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起きたらお腹がぺこぺこでした。相棒が夜ごはんを食べさせてくれなかったからです。だから、私は怒りました。そうしたら相棒は、朝食を買いに行こうと言いました。私は、パン屋で甘いケーキを買って食べることにしました。生クリームがかかっているのかと期待したのにバタークリームだったのが残念でしたが、サクサクしておいしいケーキでした。相棒は甘くない全粒粉のパンを食べました。相棒はパンの皮が好きなので、中のふわふわは私が食べてやりました。バニラエッセンス風味の炭酸飲料バニラエッセンスの味の炭酸飲料は、嘘くさい人工バニラの味がキッチュで良かったです。メキシコでは、飲み物もパンもケーキも、アメリカのものほど激甘ではないところが好感度大です。それから私たちは、最後のひと泳ぎと、ビーチに行くことにしました。サン・ホセ・デル・カボにも高級ホテルはたくさんあります。私たちは、宿泊客のふりをしてクラウン・プラザ・ホテルに入り込みました。どこのリゾートでしょう!ホテルのエントランスをくぐると、まばゆいばかりのリゾート光が差し込んできました。ああ、ここはいったい、どこの楽園なのでしょう。この3日間私たちが目にしていた、砂、サボテン、スカンクとは大違いの、色の溢れるビーチリゾートです。これがバハ・カリフォルニアのイメージとなる人もいれば、スカンクや野良犬がイメージとなる人もいるのですね。ホテルの前のビーチは砂丘のようでした。海はいい感じに凪いでいます。照りつける太陽とは裏腹に水はひんやりと冷たく、私は5分と持ちませんでしたが、相棒は、大喜びで沖へ泳いでいきました。やることがアシカと大差ありません。そうしてひとしきり泳いでから、私たちは帰り支度を始めました。今日の午後2時のフライトでデンバーに帰らなければいけません。私たちは空港の手前でスーパーに寄りました。相棒は、テキーラは好きじゃないけど安いから買いたいと言いました。私は、カルーアをすすめました。結局、テキーラ1本、カルーア2本、さくらんぼとラムのカクテル1本を買うことにしました。おいしいパンとケーキも選びました。さあ、行きましょう。私は言いいました。すると相棒、もっともっと買ってクダサーイ、お金、まだまだアリマース、と言うのです。いつになく気前がいいな。私は怪しいと思い、いくらあるのか訊きました。すると相棒は、USドルにして3ドル弱デス、と言いました。私はうなだれつつも、大好きなレモン味のポテトチップス2袋を買い物カゴに入れました。帰りの飛行機で、テレビを見ながらメキシコのおいしいパンとケーキを食べました。偶然知り合いのスチュワーデスが乗務していたので、飲み物のお代わりをたくさんもらいました。デンバーは雪でした。サンダルの足が濡れて、危うくしもやけになるところでした。しばらくは外に出られない日が続きそうです。帰りに映画館に行こうと思いましたが、あまりの寒さに断念しました。アパートに帰って、外の雪を眺めながらカルーア・ミルクで乾杯しました。相棒は、ナンデスカ! すごくおいしいですネ! と言いました。よかった、よかった。
Nov 28, 2004

朝、アメリカのベーグルとメキシコのパンを食べました。相棒はなにらやプンプンプンプン怒っています。スカンクの残り香のせいでしょうか。まあ、いいや。私たちは、テントをたたんで、まずは近くのビーチに泳ぎに出かけました。釣り船らしき小さな船や、獲物を干す (?) 小さな小屋がちらほらと見えるビーチです。漁港なのでしょうか。人影は見当たりません。砂浜には地味なペリカンが群をなしています。私と相棒は水に入りました。すると……昔ネッシーという動物がいました手を伸ばせば届くほどの距離のところに、なにやら、黒くて丸い物体が浮かんでいるのが見えます。それはときどき細長くなっては、浮き沈みして、私たちに近づいてきます。ようやく水面から出たその物体と目が合いました。アシカです!私は、もしかして危ないかもしれない、と思いました。私はアシカと充分な距離を取りました。相棒は恐る恐る偵察に行きます。アシカのほうでも相棒の様子を伺っています。見つめ合う相棒とアシカ。しばしの間沈黙を守る一人と一頭でしたが、少しすると、プイッと横を向いて、アシカは泳ぎだしました。おそらく、漁師からもらえる魚を期待してこのビーチに現れるのでしょう、相棒が餌なしだとわかると、アシカはあきらめたのでした。そして私たちの近くをプカプカと浮かびながら遊び始めました。野生ながらに芸達者な奴です。それから私たちは南へとドライブを続けました。今日もサボテンがよく見えます。助手席で何時間かウトウトしていたら、いつの間にか空港付近に来ていました。そしてほどなく San José del Cabo (サン・ホセ・デル・カボ) に到着です。相棒は、今日はホテルに泊まろうと言って安ホテルの前に車を乗り付けました。よっぽどスカンクがこたえたのでしょうか。安宿は、一泊17USドルでした。私は、部屋の内容からして高いと思いました。トイレとシャワーにドアがついていません。ベッドルームに匂いがプンプンです。これとスカンクとどちらがいいかというと、かなり迷うところです。扇風機の羽は壊れてひん曲がっているし、床も汚れた感じだし、私は、かなり嫌です。