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「一億人の漫画連鎖」というムック本で、若き日の浦沢直樹のインタビューを読んでいるのだが・・・この際、「浦沢直樹の世界」として集めてみようと思い立ったのです♪・重松清氏とのインタビュー・浦沢直樹スペシャルインタビュー*****************************************************************************【重松清氏とのインタビュー】PLUTO2014年時点の重松清氏とのインタビューを見てみましょう。この人たちについての14万字ちょっとより<浦沢直樹 巨大なるマイナー>p101~103重松:大友さんをはじめとするニューウェーブの影響は大きかった?浦沢:『少年ジャンプ』的なマンガではないマイノリティに対するシンパシーは寄せていました。それはあるんだけど、あっちの世界に行くと、清貧というかなんともいえない貧しさが待ってる感じがして、自分とはちょっと違うなあ、と。その一方で、あんなに素晴らしいものなのに世間になぜ受け容れられないんだろう、という疑問や憤りがずっとあったんですよ。 BDのメビウスもそうでしょ?日本で真っ向からメビウスに共振してモノを創っても、絶対に世間からは無視されてしまう。だから、そうではないなにかを見つけたいし、それはあるはずだ、と。重松:近年の浦沢さんの長編には、入れ子構造、作中作を入れる構造が目立ちます。『MONSTER』なら絵本の『なまえのないかいぶつ』、『20世紀少年』ならバーチャルアトラクションで繰り広げられるケンジたちの少年時代、『BILLY BAT』ではケヴィン・ヤマガタの描くアメコミがあるし、手塚治虫の作品を換骨奪胎した『PLUTO』も、物語が二重になっている。浦沢:物語内物語が多いよね。重松:その構造の中にマイナーポエットのものを入れ込んでしまうのも、いまおっしゃった「そうではないなにか」の一つではありませんか?浦沢:そうですね。あの絵本なりアメコミなりを単体でやっても世間は見てくれない。でも、中に入れてしまって、「ほら、こうやったら、ちゃんとみんなが見てくれるものになるでしょう」というのはあります。重松:そのときの「世間」というのは、マンガ好きではない人たちも含めてのことですよね。浦沢:「ツウ」には受けても、やっぱりマンガというのはポピュラー文化だから、お茶の間にどーんと置かれなくちゃ・・・・ということなんです。極端に言えば、メビウスから『サザエさん』までの振り幅がないと。重松:ただ、「世間」は『サザエさん』のほうにだけ目を向けませんか? 振り幅の片方があまりにもメジャーすぎると、そっちしか見てもらえない、というジレンマが生まれそうな気がするのです。 浦沢さんの初期作品には大友克洋さんの影響がすごく感じられるし、過去のインタビューではメビウスや『タンタン』のエルジェへのシンパシーが何度も表明されています。でも、そっち側にも振り幅があることが『YAWARA!』などの大ヒットの前では霞んでしまって、「世間」になかなか伝わっていかない。浦沢:それはデビュー以来ずっと、いまだに抱えている難問なんですよ。僕自身は「同志」のつもりでいるマンガ家から「あいつはメジャーだから」「浦沢は違う世界の人間だから」と思われているんじゃないかと胸を締めつけられてしまうような感じがあって・・・・。 ようやく変ってきたのは、ここ2、3年ですね。江口寿史さんと『フリースタイル』という雑誌で対談したあたりから、僕が「同志」だと思ってきた人たちと触れ合うことができて、僕がちゃんと話すと、あちらが「あれ?」となるのがわかるんです。 *****************************************************************************【浦沢直樹スペシャルインタビュー】「一億人の漫画連鎖」というムックで1998年時点の浦沢直樹スペシャルインタビューを見てみましょう。p98 <スペシャルインタビュー:温水ゆかり> 浦沢さんにはふたつのがある。ひとつはアイドル的女の子を主人公にすえたスポーツもの。もうひとつはシブイ哀歌をかなでるを描いたものだ。しかしそこには共通しているのは、脇役への執着、人間ドラマの復興。連載中の『MONSTER』は、そんな浦沢さんの代表作になりそうだ。 短篇と長篇の魅力をビールの味にたとえれば、短篇のもち味はキレ、長篇のそれはコクだといえないだろうか。そして、キレがあるのにコクがある短篇が少ないように、コクがあるのにキレもある長篇も稀だ。しかし、浦沢さんが現在取り組んでいる『MONSTER』は、キレとコクの関係にひとつの幸せな解答を与えつつあるように思える。 「デビュー当時というか、その前からやりたいのは『モンスター』(的なもの)だった。デビューして十数年、ようやくたどりついたという感じですね。でも、同じ構想をもったとしても、十数年前ではこんな語り口はできなかったでしょうが・・・」 複数の人間を同時進行で動かすストーリーづくりができるようになった 作者が「自分本来の世界」と自認してはばからない『MONSTER』は、実に複雑でデリケートな魅力に満ちている。ドイツを舞台に、日本人の優秀な外科医テンマの理想と苦悩の物語であること。殺人事件の容疑者にされてしまったテンマの逃亡劇にもなるという二重性。そしてテンマの元婚約者や執拗につけ狙う刑事など主要な登場人物ばかりか、旅の途中で出会う無名の人々にも与えられるエピソードによって、同時代を生きる老若男女の多声的なドラマになっていることなどだ。 「ですがぼくの作品は、どれもそうでしょう。ゾロゾロ人が出てきて、どれが主人公だか分からなくなってしまう(笑)。スポーツ漫画といわれている『YAWARA!』や『HAPPY!』も、つい脇の人間を描きこんでいる。『YAWARA!』がアニメ化されたとき、演出のときたひろこさんに『この作品は何がいいって、登場人物が全員違う方向を向いているのがいいわね』と言われたんですが、確かにぼくが描く人物たちは、同じことをやっていても、みんな目的はバラバラ。だけど、そういう人物たちを描きこんでいくのが、ぼくは楽しいんですよ」【一億人の漫画連鎖】ダヴィンチ編集部編、メディアファクトリー、1998年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 人気ランキングから広げるコミック連鎖反応/第2章 マンガおもしろ分析&マンガ家インタビューから広げるコミック連鎖反応/第3章 あの作家あの作品から広げるコミック連鎖反応<大使寸評>この本は「ダヴィンチ」96年7月号~98年3月号の掲載記事を主に編集されていて・・・当時の大使は漫画をあまり読んでいなかった時期なので、やや浦島太郎の感を覚えたわけでおます。(だいたい「ダヴィンチ」という雑誌があることを知らなかったけど)でも、この本では松本大洋ロングインタビュー、浦沢直樹スペシャルインタビューなど載っていて、もろに大使のツボを突いています。一億人の漫画連鎖
2016.07.31
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偶然、出くわした古書フェアで、定価890円のこの本が800円で売り出されていたのです。ちょっと高いかとも思ったけど、今買わないと二度とお目にかからないだろうと焦ったわけでおました。(家に帰って楽天を覗くと890円(税込み961円)の定価販売となっていて、古書値段は、やや高め設定というところか)【一億人の漫画連鎖】ダヴィンチ編集部編、メディアファクトリー、1998年刊<「BOOK」データベース>より【目次】第1章 人気ランキングから広げるコミック連鎖反応/第2章 マンガおもしろ分析&マンガ家インタビューから広げるコミック連鎖反応/第3章 あの作家あの作品から広げるコミック連鎖反応<大使寸評>この本は「ダヴィンチ」96年7月号~98年3月号の掲載記事を主に編集されていて・・・当時の大使は漫画をあまり読んでいなかった時期なので、やや浦島太郎の感を覚えたわけでおます。(だいたい「ダヴィンチ」という雑誌があることを知らなかったけど)でも、この本では松本大洋ロングインタビュー、浦沢直樹スペシャルインタビューなど載っていて、もろに大使のツボを突いています。一億人の漫画連鎖大使の一押し記事ともいえる松本大洋ロングインタビューを見てみましょう。p90~95 <我ら松本大洋族:アイカワタケシ> 大友克洋以降の最重要若手マンガ家の一人、松本大洋。高度に洗練された表現スタイルと、時に詩的、寓話的な語り口で敏感な若者たちに圧倒的な人気を誇る。それが今の時代の感性と共鳴していることは間違いないが、はたして作家本人はどんなパーソナリティーを持っているのだろうか。クールな作風からは窺い知れない作家の内面に、おっとり刀で迫ってみた。 「松本大洋さんはインタビュー嫌いらしいよ」 打ち合わせの席で担当編集者に、そう教えられた。一度はファクスインタビューにこぎつけたものの、これまでに2回、インタビューを断られたそうだ。写真嫌いであるともいう。ちょっと不安がよぎる。 松本大洋といえば、「大友克洋以降」を代表する若手マンガ家の中でも、最重要作家の一人と目されている人物だ。もしかしたら、尊大でもったいぶったアーチスト気質の濃い人物なんじゃないか。あるいは、神経質で人間嫌いの世捨て人なのか。そんな不安と妄想は作品を通して読んでみると、ますます強くなった。 作画スタイルは作品を追うごとに変化している。長篇と短篇では、テーマもテイストもまったく異なっている。高度に洗練された「絵」が印象に残る一方、作家の肉声はほとんど感じられない。あるいは、あえて肉声を押し殺しているような、そんな感じがした。(中略)<『花男』は、道行く人の頭をバットで殴りつけるアブナイ男の話だった?!> Q:石川県に住んでいたという話ですが、こっちへ来たのはいつ頃ですか?松本:東京で生まれてすぐ石川県に行って、今度は三重県に行って6年生まで、中学校は静岡で、高校で東京に帰って来たんです。親に放浪癖があったんで・・・・Q:それは転勤とかじゃなくて?松本:場所変えるのが好きなんですよね。Q:それは、ちょっと『花男』の感覚があるんですか?Q:あ、ありますね。うちの親はもう、なんかオカシイんですよ。「アダムス・ファミリー」みたいな感じで(笑)。『花男』っていうのは最初、花男っていう非常に変な男っていうのかな。要するにちょっとアブナイ、痛い人がいて(笑)、それがバットで道行く人の頭殴りつけたりする話だったんですけど、こんなもん連載できるわけないだろってことになって(笑)。 俺が考えてくと、かなりカルティックになっちゃうんですよ。夢を目指す人間ていうのは、どれくらい醜いかっていう。そういうテーマで最初描いていたんですよ。夢って非常に美化されるじゃないですか。 それで夢を見る男が、どれだけみっともなくて、うるさくて、やかましくって近所迷惑かっていうのを突き詰めてやるぜ、なんて思ってたんだけど、連載になったら全然違う話になっちゃった。それで良かったと思うんですけどねぇ。『花男』の出発点は、夢の世界に生きる男の妄執が暴走するバイオレントな話だったのか。松本大洋という作家の資質は、じつは意外と歪んだ要素を含んでいるのかもしれない。他の作品についても聞いてみた。Q:『鉄コン筋クリート』のシロとクロもそうですけど、二律背反する2つのものを並べますよね。『ピンポン』で言えばスマイルとペコとか。明と暗が対比するキャラクターを登場させるというか。松本:『花男』やったときに味をしめたんですよね。これはかなり広い部分を網羅していると思って。俺は悪役を出さないですから、価値基準があまりにも一定だとコワイものができあがるじゃないですか。 それと全然価値基準が違う二人が仲良かったりするのって、非常に俺の好きな雰囲気なんですよね。それを、もうちょっと徹底させてみたいと思ったのが『鉄コン~』で・・・。まぁ結局、二人とも似た者同士になっちゃったんですけど。もっと正反対でも良かったんですよね。(中略) インタビューに臨む前に一方的に感じていた不安は、やはり妄想だった(当たり前)。松本大洋は、痩せて小柄の、とてもシャイな人だった。小田急ロマンスカーに乗って江ノ島まで帰る時間ギリギリまで、こちらのとりとめのない質問にも、言語を選びながら丁寧に答えてくれた。そしてその言語の裏に、作品ではストレートに表出しない、「時代の気分」とは正反対の「まっとうな反骨精神」を感じた。ジミ・ヘンの話は最後まで出なかった。折りしもメディアでは、相模原殺傷事件で大騒ぎであるが・・・松本の発した「夢を目指す人間ていうのは、どれくらい醜いか」という言葉が、坑道のカナリヤのように聞えるのです。そういえば、かつて安倍さんが「美しい国」などというポエムを語っていたなあ。
2016.07.31
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図書館に予約していた『勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年』という本をゲットしたのです。アメリカが日露戦争の真の勝者だったんだって・・・・聞き捨てならないのです。【勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年】イアン・ビッカートン著、大月書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より ナポレオン戦争、クリミア戦争、日露戦争、第一次・第二次大戦など、過去200年間に行われた「世界戦争」を仔細に検証し、その勝利の代償がいかに甚大なものであったのかを独自のアプローチで明らかにする。これまで十分に論じられてこなかった戦争における勝利と敗北の問題を探究する現代の名著。<読む前の大使寸評>アメリカが日露戦争の真の勝者だったんだって・・・・聞き捨てならないのです。<図書館予約:(7/22予約、7/27受取)>rakuten勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年日露戦争前後の日米間の動きを見てみましょう。これを見ると、韓国内で反米意識が根強いのも分かるような気がします。p148~150 <ポーツマス条約> 1905年夏のポーツマスにおける交渉のほかに、日米間で進行中の事案が存在した。セオドア・ローズヴェルトは、戦勝国日本と敗戦国ロシアの間の講和会議を主宰する約1ヵ月前、アメリカ史上最大の外交使節団をアジアに派遣していた。 陸軍長官ウィリアム・タフトに率いられた特使団は、7名の上院議員、23名の下院議員、陸海軍、各省の代表、そして大統領の娘アリス、総員70人からなっていた。特使は、遠洋定期船でサンフランシスコからハワイを経由し、日本、フィリピン、中国、朝鮮を周遊してサンフランシスコに帰港した。派遣当時、ローズヴェルトは、自ら国務長官の代理を務めていた。 タフトのアジア歴訪の目的は、アメリカのフィリピン行政にかかわる問題を調査することにあった。途中、タフトは日本を表敬訪問し、日米関係と日露戦争にかかわる問題について協議していた。タフトは、大統領から文書を委ねられたわけでもなく、また口頭で指示を受けたという証拠も存在しないが、疑いなくローズヴェルトは陸軍長官に対して、この二つの問題に関する自身の見解を明らかにしていた。 タフトは、1905年7月27日に日本の総理大臣桂太郎と会見した。両者は会見の中で、日米両国がそれぞれフィリピンと朝鮮半島を支配することについて正式に承認し合った。この会見の「機密」は、桂=タフト協定として知られている。会合の要訳文書を受け取ったローズヴェルトは、当然ながら、タフトの見解を「あらゆる点で」承認した。 はすでに3月、桂首相のもとに送った若き国務省官僚ジョ-ジ・ケナンを通じて、「日本は旅順を掌握すべきであるし、また朝鮮半島も支配すべきである。この問題は、すでに了承済みである」と伝えていた。そのようにふるまうことで、大統領は、1882年に締結したアメリカ=朝鮮協定に含まれた朝鮮の保護という、アメリカ合衆国の誓約を反古にし、その代わりに日本の膨張主義を戦略的に認めたのである。 ローズヴェルトの考えは、日本はアジアにおいて一種の「日本版モンロー・ドクトリン」を築くべきだというものであり、その核心は、帝国主義ゲームへの招待にほかならなかった。しかしローズヴェルトはこの提案を正式に支持したことも、認めたことも決してなかった。 アメリカの歴史家ジェイムズ・ブラッドレーによれば、「日本版モンロー・ドクトリン」という構想は、1870年代にアメリカ外交官チャールズ・ルジャンドル将軍によって日本人に提案されたという。この構想は、日本政府の指導者たちに影響を与え、アメリカの事例に倣うよう彼らを鼓舞した。しかし、これは日本のために提案されたわけではなく、あくまでもアメリカの国益のために提案されたものだった。 「スラブ民族ロシア」を含むヨーロッパ列強を危機的状況に追い込むために日本を説得し、東アジアへのヨーロッパの膨張を妨害することで、ローズヴェルトは、アメリカの通商のために中国市場の開放を可能にした。同時に、ローズヴェルトは金子堅太郎に宛てた書簡の中で、アメリカ最大の植民地であるフィリピンに近づかないよう、はっきりと日本に警告している。 7月末の東京で、桂首相はタフトに対し、日本は1895年に中国から獲得した台湾で手いっぱいであり、フィリピンに関して何の意図も抱いていないと力強く保証した。1904年2月、ローズヴェルトは息子に個人的に宛てた手紙の中で、「日本は我々のゲーム」をしていると記しており、ローズヴェルトの見解からするならば、日露戦争とは、本質的には代理戦争だったのである。 社会進化論者で白人至上主義の信者でありながらも、ローズヴェルトは逆説的に、日本人を「名誉白人」として受け入れていた。「日本は、アジアにおいて西洋文明の原則と秩序を理解している唯一のアジアの国家」であり、ローズヴェルトは、「皇国」日本がアジアにおける「当然の指導者」になるべきで、アメリカ合衆国の戦略的・経済的利害の擁護者であると結論づけていた。 アメリカ大統領が1905年12月の日本による朝鮮半島保護領化を承認し、脆弱な緩衝国家であった朝鮮で暮らす人々の運命を見捨てた1910年8月22日、日本が完全に韓国併合を強行したことを手始めに、この論理は、悲劇的かつ破滅的じ、時間の経過とともに日本軍国主義を統制不能な巨大な破壊神へと変質させることになった。朝鮮半島の人々は、日韓併合の日を、「国辱の日」として記憶している。 アメリカ政府の朝鮮半島に対するこの姿勢は、ことさらひどい裏切りであった。ブラッドレーが想起させるように、1882年に高宗が世界に朝鮮半島を開放したとき、朝鮮王朝は西側の最初の条約締結国としてアメリカ合衆国を選択した。高宗はアメリカ合衆国が、無防備な朝鮮を日本から防衛してくれるものと信じていた。(中略) 高宗は、ローズヴェルトがワシントンで「朝鮮半島は日本の支配下におくべきだ」と語っていたなどと夢にも思わなかったにちがいない。実際、タフトの表敬訪問から2ヵ月後、ローズヴェルトはソウルのアメリカ領事館閉鎖を命じ、無力な国家を日本軍に明け渡したのである。 その場にいたアメリカの次席外交官は、アメリカ合衆国は朝鮮を「沈みゆく船からネズミがどっと逃げ出すように」放棄したと述べている。アメリカ政府は、日本による朝鮮支配を最初に承認した国家であり、高宗の使節が日本軍の侵攻を止めるよう懇願したとき、ローズヴェルトは冷淡にも、すでに朝鮮半島は日本の一部であるがゆえに、日本政府に対して訴えるべきだと、呆然とする朝鮮の使節団に伝えたのであった。なるほど、日露戦争とは本質的には代理戦争だったのか・・・アメリカの戦略性は馬鹿にできないわけで、また一つ賢くなったような気がするで♪
2016.07.30
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今回借りた4冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「アジア」でしょうか♪<市立図書館>・勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年・ペンギンと暮らす<大学図書館>・シルクロードからの博物誌・死は炎のごとく図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年】イアン・ビッカートン著、大月書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より ナポレオン戦争、クリミア戦争、日露戦争、第一次・第二次大戦など、過去200年間に行われた「世界戦争」を仔細に検証し、その勝利の代償がいかに甚大なものであったのかを独自のアプローチで明らかにする。これまで十分に論じられてこなかった戦争における勝利と敗北の問題を探究する現代の名著。<読む前の大使寸評>アメリカが日露戦争の真の勝者だったんだって・・・・聞き捨てならないのです。<図書館予約:(7/22予約、7/27受取)>rakuten勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年byドングリ【ペンギンと暮らす】小川糸著、幻冬舎、2010年刊<「BOOK」データベース>より夫の帰りを待ちながら作る〆鰺。風邪で寝込んだときに、友人が届けてくれた菜の花ご飯。元気を出したい人の為に、身体と心がポカポカになる野菜のポタージュ…。 大切なお客さまの為ならば、八百屋を6軒はしごすることも厭わない。そんな著者の美味しくて愛おしい、もてなしの毎日。ベストセラー『食堂かたつむり』の著者が綴る日記エッセイ。<読む前の大使寸評>パラパラとめくってみると、料理関係の記事が多い、ほっこりするエッセイ集のようである。なんか西加奈子にも似てなくもないが、また別の味わいがあるみたいです。rakutenペンギンと暮らすペンギンと暮らすbyドングリ【シルクロードからの博物誌】足田 輝一著、朝日新聞、1993年刊<「BOOK」データベース>より正倉院宝物だけではなく、私たちの生活すみずみに今も影を落としているシルクロード。ナチュラリストの夢は世界を駆けめぐる―。<読む前の大使寸評>著者の足田輝一さんは、樹に詳しいナチュラリストのようで、我が蔵書録にも名前があることが借りたあとに分かったのです。amazonシルクロードからの博物誌シルクロードからの博物誌byドングリ【死は炎のごとく】梁石日著、毎日新聞出版、2001年刊<「BOOK」データベース>より大統領の屍におれの名前を刻み込んでやる!1974年夏。23歳のテロリストは、大統領を標的に、韓国、北朝鮮、日本、アメリカの政治謀略が渦巻く闇の奥へと疾走してゆくー。底知れぬアジアの闇を描き切った、新世紀もっとも危険な書き下ろし。<読む前の大使寸評>金大中氏拉致事件なんかを組み込んだフィクションのようですが・・・舞台となる鶴橋、ソウルなんかは、大使にとって土地勘があるので、興味が倍化するわけでおます。rakuten死は炎のごとく***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き160
2016.07.30
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「シン・ゴジラ」が7月29日から全国封切りだそうだが・・・・観る前に、ゴジラ映画あれこれをまとめてみました。個人的に盛り上げて、映画館にくりこもうという算段でんがな♪・シン・ゴジラ(2016年)・GODZILLA ゴジラ(2014年)・ゴジラ (1954年)【シン・ゴジラ】庵野秀明総監督、2016年、<Movie Walker作品情報>より日本の怪獣映画史に名を残す“ゴジラ”が、「新世紀エヴァンゲリオン」の庵野秀明が総監督、『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN』の樋口真嗣が監督を務め、シリーズ初のフルCGで復活。巨大怪獣の出現で未曽有の危機にさらされた人々の物語が描かれる。長谷川博己、竹野内豊、石原さとみをはじめ、総勢328名のキャストが出演。<観る前の大使寸評>制作方針が初代ゴジラを踏襲しているそうで、わりとハードな即物感を重視しているようです。・・・かなり恐そうやで♪聞くところによると、庵野総監督はゴジラ登場シーンの割合を意識して六分の一に抑えているとか・・・恐いかもね。Movie Walkerシン・ゴジラ***********************************************************************【GODZILLA ゴジラ】ギャレス・エドワーズ監督、2014年、米制作、H26.9.6観賞<Movie Walker映画解説>より日本が世界に誇る怪獣映画のビッグネーム、ゴジラの『ゴジラ FINAL WARS』以来10年ぶりの復活作で、巨大怪獣ゴジラの出現に翻弄される人々の姿を描くパニック・アクション。地球に飛来した未知の生命体の恐怖を描いた『モンスターズ 地球外生命体』のギャレス・エドワーズが監督を、アーロン・テイラー=ジョンソンが主演を務める。<観る前の大使寸評>子供心に、恐怖と哀しみを与えた初代ゴジラであったが、果たして今度のハリウッドGODZILLAはどうなんだろう。Movie WalkerGODZILLA ゴジラ『GODZILLA ゴジラ』公式サイト***********************************************************************【ゴジラ(1954)】本多猪四郎監督、1954年制作、<allcinema映画解説>より 19XX年、南太平洋で行なわれた核実験によって、ジュラ紀の肉食恐竜が甦った。ゴジラと名付けられたその怪物は、大戸島を襲った後、東京へと歩を進めていく。放射能をまき散らすゴジラの前に、帝都は為す術もなく蹂躙されるかのように思われた。だがその時、防衛軍に一つの朗報がもたらされた。それは若き天才科学者、芹沢の発明した“オキシジェン・デストロイヤー”という、核を凌ぐ超兵器の存在である。しかし芹沢は、核の二の舞を怖れ、その超兵器の使用を認めようとはしなかった……。この作品によって本邦の特撮映画は始まった、と言っても過言ではない程の大傑作。<大使寸評>この映画でゴジラが登場するのは、劇中かなり遅くなってからだったが・・・だんだんと現れてくるところが恐いわけで、心憎い演出とも言えるわけです。allcinemaゴジラ(1954)wikipediaゴジラ (1954年の映画)我々、団塊の世代は、初代ゴジラにインスパイヤされた世代であるが・・・その後、引き続いて作られた怪獣映画を飽きもせづ観続けたアホも多くいるわけです。大使の場合、怪獣映画でゴジラ以外で覚えているのはアンギラス、ラドン、モスラぐらいだから、怪獣フリークというよりも、初代ゴジラのファンなんでしょうね。ゴジラ画像より***********************************************************************【追記】『シン・ゴジラ』の封切り初日に観に行ってきました。国家の危機管理がメインテーマにもなっていて・・・いい悪い別にして、わりと大人向けの映画になっています。もちろん、子供が見てもゴジラの迫力はじゅうぶんに伝わるでしょうね♪核反応が有機体の中に組み込まれた、まさに「想定外の」生き物が出現したわけで、ある意味、昨今のニッポンの危機管理能力を皮肉っているわけでおます♪このゴジラは、自衛隊の通常ミサイルなどは跳ね返し、米軍の放ったバンカーバスターにやっと傷つくというスーパー生物なのだが・・・怒らせると口と尻尾から例の光線を放つわけで、このシーンでは思わず手を叩きたくなるアホな大使でおました。一時は米軍が核ミサイルをスタンバイさせる危機となったが、結局、なんちゃら凝固材の注入で事なきを得るわけです。とにかく、大田区、東京駅、永田町、虎ノ門など都心のかなりの部分を壊した破壊力が凄い!それから、大使のようなへそ曲りの観客の冷めた鑑賞にも言い訳ができる作りとなっていました。ところで、ゴジラ映画といえば、これまでは着ぐるみ特撮であったが・・・・『シン・ゴジラ』を観るかぎり、それはなかったのではないか?、それだけCG技術が素晴らしいといえるのだが。ひよこさんの「シンゴジラ」見てきましたが、ええでぇ♪
2016.07.29
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図書館に予約していた『介護民俗学へようこそ!』という本をゲットしたのです。六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であったので、介護民俗学のその後を知りたいわけでおます♪【介護民俗学へようこそ!】六車由実著、新潮社者、2015年刊<「BOOK」データベース>より ここは、静岡県沼津市のデイサービス施設「すまいるほーむ」。デイルームや入浴介助の場で、ふと語り出される鮮やかな記憶の数々。忘れえぬ思い出の味、意外な戦争体験、昭和の暮らし、切ない恋バナ。多彩な物語が笑いと涙を呼び、認知症の人もスタッフも生き生きとした感情を取り戻していく。 豊饒な物語が問いかける「老いることの価値」とは。人が人として尊重される介護のありかたを切り拓く一冊。<読む前の大使寸評>六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であったので、介護民俗学のその後を知りたいわけでおます♪<図書館予約:(7/09予約、7/23受取)>rakuten介護民俗学へようこそ!「老いることの価値」という哲学的なあたりを、見てみましょう。p276~279 <「老い」が価値を失った社会> こうした、すまいるほーむにおける、支え合いながら共に生きる在り様は、かつての地域社会では普通にみられたはずである。現役から退いても、その長年培ってきた経験知によって、お年寄りたちが現役世代から意見を求められ、それによって、お年寄りも現役世代も自らの役割を果たしながら、共に社会を作っていたのである。 それが、現在では、老いは厄介なものとしてしか捉えられなくなり、老いにより一人でできないことが増えてきたお年寄りたちは、一方的に介護され保護されるしかなくなっている。 けれど、そんな社会の在り方はあまりに歪だし、悲惨ではないか。高齢者にとって悲惨なばかりでなく、老いが厄介者でしかない社会の中では、どんな希望をもって歳を重ねていけばいいのかわからない、という点で、これから老いを迎える私たちにとっても悲惨である。 鷲田清一」は、『老いの空白』(岩波書店)の中でこんなことを述べている。 「老い」が尊敬された時代というのは、「経験」が尊重された時代のことである。ところが、産業社会の中では、機械化、自動化、分業化による能率性の向上が第一に目指されるため、人が長年かけて培ってきた経験知よりも、誰もが訓練でその方法さえ学習すれば使用できるテクノロジー(技術知)が重視されるようになる。そうした社会では、「老い」は衰退であり、非生産的=無用なものとして負のイメージを負わされてしまう。だが、「老い」「経験」がその価値を失うということは、「成熟」が意味を失うことであり、更には「成熟」が意味を失うということは、「大人」になることの意味が見えなくなるということではないか、と。 大人になることの意味が見えない社会にいったい未来はあるのだろうか。若者たちが未来に希望を持てず、孤独化しているのは、「老い」や「経験」が意味を失った社会では大人になる意味が見いだせなくなっているからではないのか。 介護現場は、まさにそうした社会の縮図である。介護職の離職率が高いのはもちろん給与が低いということも一つの要因としてあるが、「老い」と向き合う自分の仕事に、更には、いずれは必ず「老い」を迎える自分の未来の姿に希望が持てないからではないか、と私は思う。 というのも、本来「老い」に向き合わなければならないはずの介護現場にも、産業社会と同様に能率性や成果が求められているからだ。現場のスタッフは少ない人数で多くの利用者の介護を安全に効率的に行うことが求められる。そのために、どのスタッフでも同じ対応ができるように介護は技術としてマニュアル化され、その技術の習得のための研修時間がますます増やされていっている。 そうした技術の習得においては、問題解決のための対処法に重点が置かれ、老いるとは何か、人間はどう生きるべきか、といった哲学的な問いや葛藤は求められない。「老い」は「対処すべき課題」とみなされているのである。 「老い」を「対処すべき課題」とみなす根本には、介護保険法の基本理念として掲げる「自立支援」の考え方も影響しているのではないかと私は考えている。(中略) 要するに、要介護状態は軽減され、改善されるべきものであり、自立していないことは忌むべきものとされ、高齢者がいかに自立した生活を営めるかが、「対処すべき課題」とされているのである。(もっとも、この自立を促す自立支援の背景には、枯渇する財政の中でいかに継続的に制度を保っていくかという命題があるのだが)(中略) 老いとは、単に何かができなくなることではなく、死に向かって人生を下っていくことである。利用者本人たちは、いかに、死に向かって穏やかに下っていくことができるのか、という人生最大の課題に直面しているのに、それでもなお前向きに、上昇志向で目標に向かって自立して生きることが求められるのは、あまりにも酷なことではないだろうか。というわけで・・・在職中は効率重視の生産的なマインドで暮らしてきた大使であるが・・・リタイヤ後は、効率無視の非生産的な(悠々自適とも言われているが)楽隠居を目指しておるわけです。『介護民俗学へようこそ!』1
