続いていた。出世作の1973年『三人の男達』の原題はスペイン語で“三人の男”を意味するトレス・オンブレス(Tres Hombres)だったし、その後も、『ファンダンゴ(Fandango!)』、『テハス(Tejas, スペイン語でテキサスの意)』、『デグエジョ(Deg?ello)』、『エル・ロコ(El Loco)』といった具合で、スペイン語タイトルが続いた。別にスペイン語を自在に操れるわけでもない彼らがスペイン語タイトルのアルバムを発表し続けた理由とは、テキサスという土地柄にあるのだろう(ついでに言えば、本作収録曲中の12.「ケ・ラスティマ」もスペイン語で“なんて残念な!”を意味するタイトルの曲である)。 テキサスは歴史的にはもともとメキシコ領で、それがテキサス共和国として独立し、その後、アメリカ合衆国に併合された。これが引き金となって、アメリカ=メキシコ戦争(米墨戦争)という戦争が勃発したほどである。つまり、もともとテキサスとは、それほどスペイン語系住民のプレセンスが高い地域だった。ZZのメンバーのような米国系住民が必ずしもスペイン語をを話すという訳ではないにせよ、こうしたタイトルに何らかの親しみがわきやすいのは事実だと思う。話はそれるが、私のテキサン(テキサス人)の友人にもスペイン語をろくに学んだわけではないにもかかわらず、片言スペイン語を知っている奴がいたり、某ブッシュ氏(元大統領、その前はテキサス州知事)が立候補した時に、付け焼き刃的ではあるにせよ下手なスペイン語で演説してみたりする土地柄というわけである。 こうしたことからもわかるように、80年代~90年頃にかけて『アフターバーナー』や『リサイクラー』といった作品によって全米をまたにかけるヒットを飛ばした彼らにとって、本盤はサウンド面で“原点回帰”的なアルバムとなった。80年代の大衆受けする音作りに比べれば、よりこのバンドの原点に近い音での演奏が主となっている。かといって、70年代の彼らほどシンプルでソリッドなわけでもない。案外これが中庸でいいのかもしれない。上記のようにメンバーが入れ替わらず息の長い稀少バンド名だけに、21世紀も10年を過ぎようとするこの段階でもなお次の新作が待ち遠しい。[収録曲]1. Mescalero2. Two Ways To Play3. Alley-Gator4. Buck Nekkid5. Goin' So Good6. Me So Stupid7. Piece8. Punk Ass Boyfriend9. Stackin' Paper10. What Would You Do11. What It Is Kid12. Que Lastima13. Tramp14. Crunchy15. Dusted16. Liquor17. Sanctify *ボーナス・トラック2003年リリース。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、ぜひ“ぽちっと”応援をよろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010.07.22
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INDEX更新しました。INDEXページは、ジャンル別(ジャズ、ロック・ポップス、ラテン系ロック・ポップス)で、それぞれのジャンル内はアーティストのアルファベット順に並べてあります。INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編へ アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ下記ランキング(3サイト)に参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでも2つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村: 人気ブログランキング: 音楽広場:
2010.07.21
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北欧ハード・ロック・バンドに不釣り合いなテーマは“外国人”だからこそ可能になった? ヨーロッパ(Europe)の大ヒットアルバム『ザ・ファイナル・カウントダウン』(1986年リリース)に収録されている1曲。ヨーロッパはスウェーデン出身のバンドで“北欧様式美”のハードなロック・サウンドが特徴だったが、このサード・アルバムからは、より聴きやすいアメリカン・サウンドを指向し、結果、一気にメジャーな地位を得るに至った。同アルバムからは表題曲をはじめ複数のシングルがビッグ・ヒットとなったが、人気絶頂の中、ほとんど惰性でいちばん最後にシングルカットされた(実際、米国シングルチャートでは72位にしかならなかった)のがこの「チェロキー(Cherokee)」である。 ヨーロッパのアルバム『ザ・ファイナル・カウントダウン』は、主にスイスのチューリッヒでレコーディングされたそうだが、そのレコーディング地のチューリッヒに向かう直前に、アルバム収録曲中でいちばん最後に出来上がった曲だったと作者ジョーイ・テンペスト(ヨーロッパのヴォーカリスト)は述べている。 曲のテーマであるチェロキーとは、北米先住民族集団の名称。16世紀にヨーロッパ人が渡来した頃には、ミシシッピー川流域一帯に住んでいた。やがて18世紀になるとイギリス、ついで独立したアメリカ合衆国との再三の戦いを経て、1830年代、とうとう米陸軍によってインディアン居留地(後のオクラホマ州)に強制移住を強いられた。この時の強制移住の移動は、大半が基本的に徒歩移動で、その道程は“涙の旅路”と呼ばれる。この曲のサビで歌われている“Cherokee, marching on the Trail of Tears”という詞はこの歴史に沿ったものだ。 スウェーデンから米国市場に売り込みをかけるロック・バンドにしてみれば、何とも大胆な曲ではないかと思うのだが、予想通り(?)