が、相棒は、このホテルが気に入ったようです。仕方ない。部屋の前の廊下 安宿ほど写真写りが良いのです私は気を取り直して昼食を取りに行くことにしました。相棒とダウンタウンをぷらぷら歩いて行きました。トルティーヤと書いてある店が目に留まりました。トルティーヤか、いいね、と言って入ってみようとしました。が、そのお店はレストランではなくクリーニング屋とわかりやめました。道の反対側に、どこからどう見ても料理屋だ、という構えの店が見えたので、私たちはそこに入りました。チキンのエンチラーダ。お米とお豆がついて38ペソ (≒350円) です。アメリカで食べるメキシカンとさほど変わりない味でした。相棒は、タコベル (※ アメリカにあるメキシカンのファーストフード店) のほうがいいと言いました。もっと安いからか。食後、近くのお店で棒アイスを食べました。いかにも相棒好みの、アラビヤガムの味がしました。食後、車でカボ・サン・ルーカスに向かいました。先日見ることのできなかったアーチを見るためです。私たちは前回と同じくホテル・ソルマーに車を停めました。前回アーチにたどり着けなかったのは、反対方向に向かって歩いたからだとわかっていたので、今度は、間違いのないよう歩きました。が。あと一歩というところで、推定20メートルほどの岩場が目の前に立ちはだかりました。私はロッククライミングが怖いです。平気だよ、と執拗に誘う相棒を断わり、私は来た道を引き返しました。相棒もついて来ました。なんだ、やっぱり怖かったのか。
Nov 27, 2004

テントの中でさわやかな目覚め、といきたいところでしたが、夜通しどこかの犬がケンカをしていて、寝られたものではありませんでした。まあ、うるさいのは良いですが、至近距離でガウガウやられると非常に怖いものです。明け方、ようやく犬が静まったと思ったら、今度はニワトリのコケコッコーが始まり、隣近所のニワトリが時間差で鳴くものだから、私はもうあきらめました。時計を見ると8時近かったので外に出ました。昨日は暗くてよく見えなかったけれど、ここのキャンプ場は、汚いけどトイレはあるし、汚いけどシャワーはあるし、8ドルにしては悪くないです。管理人は私のことを、日本人みたいな名前ね、ウフフ、と笑いました。朝ごはんはアメリカから隠し持ってきたベーグルをひとつ食べました。それから、海まで歩いて行ってみようと相棒と連れ立って出かけましたが、すぐに、3匹の犬 (ボルゾイ風、マスチフ風、土佐犬風) に絡まれ引き返しました。首輪も鑑札もつけた獰猛な奴らでした。それから同じ道を車で行くことにしましたが、行けども行けども、黄土色の土と潅木、そして、マットレスや冷蔵庫などの粗大ゴミしか見当たらず、足場はほとんど砂だしで、私はすっかり嫌になってしまいました。そんなこんなで海に行くのはやめて、100キロほど北にある街 La Paz (ラ・パス) に向かうことにしました。ラ・パスへの路、見えるのは、小さな山、緑、サボテンです。2時間ずっとこんな調子だったので、ラ・パスに着いて、化学工場からの汚染された空気と車の排気ガスの強烈な空気を嗅ぐ頃には、私は、すっかり嫌になっていました。ラ・パスは観光地ではありませんが、スキューバダイバーには人気のある街です。が、ダイバーではない私と相棒には、ちと、微妙な街です……。空気がとにかく悪いのです。私たちは海岸を歩いて、街をぶらりと歩いて、やっぱり、ここでキャンプはしたくないね、ということになりました。それで、ラ・パスから、北部のビーチがあるエリアに行くか、それとも東方面から南下してコルテス海に行くかで少しもめましたが、滞在日数も短いことだし、あまり遠くに行くのは大変だ、とコルテス海に出ることにしました。道中の景色は、例によって、潅木とサボテンです。私が、もうウンザリ、と思って考え事をしていると、こんなに綺麗なサボテンだ! よく見ろ! と相棒が怒ります。時折すれ違う牛たちは、育ちが良く、10頭ほどが綺麗に一列に並んで行進しています。私には、サボテンよりもそういう光景のほうが面白かったです。もうヤダ対向牛線運転が大嫌いな相棒は次第に機嫌が悪くなりました。ガイドブックに載っている海辺のひなびたキャンプ場に到着すると、そのキャンプ場は既に閉鎖されたとわかり、ますます機嫌が悪くなりました。ただっ広いキャンプ場跡地には、それでも、一台のキャンピングカーがとまっていて、私たちが近寄ると、オーストラリア人の老夫婦が出てきました。ガラーンとしたこのキャンプ場跡地で今夜は泊まるのだそうです。その夫婦は、この海岸は綺麗ね、綺麗ね、と口々に言いました。でも、私はそうは思いませんでした。ずいぶんと寂しい、どちらかというと猟奇的な場所だなと思いました。キャンプ場跡地相棒は、それじゃあ今日はここで泊まりますか、と言いました。単独で野宿するよりも他の人がいるほうが安全だからです。でも、私は、いやでした。景色がさみしかったし、それに、キャンプに来てまでドイツ語を聞くのがいやだったからです。そんなわけで、猛ゲンカしなから、私たちは別のキャンプ地を探してドライブしました。そしてたどり着いたのが小さな入り江でした。緑に囲まれたその入り江は、かわいらしく、雰囲気のある入り江でした。先客のテントが見えたので、私たちもそこにキャンプすることにしました。先客はオランダ人とアイルランド人のカップルで、私たちをワインでもてなしてくれました。