2016.07.28
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図書館に予約していた『介護民俗学へようこそ!』という本をゲットしたのです。六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であったので、介護民俗学のその後を知りたいわけでおます♪【介護民俗学へようこそ!】六車由実著、新潮社者、2015年刊<「BOOK」データベース>より ここは、静岡県沼津市のデイサービス施設「すまいるほーむ」。デイルームや入浴介助の場で、ふと語り出される鮮やかな記憶の数々。忘れえぬ思い出の味、意外な戦争体験、昭和の暮らし、切ない恋バナ。多彩な物語が笑いと涙を呼び、認知症の人もスタッフも生き生きとした感情を取り戻していく。 豊饒な物語が問いかける「老いることの価値」とは。人が人として尊重される介護のありかたを切り拓く一冊。<読む前の大使寸評>六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であったので、介護民俗学のその後を知りたいわけでおます♪<図書館予約:(7/09予約、7/23受取)>rakuten介護民俗学へようこそ!「介護民俗学」の説明を、この本の冒頭で見てみましょう。p8~11 <第1章 聞き書きの沃野へ> 静岡県沼津市の旧東海道沿いにあるデイサービス、すまいるほーむ。ここが私の現在の仕事場である。すまいるほーむは民家を借りた、定員十名の小規模デイサービスで、登録している十五名のお年寄りたちが毎日かわるがわるやってきては、入浴や食事、リクリエーションなどのサービスを利用しながら1日をのんびりと過ごしている。 年齢は75歳から98歳、出身地も北は北海道から南は熊本と全国各地に広がり、もちろん職歴も経験も、また病歴も様々である。認知症の方もいるし、脳梗塞による後遺症で片麻痺になった方もいれば、大腿部の骨折や間接リューマチにより歩行が困難な方もいる。介護保険の認定を受けた要介護度も、要支援1の軽度の方から要介護5の重度の方まで、実に多様な人たちが集まっている場所である。 利用者さんたちの年齢や生活環境、病歴などが様々であるのと同じくらい、ここで働くスタッフたちも実に個性的な面々が集まっている。訪問介護の事業所で管理者をしてきたベテラン介護士から、自ら経営していたデザイン事務所を閉じて介護職に転身した男性、大学で演劇を学んだ末にすまいるほーむに就職した20代の最年少スタッフ、精神科病棟の看護師や訪問看護師をしてきた子育て世代の看護師たちなど、職歴も経験も才能も様々である。 そして私自身も、民俗学を研究する大学教員を退職して、心機一転、介護の現場で働き始めた転職組の一人であり、大規模施設での3年半の勤務の末に、縁あってこのすまいるほーむに呼んでいただき、管理者兼生活相談員として働き始めた遍歴を持つ。 そんな人たちが集うすまいるほーむは、不思議なことにそれぞれの個性が互いに対立することなく穏やかに調和していて、心地よいハーモニーを奏でているように私には感じられる。そして、私自身にとっても、ここは、人生で初めて得た「生きにくさ」を感じなくてもいられる貴重な居場所となっている。 さて、本書『介護民俗学へようこそ!』では、「介護民俗学」という方法をよりどころにしながら、スタッフや利用者さんたちと共にすまいるほーむの日常風景に穏やかな彩りを添えていくプロセスを紹介していく。 「介護民俗学」とは私の造語であり、まだまだ発展途上ではあるが、民俗学で培われてきたものの見方や聞き書きによって、介護現場のお年寄りたちの歩んできた人生に真摯に向き合うことで、人が生きることの意味や人間の営みの豊かさについて考えていくための方法だと言っていい。 興味をもってくださる方は前著『驚きの介護民俗学』(医学書院)を手に取っていただければありがたいし、何よりも本書を読み進めるなかで、すまいるほーむの日常風景から、介護民俗学の実践の意味が少しずつでも読者に伝わればよいと思っている。そして、本書が、閉鎖的になりがちな介護やケアを、限りない可能性へと開いていくことにつながれば幸いである。大使はつい最近まで母を介護施設でお世話していただいたので、介護やケアには関心と共感を覚えるのですが・・・・母からは肝心の身の上話を聞くことができなかったことを悔やむのです。六車さんが試みた聞き書きの一例を見てみましょうp16~17 <思い出の味の再現> さて、そんなすまいるほーむで始めた聞き書きのもう一つの形として、今や欠かせない風景になっているのが「思い出の味の再現」である。「思い出の味の再現」とは、子供の頃の母親の味や子育てをしてきた頃の家庭料理など、利用者さんの思い出に残っている味について聞き書きをし、それをみんなで作って味わう、という試みである。 一般的にデイサービスやグループホームなどの高齢者施設のなかには、季節ごと月ごとに行事を行い、そのなかで季節の料理やその地域の郷土料理などを、利用者さんたちと手作りして食べる、といったことをしているところは多い。それは、毎日繰り返される代わり映えのしない日常に季節感を取り入れて利用者さんたちの生活にメリハリをつけたり、調理という日常生活行為に関わってもらうことで認知症の進行を遅らせようという目的があったりする。 すまいるほーむでの思い出の味の再現も、行事ごとにそれにちなんだ料理を利用者さんと一緒に作って楽しむものだが、特に大切にしているのは、「〇〇さんの思い出の味」という形で毎回一人の利用者さんを主役にして、その方の記憶に残る料理についてレシピや料理にまつわる思い出を聞き書きし、みんなで協力して具体的に作って食べてみる、ということである。そうやってみんなで思い出の味を再現して味わうことで、その利用者さんの思い出や思いが、味とともにみんなに共有されていくのである。以前に読んだ『驚きの介護民俗学』を再掲します。【驚きの介護民俗学】六車由実著、 医学書院、2012年刊<「BOOK」データベース>より第1章 老人ホームは民俗学の宝庫(「テーマなき聞き書き」の喜び/老人ホームで出会った「忘れられた日本人」/女の生き方)/第2章 カラダの記憶(身体に刻み込まれた記憶/トイレ介助が面白い)/第3章 民俗学が認知症と出会う(とことんつきあい、とことん記録する/散りばめられた言葉を紡ぐ/同じ問いの繰り返し/幻覚と昔話)/第4章 語りの森へ(「回想法ではない」と言わなければいけない訳/人生のターミナルケアとしての聞き書き/生きた証を継承するー『想い出の記』/喪失の語りーそして私も語りの樹海に飲み込まれていく)/終章 「驚けない」現実と「驚き続ける」ことの意味(驚き続けること/驚きは利用者と対等に向き合うための始まりだ)<大使寸評>著者は大学准教授から特別養護老人ホームに介護職員として転職したそうで、かなり異色な民俗学的アプローチとも言えるわけです。著者のサイト驚きの「介護民俗学」の実践と「介護民俗学」へようこそ!で、著者の近影が見られます。この本はブログ友のレビューを読んで、以下のとおり図書館に借出し予約したものです。<図書館予約:(12/23予約、12/28受取)>rakuten驚きの介護民俗学驚きの介護民俗学byドングリ
2016.07.28
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図書館で『東京モンスターランド』という本を手にしたのです。サブカルと言いながらも、寺山修司、糸井重里、杉浦日向子、中沢新一、安藤忠雄、横尾忠則、小松左京、荒木経惟・・・という知った名前が見えるので借りた次第でおま♪【東京モンスターランド】榎本了壱著、晶文社、2008年刊<「BOOK」データベース>より伝説のサブカルチャー雑誌『ビックリハウス』の仕掛人・榎本了壱による、吃驚の20世紀追想録。少年時代より現代詩を創り、舞踊、デザイン、アングラ演劇、実験映画、出版、文化イベントのプロデュースなどに携わっていく。そのさなかに出会った、栗津潔、寺山修司、団鬼六、萩原朔美、糸井重里、黒川紀章ら、錚々たる奇才異才のカルチャーモンスター達。その多彩な交流から、20世紀文化の黄金時代を痛快軽妙に遍歴する。<読む前の大使寸評>サブカルと言いながらも、寺山修司、糸井重里、杉浦日向子、中沢新一、安藤忠雄、横尾忠則、小松左京、荒木経惟・・・という知った名前が見えるので借りた次第でおま♪amazon東京モンスターランド杉浦日向子さん出席のトークセッションを見てみましょう。榎本:この本の著者神田:神田陽子(講談師)荻原:荻原朔美(映像作家、エッセイスト)p344~346 <奇々怪々 講談「百物語」(1987年)>榎本:ふんどしの話っていうのも面白いんですよね。杉浦:ふんどしというのは江戸っ子の自慢なんですよ。ふんどしっていうのはぜいたく品だったんです。ふんどしをしているというのは見栄のひとつで、よく江戸っ子はケツをまくると言いますよね。それはふんどしを見せるためだったんですよ。江戸っ子の大得意のポーズだったんですよね(笑)。 粋人の集まりなんかになると、それぞれがふんどしにも凝るんです。普通の木綿のじゃなくてちりめんのゴリゴリしたような(笑)、締めると痛いような(笑)。それで啖呵を切ってケツをまくって、あいつ緋ぢりめんのふんどしだとか言ってみんなぶったまげるんです(笑)。 江戸っていうのはそういった楽しくて馬鹿馬鹿しい時代だったということもわかって欲しいなと思います。時代劇だと切り捨て御免とか士農工商とか、暗い面ばっかり強調されてますから、もっと明るい江戸というものも見せたらいいと思うんです。榎本:武士の文化がクローズアップされていて、町人の文化というのが伝わってきてないんですね。杉浦:武士が町人にいばって、町人が武士を尊敬してたかというと全然違うんです。武士は公務員で町人は一般の自営業の人っていう感じだったんです。分業感覚で上下感覚はほとんど感じていなかったようですね。榎本:神田さんは文学座から講談に行かれたわけですが、そのきっかけは何だったんですか。神田:たまたまうちの師匠の『レ・ミゼラブル』のテープを聞いて、そしたら血湧き肉踊ったんです。これこれ、これよ、みたいな・・・・それまで講談なんか見たことも聞いたこともなくって、だからいわゆる旧態依然とした講談は全く知らないし、それをやろうと思って入ったわけじゃないんです。 杉村春子さんがやってたような舞台がやりたくて文学座に入ったんですけど、リアリティを重んじる時代で、ぜんぜん違ったんです。榎本先生って、シャレとかダジャレとかいっぱいお持ちでしょ、それ江戸っぽいですよね。杉浦:それ、江戸っ子のクセなんですよね。江戸っ子っていうのはダジャレがないと会話が成立しないんです。ダジャレのひとつも言えない奴とは付きあうなって言われてたんですよ。ダジャレのために会話が進まないていうこともよくあったそうですね。榎本:シャレはよしねえ屋の牛丼・・・・(笑)。荻原:杉浦さんの話でいいなと思ったのは、東京の舗装道路を一枚めくるとそこに江戸があるっていうの。五月革命のパリには舗石はいだら砂浜だったけどね(笑)。 杉浦:百二、三十年前にちょんまげのおじさんが同じ道を歩いていた、というのは驚異ですよね。神田:江戸時代っていうのは明治時代なんかより近いような、親しめるような気がしますね。明治って、本当に一生懸命やってないと置いていかれちゃうような感じがしますね。荻原:江戸時代は毎日が日曜日って杉浦さんおっしゃってましたけど、それもいい言葉ですよね。杉浦:今は遊びの感覚というのが、つぎのいい仕事をするための休みで、それで英気を養って仕事に行くという感覚ですよね。でもそれは逆転なんですよね。当時はとりあえず遊んでて、どうしてもおまんまが食べられなくなったら働くという感じなんですね。神田:仕事が一番じゃなく、遊びが一番、電話は二番みたいな感じ(笑)。「今の東京は好きになれないが、昔の江戸は良かった」というのが大使の持論であるが・・・・もちろん『コメディーお江戸でござる』で披露された杉浦さんの時代考証によって、そう思っているわけです。wikipediaコメディーお江戸でござるより『コメディーお江戸でござる』は、1995年3月30日から2004年にNHK総合・NHK-BSで放送されていた、江戸時代の江戸を舞台とし、町人の生活をコミカルに描いた喜劇を中心に据えたバラエティ番組。番組構成は、演劇(4幕)、歌、「杉浦日向子のおもしろ江戸ばなし」の3部構成であった。『東京モンスターランド』1
2016.07.27
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図書館で『東京モンスターランド』という本を手にしたのです。サブカルと言いながらも、寺山修司、糸井重里、杉浦日向子、中沢新一、安藤忠雄、横尾忠則、小松左京、荒木経惟・・・という知った名前が見えるので借りた次第でおま♪【東京モンスターランド】榎本了壱著、晶文社、2008年刊<「BOOK」データベース>より伝説のサブカルチャー雑誌『ビックリハウス』の仕掛人・榎本了壱による、吃驚の20世紀追想録。少年時代より現代詩を創り、舞踊、デザイン、アングラ演劇、実験映画、出版、文化イベントのプロデュースなどに携わっていく。そのさなかに出会った、栗津潔、寺山修司、団鬼六、萩原朔美、糸井重里、黒川紀章ら、錚々たる奇才異才のカルチャーモンスター達。その多彩な交流から、20世紀文化の黄金時代を痛快軽妙に遍歴する。<読む前の大使寸評>サブカルと言いながらも、寺山修司、糸井重里、杉浦日向子、中沢新一、安藤忠雄、横尾忠則、小松左京、荒木経惟・・・という知った名前が見えるので借りた次第でおま♪amazon東京モンスターランド1980年代のサブカルを見てみましょう。ネット情報がなかった当時のサブカルについては、地方に住むものはツンボ桟敷にいるようなものでした。p261~267 <デザイン会議館> この会議から私はイトイ(糸井重里)さんとタッグを組んで、リレー講演会というのを始める。朝から夕方まで、昼食を挟んで5時間のプログラムだ。この会場は港町の酒場のしつらえにした。それぞれの過去を抱えた船乗りがふらりと酒場にやってきて、話しはじめるという演出である。一人10分から15分程度だから、20人以上の人とトークすることになる。 プログラムを見ると、梅原猛、吉田光邦、黒川紀章を筆頭に、粟津潔、安藤忠雄、田中一光、横尾忠則、勝井三雄、永井一正、福田繁雄らの名前があるから、こうした人たちと次々に話していったはずである。イトイさんとのリレー講演会は、1987年の長野会議まで5年続いた。 こうしてアングラ、ヘンタイ、パロディとへて、私はカウンターカルチャーにもなりきれず、いつの間にかサブカルチャーなどと呼ばれ出し、さらには「日本文化デザイン会議」というエスタブリッシュされたカルチャーのど真ん中の渦中に飲まれ込まれてしまった。それならと、1986年あたりから、イベントのことあるごとに「カルチャーランチ・クラブ」というリゾーム状の仮想クラブを展開することになる。 デザイン会議の運営委員会も、事務局をしている博報堂も、若手文化人をゆったりと束ねることを歓迎してくれていた。糸井重里、川崎徹、杉浦日向子、中沢新一、高見恭子、日比野克彦、内田春菊、羽仁未央、島森路子、手塚真、高橋源一郎、渡辺和博、島田雅彦といった人たちが、なんとなく絡んでくれて、そのうちの何人かは、その後のデザイン会議の主要メンバーになっていく。 なかでも「私は出不精で」と言って、そのしなやかな腰をなかなか上げてくれなかった杉浦日向子さんが、ともかくどこなりと移動しはじめてくれたことがうれしかった。1988年の熊野会議では、会場に行くまでが大変だったが、新幹線を乗り継いで天王寺駅から会場のある紀伊勝浦駅までの紀勢本線3時間ほどを、日向子さんと、手塚治虫さん、粟津潔さんの四人で一つのコンパートメントに座り、話ができたという幸運はなかった。(中略) 1995年には、手塚真さんを中心としたチームが開発した「テオ」という人工知能の生物の誕生を記念したイベント「ネオ・アニマロジーフォーラム」(表参道クエストホール)をプロデュースすることになる。ゲストスピーカーが、コリン・ウィルソン、小松左京、美輪明宏、荒俣宏、荒木経惟、中沢新一、夢枕獏、杉浦日向子、内田春菊、岡崎京子、景山民夫、小谷実可子、立花ハジメ等々といったメンツがそろった。このイベント中に私の母が亡くなった。夜中に電話があって車で駆けつけると、すでに霊安室のガラスの向こうに静かに横たわっていた。周囲の人に告げずに葬儀を済ませた。 話を戻す。この1988年の熊野会議では、杉浦日向子さんと、講談の神田陽子さん、荻原朔美の四人で、夜の漁港に幕を張ってそこでというセッションをした。日向子さんが漫画に描いた百物語を陽子さんが演じながら話していくという、楽しい一夜だった。そのあとは港の近くの確か「バンブーハウス」とかいったエスニックな店に黒川紀章さんと合流して、アフリカの赤ワインを幾本も空けた。 翌日、出番のない日向子さんと私は、那智の華厳の滝や、秦の始皇帝に長生不老の霊薬探しを命じられて、この地に辿り着いたという徐福伝説のある新宮の徐福公園を廻った。この頃日向子さんは、荒俣宏さんと結婚したばかりで、熊野那智大社では三本足の八ガラスのお札を買っていた。何をお願いしようとしていたのだろうか。けれども二人はほどなく別れてしまう。私は荒俣宏という知の巨人に畏敬の念を抱いていたから、残念でならなかった。
2016.07.27
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<長いお別れ2>図書館に予約していた中島京子著『長いお別れ』を、待つこと8ヶ月でゲットしたのです。短編、中篇に抜群の切れ味を見せる中島さんの私小説はどんなかな♪というわけで・・・期待を込めて読んでみようということでおます。【長いお別れ】中島京子著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をするー。認知症の父と家族のあたたかくて、切ない十年の日々。<読む前の大使寸評>短編、中篇に抜群の切れ味を見せる中島さんの私小説はどんなかな♪というわけで・・・期待を込めて読んでみようということでおます。大使の父も、晩年の数年はボケていたが…老人とはそういうものだと思っていたわけです。ときどき父の思い出が出てくる、今日この頃である。<図書館予約:(11/23予約、7/23受取)>rakuten長いお別れ自宅介護とは如何なるものかを、見てみましょう。p179~183 <入れ歯をめぐる冒険> 玄関の呼び鈴がなり、白い作業服を着た三人のスタッフがあらわれた。女性が二人、男性が一人で、女性のうち一人は看護師だった。 「おはようございます。今日もよろしくお願いいたします」 元気な声で看護師が挨拶し、青い椅子に座る昇平の熱を計ったり血圧を視たりし始めると同時に、真っ二つに切った形のバスタブが、二人のスタッフによって運び込まれた。絨毯の上には、いつのまにか青い防水シートが敷かれ、バスタブは真ん中で繋ぎ合わされて、浴室から太いホースで引いた温水が静かに注入される。 温水を入れている時間に、スタッフは昇平のパジャマとリハビリパンツを脱がせてバスタオルをかける。 「先生、今日はさわやかな柑橘系でいこうと思うんですが、いいですかあ?」 てきぱきと脱衣を手伝い、ポケットから入浴剤を取り出した看護師が言う。昇平はびっくりしたまま、看護師を見つめる。 「暑くなってきましたからね、ミント系と柑橘系、どちらがいいですかあ?」 曜子は隣で代わって答える。 「柑橘系でお願いします」 バスタブに張られた湯の中に、入浴剤が撒かれ、オレンジ色が広がる。 曜子が目を瞠って見ている間に、スタッフ二人がバスタブ内にゴム製のボードめいたものを設置する。ちょうど湯船の表面を覆うように浮かぶ大きさで、底には穴が数か所空いている。最終的にはこれに昇平が横たわり、湯船に沈むことになるのだが、その上に水色の幅1メートルくらいの網状のシートを、ゴム製ボードと垂直になるように渡す。 「じゃあね、昇平さん、僕につかまってください。いまからお風呂のへりに腰かけてください。いいですか。行きますよ。一、二の、三!」 男性スタッフがそう言って昇平の両肘をつかもうとすると、それまでぼうっとしていた老人の反抗心がめらめら燃え上がった。 「やだ!」 この「やだ!」というのはなんなのだろう、と、しばしば曜子は自問する。 自分の意思で何かをすることができなくなってきた夫にとって、拒否は最もはっきりした自己表現なのかもしれない。あれをしたいと言えなくなってしまった彼には、NOだけが自分でも確かだと思える意思表示で、その必死のNOに気おされてこちらが要求をひっこめると、何か達成したような、勝ち取ったような気がするのかもしれない。 曜子は三人の娘たちがそれぞれ幼児期に迎えた反抗期のことを思い出したりした。 「お願いしますよ、昇平さん。つかまって。ほら、一、二の」 弱り切った男性スタッフの横で、茶色の髪をした色白の女性が口を尖らせた。 「タチバナくん、昇平さんじゃなくて、先生って言わなきゃだめ。ね、先生」 「うむ」 「わー、そうだった。すいません。先生、僕の腕につかまってもらえます?行きますよ。一、二の、三!」 「昇平さん」では嫌で、「先生」ならよかったのか、老人は若い男性スタッフの腕につかまって半回転し、バスタブのへりの、ちょうど水色の網状シートのかかった部分に腰を下ろした。 「はい。じゃ、先生、背中をこの網に預けてくださいよ。一気に行きますよ。だいじょうぶですからね。はい!」 合図とともに、女性スタッフが昇平の頭の上にある網の端を、男性スタッフが足のほうにあたる端を持ってそれをくるりと九十度回転させ、網状シートを広げる要領でゴム製ボードの上に昇平を寝かせる。 「ちょっとずつ行きますからね」 それから二人のスタッフは、ゴム製ボードの位置を調整してゆっくりと昇平の体を湯におろして行った。体が温水に触れると、昇平は少し驚いて手を動かしたが、気持ちがいいとわかると抵抗をやめた。(中略) 来た時と同じように元気に帰って行く若いスタッフを見送ると、曜子はリビングのソファにあざらしのように倒れ込んだ。 夫の昇平は青い椅子の上で気持ちよさそうに軽いいびきをかいていた。このあと、曜子は網膜剥離で緊急手術を行うことになるのだが・・・いや、自宅介護の大変さが思いやられるわけです。大使の場合、父母ともに、わりと早い時期に自宅介護から施設介護に切替えることができたので、こんな大変な目にあうことなくやりすごしてきたのです。『長いお別れ』1
2016.07.26
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図書館に予約していた中島京子著『長いお別れ』を、待つこと8ヶ月でゲットしたのです。短編、中篇に抜群の切れ味を見せる中島さんの私小説はどんなかな♪というわけで・・・期待を込めて読んでみようということでおます。【長いお別れ】中島京子著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をするー。認知症の父と家族のあたたかくて、切ない十年の日々。<読む前の大使寸評>短編、中篇に抜群の切れ味を見せる中島さんの私小説はどんなかな♪というわけで・・・期待を込めて読んでみようということでおます。大使の父も、晩年の数年はボケていたが…老人とはそういうものだと思っていたわけです。ときどき父の思い出が出てくる、今日この頃である。<図書館予約:(11/23予約、7/23受取)>rakuten長いお別れ今読んでいる最中なんだけど・・・・認知症の父親を娘を訪ねるために米国西海岸まで長旅に連れ出すという、わりと行動的で陽性なお話ではあるが、これも私小説というジャンルでいいのだろうか?ネットで著者が語るというのを探してみたら、以下ヒットしました。中島京子氏 介護体験描く小説『長いお別れ』より 最新作『長いお別れ』は、英訳でロング・グッドバイ。〈少しずつ記憶を失くして、ゆっくりゆっくり遠ざかって行く〉認知症を、アメリカではこう表現するらしい。「そう。チャンドラーだけじゃないんですよね。私も一昨年、認知症の実父と10年目に死別したので、なるほど、その通りだなあって」 父〈昇平〉がアルツハイマー型認知症と診断されてからの10年間。老夫婦と3人の娘とその家族の日常を、計8編の連作に切り取る。冒頭「全地球測位システム」は、東京郊外の東家に姉妹が久々に揃った父の誕生会でのこと。 そこでお金の話が出るかもしれないからと、母〈曜子〉は3人を呼びつけ、次女〈菜奈〉は8歳の〈将太〉を連れて、フードコーディネーターで独身の三女〈芙美〉は料理持参で、長女〈茉莉〉は夫の赴任先の米西海岸からわざわざ駆けつけた。が、父は特に大事な話もせず、手土産のタルトやチョコの包み紙を古い〈泉屋のクッキーの缶〉に仕舞いながらこう呟くのだ。〈こういう良いものはね、みんな取っておく〉と―。 失われゆく記憶と、それらを形に留める幾多のモノたち。彼や彼女らにとって、本当に良いものとはなに?「物を溜めこむのは認知症の典型的症状らしいですね。一昨年亡くなった私の父も煙草の空箱とか喫茶店のお砂糖なんかをやたら集めていて、私たちが捨てようとすると『こんなに大事なものを』って怒るんです。 父の思いの真相はわかりませんが、父が記憶や言葉を失っていく過程では結構笑っちゃう話も多くて(笑い)。私たち家族にとってはそれも日常ですから、そういう面白い出来事もたくさんある長いお別れを、できれば明るく書いてみたかった」この記事も中島京子の世界R1に収めておきます。
2016.07.26
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図書館で『日本戦後史論』という本を手にしたのです。なんか一度借りたような本であるが…ま いいかということで借りたのです。【日本戦後史論】内田樹著、 徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より日本人にとって戦後とは何なのか。いま起きている問題の根底にあるものは何か。タブーなしの徹底対談!【目次】第1章 なぜ今、戦後史を見直すべきなのか(戦後史を見直す動きは時代の要請/日本の歪んだ右傾化 ほか)/第2章 純化していく永続敗戦レジーム(ほんとうの民主主義がない日本/なじみやすかった対米従属と対米自立 ほか)/第3章 否認の呪縛(「敗戦の否認」の呪縛/「何かの否認」により成り立つ国家 ほか)/第4章 日本人の中にある自滅衝動(事実認識が正確にできないようになってしまったのはなぜか/極論を楽しんでしまう日本人の気質 ほか)<読む前の大使寸評>なんか一度借りたような本であるが…ま いいかということで借りたのです。rakuten日本戦後史論日本人の属国根性あたりを見てみましょう。p169~175 <日本がアメリカの属国であることを、日本人はどれだけ受け止めているか>白井:日本がアメリカの属国であるという事実には、やっぱりリアリティがないんじゃないですかね。これは皮肉でもなんでもなく、メディアがバーチャルリアリティを作り出す力のすごさの証拠です。「ともかく日米というのは友好なんだ」と。「アメリカ様は日本に対して愛情を持っているんだ」という虚妄の前提を作っているわけです。 先にも言ったように、戦前の天皇制が戦後は国際化して、天皇の位置がアメリカに取って代わられたというのが私の持論です。なぜそんなシステムが必要になったかというと、アメリカが日本を愛していないかもしれないということになると、さらに遡って、昭和天皇は全然国民を愛していなかったんじゃないかという疑惑になるわけで、これは国民にとって最も受け入れがたいトラウマになる。なので、「昭和天皇は国民を愛していた」という幻想を保たなければいけないから、「アメリカは日本を愛している」という幻想も保たなければならない。 しかし国家関係においての愛情だの、友情だのなんて、そもそもあり得ません。冷戦構造が崩壊してグローバル化したときに、アメリカの日本についての経済的位置づけが変わりました。庇護するべき対象から収奪の対象になったんです。内田:その通りです。白井:最初に表れたのが70年代のニクションショックであり、次にプラザ合意だったと思います。そこで起きたのがいわゆるマネー敗戦ですね。 宮崎駿さんが2000年ぐらいにこんなことを言っていました。たしか『ハウルの動く城』が出たときだったと思います。曰く、80年から現在までの歴史の流れは、太平洋戦争のときと同じだというのです。どういうことかというと、目的もわからないまま戦争を始めて、最初は「勝った、勝った」と喜んでいた。ところがいつの間にか戦況が悪くなって大変なことになっている。現在は、戦時中でいえばインパール作戦あたりの時期に該当するのではないか。会見でそういうことを言っていた。 ここでの問題は何かというと、明らかに日本は経済領域で対米戦争をしていたわけなのですが、そのことに無自覚だったし、かつ、その戦争目的が何であるのかがわかっていなかった。だから、勝ちきった時点でそのヘゲモニーを維持するための行動を何もしなかった。そうこうしているうちにいつの間にか反転攻勢を掛けられて、あっという間に収奪される対象へと落ちぶれてしまった。たしかに宮崎さんが言う通り、第二次大戦のときとそっくりなんです。(中略)内田:エズラ・ヴォーゲルが「ジャパン・アズ・ナンバーワン」って言ったころには、それなりの意識があったと思うんですよね。例えば政治で世界を領導することはできないけれど、電気製品や自動車のスペックなら日本人が世界標準を作り出せるという気負いがあった。代償行為ですけれどね。属国だから、政治イデオロギーや政治システムでは世界標準をご提示できない。でも、「ものづくり」でなら世界標準を作り出せる。それで国民的なプライドを保持できると思ったんじゃないですか。白井:経済的に世界的な勝利を収めた瞬間に、政治では何を言っていたかというと、中曽根康弘のレーガンに対する不沈空母発言です。ずっと属国でいますということを宣言し、レーガノミクスにファイナンスしてあげた。しかし、結局レーガンがレーガノミクスで何をやったかといったら、軍拡競争にソ連をもういちど引きずり込んで、ついていけないソ連を崩壊させた。 それでもって冷戦構造が崩壊するわけだから、日本にとって地政学的に見て快適な環境が壊れた。だから、非常にバカげた話なんです。自分にとっての最高の環境を、わざわざお金を貸して、というか正確にはお金をあげてぶち壊したんですから。自滅なんです。 だから、経済的に勝利する一方で、その経済的な勝利というのが何に基いていたのかを日本は理解していなかった。あのときに国際政治の中でそれまでとは違う地位を確立しなければならなかったのに、アメリカの傀儡であることを選び続けた。 何しろもともとルーツを辿っていけばアメリカからお目こぼししてもらった元ファシストのような人たちがやってきた政権ですから、例えば統一ドイツのような立ち位置を占めることは国際環境的にできない。そこから没落していくことになったわけですね。お二人とも、「次は勝つ!」とまでは言わないけど・・・・親米でないことは明らかであるわけで、心強いかぎりでおます♪『日本戦後史論』1
