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今日は箇条書きで考えてみた。(注: なあにそれ?という方はまず昨日の日記を)【オファーを受けた場合】良い点: フランスに住める。労働許可を取ってもらえる。一人暮らしができる。悪い点: 会社勤め。毎日同じことの繰り返し。数年は辞められそうにない。【現状維持の場合】良い点: 気楽だ。いつでも旅行に行かれる。やりたい放題。悪い点: 相棒のケチンボ。相棒の悪趣味。相棒の親。要するにね。会社勤めが嫌なんだ。毎日出勤するのが嫌なんだ。毎日同じことの繰り返しになるのが嫌なんだ。新しい人間関係を築くのが嫌なんだ。でもフランスには住みたいんだ。それでね。思ったんだけどね。相棒をフランスに転勤させてそこで今みたいな生活を続ければ最高なんじゃあないか。 でもね。奴はフランスが嫌いなんだ…。あと一日考えてみよ。時差を逆手に取ってメールまだ読んでないことにしよ。
Mar 31, 2004
どうしよう。どうしよう。どうしよう。いつも不言実行な私が何を悩むことがあるのかというとでかい仕事のオファーが入ってしまったから。しかもパリだ!フランスだ!うわ~い!どうしよう!
Mar 30, 2004
朝起きてメールボックスをチェックしたら、ものすご~く怪しいメールが一通来ていた。添付ファイルあり。差出人に心当たりなし。こりゃウィルスだわ、と即座に判断、削除しようと思ったのだが、ちょっとした好奇心から薄目でそ~っと見てみた。差出元はどうやら以前一緒に仕事をした人関連の業種らしい。またあの人か!ひとまず削除。それからトレンドマイクロのホームページに行ってみた。私に送られてきたのと全く同じメールがサンプルとして挙げられている。やはりそうか。内容をよく読んでみる。XPではプレヴューだけでは感染しないとのこと。とりあえず安心。しかし何か気持ち悪い。一応ハードディスクをスキャンしておくことにした。ああ面倒くさい。私のウィルスチェッカーはものすごく使い勝手が悪いのである。無料だから仕方ないといえばそれまでだが、スキャン途中で凍ることしばしば。今日も案の定凍りついた。もう一回試す。だめだ。さらにもう一回。だめだ。いつも同じところで凍るところをみると壊れかけのファイルがあるんだろうか。いやんなる。でも一応問題なく使えているし、ウィルスではない(らしい)し、そもそもリカバリーのディスクは全部日本に置いてきたし。大変なことになっても再インストールはできない。大変なことなってジタバタしてもしょうがないのである。それでは大変なことになる前に対策を講じておかなければ。…といっても画期的なアイデアは全然思いつかない。う~ん。せめてバックアップでもとっておくか。近くの量販店までCDを買いに行く。顔を洗って、着替えて、自転車に乗って…これがまた一仕事である(←顔ぐらい洗っておけ)。そんなこんなで今日はもう力尽きてしまった。続きは明日にしよう。と思っていたら、夜、また同じようなメールが別の未確認の差出人から来た。メールを透かして見る。またあの人か!!管理体制の悪い人のせいでこっちまでヤキモキさせられるのはすごく不条理だと思う。
Mar 29, 2004

「トリコロール」といえば…公開当時、私は某日系企業の某部署で某仕事をしていたのだが、この部署が最悪であった。良く言えばマーケティング、悪く言えば社内のゴミ箱。年配社員などはいわゆる窓際族で固められており、社内・系列会社内のお荷物的存在が顔を揃えていた。新卒ほやほや前途洋洋の新入社員であった私がなぜそのような部署に配属されたかというと、採用面接の際、マーケティングに興味があると熱く語ってしまったからである。やはり同じような経緯で迷い混んでしまった同期入社がもう一人。私たちは、入社一週間目にしてはやくもこの部署の異常性に気付くのであった。その内容については後日必要に応じて日記に記すことになるかもしれない。さて、そんな部署にも慰安旅行はある。会社の規模および部署の特殊性から、私たちの部署単独で慰安旅行をするという決まりになっていたのだが、私も同期も心穏やかではない。この部署で旅行など行きたいわけがないのである。しかしそれは他の部員に関しても同じであった。泊りがけの旅行はやめよう、ということで意見は一致した。それでは日帰りの行事か。しかし皆それすらいやなんである。それじゃあ慰安旅行など初めから無かったことにすれば良さそうなものではあるが、そうすると費用がもったいない(と欲張りな誰かが主張)。結局、全員分の映画の券を買って全員で行ったことにしようということになった。もちろん各自てんでばらばらに行くのである。しかしここでまた難題に突き当たった。全員が同じ映画を選ばなければいけないのである。部員総勢30名ほどであっただろうか。世代も様々、趣味も様々な全員の納得のいく映画を選べるのか。結論から言おう。私は「トリコロール/青の愛」が観たかった。しかし映画選定の話し合いが始まってすぐに、「トリコロール観たいとか言う奴ぁいないでしょうね!?」という非難とも罵声ともつかない声があがってしまったのだ。私「………」。皆「うんうん、ああいうのはね~」。軽くショックであった。10年経った今でも私はしつこく覚えていて、「トリコロール」というと、その発言をした入社6年目の少しブヨッとした先輩の顔が目に浮かぶのである。しかしそれではなぜ、「トリコロールを観たいのですが!」と胸を張って言わなかったのだろうか。それは、めんどくさかったからである。会社にはもう何も期待せず、退職の日を指折り数える毎日だったからである。結局選ばれた映画は「フリント・ストーン モダン石器時代」であった。キェシロフスキーの映画はどうしてこんなに綺麗なんだろうと思う。それが、いかにもオシャレ映画で~すというふうになっていないところも良い。作品の中にいろいろなメッセージが込められているようないないようなところも良い。あのブヨッとした先輩も、観たら本当は感心するかもしれないのに。…いや、しないだろうな。
Mar 28, 2004
図書館からの帰り道のこと。いつものように自転車に乗っていると、前方に、身長1mはあろうかという巨大なスコティッシュテリアとその飼い主らしき人物が歩いているのが見えた。あんなに大きなスコティッシュテリアの種類を知らなかった私はびっくりして見とれてしまったのだが、次に、もっとびっくりすることが起きた。突然、その犬のお尻から流動物が流れ出たのだ!歩きながらで、流動物で、しかも黄色い!しかも爆音が!私は思わず自転車ごと後進しそうになってしまった。そしてほどなく時間差で妙な臭いが。よりによってこんな強風の日に!風で拡散する気!?食事中の人には失礼かと思いつつ、あまりに衝撃的な出来事だったので記録として残しておくことに決定。飼い主の皆さん、散歩中の携帯電話の使用は慎んでください。犬がいつ何をするかわかりません。