即席キャンプ場でプライベートビーチ気分夜中、テントで寝ていると、突如として相棒が怒り出しました。目を覚ますと、あたり一面強烈な匂いがしています。相棒は、私の仕業だと思って怒ったのです。が、いくらなんでも、この密室でオナラするような私ではありません。失礼しちゃう! 私は抗議しました。すると相棒は、ははーん、さては、スカンクだな! と叫びました。テントの外でガサゴソいう音がしていたといいます。私は耳を凝らしました。ガサガサガサガサ。確かに音がします。相棒が、消えうせろ! と怒鳴りました。すると、重心の低い影がテントの外を横切っていきました。鼻の曲がりそうな匂いは残ったままでしたが、初スカンクに、ちょっぴりうれしかった私たちなのでありました。
Nov 26, 2004

スキューバダイバー憧れの地、バハ・カリフォルニア。ダイビングどころか泳ぎも満足にできない私と、あんな重いもの担いで潜るなんて馬鹿げてる、という相棒の二人組が、なぜ、バカンスの行き先にバハ・カリフォルニアを選んだのか。それは、ひとえに、面白い動物がいそうだからです。デンバーからバハ・カリフォルニアのロス・カボス空港までは快適な空の旅でした。私たちが今回利用したフロンティア航空のウリは、なんといっても、ライブTV。その名の通り、地上で放送されるのと同じテレビ番組を飛行機の中で視聴できるというシステムなのです。ロス・カボスまでの3時間のフライトの間、私も相棒も、テレビっ子アメリカ人にならい、座席前部の画面にかじりついては、刑務所で服役中のマーサ・スチュワートの今日のディナーは七面鳥にマッシュポテト、などというニュースを熱心に観ていました。そう、今日はサンクスギビングです。刑務所でも一般家庭でも、テーブルの上にはこぞって七面鳥が並ぶ日です。ご存知相棒とこの日を (しかも旅行して) いっしょに過ごす私は、七面鳥などみじんも期待していませんでしたから、機内食に、七面鳥のクランベリーソースをメキシコ風にトルティーヤで包んだものが出たときは軽く感動しました。味は、まぁ、アレでしたが……。トルティーヤを食べながら窓の外に目をやると、メキシコとアメリカの国境に線が引いてあるのが見えました。ここを秘密裡に超えると銃殺でしょうか。ロス・カボス空港よりカボ・サン・ルーカスへ向かうロス・カボス空港に到着すると、カラッとした太陽が出ていました。ハリキリマンの私と相棒は、さっそくジャージを脱ぎ、Tシャツと短パンに着替えました。日向にいるとジリジリと暑く、日陰にいるとゾクゾクと寒い、そんな砂漠性気候です。私たちはレンタカーを借りました。20年前に見たような、しかし2004年製の、日産のファミリータイプの車です。4日間で55USドルですから文句は言いません。まずは一路、ビーチリゾートの街 Cabo San Lucas (カボ・サン・ルーカス) へ向かいます。左手に紺碧の海を見ながらの快適なドライブ……のはずでしたが、どこもかしこもやたら排ガスの匂いがして、繊細な私の気管支を刺激します。私は、メキシコにやってきたんだァ、という気分になりました。道すがら大きなショッピングモールのようなのが見えたので、私たちは水などを買い出しすることにしました。駐車場の真ん中には、 Vigilancia といって、火の見やぐらのような監視塔がありました。私たちは、車泥棒対策にとその近くに停めることにしました。監視係のおにいさんがニコニコと手を振ってくれました。モールの中には、 Soriano という巨大スーパーが入っていました。パンのコーナーにはビンボのパンがいっぱい並んでいましたが、私は、本当をいうと、メキシコの本当のパンのほうが好きなので、インストア・ベーカリーのパンを買うことにしました。相棒と旅行していると次にいつ食べ物にありつけるかわからないので、私は、おいしそうなケーキも買っておくことにしました。ベイクドチーズケーキと、いちごの乗っかったケーキと、どういうわけかトマトでできたらしい (?) ケーキです。メキシコ風ショートケーキ 約40円トマトとココナッツのケーキ 約35円車のトランクで傷むといけないので、買い物が済むと、私は、すぐにケーキを食べてしまいました。メキシコの粉物は、精製の粗い小麦粉を使用しているため、コクがあっておいしいです。トマトのケーキも悪くなかったです。酸味がなかったので、本当にトマトなのか、それともトマト色というだけなのかはわかりませんでしたが。それから、まだ日が高かったので、私たちはビーチに向かいました。図書館で借りたガイドブックによると、ソルマーというホテルのビーチからアーチ (※ 岩でできた天然のアーチ、観光名所) まで歩ける、とのことだったので、私たちは宿泊客を装ってソルマーに車を停めてビーチへ行きました。が、歩けど、歩けど、アーチは見えてきません。しかも、ビーチは、スフィンクスが似合いそうなサハラ砂漠系です。トロピカルムードむんむんのビーチが好きな私は、少し嫌になってしまいました。カボ・サン・ルーカスのビーチケッ、と砂を蹴りながらビーチを歩いていると、どこかのホテルの前に、網でできた四角い箱状のものが置いてあるのが見えました。なんだろう? と覗いてみると、そこには、バーベキューの炭のようなものが10個ばかり入っていました。