米市場では大して売れなかった。曲調としては、わかりやすい詞だし、ギター・ソロもコンパクトにきれいにまとまっていて(しかもその後のシンセがいかにもこの時期のヨーロッパの売り込み路線といった感じで)、なかなかうまい具合に売れ筋に仕上がった楽曲だったと思う。けれども、過去の歴史の暗い側面を暴くような内容は、米国白人層には受けが悪かったのだろう(あるいは“無反応”という反応しか返ってこなかったのかもしれない)。しかし、こんな曲をアルバムに収録し、大ヒットの余勢をかってとはいえシングル・カットまでしたバンドとレコード会社関係者の決断の度胸はなかなか思いっきりがあって拍手喝采ものだったと思う。米国の歴史教育を受けた連中がこのような曲を書こうという発想自体、おそらくは起こらないだろうし、そういう意味では、逆説的ながら、“外国人”であるヨーロッパだからこそ、この曲を作り、発表することができたということだろうか。[収録アルバム]Europe / The Final Countdown (1986年)その他、ベスト盤類にも収録。 【楽天ブックスならいつでも送料無料】ザ・ファイナル・カウントダウン [ ヨーロッパ ] 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2010.07.19
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べリンダのベスト曲はこれだ! べリンダ・カーライル(Belinda Carlisle)は、1958年、ロサンゼルス(ハリウッド)出身の女性シンガーで、1980年代前半に活躍したガールズ・バンドの先駆けゴーゴーズ(The Go-Go’s)の元メンバー。このバンドが1985年に解散した後、出世頭としてソロ活動を展開していったのがべリンダだった。1986年にソロ・デビューし、1stアルバムを発表した後、1987年には2ndアルバムのタイトル曲「ヘヴン・オン・アース(Heaven Is A Place On Earth)」が全米1位を記録。その後に2年の間をおいて発表されたのが3rdアルバム『輝きのままで(Runaway Horses)』であった。今回の記事のタイトルの「輝きのままで(Leave A Light On)」は同サードアルバムの冒頭飾る1曲であり、シングルとしては全米11位、全英やオーストラリア・カナダではトップ5に入るヒットを記録した。 というわけで、「へヴン・オン・アース」に比べれば、「輝きのままで」は大ヒットとはいえども控えめで、普通であれば、べリンダ・カーライルの“この1曲”は「へヴン・オン・アース」に落ち着くのが妥当なように思われる。確かに、筆者も「へヴン・オン・アース」はお気に入りの曲の一つなのだが、落ち着いて考えれば考えるほど、「輝きのままで」の方がそう呼ぶにふさわしいと思えてならない。 その理由は、ひとえにべリンダのヴォーカリストとしての進化が止まらなかったことにある。要するに、「へヴン・オン・アース」を含むセカンド・アルバムの頃がシンガーとしての最高潮にあったというわけでなく、その2年後のサード・アルバムの時点でもべリンダはまだまだ“伸び盛り”であった。シングル曲の出来として「へヴン・オン・アース」と「輝きのままで」は同等だと思う。それゆえ、ヴォーカリストとしての力量が時間の経過とともに進化した分、「輝きのままで」がベスト曲になると筆者は考える。つまるところ、「へヴン・オン・アース」に何らかの難点があるというのではなく、単純に「輝きのままで」が(セールス面はともかく)内容的に2年分の進歩のプラスアルファ分、上を行ったというわけである。 冒頭の“Take My Hand~♪”という歌いだしの節回しとややハスキー気味の声からして筆者はノックアウトされてしまう。このべリンダ・カーライルという人のヴォーカルは、情感豊かでちょっとした発声の微妙な具合で歌の情感や押したり引いたりを非常にうまく演出できる、そんなタイプだ。この歌唱力は天性のものかもしれないが、同時に、ソロ・デビュー以降、ヴォーカリストとしての役割にうまく専念できる環境が整えられてきたというのもその大きな理由だろう。実際、セカンド・アルバム制作時にべリンダは、“初めて全曲に関してどう歌っていいかに自信を持って臨めた”という旨の発言も残しており、サード・アルバムの制作時(つまりは本曲「輝きのままで」のレコーディング時)にも同じく、ヴォーカリストとして専念できるいいレコーディング環境にあったものと見られる。 個人的にはべリンダの容貌は好みのタイプでも何でもない(念のため言っておくが、決して容姿が悪いわけではなく、美人である)。けれども、この人の歌唱にはイチコロにさせられてしまう。いくぶんクセがあるので、万人向けではないかもしれないが、筆者はこの手の声に滅法弱い。[収録アルバム]Belinda Carlisle / Runaway Horses(輝きのままで) (1989年) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.18
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青春の肖像としての熱き夏 いやはや、これで梅雨明けだろうか。何とも暑い毎日が続く。そんな暑い夏にぴったりの1曲をということで、プリンセス・プリンセス(俗に略称プリプリ)の1曲を取り上げる次第である。 ご存じのとおり、プリンセス・プリンセスは、日本のガールズ・バンドとして80年代から90年代にかけて大きな成功を収めた。メジャーデビュー後の87年の初シングルとアルバムから(厳密には前年にミニアルバムも出しており、さらにその前には赤坂小町の名でも活動もしていたが)、95年に解散を発表するまで数々のヒット曲を連発したが、何より元気いっぱいで気持ちよく聴けたのは、87~89年にまたがる時期、アルバムで言えば、『Teleportation』から『Lovers』あたりではなかったかというのが個人的な印象だ。 