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<『翻訳のさじかげん』2>図書館で『翻訳のさじかげん』という本を手にしたのです。翻訳家といえば、言語でメシを食っているいるわけで・・・彼我の国の言語、文化に関する知識は膨大で、薀蓄の宝庫みたいなものか♪【翻訳のさじかげん】金原瑞人著、単行本、2009年刊<「BOOK」データベース>より料理に骨董、三味線に歌舞伎…翻訳しているヒマがない?人気翻訳家の最新エッセイ集。三浦しをん氏との「文楽対談」も収録。<読む前の大使寸評>翻訳家といえば、言語でメシを食っているいるわけで・・・彼我の国の言語、文化に関する知識は膨大で、薀蓄の宝庫みたいなものか♪rakuten翻訳のさじかげん ずばり、翻訳のあたりを見てみましょう。p103~105目利きになりたいより 翻訳をやり続けていて、そのうち、原書を手に持っただけで、おお、これは傑作だとわかるようになりたいと思ってはみるものの、これは無理かなあ。いくら場数を踏んでも、だめそうだ。そもそも、読んでみて、これは売れるぞと思った本さえ、ろくに売れない。一時、金原がおもしろいという本は売れないという評判が立って、売れそうにないけどユニークな作品は金原に持っていけとうよくいわれていた。 ある編集者が、ちょっと読んで感想を教えてほしいといって送ってきた本がもろツボにはまって、わくわくしながら読み終えて、報告したところ、その本はいまだに出ていない。不思議だなあ、というか、当然かなあ。 結局、20年以上も翻訳をやってきて、何が身についたんだろう。ま、いいや。 ところで、「翻訳」という言葉がよくわからない。いや、「訳」はよくわかる。『漢字源』によれば、旧字は「譯」で、次のような説明がある。「睾」は「目+幸(手かせ)」の合意文字で、手かせをはめた罪人をひとりずつ並べて、面通しすること・・・「譯」は「言+(音符)睾」で、ことばを選んで、ひとつずつ並べてつなぐこと。 ここから、「ことばをひとつずつ並べつないで、他の文句にいいかえる。ある言語と他の言語になおして、意味を通じさせる」という意味になっていく。そのまま、ずばりだ。なるほど、意味の通じないものは「訳」とはいわないのだ。自重せねば、などと思ってしまう。 問題は「翻」のほう。これがわからん。 「翻」という漢字、まず音がおもしろい。たとえば、いきなり「本以外に『ぽん』と読む漢字」といわれたら、ちょっと考えてしまう。この字は、「ほん、ぽん、はん」などと読むから、これを使った単語はリズミカルでいい。 翩翻 旗なんかが風にはためく様。 翻倒 ひっくり返ること。 翻覆 ひっくり返ること。 翻弄 ひっくり返してもてあそぶ→なぶりものにする。 爛翻 波のひるがえる様。 しかし意味はというと、「ひるがえす、はためく、ひっくり返す・・・」であって、どこが「翻訳」なのかと、悩ましい。ところで、ウィキペディアによれば翻訳には直訳と意訳があるそうだが、そのあたりをちょっと覗いてみましょう。wikipedia翻訳より 文章中の個々の単語の対応にこだわらず、肝心の、文章が発話された状況や文脈において果たす機能や本当の意味のほうにフォーカスを当てて、ターゲット言語でほぼ同等の機能や意味作用を持つ文章を、多数の文章の記憶の中から見つけ出し、それを翻訳文とすることがある。 これが意訳と呼ばれるものである。様々な言語の上級者や、ソース言語とターゲット言語のどちらも上級者の場合は、この意訳を行うことができる。両方の意味や機能が良く分かるので、意訳のほうが望ましい、ということが理解できる。意訳は、一般に、語学の初心者の段階では(やりたくても)ハードルが高く、まだ困難である。意訳を行えるようになるためには、センスの良い意訳の仕組みについての翻訳上級者や翻訳専門家からのレッスンや解説書で訓練を積むと習得しやすい。 ただし、それだけでは十分ではなく、ソース言語とターゲット言語の双方、ソース言語の側の文化、ターゲット言語側の文化、双方の文化の《ものの考え方》の相違に関する知識、人々の様々な習慣の違いに関する知識...等々 幅広くかつ深い知識が必要となる。 つまり、上質な意訳を行うためには、双方の文化を熟知し、双方の文化圏で常識や一般教養と思われていることは、(双方の文化圏での違いを意識しつつ)身につけ、またさらに、雑学的な知識までも(翻訳の段階で辞書で、あわてて調べても、咄嗟に大きな体系を理解できるものではないので)普段から地道にコツコツと蓄積し、体得しておくことによって、ようやく意訳は上達することになる。・・・やはり、すぐれた翻訳は、なみたいていなことではないようですね。過去の日記をめくってみると、この本を借りたのは二度目であることが判明しました(イカン、イカン)・・・で、この記事のタイトルを、その2としています。『翻訳のさじかげん』1
2016.06.30
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<『奇譚カーニバル』>図書館で『奇譚カーニバル』という本を手にしたのです。これが、夢枕獏の選んだ作品が絶妙なアンソロジーで・・・大使一押しは『百物語』(杉浦日向子)でおます。小泉八雲、夏目漱石、小川未明なんかも載っているので、読んでみるか♪【奇譚カーニバル】夢枕獏編、立風書房、1995年刊<「BOOK」データベース>より人間の集合的無意識下に潜む恐怖、不条理そして不可解なるものを描き出した珠玉集成。古今の傑作を編んだ奇譚集成。【目次】茶碗の中(小泉八雲)/夢十夜(夏目漱石)/大きなかに(小川未明)/件(くだん)(内田百間)/観画談(幸田露伴)/昇り龍、参上(横田順弥)/雪のなかのふたり(山田正紀)/俺たちの円盤(かんべむさし)/かくれんぼをした夜(筒井康隆)/柔らかい家(夢枕獏)/猫舐祭(椎名誠)/ハナモゲラ語の思想(タモリ)遠くへいきたい(とりみき)/瀕死のエッセイスト(しりあがり寿)/百物語(杉浦日向子)<読む前の大使寸評>夢枕獏の選んだ作品が絶妙なアンソロジーでおま♪このアンソロジーの中で大使一押しは『百物語』(杉浦日向子)でおます。rakuten奇譚カーニバル 編者の夢枕獏さんがアンソロジーの愉悦を解説で述べているので見てみましょう。p319~334解説より 自作、他作を問わず、自分の好きな作品ばかりを自由に集めて一冊の本を編纂るというのは、何物にも代え難い愉悦である。 鬼の話ばかりを集めた『鬼譚』(立風書房)という本を編纂った時も、楽しい思いをした。 今回のテーマは「奇妙な話」である。 「奇妙」と言っても、怪談という意味ではない。怪奇ものというのとも違う。怪談ものであっても怪奇ものであってもむろんかまわないのだが、それは同時に「奇妙な話」でなければならない。 これを、どう説明したらいいのだろうか。 いやいや、説明などもともと不可能な、そのような話をテーマにしているというのに、それを説明しようとは、なんたる矛盾。(中略) いや、アンソロジーをやるというのはおもしろい。 これが、なかなか、時間のかかるたいへんな作業なのだが、ついつい、このおもしろさに負けて、やってしまうのである。 はいはい、分かりました。論より証拠というか、夢枕さんが選んだ作品を見てみれば分かります♪大使の一押しとしては、杉浦日向子のマンガ『百物語』であるが・・・・小泉八雲、夏目漱石、小川未明なんかも読んでみるか♪『百物語』の画像を見てみましょう。百物語・杉浦日向子の画像より
2016.06.29
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神戸に帰って来たでぇ♪…で、書きためていた記事を日にちをさかのぼってUPします。 <『歴史と出会う』4>図書館で『歴史と出会う』という本を手にしたのです。おお 「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載ってるやんけ♪・・・というわけで、借りた次第です。【歴史と出会う】網野善彦著、洋泉社、2000年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。<読む前の大使寸評>「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載っているので、借りた次第です。rakuten歴史と出会う鶴見良行vs網野善彦対談の一部を見てみましょう。p31~37農耕史観への異議鶴見:今回、『ナマコの眼』(筑摩書房)という本をかきましたのはね、ある意味からいったら僕の国家嫌いといいますか、それと、定着農耕ということだけに視点をあわせて歴史が書かれているということに対する不満ですね。はっきりいえば、漁民というのは農民自身にさえも差別されている。つまり百姓は百の姓だから、本来からいえば漁民や何か全部含んだはずなんだけれども、百姓イコール農民になっちゃうわけでしょう。網野:江戸期にはその傾向が強いですね。鶴見:江戸にはそうなりますね。それはなぜなのか。ちょっと不満なんです。漁業史の分野でも、これまでは、だいたい日本人が好きでたくさん食べたお魚ばっかり書かれている。じゃあ、一番差別されている魚・・・まあ、ナマコは魚じゃありませんけれども・・・に目をつけて書いたら、少しは見落とされてきた生物が出てくるんじゃないかと思ったわけです。差別の問題を少しきちんと出したいと思ったものですから。 僕はだいたい最初はへんだなというところでカードをとり始めて、それが数百枚集まったころから、問題を少し整理していくんです。ですから最初からそういう意識でナマコを調べ始めたんじゃないんですけれども。 日本海、という言い方ひとつとっても、私たちは東南アジアの視点から見た環日本海というのじゃなくて、日本海というと、「日本の海」という感じになりがちですね。海の名前のつけ方というのは、みんなだいたい陸から眺めていますから、どこの国でも非常にセルフィッシュな名前のつけ方をするんだけれども。 僕はそういうふうに、万世一系的にものを考えるのは嫌いで、いろんなものがごちゃごちゃごちゃごちゃ入っているのが好きなんです。実際には朝鮮半島だって日本列島だっていろんな人がごちゃごちゃごちゃごちゃ住んでいたろうというふうに考えますから。 朝鮮と日本とは、ひとつぶの種をどこか大昔のほうまで求めるのが非常に好きなんですね。東南アジアに行きますと、そういう考え方はありません。15世紀以前にさかのぼれないですから、史料は全然ないし。網野:「はじめに日本人ありき」という発想をまず捨て去る必要がある。そもそも「日本」という国号ができるまで、日本はないんですからね。にもかかわらず最初から「日本」というまとまりがあったように考える。鶴見:ああいう考え方というのは、非常に古くから出てくるような気がするんです。網野さんも書かれているし、それから渋沢さんも書かれているけえれども、たとえば『延喜式』、律令の中におけるニエとか調とかに魚がたくさん出てきますね。天皇家の食事に非常にたくさんあるんだけれども、ああいう問題に対する解釈も、これまでの解釈は非常に農的ですね。網野:そのとおりだと思いますね。鶴見:あれだけお魚が出てくるのに、どうして農的な解釈になっちゃうんですか。あれは不思議でしようがないんだな。あれだけいろんな史料がたくさん出てきているのに、なんで漁業を正等に評価しないで、農的な評価になっちゃうんだろうか。(中略)鶴見:能登に七尾、近世の史料でいうと所口と呼ばれていた地域がありますね。あそこらへんは、日清戦争の後の賠償金ですぐ指定航路が開かれます。七尾とウラジオストック直通の航路も開かれますし。 ウラジオストックというのは「海産衛」と書いたわけで、ナマコのある海の底の丘という意味です。ですからナマコの産地と、能登側の非常に古くからあるナマコの産地とが結びつくわけですね。網野:実際、能登の人たちにとっては、本来は海こそ重要な生活の舞台だったんですね。時国家は外浦にありますが、内浦のほうにも時国家はマ(さんずいに間)を持っているんです。鶴見:さんずいの「マ」ですね。網野:ええ。このマがまた面白いんだな。少なくとも北陸から北海道まで船のつくところをマというんですね。鶴見:先ほどの利尻とか留萌でも、わりあいと新しいコンクリートの、コの字型漁港にちゃんと「マの中ではスピードを落とせ」とペンキで書いてある。だからその言葉が生きているんです。網野:そうですね。しかし地域によっていろいろな形態がある。船を上げる場として一つの権利になったり、マ役という税金がとられたりする。それからこれはまだ議論の余地があるのですが、江戸時代に土地を持たない人がいますね。鶴見:いわゆる水呑百姓ですね。網野:加賀藩ではそれを頭振というんです。これまで頭振や水呑は貧しい百姓の代名詞になっていましたね。ところが、泉さんがいま研究していますけれど、頭振の中には商人で金持ちもいたらしい。金持ちの水呑もいたようですよ。そもそも廻船人は土地を持たないから・・・。鶴見:内浦のあそこの能登町史かな、能登島町史かどっちかだと思うんですが、読んでいたら、土地の権利を質に入れるんじゃなくて、水呑百姓の株を質に入れていますね。網野:水呑や頭振の株を買う人がいるわけですね。内浦の宇出津は古い港ですが、中洲にできた宇出津新町の住民は、全部頭振なんですね。江戸時代の制度では町と村が制度的に分かれているので、町として認められたところは町人という身分が出来ます。 ところが制度的には町と認められていないけれども、実質上は都市であるところは、江戸時代の海辺にはいたるところにある。能登の場合は、海と関わりの深い歴史を持っていますから、そういう場所は非常に多いのです。そこに住む人を農業中心の制度で掌握して、その方向からできた言葉で表現すると水呑や頭振ということになる。鶴見:そう。水呑というと、すぐ零細なる漁民だと考えちゃうわけでしょう。網野:そうなんです。ところが、大金持ちもいたようですね。そのへんに、農業中心史観の偏りがはっきりあらわれていると思うんです。同じような問題は、中国大陸や朝鮮半島にもあるのではないでしょうか。『歴史と出会う』1『歴史と出会う』2『歴史と出会う』3
2016.06.28
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22日のNHKオイコノミアのテーマはシェアリングエコノミーであったが、興味深い内容であった。で、早速ネットをめぐると、次の記事がヒットしました。2016/01/06 2016年はシェアリングエコノミー元年に Airbnb、Uberに続くサービスも登場より 個人が持つ住宅や自動車などの資産を貸し借りできる「シェアリングエコノミー」と呼ばれるサービスが、欧米を中心に広がりを見せている。米国では、いわゆる「民泊」を仲介する「Airbnb(エアビーアンドビー)」が2008年に設立され、2009年には配車サービスの「Uber(ウーバー)」がサービスの提供を始めている。2016年は日本でもシェアリングエコノミーがさらに進展する年になりそうだ。 Airbnbは、日本を含む約190カ国でサービスを提供しており、空き部屋の登録件数は100万件を超えるという。2015年4月8日に開催された「新経済サミット2015」では、AirbnbのCTO兼共同創設者であるネイサン・ブレチャージク氏が、「当社のサービスは始まったばかりで、事業規模は現在の100倍になってもまだ小さいと考えている」と述べている。 日本でシェアリングエコノミーが根付く可能性はあるのか。同サミットに登壇した、自民党IT戦略特命委員会事務局長のふくだ峰之衆議院議員は、日本でも同サービスが育つ余地はあると断言。その前提として、国や企業にすべての責任を求めるかのような「日本の独特な雰囲気や考え方」を改革する必要性を挙げた。 日本政府でも、シェアリングエコノミーを受け入れるための規制緩和やルール整備を進めようとしている。2015年10月20日に首相官邸で開いた「国家戦略特別区域諮問会議」では、規制改革事項として民泊など14の事業を新たに認定した。まず初めに東京国際空港(羽田空港)を抱える東京都大田区で、2016年1月から民泊が解禁されることになった。これにより、旅館業法で義務付けられているフロントの設置や、寝室の面積基準などを満たさなくても、大田区が認定すれば正式に営業できるようになる。「共有経済は世界の潮流、対話と実行で革新を」、米起業家が提言フンフン なにか見覚えのある内容だと思ったが・・・・シェアリングエコノミーの訳語:共有型経済が、最近読んだ『限界費用ゼロ社会』のメインテーマであったわけです。【限界費用ゼロ社会】ジェレミー・リフキン著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より いま、経済パラダイムの大転換が進行しつつある。その原動力になっているのがIoT(モノのインターネット)だ。IoTはコミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないという。 代わりに台頭してくるのが、共有型経済だ。人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい社会が21世紀に実現する。世界的な文明評論家が、3Dプリンターや大規模オンライン講座MOOCなどの事例をもとにこの大変革のメカニズムを説き、確かな未来展望を描く。21世紀の経済と社会の潮流がわかる、大注目の書!<読む前の大使寸評>シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。<図書館予約:(1/28予約、6/17受取)>rakuten限界費用ゼロ社会 ドイツのメルケル首相は、この本の著者ジェレミー・リフキンに教えを請うて、ドイツは経済的変革に舵を切っているそうだが・・・・優柔不断なニッポンは腰が重いようです。最近読んだ『シェアハウス』という本も紹介します。【シェアハウス】 阿部珠恵×茂原奈央美著、辰巳出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より物件も住む人も急増しているシェアハウス。これは地縁・血縁意識の薄い都市部に特有の現象なのか。それともコミュニティの新しい形なのか。実際にシェア生活をしている著者2名が、さまざまな様式のシェア物件に住む人々に取材して考察した、日本のリアルが見えてくる、軽妙で知的なドキュメント。<読む前の大使寸評>最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。rakutenシェアハウスところで、今晩の夜行バスで四国の田舎に、1週間ほど帰省します。例のとおりその間、音信不通になりますので・・・そこのところ宜しくおねがいします
2016.06.24
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図書館に予約していた『限界費用ゼロ社会』という本をゲットしたのです。シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。【限界費用ゼロ社会】ジェレミー・リフキン著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より いま、経済パラダイムの大転換が進行しつつある。その原動力になっているのがIoT(モノのインターネット)だ。IoTはコミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないという。 代わりに台頭してくるのが、共有型経済だ。人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい社会が21世紀に実現する。世界的な文明評論家が、3Dプリンターや大規模オンライン講座MOOCなどの事例をもとにこの大変革のメカニズムを説き、確かな未来展望を描く。21世紀の経済と社会の潮流がわかる、大注目の書!<読む前の大使寸評>シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。<図書館予約:(1/28予約、6/17受取)>rakuten限界費用ゼロ社会 第三次産業革命に立ち向かう日独のスタンスを見てみましょう。p473~474岐路に立つ日本より 日本は、限界費用ゼロ社会へのグローバルな移行における不確定要素だ。この国は今、中途半端な状態にある。その苦境を理解するには、日本の現状をドイツの現状と比べてみさえすればよい。両国はグローバル市場における、世界一流のプレイヤーだ。日本経済は世界第三位、ドイツ経済は世界第四位に位置する。 ところが、ドイツがスマートでグリーンなIoTインフラへと急速に移行することで共有型経済と限界費用がゼロの社会を迎え入れようとしているのに対して、日本は過去との訣別を恐れ、確固たる未来像を抱けず、岐路に立たされている。 2005年、アンゲラ・メルケルはドイツの首相になると、就任後数ヶ月のうちに私をベルリンに招いた。在任中に彼女の政権が、どのようにドイツ経済を成長させ、新しい企業や職を創出するかという問題に取り組むのを手伝ってほしいというのだ。 私はベルリンに着くと新首相に「この大工業化時代の最終段階にあるドイツ経済を、さらに言えば、欧州連合の経済やグローバルな経済を、あなたはどう成長させるおつもりですか?」と真っ先に尋ねた。そして、中央集中型の電気通信、化石燃料と原子力、内燃機関を用いた路上・鉄道・航空・水上輸送を特徴とする第二次産業革命がすでに成熟し、生産能力を出し尽くし、ドイツもヨーロッパも世界も、時代遅れで瀕死の経済パラダイムの中でもがき苦しむ羽目に陥ってしまっていることを指摘した。 ドイツ滞在中、私は新たに始まりつつある第三次産業革命の要点を次のように概説した。既存のコミュニケーション・インターネットが、創成期にあるデジタル化された再生可能エネルギー・インターネットや、自動化されたGPS誘導輸送/ロジスティクス・インターネットと一体化してスーパーインターネットができ上がり、ドイツ経済のバリューチェーンに添って、経済生活を「管理」し、それに「動力を供給」して「動かす」ようになる。 間もなく、IoTと呼ばれる新しいプラットフォームに支えられながら、このスーパーインターネットが「核」となり、あらゆる機器が他のあらゆる機器や、あらゆる人間とつながり、経済と社会で起こっていることに関する情報を、誰もがシェアできるようになる。 当時、IoTは依然として概念段階にあり、センサーはようやくほんの一握りの機器に組み込まれ始めたところだった。だが、近い将来、IoTのおかげでドイツの家庭や企業は、国内各地で起こっているあらゆる経済活動に関するリアルタイムのデータに、一日中いつでも好きなときにほぼゼロの限界費用でアクセスできるようになるだろうと、私は述べた。 収集されたビックデータを分析技術を用いて調べれば、アルゴリズムやアプリケーションを生み出すことができ、個人も企業も、それぞれのバリューチェーンにおけるすべての段階で総効率を劇的に増し、それによって大幅に生産性を上げ、限界費用を減らし、新興のスマートな第三次産業革命の経済パラダイムの中で、ドイツは世界一生産的な経済システムになることができる。ウーム、ここまで読むと焦ってくる大使である。なにしろ日本はパラダイムシフトなどというものには、からっきし優柔不断で、腰が引けてるもんね。3Dプリンターの進化をみてみましょう。p148~149建物から車までより オランダの学生ディック・ファンデル・コーエイは、古い冷蔵庫から取り除いたプラスティック材料を使い、カスタマイズされた家具を連続した線でプリントできるように、産業用ロボットをプログラムし直した。このロボットは、sまざまな配色とデザインの椅子を3時間足らずでプリントできる。彼らの3Dプリンターは、カスタマイズされた椅子を年に4000脚以上作れる。 他の家具プリンターには、リサイクルされたガラスや木材、布地、セラミックス、はてはステンレス鋼まで供給原料として用いるものがあり、新しいインフォファクチャリングの過程で使用できるリサイクル供給原料の多様性を物語っている。 インフォファクチャーで家具がプリントできるのなら、その家具の収まる建物もプリントしてはどうだろう。エンジニアや建築家、デザイナーは、3Dプリントした建物を市場に出そうと躍起になっている。そのテクノロジーはまだ研究開発段階にあるが、建物の3Dプリンティングが今後数十年間で建築工事を根本から変えるであろうことは、すでに明らかだ。 ベーロフ・ホシュネヴィス博士は、南カルフォルニア大学の産業工学とシステム工学の教授で、高速自動製造テクノロジー研究所の所長だ。ホシュネヴィスは、アメリカの国防総省、国立科学財団、航空宇宙局(SNASA)の支援と資金供給を受け、「輪郭クラフティング」と呼ばれる3Dプリンティングのプロセスで建物をプリントする実験を行っている。彼は、合成繊維で補強し、自由に成形できるコンクリートを創り出した。 このコンクリートは、ノズルから押し出して成形でき、強度も十分あるので、建設中、プリントされた壁は自立できる。彼のチームは3Dプリンターを用いて、幅5フィート(約152cm)、高さ3フィート(約91cm)、厚さ6インチ(約15cm)の壁を、すでに首尾良く造り上げた。これまた重要なのだが、この粘性のある材料は、注入過程で砂や粒子によってプリンターのノズルを詰まらせることがない。 これがまだ第一歩にすぎないことを認めつつも、ホシュネヴィスは、プリントされた壁は「中国の万里の長城以来、最も歴史的な壁」だと豪語した。そして、人類は2万年にわたって建築を行ってきたが「建物を築くプロセスはほどなく革命が起ころうとしている」とつけ加えた。ところで、この共有型経済という言葉であるが・・・シェアリングエコノミーとカタカナで言う方が通りがいいようです。今年の1月のネット記事を見てみましょう。(大使、遅れてるで)2016/01/06 2016年はシェアリングエコノミー元年に Airbnb、Uberに続くサービスも登場『限界費用ゼロ社会』1『限界費用ゼロ社会』2
2016.06.24