よーく見ると、モジモジッ、モジモジッ、と動きます。それは、なんと、ウミガメの赤ちゃんでした。保護するために網をかぶせてあるのだそうです。私が来ることを予期してのことに違いありません。バーベキューの炭……じゃなくてウミガメの赤ちゃん思いがけずウミガメに遭遇できた私は、ちょっと得した気持ちになりました。が、アーチを見られなかったので、あきらめモードになりました。遊泳禁止のビーチに怒った相棒は、険悪ムードになりました。私たちは、ロス・カボスは良くない、と言って、早くも移動することに決めました。潅木やサボテンを両手に見ながら、車で、約80キロ北にある Todos Santos (トードス・サントス) という街へと向かいました。トードス・サントスはとても小さな街です。目星をつけていたキャンプ場に着くと、日は暮れていました。私たちは、暗闇の中、テントを組み立てました。私はお腹が空いたので機嫌が悪くなりました。相棒はまだ機嫌が悪くなっていなかったので、街を歩いてみようよ、と言って、私たちは暗い中を歩いていくことにしました。すごく小さな街なので、いくつかの商店以外何もなかったです。私たちは小さなレストランに入って、タコスを食べました。お皿は洗わなくてもいいようにビニールがかぶせてあります牛肉はパサパサしていてあまりおいしくなかったです。テーブルの上にトッピングがありましたが、アボカドのワカモーレはドス黒く変色していたし、トマトも玉ねぎも乾燥していて、お腹壊すこと間違いなしだと思いました。けれど、何時間経っても大丈夫でした。お店のおっちゃんも感じ良かったし、許してあげることにしました。デザートにスーパーで買ったチーズケーキを食べて、歯を磨いて、寝袋で寝ました。
Nov 25, 2004
11月25日から28日まで、メキシコのバハ・カリフォルニア (ロス・カボス) というところへ行ってきます。クジラを見たいという私のために相棒が航空券を取ってくれたので。肝心のクジラのシーズン (1~3月) は外してますが、あまり気にしないことにして行ってきます。 旅行記は後日アップします。高級リゾート地ですが、私たちは海辺でキャンプの予定なので皆さんの期待を裏切らないことと思います。アシカにテントを襲われないよう祈っていてください。
Nov 24, 2004
今日は日曜日。ブラインドから差し込む眩いばかりの陽射しに私は目が覚めました。先に起きだしていた相棒は、ひとりで過ごすのが好きな私を気遣ってか、自転車でそっと外出してしてくれたようです。大きく伸びをすると、私は、キッチンに行き薬缶を火にかけました。グラグラと沸騰するお湯にナツメグを削り紅茶を入れると、家の中がクリスマスの匂いでいっぱいになりました。私はソファに移動しました。ミルクティーの入った薬缶と大きなマグカップとペパリッジファームのミラノクッキーもいっしょです。テレビのスイッチを入れました。図書館で借りてきた映画 『誘惑のアフロディーテ』 を観るためです。大好きなウディ・アレンの映画です。冒頭、ギリシャ神話風の舞台が始まり鼻から紅茶が出そうになりましたが、浮ついた声のするミラ・ソルヴィーノがかわいくて、最後まで誘惑されてしまいました。ただのハッピーエンドじゃないところもひねり好きのアレンらしいファンタジーだなと思いました。観終わって、映画の余韻に浸りながら、冷凍のおいしいスパゲティをレンジでチンして食べました。それから相棒が帰ってきました。ただいま、と言いながら私にくれたのはパンでした。近所のメキシコ系食料品店に売っている、私の好きなトウモロコシの粉で作ったパンでした。あの節約家が50セント (=55円) も払って買ってきてくれたかと思うとうれしかったです。パンが無造作に袋に入っていたのにも感激でした。普通はパンは備え付けの小さな袋に入れてキャッシャーに持って行くのですが、相棒は、お金や自転車やなんかを触った手でじかに掴んで持って行ったんでしょう。バイキンの免疫をつけたほうがいいから、というのが持論の相棒らしい気配りです。それからふたりで映画館に行きました。映画館までは40分の快適なサイクリングです。映画は、観たいのが全然ありませんでした。時間のタイミングもよくありませんでした。それで、10分前に上映が始まった "Without a Paddle" にしてみようということになりました。映画のチケットはひとり1ドル (=105円) もするのに、相棒は嫌な顔ひとつせず払ってくれました。が。"Without a Paddle" はつまらなかったです。熊が出てきて大暴れしたり、滝つぼから落ちて楽しそうにしていたり、まったく意味のない映画でした。20分観てやっぱりつまらなかったので、私たちは席を立ちました。タイムテーブルを見ると、ちょうど15分後にジェット・リーの "Hero" が始まるとあります。私たちはそれを観ることにしました。が。"Hero" はつまらなかったです。なによりも字幕を読むのがめんどうくさいので、私も相棒も、5分後には席を立っていました。それからまたタイムテーブルをチェックすると、20分後に "Cellular" をやるとあるので、私たちは観ることにしました。"Cellular" は面白かったです。題名から連想できるように、携帯電話が重要な鍵となる映画です。 助けて~! 殺されちゃう~! というストーリーは、ヘタすると、安っぽくてくだらないティーンエイジャー向けの作品になりがちですが、 "Cellular" では、ヒロイン役のキム・ベイシンガーを始めとする安定した役者陣が話をうまく盛りあげることに成功しています。また、私個人としては、めんどうくさいことが大嫌いなので、ヘタな前置きなしでいきなり事件を勃発させたところも評価したいです。都合よく話が進む構成も評価したいです。ハラハラドキドキ、そして、ちょっとクスクス。一回観る分には充分楽しめる映画でした。ちなみに同じ脚本家 (ラリー・コーエン) による "Phone Booth" よりこっちのほうがおすすめです。夜、カレーを作りました。おいしいですか、と訊いたら、おいしいです、と相棒は誉めました。