2016.07.25
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・長いお別れ・介護民俗学へようこそ!・日本戦後史論<大学図書館>・東京モンスターランド・映画ライターになる方法図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【長いお別れ】中島京子著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をするー。認知症の父と家族のあたたかくて、切ない十年の日々。<読む前の大使寸評>大使の父も、晩年の数年はボケていたが…老人とはそういうものだと思っていたわけです。ときどき父の思い出が出てくる、今日この頃である。<図書館予約:(11/23予約、7/23受取)>rakuten長いお別れ長いお別れbyドングリ【介護民俗学へようこそ!】六車由実著、新潮社者、2015年刊<「BOOK」データベース>より ここは、静岡県沼津市のデイサービス施設「すまいるほーむ」。デイルームや入浴介助の場で、ふと語り出される鮮やかな記憶の数々。忘れえぬ思い出の味、意外な戦争体験、昭和の暮らし、切ない恋バナ。多彩な物語が笑いと涙を呼び、認知症の人もスタッフも生き生きとした感情を取り戻していく。 豊饒な物語が問いかける「老いることの価値」とは。人が人として尊重される介護のありかたを切り拓く一冊。<読む前の大使寸評>六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であった。<図書館予約:(7/09予約、7/23受取)>rakuten介護民俗学へようこそ!介護民俗学へようこそ!byドングリ【日本戦後史論】内田樹著、 徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より日本人にとって戦後とは何なのか。いま起きている問題の根底にあるものは何か。タブーなしの徹底対談!【目次】第1章 なぜ今、戦後史を見直すべきなのか(戦後史を見直す動きは時代の要請/日本の歪んだ右傾化 ほか)/第2章 純化していく永続敗戦レジーム(ほんとうの民主主義がない日本/なじみやすかった対米従属と対米自立 ほか)/第3章 否認の呪縛(「敗戦の否認」の呪縛/「何かの否認」により成り立つ国家 ほか)/第4章 日本人の中にある自滅衝動(事実認識が正確にできないようになってしまったのはなぜか/極論を楽しんでしまう日本人の気質 ほか)<読む前の大使寸評>なんか一度借りたような本であるが…ま いいかということで借りたのです。rakuten日本戦後史論日本戦後史論byドングリ【東京モンスターランド】榎本了壱著、晶文社、2008年刊<「BOOK」データベース>より伝説のサブカルチャー雑誌『ビックリハウス』の仕掛人・榎本了壱による、吃驚の20世紀追想録。少年時代より現代詩を創り、舞踊、デザイン、アングラ演劇、実験映画、出版、文化イベントのプロデュースなどに携わっていく。そのさなかに出会った、栗津潔、寺山修司、団鬼六、萩原朔美、糸井重里、黒川紀章ら、錚々たる奇才異才のカルチャーモンスター達。その多彩な交流から、20世紀文化の黄金時代を痛快軽妙に遍歴する。<読む前の大使寸評>サブカルと言いながらも、寺山修司、糸井重里、杉浦日向子、中沢新一、安藤忠雄、横尾忠則、小松左京、荒木経惟・・・という知った名前が見えるので借りた次第でおま♪amazon東京モンスターランド東京モンスターランドbyドングリ【映画ライターになる方法】まつかわ ゆま著、青弓社、2005年刊<トップカスタマーレビュー>より趣味で映画鑑賞後にレビューを書いているので手に取りました。本書では、そのプロフェッショナルになるまでの心構えや、書き方が紹介されています。「お手本はビジネス文書」との言葉に、この趣味を続ければ仕事での書く力もつけられるのかなと期待しています。<読む前の大使寸評>暇な大使は映画評をよく書いているが・・・この本は格好の作文ハウツーとして読むことができそうではないか♪amazon映画ライターになる方法映画ライターになる方法byドングリ***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き159図書館予約の軌跡51
2016.07.25
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図書館で『日本戦後史論』という本を手にしたのです。なんか一度借りたような本であるが…ま いいかということで借りたのです。【日本戦後史論】内田樹著、 徳間書店、2015年刊<「BOOK」データベース>より日本人にとって戦後とは何なのか。いま起きている問題の根底にあるものは何か。タブーなしの徹底対談!【目次】第1章 なぜ今、戦後史を見直すべきなのか(戦後史を見直す動きは時代の要請/日本の歪んだ右傾化 ほか)/第2章 純化していく永続敗戦レジーム(ほんとうの民主主義がない日本/なじみやすかった対米従属と対米自立 ほか)/第3章 否認の呪縛(「敗戦の否認」の呪縛/「何かの否認」により成り立つ国家 ほか)/第4章 日本人の中にある自滅衝動(事実認識が正確にできないようになってしまったのはなぜか/極論を楽しんでしまう日本人の気質 ほか)<読む前の大使寸評>なんか一度借りたような本であるが…ま いいかということで借りたのです。rakuten日本戦後史論対米従属のメカニズムあたりを見てみましょう。p39~44 <対米従属が生きる道と信じる人たち>内田:戦後日本の国家戦略は「対米従属を通じて対米自立を果たす」という大変トリッキーなものでした。何度もあちこちで書いていることですけれど、僕はこれを「のれん分け戦略」と呼んでいます。丁稚が手代、番頭、大番頭と出世して、ある日大旦那さんに呼ばれてこう言われる。「お前も長いことよく忠実に仕えてくれた。ありがとうよ。これからはもう一本立ちして、自分の店を持ちなさい。明日からはお前も一国一城の主だ」。そういう展開を日本人はアメリカに対して期待しているんです。政治家も官僚も学者もメディアも。みんな、そう信じている。 これはあるいはかつて中華皇帝に朝貢していた華夷秩序の周辺国として、身にしみたマインドなのかも知れません。宗主国に対して「従順なふり」をしていると「いいこと」がある。臣下の礼を取っていると、中華皇帝からさまざまな下賜品が下され、「王」の位を賜り、自分のいるあたりの辺土は自治して構わないという一札が頂ける。そのコスモロジーが日本人の中にはしみついている。白井:ところが困ったことに今はグローバル資本主義の時代になって、周縁的領域だからどうでもいいやというふうに放っておいてはくれません。やれTPPに入れとか、司法制度をアメリカ流に改革しろだとか、無茶なことを押し付けられる。日本の有権者を見ていてほんとうに唖然・呆然とすることが多いんですけれども、2年前の選挙のときもTPPについて「聖域なき関税撤廃ということになったら、われわれは交渉から撤退する」と自民党は公約した。こんなスローガンを信じる人間がこの国にたくさんいるということにあらためて衝撃を受けました。(中略) でも、これって日本の保守支配層のお家芸、伝統的な行動様式だなと思います。絶対に勝てない太平洋戦争にズルズル入っていって、ミッドウェー海戦以降早く降参するしかないのに国体護持の方策を考えて小田原評定を繰り返している間にぐずぐず長引かせた。戦死者300万人のうちの200万人は最後の1年で死んでいます。国体護持という言葉は何やら荘重な響きがありますが、内実は、支配層の自己保身を言い換えただけにすぎません。 内田:もちろん自己保身のために国を売る人たちもいるでしょうが、TPPにはなんだかもう少しパセティックな理由があるような気がします。自己破壊というか破局願望というか。日本人って、けっこう「全部ぐちゃぐちゃになる」という状態が好きなんですよ。制度をちょっとずつ手直しするより、一回全部壊して、ゼロから作り直す方が好きなんです。 1922年に山縣有朋が死に、田中義一が29年に死んで、戊辰戦争以来陸軍を支配していた長州閥が終わります。それまで陸軍は長州出身者のための特権的なキャリアパスがあったわけですが、それがなくなる。すると、その空隙を狙ってそれまで冷や飯を食わされてきた軍人たちが一気に陸軍上層部にのし上がってくる。これがほとんど「旧賊軍」の藩から出てきた人たちなんです。真崎甚三郎は佐賀、相沢三郎は仙台、相沢に斬殺された永田鉄山は信州、東条英機は岩手、石原莞爾は庄内、板垣征四郎は岩手。いずれも藩閥の恩恵に浴する立場になかった軍人たちが1930年代から陸軍上層部に駆け上がってきます。 だから、あの戦争があそこまで暴走したのは、「賊軍のルサンチマン」が少なからず関与していたのではないかと僕は思っています。結果的にこの人たちが戊辰戦争から75年かけて薩長勢力を中心にしてえ築き上げてきた近代日本のシステムを全部壊すことになった。大日本帝国に対する無意識的な憎しみがないと、なかなかあそこまでいかないのではないか。 戦争指導部はたしかに多くの戦術的失敗を繰り返しましたけれど、それほど無能な作戦立案者や司令官を輩出させたというところに、僕は無意識的な悪意を感じずにはいられないのです。彼らはどこかで日本全体の国益を見失って、もっと「狭い」何かに殉じようとした。だいたい、皇道派と統制派の戦いというのは、ポスト争いですからね。白井:相沢事件は思想的な背景のある事件じゃなかったんですか?内田:ポスト争いなんですよ。教育総監というのは帷幄上奏権を持つ枢要なポストなんです。統帥権というのは、ご存知の通り、戦略の決定、作戦の立案、軍の組織編成・人事職務の決定にかかわる権限です。憲法上、形式的には天皇に属するけれども、実際には軍内部で案を作って上奏し、それがそのまま裁可される。これが帷幄上奏権と呼ばれ、この権限を持つのが陸軍参謀総長、海軍軍令部総長、陸海軍大臣、そして陸軍教育総監です。 帷幄上奏によって軍事にかかわるすべての勅令は下り、政府も帝国議会はこれに介入することができなかった。軍の組織や予算に手を着けようとした政治家たちはことごとく「統帥権干犯」として、つまり天皇の大権を侵すものとして軍と右翼の攻撃を受けた。 戦前は軍事費が国家予算の50~70%を占めていたわけですから、帷幄上奏権保持者は事実上総理大臣よりも大きな権力を行使できたわけです。その総理大臣より上のポストに、軍内部での「出世競争」を勝ち抜きさえすれば達することができたわけです。ポスト争いが熾烈になるのも当然です。受験秀才として陸士陸大を首席に近い成績で出れば、この帷幄上奏権に手が届く。長州閥がなくなった陸軍は、皮肉なことに、戦前日本で最も「能力主義」なキャリアパスが用意されていた組織だった。 この人たちはたしかに陸軍部内での出世競争には異常な執着を示しましたが、それは日本の国益を増大したいとか、烈々たる愛国心に駆られてというのではなかったと思います。むしろ、雌伏半世紀でようやく「薩長藩閥に借りを返す」機会が訪れたというふうに感じていたのではないか。薩長が作った明治の体制を一度根本から作り替えなければならない、こんなシステムは一度壊さなければならない、そう思っていたのではないか。 この人たちが満州事変を起こし、昭和維新を呼号して2・26事件を起こし、日中戦争を始め、対米戦争を始めた。「旧賊軍のルサンチマン」とは、かくも深くて暗いものだったのか…との思いがするわけです。まあ 戊辰戦争時の薩長の仕打ちが過酷すぎたということなんでしょうけど。
2016.07.24
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図書館に予約していた『中国と日本』という本をゲットしたのです。過激なナショナリズムを抑える論調は、日中両国の民にとって大切なんでしょうね。【中国と日本】張承志著、亜紀書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より“戦争50年”を経て“平和70年”の今、人はねじれたナショナリズムの波に呑まれ、曲がりくねった道を歩く。かつての過ちは記憶の外に消されていき、あとに残るのは「人間」のみ。その人間に必要なはずの道徳は、そして人道はどこへいったのか。中国人作家が歴史・文化・人物・平和憲法をとおして、日中の絆、そして日本を見つめなおす。他者への「敬重」と「惜別」の覚悟をもって語られる日本論。【目次】第1章 はるかなる東ウジュムチン/第2章 三笠公園/第3章 ナガサキ・ノート/第4章 赤軍の娘/第5章 四十七士/第6章 解説・信康/第7章 文学の「惜別」/第8章 「アジア」の主義/第9章 解剖の刃を己に<大使寸評>過激なナショナリズムを抑える論調は、日中両国の民にとって大切なんでしょうね。著者は30年以上も岡林信康を聴いてきたそうだが、一事が万事、かなり毛色が変わった中国人のようです。<図書館予約:(1/06予約、7/21受取)>rakuten中国と日本張承志岡林信康との交遊あたりを見てみましょう。p256~258<岡林信康にみちびかれて>より 外国人の私が岡林信康にこれほど熱心であることに、少なからぬ日本人は、「度が過ぎている」、と感じている。彼らは芸術の断崖の淵に立っている人間が何を必要としているのか分からないのでは、と思う。長い時間が経ってしまった。 私自身何故これだけ長いあいだ彼を聴いてきたのか分からない。あるいは、この経路を通じて思想を議論し、美的感覚を探し求めてきたのかもしれぬ。私は、何度も彼の歌を議論し、比較をしてきた。私は、彼を通して自分の立場を検討し、彼の歌を通して美的感覚を確認してきた。 そうだ、もうひとつある。彼は、私の日本理解の窓であった。 その後、私の子供も彼の歌を聴き始めた。 娘はよく音楽を聴きながら勉強した。山ほどの宿題のプレッシャーを軽減させようとしたのだった。だが、「岡林おじさんの歌は、勉強しながら聴くなんて絶対できない。だって、歌詞もそうだけど、声があまりにも素敵なんですもん!」と彼女は言う。(中略) 30数年来、彼の歌を聴くことが私の休息になり、私の仕事にもなった。その後、彼はモダン派の先駆ではなくなり、ひとりの優しい兄貴分になった。我々は、淡いが、遠くにいて互いに尊敬するような間柄になった。彼は、私が日本で遊学しアルバイトで生計を立てていたころにつきあった多くの日本人のなかで唯一の有名人であったが、もっとも着飾らないひとりでもあった。p277~278 2007年の日比谷野外音楽堂では、きっとこの歌も高々と響いたに違いない。そこの空気のなかに、もしくは人々の記憶のなかに。決して私ひとりではないだろう。少なからぬ人がじっと前を見てこの歌を最後の一句まで歌ったことだろう。 私たちの望むものは・・・ 私たちの望むものは・・・ もしもボブ・ディランをひとつの基準にした場合、岡林は、中毒性の高い奇怪な歌詞をつくるのに長けたボブ・ディランをとっくに超えたと思う。だが、政治にたいする懐疑、回避、恐れのあまり、重大な問題から遠く離れる態度が、彼をさらに前に進めさせることができないでいる。 彼は自分を超えることができるのか。 分からない。 しかし、どうあろうが、私は彼が好きだ。たくさんの日本の友人が無私にそうしてくれたように、彼は私を芸術に開眼させ、参考にさせ、喜びを与えてくれた。彼は、私の優しい兄貴であり、たくさんいる誠実な日本人のひとりだ。 私は、ずっと最後まで聴いていくだろう。 彼か、私のどちらかが先に離れていく日まで。保阪正康さんの書評を見てみましょう。<熱狂的な民族主義は「毒薬」> 中国語圏で広く読まれている日本人論。著者は北京に住む著名な作家で、かつては日本に滞在し、研究生活も体験している。日本への関心の深さとその分析が、正鵠を射ていて、日本人も自省を促される。論じる内容は実に幅広く、赤穂浪士から大川周明、そして歌手の岡林信康まで、さらに長崎という街を通じての原爆論、福沢諭吉を引いての入欧論からアジア主義、リッダ空港銃撃の3人の赤軍兵士と、日本史の中を縦横に目配りする。日本人とはどのような国民性を持っているかをあくことなく探り続ける。それはとりもなおさず中国自身を見つめることになるというのだ。冷静な筆調に加えて、文学者の視点が随所にあり、この種の書としては説得力をもっている。著者が達した結論は、日本の物語から中国人が学ぶべきは、「熱狂的でかつ利己的な民族主義が、もっとも恐ろしい毒薬」ということ。日中双方がじっくりかみしめたい表現である。
2016.07.23
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図書館で『映画ライターになる方法』という本を手にしたのです。おお 暇な大使は映画評をよく書いているが・・・この本は格好の作文ハウツーとして読むことができそうではないか♪【映画ライターになる方法】まつかわ ゆま著、青弓社、2005年刊<トップカスタマーレビュー>より趣味で映画鑑賞後にレビューを書いているので手に取りました。本書では、そのプロフェッショナルになるまでの心構えや、書き方が紹介されています。「お手本はビジネス文書」との言葉に、この趣味を続ければ仕事での書く力もつけられるのかなと期待しています。<読む前の大使寸評>暇な大使は映画評をよく書いているが・・・この本は格好の作文ハウツーとして読むことができそうではないか♪amazon映画ライターになる方法これまで、エッセイとコラムの違いなど意識することもなかったなあ。次のくだりは、興味深いのです。p136~139 <映画エッセイ、映画コラムに映画評論。あなたが書くのは「何」ですか?> 文章のジャンルとして映画をネタにして書く場合、こんなジャンルが考えられます。読むときにはあまり気にしないものですが、書くとなるとその違いを把握しておいたほうがいいでしょう。書き手のスタンスの置く位置や内容の詰め方を決めやすくなります。 エッセイは随筆ともいいますね。自分の身近なこと、身辺雑記の一部として映画を主観的に語るのが映画エッセイ、シネマエッセイです。または映画を自分の生活・人生などに引き付けて語るのも映画エッセイといえるでしょう。 個人的な思いや経験を映画に絡めて語ります。そのぶん、客観的な映画の作品分析や技法分析、作品評価とは関係が薄くなります。感覚・感情・感性による評価ですし、文章も論理より感性を表す書き方になります。情報の正確さを文中では求められないので、別にデータやストーリーを扱うコーナーを設けておくといいでしょう。 コラムとエッセイの違いはその社会性にあります。コラムは社会時評の一面をもち、社会的な物事を引き合いに出して映画を語ったり、映画の社会的な面を見て語ったりします。評論との違いは、社会的なことを扱ってもそれは客観的・一般的・学術的な見方ではなく個人的・主観的な見方によるものであるところです。個人的な意見として社会を見て思いを述べる、という感じですね。(中略) では、評論と批評とはどんな文章なのでしょうか。『新明解国語辞典』(三省堂)によると、評論とは「自分の意見を加えながら解説すること」で、批評とは「価値を論じること」とあります。どちらも客観的に、知識・学識をもとに意見を言ったり価値を論じるわけで、そこが主観を第一とするエッセイやコラムと、情報伝達と観客の誘致を目的とする「記事」と違うところです。 論文なので、かっちりした起承転結、5W1Hなど、読み手を説得する道筋と方法が必要です。自分の説を理解してもらうために、説の裏づけとなるものが必要です。引用も薀蓄も論文には使えますが、ここでなによりも大切なのはオリジナリティのある「論」「意見」「解釈」です。他人が考えたこと、言っていることを並べただけでは論文ではありません。
2016.07.23
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図書館で『思考の補助線』という本を手にしたが・・・・気鋭の脳科学者でもある著者の知的なエッセイ集であるが…哲学的なヒント満載のようです。【思考の補助線】茂木健一郎著、 筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より幾何学の問題で、たった一本の補助線を引くことが解決への道筋をひらくように、「思考の補助線」を引くことで、一見無関係なものごとの間に脈絡がつき、そこに気づかなかった風景がみえてくる。この世界の謎に向き合う新たな視座を得ることができる―。「知のデフレ」現象が進む日本で、ときに怒りを爆発させながらも、「本当のこと」を知るために探究をつづける著者の、情熱的な思索の過程が本書である。自由軽快に、そして粘り強く考えるヒントを、自らの一身を賭して示す。<読む前の大使寸評>気鋭の脳科学者でもある著者の知的なエッセイ集であるが…哲学的なヒント満載のようです。amazon思考の補助線言語のあたりを覗いてみましょう。p60~63<言語の罠> 世界の中に複数の言語が存在するという状況が、人間の体験の総体をいかに分断化してしまうかということ自体は言い尽くされているのかもしれない。しかし、言語という世界認識の方法が、その体系の複数化を通して人間精神に対して仕掛けている罠については、私たちは今よりも自覚的になる必要があるのではないか。 ある言語体系の中での表現の可能性を追求していく努力は、さまざまな偉大な果実を人類にもたらしてきた、誇るべき伝統である。小説家が文体を工夫して今までにないニュアンスを表出しようとしたり、あるいは落語家が一生を絶え間なく続く修業の連続としてとらえ、言語のセンスを磨くために苦闘する姿は尊い。名人と讃えられた二代目広沢虎造の浪曲は、日本語の持つ豊かなニュアンスの宝庫である。 このような日本語表現の成果は、少なくとも、日本語という言語圏の内部にいる人間にとっては、誇るべき、そして後世に伝えていくべき偉大な財産だということができるだろう。 その一方で、ある言語圏の中にいる人間にとっては確かな手触りを感じられるような豊かな世界に没入することが、ときに、言語が私たちに仕掛けた罠にはまることを意味するのにも自覚的でなければならない。カタコトの日常会話くらいならば、他の言語圏に属する人たちにも十分通じさせることができる。しかし、志ん生の落語の微妙なニュアンスを享受することは、ある程度日本語に通暁することなしには不可能である。(中略) 「人類」という概念は、数千の言語を喋る世界中の人に普遍的に適用されるべきものであろう。だとすれば、志ん生の落語の味わいに涙するとき、その思いはそのままでは「人類」普遍のものにはなりえないという事実を直視する覚悟がいる。もちろん、志ん生の魅力を私秘的な体験として後生大事に抱え込んでいることもできる。 しかし、ヒンドゥー語圏にも、スペイン語圏にも、志ん生に相当する何ものかがおそらくはあることを思うとき、バベルの塔以降の多言語の世界で私たちが潜在的に見失っているものの大きさに戦慄せざるをえない。 表現として高度の洗練と達成を求めるほど、言語圏の奥へと入り込んでいき、他の言語圏の人には不可視な場所に取り込まれていってしまう。そのような言語の仕掛ける罠を思うとき、私は他のどのような事態からも受けないたぐいの打撃を受け、深い絶望を感じる。 英語という「勝ち馬」に乗っかって、日本語で表現するよりこっちのほうがグローバルで上等だと信じているおっちょこちょいは、まだ微笑ましい。およそ言語という制度の上に乗っかっている限り、それがどのような言語であれ、右のような「言語の罠」からは逃れようがないという真実を直視するとき、胸の底から込み上げてくる不安は、ホモ・サピエンスとしての私たちの存在自体に内在する脆弱性へとまっすぐにつながっている。 <普遍性と流通性と切り離して考える> 厳密にいえば、ある概念の普遍性は、その概念の翻訳可能性と一致するとは限らない。たとえば、世界の中のある言語圏だけが到達し、把握している普遍性が存在するということはありうる。それでも、私たちは往々にして翻訳可能なものだけを普遍項として立てることを当然だとみなす。流通性と普遍性を安易に等式で結んでしまいがちなのである。 世界のさまざまに異なる言語圏の間の結びつきが強まり、双方向の行き来が盛んになるに連れて、翻訳可能なものだけが事実上の普遍性を帯びていくということは実際的な意味で不可避のダイナミクスだといってよい。村上春樹の作品が、最初から翻訳可能な文体で書かれていることは、意識されたものであるかどうかは別として高度に戦略的である。ウン 「英語という勝ち馬を上等だと信じるおっちょこちょい」というくだりが…ええなあ♪
2016.07.22
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今回借りた5冊と図書館廃棄本の1冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「手当たり次第」でしょうか♪<四万十市立図書館>・コップ一杯の戦争<神戸市立図書館>・雑貨屋さんの製本教室・思考の補助線・仏文 日本絵とき辞典12・中国と日本・事件の地平線図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【コップ一杯の戦争】小松左京著、集英社、1981年刊<「BOOK」データベース>より古書につき、データなし<読む前の大使寸評>図書館廃棄本の箱の中から、この本みっけ…文字通り拾い物やで♪Amazonコップ一杯の戦争【雑貨屋さんの製本教室】西川順子, 齋藤珠美著、雷鳥社、2010年刊<「BOOK」データベース>より【目次】1 はじめるまえに(本の各部の名称/本のつくり ほか)/2 かんたん3作品(招待状/サインノート ほか)/3 いろいろ7作品(布貼りメモ帳/インデックスノート ほか)/4 これからの作品づくりのために(アレンジ作品/お気に入り素材)<読む前の大使寸評>自家製の製本などいいではないか♪rakuten雑貨屋さんの製本教室【思考の補助線】茂木健一郎著、 筑摩書房、2008年刊<「BOOK」データベース>より幾何学の問題で、たった一本の補助線を引くことが解決への道筋をひらくように、「思考の補助線」を引くことで、一見無関係なものごとの間に脈絡がつき、そこに気づかなかった風景がみえてくる。この世界の謎に向き合う新たな視座を得ることができる―。「知のデフレ」現象が進む日本で、ときに怒りを爆発させながらも、「本当のこと」を知るために探究をつづける著者の、情熱的な思索の過程が本書である。自由軽快に、そして粘り強く考えるヒントを、自らの一身を賭して示す。<読む前の大使寸評>気鋭の脳科学者でもある著者の知的なエッセイ集であるが…哲学的なヒント満載のようです。amazon思考の補助線【仏文 日本絵とき辞典12】JTBパブリッシング海外情報部編、日本交通公社、1987年刊<「BOOK」データベース>よりフランス語版絵とき事典の第2弾。日本で暮らすためのガイダンス。絵で知る日本の現代文化日本人の生活様式をわかりやすく紹介した。<読む前の大使寸評>我が仏語能力も錆びついてきたが…、その錆び落としとしては格好の本ではないか♪と思った次第です。amazon仏文 日本絵とき辞典12【中国と日本】張承志著、亜紀書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より“戦争50年”を経て“平和70年”の今、人はねじれたナショナリズムの波に呑まれ、曲がりくねった道を歩く。かつての過ちは記憶の外に消されていき、あとに残るのは「人間」のみ。その人間に必要なはずの道徳は、そして人道はどこへいったのか。中国人作家が歴史・文化・人物・平和憲法をとおして、日中の絆、そして日本を見つめなおす。他者への「敬重」と「惜別」の覚悟をもって語られる日本論。【目次】第1章 はるかなる東ウジュムチン/第2章 三笠公園/第3章 ナガサキ・ノート/第4章 赤軍の娘/第5章 四十七士/第6章 解説・信康/第7章 文学の「惜別」/第8章 「アジア」の主義/第9章 解剖の刃を己に<読む前の大使寸評>過激なナショナリズムを抑える論調は、日中両国の民にとって大切なんでしょうね。<図書館予約:(1/06予約、7/21受取)>rakuten中国と日本【事件の地平線 】とりみき著、筑摩書房、1998年刊<「MARC」データベース>より世の中おかしいことばかり。ニュースの向こうからギャグを引き出した「事件の地平線」57編と、いつも気になる"あのこと"を描いた「くだんのアレ」10編を収録。ますます冴える事件コミック。<読む前の大使寸評>昨今では、とりみき×ヤマザキマリの組合せがアート系雑誌に頻出していて、気になる存在である。この本に、とりみきの原点がみられるのではないか。<手にとってみた大使寸評>この本は、気になる事件を2ページのパロディ漫画におさめる構成にになっています。特筆すべきは小松左京「くだんのはは」については、5~6ページぶち抜きで数編とりあげていて・・・・小松左京に対するオマージュとなっています♪<図書館予約:(7/05予約、7/21受取)>amazon事件の地平線 ***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き158図書館予約の軌跡51
2016.07.21
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図書館で『日本人と台湾』という本を手にしたのです。台湾好き、中国嫌いの大使が、かなりの偏見を持って読んでみようと思ったのです♪【日本人と台湾】歴史REAL編集部、洋泉社、2015年刊<「BOOK」データベース>より近年、より交流が活発となっている日本と台湾。両国は、なぜ東アジア随一の友好関係を築くことができたのか―。歴史をひもとけば見えてくる日台関係の今!後藤新平、八田與一、新渡戸稲造…近代台湾を築いた日本人たちの足跡。<読む前の大使寸評>台湾好き、中国嫌いの大使が、かなりの偏見を持って読んでみようと思ったのです♪台湾に関しては、中国政府が版図に含むと固執するわりに、歴史的、地理的文献さえ無かったようですね。amazon日本人と台湾中台関係の歴史認識あたりを見てみましょう。例のとおり中国政府が唱えるご都合歴史認識ではありますが。p52~54 <中国の文献に台湾が登場するのはいつ?>より■台湾と沖縄を混同していた? 中国政府は「台湾は古来中国の不可分の領土」と定義するが、その「古来」とはいつ以来なのか、あるいは中国人は台湾の島の存在をいつ認識したのかは、台湾の歴史を知る上では重要だ。そこで台湾が中国の文献にいつから登場したかを見てみよう。 これについて中国では、『書経』の一篇で最古の地理書とされる「ウ貢」(成立年代不詳)には、すでに記載があるとされる。「島の夷人は勅命を受けると柑橘類を貢ぎに来た」という記述の「島」が台湾だというのだ。だが、それは『重修台湾府志』(1747)に見られる解釈を踏襲したもので、推測の域を出ていない。 3世紀の『三国志』「孫権伝」には、230年に呉の孫権が派遣した部隊が「夷州」という島から数千の住民を連れ帰ったとの記述があり、そこが台湾だというのも中国では定説だ。夷州の地理的位置や気候、住民の風俗などは、地方誌『臨海水土異物志』(264)にも記載され、台湾と思わせる部分もあるが、やはり確実な証拠はない。 7世紀の『隋書』「東夷列伝」には「琉求国」が隋への帰順を拒否したため、煬帝の武将が攻撃し、男女数千人を連行したという記述があり、この「琉求」も台湾を指すとされる。ちなみにその島は建安郡(現福建省)の東方で、船で5日の距離という。しかし中国以外の国では、「琉求」は琉球だとする説も有力だ。 中国は特に夷州、琉求への遠征の記録を根拠に、台湾を「古来中国の不可分の領土」と強調するが、その論には無理があるのはいうまでもない。以上のように台湾を確実に台湾と断言できる記述がないのは、その当時はまだ、台湾を統治していなかったばかりか、その存在すらよくわかっていなかった証である。対外交易が盛んになった唐、宋の時代ですら、この島の存在を明確に示す文献はない。■明朝の時代には文献に登場 台湾が漢人の航路の指標として、その位置をはっきり認識したのは、明国が1404年に琉球王国を冊封し、福州と琉球の間を往復するようになってからと思われる。当時、漢人は琉球国を「大球国」と呼び、台湾を「小球国」と呼称した。なぜならそのエリアでは、台湾が琉球の次に大きい島に見えたからだ。 「小球国」の名が初めて現れるのは1395年の『皇明祖訓』においてだ。同書はその島について、「中国とは往来がなく、朝貢したこともない」と記している。疑いなく台湾を記載したといえる文献は、これが最古ではないだろうか。その後も琉球に向かう使節の航海日誌などでも「小球国」の名はたびたび記載される。 台湾が初めて中国の版図に入るのは清国時代の1683年だ。清朝官修の地理書『大清一統志』(1744)にも、「台湾は古来荒服の地で中国に通じず、東番と呼んだ」とある。そして「明の天啓年間、オランダに占領されたが、日本に属していた」とも。台湾を日本領だったと誤解したことも、それまで中国がほとんど台湾に関心を寄せていなかったことを物語っている。
