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姉一家の家財道具一式、もとい、家具一式売り払う。近所のアンティーク家具店に引き取りに来てもらったのだが、大物のため、私が采配を揮う。
Aug 31, 2004
■ □ □銀座の 『カフェフレディ』 でランチ。 ゆき姫 ちゃん+私=禁煙の店、という暗黙の公式により選んだのだが、結論から言うとこれが期待はずれ。明るく清潔感溢れる店内はアフタヌーンティーあたりの雑貨が好きな女の子にウケそう。しかし肝心のお味はというと……。お料理は家庭的でごくごく普通。このお店の売りであるフレンチトーストも、フレンチトースト特有のふわふわ感がない。昼間は完全禁煙ということと、この界隈にしては破格のお値段、という2点のみ評価したい。 ※ メープルシロップは美味しいのを使っていた。□ ■ □夜はミュージカル 『キャバレー』 を鑑賞。かねてからお会いしたいと思っていたとあるお方からの招待。開幕まで間があったので、ゆき姫ちゃんを含む3人でお茶しながら歓談。映画の話、その他いろいろ。三者三様の意見を持ち、初対面ながらも盛り上がる。『キャバレー』 には開幕直後から惹き込まれた。舞台は1920年代末のベルリン。台詞はほぼ英語であるも、ドイツ人役はそれぞれドイツ語訛りの英語でしゃべるなど芸が細かい。ダンサーは歌と踊りだけでなく楽器の演奏もこなし、タフさを見せつけていた。盛り上がったまま一幕目が閉じる。第二幕。前幕に続き、シリアスな中にもファニーかつセクシーに物語は進む。いいぞー! どんどんいけー! と思っているうちに “アン” ハッピーエンド。あれれ。大団円のうちに幕が閉じる、という幸せな舞台モノに慣れている私はちょっと不完全燃焼。が、もし 『キャバレー』 がハッピーエンドだったとしたらそれは話をなさないじゃない、という意見にも納得。ハイ、私、この上なく単純です。欲を言えば、歌や踊りがもーっとわざとらしいくらいにハメを外していたら、観客ももーっと乗れてたのにな。これまた単純な発想ではあるが。□ □ ■日比谷でディナー。シーフードの店へ。お腹のフレンチトーストが未消化らしく、未だ満腹感消えず無念。袖を濡らしつつコースに挑戦。前菜: マグロのカルパッチョ、サラダ仕立て。パスタ: トマトクリームのスパゲティ。メイン: 白身魚。デザート: シュークリーム。美味しいもの好きのくせに魚介類にはかなり無知な私。このお店の味付けはどれもこってり目だったので、臭みがどーとか新鮮さがどーとか、文句のつけようがなかった。ということは、美味しかったということかな。シュークリームはプロフィトロールのようになっていて、チョコレートソースがかかっていた。お料理は少し残してしまい私のポリシーに反したのだが、デザートは例によって別腹へ。ごちそうさまでした。ゆっくりと食事を取る間、たーくさーんのお話を聞くことができた。さすが歳の功、じゃなかった、さすが聡明なお方。歳の功なんていっても私と同世代と言えなくもない年齢で、かつ、年齢不詳なお人柄。しかしながら話をしている間中、私は、自分がずいぶん若僧のような気持ちもしていた。そんなことを思いながらもぺらぺら際限なくしゃべり続けてしまったのだが。これに懲りずまたの機会にお目にかかれますように。乱文にて失礼。
Aug 28, 2004
(昨日の続き) んーと。結果から言います。アタシの勝ちです。カード送るなんて冗談じゃあないです、危険です、とメールしたら、んじゃあいいですよ、と。オホホ。つーか、たいして必要ないんなら最初っからそんなこと要求するなよオマエ。日本は夜中でしょう? オヤスミ! じゃねえよ。今日のところはちょびちょび下がってるので、明日のグリーンスパンちゃんの発言に期待したいと思います。頼んだぞ。★ ★ ★そんなこんなで小銭くらいは手にできそうです。今日はそんな私にあやかってか、うちの姉までが家財道具一式を売却すると言い出し、さっそく査定のオッちゃん2名が時間差でやってきました。オッちゃん1: ぜーんぶコミコミで2~3万円ですね。オッちゃん2: んーーーー! ゴメンナサイ! 買い取れません!ははは。惨めです。姉。アンティーク家具が好きな皆様へロイズアンティークで購入した素敵な家具です。 ● テーブル 1台 ● 椅子 4脚 ● ワードローブ 1棹購入時の価格合計はビックマック2300個分でした。お値段、お勉強させていただきます。開始価格3万円でどーだっ!ホントの話、興味ある方はぜひご連絡ください。今ならファン垂唾のプレゼント付き。プレゼントは何かって? それはヒ・ミ・ツ♪よろにくね。
Aug 26, 2004