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図書館で『歴史と出会う』という本を手にしたのです。おお 「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載ってるやんけ♪・・・というわけで、借りた次第です。【歴史と出会う】網野善彦著、洋泉社、2000年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。<読む前の大使寸評>「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載っているので、借りた次第です。rakuten歴史と出会う「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載っているあたりを見てみましょう。p143~146「もののけ姫」と中世の魅力より網野:先日、宮崎さんの『もののけ姫』を試写会で拝見したんですが、実は僕が映画館で映画を見たのは十何年ぶりの「快挙」だったんですよ(笑)。 この映画の時代背景は中世から近世へ移行する転換期の15世紀、室町時代だそうですが、いわゆる時代劇の常連の武士や農民はほとんど出てこないのが目につきますね。彼らは物語の遠景に過ぎない。それに代わって「タタラ者」と呼ばれる製鉄民が出てきたり、照葉樹林の森に生きる山犬神や猪神といった自然そのものの神々たちが登場しているわけですが。宮崎:時代劇といえば、いつも侍と農民あるいは町人だけで、それが歴史をつまらbなくしているというか、自分たちの国を面白くなくしているんじゃないかという思いがありまして。 山を漂泊して鉄をつくった人々に興味があったんですが、不勉強なうえに、手に届く範囲に適当な本がなかったりして、妄想ばかり育ってしまって、映画に出したような巨大なタタラ場は江戸期でもなかったのはわかっているんですが、エエイやっちまえって・・・(笑)。スタッフの中には「これは日本じゃない」というヤツがいたりしたんですけどね(笑)。網野:それはご謙遜ですね。ずいぶんいろいろお考えになって、勉強もしていらっしゃるようで、感心しましたよ。宮崎:いや、プロデューサーなんかには「ほとんど勘でやっている」っていわれてますよ(笑)。 ただ、中尾佐助さんの「照葉樹林文化複合」という見方に出会って以来、その衝撃が僕の中で尾を引いてきまして。昔、日本の本州の西半分は、照葉樹林の森に覆われていたわけですが、一体、その森がいつどういうかたちで消えちゃったのか。それがずうっと気になっていたものですから。 そのへんもまったく当てずっぽうに、たぶん室町期までに消えたんだろうとか、その過程で人間社会のことが中心になったから鎌倉仏教が生まれたんだろうとか、妄想に妄想を重ねて、舞台を「室町期」ということに据えたわけなんです。■エボシ御前は20世紀の理想網野:この映画はお話としてもたいへんに面白いんですが、深山の麓でタタラ集団を率いている女性「エボシ御前」は、女性たちをはじめ、私から見ると「非人」と思われる人たちや牛飼など社会からはみ出した者たちに仕事をさせて、尊敬を集めています。遊女、白拍子に見えますが、どういうお考えであのような女性を登場させたのですか。宮崎:悪路王をしずめた立烏帽子という絶世の美女の伝説があるんですが、実は私の山小屋のある村が烏帽子といいまして(笑)。案外、出発点はそのあたりだったりするんです。応仁の乱で明国渡来の火槍という原始的な銃が使われたらしいとか、海外に売られて、中国人の倭寇の大親分の妻になって、腕を磨いて、あげく男を殺して財産を奪って、戻って来た女とか(笑)。僕らの考えはだいたい、その程度でして。網野:山の神は「おこぜ」ともいわれて醜女なんですが、製鉄の神の金屋子神は白鷺に乗ってくる女神なんですね。そこからイメージがつくられたわけではないんですか。宮崎:むしろ、初めは男にしようという考えもあったんです。でも、スタッフに聞いて回ったら「やっぱりきれいな女性がいい」という話になって(笑)。エボシが白拍子の格好をしているのも同じことで、きれいなほうがいいやと(笑)。 エボシという女性は20世紀の理想の人物なんじゃないかと思ってるんです。目的と手段を使い分けて、非常にやばいこともするけれども、どこかで理想は失っていない。挫折に強くて、何度でも立ち直ってというね、そういうふうに勝手に僕は想像したんです。網野:それから男の主人公はヤマト「日本国」の侵略に抵抗する戦いに敗れ、北の地の果てに隠れ住むエミシ一族の長になるべき少年アシタカになっていますが、主人公がそうした「蝦夷」になっており、つまり、ヤマト、「日本国」を相対化されていますね。これはわが意を得たという感じがしましたよ。宮崎:蝦夷の風俗などは僕の道楽でやらせてもらったんですよ。隼人が楯を使ってるから、古い蝦夷も手楯を使ったんじゃまいかとか。とにかく、よくわからないところは僕の勝手な空想で埋めただけで。網野:いや、変に事実に即されるよりも、わからないところはどんどん空想で超えていただいたほうがいい。事実にへばりついているわれわれとしても気分がいいですよ(笑)。対談はさらに続きます。p147~148<「百姓」も刀を差していた>宮崎:15世紀頃は、刀を腰に差している人間がいっぱいいたに違いないと僕は思ってるんですが。網野:もちろん、あの時代はみんな武装していますね。最近になってはっきり確認されてきたことですが、江戸時代になっても、百姓はみな腰刀を持っていたんですよ。侍の太刀とは違うけれども、武装はしていた。百姓は鉄砲だって持ってましたしね。宮崎:秀吉が刀狩りをやったからって、すぐ片づいたはずはない。なのに、時代劇に見る武装している侍と武装していない農民という図式はいったいいつごろ出てきたんですかね。網野:おそらく近代になってからですね。しかも、そうした武装解除された農民と武装している侍というつくられた図式が映画の時代劇にも強烈に影響している。 藤本久志さんが書いていますが、黒澤明監督の『七人の侍』の設定も、その図式に完全に絡めとられてしまっています。それには歴史家の責任は大きいですね。宮崎:『七人の侍』というのは戦争に負けて帰ってきた男たちが、食糧難で買出しに行ったところでお百姓たちのいろんな態度にぶつかるとか、そういうリアリティーをもった映画で。 あまりにも面白くできているので、以後、呪縛のように日本の時代劇を縛ってしまって、常に侍対農民という階級史観が固定しちゃったような気がしてるんです。網野:あの映画には僕も非常に感動したのですが、武装できない百姓というのはまったく事実ではないのです。それに、百姓の中にはいろいろな生業の人がいた。博打打ちもいたんです。百姓は農民の意味ではないですからね。宮崎:百姓というのはもっと広義の意味で、そこにはありとあらゆる職業を含んでいるわけですね。網野:ええ。百姓の中には商人や職人などいろいろな生業の人がいて、農業は、その中のひとつなのです。だから、「百姓一揆」も困窮した農民が一揆を起こしたと考えるのは間違いですね。実証的にもそうした見方はだんだん崩れてきつつあります。自由民権運動のときでも、秩父事件では博打打ちが先頭に立っていたでしょう。田代栄助という総裁は博打打ちですよ。 そういえば『もののけ姫』には博打打ちは出てこなかったですね。宮崎:いや、僕らが映画を作っていること自体が丁半博打を打ってるようなものですから(笑)。過去の日記をめくってみると、この本を借りたのは二度目であることが判明しました(イカン イカン)で、この記事のタイトルは、その2としています。『歴史と出会う』1
2016.06.23
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「民俗学」でしょうか♪<市立図書館>・かくれた次元・中国を考える・翻訳のさじかげん・奇譚カーニバル<大学図書館>・歴史と出会う図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【かくれた次元】エドワード・T・ホール著、みすず書房、1996年刊<出版社説明>より 今日の世界では、われわれは、多くの情報源からのデータに圧倒され、さまざまの文化に接触し、世界中いたるところで人びとにインヴォルヴされてゆく。それとともに、世界全体とのかかわりが失われているという意識もしだいに強くなっている。 本書は、人間の生存やコミュニケーション・建築・都市計画といった今日的課項とふかく結びついている“空間”利用の視点から人間と文化のかくれた構造を捉え、大量のしかも急速に変化する情報を、ひとつの統合へと導く指標を提供するものである。<読む前の大使寸評>刺激的なタイトルから予想した内容とは、やや違って・・・3次元空間やコミュニケーションに着目した(正統な)科学的な本であり、ガッカリすることはないわけです。<図書館予約:(6/14予約、6/18受取)>mszかくれた次元かくれた次元byドングリ【中国を考える】司馬遼太郎, 陳舜臣著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より古来、日本と中国は密接な関係を保ってきた。だが現実には、中国人は日本にとって極めて判りにくい民族なのではないか。ぶつからないためには理解すること、理解するためには知ることー両国の歴史に造詣の深い二大家が、この隣人をどのように捉えるべきか、長い歴史を踏まえて深く思索する中国論・日本論。【目次】第1章 東夷北狄と中国の二千年/第2章 近代における中国と日本の明暗/第3章 日本の侵略と大陸の荒廃/第4章 シルクロード、その歴史と魅力<読む前の大使寸評>同年輩で、ともに関西出身のお二人の対談は、なかなかいい雰囲気やでぇ♪rakuten中国を考える中国を考える3byドングリ【翻訳のさじかげん】金原瑞人著、単行本、2009年刊<「BOOK」データベース>より料理に骨董、三味線に歌舞伎…翻訳しているヒマがない?人気翻訳家の最新エッセイ集。三浦しをん氏との「文楽対談」も収録。<読む前の大使寸評>翻訳家といえば、言語でメシを食っているいるわけで・・・彼我の国の言語、文化に関する知識は膨大で、薀蓄の宝庫みたいなものか♪rakuten翻訳のさじかげん翻訳のさじかげんbyドングリ【奇譚カーニバル】夢枕獏編、立風書房、1995年刊<「BOOK」データベース>より人間の集合的無意識下に潜む恐怖、不条理そして不可解なるものを描き出した珠玉集成。古今の傑作を編んだ奇譚集成。【目次】茶碗の中(小泉八雲)/夢十夜(夏目漱石)/大きなかに(小川未明)/件(くだん)(内田百間)/観画談(幸田露伴)/昇り龍、参上(横田順弥)/雪のなかのふたり(山田正紀)/俺たちの円盤(かんべむさし)/かくれんぼをした夜(筒井康隆)/柔らかい家(夢枕獏)/猫舐祭(椎名誠)/ハナモゲラ語の思想(タモリ)遠くへいきたい(とりみき)/瀕死のエッセイスト(しりあがり寿)/百物語(杉浦日向子)<読む前の大使寸評>夢枕獏の選んだ作品が絶妙なクァンソロジーでおま♪大使一押しは『百物語』(杉浦日向子)でおます。rakuten奇譚カーニバル奇譚カーニバルbyドングリ【歴史と出会う】網野善彦著、洋泉社、2000年刊<「BOOK」データベース>より戦後日本の歴史学が生んだ泰斗、網野善彦の仕事は、左翼運動の挫折を乗り越えるための厖大な読書量と、さまざまな人々との出会いから生まれた。その成果は歴史研究の枠をはるかに凌駕してベストセラーを生み出し、さらにその影響力は文学や映像の世界にまで拡がっている。読者と同じ目線で歴史を学び、研究することの愉しさを教えてくれる一冊。<読む前の大使寸評>「もののけ姫」について宮崎駿との対談が載っているので、借りた次第です。rakuten歴史と出会う歴史と出会う3byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き154
2016.06.23
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図書館で『映画マニアの社会学』という本を手にしたのです。約20年前の本であるが、7人の著者の選んだ映画が、大使の好みとかぶるわけでおま♪【映画マニアの社会学】熊沢誠、他著、明石書店、1997年刊<「BOOK」データベース>より本書では、映画の魅力にとらわれてきた著者、映画ファン七人が、忘れられない作品をいくつか選んで、そのストーリーを、そのストーリーの描き方や演じ方を語った。そうすることを通して著者は、それぞれの関心領域である青春、さまざまなかたちの愛、女であること、老い、障害、教育、労働などについて論じている。<読む前の大使寸評>約20年前の本であるが、7人の著者の選んだ映画が、大使の好みとかぶるわけでおま♪rakuten映画マニアの社会学 『テルマ&ルイーズ』の映画評を見てみましょう。p15~176「普通の人たち」の映画:浅田修一より 『テルマ&ルイーズ』(1991年)の監督リドリー・スコットは、心底テルマとルイーズという二人の女が好きなのであろう。その思いに、テルマを演ったジーナ・デイビスもルイーズを演じたスーザン・サランドンも生き生きと応えていて、特にサランドンのウィトレスははまっている。 この映画に登場する男どもは、ちょっとましかと思わせる一人(警部)を除いてことごとく恥ずかしい。鈍感で野卑で自分勝手で暴力的で阿呆でけだもので小心でせこくて卑屈である。そんな男どもをなぎ倒すようにして、アメリカ中・西部の4州、アーカンソー州、オクラホマ州、ニューメキシコ州、アリゾナ州を66年型サンダーバード・カブリオーレで疾走してゆく二人の女はこれ以上ないほどに輝いている。 もちろん、一方にダメな男を配して、そのかかわり方においていい女を描くという映画はいくらもあった。けれども、その種の映画が描いたのは、その憐れをもよおすような男あっての尽くす女の健気さであり、そして、そのような女がある種の男たちにとっては随分と好都合であったという意味において、つまるところはまことに身勝手な男の映画であった。今、時代は、いくら何でもそこは通り過ぎているだろう。 この作品を、女たちの自立や開放に向けての、まことに溜飲の下がるフェミニズムの映画として喝采する人がいたとしても、その人(たいてい男だと思うけど)は随分フェミニズムを陽気に考えている人だとは思うけれども、それはそれでいい。 そして、そういう作品を肩肘張ることなく一編のおもしろい映画に仕立て上げてみせたリドリー・スコットの現代を見つめる目は確かだ。時代をよく見て、それを才気溢れる一編の映画に作るということを日本映画がしなくなって久しいだけに、この作品の現代感覚はうれしかった。 それにこの作品の絵の流れ方には実に快いリズムがある。音楽も大きな役割を果たしているが、やはり何よりもこの作家の絵画やグラフィック・デザインに対する強い関心と、20年近くもCMを作り続けてきた経験が生きている。(中略) この映画の快い流れはそういうところに足を止めさせない。つまりはフェミニズムのたたかいの場に向けて、威勢のいいチア・ガールの応援振りを撮っているだけのこの作品を、異様に持ち上げるのはよろしくない。私は、平凡な専業主婦とウェイトレスの、この上もなく痛快な「女たちの道中記」として、見事に時代と寝てみせたこの映画に存分に振り回され、つまるところは改めてスーザン・サランドンとジーナ・デイビスに惚れ直した。 こんな感じのヨイショ感想でいいのだろうか?と思うのだが・・・・映画評のプロとは言えない7人なんで、許されるのだろう。私もこの映画に期待したのは監督の映像美であったが・・・その脚本や物語性が光る作品となっていて、(いい意味で)見事にはぐらかされた思いがした作品でした。この著者が喝破したように、私は単なる陽気な男性フェミニストだったのかもね♪ちなみに遅ればせではあるが、くだんの映画フォームを作ってみました。【テルマ&ルイーズ】リドリー・スコット監督、1991年、米制作<Movie Walker作品情報>より旅の途中での偶発事件をきっかけに、鮮やかに自己を解放していく女性2人を描いた女だけのロードムービー。監督は「ブラック・レイン」のリドリー・スコット。製作はスコットとミミ・ポーク、脚本はカーリー・クォーリ、撮影はエイドリアン・ビドルが担当。出演はスーザン・サランドン、ジーナ・デイビスほか。<大使寸評>私もこの映画に期待したのは監督の映像美であったが・・・その脚本や物語性が光る作品となっていて、(いい意味で)見事にはぐらかされた思いがした作品でした。Movie Walkerテルマ&ルイーズ『映画マニアの社会学』1
2016.06.22
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図書館で『映画マニアの社会学』という文庫本を手にしたのです。約20年前の本であるが、7人の著者の選んだ映画が、大使の好みとかぶるわけでおま♪【映画マニアの社会学】熊沢誠、他著、明石書店、1997年刊<「BOOK」データベース>より本書では、映画の魅力にとらわれてきた著者、映画ファン七人が、忘れられない作品をいくつか選んで、そのストーリーを、そのストーリーの描き方や演じ方を語った。そうすることを通して著者は、それぞれの関心領域である青春、さまざまなかたちの愛、女であること、老い、障害、教育、労働などについて論じている。<読む前の大使寸評>約20年前の本であるが、7人の著者の選んだ映画が、大使の好みとかぶるわけでおま♪rakuten映画マニアの社会学 『真夜中のカーボーイ』の映画評を見てみましょう。p174~176映画のなかの労働者像:熊沢誠より 宿無しのジョーは、仕方なく、再会したリコと崩壊したビルの一室で同居を始める。足の悪いリコが、逞しいけれど無知なにせカーボーイの、地獄を生きる案内人となってゆく。厳寒の日、二人が奇妙なダンスで暖をとるシーンのユーモアがすごい。リコは肺をひどくやられている。彼の生涯の夢はマイアミに行くことだ。 ふとしたことから、はじめての上客となる裕福な若婦人がみつかった。しかし、やっとの思いで・・・というのはリコの病状が心配ではじめて一時的な不能に陥るからだが・・・つとめを果たして帰ったジョーは、そこに瀕死のリコを見て打ちのめされる。彼は、街で声をかけてきた出張中のホモのビジネスマンにわけもなく怒りを覚え、金を奪った。そして、ぼろくずのようなリコを抱きかかえてマイアミ行きのバスに乗り込む・・・。このバスの道行きは、アメリカ映画史上でも最も美しいラストシーンの一つだと思う。忘れられない。 みんなが軽蔑的にそう呼ぶように「ラッツォ」と言うな、リコと呼べ、けれどもマイアミに行けるのにもう小便をたれ流し、情けないよと、リコはすすり泣く。マイアミに近づくころ、ジョーは、あの帽子や長靴といったカーボーイファッションをあっさりとくずかごに捨ててしまう。「アパートの鍵貸します」の主人公たちが、それぞれの帽子を捨てたように。そしてバスに戻って、リコに買ってきた「椰子の模様の」アロハシャツを着せ、口ごもりながら言う・・・俺は別の仕事をみつける、戸外労働がいいな。しかし、その声はもうリコに届かない・・・。 都会の影を這う「最低の奴」だった「ねずみ」が、この世で唯ひとりのわかちがたい仲間だった。その自覚とともに、おろかだったにせのカーボーイは、ようやく幻想を脱してみごとな成熟に歩んでゆく。そしてこの見るべきほどのことを見た者の選択は今、地味なに向かう。 そんなことに気付くのが遅すぎた若者のかなしみ。とはいえ、ある喪失に耐えてついには成熟を引きうけるにいたる人間というもののすばらしさ。それらの入り混じる思いが胸奥からつきあげてくる。 ゆたかな国アメリカは、つねにその底辺に数多くのリコやジョーを生み出している。さまざまの理由から、現在の日本では若者が「」ことは稀かもしれない。渋谷などを歩く若者たちを眺めていると、みんな結構・・・若者は結構ということばが好きだ・・・うまくやっているかに見える。けれども、にせものでも「結構売れる」という幻想に賭けて、ともに生活を守る仲間を欠いたまま、さしあたりとはいえぬ現代的なに日を送る若者たちも結構ふえているのではないか。 『真夜中のカーボーイ』は、そんな彼ら、彼女らが、あるとき不安を感じたらぜひ見てほしい一遍である。なおこの「暗い」作品は、アカデミー作品賞、監督賞、脚本賞に輝く。なるほど、映画評はこのような視点で書くものなのか・・・底辺の友情ていどにしか捉えていなかった大使は、その貧弱な感想を恥じるわけでおます。ちなみに遅ればせではあるが、くだんの映画フォームを作ってみました。【真夜中のカーボーイ】ジョン・シュレシンジャー監督、1969年、米制作<Movie Walker作品情報>より「ダーリング」「遥か群衆を離れて」のジョン・シュレシンジャー監督による異色作品。虚飾の大都会ニューヨークの混沌から、必死に浮かび上がろうとする2人の若者の物語。ジェームズ・レオ・ハーリヒーの作品を、ウォルド・ソルトが脚色した。撮影はコマーシャル出身のアダム・ホレンダー、音楽はジョン・バリー、編集はヒュー・A・ロバートソンが担当。製作にはジェローム・ヘルマンが当たっている。出演は「卒業」でスターとなったダスティン・ホフマン、舞台出身のジョン・ヴォイト。<大使寸評>底辺の友情ていどにしか捉えていなかった大使は、その貧弱な感想を恥じるわけでおます。ちなみに、ジョン・ヴォイトといえば・・・・今をときめくアンジェリーナ・ジョリーの父親なんですね。Movie Walker真夜中のカーボーイyoutubeMidnight Cowboy end
2016.06.22
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図書館で『中国を考える』という文庫本を手にしたのです。司馬遼太郎と陳舜臣との対談ということだが・・・・同年輩で、ともに関西出身のお二人の対談は、なかなかいい雰囲気やでぇ♪【中国を考える】司馬遼太郎, 陳舜臣著、文藝春秋、2013年刊<「BOOK」データベース>より古来、日本と中国は密接な関係を保ってきた。だが現実には、中国人は日本にとって極めて判りにくい民族なのではないか。ぶつからないためには理解すること、理解するためには知ることー両国の歴史に造詣の深い二大家が、この隣人をどのように捉えるべきか、長い歴史を踏まえて深く思索する中国論・日本論。【目次】第1章 東夷北狄と中国の二千年/第2章 近代における中国と日本の明暗/第3章 日本の侵略と大陸の荒廃/第4章 シルクロード、その歴史と魅力<読む前の大使寸評>同年輩で、ともに関西出身のお二人の対談は、なかなかいい雰囲気やでぇ♪rakuten中国を考える 宋のナショナリズムや尊皇攘夷あたりを見てみましょう。p66~69復古主義の罠にかかってはいけないより司馬:国民党政権のリーダーだった汪兆銘が日本に寝返ったということが、歴史的謎だけど、汪兆銘氏と蒋介石氏の話し合いがあったともいわれる。その工作に参加した人に、のちに少将になった日本陸軍の経理部の将校がいるんですね。(中略) 旧軍人にしてはめずらしくしっかりした文章で、自分の体験でありながら、ちゃんとした学問の雰囲気を持った回顧録なんですね。その回顧録には、そのときに関係した中国のジャーナリストとの対談を巻末に付録として載せている。汪兆銘は蒋介石と黙契があったでしょうかということが中心なんだけれども、その中で、その古いジャーナリストが、中国において対外問題を語るときに、言論の自由は秦檜、岳飛の事件以来、他の文明国ほど自由はないんです、と言っているんです。これは重要なことやな。 宋が異民族の帝国である金に追われて、揚子江以南に逃げ、そこでか細く余命を保っている。読書人も北から逃げて、官吏も北から逃げて、そこで強烈に起こってくるのは、異民族の害からわれわれ漢民族は立ち上がらなきゃならない、という考えですね。尊王攘夷という言葉がこの時代に成立する。 もともと中国と言うのは、唐の時代にはあれだけ国際的精神を持っていた。つまり中国文明に参加してくるものは、目の色が変わろうと、皮膚の色が変わろうとよろしい、官吏になりなさい、ということでしょう。陳:安禄山もそうですね。パミールで戦った唐の将軍高仙柴は朝鮮です。阿倍仲麻呂も中国で高官になった。司馬:安禄山もむろんそうです。異民族をも取り込んでいく、という体質はローマ帝国にも多少あったかもしれないけれども、唐の長安の雰囲気ほどの大国際性はなかったと思う。いまでいえばアメリカやね。 アメリカでも、アングロサクソン優位がある。唐の長安でも、気分として漢民族優位があったかもしれないけれども、要するにキッシンジャーみたいな人はいくらでも採用されていた(笑)。それが時代がうんと下って、異民族が華北を制して、宋が揚子江以南に逃げた時期では異民族はよくないという排外思想がはじめて起こる。それまでは自分たちの住んでいるところは宇宙そのものだと大らかに思っていたわけですからね。つまり文化意識が中心だった。これは当然のことですわね。しかし宋がその故地をすててから強烈なナショナリズムが起こる。そしてそれが宋学になるわけでしょう。 宋学というイデオロギーには、基本的な大事件というものがむろん基礎にあるわけだ。それが金と妥協したのは秦檜であり、金に対してあくまでも抗戦したのは、育ちは悪いけれども武人であった岳飛である。岳飛はたいへんな忠臣であって、秦檜はどうしようもない漢奸である。秦檜は、僕らの東洋史の教科書に写真が出ていたけれども、石像になっていて鎖で括られている。これが宋学を生み、民族主義を生み、それが日本に影響を与えて、後醍醐天皇以来、宋学好きになり、明治維新のムードは尊皇攘夷になる。 つまり揚子江以南に、遠き昔に逃げて来て、南宋で起こった民族主義思想が、はるか後代で日本に影響をもたらすわけだけれども、中国でもむろんその影響は続いていて、うかつに対外問題を論ずると漢奸になると、その人は言うわけですよ。 これは体験者が言う言葉だから、自然言葉の範囲が狭いわけだ。ですからわれわれがこれをそのままとって中国問題を論ずるわけにはいかない。しかし、この言葉を読んだとき、僕は目からウロコがおちるような気がしたな。まあ、文明というのは、お互いに人類共通のものだけれども、ほんとうを言えば、やがて国や民族がはずれていくんだろうけど、それまでは過渡期としてこういう話になるんだろうね。陳:歴史のいろんな滓がたまって、ちょっと見ただけでは、なかなか大へんだという気がするけれど、僕はこの過渡期というのが、あんがい短いのではないかと予想するね。滓なんぞ洗い流すのは、そんなに難しい仕事じゃない。復古主義の抵抗はあるだろうが、歴史の流れは変えられるものじゃない。流れが大きくなると、勢いもつよく速くなりそうだ。中国の批林批穴もこの復古主義にたいするパンチだろう。歴史を研究するにも、復古主義の罠にかかってはいけない。歴史はそこから、教訓をとり出すべきもので、そこへ戻っちゃなんにもならないと思う。戻りたいような魅力のある時代が、ほんとうにあるだろうか?僕はなかったと信じるね。司馬:僕が中国人であっても、心からそう思う。住民にとっていい時代などはなかった。『中国を考える』1
2016.06.21
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元町の古書店に冷やかしで入ったのだが、「特集=西原理恵子」のコピーが踊る『ユリイカ(2006年7月号)』を見っけ。なんとこれが美麗な状態で500円(定価1300円)という優れモンでおました♪【ユリイカ(2006年7月号)】ムック、青土社、2006年刊<商品情報>より特集=西原理恵子<読む前の大使寸評>元町の古書店でゲットしたのだが、美麗な状態で500円(定価1300円)という優れモンでおました♪amazonユリイカ(2006年7月号) この特集の目玉がサイバラとみうらじゅんの対談であるが、対談の一部を見てみましょう。p72~73ジャンルがないより西原:私らは垢抜けないのかな?みうら:やっぱ出が悪い。 西原:子供の頃の花いちもんめで最後まで残っちゃったり、班を作ったらクラスでもトップクラスのぼんやりした子と一緒に最後まで余ってたような、本当に冴えない子供だったの、私(笑)。みうら:いい意味ではないけど、ジャンルがないタイプだから。花いちもんめで取られていく人というのは、体育会系とか文科系とかってジャンルがあるのに、こっちはない。「系」を作らないと。西原:私は自分のこと「隙間商品」って言ってる。みうら:それじゃリリーさんのジャンルの隙間にもっと入っていくように努力しないと。西原:ムチャムチャ努力してるよ、気持ちだけだけど(笑)。毎晩ちゃんとひがんでるし。みうら:「あ、西原、確実にリリー・フランキー狙っていったな」ってことがわかるようにしてよ。『東京ドーム』とか、「東京」ってつくやつ描いてくれなきゃ(笑)。 西原:『ONE PIECE』とかそういう大ブレイクしているマンガの世界と比較したら、私達同じマンガでも貨幣通貨が違うよね。みうら:オレら石でできたやつを持ってるでしょ、『ハジメ人間ギャートルズ』みたいなレベルじゃん。西原:ボリビアの通貨とアメリカのドルでは違いますわよね。だからこそ最後に北朝鮮になって爆発したいとかあるじゃないですか。毛沢東じゃないけど「バッタもんの中から幸せになれる者は幸せになれ」と思ってたのに、実際に他人がなったらこれがまた憎いんだ(笑)。みうら:やっぱりバッタの中でも最後は殿様バッタになりたいよな。だけど、西原さんは最後にやりそうな気がするよ。西原:でも50近いよ。みうら:それはオレの方じゃん(笑)。オレはやらないけど、説教するから。今もう説教モードに入った。 西原:私もよく後輩を説教するなあ。みうら:あれ、楽しいんだよ。自分ができなかったことをバンバン言うと、スカッとするんだよね。同い年の奴は説教し甲斐がない。でも20代とか30代は新しい脳があるから、ずーっとオレの考え方をフレッシュな脳に残していきたいと思ってるんだ(笑)。西原:うちの息子にこの間『ナルニア国物語』を見せた後に『クレヨンしんちゃん』を見せたら、『ナルニア』がところてんみたいにボタッと落ちた。「『ナルニア』どうだった?」って聞いたら、「扉開けたところまでは覚えてんだけどねぇ・・・」だって(笑)。 ああそうか、まだ8歳の脳味噌には二本立てはキツかったんだな、ということがわかった。若者の脳ってのは、いいかもしれないね。みうら:似たような道を目指してる奴を見つけて、どんどん吹き込むわけ。そいつがまた語れば、いつかは伝説になる(笑)。西原:いや、私は語って教える気はないね。みうら:金か。西原:富は一手に集めないと。この本も鳥頭ワールドR1に収めておきます。
2016.06.21