2016.07.20
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図書館で『中国文学の愉しき世界』という本を手にしたのです。少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪【中国文学の愉しき世界】井波律子著、岩波書店、2002年刊<「BOOK」データベース>より「竹林の七賢」をはじめとする奇人たちの奇妙キテレツな言動を支えるパトスとは?幻想と夢の物語宇宙の構造はいったいどんなもの?-練達の中国文学研究者が平易な筆致で描きだす、奇人・達人群像。自らの体験もまじえながら語る文学世界の面白さ・奥深さ。読書の快楽を堪能すること請け合いの好エッセイ集。<読む前の大使寸評>少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪rakuten中国文学の愉しき世界木蘭:ムーランのあたりを見てみましょう。著者は、美少女戦士ムーランとタイトルをつけたように、かなり入れ込み気味であるが。p107~114 <美少女戦士ムーランの物語>より ディズニー・プロ製作のアニメ「」がいま(1998年)、上映中である。ムーランとは北魏(439-534)の長編楽府「木蘭詩」のヒロイン木蘭です。 5世紀の初めから6世紀の終わりまで、中国では、北方の異民族の王朝が、南方を漢民族の王朝が支配する、南北分裂の状況がつづいた。いわゆる南北朝時代である。 この時期、北朝のトルコ系鮮卑族の王朝、北魏で、男装の麗人木蘭の伝説をもとにした楽府、「木蘭詩」が誕生した。もともと歌詞は鮮卑語だったらしいが、南に流伝し、南朝梁(502-557)のころ、手を加えて漢語訳され、ほぼ現在見られる形にはったとされる。 それはさておき、まずは長編楽府「木蘭詩」の展開を簡単にたどってみよう。美貌の少女木蘭は、国王の命令で徴兵される老父の身代りになる決意をかため、 西の市にクラシキを買い 南の市にクツワを買い 北の市に鞭を買うと支度をととのえ、はるか北の彼方の戦場へと向かう。かくして十余年、数々の戦功を立てて帰還した木蘭は、国王に召し出され、その功を愛でて、高い位と数えきれないほどの褒美を賜与される。 しかし、彼女は、「願わくは千里の足を馳せ、児を送って故郷に還さんことを」と願い出て、老いた両親と姉弟の待つ故郷へと帰ってゆく。 我が家に帰り着いた彼女は、同行の戦友たちを門前に待たせたまま、ひとり家の中に入ったかと思うと、あっというまに変身する。 我が戦時のウワギを脱ぎ 我が旧時のスカートを着け 窓に向かってウンビン(豊かな黒髪)をおさめ 鏡に対してオシロイをつけ 門を出でて火伴(戦友)を看るに 火伴みな恐惶(びっくり仰天)す 「同行すること12年 知らず 木蘭のこれ女郎なるを」というふうに。果敢に戦場を駆けめぐった「英雄」木蘭が、実はあでやかな美女だったことをいまはじめて知り、戦友たちが目をまるくするこのシーンこそ、素朴な物語詩「木蘭詩」のハイライトにほかならない。 総じて、遊牧民族を中軸とする北朝の少女は活発かつ行動的で、らくらくと荒馬を乗りこなし、草原を疾駆する者も少なくない。木蘭は伝説の存在ではあるが、その雄々しくも溌剌としたイメージは、北朝の少女の特性を劇的に誇張したものといえよう。 ドラマティックな大活躍をする男装のヒロイン木蘭の伝説は、南北分裂を解消し中国全土を統一した隋をへて唐代にいたるや、ますます人口に膾炙し、高名な詩人の作品にもしばしば登場するようになる。(中略) 戦場を駆けめぐり、群れをなす敵をバッタバッタと切りすてる、颯爽たる男装の麗人木蘭のイメージは信仰の対象となる一方、宋代以降、町の盛り場で演じられる語り物の世界、とりわけ「講史」と呼ばれる長篇歴史物の世界に移植され、聴衆の喝采を浴びるスーパー・ヒロイン、すなわち巾カク英雄(女性の英雄)を生み出す源となった。 宋から元へと語りつがれ、膨れあがった講史物(歴史物語)のうち、明代に入るころ、まず語り物として完成度の高い、『三国志演義』『水滸伝』『西遊記』が大長篇小説化される。これらの作品の主要登場人物は男ばかりであり、巾カク英雄の出る幕はない。もっとも『水滸伝』の場合、梁山泊につどう百八人の豪傑のうちに、少数ながらも女性もふくまれてはいる。とりわけ、豪傑たちとわたりあって一歩もひけをとらない女将、一丈青コ三娘にはあきらかに巾カク英雄の面影が認められる。むろん『水滸伝』は男の世界であり、さしものコ三娘も孤軍奮闘というしかないのだけれども。 おそらく語り物の世界では、講史物のうち、巾カク英雄がめざましい活躍を示す出し物も、さきにあげた三大作品とほぼ同時に演じられていたとおぼしい。ただ、これらが文字化され、長篇小説の体裁を整えるのはかなり遅れる。そのトップを切るのは、北宋以来長らく語り物の世界で親しまれたのち、ようやく明末の万歴34年(1606)、秦准墨客という筆名をもつ人物によって整理・刊行された『楊家将演義』である。 『楊家将演義』の最大の見どころは、それぞれ傑出した武力を持つ楊家の男たちが代々、彼らよりもさらに強い力をもつ美貌の女賊にコテンパンに打ち負かされながら、彼女たちと結ばれ、その結果、楊門の女将が切れ目なく補充される仕掛けになっているところにある。活力あふれる美しい巾カク英雄群が、男たちをしりめに八面六臂の大活躍を演じる『楊家将演義』の物語世界は、さすが年期の入った盛り場育ち。ここには、 「知らず 木蘭のこれ女郎なるを」といった、うっとうしい儒教的男尊女卑のイデオロギーなどどこふく風、手放しで木蘭を称えた北魏の楽府「木蘭詩」の健康さが、みごとに受けつがれている。(中略) 北魏の楽府「木蘭詩」において、鮮烈に表現された男装の麗人木蘭の伝説は、こうして後世にはかり知れないほど大きな影響を与えた。 唐代詩人の白楽天や杜牧は、木蘭がその実、脂粉の香りを漂わせる女性であることに関心を寄せている。しかし、宋代以降、民衆芸能の世界で伝えられた、木蘭の後裔たる巾カク英雄のイメージは脂粉の香りなど無関係、あくまで凛々しく、悪なるものと戦いつづけるところに特徴がある。人々はそんな彼女たちの毅然たる戦いぶりに喝采をおくり、公的・私的なしがらみからつかのま解放され、精神のカタルシスを覚えたのだった。 明末から清初にいたり、巾カク英雄の登場する長編小説が続々と整理・刊行された理由のひとつに、明王朝の没落・滅亡から満州族の清王朝の中国支配という転換期において、雄々しい女性のイメージに人々が救済願望・解放願望を託したことがあげられよう。ウィキペディアの木蘭を見てみましょう。wikipedia木蘭より老病の父に代わり、娘の木蘭が男装して従軍。異民族(主に突厥)を相手に各地を転戦し、自軍を勝利に導いて帰郷するというストーリー。日本軍の占領下にあった上海の華聯が製作した映画『木蘭従軍』(1939年)は、プロデューサーの張善?たちの異民族(即ち日本)への抵抗の意思を暗喩した作品とされるが、彼らの屈辱と苦衷の日々を察していた日本側責任者の川喜多長政はこれに異議を唱えなかったとされる。およそ半世紀たった1998年、ディズニー映画『ムーラン』が作られ日本や中国でも公開された。橋本関雪の木蘭のアップです。『中国文学の愉しき世界』1『中国文学の愉しき世界』2
2016.07.19
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<『中国文学の愉しき世界』2>図書館で『中国文学の愉しき世界』という本を手にしたのです。少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪【中国文学の愉しき世界】井波律子著、岩波書店、2002年刊<「BOOK」データベース>より「竹林の七賢」をはじめとする奇人たちの奇妙キテレツな言動を支えるパトスとは?幻想と夢の物語宇宙の構造はいったいどんなもの?-練達の中国文学研究者が平易な筆致で描きだす、奇人・達人群像。自らの体験もまじえながら語る文学世界の面白さ・奥深さ。読書の快楽を堪能すること請け合いの好エッセイ集。<読む前の大使寸評>少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪rakuten中国文学の愉しき世界意外なことに著者は高橋和巳氏との交流があったそうだが、そのあたりを見てみましょう。p207~209 <高橋さんのこと>より その後、お会いする機会もないまま、高橋さんは東京へ行かれた。その間、わたしは吉川先生の猛トレーニングに音をあげそうになりながら、それでもなんとか卒論を書きあげ、66年春、大学院の修士課程に進学した。翌67年の春、吉川先生は定年退官され、同年秋、高橋さんが後任の助教授として着任された。 いまから思えば赤面のほかない幼稚な「円地文子論」を読んでいただいたこともあって、着任されてまもなく、高橋さんから同人雑誌『対話』に参加しないかと、お誘いをいただき、喜んで参加した。 高橋さんの古くからのお知り合いと、新たに加わった若いメンバーの二層からなるこの『対話』の会に参加したことにより、わたしは高橋さんの中国文学者としての顔と作家としての顔の、両面をかいま見たような気がする。 当時、高橋さんに「苦悩教の教祖」などというレッテルを貼るむきもあったが、その実、大阪人らしいユーモア感覚もたっぷり持ち合わせておられ、おもしろいことには敏感に反応され、しばしば文字とおり「呵呵大笑」された。わたしにはあの重く憂鬱な気分に浸された作品世界と、現実の楽しげに笑っておられる高橋さんの姿がどうしてもかさならず、首をかしげることもしばしばだった。 ことのついでに言ってしまえば、わたしは、高橋さんの小説では、当時からいまにいたるまで、評判の高い『悲の器』や『憂鬱なる党派』よりも、吉本隆明がいみじくも「高度なインテリ向きの大衆小説」と評した『邪宗門』をいちばんおもしろく読み、ダイナミックですばらしい作品だと思っている。 ただ、高橋さんには紛れもなく、戦争少年が戦後の転換期を生きて来たという風情が濃厚に残っていたように思う。たとえば、あるとき『対話』の会のあと、みんなで喫茶店に入ってお茶を飲んだときのこと、コカコーラを飲もうとしたら、憤然と「あんなテキセイのものを飲むのですか」と言われ、唖然としたこともあった。 さらにまた、ギターをひくと言われるので、どんな曲をひかれるのですかと聞くと、あっさり「湯の町エレジー」と言われ、「ああ、あの近江八郎の流行歌ですね」と口走りながら、腰が抜けそうになったこともある。なにぶんわたしが中学生のころ、プレスリーのロックンロールが大流行し、以来、わたしはアメリカン・ロック狂いであり、ギターといえばロック・ギターしか頭に浮かばない状態だったからである。 というふうに、大学で授業されながら小説や評論を書かれ、ときおり『対話』の会などで楽しく発散されていたあのころが、高橋さんにとって、もっとも穏やかな日々だったのかも知れない。高橋氏が京大文学部で中国文学を教えていたとは、この下りを読んで初めて知ったのです。それにしても、高橋氏や著者の尽くせぬほどの教養、趣味には驚いた次第です。『中国文学の愉しき世界』1
2016.07.18
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図書館で『中国文学の愉しき世界』という本を手にしたのです。少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪【中国文学の愉しき世界】井波律子著、岩波書店、2002年刊<「BOOK」データベース>より「竹林の七賢」をはじめとする奇人たちの奇妙キテレツな言動を支えるパトスとは?幻想と夢の物語宇宙の構造はいったいどんなもの?-練達の中国文学研究者が平易な筆致で描きだす、奇人・達人群像。自らの体験もまじえながら語る文学世界の面白さ・奥深さ。読書の快楽を堪能すること請け合いの好エッセイ集。<読む前の大使寸評>少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪rakuten中国文学の愉しき世界文人画のあたりを見てみましょう。p146~149 <中国の文人画>より このところ、中国近世の文人について調べたり書いたりする機会がふえ、おりにつけ、彼らの手になる書や画を眺めている。 中国において、「文人」は、もともとは広く「詩文にたずさわる人」をさしたが、科挙が本格的に機能するようになった宋代以降、ややその性格に変化が生じる。 科挙合格者および予備軍からなる、宋代以降の近世士大夫(知識人)階層にとって、詩文を巧みに作ることは、儒教の経典や歴史書に習熟することと同様、必須の条件であった。こうして「詩文にたずさわること」が自明の理となった近世士大夫階層のなかで、とくに琴キ書画をはじめ、もろもろの芸術的・趣味的ジャンルに通暁した人々を、文人と称するようになっていくのである。 こうした近世文人のなかから、すぐれた画家であると同時に、すぐれた書家である人々があいついで出現する。その筆頭に数えられるのは、北宋の大文人蘇東パと米フツである。 蘇東パは優秀な成績で科挙に合格し、高級官僚となったものの、泥沼化した官僚制の党派抗争にまきこまれ、三度も流刑の憂き目に遭うなど、はげしい浮沈をくりかえした。しかし、陽性で楽天的な蘇東パは、どんなに深刻な状況においても、豊かな創造力を発揮し、おびただしい詩文を著わしながら、明朗闊達に生きつづけた。そんな彼の手になる書や画は、規範にとらわれることのない、のびやかで自由な雰囲気に満ち満ちている。 蘇東パの年少の友人だった米フツは、「米テン(フーテンの米)」と呼ばれる奇人であり、書画骨董の熱狂的コレクターとしても知られる。米フツは書家としても画家としても傑出した存在だったが、現存するのは自由奔放な筆使いであらわされた書作品のみであり、「米点」と呼ばれる独特な点描法で描かれた水墨画は、残念ながら現存しない。 ちなみに、蘇東パと米フツは後世の「文人画」の祖と目される人々である。彼らの出現を皮切りに、宮廷画家を中心とする職業画家よりも、文人趣味の一環として画筆をとる文人画家に対する評価が高まり、やがて文人画(水墨画中心)は中国絵画史の主流となってゆく。 ただ、文人画家はもともと士大夫階層に属し、職業画家すなわち画師とは明確に一線を画すとはいえ、時代の経過とともに、文人画家のなかからも、書や画を売って生計を立てる人々が出てくる。明代中期(15世紀末―16世紀前半)、江南の大商業都市蘇州を舞台に大活躍した文人グループ「呉中の四才(祝弁明・唐寅・文徴明・徐禎卿)」は、その先駆け的な存在である。四才のうち、徐禎卿をのぞく三人はついに科挙に合格ができなかったが、彼らはこれを逆手にとり、自作の詩文や書画を売って生計を立てながら、何物にも束縛されない自前の人生を謳歌したのだった。 「呉中の四才」以後、特記すべき文人画家の多くはこのタイプ、すなわち書画を生計の手段とするタイプに属する。16世紀後半の明末、文人画の世界に新たな生命を吹き込んだ徐イ(1521―1593)も例外ではない。徐イはすぐれた詩人・戯曲家であり、超一流の画家・書家だが、その生涯は波乱万丈、はなはだドラマティックなものだった。 徐イもまた科挙に合格できず、流転をかさねたあげく、精神不安定となり、発作的に妻を殺害し、数年にわたって獄中生活を送るはめに陥った。獄中生活のなかで、徐イは一念発起、本格的に画筆を取るようになる。極限状況のもとで生み出された徐イの画には、従来の文人画を大きく転換させるものがあった。(中略) というわけで、「書画一体」にいたる文人画の変遷の過程と、限りなくプロフェショナルな存在へとちかづいいてゆく、近世文人画家の生存様式の変化をオーバーラップさせながら、わたしは今日もあれこれ好きな文人画を眺めては、ひとり悦に入っているのである。とにかく最近の大使は、文人とか士大夫とかいう中華の価値観が鼻につくわけでおます。おっと、また中国嫌いが出てもうたがな。
2016.07.17
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16日に母の葬式をとり行い、あとの処置を済ませて神戸に帰ってきました。書き溜めていた記事を、日にちを遡ってUPします。******************************************************************************* <『死ぬ気まんまん』3>図書館で『死ぬ気まんまん』という本を手にしたのです。佐野洋子さんが亡くなる1年くらい前に書かれたエッセイだから、このタイトルにすごみがあるわけです。大使の周りにも、死人が増える年頃でもあるわけで・・・・この本には、切実な関心があるわけでおます。【死ぬ気まんまん】佐野洋子著、光文社、2011年刊<「BOOK」データベース>より「あたし、まだいーっぱい言いたいことがあるのよ」元気に逝った佐野洋子が残した鮮烈なメッセージ。【目次】エッセー 死ぬ気まんまん/対談 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)/知らなかったー黄金の谷のホスピスで考えたこと/「旅先」の人ー佐野洋子の思い出(関川夏央)<読む前の大使寸評>大使の周りにも、死人が増える年頃でもあるわけで・・・・この本には、切実な関心があるわけでおます。rakuten死ぬ気まんまん平井達夫さんとの対談を見てみましょう。p87~89 <何よりも命が大事だというのはおかしい>より佐野:ただ息をしていればいいのかというと、人生の質というものもあるじゃないですか。それを、何よりも命が大事だというのはおかしいですね。平井:おかしいですよ。佐野:そう思いますか。平井:思います。佐野:嬉しい!平井:医者はほとんどそう思っています。佐野:そうですか。私は、本人も医者も家族も延命を考えるのが当たり前かと思った。平井:人生の質や死生観に関しても個々人の年齢や性別によってもかなり異なりますね。佐野:私は離婚しているんですけど、息子には父親がいて、私が母親なわけです。それが、父親がガンになって、私もなったので、両親同時にガンになったの。そしたら、息子が「男と女は全然違う」と言うのね。 私は全然平気で、元気なんですよ。死ぬのも恐くないし、そしたら、「親父はクヨクヨしてだめだ。男はだめだなあ」と言うのね。この間死んだんですけど、医者に「もう治らない」と言われたら、言われた時点で歩けなくなったというんですね。平井:ガンが脳に飛んだというのは最後のステージですが、男性でも人によって反応が違いますね。なかには立派だなと思う死に方があるんですね。 68歳の弁護士さんが肺ガンになって、頭に転移し、ガンマナイフ治療のために私のところに来ました。そして「私はあと1年か1年半しか生きられないが、5件の案件を抱えている。皆かわいそうな人なんで、これを何とか解決して死にたい」と言うんです。ガンマナイフ治療を計五回やりましたがその間も人のために一生懸命仕事をして、1年8ヶ月ぐらいで亡くなったんですけど、こういう人もいるんですね。みんなこうなってほしいんだけど、だめな人はだめですね。佐野:私は家で、目の前で四人死んでいるんですよ。平井:ご兄弟が三人死んで・・・。佐野:ええ。父も家で死んだものですから家の中で死人を見ていますが、父の死に方が立派でした。平井:最高学府出のエリートですからね。佐野:ほかに私が立派だと思った死に方は、岸田今日子さん。あの人はガンが脳に来て、1年間は身動きできなかったの。その前の1年も寝たきりだったんだけど、その後の1年は意識がなくて昏々と寝ているみたいだった。 あの人はそういう人なんだけど、全然動揺してなくて、静かに寝ていて、行くとニコニコ笑って、そのまんま亡くなったのね。あんなに立派に死んだ人、美しい死に方というのを見たことないわねえ。それで、死体になってもきれいなの。あれは、やっぱり心の持ちようですか。平井:心の持ちようは大切ですね。武士道的精神の持ち主だったのでしょうね。佐野:えっ、武士道ですか。 平井達夫:築地神経科クリニック理事長佐野洋子さんの、わりと潔い死生観がええなァ・・・・大使もかくありたいものである。『死ぬ気まんまん』1『死ぬ気まんまん』2
2016.07.16
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図書館で『死ぬ気まんまん』という本を手にしたのです。佐野洋子さんが亡くなる1年くらい前に書かれたエッセイだから、このタイトルにすごみがあるわけです。大使の周りにも、死人が増える年頃でもあるわけで・・・・この本には、切実な関心があるわけでおます。【死ぬ気まんまん】佐野洋子著、光文社、2011年刊<「BOOK」データベース>より「あたし、まだいーっぱい言いたいことがあるのよ」元気に逝った佐野洋子が残した鮮烈なメッセージ。【目次】エッセー 死ぬ気まんまん/対談 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)/知らなかったー黄金の谷のホスピスで考えたこと/「旅先」の人ー佐野洋子の思い出(関川夏央)<読む前の大使寸評>大使の周りにも、死人が増える年頃でもあるわけで・・・・この本には、切実な関心があるわけでおます。rakuten死ぬ気まんまん洋子さんのエッセイを見てみましょう。p13~18 <死ぬ気まんまん>より ガンが再発して骨に転移した時、お医者は、死ぬまでに治療費と終末介護代含めて1千万円くらいだろうと言ってくれた。 ほぼ70歳くらいで、私は金がかからなくなるはずである。 私は抗ガン剤は拒否した。あの全く死んだと同じくらい気分の悪い1年は、そのため1年延命しても、気分の悪い1年の方が苦しいのである。もったいない。そうでなくても老人につき進むのは身障者につき進むことである。 70前後はちょうどよい年齢である。まだ何とか働け、まだ何とか自分で自分の始末はできる。 私はとてもいい子で来たにちがいない。神様も仏様もいるのである。そしてちゃんと私に目を留めてくれたのだ。 私はだらしなく、やるべきことをずるずるのばし、整理整頓が下手で、考えると頭の中の整理整頓が私の部屋のように散らかしっ放しだということがわかった。 父がよくどなっていた。「お前は、みそとくそが一緒か!!」 はい父ちゃん、私はみそとくそが一緒です。 それから父は夕飯の時、かならず訓辞をたれた。 「命と金は惜しむな」 父は命も惜しまず早死にして、母ちゃんは大変だった。 惜しむ金もないまま死んだ父はやっぱり、かわいそうである。 私は死んだ子を持ったことがないが、よくおいしいものを食べた母親が、あの子に食べさせたいと思って泪が出るときくが、私はおいしいものを食べると、ああ父に食べさせたいと思う。 親が早く死ぬのも悪いことばかりではない。 のびのび自由になれるのである。父が長生きしたら、今の自分があるかどうかわからない。私は大いなるファザコンである。死んだから、ファザコンは肥大するばかりである。だから私は命を惜しまない。金も惜しまない。 私は再発の告知を受けた日、病院の帰りに、家の近くの車屋に行った。 私は国粋主義者だから、絶対に外車に乗らなかった。中古の外車を買う奴が一番嫌いだった。 その車屋は外車屋だった。イングリッシュグリーンのジャガーがあった。私はそれを指さし、「それ下さい」と言って買った。 私は右翼の国粋主義者でも、イングリッシュグリーンのジャガーが一番美しいとずっと表面には出さずに思っていた。私の最後の物欲だった。 根が貧乏性の私は物欲がないのである。 食欲もないのである。 性欲もないのである。 もう物をふやしても困るのである。 もう男もこりごりである。70でこりごりと言うと笑われる。今からお前、男つくれるのか? はい、つくれません。 私はガンになっても驚かなかった。 二人に一人はガンである。 ガンだけ威張るな。もっと大変な病気はたくさんある。リューマチとか、進行性筋萎縮症とか、人工透析をずっとやらねばならぬ病気とか。 ガンは治る場合も大変多い。治らなければ死ねるのである。(中略) 私の再発箇所は左大腿部の付け根であったので、そこが痛い。 ガンになってすぐすっぱり煙草をやめる人がいるが、私は相変わらず、一日中スパスパ、人に本数を言えないほどエントツ状態である。 足が痛いので、初めはタクシーに乗っていた。病院に行くと点滴をする。月一回は二本する。4時間くらいかかるが、もちろん当然病院は禁煙だし、日本中あらゆるところが禁煙になったので、煙草をやめない人は人格が疑われるようになった。唯一タクシーは煙草が吸える空間だったから、私は点滴が終わると、何だか心理的にハァハァゼイゼイタクシーにかけこんで、ライターをにぎりしめた。 それが今年の1月から禁煙になった。 また神は私をご覧遊ばしていた。 私は左足が痛いが、右足は痛くない。今、車は右足しか用がないのである。 そうだ、自分で運転すればいいんだ。 それから、私はジャガーを運転してエントツに戻ることができた。 おまけにタクシー代が節約できた。70代のオババでも、ポンとジャガーを買うってか・・・・死ぬ気まんまんなら、それもありなんでしょうね。胃無しの大使も、なんだか元気が出てくるようなお話やでぇ♪ところで、入院していた母が亡くなったので、これから急きょ、四国の田舎に帰省します。その間、例のとおり音信不通になるので、そこのところを宜しくお願いします。
2016.07.12
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「夢」でしょうか♪<市立図書館>・死ぬ気まんまん・夢売るふたり 西川美和の世界・日本人と台湾<大学図書館>・ダークでシュールなワールドアート・中国文学の愉しき世界図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【死ぬ気まんまん】佐野洋子著、光文社、2011年刊<「BOOK」データベース>より「あたし、まだいーっぱい言いたいことがあるのよ」元気に逝った佐野洋子が残した鮮烈なメッセージ。【目次】エッセー 死ぬ気まんまん/対談 佐野洋子×平井達夫(築地神経科クリニック理事長)/知らなかったー黄金の谷のホスピスで考えたこと/「旅先」の人ー佐野洋子の思い出(関川夏央)<読む前の大使寸評>大使の周りにも、死人が増える年頃でもあるわけで・・・・この本には、切実な関心があるわけでおます。rakuten死ぬ気まんまん【夢売るふたり 西川美和の世界】ムック、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より話題の新作をインタビュー、脚本・画コンテ、撮影日誌などで徹底紹介。『蛇イチゴ』『ゆれる』『ディア・ドクター』、小説『きのうの神さま』を手がけた俊英の魅力に迫る【目次】『夢売るふたり』の世界/『夢売るふたり』を観る/西川美和の世界/西川美和を観る/西川美和を読む/書き下ろし小説 みどりの春(西川美和)<読む前の大使寸評>『ディア・ドクター』を観て、西川美和に開眼したわけです。<図書館予約:(7/04予約済み、7/08受取)>rakuten夢売るふたり 西川美和の世界夢売るふたり 西川美和の世界byドングリ【日本人と台湾】歴史REAL編集部、洋泉社、2015年刊<「BOOK」データベース>より近年、より交流が活発となっている日本と台湾。両国は、なぜ東アジア随一の友好関係を築くことができたのか―。歴史をひもとけば見えてくる日台関係の今!後藤新平、八田與一、新渡戸稲造…近代台湾を築いた日本人たちの足跡。<読む前の大使寸評>台湾好き、中国嫌いの大使が、かなりの偏見を持って読んでみようと思ったのです♪台湾に関しては、中国政府が版図に含むと固執するわりに、歴史的、地理的文献さえ無かったようですね。amazon日本人と台湾【ダークでシュールなワールドアート】ヴィクショナリー編、グラフィック社、2016年刊<商品の説明>よりグロテスクとオカルトの不可思議な世界をテーマとし、世界で活躍する50人以上のアーティストによる、骨まで凍り付きそうな芸術をたっぷりと紹介した作品集。<読む前の大使寸評>まあ 恐いもん見たさでんがな♪rakutenダークでシュールなワールドアート【中国文学の愉しき世界】井波律子著、岩波書店、2002年刊<「BOOK」データベース>より「竹林の七賢」をはじめとする奇人たちの奇妙キテレツな言動を支えるパトスとは?幻想と夢の物語宇宙の構造はいったいどんなもの?-練達の中国文学研究者が平易な筆致で描きだす、奇人・達人群像。自らの体験もまじえながら語る文学世界の面白さ・奥深さ。読書の快楽を堪能すること請け合いの好エッセイ集。<読む前の大使寸評>少し読めば、平易な筆致が読みとれるのだが・・・中国文学研究というマイナーな領域で、それを極める著者の根性がユニークではないだろうか♪rakuten中国文学の愉しき世界***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き157
2016.07.12