Mar 27, 2004
相棒は会社務めをしている。毎朝7時半から8時の間に出かけていく。私は会社務めをしていない。毎朝8時からのニュース放送に間に合うように起きる。相棒がドアをバタンと閉める音を聞き届けてからおもむろに起きだす。相棒の雑音で本当は目はとっくに覚めているのだが、何かとめんどうくさいので、出かけるまでは狸寝入りである。起きて、窓辺に寄って、相棒の車が発進するのを見届ける。これは、いってらっしゃ~い(はあと)などというかわいいものではなく、本当に出かけたかを確認するためである。稀に、奴が忘れ物を取りに戻って来て、私がさっそく起きて楽しそうにしているのを見ると、何やら不穏な空気が流れるので、これは私なりの心遣いであると言える。窓辺へ。これまた稀にだが、相棒が部屋を見上げて目が合ってしまうことがある。そうすると奴が何やらうれしそうな顔で手を振ったりするので、私としてはこれも避けたい。奴から気付かれない角度で窓に貼り付く。今朝。車はなかなか発進しない。30秒経過。1分経過。おかしい。ひとまず狸寝入りに戻り、相棒が戻ってきたときのために備える。2分経過。ここでふと気付く。そうか。奴は今日自転車で出勤したのだな。案の定、奴のロードサイクルがなくなっている。な~んだ。一人芝居して損した。今日ものんきな一日になりそう。補足: 通勤経路は片道約40km。会社にシャワー有り。
Mar 26, 2004

何気なく昨日の日記を読み返してみたところ、あまりの支離滅裂な文章に我ながら嫌気がさしてしまった。麻酔のせいで頭が回転していなかったということにしておきたい。りんごとさつまいもを甘く煮たものも、甘さが控えめすぎてイマイチな出来栄えであった。これまた歯医者後だったからということにしておきたい。毎朝、テレビの日本語放送を見ることにしている。鼻の穴の安藤さんと木村太論の木村太郎さんが出ているフジTV系のニュースを、アメリカ在住者向けに組み直した番組である。今日のメインニュースは、いかりや長介さんの葬儀に一万人が参列、というものであった。全員集合で育った世代の私ではあるが、この手のニュースが、ヤシーン氏暗殺とそれにまつわる動きや、ブッシュの犬パウエルとラムズフェルドが公聴会でブッシュをかばう発言をした、といった事柄よりもよっぽど大々的に取り上げられているのを見ると、日本はまだまだ平和だなあ…などとこれまた平和ボケした頭でぼんやりと考えてしまう。夜はBBCを見ることにしているが、これが、対照的なのである。危機感が違う。国民性の違いはこんなところにも現れている。午後、歯医者に行った。またかよ!という声が聞こえてきそうだが、その通り、またなのである。しかし今回はクリーニングのため。歯石除去とフッ素塗布をしてもらってきた。歯石をガリガリやってもらっている間、チョコホーリックもそろそろ返上すべきか…などと考えをめぐらせていたのだが、これは私のアイデンティティでもあるのでなかなか譲れない。甘いもの好きのことを英語で sweet tooth というが、私は文字通り、sweet tooth である。歯医者に行くと、「甘党の虫歯の出来方ですね~」などと感心されるのである。5時過ぎに帰宅。せっかく歯の掃除をしてもらったことだし、夕食は抜きにした。
Mar 24, 2004
前回のは仮の処置に過ぎなかった…。今日こそが本番…。午前10時の予約。牛乳臭いと失礼かな、などと思い、朝食はパンケーキなのに牛乳を飲まず水で我慢。歯磨き完了。準備万端。時間きっかりに今やすっかりおなじみとなった受付へ(←まだ2回目だけど)。今回は待たされることもなく診療室に通される。バカンスはどうだった~?良かったですよ~!Blablablabla... まずはコミュニケーションが大切なんである。前回、日本の歯科技術にびっくら仰天した先生。今日は、先日仮に詰めた詰め物を、ちゃんと長持ちするものに詰め替えるとのこと。前回撮ったレントゲンを見ながら「この物質(注:大昔に日本で治療した部分)はいったい何なのか…」一人ごちる先生であった。私なら大丈夫。腹はくくって来たヨ。執刀開始。麻酔投与。前もってお願いしてあったように、健常なアメリカ人成人への投与量の半分ほどであろう麻酔を注射。ウウゥ…。いや、待てよ、あまり痛くない。歳とともに鈍感になってきたのか。口の左側が麻痺し始める。次第に意識も遠退いて…(←ウソ)。ホワ~ンホワ~ンホワ~ン… *回想シーンに入る患部は左下第2大臼歯。まずは仮のアメリカン・フィリング(←たった今命名)を取る。そして、奥底に眠るジャパニーズ・フィリングを…。と書くとたやすいようだが、頭上のライト部品に反射して、先生と助手の悪戦苦闘している様子が見える。……………………。どれくらいの時間が経ったのだろうか。ようやくジャパニーズ・フィリングが取れたらしい。正体は何だったのか。ウラニウムか?プルトニウムか?しかし先生もプロのはしくれ。患者を動揺させてはいけない。前回同様、客観的な実況中継をしながらオペは進む。取れてしまった詰め物の下で虫歯が活動していたらしい。削る。フィリング充填。注射状のもので薬品(?)注入。レーザー光線(?)を当てる。研磨。結構な時間が経った(と思う)。こんなにやられたんじゃあ請求書はすごいことになるな、などとのんきに考えているところへ「さあ、できましたよ~。噛んでみてください。」と先生。ガチガチやって、磨いて、噛み合わせを数度調整。完了。それから今日行った治療の説明がなされた。私もいくつかの質問を返したはずだが、麻酔のせいで頭がホゲーっとしていてよく覚えていない(←部分麻酔なのに大げさ)。とりあえず、麻酔で石のようになった口で、ありがとうね感謝感謝、と言って診察台を立つ。「おつかれさま~!」と受付の女性。ニコニコしている。なんだかわからないけれどこっちもニコニコしちゃえ。あ、お会計が高いから笑って場を和ませようとしているのかな。などと疑心暗鬼にもなったのも束の間、請求されたのはものの286ドルであった。あんな大仕事でこれだけ?いやあ悪いね~。そもそも保険会社から全額返ってくるから多少高くてもいいんだけど。しかも、6ドル細かいのがないやと言うと気前良く負けてくれた。悪いね。現金で払う(←食費より)。診察所を後にする。時計の針は11時48分を指していた。ホワ~ンホワ~ンホワ~ン… *現実に戻る8時間経過。午後6時現在、麻酔もとれ、食欲も出てきた。心配していた痛みもない。実は私は病人でいるのが満更でもない。やわらかめのものを、と、りんごとさつまいもを甘く煮たものを作る。りんごは奮発してグラニースミス(=青りんご)だ。相棒、帰宅するも、大して(というか全然)心配してくれずガッカリ。歯は大切にしましょう。