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図書館で『「中国の夢」は100年たっても実現しない』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、米中という二大覇権国の闇を探っているようで・・・・単なる嫌中本ではない、ピリッとした予感がする本でおます。【「中国の夢」は100年たっても実現しない】山田順著、PHP研究所、2014年刊<「BOOK」データベース>より“人民目線”から見た不満と不安…。これでも「世界の成長センター」なのか?度重なる現地取材を通じて彼の国の悲惨な実態をリポート。<読む前の大使寸評>米中という二大覇権国の闇を探っているようで、単なる嫌中本ではない、ピリッとした予感がする本でおます。rakuten「中国の夢」は100年たっても実現しない 読みどころが多い本であるが、中国における反日教育のあたりを見てみましょう。p168~171反日映画・ドラマに洗脳された哀れな若者たちより 私が思うに、私たちの世代の中国人は、子ども時代に大躍進運動で苦しめられ、さらに文革で吊るし上げられた記憶が生々しいので、反日感情はそれほどでもない。むしろ、北京を恨む、憎む感情のほうが強い。共産党の中枢にいて権力の旨味を味わってきた人間をのぞいて、北京を好きな人間は少ない。 ただし、いまの若い世代、とくにバーリンホウ(80後:80年代生まれ)、ジュウリンホウ(90後:90年代生まれ)となると、反日教育を受けすぎていて、反日感情を強く感じるときがある。 日本の漫画にはまっているような若者たちはそうでもないが、日本人をドラマや映画でしか知らないと、この傾向が強くなる。なにしろ、中国では大量の反日映画・ドラマがつくられていて、テレビをつければどこかのチャンネルで必ずやっているのだ。 反日映画・ドラマのストーリーと登場人物は決まっている。日本人は軍服姿にサーベルをさげ、純真無垢の中国の農民を拷問にかけたり、惨殺したりするのである。まさに悪の権化で、それ以外の日本人は登場しない。日本の時代劇やアメリカの西部劇で悪役が決まっているように、中国の映画・ドラマでは、日本人が悪役と決まっているのだ。そして、悪役の日本人から民衆を守るのが日本軍と戦った八路軍や新四軍の兵士たちである。 2013年、中国では、制作されたテレビドラマの約7割が戦争をテーマとしていて、当局は反日ドラマを69本、映画を100本認可している。第3章で述べたように、中国では映画やドラマはすべて当局によって検閲されるが、反日映画・ドラマだけはほとんどスルーである。だから、製作者は反日映画・ドラマばかりをつくる。 反日映画の初期の代表作とされる1965年制作の『地道戦』は、これまでに約20億人が視聴したとされる。 チャンイーモウ監督のデビュー作で国際的に高い評価を得た『紅いコーリャン』でも、日本軍の残虐非道ぶりは描かれている。主演のコン・リーは日本軍に殺されてしまうし、日本軍が村の肉屋に囚人の生皮をはがせるシーンがある。 このような反日映画・ドラマばかりを子供のころから見せられてきたら、「日本=悪」というイメージになるに決まっている。 しかも、いまや反日は、若者たちにとって受験勉強の一つだ。「柳条湖事件はいつ起こった?」に「1931年9月18日」と答え、「日本が不法に領有権を主張している東シナ海の島は?」に「釣魚島」と答えなければならない。 しかし、それに正解して大学に行き、やっと卒業しても、まともな仕事に就けない。そうなると、自分のアイデンティティを祖国と同化させるしかなくなる。こうして彼らは、『新浪微博』(中国のマイクロブログ)などに、反日の書き込みをするようになる。 このような中国の若者と、日本の「ネトウヨ」若者の背景とメンタリティは同じである。 政府がいくら洗脳しようと、実際のところ、多くの中国人は日本が好きである。そうでなければ、これほど多くの中国人が日本に観光にやってこないだろう。いまは、銀座にしても浅草にしても、東京の街中を歩けば中国人観光客を見かけない日はない。(中略) いまや、中国人観光客は、内需不振で景気の低迷を続ける日本にとって、上得意客である。実際、彼らのおカネの使い方は半端ではない。いまや、デパートの高級ブランド品は彼らの旺盛な消費に支えられていると言っていい。たとえば、タグホイヤーやパティック・フィリップなどの高級時計をまとめ買い、大人買いなのだ。 中国人観光客を嫌う日本人は多い。なにしろマナーが悪いし、団体でやってきては大声でしゃべりまくる。しかし、これは約半世紀前に、海外旅行時代が訪れたとき、日本人が海外でしていたことである。 だから彼らはまだその段階なのかと寛容になり、おカネを落としてくれるのだから、歓迎するしかない。それに、彼らは素直に日本のよさを認めてくれる。というか、実際に日本を見れば、認めざるを得なくなる。ここで、著者の対米認識を見てみましょう。p231~234■「アメリカが弱体化している」は一時的な偽装 政治学者や政治アナリストたちは、すでにオバマ大統領はレームダック化していると言う。実際、アメリカ国内での支持率も低迷している。しかも、最近の世界情勢は日ごとに混迷している。だから、「もはやアメリカは、世界をリードできないのではないか」と言い出している。この日本でも、そういうことをオームのように言う専門家が多くなった。 たしかに最近のアメリカは、シリア」、ウクライナ、そしてイラクと、世界の紛争にまったくと言っていいほど介入しなくなった。その結果、シリアでは内乱が続き、ウクライナではマレーシア航空機が撃墜され、イラクではイスラム過激派が台頭し、イスラエルとパレスチナ間の軍事紛争も治まる気配がない。 このアジアにおいても、中国の台頭が続き、ベトナム、フィリピン、そして日本との領土紛争が激化している。 オバマ大統領自身も、2013年9月のシリア情勢悪化では武力行使をあっさり捨て、「アメリカは世界の警察官ではない」と言い切ってしまった。 だから、ロシアのプーチン大統領も、中国の習近平主席も強気の姿勢を崩さない。 しかし、アメリカの弱体化は本当なのか?わざとそう見せているだけで、現在は一時的な偽装ではないのか。私はそう思っている。なぜなら、アメリカの権力中枢は、アメリカが世界覇権を捨てることなど考えていないからだ。彼らはこれまで一度たりとも、そんなことをしようとしたことはない。 現在のアメリカは、復活のために力を蓄えているだけに過ぎない。そのようにしか、私には見えない。 なぜ、私がそう考えるのか? それは、現在、アメリカでは「シェールガス革命」「イノベーション革命」が大きく進展しているからだ。 アメリカはいまも三つの強力な「武器」を持っている。一つは、いまだにどの国も勝てない強大な「軍事力」。もう一つが、世界経済をコントロールできる「エネルギー支配力」。三つ目が同じく世界経済を支配できる「イノベーション力」である。そして、これらを支える豊富な人材もある。 このうちの「軍事力」は説明するまでもないので、「エネルギー支配力」と「イノベーション力」について述べてみたい。■エネルギー輸入国から資源大国への大転換 つい先頃まで、シェールガス革命には半信半疑の部分があった。私も「シェールガス革命」と思ってきた。しかし、最近のアメリカの動きを見ると、シェールガス革命は、どうやらホンモノではないかと思うようになった。 ここで話は飛ぶが、日本がアメリカ相手に太平洋戦争に踏み切ったのは、アメリカから石油供給を止められたことが大きな原因であった。戦前の日本は、アメリカからの石油の供給がなければ成り立たない国家だった。 つまり、戦前のアメリカはエネルギー輸出国だったのである。 しかし、戦後、中東での石油開発が進み、安くて良質な原油が産出されるようになると、アメリカはエネルギー輸入国となり、それに伴い、中東を支配する必要に迫られた。こうして、アメリカは中東諸国に次々に介入し、石油をドルにペッグさせて、今日まで世界制覇を維持してきた。つまり、アメリカの世界支配にとって、中東は生命線だった。ちなみに、現在の日本も、石油の9割を中東からの輸入に頼っている。だから、中東は日本にとっても生命線である。 ところが、この中東の石油を、シェールガス革命によって、アメリカが必要としなくなる可能性が高まってきた。もし、シェールガスが石油にとって代われば、アメリカは中東に権益を確保する必要はなくなる。イラクの親米政権を支える意味はなく、第5艦隊をバーレーンに置く意味もなくなる。 安倍首相は、集団的自衛権の議論で「ホルムズ海峡での機雷掃海作業」を挙げた。しかし、それは湾岸戦争時代の発想で、もはや時代錯誤だ。アメリカがいなくなる中東が近い未来に出現するとしたら、まったく意味がなくなる。 シェール層は、北米の全域に広がっていることが、最近までに確認されている。アメリカ、カナダのかなりの部分に、シェール層は広がり、そこに埋蔵されている石油や天然ガスは、アメリカのエネルギー消費量の100年分を超えるとまで言われ出している。 となると、アメリカは世界最大のエネルギー輸入国から、資源大国に転換することになる。その分岐点は、遅くとも2020年には訪れるという。『「中国の夢」は100年たっても実現しない』1
2016.06.20
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図書館で『「中国の夢」は100年たっても実現しない』という本を手にしたのです。パラパラとめくってみると、米中という二大覇権国の闇を探っているようで・・・・単なる嫌中本ではない、ピリッとした予感がする本でおます。【「中国の夢」は100年たっても実現しない】山田順著、PHP研究所、2014年刊<「BOOK」データベース>より“人民目線”から見た不満と不安…。これでも「世界の成長センター」なのか?度重なる現地取材を通じて彼の国の悲惨な実態をリポート。<読む前の大使寸評>米中という二大覇権国の闇を探っているようで、単なる嫌中本ではない、ピリッとした予感がする本でおます。rakuten「中国の夢」は100年たっても実現しない 読みどころが多い本であるが、宇宙技術、中国の摸倣技術のあたりを見てみましょう。p194~198■摸倣技術をバカにする者は摸倣に敗れ去る 「ものづくり大国」を自称する以上、独自技術にこだわるのは間違っていない。しかし、その結果、「摸倣技術」(コピー)をバカにすると大変なことになるのは、日本のエレクトロニクス産業が半導体やテレビなどで陥った「半導体・家電敗戦」を見れば明らかである。 いまはもうこの風潮は少なくなったが、10年ほど前は、日本の宇宙開発関係者はみな、中国の摸倣ロケット、宇宙船をバカにしていた。漫画やキャラクターグッズ、ブランド品、家電製品のパッチものと同じように、ロケットや宇宙船を見ていた。が、中国の摸倣技術のすごさは、いまや宇宙技術にまで達してしまったことを、私たちは認識する必要がある。 昔は、人工衛星を摸倣することなどできっこないと思われていた。実際、旧ソ連からの技術供与が受けられなくなっていたので、中国が本格的な宇宙開発をすることなどできるわけがないと誰もが思っていた。 この辺の状況を踏まえて、私が懇意にしている科学ジャーナリストは次のように言う。 「日本の技術者たちは“きれいに勝たなければ意味がない”という思い込みが強すぎますね。だから、なんでも自分たちでやり遂げようとする。しかし、これを続けると、“勝つためには手段を選ばない”というところには必ず負けます」 まさに、中国とはそういう国である。 そしていま、さらに日本にとって深刻な問題が起こっている。それは、中国が摸倣技術で宇宙船まで開発できたことで明らかなように、宇宙技術でさえ「コモディティ化」が進んでいることだ。 現在、宇宙開発の民営化が急ピッチで進行している。 人類の月面到達が半世紀にわたって中止されているにもかかわらず、宇宙旅行はどんどん身近なものになっている。いまや、国家に代わって、民間の宇宙産業が個人の宇宙旅行を募集する時代になった。 実際、ISSにも民間企業が参加している。たとえば、2013年9月には、アメリカの民間宇宙開発企業オービタル・サイエンシズ社が、無人補給船「シグナス」を搭載したロケット「アンタレス」を打ち上げた。シグナスは国際宇宙ステーション向けの食料など680キロの物資を積んで、ISSへのドッキングに成功している。このように、アメリカでは、スペースシャトル計画の終了後から、宇宙開発の民営化を急ピッチで進めてきた。 なぜ、このようなことが起こったのだろうか? それは、前記したように、コンピュータとIT技術の進展により、宇宙技術でさえコモディティ化したからだ。家電がコモディティ化したのと同じ理由で、宇宙技術や軍事技術も誰もが利用可能になり、ロケットまでつくれるようになった。いまや北朝鮮ですら核ミサイルをつくれるのだ。 その結果、現在では新興国までも宇宙開発を手がけている。昔は、アメリカ、旧ソ連、欧州、日本などが独占してきた宇宙開発を、いまや、中国、韓国、インド、ベトナムなども行っている。だからアメリカは、NASAには火星探査など難易度の高いプロジェクトに専念させ、ISSを国際協力型のプロジェクトにしてきたのである。 もはや宇宙開発技術だけで、他国をリードできる時代ではなくなったと言える。技術の価値は低下し、それよりも開発、誘導、管制、オペレーションといったほうの価値が高くなった。 ■家電産業と同じ道をたどりそうな日本の宇宙産業 ソニーがアップルの下請けになり、シャープがサムスンに液晶パネルを納入するというようなことが、宇宙技術でも起こる可能性がある。実際、前記した無人補給船シグナスには、日本製の通信システムが採用されている。(中略) 実際のところ、ここまで優れた宇宙技術を擁してきたことを考えると、日本の宇宙産業には、もっと数多くのプレーヤーが活躍していいはずである。アメリカのように多数の民間宇宙産業が、開発をサポートしている姿が理想的だ。さもなければ、中国のような国の威信を懸けて国家社会主義によるプロジェクトの道しかない。 これまで述べてきたように、日本が積極的に宇宙開発をできない理由を、開発関係者は「国が認めてくれない」と言い、国は「アメリカが認めてくれない」と言ってきた。しかし、そんな時代はもうはるかに過ぎた。 日中が史上最悪の関係悪化状況に突入しているなかで、中国は月での覇権獲得を目指して、国家の威信を懸けて宇宙開発を続けている。東シナ海という地上の一地域での覇権争いに、なんの意味があるのだろうか? 現在、日本はアメリカの同盟国として、アメリカの「核の傘」の下で平和を維持している。しかし、宇宙に「核の傘」などない。宇宙を考えたとき、現在の集団的自衛権にどんな意味があるのだろうか? 今後も日本は「アメリカと常に提携して宇宙開発を進めていく」・・・それ以外の選択肢はないのかもしれない。しかし今後は、日本独自の宇宙開発を視野に入れ、常に複数の選択肢を用意しておかなければ、宇宙における覇権争いの時代には対応できないだろう。2020年の東京オリンピックに対抗して、中国は有人宇宙船による月面着陸を企てているそうで、これはかなりの確率で実現できるとの見方が有力とのこと。一方、日本の宇宙開発のヴィジョンと言えば・・・原発政策と同じで、突き詰めてゆけば「アメリカの壁」に突き当たるわけです。そこで、政治家も官僚も腰がくだけるというか、思考停止してしまうわけで・・・はがゆい思いをする大使でおます。
2016.06.20
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図書館に予約していた『限界費用ゼロ社会』という本をゲットしたのです。シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。【限界費用ゼロ社会】ジェレミー・リフキン著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より いま、経済パラダイムの大転換が進行しつつある。その原動力になっているのがIoT(モノのインターネット)だ。IoTはコミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないという。 代わりに台頭してくるのが、共有型経済だ。人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい社会が21世紀に実現する。世界的な文明評論家が、3Dプリンターや大規模オンライン講座MOOCなどの事例をもとにこの大変革のメカニズムを説き、確かな未来展望を描く。21世紀の経済と社会の潮流がわかる、大注目の書!<読む前の大使寸評>シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。<図書館予約:(1/28予約、6/16受取可)>rakuten限界費用ゼロ社会 この本の結論のようなくだりを、第1章の冒頭あたりで見てみましょう。p9~11市場資本主義から協働型コモンズへの一大パラダイムシフトより 資本主義は今、跡継ぎを生み出しつつある。それは協働型コモンズで展開される、共有型経済だ。共有型経済は19世紀初期に資本主義と社会主義が出現して以来、初めてこの世に登場する新しい経済体制であり、したがって、これは瞠目すべき歴史上の出来事と言える。 協働型コモンズは、所得格差を大幅に縮める可能性を提供し、グローバル経済を民主化し、より生態系に優しい形で持続可能な社会を生み出し、すでに私たちの経済生活のあり方を変え始めている。 どの親子もそうだろうが、これら二つの経済体制もおおむね協力し合うとはいえ、互いに反目することもある。そして、親である資本主義は、我が子を養育し、成熟させてやらねばならないものの、子供のほうも、親子関係が発展するなかで親のあり方を変えてゆく。 資本主義は、共有型経済を発達を支える新たなビジネスモデルやビジネス手法を生み出せるかぎり、存在し続け、我が子とともに生きてゆくことができる。実際、私たちはすでに、一部が資本主義市場、一部が協働型コモンズにおける共有型経済という、ハイブリッド経済の出現を目の当たりにしている。 だが、今そのごく初期の段階にあってさえ、しだいに明らかになってきていることがある。それは、10世代以上にわたって人間の本性に関する説得力のある物語を提供し、商業や対人関係や政治といった面で日々の社会生活を支える包括的な構成体系を維持してきた資本主義体制が、すでに頂点を極め、徐々に衰退し始めているという事実だ。 新たな経済体制への転換の指標はまだ漠然としていて、事例が散見される程度だが、協働型コモンズにおける共有型経済は上げ潮に乗っており、2050年までには世界の大半で、経済生活の最大の担い手となる見込みだ。ますます合理化してゆく抜け目ない資本主義体制なら、おもにネットワークサービスとネットワークソリューションの情報収集・提供業者として、新しい経済の辺縁で栄え続け、新体制内の弱点を見つけてはそれにつけ込み、強力なニッチプレイヤーとして繁栄できるだろうが、君臨することはもはやない。 私たちは部分的に市場を超越した世界へと移行しつつあり、しだいに相互依存の度合いを高めてゆくグローバルな協働型コモンズでともに暮らす術を学んでいるのだ。 たいていの人には、これがまったくもって信じ難いことなのは承知している。私たちは、資本主義は空気と同じで自らの存続には不可欠であるという考え方にすっかり染まっているからだ。実際、哲学者や経済学者は何世紀にもわたり、自然を統べるものと同じ法則を使って経済パラダイムの稼動ロジックを説明しようと手を尽してきた。だがそうしたパラダイムは、じつは自然現象ではなく人間の手になるものなのだ。 経済パラダイムとしては、資本主義は目覚しい成功を収めてきた。その歴史は、過去の経済パラダイムよりは比較的短くはあるが、良きにつけ悪しきにつけ、それが人類の歩みに与えた影響は、おそらく他のどんな経済パラダイムよりも劇的で広範に及ぶものだったと言っても差し支えないだろう・・・狩猟採集生活から農耕生活への移行を除けば。 皮肉にも、資本主義の衰退は敵対勢力の手によってもたらされつつあるわけではない。敵の大軍が表門に押し寄せ、資本主義の殿堂の壁を今にも打ち崩そうとしてなどいない。まったく逆だ。 資本主義体制を蝕んでいるのは、それを支配している稼動ロジックそのものの劇的な成功の結果にほかならない。資本主義はその核心に矛盾を抱えている。資本主義を絶頂へと果てしなく押し上げてきた、ほかならぬその仕組みが、今やこの体制を破滅へと急激に押しやっているのだ。フムフム、世界は共有型経済に変わってゆくのか・・・・著者は経済パラダイムの大転換を述べているが、その揺るぎない自信がすごいと思うわけです。「限界費用」が出てくるあたりを見てみましょう。p13~14資本主義の凋落より こんな筋書きを想像してほしい。資本主義体制の稼動ロジックが、あらゆる人の想像を絶するまでの成功を収め、この競争過程の結果としてこれ以上ないというほどの「極限生産性」に、そして経済学者が「最適一般福祉」と呼ぶものに至るとする。 それは、資本主義経済の最終段階において、熾烈な競争によって無駄を極限まで削ぎ落とすテクノロジーの導入が強いられ、生産性を最適状態にまで押し上げ、「限界費用」、すなわち財を一単位追加で生産したりサービスを一ユニット増やしたりするのにかかる費用がほぼゼロに近づくことを意味する。 言い換えれば、財やサービスの生産量を一ユニット増加させるコストが実質的にゼロになり、その製品やサービスがほとんど無料になるということだ。仮にそんな事態に至れば、資本主義の命脈とも言える利益が枯渇する。 市場交換経済では、利益は利鞘の形で得られる。たとえば、私は作家として自らの知的仕事の成果を出版社に売り、前払い金と、将来は印税を受け取るのだが、原稿が本となって最終的な買い手に行き着くまでには、外部の原稿整理編集者や製版業者、印刷業者、卸売業者、運送・倉庫業者、小売業者の手を経る。この過程に携わる者がそれぞれ、自らの仕事に見合うだけの利幅をコストに上乗せする。 だが、書籍の製造と流通の限界費用がほぼゼロまで急落したらどうだろう?じつは、これはすでに起こりつつある。しだいに多くの作家が、出版社や編集者、印刷業者、運送・倉庫業者、小売業者を迂回して、作品をインターネットにアップし、非常に廉価で、あるいは無料で、入手可能にしている。 一冊一冊の販売と流通のコストはゼロに近い。コストは作品を生み出すのにかかった手間と、コンピューターを使用してインターネットに接続する料金に限られる。電子書籍は限界費用がほぼゼロでの製作・流通が可能なのだ。
2016.06.19
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<『知の武装』>図書館で手嶋龍一, 佐藤優著『知の武装』という本を手にしたのです。とにかく、昨今の大陸的策動に対しては、インテリジェンスで武装するしかないのかも。【知の武装】手嶋龍一, 佐藤優著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より ニュースを鵜呑みにしていては、深層はつかめない。激流の世界で勝つには「知性(インテリジェンス)」が必要だー東京五輪と尖閣の関係、安倍首相の真の評判、シリアを左右したスノーデン事件の「倍返し」、中韓領土問題の奥の手、北朝鮮写真に隠されたメッセージ… 日本最強の外交的知性がその情報力と分析力を惜しみなく披露。最新情勢の解読法から諜報の基礎知識までを解説した、武器としてのインテリジェンス入門。<読む前の大使寸評>とにかく、昨今の大陸的策動に対しては、インテリジェンスで武装するしかないのかも。rakuten知の武装尖閣問題のあたりを見てみましょう。p114~117攻める習近平、怯むオバマより手嶋:2010年9月に尖閣沖で中国漁船が日本の巡視船に体当りを敢行し、中国人船長が逮捕された事件の直後には、ニューヨークで日米外相会談があり、その席上で、ヒラリー・ローダム・クリントン国務長官(当時)が、「日本が実効支配している尖閣諸島に中国が武力で手をつけるようなことがあれば、アメリカは日米安保条約第5条に基いて武力発動の用意がある」ことを明らかにしています。冷戦の終結後、日本の安全保障に関わる最も重要な発言と言っていいでしょう。佐藤:中国政府にとっては、尖閣に手をつければ、アメリカと戦争になると覚悟せざるをえなくなった。オバマ政権の国務長官、国防長官、国家安全保障担当大統領補佐官がそれぞれ訪中するたびに、中国側はこの「クリントン見解」をなんとか切り崩そうと術策の限りを尽くしたのですがダメでした。さしもの中国も、無人島をめぐってアメリカと干カを交える覚悟は持てないですよ。これこそ抑止力の本質です。手嶋:中国は海洋監視船を尖閣諸島周辺に出没させていますが、海兵隊部隊を尖閣諸島に上陸させないのも、「クリントン見解」でアメリカ側が武力行使の構えを明確にしているからです。ところが、今回の米中首脳会談で、オバマ大統領は、日本の施政権にも日米安保5条にも、はっきりとは触れようとしませんでした。佐藤:安部総理も心配になったんでしょう。会談の後、オバマ大統領に直接電話をかけ、30分以上にわたって会談の機微に触れる部分を問い質したらしい。手嶋:オバマ大統領は、同盟国である日本側の懸念は痛いほどわかっています。アメリカが内々にでも厳しい姿勢を中国側に伝えていたのなら、オバマ大統領は安部総理に充分に説明していたはずです。しかし、納得のいく説明はついに聞かれずじまいでした。佐藤:このような重要会談が行われたときは、会談の詳細な内容を、国務省の担当官が現地ワシントンの日本の大使か行使に伝えるのが慣例です。これを外交用語でデブリーフィングというのですが、これを基に打電された公電にも、オバマ大統領が尖閣問題で日本の立場を踏まえて毅然とした姿勢をとったことを示す内容は記されていませんでした。 中国共産党は、習近平を新しい総書記に選ぶ2012年11月の全国代表大会で「海洋権益を断固として守り、海洋強国を建設する」という表現を大会報告に盛り込みました。中国はこれまで膨大な人数の陸軍を擁する紛れもない「陸の大国」でしたが、このときをターニング・ポイントに「海の大国」を目指すことを鮮明に打ち出したのです。手嶋:そんな新興の「海洋強国」に、オバマ大統領の曖昧な姿勢は誤まったシグナルを送ってしまった可能性があります。これまでアメリカは、「尖閣諸島は日本の実効支配下にあり、日米安保の適用範囲」と言い募ってきたのに、明確な姿勢を示さなくなった。有事に際して尖閣諸島を武力で侵しても、アメリカは武力で反撃してこないかもしれない・・・習近平主席はそう受け止め、中国は武力侵攻の誘惑に駆り立てるかもしれません。佐藤:習近平の中国は、国際社会で確立されたゲームのルールをいま、一方的に変更しようとしています。だからこそ日本もアメリカも、中国には毅然とした姿勢で臨み、曖昧な態度を見せてはいけないんですね。手嶋:尖閣での中国漁船衝突事件への民主党政権の対応がその典型でしたが、中国の意図について根拠なき楽観的な見方がいまの日本ではまかり通っています。根拠なき楽観的な見方ですか、手厳しいですね・・・救国のインテリジェンスと言われる由縁かも。一方で、トランプの嵐が吹き荒れるアメリカも褒められるわけでないわけで・・・反知性主義のあたりを見てみましょう。p138~141反知性主義の政治学より手嶋:この反知性主義については、アメリカに暮らす前は言葉では知っていましたが、実際にアメリカ社会でどれほど影響力があるものかわかっていませんでした。大統領選挙の取材でロッキー山脈沿いのキリスト教右派の地盤を回ってみて、「ああ、これほど」と蒙を啓かれました。 反知性と言いますから、なんの知識も持ち合わせていない人たちと思いがちですが違うのですね。彼らは意図して新しい知識や科学の知見を受けつけようとしない。そもそも公的な教育に神の子である子弟を委ねない人々なのです。福音派の教会から送られてくる教科書を使って自宅で親が学ばせている。そこにはダーウィンの進化論など存在しません。佐藤:彼らはアメリカ社会では決して少数派じゃないですよ。手嶋:「福音ベルト地帯」と呼ばれるほどですから、何千万という人々が、こうした暮らしを送っており、保守的なアメリカの骨格をなしています。「アイビー・リーグの名門大学で学んだ連中は、知識をひけらかして、一つの問題をあれこれ検討したがるために、結局何一つ決断ができない」などと蔑まれているのです。また、競争の激しいビジネス社会でも、複雑な理論より役に立つ発明が尊ばれ、物事を果断に決めて前に進むビジネス・リーダーが尊重されます。 「東部エスタブリッシュメント」から権力を奪取したいと願う政治家が、実業界やこうした「福音ベルト地帯」を拠り所にしないわけはありません。 アメリカ政治の潮流はいまや、彼らが主流だといっていいほどなのです。世論への絶大な影響力を誇るテレビ伝道師は、知性を敵視する文化的伝統から生まれてきました。彼らの巧みな説教は、科学的事実や歴史的事実と意図して訣別することで絶大な影響力を手にしているのです。佐藤:この反知性主義と決断主義は硬貨の表と裏なのです。決断主義では「つべこべ言わず、俺がやれといったことをやれ」という政治指針が出てくるからです。従って、反知性主義者は、独特なプリズムを持っており、自らにとって都合がよいことが大きく見え、都合の悪いことは縮小され、視界から消えてしまいます。もっとも、彼ら反知性主義者は、実証性や客観性に基づく反論をいくら浴びても、痛くも痒くもない。手嶋:橋下徹大阪市長のメディアへの反論がまさしくそうですね。従軍慰安婦問題でも在日米軍兵士への「風俗店活用のススメ」でもそうでしたが、自分の発言が対外関係の文脈に置かれたときにどう受け取られるか、その省察を著しく欠いています。 橋下市長は、麻生発言にこうコメントしています。「いきすぎたブラックジョークだったのではないか。ナチス・ドイツを正当化した発言でないのは国語力があればすぐわかる」と。一般的な国語力さえあれば、ブラックジョークなどではないことがわかるはずです。
2016.06.18