デジカメひとつ買うのにも命懸けな生活なんて、もうたくさんだ!危うく発狂しかけた私。冷静に戻ると、はたと思い出した。そぅか。外貨があったじゃないか。数年前に入手したおカネ。口座にドカーンと入れておいたが、今頃、まるまると肥えているはず……。私はさっそく担当者にメールを書くことにした。とうとうやってきました。売る時が。指し値はこれです。よろしく。しかし――。数時間後。ワクワクする私の心を打ち砕くかのような返信が届いた。 「9月13日まで休暇中です」 。 それはオートレスポンスであった。私は、作戦を練り直すことにした。そして――。数日後。別の行員からメールが届いた。「ワタクシが代わりに仕事いたします」 。よーし! これはグッドサインだぞ!私は、心の中でガッツポーズを作った。が――。よーく読むと「当行のカード類はすべてご返却いただきます。ご郵送ください」 。 は?郵送って……危なくね?うーむ。
Aug 25, 2004
ここ数日、デジカメ購入に向けての増資を計っていた。手始めがネットオークションである。日本語の本、英語の本、フランス語の本。これらが結構な値段で売れるので、最近では半ば転売目的で購入し、丁寧に読み、帰国する度にオークションで売りさばく。小説など幅広く流通しているものには大した値がつかないのだが、すでに入手困難なお料理の本など、装丁の綺麗なハードカバーにはなかなかの落札価格がつく。今回の出品アイテムは合計20点であった。100円でスタートし100円で落札されたものもあったが、どういうわけか8,000円代後半で取引されたDVDなどもあり、私は、デジカメを買うには十分な利益を得ることとなった。しかし。気が大きくなってしまったか。ウディ・アレンのDVDセットというのがお買い得プライスで出品されているのを見つけ、つい、落札してしまったのだった。このDVD6本セットのうち2本はすでに持っているから、もちろん、転売するつもりではあるが、市場価格が上がるまでしばらく寝かせておきたい。そんなわけで、今度は、オークションとは別の増資手段を打って出ることにした。古着屋である。服というのは実はオークションで売りにくい。よほど人気のあるブランドの物で新品、などというのであれば儲けるのも容易であろうが、私が売りたいのは “古着”。名の知れた店の物であっても所詮古着である。私は、洗濯しアイロンをかけた服を旅行カバンに詰めると、近所の古着屋へと向かった。洋服の買い取りをお願いしたいのですが。店の奥で座っているおねえさんはニコニコとこちらを向いた。私はさっそく切り出した。合計10点。根が (こう見えても)几帳面なためかいずれも状態は良い。あえて (なけなしの) 日本で売れそうな物ばかり選んできた。査定には丸一日かかるという。明日は定休日ですからあさって以降にご来店ください、とおねえさん。洋服を預けると、私は、一仕事終えた気分で店を後にした。そして2日後。店の前に自転車で乗りつけよう……と、したが、閉まってる! 連休かよ!! 失意のうちに帰宅。そして3日後。店の前に自転車で乗りつけ、今日こそは! と、鼻息荒く店内へ。そして目にした数字。3,045――。これが、私に言い渡された買取金額であった。こちらにサインをお願いします、とオーナーらしき男性。一瞬の沈黙の後に、内訳はどうなってるんでしょ? と聞くも、明細は一切明かせないとのこと。またしても失意の私は、返してもらった洋服でパンパンになった紙袋をかかえ、フラフラ、ギコギコしながら家路へと向かったのであった。あんな値段で売るくらいなら捨てたほうがマシじゃーーー!
Aug 24, 2004
(r[◎]<) ハイ、チーズ!デジカメ入手♪
Aug 22, 2004
161センチ、42キロ。これが私のベスト体重である。こう書くと 「ケーッ!」 と言いながらブラウザを閉じる人が続出しそうだが、実は、事態は深刻なことになっている。以下、カッカッしないで読んでいただきたい。もともと痩せ型な私は、かれこれ5年前、46キロという最デブ期を迎えた。46キロをデブと呼ぶなんて何様のつもりじゃ! という非難を承知の上で書く。もともと骨格が細めな私にとって、46キロというのはかなりの “肉” であり、当時、私は、顔も体もプヨプヨのポチャポチャだったのである。それまでの私を知る人はことごとく心配し、ちょっと……どうしちゃったの……? 大丈夫? と、半ば怪訝な顔でたずねた。しかし私は、この、四半世紀の半生初の快挙にある種の幸福感を覚え、しばらくその体を維持することに決めたのだった。それが3年ほど前から ―― そう、ちょうど相棒と合流した辺りから ―― 狂い始めたのだ。46キロあった体重はあれよあれよという間に激減、あ、42キロだ、ちょうどいいな、と思ったのも通り越し、ついには39キロを記録してしまった (2004年8月16日時点)。そして昨夜、とうとう、38キロ台に突入してしまったのであった。断わっておくが、私には摂食障害らしき症状はない (少なくとも自覚症状はない)。生来の小食ではあるが、毎日3食プラスおやつをきちんと食べている。加えて摂取しているビタミン剤各種。お腹に悪い虫がいる疑いもない。