Mar 23, 2004
ひたすらタンデムな一日…。7時45分 起床 朝食8時 デンバーを出発(海抜1,609m) 西に向かう9時半 ゴールデンに到着(海抜1,730m) 北西に向かう10時 プレーリードッグの平原に到着 その数、肉眼で確認できるだけでも30頭 地下には推定600頭ものプレーリードッグが潜んでいると思われる(←デタラメ)11時 山間部に入る 果てしない上り坂11時半 パンを食べる12時 後輪にパンク発見 修理12時半 通りすがりの車から「大丈夫か」と声を掛けられる こういうことに関してだけ世界一親切なアメリカ人を見習おう14時 どこかの山頂に到着(海抜3,776m ←デタラメな推測) 高山病知らず 美しい景色もさることながら、美しいおにいさん(←他人)が視野を陣取る 日頃野暮ったい人々ばかり目にしているので、稀にアウトドア系ながらもセンスよく まとめている人を見かけると、アメリカ人にもできるのだなぁ…と感心してしまう私15時 カジノの街ブラック・ホークに到着(海抜2,589m) 素通り15時半 通りすがりの車から "you fuckin' asshole!" と声を掛けられる 人違い…?それとも単なるバカ…?16時 ゴールデンに戻る16時過 メキシカンレストランにてエンチラーダを食べる 美味17時半 相棒の口に虫が飛び込む18時半 帰宅 パンケーキ21時 消灯
Mar 21, 2004
久しぶりに洋服を作ることにした。まずはミシンの修理。これは半年ほど前に相棒が壊したもの。使い方も判らないのにどうして使おうとしたのかは知らないが、案の定、壊しやがったのだ。それを今日ようやく思い立って直すことにした。針の交換とオイルをさすだけだったので、修理自体はいたって簡単だった。それから、使おうと思っている生地を出してきた。これは亡くなったおばあさんが普段着にしていた和服たちで、15年前に亡くなって以来、おじいさんのもとできちんと管理されていた(←実は置いてあっただけ)。それを、おじいさんも亡くなった今、私がいくつかもらい受けたのだった。せっかくだから長く愛用できるデザインにしよう。サイズも多少大きめにしておこう。いろいろ考えておいた。生地を手に取る。そして、何かが足りないことに気付いた。そうだ。匂いだ―――。これらの和服を手にする度にいつもおじいさんの家の匂いがしていたのだが、久しぶりに出してみた今、匂いがなくなっている。愕然としてしまった。人は二度死ぬと言ったのは向田さんだったか。亡くなってしばらくしたある時、ふとしたはずみにその人が死んだことに気が付く。そしてその時こそが、本当に死んだ時なのである、というものである。おばあさんが死んで、おじいさんが死んで、そのうち匂いもなくなって、そのうち家も取り壊される。そんなことをこの異国の地で考えていたら、なんだかやる気がうせてしまった。今日は裁断はよした。ちなみに涙は出なかった。ママ!読んでる?
Mar 19, 2004
実はうちにはすごいタンデムがある。冬場は耳が痛くなるのでほとんど乗らないのだが、今年も花粉の増加とともにチューニングを始め、もう出番を待つのみにしてあった。新しいスポークス。新しいサドル。ちょうど天気もいいことなのでテスト走行することにした。(中略)偶然アジアのスーパーマーケットを見つけた。せっかくなので何か買おう。けど実はそんなに日本食党ではないので何を買ったらいいのかわからない…。お好み焼き粉は高いしな。ソースも買ったら15ドルなんて法外だ。結局、缶詰のおいなりさんを買った。本当はおやつを何か買いたかったけど、相棒の許可が下りなかった。自分がダイエット中だからってさ~。チェッ。
Mar 17, 2004
6時起床。今日の9時半の飛行機でアメリカに戻る。いつものようにバスか乗り合いタクシーで空港までと思っていたところ、ちょうど空港までの料金をタクシーの運転手に聞いている人がいたので、シェアして乗ることにした。空港では2時間の待ち時間。散歩。パンを買って食べる。小さいのにズシリと重いパン。うまく発酵してない?それともそういうやり方?いや、そんなのは問題ではない。出国の段になって発生したトラブルはもうちょっと深刻である。出国税がかかるというんである。いや、それはいいよ、税金なら仕方ない、しかし相棒のゴネることといったら!もう~!確かに一人につき25ドルは高い。けど私はここで脱税なんてしたくないじゃんね。現に誰もがおとなしく払ってるじゃんね。相棒の奴、想像を上回るケチぶりで、もう現金ありませ~んカードもありませ~ん、などとうそぶいている。ちょっと、私までトラブルに巻き込まないでよ、いいからおとなしく払っちゃいなさいよ、つんつん(←肘)、と日本語で(誰にもわかられないように)説得にかかり、結局、搭乗ギリギリまで食い下がったものの相棒は敗退したのであった。今度という今度こそ、コンビを解消してやろうかと思ったよ!!!文句文句の相棒。それでも多少の救いはあった。本来ならば払わなければいけなかった“荷物検査税”2ドルを、どさくさに紛れて支払わずに済んだのである。相棒のケチぶりに関してはいずれ改めて語る必要あり。$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$$搭乗前から疲労困憊した私。万一支払わずに出国できてたとしても、パスポートに不払いの記録がつくのは避けたかったのだよ…。スキャンすれば一発でばれちゃうもんね…。しかしマイアミに着く頃には私の疲労も回復していた。デンバー行きの飛行機は今夜発。乗り換えに正味6時間もある(と今朝気付いた)。せっかくだからダウンタウンに行くことにしよう!実は私はマイアミが好きではない。嫌いでもない。マイアミビーチは好きなのだが、ダウンタウンの殺伐(?)とした雰囲気がどうもね…。まあいいや。とりあえずバスに乗り、ガバメントセンターで下車。特に目的もないし時間もそれほどないので、ベイサイドで散歩することにした。無料のメトロに乗っていった。無料の電車が走ってるなんてさすが大都市だね。ベイサイドのショッピングモールはほとんど日本だ。横浜みたい。しかし私たちは取り立てて買う物もないことだし、適当に流し、港でヨットを眺め、ダウンタウンを散歩し、マクドナルドで食事して、バスで空港に戻った。デンバーのアパートに帰ってきたら夜中になった。泥棒は入ってなかった。
Mar 14, 2004