Nov 21, 2004
「週末はどこへ行きましょうか」こんな何気ない質問も、私と相棒にはケンカの火種となり得るのだから不思議だ。「自転車に乗って山へ行きましょう」相棒の期待する返事はこれである。氷点下の真冬でも、カンカン照りの真夏でも、私が 「自転車に乗りたい」 と答えるのを、相棒はひたすらに待っている。週末を別々に過ごすようになってはや一ヶ月が経つ。今朝、目が覚めると外は真っ白だった。ブラインドを開けると、ヒンヤリとした空気が窓から立ち昇った。寒い寒い、今日は自転車は無理ですね。相棒は言った。「Cherry Creek のモールまで散歩に行きましょうか」自転車以外でいっしょにできる活動といえば散歩かウィンドウショッピングくらいしか思いつかない。そんな相棒は、私のことを買い物好きだと思っている。相棒は、デパートで会社用のパンツを見る。モールに来ると相棒はいつも、会社にはいて行けるような地味で廉価なズボンをチェックする。が、サイズが特殊なため、選ぶ余地はほとんどない。たいてい5分ざっと見てあきらめることになる。相棒は、私のことを、背が低すぎて標準以下のサイズの人だと思っている (※ 161cm) が、実は自分が規定外であるということにはまったく気が付いていない。5分見ると、相棒は、そろそろ図書館に行きましょうか、と言う。だから奴と買い物に来るのは嫌いだ。ティファニーの前を通りかかった。「そういえば、今年の誕生日プレゼントも去年の誕生日プレゼントもクリスマスプレゼントもろくに何ももらってないね。ひとつ何か買っておこうよ」私は相棒に提案する。「銀行の残高が11ドルですから……」相棒は、お金のあるケチなのではなく、お金のないケチなのだった。帰り道ほとんど口を利かなかった。
Nov 20, 2004
私は自他共に認める神経質、ではない。薄汚れた椋材の安テーブルも、ヤードセールで見つけた5ドルの古ソファも、ところどころが欠けた粗大ゴミ風のソファテーブルも、自分なりの努力で、どうにか使用に耐えうるものに直してきた。テーブルにはお手製テーブルクロスをかけ、ソファには同柄のソファカバーを縫い、ソファテーブルの金メッキには白いペンキを塗り直すなど、この3年間、生活改善のために惜しみない努力を続けてきた。が。いくらがんばっても、どうしても改善できないことがひとつだけある。それは、フトンである。相棒が10年ほど前から愛用している掛け布団。ヘタって綿がボコボコになっているだけでなく、血やらシミやらがついていてキモチワルイことこのうえない。持っている掛け布団4枚が4枚ともその調子だから、いくらバルコニーで干そうとも、いくら新品のカバーをかけようとも、もはや再起不能、それらに包まれて眠るたびに、私の気分は沈みに沈むのだった。いや、ただの古ぼけたフトンであるのならまだ良い。布団カバーがこぞって悪趣味だから、余計、気が滅入るのである。リネン類など無難に無地のにしておけばいいものを、何をはりきってか、ウニョウニョとしたミトコンドリア模様で覆いつくされているものを選ぶのだからタチが悪い。水彩画タッチのチューリップやバッ点が抽象的に描かれているものを選ぶのだからタチが悪い。いや、ただの古ぼけたフトンに、ただの悪趣味なカバーがかかっているのならまだ良い。歴代の人々が使用してきたものであるから、余計、薄気味悪いのである。血をつけたのは誰か。シミをつけたのは誰か。そんなこと、私は、もちろん、知りたくもない。そんな私を相棒は神経質と呼ぶ。シミだらけでヨレヨレの敷布団を処分させ、中古だが状態の良いマットレスを買わせるのには丸々2年が費やされた。もう一枚の敷布団をあきらめさせるためには、折りたたみ式薄型マットレスを私が自腹を切って購入しなければならなかった。カバーもなにもかも汚い、汚い、と繰り返していたら、私の留守中、どこかの激安セールで、緑色のギンガムチェックのシーツとドギツイ紫色の布団カバーを入手してきてしまった、などということもあった。しかもポリエステル。物事にはやっていいことと悪いことがある……。私は、密かにヘソクることに決めた。少しずつお金を貯めて新品の掛け布団を4枚買うぞ。ヤツ愛用のボロ布団と差し替えてやるぞ。シーツもカバーもいっぱい買うぞ。ポリエステル100%の悪趣味なヤツと差し替えてやるぞ。そうして実行したフトン作戦、第一弾、だった。私は数日かけて、羽毛布団を1枚と、布団カバーを1枚と、シーツを1枚と、枕を2個と、枕カバーを2枚買った。それらに丁寧にアイロンをかけ、ボロ各種を取り払ったベッドにセットした。アイボリー色に包まれたベッドは、どこからどう見ても素敵に大変身した。が――。 変化に気付かないのはなぜだ???相棒の目は節穴としか思えません。