それでは、いったい全体、どういうわけで痩せ細るのだろう。相棒との共同生活をしていると、奴のケチ流不摂生につられて、口にするのはハンバーガー一個にチョコレート一切れだけ、という一日を送ってしまうことが度々ある。おそらく私の胃がこれに適応してしまい、通常のゆとりある生活に戻ってもたくさんの量を受け付けなくなってしまったのだと推測できるのだが。姉の子供たちと食事を共にすると、自分がいかに小食であるかという事実に愕然としてしまう。それもそのはず、3食おやつ付きといっても、食べている量が2歳児以下なのである。あの2歳児が大食いなだけという噂もあるが、それにしても。体重の減りやすい私が立証したもっとも効果的な減量 方法は、おやつをだらだら食べる、ということである。それも、少なめの量を、ゆっくり。お腹がやや満足感を感じたところで食べるのをやめ、歯を磨く。これを数時間おきに繰り返す。すると、メインである食事を取る気にならず、しかし空腹を感じることもなく、かなり不健康的にではあるが、効果的に体重が落ちるのである。もちろんサプリメントを摂ることも忘れない。これを体重増量のための逆ダイエットに反映させるとなると……。おやつダラダラ食べの逆、だから、おやつ抜きの食事ドカ食い、といったところであろうか。食べ放題のビュッフェに通い詰めるとか。先立つものがなければ実践困難な方法、ではある。
Aug 21, 2004
オリンピック種目ハンマー投げ。ハンマーなんていうから、私は、てっきりトンカチのようなものを投げるのかと思っていた。それが、昔のコメディの中で囚人がズルズルと引きずっていたような丸くて重い錘 (おもり) を手に選手が登場。私は度肝を抜かれてしまった。ハンマーをチェーンごとグルングルン回したかと思ったら選手自らも回り始め、5周ほどして加速がついたところでパーッと手を離す。それを体を張って測定する審判たち。まことに壮烈な競技である。選手が一様に独特な様相をしているのもすごい。筋肉が隆々としているのになぜかナデ肩で、体全体が逆三角形を描いている。遠心力がフルにかかるように体が適応した結果であろうか。数あるスポーツの中でハンマー投げを選ぶのはいったいどういう理由だろうか。親が選手だったからというのには頷けるが、そうではなく自分から志願して始めた人。ぜひ友達になってみたい。アテネには、ハンマー投げが妙に似合う。
Aug 20, 2004
五輪ネタが連日メディアをにぎわせている。勝ちが決まった瞬間の言葉では表すことのできない笑顔。敗北の悔し泣き。悲喜こもごもの応援席。そして、メダルの影に隠れた涙涙のエピソード。実は私はこういったお涙ちょうだい的ストーリーが大好きで、新聞で見つけては、結果や対戦表よりよっぽど熱心に読み入ってしまう。今朝は競泳の長田友喜子選手についての記事が興味深かった。水泳選手としての将来を嘱望されていた高校一年生の夏のある日、とある事故から大けがを負った長田選手。けがの回復後も記録が伸びず、長い長いスランプに陥った。それを、7年間の苦悩の末ついに克服、今回のアテネ五輪への切符を手にしたのだという。私は長田選手のがんばり (と一言では言い尽くせないほどの何か) に非常に心打たれたと同時に、彼女を長年励まし続けた神田忠彦コーチの言葉にもまた脳天をやられた。コーチいわく 「スポーツやってると、いいことも悪いこともあるが、ほとんどは悪いことだ。気にするな」。この記事を書いた読売新聞記者もこれを 独特の言葉で慰めてきた と分析しているが、いやはや、どうして。なかなかの名言ではないか。真意を汲み取ろうとすればするほど幾通りにも姿を変える、実に、味わいの深い言葉である。★ ★ ★夕刊には 「眼 眼 眼 眼」 という見出しで、男子200メートル平泳ぎ予選にカメラを向ける各国カメラマンという一コマが掲載された。私はこの写真をこれまた興味深く見た。数えられるだけでも14名のカメラマンが一斉に丸いレンズを構えている。そのうち、利き目が右目なのが9人。左目なのが4人。カメラというのは普通右目で覗くように作られているのだが、14分の4の人が、あまのじゃくにも反対の眼を使っているのである。利き手が左手だからであろうか。使いにくくはないのか。ちなみに残りの一名は、ファインダーを覗くでもなく、カメラを鼻のあたりに、こう、匂いを嗅ぐようにして持っていた。 と、なると、何利きかは不明である。
Aug 18, 2004