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図書館に予約していた『世界の辺境とハードボイルド室町時代』という本をゲットしたのです。これまで高野さんの本を3冊よんでいるがどれも面白かった。・・・この高野さんの対談本も面白いはずである。【世界の辺境とハードボイルド室町時代】高野秀行, 清水克行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より人々の心の動きから法体系まで、こんなにも似ている社会が時空を超えて存在したとは!その驚きからノンフィクション作家と歴史家が世界の辺境と日本史を徹底比較。辺境を知れば日本史の謎が、日本史を知れば、辺境の謎が解けてきた…。【目次】第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会/第2章 未来に向かってバックせよ!/第3章 伊達政宗のイタい恋/第4章 独裁者は平和がお好き/第5章 異端のふたりにできること/第6章 むしろ特殊な現代日本<読む前の大使寸評>これまで高野さんの本を3冊よんでいるがどれも面白かった。・・・この高野さんの対談本も面白いはずである。<図書館予約:(3/28予約、6/16受取)>rakuten世界の辺境とハードボイルド室町時代 読みどころが多い本であるが、最大の関心事、日中関係のあたりを見てみましょう。p60~63 <ミニ中華帝国をあきらめて>より高野:日本の中世とアジア・アフリカの辺境が似ているのは、なぜなんでしょうね。清水:僕が中世史を研究していて面白いなと思うのは、たくさんの人間が集まって、何もないところから社会を組み立てていく過程を、試験管の中をのぞくように見られることです。 中世と言うのは一種の実験場なんですね。もちろん、日本の場合は、それ以前に古代社会があったんですけど、中世にはその枠組みが一回吹っ飛んじゃって、一から秩序を組み立てなきゃいけなかったんです。 『仁義なき戦い』というヤクザ映画シリーズがありましたよねえ。あれは戦後の広島が舞台で、原爆投下と敗戦によってすべてがリセットされた中で、暴力団が覇権を争い、裏社会の秩序を構築していく様子が描かれています。そこがまさに戦国時代的なんですが、たぶん似たような状況が日本の中世にもあったのかなと思いますね。高野:秩序が取っ払われたといっても、それ以前にも秩序はあって、すべてが吹っ飛んだわけではないんですよね。どういう部分がどういうふうに消えてしまったんですかね。清水:ポイントは中華文明との距離感だと思うんです。中華文明というのは、やはりものすごく先進的なもので、古代の日本はそれにあこがれて、自分たちも「ミニ中華帝国」をつくろうとして頑張ったわけですね。朝鮮半島も似たような感じで、中国の影響を強く受けました。中国と同じような国家構造をつくり、漢字文化や儒教などを取り入れていったんです。 ところが、日本は平安時代あたりから、そこからの離脱を始めるんです。かつては中華文明みたいな先進的なものを見習って、そういう国を早熟に頑張ってつくろうとしてきたのに、その道を捨ててしまった。高野:あきらめちゃったってことですか。清水:たぶん、たとえば桜井英治さんが指摘していることでもあるんですけど、それまでは中国を見習って自前で銭をつくろうとしていたのに、それなら中国から輸入して使えばいいじゃないかっていう発想になっていくんです。これは東南アジアのジャワも同じらしいです。つまり、中国とのほどよい距離感によって、日本やジャワは文明から切り離され、中華文明圏の辺境になっていったんですよ。高野:日本でも古代の律令国家の時代には、直線の高速道路みたいな道をつくっていたんですよね。清水:はい。高野:それが、時代が下るにつれてぜんぜん維持できなくなって、室町時代ぐらいになると、古代の東海道も山道みたいに荒れた状態になってしまったという。それもすごいなと思って。そのミニ中華帝国化をあきらめたのは、いつ頃なんですか。清水:10世紀ぐらいじゃないですかね。高野:武士が台頭してくることと関係があるんですか。清水:中華帝国からの離脱によって、武士が台頭して、武家政権が誕生したんでしょう。高野:ああ、逆に。清水:日本の歴史には、隣接する巨大な中華文明を常に意識しなくてはならなかった段階があったわけですね。そのときは自分たちでも専制的な国家体制をつくろうとするんですけど、唐の末期ぐらいになると、中国の求心力が弱まるんですよね。遣唐使の廃止なんて、そうした流れの中で出てくるんですよ。そうすると遠心力が働いて、文明から離れていった日本は分権的な封建社会になっていき、その中から武士団が現れる、という感じじゃないですかね。高野:ということは、中国から離れることによって、貴族社会から武士の世の中へと変わっていったということなんですかね。清水:ええ。ヨーロッパの歴史で言うと、中華文明に匹敵するのは古代ローマ帝国ですよね。その帝国が滅亡した後、ローマから見れば辺境に当たる西ヨーロッパに封建制が生まれてくる。昔からよく言われてきたことですけど、文明の中心からのほどよい距離感がないと、封建制は生まれないんです。高野:でも、日本の中世にも鎌倉幕府や室町幕府という体制は一応ありましたよね。なのに、わりと無秩序的だったというのは、なぜなんですか。清水:求心力の強い専制国家をつくる必要性がなかったんでしょうね。そもそも対外的な脅威とか緊張もあまりなくなって、専制国家をつくる必要がなくなったのかもしれません。 7世紀に白村江の戦いで唐に負けた日本は、その直後、九州から瀬戸内に巨大な山城をいくつもつくって列島を要塞化しようとするんですよ。また、それと平行して徴兵・徴税制度も整えていって。あの頃の日本には本当に中華帝国がリアルな脅威としてあったんですね。下手をすると仕返しに侵略してくるかもしれない、ぐらいの。 それに比べれば、鎌倉時代のモンゴル襲来なんて影響は限定的だったと思いますよ。『世界の辺境とハードボイルド室町時代』1この本も 高野秀行の世界R1に収めておきます。
2016.06.18
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「社会学」でしょうか♪<市立図書館>・世界の辺境とハードボイルド室町時代・「中国の夢」は100年たっても実現しない・飛びすぎる教室・限界費用ゼロ社会<大学図書館>・家族という病・映画マニアの社会学図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【世界の辺境とハードボイルド室町時代】高野秀行, 清水克行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より人々の心の動きから法体系まで、こんなにも似ている社会が時空を超えて存在したとは!その驚きからノンフィクション作家と歴史家が世界の辺境と日本史を徹底比較。辺境を知れば日本史の謎が、日本史を知れば、辺境の謎が解けてきた…。【目次】第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会/第2章 未来に向かってバックせよ!/第3章 伊達政宗のイタい恋/第4章 独裁者は平和がお好き/第5章 異端のふたりにできること/第6章 むしろ特殊な現代日本<読む前の大使寸評>これまで高野さんの本を3冊よんでいるが、どれも面白かった。この新刊も面白いはずである。<図書館予約:(3/28予約、6/16受取)>rakuten世界の辺境とハードボイルド室町時代【「中国の夢」は100年たっても実現しない】山田順著、PHP研究所、2014年刊<「BOOK」データベース>より“人民目線”から見た不満と不安…。これでも「世界の成長センター」なのか?度重なる現地取材を通じて彼の国の悲惨な実態をリポート。<読む前の大使寸評>単なる嫌中本ではない、ピリッとした予感がする本でおます。rakuten「中国の夢」は100年たっても実現しない【飛びすぎる教室】清水義範, 西原理恵子著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>よりイスラム圏ツアー旅行にハマッた清水ハカセが語る料理、幽霊、カレンダー、聖書に宇宙という脈絡のない雑談に、私生活ごと爆発のサイバラ画伯が絵を付けた、コンビ最後の貴重な一冊。<読む前の大使寸評>サイバラが描く挿絵のマンガが、本の内容と無関係なので、思いがけなくシュールなところが売りのシリーズであったが・・・これで最後となると寂しい気もするわけでおます。amazon飛びすぎる教室【限界費用ゼロ社会】ジェレミー・リフキン著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>より いま、経済パラダイムの大転換が進行しつつある。その原動力になっているのがIoT(モノのインターネット)だ。IoTはコミュニケーション、エネルギー、輸送の“インテリジェント・インフラ”を形成し、効率性や生産性を極限まで高める。それによりモノやサービスを1つ追加で生み出すコスト(限界費用)は限りなくゼロに近づき、将来モノやサービスは無料になり、企業の利益は消失して、資本主義は衰退を免れないという。 代わりに台頭してくるのが、共有型経済だ。人々が協働でモノやサービスを生産し、共有し、管理する新しい社会が21世紀に実現する。世界的な文明評論家が、3Dプリンターや大規模オンライン講座MOOCなどの事例をもとにこの大変革のメカニズムを説き、確かな未来展望を描く。21世紀の経済と社会の潮流がわかる、大注目の書!<読む前の大使寸評>シェアとか再生が、今のところ大使のミニブームである。・・・ということで、共有型経済を提唱しているこの本は興味深いのです。<図書館予約:(1/28予約、6/16受取可)>rakuten限界費用ゼロ社会【家族という病】下重暁子著、幻冬舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より 日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。 それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族とは何か」を提起する一冊。<読む前の大使寸評>追って記入rakuten家族という病【映画マニアの社会学】熊沢誠、他著、明石書店、1997年刊<「BOOK」データベース>より本書では、映画の魅力にとらわれてきた著者、映画ファン七人が、忘れられない作品をいくつか選んで、そのストーリーを、そのストーリーの描き方や演じ方を語った。そうすることを通して著者は、それぞれの関心領域である青春、さまざまなかたちの愛、女であること、老い、障害、教育、労働などについて論じている。<読む前の大使寸評>約20年前の本であるが、7人の著者の選んだ映画が、大使の好みとかぶるわけでおま♪rakuten映画マニアの社会学*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き153R
2016.06.18
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図書館に予約していた『世界の辺境とハードボイルド室町時代』という本をゲットしたのです。これまで高野さんの本を3冊よんでいるがどれも面白かった。・・・この高野さんの対談本も面白いはずである。【世界の辺境とハードボイルド室町時代】高野秀行, 清水克行著、集英社、2015年刊<「BOOK」データベース>より人々の心の動きから法体系まで、こんなにも似ている社会が時空を超えて存在したとは!その驚きからノンフィクション作家と歴史家が世界の辺境と日本史を徹底比較。辺境を知れば日本史の謎が、日本史を知れば、辺境の謎が解けてきた…。【目次】第1章 かぶりすぎている室町社会とソマリ社会/第2章 未来に向かってバックせよ!/第3章 伊達政宗のイタい恋/第4章 独裁者は平和がお好き/第5章 異端のふたりにできること/第6章 むしろ特殊な現代日本<読む前の大使寸評>これまで高野さんの本を3冊よんでいるがどれも面白かった。・・・この高野さんの対談本も面白いはずである。<図書館予約:(3/28予約、6/16受取)>rakuten世界の辺境とハードボイルド室町時代 読みどころが多い本であるが、盗み、賠償のあたりを見てみましょう。p37~40 <盗まれた物は元の物ではない>より清水:男性は肉体労働に従事させるぐらいの価値しかないけど、女性は妻や妾にしたり売春をさせたりする価値があるっていうことなんですけど。日本の中世は、女性にとってはきわめて苛酷な社会だったなと思いますね。 「大坂夏の陣図屏風」なんかにも、戦争の場面で女の人がさらわれていく様子が描き込まれているんですよ。村レベルの紛争ではそういうことはないんですけど、大名同士の戦争だと、人身売買のために女性が拉致されていたんですよね。高野:ソマリアの掟では、女性を襲ってはいけないですから。清水:それも興味深いですね。高野:そこはすごく高度で、「ビリ・マ・ゲイド」というジュネーブ諸条約にも匹敵するような戦争法があるんです。直訳すると「殺してはいけない者の掟」という意味で、女性だけでなく、子ども、老人、その場に居合わせたゲスト、傷病者、宗教指導者、共同体の指導者、和平の使節、捕虜に危害を加えることを禁止しています。 実際の戦闘では女性が巻き込まれることもあるから、ラクダ50頭という賠償基準が示されているわけですけど、女性を意図的に殺すのはよくないと考えられているんです。一つには神罰が下るから。もひとつは、男として恥だからという理由で。清水:倫理で制御できているんですね。高野:そうですね。周りからも、あの氏族はあんなことをやっているとかって言われてしまうし。そこで制御が働いている感じがありますよね。 賠償といえば、『喧嘩両成敗の誕生』には「墓所の法理」の話が出てきますね。鎌倉末期から南北朝期にかけては、殺人の被害者が属した宗教団体が、犯行現場や加害者の権益地を被害者の「墓所」として加害者に請求していたという。清水:中世における賠償の法慣習はあれぐらいなんです。しかも、あれはかなり宗教的な意味合いが強いんですよね。中世では殺人現場は不吉な場所だと考えられていたので、たとえば、ある場所で山伏が殺されたら、そこを山伏のお寺のものにしてしまうことで、けがれた場所を聖なる場所にしてしまうんです。それは、命の対価として土地を渡すというより、本来的には殺人現場を別の形に昇華するための措置で、だからレアケースなんです。高野:宗教の絡まない、ふつうの殺人事件では、下手人が捕まったらおしまいですか。清水:被害者側に何らかの金銭的な賠償をという話にはなりません。あくまでも人の命は人の命でドロー(引き分け)にするということで、金銭は入り込まないんですよね。入り込んでもよさそうなものだけど。高野:それは近隣諸国、たとえば中国とか朝鮮ではどうだったんですか。清水:わかんないですね。どうだったんでしょう。高野:ソマリ人の友だちに「日本ではどうしているんだ。遺族が困るじゃないか」と聞かれて、そうだよなと思ったんですけど、今でも日本では、殺人事件が起きると、真犯人を捕まえて、裁判所で罪を吟味して、判決が出れば解決というふうに、多くの人は考えますよね。清水:被害者遺族は置き去りにされるとよく言われますね。高野:正義については、みんな熱く語るのに、被害者の遺族のことはほとんど問題にされないでしょう。被害者遺族が加害者からどのように償われるのかということが話題になることは滅多にないし、たとえ民事裁判で加害者に賠償金の支払いが命じられたとしても、それがちゃんと遺族側に払われているのかどうかはわからない。清水:先ほど言ったように、中世の人々は盗みをすごく嫌ったんですが、泥棒が捕まって、盗まれた物が見つかっても、それは被害者のもとには戻らなかったんですよ。警察権を握っている荘園領主や武士が没収するんです。「間違う力がある!」と豪語している高野さんは、一見アホにも見えるが・・・この本で示した歴史や民俗に対する深い洞察には驚くわけでおます♪この対談本は、酒の上での話を録音し、それを編集、追記して制作したとか・・・それもすごい。 この本も 高野秀行の世界R1に収めておきます。
2016.06.17
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図書館で『飛びすぎる教室』という本を手にしたのだが・・・サイバラと清水義範とのコンビによる教科書シリーズの最終版のようです。サイバラが描く挿絵のマンガが、本の内容と無関係なので、思いがけなくシュールなところが売りのシリーズであったが・・・これで最後となると寂しい気もするわけでおます。【飛びすぎる教室】清水義範, 西原理恵子著、講談社、2003年刊<「BOOK」データベース>よりイスラム圏ツアー旅行にハマッた清水ハカセが語る料理、幽霊、カレンダー、聖書に宇宙という脈絡のない雑談に、私生活ごと爆発のサイバラ画伯が絵を付けた、コンビ最後の貴重な一冊。<読む前の大使寸評>サイバラが描く挿絵のマンガが、本の内容と無関係なので、思いがけなくシュールなところが売りのシリーズであったが・・・これで最後となると寂しい気もするわけでおます。amazon飛びすぎる教室読みどころが多い本であるが、奴隷の話を見てみましょう。p124~126 <商品としての人間>より ヒヴァで多く売り買いされたのは、ロシア人奴隷だったそうである。どんな民族が奴隷として売買されたかについて、ここまでわずらわしいのでいちいち書き並べなかったが、その答えをあっさり言ってしまうと、ほとんどの民族が奴隷にされた、である。 ギリシャ人やローマ人を例外とうれば、ヨーロッパもアジアもアフリカも、あらゆるところから奴隷は運ばれてきた売られた。奴隷はいい商品であり、奴隷商人は儲かる仕事だったのだ。 1873年、ヒヴァを都とするヒワ・ハン国はロシア帝国の保護国となる。その後は、ロシア人奴隷を売ることはやめたが、別の奴隷を売っていた。ヒヴァの奴隷市場が完全に廃止されたのは、ロシア革命後の1920年のことである。 世界から奴隷制度がなくなってから、まだ百年足らずなのである。 日本人が奴隷として世界各地に売られたことがある。これはあまり知られてないことかもしれない。 ポルトガル人が種子島に鉄砲を伝えて交流が始まった16世紀に、ポルトガルやスペインは日本人奴隷をヨーロッパや、アジアの植民地へ運んで売った。日本がそれらの国と戦争をして負けたという事実はないのだから、貧しい者が、妻子や、親や、時には自分を売ったのだろう。 1582年にローマに派遣された有名な天正少年使節団の一行は、各地で日本人奴隷を見て、日本人があんなに安い値で買われ、牛馬のように扱われているとは、と嘆いている。 また、豊臣秀吉も、バテレンは日本人を買って奴隷とする、ということを気にしていて、彼のバテレン追放の方針はそれもあってのことではないかと言われている。 さて、ポルトガルやスペインが出てきて、奴隷の話はまた別の局面を迎える。大航海時代を経て、植民地時代が始まることにより、それまでとはちょっと違う、近代奴隷が出現するのである。 これが、日本人がいちばんよく知っている奴隷であろう。アフリカの黒人を、南米や中米、そしてアメリカ合衆国へと大量に運んで奴隷にしたのだ。 新大陸にはまだ人口が少なかったので、奴隷労働力の需要が大いにあった。初めは砂金取りとか、鉱山労働者として、黒人が用いられた。 ところが17世紀になって、プランテーション経営が確率されてくると、大規模農場の安い労働力として、黒人奴隷がますます投入されていった。オランダ、イギリス、フランスなどの商人にとって、奴隷は笑いが止まらないほど儲かる商品となったのだ。このお二人が顔を合わすのは5年に1回ほどなんやて・・・やはり出版社の企画に付き合っていただけなのか?清水のパスティーシュという書き方とサイバラの下手な絵がよくマッチしていただけに・・・無くなってみると惜しいで。 この本もサイバラとのコラボ本に収めておきます。
2016.06.17
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図書館で『クジラの文化、竜の文化』という本を手にしたのです。日中比較文化論と聞けば・・・大使がついヒートアップする事柄でおます。【クジラの文化、竜の文化】大沢昇著、集広舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より東アジアと西欧の文明を吸収しクジラのように独特の進化を遂げた日本文化、東西南北の民族と混交することでキメラ(合成体)的な相貌をもつ中国文明ー【目次】序章 「支那」と「小日本」-互いの誤解の始まり/第1章 「顔」と「国の形」/第2章 「水の文化」と「火の文明」/第3章 どちらも「現世主義」だが…/第4章 明るい競争社会の裏側/第5章 「クジラの文化」と「竜の文明」<読む前の大使寸評>日中比較文化論と聞けば・・・大使がついヒートアップする論争でおます。rakutenクジラの文化、竜の文化 読みどころが多い本であるが、日中の国民性の違いあたりを見てみましょう。p164~169 <二千年の歴史をもつ「忽悠」>より コミュニケーションにおいて、日本語が言葉を使わない「以心伝心」から、言葉を拒否する「問答無用」に極端に振れ、言語による意思疎通よりも「場」の雰囲気を重視するものなら、中国語はどうであろうか? 先に挙げた清水特派員の体験や、「上訪」の事例を見ても分かるように「意見表明」「自己主張」を重視する国民性は、それを示す面白い言葉を生んだ。それは「討価還価」と「忽悠」である。(中略) 「「忽悠」とは何か? 本来の意味は、絶えず揺れ動くこと、たとえば漁船が波の上で、木の葉が風の中で揺れるのを指す。その後、中国の東北地方で流行する俗語となった。俗語としての「忽悠」は、同じ発音の「胡誘」から来ている。勝手に誘導するという意味だ。流行病のウィルスが突然変異を起こすように、忽悠という言葉も、目がくらむほど多様な意味を派出させた。 大言壮語すること、大衆の歓心を買うことも忽悠と言う。巧みに罠を張ること、人をペテンにかけることも忽悠と言う。さらには、からかう、バカにするの意味、でっち上げる、機に乗じるの意味もある」(前出『ほんとうの中国の話をしよう』)。 この言葉は、中国が「改革開放」に乗りだし、誰も彼も「舌先三寸」で商売を始めようとしたことにも関係があるだろうが、余華が指摘するように「以前から中国社会に存在した、ホラを吹く、けしかける、そそのかす、デタラメを言う、デマを飛ばす、からかう、バカにするなどの現象が忽悠という言葉の海の中で勢いを取り戻した。同時に、社会における不真面目、悪ふざけ、冗談の気風も、忽悠とともに横行するようになった。本来は悪い意味の言葉が、忽悠の門下に入ることで、中立的な地位を獲得した。趙本山のおかげで、中国の老若男女は口を開けばすぐに忽悠を始めるようになった。忽悠はもはや唾液のようなもので、誰の口の中にも存在し、誰の口からも噴射される」(同前)ことだった。杭州に住んでいた余華の母も、父からの手紙で「忽悠」されて、父の仕事場のある田舎に戸籍を移した、という。 私もある中国人と仕事をしていて、「忽悠」されたことがある。彼の小説が、中国で連続ドラマになる、映画化されるという話を盛んに吹き込まれ、その翻訳本を小学館から出版したのだ。そして、上海の映画会社、日本の映画制作会社などのプロデューサーや関係者を紹介され、実現一歩手前までいったように思えた。結局、お金の問題や政治的な風向きで実現しなかったが、その作家の「忽悠」力は大変なものだった。眉に唾をつけている私さえも本気にさせ、しかも「私」をも「忽悠」の一つの道具にしてしまうのだ。「ペテン」と「商売上手」の紙一重のところに、この「忽悠」はあるのだ。ウーム、日本人が大陸で生きていくことは、かなり過酷なことのようですね・・・・精神衛生上あまり良くないようです。お次は漢人の起源あたりを見てみましょう。p264~266 <「竜」とは何か>より 確かに『史記』にも、竜が漢を建国した劉邦の母に覆いかぶさって彼が生まれたとも書かれている。岡田氏は、二里頭文化の夏王朝を創った人たちは、竜をトーテムとする「東夷」であったという。 次の王朝の殷は、「この新王朝をたてた殷人は、黄河の北から南下してきた、東北アジアの狩猟民であった。『史記』の「殷本記」によると、殷人の高祖母神は簡テキといい、有ジュウ氏、つまり戎、つまり草原の遊牧民の娘であったが、姉妹三人で水浴びに行ったところで、ツバメが卵を落としたのを見、簡テキがこれをとって呑んだところが、孕んで契という子を生んだ、という。この、女神が野外の水浴で、鳥の姿で天から下った神に感じて妊娠するというのは、大興安嶺以東の東北アジアの森林地帯の狩猟民に共通した始祖神話の形式である。殷人が東北アジアの狩猟民、つまり「北狄」の出身であることが知られる」(同前)。周はチベット系の「西戎」ではないか、と推論する。「北狄」の一つで南方の大国であった楚は、間違いなく「南蛮」の国である。 始皇帝以前の中国は、こうした東夷、北狄、西戎、南蛮が洛陽盆地をめぐって争いを繰り広げたところ、つまり中原であるが、では中国人とは誰なのか、といえば「これらの諸民族が接触・混合して形成した都市住民のことであり、文化上の観念であって、人種としては「蛮」「夷」「戎」「狄」の子孫である。いかなる種族の出身者であれ、都市に住みついて、市民の戸籍に名を登録し、市民の義務である夫役と兵役に服し、市民の職種に応じて規定されている服装をするようになれば、その人は中国人、「華夏」の人だったのであって、中国人という人種はなかった」(同前)。 民族の交代と混交は中華の地において何度も繰り返す。秦・漢の統一によってできた「漢人」の人口は後漢末の大混乱によって、漢代に五千万あったものが三国時代に十分の一にまで激減する。その間隙を埋めたのが、鮮卑・匈奴などの「五胡」と呼ばれた中国北方の諸民族である。彼ら「北族」は侵入、あるいは平和的な移住によって人口の大幅に減った中原に入る。一方、生き残った古い「漢族」は、長江以南に落ちのびる。『クジラの文化、竜の文化』1『クジラの文化、竜の文化』2『クジラの文化、竜の文化』3
2016.06.16
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図書館で『クジラの文化、竜の文化』という本を手にしたのです。日中比較文化論と聞けば・・・大使がついヒートアップする事柄でおます。【クジラの文化、竜の文化】大沢昇著、集広舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より東アジアと西欧の文明を吸収しクジラのように独特の進化を遂げた日本文化、東西南北の民族と混交することでキメラ(合成体)的な相貌をもつ中国文明ー【目次】序章 「支那」と「小日本」-互いの誤解の始まり/第1章 「顔」と「国の形」/第2章 「水の文化」と「火の文明」/第3章 どちらも「現世主義」だが…/第4章 明るい競争社会の裏側/第5章 「クジラの文化」と「竜の文明」<読む前の大使寸評>日中比較文化論と聞けば・・・大使がついヒートアップする論争でおます。rakutenクジラの文化、竜の文化 読みどころが多い本であるが、まず、この本のキモあたりを見てみましょう。p124~127 <隠す「恥」と主張する「驕倣」>より 不思議な言葉が中国語の辞書に載っている。「驕倣」・・・1.驕りたかぶる、2.誇りに思う、という褒義と貶義を同時に持つ言葉だ。 中国の「広辞苑」とも呼ばれる『現代漢語詞典』でも、形容詞として1.と2.の語義があげられ、例文としては1.には「虚心使人進歩、驕倣使人落後」(謙虚さは人を進歩させ、傲慢さは人を落ちこぼれにする)とあり、2.には「我〇都以是炎黄子孫感到驕倣」(我々はみな炎帝と黄帝の子孫であることを誇りに感じる)とある。 三番目の語義は、「古代四大発明是中国的驕倣」(古代の四大発明は中国の誇りだ)という例文をあげ、名詞で「誇り」の意味である。「驕慢」や「傲慢」は、日本語では悪い意味でしか使わないので、強いて近い日本語をあげれば、「自慢に思う」かもしれない。だが、やはりそれとも違う。もっと強烈な自負の言葉だ。 古代、「驕」の意味はどうだったのか調べてみた。白川博士の『字統』には、「「馬の高さ六尺なるもの、野馬」と漢代の『説文』にあるが、(普通は)馬について用いることがない」とあり、似た漢字「干や盾にその呪飾を加えたものを驕、これをうつことを敲といい、みな驕り傲る意がある」とある。 どうやらこの元の字「喬」の意味を探る必要があるだろう。この字は、「高台の上に呪飾として枝のある木を表木として立てた形」といわれる。ここに神明を招き、神威が盛んであることから、神威をかりて驕ることも指すようになった。つまり本当の神威なら「誇り」であるが、それを人間が借りると「驕り」となるのだ。 毛沢東も、かつて自作の「詞」の中でチンギス・ハーンを「天之驕子」(天の寵児)と呼んだ。「驕の文化」とは、つまり中華思想の持つ、選民としての中華への「誇り」なのである。 辞書の語義分けとは、あくまでも便宜上のものであるので、『現代漢語詞典』の「驕倣」の例文でも分かるように、これは選民としての中華文明の「誇り」に対する両面、反省と自慢が読みとれる言葉であろう。 では、日本文化は漢字一字で表すと何になるだろう?横井正一さんが、日本の敗戦を知らずグアム島のジャングルに潜んで28年、ついに発見されて日本へ帰国したときの第一声「恥ずかしながら帰ってまいりました」はその年、1972年の流行語になった。 では何故、日本へ戻ることが「恥」であったのか?戦前の日本軍の教育は、「生きて虜囚の辱めを受けず」であった。横井正一も、「生きて本土へは戻らぬ」という固い意志を持っていたからこそ、苦しいジャングルでの孤独な生活に耐えたのだ。(中略) アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは、日米戦争の後半1944年6月、アメリカ戦時情報局の求めに応じ、日本人と日本文化の深層を探り始める。これをもとに戦後の46年に出版したのが、『菊と刀』である。この中で、彼女は日本の文化を「恥の文化(shame culture)」と規定し、欧米の「罪の文化(guilt culture)」と対比させた。 一言で言えば、「罪の文化」ではキリストに代表される絶対的な「神の目」が、人間の内面にも存在し、その神の価値基準から善と悪が分別されるのに対し、「恥の文化」では、絶対的な神というものは存在せず、相対的な「世間の目」という評判が「ことの善し悪し」を決めるのである。 だから欧米では、善悪は絶対的なもので、時代や場所で変わることはない。神の価値基準から外れたとき欧米人はその「罪」に慄き、神の「罰」を恐れるのだ。だが、日本では「他人の批評」で価値基準が変わり、戦前では「恥」とされた降伏が、敗戦後は仕方ないことと許容された。その変化を知らなかった横井は、第一声で「恥ずかしいけど」と言ったのである。
2016.06.16