ちょうどそんな時期にまたがった2つのヴァージョンを持つのがこの「世界でいちばん熱い夏」という曲である。というのも、この曲は87年に2ndシングルとして発売されているのだが、当時はヒットには至らなかった。しかし、2年後の89年に再発売され、この際には大ヒット(オリコン1位、しかも7thシングル「Diamonds」に続き2曲連続の1位で、これら2曲で年間シングルの1位と2位を独占した)。西暦で言うと87年と89年だが、元号で言えば昭和62年と平成元年で、このわずかの間に時代は昭和から平成へ移り変わっていた。そんなわけで、再発時には同曲の“平成レコーディング”ヴァージョンがカップリング収録された。 ちなみに、元のヴァージョンはスタンダードな曲構成に比較的シンプルな演奏。これに対し、“平成”ヴァージョンの方はアカペラでサビ部分が冒頭に入るという曲構成の工夫が加えられている(ライブでやっていたアレンジをそのままスタジオでの新録に適用したとのことらしい)。個人的には後者の方が気に入っているのだけれど、プリンセス・プリンセス自身もベスト盤などコンピレーションの場面では後者のヴァージョンを使用するようになり、現在では、本来の87年のシングル・ヴァージョンは聴ける機会が少なくなってしまっている。さらに余談ながら、2001年にはこの曲に着想を得た「世界で一番熱い夏」というテレビドラマも制作されている。 いずれのヴァージョンにせよ、この時期の彼女たちはとにかく伸び盛りで充実しているという感じで、その充実感がそのまま音楽に反映されていた。音楽的にどうとか、そういう難しいことを超越した次元で、はじけんばかりのパワーを秘めた生き様がそのままに音楽に映し出されていた。小難しいことをちまちまやるのではなく、若さそのままに体当たりといった感じで突き進んでいく力がみなぎっていた。「世界でいちばん熱い夏」は、そんな彼女たちの“青春の肖像”そのものだったとも言えるように思う。[収録盤]シングルで過去3度発売(1987年、「ヴァイブレーション」とのカップリング;1989年:オリジナルと平成の両ヴァージョンを収録;2001年、「ダイアモンド」とのカップリング)。その他、ベスト盤類にも収録。 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ ↓
2010.07.17
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W杯スペイン優勝記念にスペイン産ロックはいかが ~その2~ エロエス・デル・シレンシオ(Héroes del Silencio, “沈黙の英雄たち”の意味で、英語に直訳するとHeroes of Silenceに相当するスペイン語のバンド名)は、1984年に結成された、スペインのサラゴサ出身のロック・グループ。7枚のスタジオ・アルバムを残して1996年に解散し、各メンバーはソロ活動などを展開することとなったが、2007年9月~10月に一時的に再結成してスペインやラテンアメリカでツアーを行なった。 スペインと言えば、東部~南部にかけての地中海側の陽気さ(いわゆる一般的イメージで“太陽と闘牛の国”などという時のスペインのイメージ)と、それとは対照的な北部の陰気さや暗さが同居する不思議なお国柄である。そのことを踏まえた上で、エロエス・デル・シレンシオの音楽性を考えた時、やっぱりスペイン的というべきなのかな、と感じる。というのも、ハード系サウンドを演奏していても、北欧系のHMの様式美みたいな(ある種、能天気な性格の人たちにはできないであろう)境地に全然近づくことはない。しかし、かといって、米国のHRバンドみたいな能天気な明るさが出てくるわけでもない。陰気さと陽気さを少しずつ音の端々に湛え、なおかつ様式美になりきれていない様式美的部分を残した微妙なサウンドがこのエロエス・デル・シレンシオの特徴といっていいだろう。この微妙な音加減は、民族の血やバンドが育ってきた土地柄にやはり関係するのだろうか。人間、育った環境だけでキャラが決まるなどというはずはないとは思いつつも、やはり“お国柄”や“国民性”みたいなものが音楽にも影響を与えるものなのだろうかと考えさせられる。 のっけから2.「ルエダ・フォルトゥーナ(運命よ、巡れ!)」(1.「デリーバス」は1分足らずのイントロ的な曲)というハードな楽曲でアルバムは幕を開ける。筆者の好みは、一方で、3.「デスアセール・エル・ムンド(世界の破壊)」や5.「アバランチャ(雪崩)」のような様式美ハード志向の楽曲群。しかし、他方で、6.「エン・ブラソス・デ・ラ・フィエブレ」のようなスロー&ややメロウ系の曲もなかなかいいと思う。 結局のところ、欧州発ロック・バンドとしては、セールス的に明確なカラーが出にくく、日本ではそんな存在と認識されてしまったのだろう。実際のところ、初期には日本盤も出ていた(しかも現在ではプレミアが付いている)ようだが、やがて忘れ去られてしまっていて、現在では国内で探すとなると輸入盤に頼るしかない。でもなお、このバンドは魅力的だったと思う。とりわけ、メインストリーム(欧米ロック)に迎合的な日本のロックシーンから見ると、ロック音楽界では辺境国のスペイン発のエロエス・デル・シレンシオの音楽は、上に述べたような微妙な色彩の混在具合から、“こういうロックのありかたも存在し得る”という、いわばオルターナティヴな姿を表しているように思えてならない。[収録曲]1. Derivas2. Rueda, fortuna!3. Deshacer el mundo4. Iberia sumergida5. Avalancha6. En brazos de la fiebre7. Parasiempre8. La chispa adecuada9. Días de borrasca10. Morir todavía11. Opio12. La espuma de Venus1995年リリース。[関連記事]スペイン産ロック ~その1~(ハラベ・デ・パロ) へ 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010.07.16