昨日のこと。マクドナルドの100円シェイクでも飲もうと私とおさななじみは連れ立って駅方面へと歩いていた。そこへ、盾を持った警官二名が足早に通り過ぎた。顔を見合わせる私とおさななじみ。もちろん、警官の後を追うことにした。★ ★ ★小走りで駆けていく警官たち。猛ダッシュではないところを見ると、たいそれた事件ではないのだろう。片手にはプラスチックの盾を持った警官たち。ジュラルミンの盾ではないところを見ると、たいそれた事件ではないのだろう。そんなことをぼんやりと考えながら走る。そうしてたどり着いたのは、私たちが今しがた立ち寄った生地屋であった。★ ★ ★店頭には店の経営者夫婦。それを取り巻く警察官たち。3台のパトカー (推定)。10名の警察官 (推定)。見物人も集まってきた。「何かあったんですか???」人々が私に問う。しかし私には何があったのかわからない。私とおさななじみは、警察官の話に耳をそばだてることにした。★ ★ ★■ おさななじみのヒアリング「二人の男が店の前でケンカを始めた。 手には包丁を持っていた。 通報とともに八幡方面へ逃走した」■ 私のヒアリング 証人A 「坊主頭だった、坊主頭」 証人B 「そう、そう、坊主頭」 警官A 「ボーズ頭って、スキンヘッド???」★ ★ ★滅多に事件など起きない土地柄であろうか。なんだか、ずいぶん、のんきである。そもそも現場に全速力で向かわないのはなぜ?当事者が逃走したんならどうして即座にパトロールを強化しない?そのうち警官の誰かが、ここに大勢たまってても仕方ないしさ、と提案した。そりゃそうでしょう。私とおさななじみもそろそろと現場を後にした。★ ★ ★すっかり興奮の冷め切った私たち。マクドナルドに到着。「マックシェイクひとつ! ……アレ? ない??」100円のキャンペーンは既に終了していた。ガーン! ガーン! ガーン! ガーン!コンビニのアイスにて代替。
Aug 17, 2004
いやあ、タワラちゃんはすごい。オリンピックとかヨン様とか、世間で騒がれていることにはおおよそ興味のない私であるが、偶然、テレビをつけ、偶然、柔道の女子48キロ級決勝というのを目にし、その優勝の瞬間に感心してしまった。努力という言葉とはほど遠い生活をしている私は、タワラちゃんのような人が非常にうらやましい。才能のあるなしはこの際うらやましがっても仕方ないが、努力できるということ。これがうらやましいんである。今朝のニュースには、今後は夫とは別居生活を送ってさらなる練習に励む、とあった。努力も目標もなしに同居人との半別居生活を望む私とは大違いである。★ ★ ★しかし48キロ級というのは……かなり意外だった。武道家らしいガッチリとした体格は優に60キロを超えていそうに見える――。が、説明を聞いてなるほどと思った。身長が150センチに満たないのだという。私は妙に納得してしまった。前髪をちょこんと結わったあの髪型。今までは、あれに、ちょっとした違和感を覚えていたのだが、小さいオンナのコと聞くと、妙に、似合っているような気がしてきた。初めてダンナに作ってあげたお料理は故郷のお母さんに電話で教えてもらいながら料理した魚です、という不思議なエピソードにも納得できるような気がしてきた。なんだかいきなり柔道が身近になった。女子42キロ級というのもあるのだろうか。入門を希望する。
Aug 16, 2004
~ 相棒からのメール全文 ~ttyl wa nani?Kayobi kara Dojobi made Polando ni itta. mainichi 200km iyo. Dakara chisai yube mada numb desu. Handlebar kara.30do.kampeki.ttyl【直訳】ttyl は何?火曜日から泥鰌日までポーランドに行った。毎日200キロ異様。だから小さい夕べまだ numb です。ハンドルバーから。30度。カムペキ。ttyl (って何のことか知らないけど使ってみる)。【意訳】ttyl って何ですか?火曜日から土曜日までポーランドに行ってきました。毎日200キロ以上 (訳補: 自転車に乗りました)。ハンドルバーのせいで、小指がまだ痺れています。(訳補: こちらの気温は)30度。完璧です。また後で。補足: ttyl = talk to you later
Aug 12, 2004
腰越や江ノ島のあたりでよく目にする看板 “生しらす丼”。しらすは湘南地方の名物のひとつであり地元の漁師らによる獲れたて新鮮なものが、料理され、お店に出される。実は魚介類の臭みが苦手な私はしらすも、あの独特の臭みが気になってしまうのだが身内の間でスゲーうまいと評判になっているしらす漁船 もんざ丸 の話を聞いたら味見しないではいられなくなった。材木座のバス通りを九品寺から光明寺に向かう道の小さな商店街にある『前田燃料氷店』。ここが、もんざ丸のしらすを販売するお店である。店の前にできたちょっとした人だかり。これらは皆、しらすを求めて集まった地元の常連客である。クーラーボックス持参でまとめ買いする人も珍しくなくこの店のしらすの人気を物語っている。店のあるじが網戸のようなものでしらすを選別する作業をしているのを見ながら希望の品を注文する。人気の釜揚げしらすは200g入りで525円。運が良ければタコなどが並んでいることもある (一匹800円くらいから)。塩で茹で上げたしらすはプリプリのツヤツヤ。なるほど、塩梅も絶妙で、炊き立てのご飯に乗せるだけで軽く一杯や二杯いけそうである。しらすはいつもお醤油で臭み消して食べる私だがもんざ丸のしらすにはその臭みがなく醤油なしでその味を楽しめた。時折混じった小さなタコやシラウオもうれしい。ただ、このところ不漁なためか、しらすがやせ細り気味のときがあるのが残念。豊漁のときは駅前店も開ける。鎌倉駅表駅を出て、島森書店方向に直進して左側の子供服店ファミリアの前にある小さな小さな店である。もんざ丸 (前田燃料氷店)鎌倉市材木座6-3-320467-22-2960※ 1~3月は禁猟のためしらすは売っていません