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図書館に予約していた『夢売るふたり 西川美和の世界』という本をゲットしたのです。予約して、待つこと4日か・・・・いやー速攻でゲットやないけ♪【夢売るふたり 西川美和の世界】ムック、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より話題の新作をインタビュー、脚本・画コンテ、撮影日誌などで徹底紹介。『蛇イチゴ』『ゆれる』『ディア・ドクター』、小説『きのうの神さま』を手がけた俊英の魅力に迫る【目次】『夢売るふたり』の世界/『夢売るふたり』を観る/西川美和の世界/西川美和を観る/西川美和を読む/書き下ろし小説 みどりの春(西川美和)<読む前の大使寸評>『ディア・ドクター』を観て、西川美和に開眼したわけです。<図書館予約:(7/04予約済み、7/08受取)>rakuten夢売るふたり 西川美和の世界笑福亭鶴瓶のインタヴューを見てみましょう。p64~65笑福亭鶴瓶(堂島哲治役) 『ディア・ドクター』が終わったあと、西川さんに「次なにすんのん」て聞いたら、「結婚詐欺の話」って言うたんです。「そんなら結婚詐欺に遭うた人何人か知ってるから」ということで、被害者の女の人を紹介して、電話でしゃべらしたことあるんです。 そんときの詐欺師はガードマンのおっさんで、とにかくメールを何十通と送るやつで、被害者が全部合わせて80人くらいおって、一人の主婦から600万とったりしてる常習犯やった。でも結婚詐欺いうのは、なかなか警察が動いてくれないんです。証拠固めが難しいみたいで。そやから、僕も知ってる探偵を紹介して、一生懸命証拠を集めて、探偵から警察に話を回して、ようやく最後に警察の生活安全課が動いてくれましたわ。 それから「今度は女の人をしっかり撮りたい」とも言うてたので、ヨヨチュウさん・・・AV監督の代々木忠さんのビデオを渡して、本人も紹介したんです。『ゆれる』を見たときに、あ、この人、セックスの描写がえらい俯瞰的やと思って、もし性的な描写に踏み込むんなら、ヨヨチュウさんに会うたら映画にもいいように出るやないかなと思ってね。で、試写見たら、出すぎや、今回(笑)。 今回自分が出てるのはほんのちょっとやけど、『夢売るふたり』、すごい作品ですよ。これまでの作品とも違う。人間の描き方はこれまでの作品と似ているところもあるけど、あれだけ評価された前の作品に全くひきずられてない。 結婚詐欺いうテーマも、こんなんなるとは全く思うてなかった。嫁が夫をああした形で詐欺に走らすという・・・僕、試写を嫁とおかまの友達と三人で観たんですけど、40年幸せにやってきた夫婦で観るもんちゃうわこれ(笑)。でも嫁は、「女の人って、あんなんですよ」と監督に言うてました。 夫婦っていうのは、お互いがお互いの生きざまを見届ける、いうたら「見届け合い」です。僕がちょっとずつ積み上げたものを手伝ってくれるのが嫁であり、嫁からすれば、僕はあいつの人生をちょっとずつ手伝っている。 あの里子と貫也の夫婦は、間違っています。間違ってますけど、彼らからすれば「合っている」かもしれない。そこがおそろしいし、面白い。何がだめで何が正常なのか、そこを西川さんはいつも突いてくる。『ディア・ドクター』もそう。人間が作った医師免許というええ加減なものが、物語を動かしているわけで。 松たか子さんも、すごい女優さんですよ。でも、この里子役をOKしたいうことは、西川さんを好きになって、身を委ねて、なんでもやります、わかりました、ということでしょ。阿部サダヲさんもそうでしょ。結局、演じる側にすべてを委ねさせる力を西川さん、持っているんです。それは、西川さんがぶれないから。【ディア・ドクター】西川美和監督、2000年制作、2016.7.02観賞<Movie Walker作品情報>より「ゆれる」の西川美和によるミステリアスな人間ドラマ。山あいの村で、人々から慕われていた医師の失踪の原因とは? 数々の作品で独特な存在感を示してきた笑福亭鶴瓶が映画初主演。<大使寸評>失踪の原因については、ネタばれになるので明かしません。皆さんも知らないままで観ることをお奨めします。鶴瓶を主演に据えた監督の英断がええでぇ♪movie.walkerディア・ドクター『夢売るふたり 西川美和の世界』1『夢売るふたり 西川美和の世界』2
2016.07.11
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図書館に予約していた『夢売るふたり 西川美和の世界』という本をゲットしたのです。予約して、待つこと4日か・・・・いやー速攻でゲットやないけ♪【夢売るふたり 西川美和の世界】ムック、文藝春秋、2012年刊<「BOOK」データベース>より話題の新作をインタビュー、脚本・画コンテ、撮影日誌などで徹底紹介。『蛇イチゴ』『ゆれる』『ディア・ドクター』、小説『きのうの神さま』を手がけた俊英の魅力に迫る【目次】『夢売るふたり』の世界/『夢売るふたり』を観る/西川美和の世界/西川美和を観る/西川美和を読む/書き下ろし小説 みどりの春(西川美和)<読む前の大使寸評>『ディア・ドクター』を観て、西川美和に開眼したわけです。<図書館予約:(7/04予約済み、7/08受取)>rakuten夢売るふたり 西川美和の世界巻頭に載っている糸井重里さんとの対談を見てみましょう。p14~15貫也は二枚目?三枚目?西川:お久しぶりです。『ディア・ドクター』のとき、「ほぼ日刊イトイ新聞」で対談させてもらって以来ですね。あのときはありがとうございました。糸井:いえいえ、こちらこそ。でも、こうやって写真撮られながら話したりするの、西川さん、大丈夫なほうですか?西川:だめですね。撮る側のほうがいいですよ。糸井:僕も裏方でいたいほうなんですけど、俳優さんなんかはそこの意識が全然違うんでしょうね。西川:奥様(女優の樋口可南子さん)は撮られる側のお仕事ですよね。糸井:ねえ。だから、仕事じゃないときには撮られるのをいやがります。スイッチがはっきりあって、おもしろい。よその家を見てると、普通の奥さんって、家の中でちょっと小芝居することがありますよね。「あなた、これいかが?」みたいな。でもね。我が家ではそれが一切ない。その「芝居しなさ」は、凄みさえありますよ。「素」しかないんです。それと真逆なのが歌舞伎の役者さんたち。たえず人の前で何かをしていたいというタイプの人たちですね。鶴瓶さんなんかもそうですけど。西川:あ、たしかにそうですね。糸井:西川さんは芝居しますか? たとえば、男の人と一緒にいたら、日常でも芝居が必要な場面ってありますよね。西川:うーん・・・・。やっぱり根本的にはしたくないほうです。芝居しているうちは苦しいと思うんですよ。かといって、本当の自分は見せられたもんじゃないです。だから、相当な信頼関係のある人以外の前では少ししてますね。男性の場合はどうですか?糸井:うん、男はまたややこしくて、二の線と三の線がいて、「二」の人はどんなにおもしろい顔をしているときでも、心は「二」なんです。西川:たしかに。悲しいぐらいにそうですよね。糸井:それに対して、「三」の人はまんまの自分を受け入れてます。西川:役者さんは、「三」のような風貌でも中身は「二」という人がいらっしゃいます。糸井:というより、役者さんはみんなもともと「二」だったんじゃないかな。学生時代はちょっとモテたりしていたはずで、「俺、演劇やろうかな」と思ったときは、「二」としてスタートしてると思うんですよ。だから、「三」に見せてる人も、もともとは「二」のはず、西田敏行さんもそうでしょう。西川:私、俳優さんに対して、よくも悪くも生き物として壁を感じてしまうことがあるんです。もしかしたら、そこが原因なのかな・・・。 実は『夢売るふたり』でも、女性を次々に騙していく貫也の役を二枚目で行くか、三枚目で行くか、すごく悩んだんです。キャスティングのときに、女性スタッフの中でもすごく意見が分かれて。糸井:まず前提として、阿部サダヲさんは「二」ですね。やっぱりいい男だから俳優になった人だと思います。西川:阿部さんの魅力というのは、「三」のように見えて、じつは芯のところに「二」が見えることだと思うんです。外側も中身もどちらも「」だと、あんまりおもしろくない。 でも、キャスティングを話し合っているとき、大人の女性から「道を歩いているだけでふっと振り返りたくなるようないい男にしたほうがいいんじゃない?」という意見もありました。たしかに、そうすると四の五の説明しなくてすむ。「この男に言い寄られたら騙されるよね」と納得しやすいし、奥さんが惚れ込んでいる理由も分かりやすいんでしょうけど・・・最終的には私の好みというか、そこまで二枚目じゃない男のほうが、むしろ「騙されてる」と感じさせないんじゃないかと。糸井:重要なのは、里子が貫也をなぜ好きなのか、見ている側に納得がいくことですよね。でも、僕はその納得はわりに早めに行けちゃったんですね。西川:ほんとですか。よかった。ちなみにこの本は、大学図書館で『ディア・ドクター』のDVDを観た直後に予約したものです。その『ディア・ドクター』も紹介します。【ディア・ドクター】西川美和監督、2000年制作、2016.7.02観賞<Movie Walker作品情報>より「ゆれる」の西川美和によるミステリアスな人間ドラマ。山あいの村で、人々から慕われていた医師の失踪の原因とは? 数々の作品で独特な存在感を示してきた笑福亭鶴瓶が映画初主演。<大使寸評>失踪の原因については、ネタばれになるので明かしません。皆さんも知らないままで観ることをお奨めします。鶴瓶を主演に据えた監督の英断がええでぇ♪movie.walkerディア・ドクター
2016.07.11
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図書館に予約していた『文体の科学』という本をゲットしたのです。予約して、待つこと16ヶ月か・・・・いやーいちじは諦めかけたくらいで、しびれが切れたぜ♪【文体の科学】山本貴光著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長短、配置、読む速度…目的と媒体が、最適な文体を自ら選びとった。古代ギリシアの哲学対話から、聖書、法律、数式、広告、批評、小説、ツイッターまで。理と知と情が綾なす言葉と人との関係を徹底解読する。<読む前の大使寸評>『文体の科学』という書名が、かなりふざけた感じがするので・・・・書評だけでも読んでみようと思ったわけです。・・・わりと、広く浅い感じで読みやすそうである。なんといっても書名に座布団3枚♪冗談はさておいて、主語を明確にしない文体に評者も注目しています。内容の普遍性を担保するために、主語を明確にしないのか・・・・これなんか反米の大使としては、言語学的ナショナリズムがうずくわけです♪<図書館予約:(3/14予約、11/28再予約、7/07受取)>rakuten文体の科学独話体のあたりを見てみましょう。p107~117対話体と独話体より 本書の目次をご覧になって、不思議に思ったかもしれない。「対話」と題された本章をはじめとして、以後の章には「法律」「科学」「辞書」「批評」「小説」ということばが並ぶ。「法律」から「小説」までの各章は、いってみれば文章のジャンルや分野に冠される名前だ。ところが、「対話」だけはジャンルや分野というよりは、表現の形式を指している。 例えば、小説では多くの場合対話が活用されるからよいとしても、そうしようと思えば、法律、科学、辞書、批評もまた対話形式で書くことができる。つまり「対話」だけは、他の章と分類の基準が違っている。もちろん、分類基準の異なるものが並んでいること自体は問題ではない。ただ、少々釈明が必要かもしれない。 法律や科学や批評は、多くの場合、対話体ではなく独話体で書かれている。独話体とは、先にも述べたように、著者がちょうど独り言でもいう様な具合に、対話とは異なるスタイルでことばを綴るものだ。 必ずしも「私は」といった一人称である必要はない。筆者が姿を表さない無人称的な文章でもよい。ともかく、対話体のように複数の人物が話し合うという形ではなく、書き手がひたすら綴ったことばを、ここでは「独話体」と呼ぶ。そういえば、こうして私が書いている文章もまた、独話体の一種である。 思うに独話体の文章とは、なんだか不思議なものである。特定の個人に向けて書かれた手紙やメールはまだしも、どこの誰かが、必ずしも特定の誰かに宛てたわけではなく書いた長い独り言が印刷されたり、ビットデータとして書店やインターネット上に置かれる。それをまた、ひょんなことから、どこかの誰かが手にして目を通す。 すると、その文章に触れるまでは考えもしなかったようなことが脳裏に浮かんだり、たとえそうでなかったとしても、少し大袈裟に言えば、読み手の脳には変化が生じる。そのようにして紙であれ電子であれ、なんらかの物質に象られて世界に送り出されたり、複製されたことばは、ときには顧みられなくなって消え失せ、ときには書き手がこの世からいなくなったずっと後にも、誰かの目に触れることになる。これはいったいなんなのか。お次は大使の関心事、小説のあたりを見てみましょう。p235~236 文学、小説、物語、稗史、虚構、リテラチャー、ノヴェル、ストーリー、ナラティヴ、ロマンス、フィクション・・・・呼び方はともあれ、古来人類は、いつも「作り話」とともにあった。 それこそ世界中に見られる神話から、多様なジャンルに枝分かれした現代の小説、果ては小説とその外が入り混じる様子が描かれたメタフィクションや、コンピュータ・ゲームのように読者の働きかけによって話の行方が左右されるものまで、人類は飽きもせず話しを作り、共有し、読み続けている。 作り話には、これまで眺めてきた文章とは決定的な違いがある。一言で言えば、なにを材料としてもよいし、書かれていることは真実でなくてよい。ドン・キホーテのとんでもない妄想、なんでも飲み込んでしまうガルガンチュアの胃袋、トリスラム・シャンディ氏の脱線につぐ脱線、優に百巻を超えて書きつがれ、作者の死をも超えて広がり続ける『グイン・サーガ』の世界・・・・まこと作り話は倦むということを知らない。 なんでもありで、創意工夫と技巧次第でいかようにも書くことができる、そんな怪物めいた文章、遊戯めいた文章を、ここではさしあたり「小説」と呼ぶことにしよう。もちろんこれは、歴史的に見れば、特定の時代に生まれたことばだ。こと日本語の「小説」は、例によって英語のnovelを翻訳するに際して、中国語を当てた造語という込み入った出自を持っている。 といっても、「小説」の歴史を跡づけようというわけではない。以下では、そもそも「ことばで書かれた作り話」には、なにがどう書かれているのか、その文のスタイルを眺めてみたいのである。コンピュータが扱う文体を見てみましょう。p261~264物質と精神のインターフェイスより さて、さまざまな書物、ことばによって書かれた作物を眺めてきた。とりわけ、本書では書物を構成する内容と形式という要素のうち、ことばや文章で表現された事柄のみならず、同時にそうした内容が、どのような物質的条件で実現されているか、つまり、ページの構成や配置、文字の大きさといった、ものとしての姿かたちにも注意を払ってみた。 なぜそんなことをしたのか。私たちは、書物について考える際、なにが書いてあるかという内容に注意を向けがちだ。例えば、どんな媒体にどんな書体や配置で表示されていようと、書かれているテキストが同じであれば、同じ本だという具合に。 加えて、コンピュータとネットワークの普及、各種携帯用端末など、文字を読む環境や装置が多様化して、その傾向はますます強まっている。なぜなら、コンピュータにおいては、「同じ」テキストデータでも、利用者が使う表示装置やその設定次第で、どのような見た目にも変えられるからだ。つまり、装置からして、書物を内容と形式に分離している。そして、この自由度こそがコンピュータの利点でもある。 例えばステファヌ・マラルメの『骰子一擲』(1897)は、著者が文章の物質的条件にまで趣向を凝らした書物だ。しかし、コンピュータにおいては、そのテキストデータを、どんなサイズの画面に、どんな背景色と文字色、どんな大きさのフォントで表示するかということは、利用者と装置によって千差万別である。 そこでは、もとの書物を設計したマラルメが、紙の上に固定した姿かたちは関係なく、ただ「内容」だけが再現されることになる。読み終えて(飛ばし読みではあるが)、なんか肩すかしに遭ったようで不満が残るのです。大使としては「小説を書く上で望ましい文体」を、手っ取り早く知りたいわけで・・・この本には、そんなテーマは載っていないのです。(私の要求が性急なだけか?)
2016.07.10
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図書館で『次元とは何か』という本を手にしたのです。『フラットランド』という本を読んで以来、暇な大使に次元へのこだわりが生まれたわけで・・・この本を借りた次第です。【次元とは何か】ムック、ニュートンプレス、改訂版2012年刊<商品の説明>より2008年4月に刊行されたNewton別冊「次元とは何か」の改訂版です。12年5月発行<読む前の大使寸評>『フラットランド』という本を読んで以来、暇な大使に次元へのこだわりが生まれたわけでおます。rakuten次元とは何か「見えない次元」のあたりを見てみましょう。p148■「見えない次元」はほんとうに存在するのか?学生:私たちの目に見えない次元が、ほんとうにこの宇宙に存在するかどうかを確かめることはできますか?博士:人類はこれまで、空間は3次元だと信じてきました。もし実際に、目に見えない空間の次元、つまり「余剰次元」の存在が確認されたならば、コペルニクスの地動説や、アインシュタインの相対性理論の登場に匹敵する、科学史上の大事件になることはまちがいないでしょう。 そして、驚くべきことに、今後数年のうちに余剰次元の存在が実証される可能性があります。それは、スイス、ジュネーブの地下に建設された大型粒子加速器「LHC(Large Hadron Collider)」で行われる実験によるものです。LHC学生:いったいどんな実験ですか?博士:光速近くまで加速した陽子と陽子を、観測装置の中で正面衝突させます。そして、衝突した陽子が、どのような粒子に生まれかわるのかを観測するのです。■見えない次元をどのように測るのか博士:LHCでは、陽子を7兆電子ボルト(光速の99.9999991%)という高エネルギー状態にまで加速した上で衝突させます。陽子をここまでの高エネルギー状態にまで加速するのは、世界ではじめてのことですから、どんな粒子が飛び出すのか、実験をしてみないと誰にもわかりません。学生:どんな現象がおきれば、余剰次元が実証されたことになるのでしょうか?博士:一つの可能性は、「陽子の衝突によって、エネルギーの一部が余剰次元の方向に逃げだしてしまう」という現象を確認するものです。ビリヤード台の上で、2個の球が衝突することを思い浮かべてください。 衝突はビリヤード台という2次元の世界でおきますが、衝突の際に生じる「カーン」という音は、ビリヤード台を取り巻く3次元空間に伝わります。もしこの宇宙に余剰次元が存在するなら、これと同じようなことが、LHCでおきるかもしれません。 つまり、3次元空間でおきた陽子の衝突によって、そのエネルギーの一部が余剰次元を含む高次元空間にもれだす可能性があるのです。学生:もれだしたかどうかをどうやって知るのですか?博士:衝突で生じた粒子のエネルギーを足しあわせた値が、衝突前の陽子の値よりも少なければ、衝突によって高次元空間にエネルギーがもれだしたことを確認できます。 また、小さな人口ブラックホールの生成・蒸発を確認することで、間接的に余剰次元の存在が実証される可能性もあります。この本も次元へのこだわりに収めておきます。
2016.07.10
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図書館に予約していた『江戸日本の転換点』という本をゲットしたのです。とにかく、水田リスク社会という切り口には、言ったもん勝ちというか、驚くわけです。【江戸日本の転換点】武井弘一著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ水田を中心にした社会は行き詰まったのか。老農の証言から浮かび上がる歴史の深層。米づくりは持続可能だったのか?新田開発は社会を豊かにする一方で農業に深刻な矛盾を生み出した。エコでも循環型でもなかった“江戸時代”をリアルに描き出す力作。【目次】序章 江戸日本の持続可能性/第1章 コメを中心とした社会のしくみ/第2章 ヒトは水田から何を得ていたか/第3章 ヒトと生態系との調和を問う/第4章 資源としての藁・糠・籾/第5章 持続困難だった農業生産/第6章 水田リスク社会の幕開け/終章 水田リスクのその後と本書の総括<読む前の大使寸評>水田リスク社会という切り口には、言ったもん勝ちというか、驚くわけです。<図書館予約:(1/06予約、7/06受取)>rakuten江戸日本の転換点この本の結論のようなあたりを見てみましょう。p267~269本書の問題提起への答え 本書では、一見「エコ」で循環型のように思われがちな、江戸時代の水田をめぐる農業生産について、それが本当に持続可能なものであったのかを問うてきた。そこから浮かび上がってきたのは、新田開発という「列島大改造」の、表層と深層という二つの側面であった。 17世紀の新田開発によって、耕地面積だけではなく人口も増え、社会は経済成長を成し遂げた。コメを中心とした社会が成り立ち、その副次的な作用として豊かな生物相も形づくられた。米の副産物である藁、糠、籾も資源として社会に流通していたことから、表層では持続可能な社会であったようにみえよう。 しかし、深層ではそういう社会づくりは実現できていなかった。村社会のなかで、百姓は毎年、田んぼさえ耕しておけば気楽に生きてゆけたというわけではなかったのである。自給できる肥料では足りなかったので、水田の持続可能性は危ういものであった。 金肥を施せば農業生産を維持できたが、金肥をつくるために国内の山や海の資源まで投じられていた。それどころか、江戸中期からは水害や土砂流出の危険にさらされ、水田リスク社会という新たな難問に巻き込まれていたのである。 すなわち、水田にささえられた江戸時代の社会は、その根底において持続可能ではなかったのである。この根底があらわになっていく、その転換点が、新田開発がピークに達した18世紀前半の日本に訪れていたということはできるだろうか。その是非は、ここまで本書を読んでこられた読者の判断に委ねたい。 さて、そうはいっても、江戸時代の百姓たちに振りかかった災難について、あまり現実味を感じられない方が多いかもしれない。なぜなら、江戸の老農たちが解決できなかった難問は、結果的に現在ではクリアされているからである。今の高度な土木技術と比べると、川を制することができなかった江戸時代の治水技術のレベルはかなり低いし、「天の時」「地の利」「人の和」という思想に頼らざるをえない状況下にもおかれていた。なんとなく安全な場所から遠い昔をみているような気にもなろう。 しかし、本当に解決されたといえるのか。温室効果ガスに起因する気候変動しだいでは、今後は大水害や土砂災害の頻度が増すとの予測もある。それどころか、様々なリスクに現代社会が巻き込まれていることに、私たちは気づき、目撃もしている。それらのなかには、根本的な解決を、次世代どころか、はるか遠い未来に託そうとしていることもあるだろう。 本書でとりあげた土屋又三郎や田中丘隅の時代から現在までは約三百年、今そこにあるリスクは、これから三百年先には無事に解決されているのか。もし、解決されていなければ、江戸の老農たちのことを迷信深かったと笑って退けることができないどころか、むしろ社会を悪化させているとして、これから先の世代に申し開きが立たない。『江戸日本の転換点』1『江戸日本の転換点』2
2016.07.09
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図書館に予約していた『江戸日本の転換点』という本をゲットしたのです。とにかく、水田リスク社会という切り口には、言ったもん勝ちというか、驚くわけです。【江戸日本の転換点】武井弘一著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ水田を中心にした社会は行き詰まったのか。老農の証言から浮かび上がる歴史の深層。米づくりは持続可能だったのか?新田開発は社会を豊かにする一方で農業に深刻な矛盾を生み出した。エコでも循環型でもなかった“江戸時代”をリアルに描き出す力作。【目次】序章 江戸日本の持続可能性/第1章 コメを中心とした社会のしくみ/第2章 ヒトは水田から何を得ていたか/第3章 ヒトと生態系との調和を問う/第4章 資源としての藁・糠・籾/第5章 持続困難だった農業生産/第6章 水田リスク社会の幕開け/終章 水田リスクのその後と本書の総括<読む前の大使寸評>水田リスク社会という切り口には、言ったもん勝ちというか、驚くわけです。<図書館予約:(1/06予約、7/06受取)>rakuten江戸日本の転換点日本の原風景のあたりを見てみましょう。p9~15■日本の原風景 風流の初めやおくの田植うた 元禄2年(1689)3月下旬、江戸深川から東北へ向けて旅立つ人がいた。俳人の松尾芭蕉である。出発して約1ヵ月後の4月下旬、彼は須賀川(福島県須賀川市)に滞在して、知人との交流を深めた。 須賀川を訪れたということは、その少し前に白河の関を越えて、ようやく目的地の東北に足を踏み入れたことになる。本書で記す歳月は旧暦なので、今の暦と比べて1ヵ月ほど遅れているとみなしてほしい。四月下旬は初夏にあたり、ちょうど田植えののシーズンだった。 芭蕉は、武士や豪商らが生み出した雅やかな文芸作品ではなく、むしろ村人たちの鄙びた田植え唄に、風流さを見出した。 田植えが終わると、稲は育ち、日本各地の田んぼを緑一色に包み込む。畦道からはカエルが水面に飛び込み、どこからともなく鳴き声も聞えてこよう。「瑞穂の国」という美称があるように、瑞穂に満ちた水田は、よく日本の原風景といわれる。遠く離れた異境で暮らす現代の私たちのなかにも、古里の田園風景を懐かしむ方がいるかもしれない。 たしかに、水田の歴史は長い、日本列島における水田での米づくりは、およそ二千五百年前に、朝鮮半島に近い九州北部で始まったとみられている。水田跡の代表的な遺跡としては、菜畑遺跡(佐賀県唐津市)などの名が、よく知られていよう。 しかし、この時点で今日のような、見渡す限りの水田という風景が広がったわけではない。そこに至るまでには、それから一千年以上もの時間が必要だった。■江戸時代=エコ時代なのか 芭蕉が生きたのは江戸時代である。江戸時代とは、慶長8年(1603)から、慶応3年(1867)までの約260年間をさす。少し視点を変えてみて、今日、この時代がどのように評価されているのかに注目してみたい。(中略) 地球的規模でみれば、私たちは現在、地球温暖化・生物多様性の減少・資源の枯渇・水不足など、山積する問題に取り組んでいかなければならない。限りある地球の資源を守りながら使っていくために、持続可能な社会を構築することが、現代社会にとって喫緊の課題となっている。その観点にたつと、持続可能な社会のモデルとして、概して江戸時代の評判はよい。 具体例をあげてみよう。大都市江戸の住民が排泄した屎尿を集めに、周辺から百姓がやってくる。屎尿は都市から農村へ運ばれて田畑の肥料となる。こうして育った穀物や野菜が都市へ運ばれて、江戸の住民の食卓にのぼる。それらが、ふたたび排泄物となって農作物の肥やしと化す。 こうして、肥料と農作物とがリサイクルされているというわけだ。ほかにも、江戸の住民が、いらなくなった古着・紙屑などをリユースし、またリサイクルもしていたこと、屎尿やゴミ処理が進んでいたために都市が清潔であったことなど、「エコ」とみなされる事例は枚挙にいとまがない。 江戸時代=エコ時代という見解は一般に流布しているが、学問的にはどのように評価されているのだろう。意外かもしれないが、このテーマに真正面から論及した研究は少ない。 数例あげてみよう。経済史研究者の鬼頭宏は、江戸時代には基本的にエネルギーと資源のほとんどが国内で調達され、完璧といってよいほどのリサイクルも行われていたとして、日本を「環境先進国」とよんで高く評価する。 一方、江戸都市史を専門とする岩淵令治によれば、そもそも熟成が不十分なまま屎尿を流通させてしまえば、寄生虫までもが都市と農村との間を行き来したしまうので衛生的ではないし、そういう流通システムが公的に整備されたわけでもない。むしろ、ゴミの場合は処理システムが整備されたにもかかわらず、実際には不法投棄があとを絶たなかった。岩淵は、江戸時代の都市=リサイクル都市、清潔都市というイメージが定着している現状に警鐘を鳴らす。 都市のゴミ問題が端的に表しているように、江戸時代を「環境先進国」とみなすことには無理がある。リサイクル・リユースされていたモノがあったことは事実だが、都市のみにスポットライトを当てるだけでよいのかという疑問が生じてしまう。歴史学という立場から江戸時代=エコ時代というステレオタイプの見方について考えるためには、これまでとは違った、江戸時代を理解するうえで最も重要なポイントを検証して論じなければならない。 それが何かといえば、当時の社会において「生産」の中心の場であった水田なのである。■江戸時代と水田 どのような意味で、水田が生産の中心なのか。それは、水田が、江戸時代の社会を根底でささえた、米という作物が生産される場だったということである。水田は社会をささえ、米の増産はそのまま社会の成長につながる可能性を持った。 将軍や大名などの領主は、百姓が年貢として納める米を主たる財源としていた。もし米が増産されれば、それだけ収入も増える。家臣の給与も米を基準として支払われ、売却された米は都市などに流通して消費された。大量生産・大量消費された米が、これだけ社会全体をささえた時代は、江戸時代のほかにはない。世界中をみても、このような社会は非常に珍しい。だからこそ、米を生産する水田に注目することは、江戸時代だけではなく、日本そのものを理解するためにも重要なのである。 図2には明治初期までの耕地面積と人口の推移が示されている。これは推計にすぎず、平安中期や室町中期の耕地面積には畠が含まれていないなどの問題点もあるので、あくまで参考のひとつとして見てほしい。長い間、水田は、安定して水を得やすい谷間や山麓などに、小さなまとまりで作られていた。 しかし、戦国の争乱が終焉し、国内で平和な時代が続く17世紀に入ると、人びとのエネルギーは大地を切り拓くことに注がれるようになった。新田開発である。その結果、河川の上流から下流にむかって開発が進み、沖積平野とよばれる下流の平坦部にまで大規模な水田が造成されていった。これは、日本列島の大改造といえる。 この大改造が耕地面積をほぼ倍増させたことによって、日本列島の歴史上、初めて一面に水田の広がる光景が出現したのだ。芭蕉が東北へ向けて旅立ち、田植え唄の句を詠んだのも、実はこの新田開発の時代のことだった。 新田には、それまでわずかな耕地しか持っていなかった者、あるいは分家した次男・三男などが入植して自立していった。こうして17世紀には人口も倍増するなど、米は社会が経済成長を成し遂げる一因となったのである。この本の構成、主人公を見てみましょう。p18~19■本書の主人公 農書とは、農業技術などを中心に書かれた書物のことをさす。多くは江戸時代に著わされ、とくに17世紀末以降は全国各地で、その土地の事情に応じた農書が出現した。通常であれば、農書からは農業技術や農業生産のあり方を明らかにしていくのが研究の常道といえよう。しかし、農書には、当時を生きた老農たちの自然観・社会観が著述されていることもある。 本書では、新田開発の時代の生き証人ともいえる又三郎(加賀藩の篤農家・土屋又三郎)が自然や社会をどうとらえていたのかについて、『耕稼春秋』から、彼の声を丹念に拾っていきたい。そうすることによって、17世紀という開発期の実像がよりリアルに伝わると考えるからだ。 ただし、『耕稼春秋』からは、停滞期に突入した18世紀前半の様相すべてを理解することはできない。そこで、この時期については、村社会出身で、晩年には幕府の役人に登用された田中丘偶にも登場してもらう。
2016.07.09