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55555アクセス達成しました! 5が5つ並びました。いつもながら、区切りアクセス・ナンバーの方への景品などはありません(笑)。 アクセス数がここまで積み重なってきたのも、ひとえにご覧の皆様のおかげです。あらためて感謝申し上げると共に、今後ともご愛顧のほどをよろしくお願いします。 下記のランキング(3サイト)に参加しています。 お時間の許す方は、“ぽちっと”クリックで応援をよろしくお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村: 人気ブログランキング: 音楽広場:
2010.07.15
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W杯スペイン優勝記念にスペイン産ロックはいかが ~その1~ ハラベ・デ・パロ(Jarabe de Palo)は、ウエスカ(スペイン東部アラゴン地方の都市)出身で、バルセロナで育ったヴォーカリスト/ギタリストであるパウ・ドネス(Pau Donés)を中心に1996年に結成されたロック・バンド。同年にデビュー・アルバムを発表して以来、これまでに7枚のオリジナル・アルバムを発表していて、現在ではバンド名の表記を改めてハラベデパロ(Jarabedepalo、単語の区切りを廃して一続きに表記)としている。 本作『デペンデ(Depende)』は、1998年にリリースされたセカンド・アルバム。1996年のデビュー・アルバムのタイトル曲(「ラ・フラカLa flaca」)がCM曲として使用されて大きなヒットを記録した後、リーダーのパウは“一発屋でないことを証明したい”と考えていて、そんな中で作られたのが本アルバムだという。結局、一発屋でないことが証明され、本盤もヒットを記録することになった。 ハラベ・デ・パロの大きな特色は、聴き手の耳に残りやすいメロディと音にあり、風刺的な捻りの効いた詞がそこに組み合わされている。おまけにヴォーカルの詞の内容が明瞭に聴こえてくる(ミックスの仕方にもよるのだろうが、おそらくはもともとヴォーカルのパウの発音/発声自体が比較的明瞭なのが大きな理由と思われる)。CM起用でこのバンドに火がついたというのもよくわかる。確かに、本盤の曲にもキャッチーで耳につくメロディーやサビのものが多い(例えば冒頭のタイトル曲1.「デペンデ」や、9.「ドゥエルメ・コンミーゴ」)。 そんなキャッチーさから歌ばかりに耳がいってしまいそうになるが、もう一つ別の聴き方もあると思う。リーダー(ヴォーカル、作曲のパウ・ドネス)の担当楽器が主にギターということから、ギターに注目してみても面白い。伴奏楽器としてのいろんなパターンのギター・プレイが、歌の背後で手をかえ品をかえ鳴っていて、結構凝ったこともバックでさりげなくやっていたりする。時としてその個性的ギター・プレイはソロ・パートとしても登場する(例えば、13.「アディオス」のギター・ソロ)が、いろんなことをやっているのでギターが前面に出ていない部分も要注目だ。そんなわけで、普通に聴くだけでなく、たまには歌部分を無視して、ギターのみに注目して聴いてみても結構興味深い。 デビュー作よりも完成度が高いということから、今回は第2作を挙げた。ハラベ・デ・パロのイメージを掴むのに典型的でわかりやすい1枚と言っていい。この第2作以降にも出来のいい作品が続くので、また次の機会には別のアルバムについても紹介できればと思う。[収録曲]1. Depende2. Pura sangre3. Te miro y tiemblo4. Plaza de las palmeras5. Realidad o sueño6. Agua7. Perro apaleao8. Vivo en un saco9. Toca mi canción10. Duerme conmigo11. Vive y deja vivir12. Mi mundo en tu mano13. Adiós1998年リリース。[関連記事]スペイン産ロック ~その2~(エロエス・デル・シレンシオ) へ 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、おひとつでも“ぽちっと”応援お願いします! ↓ ↓ ↓
2010.07.14
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形の整った完結した作品として聴ける交響楽団共演盤 のっけから何というダサいタイトルなのかと思った方もいるかもしれない。何とも80年代チックな邦題の本盤『エルトン・スーパー・ライヴ~栄光のモニュメント~』の原題は実はシンプルなものである。『ライヴ・イン・オーストラリア(Live in Australia)』というのが本来のアルバム・タイトルで、ジャケット下部には、加えて“with the Melbourne symphony orchestra(メルボルン交響楽団との共演)”と記されている。原題およびジャケット表記通り、1986年12月14日にオーストラリアのシドニーにて、メルボルン交響楽団と共演したコンサートをアルバム化したもので、1987年当時は2枚組LPとして発売された(現在のCDでは1枚組となっている)。 エルトン・ジョンという人は、少し前にも世界遺産のチチェン・イツァ(マヤ文明の遺跡)で大規模コンサートをやったりするなど、いろんな企画に事欠かない人だ。本作は上に書いたように、交響楽団をバックに、エルトン自身のバンドも参加して歌うということをやっているわけだが、その選曲に少々特徴がある。パフォーマンス自体は1986年のライブ収録であるにもかかわらず、選曲は大半がエルトン初期の、1970年代前半の楽曲群なのである。 実際の企画やリハーサル段階でエルトンの関与がどの程度あったのか、詳しいことはよく知らない。