Aug 11, 2004
毎年8月の第二火曜日に行われる鎌倉の花火大会。今年もすごかった。 というか、今年はすごかった。いつもはなかった (はずの) お好み焼きや焼きそばの屋台が御成通り (という名前の通り) にまで。少し路地に入ったところに店を出したかき氷屋は人目につきにくいためか集客に金切り声を上げる。それを横目に海へと急ぐ花火客たち。そんな光景を眺めながら私たちは 『とり一』 へと向かった。良質の鶏肉や卵を扱う 『とり一』。駅から向かって左側の店舗が鶏肉店で右側の店舗がお料理屋さんとなっている。うちの義兄はここの焼き鳥のファンでここで買ってきた焼き鳥を食べながらベランダでちょろっと花火を見る、というのが姉一家の例年の花火大会夜の過ごし方だったのだが今年は人手 (=私) もあることだしと焼き鳥を家で食べたあと海辺まで花火を見物に行こうということになったのだった。しかし、混雑しているところには行く気がしないし時間前から席取りをするつもりもない私たち。なんとかなるだろうと花火開始の一時間ほど前に家を出ると運良く、打ち上げ場所の真正面に子供二人が座れそうなスペースを都合してもらえホクホクしながら花火の開始を待つことになったのだった。譲ってくれたのはプロ使用のカメラを構えた男性。三脚に新聞社名があるところを見るとジャーナリストであろうか。非常に紳士的であった。ほどなくその男性と連れの女性が煙草を吸い始めるも折からの強風でまったく気にならず同じく嫌煙家の姉も 「こっち風上だから♪」 と。普段なかなか聞けないセリフであった。そうして15分も待っただろうか。姉の子供たちが 「もう帰る」 と言い出した頃、花火は始まった。先日デンバーで花火大会を鑑賞した私はいやあ、日本の花火大会はやはり違うねぇとじみじみ。姉の子供たちも怖がるどころか拍手喝さいのご満悦。小さな赤い火花が四方八方へと散っていく 『ミツバチ』 や大輪に咲いた花が細い滝に別れて落ちては消えていく 『ヤナギ』、表情が上下、左右に向いた 『スマイリー』 などに一同目鼓を打った。お決まりの水中花火もプログラムの要所要所に組まれていた。小さなボートから放られた花火が水上で孔雀のように咲く。水上にかかる丸ごとの虹にかつて大変な感銘を受けた私だが水上に咲く丸ごとの花火もなかなかどうして。強風が体よく花火の煙をかき消し、夜空にくっきりと花火が浮かび上がった。そして迎えたフィナーレ。それまではやや控えめに放たれていた大物もフィナーレともなると大連発。クライマックスでの水中花火とのハーモニー。どこからともなく歓声と拍手が湧き上がり、大賑わいのうちに花火大会は幕を閉じたのだった。ただ、ひとつ楽しめなかったのは――。私たちの背後にいた女がバカだったことである。うるさいのはよい。おしゃべりするのも大いによい。しかし。公共の場でバカが終始うるさい声を張り上げているのはいかがなものか。明らかに頭を使っていないと思われた。興醒めとはこのことをいうのであろう。
Aug 10, 2004
うちの母はクワガタ捕りの名人である。捕獲したクワガタムシをプラスチックの大きなゴミ袋に入れてそれをさらにプラスチックの大きなゴミ袋に入れてそれをまたさらにプラスチックの大きなゴミ袋に入れてサンタクロースみたいにして孫へと届ける。今夏もう2回目だったのでどうしてそんなに捕れるのかと聞いたら「目が覚めたら隣にいた」と言った。家の周囲には雑木林などない。せいぜい竹やぶのしょぼいのがある程度である。よっぽど戸締りの悪い家なのだろうか。母はまた出たら怖いからと出たクワガタを一匹残らず捕獲する意気込みらしい。そりゃあいい。今のところコクワガタのみだがミヤマクワガタやノコギリクワガタが出た暁にはぜひ一儲けしたい。そうもくろむ次女であった。
Aug 9, 2004