Nov 19, 2004
外出から帰ってきて、一瞬、優雅な気持ちになることがあります。エレベーターで4階まで昇り、部屋の前に来て、鍵を取り出す。鍵穴のあたりを見やりながら、今日の夕飯について考える。と、目に入る、薄くて細長い物体。ドアノブにかかった、薄くて細長いカード。そう、よく、ホテルなどで使われる "Do Not Disturb" のカード、あれとまったく同じ形状のものが、私たちのアパートのドアノブにかかっていることがあるのです。「メンテナンスに入りました」そのカードには、今日の日付とともにこう書かれています。お風呂場のタイルをチェックしました、明日、また続きをやります。こうも書かれています。「ああ、そうか」私はようやく納得しました。浴槽とタイルの継ぎ目に貼られたゴム、あれが、取れてしまったから、修理してくれるようアパートの管理事務所にお願いしていたのでした。あたかも豪華ホテルに滞在しているかのような錯覚、カードを見つけたときの一瞬の錯覚は、もろくも消え去り、あっという間に現実の慎ましやかな生活に引き戻される私なのでした。家に入ると少しさびしい気持ちがしました。同居人の自転車道具、同居人の本、同居人の毛布、同居人の靴下などなどが散乱している床を点検し、すべてがもとのままだと確認すると、安心とも阻喪ともつかない気持ちがしました。うちでは、ときどき、現金の受け渡しがあります。私が、お金がもうないからください、と申請すると、同居人が銀行からおろして持ってくるというシステムになっているのです。たいてい数百ドル単位です。受渡方法は、手渡しのこともあれば、食卓に置いてあることもあり、はたまた、クリスマスプレゼントに混じって暖炉の前に鎮座していることもあります。ですから、アパートにメンテナンスが入ったあとは、いつも、少し、どきどきするのでした。それと同時に、 「居留守を使っているときに入られたのではなくてよかったな」 と安堵もするのでした。
Nov 18, 2004

断言しましょう。デンバーで、いや、コロラドで一番おすすめのハンバーガーショップは Crown Burger (クラウン・バーガー) です。 いやあ、道程は長かった……。家からわずか3キロの場所にあるこのクラウンバーガー。かつてデンバーに住んでいたという楽天仲間 lobo1969 さんから 「デカくてウマいですよ」 と紹介されて以来、ずーっと気にはなっていたのですが、相棒のせいで行かれませんでした。ええ。相棒のせいで。お肉は太る=諸悪の根源、と信じている相棒は大のバーガー嫌い。そのくせせっせとマクドナルドに通い詰めているのは1ドルバーガーがあるから。それだけです。体に悪くとも、味がまずくとも、大嫌いであろうとも、とにかく安いのが一番。相棒は今日も安さを追求してひた走ります。そんな相棒に 「すごいバーガーがあるんだってよ!」 と誘っても耳を貸すわけがありませんでした。クラウンバーガーの大きなハンバーガーは一個3ドル99セントもするのです。 私: 「マクドナルドの1ドルバーガーなんてもうたくさんだ!」 奴: 「じゃあ今日はバーガーキング (の1ドルバーガー) にしましょう」 私: 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」こんな会話が幾度となく繰り返されました。ああ。食べたい。食べてみたい。ジャンクフード専門の lobo さんがおすすめする店だもの、どんなにうまいのだろう……。とうとう、切れました (詳細省略)。相棒もさすがにヤバいと思ったのでしょう。じゃあ、行きましょうか、と言いました。私たちは自転車にまたがると、一路クラウンバーガーを目指し颯爽と漕ぎ出でました。注釈: とにかくものすごくデカいバーガーなんだから、と紹介されていたので、 (食べきれない可能性も考えて) ひとりでは行かないことにしていました。また、私には、ファーストフードをいっしょに食べてくれるようなファンシーな友達は、デンバーにはひとりもいません。10分ちょっと自転車を走らせると見えてきました。クラウンバーガーです。店構えは普通のファーストフード店といったところですが、窓の縁に、昔懐かしいラーメン丼を縁取るようなナルト模様がテープで装飾されているのが通好みです。午後2時過ぎ。店中はちょっと遅めの昼食を取る人びとで賑わっています。グッドサインです。お店のおねえさんたちも感じが良いです。グッドサインです。私は、まずは定番モノ、とベーコンチーズバーガーを注文することにしました。相棒は、パストラミバーガーを注文することにしました。飲み物はもちろんふたりで一個にすることにしました (注:ソフトドリンク飲み放題)。ドキドキワクワクするなあ。私は席に着いてチーズバーガーを待ちました。相棒は冷静な様子でパストラミバーガーを待っています。「すみません、パストラミはなんですか」突如として相棒が私に尋ねました。 まさか……!! 知らないのに注文したんじゃあ?!ハムみたいなやつだよ。そう答えてやると、相棒は安心したようでした。大きさを比較対照する物がないので、せめて、大きめの画像を載せておきますさあて食べようかね、とバーガーに手を伸ばすと、ふんわり香ばしい匂いが漂いました。