だが、弦楽器などが入っている初期エルトンの楽曲群をシンフォニーによる盛り上げ演奏で演るという明確なコンセプトが貫かれた結果、このアルバム作品の形となった。つまり、『エルトン・スーパー・ライヴ~栄光のモニュメント~』という邦題は、その作品コンセプトを何ら反映させていないどころか、まるで“絶頂期ベスト盤的ライブ”であるかのような錯覚を起こさせる、作品内容に不釣り合いなタイトルで、よろしくない。実際の中身は全く異なる特殊なライブ盤なのである。また、本盤でのエルトンの声は、しゃがれた伸びのない声であるが、長期のライブ続きで喉を傷めた状態で、実際、このアルバムの発売年には喉の手術を行なっている。 ここのところ、長らくCDセールスが上がらないことを問題化し、ネット等の配信方法にも様々な注文をつけてきたのは多くのレコード会社にあてはまることだ。しかし、本盤の場合のように、“羊頭狗肉”の邦題をつけてアルバムを売り込もうとするなど、好き放題やってきた側にもその責任の一端はあるのだと思う。この記事を読んで初めて本盤を知ったという人がいたならば、上述のように“特殊なライブ盤”ということを認識したうえで、本作を聴いてもらいたい。 さて、上で述べた内容から駄作を想像される方もいるかもしれないが、まったくそうではない。筆者個人としては、エルトン・ジョンのアルバムの中で本作は、五指に入るほどのお気に入りの一枚なのである。それは、たとえエルトンの声の調子がよくなかろうとも、コンセプトが明確に出た盤であること、さらには、交響楽団との打ち合わせが入念と見え、そのコンセプトをしっかり貫いていることに大きな好感を抱いている。とりわけ、1.「60才のとき」、2.「君は護りの天使」、4.「トゥナイト」、6.「王は死ぬものだ」、7.「パイロットにつれていって」、9.「罪人にあわれみを」といったあたりの交響楽団との共演が個人的にはお勧めであり、定番の11.「キャンドル・イン・ザ・ウインド(風の中の火のように)」や13.「僕の歌は君の歌(ユア・ソング)」もオーケストラルなアレンジで聴くことができる。なお、映像化された『コンプリート・ライヴ』なる作品(映像作品)もリリースされているが、これまた羊頭狗肉で、元のコンサートが“コンプリート”に再現されているわけではないらしい(ただしCDアルバムでは漏れた曲も収められている)。[収録曲]1. Sixty Years On2. I Need You To Turn To3. The Greatest Discovery4. Tonight5. Sorry Seems to Be the Hardest Word6. The King Must Die7. Take Me to the Pilot8. Tiny Dancer9. Have Mercy On The Criminal10. Madman Across the Water11. Candle in the Wind12. Burn Down the Mission13. Your Song14. Don't Let the Sun Go Down On Me1987年リリース。 【メール便送料無料】エルトン・ジョンElton John / Live In Australia (輸入盤CD)(エルトン・ジョン) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.12
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INDEXページ(ジャンル別、アーティストのアルファベット順)を更新しました。ここしばらくの最新記事を追加しています。INDEXページへは、下のリンク、もしくは本ブログのトップページ右欄(フリーページ欄)からお入りください。 アーティスト別INDEX~ジャズ編へ アーティスト別INDEX~ロック・ポップス編へ アーティスト別INDEX~ラテン系(ロック・ポップス)編へ下記ランキング(3サイト)に参加しています。応援くださる方は、各バナー(1つでも2つでもありがたいです)をクリックお願いします! ↓ ↓ にほんブログ村 : 人気ブログランキング: 音楽広場:
2010.07.10
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いい意味で肩の力が抜け円熟みが増した91年作 ボブ・シーガー(Bob Seger)は60年代から活動し、地元デトロイトのローカル・ヒーローからやがて全米のメジャーへと活動の幅を広げていったミュージシャンである。全米をターゲットに大きなセールスを上げた『ライク・ア・ロック』(1986年)から5年。ボブ・シーガーとシルバー・ブレット・バンド(Bob Seger & The Silver Bullet Band)が久々に放った正統派アメリカン・ロックアルバムが本盤『ザ・ファイアー・インサイド(The Fire Inside)』である。 ボブ・シーガーというミュージシャンが演るアメリカン・ロックというのは、数多い同系列のアーティストの中でもとりわけ心地よく聴くことができる。それはきっと、メジャーなアーティストの名を挙げて比較するならば、ブルース・スプリングスティーンほどに気負い過ぎておらず、かといってトム・ぺティのようなスマートで巧妙な部分が耳につかないからだと思う。言い換えれば、難しいことを考えていないというか、思いつくまま単純にやっているというか…。いやはや、このような言い方は失礼とはわかってはいるつもりではあるし、実際にはいろいろ考えてアルバムを作ってるはずなのだけれども、思わずそう考えさせるような部分が彼の良さだと言いたいわけである。つまりは、潔く、シンプルに、体内から湧き出すままに、“自然体”という感じが強いから、そう感じさせるのだろう。 上述のようにボブ・シーガーという人は早くからそのキャリアをスタートさせていて、本作リリース時点では既に46歳であった。この年齢のせいか、この頃の彼はいよいよ円熟味が増し、いい意味での余裕が出てきている。肩に力が入りすぎず、かといってリラックスしているわけでもない。