姉の買い物に付き合って東戸塚というところに行った。東戸塚は、つい2~3年前までは横浜、東京への通勤圏として住宅の立ち並ぶ郊外型の街といった様相だったが、西武をはじめとする商業施設ができて以来、結構な賑わいを見せるようになった街である。私がこの駅に降り立つのは今日が初めてであった。しかし、西武もサトームセンもトイザラスもよく知っているので、特別な期待は抱かずに行った。そんなわけだから、偶然ありついたソフトクリームのあまりに美味しさには感動せずにいられなかった。東戸塚西武1階のフードコート。ここに、クイーンアリスの石鍋さんが新しく企画した (と姉が説明した) カフェのようなのがある。店の感じやメニューからしてチェーン店なのだと思うが、ここが、いいんである。私が頼んだのはソフトフロート。オレンジ、リンゴ、ブドウ、グレープフルーツから選べるジュースの上に、ソフトクリームがにょろにょろっと絞り出されたものである。ジュースはフレッシュジュースではなく営業用の紙パック製品だったのがやや拍子抜けであったが、それでも、美味しい。私が選んだのはブドウのジュースで、コクのある紫のタイプのブドウジュースに、これまたコクのある乳脂肪分の高い、しかし甘さはどちらかというと控えめなソフトクリームが乗っかっていた。生クリームこってりだが決して甘ったるくはないソフトクリーム。そしてそれが氷にくっついたしゃりしゃり感。塩バターケーキというのも注文して姉と半分ずつ食べたのだが、これまた、いかにも手作りという味で気に入った。フランスのお菓子にキャトルカールというパウンドケーキがあるが、それを家で焼いたのと同じ匂い。同じ味。有塩バター使用のややしょっぱい味。私はスポンジケーキの焼き色部分が大好きなのだが、日本では、焼きは極力薄めにする店が多いため、この店で出すような素朴なのはあまり見ないような気がする。こういうケーキ屋も出てきたんだなと私は嬉しくなり、珍しく褒め称えた。ソフトフロートは290円 (だったっけ?)、塩バターケーキは単品では140円 (だったっけ?)。このお得感がまた良かった。後日談: 店じまいしたようです。ウウウ。
Aug 8, 2004
近所にアブラゼミの宝庫がある。何の変哲もない家の何の変哲もない塀と、その周囲に生えた何の変哲もない木。その一帯に、アブラゼミの抜け殻がびっしりとついている。今日通りかかったら、運良く、これから脱皮しようとしている一個体がいた。私たちはセミの脱皮の観察をしたことがないので、これ幸いと、連れて帰ることにした。私はアブラゼミをひょいとつまむと、掌に乗せた。家には観察ケースがたくさんある。私たちはそのうちのひとつに月桂樹の木の枝をいくつかと葉っぱを何枚か入れた。そうしてそこにアブラゼミを入れた。時は夕暮れ。私はアブラゼミをしばらく休ませてやることにした。そうして夜中になった。時刻が変わる頃、私は、そうっと、邪魔しないようにアブラゼミの観察ケースをのぞいてみた。地中から這い出したセミは、脱皮し、翌早朝にセミへと変化する。私はその瞬間を見たかったのだ。が! 観察ガラスを覗き込んだ私はぎょっとした。アブラゼミがひっくり返っているのだ! 目をこすってようく見ると、仰向けになったアブラゼミの隣には抜け殻が落っこちている。アブラゼミの抜け殻とアブラゼミ本体。双子のようだ。注意深く観察してみる。ひっくり返ったアブラゼミはモジモジと動いている。私は、このアブラゼミをうつ伏せに戻してやるかそのままにするか、大いに迷った。しかし、やはり、余計な手出しはしないほうがよいだろうと結論付けた。アブラゼミをそのままに、私は就寝した。そして翌朝。セミが死んでる! セミが死んでる! 誰彼ともなくそう言った。私は観察ケースに近づいて見た。ひっくり返ったアブラゼミには弱弱しい羽が生えていたが、それが出切らないうちに力尽きたようだった。観察ケースの底部には、どういうわけか、タコが吐くような墨状の黒い液体が粘着していた。セミは変化の際、白い体が除序に黒ずんでくるものだが、その際の脱色だろうか。ひっくり返って死後硬直の始まったアブラゼミは、すでにセミ色になっていた。私はセミの亡骸を眺めながら、いったい何が悪かったのだろうと考えた。ひっくり返ったことが直接の死因だったのだろうか。アブラゼミの宝庫を思い浮かべてみる。塀や木にブローチのようにくっついた抜け殻たち……。そうか!体勢を縦にキープしなければセミは変化できないんだ! 脱皮まではできたとしても、羽を伸ばし、乾かすのは、横になっていてはできないんだ! このアブラゼミは、観察ケースでひっくり返ったが最後、起き上がることができなくなってしまったんだ!私たちは口々に、かわいそうなことをしたね、とつぶやき合った。と、そのとき……。ア゛ッ! 生きてるゾッ!誰かが叫んだ。アブラゼミは死んでいなかった。瀕死だが、かすかに動いているのだ。もともと、変化したら逃がそうね、とは言ってたのだが、こうしてはいられない。墨で固まった羽を丁寧にはがすと、私たちは、外に出て、木の上の平らになっている部分にアブラゼミを横たえた。アブラゼミは少し動いた。私は、落ちたらかわいそうだから地面に置いたほうがいいんじゃないか、と提案した。しかし、地面になんか置いたらアリに運ばれちゃうよ、と姉が答えた。そうして、せめてもの罪滅ぼしにと昆虫ゼリーを持ってきた。アブラゼミは自分の背丈ほどもある昆虫ゼリーには目もくれず、不完全な羽をバタバタとさせていた。それから一時間後。私が様子を見に行ったら、アブラゼミはいなくなっていた。昆虫ゼリーもなくなっていた。飛んでいったんだね、良かったね。姉が言った。私たち残り一堂は、それは違うんじゃ、と思った。しかし誰も何も言わなかった。