ロアタン島では時々スコールが降る。昨日も夜中にも何度か降って、空が割れるんじゃないかというくらいのすごい音がしていた。今日は朝からあいにくの雨模様。しかしスコールではなく、日本式の、振り続けるタイプの雨。なかなか外に出られない。2時間ほどしてようやく小雨になったところを、近所のパン屋に買いに走った。ロアタンの人はあまりパンを食べないらしく、通常、美味しいパンは手に入らないのだが、このパン屋は格別だ。フランス人の作ったフランス風のパンが手に入る。列に並んで、ハムとチーズをパイ生地に包んだものを買う。チーズはチェダーだが、とろりとしていて美味しい。生地もパリパリしすぎではなく良い具合。少しすると雨が弱まった。イグアナを見に行くことにする。ビーチ沿いに1時間ほど歩いたところを内陸に入る。岸壁のような、火山岩でごつごつした岩場に出た。相棒が数日前ここでたくさんのイグアナを見たということだったが、今日は雨のためか、姿は見えず。かろうじて2匹走り去っていくのを目にでききただけであった(欽ちゃん走りだった)。午後、空模様が回復。少し泳ぐ。夕方、昼食兼夕食をとりにまたチキン屋へ。私は路上販売で買っておいたライムを忘れずに持って行き、お店の人に切ってもらい、チキンにかけて食べた。待望のライム・チキン。んまい。こうしてご満悦で食べているところへ、何やら親しげに現地の若者二人が話しかけてきた。このあたりではときどきあることなのだが、座っているところなどに突然現地人がやってきて、勝手に自己紹介し、握手を求め、質問を浴びせる。ちょっと不思議。今回も適当に話をし、若者の一人はなぜか歌など歌いだし、一応陽気な時が過ぎていく(10分)。すると、である。「飲み物をおごってくれないか」と言い出した。はぁ? 私も相棒も、頼まれると断わりたくなるタチである。断わった。つうかお前ら結局タカリかよ!旅先でも地元でも、ちょっと話が面白かった人にビールをご馳走したりご馳走されたりというのはよくあることだが、あからさまにソレ目的というのはあまり優雅では…。しかもここはそれほど“観光客のための場所”というのではない。現地の人も観光客も、私たちと同じレストランで食事している。観光客(少なくとも私と相棒)が金に物を言わせて美味しいものを食べているんではない(注:いかにも観光客向けのお店ももちろんあるが、相棒はそういうのが大っ嫌い)。そして考えた。発展途上国を訪れるといつも目にする、まだ7歳くらいであろう靴磨きの少年や、小銭をくれと手を差し出す子供たち。支援方法は他にも多々あるが、いざその場面でどうしたものか。夜、散歩。明日帰国なので、スーパーでバニラエッセンスを一瓶買う。16オンス入りで24レンピーラ(≒140円)は破格。ホンジュラス製。自分への素敵なおみやげ。
Mar 13, 2004
ウェスト・エンドはそろそろ見尽くした感があるので、もう少し東のほうに移動することにした。7時起床。甘いパンを食べてから、徒歩でフラワーズ・ベイへと向かう。ビーチからは行かれないので、陸を、3~4kmの道程。そんなに暑くないので余裕で歩いていると、途中、バスが止まってくれて乗ることにした。このバスはいわゆる“バス”ではなく、回送、というか運転してるだけのもの。アメリカのスクールバスの払い下げなのか、オレンジの車体の古めのバスであった。車内からフラワーズ・ベイを眺めた。名前からして綺麗な南国の花かなにかが咲き乱れているのかと思ったら、ひなびた漁港というのか、泳げるビーチはなく、いくつかの古びたボートが停泊しているのみであった。目立った商店もなく、経済は停滞しているようだった。そんな風景を眺めながらしばらくするとコクセン・ホールに着いた。運転手に20レンピーラ(≒120円)ばかし渡し、今度は、市営バスで今日の目的地であるフレンチ・ハーバーへと向かう。市営バスはたいてい白いマイクロバス。バス停はあってないようなものなので、道すがら、手を挙げて乗せてもらう。フレンチ・ハーバーまではさらに約15km。あのオーヘンリーも滞在した(=逃亡先に選んだ)という港町である。さぞや素敵であろう、と期待して行ったのだが、実際はとりたてて綺麗というわけでもないような。観光客としてドカドカと訪れて「綺麗じゃない、素敵じゃない」と批判するのはエレガントではないが、しかしほんと、特徴のない港町であった。街に活気がないからか…。多少の落胆はぬぐえず。しかし今日からここに2泊するつもりで来たので、気を取り直してホテルを当たってみる。そこでさっそく挫折。ガイドブックで目をつけておいたホテルが満室なのである。別のところに行ってみると、そこはガラ空きなのだが、いかにも泥棒&蚊が入ってきそうな構え。また別の2軒は法外に高い(←といっても一泊45~55USドルであるが)。そもそもこの小さな港街、観光地ではないのでホテルが他にない。さてどうしようと思案していると、45ドルの部屋を35ドルにしてくれるとホテル側が提案。しかし相棒がそんな大金(=たかだか35ドルだが)を払うわけがない!結局、ウェスト・エンドに戻ることになった。はるばるやって来た道を逆戻り…。街を少し散策。バス停と思われる一角でバスを待つ。来ない。地元の人から「日本人か?トヨタ?」などと聞かれ「日産!」と答えておく。こんなんでもウケるのである。そしてバスを待つ間の30分間、スペイン語で会話するはめになるのであった(注:私はスペイン語がヘタ)。バスは来ない。頭疲れた。多分ここにはバスは来ないんだろう。結局歩いてハイウェィに移動。するとほどなくバスが来て、フラワーズ・ベイまで乗って行けることになった。バスは行き先がまちまちなので、途中で乗り換えることになる場合が多い。次はウェスト・エンド行きのバスに乗る必要があるが、なかなか来ない…。バックパックを担いで歩く。軍のキャンプじゃあるまいし!と相棒を罵り、座り込みを決めようとしたところでようやくマイクロバスが止まってくれたので乗る。私立の小学校の送迎バスとのこと。運良くウェスト・ベイを通るというので、制服姿の子供たち(低学年)に混じって座る。子供たちは私たちのために席を空けてくれた。お行儀が良くて感心。到着。感じの良い運転手にいくらかのお金を渡す。そして既に定宿となった感のある、ホテル・マンゴー・パラダイスへ。この前の部屋は水周りがイマイチだったので、別の部屋(しかし同じ値段=15ドル/泊)にしてもらう。通常料金は25ドルのところを当初20ドルにしてもらっていたのだが、後半、夜間の騒音を理由に15ドルにおまけしてもらっていたのだった(←相棒、なかなかやるなあ)。今度の部屋は良い。壁はクリームイエローにきちんと塗られているし、トイレの便座はあるし、水周りも良さそう。こんな部屋も隠してたのか。さて、腹ペコな私たち。荷物をほどくのもそこそこにいつもの灯台レストランへ。75レンピーラ(≒450円)の魚の定食に、プラターノ(緑のバナナ)の揚げてあるものをつけてもらうことにした。フィッシュ&チップスを食べて以来この店の火力を信頼している私。魚も揚げてもらうことにした。そして出てきたのは、全長40cmあろうかと思われるスズキ(か誰か)がドデーンと乗っているお皿!カラリと揚がったこの魚にチリソースをつけて食す。ん~まい。至福のひととき。醤油の小瓶を持ってきても良かったかな。食後、お店で作ったというマンゴーとパイナップルのアイスクリームがサービスで出てきた。この島では生クリームが手に入らないので代わりに牛乳で作ったとのこと。創意工夫は評価。しかし味が…まずいんである。私は常温保存の牛乳が好きではない。一方、相棒はというと、この脂っぽいアイスクリームをいたく気に入ったようである。風変わりな舌。しかしおかげで完食できた。褒めちぎって(←こういうところはアメリカナイズされてる私)お店を後にする。夜、疲れが出たので多めにビタミンを摂る。熟睡。