炭焼き風の匂いです。私は一口食べようとしました。しかし食べられません。バーガーが大きすぎるのです。この私の大口を持ってしても噛み付けない、大きな、大きなハンバーガー。口を最大値に開けることでようやくなんとかなりました。(● ̄▽ ̄●) う め え香り負けすることのない、パリっと焼かれたベーコン。脂っこさは微塵もありません。パテも肉の臭みは感じられず、ふわふわっと焼きあがっています。チーズはややとろけかかった人肌の温度。レタスの量はモスバーガーにも引けを取りません。一口食べて、あ、ケチャップがついてない、もらってこようかな、とも思ったのですが、二口目で出てきたマヨネーズベースのソース (サウサンドアイランド・ドレッシングみたいなの) がまったりとしていてこれまたうまいこと。クアアイナなんかも内容の充実を売りにしたハンバーガーショップですが、クラウンバーガーは、初志貫徹といいますか、普通のハンバーガーを普通に丁寧に作りましたよといったふうなのが素敵です。と、思ってたら、カウンターの向こうで火の手が上がったよ!!! うひょー!! 中華!!!相棒は文句言ってたけどもね。高いって。はりきって今回は大きなバーガーを頼んだけれど、小さなサイズのもあるし、ポテトもぶっとくておいしそうだったし、今度からは相棒抜きでひとりで来ようと決めた私なのでした。そのほうが消化にもいいしネ。Crown Burger2192 S Colorado BlvdDenver, CO 80222303-753-9696
Nov 16, 2004
ヒトを観察するのに最も適した職場はレストランではないかと思う。店に入ってきたときの第一印象、注文の仕方、食事のマナー、同席者との会話の様子、そして、お会計の方法など、その客の人となりを推し量るのに充分な要素が、レストランにはいくつもある。ドイツでのレストラン勤務経験を通じて、私は、たくさんの人と知り合った。近所のドイツ人常連客から日本人駐在員、アジアからの出張ビジネスマン、試合で来たスポーツ選手、そしてコンサートツアーのミュージシャンにいたるまで、ありとあらゆる種類の人たちに出会った。話が弾めば電話番号を交換することもあったし、その出会いは、私が店を後にして3年が経った今でも続くような友情に発展することも少なくなかった。が、もちろん、良い出会いばかりというわけではなかった。ある時、ひとりの日本人女性がやってきた。ヨーロッパの某国人である配偶者の転勤に伴ってハンブルクにやってきた人だった。私は、彼女に勝手に親近感を抱いた。彼女が私の知人の知人であったことと、彼女と私の歳が同じということからだった。が、これが、とんだ食わせ者なのであった。「家にいてもつまらないから何か仕事をしたいんだけど、いいのが全然見つからなくて」会話の終盤、彼女が私にそうつぶやいた。私はしばらく考えた。彼女の語学力でやっていけそうなのは日本食のレストランくらいしかないだろう。私は、日本食レストランだったら求人も多いよね、と答えた。すると――。返ってきた反応は意外なものだった。「えー、でもー、そういう仕事は旦那が嫌がるしぃー」 (注: 旦那はその場にいませんでした)ああ、それは、アナタが嫌なわけね!!! 私はすぐにピーンときた。まあ、飲食店で働きたくないという人なんて掃いて捨てるほどいるし、私も働くなら店を選ぶから、気持ちはわかる。 んが! そのセリフ! アナタの嫌がるその仕事のど真ん中にいる私に向かって言っていいの!!!私は仕事を楽しんでいたし、仕事に対する誇りもないというわけではなかった。そもそも、私のしている仕事と同等のことをやれる人が多いとは思っていなかった。だから、怒るのを通り越して面白いことを言う人だなと思ったのだったが……。もし、万一、私が、その仕事を一日も早く辞めたいのに辞められないとか、他の職業に就きたいのだけれど就けないという状況にあったのなら、私はいたく傷ついていたことだろう。そう考えると、彼女への怒りが湧かないわけでもないのだった。同世代の女性同士、ちょっとした火花が散ることもある。まずはお互いの品定めから始まるということもある。しかし、どのような状況においても、人を貶めるような発言はエレガントではない。私も気を付けなければな、と思った。もしかしてもしかしたら、その発言の前 (かなり前) に彼女の旦那と私が親しく会話したことに妬いたのかもしれないが。つうかご心配なく! あんなジャガイモ、相手にしませんよーだ!【追記】「じゃあ、翻訳なんてどう? 私、日本の会社からときどき仕事がきてやってるのよ」 と切り返したら、ずいぶんと悔しそうな顔をしていました。ガッハッハ。
Nov 14, 2004