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図書館で姜尚中著『反ナショナリズム』という文庫本を手にしたのです。・・・中韓のナショナリズムに往生こいているニッポンにとって有益なお話ではなかろうか、ということで借りた次第です。【反ナショナリズム】姜尚中著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>より ナショナリズムの勃興、が早熟的に帝国主義的な膨張につながり、ウルトラ化の果てに破綻することでそのサイクルを終えた20世紀の日本にとって、中国と韓国のナショナリズムの脅威感は、国家に求心力を求めるネオ・ナショナリズムの拡がりを促すことになった。 このナショナリズムの逆流が、歴史修正主義の装いのもとに過去の歴史の清算を迫る「従軍慰安婦」をはじめとする数々の戦争犠牲者たちの「証言」に強い反発を示したのは、ある意味で当然であった。<読む前の大使寸評>中韓のナショナリズムに往生こいているニッポンにとって有益なお話ではなかろうか、ということで借りたのです。amazon反ナショナリズム網野善彦氏との対談を見てみましょう。p288~291一国主義史観を超えてより姜:網野さんが今度お出しになった『「日本」とは何か』(講談社、2000年)を拝見して、目から鱗が落ちる思いがいくつもしたのですが、わたし自身に照らして、大変興味深かった点は、在日韓国・朝鮮人のあり方についてでした。まず在日は、第一次産業に従事している人が少ない、農民になっていない、つまり土地を取得できなかった。 しかも網野さんのおっしゃる西日本と東日本のコントラストの問題でもあるのですが、だいたい関東在住の在日はサービス業に従事するものが多く、関西では多くが零細の製造業に従事しているのです。いずれもはっきり言えることは、第一次産業、農業に従事する人が少ないということです。しかもそうした土地をもっていないという在日のあり方が、わたしには何かずっと後ろめたい思いとしてこびりついていたのです。 学生時代、1970年代ですが、大塚久雄さんの『共同体の基礎理論』を読んだときに、惹かれながらも何か違和感を覚えたのは、大塚さんの歴史観は、土地制度史観なのですね。ですから在日が土地を持たない、寄生している、いまふうに言えばパラサイトであるということが、大塚さんが描く土地を基盤にした共同体の解体過程としての世界史の展開から、自分たちは何か落ちこぼれているといった違和感があったのです。網野さんのご本を読んで、そうした土地制度史観、土地へのフェティズムから解放されるような気持ちがしたわけです。網野:大変本質的な問題をご指摘いただいたと思います。土地をもたない者への蔑視は、中世前期、13~14世紀まではさほどでもないのですが、15~16世紀以降、江戸時代にはかなり定着していきます。江戸時代になると年貢、基本的な税金を出すのは土地をもっている者であるという考えが支配的になります。 最近分かってきたことですが、明治以降、そうした考え方はさらに強固になります。そして、さらにそれは近代の学問の基本的な捉え方になり、歴史学にも、農業や工業などの生産活動こそが社会を動かす基本的な力であり、商業・流通は物を動かすだけだという考え方が定着してくるようになります。 大塚さんはそのことを学問的に非常にクリアに主張されました。しかし、それは歴史の事実とはかなり大きく違うのです。今度出した本では、この問題を、縄文時代から江戸時代までまとまった形でかなりはっきりと書きました。姜:その問題は、マルクス自身にも通底しているとお考えですか。アジア的生産様式とも関わると思うのですが、土地の所有形態とそれを基盤とする共同体編成の変遷が世界史を貫く基本的なモメントであるという点では、マルクスにも同じような土地制度史観へのバイアスがあるのではないでしょうか。網野:マルクスはいろいろなことを言っていますから、別の解釈もできるかもしれませんが、少なくともいわゆる「マルクス主義」は完全に土地を基盤にした生産力中心の見方だと言っていいでしょう。今度書いた本でも一番抵抗があるだろうと思うのは、この問題でしょうね。なんと言っても「日本」は、江戸時代を通じて農業社会だというのが通説ですからね。でもこれは日本だけでなく、ヨーロッパの歴史学あるいは人文科学全体に、商業や金融に対する差別的と言ってもよい偏見があったと思います。姜:資本主義の起源論争との関連で、流通・金融の役割を否定的に評価している点で、大塚さんによって理念型化された西洋近代像も歪んでいるのだと思います。しかし、その反照としての日本の近代像も、網野さんのおっしゃる地域的な多様性をナショナルに画一化してしまったという点で、歪んでしまったと言えるのではないでしょうか。網野:そうですね。それは「民族」の問題に即しても言えることですね。これは、厳密な意味での「民族」ではありませんが、「遊牧民」「狩猟民」という捉え方があり、とくに狩猟・採取民は未開・野蛮と言われますが、これは、農耕民がつくり出した見方です。沖縄人もアイヌも驚くべく広域的な流通を担っていた交易民です。 沖縄については前からかなりはっきりと分かっていましたが、アイヌについては最近の北方史の研究で明らかにされ始めました。たとえば、テッサ・モーリス=スズキさんが『辺境から眺める』(みすず書房、2000年)で、アイヌがいかに広い範囲の地域で交易を行っていたかを強調されています。そうした活動がこれまで人類史のなかで評価されてこなかったし、実際からかけ離れた認識が歴史像として共有されてきたということは恐るべきことであると言っていいかもしれません。 日本の場合の海民がまさにそうで、実際には非常に豊かな海民の集落、海村・都市が、少なくとも江戸時代までは確認できるのですが、近代以降、海の交通の役割が衰退すると、田畑のない「貧しい漁村」というイメージが定着するようになります。商業も同様に著しく過小評価されてきました。先ほどの在日の問題もそうした観点から見ることができるし、あらためて考え直す必要があると思います。次にアジアのナショナリズムを見てみましょう。p313~318アジアと日本のナショナリズムより網野:これは姜さんに伺っておきたいことで、わたしが最近心配している問題のひとつですが、中国には台湾やチベット、ウイグルの問題があり、一方、朝鮮半島で南北統一問題がにわかにクローズアップされ、アジアでは、国民国家を形成し、つくり固めようとする動きがあるわけですね。そうした動向のなかで、金大中前大統領が確か「韓民族五千年の歴史」と言っていたと思うのです。これは大変にひっかかりました。 あれは「檀君神話」を考えての発言でしょうね。とすると、古事記・日本書紀の神話を背景に明治以降日本が国民国家を形成したのと同じ道を、現代において進みつつあると言えるわけで、もしそれが定着していくとすると、事は重大だと思います。近代日本の大失敗の経験が生かされなくてはなりません。姜:アジアにおけるナショナリズムの温度差のような問題があると思います。その関係からすると、『国民の歴史』の著書を「歴史修正主義者」と言えるかどうかはともかくとして、マッチョ的な表現をあえてすれば、かれらから見ると、アジアはナショナリズムの「発情期」であるのに対して、日本はナショナリズムについて見れば、つまり「男」として見ると「去勢」されているのではないか、まわりが「発情期」なのに自分たちは「去勢」されている、これで大丈夫なのか、というわけです。かれらの目には、アジアにおけるナショナリズムの温度差がそのような危機意識として映っているのではないでしょうか。網野:これはまた刺激的な言い方ですが、確かにそういう言い方ができるかもしれませんね。姜:西尾幹二さんの『国民の歴史』を読んで感じるのは、かれにあの本を書かせている内的な動機は、ものすごい被害者意識なのですね。韓国や中国とくらべると、あるいはわたしから見ても、日本の戦後史は非常に「幸運」の積み重ねとして現在まで来たと思うのですが、ところがかれらの当事者意識としては、それが被害者意識として鬱積してきているのです。その鬱積したものがいま、発露しているように見えます。 その鬱積感がいったいなんなのか、不思議なのです。というのは、現実的には朝鮮半島だけに限定しても、1950年から1953年の間に内戦(朝鮮戦争)で約200万~300万の人が死に、1000万人が離散家族になっています。日本の場合は、太平洋戦争で300万人が死んでいるわけですが、人口規模が違いますから、全人口に占める割合から見ると、約2倍の人が死んでいる計算になります。しかも自分の土地が戦場になっています。 中国の場合でも「満州事変」以降あれだけの人が犠牲になっています。そうした死者の数は別にして日本の戦後史を見ると、歴史の「僥倖」であったのか、支配者が「賢明」であったのか、かなり恵まれた環境にあったと思うのです。 しかし、いまの「歴史修正主義」的な言説を唱えている人々のなかには、そうした恵まれたかに見える日本の戦後史に対して、とぐろを巻いた鬱積した気持ちがあるように見えるのです。しかしそれがいったいなんなのかということですね。網野さんはどうお考えになりますか。網野:わたしにも、それは十分掴みきれていません。しかしまさしく「幸せ」「僥倖」によって敗戦後までなんとか維持できた国家の枠組み、「国体」がなしくずしに崩れようとしている状況そのものに対する、かれらなりの「危機意識」があるのだと思います。さきほど「発情期」とまで言われましたが、中国にせよ韓国・朝鮮にせよ、強烈なナショナリズムが、現在、表に出ています。アメリカはまたアメリカ流に強力なナショナリズムがあるのに対して、現在の日本は、確かに「能天気」なところがあると言えるだろうとは思いますよ。 このままでは「日本」が“負けてしまう”という危機感が西尾幹二さんや西部邁さんにあるのだと思います。石原慎太郎さんも同じでしょう。しかし、このように「勝とう勝とう」とする方向で、古い「国体」や伝統まで引きずり出してナショナリズムを鼓吹するのは、明治以降の日本の近代の歴史に対する反省もない、アナクロニズムだとわたしは思います。変な勝ち方を一時的にするよりも、負けたほうがよいのです。 今度の『「日本」とは何か』についても、多分かれらは無視するだろうと思います。西尾さんの『国民の歴史』には、わたしの名前は、ほとんど出てきません。ただ1ヶ所、わたしが「日本」という国名にこだわっているのを西尾さんが、「唯名論」だと批判されていますが、まともに批判されたことはありません。 しかし、ナショナリズムに歪められた歴史像は、なにも日本だけではなくて、たとえば、「倭寇」の問題について、韓国でも中国でも、「日本人」の悪行のひとつであると言っています。舟山列島あたりの博物館に行くと、そうした展示があるということを人づてに聞きました。この本でも触れましたが、「倭寇」は、列島西部、済州島、朝鮮半島南部、中国大陸南部にまたがる、国家や国境を越えた海の民の活動であって、日本国による朝鮮半島・中国大陸に対する暴虐と見るのはまったくの誤りだと思います。韓国の若い歴史家でも、倭寇に朝鮮半島の人間は加わっていないと、まじめに研究して主張されている方もいますが、実証的に見てそれは成り立たないようですね。また「倭寇」を日本国が支援したことはなく、とくに「後期倭寇」は日本人よりも中国大陸の人が多かったと言われています。 それにもともと「倭寇」と「日本人」とは違うのです。別にわたしが日本人だから言うわけではなく、「倭寇」は国境を越えた海の世界の問題で、そうした視点が中国や韓国の歴史学にはいまのところあまりないようですね。そうした視点なしに、中国や韓国の方がナショナリズムの視点だけで批判をすると、逆に西尾幹二さんや石原慎太郎さんの餌食になるわけです。これは、竹島、尖閣諸島などの問題と、直接かかわってきますからね。 ただ、金大中前大統領が、おそらく「檀君神話」に関連して「五千年の歴史」と言われたときにはわたしもドキッとしましたね。そうだ『「日本」とは何か』という本が積読状態にあることを、思い出したのだが・・・久しぶりに読んでみるか♪【「日本」とは何か】 網野善彦著、講談社、2000年刊<Amazon紹介>より日本中世史に新たな地平を拓いてきた網野善彦が、編集委員として参加している全26巻の日本通史「日本の歴史」の第00巻として著した日本論である。 これまで自明なこととして扱われていた「日本」の起源と地理的範囲、日本列島に限定されていた縄文文化や弥生文化を、北方アジアや朝鮮半島との関係から見直し、基本的用語を問い直す必要があるというのである。また、主従関係、貨幣制度、差別意識などの地域的相違を明らかにすることで、「均質な日本人」という常識の盲点を指摘している。さらに、記紀神話の豊葦原瑞穂国から、班田収受や公地公民といった律令制度、中世の荘園、江戸時代の士農工商制度、明治の地租改正、戦後の農地改革に至る土地所有制度の変遷をたどることによって、日本は農民中心の農耕社会とする従来の日本社会史に疑問を投げかけている。 有史以来、日本列島は北方アジア、朝鮮半島、琉球列島、中国大陸とダイナミックな交流があり、列島内部でも活発な地域間交流があったことが、現在の「日本」を形づくっているとする。 網野史観の全体像を1冊にまとめた格好の入門書といえる。(堤 昌司) <大使寸評>父の蔵書を引きつぐものであるが、2000年刊行と比較的新しい本であり、「日本人論」では欠くべからざる本であったのが嬉しい♪Amazon「日本」とは何か
2016.07.08
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図書館で手嶋龍一, 佐藤優著『知の武装』という本を手にしたのです。とにかく、昨今の大陸的策動に対しては、インテリジェンスで武装するしかないのかも。【知の武装】手嶋龍一, 佐藤優著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より ニュースを鵜呑みにしていては、深層はつかめない。激流の世界で勝つには「知性(インテリジェンス)」が必要だー東京五輪と尖閣の関係、安倍首相の真の評判、シリアを左右したスノーデン事件の「倍返し」、中韓領土問題の奥の手、北朝鮮写真に隠されたメッセージ… 日本最強の外交的知性がその情報力と分析力を惜しみなく披露。最新情勢の解読法から諜報の基礎知識までを解説した、武器としてのインテリジェンス入門。<読む前の大使寸評>とにかく、昨今の大陸的策動に対しては、インテリジェンスで武装するしかないのかも。rakuten知の武装尖閣問題のあたりを見てみましょう。p114~117攻める習近平、怯むオバマより手嶋:2010年9月に尖閣沖で中国漁船が日本の巡視船に体当りを敢行し、中国人船長が逮捕された事件の直後には、ニューヨークで日米外相会談があり、その席上で、ヒラリー・ローダム・クリントン国務長官(当時)が、「日本が実効支配している尖閣諸島に中国が武力で手をつけるようなことがあれば、アメリカは日米安保条約第5条に基いて武力発動の用意がある」ことを明らかにしています。冷戦の終結後、日本の安全保障に関わる最も重要な発言と言っていいでしょう。佐藤:中国政府にとっては、尖閣に手をつければ、アメリカと戦争になると覚悟せざるをえなくなった。オバマ政権の国務長官、国防長官、国家安全保障担当大統領補佐官がそれぞれ訪中するたびに、中国側はこの「クリントン見解」をなんとか切り崩そうと術策の限りを尽くしたのですがダメでした。さしもの中国も、無人島をめぐってアメリカと干カを交える覚悟は持てないですよ。これこそ抑止力の本質です。手嶋:中国は海洋監視船を尖閣諸島周辺に出没させていますが、海兵隊部隊を尖閣諸島に上陸させないのも、「クリントン見解」でアメリカ側が武力行使の構えを明確にしているからです。ところが、今回の米中首脳会談で、オバマ大統領は、日本の施政権にも日米安保5条にも、はっきりとは触れようとしませんでした。佐藤:安部総理も心配になったんでしょう。会談の後、オバマ大統領に直接電話をかけ、30分以上にわたって会談の機微に触れる部分を問い質したらしい。手嶋:オバマ大統領は、同盟国である日本側の懸念は痛いほどわかっています。アメリカが内々にでも厳しい姿勢を中国側に伝えていたのなら、オバマ大統領は安部総理に充分に説明していたはずです。しかし、納得のいく説明はついに聞かれずじまいでした。佐藤:このような重要会談が行われたときは、会談の詳細な内容を、国務省の担当官が現地ワシントンの日本の大使か行使に伝えるのが慣例です。これを外交用語でデブリーフィングというのですが、これを基に打電された公電にも、オバマ大統領が尖閣問題で日本の立場を踏まえて毅然とした姿勢をとったことを示す内容は記されていませんでした。 中国共産党は、習近平を新しい総書記に選ぶ2012年11月の全国代表大会で「海洋権益を断固として守り、海洋強国を建設する」という表現を大会報告に盛り込みました。中国はこれまで膨大な人数の陸軍を擁する紛れもない「陸の大国」でしたが、このときをターニング・ポイントに「海の大国」を目指すことを鮮明に打ち出したのです。手嶋:そんな新興の「海洋強国」に、オバマ大統領の曖昧な姿勢は誤まったシグナルを送ってしまった可能性があります。これまでアメリカは、「尖閣諸島は日本の実効支配下にあり、日米安保の適用範囲」と言い募ってきたのに、明確な姿勢を示さなくなった。有事に際して尖閣諸島を武力で侵しても、アメリカは武力で反撃してこないかもしれない・・・習近平主席はそう受け止め、中国は武力侵攻の誘惑に駆り立てるかもしれません。佐藤:習近平の中国は、国際社会で確立されたゲームのルールをいま、一方的に変更しようとしています。だからこそ日本もアメリカも、中国には毅然とした姿勢で臨み、曖昧な態度を見せてはいけないんですね。手嶋:尖閣での中国漁船衝突事件への民主党政権の対応がその典型でしたが、中国の意図について根拠なき楽観的な見方がいまの日本ではまかり通っています。根拠なき楽観的な見方ですか、手厳しいですね・・・救国のインテリジェンスと言われる由縁かも。一方で、トランプの嵐が吹き荒れるアメリカも褒められるわけでないわけで・・・反知性主義のあたりを見てみましょう。p138~141反知性主義の政治学より手嶋:この反知性主義については、アメリカに暮らす前は言葉では知っていましたが、実際にアメリカ社会でどれほど影響力があるものかわかっていませんでした。大統領選挙の取材でロッキー山脈沿いのキリスト教右派の地盤を回ってみて、「ああ、これほど」と蒙を啓かれました。 反知性と言いますから、なんの知識も持ち合わせていない人たちと思いがちですが違うのですね。彼らは意図して新しい知識や科学の知見を受けつけようとしない。そもそも公的な教育に神の子である子弟を委ねない人々なのです。福音派の教会から送られてくる教科書を使って自宅で親が学ばせている。そこにはダーウィンの進化論など存在しません。佐藤:彼らはアメリカ社会では決して少数派じゃないですよ。手嶋:「福音ベルト地帯」と呼ばれるほどですから、何千万という人々が、こうした暮らしを送っており、保守的なアメリカの骨格をなしています。「アイビー・リーグの名門大学で学んだ連中は、知識をひけらかして、一つの問題をあれこれ検討したがるために、結局何一つ決断ができない」などと蔑まれているのです。また、競争の激しいビジネス社会でも、複雑な理論より役に立つ発明が尊ばれ、物事を果断に決めて前に進むビジネス・リーダーが尊重されます。 「東部エスタブリッシュメント」から権力を奪取したいと願う政治家が、実業界やこうした「福音ベルト地帯」を拠り所にしないわけはありません。 アメリカ政治の潮流はいまや、彼らが主流だといっていいほどなのです。世論への絶大な影響力を誇るテレビ伝道師は、知性を敵視する文化的伝統から生まれてきました。彼らの巧みな説教は、科学的事実や歴史的事実と意図して訣別することで絶大な影響力を手にしているのです。佐藤:この反知性主義と決断主義は硬貨の表と裏なのです。決断主義では「つべこべ言わず、俺がやれといったことをやれ」という政治指針が出てくるからです。従って、反知性主義者は、独特なプリズムを持っており、自らにとって都合がよいことが大きく見え、都合の悪いことは縮小され、視界から消えてしまいます。もっとも、彼ら反知性主義者は、実証性や客観性に基づく反論をいくら浴びても、痛くも痒くもない。手嶋:橋下徹大阪市長のメディアへの反論がまさしくそうですね。従軍慰安婦問題でも在日米軍兵士への「風俗店活用のススメ」でもそうでしたが、自分の発言が対外関係の文脈に置かれたときにどう受け取られるか、その省察を著しく欠いています。 橋下市長は、麻生発言にこうコメントしています。「いきすぎたブラックジョークだったのではないか。ナチス・ドイツを正当化した発言でないのは国語力があればすぐわかる」と。一般的な国語力さえあれば、ブラックジョークなどではないことがわかるはずです。
2016.07.08
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「予約本」でしょうか♪<市立図書館>・江戸日本の転換点・知の武装・反ナショナリズム・文体の科学<大学図書館>・次元とは何か図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【江戸日本の転換点】武井弘一著、NHK出版、2015年刊<「BOOK」データベース>よりなぜ水田を中心にした社会は行き詰まったのか。老農の証言から浮かび上がる歴史の深層。米づくりは持続可能だったのか?新田開発は社会を豊かにする一方で農業に深刻な矛盾を生み出した。エコでも循環型でもなかった“江戸時代”をリアルに描き出す力作。【目次】序章 江戸日本の持続可能性/第1章 コメを中心とした社会のしくみ/第2章 ヒトは水田から何を得ていたか/第3章 ヒトと生態系との調和を問う/第4章 資源としての藁・糠・籾/第5章 持続困難だった農業生産/第6章 水田リスク社会の幕開け/終章 水田リスクのその後と本書の総括<読む前の大使寸評>水田リスク社会という切り口には、言ったもん勝ちというか、驚くわけです。<図書館予約:(1/06予約、7/06受取)>rakuten江戸日本の転換点【知の武装】手嶋龍一, 佐藤優著、新潮社、2013年刊<「BOOK」データベース>より ニュースを鵜呑みにしていては、深層はつかめない。激流の世界で勝つには「知性(インテリジェンス)」が必要だー東京五輪と尖閣の関係、安倍首相の真の評判、シリアを左右したスノーデン事件の「倍返し」、中韓領土問題の奥の手、北朝鮮写真に隠されたメッセージ… 日本最強の外交的知性がその情報力と分析力を惜しみなく披露。最新情勢の解読法から諜報の基礎知識までを解説した、武器としてのインテリジェンス入門。<読む前の大使寸評>とにかく、昨今の大陸的策動に対しては、インテリジェンスで武装するしかないのかも。rakuten知の武装【反ナショナリズム】姜尚中著、講談社、2005年刊<「BOOK」データベース>よりナショナリズムの勃興、が早熟的に帝国主義的な膨張につながり、ウルトラ化の果てに破綻することでそのサイクルを終えた20世紀の日本にとって、中国と韓国のナショナリズムの脅威感は、国家に求心力を求めるネオ・ナショナリズムの拡がりを促すことになった。このナショナリズムの逆流が、歴史修正主義の装いのもとに過去の歴史の清算を迫る「従軍慰安婦」をはじめとする数々の戦争犠牲者たちの「証言」に強い反発を示したのは、ある意味で当然であった。<読む前の大使寸評>中韓のナショナリズムに往生こいているニッポンにとって有益なお話ではなかろうか、ということで借りたのです。amazon反ナショナリズム【文体の科学】山本貴光著、新潮社、2014年刊<「BOOK」データベース>より長短、配置、読む速度…目的と媒体が、最適な文体を自ら選びとった。古代ギリシアの哲学対話から、聖書、法律、数式、広告、批評、小説、ツイッターまで。理と知と情が綾なす言葉と人との関係を徹底解読する。<読む前の大使寸評>『文体の科学』という書名が、かなりふざけた感じがするので・・・・書評だけでも読んでみようと思ったわけです。・・・わりと、広く浅い感じで読みやすそうである。なんといっても書名に座布団3枚♪冗談はさておいて、主語を明確にしない文体に評者も注目しています。内容の普遍性を担保するために、主語を明確にしないのか・・・・これなんか反米の大使としては、言語学的ナショナリズムがうずくわけです♪<図書館予約:(3/14予約、11/28再予約、7/07受取)>rakuten文体の科学【次元とは何か】ムック、ニュートンプレス、改訂版2012年刊<商品の説明>より2008年4月に刊行されたNewton別冊「次元とは何か」の改訂版です。12年5月発行<読む前の大使寸評>『フラットランド』という本を読んで以来、暇な大使に次元へのこだわりが生まれたわけでおます。rakuten次元とは何か***************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き156
2016.07.07
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ディズニー映画は『ベイマックス』で打ち止めにしようと思っていたのだが・・・この映画は観たいということで、封切り早々に観にいったのです。【アリス・イン・ワンダーランド/時間の旅】ジェームズ・ボビン監督、2016年米制作、2016.7.04鑑賞<movie.walker作品情報>より「不思議の国のアリス」のその後を描き、大ヒットを記録した『アリス・イン・ワンダーランド』のシリーズ第2弾。悲しい過去に心を奪われたマッドハッターを救うため、時間をさかのぼるアリスの冒険がつづられる。ジョニー・デップやミア・ワシコウスカらに加え、“時間の番人”タイム役でサシャ・バロン・コーエンが新たに登場。<大使寸評>4次元のパラドックスに挑むということで、SFテイストの溢れるお話になっていました。また、ジャバーウォッキーに乗って飛び回る意地悪な姉姫の存在感が圧倒的でおます♪アリス役のミア・ワシコウスカは『奇跡の2000マイル』のヒロインでもあったとは、観た後で知りました♪movie.walkerアリス・イン・ワンダーランド/時間の旅原則として、新しいディズニー映画は観ないように決めたのであるが、この作品は美術、キャスティングなど優れているので、例外的に観に行ったものです・・・言い訳じみているけど。ミア・ワシコウスカ(奇跡の2000マイルより)公式HPの赤の女王(イラスベス)を見てみましょう。 アンダーランドの暗黒時代を支配したかつての暴君。3年前のアリスの活躍により、荒涼たるアウトランドに追放された。巨大な頭を持ち、残忍で、感情を抑えられず、「首をはねよ!」が口癖。 妹・白の女王に激しい嫉妬心を燃やす。過去も現在も未来も支配する野望を抱き、<タイム>に取り入り、アリスを捕らえようとする。
2016.07.07
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Peach航空がメルマガを送ってくるんですが、心騒ぐわけですね♪で、格安のなかでも、気になるタイムセールを紹介します。(大使の関心のある路線のみ紹介します、すんまへん)この冬場に2泊3日くらいの韓国、台湾旅行がいいかもね♪このところ、大阪-釜山 2,990円、大阪-台北(桃園) 4,990円が定着してしまったようだけど・・・大使が乗った大阪-釜山1500円というのは破格セールだったようです。<Peach航空メルマガ抜粋><2016年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.231 国内も海外も、全路線対象の会員限定セール!秋の行楽や冬のグルメ旅行はこれで決まり! 国内線は片道1,000円~、国際線は片道2,000円~の運賃設定♪ 【対象】8/10時点でPeach Cardがお手元にある方【販売期間】2016年8月19日0:00~8月21日23:59【搭乗期間】2016年10月4日~2017年2月2日 火・水・木 ※搭乗期間は路線によって異なります。 Peach Cardの入会申し込みから、カードのお届けまで3週間程度かかることがあります。まだお持ちでない方は、お早めに下記よりお申込みください☆ <2015年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.192 ☆アクティブ宣言!☆全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】11月5日 00:00~11月8日 23:59【搭乗期間】2015年12月1日~2016年3月14日 ※路線によって適用日が異なります大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,990円~ 大阪(関西)-釜山 2,990円 大阪(関西)-香港 3,990円 大阪(関西)-台北(桃園) 4,990円 大阪(関西)-高雄 3,990円 <2014年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.146☆桃花火セール 1発目☆全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】8月12日00:00~8月17日23:59【搭乗期間】8月21日~12月18日 ※路線によって適用日が異なります大阪(関西)-沖縄(那覇) 2,980円 (火~木) 大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,480円~ 大阪(関西)-香港 5,980円 大阪(関西)-台北(桃園) 4,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.141【☆夏直前セール☆】全線片道、燃油サーチャージなし【販売期間】6月13日00:00~6月17日23:59【搭乗期間】6月23日~8月7日大阪(関西)-仙台 2,480円(月~木) 大阪(関西)-釜山 2,480円~ 大阪(関西)-台北(桃園) 4,980円 大阪(関西)-高雄 4,980円 *************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.124【販売期間】1月2日00:00~1月5日23:59【搭乗期間】(国際線)1月20日~5月31日大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,280円 大阪(関西)-釜山 2,280円~ <2013年>*************************************************************Peachメールマガジン ★ePeach★Vol.123【販売期間】12月21日00:00~12月24日23:59【搭乗期間】(国内線)1月6日~3月19日、(国際線)1月6日~5月31日大阪(関西)-ソウル(仁川) 3,280円~ 大阪(関西)-釜山 2,280円~ *********************************************************なお、詳細はPeach HPで見られます。釜山1泊ツアー計画など見て、計画してみるか。
2016.07.06