Aug 7, 2004
今日も騙された。今年も8月6日から9日までの四日間開催される 『ぼんぼり祭り』。これは花火大会と並ぶ鎌倉の夏の風物詩として知られるお祭りで、鎌倉にゆかりのある文化人の書画およそ400点がぼんぼりとして鶴岡八幡宮境内に飾られたりするのだが、私は、先日の骨董市に次いで今日も騙されてしまった。鈴虫献上。私はこの儀式を見たくて姉の指図通り今日の午後5時にはりきって出掛けたのだが、やってない。案の定。姉の奴、あれ、おかしいな、今日って書いてあったんだけどな、などとのたまう。案の定。仕方なく、ぼんぼりを一通り見て、お参りして、『いも吉』 のソフトクリームを食べに行くことにした。紫いものソフトクリーム。通称いもソフト。十年近く前に一度食べたきりだったが、一口食べると、やはり、いもソフトはいものソフトだった。いもにしちゃあさらさらしているが、やっぱりいもはいも。ふかすのが一番。もったいないことをした気持ちになった。それから裏駅の 『ひなどり』 に行った。ラーメン屋。詳細はいずれ。
Aug 6, 2004
友人が来た。まずはおやつを食べて涼んだ。それから外に出て街を流した。途中ハックドラックに寄った。それからマクドナルドに行った。友人はトイレに入った。そしてしかめっ面で戻ってきて一言。クサイ。友人はしばらく考えた。そしてハックドラックの袋から一本の缶を取り出しその缶を携えてトイレへ。数分後すっきりとした表情で戻ってきた。その缶はトイレの消臭スプレー。おかあさんに頼まれて買ったのだが効果覿面だったという。こんな友人を持って私は幸せだ。
Aug 5, 2004
フランスの写真家アンリ・カルティエ=ブレッソン氏の訃報に大変ショックを受けた。ブレッソン氏は日本でいうと木村伊衛兵氏のような二十世紀を代表する写真家であり、報道写真家の先駆けとして世界中を駆け回り、数々の瞬間を撮影した。「この世界には決定的瞬間を持たないものは何ひとつとしてない」―― 。ブレッソン氏の有名な言葉である。決定的瞬間というのは後にその言葉だけがひとり歩きしてしまった感もあるが、ブレッソン氏は、何気ない街角の光景ひとつとってもその “瞬間” をとらえ、それら白黒の作品に “色” を与えた。これまた私の好きな写真家ロベール・ドアノー氏の作品もそうなのだが、白黒の写真の中にも “色” がある。平面の写真の中にも “体温” がある。ビゼーやラロといったフランスの作家の音楽を聴いているとバッハやベートーベンにはない華やぎを感じるのだが、それと同じことだろうか。お二人愛用のライカ。私も欲しい。
Aug 4, 2004
ドイツの友人からメールがきた。私は驚いた。冒頭一番、サンフランシスコに移住したいんですってね、とあったからである。これは相棒の仕業に違いない。私はそう確信した。私が今回日本に帰国することにした理由のひとつは、ドイツに行きたくないから、というものであった。毎年8月をドイツの片田舎で過ごすことにしている相棒と私であるが、またお義母さんと面倒くさいことになるのは面倒くさい。ひと夏くらい行かないことにしてもバチは当たるまい。そう思い、今年は私だけ行かないことにしたのだった。幸いいくつかの用事が日本で入り、ドイツ行きを断わる恰好の理由となったのであった。かくしてひとりでドイツに向かった相棒。案の定ヒマこいているらしく、昨日は私たち共通の友人を訪ね、サンフランシスコ行きがどうのこうのホラを吹いてきたのだった。サンフランシスコというと……単に乗り換えに利用しただけなのだが。★ ★ ★先ほど私は相棒からのメールを発見した。発見した、というのは、そのメールが受信トレイのバルクメールホルダーに入っていたからである。商業的な差出人や意味不明なアルファベットの羅列といった件名のメールは自動的にバルクメールと認識されるように設定してあるのだが、私は、奴のメールがバルク扱いされたことに軽く驚いた。しかし、その謎はすぐに解けた。メールの件名が 「水道スキー」 になっていたからである。アルファベットで "suidosuki"。これはもちろんなんの意味もなさない。バルクと見なされて当然であろう。water pipes でスキーですか、そりゃまた斬新ですね。私はそう返信しておいた。
Aug 3, 2004