“キメる”部分はしっかりときめて、力を抜く部分(もちろん手抜きという意味ではない)は力まず、上で述べたような“自然体”がなお一層自然に感じ取られる。 筆者の本盤でのお気に入りは、1.「テイク・ア・チャンス」のような典型的ロックチューンはもちろんのこと、肩の力の抜け具合が心地い表題曲6.「ザ・ファイヤー・インサイド」がとくにお勧め。さらには、トム・ウェイツの曲である11.「ブラインド・ラヴ」の力の抜けた自然さや、同じくトム・ウェイツ・ナンバーの7.「ニュー・コート・オブ・ペイント」の余裕と風格漂う歌と演奏、、歌いあげるタイプのスローナンバーの10.「ザ・ロング・ウェイ・ホーム」も同じく円熟味の感じさせる。他の曲も粒揃いで、上で述べたような力の入れ/抜き加減がお見事なのだが、ゲスト参加という点でも豪華で見逃せない1枚である。ほんの一部だけ名を挙げておくと、パティ・スマイス、J・D・サウザー(共に2.、3.のコーラス、前者は9.でもコーラス)、ブルース・ホーンズビー(3.のアコーデオン、5.のピアノ)、スティーヴ・ルカサー(6.のアコギ、10.のエレキギター)、リック・ヴィトー(10.、12.のスライドギター)などといった具合だ。 1990年代を迎え、とりわけ日本ではこの手の音楽が明確に“流行遅れ”の対象となった。そのため、一世を風靡したはずのボブ・シーガーも、日本盤すら発売されないという時代に突入していく。米国でも徐々に“時代遅れ”のものと認識されていくことに違いはないが、その時代遅れの音楽に比してどれだけのリスナーがいるかという層の厚さは日本とは異なる。個人的には身に染みついた音楽なのだけれど…。[収録曲]1. Take a Chance2. The Real Love3. Sightseeing4. Real at the Time5. Always in My Heart6. The Fire Inside7. New Coat of Paint8. Which Way9. The Mountain10. The Long Way Home11. Blind Love12. She Can't Do Anything Wrong1991年リリース。 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.09
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ビリー・ジョエルのエンターテイナーとしての本領発揮のビートルズ・カヴァー曲 ビリー・ジョエル(Billy Joel)は「ピアノ・マン」に象徴されるように、“ピアノを弾き語る吟遊詩人”的イメージから出発し、70年代の大半をそのスタイル中心に突き進んだ。77年の『ストレンジャー』とその前年作『ニューヨーク物語(Turnstiles)』がこの観点からすると頂点だったと筆者は認識している。それに対し、大衆的人気という点では、『ストレンジャー』を含めそれから後にそのピークが来る。80年代を経て93年の『リヴァー・オブ・ドリームス』に至るまで、セールスと人気面でのピークが続くことになる。人気絶頂期を迎えたビリー・ジョエルは大きなホールやスタジアムでのコンサートもこなすようになり、“ロック・エンターテイナー”としての側面にも磨きをかけていった。そんなエンターテイナーぶりがよくわかる場面の一つが、ビートルズのカヴァーをやっているビリー・ジョエルの姿だ。 「ア・ハード・デイズ・ナイト(A Hard Day’s Night)」は、90年代、『リヴァー・オブ・ドリームス』リリース後のツアーの様子からの1曲。演奏自体はわりとスタンダードにこのビートルズ・ナンバーをこなしているのだが、観客の様子からもその盛り上がり具合が伝わってくる。筆者もこの頃のビリー・ジョエルの大規模コンサートを見ているが、何より盛り上げ方がうまかった。つまりは“エンターテイナー”として頂点に達していたということだろう。既に大物ミュージシャンとしての地位と人気を確立し、その中でコンサート・ツアーをやり、聴衆をどう満足させるかを心得ている。それゆえ、ライブの流れも突発的というよりはある程度計画的で、ここは聴かせる場面、この曲からこの曲まではひたすら盛り上げていく、などというイメージがはっきりしていた。そんな中、この「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、あの大物ビリー・ジョエルが、かの過去の偉大なバンド(ビートルズ)のナンバーを取り上げ、観客を盛り上げる場面で演奏されたであろうことは想像に難くない。ライブの場にいて聴いた人たちは“にくい選曲をするね~”と思わず呟いたことだろうな…。 もう一方の「バック・イン・ザ・U.S.S.R.(Back in the U.S.S.R.)」は、もう少し前の音源で、87年に当時のソビエト連邦(現ロシア)で行われたコンサートの模様を収めたライブ盤(厳密には、モスクワおよびレニングラードのライブに加えてテレビ収録音源も含む)に収録されている。こちらの選曲は“ビートルズだから”というよりも“曲の内容がU.S.S.R.(ソ連)だから”という理由に拠るのだろう。というのも、冷戦時代・社会主義体制化の時代背景からすると(無論ベルリンの壁も崩壊する以前)、このコンサートが行われたこと自体、驚きに値するものだった。アメリカ合衆国の大衆的大物ミュージシャンがソビエト連邦でコンサートを行う、これだけで大ニュースだった(なお、同年にはビリー・ジョエルの直前に他のミュージシャンたちの合同コンサートも行われたソ連/ロシア音楽界にとっては記念すべき年だった)。ビリーのものも、ナーバスな雰囲気の中で計画されたコンサートだったろうし、実際いくつかの問題も起きたようだが、ビリー・ジョエルはいつもと変わらぬエンターテイナーぶりを発揮し、ソ連にちなんだこの曲も披露した(ありきたりな「~U.S.S.R.」じゃなくて、本当は「シー・ラブズ・ユー」をやりたかったとの話もあるらしいけれど)。 