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図書館で『シェアハウス』という本を手にしたが・・・最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。・・・と思い、借りたわけでおます。【シェアハウス】 阿部珠恵×茂原奈央美著、辰巳出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より物件も住む人も急増しているシェアハウス。これは地縁・血縁意識の薄い都市部に特有の現象なのか。それともコミュニティの新しい形なのか。実際にシェア生活をしている著者2名が、さまざまな様式のシェア物件に住む人々に取材して考察した、日本のリアルが見えてくる、軽妙で知的なドキュメント。<読む前の大使寸評>最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。rakutenシェアハウス団地やシェアタウンに関するあたりを、見てみましょう。p160~162 <団地の復権?>より UR都市機構では、既存の団地を改修し、長く続く街づくりを目指す「ルネッサンス計画」というプロジェクトを2009年から実施している。そのプロジェクトでは、古い作りの団地を改修し、1,2階がつながっているメゾネットにするなど建物自体の魅力をあげる他、住人同士のつながりを重視した団地作りに取り組んでいる。 たとえば、全員が使える多目的スペースを設置したり、貸し農園スペースを作り、菜園を持つ生活を実現するとともに住民同士のコミュニケーションを促進するなどの仕組み作りで、団地および周辺のまちづくりの再生を図っている。 このようなコンセプトで再オープンした団地には、きっと地域でのコミュニケーションに積極的な人たちが集まるだろう。こういった場を選んで住むことも、他人とつながる一つの手かもしれない。思い起こせば、2005年に「ハウスシェアリング制度」を打ち出し、友人同士での賃貸物件への入居をいち早く進めてきたのもUR都市機構だった。 ルネッサンス計画は2009年に始まったばかりで、現状でいくと、このような事例はまだまだ少ないが、ハウスシェアリング制度と同様、今後の不動産市場のトレンドとして広がることを期待したい。 団地というハコの中だけでなく、街全体で支え合うという仕組みの再生に取り組む自治体もある。『第四の消費』(三浦展著、朝日新書)で三浦氏は「シェアタウン」という自治体の動きを紹介している。本書では、たとえば世田谷区が取り組む「地域共生のまち」づくりの事例が紹介されている。 これは、空き家を子育てサークルの活動場所として貸し出したり、古い洋館に私書を寄贈して図書館にするなど、地域のさまざまな場所を開かれた場にし、地域のつながりを育てるといった活動である。このようなさまざまな自治体の事例を紹介しながら、三浦氏は、役所や官が主導するパブリックではなく、市民ひとりひとりがプライベートを少しずつ開くことで生まれる「新しい公共」という考え方を示している。 このように、自治体がうまく街全体のつながり作りを支援することで、その街に住む人たち一人ひとりがつながり、助け合うムラ社会を復活させることができるかもしれない。 ただし現実的に考えると、このような取り組みはまだ始まったばかりで、私たちが子育ての時期を迎えるまでに、大都市全体に普及することを期待するのは難しそうだ。しかし自治体などの用意するハコに頼らず、DIY型でムラ社会を作る場合には、多様な年代、ライフステージの人を自力で集めることは、難しいであろう。 ということで、すぐに21世紀型ムラ社会を実現させることを考えると、まずは同世代同士が集まって、一つのムラを作ることが最初の一歩になるだろう。数世帯の同世代で近所に住み、家事や子育てなどをお互い助け合ったり、必要があれば共同の車を購入してカーシェアリングしたりなど、お互い助け合いながら暮らしていくことができる。もしかしたら、結婚してもシェアして暮らしたい人同士が集まるポータルサイトなどを通じ、さまざまな年代や属性の人たちがつながり、ムラを作っていくという事例も生まれるかもしれない。お役所風がただよい好きになれないUR都市機構ではあるが・・・「ルネッサンス計画」には見るべきものがあると思うのです(やや甘いか)。『住まいの冒険』(萌文社)に、次のような指摘が載っているが・・・なるほどと思う昨今である。<高度成長期に核家族のための住まいとして造られた庭付き郊外一戸建ては、もはや高齢の単身者あるいは高齢夫婦のみの住まいとなりつつある。>この記事も空き家問題あれこれ収めておくことにします。『住まいの冒険』という本もお奨めです。
2016.06.15
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今回借りた6冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「民俗学」でしょうか♪<市立図書館>・クジラの文化、竜の文化・ツリーハウスを作りたい・芸術新潮(2016年1月号)・フォトアーカイブ 昭和の公団住宅<大学図書館>・シェアハウス・海と山の民俗自然誌図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【クジラの文化、竜の文化】大沢昇著、集広舎、2015年刊<「BOOK」データベース>より東アジアと西欧の文明を吸収しクジラのように独特の進化を遂げた日本文化、東西南北の民族と混交することでキメラ(合成体)的な相貌をもつ中国文明ー【目次】序章 「支那」と「小日本」-互いの誤解の始まり/第1章 「顔」と「国の形」/第2章 「水の文化」と「火の文明」/第3章 どちらも「現世主義」だが…/第4章 明るい競争社会の裏側/第5章 「クジラの文化」と「竜の文明」<読む前の大使寸評>日中比較文化論と聞けば・・・大使がついヒートアップする論争でおます。rakutenクジラの文化、竜の文化『クジラの文化、竜の文化』3byドングリ【ツリーハウスを作りたい】ツリーハウス倶楽部編、二見書房、2016年刊<「BOOK」データベース>よりいつか木の上の家を作りたい…子どもの頃の夢を形にした遊び心満点の愉快なツリーハウス60棟。水木しげるの鬼太郎ハウス、EXILE ¨USAのDJブース・ヤシ子、糸井重里の東北に100棟の夢企画…など樹上のワンダーランド。<読む前の大使寸評>全国各地の作品が満載で・・・・アホの多さに驚くわけでおます♪rakutenツリーハウスを作りたいツリーハウスを作りたいbyドングリ【芸術新潮(2016年1月号)】雑誌、新潮社、2016年刊<内容紹介>より特集:This is 江口寿史<読む前の大使寸評>江口寿史って、ギャグもイラストもええやんけ♪amazon芸術新潮(2016年1月号)芸術新潮(2016年1月号)byドングリ【シェアハウス】 阿部珠恵×茂原奈央美著、辰巳出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より物件も住む人も急増しているシェアハウス。これは地縁・血縁意識の薄い都市部に特有の現象なのか。それともコミュニティの新しい形なのか。実際にシェア生活をしている著者2名が、さまざまな様式のシェア物件に住む人々に取材して考察した、日本のリアルが見えてくる、軽妙で知的なドキュメント。<読む前の大使寸評>最近、目に見えて貧乏になったニッポンの市民にとって、シェアハウスは切実でかつ現実的な選択肢ではないだろうか。rakutenシェアハウスシェアハウスbyドングリ【フォトアーカイブ 昭和の公団住宅】長谷田一平著、智書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より戦後70年、日本住宅公団(現UR)発足60年。ネガフイルム3669本 約13万点をチェック。高島平、ひばりが丘、高根台、常盤平、善行、浜見平、尾山台、武里、取手井野など首都圏143団地から328点を厳選掲載。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(2/26予約、6/15受取)>rakutenフォトアーカイブ 昭和の公団住宅【海と山の民俗自然誌】篠原徹著、吉川弘文館、1995年刊<「BOOK」データベース>より漁師は、魚に対する生態的知識と、気象・海流・潮汐などの環境に関する知識が、釣りという技能の背後にあってはじめて漁ができる。そのような自然に対する知識の総体を、著者は自然知と呼ぶ。漁村・山村で行った観察・調査と、漁日誌や木地師の技能伝承をもとに、自然の生態と人間の自然知の関係を、民俗学のなかに位置づけた、はじめての民俗自然誌。<読む前の大使寸評>山林の植生とか民俗に関する深い調査内容が垣間見えて、大使をヒットするわけです。この本で、「植物民俗」という切り口をはじめて見たのです。rakuten海と山の民俗自然誌海と山の民俗自然誌byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き152
2016.06.15
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図書館で『ツリーハウスを作りたい』という本を手にしたのです。パラパラめくると、全国各地の作品が満載で・・・・アホの多さに驚くわけでおます♪【ツリーハウスを作りたい】ツリーハウス倶楽部編、二見書房、2016年刊<「BOOK」データベース>よりいつか木の上の家を作りたい…子どもの頃の夢を形にした遊び心満点の愉快なツリーハウス60棟。水木しげるの鬼太郎ハウス、EXILE ¨USAのDJブース・ヤシ子、糸井重里の東北に100棟の夢企画…など樹上のワンダーランド。<読む前の大使寸評>全国各地の作品が満載で・・・・アホの多さに驚くわけでおます♪rakutenツリーハウスを作りたいネコ用吊りハウスを見てみましょう。 p120~123 <みちのく吊りハウス:ゆきんこ>より わたしは岩手の田舎育ちですが、小学生の時から高校生のころまで、庭の伽羅木に登って本を読むのが好きでした。 伽羅木は1年じゅう葉っぱが繁っているから、潜り込んでしまえば外から見えません。 20年後の今でもやりたいのですが、重量オーバーで枝がもたないし、女のコ?が人目を忍んで木の中に潜り込むのは、まんず怪しい・・・。(中略)猫ちぐら(6480円) そんなある日、「猫ちぐら」をネットでみかけました。ちぐらとは東北の方言で、昔は農作業をしてる間、赤ん坊を入れておいた藁カゴのことです。これをヒントに、高いとこ大好き猫らのためにツリーハウスを作ってみることに。さっそく絵を描いてみました。初めは壁に木の皮を巻き、つる草の屋根をかぶせようと思いましたが、「やっぱ、ちぐらは藁でしょう」と思い直しました。 材料は板材と縄のロープと藁だけです。(中略) 次はいよいよ人間用かなと、うずうずしています。じつはもう「蓑笠小屋」と「雪んこ小屋」のイメージはできているのです。ネコ用吊りちぐらってか・・・・夢があるというか、アホというか♪二見書房のツリーハウス・シリーズを欠かさず読んでいる大使であるが・・・・10年ほど前に読んだ第1冊を見てみましょう。【ツリーハウスをつくる】ピーター ネルソン著、日本ツリーハウス協会監訳、二見書房、2005年刊<「BOOK」データベース>より「木の上の家」は夢じゃない。ツリーハウスが身近になった。森の中だけでなく、街のど真ん中にも建てられる。アメリカ、ヨーロッパ、日本…世界のツリーハウスを探訪。樹上で暮らす愉しみ。 <大使寸評>ツリーハウスが作りたい大使であるが・・・・誰かその場所と大木を提供してくれないものか、と夢想するのである。Amazonツリーハウスをつくるツリーハウスの魅力について、日本ツリーハウス協会HPに見てみましょう。日本ツリーハウス協会HPより■ツリーハウスの魅力 生きているものが土台だということ。 ツリーハウス以外にはない特徴です。 木の上で、木といっしょになって風を感じていると、人間は自然の一部なんだということをしみじみと感じることができます。 空がずっと近く感じて、木のざわめきや香りに包まれて、いつもとは違う視点から世界が見えて…。日常の煩わしさや、過剰な便利さからも隔絶された、なんともいえない非日常感。 また、生きるために絶対に必要なものじゃないということ。言ってしまえば、ムダなもの。だからこそ、既成概念にとらわれないで自由に楽しむことができると私たちは考えています。
2016.06.14
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図書館で『芸術新潮(2016年1月号)』を手にしたのです。パラパラめくると、マンガの頁が多いわけで・・・・江口寿史って、ギャグもイラストもええやんけ♪江口寿史×大友克洋の対談も載っているので借りたわけでおます。【芸術新潮(2016年1月号)】雑誌、新潮社、2016年刊<内容紹介>より特集:This is 江口寿史<読む前の大使寸評>江口寿史って、ギャグもイラストもええやんけ♪amazon芸術新潮(2016年1月号)江口寿史×大友克洋の対談の一部を見てみましょう。 p32~33 <マンガ的記号表現との戦い>より大友:オレたちが初めて会ったのは、いつだったっけ?江口:81年ですかね。オレは「ひばりくん」の連載が始まる直前で、1話目を描いていました。知り合いから、大友さんの仕事場に連れて行ってやると言われて。大友さんは「童夢」を描いていたのかな。オレが25歳で、大友さんは27歳だった。大友:そうか・・・。江口:オレは大友さんの作品に出会うまでは、ギャグをつくることに夢中で、絵には興味がなかったんです。自分がないままに絵を描いていた。それがね、たとえば、大友さんは“描かない”んですよ。大友:仕事をしないってこと?江口:違う!(笑)大友さんって細かく描くイメージが強いけど、ラフなところはラフ。バックが白だったり、描かないカッコよさ。それから、“汚し”。 「スターウォーズ」もそこがいちばん衝撃的だった。スピーダーとかが錆びていてカッコよかったんです。それまでのSFってピカピカだったから。 大友さんの作品や「スターウォーズ」などが、77年頃、同時期に出てきたのはどういうことなんだろう、という話は、以前の対談でもしたことがありますよ。大友:そうだっけ?江口:忘れてるんでしょう。大友さんとは、いつも酒を飲みながら話しているから(笑)。それから、もうひとつ例をあげると、タバコの煙の表現。あれって、揺らぐとクルッと回って裏返るんです。大友さんはそれを描いていた。 オレはタバコの煙なんて、しっかりと見たことがなかった。観察をしないで絵を描いていたということです。それまでは絵に興味がなかったから、たとえば、水島新司さんの絵を見て、野球のスパイクを描いていたりしたんです。絵には観察と理解、それが大事なんだと大友さんから学びました。マンガって、記号で描きますよね。鼻の描き方とかも・・・。大友:「し」の字というか、「く」というか。記号としてそれを描く人間と、ちゃんと鼻を描く人間とでは、つくる世界観がまったく違ってくる。江口:人間はすぐ記号にしちゃうの。夫婦や人間関係すらも記号になっちゃう。なんてね(笑)。大友:オタク系の絵はみんな記号だよね。だからおもしろくない。江口:大友さんはマンガの記号を無視したんです。オレは鼻の穴をふたつの点で表現して、浦沢直樹さんがそれについて「江口さんが発明した」と言ったんだけど、必ずしもそうではないんです。当時、いろんな人が試行錯誤していた。大友:日本のマンガって、受けることばかり考えてるよね。自分が描きたいものを描いているわけではない。昔の浮世絵とか見ても、あれが当時のお客さんに受ける絵なんだろうと思う。 マンガはそれに似ているんじゃないかな。西洋人のようなきれいな鼻のかたちをしていないし、横に広がった鼻を見たくないから、省略しちゃう。浮世絵の頃から変わってないのかも。鼻の穴をふたつの点で表現できるのは、江口寿史の発明だったのか♪江口寿史のイラストがええでぇ♪江口寿史の画像より
2016.06.14
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図書館で『とにかく散歩いたしましょう』という本を手にしたのです。小川洋子の著作といえば『博士の愛した数式』のタイトルを知っているだけで・・・その著作を読むのは初めてなのだが、動物好きのほんわりしたテイストが、いけるかも♪【とにかく散歩いたしましょう】小川洋子著、毎日新聞出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より締切前の白紙の恐怖。パン屋での五千円札事件。ハダカデバネズミとの心躍る対面。何があっても、愛する本と毎日の散歩ですべてのりきれる…心にじんわりしみるエッセー集。【目次】「る」と「を」/ハンカチは持ったかい/イーヨーのつぼの中/本の模様替え/散歩ばかりしている/ポコポコ頭を叩きたい/盗作を続ける/長編み、中長編み、長々編み/肉布団になる/自分だけの地図を持つ〔ほか〕<読む前の大使寸評>小川洋子の著作といえば『博士の愛した数式』のタイトルを知っているだけで・・・その著作を読むのは初めてなのだが、動物好きのほんわりしたテイストが、いけるかも♪rakutenとにかく散歩いたしましょう 本書は読みどころが多いのだが、感謝の心を述べているあたりです。p136~139 <オクナイサマが手伝ってくれる>より 「誰かが手助けしてくれたんだろうか」 と、私はつぶやいてみる。自分の声を聞かれたら、もうその誰かはやって来てくれないかもしれない、という勝手な思い込みから、声にならない声でこっそりとつぶやく。 『遠野物語』の中に、オクナイサマと呼ばれる神様が田植えを手伝ってくれるお話がある。田植えの人手が足らずに困っていると、どこからともなく現れた背の低い小僧が、ご飯も食べずに1日働き、日暮れとともに去ってゆく。家に帰ってみると、縁側に小さな足跡があり、座敷に祀られたオクナイサマの神像の腰から下が、泥にまみれていた。 自分にもオクナイサマがいるに違いない。私が落ち着きなく部屋をうろうろしている間、代わりにオクナイサマがパソコンの前に座り、キーボードを打って下さった。その小さな指で、カタ、カタ、カタ、と・・・。 オクナイサマに出会えるのなら、若者でなくなるのも別に悪いことではない。歳を取るのは決して不幸ではない。 父は晩年、痴呆が進み、私が娘であるのも分からなくなった。看護師さんに「この人誰か分かる?」と聞かれ、父は恥ずかしそうに「妹です」と答えた。 何の用事で二階へ上がったか忘れ、小指の爪は変形し、顔は白い粉をふいている娘なのだから、その父親が痴呆になってもしょうがないじゃないか。すべては順番どおりだ。自分のことより、常に子や孫の心配ばかりしてきた父が、ここでようやくその心配から解放されたのだ。これは喜ばしいことなのだ。弟はたくさんいるけれど、妹は一人もいないから、一度妹というものを持ってみたかったのかもしれない。それならば、私が妹になろう。お安い御用だ。そう、自分に言い聞かせた。 丁度その時、私は出版されたばかりの新しい本を持っていた。 「・・・・を・・・・いて・・・・と・・・・ぐ」 父は本を手に取り、タイトルの平仮名だけを読み上げ、それからパラパラとページをめくった。 「この本、私が書いたのよ」 と言うと、父はびっくりして顔を上げた。 「これ、全部?」 「うん、そう」 「えっ・・・・」 しばらく絶句したあと、本を握ったまま父はぽつんと言った。 「こんなに書いたら、死んでしまう」 娘のことは忘れたのに、娘を心配する心だけは忘れていなかったらしい。やはり生きているかぎり、心配のない国へ行くのは難しいのだろう。 「大丈夫よ」 私は父の背中を撫でた。 「オクナイサマに手伝ってもらったから」 それでも、いつまでも父は娘の書いた本の表紙を見つめていた。先ごろ、父の三回忌を済ませた大使であるが・・・・エッセイに書かれた感謝の心に、しんみりするわけでおます。
2016.06.13
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図書館で『上方食談』という本を手にしたのです。・・・おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたい大使でおま。【上方食談】石毛直道著、小学館、2000年刊<「BOOK」データベース>より京都・大阪四十余年の東男、鉄の胃袋・石毛直道が京都・大阪・神戸 関西の食の真髄を語り明かす。【目次】上方食談(上方と江戸・東京/カツオとタイ/上方うまいもん尽くしその一/関西の味は淡色文化)/浪花の食(着倒れから食い倒れへ/にぎりと箱ずし/上方うまいもん尽くしその二/上方落語とざるそば/食べもの上手の大阪文化)/京の食(京都ブランド/上方うまいもん尽くしその三/「簡素」と「豪華」の京の食文化/錦市場探訪/東西対抗われらが懐かしき食)<読む前の大使寸評>おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたいわけでおます。rakuten上方食談 大使の好物にバッテラがあるのだが、そのあたりが載っているので見てみましょう。p132~133 <サバずし>より 関西人の好物に、サバの棒ずしがある。大阪ではバッテラというが、これはポルトガル語でボートをあらわすバッテーラに語源をもつ。コノシロの姿ずしが舟の形をしているのでバッテラとよんだが、のちにサバずしの名称になってしまった。 海外からの輸入物のサバがおおくなったが、近海のサバに脂がのって、いちばんおいしいのは秋だ。 いまでは新鮮なサバに塩をして、サバずしをつくることもおこなわれるが、冷蔵技術が発達しない時代には、塩サバを原料とした。京都へは若狭の塩サバが山を越えて、いわゆる鯖街道を経由して運ばれ、大和、大阪には熊野の塩サバが船で運ばれてきた。 京都の祭りのごちそうは、サバずしだ。五月の葵祭はまだしも、サバの脂のぬけた七月の祇園祭にも、ハモ料理とならんで、サバずしがないと承知できないのだ。 秋の京都では、すこしずつ時期をたがえて、さまざまな祭りがある。そのたびごとに親戚や知人のあいだで、サバずしの贈答がおこなわれる。 もともとは、祭りのさい、人を自分の家に招待して、自家製のサバずしでごちそうをした。家庭でお客をしないようになった現在、秋祭りにサバずしを贈答することが、新しいしきたりとなった。 サバずし、赤飯、かまぼこ、卵のだし巻きなどに酒の小瓶を添えて、とどける。近頃では、自家製ではなく、近所のすし屋で買ったサバずしである場合がおおい。京都の食文化について、石毛さんと森谷さんの対談を見てみましょう。p161~162 <京都人の朝昼晩>より石毛:わたしみたいに関東で育った人間は、朝、みそ汁を飲むのは当たり前だと思ってたわけですね。ところが京都へ来たら、塩からいみそ汁なんて年に何回もつくらない。森谷:しませんな。まあわたしのうちではみそ汁よくしますけど、だいたい白みそです。石毛:白みその上等なのは半麹でつくるんですね。あれは味がたいへん濃厚なもので、一種のリッチなポタージュっていう感じです。だから塩からいみそ汁を毎日飲むのは、農民の感覚だというような、一種のコンプレックスに陥る。森谷:京都はおすましがおつゆですから、みそ汁に慣れている人はひじょうに頼りなく思うんじゃないですか。石毛:もともとみそというのは、みそ汁にするものではなくて、調味料なんです。みそのいちばん重要な役割は調味料だった。それが近世になって、しょうゆが調味料の役割をはたすようになり、みそは汁物専用になってくる。江戸時代から、それまでいちばん重要な調味料だったみそにしょうゆがのっかってきて、とくに明治以降は全国的にしょうゆがのしてえきて、みそで煮るのが煮物だったのが、しょうゆで煮るようになった、そういう変わり方をするんです。森谷:そうですね。だからみそ汁というのはいわば調味料が敗退した姿ですね。しょうゆに侵略されて、そういうかたちで残った。石毛:女房は京で二代目なんですが、毎食みそ汁を要求するというのはどういうことか、ほんとにあんたはみそ汁が好きだっていわれます(笑)。そんなわけで京都の食生活は身をもって知ったりするのですが、ちょっと前の時代の、京の町屋の朝昼晩というのはどういうものだったのでしょう。森谷:朝から平気でお粥を食べますし、お茶漬けを食べますね。石毛:そのときはおもなおかずは漬物ですか。森谷:お漬物。これはどういうわけかそういうふうになっております。 おもしろいことばがあって、「西陣の粥腹、室町の茶漬け腹」っていうんです。だいたい中世はお粥がおおく、強飯はあんまり食べない。コワメシいいますけどね。お粥の伝統はあるんです。だからお粥を食べることはべつに不思議じゃない。 これがだんだん発達してくると、ふつうのご飯をいただく。これは少しずつ経済が豊かになっていくバロメーターでもあります。で、西陣がお粥腹で、室町はお茶漬けだとしてもふつうのご飯が食べられるというのは、それだけ経済の格差があるんですな。対談の続きです。p171~173 <江戸を席巻した京料理>より石毛:東京は現在まったく京料理に席巻されていますが、それは関東大震災以後ですね。そして、高度成長期に京料理とか、関西料理というものが全国制覇をする。この時期に入り込んでいった料理は、本膳料理が懐石料理になったときと同じような省力化がおこなわれていて、本格的な茶懐石風なものでもなく、もうひとつ崩したかたちだったし、大阪との交流で海の魚も使うようになったものです。それがまた大いに受け入れられて、東京に京料理が定着するということになったようです。森谷:なるほどそうかもしれませんな。その前の段階になりますが、江戸時代に京料理が江戸に行っておりますね。それは京の包丁人が江戸城に雇われたというかたちですね。将軍様は京風料理を食べはった。綱吉、家宣などは好んで京風のものを真似し、とり入れています。石毛:しかし、それがただちに江戸の一般の料理に入り込んでいくというまでにはいたっていませんね。森谷:それはなかなかすぐにはいかないんですね。江戸というのは、いったいに独身者ばっかりの街でしょう。女がすくないという点ではアメリカの西部と一緒や。だから独身のための料理、すぐ食べられる単品料理みたいなものが発達して、いうてみれば煮売り屋さんの世界ですがな。19世紀になると多少事情がちがってきて、お江戸の文化が発展するにしたがって〈八百善〉のようなものが京都の影響を受けてできあがっていきます。石毛:江戸の単品料理というのは、いっぽうではたいへん現代的なものとつながるんですが、スナックの系統がひじょうに発達するんです。すしだとかそばとか天ぷらだとか屋台物が発達する。京料理の本質はそういうものとちがって、あくまでワン・セットの料理であるということですね。森谷:そうですね。そばではなくそうめんというものがありますが、そうめん屋という独立したものにはすぐにはならないんです。そうめんもあくまで料理のワン・セットの中にあるんです。『上方食談』1
2016.06.12
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図書館で『勉強上手』という本を手にしたのです。いわゆるハウツー本ではあるが・・・・成毛さんのはご利益がありそうでおまへんか♪【勉強上手】成毛真著、幻冬舎、2012年刊<「BOOK」データベース>より自分の市場価値を高めるために資格を取り英語を学び、セミナーに通っても、出世に見合う給料が期待できない今は、努力と時間がムダになるだけ!元マイクロソフト社長が芸は身を助く新時代の到来と、テレビやインターネットを駆使した勉強法を大胆提言。努力ゼロで効果10倍。学ぶってこんなに楽しいことだった!【目次】第1章 得意分野だけが武器になる理由(芸が身を助ける時代になった/オールラウンドにできる人を目指すな ほか)/第2章 もう努力は必要ない(記憶力を高める時代は終わった/必要のない英語、セミナーに時間を割く人が多すぎる ほか)/第3章 これだけ読めば充分!勉強法ブックガイド(『「超」勉強法』野口悠紀雄/『竹中式マトリクス勉強法』竹中平蔵 ほか)/第4章 「得意」を最短で最強にする方法(要となる情報リテラシーはこう身につける/ツールは最小限のものを使いこなせ ほか)<読む前の大使寸評>いわゆるハウツー本ではあるが・・・・成毛さんのはご利益がありそうでおまへんか♪rakuten勉強上手 読みどころが多い本であるが、まず、この本のキモあたりを見てみましょう。p68~69 <好きなことには誰でも120%の力を出せる>より 何でもいいから、自分の好きなことは続けていればいい。 TOKYO PANDAさんの例のように、起業するつもりもなく好きなことをやっている人でも、誰かの目にとまればビジネスに結びつく。 今の時代、何がビジネスになるか分からない。どこかに新しいビジネスの形を考えつく人がいるかもしれない。それまでまったく接点がなかった人同士でも「面白そうだ」と興味を持てば、比較的簡単にコンタクトできるのがネットの優れているところだ。 そのうえ、好きなことには誰でも120%の力を出せる。いくら仕事で疲れていても、好きなことなら苦にならない。 ネットが炎上するのは、仕事や日常生活での不満をコントロールできないからではないだろうか。顔も見えない相手に感情的になるのはバカバカしいと、冷静になれば分かる。 人を攻撃したり、足を引っ張るのは余裕がないからである。ただでさえ好きではない仕事をしてストレスがたまっているのに、クビを切られては困るとプライベートの時間を犠牲にして勉強していたら、心はすさんで当たり前だ。 好きなことにのめり込んでいれば、他人はどうでもよくなる。揺るがない自分の軸ができるのだ。精神を健全に保ち、バランスよく生きる究極の健康法と言えるかもしれない。ウン ご説ごもっとも・・・・でも、好きなことをビジネスにつなげることは、言うは易しであって・・・。70歳を過ぎた頃から秀作を連発しているクリント・イーストウッドが、ええでぇ♪p141~142 <これからは感性を高める勉強を最優先せよ>より 今まで、感性とは生まれ持っているものだと考えられていた。 しかし、私は感性とは鍛えるものだと考えている。 黒澤明監督は若い頃は『七人の侍』『羅生門』といった、映画史に残る挑戦的な作品を次々と生み出した。ところが、晩年は『夢』『まあだだよ』のような、ほのぼの系の作品が多かった。これは年齢だけが関係するとは思えない。 同じく高齢のクリント・イーストウッドは若い頃に監督した『ダーティハリー』のような痛快アクションもいいが、むしろ70歳を過ぎた頃から秀作を連発している。アカデミー賞を受賞した『ミリオンダラー・ベイビー』、硫黄島の戦いを描いて話題になった『硫黄島からの手紙』、ネルソン・マンデラをモデルにした『インビクタス』など、とても70歳を過ぎた人が監督したとは思えない作品ばかりなのだ。 最近のインタビューで、クリント・イーストウッドはこう答えている。 「私は自分にリミットを設けていない。あと何本撮るかも考えていない。ただ、いつも新しいアイデアに耳を傾け、新しい題材を探している。そうして、常に新しい何かが生まれてくるわけなんだ」 その創作意欲の源は、実にシンプルな法則にあったのである。 貪欲に好奇心を持っている限り、感性は何歳になっても衰えない。80歳を超えても20代の感性を持っていられるかもしれない。その逆もしかりで、鍛えないと20代で80代の感性になってしまうかもしれないのだ。 だから、皆さんもこの勉強法を実践して、感性を磨き続けて欲しい。 そして自分の好きなことや得意分野をいつも研ぎ澄ませておけば、自分を助ける武器となるだろう。 ウン 三つ子の魂百まででんな♪