Mar 12, 2004

またしても灯台に朝食をとりに行った。このレストランには足しげく通っている。だって、値段と味が釣り合ってるし、サービスもいいしね。でもその前に私は甘いパンをたくさん食べてしまったので(早く目が覚めてお腹が空いてしまったので)ここではミルクティだけ。相棒は、バナナの乗っているパンケーキを食べた。これまた10レンピーラ(≒60円)なのに美味しくてお得。それから歩いてアンソニーズ・キー・リゾートへ。歩いていくというと皆びっくりするのだが、実はゆっくり歩いても45分とかからない。ビーチ沿いではなくハイウェイから行く。道では車が暴走しているので私は注意深い。相棒はナメきって歩く。今に事故に遭うぞ!と思っていたら、道の真ん中を歩いていた野良犬がいきなり車にひかれた!!!私はすごいびっくりして、マンガみたいに、目がびよーんと飛び出た。一度車にひかれたときのトラウマがまだあるんだね…。犬は、車がものすごいスピード(推定時速60km)で来たのに驚いて縮んだところをひかれ、1m飛ばされ、びっくりして走って逃げた。大丈夫か!?と思ったが、すごい勢いでその犬は逃げていったので私は様子を見ることができなかった。あばらの一本や二本折れたような音だったので心配だ。そして運転手は、と見ると、ニヤニヤしながらそのまま走り去って行った。ゴルァ!テメーの宗教は何だ!!(←怒り心頭)そんなこんなでアンソニーズ・キーに到着。イルカを見ることが今回の旅の私の目的であり、ここがイルカでは一番の有名な場所である。(それじゃ何でここに泊まらなかったの?というと、宿泊料金がベラボーに高いからである)とりあえず着いた。情報収集だ。奴ら(=イルカ)はどこに?リゾートで働いてる人によると、沖合いまで出てダイビングすれば見られるでしょうとのこと。へ?泳げない人は?ボートで沖合いへ?しかしこれはオール・インクルーシブの宿泊客のためだそうな。別料金だと高いよー。 ドボ~ン。。。船着場を歩いていたらイルカが泳いできて…などということは映画の中でしかないことにうすうす気付いてはいたが、泳げない&ダイビングできない&お金ない(=相棒のケチンボ)ということがこれほどまでにバリアになったのは初めてだよ!しょぼくれて、リゾートの先の小さなビーチで対策を練ることにした。世の中、お金を払う人が得するように出来ているんだなぁ、などと遠い目をしていた…と、そこへ、数匹のイルカが遠巻きに見えるじゃあありませんか!10mくらい向こうで、イルカたちが餌付けされたりジャンプしたり。感心して熱心に見る。それで思ったこと:しながわ水族館で見たのと同じだなあ―――。ひとしきり見終わって、ビーチのほうからウェスト・エンドに戻る。途中、マングローブの小さな林などがあり(イルカを見るよりもっと)気分が出た。ウェスト・エンドに戻ってから、またチキン屋でチキンを食べた。半羽、自分の分に注文して、全部食べた。付け合せにはライスとお豆を選んだ。ライスはカレーで味付けし、にんじんのみじん切りを加えて炊いたもの。パラリとしていて美味しい。お豆は例のぜんざい風。旨い旨いと食べ進んだが、はて、何かが足りないことに気付く。そうだ。柑橘。ライムなどこの辺りでは安いのに、なんで付いてこないんだろう。代わりにテーブルの上にあるケイジャン調味料をかけて食べてみる。これもなかなかイケるね。にんにくのすりおろしたものとにんじんとたまねぎのみじん切りをビネガーとチリペッパーで合わせ、塩こしょうしたもの(と思う)。ところで今日は金運があった。3回お金を拾い、合計17レンピーラ(≒90円)計上。
Mar 11, 2004
ビーチで朝ごはん。昨日の路上販売で買っておいたバナナが黄色くて甘くて美味しいので、調子に乗って3本食べる。相棒は今日もシュノーケルを持ってどこかに行くらしいので、今日は別行動にしてもらう。たまには(というかほんとはいつも)ひとりで行動するのが良い。午前中少し昼寝。それから起き出して、ウェスト・ベイまでひとり歩き、ひとり水に入り、ひとり魚を観察し、ホテルに戻ってまた昼寝。夕方、お腹が減りすぎて目が覚める。我ながら良い時を過ごしたな。ちょうど相棒も帰ってきたところだったので、近くのロティスリーにチキンを食べに行くことにする。この前通りかかったとき、オウムにケンカを売られた店。メニューには、チキン丸ごと1羽、1/2羽、1/4羽、とあって、腹ペコな私は1/2にするか1/4にするか迷うところであったが、ここでちょっとしたトラブルが発生。相棒が、1/2羽のみ注文したのだ。飲み物は要りません。それだけ。と。どういうことだろう?私はまだ注文してないけど?すると奴は、「お金がもったいないからシェアしましょう」と言う。ハァ????私がぽか~んとしているうちに、運ばれてきたチキンを相棒はとっとと食べ終わり、さぁ、行こう、と言う。ハァン?私、お腹へってんですけどー!どうやら奴は機嫌が悪いらしかった。今日行動を共にしてやらなかったからか?さっき私が奴のTシャツがクサいと指摘したからか?関わりたくないので、私はひとりでスーパーに行って、野菜ジュースと甘いパンとポテトチップスを買って食べた。美味しいからいいけどサ。物覚え悪いくせに根に持つ相棒は、私が戻ってからもケチョーンとしていた。ここで相手にすると悪化することを私は知っているので、そうっとしておくことにした。優しい言葉はもちろんかけてやらない。夜、部屋の主ヤモリがガガンボを捕まえて食べた。
Mar 10, 2004