80年代以降、ビリー・ジョエルは“怒れる若者”というか、“若者文化”を代表するアーティストであることに限界を自ら感じ、社会的メッセージや内省的メッセージの含まれた曲を発するアーティストへと変容していったとも言われる。けれど、エンターテイナーとしての彼というのもこの時期の一つの重要な側面である。いろんなアーティストがいろんな形でビートルズのカヴァーをやっているが、ビリー・ジョエルがやる時のこれは音楽的解釈云々というよりも、“見せる/魅せる”ことを念頭に置いたパフォーマンスという意味で見事なものだと思う。[収録アルバム]「ア・ハード・デイズ・ナイト」: Billy Joel / Journey to the River of Dreams (1995年、ビデオ付属のCD)「バック・イン・ザ・U.S.S.R.」: Billy Joel / KOHЦEPT(コンツェルト―ライヴ・イン・U.S.S.R.―) (1987年) 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.08
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ポップ・クリエイターとしてのトッド・ラングレンの本領発揮盤 トッド・ラングレン(Todd Rundgren)が『サムシング/エニシング?』(1972年)以来の一人マルチレコーディングに臨み、1978年に発表したのがこの『ミンク・ホロウの世捨て人(Hermit of Mink Hollow)』である。トッド・ラングレンという人は作品ごとに(さらには同一アルバム内でも曲ごとに)結構作風が変わったりする。そのせいなのかもしれないが、日本では一定のイメージで超有名になることもなく、結果的には正当に評価されていない感じがする。あるいは、本人のキャラにマニアックな部分が強いから一般受けしないのだろうかとも思ったりする。けれども、メロディメイカーとしても、演奏者としても、歌い手としても、プロデューサーとしても、本当にマルチな才能を備えたミュージシャンなのだ。 決して悪い意味で言うのではないが、この人は本当にマニアックである。ソロとしてメジャーになる以前にはジャニス・ジョップリンのプロデューサーに抜擢されたこともあるが、ジャニスと折り合いがつかず降板したという拘りを感じさせるエピソードもある。また、本盤がそうであるように、一人でマルチレコーディングという作業を根気強くこなして名作を作り上げる。70年代に自宅に専用スタジオを作っているほか、80年代にはMIDIを駆使してワンマン・コンサートも行っている。作品のところどころには60年代ポップ・ミュージックへの偏愛が見られ、さらに私生活では古くからのマッキントッシュ・マニアであるらしい。こんな事実関係いくつかを通観しただけでもトッドのマニアぶりが感じ取られるだろう。“職人”というよりも“マニア”。繰り返し言うが、マニアが悪いと言っているのではない。それどころか、こうしたマニアックさが本盤のような秀作を生み出す原動力そのものではないかと思う。 おまけに本作に関しては、ジャケットが“怖い”。面長で長髪の男(もちろんトッド自身)が暗~い写真の中でまっすぐにこちらを見つめている。ふつうのリスナーなら、この写真から美しくかつ創造的な音楽(とりわけ2.「キャン・ウィー・スティル・ビー・フレンズ(友達でいさせて)」のごときナンバー)が流れてくるとは思わないだろう。おまけにアルバム表題が“世捨て人”ときたものだ。原語ではHermit(隠遁者)であり、一人でこつこつ録音・編集作業している姿を想像しやすいタイトルとは思うが、直截的なイメージが抱きにくいのも事実だ。 アナログ盤ではA面(1.~6.)が“イージー・サイド(The Easy Side)”、B面(7.~12.)が“ディフィカルト・サイド(The Difficult Side)”と命名されていた。けれども、今になってCDで通して聴くと、なぜか全編通して違和感なく続いているように思うのだが、どこが“簡単(イージー)”で、どこが“難しい(ディフィカルト)”だったのだろうか。全編一人で作曲から編曲・演奏・多重録音の編集までしただけあって、確かにどの曲も凝っていて、その意味では“ディフィカルト”たり得る。5.「擬声(Onomatopoeia)」などはその最たるもので、“これがなぜイージー・サイドに入っているのか?”と普通なら疑問を持つ。逆に、8.「バッグ・レディ」みたいな美しい曲が“ディフィカルト”側に収録というのも自然な疑問だろう。 以下は聴き手側の勝手な想像である。もしかして、この“イージー”と“ディフィカルト”という区分は、トッド自身にとっての区分だったのではなかったろうか。もしそうだとすれば、たとえ凝った複雑なことをやっていても、作者にとっては“イージー”だった曲もあり得る。また、出来上がった結果だけを聴いて“ディフィカルト”との印象はなくとも、実は作者にとっては“ディフィカルト”だった曲も逆にあり得ただろう。そう考えると、1.や2.に典型的に表れているように、前半(アナログA面)の曲は流れるように進んでいるのも納得できるし、後半(同B面)では曲調の波幅が大きいのも頷ける。つまるところ、作者トッドから見た“安産”がイージー、“難産”がディフィカルトだったのではないだろうか。筆者のこの想像が当たっているとするならば、やっぱりトッドはどこまでもマニアックな人物だということか…。[収録曲]1. All the Children Sing2. Can We Still Be Friends3. Hurting for You4. Too Far Gone5. Onomatopoeia6. Determination7. Bread8. Bag Lady9. You Cried Wolf10. Lucky Guy11. Out of Control12. Fade Away1978年リリース。 【送料無料選択可!】ミンク・ホロウの世捨て人 [初回生産限定盤] / トッド・ラングレン 下記ランキング(3サイト)に参加しています。 お時間のある方、応援くださる方は、“ぽちっと”よろしくお願いいたします! ↓ ↓ ↓