2016.06.12
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図書館に予約していた『漬け物大全』という本をゲットしたのです。とにかく、発酵食品の権威ともいえる小泉武夫さんの本だから、かなり期待できると思うのです。【漬け物大全】小泉武夫著、平凡社、2000年刊<「BOOK」データベース>より漬け物なくして人類の食卓は成り立たない。塩漬けから糠漬け、味噌漬け、酢漬け、粕漬けなど、素材も漬け床もつくり方も実に多種多様な漬け物を、発酵食品の王国日本をはじめ、中国、韓国、東南アジア、ヨーロッパなどにたずね、食文化の達人が蘊蓄を傾ける。美味か珍味か、それとも怪味か。驚異に満ちた漬け物の世界を渉猟しよう。 <読む前の大使寸評>とにかく、発酵食品の権威ともいえる小泉武夫さんの本だから、かなり期待できると思うのです。<図書館予約:(5/26予約、6/5受取)>amazon漬け物大全大使の好きな漬け物を挙げてみると・・・・いぶりがっこ ・高菜漬け ・カブラ漬け ・カツオの酒盗 ・ザーサイ ・キムチ ・ザウワークラウト ・ピクルスあたりか♪ 本書は読みどころが多いのだが、世界各国の漬け物を見てみよう。p36~38 <酢をもっとも早く取り入れたバビロニア>より 第三章で世界各国の漬け物について述べるが、それがいったいいつ頃からはじまったのかという正確な時期はわれわれにはわからない。しかし、漬け物には多くの場合、塩を使うことを考えると、生活にとって不可欠の物質である塩で食材を保存するということを考えた時点で、各地で漬け物の原型が誕生したのであろう。ザワークラウト キャベツを塩漬けして発酵させた「酸っぱいキャベツ」であるザウワークラウトは、紀元前からヨーロッパ一帯で食べられたいた、と書いた本もあるが、文献などで推測するかぎり、中世に中央アジアから伝わってきたとするのが今日の定説のようだ。 しかし、ヨーロッパの漬け物の歴史を調べてみると、キュウリの酢漬けであるピクルスは、今一つの代表的漬け物であるザウワークラウトに比べるとずっと古い時代から食べられてきた伝統的漬け物であった。 ピクルスの漬け汁である酢は、前にも触れたように酒からできる。英語で酢のことをビネガーといい、その語源はフランス語のvinaigre’すなわち「酸っぱいワイン」である。ワインの中のエチルアルコールが空気中に浮遊している酢酸菌の侵入を受け、酢酸になる。だから昔から、酒の管理をちょっと油断しただけで、酒が酢に変身してしまったなどということは少なくなかった。 そして大昔から、そのように酸っぱくなってしまった酒、すなわち酢のことを中国では「苦酒」、日本では「酸酒」、西欧では「酸っぱいワイン」と呼んでいた。 さて、その酢は紀元前5000年頃のバビロニアにはすでにあったとされ、中国・周の古代王朝と並んで、歴史上もっとも早く酢を食生活に取り入れた帝国だといわれている。 酢と漬け物の発生関係はアメリカ大陸でも古くから見られた現象である。とりわけアルゼンチンやブラジルといったスペイン系、ポルトガル系の移民国家は別として、ボリビアやペルーなどのアンデス地方に住むモンゴロイド系の民族においては、ヨーロッパや中近東、アフリカと同じく酢漬けはかなり古い時代からたしなまれてきた。その主原料はトウモロコシで、トウモロコシの酒から酢をつくり、それに野菜を漬けていた。 そして、保存効果や風味付与という酢の機能性から、さまざまな根菜などの野菜が漬け込まれ、酢漬け(ピクルス)ができたわけである。ピクルスは最初は材料を酢だけで漬け込んだものであったが、その後、酢にさまざまな香辛料が加えられ、今日の形になってきた。大使が若かりし頃、フランクフルト・アムマイン駅の立ち食いコーナーでフランクフルト&ザワークラウトを食べたことがあり、その懐旧の想いから、ときどき「ドイツ大使館」という店に出かけてフランクフルト&ザワークラウトを所望するのでおま・・・いわゆる禁断症状でしょうか♪『漬け物大全』1ドイツの保存食『ザワークラウト』を作りましょう♪がお奨めです。
2016.06.11
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図書館で『信州秋山郷 木鉢の民俗』という本を手にしたが・・・全国の木地師の動向が気になるのです。【信州秋山郷 木鉢の民俗】日本木地師学会編、川辺書林、2010年刊<amazon説明>より 豪雪の秘境として知られる長野県最北端の栄村「秋山郷」。トチノキを材料とする木鉢(こね鉢)の製作は、江戸時代から冬期の重要な生業であった。そば粉・小麦粉・雑穀などを木鉢でこねた麺や「アンボ」と呼ばれる饅頭は、山村の独特な食文化を象徴してきた。 本書は地理学・地誌学の泰斗で秋山郷研究の第一人者である市川健夫氏と日本木地師学会会員により、秋山郷の風土と木鉢づくりの技術的背景を解説しながら、日用器物を通じて山と人との関わりを再考する。存続が危惧される全国の木地師の動向にも言及する。<読む前の大使寸評>全国の木地師の動向が気になるのです。それにしても、米なしの雑穀だけの食文化というのには驚くわけです。樹木とか木地師というジャンルは、大使のツボなんでおます♪rakuten信州秋山郷 木鉢の民俗 グローバリズムにさらされると、民芸や工芸はかくも脆いものなのかと思うのです。中国の安値攻勢には、関税障壁でガードするしかないのかも?また、適する木材が枯渇してきた状況は如何ともしがたいのか?p129~130 <北海道の木工ろくろ職人の窮状>より 知床、阿寒湖、小樽、札幌は北海道を代表する観光地であるが、北海道の観光土産品は様変わりしている。木工ろくろ製品はほとんどが中国製品であり、最近の不景気で、もう北海道では民芸、工芸では生活できないのが実情である。 北海道特有の木材、木目の美しい瘤や特殊な杜の木材が、この5年間で枯渇してしまっている。私は挽物の仕事を専業としてきたが、いまでは売れるものはゼロ。売れる挽物製品はまったくないのが現状である。北海道特有の材料が入手できないことが痛手である。 北海道の風土に根ざした製品を作りたい、と北海道独自のデザインを考えて作っても、1000円以上のものは観光土産物として売れない。ボールペンの軸を美しい木目の木で作っても、値段が高くなるので結局売れない。 地元の作り手が新しいデザイン・新製品を開発し、問屋へ持っていく。ところが2ヵ月後に、同じ製品が海外で作られ、安い値段で観光地の土産物店で販売されている。以前は2年、3年と期間が長く、その間は自分で作ったものが売れ、生活のメドが立った。そして次の新しいデザインを考えることができた。いまはスピードが早く、新しいデザインの製品を作る余力が失われてしまった。 私の持っている挽物、ろくろ技法をもってしても、いくら個人で努力しても、どうすることもできない社会になってしまった。仕事、手作り、モノ作りは狭く限られた地域だけでは解決できない社会になってしまった。私も挽物、ろくろの仕事で生きていくのは絶望的である。 このことは私のような「挽物、木工ろくろ」職人だけでなく、地域の「老舗」ですら商売が崩れている。財産があり地位があっても、経済的に立ち行くことが出来ない状態になっている。こうした社会情勢に、国でも打つ手がない。 現在、私は挽物の仕事は下請けに徹している。例えば「建具」や「家具」の「つまみ」など、私でなければ出来ない仕事がまれに来ることがある。1ヵ月のうち、この仕事をするのは1週間程度である。 私が住んでいる町は北海道網走郡美幌町であるが、長野県の木曾漆器、南木曾ろくろ細工、秋田県湯沢市の川連椀のような挽物やろくろの伝統がない。したがって永続性がない。 いまの不況、現状を耐え抜き、子供が成長し夫婦二人だけの生活になったら、私が長い間努力しつちかってきた「ろくろの技術」を生かしていきたいという淡い夢を持っている。それはあくまでも夢である。後ろ向きの人生であるが、本当に厳しい「木工ろくろ」職人の現実の姿である。(松下敏夫)この本を読むと、木地師という技術、文化が消滅の危機にあることがよくわかります。いちど消えた文化を再興するのは・・・かなり難しいのでしょうね。この記事も木地師について収めておくことにします。
2016.06.11
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図書館で『大阪名物』という本を手にしたのです。・・・おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたい大使でおます。【大阪名物】井上理津子×団田 芳子著、創元社; 新版、2012年刊<「BOOK」データベース>より厳選約70品、名物案内の決定版にして最新版。みやげもん。うまいもん。ほんまもん。大阪に名物、あります。<読む前の大使寸評>何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたい大使でおます。amazon大阪名物 読みどころの多い本であるが、古式こんぶ茶から、いくで!p8~9 <古式こんぶ茶>より 「大阪の誇り」「食の正義の味方」「食文化の守護神」。この店の三代目・土居成吉さんをひとさまに紹介するときに私が使う慣用句だ。大袈裟?・・・いやいや。おちょくっている?・・・とんでもない、大真面目である。 江戸期に北前船でもたらされた北海道の昆布が、大阪で加工され、塩昆布やとろろ昆布、世界に誇る日本料理の基礎となる昆布だしを生みだした。 そんな伝統ある大阪の食文化を守り育て、本物を次代に伝えること。それを、創業百有余年の「こんぶ土居」の使命と、最上級の真昆布を揃え熟成させ、昆布生産者の生活環境にまで心を砕き、便利でなければ本物もすたれると「日本の出し」などのアイデア商品を出し続けている。三代目は、まるでいにしえの貴人のように風韻のある方だが、料理人の集う勉強会で、「うまみ調味料を使うのは料理人の恥だと思ってください」と静かな声音できっぱりと諭したりもする。誠にもってこのように清廉な人物を私は他に知らない。 店は空堀商店街の一角にある。元銀行だった建物を改修した堂々たるものだ。古い建物が壊せるのが忍びなくて、「うちもお金はないんですが」と言いつつ、近所から移転したのは10年ほど前だったか。最寄りの谷町6丁目は私の事務所の隣の駅なので、母の好物の梅味のおやつ昆布や、手抜き家事のお助けグッズ「十倍出し」を買いに、ちょいちょい覗く。するとかなりの確率で知った顔に出会う。 阿波座の星つき懐石料理屋の主や手打ちうどんの店主など、だしの味が際立つ名店の料理人たちだ。ある日、「僕これにはまっているんですよ」と小さな瓶を指し示したのも、偶然居合わせた割烹の店主だった。早速試し買いした「古式こんぶ茶」に、私もすぐに虜になった。 「2002年くらいだったか、まともな昆布茶が非常に少ないのでつくったんです。売れなくてもいいと思っていたんですが、売れなくもないんですね。不思議に」と土井さんは微笑む。 化学調味料や大量の塩を使わずに、きちんと昆布の滋味を味わえる昆布茶ができないか。昆布の粉を湯に溶いてもどろっとして美味しくない。試行錯誤していたおり、ご近所のお年寄りから、「昔は昆布を短冊に切って炙ってお湯をかけて飲んだ」と聞いた。 化学調味料が広まる以前の話なのだろう。それをヒントに、「味の濃いのに慣れている現代の人にも美味しいと思ってもらえるようなもの」ができた。細切りの昆布を湯飲みに一つまみ入れ、お湯を注いで3分置けば、何ともまろやかで滋味深い、しみじみ心を満たしてくれるような昆布茶になる。ただし、これを東京の友人宅に手土産に持って行き、得々といれたらいつものうまみが出なくて焦った。水のせいらしい。 そう言えば京都の老舗料亭が東京に出店したとき、「美味しいだしを取るために必要だから」と、わざわざ京都から水を運んでいたっけ。というわけで、必ず軟水を使っていれてほしい。古式こんぶ茶瓶いり(38g):470円お次は、白菜キムチやで♪p42~43 <白菜キムチ>より 唐突だが、私はO型である。O型は、狩猟民族の裔ゆえ肉食で、乳酸菌食材としてキムチを食べると体に良いらしい。血液型占いなぞ信じないし、ことさら健康志向でもないが、この話は肉食でキムチ好きの私にはまことに好都合。よって喜んで毎日キムチを食べている。どうせ食べるなら旨いものを食べたいから、キムチ屋を見つけるたびに買って食べ比べている。 そして結論。一番本場に近いキムチがあるのは桃谷だ、と私は思う。桃谷には日本最大のコリアタウンがある。駅に着いた瞬間に焼肉の臭いが電車内になだれ込むと有名な、環状線の鶴橋のひとつ南が桃谷駅。駅前に商店街があるが、ここはまだ“日本”なので、軽くスルーしてアーケードを抜ける。左折して御幸森天神宮の裏手へまわると、極彩色の百済門がたっている。 これが戦前から朝鮮市場と通称され、御幸通東商店街と改称し、今はコリアタウンと名乗る商店街の入り口だ。門をくぐると途端に、看板や店と客の会話にハングルが混じりだす。染め粉のような唐辛子の粉が数十種もある乾物屋や豚肉専門店、ありとあらゆる朝鮮食材の店が並ぶ。鶴橋にもコリアンな商店街があるが、こちらはより日常的で、その分値段も少々安めだ。 キムチ専門店は20軒ほどあり、私の気に入りは、商店街の中ほどにある「キムチのふる里」。2002年にオープンした店は、比較的小ぎれいだし、よそにないものを出して差別化を図ろうと意欲満々ノキムチは60種!済州島から昭和57年に日本に来た、元気で明るい中村順女さんが毎日漬けている。 大根はカクテキのほかにチャンジャと漬けたもの、干し大根、大根の葉と数種、トラジと呼ばれる桔梗の根っこ、ニラ、トマト、小松菜、大豆、生イカ、明太子、ワタリガニ。なんだってキムチになる。 白菜キムチは1キロ600円。そう、キロ単位だ。鶴橋には観光客用の小口の真空パックなんかもあるのだが、ここはデイリーな商店街なので、1キロのキムチを近所仕様でドサッとビニール袋に入れるだけ。臭いが気になる人には、アイスボックスなどを準備いただかなくてはなるまい。白菜キムチ1kg:600円関西の食の真髄については『上方食談』もお奨めです。
2016.06.10
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図書館で『上方食談』という本を手にしたのです。・・・おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたい大使でおます。【上方食談】石毛直道著、小学館、2000年刊<「BOOK」データベース>より京都・大阪四十余年の東男、鉄の胃袋・石毛直道が京都・大阪・神戸 関西の食の真髄を語り明かす。【目次】上方食談(上方と江戸・東京/カツオとタイ/上方うまいもん尽くしその一/関西の味は淡色文化)/浪花の食(着倒れから食い倒れへ/にぎりと箱ずし/上方うまいもん尽くしその二/上方落語とざるそば/食べもの上手の大阪文化)/京の食(京都ブランド/上方うまいもん尽くしその三/「簡素」と「豪華」の京の食文化/錦市場探訪/東西対抗われらが懐かしき食)<読む前の大使寸評>おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたいわけでおます。rakuten上方食談 読みどころの多い本であるが、まず寿司の好みから。p67~68 <にぎりと箱ずし>より 江戸前のにぎりずしは、料理技術よりも、ネタのよし悪しに左右される。 にぎりかたの上手下手よりも、いかに鮮度のよい魚を仕入れるかにかかっているのだ。そこで、東京のすし職人は魚屋の延長線上にある。魚屋のようにイセイがいいが、ときには客を客と思わぬ態度が反感をかう。 にぎりずしの対極に位置するのが、大阪の箱ずしだ。それは、手間ひまをかけた料理としてのすしである。「めしに六分の味」といって、大阪ずしの専門店では、すしめしの味を重視する。コンブでめしを炊き、塩、酢、砂糖で味つけをする。箱ずしは包丁で切って食べるので、切り口のめしの白さを見せるために白酢を使う。 箱ずしの木枠にめしを入れ、中子といって、何時間もかけて煮ふくめたシイタケやキクラゲのみじん切りを敷き、そのうえに、まためしをのせる。 酢じめにしたタイや、ゆでたエビ、アナゴのかば焼き、白身魚のすり身をいれた厚焼き卵などの上張りをならべ、押しをかける。つくってから2時間くらいしたほうが、具とめしがなじんでおいしくなる。 長方形に切った箱ずしの一切れの表面には、二種類の上張りが彩りよく配置される。めしでつくったケーキのような外観だ。酢の物、焼き物、煮物といった日本料理の基本技術が箱ずしの一切れに凝縮されている。 さっぱりした味が売り物のにぎりずしにくらべると、箱ずしは深い味わいを楽しむ、おとなの食べ物だ。 いま、すしといえば、全国どこででも江戸が発祥のにぎりずしを指すようになった。大阪でも箱ずしだけを看板にして商売する店はほんとうに少なくなっている。それでも、全国各地には、長崎の大村ずし、愛知・岐阜のハエずし、相模湾のアジの押しずしなど、まだたくさん残っている。これら地方の箱ずしは、ご飯とネタを箱のような器に入れてギュッと押しつけてつくる。場合によっては重石をのせて、何日か寝かせることもある。 箱ずしは本来家庭料理であるから、郷土料理として特定の地方でだけつくられ、全国に知れわたることはない。お次はホルモンです。p96~97 <ホルモン>より 「ホルモン焼」「ホルモン煮込」の看板やのれんが、大阪の街からすくなくなった。東京の「もつ焼」が「ホルモン焼」、「もつ煮込」が「ホルモン煮込」にあたる。 大阪で捨てることをホルといい、物をモンという。そこで「放る物」がホルモンになったのだという説がある。食糧難の昭和20年代に、それまで捨てていたウシの内臓を韓国・朝鮮風の味つけで食べさせる店が大阪にふえた。そのさい、しゃれで「放る物」をホルモンとよぶようになったのだという。 話としてはおもろいのだが、友人の料理研究家、奥村彪生氏の調査によると、そうはならない。戦前神戸で料亭を経営していた有名な料理人が出版した本に「ホルモン料理」の章があり、内蔵の料理法が書かれている。心斎橋近くのレストランはオムライスの元祖の店として有名だが、この店が昭和12年に「ホルモン煮」という内蔵料理を商標登録している。 関西では、戦前から内蔵料理を、ホルモンということが知られており、昭和20年代の大阪を発信地として普及した韓国・朝鮮風の内蔵料理がその名を受け継いだ、というのが奥村説だ。
2016.06.10
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「京阪神」でしょうか♪<市立図書館>・とにかく散歩いたしましょう・勉強上手・大阪名物<大学図書館>・上方食談・信州秋山郷 木鉢の民俗図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【とにかく散歩いたしましょう】小川洋子著、毎日新聞出版、2012年刊<「BOOK」データベース>より締切前の白紙の恐怖。パン屋での五千円札事件。ハダカデバネズミとの心躍る対面。何があっても、愛する本と毎日の散歩ですべてのりきれる…心にじんわりしみるエッセー集。【目次】「る」と「を」/ハンカチは持ったかい/イーヨーのつぼの中/本の模様替え/散歩ばかりしている/ポコポコ頭を叩きたい/盗作を続ける/長編み、中長編み、長々編み/肉布団になる/自分だけの地図を持つ〔ほか〕<読む前の大使寸評>小粋なエッセイ集や、おまへんか♪rakutenとにかく散歩いたしましょうとにかく散歩いたしましょうbyドングリ【勉強上手】成毛真著、幻冬舎、2012年刊<「BOOK」データベース>より自分の市場価値を高めるために資格を取り英語を学び、セミナーに通っても、出世に見合う給料が期待できない今は、努力と時間がムダになるだけ!元マイクロソフト社長が芸は身を助く新時代の到来と、テレビやインターネットを駆使した勉強法を大胆提言。努力ゼロで効果10倍。学ぶってこんなに楽しいことだった!【目次】第1章 得意分野だけが武器になる理由(芸が身を助ける時代になった/オールラウンドにできる人を目指すな ほか)/第2章 もう努力は必要ない(記憶力を高める時代は終わった/必要のない英語、セミナーに時間を割く人が多すぎる ほか)/第3章 これだけ読めば充分!勉強法ブックガイド(『「超」勉強法』野口悠紀雄/『竹中式マトリクス勉強法』竹中平蔵 ほか)/第4章 「得意」を最短で最強にする方法(要となる情報リテラシーはこう身につける/ツールは最小限のものを使いこなせ ほか)<読む前の大使寸評>いわゆるハウツー本ではあるが・・・・成毛さんのはご利益がありそうでおまへんか♪rakuten勉強上手勉強上手byドングリ【大阪名物】井上理津子×団田 芳子著、創元社; 新版、2012年刊<「BOOK」データベース>より厳選約70品、名物案内の決定版にして最新版。みやげもん。うまいもん。ほんまもん。大阪に名物、あります。<読む前の大使寸評>何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたいわけでおま。amazon大阪名物大阪名物byドングリ【上方食談】石毛直道著、小学館、2000年刊<「BOOK」データベース>より京都・大阪四十余年の東男、鉄の胃袋・石毛直道が京都・大阪・神戸 関西の食の真髄を語り明かす。【目次】上方食談(上方と江戸・東京/カツオとタイ/上方うまいもん尽くしその一/関西の味は淡色文化)/浪花の食(着倒れから食い倒れへ/にぎりと箱ずし/上方うまいもん尽くしその二/上方落語とざるそば/食べもの上手の大阪文化)/京の食(京都ブランド/上方うまいもん尽くしその三/「簡素」と「豪華」の京の食文化/錦市場探訪/東西対抗われらが懐かしき食)<読む前の大使寸評>おお 東京嫌いの大使向けの本やないけ♪何でもかんでも東京へという1極集中の風潮に逆らいたいわけでおま。rakuten上方食談上方食談byドングリ【信州秋山郷 木鉢の民俗】日本木地師学会編、川辺書林、2010年刊<amazon説明>より 豪雪の秘境として知られる長野県最北端の栄村「秋山郷」。トチノキを材料とする木鉢(こね鉢)の製作は、江戸時代から冬期の重要な生業であった。そば粉・小麦粉・雑穀などを木鉢でこねた麺や「アンボ」と呼ばれる饅頭は、山村の独特な食文化を象徴してきた。 本書は地理学・地誌学の泰斗で秋山郷研究の第一人者である市川健夫氏と日本木地師学会会員により、秋山郷の風土と木鉢づくりの技術的背景を解説しながら、日用器物を通じて山と人との関わりを再考する。存続が危惧される全国の木地師の動向にも言及する。<読む前の大使寸評>樹木とか木地師というジャンルは、大使のツボなんでおます♪rakuten信州秋山郷 木鉢の民俗信州秋山郷 木鉢の民俗byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き151
2016.06.09
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図書館に予約していた『南シナ海』という本をゲットしたのです。人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態・・・今も現在進行形の戦略的要所ともいえる南シナ海は、中国嫌いの大使にとって看過できない場所でおます。【南シナ海】ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約済み、6/05受取)>rakuten南シナ海著者は、エピローグで中国脅威論と世界平和を語っています。p358~359 <エピローグ>よりU字型ライン 私はこの問題はもっと根が深いと思っている。小学校から政治局まで、「U字型ライン」(九段線)は世俗の宗教になっている。この神話の起源は、帝国から共和国に移行するさいの中国の混乱の歴史にあり、容易なことでは振り払えないだろう。はるか海中の岩礁の帰属が、国内問題から目をそらさせたい指導者にとって完璧な目くらましになる一方で、政府が大言壮語のレベルを上げれば上げるほど、あがった梯子をおりて地道な決着をつけるのが難しくなっていく。 「U字型ライン」は、今後も東南アジアの国際関係を毒しつづけるだろう。20世紀を通じて、ナショナリズムに駆られた地図制作者たちが政治的な地図を作りつづけたせいで、新たな「アジアの世紀」はおびやかされ、何十億という人々にいやます繁栄をもたらすチャンスが危うくなっているのだ。 中国の指導部にも、論争の枠組みを変えたいと望み、国連海洋法条約の原則に基いて和解に到達したいと望む人々がいるのはまちがいない。しかし、威信が目的であれ利益が目的であれ、過大な要求を叫ぶ圧力団体のほうが力が強いのだ。これらの国内の利益団体、とくに軍や石油会社、沿岸のいくつかの省のとる行動は、東南アジアの食料、エネルギー、政治的安定に対する脅威になっている。 中国政府の公言する「平和的台頭」という方針の信頼性もそれで損なわれているのだが、にもかかわらず中央の指導部はその手綱を引き締めるのをためらっているようだ。共産党指導部の正統性はいまのところ、国外の是認よりもむしろこれらの圧力団体の承認にかかっているからである。 しかし、圧力団体が中国の政策をこの方向に押しやれば押しやるほど、近隣諸国のあいだで「中国脅威論」はいよいよ大きくなり、対抗策をとりたいという動機も大きくなる…その手段は自前の軍を増強することかもしれないし、アメリカに接近することかもしれないし、あるいはその両方かもしれない。つまり中国の戦略的な利益は、一党制国家内の取るに足りない脇役たちのせいで、まるごと危機に瀕しているのである。 しかし、なにもかもうまく行くかもしれない。中国は平和的に台頭し、東南アジアは恐怖を感じずに西北を眺められるようになり、米中は海上のアクセスについて和解できるかもしれない・・・・中国が、「U字型ライン」全体への権利を主張するのを」やめさえすれば。 しかし、中国軍が自分で自分のプロパガンダを信じ込み、「U字型ライン」内の領有権主張を実力で通そうとすれば、アメリカとの正面衝突が待っている。両者の実力差を考えれば、いまのところはまずそういうことは起こりそうにない。しかし、中国軍の指導部が勝つ見込みがあると考えだすまで、あとどれぐらい時間があるだろうか。 世界平和のために、南シナ海問題はその前に解決しなくてはならない。この本の吉岡桂子委員による書評については朝日デジタルの書評から85で取り上げています。『南シナ海』1『南シナ海』2『南シナ海』3『南シナ海』4『南シナ海』5南シナ海をめぐる最新報道を見てみましょう。2016/06/08 中国の海洋進出、南シナ海の先まで アジア安全保障会議より■オーストラリア・ダーウィン オーストラリアの最大都市シドニーから約3200キロ。「トップエンド(最北端)」と呼ばれる北部準州の州都ダーウィンは、国内主要都市よりもインドネシアなどに近い。 今年も4月から米海兵隊が、乾期で軍事演習が可能な10月ごろまで駐留する。駐留5年目の今年は派遣数は1250人に増えた。南シナ海で影響力を強める中国に、にらみをきかせる。 だが、ダーウィン港の主要施設、イーストアーム埠頭が今、米国の大きな懸念となって浮上している。 埠頭入り口前の看板は「ダーウィン港」の表示の下に小さく「LANDBRIDGE GROUP」とある。中国企業「嵐橋集団」の英語名だ。昨年10月、同埠頭を含む港の運営権を99年間、5億600万豪ドル(約405億円)で貸借する契約を準州政府と交わした。出入りするトラックは小さく、少ない。中をうかがうと警備員に「関係車両以外は入れません」と止められた。 中国・山東省を拠点にエネルギーやインフラ事業などを展開する嵐橋集団は、契約についてウェブサイトで「アジアと中国に近い理想的な港。豪州を急成長するアジア市場へつなぐ貿易の扉だ」と強調している。 これに対し、オーストラリア戦略政策研究所は「嵐橋集団は中国軍と関係が深い」と指摘し、米豪両軍の動きが中国に漏れる恐れを警告。両軍の艦船も港によく出入りするが、運営側へ報告する必要がある。 「米国防総省には説明しており、豪投資関係者とも連絡を取っていた。これほど反感を呼ぶとは」。北部準州のアダム・ジャイルズ首席大臣(43)は取材に硬い表情で話した。 日本やシンガポール、香港へも売り込んだが、唯一、良い条件で応じてくれたのが嵐橋集団だったという。日本の3倍以上の広さがある北部準州だが、人口はわずか約24万人。経済成長にはインフラ整備と資金が必要で「赤字続きの港にとって中国からのオファーは好機だった」。 オバマ米大統領は昨年11月、ターンブル豪首相と会談した際に「次は事前に知らせてほしい」と不快感を示したとされる。慌てた豪政府は3月、外国投資審査委員会の審査に地方政府が管轄する重要なインフラ案件も加えると決めた。■フィリピン・スービック フィリピンの首都マニラから北西へ約120キロ。南シナ海に臨むスービック港に4月26日、海上自衛隊の護衛艦「いせ」がゆったり接岸した。「親善」を目的とした海自艦船の入港は今年、すでに3回目だ。隣には、米海軍給油艦。米艦船は訓練などのため、ほぼ常駐するようになっている。 3週間前には、海自潜水艦「おやしお」が黒い艦体をのぞかせた。吉野宏昭・第1練習潜水隊司令(1等海佐)は「日本の周辺国で潜水艦の活動が活発になっている。リアルな訓練が必要だ」と語った。 「日本と米国、オーストラリアの艦船はいつでも歓迎する」と地元オロンガポのロレン・パウリノ市長(53)。「ここは南シナ海防衛の最前線だが、フィリピン軍には力がない」 2012年、排他的経済水域内にあるスカボロー礁に中国が監視船を送って居座り、実効支配を奪われた。日本の防衛省の資料などによると、中国の軍艦の数は自国の7倍以上、監視船も6倍以上。「全く対抗できなかった」(沿岸警備隊幹部)。 スービックにはかつて、世界最大級の米海軍の在外基地があった。東側陣営に対する前線基地だったが、冷戦が終わり、米軍は92年に撤退。力の空白を突いた中国の動きが加速した。