ロアタン島に来てからというもの私は毎夜熟睡していたのだが、よく考えると、ここは夜でも(いや、夜こそ)うるさい。毎晩日付が変わるまで近隣のバーではガンガン音を鳴らす。チャートミュージック三昧。私は騒音でも眠れるタチなのだが、相棒など愚痴る愚痴る。そっちのほうがうるさいんである。ついには、キャー!ゴキブリがいるー!と騒ぎ出し、私が起き出して確認したところ、それはゴキブリではなくカマドウマであった。落ち着け。害はないぞ。部屋の天井の梁にはヤモリも住んでいた。これが夜になると時折ケッケッケッと鳴くのもちょっとした余興であった。そんなこんなで初めて寝不足気味の朝を迎えた。起きて、目を覚ますために、昨日の灯台のレストランへ朝食をとりに行くことにした。フレンチトースト(10レンピーラ)、ミルクティ(10レンピーラ)。常温保存の牛乳らしく、脂っぽいような味がする。それからビーチの桟橋の上でフルーツを食べた。今日は今にも雨が降り出しそうな空模様なので、遠出はしないことに決める。相棒はシュノーケリング。私は水が冷たそうなのでビーチの桟橋の上でごろりとしていた。午後、案の定スコールが降った。止んでからぼんやりと散歩していると、どこかからオラ!オラ!と声がする。何かと思ったらオウムだった。レストランで飼われているよう。飛んで逃げないところを見ると羽は切られているのか。オウム病対策は大丈夫か。そんなことを考えながらまたビーチでぼんやりしていると、地元の母子連れがやってきて、ちょっとお願いしたいことがあるんだけど…と言う。聞いてみると、教会建設のための寄付を募っているのだった。私はそもそもお財布を持ってないし、教会ならあっちに二つもあるじゃないの!と私が言うと、何やら高笑いして去っていった。夕方、昼食兼夕食を食べに例の灯台レストランに行った。他の客がフィッシュ&チップスが旨いと言ったので、私も頼んでみる。いや、実に旨いんである。高温でカラッと揚げてあるが中はジューシー。脂っこくもなく固くもなく。これがフィッシュ&チップスなら今まで食べていたのは何だったんだ!一緒に出されたソース(サワークリームにトマトペーストが入ったもの?)もまた絶品であった。お腹が満たされると心も満たされるものだ。
Mar 9, 2004

ビーチを45分歩いて、隣のウェスト・ベイというところまで行く。ここはロアタン島で一番綺麗なビーチと言われているところ。真っ白な砂に青い水。欧米からの観光客も多く、いわゆるオール・インクルーシブと呼ばれる食事も飲み物も全部込みのホテルに泊まることが多いようだ。私は今朝、妙なじんましんが左大腿部の広範囲にわたって現れたので、日焼け止めを塗って、ビーチで安静にしていることにした。天気は良いが日差しが強すぎるということはなくちょうど良い。相棒は、バラクーダ(カマスの種類の魚)がいっぱいいるとウヒョウヒョ言って、シュノーケルをはめてどこかに泳いで行った。砂浜の辺りからもときどきこの魚は見えた。ひょろ長くて綺麗だった。色も綺麗なので美味しくはなさそう。夕方、ウェスト・エンドに戻って、灯台という名前のレストランで遅めの昼食をとる。ビーチの上に建てられた簡素なレストランで、リゾート客と地元客が半々くらい。足元の水には魚やカニが泳いでいるのが見え、彼方にはボートが行きかうのが見える。私も相棒もおすすめの魚のプレートを注文。料理法も選べるというので、グリルにしてもらう。ボラボラをグリルしたもの(にんにく風味)、サフランライス、サラダ、フレンチフライ。いずれも美味であった。それにぜんざい(!)もついてきた。このあずきのスープは日本のぜんざいにそっくりだが、甘くなく美味(注:私はぜんざいを好まず)。白玉が入ってないところも良い(←当たり前)。帰り道、路上で野菜販売のトラックを見つけ、パイナップルやトマトを買う。売り子の少年に「日本人?カラテ?」と聞かれ、浮かれて空手のポーズを披露(←心得なし)。少年ら、威圧される。夜、ビーチの欄干の上でパイナップルを食べた。
Mar 8, 2004
8時過ぎに起床。このホテルでは朝食など出ない。家から持ってきたマドレーヌを食べる。荷物をまとめて、街を見がてら移動する。昨日は夜暗くてよく見えなかったのだが、舗装されていない道のど真ん中にどでかい穴がいくつもあったりして結構危険。のら犬もついてくる。住民は、頭いっぱいにカーラーを巻いたおばちゃんや、ピンクや黒のかわいいワンピースで着飾った女の子たち。めいめいが本を手にしている。日曜の朝なので教会へ行くのだろう。私と相棒は今日もバックパッカーだ。目的地であるウェスト・エンドまでは徒歩では無理なので、とりあえず、サンディ・ベイまで(6キロ)徒歩で挑戦か!?と気合を入れようとしているところへタクシーが止まってくれた。既に乗っている乗客とシェアしてサンディ・ベイまで乗ることにする。カリブ海では乗り合いタクシーはよくあることだ。料金を言われないので、少ないかなこんなもんかな、という程度の金額を渡す。サンディ・ベイはひなびたビーチであった。観光客どころか地元客もおらず。私は、大きなホルンのようなピンクの貝を拾った。中身入ってるかな、と思ってよく見るとどうやら大きな黒いクモが入っているらしかった。相棒がキャーキャー言うので捨てる。さらに歩き続ける。途中、またタクシーに拾われて相乗りしてウェスト・エンドまで乗っていく。まずは荷物を置きたいのでホテルを探す。ガイドブックで目星をつけていたホテルはしょぼかったので、数軒見てみて、その中で一番良さそうなところに決める。決め手は、一泊25ドルを20ドルに負けてくれたことと、オフィスにセイフティ・ボックスがあること。大金は持ってないけど、日本のパスポートは高く取引されるから用心用心。荷物を置いて一息ついたところで海へ。と言ってもホテルのまん前がビーチ。徒歩10秒なのですぐに到着。ビーチに下りてみたらダイビング・ショップがあったので行ってみる。この島はダイビング・スポットとして有名で、ダイバーじゃなかったら何でここに来たの?と言われるくらいダイバーだらけなのだが、私は潜るどころか泳ぐのもままならない。ほんと、なんで来たんだろう。とりあえず、泳ぐのに良い場所とか魚の見える浅瀬とかカナヅチの人でも安全な場所とかを聞いているうちに、お店のおじさんと仲良くなった。それで、救命胴衣というのか、空気を入れるベストを貸してくれた。それで水に入ってみた。いやあ初めて使ったけど浮くね!調子に乗ってスイスイやってたら、今度はフィンと、別の浮きのような棒まで貸してくれてこれまたスイスイと楽しんだ。いい人だなあ。相棒は際限なく泳げるので、シュノーケルをはめてどっかに行った。寒くなってきたことだし、私はお店のおっちゃんと話して過ごす。いい人だなあ。相棒が戻ってきてから、今度は10分くらい先の、ハーフ・ムーン・ベイという小さな半島まで歩いた。珊瑚礁が近いのでもうちょっとたくさんの魚が見えた。鯛を小さくしたようなやつとか。それから散歩など。夜、映画が見られるというピッツェリアの看板を発見。今日は「ロスト・イン・トランスレーション」をやるという。ちょうどあと30分で始まるところだったので、真っ暗な道を5分歩いて行った。本格的な窯のあるピザ屋。大きめのテレビがあり、ビデオで映画を流すらしかった。ピザ・マリナーラ。シーフードかと思ったらオレガノのピザだったので注文。映画は、会う友達ごとに「観たか観たか」と聞かれていたやつで、すごいおすすめと聞かされていた。けど、そおかー???日本人の目から見たら面白くないのか???わざと英語のヘタな日本人(てゆうかわざとヘタにしゃべってる日本人?)しか出してないし、日本人を馬鹿にしてんのかね?と一瞬思ったけど、でもそれで面白くなったからいいか。東京の撮り方も面白かったといえば面白かった。けど、私だったらこの映画に賞は与えません(←調子に乗ってすいません)。今日も熟睡。