めずらしく友達に会って、めずらしく喉がかれるまでおしゃべりした。この友達というのは、まだ20代半ばの前途洋洋な日本人男児である。デンバーに来たばかりの頃、デンバー在住の日本人なら一度はアクセスするであろう某サイトの掲示板にメッセージを載せた私は、数人の日本人から、友達になりましょうというメールを受け取った。が、結果的に、今でも続いているのは、冒頭の友達だけである。これは私がうすうす気付いていることなのだが、デンバーに住んでいる日本人は、一般的に、私とはあまり友達になりたくないらしい。たいていは留学生か主婦なのだが、そのどちらも、私とはタイプが違うと思うのか、知り合ってもいつの間にか疎遠になってしまうことがほとんどなのである。アメリカ人である彼氏のためにデンバーに来て大学院で勉強をしているという女性とは、同い年ということもあり、すぐに仲良くなった。しかしお互い多忙なため、なかなか会う機会がなかった。そんななか、日本に一時帰国した私は、日本の外資金融業界でインターンシップでもいいから仕事したいというその友人のために心当たりをいくつかあたってみることになったのだったが――。外資金融の人事担当者を中心に連絡を取ってみた私は、このご時世、希望する職種の職務経験がないということは門前払いされることを意味するのだと否応なしに悟らされるのだった。いくつか当たってみても同じことだった。私は、残念だけれど、と彼女に伝えなければならなかった。わかった、とにかくありがとうね、彼女からはそんな返事が届いた。そして、それが最後だった。忙しいからメールできない、連絡できない、ということもあるのだろうが……。用なしと言われているようで、私はなんとも複雑な気持ちになったのであった。もうひとりお友達になった女の子は、私よりちょっと若い一児のママだった。家にいるときでもそれは綺麗にお化粧をしていて、そのお化粧がこれまた生える、とても美しい顔立ちをしていた。美人なのに驕ったふうでもないところにもまた、好感が持てた。が、一度会っただけで連絡が途絶えてしまった。私は旅行で忙しくしていた時期だったから、先日はありがとう、また会いましょうね、という短いメールを入れたはずだった。しかし、向こうからは返信がなく、こちらからもそれ以上連絡することのないままかれこれ2年が経とうとしている。会った際にどちらかが失礼なことを言ったわけでもなければ、明らかな嫌悪感があったわけでもない。おそらくは、あまり気が合わなかったのだろうと思う。が、それにしても。こうして消えていく知人の多さを考えると、人間関係とは希薄なものだなぁとつくづく考えさせられる。ひとつ覚えているのは、初めてお邪魔した私に大きな大きなポテトチップスの袋を差し出した彼女が 「どうぞ♪」 と言ったことと、ソフトドリンクの缶を差し出した彼女がこれまた 「どうぞ♪」 と言ったことである。これを別の友人に話したところ、そんなの普通じゃん、と一笑に付していたのだが、私の感覚では、来客に出す冷たい飲み物はグラスに入れて (またはグラスを添えて)、お菓子はお皿に盛って、というのが常識である。アンパンマンの絵のコップでも、春のヤマザキパン祭りでゲットしたお皿でも、とにかく、むき出しでなければいいのである。彼女の美しい外見、そして優しい人柄とのギャッを感じえずにはいられない私なのであった。彼女のほうも私の何かに驚いたのかもしれないが。冒頭の20代半ばの男の子は非常にマイペースである。だから私と仲良くできるのだろう。エラそうでスミマセン。
Nov 13, 2004
● 玄関 をつけました● よくある質問 をまとめました● Bimbo の紹介をはじめました● 写真集 に着手しました● その他、画像を綺麗にしました (フリーページ各項目)日記はしばらくサボってます。あんまり喧嘩ネタばかりになるのもどうかな、と思って。ちょっと前には、例のブツ (それがなにかはナイショ) を見てしまい、良くも悪くもものすごい衝撃を受けたのですが、これまた叩かれそうなので日記に書くのはやめました。あと10分で相棒が帰ってきます。今日はディフェンスに徹するつもりです。chocoolique より。【追伸】相棒が帰ってきました。どういうわけかラブラブです。うれしそうです。つうか昨日の喧嘩はどこ行ったのよ??? なかったことにしたの? オォイ?今日も話し合いならず。
Nov 11, 2004
思うところあって、過去の日記を加筆・修正・削除しています。何度も更新マークが出てしまいます。ウザかったらゴメンナサイ。なお、近いうちにブログ全体を再構築する予定です。追記: ノロノロやってたら意識が朦朧としてきました。
Nov 3, 2004
日記のまとめ書きです。土曜日: ケンカした (※ ロシア料理をめぐって)日曜日: 世間はハロウィーンだった (※ 仮病にて寝込み)月曜日: 三行半を突きつけてやった (※ 得意の健忘症でフェイント)火曜日: 投票日がやってきた (※ 選挙権なし)えー、本日、投票日ですが、選挙権のない私としては、傍観するのみで、のんきに速報など眺めております。が、日本の国としては、やはりブッシュが再選されたほうが安泰ではあるのかな、などと思ったりしてしまっているところでございます。(中略)こうやって投票しない若者が増えるからいかんということなのですね。 ←責任転嫁ちなみにアメリカでは、有権者といっても、事前に有権者登録をしなければ投票をすることはできません。だから、 「私ブッシュ♪」 「俺ケリー♪」 などと言っていても、実際には投票しない輩というのが相当数いるのだそうです。各機関もキャンペーンを打って出ていましたが、効果のほどはどうだったのでしょう。株は上げました。ダウもナスダックも、開票を待たずしてグーンと上げました。と、思ったら、反落ですか……。やっぱり……。
Nov 2, 2004
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