2016.06.09
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図書館に予約していた『漬け物大全』という本をゲットしたのです。とにかく、発酵食品の権威ともいえる小泉武夫さんの本だから、かなり期待できると思うのです。【漬け物大全】小泉武夫著、平凡社、2000年刊<「BOOK」データベース>より漬け物なくして人類の食卓は成り立たない。塩漬けから糠漬け、味噌漬け、酢漬け、粕漬けなど、素材も漬け床もつくり方も実に多種多様な漬け物を、発酵食品の王国日本をはじめ、中国、韓国、東南アジア、ヨーロッパなどにたずね、食文化の達人が蘊蓄を傾ける。美味か珍味か、それとも怪味か。驚異に満ちた漬け物の世界を渉猟しよう。 <読む前の大使寸評>とにかく、発酵食品の権威ともいえる小泉武夫さんの本だから、かなり期待できると思うのです。<図書館予約:(5/26予約、6/5受取)>amazon漬け物大全大使の好きな漬け物を挙げてみると・・・・いぶりがっこ ・高菜漬け ・カブラ漬け ・カツオの酒盗 ・ザーサイ ・キムチ ・ザウワークラウト ・ピクルスあたりか♪ 本書の読みどころが多いのだが、まず大使が好きな高菜漬けを見てみよう。p62~63 <高菜漬けと広島菜>より 高菜漬けは本州の各地にある有名な菜漬けで、北は東北の山形から南は九州熊本まで産地は広がっている。明治時代に中国四川省から奈良県に「青菜」の種子が持ち込まれ、それが各地に広がったというが、古くから日本にも「太加菜」として記録され、使われていたことがわかっているから、この漬け物の歴史は古い。 そのまま高菜と呼ぶところもあるが、青菜、芭蕉菜、カツオ菜、山潮菜と名付けているところもある。 最近、高菜漬けが都会でも有名になったのは、ラーメンに高菜漬けの刻んだものをドバッとのせた「高菜ラーメン」の登場による。ラーメンのコクのある脂っこさを高菜漬けが見事に中和してくれるから、中華風のそばが突然日本風に変化してしまうほどで、私もこれが大好きである。激辛にした高菜漬けもラーメンやチャーハンに使われて、人気が出ている。 また、和歌山県で食べた「めはりずし」という、高菜漬けを大胆に使ったおむすびのうまさたるや、ただごとではなかった。 古漬けにした高菜の葉を広げてご飯をのせ、茎の部分はみじんに切って中に押し込みながらおむすび状に握っていくのである。つまり海苔の代わりに高菜の漬け物を使った握り飯ということになる。普通のおにぎりよりひと回り大きく、それを口いっぱいにほうばると、どうしても目を大きく見張るようになってしまうので、「めはりずし」という名がついたということだ。ひと口ガブリとかじりつくと、口中に素朴な風味が広がり、昔の人になったような気分であった。 広島菜は最近、手頃な容器に詰められて贈答用として人気が高まり、かなり知られるようになった。名前のとおり広島県が主産地で、その最初は京都から導入した株であったので「京菜漬け」と呼ばれていた時代もあったという。緑色が美しく、漬け上がりのシャリシャリとした歯ごたえは絶妙である。退職祝いで夫婦で行った東北旅行の際、一度だけ口にした「いぶりがっこ」が美味であった。・・・さすがに漬け物天国の地域というもんですな♪p41~42 <東北地方 漬け物天国>より ここは「漬け物天国」をキーワードに持ったような地域である。昔から農家が中心となって発展してきた歴史と、畑の多い地形、糠や味噌といった漬け床の豊かさ、そして、東北人の好む塩辛さなどの嗜好性とも相まって、この地方は伝統的に漬け物の種類が多い。いぶりがっこ 漬け物王国東北地方の中でもとくに多様な漬け物を持つのは秋田県である。「いぶり沢庵」または「いぶりがっこ」などはじつにユニークなもので、ダイコンを囲炉裏の天井に吊るし、下で炊く薪の煙でいぶして燻製のようにし、それを糠漬けにしたもので、特有の歯ごたえと独特のいぶし香がある。また、同じダイコンを原料にしたものに「なた漬け」などというものがある。これは鉈で切ったように粗切りしたダイコンを麹漬けにしたもので「がっこ」とも呼ばれている。 一方、秋田県では漬け物そのものを「がっこ」と呼ぶことがある。また、秋田県は日本海に好漁場を持っており、昔からさまざまな魚を獲ってきたが、中でもハタハタは有名で、これを原料にしたのが「ハタハタずし」である。 青森県にも山海のすばらしい食材を漬け込んだ名品が多く、中でもコンブ、スルメ、ニンジン、カズノコなどを刻んで混ぜ、それを醤油、酒などで調味した液に漬け込んだ「津軽漬け」は名高い。また「ホタテオイル漬け」などという新顔もある。 山形の「青菜漬け」は、青菜と呼ぶ高菜の一種の塩漬けで、山形ではほかに「小ナスのからし漬け」も有名である。山形地方特産の小粒の民田ナスを材料として、それをカラシで漬けたものである。
2016.06.08
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図書館に予約していた『南シナ海』という本をゲットしたのです。人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態・・・今も現在進行形の戦略的要所ともいえる南シナ海は、中国嫌いの大使にとって看過できない場所でおます。【南シナ海】ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約済み、6/05受取)>rakuten南シナ海ソルハイムの説の続きを見てみましょう。p30~31 <先史時代~1500年>より くわしいことはわかっていないが、後1世紀の東南アジアに覇を唱えていたのは、中国の文献にいう「扶南」だったようだ。扶南はメコンデルタを中心に、いまの南ベトナムからカンボジアに広がっていた。地の利と巧みな政治的駆け引きとを通じて、扶南はひとつの帝国を築きあげた。そして西はヨーロッパとインド、東は中国とをつなぐ交易ルートの要所を押さえ、いよいよ豊かになっていった。 なにしろローマは中国の絹と東南アジアのスパイスのとりこになり、中国人はアラビアの乳香や没薬を求め、ガラスや陶器や金属製品、象牙、サイの角、稀少な鉱物がすべての地域の間をたえず流れていたのだ。 このルートを最初に開拓したのはヌサンタオだった。場所から場所へ移動し、ものを交換しては利益をあげていたのだ。中国の文献によると、マライ人の船は早くも前3世紀にはやって来ていたという。インドや中東の沿岸部からも、それに混じって徐々に船がやって来るようになった。 いっぽう中国の船については、南シナ海を渡って航海したという考古学的記録が現れるのは、やっと後10世紀になってからだ。このことは、それとは逆の中国の数々の主張とは相いれないように思われる。たとえば、中国外交部のウェブサイトには「後漢の楊フが『異物志』と題する書で南沙諸島に言及している」と書かれているが、現存する証拠から見るかぎり、楊フは独自に航海して調査したのではなく、港にやって来た外国の商人に話を聞いただけではないだろうか。いまの中国南部の住民は、海に出る危険は他人に任せ、船がやって来たときに取引をすればじゅうぶんと考えていたようだ。 扶南の位置は文字どおり要所だった。この時期、交易はリレー式におこなわれていたからだ。航路を始点から終点まで行き通す船は、かりにあったとしてもごくわずかだった。おそらく商船は、航路のうちよく知っている部分だけを行き来して商品を運んでいたのだろう。まずはヨーロッパからインドまで、次の船はインドからマレー半島まで、そこでマレー半島の最も狭い部分であるクラ地峡を陸路で越えて、次の船で扶南まで渡り、最後の船が扶南から中国南部へたどり着くわけだ。 商売をうまくまわすには、風の季節変動がもたらす周期をよく知っていなくてはならなかった。その風はいまでは、「季節」を意味するアラビア語、マウスィムすなわちモンスーンと呼ばれている。ベトナムのナショナリズムを見てみましょう。p214~216 <軍鼓と象徴 ナショナリズム>より 現代ベトナムのナショナリズムは、多かれ少なかれ、中国への抵抗という文脈で定義されている。ベトナムの市や町の大きな通りにはたいてい、いま「中国」と呼ばれている国のだれかと戦った人物の名がつけられている。たとえば徴姉妹は、紀元40年に反乱を指揮した人であり、ゴ・クエン(呉権)は938年、「中国」からこの国を初めて独立させた支配者と言われている。 リ・トン・キェト(李常傑)は1076年に宋と戦った人、チャン・フン・ダオ(陳興道)は1284年にモンゴルを破った人、レ・ロイ(黎利)は1428年に明を破った人という具合だ。ほとんどは時代錯誤の神話にすぎない。現在の国境で分けられたベトナムと中国というふたつの国が、初めて戦争に突入したのは1979年のことだ。それ以前の抗争は、一部地域の統治者や反逆者、軍閥、属国、新興勢力による戦いでしかない。かれらの話していた言語は、その「子孫」の話している言葉と同じではないし、また敵の言語と違っていたともかぎらない。にもかかわらずいまのベトナムでは、これらの偉大な戦いは、「チュン・クォック(中央の王国)」による帝国主義的な企みに抵抗しぬいた、長く輝かしい歴史の証拠とされているのだ。 建築から料理まで、この二国の文化的なつながりは明らかだ。しかし草の根レベルでは、いまも「タウ」と呼ばれる人々への猜疑心は根強い。この偏見の根っこにあるのは恐怖心だ。ベトナム人は、自分たちのほうが中国人より創造的で文化的だと考えているが、中国商人の鉄壁のネットワークには太刀打ちできない。その一見して閉鎖的な共同体は、いわゆる「触手」を東アジアじゅうに伸ばし、ベトナムを、そしてこの地域全体を乗っ取ろうとしているように見える。 もっと偏見のない目でベトナム史を見てみると、「中国」とのつながりの重要性が見えてくるだろう。ヌサンタオの時代からそうだったし、福建省の商人による海上交易もあった。1980年代、ベトナムがスターリン主義を脱しはじめたころには、東南アジアじゅうに中華系が投資を始めている。ベトナムに共産主義体制が存在しているのは、20世紀の大半を通じて中国から受けてきた保護や援助のおかげである。思想的な刺激もロケット砲も米も、北の中国から流れ込んできた。1975年に北ベトナムは南ベトナムに勝利したが、その勝利の基盤は中国の援助によって築かれたのだ。 「反中」が多くのベトナム人に受けるのは、ひとつには、中国から受けてきた政治的恩恵のせいでもある。反中は暗に「反共」を意味しているのだ。ハノイの真ん中で共産党批判のデモをおおっぴらにおこなえば、自分から長い刑務所暮らしに志願するようなものだ。しかし批判する相手が中国なら、愛国主義者と見てもらえる一方で、間接的に共産党の正統性に疑問符を突きつけることができる。 なぜなら、共産党は中国の支援によって権力を握り、いまも北京の「兄」と思想的にも実際的にも強く結びついているからだ。しかし、その他の点では党に忠実でありながら、中国の影響を厳しく批判する者も少なくない。 愛国心の問題として批判する者もいるが、「チャイナ・カード」を切るのはまた、ライバルの足を引っ張るひとつの手段でもあるのだ。中国を批判することによって、北京と最も強く思想的に結びついている党の一派を批判しているわけである。そういう一派はまた、社会を厳しく管理することを好み、国営企業による経済支配の継続と、西側に対する強硬な政策を支持する一派でもある。フィリピンのナショナリズムを見てみましょう。p230~232 <軍鼓と象徴 ナショナリズム>より ごくまれに、エリート層のナショナリズムが外交政策に影響をおよぼすことがある。1991年、フィリピン上院の決定にアメリカは仰天した。1947年に結ばれた軍事基地協定の更新が否決され、スービック湾にある広大なアメリカ海軍基地が閉鎖されることになったのだ。しかし、このときは環境が特殊だった。 反対票を投じた12名の上院議員のなかには、対米依存が国の発展を妨げると感じる保守派のナショナリストもいた。しかしその数がふくれあがったのは、フェルディナント・マルコスの独裁体制を支持した、アメリカ政府に対する人々の怒りがあったからだ。また、アメリカの核兵器の受入れを嫌った者もいれば、米兵による婦女暴行に憤る者もいた。 とはいえ、1991年は例外だ。フィリピンのエリート層は、言語と歴史と見解を共有するアメリカとの結びつきが強い。しかしかれらは、アメリカも同様に感じているという思い込みに基いて、同胞をなだめて根拠のない安心感を抱かせている。社会のひと握りにすぎないエリートたちは、数世代にわたってアメリカに多大な貢献をしてきただけに、1944年にマッカーサーが戻ってきたように、なにかあったら必ずアメリカは「戻ってくる」と信じ、どんな紛争でもとうぜんフィリピンの味方をしてくれると信じている。 このような自己の過大評価に目がくらんでいるから、フィリピンの政策立案者には、この地域の現実が変化していることが見えていない。いまのアメリカには、フィリピンとのしがらみよりも、中国との関係のほうがはるかに重要になっているのだ。それがわからないせいで国全体が危険な状態に陥っていて、2012年のスカバロー礁での「籠城」のような国際危機にうっかり踏み込んでしまうのだ。威勢はいいが、それの裏付けになる腕力を持たないからである。アメリカが信頼できないとなると、将来的にはさらに広範に影響が出かねない。というのも、中国に接近するほうが自己の利益になると、エリート層が判断するかもしれないからだ。(中略) しかし、フィリピンにはもうひとつのナショナリズムに通じる流れがあり、そのナショナリズムはまたべつの反感(中華系少数派に対する)を刺激する。中華系であることを隠そうとするメスティーソのエリートとは対照的に、20世紀の移民たちには選択肢がなく、公然と中華系でありつづけるしかなかった。 何世紀ものあいだ、福建人はフィリピン社会から締め出されていた。スペイン人はかれらを「サングレー」、のちには「チノ」と分類していたし、アメリカの行政府は「中国人排斥法」を成立させてその移住を抑制し、また1947年の条約によってかれらは中華民国人ということにされてしまった。この状況にようやく終止符が打たれたのは、1975年にフィリピン政府が中華人民共和国を承認し、「チノ」が完全な市民と認められてからである。かれらはひとつの共同体として成功している。『フォーブス』誌の2013年のリストでは、フィリピンで最も裕福な40人のうち、19人が明らかに中国ふうの姓を名乗っている。 こういう人々の富は、古いメスティーソの一族との協力に支えられている。たとえばサイはアヤラ財閥と、ゴコンウェイはロペス財閥と密接な関係にある。しかし「短い名前」の人々に対する偏見はいまも消え残っている。中華系の人々をさして他のフィリピン人が「インチク」(虫けら)と呼ぶのを耳にするのはめずらしいことではない。『南シナ海』1『南シナ海』2
2016.06.07
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図書館に予約していた『南シナ海』という本をゲットしたのです。人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態・・・今も現在進行形の戦略的要所ともいえる南シナ海は、中国嫌いの大使にとって看過できない場所でおます。【南シナ海】ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約済み、6/05受取)>rakuten南シナ海大使はこの地域の言語が気になるので、そのあたりを見てみましょう。p22~24 <先史時代~1500年>より ブラストの言うところでは、これらのルーツをたどっていくと、およそ5500年前の台湾で話されていた単一の言語に行き着くという。彼はこれらを「オーストロネシア祖語」と呼び、この言語がいかに多種多様に枝分かれしていったかを示した。そしてそれに基き、東南アジアの島々じゅうにオーストロネシア語が広がっているのは、人々の移動、新たな地域への入植、そして農耕などの技術の拡散と関連があるという説を生み出した。これは「出台湾」モデルと呼ばれている。 しかし、そもそもこのオーストロネシア祖語を話す人々はどこから来たのだろう。オーストラリアを中心に活動する考古学者ピーター・ベルウッドの説によると、8500年前の揚子江流域で、初めて稲作技術を完成させた農耕民族の子孫がその答えだという。 この時期の「中国」にはオーストロネシア祖語以外にも、シノ・チベット語、オーストロアジア語、タイ語など、さまざまな語族の言語を話す人々が暮らしていた。稲作に加えて、これらの人々は豚や鶏を飼い、土器を作り、石器を使っていた。 その後の1000年間にわたり、故郷が住みにくくなったとか外界にチャンスを求めるなどで、これらの集団は東アジアから東南アジア全体に移動していく。ベルウッドの説によれば、オーストロネシア祖語の話者は徐々に東南方向へ広がり、やがて5500年前頃に中国の沿岸部に到着した、ということになる。 ここまで移住は陸路でおこなわれてきた。しかし、オーストロネシア人の大冒険は、ここで大きく様相の異なる段階を迎える。5000年前の海抜はいまとほぼ同じだから、台湾海峡は最も狭いところでも約130キロの幅がある。しかしこの障害は乗り越えられたらしい。ちょうどこのころに稲作がおこなわれていた証拠が、台湾で見つかっているのだ。 次の1000年にわたって、オーストロネシア語の話者たちは台湾島に大挙して押し寄せたか、あるいは子孫を増やしたかで、それ以前の移住者の末裔を完全に圧倒し、その言語もすでにいくつかの方言に分かれはじめていた。ベルウッドの説によれば、次のステップは「出台湾」である。 第一段階は、南のルソン海峡を渡る旅だった。バタン諸島を伝っていけば、最も長い船旅でも80キロほどである。そのまま伝っていけばルソン島―フィリピンの主島にたどり着いたはずだ。そしてここでもやはり、ずっと早くに移住してきた人々と遭遇する。新参者たちは、進んだ技術と文化をもって集落を建設し、豊かになり、数が増えるとまた移住しはじめた。ベルウッドによれば、およそ4000年前、「出台湾」でやって来た人々はフィリピン諸島全体に広がり、そこから西に進んでいまのインドネシアにも到達した。(中略) ドラマティックな説であり、これを支持する証拠はきわめて多い。しかし、いくつか問題もある。バタン諸島で見つかった遺跡にはルソン島のそれより新しいものがあり、移住が北からではなく南からだったことをうかがわさせる。稲の遺伝子分析によれば、「中国」の品種が南下してくるより早く、べつの系統、すなわちインドやジャワの品種が南から北上してきたという可能性もある。また遺伝学的研究によれば、太平洋のブタと太平洋のネズミは、台湾ではなくインドシナの原産であるという、反証がしだいに増えてきているのだ。 その結果、南シナ海周辺の言語や文化の拡散に関して、ベルウッドと対立する学説が登場してきた。「出台湾」という移住による人の流れを重視するのでなく、絶え間ない交流のネットワークが存在して、情報や技術を四方八方に伝えていたとする説である。またこの説によれば、中国沿岸部はこの文化の受け手でも伝え手でもあって、唯一の発信源ではなかったということになる。パラワン島北部で墓が見つかったのを、ソルハイムが喜んだのはそのためだった。ソルハイムの説の続きを見てみましょう。p26~28 <先史時代~1500年>より ソルハイムは、このモデルをみずから「ヌサンタオの海上交易・通信ネットワーク」と呼んでいるが、このモデルがすばらしいのは、過去と現在のあいだに大きな断絶が必要ない・・・つまり、大規模な民族移動を想定する必要がないことだ。このモデルは特定の民族集団に寄りかかることも、また排除することもない。技術や文化は徐々に発展していったのだ。 ヌサンタオのなかにはオーストロネシア語を話す者も、そうでない者もいる。半定住生活をする者もいれば、完全に放浪生活をする者もいる。海上で暮らす者も、もっと上流で暮らす者もいる。かれらは定住生活者と交流し、しだいに混じっていったに違いない。意識的にひとつの集団として行動したことはなく、その技術は単純なものだったが、あちこち旅して交易をするというそのささやかな行動を通じて、ヌサンタオは帆と櫂の力で広大なネットワークを生み出した。 すばらしく茫洋とした、そして喜ばしくも「人間的」なモデルだ。つまり、ほんとうに南シナ海の島々を発見したのは、今日認識されるような民族的なアイデンティティを持たず、国家のようなものにはなんの愛着も持たなかったであろう人々なのだ。政治的単位が陸上で発展していくかたわらで、ヌサンタオはその手の届かないところで生きようとしただろう。交易と密輸、海賊行為と反乱の区別はあいまいだった。皮肉な話だが、現代の国家が領海を主張しようとするとき、その主張の基礎となるのは、かつて当の国家が規制しようとした、それどころか消し去ろうとした人々の活動なのである。 ヌサンタオはひとつの民族集団ではないのだから、どこからきたかを問題にしてもほとんど無意味だ。しかしソルハイムによれば、ヌサンタオ・ネットワークの重要な拠点は、ベトナム中央部と香港のあいだの沿岸地域だった。そのネットワークはここから、西ははるかマダガスカルまで、東はイースター島、南はオーストラリア、北は日本にまで伸び広がっていた。紀元前400年ごろ、インド製のガラスのビーズが中国に運ばれているが、それを運んだ人々は中国の文献に「馬来人」と名を残している。 また、2000年ほど前にベトナム北部では「ドンソン」という特徴的な青銅の太鼓が作られていたが、これは東南アジア全域および中国南部の墓からも出土している。このころは急激な発展の時代であり、複雑な社会や帝国が世界のさまざまな地域で生まれはじめていた。そしてそのすべてが、海上ネットワークでつながっていたのである。『南シナ海』1
2016.06.07
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図書館に予約していた『南シナ海』という本をゲットしたのです。人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態・・・今も現在進行形の戦略的要所ともいえる南シナ海は、中国嫌いの大使にとって看過できない場所でおます。【南シナ海】ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約済み、6/05受取)>rakuten南シナ海本書の読みどころが、訳者あとがきに簡明に述べられています。p362~364 <訳者あとがき>より 本書にあるとおり、南シナ海は「中国の野心が初めて、アメリカの戦略的意思と正面からぶつかった場所」である。そしてその海がいま緊迫の度を高めている。本書を訳し終えてまもない10月末、アメリカがイージス艦を南シナ海に派遣して世界的なニュースになった。また中国の反対にもかかわらず、フィリピンの訴えを受けたハーグの常設仲裁裁判所が仲裁手続きの審理に入ったとも伝えられたし、ベトナムも九段線の修正を求めて中国を国際法廷に訴える意向だという報道もあった。(中略) 著者はベトナムやミャンマーで報道に携わっていただけあって、ASEAN諸国の事情にもくわしい。その事情を踏まえて、この問題に対する各国の微妙に異なる態度が簡潔に、しかしあざやかに描き出されているのも興味深いところだ。アメリカの「航行の自由」作戦に対して、ただちに歓迎の声をあげたのが日本とフィリピンだけで、他のASEAN諸国が態度をはっきりさせなかった理由も納得である。 南シナ海問題というと、経済的・軍事的な大国となった中国の横暴ぶり、弱小国に対する露骨な嫌がらせがどうしてもクローズアップされるし、その勝手な言いぶんにはあきれることも少なくない。とうぜん、そのあたりの経緯は本書にもくわしく書かれている。しかし、著者は中国のやり口をたんに批判するだけでなく、そのお家の事情も実地に取材して、いわゆる「歴史的権利」の内情まで踏み込んで解き明かしている。 中国の領有権の主張には、歴史的に「根拠」はなくても「理由」はたしかにあるのだ。そのあたりがわからなくては、南シナ海問題は理解できないし、まして解決の糸口すら見つけることはできないだろう。ここまで突っ込んだ解説書はこれまでほとんどなかったし、その点だけとっても重要な労作と言えると思う。これから鋭意読み進めるものとしますが・・・気になるところは追って紹介します。
2016.06.07
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図書館で『和子の部屋』という本を手にしたのです。阿部和重が和子さんとなって、目ぼしい女性作家すべてと相談するという企画(実際は雑誌での連続対談)がいいではないか♪・・・でも桐野夏生の相談に応じるのは、ちょっと怖い気もする。【和子の部屋】阿部和重著、朝日新聞出版、2011年刊<商品説明>より小説家にまつわる秘め事を、ぜんぶ明かしてしまいます!いま小説家は何に悩んでいるの? 阿部和重さんが「和子」となって、当代きっての女性の書き手10人(角田光代さん、江國香織さん、川上未映子さん、金原ひとみさん、朝吹真理子さん、綿矢りささん、島本理生さん、加藤千恵さん、川上弘美さん、桐野夏生さん)の切実な人生相談に答えます! 小説家が「人生を語る」と「小説を語る」ことになるという、いまだかつてない対話の数々。小説家になりたい人にとっては実践的な創作論として、小説家を知りたい人にとっては本音が垣間見えるガールズ・トークとして、一冊で二度おいしい対談集が、ついに発売!<読む前の大使寸評>阿部和重が和子さんとなって、目ぼしい女性作家すべてと相談するという企画(実際は雑誌での連続対談)がいいではないか♪・・・でも桐野夏生の相談に応じるのは、ちょっと怖い気もする。rakuten和子の部屋この本のキャッチコピーが「小説家になりたい人にとっては実践的な創作論」となっているので・・・大使も腰を据えて読んだわけでおます♪p254~257 <ブラックホール状態>より桐野:では、私の実人生は小説という仕事に吸い取られているということですか?だったらどうやって、小説のなかで生きればいいの?阿部:「小説家の人生相談」という看板を掲げる「和子の部屋」にとっては、これ以上に小説家の相談にふさわしい内容はないような気さえします。そもそも僕自身も直面しつつあり、もしかすれば、小説を書いている人間全体にとって切実な問題なのかもしれない。それゆえに、この時間内には答えに至れないかもしれませんが(笑)。まず手っ取り早く思いつくのは、「小説家をやめちゃえばいい」という結論。しかし何年も小説を書いてきた身としては、もはやそんなレベルでは解決できないぐらい、思考のパターンそのものが毒されています。桐野:「毒されている」という言葉はまさにぴったりですね。阿部:僕も、フィクションの形式性があたえる受け手の意識への影響とか、フィクションにとらわれた心理状態に無関心ではいられず、映画評論なんかでもそうした問題にまつわることを書いてきたつもりです。桐野:いま映画の話になりましたが、私は映画館に行くと映画そのものより、とにかく客席のまわりのことが気になって仕方ないんです。電車でも隣の座席にいる人の話に耳を澄ませて、「別れ話の出ていそうなカップルだ」とか物語を発動させてしまう。「お母さんはどこに行っても人の話を聞いているね」と娘に言われる始末です(笑)。このあいだも、近くのおじさんがすごく目薬を差すので、思わず20回、21回と数えてしまった。阿部:それはヤバい。そのときご自身の心境はどんなふうなんですか?桐野:空っぽのブラックホールに、ぼぼぼぼっといろんなものが押し寄せてくる感じかな。阿部:あっちこっちからやってくるたくさんの他人の物語をダイレクトに受け止めて、そのあいだもご自身の意識を普通に保っていられるというのは、桐野さんはお強いですね。他人の物語にまみれきっていくと、極端なうっとうしさを感じるか、自分自身の意識がそちらに引っぱり込まれませんか。桐野:自分自身の幹は、どんどん希薄になります。うちはいま、夫と私のふたり暮らしですが、かように落ち着いた変化の少ない生活だからこそ、いろんなものが受け止められる。逆に自分自身にいろんなことがあって、外から来るものを跳ね返すのは疲れるでしょう。いまはブラックホール状態だから、強いというより、穴が広がっている感じです。阿部:方々にお出かけになられていろんな情報が入り込んでくるけれども、ご自宅に戻られるとそれらが自分自身の意識に馴染んでくるという感覚ですか?桐野:そうかもしれません。フィルターでよほど面白いもの・・・たとえばルーカス・グローバーはガシッと引っかかるけれども、ほかのものはあいまいなまま深いところへ沈んでいくんです。小ビビを残しながら。もちろん微小な電波がくることもいやじゃないです。阿部:ラジオでチューニングしているとブブブッと音が入ってくる、あの感じですね。とにかく電車でも映画館でも、外部情報をほとんど自動的にどんどん吸い込み、ブラックホールの奥に落としておく。