Mar 7, 2004
しかしなぜホンジュラスなのか?それはひとえにイルカを見たいがためである。ロッキー山脈の冬はつらい。どこかで避寒を…と考えた私の頭にまず浮かんだのがカリブ海であり、その道に詳しい知人に聞いたところ、ホンジュラスという国のロアタンという島にあるアンソニーズ・キー・リゾートという場所が、アメリカ大陸で最も有名なイルカの生息地ということなのであった。~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~出発の朝。6時起床。大急ぎでハムとクリームチーズのサンドイッチを用意して出かける。飛行機は8:40のユナイテッド便。今回もセキュリティ・チェック有の搭乗券(注1)だったのでバックパックの中身を全部披露する。デンバーからヒューストンまでは空路約2時間半。機内食はもちろん出ないので、家から持ってきたものをゴソゴソと食べる。機体はかなり古いタイプのボーイング。テレビなし。フライトの間中ディズニーの曲を聴いて浮かれる。ヒューストンで乗り換え。エコノミー症候群対策にと、ターミナルAからDまで歩く。空気がデンバーに比べると格段に良い。道行く人々も心なしかキング・オブ・ザ・ヒルの雰囲気(←絶対気のせい)。乗り換えて、タカという、中米を本拠地としているらしい航空会社の飛行機に。2時間半ほど浮かれているうちに着陸態勢。降り立ったのは、すぐそばに海の見えるこぢんまりとした空港だった。入国審査は簡単、であるが、私のパスポートだけなぜか丹念に(全ページ2往復)学習していた。日本人がよっぽど珍しいのか???さて、さて、とにかく無事に入国。まずはATMを探す。が、影も形もない。何人かに聞いてみるものの、空港界隈にはないとのこと。そんなこともあろうかとドルをいくらか持ってきて良かった~(←相棒が、だけど)。タクシーでコクセン・ホールという街へ出る。ものの10分で到着。この街は島では一番大きい(ということになっている)街だが、着いたころにはもう薄暗くてよくわからない。ひとまずガイドブックで見当をつけておいたホテルへ行ってみる。そしてガーン!つぶれてる!(注2)ま、よくあることなので、近くに見つけた別のところへ。280レンピラ(≒16ドル)。安風情だがシーツに虫はいないので良しとする。清潔が一番。荷物を置いて、さっそく食料調達に出る。道端で果物を買って食べるのが大好きな相棒は、今回もさっそくメロンを購入。丸のまま一個だが大丈夫か?私は、商店がどこも閉まっているので(夜だから?土曜だから?)ホテルにくっついているカフェテリアで何か食べることにする。部屋でメロンを食べようとした相棒を止めて(←カブト虫が来そうだから)、メロンと折りたたみナイフ持参でカフェテリアへ。断わられるどころか、メロン用のお皿まで用意してもらえた。しかも2枚。ホンジュラス人はいい人なのだな。私は、とりたててホンジュラス気分の出そうなものがメニューになかったのでハンバーガーを注文。味は普通であった。相棒は、メロン…と思ったら実はスイカだった果物を丸ごと一個平らげた。縞がないからてっきりメロンかと思ってたら中身はスイカだった。お店の人が砂糖を持ってきてくれたが、かけないで相棒は食べていた。挑戦すればいいのに。食後、部屋でテレビを見ながらアメリカから持ってきたおやつを食べていると、窓辺から何やら声が。近づいて見ると、暗闇の中にぎょろっと6つの目が光っていた。さらに近づいてよく見ると、小学校低学年らしい子供が3人、私に話しかけているようだった。世間話というか場つなぎでしばらく話の相手をしていると、そのうち一人が「クキ、クキ」と言い出した。何だろう???と思ったら、クッキーをせびっているのであった。結局それかよ!あいにくだがもう残ってないことだし断わる。実は何かあげたい気もしたのだが、あげるのもあげないのも失礼だろうと思い、そのままにした。微妙。熟睡。注1 搭乗券にSSSSと書かれてしまった場合。預け荷物なしの乗客や、名前が“外人すぎる”乗客がこのSSSSをもらう羽目になる。私の場合は両方(+挙動不審)。注2 旅行にはいつも図書館から借りたガイドブックを持って行くのだが、いかんせん、古いんである…。
Mar 6, 2004
冷蔵庫一掃。実はこれ、旅行前の一番の大仕事と言っても過言ではない。出発の朝はいつも牛乳をガブ飲みする羽目になる。前日には何でもありのサラダを(しかも大量に)食べる羽目になる。それでも追いつかない物はなんでもかんでも冷凍庫へ―――。今回は買い控えたつもりだったが、うかつにも、大量の卵とクリームチーズが余ってしまった。クリームチーズなどは、本来、比較的長い賞味期限であるはずなのだが、こういう時に限って締め切り目前。さあどうする。忙しい人ほどますますたくさんの予定を入れるものだと人は言うが、今回の私がまさしくそれであった。卵→マドレーヌ、クリームチーズ→チーズケーキ、とひらめき、早速足りないものを買いに走った(←文字通り走って行った)。冷蔵庫の中にはキロ単位の無塩バターも見えたので、これも消費すべく、通常のレシピの倍量でマドレーヌを焼く。結果、10個のマドレーヌ型のマドレーヌと、12個のシェル型マドレーヌが焼きあがった。半分は機内食に包む。残り半分は脱酸素剤と一緒にタッパーに入れて旅行後の楽しみに取っておくことにする。次はチーズケーキ。甘すぎるのがいやなので、砂糖は思い切って半量に。代わりにスパイスでソテーしたりんごを生地に混ぜ込んでみる。実はこのチーズケーキ、それ以前に既に邪道なのだった。なぜって、下に敷くクッキー生地がないのだ。ケチったか。苦肉の策で、ココットにバターを塗ってスプーンですくって食べるふうのチーズケーキにする。これまた大量のりんごのチーズケーキの出来上がり。半分は今日明日のために、残り半分はタッパーに入れて冷凍。★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★ ★一連の作業を終えるともう夕方になっていた。ここで純粋な旅支度に取り掛かる。ものの15分で終了。というわけで、明日から9日間日記も休みます。世露死苦。肝心の行き先はホンジュラス。ホンジュラスてドコジャラほいという人、私もよくわからないので聞かないで下さい。中米の、横長の国らしいです。JICAの隊員でもないしスキューバダイバーでもないのに何しに行くんだろうね…。旅行記を乞うご期待。