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<図書館予約の軌跡51>『朝日デジタルの書評から』フォームや『読みたい本』フォームを作っているのだが、これを市図書館の予約に利用しようと、思い立ったのです。これまでの予約内容と予約候補は以下のとおりです。<予約中>・長いお別れ(11/23予約済み、副本24)・中国と日本(1/06予約済み、副本0、予約9)・新「ニッポン社会」入門(4/25予約済み、副本2、予約47)・バラカ(5/01予約済み、副本16、予約302)・ダーリンは70歳(5/11予約済み、副本3、予約108)・謎のアジア納豆(6/11予約済み、副本2、予約21)・事件の地平線 (7/05予約済み、副本0、予約0)・漁港の肉子ちゃん (7/07予約済み、副本22、予約101)・介護民俗学へようこそ!(7/09予約済み、副本2、予約1)<カートで待機中>・みんな彗星を見ていた・櫻画報大全・隆慶一郎著『吉原御免状』・又吉直樹著『夜を乗り越える』・栽培植物と農耕の起源・勝者なき戦争 世界戦争の二〇〇年<予約候補>・N・ネフスキー著『月と不死』・フィールドサイエンティスト 地域環境学という発想・禁じられた歌(田)・福沢諭吉の朝鮮・原色 木材加工面がわかる樹種事典・ペルシア王は「天ぷら」がお好き?<予約分受取:6/5以降>・小泉武夫『漬け物大全』(5/26予約、6/5受取)・南シナ海(3/01予約、6/5受取)・フォトアーカイブ 昭和の公団住宅(2/26予約、6/15受取)・世界の辺境とハードボイルド室町時代(3/28予約、6/16受取)・限界費用ゼロ社会(1/28予約、6/17受取)・かくれた次元(6/14予約、6/18受取)・江戸日本の転換点(1/06予約、7/06受取)・文体の科学(3/14予約、11/28再予約、7/07受取)・夢売るふたり 西川美和の世界(7/04予約、7/08受取)【長いお別れ】中島京子著、文藝春秋、2015年刊<「BOOK」データベース>より帰り道は忘れても、難読漢字はすらすらわかる。妻の名前を言えなくても、顔を見れば、安心しきった顔をするー。認知症の父と家族のあたたかくて、切ない十年の日々。<読む前の大使寸評>大使の父も、晩年の数年はボケていたが…老人とはそういうものだと思っていたわけです。ときどき父の思い出が出てくる、今日この頃である。<図書館予約:(11/23予約済み、副本24)>rakuten長いお別れ【中国と日本】張承志著、亜紀書房、2015年刊<「BOOK」データベース>より“戦争50年”を経て“平和70年”の今、人はねじれたナショナリズムの波に呑まれ、曲がりくねった道を歩く。かつての過ちは記憶の外に消されていき、あとに残るのは「人間」のみ。その人間に必要なはずの道徳は、そして人道はどこへいったのか。中国人作家が歴史・文化・人物・平和憲法をとおして、日中の絆、そして日本を見つめなおす。他者への「敬重」と「惜別」の覚悟をもって語られる日本論。【目次】第1章 はるかなる東ウジュムチン/第2章 三笠公園/第3章 ナガサキ・ノート/第4章 赤軍の娘/第5章 四十七士/第6章 解説・信康/第7章 文学の「惜別」/第8章 「アジア」の主義/第9章 解剖の刃を己に<読む前の大使寸評>過激なナショナリズムを抑える論調は、日中両国の民にとって大切なんでしょうね。<図書館予約:(1/06予約済み、副本0、予約9)>rakuten中国と日本【新「ニッポン社会」入門】コリン・ジョイス著、三賢社、2016年刊<「BOOK」データベース>より10年ぶり、あの快作がパワーアップして帰ってきた。デビュー作『「ニッポン社会」入門』で、日本社会の本質を鮮やかに描き出したコリン・ジョイスが、再びその真相に深く迫る抱腹必至のエッセイ集。今回も、思いもよらないような発見と磨き上げられたユーモアが満載。目からうろこが落ち、へそが茶をわかすー日本論なら、この人におまかせ!<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:(4/25予約済み、副本2、予約47)>rakuten新「ニッポン社会」入門【バラカ】桐野夏生著、集英社、2016年刊<「BOOK」データベース>より震災のため原発4基がすべて爆発した!警戒区域で発見された一人の少女「バラカ」。ありえたかもしれない日本で、世界で蠢く男と女、その愛と憎悪。想像を遙かに超えるスケールで描かれるノンストップ・ダーク・ロマン!<読む前の大使寸評>震災のため原発4基がすべて爆発・・・怒りの作家が描く近未来というべきか。それにしても、図書館の順番待ち302番とは絶望的やな~。<図書館予約:(5/01予約済み、副本16、予約302)>rakutenバラカ【ダーリンは70歳】西原理恵子著、小学館、2016年刊<出版社情報>より素敵に齢をとって生きたいカップルへ! 美容整形界の第一人者で高須クリニック院長である、高須克弥氏・70歳。そしてコミック界の最終兵器、西原理恵子氏・50歳。二人合わせて120歳の熟年バカップル漫画。いくつになっても愛と人生を語り続けます! <読む前の大使寸評>追って記入予定<図書館予約:(5/11予約済み、副本3、予約108)>rakutenダーリンは70歳【謎のアジア納豆】高野秀行著、新潮社、2016年刊<「BOOK」データベース>より山奥のジャングルで出会った衝撃的納豆ご飯。ぱりぱりと割れるせんべい納豆。元・首狩り族の優雅な納豆会席。中国湖南省の納豆入り回鍋肉。そして日本で見つけてしまった「究極の納豆」。本気度1000パーセントのノンフィクション大作。壮大すぎる“納豆をめぐる冒険”<読む前の大使寸評>これまで高野さんの本を3冊よんでいるが、どれも面白かった。この新刊も面白いはずである。<図書館予約:(6/11予約済み、副本2、予約21)>rakuten謎のアジア納豆【事件の地平線 】とりみき著、筑摩書房、1998年刊<「MARC」データベース>より世の中おかしいことばかり。ニュースの向こうからギャグを引き出した「事件の地平線」57編と、いつも気になる"あのこと"を描いた「くだんのアレ」10編を収録。ますます冴える事件コミック。<読む前の大使寸評>昨今では、とりみき×ヤマザキマリの組合せがアート系雑誌に頻出していて、気になる存在である。この本に、とりみきの原点がみられるのではないか。<図書館予約:(7/05予約済み、副本0、予約0)>amazon事件の地平線 【漁港の肉子ちゃん】西加奈子著、幻冬舎、2011年刊<「BOOK」データベース>よりみんな、それぞれで生きている。それでいい。圧倒的な肯定を綴る、西加奈子の柔らかで強靱な最新長編。<読む前の大使寸評>この本の表紙はクリムトの絵の摸写であるが、なかなかのもんやでぇ♪・・・・と、大使は加奈子画伯が描く絵にも注目しているのです。<図書館予約:(7/07予約済み、副本22、予約101)>rakuten漁港の肉子ちゃん【介護民俗学へようこそ!】六車由実著、新潮社者、2015年刊<「BOOK」データベース>より ここは、静岡県沼津市のデイサービス施設「すまいるほーむ」。デイルームや入浴介助の場で、ふと語り出される鮮やかな記憶の数々。忘れえぬ思い出の味、意外な戦争体験、昭和の暮らし、切ない恋バナ。多彩な物語が笑いと涙を呼び、認知症の人もスタッフも生き生きとした感情を取り戻していく。 豊饒な物語が問いかける「老いることの価値」とは。人が人として尊重される介護のありかたを切り拓く一冊。<読む前の大使寸評>六車さんの前著『驚きの介護民俗学』も興味深い内容であった。<図書館予約:(7/09予約済み、副本2、予約1)>rakuten介護民俗学へようこそ!【みんな彗星を見ていた】星野博美著、文芸春秋、2015年刊<商品説明>より東と西が出会ったとき、一体何が起きたのか多くの謎が潜む、キリシタンの世紀。長崎からスペインまで、時代を生き抜いた宣教師や信徒の足跡を辿り、新たな視点で伝える。 <読む前の大使寸評>三浦しをんが泣きながら読んだとのこと・・・どんな本なのか?♪<図書館予約:カートで待機>rakutenみんな彗星を見ていた【櫻画報大全】赤瀬川原平著、新潮社、1985年刊<「BOOK」データベース>より古書につきデータなし<読む前の大使寸評>マンガ作家としての赤瀬川さんを、じっくり回顧してみようと思うのです。<図書館予約:(カートで待機)>rakuten櫻画報大全【吉原御免状】隆慶一郎著、新潮社、改版1989年刊<「BOOK」データベース>より宮本武蔵に育てられた青年剣士・松永誠一郎は、師の遺言に従い江戸・吉原に赴く。だが、その地に着くや否や、八方からの夥しい殺気が彼を取り囲んだ。吉原には裏柳生の忍びの群れが跳梁していたのだ。彼らの狙う「神君御免状」とは何か。武蔵はなぜ彼を、この色里へ送ったのか。―吉原成立の秘話、徳川家康武者説をも織り込んで縦横無尽に展開する、大型剣豪作家初の長編小説。<読む前の大使寸評>追って記入<図書館予約:とりあえず、予約カートに入れとこう>rakuten吉原御免状【夜を乗り越える】又吉直樹著、小学館、2016年刊<「BOOK」データベース>より芸人で、芥川賞作家の又吉直樹が、少年期からこれまで読んできた数々の小説を通して、「なぜ本を読むのか」「文学の何がおもしろいのか」「人間とは何か」を考える。また、大ベストセラーとなった芥川賞受賞作『火花』の創作秘話を初公開するとともに、自らの著作についてそれぞれの想いを明かしていく。「負のキャラクター」を演じ続けていた少年が、文学に出会い、助けられ、いかに様々な夜を乗り越え生きてきたかを顧みる、著者初の新書。<読む前の大使寸評>又吉さんの「愛書論の集大成」のような一冊だそうで・・・おおいに興味深いのです。<図書館予約:とりあえず、予約カートに入れとこう>rakuten夜を乗り越える図書館予約の軌跡50図書館情報ネットワーク 蔵書検索システム図書館に対する辛口批評が『図書館利用の達人』に見られます。
2016.07.06
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図書館で『日本滞在日記』という本を手にしたのです。ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。【日本滞在日記】ニコライ・ペトロヴィチ・レザーノフ著、岩波書店、2000年刊<「BOOK」データベース>より 1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせるー半年余りの日本滞在中の日記。 本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味ぶかい数多くの事実に満ちている。<読む前の大使寸評>ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。rakuten日本滞在日記 レザーノフへの指令書を「付録」に見てみましょう。p375~383付録1日本への外交使節団のためのルミャンチェフからレザーノフへの指令書より1.日本に接近したら、危険な場合を除き、決して長崎以外の港には近寄ってはならない。安全な状態で長崎港に入港できるはずである。検使船がやってきて、どこから来たのか、誰からの使いであるかなど質問されることになろう。この時は、将軍への国書を持参した使節が、ロシア帝国の首都からやって来たと答えること。碇泊する場所に案内してもらいたいこと、奉行に到着を知らせてもらいたいこと、そして彼から今後どうすべきか指示をもらいたいと聞くように。2.港のしかるべき施設に案内されないときは、たくさんの部下や通訳を伴った高官が船に乗ってあなたを訪問するだろう。3.日本の役人たちを迎える場所に絨毯を敷き、その上に彼らを座らせること。彼らは必ずあなたに対して、いろいろな質問をしてくるはずである。その時あなたの答えや質疑のようすを一言ももらさず書き留めるように。どこから来たのか、どこの生まれで、どんな国家で、どんな目的を持ち、何を持参してきたかを聞いてくるはずだ。4.この時次のように答えること。ロシア帝国から日本の将軍へ国書と献上品を持参した使節である。航海に必要な物だけを積んである。すべてはあなたに委任され、我が皇帝から日本の将軍閣下への国書と献上品は、しかるべき厳粛な儀式のなかで、将軍と謁見したときに渡す。(中略)18.最も重要な任務は、日本と通商を結ぶことである。このために彼らの習慣と折り合いをつけながらそのための手段を探し出し、道を切り開かなくてはならない。 最近の事件、バタヴィアの東インド会社の崩壊は、あなたに有利になるはずだ。つまり唯一のライバルが消滅し、貿易の自由化の可能性が生まれたことになるからだ。 なおロシア船の長崎入港を許可した詔書(信牌のこと)を今回持参することになるが、この権利を今回の一艘だけにとどまることなく、ほかの多くの船にも適応できるよう交渉すること。 さらに日本人たちに貿易が直接両国にとって多大な利益をもたらすことを説明し、我々のところから、彼らが毛皮商品、象やせいうちなどの骨、魚、皮革製品、羅紗などを得ることができ、我々はこれと交換に彼から米や、銅の延板、絹などを受け取ることになるだろう。 タフな交渉に耐えられるよう、こと細かな指令書になっていますね。割と穏当な指令ではあるが、当時のロシアの外務官僚のレベルがわかる史料ではないでしょうか。・・・若しかして、このあたりの外交交渉の手の内が、国家機密だったのかも知れないが、そんな柔なロシアではないのかも?『日本滞在日記』1『日本滞在日記』2
2016.07.05
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毎年 6月末頃には年末までにらんだ、マラソン申込み計画を固める時期になるのです。…で、H28マラソン申込み予定を取りまとめてみました。・5/22 浜坂ハーフ(申込み済み)・9月13日頃 烏原駅伝(当日エントリー予定)・11月6日 淀川ハーフ(7/2申込み済み)・11月8日頃 六甲アイランド10K(9月申込み予定)・11/30MRI検査、12/8定期診断・12月20日頃 三田ハーフ(9月申込み予定)<新規コース案>・2月中旬 龍馬マラソン(申込み期間:9月~10月中旬)アテネの野口****************************************************************<H27のエントリー実績>〇4/19 志麻ハーフ〇5/24 浜坂ハーフ〇9/13 烏原駅伝〇11/1 淀川ハーフ〇11/8 六甲アイランド10K〇12/20 三田ハーフ ****************************************************************<H26のエントリー実績>〇5/25 浜坂ハーフ〇9/14 烏原駅伝〇11/2 淀川ハーフ・11/23 神戸マラソン(応募3連敗となり、もう応募するのを止めようかな)・11/30 小豆島ハーフマラソン(フェリーに乗り遅れキャンセル)〇12/21 三田ハーフ ****************************************************************<H25のエントリー実績>〇4/14 芦屋ハーフ〇5/26 浜坂ハーフ・定期診断:5月末、8/末、11/末・9/8 烏原駅伝(雨天中止)・9/28 大阪30K(7/7エントリー済み―コース不良で中止)〇11/3淀川ハーフ(6/10エントリー済み)・11/17神戸マラソン(落選)〇11/24瀬戸内ハーフマラソン(7/11エントリー済み、エントリー3500円)・12/15三田ハーフ(9/16エントリー済み、右足受傷で出走キャンセル) ****************************************************************<RUNNET情報・ネット情報、他>福岡マラソン(ワンウェイ・フル)浜坂Mバス・民宿第25回三田国際マスターズマラソンHPなお、通年のマラソン記録については腑抜けの闘病記 収めております。****************************************************************<ローソンでLoppi支払い>全国のLoppi(ロッピー)端末の置いてあるローソンでお支払いいただけます。お支払の際、お客様番号、確認番号が必要です。メモを取るか、画面を印刷してください1.右側のボタン「各種サービスメニュー」を選択2.¥マークの「各種代金・インターネット受付・~」を選択3.各種代金お支払いを選択4.マルチペイメントサービスを選択5.お客様番号 ( XXXXXXXXXXX ) を入力し、次の画面へ進んでください6.確認番号 ( XXXX ) を入力し、次の画面へ進んでください7.表示される内容を確認して、次の画面へ進んでください.1.申込券持って、30分以内にレジにて現金をお支払いください。2.取扱明細兼受領書を必ずお受け取りください。
2016.07.05
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図書館で『日本滞在日記』という本を手にしたのです。ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。【日本滞在日記】ニコライ・ペトロヴィチ・レザーノフ著、岩波書店、2000年刊<「BOOK」データベース>より 1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせるー半年余りの日本滞在中の日記。 本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味ぶかい数多くの事実に満ちている。<読む前の大使寸評>ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。rakuten日本滞在日記 レザーノフと長崎通詞たちのその後を「解説」に見てみましょう。p430~432解説より 日本にとって、レザーノフの長崎来航は、鎖国政策をとっていた幕府が海外に目を向けざるを得なくなった発端となった事件と見なすこともできる。そしてその先鞭をつけたのは、レザーノフと丁々発止とやりあった長崎通詞たちである。 本書は長崎での日露交渉の裏面を知る上で貴重な史料となっているが、もうひとつレザーノフとの交渉の窓口となった長崎通詞たちの素顔が生き生きと描かれている点でも興味深いものがある。 忠実な官吏としてレザーノフに信頼された大通詞石橋左衛門、逆に大胆で野心に満ちた言動で、レザーノフから煙たがれた小通詞本木庄左衛門、常にレザーノフの味方のように立ちふるまう馬場為八郎などは、この日記の影の主人公たちだといっていいだろう。この中で、レザ-ノフ来航に大きな影響を受けた本木庄左衛門と馬場為八郎のふたりがたどるその後の運命は、見事に明暗を分けている。 レザーノフが長崎を出発する日に、通詞目付の名村多吉朗が通訳団を代表して、オランダ船にロシア人を忍び込ませ、長崎に送り込むよう提案したあと「急ぐ必要はありません。そのあとご自身で松前に来て、交渉を始めるのです。この時私たちがいなければ、うまく事は運ばないでしょう。誰にくじがあたるか見ていてください。全員あなたのために働く準備ができています」と予言めいたことを言っている。 この名村の予言はロシア船の来襲という思わぬ事件で実現する。そしてこのくじにあたったのが、馬場為八郎であった。馬場は「蝦夷地御用」として文化4年夏、任命され、いったん江戸に上がったあと、文化5年3月江戸を出発し、松前に入り、ロシア船襲撃の事情調査をする。この襲撃事件の首謀者がレザーノフだと見なした幕府が、場合によっては彼と交渉する局面もあるかもしれないと判断し、レザーノフに信頼されていた馬場をこの役に任命したことは十分に考えられる。結局馬場はレザーノフと会うこともなく、文化6年春長崎に戻る。彼はこのあとまもなく小通詞に任じられている。 馬場が長崎を留守にしていた文化5年8月英国船のフェートン号が長崎港に乱入し、オランダ人を人質にし、食料や貨物を略奪するという事件が起きる。英国船の狼藉を許したことに対して、長崎奉行松平康英はフェートン号が長崎を発った翌日、切腹してその責任をとった。 北からロシアが押し寄せ、南からはイギリスが襲来するという事態を重く見た幕府は、これまで以上に海上警備を強化することはもちろんのこと、オランダ語以外の語学学習の必要性を認め、文化6年2月、長崎通詞たちの中から、本木庄左衛門、末次甚左衛門、馬場為八郎、西吉右衛門、吉雄忠次郎、馬場佐十郎の六人を選び、ロシア語と英語の学習を命じた。 この中で中心的役割を果たしたのが、41歳になった本木庄左衛門であった。彼はこの任を受けた直後大通詞に昇格している。次に大通詞になるのは自分だとレザーノフに言っていた彼の予言に偽りはなかった。そして彼は英語学習の責任者として、指導的な役割を果たし、日本で最初の英語の学習書をつくることになる。wikipediaでニコライ・レザノフを見てみましょう。ニコライ・レザノフより ロシア帝国の外交官。極東及びアメリカ大陸への進出に関わり、ロシアによるアラスカおよびカリフォルニアの植民地化を推進した。 露米会社(ロシア領アメリカ毛皮会社)を設立したほか、クルーゼンシュテルンによるロシア初の世界一周航海(1803年)を後援し、自ら隊長として日本まで同行した。この日本来航(1804年、文化元年)はアダム・ラクスマンに続く第2次遣日使節としてのものである。 露日辞書のほか多くの著書は、自身も会員だったサンクトペテルブルクのロシア科学アカデミーの図書館に保存されている。彼は40代で死んだが、その早い死はロシアおよびアメリカ大陸の運命に大きな影響を与えた。・・・・若くして病死したが、学究的で、やや荒っぽくて波乱万丈の人生だったようですね。『日本滞在日記』1
2016.07.04
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図書館で『老人力自慢』という本を手にしたのです。おお 赤瀬川さんの老人力やないけ♪これまで赤瀬川さんの「老人力」を多々読んできたけど、この本には「老人力」発祥のエピソードが載っていて、興味深いのです。【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。<読む前の大使寸評>これまで赤瀬川さんの「老人力」を多々読んできたけど、この本には「老人力」発祥のエピソードが載っていて、興味深いのです。rakuten老人力自慢 老人力という言葉の発祥のあたりを見てみましょう。p23~27頭のバブル崩壊より 老人力という言葉がはじめて活字化されたのは、3年前の本紙(東京新聞)のこの蘭だった。何かエッセイを、と依頼されて、そのとき仲間の間で面白くやりとりされていた「老人力」という新しい言葉をめぐる話を書いたのである。 仲間というのは路上観察学会のことで、みんなでベトナムまで遠征して路上観察した合宿で、老人力という言葉が出てきた。言いだしっぺは藤森昭信、南伸坊のご両人。歳とってボケてきたのを、 「老人力がついた」 といって面白がるのは、まあ仲間うちの冗談だと思っていたが、先述のエッセイの中で書いたら、妙に反応があった。うちわで理解し合う言葉のはずが、ほかの人たちにも、要するにウケるのである。そこで月刊「ちくま」で連載がはじまり、それにつづいてすぐさま月刊「一冊の本」でも連載対談となり、それが1年ちょっとつづいてからそれぞれ本にまとめられて出ると、そこでまたどーんと反応が広がってしまった。 この流れが面白い。ちょっとした一つの造語が、新聞、雑誌、本、と別の層のメディアに顔を出すごとに反応が広がり、最後の本でどーんとなった。 本というのは事件だとつくづく思った。それまで連載しているんだから、もう世の中には公開されているのに、それが一冊の本という形になって出たところで、本気で広がっていく。 とにかく電話がかかり、インタビュウがあり、原稿、対談、講演、あれこれ。 芥川賞をもらったときも電話やら何やら大変だったが、何だかそれ以上だ。電話を取ると、「実は老人力のことで・・・」というわけで、何だか老人賞でももらったみたいだ。ぼくなんか老人といってもまだ還暦を過ぎたばかりだから、老人新人賞か。 八重洲ブックセンターで『老人力』(筑摩書房)と『老人力のふしぎ』(朝日新聞社)のサイン会をしたんだけど、館内アナウンスがマジメな声で、「ただいま一階入口コーナーにおいて、老人力の著者によるサイン会が・・・」 という具合に放送されて、うわァ、いいのかな、と思った。いいも悪いも、もう行列ができてサインをしているのだけど、こんな冗談を世の中がマジメにやっていいのか、という感じである。アナウンスというのは公共的性質のものだから、声は当然マジメ調になる。その声で「老人力」といわれてしまうと、こちらとしてはどうしても内心クスクスッとなるのだ。面映いというか。 もちろん老人力という考えは冗談ではあるけど、中にマジメが含まれている。だけどそのマジメだけを取り出してしまうと、そのマジメさが浮いてしまって、クスクス、となるのだろう。 この関係が面白いところで、難しいところでもある。 だいたい面白いものというのは、難しいものなのだ。 このマジメと冗談の関係というのは、やはり路上観察以来のものである。(中略) いろんな言い方ができるが、たとえばバブル崩壊の目からウロコがあるんじゃないかと思う。バブルといっても頭のバブル。この世の中はいわゆる西洋合理主義というか、論理的考えで発展してきたんだけど、頭の考えだけのバブルがふくらんでしまって、とうとう崩壊という事態に、感覚とか本能とか、とにかく体から発する好き嫌いの感情が久しぶりにちょっと動いた、ということじゃないかと思う。 何しろ老人力というのは、生産社会にはあまりタメにならない力なのだ。もの忘れとか、いいかげんとか、優柔不断とか、そういうことに含まれている味わいのことで、生産社会からすれば、それがどうした、それがナンボのもんじゃ、ということになる。 でも人間というものはただ生産の道具として生きているんじゃなくて、生きていくために道具となって働く。そもそもは生きていく楽しみの方が本来のことで、そこではむしろタメにならない力が活躍する。そういう力の一つが老人力といえるものじゃないのかな。(「東京新聞」1998.11.21)ウーム タメにならない力なんかも提唱しているが・・・・なんか、頭のなかのコリが取れるような気がするわけでおます♪さらに、老人力の奥義について見てみましょう。p32~33老人力とは何か?より まあ、この老人力っていうのは言い訳みたいなもんでしてね(笑)。物忘れが激しくなってくるのをいいくるめたり、ボケてくるのを面白がろうということです。 先日、南伸坊君と話してて思ったんですが、彼なんかは僕より十歳若いので、物忘れを認めるのにまだ遠慮があるわけ。例えば、人に会ったとき、前に会ったことがある人物だっていうのは覚えているんだけど、どういう関係のどういう人だったか、わからないってことがありますね。南君に「もう、どなたでしたっけって訊けるでしょう」って言うと、「まだ、ちょっと早い」って。 僕ぐらいになると、忘れてむしろ気持ちよくなるっていいますか、せいせいするというか。いずれ人生終わるわけですから、それまでいかに充足するか、楽しく生きていくかっていうのが大事ですからね。 どうしても、日本人って馬鹿正直で、仕事のために一生懸命っていう傾向が特に強い民族だと思うんです。現役の時代は、まあできるだけ全部覚えて、充分情報つかんで、役に立つことせっせとやってるんだけど、現役から離れちゃうと、そんなに覚えててもどうってことないわけです。限られた人生で、何を一番やりたいかということを考えるようになる。 自分にとって一番充足するのは、役立つというよりも、自分が楽しいと感じられることでしょう。老人力がつくというのは、そっちが中心になっていくということなんです。なかなか含蓄がありまんな♪この本の後で発刊された『老人力のふしぎ』という文庫本を、我が蔵書録より紹介します。【老人力のふしぎ】赤瀬川原平著、朝日新聞社、2001年刊<「BOOK」データベースより>ただボケるからばりばりボケるへ。マイナス志向を逆手に取り、暗く不安な高齢化社会に一筋の光を投げかけた「老人力」。その開祖である著者が長嶋茂雄、東海林さだお、ねじめ正一氏ら豪華ゲストと巧妙洒脱、抱腹絶倒の話芸を繰り広げる。隠された老人力の魅力に迫る爆笑対談集。 <大使寸評>2001年に購入し、長らく積読状態であったが・・・今や大使もロボジー状態となり、やっと出番が回ってきたようです♪Amazon老人力のふしぎ
2016.07.04
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<『日本滞在日記』>図書館で『日本滞在日記』という本を手にしたのです。ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。【日本滞在日記】ニコライ・ペトロヴィチ・レザーノフ著、岩波書店、2000年刊<「BOOK」データベース>より 1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせるー半年余りの日本滞在中の日記。 本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味ぶかい数多くの事実に満ちている。<読む前の大使寸評>ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。rakuten日本滞在日記 長崎へのファースト・コンタクトのあたりを見てみましょう。p43~48長崎来航より九月二十六日 十時、大きな船が近づいて来るのが見えた。奉行が乗っているといわれたので、船が到着するまでに、おおいそぎで着替えをすませた。しかしこれに乗っていたのは、二人の役人、ひとりの検使とその副官であった(手付行方覚左衛門と菊沢左兵衛)。 彼らはたくさんの通訳たちと一緒に艦に乗り込んできた。船室に入るよう促すと、ずいぶんともったいをつけて、部屋に入ってきた。彼らの周りには紙のランプ(提灯)が置かれていた。私が指示した場所に着いたあと、通訳を通じてオランダ語で、来航の目的、私の官位、乗組員の数、衛兵の数、これが蒸気船なのかどうか、その他細かいことを尋ねてきた。 これに対して、私が隣国ロシア帝国から天神公方(将軍のこと)の元に派遣された使節であり、我が皇帝が、貴国の陛下と友好関係を結ぶことを喜ばしく思っていることを証明するため、ロシア領の海岸で救出された貴国の臣下たちを返還しに来航し、さらに隣接する偉大な両国間に、永遠の友好関係を結ぶための公式手続きをし、互いの利益のため通商関係を確立することを私に委任したのだと、答えた。 さらに貴国の陛下に対する献上品以外は一切商品を持ってきていないこと、船が戦艦であること、そして上官と乗組員の数を告げた。 役人たちは漂流民たちを呼び、彼らのリストを作成し、さまざまな質問をして、その答えを書き留めた。 そのあと彼らは、オランダ人をここに連れてきてもいいか尋ねてきた。彼らを受け入れることにした。1時間後オランダ人たちが番船(海上警備船)から招き寄せられた。この番船は役人たちが乗っていたもので、ここでオランダ人たちは待っていなければならなかった。そして通訳の責任者(大通詞石橋助左衛門)が彼らのもとに行って、呼び出さないうちは、中に入ることができなかったのだ。 やっと私たちは長崎商館長ドゥーフと彼の秘書たち、ムスケチーフという船長と会うことができた。私たちのところに入ってきて、挨拶の言葉を交わそうとした時に、突然通訳の責任者が、ドゥーフに儀礼の詞を大声で伝えた。通訳は膝をつき、お辞儀をした。オランダ人たちも同じことをしなければならなかった。 検使の前で彼らは腰を曲げ、手を膝にあてながら、首を横向きにし、通訳の長い演説が終わったかどうか、そしていつ立ち上がることを許してくれるかどうかをじっと見守っていた。役人たちと話す時はいつも同じことがくり返された。オランダ人たちは、こうした自分たちの卑下した態度を私たちに見られてしまったことをひどく恥ずかしがっていた。 私は役人たちの反対側に置かれた椅子に座り、衛兵たちはうしろに立っていた。商館長に座るように言い、挨拶を交わし、彼らの生活ぶりについて尋ねた。彼の話では、オランダ人は出島に閉じ込められ、なんの説明もなく厳しい監視下におかれ、外国船が来たときだけは、いつも呼び出されるということだ。 奉行たちは、2百年以上日本に忠義を尽くしている国家として、オランダ人たちの助言なしにはなにも出来ない、他の国の船はいつもはるか遠く碇泊させられているのに、私たちは非常に近いところに投錨させられていると語った。 彼から昨年二艘の船が来航したことを知らされた(1803年7月)。1艘は、イギリスの、そしてもう一艘はアメリカのものだったが、この時オランダ人たちはたいへんな苦労を強いられたという。艦長のスチュワルトはかつてバタヴィアの会社に勤めたことがあり、日本にも滞在したことがあった。彼はイギリスの東インド会社に冒険することをそそのかっし、英国旗を掲げた一艘の船に乗ってカルカッタから来航した。 彼は、失敗した場合のことを考えて、彼の出発後、少し経ってからこんどは米国旗を掲げたもう一艘を派遣するように命じていた。バタヴィア政庁はその時イギリスと友好関係にあったので、ドゥーフはなんとか保護しようと努力したのだが、3日後には日本の領海からイギリス船は追い出されてしまった。結局はアメリカ船も同じ目に遇ったという。このことから彼は、日本人がどんな国にも来航を許さないことを納得させようとした。彼は私たちが、通商許可書(信牌のこと)をもらえたことに驚いていた。 彼の話ぶりから、私たちの来訪を快く思っていないような感じがした。こんな辺境の地で仲間たちは資金援助を受けているのか質問した。これに対しては、自分たちはとてもひどい状況にあり、だれも援助をしてくれないと答えた。