これが桐野さんの思考の部品になっているわけだ。桐野:ところが以前は、書いているとぱっと穴からなにかが引っぱり出されて、創作に使えたりしたのですが、最近はよほど意識的にメモなりしておかないと、穴に溜まったままです。阿部:それ以前はメモもなにもせずに思い出せたというのは、すごいですね。桐野:もう15年ぐらい前までの話ですよ。そういうことはなかったですか?阿部:僕は全部忘れちゃいます。桐野:最近は私も忘れるので、夢が面白かったりするとすぐにメモします。阿部:もはやなににも個別性が感じられないくらいにデータが揃ってしまったのかな。桐野:しかし、それではこの世界に対して傲慢でしょう? まったく知らないなにかがあると思いたいし、それがないなら、この仕事はできないわけだから。阿部:見方によれば傲慢かもしれないけれど、まったく知らないなにかなどないと、うすうすわかっていながら、あるはずだと思って探そうとする姿勢は誠実ですよ。お二人の対談で、桐野夏生の病巣が解明されたようです。p263~266 <連載が多すぎる?>より阿部:桐野さんは、水はいまでも駄目ですか?桐野:水は相変わらず・・・。阿部:では水はともかく、桐野さんにとって悪印象のあるものをいろいろと見て、そのなかに無理やり自分を投じていくことで、新しい創作の可能性を模索してみるのはどうでしょうか。ルーカス・グローバーに値する存在と、ふいに遭遇できるかもしれません。桐野:もう物語をつくらなくても、ビビッときますかね?阿部:気が付いたら、桐野さんが海女になられて、すごいサザエをいっぱい採ってきいたり、謎の深海生物に出会ったり、潜水夫にビビッときいたりされているかもしれませんよ(笑)。桐野:「海女と尼」ですね。ふふふ、面白い。じゃあ、阿部さんは?阿部:僕は大量のネズミがいるところへ行ってみようかな。即死しちゃいそうですが。桐野:いやでしょうね。私も大量のヘビはいやだな。阿部:あるいは、僕にとってはまだ、「ビビッとこない」ことがそれほど深刻化されていないので、そうなったらそうなったときに考えると、ここでは逃げさせていただいて・・・・。桐野:それでいいのではないでしょうか。うかつには言えませんが、たとえば鬱病の人の本を読むと、朝に靴下を選べないという話がよく出ていますよね。それはご病気だから違うでしょうけれども、ビビッとくるものがない究極なわけで。阿部:そういう話はありますね。刺激がないという状態。桐野:これは一種の精神の退嬰だと思います。そして、楽しければ退嬰してもいいけれど・・・・。阿部:楽しさもやはりたいていは刺激からきているでしょうしね。精神医学とかの専門家ではないので、これまた無責任なことは言えませんが。桐野:これも斎藤さんに訊いてみましょうか。阿部:たぶん桐野さんの場合は退嬰ではなく、データが多すぎることで容量がいっぱいになっているんでしょうね。桐野:もう1個ハードディスクをつけたほうがいい?阿部:ハードディスクの問題ではないような気もします。OSを変えてみるとか、WindowsからMacにするとか。桐野:OSをどうやって変えるかがわからない。でも、心はMacにしたいですよ。阿部:さっきの話に出た、あえて苦手なものに近寄ってみるとか。あるいは、行動がかなり制限されてしまうのは織り込みずみで、1年とか期間を区切って情報のインプットを極端に減らしてみるのもひとつの手です。桐野:それはいいかもしれないですね。犬とともに生きる。阿部:徹底的にひとつのものに付き合ってみるんです。桐野:ああ、いまわかった!きっと連載が多いことも、自分が多チャンネルに頭を開いているのも理由のひとつですね。常に3本ぐらいあるので。阿部:そこが桐野さんと僕との違いで、僕は1個のことしかできないんですよ。桐野:うらやましい。私ももうちょっと整理して、1本をゆっくり書き下ろししたいですよ。そのほうが楽しいから。制限することで、ぜんぜん違う快楽があるだろうことは想像できますね。阿部:それによって桐野さんの創作環境がよりよくなるのであれば、その選択を支持しますが、おそらく桐野さんを担当する多くの編集者に僕は首を絞められます・・・。桐野:いや、本当に的確なご意見だと思います。ありがとうございます!阿部:どうも今回は、桐野さんの掌のなかで僕はシナリオ通りに話していただけではないかという疑念が拭えませんが。桐野:そんなことはないですよ。すっきりしました。阿部:そのまことにありがたいお言葉を真に受けておきます。とにかくこれで、最終回を無事終えることができました。それにしても今日は、創作の根幹にも関わるたいへんに濃密なお話を伺えて、とても刺激的でした。
2016.06.06
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「中国」でしょうか♪<四万十市立図書館>・杉浦日向子の江戸塾・和子の部屋<神戸市立図書館>・漬け物大全・南シナ海・1★9★3★7図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【杉浦日向子の江戸塾】杉浦日向子著、PHP研究所、1997年刊<「BOOK」データベース>より江戸風俗研究家・杉浦日向子が、六人の仲間とともに、「ワンダーランド江戸」を案内します。<読む前の大使寸評>対談相手が奥本大三郎とか、田中優子とか・・・シブいというか、蒼々たるメンバーでおます♪rakuten杉浦日向子の江戸塾杉浦日向子の江戸塾byドングリ【和子の部屋】阿部和重著、朝日新聞出版、2011年刊<商品説明>より小説家にまつわる秘め事を、ぜんぶ明かしてしまいます!いま小説家は何に悩んでいるの? 阿部和重さんが「和子」となって、当代きっての女性の書き手10人(角田光代さん、江國香織さん、川上未映子さん、金原ひとみさん、朝吹真理子さん、綿矢りささん、島本理生さん、加藤千恵さん、川上弘美さん、桐野夏生さん)の切実な人生相談に答えます! 小説家が「人生を語る」と「小説を語る」ことになるという、いまだかつてない対話の数々。小説家になりたい人にとっては実践的な創作論として、小説家を知りたい人にとっては本音が垣間見えるガールズ・トークとして、一冊で二度おいしい対談集が、ついに発売!<読む前の大使寸評>阿部和重が和子さんとなって、目ぼしい女性作家すべてと相談するという企画(実際は雑誌での連続対談)がいいではないか♪・・・でも桐野夏生の相談に応じるのは、ちょっと怖い気もする。rakuten和子の部屋【漬け物大全】小泉武夫著、平凡社、2000年刊<「BOOK」データベース>より漬け物なくして人類の食卓は成り立たない。塩漬けから糠漬け、味噌漬け、酢漬け、粕漬けなど、素材も漬け床もつくり方も実に多種多様な漬け物を、発酵食品の王国日本をはじめ、中国、韓国、東南アジア、ヨーロッパなどにたずね、食文化の達人が蘊蓄を傾ける。美味か珍味か、それとも怪味か。驚異に満ちた漬け物の世界を渉猟しよう。 <読む前の大使寸評>追って記入予定<図書館予約:(5/26予約、6/5受取)>amazon漬け物大全【南シナ海】ビル・ヘイトン著、河出書房新社、2015年刊<「BOOK」データベース>より境界線と領有権の「なぜ」を詳説!人工島の拠点化、緊張する周辺国、衝突の危険と不測の事態。「南シナ海の歴史」は「世界の歴史」であり、その未来は世界の関心事だ。ここで起こることは世界の未来を決めることになる…歴史、国際法、資源、政治、軍事など、あらゆる角度から解説する必読書。<読む前の大使寸評>吉岡桂子委員が選んだ、政治、軍事、神話にも注目した本である・・・・新たな冷戦を阻むヒントになればいいんだが。朝日デジタルの書評サイトに載る前に図書館に予約したが、先客が7人もいました。<図書館予約:(3/01予約、6/5受取)>rakuten南シナ海【1★9★3★7】辺見庸著、金曜日、2015年刊<「BOOK」データベース>よりニッポンジンはなにをし、なにをしなかったのか?おどろくべき「獣性」と「慈愛」をつないだ天皇。閉じられた記憶の棺をこじあけたら、おどりでてきたものとは?歴史にわだかまる大いなる恥と責任を体内深くに問い、「1★9★3★7」から今日まで、連綿とつづく「ニッポンの妖気」を射る。戦後思想史上、最大の問題作!<読む前の大使寸評>追って記入rakuten1★9★3★7*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き150
2016.06.06
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図書館で『杉浦日向子の江戸塾』という本を手にしたのです。対談相手が奥本大三郎とか、田中優子とか・・・シブいというか、蒼々たるメンバーでおます♪【杉浦日向子の江戸塾】杉浦日向子著、PHP研究所、1997年刊<「BOOK」データベース>より江戸風俗研究家・杉浦日向子が、六人の仲間とともに、「ワンダーランド江戸」を案内します。<読む前の大使寸評>対談相手が奥本大三郎とか、田中優子とか・・・シブいというか、蒼々たるメンバーでおます♪rakuten杉浦日向子の江戸塾日向子さんと奥本大三郎氏との対談を見てみましょう。p16~21 <外飲の始まりは酒屋での立ち飲み>より杉浦:江戸の町にお酒を飲ませるお店が広まったのは、天明(1781~1789)の頃からのようです。まず、自然発生的にぢきたのは立ち飲み屋です。それは酒屋さんが自分の店の酒を利き酒してもらおうと、店の土間の片隅にカウンターをつくって飲ませたものでした。 店の酒の贔屓になってほしくて始めたのですが、利き酒と言ってもお金はとって、つまみは焼き味噌や座禅豆など簡単なものだけです。奥本:日本人は宴会のときなども座ることが多いですよね。元来、立って飲むのに弱いんじゃないかな。その点、欧米人はカフェなどでもみんな立ち飲みですよ。杉浦:江戸時代は立って飲むのが好きでした。奥本:でも、地べたにしゃがんで飲んだり食ったりもしますね。要するに座席がないだけですね(笑)。立ち飲み屋の後に、樽を切って座る場所を持つような店ができるのですか?杉浦:立ち飲み屋の次に登場するのが煮売り酒屋で、天秤棒を担いで行商するものと屋台、そして店を構えるものの三種類がありました。 店では七輪と鍋と食器を用意して、軽食と酒を供していたのです。店を構える煮売り酒屋は居酒屋の原形です。開け放った間口に障子を立てかけたりする粗末なものでしたが、江戸時代後期になると縄暖簾をかける店も登場してきました。樽に腰かけてというのは時代劇によく出てきますが。実際はあまり使用例がないのです。奥本:そうなのですか。立って飲むのが多いんじゃ、長居はできませんね。杉浦:はい。1ヶ所で延々と続けて飲むなんてことはなかったでしょう。奥本:鮨屋でも長居をしなかったらしいですが。杉浦:二、三品つまんでおしまい、鮨でお腹をいっぱいにするのは野暮天です。奥本:蕎麦屋も同じですか?杉浦:はい。軽く一杯という感じですから、一服つける場所のようなものでした。奥本:店にいる時間が短いわけですね。杉浦:はい、そうです。奥本:話は違いますが、いま駅の売店にカップ酒を置いていますよね。郊外のある店でおばさんに聞いた話ですが、その売店に馴染みのお客がいて、おばさんは階段を上がってくる足音で、そのお客が来たことがわかるそうです。で、毎朝、足音がするとカップ酒を二杯開けて待っている。そこへお客は必ず寄って用意された酒をくいっ、くいっと続けざまに空にして電車に乗るんだそうです。杉浦:いいお話だな。私も下町の立ち飲み屋さんで河岸で働く方のいい飲みっぷりを見ました。夕方、銭湯上がりにやってきて冷や酒をくいっ、くいっとやっぱり二杯(笑)。奥本:江戸の立ち飲み屋もそうした風情だったのでしょうね。杉浦:そうだと思います。気取らないのがいいんですよ。立ち飲みは。奥本:一杯では物足りないので、もう一杯。そうすれば朝飲んでも昼までもつんですよ。杉浦:昼間飲めば夕食までもつ(笑)。奥本:ヨーロッパのカフェやパブにも、長っ尻をするグループと、江戸と同じく一人で来てさっと飲んで出ていく人とがいます。テーブル席に座って延々とトランプをやっていたり、新聞を読んだりしている人はいますが、朝、フランスのカフェでよく見るのは、仕事へ行く前の職人さんが「白ワインの辛口」などと注文して、くいっと飲んでいく光景です。杉浦:いいですね。日向子さんと田中優子さんとの対談を見てみましょう。江戸の粋が語られているが、なるほど「遊び」が入ってくるのか♪・・・関西の合理性とやや異なる気がするでぇ。p52~56 <「百珍物」には架空の料理も>より田中:料理屋の案内本も人気があったようですね。杉浦:料理屋の番付はしょっちゅう出てますが、本格的に流行り始めたのはやっぱり中期以降でしょうか。田中:遊郭から独立した料理屋が成立するのがそれくらいの時期です。料理屋でいろいろな会が催されるよになり、遊郭の客とは全然違った、食べるのを楽しむグルメというのが出てくるんです。料理屋の案内本は、江戸土産にも使われました。杉浦:江戸ではこういうものが流行っているるって。田中:本当に使うというより、読み物として楽しむんです。江戸に来て田舎に帰るとき大量に買っていくとか、そういうのが多かったと思います。杉浦:江戸の料理屋案内の中によく出てくるのは「八百善」ですね。「八百善」のお茶漬けは有名でしたね。田中:それとはりはり漬け。厳選して、一束の中から一、二本しか取らないとか。杉浦:お茶漬け用の水も、どこかまで汲みに行く。田中:多摩川までね。杉浦:お茶漬けを頼んで半日ぐらい待たされてやっと来たとか。田中:それが一両とか二両するんですよね。杉浦:江戸って遊ぶんです。京料理の繊細な盛り付けや完成された味付けとは別のものが江戸の料理にはある。すごく汚い変なものに見立ててつくって、実は食べるとばかにおいしいというのが流行ったことがあるんです。 たとえば、馬糞にしか見えないとか。いかにも飲みすぎて戻しちゃったみたいなものを、どんぶり鉢に入れておくとか(笑)。でも、これが食べるとめちゃめちゃおいしい。狂歌や雑俳の会ではよくそういう趣向をやりましたね。こんなことは江戸っ子しか喜ばない。上方だったらいやがられますよ。田中:すごく江戸的だな。杉浦:そのあたりの遊びが、江戸人の食文化に対する楽しみ方だったんですよね。田中:いまで言うグルメとはちょっと違う気がします。食べ物を遊ぶんですよ。杉浦:遊びと言えば、有名な「百珍物」がありますね。田中:玉子百珍とか。杉浦:あれには実際につくれないものが結構多いんだそうで、読み物として読まれていて、料理書としては出回ってなかったという話です。田中:数を合わさなきゃならない。杉浦:とてもつくれるわけがないものとか、あとは伝説の食べ物として伝わっているけれど、つくった者も食べた者もいないというのまで数に入っている。この記事も杉浦日向子アンソロジー収めておくことにします。
2016.06.05
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ブログの空白が目立つので、日にちを遡り書きためていた記事をUPします。 <景徳鎮からの贈り物>図書館で陳舜臣著『景徳鎮からの贈り物』という本を手にしたのです。陳舜臣さんと言えば、司馬遼太郎とともに関西出身であり、大使にとって気心が知れているわけで・・・また、中国嫌いの大使であるが、日本に順化した旧来からの在日中国人は慎み深い生き方が身についているようで、親近感があるのです。【景徳鎮からの贈り物】陳舜臣著、新潮社、1993年刊<「BOOK」データベース>より銘品づくりに生涯をかけた中国の名工たち。陶磁器・刺繍・墨・筆・夜光杯など名品にまつわる歴史秘話八編。【目次】金魚群泳図/挙げよ夜光杯/波斯彫檀師/景徳鎮からの贈り物/墨の華/景泰のラム/湖州の筆/名品絶塵<読む前の大使寸評>中国嫌いの大使であるが、陳舜臣のような在日中国人は慎み深い生き方が身についているようで、親近感があるのです。rakuten景徳鎮からの贈り物この本は、歴史秘話八編からなる短編集となっているのだが、そのうちの『景徳鎮からの贈り物』を見てみましょう。p120~122 <景徳鎮からの贈り物>より 中国甘粛省を旅行したとき、案内の人が砂漠の彼方を指差して、・・・あの橋湾城には、清朝時代、汚職で死刑になった大臣の皮を剥いで作った太鼓が、櫓にぶら下げられていたそうです。 と説明してくれた。清朝時代といっても、これは長命王朝で、269年もつづいている。どの皇帝のころの話なのかと訊くと、案内の人はしばらく考えてから、・・・乾隆のころだったと思います。 と答えた。 乾隆帝の治世は、1736年から、1795年まで、まる60年もつづいた。・・・ああ、乾隆ですか。・・・ 私はうなづきながら呟いた。心のなかでは、人間の皮を剥いで太鼓を作るなど、乾隆帝よりも、その父である雍正帝のやりそうなことだと思っていた。 夏目漱石は「即天去私」ということを言った。私を去って天に即く。・・・なかなかりっぱな言葉である。だが、私は即天去私というモットーをきくと、いやな気がしてならない。なぜなら、雍正帝がこの言葉を信条としていたからである。 私を去るのは、けっこうなことであるが、そのために雍正帝はきわめて冷酷になってしまった。皇帝として、絶対的な権力をふるうために、邪魔ものはみな消そうとしたのだった。「天に即く」という口実で。 雍正帝の父の康熙帝は、名君のほまれの高い人物であったが、35人の皇子を生んだ。はじめ次男を皇太子に立てていたが、反皇太子派との争いに破れて失脚した。康熙帝はこのことによほどのショックをうけたのであろう。皇太子を廃したあと、ついに皇太子を立てなかった。臣下で皇太子を立てるように進言する者がいると、彼はたいそう立腹したという。だが、それでも康熙帝が死ぬときは、やはり後継者が問題とならざるをえない。 臨終のとき、康熙帝は後継者を指名した。・・・大四皇子の胤シン。・・・ これが雍正帝である。 康熙帝が最も愛していたと思われたのは、十四男であったので、世間では雍正帝派が遺言のなかの十を消して四だけにしたのだという噂が立った。 雍正帝派の主要人物は、隆科多と年羹堯であった。この二人が暗躍して、雍正帝を帝位に即けたのであろう。なにしろ、暢春園の離宮で康熙帝が死ぬとき、そばにいたのは隆科多ただ一人であった。先帝がほんとうに雍正帝を指名したかどうか、きわめて疑わしい。 雍正帝は即位すると、皇位継承のライバルであった兄弟たちを、つぎつぎと片づけはじめた。彼はそうしてこそ、帝王の権威が守れるのだと信じていた。 雍正帝の父の康熙帝は60年間在位して死んだ。そして、雍正帝の子の乾隆帝も60年在位した。そのあいだに雍正帝の治世13年がはさまっている。康熙・雍正・乾隆の三代を、清朝の全盛期とみてよいだろう。 だが、ほんとうは雍正帝の13年は、じつに暗い時代だったのである。それは、密偵と密告の時代であった。雍正帝の腹心の近衛将校たちが、変装して民間にはいり、いろんなことをさぐっては皇帝に報告したのである。どんな親しいあいだでも、うかつなことはしゃべれない。どこで誰にきかれるか、わかったものではない。人びとは壁に耳ありと、萎縮してしまっていた。 雍正帝はライバルをたおしただけではない。各地に放ったスパイの報告によって、自分に反対する者を片っぱしから粛清した。そして自分の独裁権を強化するため、自分を擁立してくれた二人の恩人まで片づけた。隆科多は満州人で、しかも雍正の皇后の父なので、さすがに終身禁固ですませたが、もう一人の恩人の年羹堯は死なねばならなかった。 甘粛で人間の皮の太鼓の話をきいたとき、私は乾隆よりも雍正ではないか、そしてもしそうだとすれば、皮を剥がれたのは年羹堯かもしれないと思ったものだ。超絶技巧が出てくるあたりを見てみましょう。p150~151 皇帝のそばへに近づかないで、皇帝を毒殺する方法はないだろうか?・・・考え疲れて、うとうとしていたとき、彼女(呂四娘)の頭にひらめいていたものがあった。 飲食物のなかに毒を入れないでも、皇帝の口のなかに毒をはこびこむ方法があるのだ。飲食物をいれる容器に細工をするのだ。その容器は誰が作るのか?・・・景徳鎮の窯で焼かれる。では景徳鎮に行こう。 皇帝御用の品が、ときどき景徳鎮に発注されることを彼女は知った。それで彼女は景徳鎮の官窯に職人としてもぐりこんだ。そんなに簡単ではなかったが、宮女として紫禁城にはいるよりは楽だ。彼女はそこで日夜研究を重ねた。 彼女はいくらか金をもっていて、金の力で縁の仕上げにまわしてもらうことができた。仕事をしながら、彼女はなんども実験した。碗の縁にうわ薬をかけて仕上げるとき、焼き上げると小さな空洞ができるように細工する方法を編み出した。目にみえないほどの小さな粟粒ほどの孔である。そのなかに猛毒を仕込み、蜜蝋にほかの薬品をまぜてかぶせておく。色といい光沢といい、外からみればきれいなうわ薬である。 皇帝が使うまえには、食器類はきっと丹念に洗われるだろう。だから、猛毒をとじこめた蓋の部分は、すぐに溶けてはならないのである。その物質の強さを、彼女はなんども実験した。皇帝は熱い茶を飲むであろう。何度目にかに、熱のために、蜜蝋を主材料とする蓋が溶けて、毒は皇帝の口にはいる。・・・茶とともに。
2016.06.04
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ブログの空白が目立つので、日にちを遡り書きためていた記事をUPします。 <隣のアボリジニ>図書館に予約していた『隣のアボリジニ』という本をゲットしたのです。アボリジニといえば、自然人、岩絵を描くアーティストというイメージがあるのだが・・・上橋さんが報告する現代のアボリジニが興味深いのです。【隣のアボリジニ】上橋菜穂子著、筑摩書房、2010年刊<「BOOK」データベース>より独自の生活様式と思想を持ち、過酷な自然のなかで生きる「大自然の民」アボリジニ。しかしそんなイメージとは裏腹に、マイノリティとして町に暮らすアボリジニもまた、多くいる。伝統文化を失い、白人と同じように暮らしながら、なおアボリジニのイメージに翻弄されて生きる人々。彼らの過去と現在をいきいきと描く、作家上橋菜穂子の、研究者としての姿が見える本。池上彰のよくわかる解説付き。<読む前の大使寸評>アボリジニといえば、自然人、岩絵を描くアーティストというイメージがあるのだが・・・上橋さんが報告する現代のアボリジニが興味深いのです。<図書館予約:(5/03予約、5/24受取)>rakuten隣のアボリジニ隣のアボリジニbyドングリオーストラリア人(白人)のイメージは、概して、タフで心優しき田舎者という感じであるが・・・上橋さんがそのあたりを語っています。p92~96 <「良いアボリジニ」と「悪いアボリジニ」>より ミンゲニューのパム校長に頼まれて、ジェラルトンの小学校に移ったとき、その小学校に子どもを通わせていた三家族が、私のホストファミリーとして名乗り出てくれました。この三家族は、みな白人の家族でしたが、それぞれライフ・スタイルが異なるこの三家族との暮らしはとても面白く、アボリジニ研究をするのなら、現在のオーストラリア社会の主流民族たるアングロ・ケルト系の白人のことも当然知るべきなのだ、と気づかされたのでした。 とくに、タイヤ販売店に勤めるモートンと元気な主婦サマンサが築き上げてきた、陽気なロースン一家は、アボリジニの友人たちと同様に、私をオーストラリア社会日常生活へひっぱりこんでくれた、大切なとなりました。 この一家の飾り気のなさは天下一品。 私がはじめて泊まった日の朝、サマンサは私を食卓に引っぱっていき、 「すごい写真があるの。北部に旅したときの写真でね。ラクダやワニを見せてあげる!」 と、楽しげに写真を広げたのですが、私は、見せられているラクダやワニより、それを見せているっサマンサが、ネグリジェだけのアラレモナイ姿だということの、度肝を抜かれたものです。 はじめて会う外国人が家に泊まるとなったら、私なら「日本人の代表として、いいところを見せなくちゃ」という気分がどこかで働くに違いありません。ところが、ロースンさんたちは、昨日までしてきた生活を、ただ、そのまま続けていくだけなのです。おかげで、彼らの生活を邪魔しているという負い目や気遣いを感じることなく、魚がするりと川に滑りこむように、ごく自然に彼らの生活のリズムに溶けこむことができました。(中略) 自信たっぷりのタフネス・・・・オーストラリア人(特に白人)をステレオタイプ化して笑いのタネにした映画が『クロコダイル・ダンディ』だとすれば、アウトバック(辺境地域)に暮らすオーストラリア人のイメージは、こういう気取りがなくて、のんきで、タフな田舎者ということになるのでしょう。 ジェラルトンはいわゆるアウトバックではありませんが、この町から北は広大なブッシュ・カントリーだという、いわば州南部(都市部)と州北西部(辺境)との境目に位置し、パースに暮らす人たちからは、よく「荒っぽい田舎町」のイメージで描写されていました。 ステレオタイプの危険性を充分承知しつつ、それが「他者を見たときに特徴的に見えるイメージ」なのだということを実感したのも、サマンサたちと暮らしたときでした。(中略) こんな風に書くと大トラ・ガラッパチの女性を想像されるかもしれませんが、サマンサは裏表のない、大らかなやさしい人で、小学校の頃からの親友だというアボリジニ女性が、時々遊びに来ることもありました。その女性は、アボリジニが差別されていた当時でも、サマンサは今とまったく同様に、気楽に友達づきあいする子だったと言っていました。 そういう仲良しの友達もいるせいか、サマンサはアボリジニに対しても、好感を抱いているようです。それでも時折、苦情を漏らすこともありました。この記事も気分はオーストラリアに、収める予定とします。
2016.06.03
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ただいま~ デジタルデバイドの鄙の地から夜行バスで神戸に帰ってきたでぇ♪ブログの空白が目立つので、日にちを遡り書きためていた記事をUPします。 <『0.5ミリ』>大学図書館で『0.5ミリ』という作品を観たのです。安藤姉妹が作った映画のようだが・・・恐るべき姉妹やで♪【0.5ミリ】安藤桃子監督、2014年制作、2016.4.08観賞<Movie Walker作品情報>より 生活のため町で見かけた訳ありの老人の家に押しかけ身の回りの世話をするヘルパーと、彼女と触れ合ううちに固く閉ざした心を開き生の輝きを取り戻していく老人たちを描いた人間ドラマ。 デビュー作「カケラ」で満たされない女心を描いた安藤桃子監督が、8年におよぶ介護体験に着想を得た自身の小説を映画化。癖の強い老人たちと真正面からぶつかっていくヘルパーを「かぞくのくに」で第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を、「愛と誠」他で同助演女優賞のダブル受賞を果たした実妹の安藤サクラが演じる。 ほか、「カンゾー先生」の柄本明、漫才師の坂田利夫、「沈まぬ太陽」の草笛光子、「マルサの女」の津川雅彦らが出演。2014年10月24日より、高知県・高知城西公園内『0.5ミリ』特設劇場にて先行公開。<大使寸評>ヒロインはヘルパー歴もあり、老人たらしの手管にかけては・・・まさにプロフェッショナルである。安藤姉妹が作った映画であるが・・・桃子監督が8年におよぶ介護体験をもとにしたとのこと。また、この映画には父母の協力、姑でもある柄本明の出演があるわけで・・・まさに、家族総出の映画になっています♪movie.walker0.5ミリウィキペディアで安藤サクラおよび彼女の家族を見てみましょう。wikipedia安藤サクラより父親は俳優の奥田瑛二、母親はエッセイストの安藤和津、姉は映画監督の安藤桃子。映画デビューとなった『風の外側』には両親が出演しているほか、姉・桃子も助監督として参加している。2012年3月、俳優の柄本佑と結婚。5歳の時に父の舞台を見て女優になろうと決意するが、芸能一家という周りの声が気になり小学2年生のときにその夢を一旦封印。学生時代にアルバイトなどの経験を積んだ後に高校生の時に女優の道へ進む。2013年1月、映画『かぞくのくに』の演技が高く評価され、第86回キネマ旬報ベスト・テン主演女優賞を受賞。また同賞で助演女優賞を受賞。主演女優賞、助演女優賞のダブル受賞はキネマ旬報ベスト・テン開始以来初めての快挙。母親の安藤和津さんへのインタビューを見てみましょう。家族総出で映画を製作中より残間:最近は娘さんたちの名前を聞くことが多くなりましたね。長女のモモ子さんは映画監督としてデビューしましたし、次女のサクラさんも本当にいい女優さんです。お父さんの奥田瑛二さんは、さぞやお喜びでしょう。安藤:嬉しい反面、「負けてられない!」という感じじゃないですか。(笑)でもまあ、監督と役者という自分の職業を継いでくれたわけですから、幸せだと思います。(中略)残間:モモ子さんは、最初から映画化するつもりだったんですか?安藤:ええ、書いてる時から「映画化したい」って言ってましたね。主人公のサワは、妹のサクラが演ずることを前提に当て書きしてます。読んでみて、映画的な書き方してるなって思ったところが、たくさんありました。残間:作品は“介護”がひとつのテーマになっていますが、安藤さんの家族にとってお母様の介護というのは、たいへんな経験だったと思います。安藤さんご自身、本にもしていますが(2004年刊『オムツをはいたママ 母との愛と格闘の日々』)、フィクションじゃないと描けない感覚もありますし、小説や映画にするのはすごく意義があると思いました。それから介護というのは、人間というものを見つめざるを得ない局面というのが、どうしてもありますよね。安藤:そうですね………。やっぱり人の人生って、十把一からげのものじゃないっていうこと。娘たちはそう実感したみたいです。
2016.06.02
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