2010.07.05
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ネオ・クラシカル・メタルなインスト・ナンバーの衝撃 ~その2~ 「ブラック・スター」に続き、今回もまた同じイングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie J. Malmsteen)のソロ・デビュー・アルバム『ライジング・フォース』からの曲、「ファー・ビヨンド・ザ・サン」である。この曲も前回の「ブラック・スター」同様、インスト曲で、アルバム中では1曲目と2曲目に並んで収録されている。「ブラック・スター」はゆっくりのテンポで抒情的なメロディを聴かせるタイプの曲であった。これに対し、同じアルバムで続く2曲目にあたる「ファー・ビヨンド・ザ・サン」は、のっけから硬派なロック的アタックで始まるナンバーだ。だからといって、HR/HMの世界から見て、必ずしもスタンダードな演奏のみというわけではない。随所で音階を一気に駆け昇ったり降りたりするイングヴェイ得意の早弾きフレーズも披露されていて、彼の特徴であるクラシカルな音階が上手く活かされている。 曲のメインとなるメロディは典型的ロック調である。あくまで基本はこれであって、そこにクラシカルな音階(各フレーズの終りに来ることが多い)が組み合わされている。ドラムは良くも悪くも単調で、シンセがかなりの部分バックで鳴り続けている。つまり、ロックの曲としてはどちらかと言えばシンプルな作りといっていいと思うのだけれど、最終的に曲全体としてこれだけ目新しいのは、イングヴェイのギター演奏ゆえということになる。つまり、究極的にはイングヴェイのギター・インストの“独り舞台”的な曲なわけだ。彼のギターを聴いたことがない、どんなものか知りたいという人がいるならば、個人的には、真っ先にこの曲を最初に聴くことをお勧めする。 こう言うと「ファー・ビヨンド・ザ・サン」はイングヴェイ入門者用の曲かと思われるかもしれないが、まったくそういうことはない。バンド演奏としての出来という点では、『オディッセイ』などの作品もいいのだけれど、ギター演奏に限り、1曲だけイングヴェイをよく表している演奏を選ぶのなら、間違いなくこの曲がいちばんだと思う。とにかくカッコいい。イングヴェイの演奏スタイルもっとも典型的に表していて、なおかつ、他作を聴いてもやっぱり彼のギター・プレイの代表作として聴き続けられる。つまり、(老若男女とは言わないまでも、)初めてイングヴェイを聴く人から、ずっと聴いている人までみんなが楽しめる(そしてきっと多くの人にとっていちばんのイングヴェイのお気に入りになるであろう)、そんな1曲がこの「ファー・ビヨンド・ザ・サン」だと言える。[収録アルバム]Yngwie J. Malmsteen's Rising Force (1984年)[関連記事リンク]ネオ・クラシカル・メタルなインスト・ナンバーの衝撃 ~その1~ へ 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.04
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ネオ・クラシカル・メタルなインスト・ナンバーの衝撃 ~その1~ 1980年代、ネオ・クラシカル・メタルと呼ばれ、クラシック音楽の要素をHR/HM界に持ち込んだイングヴェイ・マルムスティーン(Yngwie J. Malmsteen)のソロ第1作の冒頭のナンバーがこの「ブラック・スター」。イングヴェイは、スウェーデンのストックホルムの貴族家系の出身で、わがまま放題な少年時代を過ごした後、渡米。スティーラーズ、アルカトラスというバンドに在籍して名を上げた後、1984年のソロ・デビューとなった(イングヴェイの“俺様ぶり”については、こちらの過去記事を参照)。 イングヴェイという革新的で野心的なギター・プレーヤーのソロ・デビュー作の1曲目に相応しく、静かにそして抒情的に曲は始まる。曲が少し進むと次第にギターの音の厚みが増していき、抒情性をたたえたままのメロディと印象的なギター・ハーモニーが続く。加えて、得意の高速フレーズが随所に挟み込まれる。HR/HM系のギター・インスト曲でゆったりしたテンポの曲を間延びさせずにこれだけ聴かせるギタリストはそう多くない。この曲は、イングヴェイという人の才能とセンスが抜きんでていることの証明であったとすら言っていいのかもしれない。 ではそのセンスと見事なまでのギター演奏力はどこで培われたのか。上で触れたわがままな少年時代、イングヴェイは不登校気味になり、家にこもってひたすらギターを弾いていたという。しまいには学校での問題行動も起こすようになり、15歳で退学、その後はギター修理の仕事をしていたと言われるが、どうやらこの頃も自宅の地下室でひたすらギターの練習に明け暮れていたらしい。 自宅にこもってもくもくとギターに励む少年。もしかすると、イングヴェイは友達もあまりおらず、あえて言えばギターが友達というような暗い少年だったのかもしれない。しかしそのマニアックな鍛錬は類まれな才能に磨きをかけ、ロック・ギターの世界に新風をもたらす源泉となったのだろう。アルカトラスでその名が知られるようになっていたとはいえ、ソロ作第1弾の1曲目でこれだけのパフォーマンスを見せたことは、その当時リアルタイムではもちろん、いまから過去を振り返ってみても、聴き手に衝撃を与えるものだったと思う。[収録アルバム]Yngwie J. Malmsteen's Rising Force (1984年)[関連記事リンク]ネオ・クラシカル・メタルなインスト・ナンバーの衝撃 ~その2~ へ 下記3つのランキングサイトに参加しています。 お時間の許す方は、ひとつでも“ぽちっと”応援いただけると嬉しいです! ↓ ↓ ↓
2010.07.02
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