ロシアの全権大使に与えた厚遇に対して、オランダ人のひがみ、あるいは悲哀が見えるようで・・・・オランダ人も辛いぜ。やっと、上陸許可がおりたようです。p150~154梅ケ崎上陸より十二月五日 朝7時、入江全体がさまざまな色の幟や紋章をつけた船に囲まれた。入江の両側にある要塞の上でも兵士たちが動きまわっていた。要塞には肥前の紋章がついた派手な幟が沢山ぶら下がっていた。兵士たちが乗る番船は、ほとんど町から来たものだった。船で太鼓が鳴り響いた。そして7時ふたりの検使(行方覚左衛門と清水藤十郎)と、たくさんの通訳たちと役人たちを乗せた船が近づいてきた。少し離れたところに碇泊し、自分たちの到着を告げた。 艦に来るように命じた。彼らは8時に艦にやって来た。奉行からの挨拶と、上陸に同意したことに礼を述べたあと、私の部下を屋敷の下見のために派遣してはどうかと提案してきた。さらに家具やその他のものを運ぶために数艘の荷船が用意されており、そこでは昼食も食べることができるし、食料も用意されていると知らせた。これに対して礼を述べ、「そんなに急ぐ必要がないと思うので食事は自分の船でとります」と答えた。 フォッセとフリードリッヒ少佐、ロムベルグ中尉、医師のラングスドルフが私たちのボートに乗り、屋敷の下見に赴いた。 彼らは戻ってきて、屋敷がたいへん静かで綺麗に片付けられていると報告した。奉行に礼を言うように命じ、昼食をとったのちすぐに出発するので、船が一艘欲しい旨を告げた。さらに出発の準備をするので、休憩したいと検使に申し出た。彼らはお辞儀をして、後甲板に引きさがり、十時からそこでずっと待つことになった。昼食を終え、午後1時半出発すると彼らに告げた。 大きな船が我らの艦に向かって曳航されはじめた。 湾全体が、兵士たちや私たちの出発を見物するためにやってきた長崎の住人たちを乗せた船で一杯になっていた。 船はふたつのデッキがついた肥前のものだった。船の下見と、椅子とテーブルを並べるために部下を送った。テーブルに国書が入った小箱を置くため、羅紗を敷くように命じた。 作業がすべて完了したあと、後甲板に向かう。儀杖兵が行進を始めた。 ふたりの検使に船のお礼をするよう奉行に伝えてもらいたいと言った。我々の艦に、日本の役人たちが乗り込み、艦からタラップが日本の船に下ろされた。(中略) 艦から離れるとまもなく、マストの支索に水兵たちが立ち、三度「ウラー」と叫んだ。私は儀杖兵に日本船からも三度叫ぶように命じた。その後また艦の方から私に向かって三度「ウラー」の声がかえってきた。航行中ずっと鼓士が行進曲を演奏した。岸辺には旗や槍を持った兵士たちが二列に並んでいた。日本滞在が長くなると、貿易や民俗などいろんな情報が得られたようです。p277~281警固兵たちとの交流より三月十五日 為八郎との話の中で、塩二千袋、米をある量購入できるかと尋ねたところ、彼は、それは問題ないし、これについては彼が手配できると確約した。 さらにオランダ人たちが、銅と楠をたくさん持ち出しているのか尋ねた。これに対する彼の答えは、次のようなものだった。 去年は銅を八千貫、楠は一万二千斤持ち出している。銅はここでは一斤が2.5マスで売られている。しかしオランダ人たちは、古い協約によってかなり廉価で購入している。奉行は商人たちに対して、国庫から足らない分を支払っている。 鉄についての私の質問に対し、彼はここにはたくさん良質なものがあり、1斤は1マスするが、かなり高いと答えた。 私はさらに質問を続けた。 「紙や絹の織物を入手することができますか?」 「おそらく、そんな難しいことではないでしょう」と彼は答えた。 魚膠(宝石の接着剤)を持ってくるのはどうかと持ちかけると、日本でもたくさん作られているという返事がかえってきた。オランダとの貿易の品目について尋ねると、為八郎によるとオランダ人が持ってくる品物は次のようなものだった。 羅紗、更紗、単色の絵模様をプリントした更紗、モロッコ革、釘、乾燥チョウジのツボミ、ニクズク、ナツメグ、砂糖、さまざまな毛織物、鉛、錫、水銀、ガラス食器、シャンデリア、辰砂、山蝋、石臼、ツチハンミョウ、中国の根、アンモニア水、ビャクダン、インジゴ(インド藍)、ラザリ、胡椒、時計などだが、他にもたくさんの品物がある。その中には鉄もあったという。 オランダ人は3年間にわたって鉄を持ってきたが、品質が悪く、日本人たちに合わなかったため、いまでも使われないまま放置されているとのことだ。 白銅について、オランダ人たちがこれを持っていくかどうか尋ねてみたが、そんなことはないという。 赤か青の染料の見本を手に入れてもらえないか頼んでみた。なぜならば彼から、日本にはインド藍にも負けない青色の染料があると聞いていたからだ。 モロッコ革について、去年オランダ人がそれを6千持ってきたというのは本当かどうか聞いてみたが、それは正しくなく、3千だけであり、しかもこのモロッコ革はたいへん粗悪なものだという。モロッコ革を供給することはそう簡単なことではなさそうだ。 「明日中国のジャンク船がここに来ます」と彼は言った。 「何を積んでくるのか」 「乾鮑です。これは貝の一種です。それと乾魚、ナマコ、コンブか、海草類です」 紀伊の国と駿河で、良質の銅が採掘されるというのは本当かと聞いた。 「良質なものがとれます。しかしその他にも、北国の方で、仙台から松前の間にある出羽と加賀でも大きな鉱山が発見され、そこからも良質な鉄を手に入れています」 もし私たちが必要になり、彼がほんとうに協力してくれるのなら、特別な褒美を与えることを約束した。彼は、大名が到着したらずっと私のそばにいたいと思っていますと答えた。 残りの時間は警固兵たちと過ごした。おかげで自分の辞書の語彙を増やすことができた。できるかぎり風俗や習慣、統治形態などについて質問してみた。 ウーム 良質な情報と協力者を探すのは、悪く言えばスパイのような行為かも知れないわけで・・・レザーノフは、ある意味優秀なインテリジェンスなんでしょうね。
2016.07.03
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図書館で『ありきたりの痛み』という本を手にしたのです。おお 直木賞作家の東山彰良の本やないけ♪台湾国籍を持つ東山彰良は9歳のときに来日したそうで、現在は大学で中国語を教えているそうです。・・・その経歴に、まず惹かれるものがあります。【ありきたりの痛み】東山彰良著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本と台湾を行き来して過ごした子ども時代。偏愛する作家と音楽、そしてテキーラ。毎週連載した映画コラム。直木賞受賞からパーティーまでの、狂騒の一ヶ月ー新・直木賞作家初のエッセイ集。<読む前の大使寸評>『ラブコメの法則』という小説の読破には断念したのだが、このエッセイ集はとっつきやすいのではなかろうかと思うのです。rakutenありきたりの痛み この本は、主に東山さんの映画評を集めた構成になっているのだが・・・ここで、その映画評の一つを見てみましょう。p104~105『海角七号 君想う、国境の南』より 明けまして、おめでとうございます。 この時期、いつもどこか暖かいところへ逃げたくなる。といっても、俺の場合、台湾くらいしか行くところなんてないのだけれど。もう1年半くらい帰ってない。子供のころは祖父母に会いたくて帰っていたのだが、祖父母が他界してからは、もっぱら食い物のためだけに帰っている。 朝は熱々の豆漿(豆乳)と油條(細長い揚げパン)、昼は小南門で牛肉麺、もしくは永康街で小籠包、おやつには公館で豆花(にがりを入れずに作った豆腐のスウィーツ)を食い、夜は士林や華西街の屋台で一杯ひっかける。人間、魂がしっくりくる場所というのがあるのだ。 この映画は台湾最南端の小さな街、恒春が舞台だ。台北でミュージシャンになる夢に破れ、故郷の町で郵便配達をしている阿嘉は、郵便物のなかにいまはもう存在しない住所に宛てた手紙を見つけてしまう。それは日本統治時代に海角七号と呼ばれていた場所。宛名は小島和子。物語は阿嘉が町興しのために結成したバンドの奮戦記と、過去からとどくこの謎めいた手紙にこめられたある日本人の想いが錯綜して進む。 この作品は福岡では試写がなかった。一昨年の秋に台湾に帰ったとき、叔母に強烈に薦められて観に出かけた映画だ。その時点で公開二ヶ月が過ぎていた。おまけに俺が観たのはレイトショー。なのに、超満員だった。しかも、びっくりするくらい年齢層の幅が広かったのを憶えている。 フライドチキンの匂いと人いきれのなかで、俺たちは一丸となってスクリーンに映し出される物語に大笑いし、ホロリとさせられた。 残念なことがあるとすれば、それは俺が台湾語がぜんぜんわからないこと。この映画の最大の面白さであるファンキーな台湾語のやりとりを、字幕にたよらなくてはならなかった。爆笑しているまわりの年寄りたちを見るにつけても、この映画のセリフ運びは彼らの魂にしっくりきているのだろうなぁと思い、ちょっぴり嫉妬を覚えた夜だった。もう1本、『ディア・ドクター』について見てみましょう。p86~87『ディア・ドクター』より 伯父が死んだ。肺がダメになり、自力で呼吸することができなくなった。若いときは船乗りで、唾の吐き方がなんともかっこよく、俺もよく真似をしてそこらじゅうにペッペッと吐いたものだ。人工呼吸器をつけることになると医者に告げられたとき、伯父はカラッと言ってのけたそうだ。もう十分に生きたから治療は結構。だけど家族としては、手をつくせば延命できるかもしれないのに、みすみす死なせるわけにはいかない。が、伯父は初志を貫徹した。家族の顔を立てるためにちょろっと入院はしたけれど、とっとと退院し、さっさと人生から手を引いてしまったのだ。そんな伯父を俺は誇りに思うが、最後には伯父の願いを聞き入れた義理の伯母のことはもっと誇りに思う。 この作品はそういうことを言っているのかもしれない。山間の小さな村の医師、伊野(笑福亭鶴瓶)が突然失踪した。伊野はその骨身を惜しまない献身ぶりで尊敬を集めていただけに、村人の動揺は大きい。なにより、彼はその村落のただひとりの医者なのだ。伊野の失踪を追う刑事たちの足跡を縦糸とし、失踪の二ヶ月前に研修医として赴任してきた相馬(瑛太)と伊野の触れあいを横糸にして物語りは進む。都会的な若い相馬が医療に対する伊野の姿勢に心を動かされ、次第に医師としての在り方に目覚めていく一方、現在進行形で伊野の秘密が暴かれていく。 この作品は、一方で不治の病に冒されたときに死を選択することのむずかしさを、他方では倫理なんかを超越した個人的な善、言いかえれば当事者だけにしかわからない善を描いている。いちばん大切なことはなんなのか?あなたのその決断はもしかしたら病に冒された者のためなんかじゃなく、自分が楽になるためなんじゃないのか?そんなことを静かに問いかけてくる。 それにしても、社会としては到底容認できない事態に直面したとき、問答無用で味方になってくれる人がいるというのはなんと心強いことだろう。死ぬときくらい自分として死にたいものだ。東山さんの映画評を見てすぐに、イラチな大使は大学図書館に向かい、この映画をDVDで観たのです♪【ディア・ドクター】西川美和監督、2000年制作、2016.7.02観賞<Movie Walker作品情報>より「ゆれる」の西川美和によるミステリアスな人間ドラマ。山あいの村で、人々から慕われていた医師の失踪の原因とは? 数々の作品で独特な存在感を示してきた笑福亭鶴瓶が映画初主演。<大使寸評>失踪の原因については、ネタばれになるので明かしません。皆さんも知らないままで観ることをお奨めします。鶴瓶を主演に据えた監督の英断がええでぇ♪movie.walkerディア・ドクター『ありきたりの痛み』1『ラブコメの法則』
2016.07.03
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神戸の図書館で『ありきたりの痛み』という本を手にしたのです。おお 直木賞作家の東山彰良の本やないけ♪台湾国籍を持つ東山彰良は9歳のときに来日したそうで、現在は大学で中国語を教えているそうです。・・・その経歴に、まず惹かれるものがあります。【ありきたりの痛み】東山彰良著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本と台湾を行き来して過ごした子ども時代。偏愛する作家と音楽、そしてテキーラ。毎週連載した映画コラム。直木賞受賞からパーティーまでの、狂騒の一ヶ月ー新・直木賞作家初のエッセイ集。<読む前の大使寸評>『ラブコメの法則』という小説の読破には断念したのだが、このエッセイ集はとっつきやすいのではなかろうかと思うのです。rakutenありきたりの痛み 直木賞受賞により、台湾ではたいへんな盛り上がりだそうです。そのあたりを見てみましょう。p213~214ロッキーによろしくより わたしは国籍を台湾に残したままなのだが、祖国ではたいへんな盛り上がりをみせていると聞く。 連日連夜、台湾にいる親戚や友人からのメッセージがとどく。彼らは雑誌やニュースの映像を携帯で撮って送りつけてくる。まだ翻訳もされていないのに、書店に問い合わせが殺到している。嘉義市に住む82歳の翁が、わたしが教えに行っている大学気付けで手紙を送ってきてくださった。達筆すぎてわたしには判読不能だったのだが、どうやら本を送ってほしいようだ。わたしはこの手紙を母に見せ、もし本当に翁が本を所望しているのなら、ちゃんと送って差し上げようと思っている。 取材やエッセイの依頼も引きも切らない。日本育ちのわたしは、中国語での日常会話には不自由しないが、文章を書く能力はない。ろくすっぽ読めもしないのだ。しかし台湾の出版社はひるまない。ライターを福岡に送りこんで口述筆記させるという。 それならばと心が傾きかけたのだが、お礼の言葉とともにそれでは1週間ほどお付合いくださいと返事がきた。どんだけ長いエッセイを書かせるつもりだったんだ! わたしはすごすごと前言を撤回し、丁重におことわりしたのだった。アメリカに移住した従姉たちからも、20数年ぶりに電話がかかってきた。海外で活躍する同胞のニュースというのは、どんなときだってもてはやされるのだ。 ところで、台湾の芸能界は香港や中国大陸と密接につながっている。台湾は市場規模が小さいので、商機を見出すためにどうしてもそうなってしまう。わたしの友人がキーボードを弾いている「ウーバイ&CHINA BLUE」というロックバンドも、しょっちゅう中国で興行を打っている。実際、今度のことでわたしは香港の雑誌社からも電話取材を受けた。 華人ネットワークの広さは、とにかくわたしの想像をはるかに超えている。だから、かなりの確信を持って言うのだが、ジャッキー・チェンやアンディ・ラウやトニー・レオンはすでにわたしのことを小耳にはさんでいるにちがいない。そうだろ、ジャッキー? あんたが本を読む人間なら、アンディ、そのうちいやでもおれの名を知ることになるぜ。おい、トニー、おれの連絡先は講談社にでも訊いてくれよ。 新しい扉がどんどん開いてゆく感覚だ。 とくにテレビの世界は驚きの連続だった。まだ数回出していただいただけなのだが、わたしの名前が貼られた楽屋にも、顔のシミを隠してくれるメイクさんにも、業界人っぽい人たちの押し出しの強さにも、楽屋にある弁当にもいちいち感動せずにはいられなかった。直木賞受賞のあたりを見てみましょう。小説を書いてみたい大使にとって、非常に参考になるのです♪p208~210ロッキーによろしくより このたび拙著『流』が第153回直木賞を頂戴することと相成ったわけだが、いまだにこのような事態に立ち至ったのか、しかとわからずにいる。しかし、ふりかえってみると、このわたしだって当時のスタローンに負けず劣らず牌がそろっていたのではないかという気がしないでもない。 夢を掴み取るために、わたしは20年以上の長きにわたって大学で非常勤講師をしてきた。わかっている。みなまで言うな。大学で教鞭を執ることとカメラの前で裸になって腰をふることとはまったく次元が異なる。それでもわたしは、主観的にはそれくらいの覚悟を持って夢を追い続けてきたつもりだ。欺瞞? ふん、おまえになにがわかる! わたしの場合、2年前に上梓した『ブラックライダー』という本が運命に小さな風穴を開けてくれた。この作品は「このミステリーがすごい!2014年版」の第3位に選出され、わたしの名は好事家のあいだで多少なりとも知られるようになった。 このすぐあとに『流』の執筆にとりかかったのは、いまにして思えば神様のお声が聞こえたおかげだと言えなくもない。いや、もちろんこれは比喩なのだが、しかし比喩だからこそなにを言ったっていいわけで、わたしはたしかに神の声を聞いたような気がする。 スタローンが『ロッキー』に取り憑かれていたように、わたしだって『流』に取り憑かれてずんずん書き進めた。運命に開いた針の先ほどの風穴を、この作品でビリビリに引き裂いてやったのだ。 そして2014年8月、ついに弱肉強食の大組織(講談社)に初稿を読んでもらったのだった。わたしは組織相手に一歩も退かなかった。担当編集者に指摘された4ヶ所の訂正を、わたしは毅然とした態度で突っぱねた。もしもわたしがオーウェルの『1984年』の主人公だったなら、あの憎たらしいビッグ・ブラザーだってただじゃすまなかっただろう。わたしは組織相手に敢然と闘った。指摘された4ヶ所のうち、すくなくとも1ヶ所だけは死守してやった。 まだあるぞ。『流』の主人公・葉秋生の人生とわたしのそれもまた天衣無縫にシンクロしている。え? 葉秋生はおまえの父親がモデルだろだって? なに言ってやがんでい、葉秋生はたしかに父がモデルだが、それを創り出したのはわたしなのだから、わたしの人生だって多少なりともキャラクターに反映されているはずじゃないか。 そ、そろっている・・・・恐ろしいほど成功の条件がそろってる。まるでスタローンが駆け上がった栄光への階段をのぼっているかのようだ。 受賞決定の一報を受けたあとは、怒涛の忙しさであった。 応援してくださった書店さんへのご挨拶、テレビやラジオ番組の出演、取材に次ぐ取材、対談に次ぐ対談、サイン会、トイレ掃除などなど、息つく暇もないほどだ。 とくに印象深い出来事もあった。 前述したが、わたしはいわゆる専業作家ではない。書いても書いても暮らし向きはちっとも楽にならず、ぢっと手を見つめて早や15年、大学で中国語を教えて糊口を凌いできた。貧乏暇なしの非常勤講師なので、福岡市内のいくつかの大学を日替わりで回っている。一日に二校回ることもある。若いころは夜学のクラスも持っていた。女子学生からストーカーされるという恐ろしい経験もしたことがあるが、それはまた別の話である。ウーム 嬉しい悲鳴が聞えるようですね。乱造気味ではあるが・・・芥川賞、直木賞の威力はすごいで♪『ラブコメの法則』
2016.07.02
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帰省先の図書館で『ラブコメの法則』という本を手にしたのです。おお 直木賞作家の東山彰良の本やないけ♪台湾国籍を持つ東山彰良は9歳のときに来日したそうで、現在は大学で中国語を教えているそうです。・・・その経歴に、まず惹かれるものがあります。【ラブコメの法則】東山彰良著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より映画評論家のわたしは、なぜかモテない。周りの女性たちが美人すぎるせいか!?はたまた、彼女たちのアドバイスが豪快すぎるせいか!?(断じてわたしのせいではない)今度の恋も障害だらけ。カノジョの息子、小学生の聡がストーカーになったり、突然現れたカノジョの“元”夫は少年院あがりだったり!鳴呼、奇跡が起こるのは映画のなかばかり。でも、この恋はなんとしても満願成就させるのだ!プロットはハリウッド、舞台は博多の抱腹絶倒ラブコメ!<読む前の大使寸評>抱腹絶倒ラブコメ!とのことで、面白そうであるが・・・この時期、小説を読破する気力がないわけでおます。rakutenラブコメの法則 この本の冒頭は、連続エッセイ集のようなスタイルを装っているのだが、読み進めると小説が始まっているわけで・・・そのあたりを見てみましょう。p9~121男女の出会いは唐突であればあるほどよく、第一印象は悪ければ悪いほどよいより 客足が引いていく試写室で、わたしはいつものようにスマホを使って作品の感想をブログにアップする。 最低ランクにかぎりなく近い評価を大胆に書きつけるが、ブログはわたしが大胆にふるまえるほとんど唯一の場所だ。(中略) わたしのブログには読者からの叱咤激励だけでなく、脅迫や詐欺や出会い系サイトからのいかがわしいメールもとどく。わたしがべた褒めした作品がつまらなかった、てめえ、金かえせ、という恨み節はこの仕事の宿アだとあきらめているが、しかし熱烈なる読者諸氏は、1年間にいったいどれだけの映画がつくられているかご存知だろうか?ハリウッドだけで訳600本、インドではその倍の千二百本、邦画はちょっと下がって400本前後だ。これ以外に、もちろん中国や香港やヨーロッパやほかの国々の作品も加わる。 この膨大な数の映画を、さながらメキシコの麻薬カルテルがヘロインをばらまくように、配給会社がばらまいている。メキシコの麻薬カルテルと日本の映画配給会社の最大の類似点は、ごくわずかな良作に大量の駄作を混ぜて売りさばいていることである。なけなしの金と時間を使うに値する映画を見極めるのは、ピュアなヘロインを見極めるくらいむずかしい。 そこで、わたしのような評論家の登場と相成る。 公平無私、虚心坦懐かつ大胆不敵に豪筆をふるい、隠れたる傑作を広く天下に知らしめ、観たところで屁のつっぱりにもならない駄作を一刀両断に切り伏せ、読者諸氏の財布と人生を守ることこそ己の使命と心得ている。わたしの拙いブログがその一助となるなら、これに勝るよろこびはない。」 だから、つべこべぬかすのはよせ。 わたしの紹介した映画がつまらなかったといって、新聞社に噛んだガムを送りつけるのは金輪際やめてくれ。てゆーか、そんなにわたしの書いたものが気に入らないのなら、おまえが書け。 だけど、あなたには書けない。なぜって、映画評論家はわたしであって、あなたではないからだ。 思ったよりも長く映画にいちゃもんをつけていたようで、わたしのほかには、受付に宣伝会社の女性をひとり残すばかりとなった。 うんざりせずにはいられない。 なかば媚びた、なかばおびえたようなその顔を見るにつけても、花谷環がなにを考えているかが手に取るようにわかる。わたしがぐずぐず居残っているのは、腹に一物ありと見ているのだ。で、わたしがランチの入った紙袋をさげて試写室を出たとたん、案の定、ストーカーに待ち伏せされた女子高生のように身構えるのだった。「あの、先日はごちそうさまでした」うわずった声でそう言って、ぺこりと頭を下げてくる。おっと、このあたりから小説っぽくなるのです。エッセイ集なら飛ばし読みできるが、小説となると、そうはいかん・・・このくそ暑い時期に、小説などを読破する気力が起きないわけでおます。(面白そうな小説なんだけどね)
2016.07.02
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今回借りた5冊です。だいたい支離滅裂に借りているけど、今回の傾向は、強いていえば「東山彰良」でしょうか♪<四万十市立図書館>・何ちゃぁない話・ラブコメの法則<神戸市立図書館>・ありきたりの痛み・老人力自慢<大学図書館>・日本滞在日記図書館で手当たり次第で本を探すのがわりと楽しいが・・・これが、図書館での正しい探し方ではないかと思ったりする(笑)************************************************************【何ちゃぁない話】安倍夜朗著、実業之日本社、2016年刊<商品説明>より「深夜食堂」の作者・安倍夜郎のエッセイに描き下ろし漫画を収録した一冊。デビューのいきさつを語った著者インタビューも収録。<読む前の大使寸評>この本のタイトルに反応するのは、幡多人だけやろな~♪rakuten何ちゃぁない話何ちゃぁない話byドングリ【ラブコメの法則】東山彰良著、集英社、2014年刊<「BOOK」データベース>より映画評論家のわたしは、なぜかモテない。周りの女性たちが美人すぎるせいか!?はたまた、彼女たちのアドバイスが豪快すぎるせいか!?(断じてわたしのせいではない)今度の恋も障害だらけ。カノジョの息子、小学生の聡がストーカーになったり、突然現れたカノジョの“元”夫は少年院あがりだったり!鳴呼、奇跡が起こるのは映画のなかばかり。でも、この恋はなんとしても満願成就させるのだ!プロットはハリウッド、舞台は博多の抱腹絶倒ラブコメ!<読む前の大使寸評>抱腹絶倒ラブコメ!とのことで、面白そうであるが・・・この時期、小説を読破する気力がないわけでおます。rakutenラブコメの法則ラブコメの法則byドングリ【ありきたりの痛み】東山彰良著、文藝春秋、2016年刊<「BOOK」データベース>より日本と台湾を行き来して過ごした子ども時代。偏愛する作家と音楽、そしてテキーラ。毎週連載した映画コラム。直木賞受賞からパーティーまでの、狂騒の一ヶ月ー新・直木賞作家初のエッセイ集。<読む前の大使寸評>『ラブコメの法則』という小説の読破には断念したのだが、このエッセイ集はとっつきやすいのではなかろうかと思うのです。rakutenありきたりの痛みありきたりの痛みbyドングリ【老人力自慢】赤瀬川原平著、筑摩書房、1999年刊<「BOOK」データベース>より本書は、赤瀬川原平著『老人力』に寄せられた読者からの「読書カード」から、面白いものを選びました。その一部の方には、加筆をお願いしました。また「ちくま」1999年3月号に掲載した原稿募集の呼びかけに応じた方たちの原稿からも選択しました。<読む前の大使寸評>これまで赤瀬川さんの「老人力」を多々読んできたけど、この本には「老人力」発祥のエピソードが載っていて、興味深いのです。rakuten老人力自慢老人力自慢byドングリ【日本滞在日記】ニコライ・ペトロヴィチ・レザーノフ著、岩波書店、2000年刊<「BOOK」データベース>より 1804年9月、長い航海の末長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフ。通商を求めて交渉するが、日本側の対応にいらだちを募らせるー半年余りの日本滞在中の日記。 本書は長年出版が禁じられ、1994年に初めて公刊された。開国への胎動のうかがえる日本社会や、日露交流史を考える上で、興味ぶかい数多くの事実に満ちている。<読む前の大使寸評>ロシアの全権大使が見た鎖国時のニッポンが興味を惹くわけだが・・・この本が1994年まで非公開であったこともまた、謎の多いロシアである。rakuten日本滞在日記日本滞在日記byドングリ*************************************************************とまあ・・・・抜き打ちのように、関心の切り口を残しておくことも自分史的には有意義ではないかと思ったわけです。図書館大好き155
2016.07.01
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<『何ちゃぁない話』>図書館で『何ちゃぁない話』という本を手にしたのです。おお タイトルが幡多弁やないけ♪このタイトルの意味やニュアンスがわかる人は、東は高知、西は宇和島くらいのもので、地域限定のディープな方言と言わざるを得ないのです。【何ちゃぁない話】安倍夜朗著、実業之日本社、2016年刊<商品説明>より「深夜食堂」の作者・安倍夜郎のエッセイに描き下ろし漫画を収録した一冊。デビューのいきさつを語った著者インタビューも収録。<読む前の大使寸評>この本のタイトルに反応するのは、幡多人だけやろな~♪rakuten何ちゃぁない話 まず中村の話を見てみましょう。p25~26其の四より 商店街がシャッターを下ろしたままになり、家が空家になり、やがて壊されて駐車場になる。 あるときハッとした。 いつまでもあると思っていたボクが育った中村の町が壊れてゆく。将来描こうと思っている自伝漫画の舞台となるあの町がなくなってしまう・・・。 それ以来、ボクは帰省する度に中村の町を写真に撮るようになった。何の変哲もない余りに日常的で当たり前の風景を。 時間やイベントがあると写真は残る。 しかし、なにもない普通の日のどこにでもある街角の風景は残らない。 一度取り壊されると、その場所にどんな建物があったのか、すぐ記憶から消えてしまう。今、あなたが目にしている日常の風景は、決して永遠にあるものではないんですよ。 カメラを買ったら、特別な日の特別なことだけでなく、自分や身の周りの日常を撮るといい。家を建て替えるとき、引っ越すとき、車を買い替えるとき、店を閉めるとき・・・。 普通の日、家族そろって夕飯を食べるとき、この文章を思い出したら、写真を撮っておくといい。きっと、旅先で撮った写真の何倍もの思い出が記録されるはずだから。 夏、帰省したとき、友人のS君が面白いものがあるというので、図書館について行った。それは中村市の住宅地図だった。 年度別に中村市全体の店舗や住宅が一戸ずつ記載されており、見ると懐かしさでいっぱいになった。 「そうそう、ここの隣にはこんな店があって、〇〇君はここを入ったところにあって・・・」 当時の町並みが目に浮かぶ。今はもうない記憶の中にある中村の情景が。韓国で『深夜食堂』のミュージカルが興行されたようで・・・メジャーになったものです。p71~74其の十八より 『深夜食堂』の韓国版コミックスが発売されたのは2008年の秋。 韓国内で販売されているコミックスの八割近くが日本の漫画で、韓国の大手出版社には、日本のどの作品の版権を取得するか検討し契約する部署がある。『深夜食堂』を推薦してくれたのは、ある出版社の一人の女性社員だった。子供向けコミックスの倍近い値段で、少し豪華な装丁の『深夜食堂』の出版が決まったとき、まさか累計30万部まで売上を伸ばすとは誰も想像しなかった。ましてやミュージカルになりなんて。 「韓国版、なんか売れてるみたいですよ」と編集者から聞いたとき、 「へぇ、わかるのかなぁ。不思議なこともあるんですね」と、ボクは他人事のように言った記憶がある。 2011年、ソウル国際漫画アニメフェスティバルに招待され、サイン会に百人くらい並んでる人を見て初めて売れてるのを実感した。読者は20代の女性が多いらしい。ミュージカルの脚本家も作曲家も女性(20代と30代)の方だった。 韓国で新聞や雑誌のインタビューを受けた際、逆にボクから尋ねた。 「『深夜食堂』のどこが受けてるんですか?」 すると、「食べ物で癒されるところ」という答えが何人かから返って来た。別にそんなつもりで描いている訳じゃないんだけどな。 因みに前年の韓国のキーワードが「癒し」で、またソウル市内には、ラーメン屋やとんかつ屋など日本食の店も増えており、『深夜食堂』が受け入れられた背景にはそんなことも影響している。 さてミュージカルである。 ボクは2013年2月初め、ソウルの大学路にある劇場に見に行った。 舞台の真中に食堂のカウンターと調理場があり、両側には実際にゴールデン街にあるのと同じ名前の看板も見える路地がある。設定は原作と同じ新宿、登場人物も全て日本名だ。 オープニング。マスター、小寿々さん、マリリン、忠さん、お茶漬けシスターズ、風見倫子ファンのサラリーマン二人組が舞台に現れ静かに歌い始める。歌は韓国語だが、それぞれのコスチュームや雰囲気で誰だかすぐわかる。 ボクはこのオープニングを見てゾクゾクした。このミュージカルを作り上げたスタッフも役者さんたちも、みんな『深夜食堂』のことをよくわかっていると感じた。(中略) 韓国語で語りかけるマスターの台詞の中に、「四万十」という言葉がしっかり聞き取れたとき、ボクはなぜかとってもうれしかった。 この気持ち、幡多の人ならわかってくれますよね。ところで、安倍さんとは2年前に、中村でお会いして直筆のコースターをもらったのです♪安倍夜郎さん特製コースターより
2016.07.01
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