姉に頼まれてベビーシッターをした。学生の頃、ベビーシッターとして活躍していた私。2ヶ月の赤ちゃんから10歳児までドーンと来い、なので2歳の姪の面倒を見ることなどたやすいことである。……はずだったが。ギャラの出ない仕事は片手間にやらせてもらいますという宣言のもと、ラップトップを起動させたのだったが今日の奴 (←姪) はどういう訳か “ハサミ” にはまっており子供用のハサミとはいえ危ないことこの上ない。私は早々にラップトップを片付けるはめになった。……が。今度は、ハサミでジョキジョキやっている彼女が真っ赤な 顔をしてウーンウーン唸っている。さ・て・は!!!「ちょっとどうしたのよ!??」「どう、も、して、ない」「ウンチしたの!?」「ウン、チ、して、ない」力んどいてそれはないでしょーが!オムツを覗いてみると プワ~ン 。いやな幕開けとなった。しかも軟質……。それからドサクサに紛れてハサミを隠した私 (と騙された姪) はぱちっとなアンパンマンで遊ぶことになった。んが! 痛い!!!これはご存知アンパンマンのキャラクター玩具なのだが体と頭がそれぞれ磁石でくっつくようになっておりこれで 「アンパーーーンチ!」 とやられると頭がぶっとんできて指などに当たる。これが、結構、痛いんである。私はうまいこと彼女を騙しこみ、今度は絵本で遊ぶことにした。『ノンタン・タータン あそび図鑑』。この絵本の見開き2ページにおいしい物がずらりと出ている。これを見せて、おだんごやら、ケーキやら言っているのがラクである。……なのに。バナナを見つけた姪。バナナ、食べたい、と言い出した。ま、この人は大食いだから夕食にも響かないでしょう。私は冷蔵庫からバナナを取り出すと皮をむこうとした。……すると。バナナ、洗って、と。?????バナナを洗う?皮に農薬がついているから???ま、それもアリだわな。私はバナナを皮ごと丹念に洗った。そして、タコのようにびらっびらに皮をむいて姪に渡した。蛸足をじっと睨む姪。いつにも増してこえーな、この顔……。ほどなく姉が帰ってきた。「昨日のコーン出てたよ」「あれ? 午前中にしたのに! アハハ!」一日に二度ウンコの日に当たるとは。今日の私は運が悪かったようである。
Aug 2, 2004
今日は八幡様の骨董市だから、と言われ、午前9時過ぎにぞろぞろと出向く。が、骨董どころか、出店すらない。とりたてて多くの観光客がいるわけでもなければ、売り子など、影も形もない。やられた……。いや、ホント、今日って書いてあったんだってー! と主張する姉を肘で突付き、骨董市の開催日を確認させる。烏帽子をかぶった神社職員いわく、8月29日と。やられた……。オッカシイなァ、ホント、今日って書いてあったんだよー、日にち変わったんじゃないのー、とまるで悪びれない姉。しかし、ソフトクリームでもおごるよ、ゲヘヘー、と言うので一同 『いも吉館』 へと向かった。『いも吉館』 とは、鶴岡八幡宮の段葛沿いに本店のあるおいも専門店である。一番の売りは 『紫いものソフトクリーム』 (通称いもソフト)。おいものコクの生きたまったりとしたソフトクリームなのだが、いも臭くなく、まずまずのお味。ただ、いもなだけに、テクスチャーが重いというか、今日のような猛暑にはちょっと不向き。というわけでお店の前で踵を返すと、一同、小町通りへと向かうのだった。小町通りにもいも吉の支店はあるが、今回私たちが向かったのは 『杉養蜂園』 である。鎌倉ではまだ新しいお店で、私はてっきり、近くにある養蜂園が出店したものとばかり思っていたのだが、名前が違うから違う、と姉がえばる。んでも美味しけりゃあいいよ、ということで、とりあえず買ってみることになった。ひとつ210円の 『はちみつ入りソフトクリーム』。いも吉のはひとつ295円だったから、こちらのほうが良心的である。ペロリ。ンー。はちみつ入りだが砂糖もかなり入ってるよう。結構甘い。が、クリームが、生クリーム生クリームしていない牛乳味の生クリームのため、甘いながらもあっさりとした味に仕上がっている。ムー。アイスはこってり派の私。これ、そんなに好きじゃない。レディボーデンよりアイスクリンが好き、という人にはおすすめ。★ ★ ★午後、自転車で近所を散歩に行った。日本で私が愛用している折りたたみ自転車は物置にしまってあるのだが、物置の周りには雑草が生い茂り、とても近づけたものではない。今日のところはとりあえず姉のママチャリを借りることにした。が! 乗りにくいったらない!ハンドルバーが高すぎて前傾できないため、スピードが出ない。上半身が垂直に伸びる。ちょっと後ろを振り向いて後続車の確認、など、できたものではない。おまけに、前後にそれぞれ配置された子供席の邪魔なことといったら。前輪の真上にある前部席は足元の視界を遮ることになり危険。後輪の真上にある後部席は自転車への乗り降りに邪魔。脚を、こう、後ろにガーッと上げてサドルをまたぐのだが、後部座席が高すぎて、体の固い私には邪魔以外の何物でもない。脚を垂直に上げてアタタタとやっていたら、姉に一言、ばかじゃないの、と指摘された。安定も悪いし、ママチャリなんて二度と乗らない。そう決めたのだった。
Aug 1, 2004
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