Mar 5, 2004
(続き) そして一夜明けて――― 予約の時間。受付へ。受付のおばさんはやはり感じが良かった(←これ重要)。待つ間、問診表に記入。ほどなく私の番がやってきた。先生も感じ良さそうだぞ。しっかと握手。 とりあえず、忘れる前に必要事項を伝える。アレルギーのある薬のこと、保険のこと、もうすぐ休暇に出ること、うんぬんうんぬん。私がこの手の話を始めると、日本などでは通常ブーイングもので、「うるせー客」などとカルテに書かれて、しかもそこにしっかりとアンダーラインまで引かれたりするのだが(注:某眼鏡チェーン店にて)、ここはアメリカ、臆することなし。いや、それどころか、非常に快く話を聞いてくれてるじゃない!長々と説明を返してくれるじゃない!医療とはこうでなくっちゃ!(ガッツポーズ) などと熱くなっているうちに治療が始まった。小さい道具で取ったレントゲンがパソコンに映し出される。と、ここで先生びっくり。「ここに詰めてあるのはいったい…???」ええと、プロが理解不能なら私にはもっとわかりません。(恐る恐る)「日本の歯科技術は遅れているといいますから…」「そうですね」などというやりとり。 そうして穴の空いたところをちょっとギューンとやって、そこになにか充填、それで今回はおしまいとなった。その間15分足らずか。わかったのは、先生はよくしゃべるなあ!ということ。作業中、いちいち動作の説明をしてくれる。私、挙手すること2回。だって、ああまで説明されたら質問のひとつやふたつしたいじゃない。 ともあれ無事終了。会計は136ドルであった。実はもっと高いのかと思ってたんだけど。ていうか、高そうなところを選んだんだけど。だって私の保険、歯科でも眼科でも眼鏡屋でもなんでもかんでも100%カバーしてくれるんだもの。ありがたや。 帰り際、安売りだったのでキットカットの大袋を4つ買った。歯は大切にしましょう。
Mar 4, 2004
いやな事態が起こった。奥歯の詰め物が取れたのである。年末の検診の際にはなんともなかったのに、いきなりである。しかも日曜日。歯医者はどこも閉まってる。こりゃ大変なことになったぞ!しかしここで冷静に考える。痛みはほとんどないぞ。日曜にジタバタしてもしょうがないし、ここはひとつ、パンでも食べておとなしくしているか。ということで、一日パンを食べて家で小さくなっていることにした。そして迎えた月曜日―――毎朝の日本語放送もそっちのけで、近場の日系歯科医に電話…してみて ギャフン! ♪3月8日まで休暇中です♪アチャ~。第二候補なんてないんですが。というわけでフリダシに戻る。まずイエローページをチェック。広告を出している(=有名そうな?)ところで家から近いところ…。いくつかピックアップできた。そしてネットで裏づけを取る…。そうして30分後に私が選んだのは、家から徒歩10分、大学でも教えているという歯科医。なんたら協会会員だって。最新技術完備だって。さっそく電話。実は本当はそれほど急患ではないと自分でも気付いていたのだが、急患の旨を伝え(←これ鉄則)、翌日に予約を取ることができた。受付のおばさん感じ良し。そして一夜明けて―――(続く)
Mar 3, 2004

(続き)“アジア風ビストロ兼ラウンジ”というのが謳い文句。ビストロってことは予算余っちゃうかね!?などど思いながらメニューを開いたのだが、どれもなかなかの値段であった。アジアの食べ物をヌーベルキュイジーヌ風に仕立てたメニューの数々。よくパリでこういうの食べたっけ。以下、大食いの相棒と小食の私が分かち合って食べたもの。----------------------★ 梅酒★ 熱燗★ 緑茶緑茶はなぜかカモミール風味…美味しいからいいけどさ。★ 温かい鮭のシトラス・ソースあぶった薄切りの鮭にキャビアとシブレットを散らしたもの。レモン・醤油・胡麻油・砂糖のソース。★ 海老のピリ辛サラダ海老、カイワレ、大根のサラダ。醤油・胡麻油・砂糖・チリペッパーの辛口ソース。 ★ オーガニック・トマトのサラダトマト、ほうれん草、ヤギのチーズのサラダ。ソースはバルサミコと砂糖。★ お寿司 (鮭、鮪、帆立)鮭が美味!外国の鮭ってなんでこんなに美味しいんだろう!帆立は、こま切れをマヨネーズであえ、軍艦巻きにしたもの…。マヨ…。★ ロブスターの太巻きロブスターの天ぷらを巻いたもの。甘いおつゆがかかってる。海苔の外側には昆布も巻いてある。凝るね。 ★ 蟹の太巻きこれも蟹が天ぷらになってる。甘いおつゆも。アボカドとキュウリなんかが一緒に巻いてある。★ ゆずのチーズケーキゆずよりチーズの味のほうが強かった。ソースはゆずの味がした、が、甘すぎ。★ タピオカ・プディングキャラメリゼしたバナナ入り!!! デザートについてきたホワイトチョコも美味しかった。飾りのリボンは飴細工で、食べてみたら美味しかった。★ エスプレッソ----------------------サービス料込みでしめて150ドルなり。作っているのが日本人だったせいか、どれもそれなりに美味しかったので満足。前菜もすごく良かったのに、ソースがどれも甘すぎたのが残念。デザートのタピオカ・プディングは絶対また食べに行く。気になりつつも挑戦できなかったメニューは、“ウナギとキュウリとアボカドとイチゴの太巻き”。次回にこうご期待。(続かない)
Mar 2, 2004
(続き)あのレストランめ!なんで開けておかないんだ!家に着いたら疲れてもうヘロヘロ。後でまたあの店に出向くのもしゃくだし、かと言って豪華ディナーは食べたい。作戦変更。近場で豪華に行こう。第二候補はフレンチ。これまた地元で有名(&おそらく一番高い)レストラン。でもね~、フレンチ腹じゃないんだよね…。結局第三候補の日本食(というかアジア食)を食べにいくことにした。決め手は近いこと。自転車で10分。去年オープンしたばかりのこのビストロ兼ラウンジ。実は、デンバーに移ってきたばかりの頃、まだ建設中だったこのお店を見つけた私、ひらめくものがあり、オーナーに問い合わせてみたことがある。仕事したいんですけど。マネージャーかなにかのポジションで。しかしその返事は、「実は開店前からすでに経営難に陥っていて…オープンに漕ぎ着けられるかすら定かじゃないのです」というものだった。あれから1年ちょっと。ようやく開店したとの情報が入った(地元紙)。評判も上々。これはぜひ試してみなければ…。(続く)
Mar 1, 2004
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